2015年2月28日土曜日

映画 「博士と彼女のセオリー」


                                  

監督:ジェームス マッシュ
キャスト
ステイーブン ホーキング: エデイ レッドメイン
ジェーン ホーキング  : フエリシテイ ージョーンズ
ジェーンの母       :エミリー ワトソン
ジェーンの再婚相手  : チャーリー コックス
ステイーブンの父  :サイモン マクバーニー
ステイーブンの母  :アビゲイル クラッテンデン

2015年アカデミー主演男優賞は、この映画でステーブン ホーキングを演じたエデイ レッドメインが、受賞した。予想通りだったので、嬉しい。受賞のスピーチで彼は、これが進行性の難病、筋委縮性側索硬化症について人々が関心をもつ契機になってくれることを願っていると言っていた。同時に主演女優賞を受賞したジュリア ムーアも、若年性アルツハイマー病になった女性の映画「アリスのままで」で主役を演じて、同じように、これを機会にアルツハイマー病への理解が深まることを望んでいるとスピーチで言っていた。偶然だが、今年はアカデミー賞主演賞が、男女ともに治癒不能の疾病に陥る人を演じた役者の手に渡った。スーパーマンのクリストファー リーによる頚椎損傷、マイケル フォックスのパーキンソン病などの前例もある。確かに病気に全く関心のなかった人々が、映画を見てその疾病についての理解を深めることは、助け合い社会のなかで、とても良いことだと思う。

この映画の撮影は、ほとんどケンブリッジ大学で行われたという。大学の世界ランキングでは、その学問上の業績、講義内容、専門、社会的貢献度などで検討した結果、いつも世界第一位を取っているケンブリッジ大学が舞台で、興味深い。学生寮やキャンデイーバーやクラブなど、古臭くて落ち着いた名門校の雰囲気が、とてもイギリス的だ。アイザック ニュートンが使っていた実験室がそのまま残っていて学生たちにインスピレーションを与えているところなども、とても印象的。

エデイ レッドメインは線が細くて、愛苦しい顔をした、イギリス人の舞台役者だ。ミュージカル映画「ラ ミゼラブル」で、ジャン バルジャンの娘を恋する純粋な青年マリウスを演じた。「レ ミゼラブル」は、マッチョなヒュー ジャックマンとラッセル クロウが主役で、中年のパワーを爆発させていたが、それをレッドメインは、「撮影現場に行ったら、ウルヴァリンとグラデイエーターが発声練習をしていた日のことは忘れられないよ。」と言って笑わせてくれた。それはそれは、忘れられないほど怖かったことだろう。
レッドメインは、顔が可愛い。動作が可愛い。背丈はあるが線が細く華奢にできていて、いかにも繊細で、美しい手指をもっている。少女漫画に出てくる主人公のキャラがすべてそろっている。彼は、この映画でホーキングを演じるにあたって、ホーキングのインタビューや動画を見て彼の生活を研究するのに、半年かけて役作りの準備をしたという。直接本人にも面談して、ホーキングの全面協力を受けて、彼が現在使っている音声を、映画のために提供してもらっている。進行性の難しい疾病をもった人をよく表現している。この映画では、とにかくレッドメインの演技が傑出している。

 ストーリーは
ステイーブンはオックスフォード大学で学びながら、ボート部ではコックスを務め、サイエンスフィクションの同好会で友人たちと交流し、学生生活を満喫していた。学生たちの集まるパーテイーで、美術史と哲学を学ぶジェーンに出会い、互いに親密さを深めていた。ステイーブンは、宇宙物理学の世界で、相対性理論を宇宙物理学の理論を深めていき、ブラックホールの特異点定理を発表した。ケンブリッジ大学大学院に進み、のちにこの定理で博士号を賞与される。
ジョーンと出会ったころから、彼は頻繁にバランスを失って転ぶようになり、21歳のときに筋萎縮性側索硬化症と診断され、余命2年と宣告される。両親や友人たちは、彼からジェーンを遠ざけようとするが、ジェーンはステイーブンと一生を共にする覚悟でいて、二人は結婚する。ステイーブンの研究は世界的に名を知られるようになって、ジェーンとの間には、二人の子供も生まれ幸せな日々を送る一方、彼の病状は進行していった。
ステイーブンの車椅子を押し、彼の日常生活を介助しながら、二人の子供たちの子育てに追われていたジェーンは、その負担から逃れて休む余裕はなかった。疲れ切っているジェーンに、母親は、教会のコーラス団に入って気分転換することを勧める。そこでジェーンは、コーラスを指導する教会の牧師チャーリーに出会う。ジェーンは教会で歌うようになって日常のストレスから逃れ、自分を取り戻すことができるようになった。やがてチャーリーは、ジェーンの子供たちにピアノを教えに通ってくるようになり、家族の一員のように一緒にピクニックに行ったり、子供たちを海で遊ばせたりして、家族の父親役を買って出てくれるようになった。徐々にジェーンはチャーリーに惹かれていく。一方で、ステイーブンは、世話係の看護婦との絆が深まり、遂にステイーブンは、ジェーンを置いてアメリカに移る。というお話。 ホーキングの大学生時代から、ジェーンと結婚して3人の子供に恵まれたのち、離婚するまでの約25年間の軌跡を映画化した作品。

映画ではジェーンが夫に背徳をおかした様に描かれている。3番目の子供が生まれたお祝いのパーテイーで、ステイーブンの父親が怒って、「お前たち、いつまでこんな生活を続けていくのか?」と詰問するし、ステイーブンの母親など、もっと露骨にジェーンに向かって、「誰の子なのよ。一体この赤ちゃんは誰の子なの?」と、ジェーンを殺しかねない勢いだ。映画の脚本家アンソニー マッカーテインは、自分の脚本を映画にするために、実際のジェーンと交渉し、承諾させるのに3年かかったと言っているが、この内容ならそりゃジェーンは映画化に反対するわけだ。現存する人の伝記を映画にするのは、本人の尊厳に関わってくるから簡単ではない。
ホーキング自身は映画製作に協力的で、トロント映画祭で、この映画がオープニングで公開されたときには招待されていて、観客席でにニコニコ笑って映画を見ている姿が、オーストラリアでもニュースになって流れた。

ホーキングの宇宙論は、従来の時空理論を否定した全く新しい宇宙の考え方だった。この映画の原題は、「THE THEORY OF EVERYTHING」。直訳するとすべてを説明する定理、万物の法則を言う。宇宙の始まりのことだ。それが邦題になると、「博士と彼女のセオリー」というよく意味のとれない題になっている。博士とジェーンの二人の間にセオリーなどない。映画の内容のそぐわないので、そのまま原題を当てた方が良かった。
他にも「BOOK THIEF」(本泥棒)という名作映画を、邦題は「優しい本泥棒」、、、優しくて泥棒ができるか、どうかよくわからない。「ミケランジェロプロジェクト」も、原題は「MONUMENT MEN」。ナチスが奪った2万点の美術品を奪い返すために戦場に送られた男たちは、モニュメントマンと呼ばれていたのであって、奪われた美術品のなかに、ミケランジェロの作品もあったに過ぎない。ミケランジェロプロジェクトという造語は、映画の中でも一度も出てこない。「12YEARS SLAVE」という映画も、12年間奴隷にされた男の体験記で、「それでも夜は開ける」という邦題をつけてしまったら、映画を見る前からタイトルによってハッピーエンドが予想されて、見る人の想像力を削いでしまう。150年前にこれを書いた人に失礼だ。どうして奇妙な邦題をつけるのか、映画の題名は内容と切っても切れない関係にある。内容を損なうような邦題は避けてほしい。ここでは「博士と彼女のセオリー」が何なのかは、この映画を見る前も見た後も皆目わからない。

映画では、ホーキングとジェーンの25年間の結婚生活の甘さと苦さがよく描かれている。ホーキングの宇宙論からすると当然「万物を創造した神」は存在しない。その理論をよく理解していたジェーンが、教会に心の救いを求めたのは、夫の日常の世話が一手に妻にかかっている重すぎる責任とストレスゆえだったと思うし、敬虔なカトリックの家庭で生まれ育った彼女のバックグラウンドにあったと思う。

いま私は歩けなくなったオットの車椅子を、鬼のような顔で押している。映画を見ながらジェーンの姿に自分を投影して、とても共感を持った。ジェーンは余命2年と宣告された男と結婚して、25年間相手を世話した。全然笑顔など見せず負けん気一本、硬い表情、勝ち気な顔で必死で車椅子を押している。そうなのだ。笑顔など見せながら車椅子は押せない。障害者を世話している人は一様に厳しい表情をしている。相手の命がかかっているし。鼻歌を歌いながらできるような生半可なことではない。 私は歩けないオットを週3回、腎臓透析のために病院に連れていき、残りの日は仕事場に連れていき、日曜には映画館に連れても行く。安全な所に車を駐車して,車椅子を積み降ろして広げ、オットを座らせる。帰るときは、オットを立たせて車に押し込み、重い車椅子をたたんで、車に入れて発車させる。自分の体重の2倍あったオットの体重はいま、痩せて1.5倍くらいになったが、車椅子の重さも、オットの重さも半端ではない。車椅子を押しながら、この先どこを通ったら安全か、どこのトイレに連れて行くか、駐車時間は大丈夫か、先先のことを考えながら押している。たった5センチの段差が車椅子では乗り越えられない。親切そうに見える人が、行く先の邪魔になったり、健常者なのに障害者トイレを占領して困らせたり、車椅子を下している間に、駐車スペースを横取りされたりして、頭にきて叫びだしそうに何度もなる。自分の顔が鏡を見なくても目が吊り上がって、鬼のような顔になっているのがわかる。この映画を見ていて、ジェーンの表情の硬さに心から共感できた。フェリシテイ ジョーンズはジェーンの役をとてもよく演じている。きつい顔が真に迫っている。

それにしてもエデイ レッドメインの演技が秀逸だ。アカデミー主演男優賞受賞に納得。イギリス映画の良さが詰まったような良質の映画。見る価値はある。

2015年2月27日金曜日

漫画 「ばらかもん」1-10巻


 


こちらでは、漫画は単行本しか手に入らないので、雑誌に連載されたあと単行本になったものを、今まで何年か続けて読んできて、今もずっと愛読している作品が、今のところ8つある。どれも日本でも人気の作品だと思う。
1:「リアル」と「バカボンド」 井上雄彦
3:「聖おにいさん」 中村光
4:「宇宙兄弟」 小山宙哉
5:「3月のライオン」 羽海野チカ
6:「ちはやふる」 末次由紀
7:「きのう何食べた」 よしながふみ
8:「SUNNY」 松本大洋

もう完結して雑誌にも掲載されていないが今だに、処分せず書棚にしまってある漫画は、3つ。本は人類にとって共通財産だから、読めば他の人にあげて少しでも流通させるのが良いことだと思うけど、この3つは所有していて手放したくない。
1:「ファイブ」 松本大洋
2:「岳」 石塚真一
3:「モンスター」 浦沢直樹

ヨシノサツキ著の「ばらかもん」1-10巻を読んだ。
とても絵がきれいだ。九州の五島を舞台に、出てくる子供達がおおらかで素直なうえ純粋で心が洗われるようだ。一人の書道家の人間としての成長と、芸術家としての確立を、あたたかく見守る島の人達と子供達が、描かれていて内容がしっかりしたヒューマンストーリーになっている。とてもおもしろくて、久々のヒットだ。漫画だけでなく、日本では昨年の7月から9月までアニメになってテレビで放映されたようだ。一般に漫画は、作者の独特のユーモアと先鋭的な視点の先取りが、読者を惹きつけるが、人気が出きて、映画になったりドラマになったりすると、ストーリーが読者に迎合して凡庸になる。そんなふうで魅力半減した漫画が 過去にたくさんあった。
この漫画の作者は、実際、舞台になっている島の出身で、いまも居住しているらしいが、今後も、離島の文化をバックに、書道家と子供達の成長ぶりを描き進めて行ってほしい。

ストーリーは
23歳の書道家、半田清舟は自信をもって出展した作品を書院の館長に、頭ごなしに否定されて激怒して思わず館長をぶんなぐってしまう。そこで同じ書道家である父親の命令で、九州西端の五島に送られる。頭を冷やしてこい、という訳だ。子供の時から習字が得意で、沢山の賞をとり、書道家の名家の一人息子として育てられた清舟は、初めて東京の親許から離れて、一人暮らしをすることになる。タイトルのばらかもんとは、元気者という意味。
清舟は、島に到着してみたが、持たされてきたのは郷長さんの住所だけ。飛行機で空港に着いたがタクシーもバスもない。たまたま通りかかった耕運機を運転するおじいさんに拾ってもらって、ようやく村に到着する。お世話になる郷長さんに案内された古い家は、どうやら村の子供達の秘密基地だったらしい。押入れを開けると、そこには小さな女の子が隠れている。女の子の名は、琴石なる。

たったひとりで、自己に立ち向かい己の書というものを極めたい、などと考えていた清舟は、実際島に着いてみると、到着したその日から料理ができるわけでもない、自立からはほど遠い。善良で人の良い郷長さん家族に3食の食事を送り届けてもらい、毎日「あそぼー」と、やって来るなると、なるをとりまく子供達の世話で、徐々に生活ができるようになっていく。そんな世間知らずで不器用な清舟と、それをおおらかに受け入れる村の人々との不協和音が、次第に和音を作り出していく。
というお話。

この漫画の魅力は、天真爛漫を絵に描いたような7歳のなるにある。一方、気難しくて鬱屈した芸術家の半田清舟が、実はなるとは鏡のように同じ、邪鬼のない純粋な心を持っていることが次第に分かって来る。清舟はなるの言動に本気で怒り、なるを追い出したり、投げ飛ばしたり海に投げ込んだり、無茶苦茶をするが、なるも黙ってはいない。いつも本気で、根が素直なふたりは、反発しているようで、互いに魅かれ合っている。23歳の清舟は、なるに自分を先生と呼ばせているが、実際手取り足取り生活の仕方や、人とのかかわり方を教えられ、支えられているのは清舟の方だ。二人は互いに無くてはならない強い絆で結ばれている。

中学2年生の山村美和は言う。「こっちは先住民の結束ってもんがあるけん、簡単に都会の人を受け入れるのに抵抗があるし。しかしまあ、本人を知れば知るほど警戒するのがバカらしくなったけど。」 そんなふうにして清舟を慕って来て、清舟の家を自分の家のようにくつろいでいく子供達が、生き生きと描写されている。
中学2年の美和のスポーツ少女ぶり、親友の新井たまの漫画家おたくぶり、彼女の弟あっきーの大人びた人格者ぶり。しかし何といっても郷長さんの息子、高校3年生の浩志が魅力的だ。彼は就職するにしても進学するにしても、じきに生まれ育った島を出ていかなければならない。両親や、村の共同体から別れ、清舟のお世話係も終わりに近い。進路に悩む浩志に、清舟は、グローブをつけながら、「進路の悩みね。人生の先輩としてオレを選んだのは正解だぞ。あれグローブって、どっちの手につけんの?だいたいなんでキャッチボールしながら相談なんだよ。」 すると浩志は、「ただ座って真面目な話すると恥ずかしいだろ。」 と言って浩志が投げたボールを受けるどころか、顔面に当てて倒れる清舟。 「先生もしかしてキャッチボールしたことないの?」 すると清舟は、「バカヤローやったことなくても出来るわ、こんな小僧の遊び。」 大笑いだが、まっすぐ素直な二人の少年の姿にほろりとする。

腹を抱えて笑ったシーンは、村に一台の黒電話。
清舟が黒電話を見て、「うわっ黒、何だこれ、テレビでしか見たことがない。」 で、彼が文字盤を押しても何の反応もない。横に居る子供達に、「回さなくちゃ」と言われ、清舟は、「知ってるよう。固くて回りにくいんだよ。こうだろ、ほら回った。」 と回したのは良いがそのままなので、子供達に「指離してよかよ。」と。これに清舟は、「知ってるよ、そのくらい。」 しかし、ここを小学校6年生のあっきーに、「完全にまわしてみたものの次はどうしたら、、、。って表情してましたよ。」と言われ、ついでにまた「その前に受話器とらなきゃつながりませんよ。」と言われて、かあーと頭に血がのぼる清舟。

初めてなるが清舟に会った時の会話も笑える。清舟がことのほか美男子なので、なるがびっくりして、「兄ちゃん、ジュノンボーイか?」と聞く。あせって 「ジュノン ちがう ちがう。」と否定する清舟の表情に大笑い。ジュノンの意味がわからなくて、実はグーグルで検索した。「JUNNON」というボーイズファッション雑誌のことだったとわかって、大笑い。

舗装した道路しか歩いたことのない清舟は、岩場など危なっかしくて転んでばかりいる。海に入っても泳げない。料理しようとすると両手血だらけ、不器用で鮮魚をもらっても魚一匹下ろせない。虫が怖い、クワガタも触れない。山に入れば迷子になる。そんな清舟と村の子供達とにやりとりが、ただ可笑しいだけでなく、心が温まり、感動的なヒューマンストーリーになっている。読んでいる内に、潮の香がしてきて、波の音が聞こえて、目の前に青い空が広がって来る。そんな気持ちの良い作品。得難い作品だ。




2015年2月13日金曜日

ハッピー バレンタイン!!!

  
           

18年間、一度も忘れずにセントバレンタインデイには、真紅の薔薇の花束を贈ってくれたオットよ。18年間ありがとう。去年の今頃は、忙しい仕事の合間に、職場から、花束を贈ってくれた。

いまオットは、歩けなくなって。
大丈夫。
車椅子で職場に連れて行ってあげるから。
鏡の前で、いつまでも悄然としているオット
どしたの と問うと
ネクタイの締め方が思い出せない、と。

土曜の朝は、真夏で気温が40度の暑さ。
ベランダのタイルは熱を帯びて焼け付くよう
買い物から帰ってきたら そこに寝転んでいた。
どしたの と問うと
転んで起き上がれないと。
大丈夫
二人なら起き上がれる。

今年は結婚して初めて、薔薇の花束を送れないオット
大丈夫
二人して薔薇園にいる夢をみよう。

ハッピーバレンタイン!!!