穂高、槍が岳、立山、剣岳、白馬岳、八ヶ岳、谷川岳。無限に広がる抜けるような青い空。
山は良い。山は清潔だ。乾いた風、岩と岩と岩。
1970年初めブント(共産主義者同盟)に関西から塩見孝也氏が、一片の文章を持ち込んで、ブントは真っ二つに分かれた。大事な人たちは獄中だった。現状分析が間違っている、と言っても仲間の多くがそちらに行ってしまった。それ以上に悲惨だったのは、残った者たちが方針が違うだけで更に2分解3分解したことだった。昨日隊列を組んだ仲間が、拉致され凄惨な暴力を振るわれる。血を血で洗う内部抗争に、査問もスパイ容疑も自殺者も出た。政治本来の暴力性というだけでは説明できない、この時代を生きた者たちは、この罪の重さから逃れられない。
学生運動を何よりも軽蔑し活動家を嫌っていた山岳部の先輩は、私が山の行程表を持っていくと、黙って丁寧に見てくれた。その人は、自分の登山靴の踵を雪の斜面に直角に立てて、数百メートルの雪渓を一気に滑降する伝説の山屋だった。
山にはいつも単独で行った。山はいつも大手を広げて向かい入れてくれた。雪渓や稜線を歩くから山焼けで顔が埴輪のように赤く腫れあがって、鼻から皮が2枚3枚とむけてくる。会う人はギョッとするが全然気にならない、お構いなしだった。
山は生きている。太古以来降り積もった雪が雪渓を作り、雪の底から氷河を形作り厚い氷の下では氷の塊が動き回っている。太古の雪も呼吸しているのだ。
剣岳の三ノ窓、小窓雪渓、立山の御前沢氷河、白馬岳の大雪渓、杓子氷河。その雪渓を吹き渡る乾いた冷たい風が蘇ってくる。
地球が温暖化しなくても、CO2が上昇しなくても気温が上がれば氷は溶ける。重い氷を乗せた岩は重さで崩れる。雪崩も山崩れも自然の動きだ。人は山を征服することはできない。人は自然を懐柔することなどできない。
連日、報道されるネパールチベット国境での氷河崩壊は、死者1200人、行方不明4000人という大規模な災害となった。私の職場にも30人ばかりのネパール人移民が働いていて、友達を失った人も居て胸が痛む。
山は太古の時代から空に向かってそびえ立ち、人に生命の源である水を与えてきた。どんなに科学技術が発達しても、人は山の形を変えることはできない。空を人の力で覆い隠すことも、できない。アイアンドーム、ミサイル迎撃防空システムなど、作り話だ。砲撃ミサイルで自国の空を、敵国の空から守ることなどできない。 軍拡の愚かさを人はいつになったら気付くのだろうか。