宝石店テイファニーは、1837年にチャールスルイス テイファニーによってニューヨークで創業された。彼はフランス革命の時、飢えた人民から斧をもって追われ命からがら財産を投げうってフランスから脱出を試みた貴族たちから、極上で希少な宝石を安く買い付けて富を築いた。このとき革命まで飽食と贅沢の限りを尽くした貴族たちは、階級制度とともにフランスから完全に放逐された。
1878年、南アフリカから世界最大で、最高級最高品質のファンシーイエローダイヤモンドを手に入れたテイファニーはその後、12.8カラットの「リボンロゼット」という装飾品を作って映画「テイファニーで朝食を」の宣伝用ポスターでオードリーヘップバーンに身につけさせた。
この映画はニューヨークマンハッタンのアパートで、女優になる夢をもって裕福な事業家達のエスコートをやっている娼婦と、いつか作家になる夢を持った青年との恋の物語だ。事業家たちは夜はオードリーを必要とするが、朝になったらホテルから放り出すから彼女はテイファニーのデイスプレイを見ながら、パンをかじってアパートに帰る。作家の卵も金持ちの人妻とベッドを共にして、お小使いをもらっている。このへんは、原作者トルーマンカポテイのシニカルなアイロニーが効いている。原作はロマンチックコメデイではない。
ヘップバーンは「ローマの休日」の気品に満ちた若く初々しい女王役や、「シャレード」の健気な未亡人役から一転して、はすっぱな娼婦の役を演じている。彼女が故郷を思い出しながらギターを持って歌う「ムーンリバー」は、その年のアカデミー賞を受賞した。
残念ながらこの1960年代に造られた映画は、実に差別的だ。まず、彼女の住んでいるアパートには、ほかの若者たちと同じように将来認められて立派なカメラマンになりたいという夢を抱いている日本人が住んでいる。ヘップバーンがいつも鍵を忘れてきてアパートに入れないと、彼を無理やり起こしてドアを開けさせる。すると彼は立腹し、怒鳴りながらドアを開けてやるのだ。その彼が日本人だと誰の目にもわかるのは、「ハゲ」で「デブ」で「釣り目」で、「眼鏡」で、「出っ歯」で、なぜがいつも「カメラ」を首から下げているからだ。そして下手でアクセントの強い英語でヘップバーンを罵倒するけれど、彼女は意に介さないシーンに、映画を見ている観衆は腹を抱えて爆笑する。こういうシーンが繰り返される。
映画製作者は、マンハッタンは若い文化人のキャピタルだ、でもそれは白人だけのものという否定しようのない人種差別が常識だった時代に沿って映画を作った。製作当時1960年代初めには、このような人種を笑う、外見を笑う、皮膚の色を笑う、下手な英語のアクセントを笑うことが、平気で行われていた。
1960年代初頭は、マルコムXや、キング牧師などによる黒人公民権運動の広がりの中で、やっと人種差別が社会悪として、捉えられるようになったばかりのころだ。それが後の反ベトナム戦争につながっていくが、米国では徴兵制があり反戦運動をすれば、国辱者として禁固刑をうけるのが当然の時代だった。
米国では1870年に南北戦争ののち黒人の人権が約束されたにも関わらず、黒人の「投票権法」が制定されたのは、1965年のことだ。米国はとんでもない野蛮な差別国家だった。
もう一つこの映画で私が嫌いなところは、ヘップバーンがいったん作家の卵を振り切ってアパートを出ていくときに、飼っていた猫を、豪雨に中で外に捨てていくところだ。こんな非常識なことをされたらたまらない。結局、彼女は戻って来て若者と一緒になることに決めて、一度捨てた猫を拾い上げてハッピーエンドになるわけだけれども、一体命ある猫を何だと思っているんだ、と激しく怒るわけで、「よかったね」と若いカップルの恋物語を見ても、全く、100%、幸せな気持ちになんか絶対、全然ならない私なのであった。



