2007年9月7日金曜日

映画 「酔いどれ詩人になる前に」


チャールズ ブコウスキーが再び日本で、ブームになっているようだ。1994年に 彼が白血病で死んでから10年もたつのに 日本でも根強いファンが人気をずっと支えていることは特筆に値する。2002年に、映画「ブコウスキー:オールドパンク」という彼のドキュメンタリーが発表されている。

彼がどんな作風か、、、作品集「勃起、射精、露出、日常の狂気にまつわるもろもろの物語」の中の、「狂った生きもの」の、最初の出だしだ。訳は青野聡。 

 「 失業して、部屋をおいだされ、そして(たぶん)正気からもつきはなされていた当時、私は飲んでばかりいた。その日、裏どうりで寝て過ごしたあとで、朝日のなかでゲロをはいた。それから五分おいて、コートのポケットにあったワインの残りを飲んで、町のなかを歩き出した。いくあてなどなかった。でも歩いていると、なんだか目的をもって行動しているかのような気がしてきた。もちろん錯覚である。裏通りにいたってしょうがなかっただけだ。  どうにか意識を保って、しばらく歩いた。私は飢え死の魅力に、なんとなくとりつかれていた。横になって待っていられる場所がありさえすればよかった。社会にたいする恨みは微塵もなかった。そもそも社会に属していなかった。そんなことはずっと前からわかっていた。」

彼の生き方を映画にした「FACTOTUM」邦題「酔いどれ詩人になる前に」。新しい映画なのに ビデオで観た。日本では公開されているが、ラリアでは劇場公開されなかった。原題が「FACTOTUM」というのを知らなかった。ご自身も詩人でギターをもって歌っておられるマイミクのFUNKAさんに教わって ビデオを探してみつけた。 ノルウェー人のベント ハマー監督、ブコウスキー役に、マット デイロン、相手役というか女優に、リリーテイラー。

テーマソングを クリスチャン アズビョンセンという人が歌っている。この歌の詩がブコウスキーの「ドリームランドとスローデイ」。この歌が ものすごい。阿片巣窟の奥底の底の底から聞こえてくるような、破壊的で ダダみたいな曲だ。

タイトルのFACTOTUMは何でも屋、便利屋とでもいう意味、食べるために 郵便局員、タクシー運転手、運送屋、機械工、缶詰め工場の荷詰め、ギャンブル、使い走りなど、何でもやった彼の半生を揶揄したことば。

ありとあらゆる職種で食いつなぎながら、書くことを決して止めなかった詩人の姿に、深く心うたれた。生きることに不器用な もの書きの姿が悲しみに満ちている。汚い言葉をたたきつけるように書きなぐる暴力性、にも関わらず繊細で柔らかな心、恥ずかしがりやのつっぱり、おおきな駄々っ子。

マット デイロンが、とても良い。実際のブコウスキーは こんなだったんだろうな、と思える表情、しぐさが とっても自然でよかった。彼は、アカデミーをとった映画「クラッシュ」でライアン巡査をやった俳優。この映画では、いやな奴の憎まれ役を全く憎く憎しく演じていた。 相手役のリリーテイラーが、また、とても良かった。ハイヒールを若いときから履いていた人独特の曲がった足指、O脚にゆがんだ足、労働者階級出身を示す筋肉質の体型、美人でないのに、タバコとアルコールがないと生きられない女のからっぽな脳みそと、かわいいしぐさには、男でなくとも、グッとくる。

男が あてにしていた三流紙からの原稿料を待って、疲れきって足が痛む女に、自分のくつを履かせて歩かせるシーンがとっても良い。女のサンダルを持ち、自分は くつしたで、女の手を取って歩いていくとき、男のやわらかい足の裏が、私にも感じられるような 心にしみるシーンだ。

映画の中にこんな台詞がある。SOME PEOPLE NEVER GO CRAZY.WHAT TRULY HORRIBLE LIVES THEY MUST LIVE.決して狂わない人たちがいる、それでも生きていかなければならないなんて、、、。自分のことを、言っているのだ。ブコウスキーは きっと、どんなに飲んでも、醒めていたんだろう。