2026年5月12日火曜日

ハンタバイルス アウトブレイク

ハンタバイルスが世界を震撼させている。

豪華クルーズ船MUホンデウス号には150人近くの、23か国から来た旅行者が乗っていた。大西洋を航海中アルゼンチンからカポベルデ沖に達し、スペインのカナリア島に到着するまでに3人の死亡者と2人の重症感染者を出した。今後感染者も死者も増えるだろう。
カナリア島政府と住民が、船の入港と乗船者の上陸を拒否したため、各国政府は23か国、150人をそれぞれの政府が用意したチャーター機で母国に帰国させた。日本人乗客は英国機で英国に飛び、そこで隔離された。
豪州政府は、5人の乗客と、1人のニュージーランド乗客のために特別機を出して、西豪州パースに飛んで、そこから数キロのところに新たに作られた隔離病院に収容する。ここは、2020年コビッドパンデミックのとき、患者収容先に困った政府が大急ぎで作った隔離施設で500床のベッド数があるが、一度も使われることなくコビッド感染は収束した。ニュースで見ると、500床の個室は、ホテルのようだ。

ハンタバイルスは、ネズミ、蝙蝠、爬虫類や魚類が感染源になるバイルスで、発症した生物や人から呼吸器を通して感染する。細菌バクテリアよりも細胞が小さいため抗生物質が効かないし、治療法はない。致死率40%といわれるが、まだよくわかっていないバイルスで、昔からあったが潜伏期間が1日ー24日、コビッドは2週間の隔離で擬陽性者が済んだのに対して、はるかに長い期間隔離されなければならない。
クルーズ船内で亡くなったのは、69歳と70歳の夫婦と、もう1人の3人で、アルゼンチンでバードウォッチングしたことが感染の契機になったかもしれないと言われている。年寄りは肺炎で亡くなるものだが、リタイヤして老後を楽しんでいた仲良し夫婦が一緒に亡くなったのは悲しいことだ。

注目すべきは、英国政府の対応だ。
1人のハンタバイルス感染者が、クルーズ船から降りてセントヘレナ島のその先にある、トリスタンデクンバ島という小さな南太平洋の島に戻った。セントヘレナ島は、アフリカと南米との間にある島で、アフリカ大陸から1840キロ離れ、ナポレオン皇帝が島流しにあって、1821年に、51歳で亡くなった島だ。
パリ観光をした人は、パリの立派なナポレオン墓を訪れるだろう。これはあまりにセントヘレナ島の墓が母国から離れていることに同情した政府によって、遺体を掘り起こしてパリに運んだものだ。セントヘレナ島に行くには、小型機か船だと南アフリカケープタウンから5日間船に乗らなければならない。
で、、、
さらに、そこから飛行機で着陸できる空港がないため、2,400㎞の距離を船で5日間船旅をしなければトリスタンデクンバ島にたどり着けない。そんな島に、疑感染者のクルーズ乗客が帰ったのだ。
英国政府は、島中の住民の感染を予防、治療の対応をするために、昨日、6人のパラメデイックと2人のドクターをパラシュートで島に落下させた。南大西洋の小さな島、ケープタウンから5日間でセントヘレナ島、そこからさらに6日間の船旅でたどり着ける英国植民地、トリスタンデクンバ島の住民のために、これだけのことをする。英国政府。
パラシュートでピューンと島に降りていくドクターたちの姿に、医療関係者であるわたしは心から感動したのであった。
地図の一番下にある赤丸がトリスタンデクンバ島、真ん中がセントヘレナ。一番上の白いのが英国。



2026年5月9日土曜日

母の日に

母の日に
娘たちに
あなたがたは幼いうちに故郷を失い
友達を失い
父親をなくし
母国語を失い
愛犬を失い、愛猫を亡くした
それでも
新しい場所になじみ
新しい言葉で
たったひとりで問題を解決し
愛する小さな命たちの墓を建て
失くしたものよりももっとたくさんのものを獲得してきた
しっかり足を地につけ
生きてきてくれた
それが一番の私の誇り
ありがとう ありがとう
母の日に贈られた
花を飾り
チョコレートをかじり
ゴリラでも1週間で食べきれないほどの果物籠を前に
むしゃむしゃ むしゃむしゃ むしゃむしゃ
食べているよ
ありがとう


2026年4月22日水曜日

武器国家日本の復活

㋃16日、日本の与党連合は「防衛装備品及び技術移転に関する3原則」の改訂と、その運用指針を承認した。次いで4月21日、閣議と国家安全保障会議によって、それらが承認され防衛装備品の輸出を、「救難」や「輸送」だけに限定してきた「5類型」の制約が撤廃された。従って、日本は晴れて、殺傷能力のある武器を、いつでもどこでも、もんくなしに海外輸出できるようになった。

輸出先は日本と協定を結んでいる18か国、G7、スウェーデン、豪州、インド、フイリピン、マレーシア、インドネシア、ベトナム、タイ、UAE、シンガポール、モンゴル,バングラデイッシュだ。輸出できるかどうかは、国家安全保障会議で決定し、国会には「事後通告」する、という。国会は「事前」に武器売買を討議できず、民主的なプロセスが望めない。これは「秘密取引」というやつだ。政府は国民の稼いだお金で、他国と秘密取引ができることになった。
NYの成り上がり不動産屋だった男がボスの米国でさえ、武器の売買には事前通知が必須であって、曲がりなりにも議会を重視する制度があるというのに、それが日本では望めない。

4月18日には、小泉進次郎防衛大臣が、豪州に来て日本製の戦艦を売りつけ、リチャードマーズ防衛大臣から契約を取った。2世議員のトロい奴かと思ったら金儲けには案外すばしこい奴で、4月21日の武器輸出閣議決定を待たず、4月18日に豪州のお買い上げサインを受け取っている。最上艦フリゲート11漕のうち3漕が、三菱重工長崎造船機械工場で建設され、残りは三菱重工の技術で豪州で作られる。豪州は、11漕全部を受け取る10年後までに200億ドルの予算を投入する。

その前には高市首相は、閣議決定で「公務員の予備自衛官法案」と、「全住民収容シェルター」を決定し、全国にミサイル配備を進めている。
彼女は三菱重工から毎年、3,300万円の献金を受けとっている、そのお返しに、当社への受注を、1兆6803億円使ってあげている。
軍事兵器工場ミツビシが豪州に戦艦を売り込むために、どれだけ裏金を使ったか知らないが、えげつない死の商人、それと一体となった自民党政権を支持する国民は、自らの手で自らの首を絞めている。

カタールは自国内のアルウデイド米軍基地を撤収させる。バーレーンから2000人の米軍とその関係者が帰国した。サウジアラビアも数十年かけて何百億ドルもかけてプリンススルタン米軍基地を作ったが、たった1日のイランによる攻撃でレーダーを失い基地の機能が失われた。イランに叩かれて、UAEも、イラクもシリアも、中東の国々が、イランの筋の通った外交に、正気をやっと取り戻し、米軍基地を撤退させようとしている、この時期に、日本は、正反対に軍国化を進めている。
このひと月に、これほど日本の軍国化が急速に進められてきたことは今までなかったことだ。なにもかも閣議決定で事が進められて、議会制民主主義は完全に封印されている。今の日本は断じて民主国家ではない。


2026年4月13日月曜日

イラン軍テルアビブ攻撃

遂に!!!これでガザのパレスチナの人々の飢えと渇きを、イスラエルの人々も知ることになるだろう!

2026年4月8日水曜日

わたしはあなたと居たい


わたしは、イランの発電所の前で、人間の盾となって座り込んでいる、あなたの隣にすわっていたい。
わたしは、爆撃されるとわかっていて去年の今日も、おととしの今日も、いつもどおりにサウスパレスの油田で汗を流している、あなたの横で働いていたい。
わたしは、夫の研究が国のため、世界のためになるとわかっていて働いてきた物理学者の妻でありたい。
わたしは、将来はお医者さんになる、と言う小さな娘を、ミナブの小学校に送り出した母親になりたい。
きょうは、
わたしは、テヘランの製油所の前で、誇り高い国旗を腕に抱え、あなたといっしょに、ほほを風にくすぐられて
ふふっと
笑いあっていたい。
I wish to sit down beside Iranian Power Station, like you are doing as a Human Shield.
I wish to work with you in the South Pale oil refinery, like you have been working today, last year's today ,and the year before today as a day's routine.
I wish to be a mother like you, baby girl who wants to be a doctor to send Minab Elementary School.
Today,
I wish to sit with you, who proud of holding Iranian National Flag, front of a Oil Refinery in Teheran as a human shield.
With you
Looking at each other, smilling with cool breeze such a beautiful Spring day.

2026年4月7日火曜日

ゼレンスキーの汚職

この3月後半から4月にかけてウクライナのゼレンスキー大統領は、サウジアラビア、UAE、カタール、シリア、トルコなど各国を回って、ウクライナ製のドローンを売り歩いてきた。
彼が電卓をカチャカチャやっている間にも、キエフでもドンバスでも自分の国の青年たちが前線で命を落とし、市民も被害を受けている。
その間にも、イランでは世界一の軍事力を持った米国によって、沢山の市民が殺されて、石油施設が火に包まれて、テヘランに黒い雨を降らせている。いつ、トチ狂ったネタニヤフが核ボタンを押すか、地球の存続が疑われるような事態だというのに、ゼレンスキーは平然と商談で、札束を数えている。

ゼレンスキーは2021年10月26日、ミンスク合意を破り、ドンバス地方をドローン攻撃した。ドネツク州、ルハンスク州には65万人のロシア人が住み、そのうちの数千人が犠牲になった。
2022年2月24日、ロシアによるウクライナ侵攻以来、プーチン大統領の主張は、1ミリも変わっていない。クリミアとドネツク州、ルハンスク州の独立を認め自治権をウクライナが認めなければならないということだ。それを認めていれば、ロシアは侵攻しなかった。しかしゼレンスキーは、ロシア人の多く住む州の自治権を認めず、NATOメンバーになって自国の防衛をNATOに任せたがった。
2022年2月22日のロシアが侵攻すると、ゼレンスキーは直ちに国境を閉鎖して国民総動員令を出して18歳から60歳までの男子を束縛した。
国債調査報道ジャーナリスト連合(ICI)によると、ゼレンスキーはこの時から英国領バージン諸島にペーパーカンパニーを作って、2021,2022の2年間で8億5千万ドル蓄財した。それからすでに6年経つが彼の私財は空前の規模になっていることだろう。
フォーブスのマットダロットによるとゼレンスキーの財産は高級ヨット5漕と3機のプライベートジェット、サウジアラムコの株など79億円を所有するというマスコミのお話を否定して、私財はキエフの家など14億円の株を含めて26億円に過ぎない。彼の妻が銀行に2億6千万円、1億3千万円の宝飾品を持っているだけだ、と言っているが、彼はいま武器会社から契約のための賄賂を受け取った疑いで法廷で争っているところだ。

戦争を長引かせているのは、誰か?
ゼレンスキーは過去4年間、米国とEUを始めとする国々を飛び歩いて、執拗に「もっとお金が欲しい」「もっと武器が欲しい」といって歩く「集金人」だった。それがいまや、戸別訪問の「押し売り」になった。
ゼレンスキーの大統領任期は2024年5月20日に切れている。
ゼレンスキー、戦争をこれ以上長引かせるな。戦争を止めろ。降伏宣言を出し国連平和軍の出動を要請しろ。26億だか79億だかの金塊を後生大事に腹巻にでも入れて、さっさと月にでも飛んで行け!



2026年3月29日日曜日

76歳 恋をする

76歳 恋をする
「5年前に初めて会った時から、ずっと好きでした。」と、元アフガン戦士、熊のような大男に言われて、ゲゲ!!!まずい、メンドくさ!

5年前、下行腎静脈が詰まって不具合をきたし大病院で、透視造影を見ながら静脈にコイルを入れる手術をすることになった。「やってみなければわからないので、手術が2時間で終わるか4時間かかるかわからない。終わったらナースが回復室から家族に電話をするので迎えに来てもらってください。」とドクターに言われて困った。何時に終わるかわからない身柄引き受けを頼める人がいない。やむなく以前乗ったタクシーで、必要な時は会社でなく自分に電話をください、といって名刺を渡された運転手に電話をした。
その人は自宅から40分ほどの距離の病院で、私を下ろして病院の駐車場で4時間、手術が終わるまで待っていてくれた。全身麻酔の反覚醒状態で、身柄を引き取ってもらって、ずいぶん親切な人だ、と思った。

車の事なら何でも相談してください、と言われていたので、家の前で車を追突されたとき、運ばれた救急病院から電話をした。「まっすぐの見通しの良い1本道で、右折のウインカーを出していたのに、相手はスピードを緩めずぶつかってきた。私は悪くない、悪くないのに車はぺっちゃんこ!どうしてくれるんだ。」と1オクターブ高い黄色い声で、きゃーきゃー言いたてたら、「だまりなさい。私にまかせろ。」と一言。黙っているうちに事故車の引き取り先と、手ごろな値段の新しい車を自宅まで届けてくれて、事故処理一切をやってくれた。パールホワイトのピカピカの新しい車が来て、嬉しくて、ずいぶん親切な人も居るものだ、と思った。

胃も腸も内視鏡検査を受けることになって、再び病院で全身麻酔で検査を受けて、、回復室にいる私を家族の代わりに迎えに来てくれて、本当に親切な人だと思った。でも他にも足の悪いおばあさんをよく助けているようなことを言っていたので、年寄りに親切な人なのだと思っていた。

1年経ってピカピカだった新しい車も、不用意で不器用で不注意な運転のため、みごとに前後左右かすり傷だらけになった。どうしてコーナー曲がるごとに車体に傷がついてしまうんだろう。で、電話をしたら、ついてきなさい、と修理屋まで先導してくれて、修理屋は、車の外側をぜんぶ取り外して、叩き直してペンキを塗って大きなオーブンで乾かすのだという。全部治って来るまで、私の職場の送り迎えしてくれた。ずいぶん親切な人だと思っていた。

遠くに住む娘家族と、少し離れたところに住む娘、みんなを連れて日本にスキー旅行をした時、空港への送り迎えをしてくれて、行くとき飛行機の中で食べるようにと、ナッツお詰め合わせを持たせてくれた。
職場から派遣されるカンファレンス、夜の会合、友達とのデイナー、など数え切れない程、送り迎えをしてくれた。とても親切な人だと思っていた。

クリスマスに家族が来るので、古ぼけたカーペットを捨て、新しいのを買おうと、IKEAに行ったが気に入ったカーペットは重くて大きくて、とてもIKEAのセルフサービスで持って帰れない。電話をしたらすぐ来てくれて、6畳間用の重いカーペットをひょいと畳んで肩にかついで運んでくれた。家に着いて、自分でもびっくり、カーペットの上のでかい机は、読みかけの本、読み終わった本、読む予定の本が30冊あまり乗っていて、食べかけのお菓子、飲み物、請求書やいろいろごたごたが載っていた。それを動かし、古いカーペットを丸めて倉庫に仕舞い、新しいのを敷いて机を元の通りにもどしてくれた。その速さと丁寧さには目を見張った。ずいぶん親切な、、、
そこで突然、中腰になった元アフガン戦士に「5年前から好きでした。」が始まったのだった。私が76で、あなたは16歳年下だって、わかってるよね。で、、、こうして「ずいぶん親切な人」が、「わたしの特別な人」になったのだった。
娘たちがそれぞれ家族を持ち、「おかあさん業」を終え、2度も未亡人になって「妻業」を終え、このままの脳みそが働らいてくれる間は、仕事を続けて、あとは死んでいくだけだよな、と思っていたが、そっとあたためてくれるブランケットができて、このごろはよく眠れる。