2024年4月25日木曜日

米国軍事援助予算 議会を通過

戦争が行われていて、それに大国が一方を加勢して1時間に1人の子供の命が失われることが日常化している。
1480億ドルの軍事援助予算が数か月の論議の末、米国議会下院を通過した。
940憶ドルがウクライナへ。400憶ドルがイスラエルに。180憶ドルが台湾の軍事力強化のために送られる。940憶ドルの兵器がロシア人を殺し、400憶ドルの爆弾がパレスチナ人民を殺し、180憶ドルの兵器で中国人民を殺すのか。

細かい軍事予算の内容は国家の機密事項に関わるのでわからない。しかし軍事予算は国が認めたことで、その資金は米国市民が収める税金だ。武器を生産して売ることで利益を得るのは、米国の武器産業と、政権指導層だけ。ロッキードマーチン、レイセオンテクノロジーズ、ボーイング、ノースロップグラマン、ゼネラルダイナミックスの5大軍需産業が、米国の経済を支えている。そろってユダヤ資本でオースチン米国国防長官はレイセチン社の幹部、ウクライナのゼレンスキーも、米国大統領バイデンの息子も軍需産業の役員だ。彼らの支持なしには大統領になれない。政権と武器産業との密接な癒着は明白だ。

その資金のもとになる米国市民の生活はどうだ。日本並みの健康保険はなく病人が公的医療施設で治療を受けられないでいる。街にあふれるホームレス。地下鉄駅に路上に凍える人々の群れ。ドラッグフェンタニールで2023年は、100万人が命を落とした。週に1500人の割合だ。また4万3千人が2023年が銃による暴力で命を落とした。米国という国に正義はない。
わたしたちは、ショーヘイ オオタ二と、テイラースウィフトに夢中になっているうちに、気付かぬうちに地獄の入り口にたっているのではないか?

I am singing [ Black bird ] written by Paul McCartney and John Lennon.


2024年4月16日火曜日

ボンダイジャンクション無差別殺傷事件

オーストラリア シドニーのボンダイで、先日の土曜日、無差別殺傷事件が起こった。
テロやヘイトクライムではなく、精神分裂病者の犯行だった。土曜の午後買い物を楽しんでいた6人の人々が命を落とし、犯行者は、駆け付けた婦人警官に撃たれたが、30センチ刃渡りのナイフで刺された乳児を含む重体患者は、未だに病院で治療を受けている。亡くなった6人のうち5人は女性で、1人の海外留学生以外はみな職業を持った社会人だった。 
事件の起こったボンダイは、海にもシテイ中心にも近く、オーストラリアに来たことのある人はほとんど訪れたことのあるだろう、居心地の良い場所だ。ニュウーサウス大学にも近く、私たちも昔は近くに住んでいた。

事件から2日経った現場の路上には、駆け付けた人々が持ち寄った花束がうず高く山になっている。2000人余りの人々が現場を訪れた。オペラハウスも黒いリボンで飾られた。人々は何故、どうして、こんな悲惨なことが❓、という疑問と、悲しい気持ちを表現するために集まってきていた。思いがけないことが起こると、その衝撃と心の傷を共有するために人々は花束をもって集まってくる。首相や政治家や、モスリム団体、ユダヤ人団体、学校の子供たち、事件に無関係だった人々も、被害者たちと関係のあった人々も、自分の気持ちを他の人々と共有し、死者を尊重し、追悼するために、やってきて肩を抱き合う。その追悼の列は時間が経っても止まないでいる。

2014年シドニーで、モスリムの男がカフェに立てこもって、中でお茶を楽しんでいた客とカフェのマネージャーを殺害した事件があった。テロと全く縁のなかったオーストラリアで事件が起こって、誰もが驚いたその翌日、私は仕事でシテイの現場近くを通りかかったが、平日だったので、近くの高層ビルから背広を着た人々が、続々と花束をもって出て来て、現場に花を供える姿を目撃した。そこはマーチンプレイスと言い、日本でいう霞が関オフィス街で、上はオフィス、階下がお洒落なカフェやクラブが並んでいる場所だ。そのオープンプレイスを、無表情に押し黙ったオフィスワーカーたちが、やってきて次々と広場を花で埋め尽くした。誰に言われたのでもない。それぞれが哀悼の気持ちを花に託して、事件の現場にやってくる、その姿に心を動かされた。

そうなのだ。悲しい時、悲しさを顔にも体にも言葉にも表して、わかってもらうことは大事なことなのだ。心の傷を受けた時、それに気が付かなかったり、気が付かないふりをしたり、気が付いていても否定したりしてはいけない。病気の時、元気なふりをしたり、病気を否定してはいけない。ありのままを表すことを怖がってはいけない。
私も今、FBにこれを書いている。こんな残念な事件が起こって、ドラッグ中毒や精神医療にもかかわっている医療現場にいるものとして、衝撃を受けている。残念で仕方がない。そのことを書いて、読んでくれる人に話を聞いてもらうことで、それがヒーリングになっている

I am singing [ Hey Jude written by The Beatles.



2024年4月10日水曜日

「パレスチナ解放闘争史」

重信房子さんが「パレスチナ解放闘争史」を書かれて出版された。
私が大学1年の時、封鎖中の明治大学学生会館を訪れたのが、1968の夏。大学教授の父親と衝突して父を傷つけることも、傷つけられることも嫌になっていて、学館が居心地が良かったこともあって、そのまま家出した。3学年上の重信さんと遠山美枝子さんは、良いお姉さんだった。
1969に塩見孝也が赤軍論を引っ提げて関西から上京し、ブント、共産主義同盟の学生組織、社学同は真っ二つに割れた。仲の良かった人はみんな、そっちに行ってしまった。残った人達も、戦旗派、叛旗派、情況派、関西派と次々に割れた。

デモに行くか、ひとりで山に行くか、ばかりしていた。穂高、槍ヶ岳、白馬3山、立山、剣岳、八ヶ岳。谷川。山は良い。夢のようだ。地上はあまりに醜い。遠山美枝子さんが死んだと聞いた翌年、榛名山に彼岸花の鉢植えを買って、山小屋のあったあたりに植えてきた。土が硬くきっと花は根付かなかっただろう。
ともかく重信さんが出所して書き続けてこられた結果が、立派な本になって良かったと思う。

イスラエル国が国際法や、国連による停戦勧告や、南アフリカが提訴した国際法廷など、すべてを無視し、法に違反してパレスチナへのジェノサイトを続けている。3万3千人余りが殺害された。無防備の女子供を完全武装の国家警備隊と、銃を持ったイスラエル市民が加わって殺害している。
南部ハンユニスからイスラエル軍が撤退していることで、エジプトで行われている停戦協定に期待がもたれているようだが、米国がイスラエルへの武器供与が止められるまで、それはあり得ない。米国大統領広報官が停戦を言い、イスラエル政府を批判して見せているが、その背後で全面的に資金、武器援助をして武力攻撃を続けさせている。米国議会で承認された数ミリオンドルで作られた米国製ミサイルは自転車操業で作るそばからイスラエル兵の手に渡っている。供給が続くかぎりやめるわけにはいかないのだ。おまけに米国大統領は、10月の大統領選挙に勝つためには、豊富なユダヤ資金援助なしに大統領になることができない。米国はイスラエルを怒らせるわけにはいかない。
イスラエル人の人質開放はあり得ない。ハマスは人質を解放してはいけない。
無条件停戦、パレスチナ難民への衣食住、医療の回復、ガザのインフラの再建、ジャーナリスト、エイドワーカーの活動保証、イラン、シリア、レバノンへの攻撃中止、ガザ市民の帰還が先だ。ラファに押し込まれている150万人の避難民が、人の住める状態になった家に帰ることができるための具体的計画が提示されて、初めて人質解放が課題に挙げられる。230万人のパレスチナ人の命か、100人のイスラエル人質の命か。2者択一することを許してはいけない。
ヤドリギサボテン、、「パレスチナ 放闘争业 1916-2024」というテキストの画像のようです
すべて

2024年3月25日月曜日

愛すべき職場の仲間たち

ビートルズ発祥の土地、リバプール生まれの仲間と約束するときは注意が要る。「すんだい、あいと あいと、ゆんぐわん ニード ふんどれっど むねー」と言う。青い目、金髪の彼女の前にして、即答できない。スンダイは日曜サンデーのことで、アイトは8時、次のアイトは今月8日のこと。ユングは、若い人のことでフンドレッドは、100だ。通して「8日の日曜日、若い人は100ドル入場料もってくるんだよー。」ということになる。

ドラえもんの瞬間通訳機を使っても、すぐには理解できない。
NHKのアナウンサーの発音で日本語を習った外国人が、九州や大阪のお年寄りと話して、すんなり会話が運ばないのとおんなじだ。
私の働く医療施設エイジケアでは、スタッフが英国、アイルランド、ニュージーランド、チリ、シヲラレオーネ、ガーナ、フィージー、サモア、タイ、フィリピン、バングラデイシュから来ている人々で成り立っていて、マネージャーはネパール人、副マネージャーがオージーだ。いったん職場に入ったら母国語は使ってはならないことになっている。誰もがみんなみんなナマリのある英語を使っている。アフリカの人が怠惰で、アジアの人が几帳面ということは全くない。国籍に関係なく、できる奴はできるし、ダメなナースはダメなままだ。面白いことに、子供の時から英語で教育を受けてきたオージー、ニュージーランド、フィリピンの人ほど、書かせると悪字、文法の間違い、誤字脱字が多いことだ。
でもみんな仲が良い。18年間もこの職場にいる。74歳になった今も辞められない。

言葉が通じなくても、ナマリがひどくてよく理解できなくても、人は仲良くなれる。コツは自分が正しいと思わないことだ。
私が日本語で嫌いな言葉、おそらく東日本大震災くらいから流行ってきた言葉「寄り添う」という言葉だ。「被害者に寄りそう」「障害者の気持ちによりそう」と、高みに立っていわれる方はたまらない。嫌な男に一方的に寄り添われることは、文字通りの「暴力」だし、この上なく気持ちが悪い。他人に寄り添ってやれるほど自分が偉いと、思ってはいけない。

外国人と関わるコツは自分が正しい教育を受けて、正しい英語を使っている、と思い込まないことだ。変な英語を使う人と話すときは、相手も自分を変な英語を使っていると思っているはず。それを踏まえて、臆せずに会話すればどんな外国人とも仲良くなって一緒に仕事ができる。
いま恥ずべき世界一のレイシスト、シオニズムに毒されたユダヤ人が、自分以外の民族を憎み、人として尊重することができないでいる。「唯一正しいユダヤ教以外は宗教ではない」、自分たち「神によって選ばれた民族」以外は人ではない、と断じて平気で女子供を殺害している。5か月で3万人以上の無防備な人々を、完全武装の兵士たちが殺しまくっている。病院を封鎖し、傷病者に銃弾を浴びせ、医師など医療従事者を監獄にぶち込んでいる。

その姿は80年前に日本兵が、韓国や中国やアジアの国々を侵略し殺しまくった姿にそっくりだ。
言語や肌の色や、文化、宗教が異なる人々に残酷になれる人の弱さ。「我は天皇の子」だからと高みに立って他国を侵略した罪は、どんなに反省しても反省し足りない。
誰とでも仲良くなれる人は、自分と違う人を自分と同じように大事にできる人だ。そんな当たり前のことが、マルチカルチャーの国で、マルチカルチャーの仲間と一緒に働いて、すごくよくわかった。それが嬉しい。
写真は職場の大事な仲間たち。

The World Best Nursing Team !!!



2024年3月22日金曜日

再び映画「オッペンハイマー」

今年のアカデミー作品賞と監督賞も、ゴールデングローブ作品賞と監督賞も、「オッペンハイマー」が獲得した。
原子爆弾を世界で初めて開発した理論物理学者オッペンハイマーの半生を描いた作品だ。
彼は実験を成功させたが、ヒロシマ、ナガサキの被害の甚大さを見て、以降の水爆開発に関わることを拒否したので、国からは裏切り者、コミュニスト、ソ連のスパイだというレッテルを張られて「国賊」として半生を生きた。日本では原爆への拒否反応が強く、映画公開が1年近く遅れた。私がこの映画を見て紹介記事をFBに書いたのは、去年の8月9日だ。
この映画について、すでに2回、記事を書いたが、やっと今月の26日から日本で初公開される、というので、再び書く。

子供の時から「反核」平和運動に関わってきた。外国に居て日本のことを話して、、と言われると、いつも、日本は原爆でヒロシマ、ナガサキに被害を受けたにも関わらず、50基以上の原子力発電所を持った火山と地震の国だと説明してきた。それは今でも変わらない。被爆国であり、被害者への補償がまだ未終了であり、フクシマの地震と放射能被害から13年経っても、いまだに3万人の被害者が避難しているにも関わらず、原子力発電所を世界に輸出し、国内でも再開している政府など、信頼に値しない。

日本は敗戦間際だったのに、原爆を落とされて壊滅的な被害を受けた。人道的立場に立って米軍に謝罪させるべきだ、と言う人がいる。しかし日本はナチス同様、多国侵略の無謀を繰り返した。日本軍の攻撃性を、原爆投下によってやっと戦争を終らせることができた、というのが世界の定説になっている。異論もあるだろう。しかし、原爆投下の前、1945年7月26日、その前から何度も米国から進言されていたポツダム宣言を、天皇はもとより、鈴木貫太郎首相は「ポツダム宣言は黙殺する。戦争邁進せよ」と発表している。
この時点で、ニューギニヤでは第18軍10万人の日本兵氏のうちの9万人が戦闘ではなく「餓死」して亡くなっていた。この時点で沖縄では6月23日に戦闘は終結、牛島満司令官は捕虜になるのが怖くてサッサとハラキリ自殺していたが、住民は敗戦を知らされず、白旗を上げて投降すれば日本兵に後ろから撃ち殺され、洞窟に隠れていた住民は米軍の火炎放射器で焼き殺されていた。南洋の島々やフィリピンのジャングルで兵士は餓死するか、武器なしで万歳攻撃を強制されていた。
日本軍は中国人を、軍民合わせて1100万人、インドネシア、フリピンなどアジアで800万人の人々を殺した。敗戦間際と言うが、7月26日の時点でだれ一人降伏する、敗戦だと言っていない。ポツダム宣言黙殺、戦争邁進の命令は原爆が投下されたあと、8月15日大本営天皇が、玉音放送するまで続いたのだ。原爆投下は、繰り返し勧められた無条件降伏を拒否し、戦争を長引かせた天皇にある

いつまでも原爆被害者を主張するだけで、加害者であったことを都合よく忘れる日本の気風には我慢ができない。原爆で家族を殺された命への痛恨は、ナパーム弾で焼き殺されたベトナム解放軍兵士や、クラスター爆弾で殺されているガザの女子供たちや、白色リン弾で焼かれる子供たちや、酸素を止められて死んでいくガザの未熟児たちの痛みと、その死の重さは同じだ。
自分にとって原爆とは何だったのか。日本人としてそれを外国人にどう説明するのか。それを考えるきっかけになるのなら、この映画は見る価値があると思う。



2024年3月11日月曜日

映画「君たちはどう生きるか」

3月10日に開催された2024年、第96回アカデミー賞授賞式で、長編アニメーション映画賞を、宮崎駿の「少年と鷺」(君たちはどう生きるか)が受賞した。
沢山の人が見守る中でステージに上がってオスカー像を受け取る人が、居なかった。前代未聞のことで、受賞式のオルガナイザーにも知らされていなかったらしく,オスカ―ベテラン司会者ジェンミーキンメルは、「The Boy and The Heron」の「ボーイは来れなくってもヘロン:鷺だけでも、飛んできてくれればよかったのにね。」と会場を笑わせた。

宮崎駿の作品は世界で愛されている。ジブリの名はデイズニーくらい有名だ。またアカデミー賞は映画界にとって歴史も古く、受賞歴が映画関係者のキャリアに直結する重要な賞だ。沢山の人の厳しい選考を経て選ばれた作品は、世界中で繰り返し上映される。受賞した役者は、「オスカー俳優」と呼ばれ出演契約金が跳ね上がるだけでなく、後々まで名前が尊重される。
授賞式に来られないならメッセージを送り、ステージで司会者に読んでもらえばよいし、アカデミー賞自体に批判的ならば、なおさらそれを声明で発表すべきだ。この賞も昔は、「白人だけ、男だけ、ユダヤ人サポーター向け」と批判されたが、随分と改革されてきた。受賞したのに、「黙って背を向ける日本人、何を考えているかわからない日本人」という典型的な日本人評価を上塗りした。すぐれた作品なのに、とても残念だ。

「THE BOY AND THE HERON 」(少年と鷺)
宮崎駿が引退してジブリでの活動を終えて、会社も解散してもう誰も新作を期待しなくなって数年,、、彼が最後の作品で描ききれなかった「最後の最後の作品」は、実際のところ準備に2年半、実作業に5年、合計7年半の時間をかけて制作された。
最終作品と言われた「風立ちぬ」で表現しきれなかった戦争が再び、ここで描かれる。「風立ちぬ」ではWW2で日本軍で活躍したゼロ戦の設計をした技師が主人公で、実際飛行機の設計技師だった監督の父親がモデルになっている。この技師にとって戦争による「喪失」とは、戦争で命を落とした300万人の日本人でもなければ、火炎放射器でガマに避難した沖縄の子供達が焼き殺されることでもなければ、ニューギニアのジャングルで人肉を貪り食った兵士達でもない。結核で徐々にその命の灯を消していく妻の溢れるほどの美しさだ。失われる貴族社会のお嬢様、三島由紀夫的な耽美的世界、それを技師は戦争で失った。

新作は神戸大空襲で街に入院していた母親が亡くなるシーンで始まる。少年とその父親は母の入院先に駆け付けようとするが、空襲による猛火で、街に近付くことができない。母親の手を握ることも、最後を見守ることもできずに少年は一番大切な人を失う。この世から忽然と消えてしまった母親の死を、少年は受け入れることができない。
戦争が終わり父親は再婚し、新しいお母さんとなる人を受け入れることはできるが、そうして始まった実生活と、影も残さず消えてしまった母親への喪失感は両立しない。
少年は1羽の鷺を道案内に、古い屋敷の朽ち果てた古城で、母親と邂逅する。母親は自分が思っていたような結核で弱弱しい姿ではなく、彼女が子供だった頃の元気で活発な女の子だ。そんな少女に少年は命を救われ、「サヨナラ」を言われて初めて、少年の母親がもう亡くなって、この世に居ないのだということを悟る。
この物語は、ギリシャ神話のオイデップス王の物語であり、少年も、あなたも、誰も、みんなが通過しなければならない「親殺し」物語だ。親との決別をして、関係を切って初めて独り立ちしていく成長物語だ。誰もが人は親に見切りをつけ、あきらめたり、憎んだり、尊敬したり、軽蔑したりしながら成長していく。そんな少年の沁みて痛む魂と、その歩みが美しいアニメーションで描かれている。
とても印象深い作品だ。
世界のゴールデングローブ賞、アカデミー賞に値する。


2024年3月5日火曜日

被害者を装う加害者シオニスト

この2月29日ガザで、救援トラックが運んできた食糧を待っていた人々が、イスラエル軍の発砲によって112人もが撃ち殺され、数百人が負傷した。
調査によってイスラエル兵の自動小銃と、戦車両方から人々が殺されたことが分かった。
イスラエル政府によると、イスラエル軍は銃撃したことは事実だが、「食料に群がる飢えた人々が互いに殺到したため踏みつけられ、そのためにたくさんの人が死亡した。」また、「兵士たちはトラックに群がった人々に対して、兵士たちが脅威を感じたから銃撃した、と説明した。さらに、イスラエル国防相は、飢えて、「危険な群衆を殺したイスラエル兵士達の英雄的行為は賞賛されるべきである。」また「このような危険な事態を繰り返さないためにガザへの食糧援助という危険行為を一切中止すべきだ。」と述べた。

そうだろうか?
私たちは、22万人ものパレスチナ人が囲われて避難していたガザで、10月7日から5か月余りの間、水道も電気もガスも燃料も止められ、パレスチナの人々を故意に飢餓に追い立てているのはイスラエル政府である事実を見てきた。やむなく人々が生活必需品を密輸入するために掘った地下トンネルを、イスラエル軍が次々と爆破し、コンクリートを流し込んで破壊する様子をニュースで見てきた。国連からの援助物資を積んだトラックが、イスラエル軍によってガザの手前で止められ、なすべくもなく延々と道路をふさいでいる映像を見てきた。
飢えた人々が援助物質を積んだトラックを取り囲んで何が悪いか。完全武装した兵士が自動小銃を構え、周囲は戦車で囲まれたキャンプで、5か月も水,電気ガス、燃料を絶たれた避難民が、どのようにしてイスラエル兵に脅威を与えられるのか。
イスラエルと米国などの西側メデイアは、作り話が好きだ。

君は覚えているか
1960年6月15日、東大生22歳、樺美智子さんが安保反対のデモの中、国会前で警官隊との衝突で亡くなった日のことを。マスメデイアは彼女の死を、デモ隊によって踏み殺された圧死だったと発表した。このときの悔しさを覚えているか。
君は覚えているか。
1967年10月8日、京大生18歳、山崎博昭さんが、佐藤栄作首相が戦火にある南ベトナムを訪問する事態を阻止しようと、羽田空港に向かう途中、機動隊の警備車に踏み殺されたときのことを。
2人とも死因は脳挫傷。樺美智子さんはデモ隊の踏み殺されたのではなかったし、山崎博昭さんは仲間の車に踏み殺されたのではない。

権力はいつも一体となってマスメデイアを使って創作する。
昨年10月7日にガザ市民の代表組織ハマスが、イスラエルを攻撃したから、22万人のガザ市民が酷い目にあって当然か? だから無防備のガザの市民が、2万人以上、命を奪われて当然か。
否、75年前に暴力的に故郷を奪われ、国際法を無視して16年間封鎖された地域に囲い込まれ、産業基盤を破壊され、農地を追われ,自治区と名ばかりで日々入植者に迫害されてきたパレスチナの民が、自由を求めて起こるべくして起こった10月7日を、記憶にとどめておく必要がある。
いま世界の指導者たちが、「6週間の停戦」を呼びかけて空っぽの頭を突き合わせて悩んでいる。
しかしパレスチナの人々の人権と、その生活が、イスラエルの人々と同等になる日まで、アパルトヘイトが無くなり、2つの民族が同じ人間として1つの国を持つ日が来るまで、平和はない。

On February 29,at least 112 Gazans were killed and hundreds more injured after Israeli forces opened fire on people who were waiting UN aids trucks. Israeli and western media reported [ The crowed was fired by Israeli defense force and by Israeli tanks. But actually the Palestinians stampeded and trampling each other which cause them harm.] Also Israeli soldiers felt threatened by the Palestinian crowd that's is why they began firing on people.
Then, Israeli Minister of National Security Itamar Ben Gvin took opportunity " to praise the Israeli Defense Force for heroically fighting off the dangers Palestinians." Also said " the incident proves it's too dangerous to allow aid trucks into Gaza. It's should be stopped all humanitarian aids into Gaza."
People who lived in Gaza 220000 people has been suffered with no water, no food, no electricity, no gas and their lives are threatened by bombs, and guns every day, every time, in every where, in Gaza for 5 months. More than 30000 have been killed and the number of death is rising every day.
The genocide and demolition of Gaza are alerting people to face the real fact in the world.
the truce is Israeli and US allied are killing innocent Palestinian refugee in Gaza with strong racism :Zionism and media is a lie with extremely egregious journalistic malpractice.
The world leaders are talking about 6 WEEKS CEASE FIRE right now. But, in reality, there can not be peace until Israel ceases to be an abusive apartheid ethnostate, to the Palestinians until all wrong of the past are made right.
I do not forget AARON!


2024年2月28日水曜日

パレスチナに自由をと抗議の焼身自殺

昨日2月27日、ワシントンのイスラエル大使館の前で、アーロンブッシュネル空軍兵現役、25歳は、「もはやジェノサイトの共犯ではいられない、パレスチナに自由を」と叫んで自らに火を放ち抗議自殺した。亡くなる前、彼はこう言った。
「私は過激な抗議行動をしている。しかしパレスチナで入植者がやっている過激さに比べれば比較にならない。私たちの支配者にとっては、こういった過激で残酷な行為は当たり前のことなのだ。」「パレスチナに自由を」
彼は、大使館前で立ったままガソリンをかぶり、火をつけて、最後まで繰り返し「フリーパレスチナ」と叫んで亡くなった。

At the Israeli embassy in Washington, an active duty member of the US Air Force, Aaron Bushnell set himself on fire had died. He said he did it in protest of the genocide in Gaza.
He told that, " I am active duty member of the US Air Force and I will no longer be complicit in genocide. I am about to engage in an extreme act of protest, but compared to what people have been experiencing in Palestine at the hands of their colonizers, it is not extreme at all. This is what our ruling class has decided will be normal."




2024年2月15日木曜日

29年目のオーストラリアホーム

オーストラリアデイ(建国記念日、アボリジニ国侵略日ともいう)が来ると感傷的になる。28年前のその日、マニラからシドニー空港に、2人の娘を連れて降り立った。空が真っ青だった。

親戚も親しい友達も何のつてもない国に、シングルマザーが子連れで来るなんて、何というクレイジーと言われたが、全然心配などしていなかった。生活できなくなったら道端でバイオリンを1日弾いていたら、その日に食べるくらい稼げるだろうと思っていたし。

娘たちはインターナショナルスクールで育っていたから、オーストラリアの学級を1級飛び級して大学に入り、それぞれ専門の学問に突き進み専門職に就いてくれて、親として何の杞憂もなくこれまでやってきたが、やはりこれは娘たちの努力の結果だったと思う。ありがたいことだ。
自分は医療通訳をしながら、看護職について公立病院の心臓外科に勤めた後、今のエイジケアに移って18年になる。
大昔の話だが、日本で看護師の資格を取って都立駒込病院に勤めたのは、1977年。給料は1か月9万5千円だった。少したって10万円になったときは嬉しかった。その前、大学の文芸課マスコミを卒業し、業界新聞社で働いていた時の給料は8万円だった。

今オーストラリアの最低賃金は、時間給$23.23(2100円)で、月32万4千円が最低保証される。最低32万円というと高収入みたいに聞こえるかもしれないが、ここから25%税金と、9%健康保険代を差し引かれてみると全然生活は楽ではない。
オーストラリアは移民でできた国で、移民は毎年その数を更新しているが、それに伴う住宅の数が追い付いていない。そのため借家とアパート賃貸が、取り合いの競争になっていて、2ベッドルームのアパートを誰かとシェアしても月に$2800くらいかかる。来豪して働くビザを得ても、家賃、健康保険、電気ガス水道電話代を払ったら、さてどれだけ残るか。

日本では平均サラリーマンの収入が月35万円、手取り27万円だそうで、税金が23%なところは、最低賃金のオーストラリアで25%とあまり変わらない。給料から健康保険、年金保険、住民税などが引かれるそうだが、経済と数字に100%音痴の私が、収入と税金を日豪単純比較してみるとあまり差はないように思われる。生活は楽ではない所が共通している。
しかし、オーストラリアで暮らして良いところは、人は皆イコール、平等意識が高く、差別(人種、性別、LGBTIQ 出身地、宗教、言語、年齢)などで人を差別してはいけないという法律とそれに伴う倫理感が徹底しているところだ。ワーキングホリデイや旅行でこの国に来て過ごした女性が、日本に帰りたがらないのは、若い女ばかりチヤホヤして若くない女をゴミのように扱う浅薄な日本の男尊女卑文化に嫌気を感じてのことだろう。

日本は、つくずく差別社会だと思う。戦争に敗れてやっと米国の助言で女性に参政権が与えられ民主社会になったはずだが、民主主義の根幹の議会が機能していない。議員は事前にわかっている質問に対して官僚の作った作文を読むだけ、最低限の多数決評議さえも必要とせず、長期政権与党は、自分たちの決議案だけを法にしてきた。そんな与党では世襲議員が多く、国民の税金でパーテイーをやって裏金を作り、私腹を肥やしている。アフリカや東南アジアの国の独裁政権や不正選挙を批判する資格など日本にはない。
国会議員は政治資金造りのためにパーテイーなどしてはならないし、議員としての特権をすべてはく奪すべきだし、世襲を禁止すべきだし、政治家の財産を公表すべきだし、富裕層と議員には年金など支給すべきではない。
議会が機能していないことに加えて、マスメデイアが機能していない。まず記者クラブを廃止し、いつでもどこでも報道陣が直接国会議員や閣僚にインタビューできるようにすべきだ。

議員を含め政治家というものが私財をため込むこともできず、特権も与えられず、いつカメラ実況中でマスコミに追及されるかわからない状態で仕事をしていて、全く楽な稼業じゃない、という民主国家では当たり前のことを、オーストラリアに来て知った。カルチェの時計一つで郵政局の座を追われたCEOや、高級ワイン1本でNSW州の知事を奪われた人を見てきた。

勿論オーストラリアには日本に比べて悪いところも沢山ある。差別禁止法があっても、差別する人は居る。富裕層に年金を渡さなくても、上手に脱税して富を蓄える人も後を絶たない。
しかし日本の長期保守政権の腐敗ぶりは世界の恥じだ。「上に立つものは特権を持ってはいけない。長期にわたって権力をもってはいけない。指導者を常に変えていかなければ。」と言ったのはボルシェビキ革命を指導したレーニン。
格差社会を少しでも民主社会にしていくために、腐敗した長期保守政権を倒さなければ、と思うのは私だけではないだろう。

I STILL CALL AUSTRALIA HOME を歌ってみた。空飛ぶカンガルーといわれるカンタス航空のコマーシャルソング。意訳してみると:

24時間眠ることのない街に行く  ニューヨークからリオ、そしてロンドンの古い街へ  どんなに遠くても  どんなに大きな街に行っても  やっぱり  オーストラリアがわたしのホーム      いつも旅行している   自由を感じることができるから   太陽にも海にも別れを告げて行く  でもやっぱり   オーストラリアが私のホーム    息子たち 娘たち  世界中を駆け回り  親や友達と遠く離れ   だけど寂しくなったら   旅を終えよう    いつかまた   懐かしい人と会って   船が港に帰るように   やっぱり  オーストラリアが私のホーム



2024年2月13日火曜日

米国民主党政権は嘘ばかり

米国民主党政権は、いまガザで子供たちが1時間に1人ずつ殺されていることは、「悲しみに耐えない。イスラエルは1国2政府の基本に戻ってイスラエル軍を撤退させ、ハマスは人質を釈放し停戦を実現し平和をとりもどそう。」と言っている。
彼らが本当にそう思っているのならば、事は簡単だ。今すぐ米国からのイスラエル政府への武器、軍需品の移送を止めて財政援助をやめれば良いことだ。

それほど簡単なことを止めず、あたかも「ネタ二ヤフが強行だから、」とか「イエメンのフチ軍団が船舶航行を封鎖してるから、」とか、「シリア、ヨルダン国境の米軍基地が攻撃され3人米兵が犠牲になったから、」とか理由を付けて米国がイスラエル軍にガザの避難民大量虐殺をやらせている。
ブリンケン国務長官が6度目のイスラエル訪問をして、ネタニヤフと「平和」のための話し合いをした。いかにも停戦への模索をしているポーズをとっていながら、米国は宣戦を拡大し、シリア、レバノン、イランに次々とドローン攻撃を繰り広げている。

ネタニヤフは米国のパペットだし、米国は今やりたいことは、ジャンジャン武器をイスラエルユダヤ資本に売りつけて、政敵イランの力を削ぐことだ。数字を比べてみるがよい。
米軍3人の死に対して、ガザのパレスチナ人27000人の死。
ハマスが取った130人人質に対して、7000人のイスラエルの刑務所に人質に取られているパレスチナ人、その大半が子供で、石を投げたなどの軽犯罪で裁判もなく、ただ監収されてる。人命の重さにこれほどの違いを作った、イスラエルのユダヤシオニストと、それの抵抗したパレスチナの人々の差は広がる一方だ。
米兵3人の死に伴い、米軍と英国軍は戦線を拡大し、レバノンとシリアとイエメンとイラクを武力攻撃した。これ以上戦線を拡大してはならない。
マスメデイアは、口先だけネタニヤフを批判してみせて人道主義を見せかけ、武器も資金もバックアップしている米国政権と、その同盟国の偽善を明確に報道すべきだ。イスラエルへの武器援助と資金援助をやめろ。

US. Liberals continue to tell " It's sad and disaster, too many children have been killed in Gaza. Because Netanyahu is crazy, he never listen US advice. Wishing 1 country 2 State solution makes PEACE".
Is it true???
I do not think so.
Israel with genocidal intent is fully backed of the USA. Jewish Zionists dropping bombs on a population trapped in a giant concentration camp can be possible only with US tax dollars and US made bombs and arms.
Peace" without taking action for immediate ceasefire and negotiated agreement is just saying you want Israel to keep doing what its doing until it decides its done enough.
The war was expanded after 3 US soldiers death. Israel has been attacking Syria, and Lebanon constantly. And US and UK commenced bombing to Yemen, Syria and Iraqi.
Compare the number: 3 US soldier's death VS 27000 Palestine people death. Compare the number 130 Hamas hostages VS 7000 Palestine youngsters in prison in Israel, many of them are just threw a stone to Israel army.
Stop talking lip service such a" Peace,', Going back to the status of Oct 6. It would just be returning to the abusive condition which gave rise to Oct 6. So stop only lip service for Peace.
The Biden administration should withdraw Israel government financial and munition support which are the only measures that could bring Israel to its senses.
I am singing [ Wakamonotachi] Written by Sato Masaru, Lyrics by Fujita Toshio.





2024年2月5日月曜日

大統領全員絞首刑

ノームチョムスキーは、「もしニューレンベルグ戦犯裁判法が一貫して公正に適用され続けていたならば、戦後のアメリカ大統領は全員が絞首刑にされていたはずだ。」と言った。

ベトナム戦争1965-1973、米国は南ベトナムに傀儡政権を作り、ベトナムを侵略した。介入の理由は北ベトナムの民族解放戦線を放っておくとアジア全体が共産主義に染まってしまう、という根も葉もない理由だった。米国は1200憶ドルかけて、ベトナム人300万人を殺し、ラオス、カンボジア人数十万人を殺した。そのベトナム戦争を始めたのはケネデイ大統領だったことはあまり語られない。ベトナム戦争が始まる前に、多数のCIAを現地に送り出し情報収集して開戦に備えたのは、「日本人リベラル」の方々が大好きなケネデイだ。暗殺されていなければベトナム戦で米軍が敗退するまで指揮を執っていたかもしれない。

米国は2003にサダムフセインが大量兵器を保有していると言って、イラクを侵攻し150万人、実にイラクの人口の5%のイラク人を殺しまくった。のちにワシントンの調査報道官チャールズルイスも、BBC特派員だったラゲオマールも、「もしジャーナリストがちゃんとした仕事をしていればイラク戦争はなかったし、100万人の子供たちは今も生きていたはずだ。」と言う。 サダムフセインは首を吊られ、未だに米軍基地を持つイラクには、サダムのような英雄的民族主義の指導者は、もう生まれない。

オバマ大統領は2011、カダフィ大佐を追放するためにリビアを攻撃、偉大な建国者カダフイを惨殺し、数十万人の民を難民化し、最良最高水準のオイルを奪い、アフリカで一番生活水準の高かったリビアを最貧国に突き落とした。いまだにベンガジに米軍基地を置き、オイルの利権を国民から奪っている。

またオバマは、シリアのアサド独裁政権を倒す、という理由で介入し、民主的に選ばれたアサド大統領の国の、3分の1の土地を奪い米軍基地を置いて、現在も国の主要油田の利権を独占している。
アフガニスタンも同様だ。オバマ大統領は、米国史上最大規模の爆弾をアフガニスタン、リビア、イエメン、ソマリア、イラクに投下し世界で最も貧しい人々を殺害した。ドローン無人機を使って米国から遠く離れたパキスタンやアフリカ、中東の国々に住む「テロリスト」を沢山、自分の手を汚さずに処分した最初の大統領だ

いまバイデン米穀大統領は、ウクライナに湯水のように武器を送り、イスラエルの後支えになって、米軍製武器を世界中に売りまくって利益を上げていて、戦争を続けさせるために時間を引き延ばしながら2国援助している。
米国民主党バニーサンダースはこの1月30日、ABCニュースキャスターの質問の答えて、「イスラエルはテロリストから自国を守る権利がある。2万2千人のガザ住民を殺したイスラエルは、今後変わらなければならないが、米国はイスラエルをひき続き全面サポートしなければならない。」と言った。おまえもか。米国に逆らうものはみんなテロリストか? テロリストは殺されて当たり前か?

ハマスの戦いは、入植者、侵略者に抵抗する、侵略されている者たちの自由を求める抵抗だ。75年間土地を奪われ、16年間避難民として閉じ込められ、封鎖されてきた230万人の人々の解放を求める声だ。イスラエルは、1国2政府という国連の決議の立ち返れ。

日本は米国の同盟国で、日本の民主主義は、戦後米国の進駐軍によって持ち込まれた。それまで日本の女性には参政権さえなかった。しかし日本の民主主義が、このように世界中に戦争をばらまいて、その血で汚れた手によってもたらされた、と言う事実を忘れてはならない。民主主義とは強いものが武器を売って利益を得ることでもなければ、石油を奪うために他国を侵略することでもない。民主主義とは日本人にとって何なのか、正義とは、、いまほど問われる時はない。

島唄を歌ってみた。


2024年2月3日土曜日

父の思い出 その3

普段、とうの昔に亡くなった父のことを思い出すことなど全くないのに、FBで親しくしていただいている方がその父上のことを語っているのを読むと、突然降ってきたかのように、自分の父親のことが思い出される。

深く考えてみるまでもなく、とても変な家で育った。
こたつで眠くなって、寄りかかって寝たらしい。目が覚めてみると寄りかかって膝枕になっていたのは見たことのない学生さんだった。夜中の2時ですよ。日曜になると、当たり前のように家に来る学生たちが居たし、遊んでもらう相手も普通に家にごろごろしていた学生や元学生だった。

お嬢さん育ちの母はそういった学生を普通に自分の家来のように電気器具の修理をさせたり、力仕事や庭仕事をさせていた。母は爺やと婆やが世話してくれるような家で育ち、2人の兄からはお姫様扱いされてきた東京の人だったから、家事も育児も大嫌い、淡路島で育った田舎者の父との結婚が嫌で嫌で仕方なかったそうな。
父は「東京湾の泥臭い魚など臭くて食えない。」と言い、瀬戸内海で取れた魚の美味を盛んに言っていたが、釣りが好きなので内房の上総湊に釣り小屋まで建てていた。自分と強制的に連れて行ったゼミの学生たちが釣った魚は泥臭くないらしく、魚屋並みに自分で3枚に捌いたり、皮を剥いだりしていた。上手に魚をさばき、美味しいみそ汁を作る学生には「よし!おまえは今期、Aをやる。」とか言って、、。好きでもない釣りに付き合わされ料理、洗濯、掃除に買い物、私の育児まで任された上、成績まで気を使わなければならない学生達は今思えば、気の毒だった。
母は海に来ないから、父と早稲田政経学部の学生達と過ごした夏は楽しいことばかり。山猿なみに飛びまわって、足の着かない深い海に浮かんで溺れかかったり、座れば足の届かない大人用自転車で、器用にこいでビュンビュン猛スピードで走り回って鉄条網に激突したりした。その時の太ももの傷跡はまだ残っている。

父は小説家になるのが夢だった。学生時代からずっと小説を書いていて大学最後の年に雑誌「新潮」の懸賞小説を投稿した。これで受賞したら一生小説家として生きていく覚悟でいて、作品は最後の受賞候補まで残った。しかし最終審査で受賞したのは、新田次郎だった。夢破れ、叔父の大内兵衛に頭を下げて就職を斡旋してもらい早稲田実業高校で英語を教えることになった。
父の夢をすっかり壊してくれた新田次郎の小説を、父は意地でも読まなかったが、私は大好きな作家のひとりだ。自分の若かった時代はデモに行くか、山を歩くかの2つだけだった。穂高、槍ヶ岳,、剣岳、立山、常念岳、白山三山、、、山のことを何でも知っている新田次郎を心から尊敬した。

私には7つ歳上の姉がいる。父の弟の娘だ。東大出の優秀な弟だったが結核で亡くなり、その娘を父が引き取った。実は父はその母親のことがとても好きだった。谷崎潤一郎の弟の血筋の人で、とても美しい人だった。独身だった父は、告白するのを準備中だったが、その間に父の弟がサッサとプロポーズして結婚してしまった。それを昨日のことのように、「先に取られてしまった。本当に綺麗な人だったのに、取られてしまった。取られてしまったんだよ。」とものすごく情けない顔で悔しそうに言う。私としては慰めようもない。
この姉が美しいことは、家に来る学生や元学生の表情でわかった。姉を見ると文字通りパッと顔が明るくなり、声が高くなるのだ。その横で私は相変わらず山猿かヒトか、、と疑われながら飛び回っていた。
年が経ち、その姉も今年80になる。いまだに美しい。その姉が出かけて帰りが遅いと、82になる夫が「浮気して来たんだろう。」と言って責めるそうだ。美人に生まれてくるのも難儀なものだ。



2024年1月18日木曜日

尊厳死法:VOLUNTARY ASSISTED DYING ACT

尊厳死
発案から20年近くの論議の末、オーストラリアニューサウスウェルス州(州都シドニー)では、1年半の施行までの期間を経て「自殺ほう助法案」が合法化された。
これでオーストラリア6州全州でこの法が合法となったことになる。2017年にはビクトリア州(州都メルボルン)、2019年に西オーストラリア(州都パース)2021年には、南オーストラリア(州都アデレード)、クイーンズランド州(州都ブリズベン)、同年タスマニアでも同法が施行されている。
この法は「VOLUNTARY ASSISTED DYING ACT」と言い尊厳死を意味する。クリスチャンやモスリムは、自殺を罪と考えるので法に反対の人も多いだろう。ローマカトリック教会フランシスコ教皇は、「自殺ほう助は医療倫理から逸脱していて容認できない。」と言い、アラブの国々では討論することさえタブーだ。
しかしすでにオランダ、イタリア、オーストリア、スペイン、ルクセンブルグ、フランス、コロンビアなどでも法として機能している。

オーストラリアでは尊厳死の条件は厳しい。
1)18歳以上で市民権か永住権を持っていて1年以上その州に住んでいること。(タスマニアでは3年以上)
2)余命6か月と診断され延命が耐えがたい苦痛であること。
3)2人以上の医師の合意
4)医療側からは提案しない。あくまで本人の意志を尊重する。
5)自己投与か、医師又は看護師の手を借りるかは本人の選択。
6)アルツハイマー病と診断された患者には適用されない。
法が施行され尊厳死された方々の集計をみると、47%が女性、平均年齢71歳、77%が癌患者、87%が自宅での死を選んだ。

私は尊厳死法に賛成。人は生きる権利と、死ぬ権利があると考える。私が看護師の資格を取ったのが1976年。半世紀近く資格をもち、日本に居た時はジャーナリズムの世界で編集記者、フィリピンではバイオリン教師をしていたが、オーストラリアに来てからは20年あまり看護師をしている。74歳のいまも医療現場で働いていて、見送った患者の数は数えきれない。
人はどんなに恵まれた贅沢な暮らしをしていても、病気になって痛みを自分でコントロールできなくなったら、専門職のケアを受けて残りの人生を歩むことになる。自分が勤める施設にも沢山の末期癌、MSなどの神経変性疾患、難病、COPD(閉塞性気管疾患)患者がいて、患者と医師と看護師とが一団となって痛みを止めるための長い闘いに挑戦する毎日だ。定期的にモルヒネを打つ以外は、患者はなるべく普通の人と同じ生活をして、朝にはシャワーを介助され、朝食、モーニングテイー、昼食、アフタヌーンテイー、夕食をとり、その合間に体操、ゲーム、映画会、絵画教室、バス旅行などのアクテイビテイに参加してもらう。

法の施行後、入院患者は治療効果のない終末時に自分はどうしたいか、自分の意志を明記するようになった。最後の最後まで病院で近代医療技術を駆使して延命したいか、最大限の鎮痛剤で寿命が自然に尽きるまで痛みと戦うか、あるいは、愛する人たちに囲まれて安らかに旅立つ、尊厳死をするか、と言ったチョイスを明記する。100人100様の生き方があり、死に方がある。患者がどんなチョイスをしようが、最後の最後まで希望をもって生きるように看護する。見送る時は完全に息が止まるまで手を握って語り掛ける。それが務めだ。
生きる権利と死ぬ権利、、、悩み続け、考え続ける事を止められない。
それは誰にでも訪れることだ。



2024年1月15日月曜日

SEMITIZM + ZIONISM

セミチズムとシオニズム(SEMITIZM&ZIONISM)
例えば欧米では子供に人道主義を教えるとき「アンチセミチズムは許されません。ユダヤ人を差別したり差別言葉で侮辱することを社会は許しません。」と厳しく教育する。そういった基礎教育を受けてきた子供たちは、ユダヤ人が紀元前のローマ時代以前から差別され、見下され、ゲットーに囲い込まれ、まともな職業につけず何十世紀もの間、民族差別を受けてきた末に、ナチズムによって民族浄化ジェノサイトの災難を受けてきた存在であることを、繰り返し教えられてきている。
私の娘たちもインターナショナルスクールで小学校から厳しくアンチセミチズムの教育を身に着けてきた。
セミチズムとはセム語を話す人、ユダヤ人、ユダヤ教に対する差別、敵意、憎悪、迫害、偏見によってユダヤ人を排阻することを言う。
発音が似ているが、混同してはならないのはセミチズムとシオニズム。シオニズムはかつてユダヤ教エホバがいたエルサレムの丘に、自分たちの民族国家を作ろうという思想、ユダヤ人ナショナリズムのことで、19世紀の終わりから1948年までの、イスラエル国家独立国建設の動きをいう。このユダヤ人ナショナリズムの動きを支えるのは唯一絶対の創造神エホバだ。他の神々は間違っているのであって、唯一正しいユダヤの民は選ばれた者としてユダヤ人だけの国家を建設する。

この思想は、パレスチナとの2国家共存という国連決議での約束は無視し、パレスチナ占領、避難民を封鎖する暴挙をもたらせた。現在も1948年の建国だけで終わらず、シオニズムは領地の拡大、多民族ジェノサイトといった前代未聞の強力なレイシズムの動きを見せている。わたしはシオニズムを憎む。どんな思想も、25000人のパレスチナ人を殺す理由にはならない。無抵抗の避難民、女性子供の命を奪う理由にならない。
ユダヤ人の命が、パレスチナ人の命の20倍も価値があると信じるような民族主義は絶対に間違っている。そのような思想を良識ある人は恥じるべきだ。

イスラエルのネタ二ヤフはいくつもの汚職と腐敗した金権政治で起訴されていた。軍の力を強化し司法の持つ力を制限する法案を議会で発議して数万人の反対デモで政権が揺らいでいた。選挙で再選されることはあり得ないと予想されていた。選挙前の人気取りのためには、どうしてもユダヤ人は一致団結して民族的ナショナリズムを高揚させる必要があった。これがハマスによる10.7攻撃だった。みごとにユダヤ人は懐柔された。
いま国連のアントニオグテレス事務総長が イスラエルを批判して即時停戦を訴えようが、南アフリカが国際法廷にイスラエル軍によるジェノサイトを告発しようが、ユダヤ人のナショナリズム高揚を鎮静化することができない。

米国のバイデンは、イスラエルの最強支持者となり武器支援に奔走し、国連ではほとんどの国が望んだ停戦決議に反対している。そのために国連は、停戦への動きが取れない。バイデンも今年10月の選挙に勝つために、強いアメリカを見せつけなければならない。よぼよぼ歩いて小声でぼそぼそ語り、副大統領に何一つ重要な仕事をさせず、再選は不可能と言われながら、選挙に勝つために自分の居場所にしがみついている。
民主主義を形作るための「選挙」のために、世界でネタニヤフとバイデンという、2人の男が無慈悲で凄惨な戦争を続けている。自分たちの強欲のために、2人のエゴのために世界中が泣いている。こんな民主主義で良いのか?

I am singing [Tear in Heaven] by Eric Clapton. Eric made this song after he lost his 4 years old son.
エリッククラプトンの歌を歌ってみた。彼が4歳の息子を亡くした時に作った曲。意訳は以下
  もし僕が君に天国で会えたら   僕の名前を言えるかい   もし僕が天国で君に会えたら    同じように居てくれるかい   僕はこのままでいるように 強くならなくちゃ   だって僕はまだ天国に行けない
  もし僕が天国で君に会えたら  僕の手を握ってくれるかい   もし僕が君に天国で会えたら   僕が立ち上がるのを手伝ってくれるかい   昼も夜もどうやって生きていくか探さなくちゃ    だって僕はまだ天国に行けない
  時間は僕をぶちのめし  立っていられない   僕の胸は張り裂けて ああどうか  どうか、と嘆いている
  ドアの向こうは平和だろうね
  天国では涙なんかないよね

2024年1月9日火曜日

映画「オッペンハイマー」GG受賞

今年のゴールデングローブ賞では、監督賞をクリストファー ノーラン、作品賞では彼の「オッペンハイマー」が受賞した。
原子爆弾を世界で初めて開発した理論物理学者オッペンハイマーの半生を描いた映画だが、日本では拒否反応が強く公開が遅れた。彼は原爆実験の成功で一躍国の英雄になったが、ヒロシマ ナガサキの被害の甚大さを見て、以後の水爆開発に関わることを拒否したため、国からは裏切り者、コミュニスト、ソ連のスパイというレッテルを張られて生きた。映画は物理学者の半生を描いた作品であって、日本の映像も日本人も全く出てこない。

日本では敗戦間際だったのに原爆が落とされて壊滅的な被害を受けた、人道的見地に立って米軍は謝罪すべきだ、という人がいるが、原爆投下によって太平洋戦争が終わったというのが、世界の定説になっている。異論も沢山あるだろう。しかし原爆投下の前、1945年7月26日、何度も米国から勧められていたポツダム宣言を鈴木貫太郎首相は、「ポツダム宣言黙殺、戦争邁進」と世界にむけて発表している。
この時点でニューギニアでは第18軍10万人の日本兵士のうち9万人が餓死していた。この時点で沖縄では6月23日すでに戦闘は終わり、牛島満司令官は、さっさと責任放棄してハラキリ自殺していたが、住民は投降すれば、敗残兵に後ろから撃たれ、隠れていた洞窟は火炎放射器で焼かれていた。東南アジアのジャングルで兵士は、餓死するか、武器なしで死ぬための万歳攻撃を命令されていた。
日本軍は中国人と軍民合わせて1100万人、インドネシア、フリピンなどアジアで800万人の人々を殺してきていた。7月26日の時点で誰一人降伏、敗戦を言っていない。「ポツダム宣言黙殺、戦争邁進」の命令は、原爆が投下されたあと8月15日に大本営天皇が玉音放送するまで続いたのだ。
原爆投下は、繰り返し勧められた無条件降伏を拒否し戦争を長引かせた大本営天皇に責任がある。

いま2つの戦争が拡大するばかりだ。ロシアア、ウクライナ戦は終結できず、イスラエルは国際法無視、国連無視でガザへの凄惨な攻撃をし、ガザのみならずレバノン、シリア、イランへと戦火を拡大している。これほど人道に反するドローン攻撃、白リン弾、クラスタ―弾を使いまくる近代戦はこれまでなかった。
なぜ停戦が受け入れられないのか。
米国もNATOも、ウクライナを支えきれなくなっている。ゼレンスキー大統領は個人私財をたっぷり貯めこみ、腐敗した武器商人と化した取り巻きによって現状を保持することにしがみついている。
イスラエルはハマスによる攻撃を格好のエサにしてパレスチナ人の居住地を占領し、パレスチナ人を国から追放しようとしている。いま何故停戦できないのか。権力者による私利私欲が先に立っている。武器が武器を呼んでいる。

この映画でトルーマン大統領が原爆投下を決断したとき「 マイボーイズ バック、一刻も早く戦争を終える。僕たちの息子たちを一刻も早く帰国させたい。」というセリフがある。どうして日本の大本営天皇は、マイボーイズを平気で餓死させ、自分のために死ぬことばかり命じて、家に帰してやることを望みもしなかったのか。マイ ボーイズ バック!そしていまこそ、即時停戦、核兵器廃絶、軍縮を。
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