2018年6月25日月曜日

ブルースが亡くなりました

本日午後3時 老人ホームにてオットのブルース テイラーが亡くなりました。
生前ブルースに優しくしてくださった方々、離れていても忘れずに心を寄せてくださった方々に、心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。

6日前まで、会いに行けばタバコをっ吸って、普通に食事もしていましたが、3日前に腎臓透析に行くための迎えの車が来ても、眠いと言って起きられず、そのまま半昏睡の状態に陥りました。腎不全と、長年の喫煙による呼吸障害を持っていて、これまで呼吸不全となり人工呼吸器による延命処置を、幾度か繰り返してきましたが、今回は遂に回復に至りませんでした。本日は、呼吸が止まる1時間前までは、手を握れば強く握り返してきて、死にあらがうように、起き上がろうとさえしていました。朽ちかけた老木がゆっくり時間をかけて倒れるようにして、呼吸が止まった後のブルースの顔は、長年の疾病に苦しんだことなど信じられないような美しい顔でした。

ブルースとは22年前に結婚しましたが、出会って以来自分で花屋に行けなくなる数年前までの18年間、ヴァレンタインデイになると、真紅の薔薇の花を必ず、贈ってくれました。ヴァレンタインでなくても、土曜日にはよく花束を持って帰りました。
あさって葬儀社の指定する公園に薔薇を植え、ブルースの遺灰を撒いてきます。葬儀も散骨のセレモニーも致しません。

どうぞブルースの死を悼んでくださる方々、ブルースを記憶していてくださる方々、ご自分のおられるところで、ご自分にとって大切な方のために,薔薇の花を贈ってください。ブルースもそれを望んでいることでしょう。
どうもありがとうございました。

写真は60年前のブルースです。


2018年6月24日日曜日

最終駅に着いたオット


自分の力で立つことも歩くことも出来なくなったオットを施設に入れて、一日おきくらいに会いに行くようになって、この6月で2年経った。
残りの週に3日、オットは腎臓透析のために病院で過ごす。救急車と見た目には変わらない公立の患者移送車に乗った屈強な職員たちが、オットを乗せて施設と病院との往復を引き受けてくれる。老人ホームの費用も、腎臓透析の費用も、移送のために費用も全部、老人年金から引き落とされて自己負担の費用は一切ない。

ここまでオットが、年を取り障害者となり、年金が全額出て、老人ホームに入居し、腎臓透析を公立病院でしてもらい延命できる様になる前までの、2年あまりは戦争のようだった。病気で無収入になったオットを、フルタイムで病院で働く私が、仕事を続けながら、週3回、私立の腎臓透析病院に連れて行き、連れ帰って寝かせてから仕事に行き、自分は寝る間もない。泣いても叫んでも申請書を何枚書いても、役所は、オットに年金を全く出そうとせず、会社を所有しているでしょう、車を持っているでしょう、貯金があるでしょう、と繰り返し正しい財産査定をしない。事業から手を引いたまま知らないうちに会社の借金は増えていて、みるみる体調を崩したオットの下の世話と、銀行と役所との交渉という、出口のない闇のトンネルの中で、ひとりもがいていた。やっと入居できるようになった老人ホームでも、年金のないオットは、私の月収よりも高い入居費用を、毎月支払い続けなければならなかった。

オットに年金が全額出るようになったのが、1年前のことだ。 オットが倒れて3年間、老人ホーム入居前2年間と、入居後の1年間、私が支えたからオットは生存できた。オットの代わりに会計士や弁護士を雇い役所と交渉を続け、正しい資産審査を獲得したが、そういった人のいない場合だったら、適切な医療が受けられずとっくに死んでいただろう。老齢で、無収入、疾病を抱える80過ぎのオットをここまで待たせた、政府の老人福祉政策の無策、役所の非人間的な対応とは、一体何という非常識であったか、今思い出すだけでも腹が煮え立つ思いだ。

オットと結婚した時から22年経った。再婚した時、私の娘たちは大学生と、大学予備校生だった。オットには4人の子供が居るが、会ったことも見たこともない。オットの最初の妻が病死した時、一番下の子供は5歳だったそうだ。子供達は妻の両親に引き取られ、オットはシープファーマーを止めて、都会に出て会計士になって、子供達のために教育資金を送った。でも上の2人の男の子たちは全寮制の中学と高校に送られて、オットとの親密な親子関係を結ぶことはなかった。
オットと出会った時から、オットに親戚もなく、友人も驚くほど少なく、オットは私の娘たちと家族になり、私の友人たちと親しくなった。

オーストラリアで金持ちのダンナを見つけなよ。と心強い忠告とともに見送ってくれたフィリピンの友人たちを落胆させることなく、来豪1年目にオットと出会った。金持ちではなかったが。
来豪まえのフィリピンでは10年暮らし、娘たちの通うマニラインターナショナルスクールでヴィオリン教師をしていた。家でも個人レッスンで20人の生徒を持っていた。娘たちにより良き教育を受けさせるためにシドニーに居を構えたが、ここではヴァイオリンでは生きていけない。生徒を集めるには学校や幼稚園などで教えなければ個人レッスンの生徒も集まらない。日本では前夫と結婚した時に、取得していた看護師の資格がある。ペーパーナースのなんちゃってだけれども。そこで、20も30も年下の同級生と大学に通学して、オージーの高等看護士の資格を得た。大学に通っていた間、10人の日本人看護士と仲良くなって、週末には自宅で日本料理を振る舞うようになった。10人の若い女の子達にとって、オットは優しい相談相手であり、頼もしい父親代わりになった。


私の二人の娘たちの結婚式では花嫁の手を取って、教会のヴァージンロードを入場する父親代わりを立派に勤めてくれた。2009年に次女がハミルトンアイランドで結婚式をした時も、2012年に日本旅行したときも、2013年に日本を再訪したときも沢山の友人に出会って、旅行を楽しんだ。2014年に長女がマレーシアで結婚式をした時も、オットは娘の手を取って、教会を歩くことができて本当に嬉しそうだった。クアラルンプールの博物館を見て回って、学ぶことが多いよと言った。けれど、その2か月後に倒れて、再び体調がもどることはなかった。

いまオットは、教会の経営する私立の老人ホームに入居して、専用のバスルームもある個室にいて、寝転んでテレビも見られる。私が行けば車椅子に乗り換えて、階下の駐車場を通り外に出てタバコを吸うことができる。COPD(閉塞性呼吸器疾患)と喘息のために、ふだん呼吸することさえ努力を要するというのに、タバコがやめられない。

老人ホームの最初のころは、日曜日に家に連れて帰った。家に帰ると愛猫と、自分の大きなベッドが嬉しくて、顔をくずして喜んだ。わずかの間しか立っていられないので、シャワーを浴びさせたり、椅子からトイレ、ベッドから車椅子への移動が大変だったが、何とか去年まで介護できた。
今年の1月6日誕生日が最後の帰宅になった。絨毯の上に転んで、助け起こそうとした私も転んで立ち上がれない。しばらく二人して天井を見上げていた。私一人では介護できないことが分かって、オットは納得した。もう家には帰れない。つらい決断だっただろう。

年をとれば、いろんなものを手放さなければならない。ひとつのものを失うごとに哀しいものだが、失うことに慣れなければならない。それは私自身にとっても同じことだ。

オットに今できることは、朝がくれば介護職員がシャワーを浴びさせてくれ髭を剃ってくれる、朝食がサーブされ、モーニングテイーが出て、ランチがサーブされ、午後のお茶のあと、夕食が出され職員がスプーンで食べさせてくれる、その間、座っていることだけだ。私が訪ねて行けば、タバコを3本吸うことができる。
頭がはっきりしているから、以前はよく話したが、このごろは何か言おうとしても言葉が出てこない。何かを話そうと、話し出したそばから言葉を見失ってしまうらしく、途中で話すのをあきらめてしまう。それでも行けば、私の頭をなでて、ユーアービューテイフルと言うのだけは忘れない。ユーアービューテイフル、ユーアービューテイフル。
当たり前だろ。
そんなことわかってる。

2018年6月11日月曜日

ウェスアンダーソンの映画「犬ヶ島」

原題:ISLE OF DOGS      
監督:ウェス アンダーソン
第68回ベルリン国際映画祭 銀熊賞受賞作品

102分という世界で一番長いストップモーションアニメーション。ギネスブックを更新した。犬や人などの、約900の登場キャラクターが全部、紙粘土で作られていて、それを表情や動きの変化ごとにストップモーションの技術でフイルム化し、編集された映画。一人の人間や犬に、200の異なった表情を持つフィギュアが、手造りされて、それをすこしずつ動かしながらフイルムに捕え編集されている。例えば、主人公小林アタリが笑いながら手を挙げるシーンならば、アタリの手の位置や、顔の表情を少しずつ動かすごとにフイルムを撮り、スムーズに動いているように編集する。根気のフイルム造り。
ウェス アンダーソンは、宮崎駿が、自分のアニメーションをすべて一枚一枚手書きで、描いてそれを編集して一本のフイルムを完成させることに心を動かされた人で、同じように自分もフギュアを一つ一つ動かしてはフイルムに録るストップモーションで作品を完成させた。
彼は日本贔屓で、黒澤明と宮崎駿を信奉している。震災と放射能被害で深く傷ついた日本人を心から応援したい、という気持ちでこの映画を製作したという。
彼はこのフイルムを完成するのに、4年余りの歳月を費やしている。

スト=リーは
20年後の日本。犬インフルエンザが蔓延した日本のウニ県メガ崎市では、小林市長が、犬の隔離政策を決断。犬ヶ島とよばれる、ゴミ廃棄場となった島に、すべての犬を放逐することを決めた。市長の養子、12歳の小林アタリには、生まれた時から忠実に用心棒を務めてくれたスポッツという犬がいた。市民に模範を示すため市長は、スポッツをいち早く、ゴミの島に送った。アタリは、迷わずスポッツを探すために、小型飛行機を操縦して島に到達する。そしてアタリは、島で出会ったチーフ、レックス、キング、ボス、デイユークという5匹の犬たちとともに、スポッツ探しの旅に出る。

一方、メガ崎市では、犬インフルエンザを研究していた渡辺研究所長が、すでにワクチンを開発していた。あとは実際の犬に使用してみるだけだ。ワクチンはインフルエンザを予防、治療することができるだろう。しかし、渡辺医師は市長の命令によって暗殺される。オノヨーコ助手は、それを嘆くだけで、圧倒的な権力を握る市長の前では無力だった。
小林市長はロボット犬製作企業と、グルになってすべての犬を、犬ヶ島で処分して、ロボット犬に挿げ替えるたくらみを進めていたのだった。犬は生きていれば病気もするし死ぬこともある。エサも必要だし、汚れもする。ロボット犬の方が良いに決まっている。小林市長は、ロボット犬企業から多額のわいろをもらっていたのだ。

アタリと5匹の犬たちは、処分されるところだったスポッツを見つけ、他の犬たちを助け出す。アタリがすっかり世話になったチーフを洗ってやると黒い犬だったチーフは、本当は白いテリア犬だった。話を整合してみると、何とチーフはスポッツの兄弟だったのだ。

アタリは犬たちを連れて市議会に行く。アタリの学校の生徒達も、インフルエンザワクチンをもって合流する。そこで、小林市長の汚職と横暴が暴露され、再び、犬たちは人々のもとに帰ることになった。
というお話。

映画のポスターは、AKIRAを描いた大友克洋だそうだ。
原作のISLE OF DOGS をアイルオブドッグス、アイルオブドッグスと繰り返して言っていると、アイラブ ドッグスと聞こえる。というように、これは愛犬家のお話だ。

サンフランシスコでは、この映画を見に来るのに犬を連れてきて良い、という試みがあった。沢山の家族が犬を連れて、映画を観た。当の犬が嬉しかったかどうかは、よくわからないけど、、、やっぱり。ウェス アンダーソンが紙粘土で作り、アルパカの毛を植毛した犬のフギュアに、本物の犬が仲間と同定したかどうかは、不明だし、、。

棄てられた犬たちがみんな立派な名札をつけている。犬は人類にとって最も古い友達だ。人の喜びを犬は理解しようといつも勤めて、いつも人の力になりたいと思っている。
映画で、チーフが素敵で恋をしそうだ。アタリを助けた5匹の犬のうち、チーフ以外はみな、飼い犬で以前は立派な主人を持っていた。素敵なご馳走を食べさせてくれた思い出を語り合っていたとき、みんながチーフに、「君はどんな物を食べてたの。」と聞くと、「イヤー、俺か?俺は主人なしの気ままな放浪だからよー。でも時には食べ残しのステーキとかが手に入ったよ。」と照れながら話す。豪胆なのにシャイ。それで、すごくセクシーな犬、ナツメグに出会った夜は、「アンタ、いつもこんな時間にここにいるのか?」とか、話し方もアプローチもハードボイルド、その男気が素敵だ。そんな彼が、黒い犬じゃなくて、実は白い犬で、本当は立派な血筋だったとわかったとき、青い大きな目から涙が零れ落ちる。このシーンで泣かなかった人、人じゃないよ。

ウェス アンダーソンは、いつもとてもアーテイーな映画を作る。
「グランド ブダベストホテル」では、カラフルなホテルと、美しい自然と山々の描き方など、美しい絵本を見ているようだった。しかし人間模様を描写すると、とたんに、人種差別、自然破壊、貧富差、階級社会などが、ちゃんと描かれていて、ともかく渋い。今回の映画でも、大企業と結託した政治家、権力者の腐敗、弱い者いじめ、環境汚染、放射能汚染、自然破壊などなど、簡単には解決できない現状の嘆きが、映像にしっかり織り込まれている。

犬たちの、痛めつけられても、強制隔離されても、殺されそうになっても、人を信じてまっすぐ立ち向かう姿には、魅せられてやまない。チーフの湖のように青い大きな目から、涙があふれて流れ落ちるシーンが、ぞっとするほど美しくて、心に残って忘れられない。

小林アタリの声優をやった13歳のコーユー ランキンは、良く日本語をこなしていて、ハンサムな子役なので、この映画で人気が出てテイーンの間でアイドルになっている。
スポッツの声優、リーブ シュレバーも、チーフのブラアイアン クランストンも、とても良い。ウェス アンダーソンが大好きな、偏屈大物役者ビル マーレイがボスの声優をやっている。ナツメグのスカーレット ヨハンソンも、とても上手だ。渡辺医師の助手オノヨーコが名前通り本人がやっていた。
和太鼓が鳴り、クロサワの「7人の侍」の曲も使われていた。アタリの、「なにゆえに、人類の友、春に散る花」とかいう俳句とも和歌ともいえない歌が、メガ崎市議会の流れを変えるところでは思わず笑ってしまったが、太鼓の音が、とても効果的に使われていて良かった。

世界一長いストップモーションアニメフイルム。670人のスタッフが、900の登場キャラクターを使い、4年かけて作られたフイルム。ウェス アンダーソンの独特な表現世界が好きな人も、嫌いな人も、犬が好きな人も、嫌いな人も、この映画観る価値がある。

2018年6月4日月曜日

村上春樹の「騎士団長殺し」

村上春樹の小説は、推理小説と同じだ。
読んでいるときが最高に愉快で楽しい。読みながら、この小説どうぞ終わらないで、と思わず願ってしまう。次には何が起こるのか、犯人は?読んでいる間中、音楽が鳴り響いている。読んでいて時を忘れて夢中になっている。でも読み終わってしまうと、もうすっかり行き止まりなんだから、がっがりだ。
村上春樹とは同世代。
だから作家の中では一番自分に身近に感じる。同じ時代の空気を吸い、同じ時代に学生だった。同級生の異性とは彼の小説に出てくるような生意気な会話をしていた。彼の作品は、ほぼ全部読んでいると思う。中でも一番好きなのは、「ねじまき鳥クロニクル」(1994)だ。彼の作品の多くは、2つの全然関係なく、時代背景も全然異なる話が、交差しながら進行する。「ークロニクル」でも日中戦争の話と、現代の若い夫婦の話が交互に語られる。そういった物語の展開の仕方が面白い。
又彼の作品は、視覚に訴える。登場人物が、どこのメーカーの、どんな服を着て、何年の何型の車を運転しているかが、まず語られる。人物の身にまとう装いや持ち物で、その人の個性も性格も趣味や、考え方や嗜好まで理解できてしまうのだ。
それと、音楽。彼の作品にはバックグランドミュージックがとても大事。音楽とともに読み進むと、一遍の映画を見ているように、彼の世界が開けてくる。とても完成度の高い映画だ。

ストーリーは
「わたし」は美大を出た後、肖像画家としてそこそこの収入を得て6年間、建築会社に勤める妻のユズと、子供はいないが平穏な生活をしてきた。しかし3月のある日曜日、突然ユズから別れてもらいたいと宣告される。「わたし」は、ユズに男が居たことを知って、着替えとスケッチブックを持って家を出る。意味もなく北に向かい、北の街々を転々とするうちに数か月後、車を乗り潰した末、美大で一緒だった友人の力を借りて小田原郊外の山の上に立つ家を借りて住むことになる。その家は日本画家として高名だが、今は90歳を超えて老人ホームに移った、雨田具彦のアトリエだった。「わたし」は、週に2度、街に下りて行き、絵画教室で絵を教える。ある日アトリエの屋根裏で、厳重に梱包されている雨田具彦の絵を発見する。それは「騎士団長殺し」というタイトルで、若い男に騎士団長が刀で殺される血なま臭く激しい暴力に満ちた、およそ雨田具彦の他の作品とはかけ離れた絵だった。作品を目にしてから不思議なことが起こり始める。夜中に山の奥から鈴が鳴り出して眠れなくなった。

同じころ、山の上のアトリエから向かいの丘の上に立つ大きな屋敷の主、免色渉から肖像画を注文される。「わたし」は、雨田宣彦が厳重に梱包して封印してあった騎士団長殺しの絵を目にして以来、作風が変わり魂を吹き込むように抽象化した免色の肖像画を完成させる。免色とは徐々に親しくなり、深夜二人で、鈴が鳴る山に入り、古い祠の横に重なった石を取り除き不思議な穴を見つける。その中には古代の鈴があった。「わたし」が鈴を持って家に帰ると、雨田具彦が描いた絵の中の騎士団長が現れ、自分はイデアだという。見える人にしか見えない60センチばかりの姿をしている。

一方、免色は「わたし」に、丘を隔てた自分の屋敷の真正面に住む14歳の秋川まりえの肖像画を描いてほしいと依頼する。この娘は「わたし」が週2回教えに行っている絵画教室の生徒だ。免色は秋川まりえが自分の娘ではないかと思っている。まりえの母親は早死して父親とその母親代わりの叔母と住んでいる。娘を見守るために免色は秋川家の向かいの丘に建つ家を買い、毎日精度の高い軍用望遠鏡で娘を遠くから見て居たが、今はまりえの肖像画を手に入れたがっている。「わたし」は乗り気ではないが、何も知らないまりえ本人は、聞いてみると意外にもモデルになることを望んで、叔母と一緒に「わたし」のアトリエに通って来るようになる。そこで免色と叔母とまりえは出会い、自然と叔母と免色とは交際するようになる。

しかしまりえは突然姿を消す。動転する免色とまりえの家族をよそに、「わたし」は騎士団長に言われるように、まりえを取り戻すために、どうしても雨田具彦に会わなければならないと思って、彼のいる伊豆の老人ホームを訪ねる。雨田を前に騎士団長は彼が描いたとおりに騎士団長を刺殺さなければならないと言い、「わたし」はその通りにする。気が付いたら「わたし」は伊豆の老人ホームからワープして、小田原の山の中の穴に居た。暗闇の穴の中で鈴を鳴らして助けを求めている内、免色によって助け出される。まりえは3日して家に戻ってきたという。3日間の記憶はない。「わたし」は4日後に、不思議な通路を通った末、免色によって救出された。まりえは邪悪な力から騎士団長によって助けられたという。

「わたし」とまりえは雨田具彦の騎士団長殺しの絵を厳重に梱包して、誰の目にも触れないように屋根裏に隠す。まりえの肖像画は完成しなかった。完成させてはならない、危険を孕んでいる。しかし「わたし」とまりえとで、メタファーは封印できた。
免色はまりえの叔母と親しく交際するようになった。彼らは結婚して、まりえと一緒に暮らすことになるかもしれない。やがて、アトリエは、どこからか火事が起きて、絵とともに焼け落ちる。絵とともにいったん開かれた狂気の輪は、封印されて焼き落ちた。
「わたし」はユズと再び暮らすことにした。別れていた間にユズは別の男の子供を産んだ。その子供を「わたし」は心から愛している。その子供は他の男の子かもしれないし、「わたし」の子供かも知れない。誰の子供であってもそんなことは些細なことに過ぎない。 
というおはなし。

登場人物が絵のように明確に見えてくる。
「わたし」は、205ハッチバックの赤いプジョーを乗り潰し、いまはパウダーブルーの中古トヨタカローラワゴンを運転する。で、着ているのは、仕事用の白い絵の具のシミが付いて、ところどころほつれた丸首のグリーンのセーター、派手なオレンジ色のダウンジャケット、ブルージーンズにワークブーツ、古い毛糸の帽子を被った36歳。

免色渉は54歳白髪で、銀色のジャガー最新のクーペを運転し、あるときは淡いグリーンのカーデガン、クリーム色のシャツ、グレーのウールのズボン。またあるときは、白いボタンダウンシャツの上に細かい上品な柄の入ったウールのベスト、青みが買ったグレーのツイードジャケット、淡い辛子色のチノパンツに茶色にスエード靴。何という趣味の良さ!

秋川まりえはスタジオジャンパーに’ヨットパーカー、穴の開いたブルージーンズ、コンバースの紺色のスニーカーといういでたちの14歳、無口で気難しい女の子。

叔母の秋川笙子は、兄の買ったブルーのトヨタプリウスをいやいや運転していて、丈の長い濃いグレーのヘリボーンのジャケットに淡いグレーのウールのスカート、模様の入ったストッキング、首にはミッソーニのカラフルなスカーフ、という淑女なわけだ。

こういった愛すべき登場人物たちが、古典音楽とオペラが鳴り響くアトリエで、ウイスキーを傾けたり、コーヒーを飲んだりしているときに、絵の中の騎士団長や、白いスバルフォーレスタに乗る邪悪な男や、メタファーな顔長や、ドンジョバンニが出て来て、山の奥からは不吉な鈴の音が鳴り響く。映画のように、視覚、聴覚、触覚、味覚、臭覚が存分に刺激される。読んでいるときが最高に楽しい。いつまでも読んでいたくなる。読んでいて、プッチーニの「トーランドット」や、「ラ、ボエーム」、モーツアルトの「ドン ジョバンニ」が聴こえてくるが、一番繰り返し繰り返し聴こえてくるのは、リチャード シュトラウスの「薔薇の騎士」だ。このドイツ語の複雑で難解な音階が何度も聴こえてくる。


そんなとき「わたし」は、「毎朝ラジオの7時のニュースに耳を傾けることを生活の一部にしていた。たとえば地球が今まさに破滅状態の淵にあるというのに、わたしだけがそれを知らないでいるとなれば、それはやはり少し困ったことになるかもしれない。朝食を済ませ、地球がそれなりの問題を抱えながらも、まだ律儀に回転を続けていることをとりあえず確認してから、コーヒーを入れたマグカップを手にスタジオに入った。」というわけだ。雨田具彦の絵を見た「わたし」にはイデア(観念)が見える。まりえにもイデアが見える。しかし絵を見ていない免色には、イデアが見えない。イデアが刺殺されたことによって、メタファーの扉が明けられる。メタファーは邪悪でもあり、女を絞め殺しそうになった自分でもあり、騎士団長を若い男が殺したときの証人でもあり、画家「わたし」そのものでもある。

免色には魅了される。彼は誰とも結婚しないと決めていた。彼には結婚や仕事の為の社交や、人と競走して商売に奔走することは、彼の美学からは外れるのでしない。でも年を取り、昔愛した女が激しい一夜を共にした後、去って行き、その9か月後に娘を産んで死んだと聞くと、それが自分の娘に違いないと思い込み、娘の住む家を毎晩軍用望遠鏡で覗き見ることが生きがいになってしまう、「華麗なるギャツビー」的メランコリーな哀しさが漂ってくる。男にとって子供との絆って、こんなにも儚いものだ。

一方「わたし」にも他の男の子を産んだユズを、未だに「ユズのことを忘れなくちゃいけないと思っても心がくっついたまま離れない。他の女と寝ていてもその女とぼくとの間にはユズがいる。」そんなわけだからムロと言う名の女の子は、自分の子供かもしれないし、自分の子供でないかもしれない。でもそんなことは些細なことだ。と言い切ってしまう「わたし」はムロを心から愛している。

免色の秋川まりえへの愛と、わたしのムロへの愛は同じ愛だ。どちらも生物学的に自分の娘ではない。しかし免色はまりえが自分の娘だと確信しているし、わたしは自分が深く愛している娘の血が誰の血であっても、そんなことは些細な事だと思っている。ふたりの父親としての愛は、無償の愛。見返りを求めない愛。騎士団長はイエスかもしれないし、まりえはマリアかもしれない。