2022年12月31日土曜日

2022年の悪いことの始まり

2022は2つの「わるいことのはじまり」があった。まずロシアがウクライナに侵略戦争を仕掛け、ロシア人の多くが住むドンバス地域の独立を要求したのに対し、ウクライナが米国の誘導どうりにそれを拒否し、NATOへの加盟を要求した。ウクライナは戒厳令を布き18歳から60歳までの男子に徴兵を課し国外脱出を禁止したた。戦闘で犠牲になっているのは市民で、もう笑いが止まらなくて嬉しくて仕方がないのが米国の5大兵器企業だ。

18から60までの武器に触れたことがない男子に外国からの兵器を配給して戦争を強制する「わるい前例」は、今後日本も踏襲するのではないか。昨年アフリカのボコハランは200人余りの女子中学生を誘拐して軍人や性奴隷に使用したが、そんな事態が日本の中学生で起きた、などと完璧にコントロールされたマスメデイアで報道され、類似事件が次々報告されたら、人々は恐怖と憎悪を植え付けられ騙されて武器を取る者も出るだろう。疑心暗鬼をマスコミにあおられて、いとも簡単に私たちはいま「わるいことのはじまり」の断崖に立っている。

もう1つの「悪いことの始まり」は、遺伝子操作だ。3年越しのコヴィッドで、世界人口80憶人の大半がmRNAをワクチンを受けた。私も高齢者であるうえ、医療現場で働き実際コヴィッド患者を看護して来たから、いやおうなくワクチンを4回受けた。医療界は1918年にスペイン風邪で世界人口の27%、5億人が感染した過去を繰り返すわけにはいかなかったからmRNAを作り、死亡率を押さえることができた。ワクチン効果は統計で証明された。

しかし、ヒトはかつて許されていなかった遺伝子操作ワクチンを作りヒトに接種した。私たちの体はもう元には戻れない。すでに何らかのほかの遺伝子も入れられる状態になっている。
いまごろ医療兵器研究は猛烈な勢いで統計を取り、ヒトの遺伝子操作研究を進めている事だろう。遺伝子操作ワクチンは予想外に死亡者が少なかったし倫理上の問題も問われることなく、実に簡単に事が進められてしまったからだ。
今後遺伝子操作によって「痛みを感じない」、「夜中でも見える」、「人を殺しても良心を感じない」、「羽が無くても飛べる」、「何時間でも海に潜れる」 そんな兵士を作ることができるようになるだろう。アイアンマンやバットマンのように、事が起きた時にあわてて特別強化スーツを着る必要がない。それよりも、ロポコップやスパイダーマンを遺伝子操作で作ることができたほうが都合がよいではないか。ヒトはコヴィッドを言い訳に私たちの遺伝子を変えた。今後何が起こるかわからない「わるいことのはじまり」だ。

2022の「わるいことのはじまり」を、今後は監視していきたい。わるいことが終焉するまで声をあげていかなければならない。

今年最後の日なので、「蛍の光」、AULD LANG SYNE(久しき昔)スコットランド民謡を歌ってみた。古英語で、歌の意味は
古い昔の友よ   杯を飲み干そう  親愛なる友よ  我らふたり  丘を駆け上がり  ヒナギクを折った  美しかったかつての時は去り  年を取ったね  我らふたり  日がら遊んだものだった  遠く離れて彷徨っていた  荒海が我らを隔てた  いまここに   親友の手がある  我ら手を取り合って  ともに友情の杯を飲み干そう  古き良き昔のために
I am singing [ AULD LANG SYNE ], Scotland folk song ca
use its the last day of 2022.
Should auld acquaintance be forgot, and never brought to mind? Should auld acuaintance be forgot, and days of auld lang syne? For auld lang syne, my dear, for auld lang syne, we 'll take a cup o'kindness yet, for auld lang syne.



2022年12月29日木曜日

73になる

今年6月に職場で、体重125キロのおばあさんの車椅子を押して、左膝を骨折した。膝が倍の大きさに腫れて痛くて、この先歩けなくなるかも、と深刻に気に病んだのに、みんなに笑われて悔しかった。ヒビが入ってるけど、ほっとけば自然に治るよ、とカルーく専門医に言われて、サポーターをつけて休まず働いていた。

重いものを押しただけで骨折して、つくずく情けなく、思い立って近所のジムのプールで泳ぐことにした。南半球の6月は日本と反対の真冬で寒かったが、温水プールで何十年かぶりで泳いでみると気持ちよく、これなら続けられるかなという感触で、この12月まで半年間、几帳面に通い続けている。25メートルプールを初め、平泳ぎで半分沈みながら泳ぎ、帰りは浮かんで帰ってきて、今度は直径20センチのスポンジでできたバーベルを振り回しながら25メートルを往復、これを5回繰り返すとちょうど1時間。仕事のない日、週に4日続けている。筋肉がついたという実感は全然ないし、体重も泳ぎ始める前と全く変わらず50キロちょっきり。泳ぎも驚くほど向上しない。水に顔つけクロールが全然できなくて沈んでしまう。

この12月で73になる。放っておいても努力しても、退化への道にまっしぐらだ。それでも、ちょっと離れたところにかけがいのない娘たちが居てくれて、その家族たちが居て、マゴたちの成長を見ることができ、大事な友人たちが居て、なんとか仕事があって若い人たちを育てる喜びがある。良い年にしたいと思う。骨折くらいで落ち込んでいられるか!

「FOREVER YOUNG」を歌ってみた。曲のオリジナルは1974年ボブ デイランによるものだが、歌っているのはドイツの1984年、パンクバンド、アルファビルの歌。歌詞は、FOREVER YOUNGを永遠に若くとは、あえて訳さずに「歳なんかとりたくねえよ」と、パンク風に訳してみた。

かっこよく踊ろうぜ  俺らが見上げている間くらいは空も落ちてこないだろ   最高を望んで最低も予想して  爆弾落とす気かよ  あきらめるのかい  俺に早死  させるって  永遠に生かしてくれるんじゃないの  俺に力はないけど  ほんとはそれを認めたくない  砂場で座ってる  だけど死ぬかもね  音楽って悲しい  いつ俺は勝てるんだ  太陽に顔を向け  リーダーに従って音合わせしているけど  音楽は狂った奴のもの  永遠に若くって  俺死なずにいたいかも  年老いた馬みたいに処分されたくない  若いと太陽のダイヤモンドみたいに光るだろ ダイヤは永遠か?

I am singing [ FOREVER YOUNG ] cause I will be 73years old within 2 days. The ordinal Forever Young released 1974 by Bob Dylan. I am singing Germany Band 'Alphaville' version leading by Marian Gold.


2022年12月19日月曜日

安保関連3文書を撤回せよ

日本は世界に向かって永久に武器を持たず世界の平和のために貢献すると宣言したにも関わらず、安全保障関連3文書によって、よその国にミサイルを撃ち込み、敵の基地攻撃能力を持つ軍事国家になる。武器をそろえるために来年早々「ミサイル増税」を国民に課すという。つくずく日本に民主主義が根着かなかったのだと思い知らされる。
問題は終戦後、進駐軍の力を借りて民主政治を行うために作動したはずの「国会」が機能していないことだ。

国会に「事前審査制」が導入されてから国会で与野党が議論し審査する必要が無くなった。与党があらかじめ事前審査した議題だけを取り上げ、質疑もあらかじめ時間が限られていて十分な質問、時間をかけた討議ができないうちに質疑が打ち切られ新法が決定されている。反論反撃のないまま官邸の思いのまま国会が牛耳られている。このシステムを変えない限り国会は、意味を持たない。国会の構造的欠陥が正されない限り民主政治が機能しない。その上さらに「閣議決定」という国会での討議なしに重要な政策が決定されている現状は、民主政治でも議会制でもない、自民党専制独裁国家ではないか。

中国は日本のマザーランドだ。海水が上がるまでは、ひとつの大陸だった。人種も言語も文化もここから来ている。今でも国民の食料や日用品のほとんどをこの国に頼っている。
日本の昨年出生数は77万人。どの国よりも人口減が急速に進み。人口の老齢化が世界一。3人に1人が障害者か高齢者。年間90万人のペースで人口が減っていて、経済規模も縮小している。
そんな小さな島国の老人国で、誰が「敵国」に戦うのか。誰が誰に向かってミサイルのボタンを押すと言うのか。
 
「ダニーボーイ」を歌ってみた。反戦歌。詩は英国の弁護士フレデリックウェザリーによる。歌詞は
  愛する息子   軍がバグパイプをかき鳴らし   おまえは戦争に行く   谷から谷へ  山の斜面を降り  夏が終わる  薔薇は枯れ  草原は雪に埋まる  お前が生きて帰ってくるまで  年を取った私は おそらく待っていられないで冷たい土の下   もしおまえが無事で帰ってきたら   わたしが眠る場所をみつけて  ひざまずいておくれ   そして愛していると言っておくれ  おまえの声を聴けたなら  わたしはやっと  深い眠りにつくことができるだろう。





2022年11月30日水曜日

認知症患者の人権保護

エイジケアの医療現場に居て認知症患者の人権について考える。
オーストラリアに来て27年、その前はマニラインターナショナルスクールでバイオリンを教えていた。もっと前は日本で業界紙の編集記者をしていた。オーストラリアに来て、医療通訳をしながら公立病院で勤めた後、今のエイジケアで働き出して17年になる。日本のエイジケアと異なる点も多いと思うので、参考に書いてみる。

今の施設には50人の患者、マネージャー含め10人の高等看護師、その5倍のアシスタントナース、医師、リハビリ物理療法士、ポデイアトリスト、料理人、栄養士、その他に掃除洗濯など契約できている業種がいる。ほとんどの患者が自力でトイレに行って自分で排泄できなくなって、自宅での訪問看護チームや家族の世話をあきらめて施設にやってくる。認知症はアルツハイマーや精神分裂症やうつ病を併発していることも多く、何の前兆もなく突然暴れ出す人、何度着せても服を脱いで裸になって歩き回る人、意味もなく叫びまわる人、薬を毒だと思って隠したり吐き出す人、お年寄り同士喧嘩ばかりする人など、いろいろだ。優しい人もいっぱいいる。
私はホームの出入口の鍵と、ドラッグキーといって鎮痛剤やオピアムやモルヒネの入ったロッカーの鍵を首から下げて働いている。時間になればその鍵で戸締りするが、「家に帰りたい」人に私がその人を監禁していると思い込まれて「俺を家に帰せ」と首を絞められたことがある。奥さんと間違われて、毎晩ベイビー一緒に寝よう、と言いに来る人もいた。鎮静剤をどうしても飲んでくれなくて暴れ出して警察を呼んで助けを借りて薬を飲ませた人もいる。相手はオージー、大きいし力も強い。医療従事者は常に危険と隣り合わせだ。

認知障害を持っていても彼らの人権を守り、医療事故を減らすために常に私たちの「とりきめ」は変化し続ける。決まったことを箇条書きにしてみると

1)徘徊、多動、じっとしていられない患者に鎮静剤、睡眠剤、抗精神剤などを投与することが、薬学的拘束と考えられて禁止になった。重度の精神病でそれらが必要な患者には、医師が2週間ごとに州に報告書を提出しなければならない。
2)点滴中の患者を、針を抜かないように手足を拘束してはならならない。何度も点滴針を抜いてしまう患者には、何度も針を差し替える。もうそれを繰り返して血だらけになっても、拘束しない。何度でも言い聞かせる。
3)じっと座ることができない、多動や徘徊の人にトイレのシートや、椅子に安全ベルトで拘束することが禁止された。ほとんどの歩けない人は自分では歩けると思い込んでいて、椅子から立ち上がっては転倒するが、それをくい止めるにはナースが横に居てみていなければならない。
4)以前はどのベッドにもベッド柵があったが、混乱している人が柵を乗り越えて高いベッドから落ちて命を落としたり怪我をするので、柵も拘束ということで禁止になった。ベッドは可能な限り低い位置にしてベッドの周りにマットを敷く。またベッドセンサーをとりつけるなど対策を講じている。
5)患者たちは昼間、滑らない靴を履き、夜は徘徊する人のために滑り止めのついた靴下をはかせる.。
すべての患者は、朝パジャマを脱いでシャワーを浴び、食堂に座ってもらい、全員そろって食事する。朝食、モーニングテイー、ランチ、アフタヌーンテイー、夕食もそろって食べる。昼間は、寝かさずに体操、ゲーム、バス旅行、映画界などに参加させる。きちんと座れない人には、座れるような椅子を注文する。ベッドで寝たきりには絶対しない。

患者の人権を守る、人を拘束してその人の選択範囲を狭めてはいけない、心理的にも薬理学的にも物理的にも医療倫理に基ずいて患者を可能な限り自由にする、ということが、その分だけ医療従事者の多忙、責任、負担を強いているのが現状だ。また、患者の人権を守るには、「拘束」を解くだけでは足りない。人が人を大切だと思う心が育たなければ人は人をケアできない。

私が心掛けているのは、今は施設でいつも半分寝ているような語ることも考えることもなくなってしまった患者でも、昔は立派だったことを物語るような写真を大きく引き伸ばしベッドの上に張り付けること。いま涎をたらし、注意していてもオムツを外してどこにでも排尿するような人が、昔は信じられないほどハンサムな空軍パイロットの軍服姿、かっこいいカウボーイハットで馬に乗る姿、可愛らしいエプロンを付けた田舎の小学校の女先生、、、そんな写真を飾って、今がどんな姿でも、それぞれの老人には語りつくせない歴史があることを、ケアするものは知る必要があるということだ。

人は年を取る。わたしもベビーブーマー、今年で73。いまだにフルタイムで働いているがいつまでできるか?何もわからなくなって、施設でお世話になることがあったらその時のために、若くて元気で希望に満ちていた頃の写真を一枚用意して置くつもりだ。それを同じ世代の方々にもお勧めしたい。

写真は大切な職場の仲間たち



2022年11月16日水曜日

マイナンバーカードに反対

マイナンバーカードに健康保険証を付けてはいけない。
先日眠っていて聞きなれない音がしたので寝ぼけ眼で携帯を手に取ると、自分のクレジットカードが画面いっぱいに映っていてクリックマークが「支払いますか?」と、、。何ですか突然! 画面のクリックボタンに触らないように、そーっと携帯をオフした。もし画面をクリックしていたら、どんなことになっていたのか考えるだけで恐ろしい。
オーストラリアで2大インターネットプロバイダーの1つ、オプタスから100万の顧客の個人情報がハッカーによって盗まれたのがこの9月。オプタスから私にも謝罪のメッセージが来て、名前、住所、メイル、運転免許、パスポート番号、クレジットカード情報が漏洩したと知らされた。以来、奇妙なメイルや訳の分からない請求書を受け取っている。

オプタスに次いで、この10月健康保険会社で最大規模を持つメデイバンクプライベイトから、970万人の顧客の個人情報がハッカーによって盗まれた。犯人は会社に巨大な金額を要求したが会社が支払いに応じなかったため、50万件の健康保険請求の内訳情報が、ブラックマーケットに売りに出された。まず始めは500人分の妊娠中絶した人の情報。翌日にはエイズ患者、その翌日は精神病歴の患者情報がマーケットに流れた。「なんと卑劣な」と、女性のサイバーセキュリテリ大臣、クレアオニールは、涙ながらに国会で犯人を弾劾,糾弾し、必ず犯人を捕まえて見せると断言した。

医療に関わる情報はとてもセンシテイブだ。LGBTIA+や、障害者、精神病患者、特定の遺伝子を持った人、癌患者などの個人情報は秘密でなければならない。BRCA1とBRCA2という遺伝子を持った人は、男女に関わらず乳癌に罹患する率が70-90%と高い上、女性は卵巣癌の罹患率も高い。また血友病やてんかん、精神分裂病、アルツハイマー病など一定の遺伝も考えられる疾病には、注意が必要だ。情報が洩れることによって、結婚や就職に差別が起きてはならない。
人は不完全な存在だ。病気になったことがない人など居ない。不安やストレスにさらされれば、人はうつ病状態に陥る。疲れているとき喉に空気中の細菌やヴァイルスがつけば感染症を起こす。注意していても、注意していなくても怪我をしたり事故は起こる。それが人間であり、みんなが遺伝の負の因子や障害や、さまざまの事情をかかえて生きている。そういった個人情報を表沙汰にして脅迫することは人として恥ずべきことだ。世の最も保護されるべき人々の弱みに付け込んで、金を搾り取ろうとするハッカーほど卑劣な存在はない。

マイナンバーカードに反対。またカードに健康保険証を付帯することにも反対。いまオーストラリアで起きていることは日本でも必ず起こる。情報を1本化してはいけない。情報は必ず洩れる。そのときの被害を最小限にするために健康保険は厚生省、運転免許証は警察庁、パスポートは外務省、年金は国民年金、クレジットカードは銀行、それぞれの部門で独立情報管理しなければいけない。国民総背番号制を拒否する。

「アンチェインド メロデイー」を歌ってみた。アレックスノース作曲、ハイザレッド作詞。1955年終身刑にあえぐ囚人のマイナーな映画のために作られた曲だったが、1965年ライチャスブラザーズが歌って流行。1990年映画「ゴースト」に使われてポピュラーになった。
I am singing [ UNCHAINED MELODY] .The song with by Alex North and lyrics by Hy Zaret, written for the miner prison movie film in 1955. This music sang by Righteous Brothers in 1965, and it became popular by the movie[ Ghost].



2022年11月2日水曜日

攻撃される絵画

10月9日、メルボルンの美術館でパブロ ピカソの作品「朝鮮虐殺」(KOREA MASSACURE)に2人の男女が接着剤で自分たちの手をくっつけて、気候変動の危機を助長し何の対策も講じない政府に抗議した。彼らは絵画の下に「CLIMATE CHAOS, WAR +FAMINE」(気候激変、戦争と女性)と書かれたバナーを置いていた。ピカソのこの作品は1951年米軍が、北朝鮮の信川で3万5千人の村民を虐殺した事件を描いたもの。普段はピカソ美術館にあるがオーストラリアを巡回、展示中だった。

10月14日、ロンドンのナショナルギャラリーで、ビンセント ゴッホの「ひまわり」に2人の女性活動家がハインツのトマトスープをかけた上、接着剤で手を貼り付け、気候変動への注意を喚起した。エネルギー危機でスープを温められない人々が居る中、大企業は政府から減税を受け、石油会社と電力会社は莫大な利益を受けている。またハインツ社はインドネシアの熱帯雨林を破壊しパームオイル畑を拡大、自然破壊の当人である、とアピールした。

10月23日、ドイツのバルベリー美術館で、モネの作品「積みわら」に2人の活動家がマッシュポテトを投げつけ「人々が飢え凍え死んでいる。私たちは気候変動による破局の中に居る。トマトスープやマッシュポテトがかけられた絵がそんなに心配か?2050年には食べ物がなくなる。人々が食料を奪い合うことになる。」と訴えた。

10月27日、オランダのハーグ、マウリッツハイツ美術館で、フェルメールの「真珠の首飾りの少女」に活動家が、自分の額を接着剤で張り付けて、もう1人の男がトマトスープをかけて「美しく貴重なものが目の前で破壊されるのを見た時にどう感じるか?憤慨しますか?地球が破壊されるのを見た時に同じように感じますか?」と訴えた。

環境保護活動家たちによる、有名絵画を使った抗議活動が続いている。各国のマスメデイアはその詳細を報道したがらない。大きく取り上げることによって、そうした動きが繰り返されるのを恐れるし、大騒ぎになることが活動家達のアピールの一つの目的でもあるから、恣意的に事を小さくとらえて僅かな報道で済ませているように思われる。活動家たちの言っていることはよくわかる。近頃の若者は、、などと小言を言うつもりもないし、戦略がひどく間違っているとも思わない。

すでに地球は産業革命前のレベルと比べ1.1度の気温上昇が確認されている。2050年までにCO2排出を実質ゼロにするためには、化石燃料の開発を直ちにやめなければならないし、2030年までに世界全体で温室効果ガスの排出を半分までに減らす必要がある。しかし、笛吹けど踊らずの国々の対応に、環境保護団体は怒り心頭に達している。北極で白クマが飢え、南洋の国々が沈んで住む土地が無くなっていっているのだ。

活動家たちの言うことはよくわかる。しかし、1枚の絵は沢山のことを私に伝えてくれる。ピカソの「朝鮮虐殺」の絵には実際に見て、胸が熱くなった。ゴッホの「ひまわり」も、モネの「積みわら」も、フェルメールの絵も私の最も好きな絵画だ。だからそれらが攻撃されて悲しい。悲しみの海に溺れそうだ。
フェルメールの絵画は、世界で35点しか残っていない。彼の絵には動きがあり、そこに居る人の動きや感情まで描かれてる。
一生でたった1枚の絵しか売れなかったゴッホは、不器用な生き方をしながらどんなに貧しくても自分が見た「美」を描き続け若くして死んでいった。シドニーのNSW美術館にはピカソの絵は3点、ゴッホが3点ある。その中の「ペザント」(百姓)の絵が好きで、時々会いたくなって会いに行く。美術館に入り画家たちの作品に囲まれると心が大きく広がって体が喜んでいることがわかる。誰もが、1枚の絵によって疲れ切った心が癒された経験を持っているのではないだろうか。

人々は古い絵画を何百年もの間大事に、埃を払い汚れを取り、傷を修復してきた。本場イタリアでは芸術作品を修復する職業は芸術家同様に尊重されていて、国家資格がありプロの修復士になるには美術大学の大学院を出た後さらに専門を学ばなければならない。彼らの何世紀も前に描かれた絵の顔料をよみがえらせ修復する気の遠くなるような作業を経て、いま私たちはゴッホやフェルメールを鑑賞することができる。

芸術家たちは昔も今も、妨害があろうがなかろうが作品を描いていく。かつての貴重な古典作品を修復する人たちも、それが価値のある尊い仕事だと信じて修復し続ける。それが壊れていく地球の最後の日だとしてもだ。
そして環境保護活動家達も叫び続けるだろう。美術品を破壊しながら、それが地球最後の日だったとしても。
そんな世界で、このひと月、ベートーヴェンの交響曲第1番「葬送行進曲」が私の頭の中でずっと鳴り響いている。






2022年10月20日木曜日

マイナンバーカード義務化に反対

日本のマイナンバーカード義務化に反対。必ず情報漏れが起きて後悔することになる。オーストラリアで今月、私を含めた100万人の個人情報が漏洩した。人々は日々恐々としている。
オーストラリアにはTELSTRAテレストラと、OPUTUSオプタス、という2つのインターネットプロバイダーがある。テレストラは以前半官半民組織だったが民営化され、オプタスやボーダーフォンなど海外からの企業も参入して、家庭電話、携帯電話インターネットのサービスを提供している。オプタスの顧客のうち100万人の個人情報がハックされ、ハッカーから脅迫を受けていたが、会社が要求された金額を払わなかったので、ハッカーは個人情報を流出させた。盗まれた情報は、
1)名前、住所、イーメイル、電話番号、生年月日
2)運転免許証
3)パスポート
4)健康保険証
以上が流出し、闇の世界で売買されている。これだけの情報があれば、本人になりすまして銀行からお金を引き出すことも、車や家を買うことも、世界のどこからでもローンを組むことができる。人々が恐々とするわけだ。

オプタスから謝罪のMSGがきている。
大変残念なことに、わが社オプタスはサイバーアタックの被害を受けました。あなたの個人情報が漏洩しました。名前、生年月日、イーメイル、住所、電話番号、運転免許、パスポート、健康保険証などです。幸運にもオプタスの電話、WIFIサービス、パスワードなどは影響を受けていませんので、このまま安心して利用することができます。今後オンラインで銀行口座に不審な動きがあったり、異常なことが起きたら当社に連絡してください。見知らぬところからきたメイル、MSGや電話、ソーシャルメデイアの動きには十分気を付けてください。誰にも貯金番号やパスワードを教えないでください。当社は、予想外のことが起きて残念に思いますが、みなさまに被害が起きないように、対策を万全にして今後も注意していきます。
CEO ケリーロズマリン

政府はこの事態を引き起こした会社に巨額の罰金を科すという。しかし個人情報が露出して売買された結果、今後起こりうる個人の被害には責任を取らない。こういった事態で問題なのは、原因がインターネットプロバイダーのミスであっても、個人に起こりうる損害には誰も保障、損害賠償しないことだ。売買された情報は、成りすまして実を取った後、また別の人に買われ延々と利用される。被害はその人が死んだ後でもずっと利用されるのだ。

いま日本で支持率が20%台の内閣が、「閣議決定」でマイナンバーカードを義務化しようとしている。カードと健康保険証と運転免許証を1本化するというが、健康保険証から情報が洩れたら、その人の勤務先、家庭状況、保健や年金の情報や既往歴、投薬歴がダイレクトに保険会社や研究団体に利用され、運転免許証からは犯罪歴や警察情報の得られ、政府と一体化した産業だけが漁夫の利を得ることになる。怖いのは闇で売買され犯罪が起きることだ。

人はミスを犯す。どんなに優れたAIがあって情報管理が完璧でも、それを作動させるのは不完全な存在としての人なのだ。
マイナンバーカードをもつことも、それに免許証や保険証を付帯させるということも反対。情報を1つのカードに一本化したら必ず後悔することになる。

「黒の舟歌」を歌ってみた。作詞:能吉利人、作曲:桜井順
作家野坂昭如がウイスキーを飲みながら、ゴールデン街で歌っていたような記憶が、、。
I am singing [ Sorrowful Sailor ] composed by Sakurai Jun.
Lyrics tells.
There is a deep and wide river. Between men and women.
No one can across the river. No one can reach other side.
Even though try and fail. Row and Row.
There is a dark and huge river. Between you and me.
Unable to across the river . Unable to reach you.
Even though can't stop trying. Row and Row. Row and Row.




2022年10月17日月曜日

反政府運動と危機意識

ロシア国内でも、イランでも、レバノンでも、チュニジアでも人々の反政府プロテストが火を噴いている。侵略戦争、前時代的宗教警察の横暴、ガソリン、食料の値上がりのために生活が圧迫された人々の怒りは、簡単には収まらない。

中国では全国人民代表大会が行われ、320人の代表らがシャンシャン拍手喝采する中で、習近平は、3度目の国家主席に「選出」された。彼は演説の中で、香港と台湾の SEPARATIST(国家分離分裂主義者)を激しく攻撃した。香港の人々も、台湾の人々も自分たちが中国における分離主義者などという認識は全く持っていないだろう。大陸の漢民族と香港の広州人とは言語も文化も歴史も全く異なる。

4年前、香港に戻り反政府運動に身を投じていた親友の身が心配で仕方がなかった。彼女が仕事を辞めて香港に向かう4年前、私が遺言状を作ってもらった弁護士を紹介してほしいと言うので教えた。どれだけの覚悟で香港に向かうのかと思うと、ずっと気が気ではなかった。彼女は香港で国家安全法に抗議する若い人々を救援する活動をしていた。そして口を封じられ傷ついて、香港のパスポートを更新せずにオーストラリアに戻ってきた。彼女は2重国籍だったが、香港のパスポートを捨てると言うことは、自分が生まれ育った国にはもう帰らない、という意思表示であり、自分のアイデンテイテイを捨てるということだ。
彼女が香港に居た間、彼女の身が心配でラインもワッツアップもなるべく送らずにいた。デモ参加者を警察が顔認識のカメラでとらえて後で逮捕に来ると聞いていたが、携帯の情報はどれだけ警察に探られるのか分からなかったからだ。
でも今年の6月4日にキャンドルに火を灯して写真に撮り、彼女に送った。せめても1989年6月4日の天安門で殺された人たちを思い、忘れない、という気持ちだった。それでそのあと10月に彼女が帰ってきたので聴いてみて、驚愕した。大学の寮で友人たちがキャンドルを灯していたら、窓からのぞかれて、通報された学生たちが拘束されたというのだ。権力によって殺された学生たちを追悼することが、国家への反逆であり国家安全法違反になるというのだ。私が送ったキャンドルの映像も誰か他の人に見つかっていたら拘束されたのかもしれなかった。「反政府運動に連帯を」と簡単に言うが、それがどんな危険を冒すことになるのかを知らされて頭を抱えた。


竹田の子守歌を歌ってみた。京都府伏見区竹田地区に伝わる民謡。1965年東京芸術座が、住井すゑの「橋のない川」を上演するとき音楽を担当した尾上和彦が、部落解放同盟の合唱団のメンバーの母親から教わって採集された曲。この曲が京都府竹田部落で伝わってきた民謡で、歌詞に「在所」という部落を表す言葉と、「もんば飯」という言葉が出てくるので、公営放送の自主規制で放送禁止となった。「在所」とは家のことだが部落を指す差別用語で、「もんば飯」とはオカラのことで部落の貧しさを表す差別語だという理由だった。この曲は長いこと放送禁止になり、歌ったグループ「赤い鳥」の後藤悦治郎などは、メデイアから締め出された。しかし実際に後でわかったことは、部落解放同盟京都府連は、竹田地区の歌も、それが放送禁止になっていたことも知らなかった。部落差別を恐れるあまり、歌を歌うことも自主規制したメデイアの愚かしさを物語るエピソードだ。
これは笑っていられるが、いま香港で「GLORIA HONGKONG」を歌うと、香港独立の言葉が出てくるので、国家安全法で拘束される。権力者は、歌の持つパワーを知っているから、ひとつの歌でも見逃さない。私たちは、常に危機感をもち続けなければならない。



2022年10月7日金曜日

母国語喪失

自分が使っている言語が権力によって禁止され使えなくなったら、ある意味でそれは死と同じではないか。言語は思考そのものであり、その人のアイデンテイテイだ。人は生まれ育って自然と身に着けた自分の言語で物を学び、物を考える。それを失うことは自分を失うことだ。

中国人は「標準中国語」マンダリンを使うが、香港の人は広東語カントニーズを使う。2者は文法も発音も全く異なる。しかし公式には広東語は、広州地方の方言ということになっている。中国には広東語以外に、上海語、福建語、延辺朝鮮語、モンゴル語、ウイグル語など沢山の言語を使う沢山の民族が居る。「標準的」マンダリンを使う人口は世界中でほかのどの言語よりも多く、13憶4800万人、英語の11憶3200万人(2022,6月統計)をしのいでいる。

香港は100年英国に統治され人々は広東語と英語で生活してきた。700万人の香港の人々は英国式民主主義に慣れ、表現の自由に身を置いてきた。「国境なき記者団」による報道の自由度は、180各国中148位を誇り、日本のジャーナリズムよりはるかに高い報道の自由を持っていた。それが2020年6月「国家安全法」が施行され、あっという間にメデイアが封鎖され、外国メデイアが撤退させられ、外地ウェブサイトも遮断された。アップルデイリー編集部は国家転覆罪、立場新聞は扇動的刊行物発行、共謀罪で裁かれている。国家安全法の怖いところは、解釈によってどうにでもとれる法が、終身刑を含む重罪を課すことができるところだ。

今まだ広東語は禁止までには至っていないが、学校の教科書は「標準中国語」に取って変わられた。これから教育を受ける子供たちは、徐々に香港人との会話が出来なくなってくる。世界から一つの言語が失われ死につつあるのだ。

4年前に自分の生まれ育った国、香港に帰っていった親友がもどってきた。無事な姿で会えて嬉しい。しばらく連絡不通だった。オーストラリアの市民権があり、2人の息子はシドニーで生まれ今は独立してそれぞれ家庭を持っている。長いこと同僚だったが、退職して香港に職を得て、逃亡犯条例反対、国家安全維持法反対運動に身を投じた。デモに参加した学生たちを黒服の男たちが深夜、怒号と共にドアをたたいて拘束していく。大学の入り口で待ち構えていた公安が、学生のカバンをこじ開けさせて、香港独立思想の本を所持しているといって暴行の上、逮捕していく。そういった日常に耐えられず、彼女は母親の会を作って救援活動をしていた。

その彼女が香港のパスポートを更新せずにオーストラリアに戻ってきた。無事でいてくれて嬉しい。しかし生まれ育った土地への彼女の思い、失われていく文化、亡くなっていく言語のその先を思うと、胸がつぶれる思いだ。

日本は秋だが、こちらは春。異常気象で雨が降り続き寒い。作詞、吉丸一昌、作曲、中田章の「早春賦」を歌ってみた。

I am singing [ SOUSHUNFU] written by Nakada Akira, lyrics by Yoshimaru Kazuaki. Song tells:
People said Spring has come. Although wind chilly. Even birds not singing. But snow melt in the lake. Buds unfold in the Sunshine.



2022年10月3日月曜日

大内兵衛と宇佐美誠次郎と母

写真は経済学者大内兵衛と宇佐美誠次郎。
私の大叔父と叔父にあたる。背が高くて立派に見えるのが、兵衛の弟子の誠次郎だ。私の父は京城の朝鮮総督府官舎で生まれたが早くに親に死なれ、その弟の兵衛が父親代わりだった。その兵衛が父と、東大で可愛がっていた弟子の誠次郎の妹を結婚させて、私が生まれた。

母が兄の誠二郎のことを大好きだったので、私もこの叔父が好きだった。私にバイオリンをくれたのも、高いレッスンフィーに躊躇する父に続けるように言ってくれたのも、学生時代にデモで逮捕されたことで怒り狂う父をなだめてくれたのも、この叔父だ。母にはもう一人の兄、宇佐美正一郎が居て、理学博士で北大と神奈川大で教えた。叔父たち二人とも、この時代の人にしてはとびぬけて背が高くハンサムだった。

母は5歳上の正一郎と3歳上の誠次郎に、思いきりちやほやされて育った。母のアルバムには、体の大きな兄たちにはさまれ両腕にぶら下がるようにして銀座を闊歩しているベレー帽の姿や、2人に手を取られて「竹」のスキーを履いて滑る姿の写真がある。「銀ぶら」帰りの車も、しゃれ者だった兄のおかげでオープンカーだ。外国語に堪能で最新の蓄音機や写真機を取り寄せて楽しんだ兄たちは、宝塚に夢中だった母を、望まれるまま劇場に連れて行ったし、軽井沢でテニスに興じた。結婚前の母は幸せそのものだったろう。むかし母に戦争中は何が辛かったの、と聞いたらテニスできなかったことかな、と母が答えてがっかりさせてくれたことがある。大事にされていた母には兄たちの苦境や学問するものの姿は目に入らなかったろう。

大内兵衛大叔父は1938年に治安維持法違反容疑により逮捕され1年半もの間拘禁されていた。共産党員でもない、政治活動するでもない、赤でも黒でも緑でもない、経済学者が国家転覆を図っているといわれて逮捕される異常な時代だった。宇佐美誠次郎も1942年に治安維持法違反容疑で逮捕、投獄された。翌年懲役2年執行猶予5年の判決を受け出所したが、「死んで来い」とでもいうように、1943年臨時招集を受け補充兵として中国の前線に送られた。1945年9月に召集解除されるまで生きのびることができたのは、スポーツで鍛えた堅固な体と幸運のおかげだったろう。

母は1997年に夫と家族に見守られながら、癌の痛みも苦しみもなく亡くなった。言わないでいたが1年半前には、頼りにしていた兄、正一郎が同じ癌で亡くなっていて、母の死の2か月前には誠次郎が、また同じ癌で亡くなっていた。二人の兄が亡くなっていたことを知らないまま母は逝った。母はモルヒネの浅い眠りの中で2人の兄に腕を取られ、夫と子供たちに見守られて幸せに旅立ったと思う。



2022年9月22日木曜日

今日は国家元首の死にともない休日

オーストラリアの元首クイーンエリザベス2世が亡くなって9月22日が国民が喪に服するため、休日になった。
おかげで当日手術を受ける予定だった全豪で5000人の患者の外科手術が、急遽延期されることになった。患者たちの中には心臓、肝臓、腎臓の移植を長いこと待っていた患者も、進行性の癌の手術を祈るように待っていた患者も、骨髄移植を待つ小児癌の患児も、手術までモルヒネで痛みを抑えながらじっと待っていた患者もいる。手術まで免疫抑制剤を服用したり抗癌剤を投与されていた患者も予定変更は大きな負担になったことだろう。
交通機関も休日間引き運転になり、オフィスも閉じ、それらの客を当てにしているレストラン、カフェも商売にならないので閉店した。経済損失は20憶ドルだそうだ。

3か月前には女王継承70年周年のお祝いのためにバッキンガム宮殿バルコニーからにこやかに手を振り、2日前には新首相と握手していた女王が亡くなって、彼女の死を悼む人々がスコットランドからロンドンのウェストミニスター寺院に安置されるのを路上で見送りした。その数10万人。棺に頭を垂れるために寺院に続く8キロ、14時間を並んだ人の数は25万人。続いて棺がウェストミンスターからバッキンガム宮殿に戻る車の葬列を見送った人の数10万人。警官1万人、軍人1500人が警備を固め、オーストラリアからは39人の陸、海、空軍が葬列に加わった。

イタリア人移民のアンソニーアルバニーオーストラリア首相は、10人のオージー市民を連れてロンドンに飛び、葬儀に参列した。アルバニー首相が連れて行った10人は、オーストラリアデイに各州から推薦された功労者を市民が選んだ人々だ。
1)DYLAN ALCOTT:車いすテニスプレイヤーのチャンピオン。
2)VALMAI DEMPSEY:ボランテイアで50年間救急車に乗り人命救助に尽くしている人。
3)MIRIAN ROSE:アボリジニの最初の教師で1975年から教育に尽くしている。
4)SHANNA WHAN: 自分もアルコール中毒だった経験から中毒患者の救済、教育に尽くしているチャリテイーファウンダー。
5)SABA ABRAHAM:アフリカ、エリトリアからの難民だった経験を活かし200人の難民が仕事に就くために援助をしてきた。
6)KIM SMITH:元警官、ドラッグで苦しむ若者の間にスポーツを普及させた。
7)HELEN MILROY:最初のアボリジニのドクターで子供の教育、家庭内暴力からの保護のために戦っている。
8)TRUDY LIN:歯科医として24時間遠隔地で診療しホームレスなどを救助している。
9)CHRIS WALLER:女王の馬の訓練士
10)DANNY ABDALLAH:2年ほど前シドニー西部で3人の子供と姪の4人の子を赤信号を飲酒運転で暴走した車に牽かれて殺されたお父さん。子供たちは8歳、11歳、12歳と13歳だった。この悲惨な事故は車社会のオーストラリアでも大きく報道され、4人の子供を一瞬で失った親達への同情、怒りと共感から沢山の義援金が集まった。お父さんはこのお金をもとに「4GIVE 」FORGIVE 許し基金を設立。罪を許し、犯罪のもとのドラッグ飲酒を無くし被害者をサポートする活動を始めた。自分の命より大切な、育ち盛りの子供たちを失った父親が、許しに至るまでの心の軌跡を思うと胸が痛む。実に立派な人だと思う。
そんな10人を連れて首相は葬儀に参列して、皆そろって同じ飛行機で帰国した。

新国王チャールズ3世は、北アイルランド、スコットランド、ウェールズ、イングランド4国の国王として宣誓を終え、その後、オーストラリア、ニュージーランド、ジャマイカ、カリビアンの国々など14か国の元首として宣誓して即位した。彼は9月9日の女王の死の4日後、国王として北アイルランドに飛び、ベルファストでシンフェン副首相と握手し書面にサインしたが、ペンがインク漏れで字が書けなかったらしくて、椅子を蹴って「I can't stand this pen!」と叫んでいた。(笑)。また彼は翌日ウェールズに飛んだが、大変冷ややかに迎えられ「反チャールズ」呼ばわりする声が大きかった、と報道された。スコットランドもウェールズも一括して大英帝国の一部扱いされて嬉しくない人が多い。

今のところオージーの意識調査でオーストラリアから元首を取り除き共和制に移行すべきだと言う声は54%、若い人ほど共和制を望んでいる。国民投票で憲法を変えて共和制をとるか、立憲君主制を維持するか、1999年に国民投票したときの結果は、君主制に落ち着いた上、国民投票に6千万ドルも費用が掛かったので、簡単に再投票をするわけにもいかないし、そのころから
日本の評論家は、どうしてオージーが大英帝国の君主制から抜け出せないのかと不思議がる人が居るが、敗戦国の日本が戦争を主導した天皇制をなぜ70年もの間、平気で遺棄できないでいるのかを、問うてみることの方が先だと思う。

レオナルドコーヘンの「ハレルヤ」を歌ってみた。1984年作。ユダヤ人コーヘンが10年かけて80節15ページもある歌詞を書いて作った曲。ハレルヤはヘブライ語で、「褒めたたえよ、賛美せよ」の意味。歌詞のいたるところに旧約聖書の物語が出てくる。詩をどう解釈するか勝手だが、私は失恋に歌だと思う。歌詞を訳してみる。

ダビデが竪琴を奏でてユダヤ王を喜ばせた  秘密の和音があるって  でもお前は音楽に関心ないだろう こんな感じ AマイナーからメジャーFに音を落として 困惑して王がハレルヤを歌うよ
お前は神を信じていたけど  その証拠が欲しくて  パトシェバが屋根の上で水浴びしているのを見ていた 裸体が月明かりに輝いて  ダビデは彼女を縛り付けた  だから神は彼を王座から引きずり下ろし  その髪を切って無力にした そしてお前にハレルヤといわせた
僕は前にここに来たことがある この床を歩いたことも お前に会うまでは一人で暮らしてた  大理石の凱旋門に君の旗をみた  愛は勝利したんじゃなくて  冷たくて 壊れちまったハレルヤなんだよ
I am singing [ HALLELUJAH ] written by Leonard Cohen in 1984.



2022年9月13日火曜日

国家元首の死

オーストラリアの国家元首が亡くなって国民は、みな悲しみに暮れ喪に服している、というわけでもないが女王の死を伝えるニュースの衝撃は大きかった。シドニーに暮らして26年になる。オーストラリアは、英国女王を元首とする立憲君主制国家だ。その下で連邦政府と6つの州がそれぞれ立法、司法、行政を司る。英国流に、首相及び内閣が実質的に権限を持つ、内閣制を基本とした議会制民主政治を取っている。

1999年ハワード首相(自由党)が、労働党の提案で憲法を改正し、君主制から共和制に移行しようとして、国民選挙が行われた。21世紀に向けて国の頭のエリザベス女王を取っ払うかどうかを問われ、私の友人たちは進歩はが多かったから、すんなり共和制に移行するかと思ったら圧倒的多数であっさりと現状維持になった。びっくりだ。オージーはみんな女王が大好きだった。人々はウイリアムやハリーのゴシップを、自分の親戚の話みたいに挨拶代わりにしゃべる。そして大半がチャールスが嫌いだ。
ダイアナがパリで交通事故で亡くなった時、私はたまたまシドニーの高級住宅地に住んでいたが、周りの家々が家の入口にダイアナの大きな写真を黒いリボンで囲んで取付けて、ランプを灯して悲しみを共有、喪に服したのには驚いた。エリザベスはチャーミングだがチャールスは離婚までしてかつての若妻を事故で死なせたから大嫌い。「マッチョが命」のオージーの国民性をよく表している。

そんなオージーが、キングチャールズ2世を元首として受け入れるか否か。再び君主制から共和制への移行が論議されることだろう。ニュージーランドも同様だ。ニュージーランドでは一昨年ひと足早く国旗を変え、英国国旗のブルーを取り去った。国民投票で新しい黒を基本にした旗に変えたのだ。オールブラックスを誇る国らしい国旗だ。
7つの海を支配した、大英帝国の圧政を怒る声も上がっている。インドは英国から独立して75周年を祝ったところだった。女王の死は尊重するが侵略され強奪された歴史は忘れられていない。ケニヤからも、ジャマイカからも同様な声が寄せられている。北アイルランドの人々の心はもっと複雑だろう。

大英帝国はオーストラリアでも先住民アボリジニにとっては、単なる侵略者だ。「アフリカの黒人のように良く働くことをせず怠惰なので害獣として殺すしかない。」と、人口を10分の1以下になるまで殺しまくった歴史を持つ。今回メデイアがアボリジニの一介の古老に女王の死をどう思うか問われて、「女王であろうが乞食であろうが人の死には心から痛み、その人の生きた人生をリスペクトする。しかし彼女は私たちをリスペクトしなかった。いまだ謝罪もしていない。」と答えた。まことに的を得た答えだと思う。

ビートルズ、ポールマッカートニー作詞作曲の「ブラックバード」を歌ってみた。1968年作。1950年から60年代に米国でアフリカ系アメリカ人の公民権獲得、人種差別撤廃を求めて持ち上がった大きな社会的うねりに対して共感したポールが書いた作品。ポールはジョージハリスンとテイーン時代から仲が良く2人でギターで遊んでいたが、ヨハンセバスチャン バッハの「ブーレ ホ短調」をアルぺジオ奏法で弾いてみたことがあった。その技法に
インスパイヤされて後に作曲したと、ポールは言っている。3弦開放音のG音が、初めから終わりまで鳴り続けている。
2001年の映画「アイアムサム」は3歳児の知能しか持たない父親が5歳の娘を懸命に育てる心温まる映画だが、その泣けてくるシーンでサウンドトラックに使われている。歌詞の日本語訳は、

静かな夜に鳴く 黒い鳥  傷ついた翼で 空に向かって
君がずっと長いこと待っていたのは  この瞬間だろう?
静かな夜に鳴く  黒い鳥  疲れ切り落ちくぼんだ瞳で  先を見ようとして  君がずっと待っていたのは  飛び立つこの今だよ  黑い鳥 飛ぶんだ 闇夜に輝く光目指して
I am singing [ BLACKBIRD ] written by Paul McCartney in 1968.
The lyrics were inspired by the civil rights movements, specially anti-racial discrimination, during 1950's to 60's, in USA.
The guitar accompaniment was inspired by Johan Sebastian Back's [ Bouree in E miner ] often played by classical guitar. As a teenagers Paul and George Harrison tried to learn Bouree as a show off pieces. The lyrics are:
Black bird singing in the dead of night . Take theses broken wings and learn to fly. All your life You are only waiting for this moment to arise. Black bird fly. Black bird fly Into the light of dark black night. Into the light of dark black night.



2022年9月3日土曜日

なつかしきわが家

1967年に美濃部亮吉が東京都知事に立候補したとき、80歳過ぎた兵衛のおじいさんが選挙宣伝カーの高い台によじ登って応援演説したのには驚いた。
経済学者大内兵衛(1888-1980)は私の祖父の弟になるが、早くに父親を亡くした父にとっては実の父親同然だった。兵衛の仲間たち、大森義太郎(1898-1940)、有沢広己(1896-1988)、脇村義太郎(1900-1997)、高橋正雄(1901-1995)、美濃部亮吉(1904-1984)らは東大で親しくなり、雑誌の刊行や論文発表に協力し合った。1938年に全員が「共謀して無産運動の理論的指導を行い労農派の勢力拡大を図り共産主義運動を行った。」という理由で検挙され、治安維持法により1年半拘禁ののち、1944年に全員が無罪判決を受けた。

その後、美濃部亮吉が東京都知事になったとき、これらの全員が非公式のブレーンとして12年間の美濃部都政を支えた。彼は完璧な福祉国家を思い描いていて、教育と医療は、誰もが無料で享受すべきだと考え、都立病院、看護学校が次々と建てた。
1972年私は大卒後業界新聞社で働いていたが、職場の女性差別に辟易していたので、彼の作った都立看護学校に入学した。学費、寮費、学食すべて無料、卒業後、新設の都立病院に就職し、二人の子供を出産、病院付属の保育園に通わせたが、それも無料だった。美濃部都政の恩恵を浴びたが、このころの施設はみな今では新自由主義の台頭ですべて、民営化されてしまっていて金儲けにための施設に成り下がっている。

このときに取ったナースの資格が20年後にオーストラリアで生きるとは思ってみなかった。日本を離れて30年になるが、ナースになって本当に良かったと思っている。美濃部都政と兵衛のおじいさんには心から感謝している。
今年で73歳になるが、フルタイムでナースを続けている。職場に20年ちかく居ると、古い仲間は家族のようなものだが、このコビッドでたくさんの仲間を失った。過重勤務に逆らって辞めていった人は数えきれないし、一番仲の良かったドイツ人ナースに死なれた。1年経ったがいまでも思い出してしまうと涙が嵐のように噴き出して止まらない。

勤務の中でも夜勤が好きなのは、眠れない患者とゆっくり話ができるからだ。
50代で事故の後遺症で3歳程度の知能になった人がいた。彼のベッドのわきに座り込んで、童謡を歌い絵本を読み、彼が牧場で育った頃の話を聞いた。そのうち彼は私が出勤してくるのをドアで立って待っているようになり、いつも後をついてくるようになった。体が大きいのに仕草が3歳児で可愛い。でも傷から感染症をおこしてあっと言う間に亡くなってしまった。
1932年生まれのロシア人のおばあさんがいた。ボリシェビキのロシア革命のときにモスクワで生まれた白髪の美しい人、子供の頃の話を聞きたいが、認知症で言葉がでない。夜ベッドで大きな目を開けているので、眠れないの?と聞くと、ベッドの端に体を寄せて、ここにおいで、と誘ってくれる。昔はそうやって自分の布団に孫を入れて寝かしつけていたのだろう。
フィンランドからオージーを結婚して来たおばあさんがいた。夫に死なれ子供も親戚もなく一人ぼっち。手をつないでシベリウスの「フィンランデイア」を鼻歌とバババ、ジャジャーンで歌って笑い転げた。移民の国オーストラリアには本当にたくさんの人々が居る。

病院は人が生まれ、人が死んでいくところだ。聞くとみんな「うち」に帰りたいという。しばらくして、みんなうちに帰っていく。「うち」は地上だったり空の上だったりするけれど。うちに無事に着くまでできるだけ見届けたいと思っている。
アイルランド民謡の「なつかしの我が家」を歌ってみた。歌詞を訳すと

大きなお城で贅沢に暮らす享楽もある でも粗末な我が家に勝るところはない  見上げれば魅力に満ちたところもあるけれど  世界中探しても我が家ほど良いところはない  貧しい我が家   でも宝石をちりばめた豪邸など うらやましいと思ったことがない 我が家こそ心豊かになれる 我が家 なつかしい我が家
I am singing Irish folk song,[ My Sweet Sweet Home].
My pleasures and palaces though we may roam, Be it ever so humble, there's no place like home. A charm from the skies seems to hallow us there, Which seek thro' the world, is never met with elsewhere. Home ,home , sweet ,sweet home, There no place like home, there's no place like home.


2022年8月12日金曜日

米国中絶禁止法に反対する

米国連邦最高裁判所は、今年6月25日に妊娠中絶禁止の裁定を下した。共和党は大喜び。1973年に妊娠中絶が合法化されて50年、民主党のバイデン大統領は、この日を「SAD DAY」と言い、アメリカの歴史を50年逆戻りさせた、と怒りを表明した。カナダのトルード大統領も、これは「ATTACK」だ、と激しく批判した。
全米26州で中絶は即時禁止されることになり、そのうちの13州では中絶クリニックは直ちに閉鎖、職員は直ちに解雇。違法者には終身刑を含む厳刑が待っている。なんと愚かな裁定だろう。何と野蛮な国だろう。
ディズニ―製作会社は職員が自由に中絶できる州に旅行できるよう休暇を許可すると、この禁止法が裁定されたその日に発表した。営利企業として勇気ある発言だ

どんな悪法下にあっても、人は生まれ、そして死んでいく。
私は妊娠、避妊、中絶、子育てはすべて当人とそのパートナーとの極めて個人的な課題だと思う。人と人とが出合い、一緒に時を過ごすようになり妊娠したり、避妊したり育児したりすることは、当事者の判断で決めることであって、他人や社会や法律が規制すべきではない。ただ二人が決めことをするために助けになる決まりごとが必要だ。それは以下のことだ。

1)12歳からの性教育、ジュニアスクール(中学)からは本格的な避妊技術を含む性教育を徹底する。
2)学校を含む公衆の女子トイレに無料のパッド、男子トイレに無料のコンドームを置く。
3)各警察署、学校に性暴力専門家を置き24時間オープンの相談窓口を置く。
4)避妊薬と、アフターピル(緊急避妊薬)を医師の処方箋で、どの薬局でも買えるようにする。
5)望まない妊娠のための妊娠中絶を認め、それを健康保険扱いにする。以上だ。
私は戦後ベビーブーマーの一人だがまともな性教育も生理に関する教育も授けられなかったために知識不足と先達なしの、ひどい暗黒の少女時代を過ごした。自分で自分を守るしかないとわかって、恋人ができてからは、まだ避妊薬が厚生省で認められていなかったので、非常に高額な違法ピルを産婦人科医から買わなければならなかった。出産後は専門医に埋め込み式の避妊器具を入れた。まわりで同じことをしている人は余り居なかった。自分の体を自分でコントロールすることが、1970年代の、産婦人科学が異常に遅れている日本の女性の間では非常に困難だった。 
夫の立ち合いで、夫の手で手伝ってもらいながら出産したが、当時まだそれが珍しく、雑誌に取材を受けて記事が掲載されたりした。産院では産婦は出産後7日間シャワーも風呂も禁止で、医師の診察後にやっとシャワーが浴びられるというような、とんでもない産科学がまかりとおっていた。女はピリオドを恥ずかしいことのように隠し、ろくに避妊知識もない男に女が避妊を任せっぱなし、妊娠すれば闇産院に中絶を頼むようなことが一般的だった。50年も経っている。時代は変わらなければならない。米国のように歴史を逆戻りさせてはいけない。

避妊も妊娠も二人の問題だ。よく話し合いわからないことは調べ、医学知識を借りながら決めるべきだし、早いうちから正確な性教育を受けていれば、興味本位のエログロのぞき見趣味は押さえられる。恋愛は激情に走ることもあるから、うっかり避妊を忘れる事もある。72時間以内に安全にアフターピルで妊娠を予防することも大事だ。やむを得ず妊娠を継続できなくなったら、他の病気を同様、健康保険で安全な手術を受けるべきだ。
こんな当たり前のことを、全く同じ内容で50年前から言っている。50年前も今も決して過激な主張ではない。リベラルや左翼や革新や新しがり屋をたくさん見てきたが、私の1)ー5)までの主張に100%同意してくれる男はわずかだった。
米国では法によって妊娠も避妊も政府によって規制されることになった。「わからずや」ばかりでがっかり、先が思いやられる。

ジョンレノン作「マザー」を歌ってみた。
ジョンは父親に捨てられ、母親に死なれ、恵まれない幼少時代を祖母のもとで育った。ジョンが歌うこの歌は、彼の心の叫びのようで、ただただ悲しい。日本語訳は、以下。

かあさん あなたは僕という子供をもった  でも僕にはあなたは居なかった そばにいて欲しかったのに だから僕は言うことにする  さよなら かあさん さよなら
とうさん あなたは僕を捨てた  でも僕はとうさんを捨ててない  ぼくはとうさんが必要だった でもとうさんは僕が必要じゃなかった だから僕は今だから言うよ さよなら とうさん さよなら
子どもたち 僕みたいになってはいけないよ 僕は一歩一歩あるいてくることができなかった 走って此処まで来た  だから今言える さよなら さよなら
I am singing [ MOTHER ] written by John Lennon.
When John was a little, his father left and mother passed away, then he was grew up by his grand mother. Lonely childhood made this song.

Mother, you had me but I never had you
I wanted you ,but you didn't want me
So I, I just gotta tell you Goodbye Goodbye
Father, you left me but I never left you
I needed you ,you didn't need me
So I ,I just gotta tell you Goodbye Goodbye
Children , don't do what I have done
I couldn't walk and I tried to run
So I , I just gotta tell you Good bye Good bye


2022年8月4日木曜日

ジュリアンアサンジに自由を

ウィキリーク創始者のジュリアンアサンジは、米国政府の秘密情報を暴露報道したことで米国からスパイ罪で告発され、2010年エクアドルのラファエルコレア大統領の計らいによりロンドンのエクアドル大使館に7年間保護されていたが、2019年大統領が変わるとイギリス警察により逮捕され、ベルマッシュ刑務所に身柄を移された。
2022年英国の最高裁判所は、彼の米国に引き渡しに同意、2022年6月17日英国内務省長官は、米国引き渡しを正式に承認した。 それに対して弁護側が現在控訴中だ。彼が米国に送還されたら、スパイ罪他17件で起訴され、予想される刑は禁固刑100年余り(実質終身刑)だそうだ。絶対に彼を米国に引き渡してはならない。

ジュリアンアサンジは1971年クイーンズランド生まれのオージーだ。子供時代は、母親が離婚した夫に息子を取られないように匿ったため数十回転校を繰り返し、自宅学習で学業を学んだという。16歳のころから天才的な能力を発揮して、PCのハッキングを始め、20をすぎるとオーストラリアに於ける初めてのインターネットサービスプロバイダの立ち上げに関わる。また人権活動家がその分野で機密データを保護するための暗号設計システムを作った。
2009年ケニアにおける虐殺を暴いた調査でアムネステイインターナショナル国際メデイア賞受賞、2008年「エコノミスト」によるインデックスオブセンサーシップ賞受賞。2010年ニューステーツマン誌による「世界で最も影響ある50人」に選ばれ、「タイム」誌では「パーソンオブイヤー」第1位に選ばれた。

ウィキリークが最も注目されたのは2010年バグダッドで米軍の空爆で、武器を持たないジャーナリストや市民を、米兵たちが大笑いしながら面白がってボタンを押して殺害しているヴィデオの流出だろう。2010年アフガニスタン戦でもイラク戦でも同様の米軍の情報がリークされ世界に衝撃を与えた。2016年の米国大統領選でも民主党ヒラリークリントンが、いかに同じ民主党候補のバーニーサンダースを汚い収賄と策略で追い落としたかを暴露したのに加え、民主党の全国委員会と民主党幹部の7万通の秘密文書を公にした。クリントン財団は、サウジアラビアとカタールの金を使ってイエメンが戦争と飢餓で6万人を死に追いやり、同時にリビアの戦争も、カダフィの殺害もすべてクリントンの発案だったことが暴露された。
アサンジは、数々の米軍による湾岸戦争やリビア攻撃、ニカラグア介入、イエメン内戦、アフガン戦争での違法行為、残虐行為を告発した。またフランス政府の選挙を含め、CIAと国家安全保障局によって使われる監視プログラムを公にし、米国の外国の選挙に対する干渉を公表した。またエドワードスノーデンが香港からモスクワまで逃げるのを手伝った。彼は腐敗した権力者がもっとも秘密にしたいことを暴露し続けた。真のジャーナリストであり弱者の立場に立った良心的な告発者だ。
ベトナム戦争時、マスメデイアではなく自らの意志で現地に飛んだ岡村明彦、沢田教一、石川文洋ら戦争カメラマンが捉えた衝撃的な映像が、米国をはじめ世界の人々の良心に訴え、反戦運動が世界に広がり、米軍を撤兵させる力になったように、ウィキリークの情報は、私たちに必要な情報だ。ジュリアンアサンジの米国送還を許してはならない。

クイーンの「LOVE OF MY LIFE」を歌ってみた。1975年、フレデイマーキュリーが7年間一緒に暮らした恋人、メアリーオースチンに書いたラブソング。歌詞は

 ぼくの愛 生涯で一番大事な人 君は僕を傷つけた 僕の心を壊して 行ってしまうなんて 僕の愛 信じてくれないの 帰ってきて 僕から奪わないで どうしてわかってくれないの きっと君は 思い出すよ すべて終わって 壊れてしまった後 君はちょっと 大人になって 時間が経って 思い出させてあげる 帰ってきて 僕の愛 僕の一生かけた愛 本当の愛を
I am singing [LOVE OF MY LIFE] written by Freddie Mercury and recording by The Queen in 1975.
Freddie and Mary Orstinn had lived 7 years together however their relationship broken after Freddie found himself a Gay. Later Mary married with other man and Freddie got male partner, but Mary supported Freddie as a life long lover.

2022年7月31日日曜日

民主主義とは何だったのか

国連総会で「ロシア非難決議」に賛成した国よりも反対や棄権をした国の方が、52か国と多かった。ベラルーシ、北朝鮮、シリアなど明確に反対、キューバ、中国、インドなど35か国が棄権した。「多数決、民主主義の原理」によってロシアは非難されていない。ウクライナ、ロシア間の戦争が長期化している責任は1か国にあるのではない。もともとロシアが軍事侵略する前から主張してきたこと、1)ドンバス地域の独立自治を承認、2)クリミアのロシア帰属を国際社会が承認すること、3)ウクライナがNATO加盟しないこと、の3つは、無理な要求ではなかった。適切な第3者を交えれば話し合いで解決できたし、軍事介入後も停戦して交渉しなおすこともできたはずだ。現実にドンバス地域はすでにロシアが占領し、クリミアはすでに住民がロシア帰属を選挙で決めていた。NATOはウクライナを加盟させる意思はない。ウクライナがNATOの金で米国の武器を無限大に貰って、死の商人を肥え太らせ市民の命を奪い続けることに何の意味があるのか。ロシアは撤兵を。ウクライナは今すぐ停戦承認を。それが最低限の良識ある民主主義ではないか。

一方ロシアを独裁国家だと非難する日本は、選挙権保持者の半分しか選挙投票しない。半分の人の多数決で自民党政権が維持され、戦後ほとんどが一貫して自民党独裁国家だった。その自民党の経済基盤は大企業の金と、カルトによる詐欺と恫喝によって成り立っていた。
改めて多数決による民主主義国家とはなんぞや、これでは子供たちに民主主義とは何か、教えることができない。

ボンジョビの「ベッドインローズ」を歌ってみた。
遠くにいる恋人を思って歌う「チョイ悪男」の歌。1990年代のころのボンジョビは、とっても輝いていた。歌詞は、
  俺は古いピアノの前で酔って、傷ついてる  何故か思い出せない ウオッカが残ってて頭が割れそう  どっかのブロンド女は、まだ俺のベッド  悪い夢みたい  悪い映画みたい  殴られたショックで目が覚めたよ  だから朝からおまえと電話でフレンチキス  行進曲が頭の中で鳴り響いてるけど、  俺がずっと信じていたいのは 俺がお前を愛していて 本当にお前が俺には必要だってこと
 お前を薔薇のベッドで眠らせてやりたい 今夜俺は針の筵で眠るけど 精霊がお前を守ってくれるように お前を薔薇のベッドに横たえてやりたい もう苦労させたくないんだ
俺は今とても遠いところに居て 帰れると思うけど 王様の保釈金くらいの10セントコインをもって 公衆電話でお前の声を聴く それでも時間で切れちゃったり 電話がつながらなかったり 電線に止まった鳥がお前に 俺の心を届けてくれるまで 俺は囁き続ける  お前を薔薇のベッドで眠らせてやりたい。

I am singing ' BED IN ROSES' released by BON JOBI on 1992.
Written: I wanna lay you down in a bed roses. For tonight I'll sleep on a bed of nails. I want to be just as close as, the Holy Ghost is. And lay you down on a bed roses,,,,.
1990's the BON JOBI was brilliant, wasn't they?



2022年7月26日火曜日

自民党独裁政権、いつまで

むかし米通帳というものがあった。各家に1枚ずつ配布されて世帯主、住所が明記され身分証明書代わりになる公文書だった。それをもって米屋に行くと、必要な分だけ精米してくれて米を買うことができた。18歳で大学入学と同時に父親と争い家を出たは良いが、米を売ってもらえなくて、あやうく飢えるところだった。地方から来て下宿している友人達から食物を分けてもらったりしたけど。戦後生まれのベビーブーマーだが、米は今のように自由に買えなかった。自民党は農業が基幹産業だったときに、農政によって農家からの支持基盤を獲得してきた。人々は日々の米まで自民党に管理されていた。
農業から製造業に国の基幹産業が変化すると、高度成長によって利益を得た経営者など富裕層を、税制によって支持を得て、法人税を下げ、消費税を上げて、正規労働者を制限し非正規労働者を主体にして格差社会を作り上げてきた。
戦後日本の政権は、ほとんど自民党が一党独裁政権を保持してきたと言ってよい。日本で労働者が、その労働を報われたことなど一度としてなかった。常に分断され、長時間勤務と低賃金に晒されてきた。さらに自民党は、心の平静を求めて宗教に救いを求める人を信者に取り込み収奪してきたのか。何と罪深い政党か。宗教を収奪の手段にしてきた自民党の、構造を変えない限り再生はない。
琵琶湖周航の歌を歌ってみた。京大ボート部員だった小口太郎作詞、吉田千秋によって作曲された京大の寮歌。1941年金沢第4高等学校(今の金沢大学)のボート部員と京都大学のボート部員,11人が、琵琶湖で遠漕訓練をしていたときに、ボートが転覆し全員が亡くなった。当時強風が吹き荒れ濃い霧がかかっていて、学生たちは泳ぐ方向を見失い、互いに助け合おうとしたために、溺れたのではないかと言われている。現在でも京大ボート部は、3泊4日で琵琶湖を大津市三保ケ崎から今津彦根を経て161キロを1周するのを伝統行事にしている。
I am singing [ Boating Biwa Lake] composed by Yoshida Chiaki and written by Oguchi Taro who was one of Kyoto University boat club member. On the April 1941, 11 university students drown and lost their lives while the boat had turned upside down by violent blowing wind and cold thick mist. Despite such a tragedy, this song is loved by people, as a college song



2022年7月8日金曜日

今日亡くなった元首相について

安倍晋三氏の死亡はオーストラリアの公営放送でもニュースで伝えられた。現地日本のオージーレポーターが、「日本では銃規制が厳しいので銃による犯罪は、YAKUZA以外には皆無です。にもかかわらず、、」とレポートしていたのには笑ってしまった。YAKUZAを世界的に有名にしてくれたのは、ショーンコネリーか、アランドロンだったか。

安倍内閣が2020までに6年間で成立させた法案がこれだけある。
1)特定秘密保護法
2)安全保障関連法
3)TPP関連法
4)共謀罪法
5)働き方改革法
6)カジノ法案
軍事費を増大させ軍国化し、法人税を下げて優遇し、消費税を上げて貧富差を拡大させ労働者を貧困に突き落とし、NHKに介入し報道の自由を懐柔し、医療崩壊を招き、世界でも前代未聞に2回も途中で仕事を投げ出したのは、誰だったのだろう。
彼はテロの犠牲者として国民葬にでもなるだろう。感情に流されやすい日本人。これで流れを変えてはいけない。明後日は参議院選挙投票日。
大きく目を開けて、選挙に行って欲しい。

I am singing 'No body loves you" by John Lennon.