2017年11月20日月曜日

レンブラントとオランダ黄金時代作品展

                                                                     
アムステルダム国立美術館:ライクスミュージアムから、レンブラントなどの作品がシドニー州立美術館にやってきて展示されているので行ってみた。

父がレンブラントの絵が好きだった。どうしてだかわからない。
英国に留学する途中で立ち寄ったオランダで、チューリップの愛らしさと、レンブラントの光と影に心を奪われたのかもしれない。1ドル360円の時代、海外に持ち出せる円が極端に制限されていた。私大の教授ごときに航空券など買える訳がない。貨物船に乗せてもらって何週間もかけて欧州に渡ったのだ。欧米人は、日本人を見かけると唾を吐きかけたりジャップとかチンクなどと呼び、白人社会の差別が残っていてアジア人にも人権があるなどと大声で言う人も居なかった。
父は明治生まれ、旧武家の長男で頑固者。「女はみんな馬鹿だ。」などと平気で言い、私生活では、家族には抑圧者以外の何物でもなかった。戦後民主主義の思想家、経済学者だった大内兵衛が育ての親で、甥だったとはとても思えない。ひとつだけ庭いじりが好きだったところは似ていた。兵衛の鎌倉の家に至る斜面には、数えきれないチュ-リップが植えられていて見事だった。父も阿佐ヶ谷の家でチュ-リップを育てた。兵衛の采配で、一番弟子だった宇佐美誠次郎の妹ふみと、父とが結婚することになったとき、母が阿佐ヶ谷の屋敷を訪れて帰る時に、父が庭に出てチューリップを切って母に渡したが、手が大きく震えていた、という。もったいなくて。
という話を母が言うごとに大笑いしたが、当の父は「あたりまえだ。せっかく大事に育てた大輪の花だったのに。」と弁解(?)した。
外国でどの国が好き?と父に聞くと、迷わずオランダと答えた。長い船旅の途中で立ち寄ったオランダでみごとなチューリップを見て感激し、自然光だけのほの暗い建物の中でレンブラントを見て深く感動したのだろう。

オランダは、1600年初めに何万人もの国民を溺死させた、低い(ネーデル)土地(ランド)に住む人々の国だ。自分達の住む土地よりも高いところにある北海に対して堤防を作ることが全国民の悲願だった。そのために国民が一丸になって堅実、着実、倹約、質素、忍耐、質実な生活をすることが求められていた。ダッチアカウントは、そのための必要性から生まれた文化のひとつだ。そうして低地の特質を生かし、運河で物資を輸送し、風車や泥炭など’安価なエネルギーを使って貿易、産業を振興した。

スペインから独立してからの17世紀のオランダは、黄金時代と呼ばれ貿易では東インド会社が世界初の多国籍企業として、株式を財源としてアジア貿易を独占、香辛料で世界経済を制した。そして1世紀以上の間、貿易、産業、科学、芸術の中心となった。
ローマンカトリックによる偶像崇拝を嫌い、プロテスタントとして簡素な教会を持つ一方、豊かな商人達は芸術を愛し、絵画を教会にっではなく自分たちの屋敷に飾った。このころオランダでは、彫刻家が出なかったことと、教会に飾る宗教画が描かれなかったことは、特筆に値する。当時、オランダを訪れたイギリス人が、「オランダではどの家の壁にも絵が飾ってある。」と言って驚いたという。

今回ニューサウスウェルス州立美術館に、アムステルダム国立美術館(ライクス ミュージアム)から貸与された絵画の作品展が開催された。わたしには、レンブラントとフェルメール以外の画家の名は、知らない人ばかり。勿論作品を観るのも初めてだ。

ヤコブ ファン ロイスダール(JACOB VAN RUISDAEL)の風景画が青い空、のどかな農家を描いていて美しい。低地国なので風景画に山や岩壁や滝がない。どこまでも平面で、青い空には入道雲がモクモクと昇り広がっている。夏の青い空と入道雲。そんな空のことを「ロイスダールの空」というのだそうだ。ちょうど偶然、犬養道子の評論を読んでいたら、オランダの風景を「どこを見ても起伏のないまったいらな緑かかった土地、広すぎる上空はあわただしい雲をあとからあとから流していた。オランダ派画人の好んで描くあの独特の空。」と書いていて、ロイスダールの空に触れている文章があって、なんかとても嬉しかった。

ヤン ステーン(JAN STEEN)の描いた絵が興味深い。「陽気な家族」、「聖ニコラスの祝日」の2作で、男も女も子供達も大いに寛いでいる。贅沢な食べ物、酒、酔っぱらった大人たちの自堕落で醜悪な姿。足温器に足をつっこんでぐうたらしている。怠け者を扱った寓意画。こういった怠け者のことを、「ヤン ステーンの絵みたいな奴。」とか「ヤン ステーンの絵みたいなことは止めよう。」とか表現に使うそうだ。国民の命を守る堤防を強化するために質素、倹約、堅実、忍耐を目標とする国民性ゆえ、浪費や怠惰は半倫理、反社会的なのだろう。働いた後はぐうたらして何が悪いか、絵のように楽しくやればいいじゃないかと思うけど。

フランス ハルスの「陽気な酒飲み」も楽しい絵だ。ウィレム カルフの「銀の水差しのある静物」は美しく、 ヘンドリック アーフェル カンプの「スケートをする人のいる冬景色」では低地国の寒い寒い冬が想像できる。 ピーテル デ ホーホ「家の裏庭にいる3人野女性と1人の男性」など、普通の人々の何でもない日常が絵の題材になっている。
ヤン ダヴィス デ ヘームの静物画「ガラスの花瓶に生けた花」は、今回の絵画展の作品のなかで一番色彩が豊かで、精密な描写でだんとつに美しい。花びらの筋、葉についた青虫、蜘蛛までよく見ると居る。ガラスの花瓶には張ってある水だけでなく、そこに映った後の窓まで描いてある。1665年作と思えない花の配置や描き方も現代に通じる。観て描くということが今も昔も何一つ変わりはしない絵の基本だということが良くわかる。色の使い方が秀逸だ。

レンブラントはイタリアのカラバッジョ、フランデルのルーベンス、スペインのベラスケスとともにバロック期を代表する画家だが、若くして肖像画家として成功し、20歳前にすでに弟子を何人も持っていたという。エッチングでも優れた技術を持ち、印刷機を自分で所有してたくさんの作品を残した。レンブラントは、常に新しい技術を絵画で試して挑戦してみることを厭わなかった。その練習のためにお金にならない、売り物にならない「自画像」を75点も残した。

この絵画展での目玉は、レンブラントの自画像のひとつで、55歳の時の作品、「聖パウロの姿をした自画像」。1661年作。質感を出すために、重ねて重ねて塗って塗り重ねてあるので、窓からわずかに差し込む光で顔が立体的で生き生きして、いま生きてここにいる人のように見える。これが光と影の魔術師と呼ばれるレンブラントの絵だったのか。レンブラントは暗い、沈鬱、レンブラントなんて昔の人でしょう。生命がない、色がない、明るくない、と思い込んでいただけに、実物を初めて見てジワジワと胸に迫り溢れてくるものがあった。見て良かった。生命も色も明るさもある。父もそう思っただろうか。父も光と影、光に当たった部分の輝きに心躍る躍動感と生命力を見ただろうか。

もうひとつの今回の絵画展での注目は、ヨハネス フェルメールの「手紙を読む青衣を着た女」1663年作。ライクスミュージアムは、フェルメールの「牛乳を注ぐ女」、「小路」、「恋文」を所有するが、今回シドニーに来たのは、この1点のみだった。
フェルメールは生涯で35点の作品しか残さなかった。彼の絵にはよく手紙と地図が出てくる。35作品のうち、手紙が絵の中にあるのが6点、地図が7点。この作品には手紙も地図も両方描かれている。
朝の光の中で、とても大切ななにかが書かれた手紙を女が立ったまま一心に読んでいる。女はブルーの絹のジャケットを着て、後ろにはスペイン椅子があり、椅子の背もたれにはライオンの彫刻が施してある。壁には世界地図が貼ってあって、机には宝石とスカーフが無造作に置かれている。女の着ているブルーのジャケットは朝の光に当たっている部分は薄いブルー、そうでない部分は深くて濃いブルーだ。当時の裕福な商人の若い妻だろうか。貿易商人の夫は植民地ジャカルタに行っていて、妻は、心のこもった夫から手紙を何度も何度も繰り返し読んでいるのだろうか。
青色はアフガニスタンでしか採れない宝石、ラピス アズーリを砕いたものだ。この青が素晴らしい。どんなに高価でも、この色を使いたかったフェルメールの気持ちがわかるような気がする。
どんな絵も先入観にとらわれず、見てみるものだ。17世紀の絵も今の絵も新しい。良いものはいつまでたっても生命力溢れて、人々にエネルギーをもたらしてくれる。良い週末を過ごした。
写真は、
レンブラント
ロイスダール
ヤン ステイン 
フェルメール

2017年11月12日日曜日

オージー議会:二重国籍てんやわんや

オーストラリアでは国民の26%が海外で生まれ、49%が自分自身または親が海外生まれだ。そして二重国籍者は記録では全人口の6分の1ほどだが、実際にはもっと多いだろう。
4人に1人以上の割で外国生まれだから、日本でいう国際結婚は当たり前だ。オーストラリア生まれの日本人夫婦の子供は、二つのパスポートを持ち二重国籍で育つが、日本は例外なしに二重国籍を認めない珍しい国なので、21歳になると、どちらかの国籍を選び、どちらかのパスポートを返さなければならない。しかし今後は日本も、国籍に関しての鎖国政策を止めて徐々に様々な例外を認めて行くようにならなければならないと思う。

オーストラリアは、18世紀にイギリスとアイルランドから送られた囚人によって国の基礎が作られ、その後ドイツ、デンマーク、北欧、イタリア、ギリシャなどの移民を受け入れた。1930年代にはユダヤ人、東欧の国々が入国、ベトナム戦争ではボートピープルが難民として、また天安門事件のあとでは数万人の中国人を難民として受け入れて来た。移民によって形造られてきた国という意味ではアメリカやカナダに似た多様な文化を持つ。しかし、3国ともに、移民が始まる前に住んでいた先住民族を、極めて残酷な武力によって迫害してきた醜悪な歴史を持つ。

オーストラリアでは二重国籍は違法ではないことは勿論のことだ。49%の外国生まれの
国民の国籍を、いちいち審査し規制することなどできない。
しかし、国会の連邦議員は、憲法によって違法とされていて、二重国籍者は、排除される。憲法第44条第1項では、「外国に忠誠を尽くし、服従もしくは加担すると認められる者、外国の臣民もしくは市民であるもの、または外国の臣民、もしくは市民の権利や特権を有するもの」は、議員資格がない、と明記されている。
二重国籍を持った議員が悪いことをするとしたら、選挙で選出され連邦議員でいる最中に、不正取引や収賄でスキャンダルを起こし追放されたあと、別の国に行ってまた議員になって居座る、とか、国家の重大秘密情報を議員でいる間に収集して他国のスパイ活動をする、とかだろうか。

しかしこれほど外国生まれが多いオーストラリアで、寝た子を起こす、とはこういうことか。今年の7月に突然、グリーン党の連邦上院議員スコット ラドラムと、ラリッサ ウオーターズが、自分は二重国籍者だったと表明して辞任した。ラドラムは10代のときに親がオーストラリアに帰化したがニュージーランド国籍がいまだに残っていたという。ウオーターズは、出生日の1週間後にカナダ国籍法が改正されたため自分にカナダ国籍が残っていたことを知らなかったと表明。どちらも精錬潔癖なグリーン党の若い議員で、彼らの潔癖な人柄を思わせたが、自由党党首マルコム ターンブル首相は彼らのことをケチョンケチョンにけなし、労働党も口をとんがらかして批判、二人はこれまで受けた議員報酬もすべて返却して辞任した。

これで済めば良かったものの、マルコム ターンブル首相の閣僚で資源相マット カナバツが、本人の承諾なしに母親がイタリア国籍を申請していて、本人はそれを知らず、イタリアに行ったこともなかったのに国籍があった、ということで現職閣僚が辞任。
続いて極右政党のワンネーション党、マルコム ロバーツと、ジャステイン キーの二人が英国国籍を持っていて、英国国籍を放棄したのが選挙の5か月後だったことがバレて辞任。

その後、誰もがあっけにとられたのが、副首相バーナビー ジョイスで、彼はニュージーランド生まれの父親を持ったため、自動的に二重国籍を持っていた。ターンブル首相より人気のある、「できる男」。副首相でいわば国の顔、現職の農業水資源大臣だ。ターンブル保守連合政権は、自由党と国民党の連合政権だが、バーナビー ジョイスは上院議員でなく、下院議員なので、150議席の76席が保守連合、バーナビー ジョイスが抜けるとターンブル首相は議会で過半数を取れなくなる。首相は右腕を失い、議会では多数派でなくなった。 上院議員の場合、議員が辞めても同じ政党の次の候補者が繰り上げ当選して後を継ぐので党派を確保できるが、ジョイスの場合下院議員なので国民党議員が後を継ぐことはできないのだ。

バーナビー ジョイスは彼の地元、ニューサウスウェルス州ニューイングランドに戻って連邦下院選挙区で補欠選挙が行われることになった。もちろん彼は立候補したし、再選が確実視されている。ここでもうターンブル政権の傷に塩を擦り込むのは止めればいいのに、バーナビー ジョイスと同じ国民党副党首、ナッシュが英国国籍を持っていたことが分かり、辞任した。それにしてもオーストラリアのファーマー達からオーストラリアの歴史以来代々と信頼を受け支持されてきた頑固者、保守政党国民党の党首と副党首が外国人(半分)だったとは何という皮肉。

止めればいいのにブルータスお前もか。ニック ゼネフォン党のニック ゼネフォンが、父親はキプロス生まれのギリシャ人だったと名乗り出て大騒ぎ。彼はサッサと辞職して、故郷のアデレードに帰ってしまった。そして南オーストラリアの州選挙に出馬すると言っている。優秀な弁護士出身で、ポーカーマシン賭博規制を公約し、出馬して行動力と力量と、独特のカリスマ性をもって連邦議員になり、マスコミに顔が出ない日はないほど活躍中の58歳。人権問題に真摯に向かい合い、マレーシアで反政府団体を支援してマレーシアから強制国外退去処分にあったこともある。自分の名前を党名に着けて、3人の上院議員を送り込んだ。国籍問題ばかりに大騒ぎして政治上の重要項目をまったく審議さえしていない現在の中央政府を早々と見限って、州政府に自分の場を作るということだろう。

このように多国籍国家、移民国家のオーストラリアであるのも関わらず、二重国籍ということで役職を辞任した連邦議員が今のところ8人、灰色議員と言われる議員が3-4人まだいて、追及が留まるところを知らない。たまたま自分の党に該当する議員が居なかった労働党の党首ビル ショーテンは有頂天で嬉しそうに厳しく政府を追及している。
「この国の法を作る議会で、議員が法を違反していることを赦してはいけない。」たしかにそうだろう。だが、もういい加減にしたら良い。
この争いは何も生まない。

二重国籍者、多重国籍者が何をしたというのだ。何を壊し、何を傷付けたというのだ。
一方、多国籍企業の方はどうだ。
世界中の富を奪い、圧倒的多数の人々から、石油を奪い、水を奪い、食糧を独占し苦しめている。怒りの矛先を向けるべきなのは、そっちだ。

(写真はニック ゼネフォン)

2017年11月4日土曜日

映画「ルート アイリッシュ」と軍需産業と傭兵と

映画:「RUTE  IRISH」
監督:ケン ローチ
キャスト               
マーク ウォーマーク:ファーガス
アンドレア ロウ  :レイチェル
ジョン フォーチュン:フランキー
トレバー ウィリアムズ:ネルソン

ストーリーは,
英国 リバプール。
ファーガスは子供の時からフランキ―と仲の良い双子のように親友同士で、いつも一緒だった。フランキーの妻、レイチェルは夫が妻の自分よりもファーガスを大事にしていることに、いつも不満を感じている。そのフランキーがテロにあってバグダッドで死んだ。ファーガスの憤りと悲しみは尋常ではない。
ファーガスは、英国軍特殊部隊SASに属してイラク戦争に関わり、退役してからも民間会社の傭兵として、フランキーと一緒にイラクにとどまっていた。帰国しても仕事はなかなか見つけられない。1カ月1万ポンドという破格の給料に魅かれて、傭兵になった。ファーガスは、自分がフランキ―を誘って現地に留まった結果事故に遭った、フランキ―の死に責任を感じている。

フランキーは、バグダッド空港と市内の米軍管轄地(安全地帯)とを結ぶ全長12キロのルート アイリッシュと呼ばれる、世界一危険な道路で乗っていたトラックごと爆破されたのだった。テロリストによる攻撃は毎日のように起きた。しかし、フランキーが死ぬ直前、ファーガスに「話がある」とメッセージをよこしていたことが気にかかっていた。フランキーは、何を伝えたかったのだろうか。
ファーガスはフランキーの葬儀の場で、自分にあてて送られた小包みを受け取る。中身はフランキーの携帯電話だった。中にはヴィデオが写されている。そこには、傭兵が、タクシーに銃撃を浴びせて乗っていた子供を含む4人の家族を撃ち殺すシーンが収められていた。ビデオでは、銃撃のあとタクシーに駆け寄ってドアを開けるフランキーの姿も映っていた。軍人による一般市民への殺人は赦されない。フランキーはテロリストに攻撃されたのではなくて、傭兵仲間によって、自分の犯した犯罪を隠蔽するために殺されたのではないか。フランキーがテロリストによって爆破された車は、普段傭兵が使う軍用ジープではなく、簡単に銃が貫通するような、普通車だったのもおかしな話だ。

そんな疑問を持ち始めた矢先、アフガ二スタンからネルソンという傭兵の中でも粗暴で暴力的な男が帰国してきた。そして彼はいきなりファーガスの家を襲い、フランキーがファーガスに送った小包みに入った携帯電話を取り返していった。怒ったファーガスはネルソンが、親友フランキーを殺したに違いないと確信して、彼を拉致して、CIAお得意の水攻めの拷問で殺す。しかし、そのあとでネルソンはフランキーが死んだときには、すでにイラクからアフガニスタンに移っていたことを知らされる。では、誰がフランキーを殺したのか。

ファーガスやフランキーを雇っていたコントラクター(会社)は売却されて新たなオーナーを迎えるところだった。会社はフランキーが握っている、傭兵の市民虐殺というスキャンダルを、隠して無かったことにしたい。それで会社は故意にフランキーをルート アイリッシュを通過する仕事ばかりを任せて、テロに遭って死ぬように仕向けたのだった。事情がわかったファーガスは、コントラクターの雇い主2人が乗った車を爆破する。親友フランキーのかたきは取った。しかし、仕返しをするために巻き添えに何人もの人も殺してしまった。もうファーガスは、フランキーが居た頃のようなもとには戻れない。
ファーガスは子供の時からフランキーといつも乗っていたフェリーに乗って、フランキーの骨を抱いて、河に身を投げた。
というお話。

親友に死なれた男が、捨身で親友の仇を取る、復讐 アクション映画。
テーマは、米英を始めとする大国による不理屈な戦争介入によって、軍人が市民を守るどころか現地の人々を蹂躙する現状を、激しく批判している。傭兵という戦争のプロが、戦場では大きな役割を任されていて、軍人のように軍規に縛られない分だけ、勝手気ままに現地の人々の生活を破壊している。また英国の失業率の高さ。兵役を終えて、故郷リバプールに帰国しても、ブルーカラーの自分達には就職できる当てがないため、戦地に留まり傭兵になって、命を引き換えに稼がなくてはならない現状も描いている。
映画の登場人物が、みな粗暴で暴力的だ。「ファッキンなにがし、ファッキンどうした。」ばかりで、放送禁止用語が2時間の映画の中で1000回くらい出てくる。

ケン ローチの映画はいつも労働者階級の人物が描かれるので、舞台はリバプールとか、グラスゴーとかで、なまりが強い。この映画も登場人物全員が、たった一人を除いて強いなまりで話す。ただ一人のきれいな英語を使う人物がイングリッシュ出身のコントラクターの持ち主、ファーガスたちの雇い主でフランキーを死に追いやった悪い奴だ。英国は階級社会だから話す言葉で、出身も属する階級も教育レベルもわかるところが興味深い。キングスイングリッシュやクイーンイングリッシュをしゃべる奴は悪い奴!! ケン ローチの映画に出てくる人々は、イエス、ノーではなくてナインだし、DOWNはドゥーン、HEADはアイド、NIGHTはニート、RIGHTはリート、TAKEはテク、MAKEはメク、MONDAYはモンデイ、NOWはヌー、ABSOLUTEはアプソリュ―ト、などなど聞き辛く、イングリッシュの字幕が必要だ。

いまや戦争は完全にビジネスになっている。戦争を始めるのは金のため。続けるにも、勝つのも金次第。かつて第二次世界大戦前には武器産業は無かった。戦争中は自動車会社や石油会社が国策として武器を作った。しかし、戦後、米国を中心に新しい武器開発が盛んにおこなわれるようになり、できるだけ自分達の国民の血を流さずに相手国に多くの血を流させる、最小の犠牲で最大効果を出すための兵器研究、開発が促進されてきた。大学では国防総省からの豊富な資金をもとに産学協同で武器を開発し、政情不安定な国々に武器輸出を推進する。

米国の軍需産業では、ロッキード マーチン、ボーイング、ジェネラル ダイナミックス、ノースロープ グラマン、の5つの企業が武器生産に関わる無数の関連企業を牛耳っていて、全米の国防費の40%を占めている。おとなしく飛行機を作っていれば良いのに。 武器輸入最大国アラブ首長国連邦、サウジアラビア、カタール、イラク、中国などが上得意先だ。軍需産業は売れるから、生産を止められない。武器の開発費は、輸出して得られる資金に依存しているから、沢山一度に人を殺せる武器を開発するために、今すでのある製品を売りつくさなければならない。作るだけ売れるから戦争を温存して続消させなければならない、という循環を無限に繰り返している。企業論理では、国籍よりも利益が優先だから、敵国であろうが同盟国であろうが、かまわず武器を売る。
かつて’戦争は国の独立のため、正義のため、自由のため、他国からの侵略から自国を守るためにあった。しかし今、起きているすべての戦争に正義もなければ、自由を求めて戦う人々も無い。軍需産業を太らせるために、終わりのない戦争を続けるだけだ。

戦争をしている兵士たちも国から派遣される軍人でなく、民間会社に雇われた傭兵だ。傭兵をかかえるコントラクターは、用心警備、施設、警備、現地向けの軍事教育、兵站等、軍の任務のすべてをカバーする。軍の強化、増大化には政治問題化しやすいが、民間に雇われている傭兵の数は表には出ないので、トラブルにならない。傭兵の死は公式な戦死者として扱われない。そのため、国民から戦争批判を浴びなくて済む。
そのかわり軍のような厳しい軍規がないので派遣される現地で問題を起こすことも多い。2007年米国ブラックウオーター社に雇われた傭兵が、17人の女子供を含む家族を虐殺した事件や、2004年、ファルージャで民衆によって殺された3人の傭兵が橋に吊るされた事件も記憶に新しい。いかに傭兵が地元の人々から憎まれているかよくわかる。
1991年湾岸戦争では全兵士の内、傭兵は100分の1に過ぎなかったのが、2003年イラク戦争では10分の1になった。兵士の10人に一人は傭兵であって、死んでも戦死者として扱われず、軍人恩給も出ない。イラクでは多い時で、後方支援や警備活動を含め26万人の傭兵が米国政府のために働いていたという。

死の商人は武器を作って売るだけでなく、傭兵も売りに出しているのだ。1991年ソ連崩壊と冷戦終結によって、軍縮が叫ばれるようになり優秀な失職した兵士に就職先が必要だった。またネパールのグルカ兵など植民地時代の遺産的、よく訓練された兵もコントラクターにとっては重宝された。しかし傭兵の需要が増してくると、アフリカのシオラレオーネのような貧しく失業率の高い国から子供を含めた傭兵を集めて来て低賃金で戦争に駆り立てるようになった。戦死してもニュースにならず、戦死者としてカウントされない。人の目に触れない。
武器商人が国の経済を牛耳り、敵味方に関係なく、売れる国に売れるだけ武器を売りつけ、戦争は始まりも終わりもなく、戦っているのは民間の傭兵で、雇い主コントラクターの命令通りに給料をもらって人を殺す。何のための戦争であろうが、誰のための戦争であろうが、傭兵は給料のために待遇の良い会社の側に立って相手を殺す。
どこにも正義はない。
哀しい映画だ。

2017年10月28日土曜日

映画「私はダニエル ブレイク」と福祉社会の崩壊

原題:「I;DANIEL BLAKE」
監督: ケン ローチ                     

キャスト
デイブ ジョンズ :ダニエル ブレイク
ヘイレイ スクアーズ:ケイテイー
2016年カンヌ映画祭パルムドール賞、2017年英国アカデミー最優秀映画賞、最優秀主演男優賞、ロカルノ国際映画祭、デンバー映画祭、シーザーアワード、エンパイヤ―アワード、ヨーロッパ映画アワードなど受賞。

オックスフォード大学を出てBBCに入社したエリートなのに、一貫して労働者階級の視点に立って社会批判をしてきたケン ローチ監督。イタリアリアリズム手法で、素晴らしい映画ばかりを作って来た名匠も、81歳になって、もう引退宣言をしたはずだけれど、政府の福祉政策が機能していない現状に怒り狂って、この映画を製作した。監督の憤怒の結晶だ。
テーマは、彼が50年前(1966年)に製作した映画「CATHY CANE HOME」(キャシー故郷に帰る)と全く同じ。福祉とは誰のために、何のためにあるのかを鋭く問いかけている。この映画では、キャシーが幸せな結婚をして、新築の素敵なアパートに入居するが、子供禁止で子持ちは入居できないアパートだったので仕方なく引っ越しするが、夫が運悪く大怪我をして収入を絶たれ、赤ちゃんを抱えて夫婦はホームレスとなった末、子供をソーシャルサービスに奪われてしまう。そんな不条理な社会に翻弄される若い夫婦を描いた作品。
あれから50年経ったが、社会福祉政策は一向に良くならないで、悪くなるばかり。福祉制度そのものが形骸化しており、人間味のないものとなり、救われなければならない人々が、年齢や性別の関係なく取り残されている。一部の富裕層ばかりが肥え太り、大多数の真面目に働いて、社会を支えてきた善意の人々が報われない社会になっている。

ケン ローチは言う。政府の福祉関係者は、「人を人として扱わない。人を辱め、罰することを平気でやる。真面目に働く人々の人生を翻弄し、人を飢えさせることを武器のように使う政府の冷酷なやりかたに憤る。」と、政府の援助を受けるための複雑で官僚的なシステムと、それに関わる職員達を激しく批判している。

ストーリーは
英国、ニューカッスル。
59歳の大工、ダニエル ブレイクは職場で心臓発作を起こして倒れ、医師に仕事を続けることを止められたため失業する。病気が良くなるまで政府の福祉を受けなければならなくなって、失業手当を申請するため福祉事務所に行ってヘルスケアプロフェッショナルの審査を受ける。審査官に医師の診断書を渡してあるのに、50メートル歩けるか、電話のダイヤルが回せるか、自力で排便することができるか、などという馬鹿げた52問の質問に答えさせられた挙句の末に、ダニエルには失業手当が出ないと言い渡される。

納得のいかないダニエルは、審議不服申し立てをするために福祉事務所に電話するが、1時間48分間も待たされた後で、不服申し立てと、新たな手当受給申請をするには、すべてがオンラインサービスなので、オンラインで申請するように指示される。パソコンを使えないダニエルには手も足も出ない。
職安の待合室で職員の説明を聞くために列に並んでいたダニエルは、子連れのケイティという女性が、約束の時間に遅れたという理由で、係員との面接を拒否されて、言い争いをしている現場に立ち会う。遅刻しただけなのに聞く耳を持たない係員は、警備員を呼んで彼女を排除しようとする。その横暴さにに怒ったダニエルも、ケイテイと一緒に役所から排除、追い出されてしまった。

彼女は、ロンドンの低所得者向けの住宅に住んでいたが、役所の命令で300マイルも離れたニューカッスルの公営アパートに強制移住させられたばかりだった。慣れない土地で係官との約束時間に遅れただけで、話を聞いてもらおうとしたケイテイに対して面接官は警備員を呼んで建物から追い出した。ケイテイの落胆と怒りに、ダニエルは心から同情する。他人ごとではない。公営アパートは古く不備なままで、あちこち修繕しなければ住めない状態だった。電気代を払えないケイテイに、ダニエルは自分が軍隊に居たときに得た知識でロウソクで部屋を暖める方法を教え、壊れた水洗便所を修理し、子供たちのために木工オブジェを作ってやったり、力になってやる。ケイテイは掃除夫として雇ってもらうために職探しに奔走し、ダニエルもまた失業年金を得るためには仕事を探しているという証明が必要なため、職探しに足を棒にしていた。そんなときに、やっと役所から届いたメッセージは、「申請却下」の知らせだった。就職するための努力をしていないから失業手当が出ない。心臓病で働けないのに仕事を探している証明が必要だという矛盾に、ダニエルは怒りで一杯だ。

ダニエルは食べて行くために家財道具や家具の一切を売り払った。そんな折、ケイテイはスーパーで万引きをして注意勧告を受けた後、親切(?)な警備員からエスコート職を勧められ遂に売春宿で働く。それだけはやめてくれとダニエルは懇願するが、政府から援助を受けられないでいる二人にとって現状を打開する方法はない。
ダニエルは役所の壁に「私、ダニエルブレイクが飢え死にする前に不服申し立てを受け入れろ」とスプレーで書いて、警察に逮捕される。釈放後すっかり落ち込んでいるダニエルの、申し立て審査の日、ケイテイはダニエルに同行する。ダニエルは審査官の前でアピールする原稿を準備していた。しかしその直前に役所の洗面所でダニエルは、力尽き心臓発作を起こして倒れ、死ぬ。役所が準備した公営葬儀場で葬儀が行われ、ケイテイはダニエルが準備していた供述書を読み上げる。「わたしは今まで真面目に働き、一日として遅れることなく税金を払い、社会の一員として、市民として誇りをもって生きて来た。しかし政府は私を犬のように扱った。私は人間なのだ。」 それは人としての尊厳を踏みにじった政府と福祉関係者に対する強烈な抗議だった。
というお話。

映画の中でケイテイが子供に食べさせるために自分は極度の飢餓を我慢してきたため、フードサービスで缶詰めをもらった時、思わずその場で缶を開けて手掴みで中の豆を食べてしまい、職員に責められ泣き崩れるシーンがある。すかさずダニエルが、「大丈夫、君が悪いんじゃない。気にするな。」と言い聞かせる。哀しいシーンだ。
売春宿に入って来たダニエルが、ケイテイに大泣きしながら「こんなこと止めてくれ、止めてくれ。」と叫ぶシーンも悲しい。
ケン ローチの作品にはいつも体に障害を持った人々が出てくる。盲目のサッカーチームが、目を塞いだ健常者チームとゲームに興じる。ダニエルのアパートの隣の住人が盲目で、彼と一同居しているのはアフリカ系イギリス人だ。ケイテイの5歳くらいの息子も自閉症と思われる。一部の富裕層ではない、普通の市井の人々は、障害者とともに生きている。ケン ローチの「普通の人々」への温かい眼差しにはいつも好感を覚える。

それにしても福祉制度に携わる職員の横暴さはどうだ。政府の援助を必要としている人々のプライバシーを平気で晒しものにして、審査と称して自分が神にでもなったように、あなたには手当を出しましょう、あなたのは却下です、と自分たちの物差しで配分する。

オーストラリアも同じだ。福祉国家オーストラリア。鉱物資源に恵まれ農業、牧畜産業も盛んで輸出大国のラッキーカントリー。ネットでサーチしてみると良い事ばかり。高校まで教育は無料。大学も申請しさえすれば、誰でも政府から返却型の奨学金が得られて進学することができる。医療費も100%国民保健が適用され、70になれば国民老齢年金が出る。働いている間は給料の9.5%は雇用者が年金として積み立てててくれているので、退職後それを受け取ることができる。老人ホームは公営、私立、教会系と沢山あって、年金受給者は動けなくなれば一定の収入のある人以外は自己負担なしで面倒を見てくれる。何て素晴らしい国だ。

恐ろしいことは、こういった素晴らしいシステムが、果たして自分に当てはまるのかどうか自分がその年齢、そういった状況に陥るまでまったくわからないことだ。こういった福祉制度は手続きが煩雑で、官僚的で不親切で、非人間的。コンピューターの達人でも簡単には申請できないようになっている。
私は、年を取り腎臓透析が必要な身体障碍者になったオットを抱えて、彼の老齢年金を申請するのに役所に提出しなければならなかった書類の数々を積み重ねたら電話帳2冊分の厚さになる。オージ生まれ育ちのオットは80歳を超えるまで、毎日真面目に働き63年間に渡って税金を払い続け、健康保険を支払い、政府からは年金など一切の手当を受けたことがなかった。年を取り病気になっていよいよ働けなくなって、年金を申請するのには、夫婦一世帯が審査の対象になるため、必要書類と言われて出したものは膨大な量だった。

私とオットの出生証明、学歴、職歴証明、オーストラリアに上陸した正確な日時とその証明書、住居歴と現住所、婚姻証明書、収入、税金支払い証明、所得税報告書、銀行口座番号、残高証明、収入支出データ、給料以外の収入報告、金、宝石などの所有物の報告、所有する車名、走行距離、財産報告、病歴、投薬歴、専門医の診断書、罹った医療費の合計、二人以上の老人専門医によるアセスメント、オットが所有していたペーパーカンパニーの過去5年間の収支決算、会社の税申告、去年私が購入したアパートの契約書、資金調達報告、財産目録。などなど思い出せるだけでもこれだけの書類を提出させられた。

もともとオーストラリアは、税務署と銀行や証券会社と連絡を取り合っているので、隠し銀行口座を持つことも、お金を隠して持つこともできないシステムになっている。役所にこれだけの書類を出して、足の裏からヘソのなかのゴマの数まで調べられ、もう1セントもかくしてませーん、これが私達のすべてです、と「お上」に見せないと年金受給審査をしてもらえない。個人のプライバシーとか尊厳とか言っていたら相手にしてもらいない。私はオットの老齢年金が出るまでに2年半の時を要した。その間オットは病状が不安定で何度も入院と退院を繰り返し、無収入で24時間介護を必要とした。投薬だけで、月に600ドル。病気で働けなくなった80歳の身体障碍者に老齢年金という出て当たり前の年金が、申請しても却下され、また申請しても却下される。私が居なかったらオットはとうにホームレスになって飢え死にしていた。経済的にも物理的にもオットの介護と役所との交渉に身を減らして、悪夢のような2年半だった。フルタイムで働く自分の仕事をもって、障害者を介護して食べさせ、一日おきに腎臓透析に連れて行くだけで、体力の限界なのに役所の年金申請審査を待たされていることのプレッシャーで潰れそうだった。

何が辛いかというと、年金申請審査官の顔が見えないことだ。相手は姿を現さない。名前のない、顔を見せない審査官という目の前に立ちふさがる大きな壁は、傷ついた年寄りを見る目も聴く耳を持たない。いつまで待たされるのかわからない。誰が審査して、それがどこまで進んでいるのか、ただ膨大な書類の束が埃を被っているだけなのか、何もわからない。そんな暗礁に乗り上げて、将来への不安と怒りと哀しみの2年半で文字通りぼろぼろになった。

ひとりで戦ったダニエル ブレイクは、やっと障害年金が出る直前に、力尽きて心臓発作を起こして死んだ。ダニエル ブレイクの怒りは私の怒りだ。資本主義社会では、福祉制度そのものが機能しない。飾りなのだ。真面目に体が動けなくなるまで働いて、税金を払い続けている労働者の蓄積を、ほんの一部の富裕層がかっさらっていく。
これほど貧富の差が広がった爛熟期にある資本主義社会で、福祉とは欺瞞以外の何物でもない。それがよくわかる映画。見る価値がある。

2017年10月14日土曜日

映画:ジャコメテイの「ファイナルポートレイト」


初めて入った美術館で、遠目に見ても誰の作品かわかる展示物があると一挙に、その美術館が親しみを覚える。ニューサウスウェルス州立美術館には、入ってすぐ正面の展示室の真ん中にアルベルト ジャコメテイの女の立像がある。「ヴェニスの女Ⅶ」。初めて見る作品でも独特の、細長く引き伸ばされた人物像でジャコメテイの作品であることがわかる。背が高い。沈痛な顔、にも拘わらずどこかユーモラスな存在感。その横にはジャコメテイが残した3枚のデッサン画もある。

同じ展示室にフランシス ベーコンの絵、そのとなりの部屋に移るとピカソの大作「ロッキングチェアの裸婦」がある。以前はこれが地下の現代美術の展示室にあった。だから以前はピカソに会うためには、レンブラントや、オージーが大好きなターナーや、セザンヌやローレックを観て、それからたくさんの作品を通って、いい加減足が痛くなった頃にやっと地下にたどり着いてピカソに会えるという順路になっていた。ところが嬉しいことに、どうしてか知らないが最近ピカソの作品が全部出入り口の近くに展示室に移された。入口から入って、ジャコメテイの彫刻を通り過ぎて、ゴッホの「自画像」に挨拶して、隣の部屋でピカソのロッキングチェアの女が見られる。これだけ見ればもう用事が済んだようなものなので、サッサと帰ってくることもある。知っている人の、好きな絵じゃないと余り観たくない素人にとって、ここはとても足を運びやすい美術館になった。

そんなアルベルト ジャコメテイを描いた新作映画が公開された。ニューヨーク生まれのイタリア人、スタンレー トゥチ監督はジャコメテイが好きで、画家と親しかった作家ジェームス ロードが書いた「ジャコメテイの肖像」という本を読んで、いつか映画化すると心に決めて自分で脚本を書いて大切に20年も温めていたそうだ。ジャコメテイの作品が好きで好きで仕方のない監督が、彼のことを書いた本を愛読書にしていて、ジャコメテイにそっくりな役者をみつけて映画化したわけだ。
監督スタンレー トゥチは役者もしていて、大好きな役者さん。数えきれないほどの映画に出ている。「ベートーベン」1992年、「キス イン デス」1992年、「ペリカン文書」1993年、「真夏の夜の夢」パック役1999年、「ターミナル」2004年、「ラブリーボーンズ」2009年、「プラダを着た悪魔」2006年、「ハンガーゲーム」2013年、「スポットライト」2015年、「トランスフォーマーズ最後の騎士」2016年、「美女と野獣」2017年などなど私が観ただけでもこんなに沢山。いつもわき役としてとても良い味をだしていて、この人が画面に出てくると、馬鹿っぽいハリウッド映画が一挙に知的になるから不思議だ。

映画「ファイナルポートレート」は英米合作映画。今年のベルリン国際映画祭で初めて上映された。
監督:スタンレー トゥッチ
キャスト
ジェフリー ラッシュ:アルベルト ジャコメテイ
アーミー ハーマー :ジェームス ロード
トニー シャルブ  :アルベルトの弟
シルビー テステユー:妻 アネット
クレマンス ポエジー:愛人カトリーヌ

ストーリーは
1964年 作家で美術愛好家のアメリカ人、ジェームス ロードは訪れたジャコメテイの作品展示会で本人に会って友人となり、親しい交流をするようになった。ジェームスの肖像画を描きたいというジャコメテイの申し出に、ジェームスは願ってもないことと、喜んでアメリカからパリに飛んでくる。しかし実際、モデルになってみると画家は気分屋でわがまま。妻と愛人がいつも自由に出入りするアトリエは混沌としていて、やっと描きはじめても中断を繰り返してばかり、、、肖像も描いては灰色の筆で塗りつぶし、また描いては塗りつぶすばかりで、いつになっても先に進めない。2,3日で終わってアメリカに帰るつもりでいたジェームスは幾度も幾度も帰国の飛行機をキャンセルしなければならなかった。

金銭感覚のない画家は愛人に絵のモデルをさせ、車を買い与えたり贅沢をさせているが、愛人を維持するために、ヤクザに莫大な金を支払い続けている。このために妻の怒りも悲しみも大変なものだった。しかしジャコメテイにとっては、妻も居てくれなければ1日として生きていられない大切な同志。そんなジャコメテイの苦悩も喜びも知って、弟デイエゴはジャコメテイを後ろから、しっかり支えているのだった。
画家仲間と議論をして、かんしゃくを起こし帰るなり今までの作品に火をつけて燃やしてしまったり、芸術家の理解者だったジェームスもジャコメテイの感情の起伏にはついていけない。一向に肖像画が完成しない日々、パリ滞在が3週間に至る所で、ジェームスはジャコメテイにストップをかける。描いては塗りつぶすことを繰り返してきた肖像画を未完成のままいったん引き取り、アメリカでの展示を済ませた後また描きなおす、という約束でジェームスは肖像画を持って帰国する。しかしそのあとジャコメテイは亡くなり、肖像画は完成をみることはなかった。
このあとジェームスは心からの尊敬と愛情をこめてジャコメテイの回想録を書き出版する。
というお話。

スイスのイタリア国境に近いボルコツーヴォで生まれたジャコメテイの顔は、スイスフランの紙幣に印刷されている。紙幣の裏は彼の作品「歩く男」だ。ジャコメテイはジュネーブ美術学校で絵画を学び、後にパリでロダンの弟子だったアントワーヌ ブールデルに彫刻を学んだ。彼の彫刻は写実ではなく、キュービズム、シュールリアリズムなどの影響を受けている。パリでピカソ、エンルスト、ミロやジャン ポール サルトルやポール エリュアール、矢内原伊作などと親しく交流した。サルトルはジャコメテイの彫刻した人物像は現代に観る人間の実存を表していると言って高く評価した。

このジャコメテイの顔が映画を主演したジェフリー ラッシュにそっくりだ。縮毛からワシ鼻までそっくり。ジェフリー ラッシュはオーストラリアが誇る役者だ。クイーンズランド生まれ、66歳。クイーンズランドで演劇を学び、パリのレコールインターナショナル デ シアターで2年間学んだあと、メル ギブソンを同居して二人してパントマイムとシェイクスピア芝居にうち込んだ。30歳を過ぎて初めてフイルム界に入り、1996年「シャイン」で実在の自閉症で天才ピアニスト、デヴィッド ヘルフゴットの半生を演じてアカデミー賞主演賞、英国アカデミー賞、ゴールデングローブ賞などその年の賞という賞すべてを獲得、一つの映画作品でこれだけの沢山の賞を獲得した作品は前後に無く、未だに記録が破られていないそうだ。本当に心にいつまでも残る名作だった。
彼は1998年に「シェイクスピア イン ラブ」で再びアカデミー賞を獲得、「ハウス オン ホーンデッドヒル」1999年、「パイレーツ オブ カリビアン」3作2001年-2003年でキャプテン バルボッサを演じ、「キングス スピーチ」2010年、「やさしい本泥棒」2013年などで主演している。オーストラリアの演劇文化を代表する名役者。

一方のジャコメテイに肖像画を描かれる側のジェームスを演じたアーミー ハーマーはロスアンデルス生まれの31歳。「ソーシャルネットワーク」2010年で、フェイスブックの創始者マーク ザッカ―バーグの友人、ケンブリッジ大学で一緒だったウィンクルボス双子兄弟を好演して注目を浴びた役者。「ローンレンジャー」2013年でジョニー デップの相手役を演じ、クリント イーストウッド監督の「Jエドガー」2011年で、エドガー フーバーCIA局長の相手役を演じた。フーバー扮するデ カプリオの同性愛相手役という難しい役を好演したときは、まだこの役者さん、たった24歳だったことを思うと、でかいのは2メートルの図体だけではない。才能に満ちている。大男だが鼻筋の通った完璧型の美しい顔をしている。

映画の中でジャコメテイに連れられてカフェに入ったジェームスが、ワインとコーヒーを水の様にがぶ飲みするジャコメテイを前に、ウェイターに問われてフランス語でコカ・コーラを注文するシーンが笑えた。やっぱりアメリカ人はどこでもアメリカ人なのか。
パリのアトリエで気難しいスイス人画家がアメリカ人をキャンバスに描いている間、妻と愛人が、いかにもパリジェンヌらしい自由奔放な蝶々のようにヒラヒラ舞って男達を翻弄する姿が面白い。パリです。パリ。

この映画はジェフリー ラッシュとアーミー ハーマーの二人芝居と言って良い。名人芸の粋に達しているジャコメテイ役のジェフリーに振り回される芸術愛好家で人の良い青年作家の話。ジャコメテイが好きで好きで仕方がない映画監督が、ジャコメテイにそっくりな役者を連れて来て、ジャコメテイが当時使っていたアトリエをそっくりに再現して映画を作った。ジャコメテイが大好きな人にとっては、見ていて感動すること間違いなしだ。そうでない人でもアーミー ハーマーの美青年ぶりに心を躍らせるかもしれない。
しかし画家に興味に無い人にとっては、この映画はたいくつでたいくつで耐え難い。うますぎる演技は時として鼻につく。

藤田嗣二の半生を描いた映画「FOUJITA」では、はじめに絵筆を持ったフジタが女性モデルを前にして白いキャンバスに1本の線を入れるシーンから映画が始まる。それを役者ではなく、手はプロの画家、長友薫堂が描いている。この画家がこのシーンのために自分の絵を描くよりもずっと1本のフジタの線を描くことが難しかった、と回想している。

このジャコメテイの映画では、ずっと大きな100号の油絵の白いキャンバスに、本当に本当のジェフリー ラッシュが肖像を描き始めるための筆を入れる。描き直しのきかない大事なシーン。最初に1本の線を入れるとき、息が止まって、時も止まってしまったかと思った。緊張の一瞬。それでもジェフリー ラッシュは一気に描き始めた。度胸が据わっている。ジェフリー ラッシュという役者、一筋縄ではいかない。さすがだ。

2017年9月26日火曜日

映画「ヴィクトリアとアブドー」

19世紀、七つの海を我が物ととした大植民所有時代の大英帝国。
その象徴とも言われるヴィクトリア女王は、64年間という歴代イギリス国王の中でエリザベス2世に次ぐ長期に渡って治世を行った。この時代は特別に「ヴィクトリア朝」呼ばれ、英国帝国主義が最も華々しい勢力と栄光を世界に見せつけた時期に重なる。実に、ヴィクトリア朝の64年間で、英国は領土を10倍に拡大、地球上の全陸土面積の4分の1、世界人口の4分の1を支配する史上最大の帝国を誇った。

19世紀半ばの英国王は巨大な国王大権を有しており、首相を含めた大臣の任命と罷免、議会の招集と解散、国教会の聖職者と判事の任命と罷免、宣戦布告まで国王の大権だった。ヴィクトリアは若干18歳で、英国王を継承する。
彼女に言わせると、「帝国主義とは平和を維持し現地民を教化し飢餓から救い、世界各地の臣民を忠誠心もって結びつけ、世界から尊敬されること。」で、「領土の拡大は英国の諸制度を健全な影響を、必要とあれば武力をもって世界に広げるもの。」であった。彼女は9人の子供を産み、女子それぞれを各国の国王に嫁がせてヨーロッパ中に自分の影響力を広げることも忘れなかった。

現在でも、英国女王はオーストラリアの国家元首でもある。シドニー市の中心、市庁舎横のクイーンヴィクトリアビルの入り口に何トンもの重さの、どでかい彼女の像がそびえ立っている。
数年前、国民投票で、英国から離反して独自の大統領をもった政権に変革するかどうかを問われて、あっさりと女王維持を決めたオージーの国だ。ヴィクトリア女王って、どんな人、と問うと、年齢に関係なく誰でも、嬉しそうに2つのエピソードを話してくれる。
一つ目は、ヴィクトリアが狙撃された時、夫のアルバートが身をもって女王を庇い、自分は深い傷を負って死線を彷徨った出来事。二つ目は、22年間の幸せな結婚生活の後アルバートが亡くなると、ヴィクトリア女王は愛する夫のために自分が死ぬまで黒い喪服を通したことだ。二つとも美談として語り継がれている。

この映画「ヴィクトリアとアブドー」は、女王の晩年の恋物語。アブドーについて英国皇室は長年秘密にしてきたが、後に事実が明らかにされた。

タイトル:「VICTORIA AND ABDUL」
74回ヴェニス映画祭で初上映された。英米合作映画。BBCフイルム
監督: ステファン フレアーズ
キャスト
ジュデイ デインチ:ヴィクトリア女王            
アリ ファイサル: アブドー カリ―ム
エデイ イザード :エドワード皇太子
テイム ピゴット スミス: サー ポンソンビ
サイモン カロウ ;プッチーニ
オリビア ウィリアムズ:ジェーンスペンサーチャーチル

ストーリーは
1887年。 アブドー カリ―ムは、インド、タジマハールのあるアクラの街で生まれて育った。英国進駐軍で働いているが、父親は刑務所の囚人だ。ある日、長身で美男であることを見込まれて、女王の50年周年祝祭典を準備中の英国から、栄誉のコインを受け取る役を仰せつかって、渡英することになった。さんざん女王からコインを受け取る時に女王の顔を見てはならない、下がる時には背中を見せずに後ずさってくるように、と言われていたに関わらず、アブドーは生まれて初めて公式な食事の席で女王を見て、その威厳に思わずひざまずいて女王の靴にキスをする。そのことで、アブドーは強く叱責されるが、当の女王はアブドーが気に入ってしまった。
翌日、女王に呼ばれたアブドーは、女王に聞かれるまま自分の故郷の絨毯造りの話や、タジマハールについての話を聞かせる。すっかりアブドの話に興味をひかれた女王は、アブドーからウルドウー語を習い始める。

この日からアブドーは、女王の「エキゾチック ペット」となった。言葉を変えると、68歳の女王は29歳の植民地からきた青年に恋をしたのだ。首相をはじめ、国王の執事、秘書たちの猛反対を退けて、ヴィクトリアはアブドーに次々と美しい民族服をあつらえさせ、サーの称号を与え、自分の散歩のときも、公式の行事にも彼を傍に置いた。やがて、独身と思い込んでいた女王はアブドに妻と息子が居たことに衝撃をうけるが、家族を招いて宮廷に住まわせる。女王は、ウルドウー語を上達し簡単なスピーチをしたり、日記をウルドウーで書いたり出来るようになった。

一方、キッチンウェイターとして雇う予定だったインド人が、サーの称号を与えられ女王の側近になっている異常事態を何とか平常に戻したい閣僚たちは、アブドーが貧しい家の出身で、父親が囚人であることを報告したり、アブドーが梅毒を患っているに違いないと忠告したりするが女王に一笑に付される。
しかし女王もいつまでも元気では居られない。1901年女王は病に倒れる。最後に彼女は人払いをして、14年間寵愛したアブドーに別れを告げる。
アブドは女王を失って哀しみに沈む間もなく、女王の息子ヘンリー次期国王の命令で、アブドーの住居に押し寄せた警護官によって女王がアブドーに与えた手紙やご褒美の品々を、すべて跡形もなく焼却された。アブドー家族はイギリスを追われ、アグラの街に戻った。ほどなくしてアブドは46歳で亡くなる。
というお話。

この映画の魅力は、82歳で女王を演じた女優ジュデイ デインチにある。立派な役者だ。両目の黄変部変性で、ほとんど失明状態。台本が読めないので人に読んでもらって記憶し、人に手を取られ位置感覚を覚えてから、役柄を演じている。役者根性の塊のような女優。彼女の演じる女王がとても可愛らしい。背の高いハンサムな青年に手をとられ散歩する姿は、恋に浮き足たった少女のようだ。閣僚たちに見せる威厳ある女王の顔が、アブドーと二人きりになると、あどけない娘の’顔になる。

女王と貴族たちとの食事風景がたくさん出てくるが、彼女の食べ方が漫画のよう。可愛くて面白い。女王は旺盛な生命力を見せるかのように、品もなくむしゃむしゃ食べる。女王がズーズーとスープをすすり終わるやいなや、参列していた沢山のお客たちが気取ってスープに口を付けようとした瞬間にボーイ達がスープ皿を片付けてしまう。貴族たちは女王が次の皿に手を付けるまでは、自分達は手を付けられないし、女王が食べ終わったら、自分たちの皿も下げられてしまう。貴族同士で優雅な会話をするどころか、女王のむしゃむしゃペースで食べなければならないのだ。ジュデイ デインチの豪快な食べ方といったら、、。映画では女王の人間らしさをこんなところで表現したかったのだろう。

アブドーを演じたアリ ファサルも魅力的だ。インド人独特の超、聞き取りにくい英語で語る好青年。目の前で14年にわたる女王に寵愛された証拠の品々をことごとく燃やされて涙にくれる姿が印象的だ。彼は始めて女王に会った時に、思わずひれ伏して女王の靴にキスをした。そして映画の最後、タジマハールを背景に建つ女王の像に歩み寄り、足元にキスするシーンで映画が終わる。美しい終わり方だ。

この映画の前に「女王の最後の愛人」というBBCのドキュメンタリーフイルムを見ていたので、ヴィクトリアとアブドーのことは知っていた。英国皇室がいくら証拠を隠滅しても、事実は永遠には隠せない。女王は愛する夫アルバートとの間に9人の子供を持ち、愛に満ちた結婚生活を送ったが、夫の死後1年もするとアルバートの馬係りだったジョン ブラウンを恋人に持ち、彼の死後は、大蔵大臣のベンジャミン デイズレーを愛し二人三脚で政権を維持した。ベンジャミンが亡くなって悲嘆にくれていたときに、アブドーが現れたわけだ。恋する男達に次々と死なれて、自分は82歳まで生きた。

映画の中でヴィクトリアがアブドーを連れてイタリアを旅行する。フロレンスでプッチーニ本人が作曲したオペラ「マノンレスコー」を、女王の前で歌う。テナーだが、お世辞にも良い声と言えない。でもヴィクトリアも、アブドーも夢中になって、ブラボーブラボーを叫ぶ。何て優雅な女性の唄なの?というようなことをヴィクトリアが言うと、プッチーニが申し訳なさそうに、「マノンは娼婦なんです。」と言う。えーがっかり、、でも気を取り直してヴィクトリアがまた、でも二人は結ばれて幸せになるのね?と言うと、またまたプッチーニが、「いやマノンは砂漠で行き倒れて死ぬんです。」と言う。そんなやりとりのときのジュデイ とアブドの驚いて口を開けたままの顔がおかしくて、笑える。楽しい映画だ。

英国紳士たち。閣僚たちの貴族趣味、服装、立ち振る舞いも美しい。
しかし、この映画はジュデイ デインチの天才的な演技力なしに語れない。歴史的に大きな役割を果たしたヴィクトリア女王に、あたたかい人間の命を吹き込んでみせた役者の力量にただただ感動する。

興味深かったのは、この映画を当の英国人がどんな評価をしているかだ。映画評やツイッターを見てみた。賛否両論というか、批判派が多いことに驚いた。批判派いわく
英国帝国主義が1876年から1900年までに20ミリオンのインド人を殺しまくったし、インド植民地化によってインドのGDPは23%から4%の貧国に貶めた。英国による人種差別と奴隷化は、国家犯罪であり、そういった英国の歴史的犯罪を映画化したこの映画は、白人のノスタルジー、むかしは良かった式の日和見主義だ。という意見。
これに対して反論は、昔は昔、自虐史観は自己憐憫に過ぎない。むかしの帝国覇権主義が間違っていたからって、今を生きる自分が攻められるなんてフェアじゃない。というような意見。

おもしろかったのは、「英国がインドを植民地化したのは間違いで、責任を持てというのなら、すべてのイタリア人がローマ帝国が侵略した国々に謝罪して責任もたなくちゃならないのかよ?」というツイッター。また、「英国はアルジェリアを植民しなくて運が良かったよ。」とツイッターするフランス人にも笑わせられた。

どの国に自分が属しているかに関係なく、過去の歴史をよく知り、正しく評価して、未来につなげるのが、今を生きる私たちの使命だ。帝国主義がその時代の必然だったにせよ、覇権主義は誤りであって同じことが起こらないように努めなければならない。
過去を礼賛して、帝国主義によるジェノサイトを美化したり隠したり、無かったと偽ったりして過去を美化してノスタルジーに陥るかどうかは、その映画を観る人による。女王を悪者と観るか善人とみるかに関わらず、映画は人を血の通った人として見るための切っ掛けになる。繰り返すがヴィクトリアに人間としてのあたたかい命を吹き込んだ役者の力量に心から感動した。



2017年8月29日火曜日

TK生からの通信と、映画「タクシー運転手」


                          


岩波書店が出版発行している「世界」は、私が生まれる前から続いている優れた月刊誌だ。これを親しくしている山田修氏が毎月郵送してくださっている。親兄弟もしてくれなかったことを、いつもして頂いて親族以上の親近感をもってお付き合いして頂いてきた。有難いことだ。

「世界」創刊号は昭和21年(1946年)1月。美濃部達吉が「民主主義とわが議会制度」、大内兵衛が「直面するインフレーション」、和辻哲郎が「封建思想と神道の教義」、東畑精一「日本農政の岐路」、横山喜三郎が「国際民主生活の原理」という戦後日本の舵取りとなる そうそうたるメンバーが論説を書いている。連載小説は志賀直哉と、里見弴だ。1946年1月、新たな時代を迎えた岩波書店の、戦後民主主義社会に向けた意気込みが伺える。

この雑誌をわたしが真面目に読み始めたのは、1970年代ベトナム戦争が終結に向かう頃からで、契機は「韓国からの通信」-TK生の記事からだ。当時の学生らはみな読んでいたと思う。TK生は 独裁者朴大統領の維新体制から、朴の暗殺、それに続く新たな戒厳令下での、厳しい韓国の民主化運動の様子を、その月ごとに報告していた。いかに戒厳令下で出版や言論が圧殺され、活動家たちが虫のように殺され、人権が封殺されているのか、そこに居なければわからない人の血の滲む筆跡で記されていた。何時この筆者が逮捕、拷問の末に処分されるか、身の細る思いで毎月雑誌を手にして、祈るような思いで「ああ、TK生は無事だった。」と胸を撫で下す。弾圧の様子を読みながら、TK生の無事をいつも祈っていた。彼の書く文章は淡々としていて決して感情に流されない。冷静さと底に秘めた強さを持っていて、いつも圧倒された。

隣の国のことは、まさに自分達のことでもあった。当時親しかった友人たちは、ほぼ例外なく獄中にいた。権力による弾圧は隣の国の物語ではなかった。裁判なしの長期拘留で小菅の東京拘置所は不法逮捕された学生で一杯だった。
後にTK生は1924年生まれ、クリスチャンの政治学者、ジ ミョン クワン(池明観)教授だったとわかった。彼が「世界」編集長の安江良助の協力を得て書いたものだという。彼の書いた通信が、当時の民主化を求める人々に与えた勇気と感動の大きさはどんなに表現してもし尽せない。
1980年5月広州で大変なことが起こっている、軍に包囲された市民が無差別に一斉射撃で殺されている、そんな巨大な暗雲が立ち込めるような情報が広がっていき嘘であって欲しいと、すがる思いでTK生の通信を待った時のことが昨日のように思い出される。

1979年12月、クーデターで軍の実権を握った全斗換は、翌年全国を戒厳令下に置き執権の可能性のある金泳三と金大中を逮捕、監禁した。(金大中に死刑判決が下りたのが、1980年9月。)金大中は全羅南道出身で、全羅南道の道庁が広州だった。広州の人々の怒りは大きく、反軍民主化運動のデモが学生、知識人のみでなく10万人の市民が立ち上がり、軍部に反旗を翻した。
1980年5月20日。広州市の全南大学と朝鮮大学を封鎖した陸軍空挺部隊は、抗議に集まった人々と衝突。市民は郷土予備隊から奪った武器や角材、火炎瓶などで対抗した。翌21日には戒厳令軍が広州市を包囲、外部の鉄道、道路、通信回線を遮断した。そのため 広州市で何が起きているのか、全国の人々は知ることができなかった。
一方、軍による市民への無差別一斉射撃に怒り、立ち上がった怒れる市民の数は、日に日に膨れ上がり、金大中の釈放、戒厳令撤廃を要求した。5月26日には、陸軍部隊が戦車で市内を制圧。市民に対して無差別の逮捕、拘留 暴力がふるわれ軍の一斉射撃により多数の死傷者を出した。実際に亡くなった市民の数はわかっていない。公式発表では、死者行方不明者は、649人、負傷者5019人。戒厳司令部発表によると死亡者は170人、負傷者380人と食い違っている。
まことしやかに政府は広州暴動は北朝鮮によって工作され、金大中が内乱を起こした、と宣伝したが一笑に付された。いまは広州事件ではなく「5.18民主化運動」と規定されている。

唯一外国人による報道では、ドイツ公共放送(ARD)東京在住特派員だったドイツ人ユルゲンヒンツ ピーター記者が、広州に潜入して軍による民主化を求める市民虐殺の現場を撮影するのに成功した。彼は韓国から日本に帰ってから、事実を世界に向けて発信した。
映画「タクシー運転手」は、このドイツ人記者の話だ。

原題:「A TAXI DRIVER」
監督: JANG HOON
キャスト SONG KANG -HO ドライバー
     THOMASKRETSHMANN ドイツ公共放送特派員ピーター
     YOO HAE-JIN    広州のタクシードライバー
     RYUJUN-YEOL      広州の大学生

ストーリーは
タクシー運転手、ソン カンホーは妻に先立たれ、11歳の娘と二人で暮らしている。妻の病気を治療するために蓄えをすべて使い果たしてしまい、今は日々の暮らしに汲々としている。個人タクシーで使っている車も、もう60万キロ走っていて、かなりガタがきている。娘の履き古した運動靴も、小さくなって履けなくなっているが、新しい靴を買ってやることもできない。

1980年5月20日早朝、彼は金浦空港で外人客を拾う。東京から来たドイツ人記者ピーターだ。彼は東京で、ソウルから到着したばかりの記者仲間が、反政府民主化運動が高まりを見せている、広州でひどいことが起こっているようだ、というのを聞いて、飛んできたのだった。
ソン カンホーはピーターを乗せて広州に向かう。
政治に関心の全くないソンは、昔、彼が兵役についていた時、軍人はみな規律正しい良い人達ばかりだった、と言い、反軍反政府の民主化運動を標ぼうするのはコミュニストだけだと確信している。ピーターはのんきで人の良い運転手との会話にイラつきながら乗車している。広州に向かう主要道路はみな封鎖されていた。それでは仕方がないから、とソウルに帰ろうとするソンに向かって、ピーターは「ノー広州、ノーペイ」と言い、広州に連れて行かないと代金は払わないと言い張る。慌てたのはソンだ。どうしても代金をもらわないと困るソンは、農家から聞き出した山道の迂回路を通って広州に入る。

街は騒然としていた。軍は市民に家に留まるよう、ビラをヘリコプターで撒いている。しかし人々は街に出て集会に参加していた。街のどこにも反軍反政府のプラカードが立っている。病院は軍との衝突で怪我をした人々で溢れかえっている。ピーターはヴィデオを回す。運転手ソンは、こんなに危険な所には居られないと、ピーターを置いてソウルに帰ろうとするが、怪我をした老婆に呼び止められ、彼女を病院に運んたところで人々の惨状を目にする。夜になって軍の攻撃も激しくなった。ピーターが撮影しているところを、戒厳軍にキャッチされた。ピーターとソンは、軍人に追われる中、学生のひとりリュ― ジーヨルの手引きで逃げ切ることができた。一刻も早く撮影したヴィデオをもってソウルに帰りたい。しかしタクシーはエンコして動かない。学生の兄、広州のタクシー運転手のヨー ハエジンの家の泊めてもらい、車の修理をしなければならない。

翌日から軍とデモ隊との対立は激しさを増す。街は陸軍が戦車で街を走り回る戦場だった。運転手ソンは車の修理を終えると、ピーターを置いて一人でソウルに向かう。11歳の娘が心配で仕方がないのだ。広州を脱出し、近くの街で娘のために靴を買う。昼食を食べるうち、街の人々のうわさ話が耳に入る。広州では学生たちが戦車に包囲されて殺されているらしい。しかし人々は、かつてのソンのように、「それはコミュニストが殺されただけだろう」、と人々は取り合わない。「そうではない。」年を取った老婆が、女子学生が、市民が無差別に射撃されているのに。
ソンは広州からひとり逃げようとしている自分を恥じ、ピーターのところに戻る。ピーターは、自分を追手から逃がしてくれた学生リュ― ジーヨルが捕えられ拷問の末、殺された遺体の横に居た。ピーターは死体で溢れる病院を撮影し、治安軍に追われ何度も危険な目に会いながら撮影を続けたすえ、ソンのタクシーでソウルに戻る。無事ピーターを金浦空港に送り東京行きの飛行機を見送った後、ソンは家に戻る。11歳の娘が待っている。
というお話。

深刻な歴史を扱っているが、笑いもあり、涙もあるヒューマンドラマに仕上がっている。
運転手役を演じた、SONG KANG-HOの演技力が冴えている。彼は妻を亡くしたシングルファーザーだが、飲んべいで人が良く、あまり物事を深く考えないごくごく普通の市井の人だ。だからこそ彼が、軍の横暴を目撃して、民主化運動は軍がいう北朝鮮コミュニストのスパイによって起こされたようなものではなくて、「人が人であるために当たり前のことを要求しているに過ぎない、」ということが分かった。思い込みが間違っていたら、人は考えを改める。人は変わることができる。

悲惨な、昔あったことを忘れないために私達は、こうした映画を観ることは価値のあることだ。日曜日の午後、歩いて行ける近くの映画館でこれを観た。若いカップルで映画館は一杯だった。多国籍国家オーストラリアで、若い人達がこうした映画を観て、自分たちや自分達の親が生まれ育った様々な国が、それぞれ持っている歴史的なできごとを映画を通して知る。民主化運動とは何だったのか。そして反芻して理解する。それはとても意味のあることだ。

写真は広州事件:5.18民主化運動で亡くなった方々の墓