2008年6月29日日曜日

ペッカ クシストのバイオリンコンサート


フィンランドの若いバイオリニスト ペッカ クシスト(PEKKA KUUSISTO)のコンサートを聴いた。
ペッカは、サイモン クロード フィリップ(SIMON CRAWFORD PHILLIPS)というピアニストを連れてきた。シテイーエンジェルプレイス A席$85.

30を越えたばかりのペッカ クシストが私は大好き。
チャイコフスキーコンクールで優勝したり準優勝したり、ジュリアードを主席で卒業したりした人たちが ごろごろいる日本。幼稚園の先生がスイスの国立音楽学校の卒業生だったり、ウィーンのバイオリンコンクールで優勝した人が普通の主婦やっってたり、大学のコンパで酔った学生が 余興で軽くラフマニノフ弾いちゃう様な子がいても誰も驚かない日本。500万円程度のバイオリンを持っている子供の数から言ったら恐らく日本が一番だろう。そんな日本では、ペッカは無名なんだけど。

6年前にオーストラリアチェンバーオーケストラの、リチャード トンゲッテイが、定期公演のときに、ゲストに、ペッカを迎えた。その時、プラチナブロンドのほっそりした、少女漫画から抜け出てきたような 華奢な青年がオーケストラをバックに モーツアルトのソナタを弾いた。とても、澄んだデリケートな音で、私は思わず 彼を モーツアルトを弾く為に生まれてきたような青年、と言って絶賛してしまった。

その2年後くらいに再び来豪して、今度はトンゲッテイとビバルデイを弾いた。
その後、映画「4」で、ビバルデイーの「四季」のうち、春を日本の奏者が、夏をオーストラリアの奏者、秋をニューヨークのバイオリニストが、そして冬を、ラップランドの国のペッカが弾いていた。雪で埋まった湖を友達達と民謡を歌いながら歩いたり、彼自身の家らしい暖炉の燃える丸太小屋で、沢山の友達に囲まれて音作りをしている映像が出てきて、楽しい映画だった。 何年もかけて、注目してきた若いバイオリニストなので、その後を知りたくて、聴きに行った。

プログラム
1)ジーン シベリウス:バイオリンとピアノの為のソナチネ 作品80番
2)フランツ シューベルト:バイオリンとピアノのためのソナタ 作品384番
3)ジョン コリグレアーノ:バイオリンソナタ 1963作

コンサート開始のっけから、ペッカは ピアニストと肩を組んでラップランドの民謡を歌った。続けて、彼のガダニー二のバイオリンを持って、次々と、ラップランドの民謡を弾いた。とてもよかった。
冬、雪の積もった音のない世界で遠くから語りかけてくる澄んだ音、詩情豊かな、情感いっぱいの歌。 シベリウスも「フィンランデイア」にあるような力強さではなく、透明でささやくような、北の風が聴こえてくるような 実にデイケートな音だった。雪景色のラップランドの情景が感じられる音楽だった。

ロシアから独立する前のフィンランドでは フィンランド人の愛国的士気が昂揚することを恐れたロシアから 「フィンランデイア」は 演奏することを禁止されていた。独立運動の前奏曲ともなった この曲はフィンランド人にとって 国の誇りだ。シベリウスが91歳で 亡くなった時、彼は国葬にされて 国中が喪に服した。

ジョン コリグレアーノというアメリカの作曲家の作品は シベリウスやシューベルトと比べて難解で技術的に大変でヘビーな ジャズのテイスト。でも、力強い 美しい曲だった。この作曲家、知らなかったが、1997年オスカーを取った映画「レッドバイオリン」を作った人だった。現代音楽作曲家は、多才だ。

ペッカはフィンランドの代表的音楽家ということで、世界各国のコンサートで すでにシベリウスを130回 弾いているそうだ。フィンランド政府から 1752年作のガダニー二を貸与されているが、芸術監督として、自分も若いのに、若い音楽家を養成するためのキャンプやプログラムを作って、盛んに活躍しているらしい。
ピアノストとの、いかにも信頼しあった同士と言う感じが、会話や音のやりとりでわかり、微笑ましい。彼の人柄の良さを感じさせる。苦しんで自分の音を作る孤高の人ではなくて、いつも友達に囲まれながら ジャズに傾倒したり、電子音楽をやったりしながらクラシックに捉われない音楽に挑戦している。お祖父さんもお父さんも作曲家、お母さんも、お姉さんの旦那さんもピアニストだそうだ。

ペッカのコンサートは、2夜のみ。1500席の会場は、熱心なファンでいっぱいだった。予定どうりの曲や、ペッカのジョークをまじえたトークも終わり、アンコールで沢山の曲を弾いたが、最後に、「これが最後の曲ですよ。これが終わったら、みんな家に帰って寝ましょうね。」と、言ってファンを沸かせたあと、弾いた曲は、ララバイ。

ミュートをつけて、その上 ピアニシモで弾かれる小曲が、会場では息をするのもためらわれる静寂のなかで、澄んだ透明な音が流れて、そして終わった。
心に残るコンサートだった。

2008年6月24日火曜日

映画「モンゴル」



「上天より命ありて生まれたる蒼き狼ありき。その妻なる惨白(なもじろき)牝鹿ありき。大いなる湖を渡して来ぬ。オノン河の源なるブルカン獄に営盤して生まれたるバタチカンありき。」-井上靖「蒼き狼」から。


独露映画。ロシアの映画監督 セルゲイ ボドロフによる2時間20分の大作、2008年 アカデミー外国語映画賞にノミネイトされている、チンギス ハーンの半生を描いた映画「モンゴル」を観た。
俳優:浅野忠信、KHULAN CHULUUN、HONGIEL SUN

映画では、チンギス ハーンの幼名 テンジンの9歳の頃から お話が始まる。
テンジンの父親は 部族の首長だが、約束をしていた部族とは別の部族から妻を娶ったので、そのどちらの部族からも恨みを買っていた。父は、息子を連れて 息子の妻を決めるための旅にでる。 部族の決まりどうりにテンジンの母が来た部族で妻を決めるところが、立ち寄った部族で、テンジンは一人の娘を気に入って、婚約を交わしてしまう。そのことで、父は他部族から、二重に恨まれて、遂に毒殺される。それを見た部下たちは、テンジンを首長とは認めず、財産すべてを奪い、テンジンを奴隷として、首かせ、足かせをはめて生きることを強制する。

その後、テンジンは逃亡に成功して立派な若者になり、若い部族の首長に出合って 彼と兄弟として生きる誓いをする。そして9歳のときに婚約していた妻、ボルテを迎え正式に結婚する。が、その日のうちにテンジンが嫁を迎える約束をして裏切られていた部族が襲ってきて 瀕死の傷を負い、妻を奪われる。テンジンは兄の力を頼って妻を奪い返すが、そのころには、もう妻には2人の子供ができていた。 テンジンは小さな部族を次々に制圧して自分の部族を大きくし、戦闘を繰り返しながら勢力をつけていく。
しかし、かつて父が持っていた部族と、兄の部族とが敵に回ったとき、そのモンゴルを二分する戦いに敗れ、奴隷商人に売り飛ばされて、カザキスタンで、牢に見世物としてさらし者になる。妻は、カザキスタンの商人に身を任せ、砂漠を越えて、テンジンを救い出す。
モンゴルに戻ったテンジンはそれからは、破竹の勢いで戦闘に勝ち進み すべての部族を飲み込み モンゴル帝国を統一する。と言うお話。

国家統一する前までのテンジンの若い頃のエピソードだ。 世界地図の半分を自分のものにした偉大な帝王のお話だから、英雄チンギス ハーンを見るつもりで この映画を観る人はがっかりするかもしれない。映画では、テンジンよりも、妻のボルテの方が、偉い。
9歳のテンジンに、自分をお嫁にして、と言って彼に決めさせたのは、ボルテだし、瀕死のテンジンの命を救うために 自らは留まって 敵の部族のものになる結婚直後のボルタは、りりしい。夫を牢から救出するのもボルタ。全幅の信頼を寄せて兄を疑いもしないテンジンに、「首長は一人だけ」と、裏切りを決意させるのも、ボルタ。この、凄腕の妻は、すべての部族を巻き込んだ戦闘で勝ち抜いて、妻のところに帰ってきたテンジンに、「あなたはモンゴル人、何をしなければならないか わかっているでしょう。」と言って 彼を送り出すのだ。二人の関係はモンゴルの乾いた空気のように、すごく乾いていて、湿ったところが全然ない。強さと強さとで、結び合っていて、強靭な信頼関係で成り立っている。強い男は 強い女が支える、ということか。

映画の戦闘シーンは凄い。馬を全力で疾走させながら 鎧で身を固めた戦士が 両手に2本の刀を振りかざして 敵に切り込んでいく。ちょっとでもバランスを崩して落馬したら、脊椎骨折で 即死だ。俳優も命がけだ。この映画 暴力場面が非常に残酷ということで、15歳以下の人は観られない。

実際のチンギス ハーンは、モンゴル帝国初代の王で、1206年から1227年まで在位した。中国北部から中央アジア、イランまで配下に置き、ユーラシア大陸全土に広がる大帝国を自分のものにした。ヨーロッパ、インドまで遠征する計画をもっていた。まさに、世界地図の半分を所有した。
無学な荒野の戦士が、大帝国を築き、文明を発展させたことは、脅威的だ。彼は 高度な製鉄技術を持ち、鋭利な武器や鎧を開発し、戦術に長けていた。それだけでなく 文字文化を導入し、翻訳活動を推進し、異民族の高度な文化を積極的に取り入れた。 マルコ ポーロとの交流も、印象深い。マルコ ポーロの伝記を読むと、年老いたチンギス ハーンが、マルコを自分の孫のように可愛がって、珍しい宝石や香料を与える様子が描写されている。 奥さんい操られるだけの夫だったわけではなくて、立派な指導者だったのだ。

2008年6月23日月曜日

サッカーヨーロッパチャンピオン戦


おとといは、日本では夏至だった。
オーストラリアでは、冬至だった。
新婚旅行には、この時期にシドニーに来て 一年で一番長い夜を過ごし、日本に帰ってまた 長い夜を過ごしたら 良いのではないかしら。

いま、サッカーで、ヨーロッパチャンピオン戦をやっていて、観ているので 寝不足。
あんなに広いグランドで、相手側の動きを見ながら、自分の位置を走りながら見極める。サッカー選手は スポーツのなかでも、最も、頭を使わないとやっていけないスポーツではないだろうか。

昨日は、準じゅん決戦で、オランダ対ロシアで、ロシアが勝ったのがとても印象的だった。まさか、歴史的にも実力でも強豪のオランダに 名もないロシアが勝つなんて、誰も期待していなかった。

例えて言うならば、尊敬する井上雄彦先生の「スラムダング」で、桜木花道、流川楓や、赤城剛憲らの名もない湘北高校が 日本高校バスケット界を君臨する山王高校に、全国戦で、勝ったようなものだ、と言えば、20代後半30代40代の人には通じるか?

試合前から、ロシアの選手が柔軟体操をしている様子を観て、彼ら全員がすごく体が柔らかくて、ジムナスティック選手みたいで、びっくりした。みんな世界的な試合の経験はなくても、若くて体がしなやかなのを見て、ひそかに彼らが、オランダに勝つにではないかと思ってい見てて、そのまま勝ってくれたのでとても嬉しい。ロシアの若い人たちが、走っているうちに、赤いりんごのほっぺになるのも、可愛い。

今日は、まだ準準決勝で、 スペイン対イタリーだ。
イタリアがんばれ!

2008年6月17日火曜日

映画「インデイージョンズ クリスタル スカルの王国」



団塊の世代は年をとらない。
昨日、1メートルの距離で2時間話し込んだオージーに 30代だと思ってた と言われた。べつに、嬉しくもない。戦争、汚職、拡大するばかりの貧富差、世の中何ひとつ良くならない。年を取っている暇がない。いま、20代の若い女性の4割が、専業主婦になりたいそうだ。若者の老年化、団塊世代の若年化。

「ダイハード4」の ブルース ウィルス、「ラッシュアワー4」のジャッキー チェン、「インデイージョーンズ4」のハリソン フォードも、全然年を取らない。頼もしい。 大学で、考古学を教えるインデイーの姿は、年相応に見えるが いったんスパイに取り囲まれれば 大暴れ。機知と感に頼ってサバイバルする姿は、19年前のインデイーと全く変わりない。いまでは、父親のショーン コネリーは 亡くなったらしく教授に机の上の写真立てにおさまっていたが、新たに息子が出現、「SON」と呼んでも怒らない素直な青年だ。前作では、父のショーン コネリーがインデイーを「ジュニア」と呼ぶたびに、地団駄を踏んで怒っていたインデイーだったけれど。

インデイージョーンズは、冒険少年物語だ。映画を観れば 絶対面白いからお勧めする。君は、子供のとき「宝島」、「ロビンソンクルーソー」、「ハックルベリーの冒険」、「岩窟王」、「紅はこべ」、「アルセーヌルパン」、「シャーロックホームズ」、「ラミゼラブル」、「15少年漂流記」、「マルコポーロの旅」、「ジンギスカン」などなどに夢中にならなかったか?こんなに面白い物語を読んで夢中にならない子供がいたら、私は悲しいが、まだ遅くはない、この映画を夢中で観ることをお勧めする。

象牙の塔の考古学者は つい世界の財宝探しにのめりこみ 辞職に追い込まれたり、ロシアスパイに拉致されたりするけれど、宝物は必ずあるべきところに返して、ハッピーエンドだ。でもそこに落ち着くまでには、何度も何度も どでんがえしがあって、引きずり込まれて本当におもしろい。映画を観ていて ずっとこのまま映画が終わらなければいいなあ と思った。ヤングテイーンでいっぱいになった映画館で インデイーを見ながら、ハラハラドキドキ、時々キャーとか叫びながら 愉快な冒険の時間を共有することができる自分で良かったと思う。 この映画の出来は、最低とか、非現実的とか、いろいろ批判の論評を目にするが、そんな視点でしか映画を楽しめない老人性若者は、可哀想だ。早く老いて早く死ぬだろう。

インデイージョーンズ シリーズの第4作
監督:ステイーブン スピルバーグ
原案、製作:ジョージ ルーカス
配役:ハリソン フォード、ケイト ブランシェット シャイヤ ラブーフ、カレン アレン

ストーリーは、
かつて、ペルーのある山奥で、水晶でできた脳をもった人々が 謎の王国を築いていた。1957年、この王国を発掘したインデイーら考古学者によって 研究のために、水晶の頭骸骨のひとつが持ち出された。この水晶の頭蓋骨を科学的に解明できれば、王国が隠し持っていた財宝が手に入れられる。ウクライナのスパイの頭領ケイトブランシェットは、インデイーを拉致して、水晶の頭蓋骨と、謎の王国を探させる。

ロシアスパイの追求から、命からがら逃げだしてきたインデイーのところに、自分の母親がぺルーのジャングルで 囚われの身になっているので、助けて欲しいという青年マット(シャイヤ ラプーフ)が現れる。青年に託された手紙を読んでインデイーはペルーに即決で飛んで、青年と二人の冒険が始まる。捕らわれていたのはインデイーのかつての恋人,マリオン(カレン アレン)だった。青年がかつて自分とマリオンとの間にできた実の息子だったと知らされて、がぜんがんばるインデイー。
拉致されていた老探検家も引き連れて ロシアスパイと追いつ追われつ水晶の頭蓋骨の奪い合いが繰り広げられる。  という、お話。

蛇が苦手なインデイーが 底なし沼に飲み込まれて死にそうなとき、すかさず蛇を投げてよこすマットが、「蛇に捕まれ」というが、インデイー、首まで泥につかっても、がんとして蛇には触りたくない。で、マリオンとマットが蛇じゃない、「綱につかまれ」と叫んで、やっと目をつぶったインデイーが蛇につかまって泥沼から救出されるシーンには大笑い。インデイーは、こだわりのある、学者だから おかしい。

ステイーブン スピルバーグはユダヤ人だから、前作のインデイーでは第2次世界大戦が背景で、ナチスドイツが悪役だった。スピルバーグなりに、親の敵をとったつもりだろう。
彼の「シンドラーのリスト」も 当時、戦後30年たって、人々に忘れ去られるアウシュビッツの恐怖を 再び人々に提示してみせた。ユダヤ人として、やっておかなければ気がすまない彼なりの仕事だったのだろう。その後、「ミュンヘン」を製作したが、これで、ユダヤ人としての仕事は充分した、と、本人も満足したのではないだろうか。
今回のインデイーはロシアが悪役。ケイト ブランシェットの美しさが、軍服姿で、きわだっていた。
楽しい冒険少年物語だった。

2008年6月16日月曜日

ローマ法王がやって来る


ダライ ラマが6月11日から16日まで来豪し、連日 シドニーオリンピック会場で メデイテーションを指導していった。

7月には ワールドユースデイということで、ローマ法王ベニディクト16世が シドニーにやってくる。 このため会期の、7月15日から21日まで 世界各国から12万5千人の若者がやってくるだけでなく、国内からも、ラリアの10万人の信者が集まってくる と予想されている。

会場になるランドウィック競馬場は 受け入れ準備で忙しい。 ほぼ、シテイーの中心にあるランドウィック競馬場は、長女が卒業したNSW州大学や、メル ギブソン、ケイト ブランシェットなどが演劇を学んだ国立俳優養成所や、映画撮影所フォックススタジオなどに、隣接している。ラリアで競馬と言えば メルボルンカップだが、このランドウィック競馬場はラリア最大の人口都市シドニーにあり、最も人気のあるレースコースだ。レースのある日は、着飾った女性達と、それをエスコートする男達とで一杯になる。いまでは普段着で行く人の方が多くなってきているが。
ここには、沢山の厩舎があり、700頭あまりのレース馬をはじめ、沢山の馬が住んでいて、トレーニングを受けている。馬術学校もあり、たくさんの生徒、ジョッキーの養成とそれを支える人々の職場でもある。
これらの馬はすべてトレーラーですでに、引越しをさせられた。レースコースはつぶされて、ローマ法王のミサのための祭壇と参加者の椅子が並べられた。ラリアのカソリック教会は ラリア競馬クラブに 4300万ドルを支払って 場所を借りる契約をした。 22万5千人の訪問者で膨れ上がり 交通渋滞が予想されるため、政府は早くから、シドニーで働く人々は、長期休暇を取るか、自宅で仕事をする体制を取るように呼びかけている。また、市民は遠方地に疎開するか、家の中にこもっている方が賢明だ、とアドバイスしている。

当初、沢山の人が来るということで ホテル業界は期待していたが、世界各国からやって来る若い人たちは 教会の敷地に寝袋で、キャンプしたり、ホームステイまたは、複数で安宿をシェアすることにしていることがわかり、シェラトンとか、ヒルトンとかは、あわてている。普段シドニーの大型ホテルの客室稼働率は75%だそうだが、この期に及んで15%の予約しかなく、しかもこの時期、交通渋滞で一般観光客の観光ができないため、ワールドユースデイは、ホテル業界にとっても 政府にとっても痛い出費になりそうだ。 反面、22万人5千人の人がやってきて、消費する食べ物や日用品、おまけにキャンプ用品や寝袋など、売れて、経済効果も大きいことだろう。

しかし、ランドウィックの馬達にとっては迷惑なことだろう。今年は、ローマ法王のために、強制疎開。去年は、逆に自宅軟禁、移動禁止の憂き目に会った。

日本から運び込まれて、ラリア中に広がって恐怖に慄かせた「馬インフルエンザ」(EQUNE FLUE)だ。 2007年のメルボルンカップは、このインフルエンザのために、NSW州の馬は全部移動を禁止されて、レースに参加できなかった。たまたまNSW州に来ていたビクトリア州の馬も、メルボルンに帰れなくなって、参加できなかった。毎年春に行われるスプリングカーニバルも、中止に追い込まれた。全国からの馬を競売にかける農家の交流の場が失われて、馬主はひどい打撃をうけた。連邦政府は 11億1千万ドルの救済金を出したが、競馬業界では、大量の失業者を出す結果となった。

メルボルンカップには毎年、エリザベス女王の馬もやってくるし、2006年のメルボルンカップでは優勝馬も、2位の馬も日本から来た馬だった。これほど世界中の馬が、レースのために、空を飛び回る時代は 以前にはなかったことだろう。これ契機に、ラリアでは、馬の検疫をしっかりすることになったそうだが、馬も、ワクチンを打ったり レースのたびに旅行したり、外国に行ったり、ご苦労なことだ。ランドウィックの馬達、不自由な疎開生活を始めたそうだが、病気をしないで、元気でいて欲しいと思う。

これほど、大騒ぎをして準備を整えて、やがて、ローマ法王がやってくる。一方で、ダライ ラマが、ひっそりシドニーにやってきて、ひっそりと 旅立っていった。いまだに、中国のチベット自治区では チベット僧侶を中心に市民が弾圧され、殺害されている。今年3月に始まった、中国軍による弾圧で 虐殺された方々は数千とも言われている。 そうしたなかで、オリンピック聖火をチベットでも無事に通過させ、オリンピックの成功を願う、と、言わざるを得ない、ダライ ラマの心の痛みを思う。

2008年6月15日日曜日

ケビン ラッドの訪日


中国語を流暢にしゃべる ラリアのケビンラッド首相は、首相になって最初の外国訪問で、中国を訪問したが、これが日本頭越し外交、ということで、日本側の激しいブーイングに対応せざるを得ないかっこうで、日本を訪問した。

「ジャパンバッシングならず、ジャパンパッシング(PASSING)」が、それほど日本国民感情を損ねるとは、ケビンも思ってもみなかったことだったろう。これはケビンの訪中から一ヵ月もたたぬうちに、首相を半ば強制して 呼びつけたようなもので、異常に中国嫌いの日本の底力を示した ともいうべきか。

それにしても、ケビンの5日間の滞在中 3日目にやっとケビンと対面した福田首相のもったいぶった態度は何なのか? 欧米では、国の代表者が 他国を表敬訪問する場合、その国の代表者が夫婦で空港に迎えに行ったりする。世界一外交下手な日本、いつまでもこんな福田首相のようなことをやっていていいのだろうか。日本はラリアで最大の貿易国ではないか。

日本は、エネルギーも食料も、ラリアからの供給に頼っている。天然ガス、鉱物資源、牛肉、乳製品、米、小麦、砂糖などだ。輸出入合わせると ラリアの貿易相手国の一位は去年、中国に取って代わられたが、日本は二位、輸入に関してはいまだに一位だ。エネルギーと食料の供給を止められたら困る。

ジャパンパッシングに関して、3月に労働党が政権を取って ケビンが首相になってから、彼の7人の閣僚が、すでに日本を訪問した、にもかかわらず、日本側は、たったの一人も、ラリアに来ていないことを、ケビンは繰り返し、述べていた。

ケビンが、特別機でラリアから、成田でなく直接 広島に降り立ち、広島平和公園、原爆記念館を訪れたのは、びっくりの、上手な外交の仕方だった。首相になって、最初にしたことは、先住民族アボリジニーへの公式謝罪と、京都議定書の調印だった。差別と戦い、環境、平和の味方というイメージを それぞれ絶好のタイミングで印象付けている。政治家として、なかなか、そつのない優等生ではないか。(いまのことろは)

ケビン念願の中国訪問で、大規模輸入輸出契約を取りまとめて帰ってきたと思ったら、日本では、着いてすぐトヨタを訪れて、環境に優しいハイブリッド車のテクニックを褒め称え、メルボルンにトヨタ工場を持ってくる交渉をした。

それで、2010年から、メルボルンでハイブリッド車、トヨタカムリが、生産されることになった。アデレートで、三菱車生産工場が 日本側の業務縮小のあおりを食って閉鎖され3000人の失業者を出したばかりだ。ハイブリッド車をラリアで生産できるようなれば 願ったりかなったりだろう。ラリア政府がトヨタに35億円を助成金として出すという。

ケビンは福田首相との会談後、記者会見の席で最後に、「是非近々ラリアの来てください。うちでバーべキューしましょうよ。」と言った。事前打ち合わせのない予想外の言葉だったらしく、福田は黙っていた。でも、こんなとき、「よし、わかったよ、ケビン。鯨とイルカの肉持って行くから 一緒にこれで一杯やろうぜ。」とでも、毒を吐いたら、福田の人気も少しは日本国内では(国内だけ)上がったかも。
ちなみに、ケビンの訪日中のオージー世論調査の結果では、
「一刻も早く、調査捕鯨をしている日本を違法行為として、国際司法裁判所に提訴すべきだ。」と言う意見が、87%。
「中国との外交を重視すべきだ。」と、言う意見に、72%。
「日本との外交を重視すべきだ。」と答えた人 28%だった。

2008年6月2日月曜日

フラメンコダンスとアンダルシアの音楽


一年ほど前、スペイン出身の女優 ぺネロぺ クルス(PENELOPE CRUZ)が 映画「VOLVER」邦題「ボナペールー帰郷」という映画を主演した。監督、ペトロ アレモドバル(PETRO ALMODORAR)。

ラ マンチャ地方を舞台にした映画で、母と娘、姉と妹の堅い固い絆を描いた秀作。登場する男達は 飲んだくれで 恥もへったくれもない性欲ばかりのろくでなしばかり。対して、スペイン女達の図太いたくましさ、生命力の旺盛さは、まぶしいばかり。 トム クルルーズと別れてからの、ぺネロぺ クルスが 輝くように美しい。内容はちょっと、腑に落ちないような感じだったけれど。

この映画の中で、ペネロペがこの地方の民謡を歌うシーンがある。ギターをもって、彼女の長い首をすっと伸ばして スペイン独特の哀切に満ちた短調を歌ってきかせる。それがとても良かった。この場面を見るだけのために、この映画を観る価値がある。観ていて、スペインを代表する女優が 素朴で土の香りのする土地の民謡を披露することが出来るのは すごいことだと しみじみ思った。私は日本人だが 詩吟をうなることも、落語を一席きかせることも、大漁節や花笠音頭を歌うことも、三味線や琴を外国人に聞かせてやることもできない。1曲でよいから 外国人が絶対まねのできないような 日本独特の芸をものにしておかなかった自分が悔やまれる。

「PACO PENA FLAMENCO DANCE」「パコ ぺ二ィアとフラメンコダンス」というパフォーマンスを観にいった。シドニーシアター A席 $94.シドニー公演は 5夜のみ。
シドニーのあと、パース、キャンベラ、アデレート、メルボルン、ブリスベン、ゴールドコーストをそれぞれ1晩ずつ駆け足で公演するようだ。ロンドンを根城に音楽活動しているグループ。

6人のミュージシャンと3人のダンサー、計9人のパフォーマンス。
ギター:PACO PENA 、PACO ARRIAGA 、RAFAEL MONTILLA
シンガー:INMACULADA RIVERO 、JOSE ANGEL CARMONA
パーカッション:NACHO LOPEZ
ダンサー:ANGEL MUNOZ , CHARO ESPINO 、MARTINEZ

スペインアンダルシア地方の音楽、ジプシー音楽に限りなく近い。回教徒のメロデイーにも近い。アンダルシアはかつて回教国だった歴史もあるので、これがアンダルシアの音調なのだろう。独特のこぶしのきいた歌いまわし。哀切に満ちた 嘆きの心引き裂かれんばかりの悲しみの歌。それと、激しいスペインのフラメンコダンス。

もう相当のおじいさんのパコは 終始にこやかにすわって、ギターを弾いていたが、大変な迫力、3人でギターをバラバラやられると、ウーンまいった。激しさと 沈黙の使い分けが、鋭利な研いだナイフのよう。
パコがギターを一人で弾いている。そこに、女性ダンサーが現れて 突然 カチカチと、カスタネットを叩く。その瞬間 アンダルシア民謡に命が吹き込まれる。この瞬間が鳥肌が立つほど 間をとらえたものだった。瞬間、観客がオー!と、声をあげていた。 ギターとカスタネットだけの音のかけあいがみごと。カスタネットが自由自在にリズムを変えていき、ギターも負けずに自在にリズムを変化させていく。フラメンコ音楽が激しくメロデイーを奏でて 燃えるように調子が高まり リズムが早くなっていき、その絶頂で ピタリと 音が止まる。こんな 激しい音楽のありように聴いている側は引きずり込まれざるを得ない。

ダンサーも良かった。闘牛士のような服に、赤いマフラーを首に巻いた二人の男達のステップを踏む姿が華麗。スペイン舞踊は男の美しさを見せるための舞踊だ。激しい足踏み 一瞬音が止み 沈黙の中で見せる男の横顔。歌舞伎でいうと 主役が大見得をきるところ がとても良い。

観客は乗りに乗っていた。 ソロダンスで、音楽が止み、無音のなかで、ダンサーが指をならし、踊り始めると、調子に乗った観客が指を鳴らし始めた。会場全体に指を鳴らす音が広がると、自然リズムが遅れ勝ちになる。初めは笑顔で踊っていたダンサーが、踊りながら「静かにー」というジェスチャーをし、観客は、一瞬照れたようにどよめいて、指を鳴らすのをやめる、といった場面があった。ダンサーは迷惑だったろう。これだから、すぐに舞台と観客が一体になって、乗ってくるオージー観客は困り者。だいたいジプシーのリズムに 普通の人が付いて行ける訳がない。しかし、人なつこくて、遠慮なく演奏者のリズムに乗って すぐにはしゃいでしまうオージー体質は、憎めない。日本の舞台では、絶対にお目にかからない場面だ。

胸が引き裂かれんばかりに歌う 哀切の嘆きの歌、それと、フラメンコの激しく力強い 華麗なダンス、、、とても、よいものを観た。