2019年8月25日日曜日

浦沢直樹の漫画「MONSTER」

「MONSTER」は、1994年から2001年まで「ビッグコミック」の連載され、後に小学館から1巻から18巻まで単行本で出版された。作家、浦沢直樹は、その前に、「YAWARA」全29巻、「HAPPY」全18巻、「MASTERキートン」全18巻、「パイナップルARMY」全8巻、など主に長編漫画で人気のある作家だが、「20世紀少年」、「21世紀少年」で爆発的な漫画界のスターになった。ほかに「PLUTO」や、「BILLY BAT」がある。中でも「MONSTER」が一番好きだ。

ちばてつやの「あしたのジョー」や白戸三平の「カムイ伝」で育ったが、今でもやっぱり一番好きな漫画は、井上雅彦の「スラムダンク」だ。それと、彼の「バガボンド」、「リアル」。あだち充の「タッチ」、石塚真一の「岳」、一色まことの「ピアノの森」、ヨシノサツキの「ばらかもん」、羽海野チカの「3月のライオン」など。

子供の時から長編の物語が好きだった。トルストイの「戦争と平和」、「アンナカレリーナ」、ドストエフスキーの「カラマゾフの兄弟」、ロマンロランの「魅せられたる魂」、「ジャンクリフトフ」、マルタン ヂュガール「チボー家の人」、ガルシアマルケスの「百年の孤独」など。母は死ぬまで大変な読書家だったが、子供の私が「戦争と平和ってどんなお話?」と聞くと、「みーんなみんな死んじゃうのよ。」という。「じゃあジャンクリストフってどんな本?」と聞くと、「男の話よ。」、「では魅せられたる魂は?」と問うと、「女の話。」「カルメンは?」「三角関係で死んじゃう話。」すべて返答は簡潔。会話にならない。だから自分で読むしかなかった。

ストーリーは
1986年ドイツ、デユセルドルフ。
日本人天馬賢三は、アイスラー記念病院の脳外科医。ハイネマン医院長の論文を読んで日本から研修に来て以来、他に追随を許さない天才的な技術と判断の良さとで次々と難しい手術を成功させ、高く評価されていた。謙虚で患者や仲間からの評判も良く、若さに違わず外科部長に就任するうえ、ハイネマン病院長の娘と婚約していた。

ある夜、救急室に呼ばれたドクター天馬は医院長の命令で、有名なオペラ歌手の緊急手術を行い彼の命を救命する。しかし隣の手術室ではトルコ人移民が命を落としていた。トルコ人はオペラ歌手が運ばれてくるずっと前から待たされていたが、天馬がオペラ歌手の手術を優先したために、貧しいトルコ人は死んでしまった。家族に責められて、ドクター天馬は良心の呵責に責められる。

ニュースで東独から亡命してきた東独貿易局顧問のリーベルト夫婦が二人の双生児アンナとヨハンを連れて、デユセルドルフに到着したニュースが流れる。しかし翌朝夫婦はナイフでのどを搔き切られて、死んで発見される。そばに居た双子の兄、ヨハンも銃による頭部挫傷で重体、一人生き残ったアンナはショックで口がきけない状態で病院に運ばれる。天馬は少年ヨハンの頭の銃創をみて、自分でなければ救命できないと判断する。しかし同じ時間に市長が脳出血で倒れ、病院長は天馬に市長の手術をするように命令する。天馬は迷った末、院長の命令に従わず、少年の難手術を行い救命する。が、病院長とわいろで結びついていた市長は、他の医師の手にかかり手術台で亡くなる。

怒った病院長は天馬の外科部長の役職を取り上げ、エヴァは婚約指輪を天馬に投げつけて婚約解消する。おまけに天馬は自分が救命したヨハンの主治医まで外されてしまった。天馬はまだ昏睡状態でベッドにいるヨハンの病室で、酔った勢いで、病院長たちみんな死んでしまえばいいのに、と愚痴る。
翌日病院長と、新しい外科部長と、ヨハンの新しい担当医3人が、毒入りキャンデイーを口に入れて死亡しているのが発見された。不思議なことに、アンナとヨハンの双子が失踪していた。3人の殺人事件は、ドイツ連邦警察のルンゲ警部の担当となる。凶悪殺人なのに何の証拠もあがらず、天馬にはアリバイがある。しかしルンゲ警部は、天馬が二重人格で本当は殺人犯なのではないかと疑い天馬を監視する。病院は何事もなかったように再開し、天馬は外科部長として多忙な生活にもどる。

9年経った。1995年
ハンブルグ、ケルン、ミュンヘン、4つの異なった場所で、子供のいない裕福な中年夫婦が、9年前の双子の両親が殺されたのと同じ、営利なナイフでのどを切り裂かれて殺される事件が起きた。4件とも共通して一人の男が、事件周辺で姿を見せている。ルンゲ警部は、その男を追って、デユセルドルフにやってくる。4件の犯行の鍵を握る男は、怪我をして天馬に救命される。しかし、男の入院中警備に当たっていた警官が毒入りキャンデーで殺され、男は病院の屋上で撃ち殺される。患者を追って屋上にきた天馬は殺人犯と対面する。殺人犯は9年前のヨハンであることを自己紹介したあと、天馬が殺したいほど憎んでいた病院長たちを殺してあげたのは自分で、それは天馬が自分を救命してくれた命の親だから恩返しにした事なのだ、と言って立ち去る。
天馬は自分が、生き返ってはいけない殺人鬼モンスターを蘇らせてしまったのだということを知る。天馬は病院を辞めて、ヨハンを追う。

ハイデルベルグ 1996年
今日で20歳になるアンナは、優秀な法学部の学生で将来検察丁の検事になりたいと思っている。彼女はフルトナー夫婦の間に生まれた娘だと思っているが、10歳以前の記憶を持たない。夫婦はアンナが20歳になる誕生日に、彼らが本当の親ではないことをアンナに伝えようと思っている。しかしアンナが誰かに呼び出されている間に、夫婦はのどを搔き切られて死んでいた。アンナは呼び出されてヨハンに会う。そこでアンナの記憶が呼び覚まされる。10年前ヨハンを銃で撃ったのはアンナだった。アンナはヨハンが善良な養父母を殺しているのがヨハンだったと知ってモンスターを処分するのは自分しかいないと思い込んだのだった。ヨハンを追ってきた天馬もアンナの心情を知る。再び姿を消したヨハンを追って、アンナ、天馬、そしてランゲ警部が後を追う。そして謎の極右秘密組織もヨハンを追っていた。ヨハンはその天才的な頭脳で、裏社会の銀行の頭取を務めていた。

天馬は東西ドイツ間の壁崩壊前の、旧東独貿易局顧問リーベルト宅を訪れて、彼らが亡命する前、ヨハンを511キンダーハイム孤児院引き取ったことがわかる。ヨハンは他の孤児院にいたアンナと一緒でなければ行かないと言い張ったので、二人はリーベルトの養子となった。キンダーハイム孤児院は崩壊前の東独の内務省による実験場だった。憐れみを持たない子供を実験的に作る場で、ヨハンが立ち去ったときに教官、孤児のすべてが殺し合って、生存者が一人も残らなかったのだったという恐ろしい孤児院だった。
さらにわかったことは、ヨハンとアンナは、東独で孤児院に引き取られる前、ふたりでチェコスロバキアの国境付近を瀕死の状態で彷徨っていた。唯一持っていたのがフランツ ボナパルタの描いた絵本だった。二人は「薔薇の館」から逃げて来たのだった。そこはフランツ ボナパルタの主催する秘密組織人間改造実験所で、母親から引きはがされて二人の双子は「薔薇の館」で育ったのだった。「薔薇の館」では実験研究者、患者の児童たち、チェコ政府の関係者すべてが、何者かの催眠にかけられたかのように殺し合って全員死亡していた。

10歳以前の記憶をもたないヨハンは、ここまでの事実を知って、フランツ ボナパルタを探して、ルーエンハイムという山に囲まれた小さな山村にやってくる。旧東独極右組織が、将来ヒットラーを再び蘇らせることのできるヨハンに心酔して、ヨハンを追ってやって来る。アンナと天馬とルンゲ警部ももちろんだ。村は大雨で道路が浸水し完全に村は陸の孤島になった。電話も通じない。ヨハンは、「薔薇の館」で研究員たちが全員殺し合うところも、511キンダーハイム孤児院で教官や孤児たちが殺し合い全員死亡するところも見て、また自分を育ててくれた養父母夫婦全員を殺して来た。チェコの研究所「薔薇の館」と、東独の孤児院で起こったことが、再び繰り返されるのか。
平和だった村で、善良な夫婦にとんでもない金額の宝くじが当たったことを知らされる。ヨハンによって村人たちに銃がばらまかれ、閉鎖された村の空気のなかで、銃など手に取ったこともなかった人々が、疑心暗鬼になって催眠術にかかったように銃を撃ち合い、あちこちに死体が転がっている。人々の恐怖が爆発しそうだ。

ヨハンを前にしてアンナは憎しみの連鎖を断ち切るために、ヨハンを許す。自分はすべて忘れて正しい道を歩む決意をする。天馬もヨハンを撃ち殺せない。
ヨハンは、人質にとった村の子供を撃とうとして、子供の親に撃たれる。フランツ ボナパルタは、自分が実験場を作ったことを詫びて、極右組織の手で殺される。ヨハンは州立警察病院に運ばれ、一件落着。
天馬は病院で昏睡状態のヨハンにさよならを言いに来る。国境なき医師団に入る予定だ。もうどうでも良いことだ、と思って、天馬はアンナとヨハンは小さなときに引き離された母親がまだフランスで生きていると言う。天馬が病院の門を立ち去る時、もうヨハンのベッドは空だ。
というところで終わる。

18巻の長編をまとめるのは容易ではない。書けなかった人物など50人くらいいるし、細かいデテールなど100くらいあって書ききれないけれど、この漫画の最後のシーンが一番好きだ。ヨハンのベッドが空だ。ヨハンは再び出て行って母親を殺しにフランスに向かったに違いないが、人によっては違う解釈もありだ。しゃれた終わり方だ。

この話で面白いのは、双子のアンナもヨハンも10歳以前の記憶がないことだ。自分達の本当の親も、自分たちの名前もわからない。アンナは、20歳まで愛情深い養父母に育てられて正義感の強い愛すべき少女に育った。しかしヨハンは自分の過去を憎み、自分のことを知っている養父母をすべて殺して来た。また自分を実験と研究の材料にしてきた秘密研究所や孤児院の関係者まで葬って来た殺人鬼だ。アンナとヨハンは善悪の対比の様に描かれている。しかし二人とも「薔薇の館」で育った経験を共有している。ヨハンを追う天馬とすれ違う時、アンナは天馬に「モンスターは一人じゃない。2人居るのよ。」と叫ぶシーンがある。アンナも催眠にかけられ、ヨハンのように残酷な殺人者になることもできるのだ。

浦沢直樹の悪い癖で漫画の連載が好評だと、話をふくらませてどんどんストーリーが広がっていって、読んでいるときは面白いが話が広がり過ぎて筋が合わなくなって、苦し紛れに登場人物の会話で、無理につじつま合わせするようなところも何か所かある。それは「20世紀少年」にも言えることだ。

しかしよくできた漫画で、特記すべきはこれが1994年から2001年に書かれていることだ。
20年前にはまだチェコのナチの逃亡犯をかくまったオデッサのような秘密友愛結社や、ヒットラーの再現を願うネオナチ団体も、元東独の極右秘密結社も、移民をアリのように平気で殺せるスキンヘッドも、社会の恥のように小さくなっていた。漫画ではヨハンの心酔者として描かれている連中だ。
それが、20年たった今では、性懲りもなく地中から這い出して、いまや政治の主流になりつつある。米国のトランプ大統領、ブラジルのボルソラノ大統領、フランスのマリーヌル ペン、イタリアのマテロ サルビ二、日本のおばかさん首相。ポピュリストは オランダ、ウクライナ、スウェーデン、ギリシャでも急激に勢力を拡大している。まるで浦沢直樹が、「MONSTER」で預言をしたように、極右のトップが世界を動かすまでに成長した。新たなヒットラーの出現を待ち望む人々が増えている。
「MONSTER」は18巻で終了し、アンナはヨハンに赦しを与え、天馬は新たな医師活動に意欲を持ち、ルンゲ警部は定年で大学講師になり、だれもが一件落着したように思えるが、ヨハンは死んでいない。すでに彼はベッドを抜け出して世界を死に追いやるために出て行った。20年前の漫画が現実の状況に警告を発している。

とても面白い漫画だ。読む価値がある。英語版が再版中止になっていて、友達に読ませたいがもう手に入らないことが、すごく残念だ。

2019年8月22日木曜日

ジミー チンのドキュメンタリー「フリーソロ」

原題:「FREE SOLO」
監督: ジミー チン
エリザベス チャイ ヴァサルヘリ
撮影: ジミー チン、クレア ポプキン
    マイキー シェファー
出演者:アレックス オイルド
    サニー マクキャンドレス
    トミー コールドウェル
ナショナルジェオグラフィック ドキュメンタリフイルム
2019年 アカデミー長編ドキュメンタリー映画賞受賞作

監督で、撮影者のジミー チンと、妻のエリザベス チャイ ヴァサルヘリは、ともに登山家で写真家だが、二人してこの映画を監督している。ジミー チンは中国系アメリカ人2世で、妻のエリザベスは母親が香港人。二人には一男一女の子供たちが居る。
「フリーソロ」は二人にとって第2作目の山岳フイルムで、第1作目は、2013年の作品「MERU・メル―」。

「MERU メル―」はヒマラヤ山脈の中国側、メル―中央峰の難攻不落の岩壁「シャークス フィン」とよばれる岩を、ジミー チンを含めた3人の登山家が世界初登坂に成功したときの記録フイルムだ。3人とも有名な登山家で、コンラッド アンカー、レナン オズダークとジミー チン。3人は、2008年に頂上まであと100メートルのところで、登頂を断念して下山している。総重量90キロの荷物を担ぎ、2台のカメラと機材を持ち、8日間の食糧で、「シャークス フィン」を17日間登り続け、悪天候と雪崩とで岩肌にビバーグしていたテントが壊れ、食糧と燃料がなくなり、登頂寸前のところで諦めて下山した。このときの失望が大きすぎて3人とも2度と同じ山に再び戻ることはないだろうと思っていたという。その後、ジミー チンは雪崩に合い600メートル落下、時速130キロのスピードで山から落ちるが、奇跡的に生還した。
またレオン オズタークは、スピードボードの撮影をしていて事故に合い、頚椎骨折で、再起不能、一生車椅子生活と診断されるが、執念のリハビリで、登山家として、これまた奇跡的な復帰をする。3人の内、残りのコンラッド アンカーは、山岳史で最も有名な登山家ジョージ マロ―二―の遺体を見つけた人だ。登山の長年のパートナーだったアレックスを、ザイルでつながりながら死なせたことで、自分を責め、のちに彼の妻と結婚して彼の3人の息子たちを育てている。3人3様の2008年メル―世界初登頂失敗後の、苦渋と失望を乗り越えて2011年 3人は再び申し合わせたようにヒマラヤに集まり、「シャークス フィン」の初登坂を成功させる。メル―はそのときの記録映画だ。

第2作目の「フリー ソロ」は、登山家はアレックス オニルドただ一人。フリー ソロとは、ザイルもハーケンもカラビナも一切使わずに、たった一人でロッククライミングするスタイルのことを言う。山は、カルフォルニア、ヨセミテ国立公園の中にある「エル カピタン」と呼ばれる1000メートル近い絶壁。ここをザイルパートナーなしで単独登頂する姿を数台のカメラで追ったドキュメンタリーフイルムだ。
ジミー チンは「この仕事を引き受けるかどうか迷った。アッレックスは山仲間で友達だ。誰も成功したことのない単独登頂の撮影中、滑落の瞬間をカメラがとらえることもあるだろう。それはアレックスの死の瞬間でもあるのだから。」と語っている。

1インチに満たない岩の尖がりに足をかけ、指3本でつかんだ岩のくぼみに全体重をかけて登っていく。ハングオーバーがあり、トラバースを幾度もしなければならない。滑りやすく全く何のとっかかりもない所が2か所もある。体重のバランスをかけて、伸ばした見えない指の先で、くぼみを掴めなかったら、そのまま落下するしかない。何度ザイルを使ってリハーサルしてみても失敗につぐ失敗。ザイルで身を確保して、すこし離れた岩壁で撮影する4人のカメラクルー。望遠レンズで下から撮影する別のカメラマン。
リハーサルの繰り返しで、すっかり煮詰まってしまったアレックス オノルドは、とうとう一人怒って下山してしまう。もうやめだ。こんな岩壁をフリー ソロで登れるわけがない。

アレックス オノルドは、1985年カルフォルニア州 サクラメント生まれ。山が好きで、19歳で大学をドロップして10年あまり車で生活しながら山から山に移動し、登山を繰り返し山岳会で華々しくデビューする。20代で、難所ばかりのロッククライミングをフリー ソロで成功させ、その世界ではスーパースターとなった。今まで誰もチャレンジできなかった「エル カピタン」をフリーソロで世界で初めて成功させることは、彼にとって自分を越えるための最大のチャレンジだった。その彼にも恋人ができる。車で生活することが普通だったアレックスが 恋人と家を買うことになる。2016年恋人とザイルを組み、登山して落下、足首を骨折する。そこでアレックスは、一念発起、自分がやらなければならない課題に直面する。今やらずにいて諦念だけでこの先、生きていくことはできない。激しいリハビリと自主訓練で、再起したアレックスは「エル カピタン」に戻る。
ジミー チンははじめ半信半疑だった。いったんアレックスは逃げ出したじゃないか。
しかしアレックスは本気だ。朝、暗いうちから登り始め、フリー ソロで登頂成功させる。
というおはなし。

山の話だ。
ジミー チンは山のすばらしさをフイルムを通して体験させてくれる。子供の頃はスキー少年、16歳で山に魅せられて登山を開始し、23歳で写真に取り憑かれ、自分で登りながら撮影するという独自の山岳ドキュメンタリーを製作するようになる。素晴らしい登山家だ。ナショナルジェオグラフィックと契約して、いつも未知の世界を見せてくれるだけでなく山の空気を連れて来てくれる。ロッククライミングでは両手両足のうち、3点は確保して固定していなければ登れない。登りながらフイルム撮影するには、ただ登る人よりも高度な技術がなければならない。6000メートル級の岩壁で、1点1点手足を確保しながら、岩を這い、強風に飛ばされながら、登山のすばらしさをフイルムに納めてくれる撮影者は、文字通りのヒーローだ。アカデミー賞受賞のあと、「フイルム撮影中一番スリリングだったのは、どんなときだった?」と聞かれて、岩壁で「ザイルを扱いながら、カメラをバッグから取り出して、そのカメラからチップを抜き出した時だったかな。」と言って笑わせてくれた。それは怖い。

デヴィッド リーンの映画「アラビアのロレンス」(1961)で、ジャーナリストがロレンスに、「どうして こんな砂漠に居られるのか?」と問われて彼は「砂漠は清潔だから。」と答える。私は山が好きだ。清潔だから。若いころ、取り憑かれたように山に登ってばかりいたことがある。山の吹き下ろす風に身を任せ、岩に取り憑いていると、山に浄化されるようだった。2000メートル級の山で太陽の直下にいると顔ばかり山焼けして、顔の皮が2枚も3枚もむけてきて、腫れあがり埴輪のような顔だったと思う。けれど下山して人の多い地上のもどってみると、自分の体が腐ってくるようで、またすぐに山に戻りたくなる。北アルプス、南アルプス、丹沢の山々、どの山も、山はどんな教師よりも多くのことを私に教えてくれた。
人生というものが、単なる自己満足だとするならば、登山は最高の自己満足だ。登山は何も生産しないし、お金にも名誉にも、業績にもならない。ただ自分を満足させてくれるだけだ。誰のためでもない。それだけ贅沢な行為だということもできる。

映画のエンデイングに、テイム マツグローが、「GRAVITY」という歌を歌っている。渋い。たくましい男が荷物を背負って、がっしりと山に取り憑いている。厳しい自然の中で、突風やがけ崩れにもてあそばれながら、岩肌を尺取り虫のように進んでいく。孤独な山男の背に、低い男の歌が語り掛けるようで、映画にみごとにマッチしている。

写真は上の2枚が、フリー ソロの「エル カピタン」
下の2枚が、ヒマラヤ メロー峰の「シャークス フィン」

山が好きな人にも、山が嫌いな人にも、自然が文句なく美しいフイルムなので見る価値がある。

2019年8月4日日曜日

映画「ホワイトクロウ:伝説のダンサー」

原題:WHITE CROW
英国映画
監督:レイフ ファインズ           
キャスト
オレグ イヴェンコ: ルドルフ ヌレエフ
レイフ ファインズ: アレクサンドル プーシキン
セルゲイ ポレーニン:ヌレエフのルームメイト
アデル エグザルホプロス:クララ サン
ルイス ホフマン
チェルバン ハムトーヴァ
ラファエル ペルソナ

ストーリーは
1938年3月17日、ヌレエフ一家が、父親の赴任先に向かうシベリア鉄道の列車の中で,ルドルフは生まれる。タタール人の父親は軍人で、ムスリムだった。ルドルフには上に3人の姉がいた。5歳の時に、母親がもらい受けた1枚のチケットで、家族はバレエを見に初めて劇場に行く。ルドルフは劇場の豪華なシャンデリアや、踊り子たちが照明に照らされて拍手を浴びる様子を見て、バレエを自分の一生の仕事にしたいと思う。そこで戦争中の貧困と食糧難もあって、幼いルドルフは地方の全寮制のダンス学校に入れられる。戦争が終わり、ルドルフが17歳になって、1955年やっと彼はレニングラード(セントぺテルスブルグ)のマリンスキーバレエ学校に入学を許される。そこでアレクサンドル プーシキンに実力を認められる。

ヌレエフはバレエ団のなかで人一番熱心に練習をする団員だったが、性格的に協調性に欠け、自己主張が強いために、いつも孤独だった。また裕福な子女が多いバレエ団のなかで、貧しいタタール人出身だったヌレエフは、ムスリムのタタール人を揶揄するホワイトクロウをいうレッテルを貼られていた。それは事実上にのけ者にされていたルドルフのあだ名でもあった。しかし彼の実力を誰も否定できなくなり、やがてプリンシパルとしてバレエ団の中心的存在になっていく。
彼はバレエ団の海外巡業でパリを訪れ、フランス文化大臣の息子の婚約者クララと親しくなって、彼女とキャバレーやバーに行き夜遊びをする。KGBはそういったフランス文化を資本主義の退廃した姿と捕えていたから、ヌレエフの監視を強化した。そしてこの海外遠征が彼にとって最後の旅になるだろうと、警告する。

パリ公演を終えて、バレエ団がパリからロンドンに移動しようとする空港で、ヌレエフはKGBに、他の団員達と別れてヌレエフだけ帰国して、モスクワ公演に合流するように命令される。KGBに取り囲まれ自由を奪われたヌレエフは、助けを求めて叫ぶ。見送りに来ていたパリバレエの団員は、急きょクララに助けを求める。亡命希望者は、自分から亡命をする国の担当官に亡命したい旨を伝えなければそれを認められない。クララは、パリ空港警察を、ヌレエフの後ろに立たせ、別れの言葉をヌレエフに言う許可をKGBからとって、ヌレエフに空港警察官に亡命する意思を伝えるようにささやく。クララの言葉に従い、ヌレエフはKGBと空港警察との激しいやり取りの末、保護されてフランスに亡命する。1961年、ヌレエフが23歳の時の事だった。
というお話。

この映画の話題性のひとつは、監督がシェイクスピア劇場出身の英国が誇る名優、レイ ファインズが監督したということだ。英国映画にも拘らず、舞台がセントぺテロスブルグとパリなので、ロシア語とフランス語で物語が進行して、それに英語字幕がつく。
ヌレエフは実際、英語を独学していて、米ソ冷戦時に珍しく英語が話せるロシア人だったそうだ。映画の中でも役者はロシア語なまりの英語を話す。米ソが一触触発で核戦争が始まるような危険な世界情勢のなかで、ヌレエフが英語を話せたことは奇跡のようだが、それが亡命するうえでものすごく役に立ったのだ。

それと、この映画が評判になったのは、何といってもルドルフ ヌレエフという世界一名高いバレエダンサーの波乱の半生を描いた作品だということだろう。ヌレエフは日本にも公演に来たし、彼のダイナミックで現代的なバレエは、いまも沢山映像になって残っていて、没後26年経っても人気が衰えることがない。

レイフ ファインズは1993年に刊行されたヌレエフの評伝を読んで、20年もの間ずっと映画にしたいと考えていたという。ヌレエフ役のダンサーを、9か月間探して、ロシアでオーデイションを繰り返してヌレエフの体つきも踊り方も似ているバレエダンサーを見つけた。
ヌレエフ自身は、短気で自己主張が強く、周りの人を平気で傷つけ、自分が思い通りのダンスが踊れるようになるまで妥協のない、極度の頑固者だった。地方巡業を断ったり、自分の実力を認めない教師に怒りをぶつけたり、高級レストランでウェイターが自分を百姓の息子だと馬鹿にしていると怒り出したり、わかままいっぱいだ。それでもダンサーとして最高のところまで行き着きたいと一心に願っている混じりけのない純粋さが、胸を打つ。

映画の中でヌレエフがひとり美術館で絵画や彫刻を食い入るように真剣に見つめるシーンがいくつか出てくる。初めて訪れたパリで、ひとりルーブルに入りテオドール ジェリコの「メデユース号の筏」を凝視する。フランスフリゲート艦メデユース号が座礁して乗組員149人のうち、わずか15人が、救命ボートの中で殺人やカニバリズムをして生き残った。男達の生と死、期待と絶望、そのすさまじさをヌレエフは見ていたのだろうか。
またセントペテルスブルグのエルミタージュ美術館で、レンブラントの「放蕩息子の帰還」を見つめる。父親の大きな手に抱きしめられる子供の安堵、それはヌレエフの子供時代に決して得られないものだった。

ヌレエフを演じたオレグ イヴェンコが素晴らしい跳躍を見せてくれる。バレエ学校の練習風景が沢山出てくるのが嬉しい。男の美しい足が床を蹴る。床をなぞるように、流れるように円を描きながら跳躍する。力強いジャンプから着地するときの激しい音。
おまけに「ダンサー、セルゲイボルーニン世界一優雅な野獣」のセルゲイ ボルーニンがマリンスキーバレエ団のヌレエフのルームメイトとして出演していて、練習風景の中でこれまた素晴らしいジャンプを見せてくれる。英国紙ガーデアンの映画評では、オレグ イヴェンコよりも,端役のセルゲイ ボルーニンがずっとチャーミングでセクシーで素敵だ、と書いてあった。でも映画ではそんなことはなく、オレグ イヴエンコがちゃんと主役になるように撮影されている。当たり前だけど、、。。実際は、二人は仲の良い仕事仲間として互いに尊敬しているそうだ。
映画の中でプーシキンが、ヌレエフに、どんなに技術が素晴らしくても語るべきストーリーが伝えられなかったら、バレエじゃない、と言っているが、オレグ イヴェンコも、セルゲイ ボルーニンもストーリーを踊りでみせてくれる力を持っている。

ヌレエフは1961年に亡命したあと1980年まで20年間英国ロイヤルバレエ団に所属してプリンシパルダンサーとして、カリオグラファーとして活躍した。19歳年上のマーゴ フォンテーンとペアを組み、ジゼル、白鳥の湖、ロメオとジュリエットなどで世界中をセンセーションの渦に巻き込んだ。マーゴは1961年にヌレエフに会った時、ロイヤルアカデミーオブダンスの校長先生で、42歳でリタイヤをするところだった。だが23歳のヌレエフとのペアが実に似合っていて、二人の踊るヴィデオを今見るとロマンチックで優雅で夢みたいだ。マーゴはその後、パナマ人で弁護士の夫が暴漢に襲われ車椅子生活を余儀なくされたため、看護するためにリタイヤして1991年パナマで、71歳で亡くなった。彼女の死亡を告げる新聞記事が出たとき、華やかだったバレリーナ人生と実生活の不幸とが思われて、悲しかったことをよく覚えている。

ヌレエフは、英国ロイヤルバレエを去ってから、パリオペラバレエのダイレクターになり、そのあとは、カリオグラファーとして活躍した。10数年前シドニーにパリオペラバレエが来た時の「白鳥の湖」はヌレエフ版の作品だった。伝統的なロシアバージョンではなく、ヌレエフ版は、より人間的な悩み、迷い、悲嘆にくれて死んでいく王子のストーリーが生き生きと語られて涙をさそった。

バレエはフランスでルイ14世によってはじめて作られて以来、男の美しさを見せるための芸術だった。そういった人々の期待に応える形でヌレエフは究極を追及し、死ぬまでバレエ芸術に身を捧げた。1993年に、54歳の若さでエイズで亡くなった時も新聞で知った。芸術家は技術を磨き、その優れた技術を手段にして物語を人々に伝えなければならない。プーシキンは、ヌレエフに繰り返しそう言った。良い言葉だ。
これから離れ小島で一人で死ぬまで暮らしなさい。でも2本だけヴィデオを持って行ってもよろしい、と言われたら、マリア カラスのオペラ「椿姫」と、ヌレエフとマーゴ フォンテーンのバレエ「ジゼル」を持っていこう。
バレエがあまり好きでない人でも、この映画で好きになるかもしれない。見て損はない。


2019年7月22日月曜日

画家リヒターの映画「NEVER LOOK AWAY」

                      

ゲルハルト リヒターという美術界で、「ドイツの最高峰の画家」といわれている画家が居る。87歳。現存する作家のなかで世界で最も注目されている現代画家と言われて、日本でも人気が高いようだ。

リヒターは、ナチ政権下のドレスデンで多感な少年時代を過ごし、敗戦で生まれた土地が完璧に破壊される過程を目撃し、ロシア軍の進駐によって再建された芸術大学で学んだ。優秀な画家の卵は、やがて自由な表現を求めて東西の壁ができる寸前に西ドイツに逃れ,前衛作家として成功する。文字通り激動の時代のドイツを生きた画家だ。

現代美術の旗手で、抽象画、シュールリアリズム、フォトリアリズム、ハイパーナチュラリズム、などの作風をとり、油絵だけでなく彫刻、ガラス作品など製作している。初期の作品群であるフォトペインテイングは、写真を大きくキャンバスに模写し、画面全体をぼかして、さらに人物などを描きこんでいくという独特の作風だ。また、モザイクのように256もの色を並べた「カラーチャート」、キャンバス全体を灰色に塗りこめた「グレーペインテイング」、様々な色を織り込んだ「アブストラクト ペインテイング」、ガラスをたくさん並べ周囲の風景を映すガラス作品、5千枚以上の写生や写真からなるパネルを並べた「アトラス」などが代表作で、いまは油絵からエナメルや印刷技術を用いた作品制作している。また「線」を描かずに、先に鉛筆をつけた電気ドリルを使って絵描く方法を取っていたりする。

2002年にリヒターは、ドイツのケルン大聖堂のステンドグラスを製作依頼され、113メートル四方の聖堂の南回廊を、72色のステンドグラスではめ込んで、これを2007年に完成させた。リヒター本人はこの仕事でいっさい報酬を受け取っていないが、長い年月と506000ドルという法外な費用がかかたため沢山の人の寄付を仰がなければならず、完成後、ケルン市長は余程機嫌を悪くしたらしく、こんな作品はカトリック教会でなくモスクとかほかの宗教に似合ってるんじゃないか、とコメントしている。個人的には、2008年にここを訪れていて、彼のモザイクステンドグラスを見ているはずだが、どこを見ても美しい装飾が隙間なく凝らされているゴシックの大聖堂の美しさに圧倒されていて、リヒターの作品を個別に観た記憶がない。

日本では瀬戸内海の無人島の豊島にリヒターの「14枚のガラス」が展示されている。全長8メートル、縦190センチ横180センチの14枚のガラスがハの字を描くように少しずつ角度を変えて立ち並んでいる。2011年に島を訪れたリヒターが、この静かな海に囲まれた土地が気に入って作品を恒久展示することに決めた。作品を収める箱形の建物も彼がデザインして製作したそうだ。

2012年オークションで、エリッククラプトンが所有するリヒターの抽象画「アブストラクテルスビルト」が26憶9千万円で落札、翌年には別の作品が29憶3千万円で取引されて、生存する画家の作品として史上最高額を記録したという。
彼が影響された画家としてジョセフ ベイス(JOSEPH BEUYS 1921ー1986)が居る。またジグマー ボルケ、アンゼイム キーファーなどに影響した。

映画監督、フロリアン ヘンケル ヴォン ドネルスマルクは、この映画を作るにあたって数週間、リヒターとの対話をテープに取り、話し合いの末、映画を製作した。だがいざ映画が完成してみると、本人リヒターは、自分は伝記なんか作ってもらいたくない、映画を見る気もないし、全く興味もない。映画がリヒターの伝記だなんて言ってもらいたくない、と主張。そういうわけで、この映画の解説にリヒターのリの字も出てこない。ただ映画の紹介に、現実の画家にインスパイヤ―されて製作した、と記述されているだけだ。
芸術家とは、かようにして面倒な生き物だ。破壊されたドレスデンで幼少期を送り、ナチ信奉者で精神病者や障碍者をガス室に送った犯罪者を義父にもち、東ドイツから西に逃れて画家として成功した、といえばリヒターだと自ずとわかってしまう映画。こんなの自分じゃないと本人が言おうが、言うまいが自明のこと、リヒターの半生を描いた映画ですと公に書いていないだけのことだ。

一人の画家の成長の物語として素晴らしく、画面の美しさも映画作品として完成度が非常に高い芸術作品。3時間の長編映画だがまったく飽きない。2018年代75回ベニス国際映画祭で、金獅子賞候補作。映画祭で13分間スタンデイングオベーションで拍手が収まらなかったと報じられた。ゴールデングローブ、91回アカデミー賞でも最高外国語作品賞候補となった。

ドイツ映画:NEVER LOOK AWAY
監督:フロリアン ヘンケル ヴォン ドネルスマルク
キャスト
トム スキリング : 画家 カート ベルナルド
パウラ ビア   : 妻 リー シーバンド
サキスア ローゼンデル:叔母エリザべス メイ
セバスチャン コッホ:義父 シーバンド医師

ストーリーは、
1937年、ナチ政権下のドレスデン。
5歳のカートは美しい伯母に連れられて美術館に行く。ユーゲン ホフマン(EUGEN HOFFMANN 1892-1955)の彫刻「青い髪の少女」に魅入られたカートに向かって、叔母は、カートにこれらの作品がどんなに美しいか、一つ一つを見逃さないようにじっくり観るように言う。NEVER LOOK AWAY。ナチの美術館案内人は、これらホフマンなどの前衛芸術は、退廃的で社会的ではない、と批判的だが、叔母はそういった表面的な解説をまったく意に介さない。美しいものに純粋に身をゆだねるように生きる叔母は、カートの一番の理解者だったが、やがて精神分裂症と診断されて、ナチの病院に連行されシーバンド医師により去勢手術を強制され、その後ガス室に送られて殺される。

戦争が終わり、街の小学校の校長先生だったカートの父親は、進駐してきたロシア軍によって、ナチ政権に与したものとされて、小学校の掃除夫を命ぜられる。ナチ信奉者でたくさんのユダヤ人ばかりでなくドイツ人の精神病者やの障害者をガス室に送ったシーバンド医師は、犯罪人として刑務所に入れられる。しかし、刑務所のなかでロシア人将校の妻の異常出産を助けたことで、将校に母児の命の恩人として扱われ、釈放されてシーバンド医師が犯した罪に関する書類はすべて廃棄される。
カートはドレスデン芸術大学で絵画を学ぶ学生となり、同じ大学でデザインを学ぶエリという美しい学生と出会う。彼女は熱烈なナチ信奉者だったシーバンド医師の一人娘だった。シーバンド医師は娘が可愛いので、カートとの関係を認めない。娘が妊娠しても自分のところに引き留めるために娘に妊娠中絶を強制する。やがてシーバンド医師を釈放し保護してくれたロシア人将校が帰国することになったのを機会に、シーバンド一家は西ドイツに逃れる。カートも東ドイツの社会主義的な芸術感に堪えられず、自由な表現を求めて東西の壁ができる寸前の緊迫する国境を越え、西ドイツに逃れる。

西独に移りドッセルドウ芸術大学に入り、教師だったジョセフ ベイス(JOSEPH BEUYS 1921-1986)から現代絵画を学ぶ。才能を認められるが、本人は自分の表現に苦しむ。30歳を過ぎても社会人として働くでもなく絵が売れるでもなく、自分のスタイルができるわけでもなく、表現することに四苦八苦していたが、シーバンド医師が、彼の上司だった医師が戦争犯罪で逮捕されたことを知って自分もいつ追及されるかわからない恐怖にかられる姿をみて、彼の写真をキャンバスに模写して、その上に人物を重ねて描くフォトリアリズム手法を考え付く。それを機に、カートは新聞や写真をキャンバスに模写して絵を重ねるハイパーナチュラリズム、フォトリアルといった自分のスタイルを見つけていく。
というお話。

幼い時から美意識の高い伯母から、NEVER LOOK AWAY 見過さないで芸術作品から目をそらさずによく見るように、それと人を良く観察しなさい、と言いきかされていた少年が、成長と共に画家となり、よく見るだけでなく自分で作り出し、人に伝えようとして、表現者としてもがき苦しむ姿が描かれている。
若く瑞々しい美少年と、美しい伯母、叔母にそっくりな姿の可憐で美しい妻。一人の画家が成長していく姿が良く描かれている。背景も自然描写も秀逸。3時間が少しも長くない。いつまでも美しい画面を見ていたくなる。
カートは30歳すぎても妻の裕福な父親シーバンド医師に食べさせてもらって画学生を続けているから、義父に皮肉を言われる。「レンブラントは30歳で数えきれないほどの弟子をもっていた。モーツアルトなんか30歳といえばもう死んでいた。」そんなふうに、画家の生活力のなさを非難されても、カートは何一つ言葉を返せない。それでもひたすらキャンバスに向かうカートの姿は胸を打つ。

リヒターの芸術大学の教師だったジョセフ ベイスが、本物みたいに、映画でもものすごく魅力的に描かれている。古典派の画家の写真をキャンバスに立て、それに火をつけて燃やしながら講義を始めたり、本物を見つけろ、とリヒターを激励するためにいつも被っている帽子を取って自分が死にかけてタタール人に救われた爆撃機事故のときの頭の傷を見せたりする。映画には出てこないエピソードだが、1974年彼はアメリカに招待され「コヨーテ私はアメリカが好き、アメリカも私が好き」という作品を展示するといって、ニューヨーク空港到着後、画廊に救急車で運ばれ、1週間フェルトや新聞、干し草の積まれたギャラリーの中に籠ってアメリカ先住民の聖なる動物コヨーテとともにじゃれあったり、にらみ合ったりして無言の対話を続けたあと、再度空港に救急車で運ばれてドイツに戻った、という。こんな現代芸術家って、何て素敵なんだ。

リヒターを演じた役者も絵を描く人だと思う。おおきな刷毛で床に置いたキャンバスに、何度も大きな円を描いてみせる。彼がキャンバスに描かれた本当の写真みたいに模写された油絵を、板で強くなぞってぼかしていく。絵がぼやけるに従って過去の写真が、心に映った本当の過去の姿になぞられていく。魔法をみるようだ。 
一心に絵を描く人の姿は、美しい。5歳の少年を前にして素裸でピアノを弾く美しい伯母、何台ものバスの運転手に頼んで力いっぱい警笛を鳴らしてもらって、その音の渦に身を浸す美しい伯母、ガス室で死んでいった叔母が、一番の芸術家だったのかもしれない。
とても良い映画だ。



2019年6月23日日曜日

映画 「レッド ジョアン」

英国映画
原題:RED JOAN
原作:ジェニー ルーニーの小説「レッド ジョアン」
監督:ロイヤルシェイクスピア劇場と、ナショナルシアター前監督、ロイヤルヘイマーケット劇場の現監督、トレヴァン ヌン
キャスト
ジュデイ デンチ:  ジョアン
ソフィ コックソン: 50年前のジョアン
トム ヘイズ   : レオ
テレサ スルボバ : ソニア
ステファン キャンベルモア:マックス デビス博士
ベン マイルス  :ニック
2018年トロント国際映画祭でプレミア、2019年4月から米国と英国で公開

ストーリーは
1938年ロンドン。
ケンブリッジ大学物理学科の学生、ジョアンは優秀な学生だった。彼女は、ドイツから来ているユダヤ人の女学生ソニアと友達になる。ある日、ソニアに誘われて、ジョアンは、大学のコミュニストの集会に参加する。時は、スペイン戦争の真っただ中。ファシスト、フランコによる市民への弾圧の嵐が吹き荒れていた。革新的な学生たちはスペインに義援金を送る活動をしていた。ジョアンは、コミュニストの集会で、勇敢なアジテーションをするリーダーのレオに紹介される。レオはソニアの従兄だという。やがて二人は恋心を持つようになる。しかし、レオはユダヤ人への迫害が激しくなっているドイツに、地下活動するために帰国するという。その夜二人は結ばれるが、以降レオの行方はわからなくなる。

ジョアンは無事卒業し、イギリス政府の非金属物質研究協会に就職し、マックス デビス博士の秘書になる。戦争中であり、政府と軍とは効果のある武器開発に莫大な予算をかけていた。ジョアンは積極的にデビス博士の研究に協力し、新しい画期的な兵器の開発に力を注ぐ。新兵器開発のための英国、カナダ、米国との会合に招へいされたデビス博士について、ジョアンもカナダに渡航することになった。カナダに向かう船上で、ジョアンは博士と結ばれる。博士は、若く才能に満ちたジョアンを愛さずにはいられなかったが、彼には妻が居て離婚に応じないことはわかりきったことだった。ジョアンは求愛に喜びながらも結婚できないため、未来のない愛情に胸が塞ぐ想いだった。

カナダでの会合が終わり、一息ついたところでジョアンを待っていたのは、ずっと行方のわからなくなっていたレオだった。レオはジョアンに政府機密をスパイして欲しいと依頼する。ジョアンはただちに拒否して立ち去る。英国に戻り、博士との研究に戻ったジョアンは、米軍によってヒロシマ、ナガサキに原子爆弾と水素爆弾が投下されたことを知る。博士は平静だが、ジョアンには自分の研究がこのような形で利用されたことに、反感と衝撃を受ける。デビス博士は自分の研究が連合軍に役立ったことを単純に喜んでいて、ジョアンの心情とは全く異なっていた。
そんなある夜、レオが再びジョアンを訪ねてくる。ジョアンは博士と愛し合っていても、彼とは結婚できないことにも、原子爆弾への見解が異なっていることにも不満を抱いていた。求愛してくるレオと、博士との愛情の間で、ジョアンは試されていた。揺れ動く心情。しかし、そのあと、レオは自殺している姿が発見され、ジョアンは激しく、自分を責める。

レオの従妹、ソニアに会ってジョアンはKGBに軍事機密を渡す。ジョアンは信頼するデビス博士も、英国も裏切ったのだった。しばらくしてデビス博士が研究している情報が、ソ連に筒抜けになっていることが分かり、デビス博士が逮捕される。ジョアンはソニアに会いに行くが、彼女はすでに姿を消して逃亡していた。ソニアの家に残された写真を見て、ジョアンはレオとソニアが夫婦だったことを知る。二人の間に子供まで居た。ロシアのスパイ、ソニアに初めて出会った時から、ジョアンは騙されていたのだった。
ジョアンはデビス博士の収監されている刑務所に面会に行く。そこで博士に自分がスパイだったことを告白する。しかし、ジョアンを愛している博士は怒らない。無実の自分が罪を問われるはずがない。収監によって離婚が成立した。ジョアンと結婚して人生をやり直したい、、と。
ジョアンは、ロシア大使館に行き、ソニアとレオの仲間だったロシア政府高官に会って、今までのすべての秘密を全部バラす、と脅かして代わりにデビス博士と自分のオーストラリア行きのチケットと旅券を要求する。船の出る直前、桟橋に釈放されたデビス博士がジョアンを待っていた。二人は急いで、乗船する。

50年という途方もない月日が経過した。
2000年初頭、引退してひとり田舎で暮らしていたジョアンの家に、国家保安局の刑事たちが訪れる。50年以上前に国家を裏切り、政府の秘密情報を、ロシアの漏洩した罪で彼女は取り調べを受ける。同行したジョアンの息子の前で、ジョアンは堂々と自分がしてきたことを語る。弁護士をしている息子は、寝耳に観ずだったがスパイとして英国政府を裏切った母親を、「裏切者」と叫び、激高する。取り調べが終わり、ジョアンが逮捕され連行される日、ジョアンの家の前に詰めかけたメデイアやカメラマン、野次馬達に向かって、ジョアンは胸を張って語る。「私は何一つ悪いことはしていない。米国とソビエト連邦の2大国がともに核兵器を持ってきたからこそバランスが取れて平和が保たれた。50年余り戦争は避けられた。私は政府の情報を他国に漏洩したといわれるが、情報は誰にでもアクセスする権利がある。誰もが科学研究による成果を得る権利がある。」と。
というお話。

この映画英国ではものすごく酷評されている。THE GUARDIAN では、「このようなバカみたいな軽薄な女の役を、国宝級の名優、ジュデイ デンチに演じさせるべきではない。無駄というものだ。」などと書いている。英国政府がロシアスパイにぬけぬけと情報漏えいされていたことが余程気に食わなかったのか、あの皮肉屋の英国人が急に愛国者になったのか、わからないが、rotten tomatoは、英国人からの酷評だらけだ。それにしてもみんなジュデイ デンチが好きなことだけは確かだ。そしてみんなが時間がないことを知っている。この83歳の国宝級女優は、黄斑部変性で両目ともひどい弱視で、台本が読めない。人に読んでもらって記憶して役を演じている。それでいて彼女の演技、表情の豊かさには驚嘆すべきだ。ジュデイは、性格俳優と言われアカデミー賞を最多数稼いだ、メリル ストリープなど比較にもならない。頬を少し緩めるだけで喜怒哀楽を表現できる、並みの役者ではない。彼女がこの映画で最後に記者や野次馬に囲まれて罵声を浴びるが、毅然として自分が情報を漏えいしたおかげで、米ソのパワーバランスがとれて核戦争が起きなかったなどという「とんちんかん」を言っても、あまりに堂々としているので、なぜかみんな納得してしまう。すごいパワーだ。あと何本の映画に出演してくれるのだろうか。

原爆の父、アルバート アインシュタインも、ロバート オーペンハイマーも、原爆の使用には反対だった。
そもそも学問と実用とは全く別の分野で、相いれない。学問研究は、それを応用して製作し、使用する分野とははるか遠くに存在する。また、1930年代当時、ナチズムに唯一反対する勢力はソビエト連邦だけだったとも言える。のちにナチスが行ったホロコーストもまだ起こっておらず、いかにドイツの新勢力に対抗するかを考えたら、当時若いインテリたちがソ連共産党に期待を寄せるのは自然なことだった。ナチによる民族浄化も、スターリンによる大粛清もまだ起こっていなかった。

この映画の実際のモデル、メリタ ノーウッドーは、映画の筋とは異なって、死ぬまで本物のコミュニストだった。映画のように男にほだされて、ちょっとの間スパイしたのではない。1932年から1972年まで40年間、KGBのために働いた正真正銘のスパイだ。彼女の両親はコミュニストで、父親はレーニンとトロッキーが、常時投稿する労働組合のための出版社を経営していた。メリタは1935年学生時代にアンドリュー ローゼンシュタインが指導する共産党に入党した。非金属研究所に就職してからは、積極的に英国の原爆プロジェクトのファイルを盗み出してKGBに送っていた。
1992年。ソビエト連邦崩壊後、KGBが所有していた多量の秘密文書が出て来て、4人のケンブリッジ出身者がスパイ容疑で逮捕された時に彼女の名前があったが、誰なのか特定できなかった。1999年に、KGBのスパイ活動家だったワシリー ミトロヒンが英国に亡命し、分厚いファイルを英国政府に渡した。その中にメリタ ノーウッドの名前があったのだ。そこで87歳の年金生活者、13年間未亡人でロンドン郊外で庭造りをしていた老婦人が、じつは40年間ロシアのスパイだった、ということが明るみに出たのだった。

しかし、87歳のメリタは高齢を配慮されて、一度として法廷に出ることなく、2005年に、93歳で亡くなった。マスコミからは、「おばあちゃんスパイ」として揶揄されたが、最後まで、自分は何一つ間違ったことはしていない、と言って自分の信念を貫いて死んだ。
映画では、彼女を単なるメロドラマのヒロインとして描いている。初恋の人、コミュニスト、レオの自殺にショックを受け、上司との関係に行き詰まり、ヤケッパチでスパイをしたみたいに描いていて残念だ。 でもシンプルなメロドラマとして、この映画をみるのも悪くない。

1930年代のファッションが素敵だ。ニットのセーター、肩の張ったツイードのコート、ベレー帽、長靴下にロングスカート、あまり高くないヒール。男は貧しくてもきちんと背広を着て、幅広いズボンに帽子。とてもシック。ベレー帽の似合う女たち、ソフトを上手に被る男達。いいなあ。
若い女優ソフィ コックソンもソニア役のテレサ スルボバ、レオ役のトム ヘイズもみんな生き生きしている。画面が美しい。
悪いのは原作と脚本だが、とてもきれいな映画だ。

2019年5月29日水曜日

オット、ブルースが亡くなって1年

来月でオットのブルースが亡くなって1年になります。すっかり忘れてたけど。
22年間の結婚生活のなかで、最大の彼の功績は、私の二人の娘の結婚式で、娘の手をとってヴァージンロードを歩いてくれたことです。このことは今でも感謝しています。それくらいかな。

結婚する娘に

2019年5月21日火曜日

テルアビブでユーロビジョンソングコンテスト

2019年ユーロビジョンソングコンテスト:ヨーロッパ最大規模の歌の祭典が、ガザのパレスチナ避難民にイスラエル軍がミサイルを撃ち込み、日々罪もない人々が虐殺されている場所から数百メートル先のテルアビブで行われた。これらの動きに反対表明を出す良識的なイスラエル市民もいたし、ユーロビジョンに不参加を呼びかける団体もたくさんあったが、圧倒的なイスラエル警察と軍による警備のなかで、歌の祭典が強行された。

前2000年紀にパレスチナに住んでいたヘブライ人は、強国エジプトに移住し奴隷として生存を許されていた。60万人のヘブライ人がモーゼに率いられエジプトを奪出したとき、エホバは、彼らが十戒を守ることを条件にそれを助けた。その後、約束の土地カナン(パレスチナ)に王国を建てたヘブライ人は唯一エホバを信仰し、自分たちが天地を創造した全能の神エホバによって選ばれた民族として救済されるといった選民思想を持つ。

ユダヤ人というと、誰もがナチスヒットラーによって犠牲になった600万人のホロコーストを思い浮かべるが、「ユダヤ人の選民思想であるシオニズム」は、「ヒットラーのゲルマン純血主義」よりも、はるかに強力な排外思想だ。自分たち選ばれた民族が、約束の土地で全能の神エホバだけを信じ、新しい国を建国するという思想は、他の宗教を認めない。他民族や他国文化を相いれないし認めない。
戦後、生き残って世界中に散らばっていたユダヤ人が集結して、1948年イスラエルを建国したことによってパレスチナ国家を奪われたパレスチナ人民500万人は、避難民として限られた土地に追いやられている。ネタニヤフ大統領が再選され、強硬派が力をつけており、ユダヤ人の新居住区が拡大する一方だ。イスラエル軍、警察は、抗議するパレスチナ人を迫害し、爆弾を落とし、銃撃している。

2019年5月15日、16日、18日とイスラエルのテルアビブでユーロビジョンソングコンテストが行われた。ヨーロッパ最大の祭典で、41か国のヨーロッパ各国代表に選ばれたアーチストがパフォーマンスを行い、それを見ている観衆やテレビの視聴者が携帯で人気投票をする。その後、即時投票結果が発表される。世界中で、6億人の人々が投票したり観戦する。

出場参加国が多いので、3日間に渡って選抜が行われ、第1次審査と第2次審査を通過して残った国と、ドイツ、英国、フランス、イタリア、スペイン、ビッグ5の代表の合計26か国が、最終日にパフォーマンスを競う。ビッグ5は、この国際音楽祭に多大の出資額を負担しているので第1審査が免除されている。毎年英国は、最大額出資しているのに1997年以来一度も優勝したことがない、ことをこぼしているけど、それは実力というものでしょ。
昨年はイスラエルの女性歌手が、自分でDJをしながらユニークなパフォーマンスを見せて優勝したので、開催国がテルアビブになった。今年はオランダの青年が、キーボードを弾きながら歌い、最高得点で優勝したので来年はアムステルダムで開催されることになった。

オーストラリアはヨーロッパに位置していないのに出場が許されている稀有な国だ。移民でできている国だからヨーロッパを身近に感じている人の方が多い。距離ではなく、文化だ。戦後20年間の間に移民した人々は、英国、アイルランド、ニュージーランドから88万人、北欧、オランダ、ドイツ、スカンジナビアから24万人、東欧、ユーゴスラビア、ポーランドから30万人、南欧、イタリア、ギリシャから53万人、、、戦災から逃れてきたヨーロッパ人だけでこれだけの数で、毎年移民は増えるばかりだから、文字通りの移民国家なのだ。
またオーストラリアはいまだに英国女王を元首とした国。自分を英国人だと思い込んでいて、英国のパスポートを死んでも離さない人が多い。

10年前オーストラリアで、英国から分かれて独自の大統領制にするかどうか、国民投票が行われたが、オージーは、英国女王をこのまま元首として選んだ。自国のアイデンティテイー存在基盤を、現状維持的に英国民族の末裔とすることに決めたのだ。一般にオージーは女王陛下のロイヤルファミリーは好きだが、英国議会やメイ首相は、ぼろくそに批判、自分達はオージー多民族、多文化をもった新しい国の国民だと認識している。だから、ユーロビジョンは、オージーの間でも長い事人気があって、2014年に特別参加が認められたときの人々の興奮の仕方と言ったら、怖いほどだった。
2014年は、アボリジニのジェシカ マウボーイがオーストラリアを代表して舞台で歌い、翌年からは特別参加ではなく、他のヨーロッパ諸国同様の条件で参加が許され、2015年はマレーシアオージーのガイ セバスチャンが舞台に立った。2016年は、韓国系オージーのダミ イン、2017年はアボリジニの青年、そして今年は、もともとはオペラ歌手だったケイト ミラーハイキが、投票で選ばれてオーストラリア代表として舞台に立った。オーストラリア代表がアボリジニ、マレーシア、韓国など、移民国家らしい出場者たちだが、毎年最後の第2審査まで生き残りなかなか善戦していて、今年もトップ10に入った。オーストラリアが優勝したら、どうなるんだろう。ヨーロッパは地続きだから、どの国が優勝しても参加、移動が簡単だけれど、オーストラリアは海を越え、飛行機でも丸1日かかる。毎年数十万人がユーロビジョンのために、開催国に集まって来るという数10年間の歴史が変わってしまうかもしれない。こればかりは、60憶の視聴者のチョイスだから決まってしまったら変えられないだろう。心配だ。

ユーロビジョンが国家というオーソリテイに抵抗する意味を持った歴史がある。東西の壁が高く遮られ、西側の自由で開放的な文化が東側に届けられずにいた時期、東側の人々は、パラボラアンテナを隠し持ち、隠れてユーロビジョンを見ていた。国境で遮られていても、文化の流れを食い止めることはできない。東側の人々も、西側に人々と共に、イタリアのカンッオーネを歌い、フランスのシャンソンを歌い、スペインのファドを同じように歌っていたのだ。感動的ではないか。

2016年のユーロビジョンではウクライナの女性が優勝を勝ち取ったが、彼女の歌がウクライナ民主化に弾みをつけ、彼女はその後政界入りをした。沢山のパフォーマーが、歌で政治的なメッセージを届けていることも、ユーロビジョンの特徴だ。近年はその国の少数民族の歌、女性差別、人種差別をテーマにしたパフォーマンスも多い。国の代表という意味も変わって来た。ヨーロッパだが、白い肌、ブロンズに青い目といった歌手にまずお目にかかれない。今年の最終審査に残った男性歌手のうち、一人を除いて全員が黒髪だった。イタリア代表は父親がエジプト人で、3人のアフリカンダンサーを従えて、アラビア語で歌を歌った。優勝候補とされていたスイス代表の男性歌手と4人のダンサーも、スペイン代表の歌手とダンサーも肌が黒かった。

興味深いのは最後の視聴者による人気投票だ。ウクライナはロシアの政治介入と干渉を受けて政治的に憎んでいるはずなのに、ウクライナ人の最大数の人がロシアに投票している。ロシア人もウクライナ歌手に投票している。セルビア人がスロバキア歌手に最大多数票を入れて、アルバニア人がクロアチア歌手に投票している。ポルトガル人がスペイン歌手に票を入れ、スペイン人がポルトガル歌手に票を入れる。
こういった現象をみていて人々の好みというものが、国境線や政治では語れないということがわかる。人は生まれて育ち、赤ちゃんの時から耳にしていた音階や旋律になじんで、快感を覚えるようになる。そして慣れない音や旋律に違和感を覚える。それはその人の感覚、そのものを形成しているから、政治的な状況が変わったり、国境線が変えられたり、戦争したり、移民したり、難民になっても変わることがないのだ。国境が文化の境ではない。人々は文化の広がりをもって、国境を越えて生きているのだ。人々の感覚は国境線を越える。こういった事実に気つかせてくれたのが、ユーロビジョンだった。感謝しなければならない。

今回パフォーマンスがすべて終わり集計を待つ間、ステージを飾ったのは2014年に優勝したコンチータ。ドラッグクイーンの彼女は黒い髭、胸毛をさらして、網タイツにハイヒール、濃いまつ毛をつけて優雅でパワフルなパフォーマンスをした。
そして最後のマドンナ。今年のユーロビジョンの最大のトピックはマドンナの登場だったろう。大金を積んでマドンナの出場をオーケーさせたイスラエルは得意だったろうが、これが一筋縄でいかないアメリカ人。30人ほどのダンサーとコーラスを引き連れて登場。数百メートル先で、パレスチナ人が爆撃で殺されているのだ。
ステージでマドンナの登場にはしゃぎまわっている司会者に、彼女はニコリともせず質問にろくに答えもせず、MUSIC MAKE PEOPLE COME TOGETHER (音楽で人はひとつになれる、、)を繰り返した。ステージは小オペレッタのような舞台。神は死んだ、戦争と地球温暖化、環境汚染、核による汚染で人々に未来はない。といったメッセージ。「LIKE A PRAYN」と「FUTURE」を歌った。最後に背を向けたダンサーたちの背中に、パレスチナの国旗がはりつけてあった。最後に大画面で、WAKE UP.
これがマドンナの限界だったろう。これ以上のことをしたら彼女のパフォーマンスそのものがつぶされていただろう。これだけでも良くやった、と言わなければならない。

こうして2019年ユーロビジョンは終わった。華々しい会場から数百メートル先にある、パレスチナに生まれ居住区で貧しい生活を送る人々に爆弾を落としながら、ヨーロッパの歌の祭典を主宰したイスラエル。彼らの選民思想と排他主義はユーロビジョンの趣旨に最もそぐわない、人々の魂である音楽とヨーロッパの文化を貶めている。WAKE UP。(目を覚ませ)

写真1:マドンナ    写真2:アイスランド代表が持つパレスチナの旗  
写真3:オーストラリア代表
写真4:優勝国オランダ代表    写真5:スイス代表
写真6:左がコンチータ、2014年オーストリア代表で優勝