豪州で私立の老人高度医療施設でナースをしている。今年で21年目になる。数え切れない患者を見送ってきた。
アルツハイマー、パーキンソン、精神分裂症、癌末期、人工栄養、胃瘻、人口肛門、MS、難病、糖尿病、などなどの患者のほとんどが、老人性認識障害をもっていて、尿排便がコントロールできない。
入所時に家族と本人に、心臓麻痺や脳卒中になったとき人工呼吸で延命したいかどうか、肺炎などの感染症になったとき病院で集中治療をしてほしいか、施設で服薬治療するだけで良いか。骨折などの怪我した時には、病院で治療するかどうか、嚥下障害で物が食べられなくなったときにどうしてほしいか、死ぬとき牧師を呼ぶかどうか、死んだら 献体か埋葬か火葬か、希望の葬儀会社があるかどうか、などの質問に答えてもらう。それがその後に予期しない死が起きたときの、法的な証言にもなる。
入所のためには個室:5千万円、2人部屋:3千万円くらいのデポジットをしなければならない。患者は死ぬまで施設で看護されるので家を所有する必要はない。家を売却してデポジットを払い入所してきて、亡くなった場合、施設で使われた金額を差し引いた金額が家族に返される。
収入のない老人のために政府は老人年金を支給するので、月付きにかかる費用はそこから政府に吸い取られ、最初にデポジットされた数千万円のお金は、無事家族に返金される。しかし患者が何年施設で長生きするかわからない。子供達よりも長く生きる場合もある。
豪州で働く人の最低賃金は、とても高くて、1時間$26.44、円安の今なら1時間2700円くらいなので、人件費がばかにならない。3交代24時間のナーシングに加え、暖房、冷房、ベッド、食事、レクリエーションを提供するには費用が掛かる。半分は政府が援助しているので、豪州ではナーシングホームは半公共施設ともいえる。
患者たちは朝シャワーを介助され、朝食、モーニングテイー、ランチ、アフタヌーンテイー、夕食、寝る前の軽食を提供され、その合間に施設で専門の人の指導で体操、ダンス、ゲーム、映画鑑賞、バスでピクニックに行ったりする。ナースは、投薬、怪我の治療、人工栄養の管理、体にチューブをつけている人の管理、癌末期の鎮痛対策、医師との情報交換、政府への一人一人の患者の報告などなど、とても忙しい。
多くの場合、死は突然やってこない。嚥下障害が出てきて流動食も呑み込めなくなったら、終末医療の準備をして家族の了解をとって、モルヒネなどで苦痛のない死を迎える。
何年たっても忘れられない患者が沢山いる。いつも思い出すのは脳の障害で5歳程度の知能になってしまった50代の体の大きな農場主だ。いつも私の後をぴょこぴょこぴょこ、ついて回るので、アキコのペットと呼ばれていた。仕事に来るのをドアのところで待っていてくれて、ドアを開けると、飛び跳ねて喜こんでくれる。うーんと考え事をしていると、心配そうに顔を覗き込む。大男なのにしぐさが5歳児なので可愛くて仕方がない。子守唄を歌って寝かしつけるのが私の仕事だった。1週間休暇を取っている間に肺炎であっけなく亡くなっていた。
豪州には安楽死法(VOLUNTARY ASSIST DYING LAW)があって、様々な規制があるが条件が整えば死ぬことができる。その州に3年以上住んでいること、6か月以内に亡くなると予想され、耐えがたい痛みがある、といった条件で2人以上のドクターが判定した場合に限られる。
94歳で自分で歩けて尿排便障害もなく、認知障害もない、家族もみな独立していて心配もない、血液検査結果は問題ない健康体。でももう何にも興味が持てず死にたい、という。可愛らしい思いやりのある優しいおばあちゃんがいた。医師は必死で抗うつ薬を投与したり、サイコロジストもサポートしたが、頑として死にたい。彼女は5週間、自分から飲まず、食べず、最後は枯れ木が倒れるように眠ったまま亡くなった。彼女には、まったく健康だったので安楽死法が適用できなかった。本当に優しい人で前の日まで自分で立って抱きしめてくれた。顔を近ずけるとほほを撫でてくれた。最後の時はその手を上げようとして力なく、そのまま逝ってしまった。
職場で一番仲の良かったのが、ドイツ人のナースだった。彼女は自由党支持、私はグリーン支持だったから口つば飛ばして政治談議したり、同じ映画を見て解釈が違って熱い議論になったり、唯一オペラでは意見があって同じソプラノ歌手のファンだった。仕事仲間でこれほど心許せる仲間は、この21年間他に居なかった。コビッドの大騒ぎの間、ナースたちは物凄いプレッシャーの中で働いていた。職場を往復するにも半径10キロ以上移動できないと言われ、途中でポリスに車を止められて尋問されたり、職場ではガウン、ゴーグル、キャップ、手袋の姿で、患者に死なれないために必死だった。その最中、彼女が仕事に出てこないし電話にも応答がないので娘さんに家を訪ねてもらったら、ベッドで亡くなっていた。コビッドがなかったら、彼女は死んでいなかっただろう。でもベッドで眠ったまま何の苦しみも痛みもなく、病気で苦しむこともなく眠ったまま逝ってしまった。彼女が職場で使っていたマグカップでお茶を入れて、わたしは76歳の今も彼女が座っていた椅子に座って働いている。
いろんな死がある。
それを自分では選べない。でもたくさんの人の心の中で、いつまでもいつまでも生き続けるような、そんな死に方をしたいものだ。
歌は浜辺の歌
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