2014年10月28日火曜日

映画 「エバの告白」


                                 


原題:「THE IMMIGRANT」 (移民)
監督:ジェームス グレイ
キャスト
エバ:マリオン コテイヤール
ブルーノ:ホアキン フェニックス
オーランド:ジェレミー レナー
マグダ:アンジェラ サラファン

ストーリーは
1929年
ヨーロッパから戦火を避けて新天地アメリカに自由と平和を求めてやってきた難民たちを満載した船がニューヨークに向かっている。自由の女神を見つめる、人々の不安げな顔、顔、顔。彼らに戻れる故郷はもうない。船はエリス島の出入国管理局に到着する。

ポーランドから、この移民船に乗ってエバとマグダ姉妹は、遠い親戚を頼ってやってきた。故郷では両親を殺されて、生きていくための糧も失った。しかしエリス島の移民局で妹のマグダは結核を病んでいることを知られて、マグダは隔離され二人は引き離されてしまった。エバは身元引取り人の親戚に拒否されて、強制送還されることになる。病んだ妹一人をアメリカに置いて自分だけがいったん捨ててきた故郷に帰ることはできない。エバは、必死でそこを通りかかったポーランド語の通訳をしていた男に救いを求める。ブルーノと名乗る男は、いったんエバの求めを無視するが、懇願を繰り返すエバを不憫に思って、賄賂を係官に渡してエバを引き取る。

エバは、ブルーノに言われるまま、マンハッタンのアパートに落ち着く。移民局では一見紳士に見えたブルーノは、移民としてやってきた女たちを集めてキャバレーのダンサーとして働かせ、一方では売春させているような男だった。アパートの女たちは、恩人ブルーノのことが大好きだ。エバにもやさしく、気の良い娼婦たちだった。
ブルーノは、おとなしく付いてきたエバを、当然のように自分の女にしようとする。しかしエバは、恋愛の経験もない生娘だった。ブルーノはエバの拒否にあって、怒りまくった末、上客に売り飛ばす。エバは、妹を救い出してアメリカで暮らしていくために、仕方なく運命に身を任せる。しかし、ブルーノの怒りに触れて心底怯えて客を取らされたエバは、すきを見て娼婦館から逃げ出して、遠い親戚の家を探し出して保護を求める。何十年かぶりで再会した叔父と叔母は、ぎこちない笑顔でエバを迎い入れるが、翌日、エバを警察に引き渡し移民局に送る。叔父たちはエバが娼婦に身を落としたことを知って、不法入国者として通報したのだった。エバは強制送還されることになった。

そんなエバに、ブルーノが再び会いにやってくる。エバは、妹を取り戻すためにどうしてもアメリカに残らなければならない。ブルーノにいわれるままエバは娼婦館に戻った。ブルーノは、強い意志をもったエバに、次第に惹かれていく。もう他の女など、目に入らない。
一方エバは、キャバレーのマジックショーを演じているブルーノの従兄のオーランドという男と出会う。オーランドは一目で出会ったばかりのエバを愛してしまう。しかし密かにエバに会いに来たところをブルーノにみつかって殺されそうになる。ブルーノとオーランドの争いは警察沙汰となり、ブルーノは警察に拘禁され、オーランドは、別の土地に向かって巡業に出ることになった。遠く旅立つオーランドに、エバは自分の夢を語る。妹を引き取って、カルフォルニアのような温かい土地で二人で暮らしたい、それがエバの望みだった。オーランドは旅立ち、ブルーノは警察から釈放される。

しかしエバをあきらめられなかったオーランドは帰ってくる。ついに諍いの末、ブルーノはオーランドを殺してしまう。エバは教会で懺悔する。生きていくために、愛してもいない男に言われるまま身を落としてきた。そんな罪を犯してきた自分は神に許しをもらえるのだろうか。真剣に祈るエバの姿を見て,ブルーノは、エバを自由にしてやろうと心に決める。監視に賄賂を使って、隔離されている妹を引き取り、エバと妹にカルフォルニア行きの切符を渡してやる。エバは妹と再会して振り返りもせずにブルーノのもとを去っていく。エバを強制送還から救い出し、無一文だったエバに住居を与え、食べさせて世話を焼き、心から愛してきた。エバを横取りしようとする男を嫉妬から殺しまでした。エバを本当に愛してきた。しかし、エバは去り,ブルーノには何も残っていない。というお話。

マリオン コテイアールの頑なな信仰心と、超然とした美しさ。一方ホアキン フェニックスの酒と金とアルコールにどっぷりつかったダーテイーな姿が際立っている。二人とも、とても良い役者だ。どちらにも共鳴、共感できる。とても悲しい映画だ。

エバは娼婦になっても1ミリとして動じない。少しも譲らない。そんな自分を通していて、無垢な処女の強さと純粋さを維持している。それに比べるとブルーノはずっと人間的だ。移民で来て、生活に困った女たちや、不法移民を救い出して、娼婦にして小金をため、女たちといつも飲んで騒いで愉快に暮らすことが大好きな男だ。それが、とんでもなく美しい女に惚れてしまって自分の人生が狂ってしまう。ついに殺人まで犯して逃亡犯になったうえ、女をあきらめなければならなくなって、無一文となる。背を向けて、振り返らずに去っていく女に「自分はこの女の一体何だったのか」と、泣きじゃくる男を見ていて、ついほろっとなる。人は妥協して生きていくものなのに、一歩も譲らない女のために自分の人生を捨ててしまった男の悲しさ。譲らない女と、それの翻弄された男。何としても妹を自分が守って生きていきたいという強い願望と処女性。男からみたら、こんなジコチュー女のために自分の一生を棒にふることになって、こんなはずじゃなかった、というのが実感だろうか。マリオン コテイアールの美しさよりも、ホアキン フェニックスの落ちぶれ方に、すっかり魅せられた。

2014年10月24日金曜日

その後のオット




                                 
17日間公立の救急病院に入院していたオットは、水から這い上がってきた子猫のように、すっかりしょげてしまって、食べない、飲まない、聞かれても返事をしない、床をうつろな目で見つめて動かない、口を利かないといったウツ状態に陥ったため、病院からリハビリ呼吸センターに移送されるところを、ドクターに頼み込んで家に連れて帰ってきた。
オージーはもとは英国人だから、ちょっと具合が悪くても、ハウアーユーと聞かれれば、にっこり笑ってファインと答える。紳士の会話はアイムファインで始まり天気の話で軽く仕上がり、自分の体のことなど絶対に話に出さないで、親しさよりも礼儀が優先される。現にオットがICUで治療中で、6リットルの酸素マスクを着けていた時も、携帯にクライアントから税金の相談がかかってきたが、オットは丁寧に答えていたし、オペラオーストラリアから2度も、来年のオペラの通し券をまだ申し込んでいないようだが、どうするのかと問われて、まだ決めてないんだよ、とのんびり答えていた。オットはもうオペラハウスの駐車場から劇場までの長い通路を歩けない。もうオペラに行くことは叶わないのに。

そんな「礼儀正しい」オットが、はじめのICUにいた7日間と、4日間の集中心臓治療ユニットに居たときは良かったが、病状が少々落ち着いて、呼吸器病棟に移されてから、みるみるうちに元気をなくして、盛んに食べていたものも口に入らず、シャワーも面倒、着替えも面倒、動くのも口をきくのも面倒になってしまった。ここまで急激にウツになったら、うかうかしていられない。本物の鬱病になる前に家に連れ戻さないと。ということでドクターたちとの交渉が、退院するその日の夜7時までやりとりが続いて、大変だったが、とうとう連れて帰ってきた。真っ暗な家に、二人で帰ってきて、猫が盛大に迎えてくれたときは、オットは涙目で猫を抱いていた。
肺炎は完治していない。心臓も24時間モニターは取れたがまだ安心できない。腎臓もクレアチニンが400で少しも下がらないが、薬物治療で最低限の日常生活が続けられるようにしていくしかない。一日おきに血液検査と専門医受診が義務付けられた。腎臓が働かないので、体内の毒物が捨てられない。腎臓透析を拒否するからには、薬で毒物を中和するしかない。毎食後に23粒の薬を服用し、一日おきの血液検査の結果次第で薬を増やしたり、減らしたりする。そうしているうちに、回復してくれることを願っている。3か月後には、こんな薬の山を、あんなこともあったっけと笑い飛ばせるようにしたい。

それにしても今回のオットの入院で、救急室、ICU,心臓集中治療ユニット、呼吸器一般病棟と、移動してきたが、移動ごとにそこで働くナースたちの質が、順番に落ちていくのには驚いた。この先、リハビリセンターなどに送られたら、どんなナースが待っているのか、想像するだけで恐ろしい。ナースはみなオールマイテイーではないから、専門以外のことは知らなくても恥ではない。しかし「できるナース」と「できないナース」との差は、見る人が見れば一目瞭然だ。
ICUでは基本的に一人の患者に一人のナース、24時間モニター付きの心臓ユニットでは、25ベッドに昼間13人のナース、夜7人のナースが、それぞれ12時間勤務に当たっていた。どちらも優秀な、よく訓練されたナースたちが、過酷な12時間労働を担当していた。そういった救急医療を希望して来ているナースたちに、「できないナース」は居ない。

しかし呼吸器一般病棟に移ってからは、そうはいかない。呼吸器病棟では病棟自体の空気の圧力が外気とは変わっていて、外の汚い空気が病棟に入らないようになっている上、病棟内でも空気が還流しないようになっている。18ベッドのうち10ベッドは、感染対策が徹底していて個室で二重ドアになっていて、4ベッドずつの大部屋が2つ、これを昼のナース6人、夜のナース4人が診ている。施設は素晴らしいが、ナーシングはいまいちだ。派遣できているナースも多い。ナースたちは決して患者の体を触らない。シャワーが浴びられる患者にはタオルやガウンを渡すだけ。ベッドが平らなため、呼吸できない患者のために、リモコンでベッドの頭部を上げたり、ベッドの角度を変えるだけ。体が重いので傾斜するベッドから患者がずり落ちてくるが、「はい1、2の3で上に上がって」と掛け声をかけるだけ、ナースは絶対患者をベッドの上にずり上げたり、体位交換をしたりしない。手伝わない、触らない。ナースの職業病ともいえる腰椎対策が徹底している。

10年前に同じ病院の心臓外科病棟で働いていた。夜中、発熱したり汗をかいた患者や、手術後たくさんのチューブにつながれて自分で動けないので辛くて眠れない患者に、熱い湯で体をふいて、ベッドリネンを変えてた。トイレに行けず、ベッド横に置いた簡易トイレを使わざるを得ない患者には可能な限りお尻を洗ってあげた。それが自分には、誰に言われなくても自然なことだった。患者は、すこしでもよくなってくると退院と社会復帰に大きな不安にさいなまれる。眠れないでいる患者には、温かい飲み物とビスケットを持って行って、となりに座ってよくおしゃべりした。患者とベッドに並んで何度も同じ歌を夜中デユエットで唄ったこともある。同じ人間として、ナースは腰椎対策も大事だが、もっと患者との時間を持つべきではないか。正確に心電図の異常をとらえることも大事だし、自分が腰を痛めないように重い患者を運んだりしないことも大事だが、もっと自分の手を使って患者に触れることを忘れないで欲しい。

かなり強引に連れて帰ってきたオットは、慣れ親しんだベッドや枕があっても依然として呼吸が苦しいし、力が入らないで、数歩しか歩けないことがわかって、自分の病状が理解できたようだ。退院翌日には病院から訪問ナースが来てくれて、服用しなければならない沢山の薬を確認していった。ソーシャルワーカーも来てくれて、失業手当の申請について教えてくれた。立派な体をした若い物理療法士も来てくれて、呼吸の仕方、肺のふくらまし方をよく教えてくれた上、オットと一緒に歩行練習もしてくれた。しばらくの間、一日おきに来てくれるという。ありがたいことだ。これだけのたくさんの人に助けられながら希望通り家に帰ってきたオット、、、良くならなければいけないよ。キミ。

2014年10月14日火曜日

死なないオット


            

娘の結婚式をクアラルンプールで済ませて、シドニーに帰り、通常の生活に戻って、ほっとしていたところ、オットが派手に倒れてくれた。
深夜、喘息発作で呼吸ができなくなり救急車で病院に運ばれてみたら、肺炎を起こしていることが分かった。救急室で抗生物質の治療を受けたが、呼吸が戻らず人工呼吸器を取り付けなければならなかった。そうしているうちに、血液検査で、トロポネントという酵素が血液に浸出していて心臓の筋肉が急速に壊れている最中だということがわかった。二度目のハートアタックだ。危機状態で夜が明けて、翌日にはクレアチニン値が600まで上がっていて、腎臓不全になった。クレアチニンの正常値は60から120だが、600まで上がって腎臓透析をせずに生きている人も珍しい。

オットはサンタクロース型体型で、おなかが重いのでベッドで起座状態で、人工呼吸器をつけていて、苦しくなると手足をバタバタさせて、マスクを外してもらいたがる。外すと自分でヒューヒュー呼吸しながら、のどが渇いた、水じゃいやだ、ジュース飲みたい、などと勝手を言う。オレンジジュースだ、リンゴジュースじゃいやだ、オシッコしたい、ウンチもしたい、吐き気がしてきた、だのと大騒ぎをしたあと、また呼吸ができなくなって、機械を取り付けられて口を封じられる。そんなことを漫画のように何度も何度も繰り返した。心筋梗塞を起こしているので、アンジオグラフィーと言って、造影剤を入れて動脈検査をしながら、狭くなった心臓血管にステントを入れて血管を拡張してやらなければ心臓の筋肉が死んでしまうが、それをすると造影剤のせいで腎臓が完全に死んでしまう。心臓を生かせば腎臓が壊死する。腎臓を生かせば心臓が壊死する。いずれにせよ肺にもたっぷり水がたまっていて呼吸ができないという絶体絶命状態でいた。

3人の呼吸器ドクターチーム、2人の心臓外科ドクターチームと、2人の腎臓専門ドクターチームが、顔を合わせて、次々と出てくる悪化するばかりの血液検査やCT検査結果に、表情を曇らせていた。この時点でどのドクターも、オットを救命できると思っていなかったと思う。
そんな中で、両目をぱっちり開けて、人工呼吸器のマスクを自分で引きはがし、ダーリン、ジュースちょうだい、ダーリン、おしっこーと、元気に叫びまくっているオットに、ドクター達は、ホホウという表情で互いに顔を見合わせていた。私は横で、いつもの通り甲斐甲斐しくオットを介助しつつ、全くコイツは、死ぬまでしっかり生きるんだなあ、、、と実感していた。

僕は死ぬまでリタイヤしないで、仕事を続ける。癌なんかでどこかが痛くなってもモルヒネは使わないでね。死ぬまでしっかり自分で自分がどういう状態なのかわかっていたいから。常日頃オットはそう言っているが、実際自発呼吸ができないような状態で脳に十分な酸素が送られないと、意識を失うか昏睡状態になるはずなのに、両目をしっかり開けて意識を保っていた。これは立派。
誰も眠らない救急室で24時間が経ち、ICUに移り、集中治療が続けられたが、オットと私に、3チームのドクターたちは、ずっと検査結果と治療について、何度も何度も説明してくれた。良くなります、みたいなオタメゴカシは、だれも言わなかったし厳しい現実だけをきちんと話してくれた。本当にこういう点は、オーストラリアのドクターたちは立派だと思う。

で、、、その日から12日経った。肺にはまだ水がたまっていて、呼吸が苦しい。心筋梗塞はどうしようもないので、薬で治療していて、腎臓も透析せずに何とか保っている。レントゲンや血液検査結果は入院時とあまり変わらない。机上のデータだけを見るとひどい重病人みたいだ。
しかし本人は毎食毎食が待ち遠しくて、よく食べよく飲み、早く仕事に戻りたいと叫んでいる。とっても元気。

公立病院だが食事の内容は、それほど悪くなく、朝8時にコーンフレーク、パンにヨーグルトと果物。10時にはお茶と、ビスケット。1時の昼食には、スープ、肉か魚かパスタとパン。6時の夕食にはスープと肉か魚とパンに何か甘いもの。夜8時には、お茶とビスケットという、最低限誰もが空腹で苦しむようなことはないように配慮されている。
ところがオットは朝ご飯が待ちきれないので、朝7時にパパイヤ、スイカ、メロン、イチゴ、キウイを切ったフルーツカクテルを、入院以来、一日も欠かさず届けなければならない。昼食も待ちきれないので、階下の売店に行ってそのつど希望の品、ケーキを珈琲を買いに行かされる。夕食後も夜中におなかがすくのでベッドサイドに果物などが十分あるかどうかを確認してから、帰宅している。

本当に死ぬまで死なない奴、朝7時に行くと目を輝かせて、何持ってきてくれたのと、ベッドでちゃっかり待っている奴。早く元気になって二人で一緒に階下のカフェでアイスクリーム買って食べようね、と何度も何度も言う奴。ああ、、、君のウェストが大きくなるごとに私の方は反比例していきそうだよ。