2007年10月2日火曜日

映画 「ラッシュアワー」


終末医療に従事している私の仕事に希望はない。1日をベッドで過ごす患者達に笑いはない。今日、一日、なにか生きていることが嬉しくなるような喜びが見出せるように、、、きょうは特別 風が生暖かいとか、空が一段と高くなったようだとか、出回り始めたぶどうがおいしいとか、赤ちゃんの声でさえずっていたヒナの声が大人になってきたとか、窓から蝶がとびこんできたとか、そんなつまらないことでも患者と一緒に笑えるように接している。笑いは 人になくてはならないものだ。

人を笑わせるために作られた映画「ラッシュアワー3」を観た。各ホイッツ映画館で上映中。ブルースウィルスの「ダイハード4」でも54歳の活躍ぶりに感心したが ジャッキーチェンの若さにも吃驚。ジャッキーチェンと、クリスタッカーのコンビ 3作目。 

彼の映画に筋立てと言った筋もないのだけれど。 中国大使のボデイーガードとしてジャッキーチェンはロスにやってきた。弟分のクリス タッカーとは4年ぶりの再会。中国を根城にした国際犯罪組織について、大使が国際会議で重大発表をしようとした矢先 大使は狙撃され銃弾に倒れる。美しい大使の娘に頼まれてジャッキーとクリスは、この犯罪組織を解明し、事件を解決することになる。追うジャッキーとクリスのアクション。ここまでやるか?と思う派手な追いつ追われつが、本当はものすごく危険なアクションとわかっていて、笑わずにはいられない。

逃げ遅れたギャングの一人を捕まえて 組織のボスの名前を白状させるんだけど、相手はフランス語しか話さない。急遽 来てもらった通訳はフランス人修道女。ジャッキーの方もギャングのほうも 汚い言葉の応酬と罵りあいばかりで、通訳に四苦八苦する。ここがすごく笑える。笑いすぎておなかの皮が痛くなること請け合い。

悪の本拠がパリとわかり、二人してパリに向かうが、着いたとたん出迎えるパリ警察庁署長が、あの、映画監督のロマン ポランスキー(ROMAN POLANSKI)。ここで、また、知ってる人は 大笑い。本当の彼は、未成年の子と関係を持った疑いで告訴されており、華々しい監督としてのキャリアを捨ててアメリカから逃亡中。 組織のボスが パリのキャバレーの踊り子とわかり、舞台で歌い踊りながらギャングとの たちまわり、狙撃を回避するためのカムフラージュなのに、キャバレのお客たちは大はしゃぎで、笑いっぱなし。

日本人俳優のサナダヒロユキ(どういう漢字かわからない)と、工藤という(下の名が思い出せない)女優の立ち回りもすごい。刀や短刀を持っての早い立ち回りは ゆっくりやってフイルムを早く回しているのだろうか、それにしても、すごい迫力。家具が50個くらい壊れて、ガラス窓が100枚くらい割れる。何人ものギャングをぶちのめして 戦う相手がみな延びているのを見て 人質の大使の娘がエッフェル塔からつるされているのも忘れて、思わず踊りだしてしまうクリスにも、笑い。アメリカ人嫌いのパリタクシーの運転手も、いかにも こんな人いそうですごくおかしい。

もっと、すごいのは、エッフェル塔でのたちまわり。夜空にそびえるエッフェル塔で、刀をもっての決闘シーンは すごく怖くて すごく笑える。よくフランス政府がこんな危険なシーンの撮影を許可したと、感心。見下ろせば人が豆粒ほどの大きさにしか見えない高さで 幅50センチほどの鉄筋を滑り降りたり、バランスをとりながら日本刀で切りあうシーンなど、カメラの特殊効果もあるだろうが、全部、ジャッキーはスタントマンなしで演じたそうだ。こんなこと、他の俳優がやったら、何人死人がでるかわからない。それでいて、笑わせるサービス精神を忘れない。2時間弱のこの映画で、5分おきには笑っていた。ときとして怖くておかしくて、悲鳴をあげながら笑ってたと思う。

ジャッキーチェン、本当にすごい人だ。徹底した役者。いくつ命があっても足りない。映画を、単なるエンタテイメントとして捉ええるならば、ここまでお金をかけて人を本当に笑わせ楽しませて本望だろう。

2007年10月1日月曜日

映画 「ワンス ダブリンの街角で」


10代のはじめの頃 ギターをナイロン弦に張り替えて 自分で作った曲を 自分で歌っていた時期があった。でも知っているコードが 5つしかないので、その和音の中でしかメロデイーが作れない。声も1オクターブしか出ない 限られた範囲の中でも やっていたときはとっても楽しかった。

映画「ワンス ダブリンの街角で」原題「ONCE」を観た。クレモンオピアム デンデイーなどで上映中。アイルランド映画。監督ジョン カー二ー(JOHN CARNEY)。 主演 グレン ハンザード(GLEN HARSARD) と、マルケタ イルグローバ(MARKETA IRGLOVA)。この映画、2007年サンダース映画祭で特別鑑賞賞を獲った。

本当の、グレンハンザードは アイルランドではバンド「FRAMES」のボーカリストで、地元では人気のシンガーソングライターだそうだ。 相手役の女性、マルケタ イルグローブもチェコの 歌手。二人のプロのミュージシャンが この映画のために、沢山曲を作って歌っている。

ダブリンの街角で、男が毎晩 ギターを弾きながら自作の歌を歌っている。 昼間は掃除機修理の仕事をしながら,別れた恋人のことを思い、夜になると、心のたけを叫ぶように歌わずにいられない。

通りかかる女がいる。去っていった夫を 思う切ない思いが、男の歌に重なる。孤独どうしの二人が出会い、歌って時を過ごす。女の励ましをうけて、男は自分のCD を作り、ロンドンに旅立っていく。見送った女のもとに、ずっと欲しくて買えなかったピアノが届けられる。恋にいたらなかった、しかし強い友情で結ばれた男からの、贈り物だった。

心をこめて自分で作った曲を本当に心をこめて歌うシーンが続くだけの シンプルな映画だが それがとても良い。男は男の恋をどれだけ大切にしてきたかがわかる。この映画、ちょっとMTV ミュージックビデオみたい、歌ってばかりいるんだけど どの曲も良い。なかでも「FALLING SLOWLY」が 心に残っていたみたい。映画を観た後、1週間はたっているのに 自分が気が付くとこの曲を鼻でフンフン歌っていて、自分でもびっくりした。映画を観ていたときは それほどすごく惹かれていると思っていなかったのに、なぜかずっと後まで いい感じが残っている、、、良い曲ってそんなものかもしれない。

主演して、曲もこの映画のために作ったという2人は映画が予想外にヒットしたので、当初の予定になかったことだが、「SWELL SEASON」というバンドを作って 海外に遠征して公演もすることになったそうだ。日本にも、来るそうだ。「FALLING SLOWLY」という曲、I DON’T  KNOW YOU BUT I WANT YOU ,,」という奴、聞いてみて欲しい。 

2007年9月26日水曜日

映画 「ディセバー ボーイ」



ハリーポッターを演じているデビッド ラドクリフ(DAVID RADCLIFFE)が主演した オーストラリア映画、ということで、沢山のオージーが見るに違いない新作。各 ホイッツ映画館で上映中。監督ロッドハーデイー(ROD HARDY)。地理的事情により世界の文化の主流からは隔絶されたラリアでも、さらに、限られた予算ながらも、良い映画はちゃんと作られているという証。とても良い映画だ。

南オーストラリアのカンガルー島で撮影されたそうだが、本当にラリアの自然の大きさと美しさが堪能できる。 荒々しい野生馬が、走り抜ける草原、終日 ボートから釣り糸をたらしている老人は 湾に住み着いた巨大魚に名前をつけて可愛がっている。巨大な日没と日の出。海岸線を爆音で走りまわるバイクの青年、波打ち際で魚を取って食べる野生馬。どれも、切り取って絵になる。自然描写のカメラワークが素晴らしい。

1960年代、カトリック修道院付属の孤児院で育ってきた、12月生まれの少年達4人は、誕生日のプレゼントとして、1ヶ月海辺に住む老夫婦のところで 夏休みを過ごすことになる。ラリアなので、クリスマスの12月は真夏で夏休みだ。これは 内陸地の砂漠地帯にあった孤児院で育った少年達にとって、初めて海辺で過ごす体験。敬虔なクリスチャンの養父養母。遊びまくる少年達。毎日が新しい発見で 毎日が冒険。

隣の家の旦那さんとの出会いが良い。遠くからバイクの音がする。少年達が耳を澄ます。しばらくして海岸線の小さな点が徐々に大きくなり、夢のような素敵なバイクが見えてくる。爆音をたてて疾走してくるバイクにまたがった男を目で捉えるときの少年達の、気も狂わんばかりの熱狂。バイク乗りの 隣の旦那さんは、もう少年達のヒーローだ。そんな男の中の男、あこがれのヒーローが 子供を欲しがっていて、孤児を養子にしたいというのだ。もう、その日から、夢のヒーローは、僕の夢のお父さんだ。

家族のない4人の少年達にとって4人の結束は家族より強い。そこに、4人のうちの一人を養子にしたいという 隣の若夫婦が出現して、4人の結束は一挙に崩れ、ライバル意識と、嫉妬、競争の嵐に巻き込まれていく。

4人のうち最年長、16歳の ダニエル ラドクリフは、きっと、養子には選ばれないだろうという絶望感に浸っているが、失意を癒すように美少女に出会い、恋をする。初恋、そして、裏切りの 苦い体験。

少年達の一月が過ぎ、また孤児院に帰るときが来た。赤土の砂漠と青い空、どこまでも続く大きな自然が 少年達の喜びの涙も、苦い涙も、のみこんでいく。 とっても、心にしみる映画だ。

16歳のこの少年を演じたダニエル ラドクリフは実際は18歳。まだ、少年の体つきで声も高い。難しいテイーンの役をよく演じていた。ハリーポッターの第6作目の 作品の撮影に入ったそうだが、最終回第7作目のフィルムまで、役者として、どれだけ成長していくだろうか、楽しみだ。

2007年9月22日土曜日

ドルフィンを食べないで!

在外日本人にとって 一番困ったことは 日本が世界中の反対を押し切って 調査捕鯨という名の商業捕鯨を続け、平気で鯨を食べていることだ。GNP世界2位 世界中の美食を集め、飽食の限りを尽くしている国民が どうして他に優れた蛋白源が溢れているのに 鯨を食べ続けているのか? 教養も品格もない、醜悪だ。海外に住む私達が、日本人とわかったとたんに侮蔑の目で、「おまえら、いい加減 鯨を食うなよ!」と、罵声を浴びて、身の縮む思いの身になってもらいたい。

私は日本人が食べているのは 鯨だけだと思っていた。まさか、、、ドルフィンを食べたりしてないよね!と。 

2007年9月4日の 「THE JAPAN TIMES」によると、和歌山県太地町では近海に生息する2万頭のイルカに対して、年間約2300頭のイルカを捕獲、肉の一部は海外に輸出、主に100グラム170円程度でスーパーマーケットで販売され食べられている。太地町は人口3500人、捕鯨は400年前からの伝統で地元の人にとっては 鯨もイルカも食べなれた伝統料理だ。水産庁から捕獲業者に与えられている捕獲量は スジバンドウイルカ:990頭、アラリイルカ:470頭、ハナゴンドウ:550頭、マゴンドウ:300頭、オキゴンドウ:40頭、カマイルカ:170頭など。去年1年で、地元の幼稚園、小中学校の給食として150キロが消費された。ここで、捕鯨に関わっている漁師は現在26人。
しかし、町長は3億3千万円かけて新しい鯨屠場を建設予定。そのうち、1億6千万円が補助金として税金から出る計画だそうだ。これが出来ると、イルカ鯨肉の保存ができ、全国の学校給食に提供できるようになり町の経済向上に貢献できる、としている。しかし、町の人々は鯨がなくても、生活でき、多数の人が屠殺場建設に賛成しているわけではない。

日本で、2300頭ものイルカが 浜辺で撲殺され、食卓に載っていたなんて!!!全然知らなかった。 IWC (国際捕鯨委員会)ではマッコウクジラなど大型鯨類を管轄しており、小型鯨類は管轄外、その中でもイルカ類は、国内管理の問題として イルカ殺生についてIWCが 立ち入ることが出来ない。 また、IWCでは、日本の調査捕鯨について、批判はできても、規制する力をもっていない。

温血動物である鯨やイルカが 体内に蓄えている分厚い脂肪層に重金属、有機化学物質が蓄積していることは、1990年あたりから、指摘されてきた。シャチから最高脂肪1グラムに対して400MGの水銀が検出され、犬などの陸上動物の4000倍の汚染濃度が報告されている。

今回、太地町の幼稚園、小中学校の学校給食に、地元のコビレゴンドウイルカの肉がでて、同じ肉を調査してみたら厚生労働省の規制の16倍の水銀が検出されて、問題になった。 これは、食の嗜好の問題ではない。学校給食は、教育の一環として給食は、きちんとも残さずに食べることが、ほぼ強制される場で 水銀入りの肉を子供達に食べさせたということは 立派な社会的犯罪と言える。そんななかで、町長の音頭のもとに、新しいイルカ鯨屠殺場ができ、全国の学校給食にこういった肉が供給されて良いのだろうか?

水銀汚染された肉だから 給食にふさわしくないのではない。イルカの肉だから、子供達の給食にふさわしくないのだ。

イルカや鯨は 近年になって彼らの高い知能や、コミュニケーションの様相が 徐々にわかってきたが、まだ、解明されていないことの方が多い。シャチにいたっては 社会構造、運動範囲、子育てなど、全く未知と言って良い。そういった、私達と同じ、あたたかい血が流れている 海に住む大型動物を、乱獲したり 調査 学術目的といって、捕獲して、まして食肉として市場に出してはならない。

鯨もイルカも 野生状態で、自然の中で、研究されるべきだ。

やめろ!鯨を殺すな。やめろ、イルカを殺すな。

2007年9月12日水曜日

映画 「THE BOURNE ULTIMATUM」


パトカーを含めて100台ほどの車、ついでに飛行機にヘリコプター数台、戦車も出てきて それらがみんな燃え上がるのを観た。次々と人が銃殺され、蹴り殺され、踏み殺され、首を捻じ曲げられて音をたてて殺されるのを見た。火曜日に 新作映画 マット デモンの「BOURNE ULTIMATUM」と、遅まきながらの「ダイハード4」の二本を見たからだ。どちらも、各地ホイッツで上映中。

ダイハード4は面白かった。今まで躊躇していたのは、52になったブルース ウィルスの衰えた姿を見たくなかったからだ。でも彼、老いを全然感じさせなくて良かった。役柄はロスの冴えない警官、妻には去られ、娘からは疎まれて わびしい一人暮らし、、、という設定だが とても、うらぶれた様子に見えない。こんな男を女が放っておくわけがない。いつもながら、人質をとられて「近付くな、人質を殺すぞ。」と言われようが、自分が満身創痍であろうが ひるまず、どんどん悪者に迫って行く姿、やられてもやられても 全然懲りない姿、、、これがダイハードだ。見ているほうはあっけにとられながらも痛快。悪者は本当に卑劣だし、ブルース ウィルスは絶対死なないから、安心してみていられる。

「BOURNE ULTIMATUM」は、ポール グリーングラス監督。主演マット デモン。題名は、ギリギリの最終提案とか、最後通告とかいう意味。 CIAは正義のためにあるのではなく、常に揺れ動く世界情勢の中で、目の前にある利害のために その場しのぎの対策を講じて生き延びてきた。2001年9月11日のテロもCIAは後になって、危険は事前に予知しており、大統領に報告していたと、発表して大統領追い落としにかけたが、成功しなかった。1月にソマリアを攻撃し、テロを事前に食い止めるためと言ったが 事実に反しており、無実の数百の市民を殺した。CIAのなかでも、今の大統領に忠実な派閥と すでに次に予想される大統領のために働く派閥の動きがあり、その中でも細かい派閥争いがたくさんあるのも、周知のことだ。

今回の映画もテロ対策のためにCIAで特別の訓練された殺人マシーンのマット、デモンが自分に殺人依頼をしたのは誰か、自分のアイデンティティーを探し出すというお話。結論はおきまりの、CIAナンバーワンのボスが不正を行っていて、CIAナンバーツーに告発される。たくさんたくさん殺し、たくさんたくさん壊したけれど、敵はアラブでもロシアでも中国でもなく 身内だったという今ではもう、使い古されたストーリー。

でもアクションのありえないような激しい動きを捉えるカメラワークの良さ、効果的な音楽は、さすがアクション映画のハリウッドだ。「これだから全く たまんねーよなー!」とボヤきながら 最後まで人々を引き込んで見せてしまうだけのパワーを持っている。マット デモンは、今、映画界で世界一 収入をもたらせている俳優だそうだが、彼の演技は感情を殺した殺人マシーンにぴったり。感情や状況に流されない 悲しみも怒りもない、まじめ青年。

今回の映画をみていて面白いと思ったのは、CIAが 沢山抱えている 殺人請負人たち、、、携帯電話で指令が届き、殺すべき人の顔が携帯電話に映し出されると ただちに行動に移り、追跡、完全に殺すまで追い続ける一匹狼の殺し屋軍団が みんなアラブ系の顔をしていたことだ。これは、おもしろい!アルカイダとか ヒズボラとか ハマスとか CIAはジャンジャン捕まえて、世界各地のアメリカ基地で拷問したり好き放題しているが、当然、寝返り合戦で、アルカイダのために戦っていた戦士を CIAのためにアルカイダと戦わせたりしているはずだ。

優秀なテロリストの取り合い合戦なわけだ。何のために戦うか 誰のために戦うかは、二の次というわけ。そんな感じのめっぽう強いCIAエージェントのアラブ人が別のセクトのCIAエージェントのマット デモンを痛みつける姿が、ブラックユーモア。アメリカの姿を正直に表していた。

2007年9月7日金曜日

映画 「酔いどれ詩人になる前に」


チャールズ ブコウスキーが再び日本で、ブームになっているようだ。1994年に 彼が白血病で死んでから10年もたつのに 日本でも根強いファンが人気をずっと支えていることは特筆に値する。2002年に、映画「ブコウスキー:オールドパンク」という彼のドキュメンタリーが発表されている。

彼がどんな作風か、、、作品集「勃起、射精、露出、日常の狂気にまつわるもろもろの物語」の中の、「狂った生きもの」の、最初の出だしだ。訳は青野聡。 

 「 失業して、部屋をおいだされ、そして(たぶん)正気からもつきはなされていた当時、私は飲んでばかりいた。その日、裏どうりで寝て過ごしたあとで、朝日のなかでゲロをはいた。それから五分おいて、コートのポケットにあったワインの残りを飲んで、町のなかを歩き出した。いくあてなどなかった。でも歩いていると、なんだか目的をもって行動しているかのような気がしてきた。もちろん錯覚である。裏通りにいたってしょうがなかっただけだ。  どうにか意識を保って、しばらく歩いた。私は飢え死の魅力に、なんとなくとりつかれていた。横になって待っていられる場所がありさえすればよかった。社会にたいする恨みは微塵もなかった。そもそも社会に属していなかった。そんなことはずっと前からわかっていた。」

彼の生き方を映画にした「FACTOTUM」邦題「酔いどれ詩人になる前に」。新しい映画なのに ビデオで観た。日本では公開されているが、ラリアでは劇場公開されなかった。原題が「FACTOTUM」というのを知らなかった。ご自身も詩人でギターをもって歌っておられるマイミクのFUNKAさんに教わって ビデオを探してみつけた。 ノルウェー人のベント ハマー監督、ブコウスキー役に、マット デイロン、相手役というか女優に、リリーテイラー。

テーマソングを クリスチャン アズビョンセンという人が歌っている。この歌の詩がブコウスキーの「ドリームランドとスローデイ」。この歌が ものすごい。阿片巣窟の奥底の底の底から聞こえてくるような、破壊的で ダダみたいな曲だ。

タイトルのFACTOTUMは何でも屋、便利屋とでもいう意味、食べるために 郵便局員、タクシー運転手、運送屋、機械工、缶詰め工場の荷詰め、ギャンブル、使い走りなど、何でもやった彼の半生を揶揄したことば。

ありとあらゆる職種で食いつなぎながら、書くことを決して止めなかった詩人の姿に、深く心うたれた。生きることに不器用な もの書きの姿が悲しみに満ちている。汚い言葉をたたきつけるように書きなぐる暴力性、にも関わらず繊細で柔らかな心、恥ずかしがりやのつっぱり、おおきな駄々っ子。

マット デイロンが、とても良い。実際のブコウスキーは こんなだったんだろうな、と思える表情、しぐさが とっても自然でよかった。彼は、アカデミーをとった映画「クラッシュ」でライアン巡査をやった俳優。この映画では、いやな奴の憎まれ役を全く憎く憎しく演じていた。 相手役のリリーテイラーが、また、とても良かった。ハイヒールを若いときから履いていた人独特の曲がった足指、O脚にゆがんだ足、労働者階級出身を示す筋肉質の体型、美人でないのに、タバコとアルコールがないと生きられない女のからっぽな脳みそと、かわいいしぐさには、男でなくとも、グッとくる。

男が あてにしていた三流紙からの原稿料を待って、疲れきって足が痛む女に、自分のくつを履かせて歩かせるシーンがとっても良い。女のサンダルを持ち、自分は くつしたで、女の手を取って歩いていくとき、男のやわらかい足の裏が、私にも感じられるような 心にしみるシーンだ。

映画の中にこんな台詞がある。SOME PEOPLE NEVER GO CRAZY.WHAT TRULY HORRIBLE LIVES THEY MUST LIVE.決して狂わない人たちがいる、それでも生きていかなければならないなんて、、、。自分のことを、言っているのだ。ブコウスキーは きっと、どんなに飲んでも、醒めていたんだろう。

2007年9月5日水曜日

APEC 首脳会議に反対する

ジョージブッシュ米大統領が来豪する9月4日の朝、ヘアカットのために 彼の泊まるインターコンチネンタルホテル前を通り、いつもの店で髪を切りメッシュにカラーを入れてもらって帰ってきた。世界一悪い奴、懸賞金つきのお尋ね者が 到着する日なので通行止めになっているかと思ったが、通常どうりの街の様子で、ちょっとびっくりした。でも夜10時到着といっていたから、夕方からはそのあたり、警備で一変したことだろう。

APEC会議のために9月5日から9日まで、ラリアの経済活動は停止する。7日金曜は学校も職場も休み、各国首脳が会議するオペラハウスと、彼らが宿泊するホテルのあるラリアの経済活動の中心マルチンプレイスあたりは封閉鎖されて 市民が立ち入ることは出来ない。デモで大量の逮捕者が出ることが予想されるが市の中心部にデモ隊は一切入れない。

ジョンハワード首相は今回のAPEC会議のテーマは 1、地球温暖化対策、2、貿易自由化、3、地域の安全対策 の3つになると発表した。ジョンハワードが10月以降に予想されている選挙で退陣し、新しくケビン ラッド労働党党首が首相に任命される可能性が強いが この、ケビンがAPECでのジョンの対応を絶賛して、僕が首相になっても、ジョンと全くおんなじことをしますよ、と確約?したのには いまさらながら あきれた。ラリアでは自由党と労働党とは対立する政党ながら、酷似する双子のようなものだ。労働党というから労組を基盤にした世界の労働者の味方かとおもったら、とんでもない、ラリアの労働者のために、移民労働者を認めず、地下資源で核兵器のもとになるウラニウムを外国に売るのも大賛成、人権も、世界平和も、環境問題も、へったくれもない。ラリアにタカとハトはなく、タカとワシだ。

アメリカではアフリカから奴隷を連れてきて アメリカ経済の土台に利用するために奴隷を殺さなかったが、ラリアでは先住民族アボリジニーを奴隷として使うには怠惰すぎるという理由で、「害畜」として、カンガルー同様に撃ち殺した。クイーンズランドやタスマニアではアボリジニー人口が零になるまで絶滅させた国だ。こんな血まみれの歴史を持った国は他にはない。

APECに先だって、中国のフージンタオ主席が いち早く西ラリアに来て次々と商談をまとめた。日本より一足でも早く 一銭でも安く日本に買占められないうちに石炭、鉄鋼、鉱石を買い付けたわけだ。これで、日本にはどうしても必要な ラリアのエネルギー石炭、LPGガス、アルミニウム、原油などは先手中国に持っていかれてしまって、アベが来た時には残るのは 日本の農産物自由化への圧力だけだ。アベはブッシュとハワードの圧力に耐えられるのか? ラリアから安い米、小麦、砂糖、乳製品、牛肉が関税なしに入ってきたら、日本の農業、牧畜は全滅だ。

このようにAPECは、先進国の中でも最も豊かな国同士がもっと豊かになるための取り合いごっこだ。だから、私はAPEC そのものに反対する。地球には200カ国ちかい国があり、63億人の人が住んでいる。先進国が勝手に富を分配してはいけない。

世界の最富裕国が世界のGDPの88%を占めるような 世界経済構造はまちがっている。グローバリズムは 世界の経済発展を促進したが、逆に最貧国を最富裕国との経済格差は広がる一方だ。
少数者による世界支配を許してはならない。APEC首脳会議に反対する

2007年8月25日土曜日

2008年の日記帖

この時期の 楽しみのひとつは 来年の予定がひとつずつ埋まっていくことだ。

まず、オペラ。2008年のカタログが 水曜日に送られてきた。来年は、シドニーでは、12のオペラが上演される。 このうち、6つを観る事に決めた。2月に、プッチーニの「ラ ボエーム」、3月に ビゼー「カルメン」、7月に「マイフェアレデイー」、8月に、ドンゼッテイの「LAMMEMOOR]、9月に「真珠とり」、10月に、ヤナチェックの「MAKROPULOS SECRET」。カチャカチャ チーン!$1900、19万円! ひ、ひきつけ起こしそう。でも、すごく良い席が確保できた。たのしみ。

そうしているうちに、オーストラリアチェンバーオーケストラ(ACO)の 来年のカタログも届いた。年間7回の定期公演。リチャード トンゲテイのバイオリンは何といっても、文句なしにラリアで、一番。毎回の公演ごとに、ゲストが来て、多くは外国からの 様々な楽器の演奏家だが、この人たちとオーケストラの共演が、とても楽しい。これは、何年も毎年観にいっているので、特別の価格で、$500.

それと、この時期に、2008年のジャーマンセパードの日記が、良いタイミングで、カナダから、送られてくる。$25なり。ジャーマンセパードの日記帖は、写真集になっていて、表紙がセパードの写真というだけでなく、1週間ごとに ページをめくるごとに、ちがうセパードの写真がでてくる。週ごとのスケジュールが一目瞭然で便利なだけでなく、毎週いろんなセパードの表情に出会うことが出来る。私たちがシドニーにくるときに、フィリピンに置いて来ざるを得なかった家族の一員だったセパード犬とそっくりの 犬の多いこと。毎日ページを広げて、そっくりさんの犬をながめては、12年前に置き去りにしてきた犬をしのんでいる。もし、生きていれば17歳の、アルメニウス セント デ ニコラウス、、、どんなだろう。

2007年8月24日金曜日

映画 「NO RESERVATION」


映画「NO RESERVATION」邦題「幸せのレシピ」を観た。スコット ヒックス監督 ハリウッド映画、主演 キャサリン ゼタ ジョンズと、アーロン エクハート。

この映画の前に、全く同じシナリオで、2001年に ドイツ版があって、邦題「マーサの幸せレシピ」で、上映されていて、とても好評だった。監督はサンドラ ネット ルペック 30代のシングル女性で、ハンブルグにある、評判のフレンチレストランが、舞台だった。

有名レストランのマスターシェフ、ケイトは、料理こそ自分の生きる道と決めて腕を磨いてきた。自分の名前のついたレシピを持っていて、固定客を沢山抱えるほど、評判の高いシェフとして、ワークホリックな毎日を送っている。彼女のキッチンは 冗談も余裕もスキもない、完璧主義の彼女の性格を反映して いつもピリピリしている。そんな彼女を、レストランのオーナーは、心理療法士のコンサルテーションに送り出す。にもかかわらず、彼女の頭の中は、新しいレシピのことばかり、自分の欠陥に気ずかないでいる。

そんな彼女の妹が9歳の娘を乗せた自動車で事故に合い 急死する。妹はシングルマザーで、この母親を失ったばかりの子、ゾウ(ABIGAIL BRESLIN )を、ケイトが引き取ることになる。結婚にも興味なく仕事ひとすじだったケイトが 急に母親役を引き受けることになり 子供の心をつかめない彼女はゾウの拒食症にあって、誰からも賞賛されてきた自分の料理を拒否されて、どうして良いかわからない。

そんなときに、レストランにイタリア人コックのニックが登場する。ハンサムで明るくてオペラを歌いながら料理する彼に早くもレストランオーナーやキッチンの働き手達の心は奪われてしまっている。自分こそがチーフとして固定客を持ち レストランを牽引してきたのに、自分の誇りと よりどころをケイトはいっきに失いそうになる。ニックはケイトのレシピにあこがれて来たというが、ケイトにはニックの何もかもが気に入らない。

しかし、そうしているうちに 心を閉じていたゾウが、ニックには 心を開きかけてきた。段々とケイトはニックを無視することが出来なくなってくる。そこで、まあ、子供がカスガイになって、二人が結ばれる めでたしめでたし、というお話。

ハリウッドの顔きき、マイケルダグラスと結婚して、エリザベステーラーが リチャードバートンから せしめたのよりも大きなダイヤをもらって、二人の子を産んだキャサリン ゼタ ジョーンズの本格的映画界への復帰作というので、大宣伝している映画。彼女の出産前に主演したミュージカル「シカゴ」では、彼女、アカデミーも取ったけれど、歌も踊りも本当に素晴らしかった。彼女、子持ちになっても相変わらず美しい。 この映画も、娯楽作品としてそれなりに楽しいし、シングルマザーの子が孤児になってしまって拒食症になるなど、泣けるところもあって、良い映画だった。

しかし、2007年アメリカ版のこれよりも、2001年ドイツ版のほうが ずっと良かった。比べ物にならない。 40才近くなろうとしている美女が料理に、うちこんで、他のものが見えなくなっている様子や、彼女が家に帰ってきて静まり返った よく整頓された部屋の様子、神聖な料理場で歌を歌ったり冗談をいって人を笑わせるようなイタリア人料理人に対する軽蔑心、嫌悪感を、ドイツ映画では女優がとても、自然に演じていて、共感がもてた。アメリカ女がこれを、まねてみても 全然寂寥感とか、嫌悪感がでてこない。

ハリウッド映画では、登場人物が良く動きよく しゃべり過ぎる。しゃべりすぎて下品だ。私はフランス映画の静寂、ひっそり喜び哀しさを暗示するような音のない瞬間が好きだ。 だいたい、この映画ではマンハッタンの人気フレンチレストランという設定だけど、忙しいニューヨーカーに、食い物の味がわかるのか? ソースに命をかけるフランス料理が、前の映画では、ヨーロッパだったから まだ納得できたんだけど。 前の映画では、イタリア人シェフが全く美男でないところも、良かった。今回のハリウッド版は、男が役の割りにハンサムすぎる。美男美女のコミカルな娯楽映画になってしまって、限りなく、無価値な見てすぐ忘れてしまう映画のひとつになってしまった。残念だ。

2007年8月9日木曜日

映画 「フラクチャー」


アメリカ映画「FRACTURE」を観た。邦題は未定。FRACTUREは 砕けるとか、壊れると言う意味。 アンソニー ホプキンス(ANTHONY HOPKINS)と、ライアン ゴスリング(RYAN GOSLING)の、サイコテイック 二人劇とでもいえる映画。すごく良く出来た映画。 アルフレッド ヒッチコックが生きていたら、同じ、この2人の俳優で この映画を撮影しただろう。

アンソニー ホプキンスは、この映画で、テッド。富も名声も業績も、美しい妻も もっている教養ある、航空工学の専門家。

ライアン ゴスリングは、ウィーリー。片田舎で、貧しい家庭の私生児として育ち、スポーツで認められた奨学金で 辛うじて、大学の法学部を出る。日ごろの努力の結果、検察官として頭角を現してきた。彼の担当する犯罪者の97%は 有罪にして、刑務所に送り込んできたので、検察から一目置かれるようになった。 そして、遂に、私立の弁護士ファームに高給で引っこ抜かれることになった。有頂天で、人生順風 航海楽し の瞬間。

ウィリーが まさに新しい職場に移動する直前に、夫が妻を銃で撃つ殺人未遂事件が起きて 犯人が現場で自供しているという警察の言葉を鵜呑みにして引き受けたことによって、彼は、新しい職場も、実績も名誉も何もかも失うことになる。

テッドの豪邸で、浮気をしていた妻が 銃で撃たれて 血の海のなか、瀕死の状態で倒れている。その横に、銃をもったウィリーが立っている。押し入った警部にテッドは 自分が撃って妻を殺したと言う。テッドは逮捕されるが、かれの銃に発砲の痕跡がなく、テッドの体から、硝煙反応が出ないため警察も検察もテッドを有罪にするための、証拠が立件できない。

裁判の法廷で 事件担当で、テッドを逮捕拘束した警部が、撃たれた妻の浮気相手だったことが、テッドによって巧みに暴露されて、警察側の大失態。ウィリーは テッドの有罪を証明できず、テッドにとことんまで もてあそばれる。 一方、テッドは晴れて、自由の身になる。この先は、これから映画を観る人のために 言わないでおく。

自分の担当した事件の97%の成功率を誇る 若い検察官ウィリーに対して、3%の間違いも、決して許されることのない パーフェクトが要求される航空工学の世界で生きてきたテッド。 美しい妻は、顔に弾丸を受けて、壊れる。(fracture)そして、ウィリーも、卵の殻が簡単に壊れる(fracture)ように、壊れていく。そして、テッドの壊れる様子はもっと痛ましい。

いつも、完全犯罪を解くおもしろさを映画にしてきた ヒッチコックが、アンソニーホプキンスの名演に、手を叩いて 喜んでいる様子が、目に浮かぶよう。完成度の高い映画だ。

2007年8月7日火曜日

映画 「AS IT IS IN HEAVEN」


スウェーデン映画、「AS IT IS IN HEAVEN」(邦題未定、天国にいるような、か?)監督、カイ ポーラック(KAY POLLAK)を観た。この映画は シドニーで一番古くて 72年の歴史を誇る映画館、クレモンオピアムで、連続37週間 上映している。現在もまだ上映記録更新中で、毎日フィルムを回し続けて 話題になっている。 連続上映第36週目に行ってみた。驚くことに館内は満員の盛況。一人として美男、美女が映画に出演している訳ではない。有名な監督でもない。地味な映画だが、評判にたがわず、良い映画だった。

オーストリアで高く評価されている、有名な指揮者ダニエルは、ある日、舞台で指揮を終えた瞬間に、心臓発作で倒れる。死の淵から生還した彼は休養を命じられ、激しい音楽家の競争社会を捨てて、子供のころ 暮らしたことのあるスウエーデンの田舎に帰ってくる。古い小学校を買い取り、自然の美しさに見とれ、ただなすがままに残りの人生を送るつもりできたのに、教会の合唱隊の指導を頼まれる。全く 乗り気でなかったのに、地元のおじいさんや おばさんたちが 発声方法や音楽の基礎を学ぶうちに みるみると変わっていく姿を目の当たりにする。遂に彼は指導にのめりこみ、合唱隊をオーストリアの合唱コンテストに出場する程の実力を養う。ダニエルはコンテストの当日、奇跡のような美しいハーモニーを聴きながら、、、、というストーリー。

これは、音楽が人の生き方を変えることが出来るという、現実をきわめて明確に描いた映画。 ダニエルの 理にかなった合唱指導が実に良い。全身を使って どなる、自己最大音を発散させる、床に寝て腹筋をゆるめて、大笑いする、腹の底から笑う、足を踏み鳴らしながら体を動かす、声の限り自分の音を出させる、咽喉で歌うのでなく全身をサウンドボックスにして、音の振動を感じる、このようにして 体を音を振幅させる楽器として音が出せるようになると、団員のひとりひとりが音の限界からも、個の限界からも開放されて、表現する喜びに満ち溢れ、自然と歌い踊りだす。

家庭内暴力をふるう夫をもった妻は、合唱団で歌うことによって自分をとりもどし、家を出る決意をする。知恵遅れの 青年はやっと、合唱団に自分の居場所を見つける。2年間 妻子ある男にだまされていた女は、男を見限る。長年 女教師に片思いしてきた おじいさんは、遂にみんなの前で、彼女に愛を告白する勇気を持つ。 牧師の妻は生まれて初めて 感情を表現する喜びを知って、改めて、夫に愛を告白して歓喜の夜を過ごす。そんな妻に、牧師の夫は「このような行いは間違った行いだ。」と、妻をたしなめようとする。女として成長して変わった妻を受け入れられない夫、喜びを分かち合うことができない夫にとまどう妻、、、自分の生を生きる自信をつけた妻達に対して、嫉妬に狂い 暴力で女を押さえつけようとする男達の、醜いこと。

スウェーデンの片田舎の自然が素朴で美しい。合唱団が出かけていく、オーストリア、インスブルグの町並みの美しさ。雪を頂いたアルプスの山々に囲まれた街に 赤い路面電車がはしる。一度、住んでみたい街。 この映画、音楽の持つ力を存分に描いた後、単に感動もののハッピーエンドにさせないところが良い。

2007年7月30日月曜日

映画 「バラ色の人生」


79歳で死んだ私の母は、大正生まれのモガ(モダンガール)らしく、歌と言えば シャンソンばかり歌っていた。死ぬまで フランス語の勉強を続けていて、読書量もハンパではなかった。 彼女の若いときの写真があるが、銀座をオープンカーで乗り回し、冬は竹製のスキー、夏は葉山でパラソルの下で日光浴、戦争直前まで 上高地でテニスをやっていた。

その母に連れられて 観にいったエデイット ピアフの映画は白黒で、パリの街角で歌を歌っては 投げ銭をもらう可愛い女の子の物語だった。私は7歳くらいだったが、そこで、ピアフの歌う 本当のシャンソンを聴いて、初めてわかったことがある。母は 完全に音痴だったのだ。

映画「バラ色の人生」(LE VIE EN ROSE)を観た。この映画は、今年のシドニー映画祭の前夜祭で初めて公開された。今、デンデイー、クレモンォピアムなどで、上映中。フランス映画、英語字幕つきのなのに、珍しく オーストラリアでも評判になっている。オリビア ダン(OLIVIA DAHAN )監督。シャンソン歌手 エデイット ピアフの薄幸な一生を描いた映画だが、ピアフを演じたのがマロン コテイラッド(MALON COTILLARD)。

両親に捨てられ、売春宿を棲家とし、貧困のどん底で学校教育と無縁に育った少女時代、酒場で歌を歌っては、アルコールびたりの、救いのない青春時代。すごく暗い。 事実では、ピアフはドイツに占領されたパリでレジスタンスだったはずだが、この映画では、そうした社会状況は全く触れられていない。ワンシーンだけ、映画の中で、ニューヨークの舞台で歌い終わった ピアフにマレーネ デイトリッヒが逢いにきて、「あなたは、本当のフランスの誇りよ。」と言って去るところが、印象的。デイトリッヒは、パリを占領したヒットラーの度重なる 懇願にも 脅しにも答えず、ドイツを去り二度と帰国しなかった。

つかの間の心休まる時期、ピアフは世界ボクシングチャンピオンの、マルセル セルダンを愛するようになる。そのころ彼女が歌う「バラ色の人生」が とっても良い。しかし、彼を飛行機事故で失った後 ピアフは、生涯黒い服しか身に着けず、酒とドラッグに溺れて、死んでいく。なんか、酒、ドラッグに身をやつすと、こんなことになりますよ、という政府のキャンペーンみたいだ。

全体が、暗い映画で、ピアフの人生が幼児期にいったり、死ぬ直前になったり、そうかと思うと また幼児期になったり、画面がめまぐるしく 編集がわかりにくい作品だったが、女優がすごい。こんなに演ずることに 徹底して演じる女優も少ない。ラッセル クロウと共演した「THE GOOD YEAR」の女優だったとは、新聞の映画コラムを読んで 初めて知ったが 始めは信じられなかった。「THE GOOD YEAR」で、若いピチピチした美しい 豊かな髪の女性と、酒とドラッグで髪も抜け 醜い顔になったピアフとの落差がすごい。どの映画評を読んでも、この女優がピアフが乗り移ったように そっくりで、本当にピアフが生き返ったのかと思ったと 言われている。完璧なピアフになるために、役造りを、ものすごく集中して勉強したのだろう。シャンソンも、この女優が本当に歌っているとしか思えなかった。役者魂のあるひとに違いない。つぎの、彼女の作品で、彼女、何に化けるのか とっても楽しみ。

2007年7月19日木曜日

グルネリのバイオリン

オーストラリアチェンバーオーケストラ(略してACO)に、ジュゼッペ グルネリが 1743年に製作したカロダス という名のついたバイオリンが貸与されることになったのは、今年のビッグニュースだった。この、10億円の 歴史あるバイオリンを所有するアメリカ人の収集家が、ACO監督のリチャード トンゲッテイに貸与することに決めたのだ。

アントニオ ストラデイバリと、バルロメオ ジュゼッペ グルネリの二人は17世紀終わりから18世紀はじめにかけて、イタリアのクレモナでバイオリンを製作し、自らも優れたバイオリン奏者でもあった。いま、二人の残したバイオリンは 世界遺産、国宝級の扱いをされて、本当に選ばれた奏者だけが、所有したり、貸与されて、演奏することができる。

現在 世界中で ストラデイバリが、600、グルネリが100くらい残っていて、すべて、登録されている。で、この、カルダスという名のついたバイオリンは、パガニーニの愛用したバイオリンと、同じ樹から作られたものだそうだ。OSSY RENARDYというバイオリニストに所有されていたものが、彼が事故死したあと、50年間 だれにも弾かれないまま収集家のもとに保管されていて、やっと、ふさわしい演奏家に貸与され、日の目をみることになった。

バイオリンは木でできているが、可愛がり いたわり 演奏し使いこなしているうちに 生き物と同じように、呼吸もし、良い音が出るようになる。良い弾き手がいる限り 死ぬことはない。

リチャード トンゲッテイが チャンバーオーケストラをたちあげて、10数年、団員、20名あまりのちいさなチェンバーオーケストラが 100名の交響楽団よりも、豊かで、良い音を出す。政府の援助金を得て、団員が給料をもらっている、シドニーシンフォニーオーケストラの頭をかすめて、リチャード トンゲテイにグルネリのバイオリンが貸与されたことが、単純にうれしい。

彼はこのバイオリンをお披露目するために、ベートーベンのバイオリンコンチェルトと、べートーベンの、交響曲「英雄」をコンサートで演奏した。ACOは、どんな長い曲でも、全員 ずっと立ったまま演奏する。奏者の緊張がそのまま聴き手の心に染みとおっていく。クラシックは伝統だが、弾き手は常に現代を弾かなければ意味がない。今を生きている私たちの心の痛み、鬱屈した圧迫感、心の叫びを表現してくれる優れた今を弾く弾き手でなければならない。ACOの音はいつも新しい。

ACOは 定期コンサートでは 毎回ゲストを呼んで 共演するが ゲストが詩人だったり、アコーデオン奏者だったり、リコーダ奏者や民謡歌手だったりして、常に新しい共演にチャレンジしている。また、年に一度、1-2ヶ月かけて海外に公演旅行にでかけて 世界各地のさまざまな音楽家たちと共演 交流している。世界のどこからも離れた南半球の 井の中の蛙にならないためだ。これが若いオーケストラメンバーのは辛いらしく、育児や出産のために、海外遠征できず 辞めていく団員も多い。

にもかかわらず 自分がハンドルできるサイズのオーケストラで、自分の信念をずっと、通してきたトンゲッテイは えらいと思う。音楽にたいして、あくまでも真摯で誠実な態度が好ましい。また、いつまでも、少年のような 外観、立ち振る舞いも、好ましい。 グルネリのバイオリンで演奏される これからの、コンサートが楽しみだ。

2007年7月17日火曜日

映画 「ハリーポッター」THE OREDER OF PHOENIX


映画 「ハリーポッター」シリーズ第5巻「THE ORDER OF THE PHOENIX」、イギリス映画、デビット イエッツ(DAVID YATES)監督、を観た。

どの映画館でも上映中。チャッッウッドのホイッツなど、朝9時から、1時間ごとに上映していて、平日の朝 観に行ったのに、席は半分埋まっていた。子供も大人もなく、いったん読みはじめたら必ず夢中になる「ハリーポッター」シリーズの人気がよくわかる。

今回の映画は、第5巻で、もう、第6巻の映画の撮影が始まっているそうだ。また、最終回の第7巻は、すでの作者、ローリング(JOANNA KATHLEEN ROWLING、1965年生まれ)に書き終えられ、金庫にしまわれているそうだ。作者は、離婚したシングルマザーで、生活保護を受けながら、赤ちゃんに語り聞かせていた物語が このハリーポッターの作品化の契機だったことは、周知のこと。 彼女は このシリーズが爆発的に世界中でヒットしたために、もうお金のことを心配しないで書くことに集中できて嬉しいと、率直に言っていたが、また、「私の本が子供達にビデオゲームを忘れさせ読書に夢中にさせていると、聞かされれとき一番幸せで光栄に思った。」と、言っている。立派な人だ。

俳優は、ハリーポッターに、DANIEL RADCLIFF,ハーマイオニーに、EMMA WATSON,ロンに、GARY OLDMAN. 10歳だったハリーとハーマイオニーとロンの3人組が 毎年作品が発表されるごとに、確実に 大人になってきている。第5巻のいま、3人は15歳。 毎回映画を見にいく毎に、3人とも背が180センチとかになってしまってないか、心配だが、まだ、3人とも背の高さも、姿も15歳にとどまってくれている。実際のハーマイオニーは17歳らしいが、まだ、15歳の 頭が良くて生意気でがんばりやの役に良く合っている。この先 6巻、7巻と、同じ俳優で通してくれると良いんだけど、次の巻でハリーの全裸シーンがあって、デビッド ラドクリフが演ずるのを拒否したと言われている。 最後まで、同じ俳優の素晴らしいチームワークでやってもらいたい。

今回の新しい登場人物は、ダンブルドア魔法学校に、政府から送られてきた官僚で、美術教師のイメルダ スタントン。彼女はダンブルドア校長先生や、マクゴナガル副校長らを無視して、ダンブルドア学校に厳重な規律や、体罰を持ち込んで ことあるごとに、ハリーをいじめつける。前回、闇の世界に連れていかれて ヴォルデイモートに 目の前で親友セドリックを殺されたことで、ハリーは 法を犯したとして検察から呼び出されて犯罪者になるところだった。ハリーが片思いしている、チョウチャンは ボーイフレンドだったセドリックの死によるショックからまだ立ち直れないでいる。それは、セドリックを守りきれなかったハリーとて同じで、彼は、悪夢にうなされてばかりいる。

闇の世界で、体をなくして、力を封印されていたはずのヴォルデイモートが生き返って、力を拡大していることを、自分の目で見て知ったハリーは、自分達を守らなければならないと考えて、危機感の薄い学校のなかで 何とか、有志を集めてダングルドアで「軍隊」を隠れて組織する。チョウチャンとの、切ないファーストキス、しかし、彼女の裏切りでダングルドア軍隊は 美術教師に発覚されてしまう。ハリーは失恋の悲しみにくれる暇もなく 闇から送られてきた 殺人鬼たちと戦わなければならない。といった、ストーリー。

ハリーの意地悪なダーズリー一家、食べるこことと、ハリーをいじめることにしか興味がない従兄弟のダドリーと巨腹叔父さん叔母さんも、健在。 ロン ウィーズリーの優しい家族、ハリーを心から思ってくれるロンのお母さん、魔法省のお父さん、ロンの双子のお兄さん、たちも、健在。 威厳ある心優しいダンブルドア校長先生、マクゴナガル副校長も変わりなく、大男 森番のルビウス ハグリッドも健在。 ダンブルドア魔法学校には沢山の生徒が出てくるが、数少ない東洋系の子供の中で、優等生でハリーが片思いしていたチョウチャンの裏切りは残念。前回初めて出てきて、目がクリクリして可愛かったのに、今回は、おたふく風邪ですか?と、いうくらいに太っていて、残念無念。それと、新入生に、不思議な静けさをもった、美少女ルナ(EVANNA LYNCH)が初登場して、ハリーの軍隊の一員にもなったが、この子がこの先ハリーのガールフレンドになりそうな気配。

ハリー、ハーマイオニー、ロン 3人の結束の仕方がとても良い。この堅い結束、1巻から5巻までの3人が体験してきた休む間もない冒険と試練の物語の結果で、本当に3人信頼しあっていることがよくわかる。とても、良い雰囲気。 世界中の子供達が、ビデオゲームを忘れて、夢中になった、理由がよくわかる。本当に読んでおもしろい。映画で観て面白い。135分間があっという間だった。

2007年7月6日金曜日

映画 「ザ デッド ガール」


映画「THE DEAD GIRL」 カレン モンクレッフ 監督の、アメリカ映画を観た。各地ホイッツ映画館と、デンデイー映画館で上映中。

女が5人出てくる。 トニー コレット、ローズ バーンと、マリー べス ハート、マルシア ガイ ハーデンと、ケリー ワシントン そして最後に死んだ女の子、ブリッタニー マーフィーの5人。このうち、トニー コレットと、ローズ バーンは、オーストラリアを代表する女優。 5人の女は、それぞれ、「ストレンジャー」、次が、「シスター」、「ワイフ」、「マザー 」そして最後に「死んだ女の子」が出てきて、はじめの4人の女たちのできごとが、死んだ女の子を元に みな つながっていたことがわかる。

はじめのトニー コレット。彼女は 住み込みの看護婦、幼い時から、小児虐待されてきて、一個の女性としての自信も誇りももてずに、中年にさしかかっている。彼女は、家の庭で少女が乱暴され殺された死体を発見する。そのことで、街で、注目をあびることになり、以前から好意をもっていた店の男に、デートに誘われるが、自虐、自傷行為でしか、快感を得られなくなっている彼女の、異常性が明らかになる。

次は、ローズ バーン。彼女は司法解剖医師の助手をしているが、15年前に姉が失踪したことによって、壊れかけた家庭で育ってきた。失踪中だった、女の死体が運ばれてきて、姉と同じところにある生まれつきのアザを見つけて、動揺する。

第3話は、マリー べス ハート。子供のない中年夫婦の間にうまれた溝は広がるばかりで、毎晩出かけて 朝まで帰ってこない夫を待つ妻は、いらだっている。偶然、家の倉庫から、血のついた女の下着や、バッグや、靴などが出てきて、遂に 15年前に失踪した女の子の運転免許証が隠されているのをみつけて、夫が連続殺人犯ではないか、という確信に至る。しかし警察に密告する決断ができないまま、すべての証拠物件の血まみれの服、靴、持ち物の膨大なコレクションを焼いてしまう。

第4話は、マリア ゲイ ハートで、警察から呼び出しがきて、何年か前に家出した娘の死体が 郊外の家の庭で見つかったことを、知らされる。警察からの帰り道、母親はたまらない思いで、娘が死ぬ前に住んでいたというアパートを訪ね、娘が売春婦で薬物中毒だったことをしらされるが、家出の契機は義理の父親からレイプされたことだった、と知って、それに気がつかなかった自分を責める。そんな、娘が子供を産んでいたことをしって、子供を引き取って育てる決意をする。

最後の 殺された少女は、ブリッタリー マーフィー。「ボーイズ ドントクライ」で良い演技を見せていた女優。彼女は、自分の生んだ子供の誕生日に、贈り物を届けようとして、ヒッチハイクして、運悪く、通りかかった殺人者の車に拾われて、無残に乱暴され、殺される。

5人の女の暗く、無残で 重い映画だ。オペラハウスの横の、キーウェストデンデイーで、平日の朝 一人で見たんだけど、珍しく、中年や壮年の女の人ばかり 20人くらい これを観にき来ていた。 映画の最中や、映画の後で、離れて座っていた女の人たちが あちこちで鼻をかんでいる音がした。

こういう映画は男の人には わかんないんだろうな、と思う。また、カップルでは見ないほうが良い。お互いよく理解しあっているつもりでいても、こういう映画をめぐって男と女が話しすると、受容体の違いと言うか 感覚の差が明らかになって、イライラする。

知らないで足を踏んだ男に、踏まれた側の女の痛みはわからない。男女差別が制度として撤廃され、男女平等社会が定着している。しかし、物理的に男の方が体も大きく、体力もあり、攻撃されれば、女は ひとたまりもない。制度が整備され 教育が普及し、マナーが重視されても、依然として、多くの場合女が暴力の被害側であることに 変わりはない。

この映画を観ていて、2年くらい前に観た「クラッシュ」という映画を思い出した。サンドラ ブロックなんかも出ていて、アカデミー賞の何か、をとったはず。やはり、話が4つくらいに分かれていて、それぞれ違う短い4つの話が、最後に関連していたことがわかるという同じ手法をとっていたが、こちらは、人種差別がテーマだった。やはり、重くて、暗く 悲しい映画だった。ばらばらだったものが、最後に整合性をもち、意味をもってくるとき、人は、ウーン と、うなるしかないんだ。うーん!

2007年7月3日火曜日

軍人は何を守るのか?

ニューカッスルの田舎で働いている娘が 先日の集中豪雨で車ごと流されて、死ぬところだったという経験をした、と思ったら、今度は運転中、軍用ジープに一方的に車をぶつけられ大破するという災難にあった。全く、気が気でない。

軍用ジープが2車線の道路の右側から、車の流れを無視して左折したため、左側車線を走っていた娘の車がつぶされた。直後にジ-プに乗っていた二人の制服軍人は、つぶれた車の中にいる娘を怒鳴り飛ばした という。娘はそれにひるまず、運転見ミスは 軍用ジープ側だと主張すると、相手はもう2人加勢を呼んできて、4人の制服軍人が たった一人の一人の小さな女の子を取り囲んで 自分達の主張を言い張ったという。

事故を起こしていながら、4人の軍人が たったひとりの市民を取り囲むなど、それだけで立派な暴力ではないか。暴力とは、殴ったり蹴ったりすることを言うのではない。パワーをもった軍人が 何の武器も持たない市民を取り囲み恫喝することを、暴力と言うのだ。

現場に到着した女の警官は、現場検証もする前から、悪いのは あなたかもね、、、と娘に言ったという。失言、というには、お粗末すぎる。悪いのが誰かを決めるのは、警官ではない。両者の主張を証言にとり、現場検証をし、複数のジャッジによって、公正に判断結果がでるのであって、現場に来たばかりの若い女警官の主観など、現場にいる被害者に言うべきではない。警察官は、市民を守らないで 一体何を守るためにいるのか?

軍人こそ 市民を守らないで いったい何を守るのか? 税金で飲み食いし、頼んでもいないのにイラクにでかけて、イラク市民を殺し、自分の国で 平気で交通違反し、市民の車を壊した末 責任を相手にかぶせて逃げようとする。それに輪をかけたように、警察官まで、その場を取り繕おうとする。

私たちは毎日まじめに働き、収入の36%を税金にもっていかれて、働いても働いても、家など買えないでいる。その税金で、生活し、その税金で 給料をもらっている、軍人たち、警官たち、君たちは一体 何を守ろうとしているのか?

君たちのその おそまつなおつむで、何を考えているのか?  オーストラリアで活躍する日本人の専門家が増えて、日本人ドクター、日本人フィジオ、日本人カウンセラー、日本人オプトメトリスト、日本人ナース、日本人歯医者、日本人公認会計士、日本人建築士、日本人獣医も出てきた。頼もしいことだ。しかし、まだ足りないのは、日本人の人権を守るために戦ってくれる弁護士ではないだろうか?

2007年7月2日月曜日

パリ オペラ座バレエ団 その2


それで、、、初めてやってきたパリオペラ座バレエ団が公演したのは、「白鳥の湖」の9ステージと「ジュエルズ」の5ステージのみ。「ジュエルズ」を観た。

振り付け ロシアうまれのアメリカ人 ジョージ バレンテイン、衣装は クリスチャン ラクロ。踊り子達を宝石にたとえて、第1部はエメラルド、音楽はガブリエル フォーレ。第2部は ルビーで、音楽は、ラフマニノフ。第3部は ダイヤモンドで、音楽、チャイコフスキー。衣装が目を見張るほど、美しい。エメラルドの深い緑の美しい衣装、ルビーの燃えるような真紅の衣装、そして、ダイヤモンドの純白。舞台の幕が上がるたびに、観客からワーっと歓声があがる。 一人一人の踊り子が 宝石のように輝いている。特に、最後のダイヤモンドでは、16組、32人の踊り子と、プリンシパルのペアで 全員白の衣装に身を包んで踊る、華麗な舞い。

そして、踊り子達の細くて小さいこと。繊細で壊れそうな姿で 絶え間なくハイジャンプ、回転を軽々とこなしていく。高いところから着地するときも、コトリと乾いた音がするだけ。飛び上がるたびに ドスンドスンと音がするオーストラリアン バレエと全然違う。デリケートなガラス細工のような美しさ。

筋の通った物語がないことが悲しかったけど。3部作といわれても、ストーリーがないので、どうしても舞台が散漫になる。それと、シドニーリリックオーケストラの音に奥行きがないこと。ちょっと、がっかり。このオーケストラはパリバレエ団のために、急遽編成された楽団で,指揮者だけを パリから連れてきている。PAUL CONNELLY というパリオペラバレエ団の指揮をやっている人。バレエの指揮は 舞台の動きのあわせて棒を振らなければならないので とても大変な仕事。ひと呼吸遅れたり 早まっただけでタイミングが狂って 踊り子が足を挫いたり、骨折事故だって起こりうる。優秀な指揮者を連れてきているけれども、オーケストラの音の奥行きを創ることができなかった、ということだろう。

パリオペラ座バレエ団、もう、オーストラリアに来ることはないだろう。 ネットでチェックして、日本に帰ったときに、ゆっくり、観たいと思う。

2007年6月27日水曜日

パリ オペラ座バレエ団

THE PARIS OPERA BALLET =パリ オペラ座バレエ団が 初めてオーストラリアにやってきた。世界最古の歴史を誇るバレエ団。 このバレエ団の歴史は1661年 ルイ14世が 創設したロイヤル アカデミー オブ ダンスに、さかのぼる。ルイ14世は政治にもすぐれた手腕をもったが、芸術家としても、秀でていて 自らバレエを踊って楽しみもした。太陽王とよばれてもいたので、知っている人も多いだろう。

この世界のバレエの出発点とも言うべき歴史をもつバレエ団が、オーストラリアの歴史上 初めて100人の団員を連れて シドニーにやってきた。彼らがこの国に滞在すること たった2週間。6月13日は、開幕前のガラパフォーマンスが オペラハウスで行われた。それに続くパフォーマンスは、「白鳥の湖」9公演、「ジュエルス」5公演のみ。プレミア席 $195。キャピタルシアターにて。 値段に関係なく たった14回の公演に限られるため、チケットは発売同時に完売した。

手にしたチケットは、「白鳥の湖」2枚、「ジュエルス」2枚。はじめに 夫と、バレエを習っていた娘が「白鳥の湖」を観て来た。帰るなり、夫いわく、今まで何百も 僕が見てきたバレエはバレエじゃなかった。今日生まれて初めて 本当のバレエを観た!と、感動さめやらず、目がウルウル。 娘も、本当に美しい、どの白鳥も、人間ではなく本当の白鳥に見えた。といっていた。

「白鳥の湖」作曲=チャイコフスキー、振り付け=ルドルフ ヌレエフ、音楽=シドニーリリックオーケストラ、指揮=エストニア出身のヴエロ ポーン、白鳥オデット姫=MARIE AGNES GILLOT、王子ジークフレッド=HERUE  MOREAU だったのが、第二幕から、足を痛めて、KARL PAQUETTEが、出演。

振り付けのヌレエフは 1993年パリオペラ座の芸術監督を勤めていたが、1993年パリでエイズで亡くなった。直前まで、「僕の故郷は楽屋。僕にはバレエがすべて。」といっていた。 バレエ発祥の地で 世界最古のバレエ団の監督として、誰にもまねのできない華麗な舞台を作り上げた偉業は 世界のバレエ史に特筆される。

ヌレエフ、1938年 ソビエト生まれ、キロフバレエ団のソリストだったが、1961年 相手役のバレリーナと手と手をたずさえ ヨーロッパ公演中に舞台裏から逃れ 自由な表現を求めて西側に亡命。イギリスロイヤルバレエ団に迎え入れられる。以後、マーゴ フォンテイーンのパートナーとして世界を魅了した。23歳だった、ヌレエフに対して、もう母親ほどの年齢だったフォンテイーンとの共演は、フォンテイーンが踊れなくなるまで続き、今でもバレエのお手本になっている。 1961年のヌレエフの文字どうり 命をかけた亡命事件は  当時厚い鉄のカーテンにしきられていたソビエトと、アメリカとの政治的緊張関係にさらなる緊張を強いた。東ドイツから逃れようとした市民がバンバン壁の前で撃ち殺されていた頃の話だ。当時の緊張感は、子供だった私にも忘れられない。ロシア革命で国を捨て 逃れて来たロシア人、小野アンナにバイオリンを習っていたので ロシア人芸術家の姿が他人事ではなかった。

ヌレエフは、ヨーロッパに移ってから ロシアで自分が踊っていた「白鳥の湖」を 大幅に振り付けを変えた。人でなく白鳥に恋をして、かなわぬ思いに苦しみながら死んでいく王子ジークフレッドの美意識、この世を生きるのではなく 彼の理想は美の極致、極限の世界でしか得られない。そのためには命を懸けなければならない、といった彼自身の美意識を投影した大胆な振り付けだ。王子の役に生命を吹き込んだ、と言えよう。より、高くジャンプし、より早く飛び、華麗に舞い、美のために命を捧げる という完璧な舞台を彼は求めていたのだ。

17世紀のルイ14世が世界に残したものがバレエという芸術遺産だったとするならば、ヌレエフはその遺産を引き継いだ たぐいまれな天才だった。彼の振付けた舞台が 別のダンサー達に受け継がれ、それを、今、私たちが見ることができることに、感謝したい。

2007年6月22日金曜日

映画 「テラビシアにかける橋」


オーソン ウェルズが監督、製作した映画「市民ケーン」(CITIZEN KANE)で、最後に億万長者の新聞王が「バラのつぼみ」という謎の言葉を残して死ぬ。難解な彼の謎に満ちた一生を描いた映画だったので、あとで、バラのつぼみが何だったのか、、、彼が子供のとき母と雪遊びしたときの橇の名前だったのか、あるいは、唯一愛した若いオペラ歌手のつぼみを咲かせてやれなかった悔いの気持ちを表したのか、と、いろいろ観た人の間で議論したことがある。

バラのつぼみは、満開のバラより美しい。開花する直前の緊張と、はりつめた輝きを内に秘めているからだ。 10代はじめの頃の少年、少女の美しさはバラのつぼみに似て輝かしい未来を予感させる。無邪気な幼さと、背伸びした自意識。自然体の美しさに本人が気ずいていない。そんな、頃の少年少女を描いた物語を見ると こわれやすいバラのつぼみの心に ほろ苦い感傷がつきまとう。

映画「テラビシアにかける橋」を観た。ウォルトデイズ二ー製作。原作 カサリン パターソン。彼女はこの作品で、児童書に与えられるニューベリー賞というのを、もらっている。 繊細な心をもつ いじめられっこの少年ジェスに、ジョルジュ、ハッチャーーソン。隣に引っ越してきた、元気な女の子レスリーに、アンナ ソフィア ロブが、演じている。ジョルジュ ハッチャーソンは、「スペースアドベンチャー」に、アンナ ソフィア ロブは、「チャーリーエンジェルとチョコレート工場」に出ていた。

ジェスは、二人の姉と妹にはさまれた、家族で唯一の男の子。家計のやりくりが大変な家庭で、家庭菜園をまかされて忙しく、厳しい父親からは 常に叱咤されていて、自分は誰からも愛されていないと思い込んでいる。妹の世話が行き届いていない、野菜畑から被害が出た、と、家族はジェスを責めるばかりで、靴が小さくなって もう履けないのに、姉のピンクのお古の靴で学校に行かされる。学校では軟弱者と、いじめっこに もてあそばれる。唯一のなぐさめは、絵を描くこと。 そんなとき、同じ年の素敵な女の子が転校してくる。お金持ちの家の一人っ子で、芸術家の親の影響で、家でテレビを見ない読書好き。自分だけの想像の世界をもっている。

自由に想像して絵を描く少年と、目を閉じれば空想の世界が無限に広がる少女とが出会って、クリークを綱で渡って 森の中で自分達のテラビシア王国を作り上げる。樹の上に小屋を造り、空想の巨人や、鳥の軍団や、影の敵を作り出して、二人きり夢中になって、森をかけめぐって遊ぶ。
レスリーの すばやく走り回る体のしなやかさ、くりくりした輝く目、前向きで恐れ知らず、負けず嫌いの生意気さ、本当に可愛い。ジェスのちょっと頼りなくて、内向的、傷つきやすい少年の魂が、レスリーの行動力によって、ときほぐれて、開放されていく様子がよくわかる。この映画の一番良いところだ。目を閉じて、心の窓をあけてごらん。ほら、テラビシア王国がみえてくるよ、という、レスりーの言葉が良い。

美しいバラのつぼみは、疾風のごとく少年を揺り動かし、そして、立ち消えていってしまった。それだけに最後に、何もかも失った少年の心の塞ぎようには、胸が痛む。人生は、失うことばかり。しかし、それを通して、人は成長していく。ジェスという少年の絶望から、心の再生が 最後に描かれる。

10代はじめの頃は、誰もが自分は価値がないのではないか、とか、家族や友達から愛されてないのじゃないかとか、自分をわかってくれる人なんか一人もいない、とか、思いがちだ。その頃の出来事がトラウマになって、心の成長ができないまま大人になる人も多い。また、この頃に性的被害に逢う子供も残念ながら、多い。バラのつぼみの時期にいる子供達を大切にしてやりたいと思う。そして、いつまでも、目を閉じ 心の窓を開ければ、空想の世界がどこまでも、広がるような大人でいたいと思う。

2007年6月14日木曜日

ミュージカル 「プリセラ」



ミュージカル「PRISCILLA」を観た。スターシテイー、リリック劇場で、ショー継続中。プレミア席 $96.

1994年、オーストラリア映画「プリシラ」は、その年のアカデミー賞17部門でノミネイトされ、大ヒットとなったが、衣装デザイン賞だけを受賞した。ステファン エリオット監督。 俳優は、「コレクター」のテレンス スタンプが、性転換者のバーナデッド、「ロードオブザリング」「リトルフィッシュ」の ヒューゴ ウィービングが、バイセクシャルの、ミッチ役、「メメント」の ガイ ピアーズが、歌って踊れる若いミュージシャンの、フェリス役をやった。この、すごく豪華な顔あわせで、3人がドラッグクイーンを演じた。 この、映画が素晴らしかった。ヒューゴ ウィービングの女装した、輝くような美しさと 優しいしぐさに、はじめはどうしてもドラッグクイーンだとは信じられなかった。私の最も好きなオーストラリア映画のひとつだ。

今回は、この映画のミュージカル版。 舞台は豪華絢爛、本当に楽しいミュージカルだった。ミュージカルの良さは、オペラと違って、普段着で出かけていって 役者の口からでるジョークに笑い転げ、ヤジを入れたり、アイスクリームをなめながら、観られる気楽さだ。 この日 台風でNSW州は荒れて ニューカッスルでは9人の死者が出たり、そのとばっちりで、娘がシドニーに出て来れなくなったりしたというのに、劇場は満席だった。シドニー唯一のカジノの中にある 劇場なので 地方から遊びに来ている おのぼりさんや、外国からの旅行者もたくさん 観に来ていたようだ。

この、「プリセラ」では、物語が進行している舞台の上で 天井から吊り下げられた3人の女性歌手が、歌を歌っていた。3人ともすごく声量があって、アバや、ビレッジピープルの 80年代のデスコミュージックを、劇場の隅から隅まで 響き渡る美声で 歌い続けていた。 歌って踊れるフェリシア以外の2人の歌は、この3人の歌手が歌い、ベルナデッドと、ミッチは口をあわせているだけだった。まあ、そういう役なんだけど。ミュージックはとても、迫力があって、よかった。

ベルナデッドとミッチと、フェリシアの3人は パブで女装して歌を歌うドラッグクイーンショーをやっている。ミッチは故郷のアリススプリングに残してきた 妻子が気にかかってしかたがない。娘が父親に会いたがっていると、聞いて いてもたってもいられなくなり、ベルナデッドとフェリシアを誘って ショーをしながら、アリススプリングまで バスで行くことにする。バスに名前がプリセラ号と名付け、シドニーを出発する。

旅にでてから、ミッチは初めて、この旅の本当の目的を2人の仲間に告白するところが笑える。「実は、ぼくは昔 結婚してたんだ。」 それを聞いたベルナデッドとフェリシアが おなかを抱えて笑い転げる。フェリシアが「ついでに 子供もあるなんて言い出すんじゃないの?」といって、二人はまた笑い転げるのだが、うちひしがれたミッチの様子を見て、 冗談じゃないとわかって、ベルナデッドはあわてて、なぐさめる。性転換者と、バイセクシャルと、ホモセクシャルの、微妙な行き違いだ。

また、 バスが最初の町、ブロークンヒルに着いて、パブでドラッグクイーンの舞台を始めようとすると、鉄鋼と鉱山の町ブロークンヒルは、19世紀のウェスタンの様相、男はマッチョ、女も男と見間違えるような荒くれものばかりで、およそ、ドラッグクイーンのきらびやかなドレスや、ポップミュージックの雰囲気ではない。その文化の違い 大きなギャップに あわてふためく両者の様子がすごく おかしい。

苦労しながら、アリススプリングに着いた一行は、ミッチの妻子から、心あたたまる受けいれかたをされる。妻の経営するパブでのショーも成功し、恋人と、ここに残ることにしたベルナデッドをおいて、ミッチと娘とフェリシアは、シドニーに向かうところで終わる、ハッピーエンド。

舞台のきらびやかさ、次から次へとダンスと歌と 軽快なジョークがとんで、本当に楽しい舞台だった。男の女装は 妖艶’で、美しい。フェリシア役をやった、俳優は 素晴らしいダンサーで 良い歌手だった。ミュージカルのために生まれてきたみたいな人。名前を忘れてしまったけれど、今度、憶えておこう。

性のかたちは、100人のひとがいれば100の性のかたちがある。それがどんなかたちであっても、どんなに未熟であっても、キリスト教的倫理にあわなくても、人はそれを理由に責めたり 辱めてはならない。性のかたちは、根源的で人間の尊厳に直接関わっているからだ。 3人の美女たちの行き方に、共感をし、一緒に笑い、ほろっとしたりして、帰ってきた。

2007年6月12日火曜日

映画 「シュレック」


映画「SHUREK THE THIRD」を観た。 各ホイッツ映画館で上映中。6月にどっと、子供向けの映画がやってきて、娘達がアメリカンスクールに通っていたとき 6,7月が休みで、8月が、二学期に始まりだったことを思い出した。ハリウッドも、6月は子供むけの映画しか作らないらしく、「スパイダーマン」も、「カリビアンの海賊」も、「シュレック」も「テラビシアにかける橋」も アメリカの子供達の夏休みに合わせてやってきた。

シュレックは、児童作家ウィリアム スタイグの短編絵本「みにくいシュレック」をもとにした物語。ドリームワーク社の、製作者ジェフリー カッツンバーグは、人目を気にせず自分らしい生き方をするシュレックの姿を通して 大人も子供も楽しめる映画を 作りたかったと言っている。

声優が楽しい。シュレックに マイク マイヤーズ、ドンキーにエデイ マーフィー、フィオーナ姫に キャメロン デイアス、長靴を履いた猫に アントニオ バンデイラス、新登場のアーサーにジャステイン テインバーレイク。もう、エデイーマフィーの声なしに、この映画 成功しなかったかも、と思うくらい彼が良い。彼は俳優としても声優としても天才的。

緑の怪物シュレックは 沼で一人 平和な満ち足りた生活をしていたのに ファークアード卿に頼まれて 火を噴くドラゴンが守るお城の塔に幽閉されているフィオーナ姫を助け出すが、二人は恋に落ち結婚する。これが第1話。
第2話は、長靴を履いた猫が出てきて、一緒に敵を戦い、猫とドンキーとシュレックの友情は、堅く結ばれる。
第3話では、フィオーナのお父さんの蛙の王様が亡くなり、跡継ぎをシュレックに任命するが、王になりたくないシュレックは 次の後継者にあたる、いとこのアーサーを探しに行く。シュレックがいない その隙に、おとぎ話の悪役が団結して、城を攻撃する、というお話。

相変わらず、白雪姫と7人の小人、眠れる森の美女、シンデレラ、ピーターパン、ピノキオ、3匹のくま、蛙の王子、狼と赤頭巾ちゃん、美女と野獣、ジンジャーブレッドマン、など、みんな出てくる。 アンデルセンや、グリムのおとぎ話では、お姫様は王子様に救われて、結婚して幸せに暮らしましたとさ、、、で、終わるけれども、オーストラリアでも、4組の夫婦に1組は、離婚する時代、結婚が幸せと同義語でないことくらい、離婚の被害者 子供達のほうがよく知っている。現代に合わせたおとぎ話が必要な今、シュレックのように、お姫様はもらったけど、地位も名誉もいりません、過労死するかもしれない王様業などまっぴらごめん、というマイペースの生き方のほうが、ずっと、信頼できる。フィオーナに赤ちゃんができたと、告白されて、うれしいと、口ではいっても、赤ちゃんが押し寄せてくる悪夢にうなされるシュレックが現実的でおかしい。 この映画、2時間 楽しく笑ってこれはこれで良い。

「スパイダーマン3」、「カリビアンの海賊3」、「シュレック3」と、続けて観たけれど、「スパイダーマン」と、「カリビアンの海賊」が良かった。 「スパイダーマン3」は、第1作のころから 彼が少しずつ大人になってスパイダーマンであることの重みに耐えかねる姿や、それなりの成長を描いていたし、第3作では、コンピュータテクノロジーを使って戦闘場面など、スピーデイーで 3作目でも新鮮で 新しい感動があって観られた。 「カリビアン」も、第3作が一番お金をかけたと思われる。デイズにーでなければこれほど、大規模な舞台を作れなかっただろう。3人の主役たちの演技も素晴らしい、目をみはるものだった。ひとつとして、つまらないシーンがない。3時間、人をエキサイトさせておくだけのパワーのある映画だったと思う。これらは サウンドエフェクトのある大きな劇場で見なければ意味がない。 さて、次は、「テラビシアにかける橋」だ。

2007年6月10日日曜日

救急医は自分を救えるか?

6月8日から9日にかけて、36時間あまり NSW州 ニューカッスル近辺が、30年ぶりの強風と集中豪雨に見舞われて、9人の死者を含む、大被害がでている。 シドニーも、3日間 止まらぬ雨と、強風で停電、浸水地帯も出て 倒れた木などで道路、家屋に被害が多く出た。 ニューカッスル海岸には225メートル58000トンの貨物船が座礁し、100単位のヨットなど小型船に被害がでた。洪水で 車ごと押し流されて、8人が死亡確認され、少なくとも3人行方不明。停電と断水で、10日の朝までに、10万人の病人けが人が、援助を待っていた。急遽 病人などシドニーに搬送されたが、5000件の救急車要請の電話に、ニューカッスルの公共機能は麻痺寸前だった。

集中豪雨で道路が遮断され、行方不明者が出ている、という6月8日の夕方、ニューカッスルに住む 獣医の娘は 救急病院に出勤する途中、坂の上にある病院の手前で、滝のように流れてくる豪雨にタイヤがスリップして、先に進めず、タイヤの上まで浸水してくる水に 車ごと流されかけて、かろうじて引き返し帰ってくることができた。しかし、この嵐によって、怪我した犬や猫の患者が絶えることなく、出勤を要請され、ひどい嵐の中を、再度出かけ、夜9時から、翌日午後まで、休むことなく、仕事に追われた。
娘のする手術介助のナースは、洪水のなか、車に4時間閉じ込められたあと、車を捨て、歩いて病院まで来たという。

生きていればこそ、後になって、あんなこともあった、こんなこともあった、と笑って、話ができる。娘が無事でいてくれて、うれしい。 でも、救急医は、救急患者のために、自分の命を余りに 安売りさせられすぎているのではないか?  死者がでて、STAY HOME! STAY IN DOOR! と緊急ニュースで言っているのに 出勤しなければならない人々の命は 誰が守るのか?  答えの簡単には出ない 宿題は残された。

2007年6月8日金曜日

映画 「ゾーディアック」



DNAテストが検察側の証拠として裁判で採用されて刑事犯の犯行が立証されるようになって久しい。この検査が手軽に行なわれるようになっっために、何年も前の犯行が立証されて、被疑者が逮捕されたり、逆に実刑に服していた受刑者が無実となって、釈放されたりしている。 NSW州では、このDNAテストを法的証拠とするための規制があるために,立件されるべき事件が解決できない状態にあるそうで、この時代遅れのNSW州の法を改正するように、警察や識者が圧力をかけているそうだ。というニュースを聞いて、初めて、NSW州は 他州に比べて、とても、法規に関しては遅れているらしいと、知った。DNAサンプルは、本人である確立が99パーセントだそうで、ほとんど、確実と、みられている。

映画「ゾーデイアック」(ZODIAC)を、観た。各地、ホイッツで、上映中。 DAVIT FINCHER 監督のアメリカ映画。  主演 JAKE GYLLENHADが、サンフランシスコトリビューン紙の政治漫画家、ROBERT DOWNEY JNR,が、新聞記者、MARK RUFFALOが、刑事を演じている。 サンフランシスコで、実際60年代に起きた話。ゾーデイヤックと名乗る連続殺人犯を追う 3人の男達が 自分達の家庭 私生活まで犠牲してまで、追い詰めていく様子を映画化したもの。

ゾーデイヤックは無差別に、罪のない若いカップルや、深夜まで働いているタクシー運転手や、赤ちゃんをもった若いお母さんにまで、犯行に及び、殺人の報告の手紙を新聞社に送りつけてくる。この、愉快犯は、電話でも自分が病気であることを認め、人を殺したくて殺したくてたまらないと告白して、サンフランシスコの市民を恐怖に陥らせて面白がっている。 運の悪い時に運の悪い所にいたとしか、言いようがないような罪のない人々が、次々と殺されていくのが、可哀想で、痛ましくてならない。

犯人は、ぺデファイルで職を失った元教師、今は機械工として働いている。その犯人に違いないと追い詰めたのに、脅迫状の筆跡鑑定が、別人という結果が出て、逮捕することができない。担当刑事は、ほかの部署にまわされ、新聞記者は、ゾーデイヤックを追い詰めることを放棄した新聞社に愛想をつかせて、アルコールに溺れて自分を失ってしまう。漫画家のGYLLENHAAL だけが執念の鬼になって、家族から去られ、自身の命を危険にさらせてまで犯人を追い続ける。

去った妻が様子を見に来て、あなた、まだ、ゾデイヤックに夢中なの、と聞くと、彼が振り向きもせず、背を向けて仕事しながら、「ぼくのこと、きみ、しってるでしょ」 というところが、自然で良い。長く一緒に暮らしたんだから、ひとつのことに夢中になると、止められない性格なのを、知ってるはずでしょう、と言うわけだ。私も、昔 勝手な男に 全く同じ言葉を同じ調子で、言われたことがあったので、思わず笑ってしまった。 どうしてどうして、犯人を見つけたいの?見つけて どうするっていうの?と、聞かれて、彼は、言う。「犯人をみたいんだよ。彼の目をただ見たいんだ。」と。

そして、現実に遂に彼はそれを実現する。訪ねていって、男を ただ、言葉もなく、じっと、目をみつめて、そして、帰ってくる。自己完結したのだ。後はもう、それで満足して、彼はもとの生活に帰る。 犯人は決定的な証拠がないために、結局野放し。33年後に、DNAテストがマッチして、逮捕状を取ろうと言う段になって、担当の刑事が心臓発作で死亡、その後、犯人は、偶然の事故で死ぬ。結局、犯人は、最後まで、愉快犯だったという現実も怖いが、映画もとっても、怖かった。

2007年5月28日月曜日

映画 「パイレーツ オブ カリビアン」


映画「PIRATES OF THE CARIBBEAN」を観た。第一作が、「呪われた海賊たち、」第二作が「デッドマン チェスト」、そして今回の 第三作が、副題「ワールドエンド」だ。ウオルトデイズ二ー製作。ゴア バヴィンスキー監督。
おなじみ海賊船ブラックパール号のキャプテン ジャック スパロウを、男優ジョニー デップ、その船を乗っ取ったキャプテン バルボサに オージー俳優ジェフリー ラッシュ。海賊だった父を捜し求める、まじめな青年ウィル ターナーに、オーランド ブル-ム、彼に恋するエリザベス スワンに、キーラ ナイトレイ。第一作のときは彼女は19歳だったが、第三作で22歳になったそうだ。

第三作で新しい登場人物は、中国人俳優の大御所チュン ユンファが シンガポール地域の海賊王の役で出てくるが、あっけなく殺されてしまう。もう一人キャプテン ジャック スパロウのお父さんが出てきて、それをローリングストーンのキース リチャードが貫禄あるお父さんを演じている。ジャックのことをジャッキーと、赤ちゃん呼び名で呼んだので 笑ってしまった。また ジャックが ママは元気?聞いたら、お父さんが彼女のミイラになった頭を腰にぶら下げていて、それを見たジャックが「SHE LOOKS GREAT!」というのも、笑えた。

最初の頃のシーンで風紀を取り締まるために 海賊行為に関わったたくさんの人が軍隊によって絞首刑におくられていくんだけど、中で、一人の少年が死ぬまぎわに 銀貨をこすりながら海賊の歌を歌う。9人の海賊の首領が世界には居て、それぞれがコインをもっていて、誰かが危機にあるときコインをこすりながら歌をうたうとそれが合図で海賊評議会が招集される。実際に海賊の首領を集めたのは海の女神カプリソ。

カプリソのちからで、第二作でイカのモンスターに殺されたキャプテンジャック スパロウは黄泉の世界から、カニに背負われてブラックパール号にのって帰ってくる。

ウィル ターナーとエリザベス スワンはジャックを助け出すために シンガポールの海賊首領にところに助力を得るために行くが、軍隊と組んだフライイングダッチ号のキャプテン デビ ジョンズの攻撃を受ける。 デビ ジョンズは、昔、海の女神カプリソを愛していたが、彼女は彼を裏切った。きっと、彼女はジャック スパロウを愛していたのではないか?ともかく、カプリソはデビ ジョンズを愛さなかった。それで、9人の海賊首領たちによって封印されていた。だから、人間の姿をしている。デビ ジョンズは フライイング ダッチマン号に乗って海で死んだ人をあの世に送り出す仕事を任されていた。しかし、仕事をさぼって、イカのお化けの顔にされてしまった。永遠の命を持っていて、死ぬことはないが、心臓をくりぬいて箱の中に保管している。これを、軍隊に盗まれてしまったので、軍隊の言うままにされている。

ウィル タナーはエリザベス スワンをやっと、心がひとつになって、デビ ジョンズと戦っている最中に求婚し、承諾を得るなでにこぎつけたのに、デビ ジョンズに胸を刺されて倒れる。本当はキャプテンジャック スパロウはデビ ジョンズの箱に入った心臓を刺して、自分が不死身になって、フライイングダッチマン号のキャプテンになりたかった。でも、デビ ジョンズに刺し殺されたウィル ターナーを、生き返らせるため、死ぬ間際のウィルに デビ ジョンズの心臓を突き刺させて、ウィルは永遠の命を手に入れる。ウィル ターナーはフライイング ダッチマン号で、父親と、一緒に死者を葬る航海を続け、10年に一度エリザベスに会いにくる。

カりプソは 9人の封印を解かれ、海にもどり渦となって 心臓をウィルに刺されて永遠の命を失ったデビ ジョンズを飲み込む。この女神がカニのおばけになって、海に帰るところは、怖い。彼女の作り出した渦によって、ブラックパール号と、フライイング ダッチマン号は軍隊をやっつける。東インド会社の親分も軍隊のベケット卿も敗北する。

これでやれやれ、、なんだけど、キャプテンジャックが陸に上がって、飲んだくれている間に またまた、ブラックパール号は、出航、またしても取り残された彼は 可愛らしい手漕ぎボートで、後を追う、というところで映画はおわり。

話がわかりにくくて、第一作、第二作を見ていないと全然筋が読めないだろう。でも とにかく おもしろくておもしろくて、画面に釘付けになる映画だ。話の筋を追うのではなくて、ただ、映像を楽しめばよいのだ。

3時間近い長さの映画が とっても短く思えた。 ジョニー デップは素晴らしい。本当に気に入った作品にしか出演しない、個性の強い俳優だそうだが、役つくりに とてもこだわって、自分にしかできないキャプテンジャック スパロウを作り出した。この役のために ものすごく凝ったアクセサリーや衣類を自分で持ち込み 入れ歯 一本入れるにも、自分の考えを通したらしい。 第3作でお話が終わるような気がしない。うわさでは第6作まで続く、などという声も聞こえる。どうなんだろう?第三作の興行成績次第なんだろうか? だったら、みんな観て観て観て。すごく、おもしろいよー!

2007年5月25日金曜日

映画 「ゲド戦記」


スタジオジブリ製作、宮崎吾朗監督によるアニメーション映画「ゲド戦記」を観た。原題「TALES FROME ARTHSEA」。 日本では1年前に上映されていて、それのついての賛否両論がでていたが、もう忘れられているのかもしれない。でも、オーストラリアではこれが、初めての上映。
シドニーでは、ニュータウンのデンデイー映画館で、5月中旬の10日間だけしか上映されなかった。新聞で、映画案内に小さく「TALES FROM ARTHSEA」と出ていただけで、絵が出ていたわけではなかったので、それがスタジオジブリの「ゲド戦記」のことだとはわからなくて、見逃すところだった。それでなくても、ニュータウンのデンデイーのようなメジャーでない 小さな映画館を知らない人が多いだろうから 見たかったのに 逃した人は多かったのではないだろうか。大人も子供も スタジオジブリの作品を好きな人は多いのだし、一昨年はアカデミー賞も取っているのだから、もう少し宣伝するなり、新聞に紹介記事を載せるなりして、多くの人に知らせるべきだったと思う。中国映画、スペイン映画、フランス映画などに比べて、日本映画の取り扱いはここではとてもマイナーだ。

「ゲド戦記」は 「指輪物語」と「ナルニア物語」と並んで、世界の3大ファンタジーのひとつといわれている。アメリカ人作家、アーシュラ グウィンの作品。 映画監督の宮崎吾朗は、スタジオジブリの創始者の息子、今回の映画が初めてのデビュー作。

EARTHSEAでは 国が乱れ、穀物が枯れ収穫ができず、家畜は疫病で死に、人々は飢え、人の世界を支えていた2匹の竜が争いをはじめて、世界の均衡がくずれてきていた。ゲト戦士は、その原因を探し出そうと旅にでて、アレンという少年に出会う。 アレンは ENLADの国の王子だったが自分でコントロールすることができない凶暴なパワーを持っていて国王の父親を殺して、逃げている。途中、アレンは、顔に火傷のあとのあるテルという少女に出会う。テルは魔法が使えるので、街で迫害されている。テルはアレンの凶暴を憎むが 一緒にゲド戦士と戦うように説得する。 ゲド戦士は、世界の均衡が崩れたのは、永遠の命を取ろうとしている蜘蛛COBのせいだとつきとめて テルとアレンとで 蜘蛛と戦う。というのがおはなし。

この宮崎吾朗の初めての作品が、いままでの多数の宮崎はやおの作品と大きく違うのは、これには原作があって、それを基にしているということ。だから、宮崎はやおの 豊かなイマジネーションの賜物である、さまざま多様で楽しいキャラクターは出てこない。はやおの作品は物語が単純でも、彼独特のイマジネーション、「千と千尋、、」の、巨大な赤ちゃん、豚になる両親、名無し、くも男、「もののけ、、」の森の神、走る狼、いのしし、「ハウルの動く城」の 年寄りになる魔法、かかし、歩く城、おばば などなど、意表をつく、楽しい登場者が 物語のどこそこにもちりばめられていて、物語に奥行きを作っている。筋に関係なく ただ見ているだけですごく楽しい。それが 宮崎はやおの作品の魅力だ。

宮崎はやおの作品は、常に、子供がひたむきに前に進む勇気、くじけずに前を見る澄んだ目、苦難を通して成長する姿 を描いてきた。「千と千尋、」では、豚にされた両親を助け出すために、ひとつひとつ目の前に現れてくる障壁に くじけず戦う少女の姿が感動を呼んだ。「ハウル、」でも、「もののけ、」でも これでもかこれでもかと、与えられる難関にしり込みせずに前に向かっていく勇気ある子供の姿を描いていた。

その片鱗はこの作品にもあって、これはアレンとテルの心の成長を描いた作品といえる。テルが、アレンに言う言葉が良い。「心の不安はだれにでもある。みんな不安だし、みんな死ぬことが怖い。でも、人は永遠を生きることはできない。死があるからこそ 人はよく生きられる。終わりがあるからこそ しあわせがあるのだ。」という言葉だ。

この作品では 始めにアランが国王の父親を殺すが、動機がいまひとつ明らかでない。不安で仕方がなくて 自分で制御できない凶暴な力、自分の影に操られて親を殺したと言っているが 父親殺しの償いはどうなるんだろう。映画では悪に勝って、自分の国に帰る決意をするところで終わるが、国王殺しにどう責任を取っていくんだろう、と原作の終わった先まで心配するのは、私だけかしら?

父親殺しはギリシャ神話のエデイップス王の時代から フロイトに言われるまでもなく、男の子にとっては、避けて通ることのできない永遠の課題だろうが、この作品で、親が立派すぎるだけに、息子の作はでこそこない、と けちょんけちょんにけなされた、宮崎吾朗の一番やりたかった本心だったりしてね! 

2007年5月15日火曜日

映画 「プライスレス」


フランス映画「HORS DE PRIX 」を観た。クレモン、オピアムで、上映中。 英語タイトル「PRICELESS」、邦題は、まだわからないが、「プライスレス」か。お金に替えられないほど貴重品という意味。

主役オードレイ タトウ(AUDREY TAUTOU)と、相手役にガト エルマレ(GAD ELMALEH)。ピエール サルバドリ監督。とっても オシャレなコメデイー。

オードレイは、高級娼婦。お金持ち紳士の同伴者として避暑地リビエラを旅行している。絶え間なくおねだりをして、装飾品を買ってもらう。下着からドレス、持ち物まで最高級のブランド品を身につけていないと気がすまない。
ある夜、酔って寝込んでしまったパトロンを部屋に残して ホテルのバーに下りてきた彼女は若いバーテン ジーンに出会う。ここで彼女はしたたか酔い、ジーンを バーテンと知らず客の一人と誤解したままベッドインしてしまう。寝過ごして パトロンに見捨てられ、ジーンも 一介のバーテンに過ぎないと知って、オードリーはあわてるが、もうすっかり惚れてしまったジーンは有り金すべてをつぎ込んで彼女をコートダジュールのホテルに誘う。ジーンの積立貯金から、年金、生命保険まで解約してつぎ込んだお金も、彼女の浪費、一流のホテルにレストラン、ドレスに靴にあっという間に消えて、彼女は 去っていく。

残されたジーンは、ホテル代が払えなくて、警察に突き出されそうになったところで、億万長者の未亡人に拾われる。ジゴロとなったジーンは 金で買われた未亡人のペットだが、恋するオードリーのことがあきらめられない。
オードリーも、新しいパトロンと同じホテルに現れ、このふたりは、お互いのパトロンの目をごまかしては、二人で、深夜のビーチピクニックをしたり、二人だけの時間を持つようになり、遂に、オードリーは、パトロンを捨てて、ジーンのもとに行く。ハッピーエンドのラブコメデイー。

オードリータトウーのすきなひとにはたまらない映画だろう。スリムで 次々とグッチのドレスを着て現れる 完璧なプロポーション。よくクルクルと動く大きな瞳。表情豊かな 愛らしい顔。小悪魔なしぐさ。 彼女の「アメリー」「A VERY LONG ENGAGEMENT」は、彼女が演じたから、成功だった。「アメリー」はもう10年前の映画だが、いまだにすごい人気。オーストラリアで、今までの映画のなかで、一番好きな映画という人気投票をしたとき、「アメリー」がトップ、3の中に入っていて、すごくびっくりした。日本でなら、まだわかるが、フランスとかパリとかが、大の苦手の田舎者オーストラリアで、だ。 「アメリー」をやった、オードリーの不思議な魅力と独特の可愛さがこの映画でも健在。それだけに、「ダビンチコード」では、トムハンクスの相手役やらされて、彼女の良さが全然でていなくて、可哀想なくらいだった。やっぱり、フランス人は、アメリカンコーヒーでなく、カフェオーレでないとダメなんじゃないか。

この映画で、ジゴロになるガトエマニエルが、恥ずかしがりやの冴えない、全然男の魅力がない青年役ですごくおかしかった。ジゴロの彼と レストランで鉢合わせになったとき、オードレイが、買ってもらったばかりの宝石をじゃらじゃらさせながら、ねえ、未亡人に何を買ってもらったの?と聞くんだけど、彼が 「豪華な朝ごはん、パンケーキのおかわりもらっちゃったんだよー」、とうれしそうに、無邪気に答えるところなんか、すごく笑える。それが、ダイヤつきローレックスとか、バイクになっていくんだけど、そういった億万長者のお金の使い方も、観ていて楽しい。 気軽で、楽しいコメデイーだ。

2007年5月14日月曜日

映画 「CURSE OF THE GOLDEN FLOWER」



ツアン イーモー(ZHANG YI MOU)監督の中国映画「黄金の華の呪い」、原題 「CURSE OF THE GOLDEN FLOWER」を観た。チャッツウッド マンダリンセンターで上映中。 主演、ゴングリー(LI GONG)と、チョーユンファ(CHOW YUN FAT)。

AD 928年の中国皇帝と皇后とその3人の息子達による血を血で洗う 権力争いを描いた映画。 菊の紋章を家系とする皇帝は、部下だった武将に倒され、皇帝の娘は、新しく皇帝になった武将の妻に迎えられて皇后となる。当然、仲の良い夫婦ではない。夫は、父を倒して権力を乗っ取った仇だ。この皇帝夫婦には 先妻とのあいだに、長男、そして夫婦の間にできた男の子が二人いる。皇后は、夫の後継者となる長男を 自分の味方につけておきたいので、肉体関係をもって自分の意のままに繰っている。また彼女は 自分の実の息子、次男を後継者にして、父の家紋 菊の存続を図っている。 しかしそんな皇后の思惑など とっくの昔に 見破っている皇帝は妻を毒殺するために、毎日健康に良いと偽って薬茶を妻に飲ませている。 チャンヤン祭(CHONG YANG FESTIVAL)という、日本の盆にあたる、先祖の死を悼むお祭りの日に、次男は、皇后を擁護して皇帝を倒そうと、万の兵が皇居に向かって反乱をおこすが、敗れて、自死。長男は三男に殺され、三男は父に嬲り殺されて、ついに、世継ぎは誰もいなくなった。皇后は、最後の毒杯を飲み干すように追い詰められる。

こうした歴史映画のおもしろさは、この時代の人がどんな服装で どんな生活様式をし、どんな風に考えていたのか、なかなか本を読んだだけでは 実感としてわからないものが、映像で描き出されると、時代の空気が生き生きと感じられることだ。ローマ時代を、「十戒」や、「ベンハー」で 実感できるように、中国の皇帝も、この映画や、「ラストエンペラ-」「ヒーロー」などで、知ることができる。

それにしても、この20年というもの、中国映画といえば、チャンイーモー監督、女優といえば、ゴングリー。この二人は夫婦だが、6億人の人口をもつ中国に、映画関係者はこの二人しかいないのだろうか?いまだに、ゴングリーは美しく咲く 大輪の花だから良いけど、ツアンイーモーの堕落、大衆路線は、痛ましい。

ツアンイーモーが製作した映画は、1987年の「赤いコーりャン」、それに続く「レッドランタン」、「THE ROAD HOME」、「TRANDOT」、「HOUSE OF FLUING DAGGERS 」、「ヒーロー」、「CROACHING TIGER HIDDEN DRAGON」など。彼の、はじめのころといえば、芸術家や、知識人による民主化運動が厳しく制限されていて、さまざまな制約をはねのけて映画を作ることに 大変な勇気と、ただならぬ反骨精神がなければできなかった。それだけに、初期の作品には、自由への渇望がみなぎっていた。

しかしこの監督が国に認められて、現代中国文化の大御所として とりこまれ、国民的英雄になってしまってからの彼の作品は ただの娯楽作品だ。まあそれも良い。時代は変わるし、人も変わる。

この映画は、莫大な資金と、万人規模の役者を自由に使って、壮大な資金の浪費をして作られた。ただただ、スペキュタクラー!!! どっどっどっと、地響きをたてて、何万人かの謀反の軍団が、皇居を埋め尽くしたかと思うと、つぎには、そのせ数倍にあたる人数の、政府軍がワーっとやってきて、全部殺して、、、すると、とっとっとーと、掃除人夫が 全部死体をかたずけて、それから、さっさっさー、と たくさんの 花をもった女達がその上を、きれいな花で埋めてしまう、あっという間の手際の良さ。ウーン。まいった。

しかし、ゴングリーは いまだに美しい。20年あまり、中国を代表して、トップを走り続けている。「芸者さゆり」では、若いチャンツイー(ZHANG ZI YI )の美しさと、互角で張り合っていた。この人の若々しい体と 30代はじめとしか思えない美しさは、いったい何なんだ。秘訣を教えてほしい。

2007年5月8日火曜日

映画 「スパイダーマン 3」


史上最高金額6億ドルをかけて製作された 映画「スパイダーマン3」は 世界中で同時に封切られ、あっという間に全米映画興行収入で史上1位を記録した。

映画が好きな人 観なくちゃダメだよ。 スパイダーマンが正義のヒーローなんかではないこと、間違いもするし、馬鹿もやる、普通の成長過程にある青年だということがよく描かれている。

人が生きることは、正しいことと間違っていること、この2つしかない訳ではない。もともと、スパイダーマン、ピーター(TOBY MAQUIRE)は、まじめだけど どちらかと言えば、さえない物理学を学ぶ大学生、両親に死なれ、貧しいけれども誠実な叔父夫婦に育てられた。学費のたしに写真を撮って、新聞社に買ってもらっている。 誤って 遺伝子組み換えされた蜘蛛に咬まれて、自分の体の異変に気つき、蜘蛛のように糸をつたって飛んだり 戦うスーパーパワーをもったことを知る。

幼い時から心をよせていた隣に住んでいたMJ(KIRSTEN DUST)は女優志望の売れない歌手、何度も怖い目にあって スパイダーーマンに助けられて、キスを契機にスパイダーマンの正体を知ってしまう。 幼馴染のピーターと、MJと、ハリーは大の仲良し。でも実は ハリーは悪の世界ゴブリンの息子で、スパイダーマン2で、ハリーの父はスパイダーマンとの戦いで殺されてしまったことで、ハリーはピーターを憎んでいる。

ピーターのお父さん代わりベン叔父さんは ピーターを車で待っているときに 強盗犯にカージャックされて殺されてしまう。ベン叔父さんはピーターに、「大きな力をもったならば それだけの責任を持たなければならないんだよ。」と言い残したが、この叔父さんを殺した極悪人が脱獄して、逃げる途中 放射線をあびてサンドマン(砂男)になってピーターの前に戻ってきたことから、ピーターは復讐に燃える。でも実は砂男が叔父さんを殺したわけではなかった、また、彼は心臓の悪い娘の手術費を捻出するために強盗せざるを得なかったことがわかる。

今回のスパイダーマンの教訓は、安易に復讐してはいけない。悪にも理由や、事情がある。人には悪に手を染めるか そうせずにいるか 選択の自由があるが それに伴う責任を避けて通ることができない、ということ。最終的にはピーターは砂男を容赦する。スパイダーマン3の、テーマは「ゆるし」だ。

スパイダーマンがおもしろいのは ピーターが普通の男の子で、スーパーパワーを持ったために 間違いもたくさんして、人を傷つけたり、パワーに慢心して観衆のまえで 飛んで見せたり 女優とキスして見せたりするところ。人気絶頂をいいことにマスクを脱いでからも、調子にのって、せっかく理解してくれているMJが失業して歌手としての希望を絶たれているのに、聞く耳をもたない。べノムの黒い魔の手に侵されブラックスパイダーにならなくてもピーターは普通のおばかさんなのだ。だって、まだ20歳そこそこの普通の大学生でしょう。当たり前。そんな彼が 立ち返るところは、亡くなった叔父さんの教訓であり、変わらずに心を支えてくれる伯母さんの言葉だ。調子に乗ったりどん底におちたりしながら戦いでボロボロになりながら 彼の心の成長の軌跡がていねいに描かれている。そこが、おなじ、ニューヨークを拠点に活躍する スーパーマンや、バットマンとちがうところだ。

スパイダーマン3で、ピーターの親友で実はゴブリンの息子というハリーがすごく良くて、泣ける。この俳優(JAMES FRANCO)って、スパーダーマンでしか見たことないけど、故ジェームスデイーンにそっくり。で、それだけで泣ける。ハリーは大金持ちの父が発明したたくさんの殺人兵器をもっていて 空飛ぶスケボーでピーターと戦う空中戦がすごくかっこ良い。 記憶を失ったハリーが目覚めて、親友ピーターとMJに見せる笑顔は、ものすごくチャーミング。ジェームスデイーンの笑顔にそっくり。これを観るだけのために この映画に$15 払う価値がある。 大きな屋敷にたった一人暮らす孤独なハリー、悪の権化だった父はかつて 親友ピーターを高く評価していて十分自分は父に愛されたかどうかという自信がない。でも父への愛は不滅。父の期待に報いてスパイダーマンに復讐攻撃するが敗れる。

ハリーは、ピーターに MJを救うために一緒に、ブラックスパイダーと、砂男をやっつける力を貸してくれ と言われて、苦しんで、悩んだ末 ピーターのために助っ人に行く。 ピーターと、手を取り合って スケボーで夜空を飛び回るハリー。スパイダーマン3のヒーローは間違いなくハリーだ。この映画では、ピーターの心の成長もハリーの心の成長も描かれてれている。ピーター、ハリー、MJ この まだ青い愛と、友情のありかたにちょっと涙が出る。

新聞社の編集長と 彼の高血圧をコントロールする秘書、それから、ピーターの下宿の親父とちょっと知恵が足りなそうな その娘など、スパイダーマン1,2からのおなじみの 愉快なキャラクターが華を添えていて 毎回笑える。

2007年5月1日火曜日

映画 「敬愛するベートーベン」


映画「COPIYING BEETHOVEN」クレモン オピアムで上映中。

べートーベンの名前を知らない人はいない。彼の作品は?というと、交響曲第5番「運命」の第1楽章の最初の4音をジャジャジャジャーンとやったり、エリーゼのためにの最初の2節を鼻で歌ってくれる人が多い。私はバイオリンでベートーベン弦楽曲には泣かされたので 暗い哀しいつらい難解 でも尊敬。

交響曲「英雄」「運命」「田園」、ピアノ曲「皇帝」「悲愴」「月光」「テンペスト」、オペラ「フェデリオ」、バイオリン曲「春」「クロイツエル」など 本当の作品名に ニックネームがついている作品だけでも こんなに沢山ある。それほど、ポピュラーな天才中の天才。

彼とドイツの森とは切っても切れない関係にあって、彼は毎日4時間も5時間も 森を歩いてインスピレーションが沸くと 曲にして作った。彼もまた恋をたくさんしたが、生涯結婚は しなかった。一生努力しながら、苦しみながら作曲し、莫大の量の交響曲、弦楽曲、ピアノソナタ、コンチェルトを作曲したが、未完の作品も膨大な量だった。

映画「COPYING BEETHOVEN」アメリカ、ドイツ合作映画を観た。AGNIESZKA HOLLAND 監督、ベートーベンに、エド ハリス(ED HARRISE)と、その楽譜コピイストのアナ ホルツ役にダイアン クルーガー(DIANE KRUGER)。 映画設定は 1824年、57歳晩年、死のちょっと前のベートーベンは すでに一世を風靡し、名声を得ているが、もともと貴族の出身でも、年給を保証してくれるパトロンがいるわけでもないベートーベンにとって、曲が完成しないと収入はない。期限までに、作品を収めなければならないプレッシャー、除じょに聞こえなくなっていく耳、健康上の不安、可愛がっていたピアニストの甥の裏切り、、、、創造を糧として生きるものの苦渋の満ちた生活だ。

コピイストとは作曲家が書いた曲を、オーケストラごとの楽譜にして、曲を書き写す職業で、自身も作曲家同様の専門知識と、繊細な注意力と集中力がないとできない。コピーマシンや 大量印刷製本技術のある時代ではない。楽譜は全部、手書きで、消しゴムがあるわけではないので、失敗できない。立派なコピイストを持つことは この時代の作曲家にとって右腕をもう一本持つようなものだ。

映画はウィーン音楽大学を主席で卒業したばかりのアン ホルターが 職を求めてベートーベンのコピイスト ベンゼル スケルマーを訪ねるところから始まる。

新しいコピイストとして抜擢されたアンが ベートーベンにとって必要な耳となり、手となり、友情がめばえたところで 彼女が 自分で作曲した小曲をベートーベンにプレゼントする。ここで すごく笑える。ベートーベンは彼女がどうして曲を持ってきたのかわからないまま、ピアノで弾いてみるんだけども それがすごく杓子道理の コチコチのバロック音楽なので 彼は思い切りはしゃいで曲をばかにして、ぶーぶーいいながら弾いて笑うのだ。それを泣いて怒ってくやしがる彼女とのやりとりがおかしい。

映画で かの交響曲第9番の初舞台、枢密卿、ヨーロッパ中の貴族達を前にして、ベートーベンは指揮をするのだが、すでに耳のきこえなくなっていた彼は アナをオーケストラ団員の間にすわらせて指揮をする彼女をみながら、指揮をとるのだ。映画では そこが見せ場だったみたい。これに近いことを計画的にやったかもしれないけど、実際にはありえない。初見で、第9の全曲を指揮できる指揮者はいない。70分、この時代なら1時間半くらい 初見ではカラヤンでもクライバーでもバーンスタインでもべームでもアシュケナージュでもフルトベングラーでもアバッドでも指揮できるわけがない。まあでも、映画だから許される。

ベートーベンがあの難解な弦楽4重奏を作曲中、ピアノでアンに聞かせると アンははっきり全然ダメ という。実際、サロンでも貴族達からは受け入れてもらえなくてコンサートが終わったときには誰も観客がいなくなっていて、しおれるベートーベン。創造者はいつの時代も 時代を先取りをしているから前衛の芸術が人々に受け入れられるには何十年も何百年も待たなければならなかったのだ。

映画のなかで、人々は文盲でも、ベートーベンの音楽は知っている。たとえ一日中 陽のささないアパートでもベートーベンの曲を王様より、貴族達よりも早く先に聞ける事に喜びを見出している 同じアパートに住む老人。森を歩きつかれて、入った酒場でベートーベンと飲んで騒ぎもする地元の男達。きっと、彼の毎日はこんなんだったんだろうと思いながら、うっとりして観ていた。

ロンドンフィルハーモニーが交響曲第6番を演奏しながら、ベートーベンがウィーンの森を歩き回っているすがた、とても良かった。ずっとそれだけを いつまでも観ていたかった。 

2007年4月22日日曜日

日本映画 「GO」

映画にはビデオで観て 面白い映画と、絶対 映画館の暗がりで大きなスクリーンで見なければならない映画とある。日本映画は だいたいにおいて ビデオに向いている。じゅうたんに転がって、ポテトチップスにビールで、一人笑ぃ転げたり 泣いたりしても、誰にも迷惑がかかららない。日本に帰っていたのを、契機に ビデオで日本映画を観てみた。

「ジョゼと虎と魚たち」、吉永小百合と渡辺健の「北の零年」、寺尾聡の「博士の愛した数式」、伊藤英明と加藤あいの「海猿」、吉岡秀隆と堤真一の「ALWAYS 3丁目の夕日」、妻夫木聡と長沢まさみの「涙そうそう」、山崎勉、窪井洋介と紫咲コウの「GO」などだ。

このなかで、「GO」がとりわけおもしろかった。原作金城一紀、直木賞と取った作品。読んだ本がすごく面白かったので、それを元にした映画も そのとうり よくできていることを期待したが、この映画は原作に忠実で、おまけに良い俳優が脇を固めていて、とても良かった。主人公クルパーの父親の山崎勉を観ているだけでものすごく笑える。映画を観ていて何度もおなかを抱えて笑ってしまった。在日外国人の胸の痛み、差別を跳ね返すパワー、そして家族愛、それでいて全然どん臭くない。

思い切り明るく これほどまで人種差別の厳しい 閉鎖社会である日本で、からっと在日外国人の泣き笑いを書いたものは ほかになかったのではあるまいか。
北朝鮮出身の親を持つゴリゴリのマルクス主義者で北朝鮮の金日成主席を神ともあがめる父が 突然妻をハワイ旅行につれて行くために「転向」して金日成バッチを返還しに朝鮮総連に行く。総連でももう とっくの昔にそんなものは 時代遅れになっていたというのに。で、ハワイ旅行で 広い世界に目覚めた父は がぜんスペイン語を勉強し始めて、今度はスペイン旅行に行くのだ。在日外国人に限らず、井の中の蛙だった日本人が 広い世界をみて あわてふためく様子が笑える。

一人息子は天然パーマの髪が天に向かって爆発しているのでクルパーと呼ばれている。プロボクサーだった父に 小さいときから訓練されているから めっぽう喧嘩に強い。朝鮮中学をやめて、普通高校に移った時から、学校で韓国籍を笑われ、陰湿ないじめにあうが、みるみるうちに学校きっての喧嘩のチャンピオンになってしまう。暴力団総長の息子の鼻柱を折ったことが契機で暴力団にまで いちもくおかれて可愛がられる。別の高校で好きな子ができて、告白するが、彼女の、お父さんが朝鮮人の血は汚いんだって言うの、という言葉に ゆきずまってしまう。

青春の哀しさ、ひりひりする痛みがよみがえってくる。

「インストール」、「蹴りたい背中」の綿矢りさ、「夜のピクニック」の恩田陸、そして「GO 」の金城一紀など、10代でものを書いて 文壇で認められるようになった人々の その才能は並みではない。

とても良かったので、本を読むのも(講談社文庫)、映画で観るのも お勧めー。

2007年4月17日火曜日

映画 「世界最速のインデアン」


とても若かった頃、出会ったときから 何かすごく気があって血がつながっているみたいに心安く ずっと信頼を置いていた人がいる。その昔 私がものを書いていた頃 彼も書いていた。4000キロほど離れていたが、バイオリンを弾いていた頃 彼も弾いていた。今はもっと離れたところで暮らしている。そんな人と 先日、本当に久しぶりで東京で会った時、この映画がとてもよかった と言ったのでうれしかった。

映画「THE WORLD FASTEST INDIAN」「世界最速のインデアン」。シドニーでは 余り 話題にもならず、メジャーの映画館では上映されなかった。 ニュージーランドとUSA合作映画。主演 アンソニーホプキンズ、監督、ロジャードナルドソン、2006年作。 キウイ(ニュージーランド人)のバート ムンロ(BURT MUNRO)が、64歳のときに、1920年代のインデアンという名のバイクをもとに自分で作ったバイクで アメリカ ユタで行われるレースに出場して 世界新のスピード記録を出したときの実際のできごとをもとにした映画。このとき1967年のスピード記録は いまだに破られていないのだそうだ。

長年、役者として功績を残し70代になっても現役のアンソニーホプキンズはサーの称号をもらったが、この映画では キングイングリッシュを捨てて、キウイアクセントに徹していた。64歳のバートは 長年のバイクの排気音で難聴、ニトログリセリンが手離せない狭心症、おまけに前立腺肥大で排尿障害も持っていて ぜんぜんかっこよくない。そんな彼がバイクレースに出るという目的だけのために、淡々と、そしてゆうゆうと一歩一歩目的に向かっていく姿をみているうちに 彼のうれしさが自分の喜びになり、彼の落胆が自分のつらさになり、すっかり共鳴して、彼が本当のヒーローに見えてくる。この男 すごくかっこいい。

NZランドからロスアンデルスまでの 船の旅費が十分でなく、乗船中は料理人、皿洗いなんでもやる。はじめはエプロン姿のおじいさんに 何だよ と言う感じが 人懐こい彼の言うことには含蓄があり、荒くれ水夫達の大に人気者になってしまう。

ロスに初めて着いて タクシーの助手席に乗り込もうとして運転手に どなられる。NZランドやオーストラリアでは 運転手などの肉体労働がホワイトカラーより貴重で大切にされるから 客は仲間意識をもって運転手の助手席にすわるが、アメリカではホールドアップを恐れて 客が助手席に座ろうとすると運転手はパニックになる。1分間も無駄にしたくない運転手と 田舎ものバートのやりとりがおかしい。

モテルに着いて受付で、あんたイギリス人と聞かれて、「え、ぼく、そんなにひどくないでしょう?」と答えるのも、彼のウィット。女性と思っていた受付の人が ホモセクシュアルの男性とわかっても 気にせずきちんと レデイとして扱う。

いよいよ ボロ車を買って修理して ユタのソルトレイクに向かうが、途中、バイクが破損してインデアンの老人に助けられる。湧き上がる彼との友情。美しい石でできたお守りのネックレスをかけてもらって、また出発。 バートの「 同性愛差別や人種差別を超えた 人類みな等しい、人に違いがあるとするなら 夢を持つ人と持たない人とがあるだけ 」という彼の意識が映画の随所で観られる。

本当に苦労しながら ソルトレイクのレース会場に着いて、もうレース参加の申し込み期間が過ぎていたり、バイク修理の費用に底がついて レースに出られないところだったり、と、いろいろなできごとがあるけれど、そのたびに彼の ひょうひょうとした魅力に周りの人々が 助けずにいられなくなって、人々の温情に助けられながら レースで世界新記録を出すのだ。

この映画はアンソニーホプキンズがやらなかったら、全然 成功しなかっただろう。ホプキンスがとても良い。彼自身、インタビューに答えて、この役になるのが じつに、楽しくて、自然に演じられた。と言っている。ホプキンズと言う人は 怪傑ゾロや、ハンニバルや 人食いレクター博士をやっているより、本当は自身がバートのような人なのではないか。

この映画は夢を持って生きる男達に改めて夢を見続けることの大切さを再認識させて、涙ぐませた。

映画には出てこなかったが、実際のバートが世界記録を出したとき スポーツ紙のインタビューで、200キロのスピードで走って 死ぬことが怖くないのか と聞かれて、「全然こわくない。ぼく、平穏に暮らしていくよりも、5分でも余計にバイクにのっていたいんだ。」と答えたそうだ。 うーん、64歳の男のことばにしては、悪くない!

2007年3月14日水曜日

映画 「THE GOOD GERMAN」



アメリカ映画、「THE GOOD GERMAN」、(良きドイツ人)を観た。 クレモンオピアム、デンデイーなどで、上映中。 主演、ジョージ クルーニー(GEORGE CLOONEY)と、ケイト ブランシェット(CATE BLANCHETT)、監督STEVEN SODERBERGH.脚本でアカデミー賞にノミネイトされていた。色のない白黒映画、カラーで撮影した後 色をぬいて白黒フィルムとして完成させたそうだ。

舞台はベルリン。1945年ドイツが降伏し、日本の広島に原爆が落ちる直前、政治の裏で、アメリカとドイツが原爆の製造技術を競い合っていた。ロシアのスターリン、英国のチャーチル、アメリカのトルーマンが戦後処理について、会談をしている。 ベルリンで、ケイト ブランシェットは ナチ時代の科学者の夫を、かくまっていて、何とか国外脱出させようとしている。ベルリンの戦後処理オフィスはロシア側とアメリカ側勢力がこの科学者の隠し持っている書類を奪おうと スパイを送りあい薄氷の上を歩くような緊張のなかにある。 一方、アメリカから送られてきたばかりのジョージ、クローニーは、昔の恋人、ケイト ブランシェットを探している。一人の科学者をめぐって ロシアとアメリカの冷戦が始まる前の緊張のきわにある力関係に、ドイツ秘密警察や、政治に無頓着なジャーナリストが絡まりあいながら、科学者の妻の内に秘めた強さが描かれる。

日曜版へラルドの映画評では、こんな映画をお金払って見にいかないで、ビデオ屋に行って「カサブランカ」と、「第3の男」を観なさい、と親切にも忠告してくれている。 確かに、ラストシーンは ハンフリーボガードと、イグリットバーグマンの 「カサブランカ」そっくりで、この歴史に残る名作の最後の泣けるシーンは俳優ならば誰しもがやってみたかったんだろう と私は、好意的に解釈した。夫だけを国外脱出させて、自分は残ろうとするバーグマンに ボガードが、「君は行きたまえ。僕は大丈夫、君がいてくれたという記憶だけのために僕は 生きていける。」といって彼女に背をむける あの有名なシーンだ。

「カサブランカ」は俳優達も、音楽も、映像も、ストーリーも映画として完璧。子供のときから何十回見たか数えられないが、観るごとに映画っていいなーと思う。 オーソン ウェルズの「第3の男」も素晴らしい。チター演奏の物悲しいテーマ音楽と オーソン ウェルズの監督、カメラワークは歴史的芸術品といえる。ともに、互いに心惹かれながら 決して和解しない、情に流されず 強い意志で対立したまま別かれていく男女の姿に世界中の何億人の人々が涙を振り絞ったことだろう。 こうした映画史に残る名作は多くの人の胸の中で、大切にしまわれていて、せりふの一つ一つを覚えてしまっている人も多いのだから、それに似た作品を作ろうとすると 下手をすればパロデイーやコミカルになってしまう。白黒フイルムのなかでも、ブランシェットは十分美しいし、クロー二ーも確かにハンサムだが、やはり、あの時代のボガードと 一番輝いていた頃のバーグマンの絶頂期の美しさには勝てない。それはもう死んでしまった過去の人だからだ。過去は美化される。

この映画をクロー二ーとブランシェットのファンがみたら、がっかりするだろう。爆弾で破壊されたベルリンの街は、アメリカで作ったセットだったそうだ。なぜか、音楽もさえなく、画面がチープな気がしてならないのは、いまどきの映画監督、白黒フィルムの使い方になれてないのじゃないだろうか。 色を使わないからこそ際立つ 白の白、黒の黒、そしてさまざまな白でも黒でもない中間色を陰影で上手に映し出す技術に長けていないと 白黒映画は成功しないだろう。 「カサブランカ」の漆黒の夜、ほの暗い街灯に光にうつるバーグマンの思いつめたような表情、、、 「第3の男」で、パリの下水道で追い詰められて、殺される前のオーソンウェルズの月の光を地下から求める絶望の表情、、、みごとな映像が記憶に残っているだけに 色抜きしたカラーでとったこの映画は、映像効果が成功したとは思えない。

ヘラルド誌の映画評は 辛らつで、あまり好きでないけれど、この映画については、彼が言うように、これを観にいくより、ビデオ屋で、「カサブランカ」と、「第3の男」を観たほうが 賢いような気がする。 ついでに、ジャン ギヤバンと ミレーユ バランの、「望郷」原題「PEPERE MOCO」と、ビビアン リーと、ロバートテイラーの「哀愁」原題「THE WATERLOO BREDGE」も お勧めする。

2007年3月5日月曜日

映画 「パフューム」



映画「PERFUME」を観た。ドイツ、フランス、スペイン3カ国合作映画。 ホイッツにて 上映中。 17世紀に実際に起こった事件を題材にして作られた映画。 主演、ベンウイシャウ(BEN WHISHAW)女優に、レイチェルハートウッド(RACHEL HURD-WOOD)、助演にダウテイン ホフマン (DUSTIN HOFFMAN)。

ベン ウィシャウは、孤児院で育ったが、大人になると、皮なめし職人に売られて 働いている。特筆すべきは、彼は天才的に嗅覚が発達している。においで、隣のうちの中で何が起こっているのか かぎ分けられるほど 嗅覚に敏感だ。 ある町で、彼は美しい乙女のにおいに魅せられて、後を追い、吸いつけられるようにして その乙女のにおいをかいでいるうちに、怖がって逃げようとする その処女を殺してしまう。かぐわしい 処女のにおいを自分になすりつけて 満足するが、香りは時がたてば 失われてしまう。どのようにして、香りを保存するのか知りたくて、偶然、出会った香水調合師に拾われて、修行することになる。

トラックいっぱいのバラの花を、蒸留 抽出してやっと、小さな香水びんを満たすことができるというような 過程を経て、彼は一人前の香水調合師となる。そして、次々と処女を拉致して殺しては、体に獣の脂肪をぬりたくり、それをナイフでこそげ落とした処女の香りを 抽出して香水にする。素晴らしい香水を作るためなのだから、彼には、殺人の罪悪感はない。12人殺して、12本の香水ができあがったところで、一番初めから心惹かれ、ねらっていた検事総長の娘をとうとう手にかける。この娘の香水に 12本の香水を混ぜた、13番目の 究極の香水ができあがったところで、彼は、逮捕される。

話としては おもしろい。映画も前半は,ハラハラ ドキドキ、とてもおもしろかった。香水作りの親方にダステイン ホフマンが出てきて、彼が映画にでてくると、映画の味が 本物っぽくなる。彼が 自分で創作した香水を試すために、絹のハンカチに香水一滴たらし、香りのよしあしを彼の あの大きな鼻でかぐ しぐさがとっても良い。

でも、話の筋も映画の後半、どんどん現実離れしてきて、見ているのが ばかばかしくなった。主人公が死刑台に立たされ、何百人もの見物人が 死刑の様子を 固唾と見守っていると、この殺人鬼は 13番目の香水をひとふりしただけで、みんなヨレヨレ、ひゃらひゃらになって、服を脱ぎだし、セックスを始めるところなどは、全然納得できない。私は、話の筋はきちんと終わってもらいたい性格だから、13人の罪のない処女を殺した殺人鬼が 香水ひとふりで、罰せらずにすんでしまったことが許せない。

だいたい処女の体臭が甘い、素晴らしい においだなどと、誰が決めたのか?全く 科学的でない。女性ホルモン エストロジェンや 男性ホルモンを刺激するフェロモンは 15歳くらいの 処女からは しぼっても出ない。日本の根暗社会では、処女の女子中学生や高校生のパンテイーを売買したり、彼女達のオシッコを高く買いたがる おじさんが増えていて、その種の店が大繁盛だそうだ。それはとても、異常な文化だ。暗いよ おじさん!からだの処女など、なんの意味もない。貴重なのは、心の処女性だろう。 人は まじめに働き、まじめに食い、まじめにクソをして、真正面から女性を見つめ まじめに愛情を交換してもらいたい。

私は この映画の根暗な、不健康さが嫌いだ。この映画を観に行く人は、前半だけ見て 後半はしっかり眠って 音楽だけを楽しむという見方をお勧めする。

2007年3月4日日曜日

映画 「ラブソングができるまで」


イギリス映画「MUSIC AND LYRIC」を観た。邦題「ラブソングができるまで」。ホイッツにて、上映中の ラブコメデイー。主役は、ヒューーグラント(HUGH GRANT) 相手役は、ドレュー バリモア (DREW BARRYMORE)。 ヒューグラントが 歌がうまいのに 驚いた。ピアノを弾きながら、語るように歌うのが、とても自然で、この人、どんな映画にでていても、肩肘はったところがなくて、気取らず、自然体、だから、全然じゃまにならない、、、というか、さわやかで、好ましい。中年になっても、見かたによっては、少年のような、体をしていて、可愛い。

映画のなかで、彼は、1970年代のポップスターで、今は、世の中から、ほとんど忘れられている。でも、同じ年頃のおばさんたちからは、いまだに人気があって、遊園地とかスーパーマーケットの片隅で、ショーを続けていて、日銭を稼いでいる。本当は売れない、作曲家。 華々しくもなく、みじめでもない。本当に、中年さかりのこの人に ぴったりの役だ。 彼のショーを 観に来ている昔のテイーンだった、おばさんたちがおもしろい。彼が、腰をひねるたびに キャーキャーいうんだけど、後ろのほうで、全くげんなりした顔で、子供を遊ばせながら、ショーが終わるのを待っている、旦那さんたちの姿がおかしくて、笑い転げた。

ヒューグラントの相手役の、バリーモアは、今年で、32歳になったそうだ。彼女は映画俳優になったのは、7歳のとき。スピルバーグの名作「ET」だ。 その後、9歳でタバコ、酒を覚え、10歳でマリワナ、12歳でコカインを吸引、14歳で俳優引退宣言して 自伝「LITLLE GIRL LOST」を出版した。14歳で、自伝を書く人も珍しい。子役でデビューして、そのイメージから脱出できずに、役造りで苦労する役者の話は、よく聞くが、 この人も、大人になってから、雑誌プレイボーイでヌードになって、スピルバーグに 服を着なさい、としかられたりしながら、歌手兼俳優として、カンバックに苦労したようだ。
映画のなかで、彼女が恨みの昔の彼氏と、バーで鉢合わせになったとき、ヒューグラントに、「あんな奴 人前で恥をかかせてやる!」と、鼻息あらく、彼の前にでたくせに、急に赤ちゃんみたいな話し方しかできなくなってしまうシーンでは おなかを抱えて笑ってしまった。すごく こんな時の女の気持ちがよくわかる。

昔のポップスターで、今は名もない作曲家というヒューグラントと、さえない素人作詞家のバリーモア、彼らに、曲を依頼してくる、人気歌手のコーラというセクシーな歌い手、この珍コンビネーションがすごく面白い。 ラブコメデイーは、なにも考えずに、仲の良い人と、一緒に観にいって、ただ笑って気分よく 帰ってくるのが良い。 疲れている人は、疲労を忘れ、さした理由もなく、鬱気味だった中年の人は、気分を上向きにもち直すことができ、ちょっと虫歯の痛い人は、痛みをわすれ、つまらないことで けんかしたカップルは けんかの原因を忘れてしまって また仲良くなれる。

2007年2月20日火曜日

映画「あるスキャンダルの覚え書き」


イギリス映画「NOTES ON A SCANDAL」を観た。邦題は、「あるスキャンダルの覚え書き」。 主役、ジュデイ デンチが、アカデミー賞と、ゴールデングローブ賞、双方の主演女優賞に、ノミネイトされ、もう一方の女優、ケイト ブランシェットが、アカデミー賞と、ゴールデングローブ賞の、助演女優賞にノミネイトされている。また、脚本家 パトリック マーバも脚本でアカデミーにノミネイトされた。

ロンドンの公立高校に 新しく美術の先生として職を得た ケイト ブランシェットは 若くて、美しく、夫と二人の子供をもっている。夫とは かなり年がはなれていて、息子はダウン症だが、あたたかい家庭で愛情に満ちた生活だ。 一方、この高校では引退に近いベテラン教師の ジュデイ デンチは厳しいので生徒達からは恐れられているが、同僚からも、生徒からも、信頼も尊敬もされていない。友達もなく、結婚の経験もなく、年老いた猫だけが孤独な友だ。

新人教師のケイトブランシェットと、古参教師のジュデイ デンチとの間には、同僚としての友情が芽生える。 しかし、よりにもよって ケイトは15歳のとびぬけて美術の才能をもった生徒と、関係をもってしまう。そして、彼女はじきに、家庭と、学校の日常の煩雑さからの逃避のように、恋におちてしまう。偶然、逢引の現場を目にした、ジュデイ デンチは 自分だけが知った秘密をたてに、自分が本当は ひそかに愛していた ケイトを、自分のものにしようとする。

ジュデイ デンチがとても、怖い。結婚したことのない レズの女教師って、こわいものだが、すごい迫力。巣を張り巡らせて、美しい蝶が舞い、人生を謳歌している様子をじっと観ながら、やがて、巣に絡まって死んでいくのを待つ 蜘蛛のようだ。蝶と蜘蛛の役に、ケイトと、ジュデイはものすごく はまり役、これ以上の適役は考えられない。この二人のイギリス英語のアクセントも、少年の、下町アクセントも良い。

ケイトの夫が 事実が明らかになり、ケイトが15歳の少年を関係をもったことで、少年保護法違反で裁判に引き渡されるとき、無言で、押し寄せるマスコミの渦のなかに、ケイトを押し出すときの、無表情が、良い。こういうとき 夫は、妻の裏切りの理由に、すこしでも自分に非があるかもしれないとは、考えないものだ。ただ、妻をせめるだけ、事実をうけいるられるようになるのには、時間が必要なのだ。それを、この映画の最後のほうでは、時間がたつにつれて、夫の心が変化していくことがわかる。この映画はこういった ひとつひとつの、シーンをていねいに、作っていて、好ましい。

ジュデイがロンドンの街中を、買い物籠を持って歩いている姿はまったく、普通のおばさん。教壇にたつと、怖い教師、ケイトに食事に招待されてあわてて 靴と服を買いに走り、美容院に飛んでいく姿はとても、自然。さすが、俳優の貫禄。  この人、007「カジノロイヤル」で、女王陛下の秘密スパイ組織のボスの役で出ていた。また、「ラベンダーレデイーズ」では、年老いた姉妹の妹で、海に流れ着いた青年に恋をする役で、すばらしい演技をみせた。

ケイトブランシェットは 大好きな女優、二人の子持ちで、演出家の夫とシドニーで生活していて、ラリアの若い役者の育成に貢献している。多くの、ラリア出身の俳優がちょっと有名になると、すぐニューヨークに移っていくのと全然、役者としての姿勢がちがう。メシよりも、演じているのが好きといっている。 シドニーのベトナム社会をテーマにした「リトルフィッシュ」では、カブラマッタの雑踏のなかを下町娘になりきって歩いていると、全く違和感がなかった。 アカデミー助演賞をとった、「アビエイター」は、本当にキャサリン ヘプバーンが乗り移ったような みごとなキャサリンだった。
ケイトと、ジュデイ、このふたり、この映画で、アカデミー賞でも、ゴールデングローブでも 一緒にとってもらいたいものだ。

2007年2月16日金曜日

映画 「THE LAST KING OF SCOTLAND」


イギリス映画 「スコットランド最後の王」を観た。ホイッツで上映中。

同じ、アフリカを題材にした映画「CONSTANT GARDENER」邦題「ナイロビの蜂」と、今、上映中の、「ブラッドダイヤモンド」のふたつの映画がとてもよかったので、アフリカ共通の問題と、過去の血の歴史を持つ ウガンダの現実に肉薄する映画かと 期待していたのに、とても、がっかりした。

「ナイロビの蜂」がケニア、「ブラッドダイヤモンド」がシエラレオーネ と、場所は異なるが、アフリカの貧困をもたらす経済構造と、欧州のエゴイスチックな搾取の結果、取り残された国々の政情不安、一部の豊かな特権階級と、圧倒的多数の国民の貧困、軍の腐敗などは、共通するアフリカの現実だ。

1970年代、イギリスから独立したウガンダでは、イギリスで教育を受けた軍人、イデイ アミンがクーデターを起こし強力な指導力のもとに、独自の外交 政治 経済お牽引した。しかし その残酷非道な独裁力は のち、国連から批判され、失脚した。当時、アミン大統領の専制、独裁は たびたび、ニュースで報道され、政敵を殺して、その人肉を食ってみせるような姿が、世界を震かんさせた。独裁政治による犠牲者は、30万人にのぼる。

これだけの男を映画にしようというのだから、映画監督も 相当覚悟が必要だった。「TOUCHING THE VOID ONE DAY IN SEPTEMBER」でオスカーをとった ケビン マクドナルドが 監督。 そのアミン大統領役の、フォーレスト ウィテカーは、今年のゴールデングローブ主演男優賞をとった。映画の台本は、アミン大統領に気に入られて、大統領付の医師になったニコラス ガーリガンによる手記をもとにしている。

大学の医学部を卒業ばかりのニコラスは、卒業記念に、どこか行ったことのないところに、行って経験を積みたいと考え、ウガンダに着任した。受け入れ先の 海外援助資金で細々と、やっている病院には アメリカ人医師が一人いるだけで、貧しい設備に、予算がなく、満足な治療もできない。理想も、希望も萎えかけたころ、偶然、アミン大統領に出会い、その場で気に入られて、大統領付のおかかえドクターとして、立派な家、メルセデス、イギリスにいたころと変わらない食事などを、提供される。

しかし、大統領の第三夫人に恋をして、関係をもち、最後には、発覚、婦人は手足をもぎ取られ、凄惨なリンチの末 殺されて、ドクターも、リンチをうけながら、奇跡のような形でウガンダから脱出する。

アミン大統領はいったんクーデターから政権を奪取すると、自分の協力者も含めて、30万人もの罪もない人々を 殺しまくった。しかし、この事実に対して、映画では、では何故、ウガンダがこのような怪物モンスターの指導力を必要としたのか という歴史的観点で、見る視点が いっさい ない。
この映画は、単に大統領の妻を寝取った男がひどい目にあった、といっているだけで、何の、メッセージもない。しかし、考えてもみてくれ。大統領が相手でなくたって、モスリム社会で妻を寝取った男は、当然 罪を犯したものとして制裁されるだろう。モスリム社会でなくてもだ。そのために、リンチをうけたって、それが何なのか?アミン大統領による政治が、アフリカにとって、なんだったのか、きちんと検証するべきだ。

この映画は、事実を矮小化している。そして、一番いけないことは、歴史を矮小化していることだ。 だから、この映画、わたしは、誰にも、すすめられない。椎名誠のエッセイ本で、「風に転がるような映画もあった」というのがあったが、そんな感じだ。

2007年2月13日火曜日

映画 「ドリームガール」


ビヨンセの 美しい顔を見て歌うのを聴きたくて、映画「ドリーム ガールズ」を見にいってきた。各地のホイッツで上映中。

ビヨンセは賞を取らなかったが、3人コーラスのうちの一人、ジェニファー ハドソンがゴールデングローブで助演女優賞を獲った。彼女、太り気味で、顔もちょっとだが、ソウルを歌わせると、すごい迫力で、のびやかな声がすばらしい。テレビ番組、アメリカンアイドルで、見出された人らしい。

こういうパワフルで、楽譜にすると転調がたくさんあって、フラットが4つくらい ついてる曲が、急にシャープ6つに変わったりして、歌うのが難しい曲を アフリカンアメリカンがいとも簡単に歌いこなしてしまうのが、もう、どうしてなのか、全然わからない。音楽大学で、4年とか6年とか、勉強しても、アフリカン スピリッツや、ソウルは歌えまい。アフリカンアメリカンは 生まれついて絶対音や、リズムの基本を身につけて生まれて来るのだろうか?

この映画は1960年から70年にかけて、活躍した3人の女性ボーカルグループのお話。 ダイアナ ロスが、シュープリームスというボーカルグループで歌っていたときの実話がベイスになっている。ダイアナ ロスは今は ドラッグでみじめだが、舞台に立っていたころは 美しくて、歌って踊れる、ピカいちのスターだった。

映画で、3人のドリームガールズは、はじめは、マネージャー(ジエイミーフォックス)に 認められて、スーパースター(エデイーマーフィー)のバックコーラスとして歌いだす。スターのうしろで、ババババーとか、ドウドウドウとかいうだけでなく、自分達の歌でステージを やりとげる自信たっぷりのボーカル(ジェニファーハドソン)は、いつかバックコーラスから抜け出て、自分が舞台の中心になり夢をみている。

3人のコーラスを従えて、R&Bを舞台狭しと踊りながら 歌うスーパースター役のエデイーマフィーがすごい。こんなことまでできるんだ とびっくり。彼は、1分間に一度は 聴衆を笑わせる、トークで、名をあげ、俳優としては刑事ものや、コメデイーで人を笑わせて、家族映画 ドリトル先生シリーズで子供からも人気をとりつけ、マルチタレントとして20年も活躍している。年をとったとはいえ、パワフルなステージは立派。まあ今になって、ローリングストーンズ、や、キッスや、ピンクフロイドが返り咲いて、歌っているのだから、エデイーマフィーが歌っても不思議ないのかもしれないけど。

ビヨンセは本当に美しい。顔もスタイルも歌も文句のつけようがない。プロデューサーの親の七光りでスターとして育った どうしようもない わがままおじょうさんという世間での評判だが本当に美しい。彼女が歌っているときの姿は光り輝いている。

こういうショービジネスを営々と継続してきたアメリカは つくずく娯楽のためになら とんでもない金額のお金をかけて、世界中の人々を喜ばせてきた どでかい国、とんでもない国だと実感する。こうした娯楽は、アメリカの金儲けのためなら なんでもする、マテリアリズム、物質主義、金権主義の金字塔のようなものだ。使っては、捨てられる。 ひと時の夢なのだ。 イラクで戦死したアメリカ人の兵が3100人を超えた今、アメリカはどこへ、行こうとしているのか。イランへの、攻撃を準備しているのか。喜びも、楽しみも大きいが、悲しみも、罪も深い国だ。

2007年1月13日土曜日

映画 「ブラッドダイヤモンド」



ああ! きみは、世界一平均寿命が長い国に生まれたが、シエラレオーネという国では 国民の平均寿命は34歳と聞いて、涙が浮かばないか?

レオナルド デカプリオ 主演の映画「ブラッドダイヤモンド」を観た。世界一、平均寿命が短い国、シエラレオーネが舞台のあたかもドキュメンタリーのような映画。

一年ほど前「CONSTANT GARDENER」という やはりアフリカで、アメリカを中心にした多国籍企業がもつ薬品会社が、アフリカで、難民を人体実験に使って、薬を開発しては、国連からの援助名目で、高く売りつけて、暴利をむさぼっているという事実を映画にしていた。 観ていて、アレ?こんなに 本当のことばかりを描いて良いの?CIAは介入しないのか?とびっくりした。 今回のブラッドダイヤモンドも、まことに本当の姿を描いている。それだけに、臨床感もあり、社会的に訴える力も強い。

映画を契機に アフリカの貧困は ダイヤ、石油、資源を吸い上げるアメリカを中心とした多国籍企業と、中間に介在する不正 腐敗した軍にあるということに もっと沢山の人々の目が注がれることを期待する。 マスコミのニュースでは内戦といい、アフリカ内部の紛争のように報じられているが、実際には石油、ダイヤ、鉱物の先進国主導の取り合い以外に戦争の理由はない。映画のなかで、デカプリオがいみじくも言う、「とっくの昔に神に見捨てられた土地」それがアフリカだ。

映画のなかで、アメリカ人 ジェニファー コネリーの報道陣としての良心は、ベトナムから帰ってきて、良心の呵責に苦しみ、新たな人生を生きるのに20年もかかった、父親にある。 一方、ダイヤモンドの密輸に手を汚す デカプリオは、アンゴラ紛争で、9歳のときに目の前で、両親を殺されている。

シエラレオーネの平和だった漁村で、漁師だったサイモンは、ある日、反政府軍に拉致されて、ダイヤモンド鉱山の採鉱夫にされてしまう。 そして偶然 希少価値の、数百カラットにもなるピンクダイヤモンドをみつける。 家族の命以外に何の価値も認めない、一転の曇りもない、お父さんとしてのソロモンの愛情の力が この映画のキーになる。 良心のもとであるコネリーのお父さん、父親へお喪失感に苦しむデカプリオ、家族のために何でもできる父性愛の塊のようなサイモン。3人の人間としての、真の価値が試される。 

腐敗した政府軍、さらに腐敗した反政府軍の子供狩り、残酷な少年兵教育、まわりをうろつく 沢山の先進国からのスパイ、ダイヤ密売人、国連軍、外国人報道団。 これらの物語は、1999年のシエラレオーネの話だけではない。今のスーダンであり、ソマリアだ。

レオナルド デカプリオの 演技を超えた演技がとても良い。アメリカンアクセントを捨てて、南アフリカンアクセント(ダッチイングリッシュ)で 役に徹底している。 この人、「タイタニック」、「キャッチミー イフ ユ ーキャン」、「アビエーター」最近では「デパーテッド」と、良い映画を主演して 大金をハリウッドにもたらしているのに、賞に不運で、無縁、何度もアカデミー主演男優賞を逃している。グラミー賞にノミネイトされたらしいが、今度こそ、なにか、この映画で大きな賞を取ってもらいたい。

2007年1月10日水曜日

映画 「フォーミニュッツ」


ドイツ映画「FOUR MINUTSU」(4分間)を観た。デンデイー、クレモンオピアムで、上映中。監督、クリス クラウス(CHRIS KRAUS)。

ピアノ教師と女囚、二人の女のお話。 80歳のピアノ教師に、モニカ ブレブリュー(MONICA BLEIBREU)、20歳の受刑中の女囚にハナ ヘルツプルグ(HANNAH HERZSPRUG)。

すさまじいばかりの個と個のぶつかり合い、自己主張と自己主張の衝突、強制と反抗、薄氷の上を歩くような仮の和解と、その後での、血みどろのぶつかり合い。観ていて ハラハラ、時としていたたまれない思いまでしながら映画を観終わった。

80歳のピアノ教師 トルーデイはクラシック音楽だけを愛して、長いこと刑務所付属の教会でパイプオルガンを弾き、受刑者にピアノを教えてきた。クラシック音楽以外の音楽をすべて、二グロ音楽といって、断固と拒否する差別主義者、レイシストでもある。若かったころ 一人だけ愛した人は、ナチスヒットラー政権下にあって、コミュニスト女性闘志だった。軍政下 密告を強制されて、最愛の女性を失なうという 罪深く、苦い過去から逃げられず、結婚もせずに、一人孤独に生きてきた。

20歳の女 ジェニーは幼いころから音楽専門家の父親に、抜群のピアノの才能を見出され、めきめき才能を伸ばしてきたが、家に帰れば 父親から性関係を求められる ゆがんだ家庭に育ってきた。母親はそれを知って、自殺。思春期に知り合ったボーイフレンドの赤ちゃんを妊娠するが捨てられ、その父親を殺した罪で、逮捕、受刑することになる。タフな女囚刑務所で生き残る方法は、無感情、無感覚になり、暴力で、他に負けない力を養うことでしか生存できなかった。他の女囚からのいじめ、そねみ、によるシゴキで ボロボロになりながら 手負いの虎のごとく 反逆していくジェニーの姿を見続けることがつらい。

自分が 一番の音楽理解者だと思い込んでいる 看守は、ピアノ教師の家を訪ねて 音楽を聴いたり、クラシックの話を聞かせてもらうことが唯一の楽しみだった。ジェニーがピアノレッスンを始めて教師の関心が移ったことが妬ましくて、許せない。ピアノ教師にこびへつらいながら、その後で、ジェニーを執拗に痛みつけ サデイステイックにいじめつける。

心を閉ざして生きるしかない者にとって、ピアノを弾くことが どんなに大きな意味をもっているか はかりようがない。音楽は、語りようのない体験をし、語るべき方法を奪われた者のためのものだ。ジェニーが口を閉ざし ベートーベンや、ショパンを弾くことによって、語られ表現される ジェニーの心の中は 自由への希求以外の何ものでもない。彼女の生命の叫びだ。

そのようなジェニーの音楽を、教師トルーデイは 生徒は従順でなければならない、態度が悪い、二グロのリズムは認めない、私に従うつもりならば、この手紙を食べてみろ、とまで、要求する。 抵抗、そして従順、反逆そして和解 を繰り返すなかで、教師トルードは 彼女自身の生き方 狭い刑務所での教師という権威に守られてきた彼女の偏狭な意識そのものが ジェニーによって 問いただされていく。コンペテイションにどうしても、ジェニーを出したいトルーデイに向かって、「ならば、これを食べてみろ」と、破った楽譜を差し出すジェニーを前に トルードの教えるものとしての本当の生きかたが問われる。

この映画は、人は生涯、学ばなければならない。何十年生きてきたとしても、どんなに経験が豊富でも、どんな権威を持ち、業績をもっていても、人と人は 等しく平等で互いに学びあうことができる、という、学問の真実を示している。

最後、ジェニーの 警官に包囲され銃を突きつけられながら、演奏する4分間のショパンの、パフォーマンスが圧巻。これを見せるためだけのために 監督はこの映画を作りたかったんだと思う。だから、この4分間の演奏を見るだけのために、この映画を観る価値がある。

2007年1月3日水曜日

映画 「バベル」


映画「バベル」を観た。
モロッコと、東京と、メキシコの3箇所で 同時に進行する それぞれ3つの物語が、実は 日本人旅行者が残してきた1丁の猟銃によってひきおこされる事件として全部が 関連してくる。見終わった後、思わず「だからいわんこっちゃない、成金日本人 世界中でトラブルの種ばらまいてくるんだから!」と言ってしまった。

ひとつの銃がモロッコの貧しい砂漠地帯で、わずかな草を求めて羊を移動させて生きる養羊家にとって 狼から羊を守るために必要な生活手段にもなれば、イスラムパワーのテロ嫌疑の元にもなる。日本人同様 金と暇をもち余し あれきたりのヨーロッパ旅行に飽きたアメリカ人は異国情緒を求めて古代遺跡のある砂漠にも、人里はなれた高地でもどこにでも行きたがる。そこが政治的に危険地域でも宗教的紛争地でもおかまいなしだ。そんな 電話もネットも通じない僻地を旅行する若い夫婦の心に安定はない。二人の子供との絵にかいたような幸せは、外観だけで、夫婦の絆は実にもろい。

東京で、昔 狩猟を楽しんだ後 猟銃をガイドにあげてきた男の妻は ろうあの娘を遺して自殺したばかりだ。娘は、大人になりかけているが、ろうあであるハンデイー、母に捨てられた気持ち、母を死なせた父への怒り、誰も、自分をわかって抱きしめてくれないという孤立感からぬけられない。

モロッコで銃による事故にあったアメリカ人夫婦の子供たちを世話しているメキシコ人家政婦は、息子の結婚式のために メキシコに帰らなければならない。夫婦の帰国が遅れて、ほかにだれも子供達を世話してくれる人がいないので、子供達を連れて、メキシコに帰る。行きは よいが 帰りが怖い。違法移民のメキシコ人が、アメリカ人の子供たちを連れて、アメリカに再入国する国境は 死を要求するほどに高い。貧しいメキシコ人移民の労働力なくして世界一豊かなアメリカ人の生活はありえないのに、何十年もアメリカで違法移民として働き、メキシコに残してきた家族の生活をささえてきた家政婦を アメリカ国境警備隊は法の名のもとに意図も簡単に見殺しにする。

バビロンの塔を 人は神のいる天にまで届かせようと,建てた。人間とは神を恐れぬ 愚かな生き物だ。神のいない人間社会では、誰一人として、幸せではない。いつも、死ととなりあわせだ。

現代社会を厳しく 切り取って見せた映画だ。良い映画だ。

ブラッド ピットも、ラリア人のケイト ブランシェットも 私の好きな俳優だ。三度のメシよりも演じるのが好き というブランシェットは、どんな端役でも 力を抜かずにきちんと演技していて好ましい。おととしのアカデミーで、主演女優賞を「アビエーター」で取ったのは 嬉しかった。 この映画の中で、キャサリン ヘップバーンの役をやったんだけど、身のこなしから、話し方、顔の表情まで オオー!!と思うほど 本物のヘップバーンだった。本当の顔は全然違うのに、映画の中ではで、へップバーンとしか見えない。これはすごかった。演技とはこういうことができるんだ、と感動した。ヒース レジャーとの主演で、ボブ デイランの一生を映画化する作品の撮影に入っているといわれている。楽しみだ。

2006年12月22日金曜日

映画 「テン カヌー」その2

「ものを創る人」の手を観ているのが好きだ。熟練した職人の手作業は芸術家を思わせる。糸を紡いで、機を織る人、壊れたものを修理する人、仕事をする人の手は一様に忙しく動き回り、美しい。

2006年オーストラリア映画祭で、アボリジニの作品「テン カヌー」が最優秀作品賞を受賞したが、この映画のなかで、アボリジニーが 道具をつくる作業が沢山出てくる。数人の男たちが樹の皮をはいでカヌーを作る。森に入った女たちが、コシの強い葉を編んで、入れ物を作り、採集した果物やイモをいれて運んだり、貯蔵したりする。若者たちが樹の枝で弓矢を作り、狩りをする。家族総出で樹の上に安全な家を作る。
そういった彼らの継承文化を見ていると、アボリジニーって 最古の人類として5万年前からやってきたことと、この映画で見せている200年前に彼らがやっていたことと、ほとんど変わっていないような気がする。
どの民族も、進化して道具を作り、村落共同体を形成して文化を形造ってきた。

「もの作る人々」と言えば、イランのマジット マジ監督による「赤い金魚と運動靴」原題「THE CHILDREN OF HEAVEN」を思い出す。これは10年程前に国際的に高い評価をされて日本でも話題になった名作だが、この映画の始まりが感動的だ。靴修理のおじいさんがお客である少年を前に 布製の古くてボロボロの赤い運動靴を修繕している。すりきれて穴の開いた小さな靴を丁寧にていねいに縫い直し 穴をふさぎ、しまいには 見事な手作りの運動靴が出来上がる。マジックを観ているようだ。この小さな 赤い運動靴は少年の妹のものだ。 物語はそこから始まる。そんなに手をかけて履けるようになった靴を 少年が大切に家に持ち帰る途中で、心ない人に盗まれてしまう。そのために妹は学校に行けなくなってしまうのだ。

子供の目から見た大人の社会の不理屈さ、不正、貧困、差別、、、今よりももっと言論の自由のなかったイランで正面から政府を批判できなかった 前衛映画監督が渾身の怒りをこめて創った作品だ。でも、わたしの目を奪ったのは 物言わぬ、この靴修理のおじいさんの あかぎれだらけの真っ黒で、大きな厚い手だった。この手をカメラで、じっと追うことで、この監督はものすごくたくさんのメッセージを発している。

また、話が飛ぶが、中国人映画監督、チャン イーモーの、「THE ROAD HOME」という映画があるった。 チャン ツイーという 今や「さゆり」「ヒーロー」などで国際女優になった女優の最初の映画。テイーンだったチャンツイーが 夏の朝に咲き始めた朝顔のよう、においたつように 美しい。 ここで、チャンツイーが片思いする学校の先生が、使ってくれたお茶碗が割れてしまって、泣いているのをみて、可哀想に思ったおじいさんが、粉々になったお茶碗を かけらを集めて膠でつけて、大変な時間をかけながら、張り合わせて、ちゃんと使えるように修理してくれるのだ。カメラがずっと 黙って、チャンツイーの目と一緒にそれを追う。仕上がって、チャンツイーのはじけるような 喜ぶ姿。この手作業が素晴らしい。もう本当に手品のよう。ひび割れた真っ黒な無骨なおじいさんの手が神の手に見えてくる。

こうして、人間は道具を作って、文化を継承して、社会を進化させてきたんだ、、、と、感動。 じーっと、自分の手をみる。おおっとーマニキュアが剥げかかってる。

2006年12月19日火曜日

映画 「テン カヌー」

映画「TEN CANOES」は、今年6月に観たが、この12月に、2006年 オーストラリア映画祭で最優秀賞を獲得、表彰式がおこなわれた。 初めての、アボリジニーの言葉による、アボリジニーの出演した映画だそうだ。

アボリジニーの年寄りによるナレーションに従って、物語が展開する。年寄りが若い成人したばかりの青年達に、カヌーの作り方や、家の作り方を練習させて、生活に必要な技術を伝えていく。話の中で、複数の妻を持つ実力者の、一人の妻が失踪し、人々は他の部族に誘拐されたと思い込み、相手方を殺してしまうが、これが誤解だったとわかり、実力者は、殺された仲間に復讐されて、殺される。年寄りは淡々と かつて あった事件の顛末を語り、正義のあり方を青年達に教えていく。というのがこの映画のストーリー。

監督は、PETER GJIGRR と ROLF DE HEER 。ヨーロッパ人が オーストラリアに定住する前の 先住民族の人々の生活のありようを描いた、という意味で、この作品には政治的なメッセージがこめられている。オーストラリア大陸が白人に占領される前の豊かな人々の暮らしぶりを映画にすることで、現在の白人優先、白豪主義のなかで、先住民族の文化が消滅していったことに、痛烈な批判をしている。

この監督は、自腹で映画を製作し、この映画を持って学校を回り、子供たちにアボリジニー文化を紹介して理解を深めようという地味な活動をコツコツとしている。良心のかたまりのような人だ。 映画撮影には人食いワニがウヨウヨしている河でおこなわれ、身の危険と隣りあわせだったそうだ。制作チームは4年前に「THE TRACKER」という映画を作ったのと同じチーム。このときの主人公の息子が今回の「テン カヌー」の主役で出演している。

「THE TRACKER 」は、白人警官によるアボリジニー虐殺がテーマで、やはりきわめて政治的メッセージがこめられた映画だ。サデイストとでもいうべき警官がアボリジニー集落を繰り返し攻撃、人々を虐殺するのを、警官のガイドのアボリジニー青年が神の名において警官を処刑するというストーリー。

ラリア映画で低予算ローカル映画の典型。でも映画としての完成度が低い割には、世界的に高く評価された。このガイド役のアボリジニー俳優、デビット ガルピルは、映画では 裸で素足、カーリーヘアに漆黒の肌で、典型的なアボリジニーの姿で出演したが、カンヌ映画祭に招待されて、タキシードで正装して 人々をアッといわせた。 とっても、素敵だった。現実には、彼はすごくもてて、女性問題とアルコール問題をずっとかかえていたらしい。

「テン カヌー」映画そのものは 詩情豊かで、すこし冗漫。しかし、こういう映画が手作りで、限られた予算の中で四苦八苦しながら、危険をおかしながら撮影されて、でもそれが きちんと評価される ということに意味があるのだと思う。世界中の先住民族が滅びつつある歴史の中で、政治的なメッセージが、きちんと伝えられ、受け止められいっている、ということが大切なのだと思う。

2006年12月13日水曜日

映画 「007 カジノロイヤル」


映画 ジェイムスボンドシリーズ新作「カジノロイヤル」を観た。 新しいボンド、ダニエル クレイグは、実によく走る。オリンピックの100メートルランナー、ベン ジョンソンのような美しいフォームで、命をかけて走ってばかりいた。それに、心から女を愛してしまうと、相手が裏切っていたと わかっても、まだ自分の心に忠実に相手を愛しぬく。そこが 今までのジェームスボンドと違う。2006年、やっと、鉄の男も、時代の流れに乗ってソフトに、本当の男の優しさを身につけてきたと言うべきか。

娯楽映画にあまり興味がなく、映画を 文学、物語、音楽、写真、舞台、舞台美術すべてを統合した、総合芸術ととらえ、根底は政治表明と考えてきた私には、映画を娯楽とは考えにくい。

しかし、イヤン フレミングのジェ-ムスボンドシリーズを読むのは。すごくおもしろい。彼の作品は推理小説、探偵小説、ハードボイルド すべてに大きな影響を与えてきた。小説の中の、ジェームス ボンドは、高学歴、上層階級出身で教養の高い、知識豊富で、マナーの良い、おまけに見かけもスタイルも良い、ユーモアのセンス抜群で、申し分のない男だ。心から英国女王に忠節を誓っているモナキストだ。 そんな いるはずのない良い男を映画にすると、ただの男で、がっかりするのは当たり前だが、人々をがっかりさせながらも、派手な格闘や、カーチェイスや、ガンさばき、ギャンブル、などで、大々的に映画館に観客を呼び込んできた。

チャッツウッド ホイッツ映画館に平日の朝 映画を見に行くと、広い 館内に私一人しか観客がいないときが よくある。ホラー映画をこれで観ると とても怖い。でも、ボンドの映画を見に行ったときは、平日朝なのに、他に30人くらい人が座っていたので驚いて、改めてボンドの人気を知らされた。

相手役のフランス人女優、エバ グリーンはとても美しい。その女に心底、惚れてしまい、スパイ稼業をやめて辞表をイギリス女王に送って、平民の暮らしをする決意をした、今回のボンドは、とてもよく走る。よく走り、良く跳び、よく銃を撃つ。ボンドのまわりを二重三重に取り巻いてモンテカルロのカジノで稼いだ金を奪い合うボンド以外の男達は、みな金のために生きている。ボンドは その金がイギリス王室の金であるから、いくら人を殺しても、何台 車を壊しても、いくつビルデイングを崩壊させてもいくら女を捨てても 良い事になっている。そのライセンスが007だ。 このシリーズはいつも ボンドがにっこり笑って、終わってくれるから、安心してみていられる。

しかし、こういう単純な映画が 単純な人たちに ただボンドが良いヤツで、東欧系、ロシア系スパイ、中東系ギャングは、皆、悪いヤツという図式で、インプットされてしまうと現実社会で、アルカイダとかチェチェンレベルと聞くと 偏見とか嫌悪感をもってしまって ちょっとまずいのではないだろうか。 そう思いながら、映画館からの帰り道、どうしてか、、、どうしても車のスピードを落とせず、カーブは、ギャギャギャーっといわせながら、ブワーン と爆音たてて アクセルめいっぱい踏んで、走って帰ってきてしまった。私も単細胞なので、ボンドが乗り移ってしまったのね。 

2006年12月3日日曜日

バレエ 「REVOLUTION」



オーストラリアバレエを観に、オペラハウスに行ってきた。 演奏は、オーストラリア オペラ バレエ シンフォニー。題は、「レボルーション」、3部に分かれて、それぞれにインターミッションが入る。

第一部は、「LES SYLPHIDES」妖精の踊り。 クラシックのなかの一番のクラシック。本当のバレエの真髄というべきか。18人の妖精と、王子様。ただただ 夢のように美しい。 18人の妖精が18人とも それぞれの指先からつま先 あごの線まで、訓練された体の動き、ゆき届いた神経、一つとして、無駄の無い洗練された踊り。フレデリック ショパンの曲に乗って トウシューズのトットットッ という乾いた音が聞こえる。文字どうり妖精、人と思えない。トウで立ち、トウで、飛ぶ、張り出した弓なりになった足の甲をささえる足指の痛み。変形した爪、血のにじむ爪のきわ、、、バレエは人が人をこえようとする痛みのうつくしさ。何百年も バレリーナは こうして人を超えようとしてきたのだ。

第2部は、「LE SPECTRE DE LA ROSE」 初めての舞踏会から帰ってきた少女が 持ち帰ったバラの花が、少女が眠っている間に、バラの精になって、踊りだす。素晴らしい跳躍力の男性のダンサーと、可愛い少女のデュオ。

第3部は、「シェーラザード」 アラビアンナイトのお話。19世紀のロシアの作曲家、ニコライ、コルサコフの交響曲シェーラザードの曲にあわせて、踊る。 王様 シャイヤーが狩りに行っている間に 妻のゾルベイデイは、ハーレムの 黄金に輝く、男奴隷の美しさに負けて、愛欲にはしる。他の奴隷達も はめをはずして、愛欲に呆けている。と、王様が突然、帰ってきて、怒り狂い、一人残らず奴隷を切って殺してすてる。それを見た妻は短刀で、自害するというストーリー。衣装も 舞台も美しい。アクロバテイックな 素足の踊り。 でも私はクラシックバレエで、トウを使わない踊りは好きではない。

アラビアンナイト 千夜一夜物語を知っているだろうか? 船乗りシンドバットの冒険や、アリババと46人の盗賊 などのお話はみんな お姫様のシェーラザードから王様に語りきかされたお話だ。 浮気な妻に裏切られ、人を信じられなくなった王様は毎晩、床を共にした妻を 朝になったら切り殺し、次の妻を迎える。 賢いシェーラザードは これ以上若い女性の命を無駄にできないと考えて、自分から妻を志願して、王様と床を共にして、ゾクゾクするような おもしろいお話を 毎晩話して聞かせた。そのお話が余りにおもしろいので、王様はシェ-ラザードに夢中になって、殺すのを忘れ、ついに人を殺してきた自分が悪かったと悟り、シェーラザードを正式の妻として新たにむかえて、自分は立派な王様になる。めでたしめでたし。  これがアラビアンナイトのシェラーザードのお話だ。

このモチーフに素晴らしい曲をつけたコルサコフは、 バイオリンの美しいメロデイーは、シェラザードが 王様にお話を 語り聞かせているところ。 その音をかぶせるようにトランペット、バスーンが わめくところは、王様がわがままを言っているところ。という風に曲の中で、二人に会話をさせている。 そういうことを知って、このバレー音楽を聴くとクラシックも、一段と楽しく味わうことができる。クラシックミュージックと、バレエの組み合わせはいつも 私を魅了させる。

2006年11月30日木曜日

映画「デイーセント」


映画「DESCENT」を観た。 ホイッツ各映画館で、上映中の、イギリス映画。 DESCENT は降りるとか下降するという意味。逆はASCENT。 「エイリアン」以来の 恐怖映画の再来と言われている。分類では、スリラーホラー映画ということになっている。

6人の仲良し女性グループがアメリカのなんとかいう山脈にある洞窟に探検に入る。
ちょうど1年前にこの冒険仲間は カヌーで河くだりを楽しんでいた。その帰途に、そのうちの一人、サラは、交通事故に会い、夫と娘を同時に亡くした。彼女は 一年たっても そのショックから なかなか立ち直れない。こんなサラを元気つけるためにも、仲間同士6人で、冒険旅行を誘い合ったわけだ。 女の子達はみな、ロッククライミングの技術を見につけていて、洞窟の中にどんどん降りていくテンポも早くて、小気味良い。チームワークも良く、そろって洞窟の奥深く 入っていく。

そのうちに、洞窟のずっと奥深くから、サラは亡くした子供が 自分を呼ぶ声を聞く。声に従って 奥へ奥へと入って行ったサラは、地図にない道を見つけて、皆を呼ぶ。それを、図に乗っておもしろがって行ってみようとする 一人のお調子者が先へ先へといってしまい、穴に落ちて膝のところで、上腿骨が飛び出す様なひどい複雑骨折をするのだけど、5人でそれを元に戻してしまうような荒治療で 添え木で歩けるようにしてしまうところがすごい。

でもそのころには、来た道が崩れて、元にもどれなくなっていることに、皆 気がついてパニック状態になる。と同時に どこからともなく現れたエイリアンに一人一人と襲われていく。エイリアンがどんな姿をしているのか 暗い洞窟のなかで よく見えないのに、ギャーという音がすると、一人また一人と 仲間が血だらけになって、食べられていく。音響効果と、洞窟の中にとじこめらて逃げ場がない映像効果で、ものすごい恐怖感!!

次々に仲間が襲われて、生き残ったのは、瀕死のサラの親友を含めて3人だけになってしまった。そんななかで、サラは 死ぬ寸前の親友から、残った仲間を信頼してはいけない、彼女はサラの夫と愛し合っていた、と知らされる。仲良しだった仲間が、次々と、ひどい殺され方をしていって、たった2人、生き残ったのに、一人がサラを裏切って夫の愛人だったと、こんな生死のギリギリのところで、知ることになるなんて、、、DESCENT していった6人がASCENT を夢みながら、夢尽きて、死んでゆく残酷さ。この映画はホラーといわれながら、優れて、人間ドラマになっている。そこが、ばかみたいな思想のないハリウッド映画と違うイギリス映画のゆえんだろう。

むかし、冒険家といわれる、オウダンさんという若者がよく家にきて、家族と食事しながらいろいろな話をしてくれた。日大の探検部を主催していた。彼は常にサバイバルテクニックを磨いていて、自衛隊の潜水班で、活躍したあと、海外建設プロジェクトに関わって東南アジア国々に飛んでいった。彼は、山に篭り、洞窟に一人、潜入して、光のはいらない奥深くの滝の底を潜っていくような、ゾクゾクするような 冒険話をよく聞かせてくれた。洞窟奥深くでは、視力が役立たないので、生物はみな 目が退化して、目のない魚や 目のない蛇や、えたいのしれない生き物が沢山いるんだよ。といっていた。
それで、この映画の予告編を観たとき、わー!! これは、みなくちゃあと思っていた。私は泳ぎも、潜るのも、岩のぼりもできないけれど、その臨場感だけでも、映画を通して、味わってみたかったからだ。

それで、映画を観て感じたことは、、、怖いのは、化け物ではなくて、人間自身だということだ。スリラーとかホラーとか、エイリアンとか、お化けとかいうけれど、人間はそれ以上に充分怖い存在だ。人は平気で信頼している人を裏切り、それを隠し続けて、平然としていることもできる 化け物以上の怖くて悲しい存在だ。

それと、サラを地中の奥へ奥へと呼び込んでいった死んだはずの子供の声、あれはなんだったんだろう。子供を亡くした母親の潜在的な自殺願望ではなかったのか?なぜなら、自分の子供を亡くす事以上の 耐え難い悲しみは 他にはないだろうから。 

いろいろな意味で、この映画は、怖いけど、ホラーではなく、正しくヒューマン映画だった。

2006年11月9日木曜日

映画「父親達の掲げた星条旗」


昨年、「ミリオンダラーベイビー」でアカデミー映画監督賞を受賞した、クリント イーストウッド監督の映画、「FLAGS OF OUR FATHERS」を観た。各地 ホイッツで上映中。

この映画は、1945年日米太平洋戦争の、硫黄島が舞台。
血を血で洗うような激戦の後に、若い兵士達が、硫黄島中央の茶臼岳の頂上にアメリカ国旗を立てたのは、ヒロイズムとちょっとした 茶目っ気の兵士達がやったことだった。それを見た軍の上層部が これはアメリカの良いプロパガンダに使えると考えて、カメラマンを連れて、別の兵士達に、最初に立てた旗より大きな旗を立てさせて、写真を撮る。

このときに撮影された、、6人の兵が山の頂上に国旗を掲げる写真は後にピュリツアー賞を受賞し、アメリカ中の 愛国心を燃え立たせ、破産しかけた軍に資金を提供することになった。 その後も厳しい戦闘が続き、このときの仲間は次々と死んでいく。 国の軍資金が欠乏する局面になって、生き残りの3人は、属していた隊からはずされ、故国に戦争のヒーローとして、帰還して、全国を講演してまわり、軍資金を集めることに利用される。 しかし、この3人は、仲間の屍を踏み越えて山頂に到達し、最初に旗を立てた仲間は その後の戦闘で死んでしまっていることや、自分達が写真撮影用の役者でしかなかった にも関わらず、全国どこに行っても、ヒーローとして熱烈に受け入れられるといった、ギャップに苦しむことになる。

とくに3人のうち、ひとりは、先住民族インデアン出身で、人々からヒーローとして、歓迎されながらも、先住民族の誇りと、アメリカ軍人としての相反する誇り、国を代表して英雄になった喜びと、本当は旗を立てて、死んでいった人々が英雄で、自分ではないという罪悪感から、逃れることができずに、酒びたりになってしまう。
戦争が終わって、彼は農場で、雇われて働らき始めるが、ある日 突然 銃の暴発で死ぬ。事故だったのか自殺だったのか、誰にもわからない。

もう一人のヒーローは、英雄視されていた間は、調子に乗って有頂天になっていたが、人々の熱が冷めて、忘れられてしまうと、ただの、時代の波に乗り遅れた 無学無能の男にすぎなかったことを知らされる。昔、出会った人をつてに、職を探すが、なんの特技も才能もないまま、掃除夫として生きていく。

3人のうち、最後のヒーローは、誰にも戦争のことは、いっさい 語らず、家庭をもち、平凡な人生を終えようとする。しかし、心臓発作をおこし、死ぬ直前に息子に この戦争で、自分が体験したことを、語って聞かせる。  彼は言う、「戦争に英雄なんて、いやしないんだ。それを必要とする人が勝手に作り出しているだけなんだよ。」と。
戦争に良い戦争の悪い戦争もない。正義の戦争も誤った戦争もない。ただ、大量兵器の消耗と人命損失があるだけだ。

ビュンビュン弾丸が飛び交い、大砲が鳴り、激しい戦闘で、手足や首が ちぎれて、飛んできたり、腸がはみ出したり、残酷なシーンが続くが、どこかで、こんなシーンみたような、、、そう、「SAVING PRIVATE RYAN」にとてもよく似ている。 あの ノルマンジー上陸シーンを見たとき、戦争のリアリズムを極限まで、追求している と思った。以来、この映画を超える戦争映画はなかった。クリント イーストウッドも同じこと考えたんだ。

イーストウッドは良い俳優だったが監督としても良い。私が子供の時は、毎週日曜日テレビの「ローハイドー」で、カウボーイ姿のイーストウッドを見て育った。青春時代は、ダーテイーハリーのキャラハン警部。彼の映画史は私の歴史でもある。

この映画はアメリカ側から見た硫黄島の激戦史の一コマだが、今度は、日本側からみた物語を「硫黄島からの手紙」という題で、映画を制作発表するそうだ。現在、編集中。 二つの映画を総合して歴史を検証しようという試み。と、言うから、こちらも観なければならない。宿題がまだ残っている。