2019年2月11日月曜日

チャイニーズオペラの夕べ

2月5日はチャイニーズニューイヤー正月だった。
新年のお祝いイベントの一環としてチャッツウッド市民会館、コンコースでチャイニーズオペラを上演したので行ってみた。香港から、役者一行と共に、指揮者のジョン クリフォードと、パーカッションなどの楽士達が来豪して公演が行われた。
チャイニーズオペラは一つが3時間以上の長いものだそうだが、今回の公演では、二つのオペラのハイライト部分だけが公開された。

演題:「STOPPING OF THE HORSE」
   「FATAL ATTRACTION」
舞台は背景を描いた舞台に机が一つ、椅子が一つという具合にしごく単純。役者達は、白塗りの顔に女性は目から頬にかけて濃いピンクに塗り、結い上げた髪には豪華な髪飾りをつけて、長衣のドレスを着ている。男性は眉毛が太く、10時10分くらいに眉を吊り上げ、髪にはこれまた豪華な髪飾り、美しい衣装に先のとがった布製の靴をはいている。

舞台に役者が登場すると、ものすごくけたたましく、騒がしい鐘と太鼓が鳴りだす。また役者が型を決めるたびに、激しくジャンジャン鐘が鳴り、ドーンとドラが鳴り、ドラムが叩かれる。高音のせりふはインを踏んだ歌のようであり、胡弓とともに謡われる。

「STOPPING OF THE HORSE」では、馬に乗って旅をする美しい娘が、一軒の茶屋で休憩する。給仕の男は旅人の美しさに見とれて、何かと話しかける。彼女を油断させて、お茶ではなくお酒を飲ませようとするが、そんな男の下心に彼女は乗ってこない。旅人と給仕の男とのひょうきんな歌のやり取りと、男のアクロバットが笑わせる。男は飛んだり跳ねたり、一つの椅子でバランスを取って椅子の背に立ったり、椅子を転がしたりしながら旅人の気を引こうとする。最後には、二人は親戚の従妹同士だったことが分かって、二人して旅して故郷に帰ることにする。楽しい曲芸と歌と踊りが見られる。

「FATAL ATTRACTION」は、娼婦だった薄幸の美女が、望まれて結婚したが、相手は獣のような姿で醜いうえに、人情もない男だった。それに相反して、夫の弟は美男子で力強く、社会的にも成功した立派な男だ。不幸な妻は、一目でこの弟を愛してしまう。男の方も兄の妻に魅かれる。やがて妻は惨めな夫との生活に耐えられなくなって、遂に夫を毒殺する。兄の死の知らせを聞いて、弟がやってきて心惹かれる女の愛の告白を聴く。女は自分を殺しに来た男の気持ちを変えて、男を自分の思いのままにしようと、様々な誘惑を仕掛ける。夫の葬儀のために白い服を着ているが、途中でそれを脱いで真紅の服になって男に迫る。彼女の服の袖は3メートルくらいの長い袖で、それをクルクル巻いたり、投げたりしながら踊って見せる。新体操のリボン競技のようだ。兄の妻に心を残しながら、弟は自らの剣で女を切り殺す。苦渋の選択だったが、復讐が達成された。

二つのオペラ、それぞれ高音の唄が美しい響きで、楽士達のドラや鐘は限りなく騒がしく、とても楽しんだ。実際初めてチャイニーズオペラを観るまで、オペラには男優も「女優」もいることを初めて知った。日本の歌舞伎の様に、「男優」ばかりで女形を男優が演じるものと思っていたのだ。おまけに「北京オペラ」と、「広東オペラ」とは違うものだと言うことも、現物を見に行って初めて知った。無知とは恐ろしいものだ。

私が観たのは香港からきた「広東オペラ」で広東語で演じられる、ユネスコから人類の無形文化遺産として登録されていた14世紀から17世紀から伝えられているオペラだった。香港文化博物館には、この広東オペラの衣装や歴史が常設展示されているそうだ。
もう一方のオペラは「京劇」と一般に呼ばれる「北京オペラ」だ。こちらは言語が異なって、カントニーズではなく、マンダリンだ。この二つの言語は、全く異なっている。同じ中国語などと言って混同してはいけない。日本に居る人にはわかってもらえないし、私も違いが聞き取れないが、国際人である娘たちはカントニーズとマンダリンをきちんと聞き分ける。

紀元前から爆弾を作り、文字を印刷してきた3000年もの高い文化を誇る中国民族と、過去100年間英国領で民主主義を身に着けブリテンのパスポートを持っていた香港人とは、言語も文化も人種も異なる。共にものすごく誇り高い人々だ。広東オペラと北京オペラの違いを知らずに、オペラを観に行った私は中国人の友人と行かなくて一人で行って、知らず知らずのうちに「地雷」を踏まずに無事帰って来られて良かった。帰ってきてから自分が見たのは、ユネスコ人類無形文化財の広東オペラの方だった、と知ったのだ。

チャイニースオペラに興味を持った切っ掛けは、チャン ガイゴー監督の映画「さらばわが愛;覇王別姫」(FAREWELL MY CONCUBINE)1993年作品だ。
これは捨て子だった少年:程蝶衣(チェン デイエー)が、京劇の女形役者となり、彼を子供の時から支えて来た男役の段小楼(ドアン シャオロー)と組んでオペラ「覇王別姫」を演じるが、二人は互いに愛情と憎悪と嫉妬に苦しむというお話。女役をレスリー チャン、相手役をチャン フォンイーが演じた。この映画の中で、二人が繰り返し演じるオペラ「覇王別姫」は、武将で王様の項羽と、その愛人虞美人(ぐびじん)の悲劇だ。

項羽は紀元前200年ころ、秦末から楚漢戦争の頃の武将で、自分の10万の兵と共に、劉邦の率いる30万の漢軍に囲まれて、「四面楚歌」(しめんそか)となり(四面楚歌とは項羽が四方敵に囲まれたこの史実からきている)、囲いを突破して逃れるが、戦いに敗れて殺される。このとき項羽の愛人の虞美人は項羽の足手まといにならないように自ら項羽の剣で自殺する。その後、項羽を破った劉邦は 漢王朝を築き400年間政局の安定を図る。
美しかった虞美人のはかない人生をオペラにしたものが、この「覇王別姫」だ。ちなみに虞美人草(ひなげし)の名前はこの美女からとってつけられたものだ。

紀元前200年の美しかった女が、花の名前となり、オペラとして現在まで伝えられてきた。虞美人の自死のシーンでオペラの観客は泣かされるが、チェン ガイゴーの映画の中でも、虞美人の役を演じたレスリー チャンは、チャン フォンイーの剣を奪って彼の目前で自死する。生涯たった一人の男を愛し続けた女形役者の哀しい結末だった。いつまでも心に残る映画だった。
新年に、チャイニーズオペラという、とんでもなく古い伝統文化に触れて、楽しむことができた。こんな贅沢を、現代に生きる自分が享受できることが何よりも嬉しい。

2019年2月10日日曜日

レバノン映画「存在のない子供たち」

映画:CAPHARNAOM (アラビア語でカオスの意)
レバノン映画
邦題:「存在のない子供たち」
監督:ナデイン ラバキ
キャスト
ザイン アル ラフェア:ザイン
ヨルダノス シフェラウ:ラヒル (エチオピアの母親)
ボルワテイフェ バンコール:ヨナス (ラヒルの赤ちゃん)
カウサー アル ハダト:ソウド(ザインの母親)
ファディ カメルヨセフ:セリム(ザインの父親)

2018年カンヌ国際映画祭パルムドール審査員賞受賞
2018年アカデミー賞外国語映画賞候補作

ストーリーは
ベイルート。子だくさんのレバノン人家族が小さなアパートで暮らしている。父親に定職はなく、母親は、違法ドラッグを刑務所にいる男に差し入れして利ザヤを稼いでいた。小さなアパートに7人の子供たちが折り重なるように眠る。そして早朝から子供達は小さな体で大人顔負けに働かなければならない。12歳のザインは スクールバスで同じ年頃の子供達が学校に行く姿を横に見ながら、自分の弟達や妹たちを連れて、野菜から作ったジュースを道端で売ったり、商店の配達を手伝ったりして僅かな賃金を得る。

ある日仕事を終えてアパートに戻ると、にわ鶏が何羽か届いていて、14歳になったばかりの姉が口紅をつけ化粧して中年の男の前に座らされている。ザインは怒って、姉の口紅を落とそうとするが、姉はすでに親に売られていくことを覚悟していて、ザインの抵抗を避け別れを告げて去っていく。

ザインは1歳年下の妹と特別に気が合って可愛がってきた。妹もザインを頼りにしていて、いつもザインの後をついて歩いている。ある朝ベッドに血痕をみつけたザインは、妹を洗面所に連れて行き、汚れた下着を洗ってやりながら、どんなことがあっても起こったことを親に言わないように命令する。そしてマーケットから盗んできたパッドを妹に渡して、汚れたパッドを家のゴミ箱に捨てないように、誰にも見つからないように捨てるよう言い渡す。ザインは妹を連れて家出する計画を立てる。しかし、間に合わなかった。バスで逃げる手配をしている間に、マーケットでいつもザインの母親に色目を使っている商店主が、ザインの宝だった妹を連れ去る。妹は、ザインに助けを求め泣き叫びながら連れ去られた。ザインはたった11歳の妹を、わずかな金で売り渡した両親に絶望して、妹と乗って逃げる筈だった長距離バスにひとり乗る。目的地などない。下りたところは遊園地だった。そこで仕事を探して回るが、大人たちは誰も相手にしてくれない。

遊園地で掃除婦をしているラヒルは、腹をすかせたザインを見るに見かねて食べ物を与える。彼女はエチオピアから密航してきた違法難民で、生後1歳に満たない赤ちゃんを育てている。遊園地で働く間、バスルームに赤ちゃんを隠していて、職場の行き帰りは荷物カートで赤ちゃんを人目に触れないように連れて帰り、人にわからないように育てていた。遊園地で寝泊まりし、飢えていたザインを彼女は家に連れて帰り、赤ちゃんの世話を頼む。ラヒルはスクウオ―ターのような小屋に住んでいて、赤ちゃんが居ると分かると居られなくなるので、ザインは赤ちゃんを泣かさないように、外にも出ないようにしてミルクを飲ませ、おむつを替えて、退屈して泣かさないように世話をした。

しかしある日、ラヒルは違法労働者狩りにつかまって警察署に連行される。ザインは赤ちゃんを連れて遊園地やラヒルの知り合いのところを探し回るが、彼女の行先がわからない。商人は、赤ちゃんの世話に手を焼くザインの様子を見て、赤ちゃんを売らないか、ともちかける。ザインは家に戻り、昔母親がやっていたように違法ドラッグを手に入れて、それを薄めて売り、小金を作り赤ちゃんを食べさせていく。しかし家賃を入れていなかったので、ザインと赤ちゃんは家を追い出されてしまう。家を失い、ザインは、赤ちゃんを自力で育てていけなくなって、遂に商売人の処に行く。イエメンの金持ちが子供を欲しがっている、と言われて赤ちゃんを置いて去る。そこでザインは同じストリートチルドレンが、身分証明書か、パスポートがあればスウェーデンに移住できると言うのを聞いて、身分証明書を取りに、二度と帰らないつもりだった家に戻る。

迎えた両親は激高して、ザインを罵倒し殴る。身分証明書が欲しい、生まれた時の病院の証明書が欲しいというザインに向かって、両親は子供のために病院になど行ったことがない。たくさんの子供の生年月日などいちいち憶えていないし知らない、と言ったあと、父親が、病院に行ったのはザインの妹だけだ、と口を滑らせる。商人に売られて、ザインの助けを求めて泣き叫びながら去っていった11歳の妹は、買われた商人の言うままにならなかったため、食べ物を与えられず、鎖に繋がれ、餓死同然で病院に運ばれて死んだのだった。ザインは、とっさに包丁を握ると商人の店に向かって走る。

刺された商人は車椅子生活者となり、12歳のザインは傷害罪で5年の懲役刑を言い渡される。ザインは法廷で、裁判長に求められるまま発言する。「僕は両親を訴えたい。人は尊重され、愛されるために生まれて来た。生まれてきた子供を育てられないならば、親は子を産むべきではない。」ザインは、どうして両親を訴えるのかと裁判長に問われて、「何故って ぼくは生まれて来るべきじゃなかったからだ。」と答える。
というストーリー。

カンヌ国際映画祭で映画のあと観客が総立ちで、15分間拍手が止まなかった、という話の通りのパワフルな映画だった。12歳の子供の口から出る正真正銘の「正しい言葉」のパワーに取りつかれて、映画の後もしばらく立ち上がれなかった。
「自分は12歳の今まで親から尊重されもしなければ、愛されもしなかった。生まれてきたこと、そのものが間違いだった。自分は罪を背負って生まれて来た。大人は生まれて来た子供を育てられないならば産んではいけない。育てられない子供を産んだ両親は罪に問われ、罰せられるべきだ。」子供が自分の身をもって証明した正論を、泣きじゃくりながら言うでもなく、叫ぶように訴えるでもなく、達観した哲学者のように淡々と裁判長に向かって言う子供の姿に胸がつぶれる想いだ。

一人としてプロの役者が出演していない映画。みな撮影場所の近隣で、普通の生活をしていた市井の人々を使って制作した映画。ザインの役を演じた12歳の少年の名は、本当にザインと言う名で、レバノンに住むシリア難民、8年間難民キャンプで暮らした少年だそうだ。フイルムは12時間の長い作品だったが、それを2年間かけて2時間半の作品にしたという。資金のない独立フイルムのため、制作者カルド モザナールは、自分の家を抵当にいれて映画製作をした という。パルムドールに選ばれたカンヌで、この映画の女性監督、レバノン人のナデイン バラキは、流暢なフランス語でアラブ世界に住む女性として、これからも女性の人権問題や貧困について発言していかなければならないことが多いが、ひるんではならない、と立派なスピーチをした。

子供がひどい目に遭うということが、この世で一番許せない。世の仕組みも、金融資本家が人を牛耳り、トップ26人の超富裕層が全世界の総資本を独占している現状も、軍需産業が肥え太るために、世界各国に戦争の火だねを故意に撒き散らしていることも、全く知らずに生まれてきた子供たちが、自分達は何の罪もないのに飢え、殺され、ひどい目に遭うことが許せない。12歳の子供が、親から違法ドラッグ造りを強制されたり、配達を命じられていった先でレイプされそうになったり、理由もなくぶん殴られたり蹴られたりしても、ザインは決して泣いたりせず超然としていた。その子がエチオピア人の掃除婦に拾われて赤ちゃんの世話を任されて信頼感が生まれていたときに、彼女が家に戻ってこない。再び自分が棄てられたと思って、少年は初めて泣く。このシーンが哀しくてたまらない。そんなザインが決して自分とは赤の他人の赤ちゃんを捨てようとせず、懸命にミルクを手に入れて、働いて金を作り赤ちゃんを育てようとする。この映画の批評に、シーンごとに泣きます、と書いてあったが、本当。うなずける。ワンシーンワンシーン、しっかり泣かされる。

映画の中でザインは一度として、文字通り一度として笑顔を見せなかった。しかし、彼の画面いっぱいの笑顔で映画が終わるのだ。刑務所の中で身分証明書が作られる。あなたには戸籍も身分証もなかったけど、やっとお望みの身分証明書が作られるんだから、カメラに向かって笑って、と係官に言われて初めて見せるザインの笑顔の何と、今にも壊れそうなデリケートで、やわらかな少年の笑顔、、、。そこに低音で響くチェロの独奏が流れて映画が終わる。
自分は世界一惨めで悲しい子供時代を送ったと思い込んでいるわたし、、、映画館の暗い座席でひとり身を沈めて、12歳の少年の心に共鳴して、ずっと泣いて居りました。少年の笑顔が消え、チェロの音が終わって、館内が明るくなって、掃除のお兄さんが掃除を終えて、再び電気が消えて、その後しばらく別の映画はかからないらしくドアが開いたまま暗い椅子で、やっと涙を拭いて立ち上がり出ていくまで,声をかけずに黙って待ってくれた掃除のお兄さん、ありがとう。
この映画、アカデミー外国語映画の候補作品だが、きっと賞を取ると思う。

2019年2月3日日曜日

クリントイーストウッドの映画「運び屋」

原題:「THE MULE」
(MULEは、ロバとか頑固者の意)
製作監督:クリントイーストウッド      
キャスト
クリント イーストウッド:アール ストーン
ブラドリ クーパー   :麻薬取締官
ローレンス フィッシュボーン:麻薬取締局長
ミカエル ぺニア    :麻薬取締官
ダイアン ウィ―スト : アールの妻
アリソン イーストウッド:アールの娘

ニューヨークタイムスのサム ドルニックによる「90歳のドラッグ運び屋」という記事で広く知られることになった、実際にあった事件をイーストウッドが映画化した。90歳のアールの役を、88歳のイーストウッドが演じている。イーストウッドは、第二次世界大戦の退役軍人で、ユリを栽培する園芸家、しかも犯罪歴のない60年間模範運転手だった老人が、コカインの運び屋として10年余り働いていたという、その人生に興味をもって、映画にしたのだと言っている。イーストウッドの言うように、アールと言う人は、誠に興味深い人で、コカインで作ったお金を、子供病院に寄付したり、退役軍人の施設の改築に使用している。76歳で運び屋を始め、月に250キロのコカインをメキシコからアリゾナに運び、逮捕され刑務所に入って間もなく亡くなった。
この映画がイーストウッドの最後の主演、監督映画になると、新聞で報じられたが、インタビューで、彼は肯定も否定もしていない。人に「これが最後の作品になりますね。」と言われて、「そうかもしれない」と答えただけで、自分では引退なんて言ってないよ、と笑っていた。嬉しいことだ。

ストーリーは
インデイアナ州 ミシガン市
アール ストーンはミシガン湖のほとりにユリの花を栽培するファームを持っていた。何人もの農夫を雇い180種ものユリを栽培し、新種のユリの育成にも成功していた。園芸科の間でもアールのユリは、いつも一番の人気を保っていた。アールの生活は、手間のかかるユリが中心で、妻や娘のことに構うことがなかった。ユリの花は最も短命で、手を抜くとすぐに枯れてしまう。ユリの品評会に気を取られていて、一人娘の結婚式に出るのを忘れたときは、さすがに慌てたが、娘はその日以来二度と父親と口をきこうとしない。妻もアールを責めたてるばかりで家から離れて、ファームに住むアールは、事実上別居、離婚状態になってしまった。

時が経ち、2000年代になると一般に園芸熱が冷め、ユリの球根も売れなくなリ、ビジネスが立ち行かなくなってしまった。すでに76歳になっていたアールのファームは、差し押さえとなり園芸ビジネスを畳まなければならなくなった。
ファームからトラックに家財道具をすべて乗せて自宅に帰ると、妻は口汚く夫を責め、娘は険悪な顔で相手にせず、家族は他人扱いで家に入れてもらえない。仕方なくアールはトラックで、立ち去る。

彼の新しい職場には、60年間無事故だったという模範運転歴を買われて、雇われた。雇い主は、何やら見るからに怪しげな男達だが、言われた通りにニューメキシコから荷物をトラックに載せて、言われたモーテルに配達する。始めは何を運んでいるのか見当もつかなかったが、じきにコカインだとわかる。知らないうちにドラッグマフィアの片棒を担いでいたのだ。犯罪組織は、アールのことを、タタ(おじいちゃん)と呼んでいて、次第に親しくなっていった。模範運転手の年よりを、運び屋だなどと誰も疑わない。麻薬捜査官の目をかいくぐって仕事は順調だ。
しかし犯罪組織が仲間割れして、親しかったボスが殺される。そんな取り込み中に、アールの妻が癌で死の床に居るという知らせが入る。アールは断りなしに仕事から離れ、妻のもとに走る。妻は夫が来てくれて喜び、再び夫を受け入れる。心の平静を取り戻し、妻はアールの腕の中で亡くなる。葬儀もすべて終わって、彼は職場に戻るが、事情を知らないギャング達は勝手にいなくなったアールを責めて脅し、再び運び屋を強い監視の下で行わせるが、遂に麻薬取締官の厳重体制を突破することはできず、彼は逮捕される。

すべての罪状を自ら認め、アールは進んで刑務所に入る。そこで再びユリの栽培に精を出す。嬉々として花造りをするアールの姿を追ったシーンで、映画が終わる。

イーストウッドの無駄のないフイルム、ストーリーの流れにぴったり合った音楽、筋書きのテンポの速さ、編集の完璧さ。これがイーストウッドの映画だ。彼の洗練されたフイルムが好きだ。無駄のないフイルムの作り方は、恐らく何十年間ものあいだ、ロクでもない映画から一生忘れられない名画まで、数えきれない映画に、役者として出演してきた経験から、無駄を省く能力を身に着けたのだろう。

映画のなかで、麻薬捜査官ブラデイ クーパーが、カフェのカウンターで、携帯を見ながら、思わず「畜生」と声を出す。横にたまたま居たイーストウッドが、「誕生日か?」と聞く。「いや、結婚記念日だった。」麻薬捜査が終盤にはいって、家からしばらく離れている。それを責める妻からの携帯へのメッセージに慌てる夫。そんな何気ない会話のテンポの良さ。 彼は私生活では2回離婚しているが、5人の異なる女性との間に7人の子供がいる。今回の映画で長女のアリスン イーストウッドが娘役で出演している。自分の結婚式にも来るのを忘れていた父親を責めるときの怒り顔は、演技と思えない辛辣さと怖さだった。

イーストウッドは1955年から63本の映画に主演し、1977年からは37本の映画を監督している。他のどんな映画監督よりも、多才で多彩で多産な監督だ。
本当につまらない映画にもたくさん主演している。あきれるほどだ。1955年からはテレビシリーズだけでも11本、西部劇には50本あまり主演している。
1960年代には、マカロニウェスタンの主演で、ジョン ウェインなどによる正統派西部劇でなくて、血しぶきが飛ぶ残酷なイタリアン西部劇のヒーローだった。1970年から1989年は、ダーテイーハリーこと、キャラハン刑事の型破りなダーテイーヒーローとして、暴れまくった。

彼が映画を単なる娯楽として捉えるのではなく、映像、演劇、音楽のすべてのジャンルを統合する「総合芸術」として、取り組みだした契機は、1992年の「許されざる者」(UNFORGIVEN)からではないだろうか。これで初めてのアカデミー作品賞、監督賞を獲得した。この映画は、殺し屋として名をはせた男が、完全に足を洗い、田舎で子育てをしていたが、街にギャングが現れ、女たちを脅かしている姿を見ていられず、親友(モーガン フリーマン)を誘って、ジーン ハックマンのシェリフが居る街にきて、悪者をやっつけるお話。勧善懲悪が当たり前だった西部劇に、複雑な男たちの駆け引きや、異なった価値観を持つイギリス人のシェリフや、いつも犠牲になる気丈な女たちの視点も取り入れて、沢山の名優を動員して作られた映画だった。

1992年のアカデミー賞受賞以来、彼の映画熱と機動力は、目を見張るばかりだ。1995年「マディソン郡の橋」、2003年の「ミステイック リバー」、2004年「ミリオンダラーベイビー」、と続いて、この作品で再びアカデミー賞作品賞と、監督賞が与えられる。この時、彼は74歳だった。「ミリオンダラー ベイビー」は、安楽死を助長する映画だとして批判もあったが、再起不能のボクサーを望み通りに死なせてやる老コーチに共感して、涙する人の方が多かったのではないか。
2006年には、「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」の二部作で、第二次世界大戦の激戦地、硫黄島におけるアメリカ軍と、日本軍にとっての硫黄島を、鮮やかに描いてみせた。戦争の愚かさを徹底的に描いた優れた反戦映画だ。
2008年の「グラン トリノ」では自動車工場が閉鎖されたラストベルトのデトロイトに暮らすアジア人少数民族の子供達を描いた。名もない真面目にフォード車のために働いて引退した年よりが、自分の正義感から後に続く青年のために、自分の命を差し出す潔さに、心揺さぶられる思いだった。私はこの「グラン トリノ」と、「J エドガー」が一番好きだ。完成度の高い、芸術作品。映画が娯楽だなどと誰にも言わせない。

2003年の「ミステイック リバー」の主役ショーン ペン、2009年「インヴィクタス」のマット デイモン、2011年「J エドガー」のレオナルド デカプリオ、そして2011年の「アメリカン スナイパー」のブラドリ クーパー、、、みごとな配役だ。
「インヴィクタス」で、南アフリカラグビーチームの主将がマット デイモンでなかったとしたら、全然映画が異なったテイストだった。「J エドガー」をレオナルド デカプリオが演じていなかったら、映画そのものの意味が異なっていただろう。素晴らしい配役だ。
イーストウッドは、ワーナーブラザーズ社の中に、自分用の大きなスタジオとオフィスを持っていて、何十年間もやりたい放題をしてきたそうだが、彼のような才能をずっと抱えて、わがままをじっと聞いてきた会社も太っ腹だった。映画の構想を立て、思うような役者と交渉し、思い通りに映画を作る、最も恵まれた監督だった、と言えよう。

2018年「1517パリ行き」は、パリ発15時17分発の列車でテロが起きたとき、たまたま乗り合わせていた3人の青年達の英雄的な行為で、死者を一人も出さずに済んだという、「タリス銃乱射事件」を題材に、実際この時の3人の青年達を出演させて、ドキュメンタリーともいえる手法で映画を作った。イーストウッドの実験とも言うべき作品だが、青年たちの演技に、何の違和感もなく、実によくできた映画だった。

イーストウッドが、この映画「運び屋」で主演したのは、2012年「人生の特等席」以来6年ぶりだ。「人生の特等席」では、黄斑部変性でほとんど失明しているが、それを自分で認めようとしない頑固親爺が、メジャーリーグ、レッドソックスのルーキー発掘に情熱を燃やし続ける年寄り役で、とても感動的だった。
「運び屋」では、ひょうひょうとしてニューメキシコからアリゾナまでの長距離を、ラジオに合わせて歌を歌いながら、運転する姿が、とても良い。自然体で、魅力的だ。いつまでも「男」を背負っている、イーストウッド。身長193センチの長身。それが、今回の映画で背が曲がってしまっていて、ちょっと悲しかった。88歳だからなどと、言ってもらいたくない。彼自身の言葉で、引退するなどとは言っていない。年をとっても「男」の魅力がいっぱいのイーストウッド。これからも走り続けていって欲しい。
映画の最後に、シンガーソングライターのトビー キースが「DON"T LET THE OLD MAN  IN」という歌を歌っていて、それがとても素敵だ。
この映画3月8日公開だそうだ。