「5年前に初めて会った時から、ずっと好きでした。」と、元アフガン戦士、熊のような大男に言われて、ゲゲ!!!まずい、メンドくさ!
5年前、下行腎静脈が詰まって不具合をきたし大病院で、透視造影を見ながら静脈にコイルを入れる手術をすることになった。「やってみなければわからないので、手術が2時間で終わるか4時間かかるかわからない。終わったらナースが回復室から家族に電話をするので迎えに来てもらってください。」とドクターに言われて困った。何時に終わるかわからない身柄引き受けを頼める人がいない。やむなく以前乗ったタクシーで、必要な時は会社でなく自分に電話をください、といって名刺を渡された運転手に電話をした。
その人は自宅から40分ほどの距離の病院で、私を下ろして病院の駐車場で4時間、手術が終わるまで待っていてくれた。全身麻酔の反覚醒状態で、身柄を引き取ってもらって、ずいぶん親切な人だ、と思った。
車の事なら何でも相談してください、と言われていたので、家の前で車を追突されたとき、運ばれた救急病院から電話をした。「まっすぐの見通しの良い1本道で、右折のウインカーを出していたのに、相手はスピードを緩めずぶつかってきた。私は悪くない、悪くないのに車はぺっちゃんこ!どうしてくれるんだ。」と1オクターブ高い黄色い声で、きゃーきゃー言いたてたら、「だまりなさい。私にまかせろ。」と一言。黙っているうちに事故車の引き取り先と、手ごろな値段の新しい車を自宅まで届けてくれて、事故処理一切をやってくれた。パールホワイトのピカピカの新しい車が来て、嬉しくて、ずいぶん親切な人も居るものだ、と思った。
胃も腸も内視鏡検査を受けることになって、再び病院で全身麻酔で検査を受けて、、回復室にいる私を家族の代わりに迎えに来てくれて、本当に親切な人だと思った。でも他にも足の悪いおばあさんをよく助けているようなことを言っていたので、年寄りに親切な人なのだと思っていた。
1年経ってピカピカだった新しい車も、不用意で不器用で不注意な運転のため、みごとに前後左右かすり傷だらけになった。どうしてコーナー曲がるごとに車体に傷がついてしまうんだろう。で、電話をしたら、ついてきなさい、と修理屋まで先導してくれて、修理屋は、車の外側をぜんぶ取り外して、叩き直してペンキを塗って大きなオーブンで乾かすのだという。全部治って来るまで、私の職場の送り迎えしてくれた。ずいぶん親切な人だと思っていた。
遠くに住む娘家族と、少し離れたところに住む娘、みんなを連れて日本にスキー旅行をした時、空港への送り迎えをしてくれて、行くとき飛行機の中で食べるようにと、ナッツお詰め合わせを持たせてくれた。
職場から派遣されるカンファレンス、夜の会合、友達とのデイナー、など数え切れない程、送り迎えをしてくれた。とても親切な人だと思っていた。
クリスマスに家族が来るので、古ぼけたカーペットを捨て、新しいのを買おうと、IKEAに行ったが気に入ったカーペットは重くて大きくて、とてもIKEAのセルフサービスで持って帰れない。電話をしたらすぐ来てくれて、6畳間用の重いカーペットをひょいと畳んで肩にかついで運んでくれた。家に着いて、自分でもびっくり、カーペットの上のでかい机は、読みかけの本、読み終わった本、読む予定の本が30冊あまり乗っていて、食べかけのお菓子、飲み物、請求書やいろいろごたごたが載っていた。それを動かし、古いカーペットを丸めて倉庫に仕舞い、新しいのを敷いて机を元の通りにもどしてくれた。その速さと丁寧さには目を見張った。ずいぶん親切な、、、
そこで突然、中腰になった元アフガン戦士に「5年前から好きでした。」が始まったのだった。私が76で、あなたは16歳年下だって、わかってるよね。で、、、こうして「ずいぶん親切な人」が、「わたしの特別な人」になったのだった。
娘たちがそれぞれ家族を持ち、「おかあさん業」を終え、2度も未亡人になって「妻業」を終え、このままの脳みそが働らいてくれる間は、仕事を続けて、あとは死んでいくだけだよな、と思っていたが、そっとあたためてくれるブランケットができて、このごろはよく眠れる。


