2014年12月23日火曜日

2014年に観た映画 ベストテン 1位ー4位

                            
                       

第1位
「ゼロ グラビテイ」
監督:アルフォンヌ キユアロン
キャスト
サンドラ ブロック:ストーン博士
ジョージ クルーニー:コワレスキー飛行士

2014年1月26日に、この映画の紹介と批評を書いた。
登場人物二人きりの映画。重力のない地球上空600キロメートルの宇宙空間。スペースシャトルを修理中だった二人が事故にあい宇宙に放り出されて、帰るべきスペースシャトルは爆発、遊泳しながら国際宇宙基地にたどり着いて、地球に再び帰ることができるかどうか、というお話。
無重力の宇宙空間を浮遊する宇宙飛行士を撮影するために 製作チームは360度LPライトで囲まれたライトボックスという大きな箱を造り、影のない3Dの立体像を映し出す仕組みを作った。その中で一本のワイヤーに吊るされ特殊装置に繋がれたたサンドラ ブロックが、無重力の中で遊泳する演技をするために、5か月ものあいだ激しい訓練を受けたという。役者は体が資本というが、49歳のサンドラの柔らかい身のこなし、ぜい肉ひとつついていない少年のような体に、好感がもてる。

シドニーのアイマックスは世界一大きいらしい。縦30M、横35Mの巨大スクリーンに映し出される3Dの宇宙は限りない闇で、音のない恐ろしい場所だったが、体験型映画というか、自分も本当に宇宙遊泳しているような気分になれた。重力があって、酸素が当たり前みたいにあって、何の装置がなくても息ができて自由に動き回れることが ありがたく思える。こういったサイエンスフィクションのクリエーターは、日夜、人が考えないような方法で、科学を映像化して、人々の想像力をかきたててくれる。こんな素晴らしい物造りに携わる人々がいて、そういった映像を見ることができることに感謝したい。撮影チームに感服した。得難い映画だ。


第2位                                                           

「ミケランジェロ プロジェクト」
監督:ジョージ クルーニー
キャスト
ストークス中尉:ジョージ’ クルーニー
グレンジャー中尉:マット デーモン
キャンベル軍曹:ビル マーレイ
ヴァルランド:ケイト ブランシェット

3月22日に、この映画の映画批評を書いた。
ヒットラーは世界的価値の高い美術品をヨーロッパ各国から略奪し、世界一大きな美術館をオーストリアのリンツに建設して、収集したものを展示するつもりでいた。6577点の油絵、2300点の水彩画、959点の印刷物、137点の彫刻を含む6万点の美術品を岩塩抗に隠していて、もしもそれらを奪い返されそうのなったら、一緒に隠してある1100ポンドの爆弾で、すべてを灰にしてしまう予定だった。連合国首脳部は、戦争終結に先立って、これらの美術品の隠匿場所を突き止めて奪い返す方策を練っていた。博物館の館長、美術鑑定士、美術史研究者など、8人が選ばれて、ヨーロッパ戦線に送られた。彼らはモニュメント マンと呼ばれ、ヒットラーが隠匿している美術品を見つけて安全な場所に保護して運搬する命令を受けていた。
彼らはパリ美術館館長の秘書をしていた女性の助けを借り、オーストリアアルプスのもと、岩塩抗を見つけ出し、美術品を保護する。実話で、8人のうち2人の犠牲を出しながらも、危険を顧みず世界遺産を守るために力を尽くした。

有名な絵や彫刻がたくさん出てくる。ラファエル、ダ ビンチ、レンブラント、フェルメール、ベルギーのヘントにあるシントバーフ大聖堂の「ヘント祭壇画」、ベルギーのブルンジ教会にあるミケランジェロによる大理石の「マドンナ」。 撤退するドイツ軍が無造作にレンブランドやピカソを火の中に放り投げているシーンなど怒りで叫び出しそうになる。芸術作品に触れることで人は心を動かされ、魂を浄化させ、痛みを忘れ、生きる力を得る。芸術なくして人々の営みに、意味はない。かつても芸術家たちが、自らの命を紡ぐようにして作り出してきた作品を守り、次の世代の伝えていくことは、今を生きる人の義務でもある。この映画は 善良を絵にかいたような8人の「良い人」たちが、略奪や焼失から世界遺産を守った「美談」で、英雄的なお話だから、ちょっとうまく出来過ぎているような気がするけれど、感動せずにいられない映画だ。ジョージ クルーニーの監督した5つ目の作品。繰り返し観たくなる映画だ。


第3位
                    
「優しい本泥棒」 (BOOK THIEF)            
監督:ブレイン パーシバル
キャスト
ジェフリー ラッシュ:養父ハンズ
エミリー ワトソン :養母ローザ
ソフィー ネリス  :ライゼル

1月18日にこの映画の紹介を書いた。
1938年ベルリン。ヒットラーを総督とする軍部の力が日に日に増している。公然と赤狩りが行われ、共産党の活動家夫婦は、娘の安全を考えて、貧しいが正義感の強いぺンキ屋夫婦に娘を養女に出す。引き取られた13歳のライゼルは、字が読めなかったが養父の計らいで学校に通えるようになり、初めて本が読めるようになった。その貧しい家庭にユダヤ人青年が、助けを求めて転がり込んでくる。彼は教養人でライゼルにたくさんの知識を授けてくれて、少女は本が大好きになる。しかし社会はヒットラーのナチスドクトリンだけを読み、軍に忠誠を誓うために、どこの街角でも人々が本も持ち寄って焼きつくすイベントをくりかえす様になっていた。少女は読みたくて読みたくて仕方のない本が焼かれていくことに、ひとりで胸を痛めていた。やがて戦火が広がり、養父は徴兵され、ユダヤ人青年は別のところに逃亡し、養母も爆撃で亡くなり、、、というお話。

このライゼルが、紆余曲折を経てオーストラリアに渡り、年を取り、孫に自分の体験を語り聞かせた。その話を孫が書いて出版した同名の作品がベストセラーとなり、映画化された。
映画では、ナチズムの波が徐々に普通の人々の生活に浸透していく様子がとても怖い。人々が物を言うのを控えるようになり、互いに顔を見合わせて押し黙り、軍人が幅を利かせてくる。昨日優しかった人が、今日はナチ崇拝者になり、昨日までサッカーボールを蹴っていた少年が、少年隊の制服に身を包み声高らかに軍歌を歌い、本を焼き、同調しない者には軟弱者と決めて暴力をふるう。一夜のうちに何もかもが変わってしまう。そうした「集団ヒステリー」の渦に人々が巻き込まれていく様子が、リアルに描かれている。ジェフリー ラッシュとエミリー ワトソン、二人のオージー熟練役者が、戦時下の貧しく善良な夫婦を演じていて、素晴らしく本物みたいだ。13歳のソフィー ネリスも初々しい自然体で演じている。
「本を焼く」という人間の歴史が作り出してきた知の集積を否定する社会が、どれほど愚かなものだったか、を強く訴えている。優れた反戦映画だ。


第4位

フラワーオブワー (FLOWER OF WAR)
監督:チャン イー モー
キャスト
ジョン神父:クリスチャン ベール

8月2日に、この映画の映画批評を書いた。
日本で非公開の映画。1937年日中戦争では日本軍による首都南京陥落によって、14万人が虐殺、2万人の女性がレイプされた、と言われている。チャン イーモーが、これを背景に映画を制作した。「人のために生きてこそ本当に生きたことになる。」というトルストイの言葉を、そのまま映画にしたような良心的な映画。とても感動的だ。チャン イーモーは、「紅いコーリャン」、「レッド ランタン」、「初恋のきた道」、「英雄」などとても良い映画をたくさん撮っているが、この作品も彼の代表作に加えたい。とても完成度が高く、芸術的で、心動かされる映画だ。

南京は日本軍によって封鎖された。12人のクリスチャン学校の女生徒たちと、一人のアメリカ人青年が、南京大聖堂に避難している。そこに12人の娼婦達が、逃げ込んでくる。大聖堂の庭に国際赤十字の旗が敷き詰められているが、爆撃を免れず神父は亡くなり、たった一人のアメリカ人青年が日本軍兵士の襲撃から女生徒達を守ろうと苦心していた。始め、この地域に駐留してきた日本軍将校はクリスチャンだったので、彼は少女たちに讃美歌を歌わせて、戦火で疲れた心の渇きを癒していた。しかし日本軍大連隊が到着すると、彼は少女たちを幹部への貢物として、「供出」しなければならなくなる。登場人物すべてが生き残れる可能性がゼロに近い状況で、みんなが自分だけ生きるのでなく、他の人の為に生きようとする。映画のテーマは、ヒロイズムと自己犠牲だ。

映像が美しい。大聖堂のみごとなステンドグラス、粉々になってもなお光り輝き、清楚な少女達の大きく開かれる瞳、赤十字の赤い旗、娼婦たちのあでやかな美しさ、官能的な歌と舞、爆発で空に舞い上がる色とりどりの絹地、、、色彩の美しさが例えようもない。次々と人が死んでいく絶望的な状況にあって、映像の天才監督が、色彩あふれる美しい作品を作った。すぐれた反戦ヒューマン映画だ。

2014年12月22日月曜日

2014年に観た映画 ベストテン 第5位―第10位

                        
第5位:

「エクソドス 神と王」
監督:リドレイ スコット
キャスト
クリスチャン ベール:モーゼ
ジョエル エドガートン:ラメセス王

旧約聖書の「出エジプト記」を映画化した作品。「グラデイエーター」、「プロメウス」を制作した監督による1億4千万円かけて制作した3Dの超大型映画。同じ監督仲間で実の弟、トニースコット(トップガン、ビバリーヒルズコップなど)がカルフォルニア、サンペトロの橋から飛び降り自殺で亡くなったので、この映画を彼に捧げる、との前書きがあって、映画が始まる。
古代エジプトの強権のもと、奴隷となっていた60万人のヘブライ人を率いて、エジプト軍に反旗を掲げ、シナイ半島に脱出したモーゼの生涯を描いた作品。

BC1300年、エジプトのセチ王には、実の息子ラメセスと同い年の養子モーゼが居た。二人の息子は兄弟として仲良く共に成長し、国王の死後は、ラメセスが国王に、剣の立つモーゼがエジプト軍将軍となる。国土拡張の戦闘とピラミッド製作などのために奴隷がいくらでも必要だった。将軍モーゼが、戦闘で勝利を収めたパイソンの街を視察に訪れたモーゼは、エジプトの捕虜となったヘブライ人の長老から、実はモーゼはヘブライ人だと言われる。エジプト人の誇り高い勇士モーゼは自分の血の由来を聞いて激怒する。しかしその日から自分の中で疑問が湧き上がって長老の語ったことが耳から離れなくなる。やがて、密告者が現れ、モーゼの出生の秘密が暴かれて、彼はエジプトから追放される。
たった一人砂漠を彷徨い 山を越えシナイ半島にたどり着き迎えられた家で羊飼いとして生き、妻を迎える。9年後彼は神のお告げを聞き、エジプトの暴政下、抑圧されるヘブライ人の姿を目にして妻子を置いてエジプトに向かい、奴隷を組織して反乱を起こす、という旧約聖書のストーリー。

水が血となり、カエルの襲撃、ハエの蚤の襲来、家畜が伝染病で倒れ、石が天から降り、子供たちが次から次へと死んでいくシーンは、臨場感いっぱい。60万人のヘブライ人を率いて追ってくるエジプト軍に押され、紅海を前に行く手を阻まれたモーゼたちが、海を渡っていくところが映画の見せ場だろう。チャールトン ヘストンが映画「十戒」で海を渡る時、海が二つに割れるところは、ちょっと漫画的だったが、今回クリスチャンが苦労して浅瀬を渡るシーンのほうが現実っぽい。チャールトン ヘストンの醜い顔は、モーゼ役には合っていたが、クリスチャン ベールのモーゼはハンサムすぎて、笑顔が可愛すぎて、モーゼっぽくない。

でも今年最大の資金をかけて制作された超豪華3Dの大型映画だし、役者の中で最も役者魂をもったクリスチャン ベールが主役だし、せっかくだからベストテンに加える。エジプト人なのに色の白い青い目のオージーなまりのジョエル エドガートンがエジプト王、ブラウンヘアでロンドンなまりのクリスチャン ベールがエジプト軍将軍をやっているのは、史実に忠実ではない、などといっている外野もいるみたいだけれど、彼らが主役じゃなかったら誰が聖書物語など観るか。
このような大型映画は映画館のうんと前の席で、画面からバッタ襲撃シーンでは全身痒くなり、戦闘シーンでは血しぶきを浴び、紅海の水しぶきかかかってくるくらいの迫力を感じながら観るのが正しい見方だ。


第6位

 
                        
「それでも夜は明ける」
製作:ブラッド ピット
監督:ステイーブ マックイーン
キャスト
キエテル イジョ―ホー:ソロモン
ブラッド ピット:建築士
ベネデイクト カンバーバッチ;ファーム家主

3月11日に、この映画の紹介を書いた。
原作「12YEARS SLAVE」は、150年前ソロモン ノーサップによって書かれて出版された。ニューヨークで自由の身であった大工、ソロモンが誘拐されて南部に送られ、12年間奴隷として働かされた自分の記録だ。この本はその後のアメリカ市民戦争に大きな影響を与えた。

1841年ニューヨークで家庭をもち大工として働き、バイオリンの名手でもあったソロモンは騙されて南部のルイジアナのコットンファームに売られていった。南部の農家では綿を摘み取る奴隷がいくらでも必要だった。奴隷は自由を奪われ、白人家主の虐待を受けながら、過酷な労働を強いられる。自分が自由の身で、奴隷ではないなどと南部で訴えても、誰も耳を貸さない。救いようのない状況で希望を失っていく、足枷手かせで生きる底なしの絶望が伝わってくる。カナダ人の建築技師の奔走によってソロモンは助け出されるが、彼を見送るファームの奴隷たちは、もっと悲惨だ。

奴隷と同じ肌の色をもった自由黒人とはいったい何だったのだろう。肌の色に関わりなく誰もが同じ人権を認められるようになるまでの、気の遠くなるような人権回復への道。彼の自伝は、ストウ夫人が「アンクルトム」(1854年)を書く契機になり、やがて市民戦争を経て、奴隷が解放され、さらに黒人人権運動に結実していく。そして、いまだに人種差別はなくならず、黒人の少年が白人警官に殺されている。なんという罪深い世界だろう。


                               
第7位

「ウルフ オブ ウォールストリート」
監督:マーチン スコセッシ
キャスト
レオナルド デカプリオ:ジョーダン ベルフォ―

2月7日にこの映画の映画批評を書いた。
学歴もコネもない証券会社に勤めていた男が26歳で、ブローカーとしてウォールストリートで成功、巨万の富を得る。年収60億円を稼ぎ、栄華を極めるが収賄と株の不正取引で逮捕され何もかも失うという実在人物のお話。3時間の長い映画で21秒に一度「F-CK」言葉が出てくる。その数506回。デ カプリオが裸の女の肛門にコカイン粉を振りまいて、それを鼻で吸引するところから映画が始まる。禁止用語の吐き捨て、ヌードシーン、暴力シーン、ドラッグシーンのてんこ盛り映画。粗悪株を嘘八百並べて年金生活者に売りつけて、わずかな蓄えさえ情け容赦なく取り上げて集めた金をスイスでマネーロンダリング、自分の会社の社員にストリッパーのドラッグパーテイーを功労賞に、小人症に滑稽な真似をさせて笑いをとり、女性社員の髪をバリカンで剃って大はしゃぎ、仕事中に机の下に娼婦をはべらせジッパーを開けさせる。公然と弱者を馬鹿にして障害者を笑いものにする。男の下劣な欲をこれでもかこれでもかと見せてくれる。人としても品性も教養も誇りもない。成り上がり者の俗物極致、金銭至上主義で、下衆の消費中毒のアメリカ人の極致。

そんな男が250人の社員の前で演説を始めると熱が入り、アジりまくって社員全体が興奮して総立になって熱狂する。ここまで下劣な俗物下衆男になれるものかと、あきれて言葉もないが、そんな男をデ カプリオが実に楽しそうに演じてる。どんな役でもものにしてしまう、実力をもった役者だ。彼が演じた映画は全部観ているが、どんな作品でも徹底して役にはまっている。ジョーダン ベルフォ―はくずだが、役を演じたデ カプリオは一流。
 


第8位

                          
「ダーク ホース」
監督:ジェームス ナビア ロバートソン
キャスト
クリス カーテイス :ダーク ホース
ジェイムス ロレントン

12月12日に、この映画の紹介文を書いた。
ニュージーランド先住民族のマオリ出身で、ダークホースという愛称で慕われたチェスのチャンピオン,ジェネシス ポテイ二のお話。彼は幼い時に自閉症と診断され、家族やコミュニテイーから切り離されて、施設で育ち、大人になった。チェスだけを唯一の友達にして成長したあと、国を代表するチェスのチャンピオンになった。
彼は中年になってやっと施設から出所を許され、弟の家に居候をしてその息子に出会う。ギャングの根城で生まれて育った少年だ。孤独が当たり前のダークホースが、道しるべを探して彷徨う少年の魂を引き寄せる。二人の孤独な魂。マオリの文化、習慣が随所に出てくる。マオリ独特のマッチョ文化、だいたい女が全然でてこない。唯一、ダークホースに「お母さんに会いたかった。」と言わせているだけ。
先住民族マオリとは、どんな人々なのか、百科事典で見るより、こうしたマオリの映画を観たほうがよく理解できる。マオリの映画、というだけの理由で、この映画を観る価値がある。


第9位
「トラックス」(道程)                 
オーストラリア映画                     
監督:ジョン クーラン
キャスト
ミア ワシコスカ  :ロビン デビッドソン

3月14日に、この映画の映画批評を書いた。
1977年、ロビン デビッドソンという20代の若い女性が単独でオーストラリア中央のアリススプリングから西海岸ジェルトンまでの2700キロの砂漠を走破した記録を再現した作品。4頭のラクダと犬を連れて9か月かけて、彼女は一人で砂漠を歩き切った。途中数か所で、ナショナルジェオグラフィックに撮影された写真は、その後本になって出版された。

360度砂ばかりのオーストラリアの原風景が、素晴らしい。過酷な旅路だが自然の美しさに圧倒される。彼女は、人との関係を作るのに不器用な、何が悪いわけでもないのに心を開いて人と関係をつなぐことが得意でない。子供の時、母親が自殺して、親戚に引き取られていくために、生まれてからずっと一緒に寝起きしてきた親友の犬を安楽死させられた。そのことがずっと心の傷になっている。大人になって信頼できる父親も友達もいるが、孤独が好き。人といるのがわずらわしい。そんな女の子がひとりきり、自分の犬を連れて冒険の旅に出る。生きて帰れないかもしれない砂漠のただ中で、9か月。まねのできないことだ。

実在のロビンはまだ60代の美しい人だ。映画ではこの役を、ミア ワシコスカが演じたが、「プリテイーウーマン」のジュリア ロバーツが演じる予定だったと言う。ロバーツのほうが本人に似ているが、決して笑わない、いつもふてくされているみたいな表情のオージー俳優ミアが演じていて、それなりに良かった。本人は、マスコミ嫌いで 砂漠単独走破記録を出した後は、全くマスコミの登場しないで、ひとりマイペースで生きている。そんな自分の人生を生きている姿が清々しくて、好感がもてる。 


第10位

「ザ ドロップ」           
キャスト
トム ハーデイー:ボブ
ジェームス ギャンドルフィー二:マービイ
ノオミ ラパス :ナデイア

ボブはニューヨークで、従兄が経営する酒場のバーテンダー。チェチェンからきた移民だ。酒場は一見すると地元の人々の気の置けない飲み屋だが、カウンターには穴が開いていて、犯罪で巻き上げた金を「ドロップ」する場になっていた。ボブは前科もあるが、日曜には教会に行くような、どこにでもいるような好青年だ。ある夜、アパートのゴミ箱に怪我をして捨てられた子犬を見つけて、そのアパートに住む女の助けを得ながら犬を世話することになる。しかし女には別れた男がいて子犬を傷つけて女のゴミ箱に捨てたのはこの男に仕業だった。男は執拗に女とボブに付きまとう。一方、酒場に強盗が入りドロップされた大金を奪われる。そのためにマフィアの元締めは、ボブと従兄のマービイを追い詰める。実はマービイが強盗犯だった。酒場の従兄に裏切られ、犬と女のことでチンピラにまといつかれて身動きができないボブは、、、
といった犯罪映画。

ニューヨークのマフィアの空恐ろしい存在。チェチェンギャング組織、それらの手足となるチンピラたち、くたびれて収賄に弱い警察。暴力と銃が当たり前のアメリカ社会を描いた今日的な映画。映画を観ていて初めから最後まで不安と緊張が続いていて、いつどんなに怖い場面を見せられるのか、はらはらし通しだった。主役のボブが笑顔さわやかな、口数の少ない好青年なので、なおさら次はどんな事態で残酷な事態が起こるのか身構えていたので、映画が終わったときは、ぐったり疲れていた。ニューヨークに住むって、こんな感じなのか、なんかわかったような気がする。

虫も殺せないような感じのトム ハーデイが好演している。相手役のノオミ ラパスはスウェーデン人で「ミレニアム ドラゴンタットーの女」シリーズで主演した。人の百倍くらい苦労してきた勝気な女の役がよく似合う。酒場の主人をやったジェームス ギャンドルフィー二は、この映画に出演したあと心臓発作で51歳で亡くなった。ギャング役をやるために役者になったような風貌だが、まだこれから晩年のリノ バンチェロとか、ジーン ハックマンがやったみたいな渋い役で良い味を出せたのに残念。合掌。
      
 

2014年12月12日金曜日

映画 「ダーク ホース」

                          

ニュージーランド映画
監督:ジェームス ナピア ロバートソン
キャスト
ジェネシス:クリフ カーテイス
マナ   :ジェームス ローレストン

この映画は、ニュージーランドの先住民族マオリ出身で、チェスのチャンピオンになったジェネシス ポテイ二の実話だ。彼は輝かしい全国チャンピオンの座を獲得したが、実は幼いうちに自閉症と診断され施設に入れられて家族と暮らすことも、学校に通うことも叶わなかった。何度も警察の世話にもなっている。映画では、マオリの映画ということで、マオリの人々の暮らしや独特の音楽や文化や習慣などを見ることができる。社会のマイノリテイーゆえに、「バイキー」と呼ばれるモーターバイクを連ねて走り回り、ドラッグなどの不法取引で生計を立てる人々が出てくる。今日のマオリの姿について何の知識もない人には,良きガイダンスになる。だからこの映画は、マオリの映画だというだけで観る価値がある。

オーストラリアに住んでいると、人々がニュージーランドを自分達の兄弟国と考えているのがよくわかる。文字通りの「マイト」だ。同じように英国領だったし、二つの大戦を英国軍として一緒に戦った上、いまだ英国女王を国の元首に据えている。ニュージーランド人(キウイ)がオーストラリアで学び、働くために、税金や国民保健や年金などでオーストラリアと同様の恩典があるので、若い時にオーストラリアに出稼ぎに来て、そのままオーストラリアに住み着く人も多い。オーストラリアの人口:2300万人。ニュージーランド450万人。二つの国では共通点のほうが多いが、先住民族に関しては異なる。オーストラリア先住民族アボリジニーと、ニュージーランドの先住民族マオリは、外見が似ている点も多いので同じ先祖かというと、これが全然ちがう。アボリジニはオーストラロイドという独立した人種だが、マオリはポリネシア人でクック諸島やタヒチなどから航海で渡ってきた人々だ。人種には、オーストラロイド、ネグロイド、モンゴロイド、コーカソイドに分けることができて、皮膚の色はこの順番で色が白くなっていく。最も黒色の濃いオーストラロイド、アボリジニは先住民族の中でも最も古い5万年から12万年前からオーストラリア大陸に定住していた。その数は100万人ほど。1788年にイギリスによるオーストラリアの植民地化が始まり、アボリジニーは入植者の狩猟対象となって虐殺されていく。なまけもの(入植者と価値観が違う)で、奴隷として働かせられないので、野獣と同じ「駆除」の対象になった。

マオリは、むざむざ絶滅寸前まで「駆除」されたアボリジニーと違って戦闘的、好戦的な性質を持っていてカニバリズムの歴史もあった。アボリジニーがオーストラリアの総人口の内たった2%弱なのに対して、マオリはニュージーランド総人口の15-20%に当たり、都市部では30%にもなり、同じ先住民族でも割合がずっと大きいので、マオリ文化抜きに、今のニュージーランド文化はないと言っても良い。ニュージーランド国歌は、はじめマオリ語、続いて英語で歌われる。ニュージーランド代表のラグビーチーム、オールブラックスは、試合前に必ず伝統舞踊「ハカ」を踊り、敵を目前にして「殺せ、殺せ」と威嚇する。シドニーに暮らしていて、ラグビーやオーストラリアンフットボールやボクシングを見ると、マオリ出身の沢山の選手が活躍しているのがわかる。また盛り場のクラブのガードマンや、銀行から集金して回る警備会社の人など、多くはマオリの筋骨隆々のお兄さんだ。すごく強い。

余談だが、外国旅行者むけのストリップ劇場で、日本人青年が酔って踊り子に触ろうとして、マオリのガードマンにパンチを食らって、病院に運ばれたことがあった。通訳に呼ばれて駆けつけてみると、青年は1発のパンチで上下顎関節が粉々になっていて、一本残らず歯がばらばらに壊されていた。上下総入れ歯と、顎の骨がきちんと整形できるまで何度も手術を繰り返し、彼は2か月近く流動食で命をつながなければならなかった。マオリのお兄さんとは喧嘩しない方が良い。

とはいえオーストラロイド、ネグロイド、モンゴロイド、コーカソイドはみんな混血が進んでいてごちゃごちゃになって明確に自分がどんな割合でどこに属するかわからない人も多い。人種が混じり合うことは自然のなりゆきだから、自分が属する言語と文化を大切にしつつ、自分の場所で自分の生き方をしていくことが大切かもしれない。世の中にはたくさんの文化があり、たくさんの言語がある。自分が使う言語、自分のなじんだ文化以外の言語や文化を自分のものとおなじようにリスぺクトして生きていくことが肝心だ。

映画のストーリーは
ジェネシスは、子供の時にほかの子供たちと少し違うようだ、と人に言われて病院に連れていかれて精神病院に入院させられた。そのまま家に帰って母親に抱かれることも、学校に行って同じ年齢の子供たちと遊ぶこともなく成長した。一人、幼いとき兄から習ったチェスを唯一の友として成長し、やがてジュニアになると、チェスのジュニア全国大会で優勝した。大人になってから病院を抜け出して街をうろついていると、必ず警察に探し出されて連れ戻される。そんなことを繰り返しているうちに彼も年をとり、身柄引き受け人がいれば施設を出られることになった。ジェネシスは自由になりたかった。たったひとりの身内となった兄に泣いて頼みこんで施設から出所する。兄はオークランドから少し離れた町を根城にするギャングだ。一人息子のマナが17歳になるとき、別のギャング仲間の家に養子に出す約束になっている。しかし息子のマナは暴力が嫌いな、気の優しい少年だった。ジェネシスとマナはすぐに仲が良くなる。

ジェネシスは街の子供たちにチェスを教えて、ジュニアチャンピオン戦に出場させることに決める。彼にできることはチェスだけだ。マナもチェスが大好きだ。そんなジェネシスに腹を立てた兄は、ジェネシスを家から追い出して、息子をギャング仲間に引きずりこむ。争いが嫌いなマナは、家を出されて公園に寝泊まりするジェネシスの後を追う。ジェネシスは子供たちに勝つためのチェスを伝授する。数か月が経ち、チェスの優勝戦と日となった。ジェネシスと子供たちがオークランドのチェス勝ち抜き戦の会場に行ってみると、びっくり。選抜戦に出場するジュニアたちは、私立の中学校に通う良家の子女ばかりだった。きちんと制服を身に着けたジュニアたちに迎えられて、小さな田舎の町から来て、貧しい服を身に着けたマオリの子供たちは、いやでも自分たちの肌の色を意識せざるを得なかった。それでもゲームが始まれば、ジェネシスにコーチされてきた子供たちは、たちまち元気を取り戻す。負けることを知らない。優勝決定戦に誰が勝ち抜けるのか、、、。というお話。

主役のクリフ カーテイスは、日本でいえば若いころの高倉健のような人。マオリの精悍な顔をした人だが、自閉症の患者を演じるにあたって目いっぱい太って、前歯などボロボロに欠けて間の抜けた顔になっている。殺されても仕方がない覚悟で、ギャングが立ちはだかる中を、マナを連れ出してくるシーンは、この映画の見所だろう。ジェネシスとマナという孤独な魂が融合する瞬間だ。子供はみんな生まれてきたときに、すでに特徴にある性格を持って生まれてくる。温厚で気の優しい子供に暴力の掟が通じるわけがない。それをわかっていて、社会のマイノリテイとして、ギャングとして生きることしかできなかったジェネシスの兄の悲哀も描かれる。
ストーリーは単純だが、こういったマオリの映画は、マオリ文化の案内者となってくれる。百科事典で 「マオリ」とは、という項目を読むより、この映画を見るほうがずっとわかりやすい。だから、こういう映画はマオリの映画というだけの理由で見る価値があると思う。

http://www.palacecinemas.com.au/movies/thedarkhorse/

2014年11月27日木曜日

敗戦国からきて戦勝国で戦勝記念日を迎える


        

11月11日は、第一次世界大戦が終結した記念日だった。
敗戦国から来て、戦勝国オーストラリアで暮らしていて、戦勝記念日を迎えることほど嫌なことはない。国中が、勝った勝ったと大騒ぎする日。侵略者ニッポンを懲らしめて、こてんぱんにやっつけてやった正義の連合軍オーストラリア。オーストラリアという国は、欧米から地理的に離れた南半球にあって、コアラが昼寝している木々の下をカンガルーが飛び回り、人々はフレンドリーで、フットボールに、浜辺のバーベキューで飲んだくれる姿しか思い浮かばない人は、この11月11日に、オーストラリアの大きな街で過ごしてみたら良い。オーストラリアのイメージが一変するに違いない。

早朝、日の出とともに、あちこちの記念碑の前で、軍による国旗掲揚と式典があり、小中学校、高校生たちは誓いの言葉を述べ、一般の人々も参加する。マーチを演奏し、元兵士や現役の兵士、警察、学校の子供達などが行進をする。元兵士は国じゅうのヒーローだ。生きて帰ってきた元兵士たちは、胸にバッジをつけて誇らしげに行進の先頭を歩く。それを人々は、国旗を振りながら拍手と声援を送る。どこを見渡しても制服ばかりだ。

メディアも一斉に、戦勝国側が「正しい戦争」をやったという’キャンペーンに明け暮れる。第一次世界大戦で、日本は連合国側で戦ったにも関わらず、いつの間にか第二次世界大戦で日本軍がアジア諸国で行った攻撃、残虐な侵略、捕虜の虐待などに話題が移っていて、メディアによる日本たたきが行われる。彼らにとって日本への原子爆弾投下は、日本軍によるアジア侵略を食い止め、侵略を悪いことだと思い知らせるための必要不可欠の処置だ。原爆は誤った国への「制裁」であり、自分たち連合軍は正しい道を教えてやった良き指導者であり、正しい先導者だと信じて疑わない。戦勝国がそんなに偉いのか。何という奢り。

1942年2月パールハーバーの直後、オーストラリアの北端ダーウィンは、日本軍によって空襲を受け、湾内にいた6艘の大型船を沈没し、人口5千人のダーウィンで243人が死亡、この日以来ダーウィンは計64回空襲を受けた。また、西オーストラリアのブルームでは空爆で民間人が70人死亡。シドニー湾にも3艘の潜水艦が侵入し、魚雷でフェリーを攻撃、21人が死亡している。また、シンガポール陥落のあと日本軍は、捕虜となったオーストラリア兵を、3年半に渡ってビルマ鉄道建設の強制労働をさせて多数の捕虜を脱水、栄養失調などで死なせた。オーストラリア軍の太平洋戦争での戦死者17000人に対して、捕虜で死亡した兵士は8000人に達する。サンフランシスコ条約に違反しながら日本軍がいかに人権意識をもたずに捕虜を取り扱ったかがわかる。 その日本軍が降伏文書に調印した1945年9月2日は、オーストラリアでは、「VICTORY  OVER JAPAN DAY」: (VJ DAY)と呼ばれる。ジャパンを打ちのめした記念日。正義の戦いに勝ち抜いた日だ。

「ジャパンは本当に悪い悪いことをした。」面と向かって言ってきた一見物わかりのよさそうな教育者と話をしたことがある。当時日本軍と日本政府が侵略戦争を行ったのは事実だ。しかしすべての人が、それを支持していたわけではない。多くのキリスト者や、自由主義者や共産主義者は迎合しなかった。私の祖父の弟に当たる、大叔父の大内兵衛は、学者だったが1938年から2年余り公安警察に逮捕され拘禁されていた。母方の伯父、宇佐美誠次郎も活動家ではなくリベラリストで学者だったが長く獄中に引き立てられて言論弾圧された。それを言ったら、「え、日本にも侵略戦争に反対した人がいたのか。」と大仰にびっくりされて、こちらが驚いた。戦勝国のみなさんは、自画自賛をやめて少しは歴史の本など読んだら良い。二つの大戦で、一般の人々がどれほど苦しんだか、赤紙で徴兵された若者たちが、戦場でどんな酷い殺され方をしていったか、人類初の人体実験であった原爆投下で罪のない子供達がどんな殺され方をしたのか。60年余りたった今も苦しんでいる原爆病患者の存在を知ったら良い。

今年の11月11日、戦勝記念日(終戦記念日)は第一次世界大戦終戦から96年目に当たる(開戦から100年)が、終戦100年記念が近いので毎年徐々に、記念ムードを盛り上げて、規模も大きくしキャンペーンも広げていくようだ。英国ではロンドン塔のまわりを、真っ赤なセラミックでできたケシの花で埋めた。ケシの花は88万8246本、英国人犠牲者の数だけあって、ロンドン塔を埋め尽くした。ケシの花は、ベルギー、フランダース地方などの激戦地に咲く花で、花言葉は「眠り」、「いたわり」だそうだ。記念日の参列者だけでなく、沢山の人がこのケシの花を見にやってきていた。ニュースのインタビューに答えて、英国のために命を落とした方々を忘れない、と涙ながらに言う人が多かった。
そうだろうか。英国国旗を掲げて前線に行った者たちは、人を殺しに行ったのではなかったか。

戦争は一部の者の利権のために引き起こされる。悲しいのは、それに賛成する人も反対する人もひとリ残らずすべて国民が巻き込まれることだ。そして本当に、ごくごく一部の人に利益をもたらすだけで、一般の人は財産を失い、人間性を忘れ、良心を麻痺させ、希望を無くし、命まで失う。そんな戦争に良い戦争も悪い戦争もない。正しい戦争も間違った戦争もない。人を殺してそれが
正しい戦争だった、正義のための良い戦争だったなどと、誰に向かって言えるのか。戦勝記念日という言葉をもう使うのを止めるべきだ。人の命をもてあそび、勝ち負けにこだわるような戦勝記念日という日を祝うのは、いいかげんもう止めた方が良い。人として恥ずべきではないか、と思う。


2014年11月23日日曜日

映画 「ゴーン ガール」

                        

監督: デビッド フィンチャー
キャスト
夫 サム  :ベン アフレック
妻 エイミー:ロザムンド パイク
妻の昔の恋人:ネイル パトリック
弁護士   :テイラー ペリー
ボニー警部:キム デイケンズ

ストーリーは
ニックとエイミーとの結婚5周年記念日だ。二人はニューヨークで出会い、二人ともキャリアを積み、スノッビーな生活をしてきたが、ニックの母親が癌を患ったのを機会に ミズリーの小さな街に引っ越してきた。でも母親は早々と亡くなってしまい、小さな街では仕事もなく、ニックは失業状態、裕福な家庭出身のエイミーの蓄えに頼っているような状態だ。今日も、ニックは妹が経営しているバーで、昼間からウィスキーを飲みながらグダグダしている。

ニックが家に戻ってみると、居間のガラステーブルが割られ、妻のエイミーが居なくなっている。あわてたニックは妻が何かの犯罪に巻き込まれたのではないかと疑い警察を呼ぶ。警察は捜査を始める。ニックと、ニューヨークから飛んでやってきたエイミーの両親は、一般から情報を集めるために、メデイアを呼んで記者会見をする。エイミーは両親が書いた人気の子供用の本「アメイジング エイミー」で誰一人知らない人はないほど有名な子供だった。人気作家の一人娘として、することなすこといつも注目を浴びて育った。マスコミはエイミーの失踪を放っては置かない。
やがて警察は、台所から多量の血痕を発見する。警部たちの前で、近所の女からニックは、人殺しとののしられる。ニックが見たこともない女だ。夫には全く理解できない事態だったが、警察は早くからニックを殺人容疑で調べていた。エイミーの貯金通帳には、ニックがゴルフやゲームなどの贅沢品を買って使い込んでいる事実があがった。警察としては、あとは死体を探すだけだ。

ニックは妻が行方不明になった可哀想な男から一転、家庭内暴力で妻をいたぶり、妻の貯金をせびって、あげくの果てに妻を殺した犯罪者扱いされるようになった。そこに、ニックの若い愛人が現れる。最低の筋書だ。ニックは人々から厳しく監視される。
それは、妻の思うつぼだった。妻は長いこと、愛人を作ったニックを罠にはめるために、復讐のチャンスを待っていた。夫が欲しがってもいない高価なプレゼントを買い与え、近所におせっかいな女友達を作り夫の悪口を吹き込む。髪を染め、顔に傷を作って、田舎に潜伏をする。昔捨てた男を呼び出して、保護を求め、うるさくなったら男を始末する。そして、マスコミの注目の最中に、血まみれの姿でニックのもとに帰る。マスコミは大興奮。昔の男に誘拐されて、虐待されていた可哀想な「アメイジング エイミー」が、サイコパスの誘拐犯人を殺して、やっとのことで夫のもとに戻ってきた。マスコミの注目する中、ニックは自作自演で芝居をやって人殺しまでしてきた妻を受け入れなければならない。妻は戻ってきたのだ。

程なくして冷凍していたニックの精子を使ってエイミーは妊娠する。またまたマスコミは、大ニュースに大興奮。幸せなカップルに待望の赤ちゃん。ニックは逃げも隠れもできない。妻の復讐は終わらない。昔の男ののどをかき切って殺してきた妻は、今度こそ自分ののどを狙っているかもしれない。いつ殺されるか。マスコミが作り出した幸せなカップル、優しい夫の役をニックは永遠に演じ続けなければならない。いつまでだ。死ぬまでだ。
というストーリー。

幼児的サイコパスのエイミー役に、ぴったりの女優ロザムンド パイクが好演している。頭の良い妻に自由自在繰られる、どんくさい夫役にベン アフレックもとても良く演じている。
端役だが、取り調べ警部役のキム デイケンズが、すごく素敵。昔の警部役ならトレンチコートの襟を立て、タバコのチェーンスモーカーというような渋い役柄を、女性警部が紙コップのコーヒーをいつも片手に、とぼけた姿で相手を油断させて、さりげなく犯罪を探し当てる「切れる」警部を演じている。また、凄腕の弁護士役、テイラー ペリーも、貫禄があって存在感があって映画の株を上げている。

監督のデビッド フィンチャーは52歳のアメリカ人。1995年「セブン」で、ブラッド ピットが、モーガン フリーマンの演じる警部と一緒に、サイコパスの殺人犯を追う映画で華々しくデビュー。1999年、同じブラッド ピットを使った「ファイトクラブ」で、素手で戦う男を演じさせて注目を浴びた。2002年「パニックルーム」ではジュデイ フォスターを使って、また2007年には「ゾ‐ディアック」で、ジェイク ギレンホールとロバート ダウニーjrを使ってスリルに満ちた映画を作った。2008年「ベンジャミン バトム数奇な人生」、2010年「ソーシャルネットワーク」も忘れられない作品だ。2011年には、ハリウッド版「ドラゴンタットーの女」を製作した。こうしてみると、意識していなかったが彼の作品を、ほとんど全部観ている自分に驚く。ハリウッド映画では、ミステリースリラー作品の売り込み方が上手なので、つい宣伝に乗って観に行ったのだろう。怖い場面の音響効果の出し方に長けて、観客の期待を裏切らずにしっかり怖がらせてくれる映画造りに独特の才能を持った監督なのだろう。

この映画だが、なんとも後味の悪い映画だ。愛する人が居て、真面目に学んで働いて、打ち込める趣味を持ち、自分の人生を結構楽しんで生きているといった、ごく普通の人々にこの映画を勧めたくない。自分しか愛せない女のお話だ。この映画の主人公は周りの人々に、小さなときからチヤホヤされて育ってきて、「注目を浴びている自分」しか愛せない幼児的異常人格者だ。夫と一緒に田舎町に移り、友達もチヤホヤしてくれるマスコミも追ってきてくれない。夫に愛人ができてどうやって世間の注目を取り戻すか、妻は考える。妻が自作自演の芝居をやるために自分の顔を傷つけたり、暴行を演出するためために自傷行為を繰り返すシーンなど思わず目をつぶりたくなる。それほどまでにして復讐するか。用意周到に計画を実行する姿を面白がったり、感心したりしている観客も、「ここまでやるか」とエスカレートするごとに背筋が寒くなる。賢い女が本当に怖い怖い怖い怖い女になっていく過程は無残としか言いようがない。
ここまで裏切った男を追い詰められる女って居るのだろうか。人は許し合える存在ではなかったか。復讐は何も生まない。許し合うことで、人は一歩自分を高めることもできるのに。とても後味の悪い映画。誰にもお勧めできない。
http://www.hoyts.com.au/movies/2014/gone_girl.aspx

2014年11月16日日曜日

その後と、それからのオット


                 

「このまま何もせずに今年中に死にますか。腎臓透析を週3日、5時間ずつ受けて生きますか。どちらか一つを選びなさい。」と、にこやかに笑みを浮かべる腎臓専門医に言われて、あっけにとられるオット。あの、今年中って、もうあとひと月しかないんですけど、、、。

そうだったんだ。機敏な判断と、救急病院による適切な処置で命をつなげたオットに、待っていたのは完全治癒という魔法ではなかった。これからは、1日おきに病院のベッドで5時間ずつ縛られて限りある命を長らえていかなければならない。一か月前に集中治療室で治療を受けていた肺炎も完治せず、いまだに肺に水がたまっている。ハートアタックを起こして、少しだけ悪かった腎臓が一挙に悪化して腎不全となり、体から毒素を尿と一緒に排出できないので、人工の機械で血液を綺麗にする装置なしには生きられない。クレアチニン値が、400から下らない。血液成分もこわされてしまうので、ヘモグロビン値が70と低く、常に貧血状態だ。検査結果だけを見ると、顔色が悪くて青い顔をした、呼吸困難で、皮膚が極端に乾燥して食欲の全くない、いわばイワシの干物のような姿を思い浮かべるが、オットの場合なぜか、よく食べるし、顔色も良い。
家に帰ってくることができて、美味しい料理を作る、賢く聡明な妻のおかげだ。オットは太鼓腹をさして、ぼく、痩せたよ15キロも痩せたよ。痩せた、痩せた、本当だよと、しつこくのたまうが、そういう奴を見守り、管理してきた私は10キロ体重が落ちた。

朝、目が覚めてテントから這い出てみると、や、や、やられた。となりの食糧庫にしていたテントが腹を空かせた灰色熊グリズビーに襲われて見る影もなく破壊されている。食糧をやられて、準備万端に予定していた登山に暗雲がたちこめて、、、、というような毎朝だった。太鼓腹のオットが元気だったころの話だ。朝起きて台所に行くと、夜中オットが食い散らかしたブドウパン、蓋が開いたままのジャム,引き千切られたビスケットの袋、飲みかけのジュース、、、この世と思えない惨状に目を覆いたくなる。食べこぼしを拾い,片付け、ぞうきんがけをしてから、1日が始まる、という毎日だった。16年間だ。ランチボックスにもサンドイッチだけでなく、ロールケーキやカステラのようなお菓子を必ず1つ2つ持って行っていたので、冷凍庫にはいつもお菓子が山ほど凍らせていた。

そんな「グリズビー式食糧庫荒らし」がなくなったのは、いつのころだったろう。2年前に日本を旅行して帰ってきてハートアタックをやった頃だったか。今、肺炎と2度目のハートアタックと急性腎不全をやって、食事の量はごく普通になった。普通とは私が食べるくらいの量で充分になったという意味だ。それで、痩せた痩せたと騒いでいる。平均体重になっただけだ。それにしても足腰が弱った。前から運動不足と肥満で100メートル歩くのが大変だったが、今は、足をひきずり、ヨチヨチ歩きで、時速10メートルくらいの速さで歩く。

オットは、たくさん病気を抱えて体を動かすことが、辛くなった。夫婦には思いやりが大切だ。それが、思いやりでなく思い込みだったり、思い過ごしだったり、思い違いだったりすることはよくあるけれど。悲しいのは、病気になると自分のことしか考えられなくなることだ。オットは、肺炎と喘息で息をするのも大変だったから、ある程度は仕方がないが、思いやりというものがなくなった。
私はオットの入院中、朝7時から夜9時までそばに付き添い、退院後は1日おきにドクターのところに連れて行き、23種類の服用薬を管理し、腎臓専門医や心臓専門医に定期通院させ、物理療法士の訪問に対応し、そうしているうちに、限りある私の年休も、減っていくばかり、いつまでも休んでいられない。フルタイムの職場に復帰した。そうしたら、体は思うように動かないが頭はまだいかれていないオットまで、職場に戻りたいという。オットのオフィスまで車で40分、朝晩の渋滞だと1時間余りかかる。オットを職場に下ろして、1時間かけて家に戻り、洗濯、掃除、買い物、食事の支度をしているうちに、もう迎えに行かなければならない。空腹で死にそうなオットに、夕食を素早く食べさせ、寝かせて、病院夜勤に出かける。10時間の忙しい勤務を終わって帰ると、もうオットを職場に送らなければならない。いつ寝るんだよ。

気が付いたら赤信号で急発進していた。青信号になったとき停まっていたんだ。げー。これはいけない。映画館に入って気分転換する時間はない。そこで、ひとりサッサと寿司屋に入った。おなかいっぱい鮨を食べて、睡眠薬を飲んで、がーっと寝る。オットよりそれを支える自分の体が大切。目が覚めて、時計を見ずに、オットを拾いに行った。暗くなった街並み、オットのオフィス前の小さなベンチに、ちょこんと座って私を待っていたオット。1時間くらい待たせたみたい。でも、だからといって、どうだというんだ。
明日は美容院と、フェイシャルとうなぎで気分転換。オットにはもっと待ってもらうかもね。
自分を大切にして、初めてオットを大切にできる、そう自分に言いきかせている。

2014年10月28日火曜日

映画 「エバの告白」


                                 


原題:「THE IMMIGRANT」 (移民)
監督:ジェームス グレイ
キャスト
エバ:マリオン コテイヤール
ブルーノ:ホアキン フェニックス
オーランド:ジェレミー レナー
マグダ:アンジェラ サラファン

ストーリーは
1929年
ヨーロッパから戦火を避けて新天地アメリカに自由と平和を求めてやってきた難民たちを満載した船がニューヨークに向かっている。自由の女神を見つめる、人々の不安げな顔、顔、顔。彼らに戻れる故郷はもうない。船はエリス島の出入国管理局に到着する。

ポーランドから、この移民船に乗ってエバとマグダ姉妹は、遠い親戚を頼ってやってきた。故郷では両親を殺されて、生きていくための糧も失った。しかしエリス島の移民局で妹のマグダは結核を病んでいることを知られて、マグダは隔離され二人は引き離されてしまった。エバは身元引取り人の親戚に拒否されて、強制送還されることになる。病んだ妹一人をアメリカに置いて自分だけがいったん捨ててきた故郷に帰ることはできない。エバは、必死でそこを通りかかったポーランド語の通訳をしていた男に救いを求める。ブルーノと名乗る男は、いったんエバの求めを無視するが、懇願を繰り返すエバを不憫に思って、賄賂を係官に渡してエバを引き取る。

エバは、ブルーノに言われるまま、マンハッタンのアパートに落ち着く。移民局では一見紳士に見えたブルーノは、移民としてやってきた女たちを集めてキャバレーのダンサーとして働かせ、一方では売春させているような男だった。アパートの女たちは、恩人ブルーノのことが大好きだ。エバにもやさしく、気の良い娼婦たちだった。
ブルーノは、おとなしく付いてきたエバを、当然のように自分の女にしようとする。しかしエバは、恋愛の経験もない生娘だった。ブルーノはエバの拒否にあって、怒りまくった末、上客に売り飛ばす。エバは、妹を救い出してアメリカで暮らしていくために、仕方なく運命に身を任せる。しかし、ブルーノの怒りに触れて心底怯えて客を取らされたエバは、すきを見て娼婦館から逃げ出して、遠い親戚の家を探し出して保護を求める。何十年かぶりで再会した叔父と叔母は、ぎこちない笑顔でエバを迎い入れるが、翌日、エバを警察に引き渡し移民局に送る。叔父たちはエバが娼婦に身を落としたことを知って、不法入国者として通報したのだった。エバは強制送還されることになった。

そんなエバに、ブルーノが再び会いにやってくる。エバは、妹を取り戻すためにどうしてもアメリカに残らなければならない。ブルーノにいわれるままエバは娼婦館に戻った。ブルーノは、強い意志をもったエバに、次第に惹かれていく。もう他の女など、目に入らない。
一方エバは、キャバレーのマジックショーを演じているブルーノの従兄のオーランドという男と出会う。オーランドは一目で出会ったばかりのエバを愛してしまう。しかし密かにエバに会いに来たところをブルーノにみつかって殺されそうになる。ブルーノとオーランドの争いは警察沙汰となり、ブルーノは警察に拘禁され、オーランドは、別の土地に向かって巡業に出ることになった。遠く旅立つオーランドに、エバは自分の夢を語る。妹を引き取って、カルフォルニアのような温かい土地で二人で暮らしたい、それがエバの望みだった。オーランドは旅立ち、ブルーノは警察から釈放される。

しかしエバをあきらめられなかったオーランドは帰ってくる。ついに諍いの末、ブルーノはオーランドを殺してしまう。エバは教会で懺悔する。生きていくために、愛してもいない男に言われるまま身を落としてきた。そんな罪を犯してきた自分は神に許しをもらえるのだろうか。真剣に祈るエバの姿を見て,ブルーノは、エバを自由にしてやろうと心に決める。監視に賄賂を使って、隔離されている妹を引き取り、エバと妹にカルフォルニア行きの切符を渡してやる。エバは妹と再会して振り返りもせずにブルーノのもとを去っていく。エバを強制送還から救い出し、無一文だったエバに住居を与え、食べさせて世話を焼き、心から愛してきた。エバを横取りしようとする男を嫉妬から殺しまでした。エバを本当に愛してきた。しかし、エバは去り,ブルーノには何も残っていない。というお話。

マリオン コテイアールの頑なな信仰心と、超然とした美しさ。一方ホアキン フェニックスの酒と金とアルコールにどっぷりつかったダーテイーな姿が際立っている。二人とも、とても良い役者だ。どちらにも共鳴、共感できる。とても悲しい映画だ。

エバは娼婦になっても1ミリとして動じない。少しも譲らない。そんな自分を通していて、無垢な処女の強さと純粋さを維持している。それに比べるとブルーノはずっと人間的だ。移民で来て、生活に困った女たちや、不法移民を救い出して、娼婦にして小金をため、女たちといつも飲んで騒いで愉快に暮らすことが大好きな男だ。それが、とんでもなく美しい女に惚れてしまって自分の人生が狂ってしまう。ついに殺人まで犯して逃亡犯になったうえ、女をあきらめなければならなくなって、無一文となる。背を向けて、振り返らずに去っていく女に「自分はこの女の一体何だったのか」と、泣きじゃくる男を見ていて、ついほろっとなる。人は妥協して生きていくものなのに、一歩も譲らない女のために自分の人生を捨ててしまった男の悲しさ。譲らない女と、それの翻弄された男。何としても妹を自分が守って生きていきたいという強い願望と処女性。男からみたら、こんなジコチュー女のために自分の一生を棒にふることになって、こんなはずじゃなかった、というのが実感だろうか。マリオン コテイアールの美しさよりも、ホアキン フェニックスの落ちぶれ方に、すっかり魅せられた。

2014年10月24日金曜日

その後のオット




                                 
17日間公立の救急病院に入院していたオットは、水から這い上がってきた子猫のように、すっかりしょげてしまって、食べない、飲まない、聞かれても返事をしない、床をうつろな目で見つめて動かない、口を利かないといったウツ状態に陥ったため、病院からリハビリ呼吸センターに移送されるところを、ドクターに頼み込んで家に連れて帰ってきた。
オージーはもとは英国人だから、ちょっと具合が悪くても、ハウアーユーと聞かれれば、にっこり笑ってファインと答える。紳士の会話はアイムファインで始まり天気の話で軽く仕上がり、自分の体のことなど絶対に話に出さないで、親しさよりも礼儀が優先される。現にオットがICUで治療中で、6リットルの酸素マスクを着けていた時も、携帯にクライアントから税金の相談がかかってきたが、オットは丁寧に答えていたし、オペラオーストラリアから2度も、来年のオペラの通し券をまだ申し込んでいないようだが、どうするのかと問われて、まだ決めてないんだよ、とのんびり答えていた。オットはもうオペラハウスの駐車場から劇場までの長い通路を歩けない。もうオペラに行くことは叶わないのに。

そんな「礼儀正しい」オットが、はじめのICUにいた7日間と、4日間の集中心臓治療ユニットに居たときは良かったが、病状が少々落ち着いて、呼吸器病棟に移されてから、みるみるうちに元気をなくして、盛んに食べていたものも口に入らず、シャワーも面倒、着替えも面倒、動くのも口をきくのも面倒になってしまった。ここまで急激にウツになったら、うかうかしていられない。本物の鬱病になる前に家に連れ戻さないと。ということでドクターたちとの交渉が、退院するその日の夜7時までやりとりが続いて、大変だったが、とうとう連れて帰ってきた。真っ暗な家に、二人で帰ってきて、猫が盛大に迎えてくれたときは、オットは涙目で猫を抱いていた。
肺炎は完治していない。心臓も24時間モニターは取れたがまだ安心できない。腎臓もクレアチニンが400で少しも下がらないが、薬物治療で最低限の日常生活が続けられるようにしていくしかない。一日おきに血液検査と専門医受診が義務付けられた。腎臓が働かないので、体内の毒物が捨てられない。腎臓透析を拒否するからには、薬で毒物を中和するしかない。毎食後に23粒の薬を服用し、一日おきの血液検査の結果次第で薬を増やしたり、減らしたりする。そうしているうちに、回復してくれることを願っている。3か月後には、こんな薬の山を、あんなこともあったっけと笑い飛ばせるようにしたい。

それにしても今回のオットの入院で、救急室、ICU,心臓集中治療ユニット、呼吸器一般病棟と、移動してきたが、移動ごとにそこで働くナースたちの質が、順番に落ちていくのには驚いた。この先、リハビリセンターなどに送られたら、どんなナースが待っているのか、想像するだけで恐ろしい。ナースはみなオールマイテイーではないから、専門以外のことは知らなくても恥ではない。しかし「できるナース」と「できないナース」との差は、見る人が見れば一目瞭然だ。
ICUでは基本的に一人の患者に一人のナース、24時間モニター付きの心臓ユニットでは、25ベッドに昼間13人のナース、夜7人のナースが、それぞれ12時間勤務に当たっていた。どちらも優秀な、よく訓練されたナースたちが、過酷な12時間労働を担当していた。そういった救急医療を希望して来ているナースたちに、「できないナース」は居ない。

しかし呼吸器一般病棟に移ってからは、そうはいかない。呼吸器病棟では病棟自体の空気の圧力が外気とは変わっていて、外の汚い空気が病棟に入らないようになっている上、病棟内でも空気が還流しないようになっている。18ベッドのうち10ベッドは、感染対策が徹底していて個室で二重ドアになっていて、4ベッドずつの大部屋が2つ、これを昼のナース6人、夜のナース4人が診ている。施設は素晴らしいが、ナーシングはいまいちだ。派遣できているナースも多い。ナースたちは決して患者の体を触らない。シャワーが浴びられる患者にはタオルやガウンを渡すだけ。ベッドが平らなため、呼吸できない患者のために、リモコンでベッドの頭部を上げたり、ベッドの角度を変えるだけ。体が重いので傾斜するベッドから患者がずり落ちてくるが、「はい1、2の3で上に上がって」と掛け声をかけるだけ、ナースは絶対患者をベッドの上にずり上げたり、体位交換をしたりしない。手伝わない、触らない。ナースの職業病ともいえる腰椎対策が徹底している。

10年前に同じ病院の心臓外科病棟で働いていた。夜中、発熱したり汗をかいた患者や、手術後たくさんのチューブにつながれて自分で動けないので辛くて眠れない患者に、熱い湯で体をふいて、ベッドリネンを変えてた。トイレに行けず、ベッド横に置いた簡易トイレを使わざるを得ない患者には可能な限りお尻を洗ってあげた。それが自分には、誰に言われなくても自然なことだった。患者は、すこしでもよくなってくると退院と社会復帰に大きな不安にさいなまれる。眠れないでいる患者には、温かい飲み物とビスケットを持って行って、となりに座ってよくおしゃべりした。患者とベッドに並んで何度も同じ歌を夜中デユエットで唄ったこともある。同じ人間として、ナースは腰椎対策も大事だが、もっと患者との時間を持つべきではないか。正確に心電図の異常をとらえることも大事だし、自分が腰を痛めないように重い患者を運んだりしないことも大事だが、もっと自分の手を使って患者に触れることを忘れないで欲しい。

かなり強引に連れて帰ってきたオットは、慣れ親しんだベッドや枕があっても依然として呼吸が苦しいし、力が入らないで、数歩しか歩けないことがわかって、自分の病状が理解できたようだ。退院翌日には病院から訪問ナースが来てくれて、服用しなければならない沢山の薬を確認していった。ソーシャルワーカーも来てくれて、失業手当の申請について教えてくれた。立派な体をした若い物理療法士も来てくれて、呼吸の仕方、肺のふくらまし方をよく教えてくれた上、オットと一緒に歩行練習もしてくれた。しばらくの間、一日おきに来てくれるという。ありがたいことだ。これだけのたくさんの人に助けられながら希望通り家に帰ってきたオット、、、良くならなければいけないよ。キミ。

2014年10月14日火曜日

死なないオット


            

娘の結婚式をクアラルンプールで済ませて、シドニーに帰り、通常の生活に戻って、ほっとしていたところ、オットが派手に倒れてくれた。
深夜、喘息発作で呼吸ができなくなり救急車で病院に運ばれてみたら、肺炎を起こしていることが分かった。救急室で抗生物質の治療を受けたが、呼吸が戻らず人工呼吸器を取り付けなければならなかった。そうしているうちに、血液検査で、トロポネントという酵素が血液に浸出していて心臓の筋肉が急速に壊れている最中だということがわかった。二度目のハートアタックだ。危機状態で夜が明けて、翌日にはクレアチニン値が600まで上がっていて、腎臓不全になった。クレアチニンの正常値は60から120だが、600まで上がって腎臓透析をせずに生きている人も珍しい。

オットはサンタクロース型体型で、おなかが重いのでベッドで起座状態で、人工呼吸器をつけていて、苦しくなると手足をバタバタさせて、マスクを外してもらいたがる。外すと自分でヒューヒュー呼吸しながら、のどが渇いた、水じゃいやだ、ジュース飲みたい、などと勝手を言う。オレンジジュースだ、リンゴジュースじゃいやだ、オシッコしたい、ウンチもしたい、吐き気がしてきた、だのと大騒ぎをしたあと、また呼吸ができなくなって、機械を取り付けられて口を封じられる。そんなことを漫画のように何度も何度も繰り返した。心筋梗塞を起こしているので、アンジオグラフィーと言って、造影剤を入れて動脈検査をしながら、狭くなった心臓血管にステントを入れて血管を拡張してやらなければ心臓の筋肉が死んでしまうが、それをすると造影剤のせいで腎臓が完全に死んでしまう。心臓を生かせば腎臓が壊死する。腎臓を生かせば心臓が壊死する。いずれにせよ肺にもたっぷり水がたまっていて呼吸ができないという絶体絶命状態でいた。

3人の呼吸器ドクターチーム、2人の心臓外科ドクターチームと、2人の腎臓専門ドクターチームが、顔を合わせて、次々と出てくる悪化するばかりの血液検査やCT検査結果に、表情を曇らせていた。この時点でどのドクターも、オットを救命できると思っていなかったと思う。
そんな中で、両目をぱっちり開けて、人工呼吸器のマスクを自分で引きはがし、ダーリン、ジュースちょうだい、ダーリン、おしっこーと、元気に叫びまくっているオットに、ドクター達は、ホホウという表情で互いに顔を見合わせていた。私は横で、いつもの通り甲斐甲斐しくオットを介助しつつ、全くコイツは、死ぬまでしっかり生きるんだなあ、、、と実感していた。

僕は死ぬまでリタイヤしないで、仕事を続ける。癌なんかでどこかが痛くなってもモルヒネは使わないでね。死ぬまでしっかり自分で自分がどういう状態なのかわかっていたいから。常日頃オットはそう言っているが、実際自発呼吸ができないような状態で脳に十分な酸素が送られないと、意識を失うか昏睡状態になるはずなのに、両目をしっかり開けて意識を保っていた。これは立派。
誰も眠らない救急室で24時間が経ち、ICUに移り、集中治療が続けられたが、オットと私に、3チームのドクターたちは、ずっと検査結果と治療について、何度も何度も説明してくれた。良くなります、みたいなオタメゴカシは、だれも言わなかったし厳しい現実だけをきちんと話してくれた。本当にこういう点は、オーストラリアのドクターたちは立派だと思う。

で、、、その日から12日経った。肺にはまだ水がたまっていて、呼吸が苦しい。心筋梗塞はどうしようもないので、薬で治療していて、腎臓も透析せずに何とか保っている。レントゲンや血液検査結果は入院時とあまり変わらない。机上のデータだけを見るとひどい重病人みたいだ。
しかし本人は毎食毎食が待ち遠しくて、よく食べよく飲み、早く仕事に戻りたいと叫んでいる。とっても元気。

公立病院だが食事の内容は、それほど悪くなく、朝8時にコーンフレーク、パンにヨーグルトと果物。10時にはお茶と、ビスケット。1時の昼食には、スープ、肉か魚かパスタとパン。6時の夕食にはスープと肉か魚とパンに何か甘いもの。夜8時には、お茶とビスケットという、最低限誰もが空腹で苦しむようなことはないように配慮されている。
ところがオットは朝ご飯が待ちきれないので、朝7時にパパイヤ、スイカ、メロン、イチゴ、キウイを切ったフルーツカクテルを、入院以来、一日も欠かさず届けなければならない。昼食も待ちきれないので、階下の売店に行ってそのつど希望の品、ケーキを珈琲を買いに行かされる。夕食後も夜中におなかがすくのでベッドサイドに果物などが十分あるかどうかを確認してから、帰宅している。

本当に死ぬまで死なない奴、朝7時に行くと目を輝かせて、何持ってきてくれたのと、ベッドでちゃっかり待っている奴。早く元気になって二人で一緒に階下のカフェでアイスクリーム買って食べようね、と何度も何度も言う奴。ああ、、、君のウェストが大きくなるごとに私の方は反比例していきそうだよ。

2014年9月16日火曜日

シドニーでドキュメンタリーフイルム 「遺言」を観て


                       
 

ドキュメンタリーフイルム :報道写真家:豊田直己。野田雅也

「原発さえなければ、、、、残ったみなさんは原発に負けないで頑張ってください。」これが、菅野重清さんが、自分の首に縄をかける前に残した言葉だ。幼い二人の子供を残して逝ってしまった。酪農家は草を刈り、束ねて干して牛に食べさせる。そうして束ねた草を足場にして重清さんは首をつって逝ってしまった。どんなに無念だったことだろう。

酪農家にとって子供のころから育ててきた牛は宝だ。原発から30キロ離れた福島県飯館市は、事故翌日の風向きと雨に運ばれてきた放射能のせいで、原発直下よりも強い放射能をあびた。生活の糧である牛を処分して避難しなければならなかった酪農家達にとって、牛乳出荷停止と強制避難勧告は、何世代も重ねてきた故郷を捨て、収入減を失い、酪農家としての誇りを捨て、一家離散をさせることだった。断腸の思いだったろう。胸の痛みを絞り出すようにして書かれた言葉、「原発さえなければ、、、」原発さえなければ、原発さえなければ。

原発さえなければ自然災害で失われたものは再生される。しかし原発による被害は回復も再生も再興もない。

このドキュメンタリーフイルムは2011年3月12日に原発事故取材に訪れた二人の写真報道家が現場に腰を据え、2013年4月までの3年間を映した作品。原発から30キロ離れた福島県飯館村に住む方々の生活を写し取ったもの。飯館村は事故の翌日の風と雨によって最も強い放射能汚染を記録し、酪農家たちは出荷停止のよって生業を失い、計画避難地域指定によって故郷を捨て、急設された仮設住宅に移らなければなあらなくなった。一頭一頭名前のついた牛たちを屠殺場に見送る酪農家人々の姿に涙しない人はいないだろう。
村に住むたくさんの人々が出てくる。自給自足の生活を求めて近代的酪農を大学で学び、スイスに2年留学して技術を習得してきた日出代さんの牛舎を掃除する力強さ、たくましい腕に圧倒される。
10年前に放牧できる酪農をやりたくて、飯館村に移住してきた一正さんの淡々とした語り口と、それのそぐわない奥に秘めた熱い思いにたじろがされる。一番自殺しそうにない奴にやられちゃったなあ、、、と笑って言えるこの人の強さと慟哭に胸がきりきり痛む。
飯館村前田区長の長谷川さんの息子さんの義崇さんは、事故当時奥さんが二番目の赤ちゃんを妊娠したばかりだったので、赤ちゃんが生まれるまで心配だったという。この家族の何と、さわやかな笑顔を見せてくれることか。

仮設住宅に戻るのが嫌で、一時帰宅を許されたとき旧家で灯油を浴びて自殺された、はまこさん。亡くなる前の晩に布団の中で夫の手を握りしめていたという。
ひとりひとりの毎日が悲しくて、痛ましくて、本当にみているのがつらいフイルムだ。俳優の中村敦夫が、この映画は見る映画ではなくて、体験する映画だ、と言っていたというが、まさにこれらの家族の中に自分が入っていて一緒にいるような気がする。ドキュメンタリーフイルムの目線で見る人は映画を体験しているのだ。

3時間45分のドキュメンタリーフイルム。技術的に、ニュースをまとめるように、手際よくもっと短くすることもできただろう。でも口数少ない男たちの口から出てくる本当の肉声を聞くためには、じっくり収録しなければ本物をとらえることができない。カメラが口の重い男が涙を抑え、歎きや,愚痴や、怒号や、責任追及や、訴えやアジテーションしたくなるのをぐっと押さえて飲み込んで、マイクに向かってひとこと「、残念ですね」と言うロングショットのシーンは、正に迫力を超えた真実が映されている。

任キョンアさんのチェロが素晴らしい。チェロをバックに被災地が次々と映し出される。春の満開の桜、タンポポ、藁ぶき屋根の大きな農家、かなたの山々、どこまで行っても緑の平和な光景。つぶれるような胸の痛みが、チェロの透明な音に還元されて、共鳴していく。

病弱なオットはふだん2時間と腰かけていることができないが、この長時間のフイルムを身動きもせっずにずっと見入っていた。本当に良いフイルムを見たと感動してカンパをしていた。自分がかつて、2千頭の羊を飼うファーマーだったから、農民の気持ちに共感できたといっていた。
18年前に初めてオットと会ったころ、私は、日本には45機の原子力発電所がある。(当時)。小さな島国で大きな人口を持つ国が原発をもっては、必ず大きな事故に見舞われる。原発を使ってまで工業生産に頼るような国から、オーストラリアの農業に基盤を置いた国で、子供たちを育てたい。と言った。限りないウランを抱えながら、自国では医療用の放射物質を作る施設しか持たないオーストラリアに好感を持った。オーストラリアはアジアの一部ですと公言する当時の首相ポール キーテイングをなかなか悪くない奴だと思っていた。あれから18年など、あっという間に過ぎてしまった。

そして、事故が起きた。東日本大震災によって起きた福島原発事故は天災ではなく人災だ。刑事犯罪として責任が追及されて処罰と損害賠償が行われなければならない。と、誰もが考えるが、電力会社が刑事責任を負わないですんでいる国、3年半経って仮設住宅に住まざるを得ない人々、24万人の人々はまだ避難中という国、自殺者を日々生み出している国、何千何万トンという放射能汚染水を太平洋に垂れ流している国、除染した汚染土をビニールで囲って放置している国。
わたしたちは何のために長い間、黙々とこんな国に税金を払い続けてきたのだろう。

もっと怒るために、このフイルムを見たかった。怒りを日本に居て怒っている人々と共鳴するために、このフイルムを見たいと思っていた。怒りをオーストラリアのウラン採掘を止めさせるエネルギーに足したくてこのフイルムを見たかった。
このフイルムを、何度も何度も繰り返し見たいし、もっともっとたくさんの人たちと観ることによって、日本で見ている人たちと、つながりたい。
この素晴らしいフイルムを海外で初めて、シドニーで上映会を開催してくださった和田元宏さん、ありがとうございました。見る機会を作ってくださって、心から感謝しています。

2014年9月15日月曜日

結婚した娘へ


                                       

7月6日に「結婚する娘へ」という記事を書いたのだけれど、今また再びおめでとうを言いたい。
そしてお疲れ様でした。オットとなった人のその家族のために、クアラルンプールで挙式を上げることになって、準備が大変でしたね。招待状の準備や、教会やホテルとの交渉、披露宴の食事やケーキの内容から、花の注文に至るまで、慣れない異国で一人奮闘しているあなたを心配しながら見ていました。その後、すべて、あなたが準備していた予定通りの運びとなって、挙式が進行していく様は、美しい手品を見るように見事でした。 私たちが式の2日前に到着してみると、5日間滞在する予定のホテルの支払まで済んでいる手際の良さにはびっくりでした。

式の前日は、私たち家族だけでそろって、ゆっくり食事ができて良かった。そのあとには、あなたのかつてのクラスメイトだったインターナショナルスクールの仲間たちが家族そろって会いに来てくれたのは、嬉しかったですね。みんなすっかり大人になって。日本から、台湾から、韓国から、フィリピンからと、なつかしい友達があなたの結婚式のために来てくれました。また日本から叔父夫婦たちや、フィリピンでお世話になった方や、シドニーで仲良くなった方も、飛んできてくれました。
それでも、新郎側のマレーシアに住む親せき友人150人には、数では、かないませんでしたけれど、にぎやかで晴れやかな結婚式になりました。

式は歴史ある聖フランシスコ ザビエル教会で、新郎が子供の時からお世話になっている神父さんの手によって挙式が行われたことで、新郎側の方々の喜びは大きく、皆さん満足されたことでしょう。そのあとのセレモニー、そして披露宴。朝7時から準備を始めて、深夜、披露宴で酔っぱらった新郎の友人達が帰るまでの長時間、あなたは笑顔を絶やさずにいて、立派でした。疲れていたでしょうにウエデイングドレスにハイヒール姿で、まっすぐ立った姿勢も崩さず、来てくれた人ひとりひとりにきちんと挨拶をして、最後の一人まで、みごとな笑顔で送り出しました。なかなかできることではありません。そして、短いリゾートでの旅行をして、一週間後に、もう一人の娘家族とそろって元気にシドニーに帰ってきてくれて、本当にほっとしました。

私が結婚して二人の娘をもって本当に良かったと思っているので、あなたにも結婚してほしかった。それが、思い通りになって、心から嬉しいのです。
何100年も語り継がれてきたお伽噺のように、「そうしてお姫様は王子様と結婚して幸せに暮らしました。」というように現実はいかないし、3組に1組は離婚する世相です。日本では33年もの間、出生率が下がり続けているそうです。それでも、人は結婚し家庭を作ろうとする。それは、きっと人が自分だけの為でなく、誰か他の人のために生きたいと願う存在だからでしょう。トルストイの言葉になかに、こんなのがあります。「われわれは他人のために生きた時、はじめて真に自分のために生きるのである。」 それが結婚というものかもしれません。

あなたは日本から離れた外国で成長し,両親が離婚しても、父親が急死してもどんなことがあっても、嘆くことをしなかった。いつも物事の良い面を見て、後ろを振り返らずにやってきました。正しいことと、そうでないことを常に明確に判断する鋭い目をもっていました。それでいて正しくないところにいる人々に対しても糾弾しないで見守る優しい目を持っていました。そういったところは尊敬に値します。

世の中は間違いに満ちています。制度は不公平と差別と物欲によって成り立っています。政治は大企業と兵器を売る死の商人とユダヤ資本によって繰り動かされています。3.11 東日本大震災から3年半経って24万人避難中の人々がいまだ苦しむ中で、東京オリンピックが誘致されました。13年前の9.11同時多発爆破事故は、アルカイダによるテロではなかったのにアメリカがイラク侵攻を強行し、良心的弁護士としてそれを批判したオバマが大統領になってみると、再びイラク空爆を強行しています。日本はそれを支持して協力を約束しています。日本は新たな血と憎悪を求めて戦争への道に向かっています。2020年の東京オリンピックは、1936年のベルリンオリンピックのようになるでしょう。

私たちは、間違いだらけの世の中を生きているのです。
しかし、どんな時代にも、多くの人々は黙々と種を集めて土を耕しながら、樹を植えようとしています。そこが荒地であろうと、砂漠であろうと。人が人である限り、どんな状況、どんな時代にも人は良き人になりたいと思っています。今の自分よりは少しでも良き人として生きようとします。一緒にそのようにして生きていきましょう。私の娘として生まれてきてくれて、本当にありがとう。そして
結婚おめでとう。

2014年8月2日土曜日

日本非公開の映画 「ザ フラワー オブ ワー」

                        

英題:「THE FLOWERS OF WAR」          
原題:「NANJING HEROES」
2012年アカデミー 外国映画最優秀賞候補
ゴールデングローブ 外国映画祭優勝賞候補
中国映画 日本非公開

監督:チャン イー モー
キャスト
ジョン ミラー神父 :クリスチャン ベイル
ジョージ少年    :Huang Tianyuan
踊り子 Yu Mo  :Ni Ni
女学生Shu     :Zhang Xiniyi
長谷川大佐    :ワタベ アツオ
政府軍兵士    :Dawel Tong
ストーリーは
1937年 日中戦争で蒋介石の南京脱出 中国軍撤退に伴い日本軍は首都南京を包囲し、投降勧告に応じなかった軍人を含む市民、14万人を虐殺、2万人の女性がレイプされた。戦後、戦争犯罪として極東軍事裁判と南京軍事法廷で審議、死刑を含む処罰が行われ、日本政府から公式な賠償と謝罪がなされたが、多くの中国人は、それでは充分ではないと考えている。という説明文があって、映画が始まる。
南京は日本軍によって占領されたが、撤退中の中国政府軍や避難する市民たちで混乱を極めていた。建物はことごとく破壊され、道の両側には瓦礫と死体で山ができている。女たちは一様にレイプされていて、無残な裸体をさらしたまま死んでいる。

そんな中を、逃げ遅れたカソリックスクールの女学生の一団が命がけで南京大聖堂を目指して走っている。大聖堂に避難することが安全だとは言えない。13歳の少女たちを案内するのは、同い年の大聖堂の教主の養子、ジョージだ。彼らの姿を見た撤退中の数人の政府軍兵士が 少女たちをガードする。14人の少女たちが大聖堂にたどり着くと同時に、一人のアメリカ人が到着する。ジョンと名乗るその男は、葬儀屋で大聖堂の教主に以前仕事を依頼されていた。しかし大聖堂の正面には大きな穴が開いていて、赤十字の大きな旗が貼ってあるのも関わらず、数日前に空爆されて教主がこの時に亡くなっていた。ジョンは大聖堂の教主の部屋に陣取って、傍若無人にふるまう。教会のワインに手を出して飲んだくれている。ジョージも女生徒たちも、あきれている。

そこに花街の売春婦たちが、12人も避難してくる。ジョンは大喜びだが、女生徒たちは大迷惑だ。踊り子たちも勝手気ままに聖堂の寝室を占領する。なんとか南京を脱出しなければ生き延びられないことははっきりしているが、脱出方法がない。たった一台のトラックは空爆で壊れていた。
ある日、遂に日本兵のトラックが大聖堂に乗り込んでくる。ジョンの指示で踊り子たちは地下に隠れるが、女生徒たちは遅れて日本兵に見つかってしまう。女生徒たちは、立ちふさがる神父の服を身にまとったジョンの背後に隠れる。ジョンは、自分の身の危険を顧みず赤十字の大旗をかざして兵士たちを説得しようとするが、日本兵たちは聞く耳を持たない。兵士たちは、処女だ処女だと叫びながら逃げ惑う女生徒たちを追い廻し、やがて、ひとりひとりと日本兵の手にとらえられる。
この場を救ったのは、一発の銃声だった。辛うじて生き残っていた中国政府軍の出現に日本兵たちはあわてて戦闘態勢にもどる。しかし2人の女生徒が、日本兵の犠牲になって死亡していた。嘆きは女生徒ばかりではない。踊り子たちは地下に隠れて一部始終を目撃していた。このとき女生徒たちも 狭い地下に逃げ込もうとしていたら、兵士に見つかって全員が殺されていた。踊り子たちは、自分たちの犠牲になって女生徒たちが逃げ回ったことにうしろめたさを感じずにいられなかった。しかしこの時から、アメリカ人で飲んだくれの葬儀屋ジョンは、全員から 信頼をこめて「神父ジョン」と呼ばれるようになった。

後日、日本兵の大隊がやってきた。隊長は長谷川大佐と名乗り、先日の小隊の乱行を謝罪し、彼はクリスチャンなので教会を守り、女生徒たちに危害を与えないと約束する。以来、長谷川大佐はしばしば教会に来て女学生達の歌う讃美歌を聞きに来るようになった。
しかし小康状態はいつまでも続かない。日本から大連隊が到着して、南京陥落祝賀会が行われるという。会の出し物に、女生徒たちのコーラス隊を出すように、ジョンは命令される。ジョンはまだ女生徒たちは子供なので、そのような会には出せないと懸命に食い下がるが、長谷川大佐は譲らない。上司の命令だという。その場で間違って女生徒の中に入って数えられてしまった一人の踊り子を含めて13人の女生徒が、祝賀会に歌を歌いに参加する。ということは、そのまま日本兵に女を供出するということだ。女生徒たちは生きて帰れない。悲嘆にくれる女生徒たちを慰める方法はない。思い余って教会の塔からそろって身投げして死のうとする女生徒を止めたのは、踊り子たちだった。反目し合っていた女生徒たちと踊り子たちは、和解する。踊り子たちは女生徒たちの身代わりになって、祝賀会に行くという。教会のカーテンを引き摺り下ろして制服を作り、髪を切り、胸にさらしをまく。しかし日本軍は13人のコーラス隊を待っている。12人の踊り子たちが出て行っても、残りの一人を探すために日本兵たちは教会の隅々まで探すだろう。教主の養子ジョージが最後の一人になることを申し出る。ジョンはジョージ少年のためにかつらを作り、化粧を施す。

当日、軍のトラックが迎えにやってくる。13人の女生徒に扮装した踊り子たちとジョージは、渾身の思いをこめて、女生徒達とジョンに別れを告げる。彼らは軍のトラックに乗って走り去った。踊り子たちの去った後、ぐずぐずしてはいられない。ジョンは修理の終わったばかりのトラックの荷台に女生徒たちを寝かせ、その上に教会のワインや物資を載せて南京を脱出するための道のりを走り出すのだった。というお話。

この映画は日本では公開されなかった。映画のはじめに南京虐殺で14万人が犠牲になったという説明があるが、この数が問題になったようだ。南京虐殺にはいろいろな説がある。30万人の犠牲という説から、数千人説まである。しかし、国際的の高く評価されている監督による作品で、英国人アカデミー俳優のクリスチャン ベイルが主役になっているのだから、日本で上映すべきだったと思う。
チャン イー モーは今では中国の芸術を代表する大御所で、天才監督といわれているが かつては抵抗の芸術家だった。1987年の「紅いコーリャン」は、彼の作品の中で一番の傑作だと思うが、ここにも日本軍の残虐さに引き裂かれる貧しい農民たちの姿が描かれている。1991年「紅夢 レッドランタン」、1999年「初恋のきた道」(THE RODE HOME)は、チャン ツィイのデビュー作になった。2002年「英雄」、2004年「LOVERS」、2006年「王妃の紋章」も忘れられない。どの作品も広大な中国の自然が背景にあって美しい。この監督を中国の黒澤明という人がいるが、それよりも中国のデヴィッド リーンの作風に近い。美しい自然をバックに、Ni Ni や、ゴング リーやチャン ツィイなどの美しい女優を素晴らしく美しく撮る。その腕は確かだ。

この映画は救いようのない歴史的悲劇を映画化したにも関わらず、チャン イーモーの美的センスがあちこちに光っていて美しい。さすが、「色彩の達人」だ。終始紺色に制服を着たおかっぱ髪の女生徒たちの清楚な美しさ。一方、真紅の口紅をさした華やかな踊り子たちの艶やかさ。
暗い教会、黒服の神父の前に、黒い兵隊たちの群れがやってきて蛮行を行う。抵抗する神父ジョンが、大聖堂の檀上から広げる国際赤十字の真紅の旗が鮮やかにひるがえる。その黒と赤のコントラストがみごとだ。
中国政府軍の最後の兵士が、1連隊の日本兵を道ずれに死んでいくが、そこが布地問屋の建物だった。大爆発のとき 彼も日本兵も何もかも粉砕されるが、美しい色とりどりの絹布が空に舞い上がる。赤や黄や青の絹が舞い、美しい花火を見るようだ。スローモーションでこれを見せる。チャン イーモーでなければ こんな色使いはできなかっただろう。みごとだ。

映画のテーマは自己犠牲とヒロイズム。
ー飲んだくれのジョン ミラーには自分だけで逃走するチャンスがあった。現に偶然アメリカ人の友達に会って、一緒に最後の船に乗って逃げるように勧められる。しかし14人の女生徒と12人の踊り子と孤児ジョージの命が、自分ひとりにかかっていることを知って、教会に残る選択をする。
ーまた孤児ジョージはたった13歳、踊り子たちが去った後、少女たちと一緒にジョンの運転するトラックで南京脱出をするチャンスがあった。しかし彼は日本軍が要求した13人目の女生徒として日本軍の祝賀会に行く。そのために恐らく日本軍を欺いたことで最も過酷な殺され方をしただろう。それを彼は選択した。
ー12人の踊り子たちは、ジョージのトラックに乗って逃走することができた。日本軍は13人の女生徒、処女を要求していたのだから。しかし踊り子たちは自ら女生徒を装い、日本軍に供出されていく。彼女たちも残酷な殺され方をしたことだろう。
ーその踊り子たちの決意をする前に12人の女生徒たちは、最初に日本軍がやってきたときに、踊り子たちを立ち退かせて自分たちが地下に隠れることもできた。しかしそれをせずに図書館に閉じこもったために見つかって追い回された挙句2人の犠牲者を出した。
ー最後に残った中国政府軍兵は、女生徒を守るために教会前を防備する必要はなかった。他の兵士たちと一緒に撤退することもできた。しかし彼は残って死ぬ選択をした。

自分が殺されるか否かという間際に、みんながみんな重要な選択をする。「人のために生きてこそ本当に生きたことになる。」というトルストイの言葉を 自分たちの命で’証明しているような生き方だ。美しいが悲しい。
チャン イーモーは、「どんな状況に置かれても人は愛し、助け合い、少しでも人間的であろうとする。そういった人間的な愛と犠牲は不変で永遠のものだ。戦争の中でも、人間精神が変わらないと尊いものだということを表現したかった」、と言っている。貴重な言葉だ。
とても美しく、良い映画だ。日本で非公開なのは、残念だ。
日本語版はないが、アマゾンから中国語に英語字幕のついたヴィデオを取り寄せることができる。実際アマゾンまで行かなくても良い。(笑) クリックするだけだ。



2014年7月31日木曜日

映画 「ベルとセバスチャン」

                                 

フランス映画:「BELL AND SEBASTIAN」
監督:ニコラス ヴァニエ (NICOLAS VANIER)
キャスト:セバスチャン: FELIX BOSSURT
      お祖父さん : TCHEKY KARYO
      叔母さんアンジェリナ:MARGAUX  CHATELIER

ストーリーは
6歳のセバスチャンは。フランスのスイス国境に近いアルプス山岳地帯にある、小さな村に住んでいる。親はなく、遠い親戚の叔母さん、アンジェリーナに引き取られている。父親代わりのおじいさんからは、アルプスの山を越えたところにアメリカという国があって、そこにセバスチャンの母親が住んでいて、良い子にしていたらクリスマスに会いに帰ってくると、言い聞かされている。

村の人々は山岳地帯の厳しい自然のなかで、羊の放牧をして暮らしを立てている。村では今年になって何頭もの羊が、野生のオオカミの犠牲になっていた。しかし、残された足跡からみると、どうやら羊を襲っているのはオオカミではなくて、野生化した大型犬らしい。冷酷な飼い主から逃げ出して野生化した犬が羊を殺すのは困ったことだと考えた村の人々は、山のあちこちに罠を仕掛けた。ある日、セバスチャンは山で、汚れたボロをまとったような大きな犬に出会う。いつも一人ぼっちのセバスチャンは、すぐに人なつこい犬と友達になる。ベルと名付けて、時を忘れて野山を走り回りセバスチャンは遊んだ。しかしそれを秘密にしておかなければならない。セバスチャンは、ベルに罠のあるところを教え、山稜にある山小屋の秘密の隠れ場所を教える。

時は1943年。ドイツ軍が、セバスチャンの住む小さな村にも進駐してきた。セバスチャンの叔母アンジェリーナは、村のパン屋をしているが、駐屯するドイツ軍のためにパンを供出しなければならなくなった。村に居るたった一人のドクターは、パルチザンに加わっていて、ユダヤ人を山越えしてスイスに逃亡させる手伝いをしていた。村の人々は一見、平常と変わりないように暮らしているが、駐屯しているドイツ軍兵士たちの強権的で横柄な態度に強い反感を持っている。

ある日、セバスチャンは山の稜線で山岳パトロール中のドイツ兵が、興味本位で子供を連れた山羊を打ち殺すのを見て、それを止めさせようとする。子供をもった親羊が撃ち殺されると、残った山羊の子供は生きていけない。邪魔をされたドイツ兵たちはセバスチャンに腹を立てて暴力をふるう。それを見た大型犬ベルは、セバスチャンを助けるために、ドイツ兵に襲い掛かって怪我をさせた。怒ったドイツ兵は、村人を集めてこの犬を殺すように命令する。村中の男たちが駆り集められた。セバスチャンはベルをかばうが、人々の理解を得ることができない。ついにベルは追いつめられて撃たれる。その夜、セバスチャンは、ベルが死んだものと思って眠れなくなり山小屋に登って秘密の隠れ場所に閉じこもっていると、夜半傷を負ったベルがやってくる。ひどい熱で怪我も重い。セバスチャンはドクターを連れてくる。そしてベルのことを口外したら、ドクターがユダヤ人を山越えしてスイスの逃亡させていることをドイツ軍に密告すると脅かしてベルの傷を治療してもらう。やがて、ベルは元気になる。

クリスマスが来た。ドクターは引き続きユダヤ人家族を国境まで案内して国外に逃亡させている。ある夜オオカミに襲われた羊を囲い込もうとして、ドクターは大怪我をする。雪山で、歩けなくなったドクターをそりに乗せて山道を下り、セバスチャンの家まで、そりを引いてきたのはベルだった。ドクターの命は助かったが、山小屋の残してきたユダヤ人家族の山越えの案内をすることができない。セバスチャンの叔母アンジェリーナが代わりに案内をすることになったが、女一人で山越えすることが心配なので、セバスチャンがベルを連れて同行することになった。ユダヤ人家族と国境線の山々の超える山行は、吹雪になって全員遭難する危険があった。しかし辛うじてベルの方向感覚に頼って困難な山越えを成功させることができた。ベルはセバスチャンにとってだけでなく、人々にとってなくてはならない存在になっていた。
クリスマスがきても、アメリカにいるといわれていたセバスチャンの母親は帰ってこない。お祖父さんは、セバスチャンに本当のことを話す。セバスチャンの母親はジプシーだった。セバスチャンを産んで居なくなった。でもセバスチャンはもう一人きりではない。ベルがいつも一緒だ。
というお話。

2013年フランス映画祭の出品された作品。1965年の子供向けの童話を映画化したもの。
最初の山岳シーンがすごい。心ない猟師が、歩けるようになったばかりの子羊を連れた母親の山羊を撃ち殺す。撃たれた山羊は斜面を岩にぶつかりながら谷に落ちていく。残された子羊は急斜面の取り残されている。母乳を飲んでいる子羊は母親をなくすと生きていけない。それを山稜から見ていたおじいさんは、セバスチャンに空のリュックサックを背負わせて、命綱をつけて岩場から下に下ろして子羊を救出に向かわせる。切り立ったオーバーハングの岩場だ。たった6歳の小さな子供がロープ一本を命綱に降りていく。それを360度の角度から写し撮る。レンズを接写から広角へ、山全体を映していく。アルプスの乾いた岩の急先鋒がどこまでもどこまでも続く。4808メートルのモンブランに続くジュラ山脈の山々だ。アルプスの山々の大きさに比べてロープ一本で釣り下がっている人の何と小さいことか。このスケールの大きな山のシーンを見るだけのために、この映画を見る価値がある。

そういった山岳地帯の自然描写がただただ美しい。わずかな緑を求めて放牧した羊を移動させる人々。堅固な石でできた洞窟のような家に住む人々。深い雪、厳しい自然。ドイツ軍による進駐、冷酷無比の隊長。ウサギ狩りをするような感覚で面白半分にユダヤ人逃亡者を追い詰める兵士たち。暗い時代に、厳しい自然状況に生きる人々の内に秘めた生への希求。
親のない子供の心にある大きな穴をすっぽり覆い隠すほどの存在感と重量を持った大きなセントバーナード犬の力強さ。犬と人との友情を扱った友情物語はいつも感動的だ。

はじめベルが野生化した犬なのでぼろ雑巾のように汚い灰色をして登場するが、セバスチャンと一緒に川で泳いで遊んで、岸に上がってみるとびっくり、真っ白でふわふわのまったく別の犬になっている。映画を見ていた人が「ほ ほー!」とため息をついていたが、セバスチャンも「え、おまえは白い犬だったの?」と言う。セバスチャンも映画の観客も一緒に驚いて、同時にその美しさに感動するシーンだ。監督の見せ方がうまい。
犬は他の動物にない人に対するゆるぎない信頼と、忠誠心をもっている。人は裏切るが犬はしない。語り掛ければ、懸命に耳を傾けて聞き取って、人と喜怒哀楽を共有しようとする。犬の良さがみていてよくわかる。
子供向けの童話なので登場する人物の内面が深められていない。ストーリーも単純すぎる。テーマソングが子供がベルベルと歌ってダサい。しかし、犬と少年の美しい姿が、そういったマイナス面を忘れさせてくれる。雪を頂いたアルプスの山々の映像に見とれた。自然の美しさが、映像が終わってもずっと目に焼きついている。とても良い映画だ。

2014年7月15日火曜日

映画 「イヴ サンローラン」




小学校5年生の時にテレビでコメデイフランセーズの芝居を見て、この世にこんな素晴らしい世界があったのか、と心底感動した。観たのはモリエールの「スカパンの悪だくみ」と、「悲しき性」の2本だ。舞台の上で、指先から足のつま先まで、よく訓練されたからだ全体を使って役を演じる役者たちのすばらしさに目を見張った。特にスカパン役の喜劇俳優の、体を自由自在に駆使して巧に笑いを引き出す役者の姿に深く深く感動した。喜劇というパワーに圧倒された。たかだか小学生の自分が、フランス語だったから字幕を読みながらのテレビ中継に どうしてこのときそれほど感動したのかわからない。ともかく、これを観てからは世界が違って見えるほど、舞台というものに感動した。

国立コメデイフランセーズは、1680年に、太陽王ルイ14世によって結成された、世界で最も歴史あるフランスが誇る劇団だ。役者たちは舞台稽古の前に、1時間かけて発声練習をするという。自分たちの言葉フランス語を大切にするフランスならではのことだろう。
大学時代、演劇部と仲間と発声練習を付き合ったことがある。あえいおあおあおー、かけきくかこかこーを、大学の池の端と端に分かれて叫びあう。10分ほどでもう貧血で倒れそうになった。このときから芝居は、自分が演じるのではなく観るものだと決めてきた。

映画「イヴ サンローラン」を演じた二人の主役俳優が、コメデイフランセーズの役者だという。確かに、ギヨーム ガリエンヌが運転していた車を止め、車を降りて、女性が車から出るのに手貸し、ホテルのドアまで歩いて女性を先導して中に入る、というただそれだけの30秒のフィルムが回る間の流れるような身のこなし方を見ただけで、ほほーっと感動してしまった。絶対に東洋人にはまねできないのと、普通の生活をして暮らしている普通の人にもできない。さりげないレデイファースト、身についたエスコートの身のこなし、それが身震いするくらい美しい動きになっている。体で表現する役者と呼ばれる人たちの動きは、まことに自然で無駄がなく美しい。

映画は20世紀でもっとも活躍したファッションデザイナー イヴ サンローランの伝記映画。
コメデイ フランセーズの役者ピエール 二ネとギョーム ガリエンヌが、生涯のパートナーだったサンローランとベルジュの役を演じている。現在もまだ仕事を続けているピエール ベルジュが映画製作に全面的に協力していて、1976年のサンローランがファッションに大ブームを引き起こす契機にもなったパリ ウェステインホテルでのオペラバレエ コレクションの発表などで出品された作品すべてを再現している。生き証人による限りなく真実に近い事実をそのまま映画にした伝記だということになる。映画化にあたって、サンローランのパートナーであり、共同事業者であったベルジュとしては、触れたくない過去や明るみに出したくない出来事もあったが、良かったこと悪かったことすべてを含めて、これがサンローランという男の人生だった、と述べている。

監督:ジャリル レスパート (JALIL LESPERT)
キャスト
イヴ サンローラン :ピエール 二ネ
ピエール ベルジュ: ギョーム ガリエンヌ
ヴィクトリア     :シャルロッテ ル ボン

ストーリーは
イヴ サンローランは若いデザイナーとしてクリスチャン デイオールに認められデイオール社で働いている。彼にはデイオール社のトップモデル、ヴィクトリアという女性がいて、まわりからは恋人同士と思われていたが、サンローランに首ったけのヴィクトリアのベッドの相手を彼は勤めることができない。ある日、美術館で働くピエール ベルジュは、デイオール社のパーテイーでサンローランに出会う。ほどなく二人は恋に陥って、共に暮らし始める。社長であるクリスチャン デイオールが亡くなり、サンローランがトップデザイナーとして仕事を引き継ぐことになった。若すぎるのではないかと危ぶまれていたサンローランは、デイオールの最初のファッションショーで酷評される。すでに出来上がっているデイオールのイメージを継承して世の酷評に耐えながら仕事を続けることに耐えられなくなって、サンローランは独立を決意する。

サンローランは、トップモデルのヴィクトリアとわずかのスタッフを連れて、退社してサンローランブランドを ビジネスとして立ち上げる。パートナーのピエール ベルジュは、自分の仕事を辞めてサンローランの会社としての経営と運営を一手に引き受けることになった。事業が軌道に乗るには時間がかかったが、やがてサンローランは、ピカソの抽象画をヒントに直線と原色を使った婦人服を発表して世界の注目を浴び、事業として成功していく。もてはやされ、贅沢に慣れ、海沿いに別荘をもつ。デザイナーは、常に新しいインスピレーションを得て、新しい物を作り出すことが命だ。新しい刺激を求めてサンローランはドラッグとアルコールに、嵌っていく。若い恋人ができて、パートナーのベルジュは捨てられる。ヴィクトリアとの関係さえ、壊れていく。若い恋人の自殺、さらなるドラッグ、、、サンローランは自分でコントロールできない闇のどん底まで落ちていく。それでも何事もなかったように事業として成功させ、表のサンローランの顔を取り繕い、支え通したのがピエール ベルジュだった。というお話。

二人の繊細な心を持った男たちが出合い、恋に陥っていくシーンがセーヌ河をバックに美しい。細やかな男たちの愛の表現に胸が詰まる。ヴィクトリアがサンローランのアパートを訪ねてきて、「あらベッドルームが一つしかないのね。知らなかったわ。」とすんなりサンローランとベルジュの関係を認めるシーンもフランスらしい。天才的デザイナーで創造する人と、それを世に出すトップモデルと、またそれらを事業として成功させるマネージャーという3人にとって、そのうちの一人でも欠けていたらサンローランブランドはあり得なかった。3人の信頼と嫉妬と憎悪、、、奇妙な三角関係は、それだけで興味深いドラマになる。ベトナム戦争、カルチェラタン、学生革命といった新しい時代に、新しさを求めて、サンローランが身を持ち崩していく過程は痛ましい。それでも直線的で、清潔、高貴な香りのするサンローランブランドを世に出し、、事業として成功させて、今も継続させてきた人々の努力と誇りは評価できる。華やかなファッションショー、美への探求、豪華な舞台、見ているだけで楽しい映画だ。

2014年7月13日日曜日

松本大洋の漫画 「SUNNY」





子供を捨てる親が居るかと思うと、そんな子供たちを集めて一緒に生活する親も居る。松本大洋の新しい作品、「SUNNY」は、そんな漫画だ。いま5巻まで出ている。
園長先生が始めた「星の子学園」という施設の庭には、廃車になった日産サニーが動かなくなった時のまま放置されている。そこに入り込んで子供たちは、自分が運転して自由に車を動かしている気になったり、後部座席で本を読んだり、隠れてタバコを吸ったり、人知れず泣くために、そっと乗車してきたりしている。

星の子学園の園長先生は、6年前に奥さんを亡くしてからすっかり年を取って引退しており、足立稔先生夫婦が実質的な経営と子供たちの世話をまかされている。園長先生の孫の牧男さんは 京大生でアルピニストだ。大学が休みになると星の子学園で働く。子供たちはそれを待ちかねていて、みな牧男さんと一緒に遊んで、一緒に寝てもらいたがる。子供たちにとって牧男さんはヒーローだ。しかし両親は学園に全く関わっておらず、牧男さんのやっていることに批判的だ。子供たちを見ていて牧男さんは、どう生きていくべきかわからなくなって大学を休学して山の単独行ばかりしていた。ガールフレンドの七子さんを連れて、星の子学園のみんなに紹介する。そのうちに大学にも復学するつもりだ。

園に静という小学校3年生の男の子が両親に連れられてくる。父親の経営していた自動車工場が破産し、生活が経ちゆかなくなって、園に預けられることになった。母親からは毎週手紙を送るし、必ず迎えに来るから、と言われて納得してきた、勉強のよくできる眼鏡をかけた子だ。サニーの中に泣きに来ると、「僕も園に来た頃はいつもここで泣いたよ。でもだんだん悲しいのになれてくるんだ。」と、同い年の春男に言われる。あんなに約束したのに、両親からの手紙はだんだんと送られてこなくなり、やがて音信不通になる。ある夜、静は足立さんの車の鍵を持ち出して車にエンジンをかける。予定では駅まで車を運転して、電話で足立さんに謝り、電車に乗って新幹線の乗り換えて、昔家族で住んでいた家に帰るつもりでいた。着いた駅で母親のために花を買い、工場に父を迎えに行って、そろって家に帰るという予定を立てていた。予定通りに車の運転が小学校3年生にはうまくいかず、コントロールを失った車は電柱にぶつかって静は保護される。静の家出予定表をみて園長先生は静に本当のことを話す決意をする。静の母親は行方不明で、父親は破産して前住んでいた家にはもう誰も居ないということを。

静と同い年の矢野春男は小学校1年生のときに園に来た。親に捨てられたショックとストレスで髪が白くなってしまったのでホワイトと呼ばれている。両親に遊園地にでも行くように騙されて連れてこられて、翌日目が覚めてみたら親が居ない。泣くのではなく叫び、ゲーゲー吐きながらもまだ叫び続け、延々と親を探し回った。暴れて園の女子の髪を切り、犬小屋を燃やし、全員の靴を池にぶち込み、園は竜巻に襲われたように破壊された。それから2年経ったが、今も春男は、学校では問題児、園で煙草を吸い、虚勢を張っている。
そんな春男の父親はいつも金を持っていなくて、女い食べさせてもらい、ヒッチハイクでふらっと園に来ては園の世話になる。春男と一緒に暮らす気がないのに春男に会いに来て、またふらっと居なくなる。母親は、時々春男に会いに来て自分の住む東京に連れて行き数日過ごして、春男を園に帰させる。母親は春男に「また髪が白くなったのね。素敵よ。」と言い、「私のことをかあさんと呼ばないで。矢野杏子と呼んで頂戴。」などと要求する。そんな母親に春男は「いつもお母さんに会いたいねん。会うてしまうともう別れる時のことを考えて胸んとこいっぱいになんねん。会えるの1年のうち3回ぐらいやろ。なんや会うてても半分くらいからもう別れるときのことばかり考えてしまうねん。」と告白する。園長先生の孫の牧男さんがやってくると他の誰よりもとなりに寝てもらいたがり、牧男さんが約束通り七子さんを連れてくるとバケツいっぱいドジョウをとって待っている。

中学3年生の伊藤研二は新聞配達をしている。姉の朝子は高校生で、園の小さな子供たちの世話もしている。アル中で気の弱い父親を捨てて出て行った母親には男が居る。身勝手な父親に振り回される研二は、不良少女と呼ばれる春菜と心通じ、淡い恋心をもっているが、春菜はやがて学校を止め、男の車に乗って去る。姉の朝子は偶然に道で会った母親に誘われて喫茶店に入るが、自分のことしか考えられない母親に、「親はおらんもんやて研二もうちも覚悟はできてるさけ」と言ってコーヒー代も自分で払って、親に背を向けて園に帰ってくる。

純助は弟のしょうすけと入園した。父親はなく、母親は長期入院をしている。その母親にお見舞いに行くために、二人して毎日四葉のクローバーを探している。

静と春男と同じ小学校3年生にめぐむという女の子が居る。両親ともに亡くなっているが、いつも両親との楽しかった話をみんなに自慢して話して聞かせる。学校では園の子供たちよりも普通の家庭の子供たちと遊びたがる。遠い親戚夫婦が、不憫な孤児のめぐむに会いに園にやってくるが、めぐむは一緒に寝てくれるという申し出を断り、夫婦が買ってくれた服を着たがらず、外出して映画を観ても上の空で園に帰りたがる。子供の居ない寂しい夫婦は、めぐむを引き取って育てることも考えていたが、当のめぐむに何もかも拒否された末に、おばさんは言う。「大丈夫よめぐむちゃん。めぐむちゃんがおばさん達の前で上手に笑ったりできないこと。お父さんやお母さんにわるいと思っちゃうのよね。おばさんもおじさんもめぐむちゃんが優しい子だということがよくわかったよ。ホントよ。今日はありがとうね。二人とも本当に楽しかったわ。」 そして夫婦は去っていく。めぐむにとって両親はまだ亡くなっていないのだ。恐らく永遠に。

他に知恵おくれの太郎や、きりこや犬のクリ丸や猫のくろが居る。園の子供達はどの子供達も親のない子供達だ。身勝手で子供のような親ばかりがたくさん出てくる。淡々とした子供たちの口から出てくる言葉のひとつひとつから、血がにじみ出てくるようだ。
松本大洋の描く子供達が、みな線の細い美しい絵で描かれている。読んでいて、何度も何度も彼の描く線が、にじんで見えなくなってくる。松本大洋はたくさんの漫画を描いていて、独特の世界を見せてきたが、この作品は彼が一番描きたかった作品なのだという。一番描きたかったことを、やっと、描ける年齢に彼が達したということでもあるのだろう。

「ナンバーファイブ」が彼の作品のなかで一番好きだったが、この「SUNNY」に描かれる子供の心は 彼にしか描けない。本当の名作として、ずっとこの先も人々の心に残って、忘れられない作品になっていくことだろう。

2014年7月6日日曜日

結婚する娘に

                                  

結婚することが決まって、心からあなたに、おめでとうを言いたい。
長女のあなたはいつも優等生。そんなあなたをいつも誇らしく思ってきた。あなたが生まれた瞬間から今まで、あなたが誇らしくて誇らしくて、誰かれ問わずすべての人に自慢したくて仕方がない。10時間余り陣痛の間、パパに腰をさすってもらいパパの立ち合いのもとで生まれて来た2340グラムのの小さな宝。今でこそ夫の立ち合い出産は普通になってきたが当時はまだ珍しく、雑誌の取材が来たりした。御茶ノ水の産院であなたが生まれたとき、他のどの赤ちゃんよりも整った顔をしていて、先生や助産士たちを驚かせてくれた。新生児たちがずらりと並んだ産後間もない赤ちゃんたちをガラス越しに眺めてみても、赤ちゃんの取り違えなど起こりようもない。あなたははっきりと周囲に存在感を示していた。「パパにそっくりで」、「べっぴんさんですね。」、「将来は女優さんになりますね。」などと、たくさんの人に言われるごとに、「はい私に似ていなくて。」などと何か言い訳のように言っていた。42歳のパパと、初めての赤ちゃんをかかえておっかなびっくり、こわごわ育児の始まりだった。

パパとは誰からも祝福されずに結婚した。妻子を捨てて成城の家を出走したパパと、勤めていた業界紙社を辞めて奨学金で看護学校に通い免許を取ったばかりの私に定収入もなく私たちを見守ってくれる人も皆無だった。そこに突然、魔法のように美しい赤ちゃんがやってきて何もかもが変わった。一日にして世界が変わるということが現実に起きた。私たちを避けて会うことも拒否していた両親や友達たちが、私たちの千駄木のアパートに訪ねてきてくれるようになった。生後半年で、都立駒込病院付属の保育室のドアを叩いた。30過ぎの新米看護婦で新米の母親が、この保育室で赤ちゃんの世話の1から教わる。それまで赤ちゃんが空腹でもないのに泣き止まないとどうしてよいかわからずに私が泣き出す、するとパパまでが泣き出すような幼稚で、この上なく情緒不安定な親だった。しっかり娘を保育してくれた保育士たちには、何度お礼を言っても言い足りない。赤ちゃんを見てくれるだけでなく親をしっかり叱って教育してくれた。ハイハイができるようになり、立ち上がりやがて歩くようになった喜びを 保育士たちは一緒になって分かち合ってくれた。寝ない、食べないそれでも元気で活発、という赤ちゃんに振り回されて、トマトしか食べないあなたのために、真冬にトマト求めて八百屋めぐり、デパートまで買いに走ったり。そんなあなた中心の生活で、最初で最後の子供だから大切に大切に育てようと誓っていた夫婦に、なんのことはない1年を待たずに次の赤ちゃんができる。年子の妹の登場だ。太陽のように明るくて大らかな子。二人の娘の親になって初めて一人前の親になった気がする。心の余裕ができて、子どもを冷静に見ることもできるようになった。

親たちが働く間、あなたは妹といつも双子と間違われながら保育園でよく遊び、休みの日は自転車の前後に取り付けた子供椅子に乗って、どこまでも出かけて行った。パパはあなたが自慢で、デパートでマネキンが着ていた服を剥がさせて買ってきた服を着せて、どこにでも自慢しに連れて行った。千駄木は遊ぶところが無限にあった。千駄木図書館、森鴎外図書館、須藤公園、根津神社、上野動物園、科学博物館、不忍池、東大、三四郎池、、、。根津神社で鳩に餌をやるあなた。不忍池でカモに餌を投げるあなた。三四郎池の橋で迷子になっても泣きもせず待っていたあなた。一つ一つの姿が映像のようにはっきりと目によみがえってくる。

4歳と5歳で沖縄に移って、3年間暮らした。城西幼稚園に行くようになってヴァイオリンを買い、自宅レッスンを始めたのに、それが嫌で本気で家出の準備をしていたなんて、思いもよらなかった。ごめんよ。ある日ポケットの中から、「いえでにもっていくもの。ハンカチ、ちりがみ、おかし」という紙が出てきてあわてた。ふたりで縁の下に隠れていたんだね。先生のところにレッスンに通うようになって、幼稚園や学校にいくのと同じように、レッスンを受けいれてくれた。私がアマチュアオーケストラの団員になってリハーサルする間、団員達の間に毛布を敷いて、夜遅くまでリハーサルが終わるまで静かに遊んで待っていてくれた。2時間余りのクラシックのコンサートを、5,6歳の子供がきちんと座って静かに聞けるような集中力とマナーができたのもこのころのお蔭だろうか。

小学校2年を終えたところで、千葉県の平田に移り、本格的にフィリピンに赴任する準備に入った。一級建築士で、一級土木技師でもあったパパはプロジェクトが終われば次の土地に移動する。それにつていく子供は、どんな危険な土地であっても一緒に移動し、転校を繰り返す。慣れない土地、レイテ島オルモックの人々は この街に初めてやってきた日本人を珍獣扱いし、24時間パパラッチしてくれた。家のカーテンを開けられない。カーテンが風ではためくと、向いの家々から人々がいつもこちらを見ていて悪びれず笑顔で手を振ってくる。3人のメイド、2人のドライヴァーを通して、私たちのすることなすことすべてが一瞬のうちに街中に知れ渡る。買い物に行けば人々が後ろからついてくる。マニラでは、ピープル革命が起きて、独裁者マルコスが追放されてアキノ政権が樹立したばかりの頃だったが、首都からはるか遠くのレイテ島の山々では、共産軍と政府軍の戦闘が続いていた。道路建設のために家に帰ってこられない日の多くなったパパの気苦労は大変なものだったろう。ベッドの引き出しに拳銃を置いていて、毎晩「使わずに済みますように、と祈って眠る3年間だった。どんな環境にあっても楽しみを見つけ出し、遊びを造り出し、笑いを引き出してくれるあなた方姉妹の無邪気な姿がどんなに力強く思えたことだろう。もんくの一つ、泣き言ひとつ言わなかったあなた方には心から感謝っしている。

3年間過ごしたレイテ島オルモックを後にして、7年間に及んだマニラ住まい。インターナショナルスクールに入って、やっと勉強らしい勉強ができるようになった。沖縄で始めたヴァイオリンも再開することができた。学校では姉妹して、ずっとストリングオーケストラのコンサートマスターを務めてくれた。二人の娘たちとヴァイオリン、ビオラ、チェロをひっかえとっかえして、パートを変えながら3人で、ヴィバルデイやバッハを演奏する楽しさ。楽器を弾きながらこの時が永遠に続いてくれたら、どんなに幸せか、と思わずにいられなかった。

このころ13歳と14歳で家からパパが居なくなった。そういうことがどれほどの心の傷になったか計り知れない。私がインターナショナルスクールのヴァイオリン教師になり何事もなかったように暮らし続けることができたことについて、親として、どんなにあなた方の感謝してもし足りない。あなた方は誰も責めなかった。不安がることも、問いただすこともしなかった。親に全幅の信頼を寄せてくれて、勉強とヴァイオリンに打ち込んで、たくさんの友達にとりまかれて学生生活を楽しんでくれた。あなた方が居なかったら生きていなかったろう。

フィリピンからオーストラリアに移住。12年生を飛び級してあなたはニューサウスウェルス大学に。専門職を目指して本当によく勉強してくれた。それだけを取ってみても日本で教育を受けずオーストラリアの大学に行ったかいがある。卒業して専門職に就いて、働き始めた頃、別れたままになっていたパパが急死していた。あなたにとっては、パパはヒーロー。他のどんな男よりも立派で頭脳明晰、背が高く、ハンサム、顔形から歩き方までパパにそっくりだったあなたは、パパの写真をお財布に入れていつも持ち歩いていた。あなたから大切なパパを永遠に失わせたこと。再会することなく永遠に別れたままになったことを申し訳なかったと思っている。何より家庭というものを維持することができなかったことを永遠に悔いている。馬鹿な親だったよ。そしてそれ以上に、娘たちの結婚式に立ち会えず死んだパパは大馬鹿だと思う。

そうしてシドニーでの生活もいつしか18年も経ってしまった。
あなたは私のオットとなった人を失明から救ってくれた。肥満と長い間の喫煙から黄斑部変性に陥り眼底に出血を繰り返して失明するところだったオットを、ジョンホプキンス大学から帰って来たばかりの先鋭のドクターのところに連れて行って、まだ未登録だったが最大の効果が望める治験薬のプログラムを組んでくれた。おかげでオットは失明を逃れ、あなたは彼の救世主になった。あなたが人のためになる専門職について、それを一生の仕事に選んでくれたことを、心から感謝している。

こうだったら良かったのに、ああしていたら良かったのに、こんなはずじゃなかった、、、などと人は言うものだが 、あなたの口から聞いたことがない。決して後ろ向きに物を考えない。勇敢にも常に前を向いて前に向かうポジテイブ志向が身についている。それと、人を悪く言わない。人を悪いように解釈せずにいつも良い面をみて評価する。そこがパパにそっくりです。シニカルな批評家には決してならない。そこがあなたが人から愛される理由です。
へこたれもせず愚痴も言わない。逆境にあってもそれを逆境とは受けとらない強さを持っている。そんな性格がこれからもずっとあなたの品性とあなたの人間性とを、高めていくことでしょう。いまあなたは、実にチャーミングなレデイで、頭の良い優れた判断力をもった社会人です。これからも人間として高みを目指して成長して行ってください。私はあなたのような人の親でいることが本当に嬉しくて嬉しくて、あなたが誇らしくてなりません。
結婚おめでとう。

2014年6月7日土曜日

映画 「ゴジラ」 3D

                                  
原題:「GODZILLA」 
アメリカ映画
監督:ギャレス エドワーズ
キャスト
フォード ブロデイ大尉:アーロン テイラー
エル ブロデイ(妻)  :エリザベス オルセン
ジョー ブロデイ(父親):ブライアン クランストン
サンドラ ブロデイ(母親):ジュリエット ピノシュ
イシロー セリザワ博士:渡辺謙
グラハム助手      :サリー ホーキンス
ステンズ米国海軍提督:デビッド ストラザーン
ゴジラ(モーションアクター):アンデイ サーキス

ストーリーは
1999年、フィリピンの原生林生い茂る森の中に深い洞窟が見つかり、中に巨大な生物の化石が発見された。セリザワ博士とグラハム助手は、現地に飛んで調査するが、その化石に何か生物の繭が寄生していることを発見した。繭の一つはすでに孵っていて巨大な生物が原生林をなぎ倒しながら海に這い出て行った痕跡がある。同じころ、日本のジャンジラ市にある原子力発電所が何者かによって襲われて大地震が起き、原子炉が破壊され、多量の放射線が放出される。被害を抑えるため発電所は原子炉の中に調査に入っていた3人の技術者を、原子炉の中に残したまま防護塀を閉じなければならなかった。犠牲になった3人の技術者の一人は、ジョー ブリデイの妻サンドラだった。ジョーは、妻を失い傷心のまま息子のフォードを連れて本国に帰る。

15年経った。子供だったフォードは、結婚して子供を持ち、アメリカ海軍に勤務している。妻はサンフランシスコの救急病院に勤める看護士だ。ある日、日本警察から電話が入り、父親のジョーが、放射能汚染で立ち入り禁止区域になった元の原子力発電所に潜入して逮捕されたという。フォードは父親の身柄を引き取りに、日本のジャンジラ市に向かう。ジョーは15年前に妻を失った原子炉破壊事故が、地震によって起きたという結論に疑いをもっていて、現地に潜入しては調査を続けていたのだった。ジョーに言われて、フォードも一緒に、もとの家のあった封鎖地域に潜入してみると、意外にも放射能汚染地域とは名ばかりで放射能はなく、空気はきれいだった。しかし二人は 警察に逮捕される。日本警察は何かを隠している。
二人が連行された原子力研究所では、セリザワ博士が、フィリピンから持って帰った巨大な繭が捕獲されていた。繭は強力な電磁波を発しているが、繭から巨大な昆虫のような生物が孵り、研究所は破壊される。それを見て、ジョーは15年前に原発を破壊し、妻の命を奪ったのは、この生物だったということを知る。しかし、このムートーと呼ばれる怪獣が暴れまわり、建物を破壊したときにジョーは、他の多数の人々と共に命を失う。原発を襲った大地震は自然災害ではなく、この怪獣が起こしたものだったのだ。ムートーは、海を渡り、ハワイを破壊して暴れまわり、米国西海岸に向かう。フォードは、父と母の命を奪ったムートーと対決するために海軍に戻る。そのあとを、宿敵ゴジラがムートーを追う。

セリザワ博士によると、2億7千年前の古生代では地球は放射能に覆われていて、放射能をエネルギー源とする怪獣ゴジラが生息していた。しかし放射能濃度が低下したため、ゴジラは地底に深く潜み、多くは死滅していった。しかし第二次世界大戦を契機に人々が 核開発を始め、繰り返し核実験を行ったために、ゴジラが目覚めて地上に姿を現すようになった。ゴジラにはムートーという寄生生物がいて、ゴジラの体に卵を産み付けて繁殖する。ムートーのエネルギーも放射能だ。いま、このムートーの雄と雌が繁殖のためにアメリカネバダ州の放射性廃棄物処理場に向かっている。彼らの進路となったハワイ、カルフォルニアの街々は破壊され被害は大きく広がるばかりだ。
フォード達、海軍特別班は、ムートーの巣を探し出して爆破し、無数の卵を破壊する。怒ったムートーが米軍を襲い、あわや軍隊は壊滅か、、、という時にムートーを倒すために追ってきていたゴジラが雄と雌のムートーを倒し、自分は海底へと戻っていった。ゴジラが人々を救ったのか。ゴジラは神か。というお話。

映画が始まる前に、米軍による太平洋上で1959年代から盛んに行われた核実験の写真が次々と映し出される。広島、長崎のきのこ雲も出てくる。放射能被害も出てくる。日本製オリジナルのゴジラでは、米国が繰り返し海洋核実験を繰り返すので海底に生息していた生物が突然変異で巨大化し、人間社会に復讐するために文明社会を破壊しにやってくるのかと思っていた。それだったら米国の核開発や、日本への爆弾投下、強引な日本への原発の売り込みなどに批判的で、被害国日本としては、きわめて政治的な反核というメッセージを含んだ映画になったはずだ。でも実際はそうでなくて、ゴジラはもとは古代ジュラ紀から白亜紀にかけて生息した巨大生物だったが、ゴジラは海底で眠っていたのに、人間の核開発にともなって起こされて出現する、というお話だった。アメリカは、眠っていた子を起こしただけだったという責任逃れのストーリーになっている。

暴れ回って放射能が欲しいだけなのに、原発を襲ったり、核廃棄物処理場をめちゃめちゃしたり、米軍から核弾を盗んで核弾頭を丸呑みするムートーは 人間に敵でもゴジラの敵でもある。これに向かっていく勇気あるフォード(アーロン テイラー)が不死身で戦う。アメリカの安全は俺が守るとでも言わんばかりに捨身の攻撃だ。フォードの妻も破壊されたビルの下敷きになったり、火傷を負った人々の救助に当たる。幼い息子などサッサと学童疎開のバスに乗せて先生にまかせてバイバイ。職業意識の強い軍人を父に、看護士の母をもった子供は可哀想だ。

この映画ではフォードの一家が主人公なので渡辺謙の影は限りなく薄かった。核弾頭を打ち込もうとする米軍と激論を交わしたり、ゴジラをもっと擁護して欲しかったけど。英語の台詞を最小限に絞られていたので活躍する場面がなかった。やはりこの俳優さんは、丁髷に着物姿で馬に乗っている姿が’サマになる。映画の最後で名前が出て来たので、宝田明も出演しているはずだが、どこで出て来たのかわからなかった。ゴジラは日本製なので、日本に敬意を表して日本人俳優を使ったようだが、映画の中で、お飾りみたいな存在で、残念。ジャンジラ市という、限りなく中国名に近い名前も、どうにかジャラジャラ整理して欲しい。
今回のゴジラでは、2匹のムートーにやられて、死んだと思ったゴジラが、むっくり起き上がって人間どもに興味を持たず、すたすたと海に消えていくところなど、思わずゴジラが大好きになってしまう。ゴジラはやっぱり英雄だ。大きくて力持ち。日本、ハワイ、カルフォルニア、ラスベガスと沢山の都市を破壊してくれるが、それはムートーの息の根を止めるため。放っておいたら沢山の原発が襲われて放射線が漏れ地球に死が蔓延することになる。人間の敵ムートーを倒してくれてゴジラ、ありがとう。ゴジラ、おまえ可愛いぞ。ミニチアのフィギュアが欲しくなった。http://www.hoyts.com.au/movies/2014/godzilla.aspx


2014年5月31日土曜日

シドニーに従軍慰安婦像設置案、今すべきことは」


             


シドニー西部のストラスフィールド市議会に、韓国と中国のコミュニテイーが、従軍慰安婦像設置の嘆願書を出した。事の起こりは、今年の3月に、韓国人と中国人コミュニテイーの約200人が、安倍晋三の靖国神社参詣を契機に、日本の戦争犯罪を糾弾し、軍国主義復活に反対する総決起大会が開かれ、オーストラリア全土に慰安婦像を設置することを決議した事にはじまる。また、彼らは日本の新軍国主義復活を批判し、慰安婦の惨状や南京虐殺など日本の戦争犯罪を明らかにし、日本の偏重外交政策を修正させ、米国が日本の再武装を容認しないように要求する、などの韓中連帯決議を採択した。

こういった動きに対して、シドニーにある日本企業関係者などによる最大組織の「日本人会」も、また主にシドニーの永住者で自営業者を中心とした「日本人クラブ」も、沈黙を守っている。唯一、母親たちの集合体「ジャパンコミュニテイーネットワーク」(JCN)が、急きょ発足して、ストラスフィールドの市議会公聴会に臨んだ。結果としては、市議会は、慰安婦像の設置を認めるかどうかは、市ではなく州と連邦政府の判断に委ねる、ということで、結論を保留した。
シドニーに住む日本人2万人余りは、多文化多民族で形成されているオーストラリアで、特定の国が過去の事象を持ち出して、批判したり憎悪をあおるようなことに、反対して署名運動をしている。オーストラリアは、住む人の4人に1人は外国生まれ、という移民でできている国だ。過去にどんな歴史を持っていても特定の民族が他の民族といがみ合い、過去に起きたことを糾弾し合っても始まらない。シドニーの公園に旧日本軍によって犠牲になった従軍慰安婦像はふさわしくない。同じ理由で、アルメニアコミュニテイーが、トルコによる大虐殺100年記念に、記念碑を建てることにも反対だ。同じ移民同士、憎悪や糾弾よりも理解が大切だから。

しかし私たちは、「いま」、「なぜ」慰安婦なのか、考えなければならない。
加害者よりも被害者の方が世相の変化に敏感に反応する。安倍晋三首相による「靖国神社参拝」、慰安婦について1993年の「河野談話」を再考する動き、1995年の村山総理大臣による慰安婦と軍の直接関与を認めた上での謝罪を見直し、日本軍が慰安婦の徴用をした公文書がない、などと今更声高に言われれば、被害者側が危機感を持つのは自然なことだ。
旧日本軍が慰安婦を徴用し強制労働させたのは事実だ。強制的に、あるいは騙されて連行されてきた慰安婦たちは、軍属として宿舎その他の便宜を提供されていた。日用品など軍票で支払われ、軍の移動と共に戦場各地を移動した。そして敗戦時は、軍が武装解除された時、慰安婦たちは連合軍によって保護、解放された。日本軍に軍が慰安婦を強制的に連行した公文書がないのは当然だ。戦時下にあって、たくさんの捕虜が不条理にも殺された。「捕虜を殺しても良い」という公文書が出てこないのと同じことだ。サンフランシスコ条約に違反し、人道に背き、国際法で違法な行為を、軍が公文書にして残す訳がない。

首相が神社を参拝して何が悪いか、という意見がある。靖国神社は普通の神社ではない。創建当時は、大日本帝国陸軍と海軍省が祭事を統括していた。第2次世界大戦のA級戦犯、B、C級戦犯として処刑された軍人が「英霊」として祭られている。明治維新の時の旧幕府軍や新撰組の犠牲者は政府にたてついたとして祭られていない。西南戦争では政府軍側の軍人を祭り西郷隆盛など薩摩軍は除外されている。戦犯を英雄として祭ることに政治的な意味が加味されているので、天皇は決して靖国神社を参拝しない。安倍晋三は、かつての日本軍による侵略犠牲国の心情を逆なでするように参拝し、ただちにオバマ米国大統領から強く批判された。当然だ。世界の常識から大きく逸脱するようなことをしてはいけない。
自分たち日本人は平和な国民だと思い込んでいる。だが外国では、日本軍は世界でも最も攻撃的な軍隊だったと思われている。かつてロシアや清国に先制攻撃し、カミカゼ、ゼロ戦、パールハーバー、大量の捕虜を酷使して死に追いやった国だ。自分たちが平和的だと思い込んでいられるのは、平和憲法のお蔭だ。外国人の日本軍イメージは、日本人の思い込みとはとてもかけ離れている。

従軍慰安婦問題について、日本人はまず加害者(日本政府)の言い訳に耳を傾けるのではなく、被害者のことばを聴くべきだ。過去に日韓経済協力協定で賠償が済んでいるとか、すでに何度も謝罪しているからといって、それで済むことではない。「もう謝罪したから良い。」のではない。同じ過去を繰り返さないために、現在日本が何をやっているかが問われている。
福島原発事故が起きて、東電側の説明だけに耳を傾けて、納得した人がどれだけいただろうか。東電の社長がテレビの前で謝罪し頭を下げる姿を見て、「それでもう充分謝罪したからもう良い」、と思った人は居るまい。同じように、慰安婦問題では、いまだに被害者が苦しんでいる事実に対して、真摯な態度で日本人は耳を傾けなければならない。済んだことでは済まない。

女はいつも戦争の被害者だ。日本軍がやった従軍慰安婦のようなことは、どの国でもやってきた、という一般化で、日本の行ってきた責任を曖昧にしてはならない。他国を侵略しただけでなく、侵略軍の性奴隷として身柄を軍に引き止め従軍させたことは、侵略時に兵が敵国の婦女子をレイプするよりも、はるかに重い犯罪行為だ。他の国の軍もやっているとか、慰安婦の同意の上だったとか、給料が支給されていたなどという言い訳は通らない。慰安婦の人権をどう捉えるのか。
日本軍は、この前の戦争で、沢山の国に侵略し、中国人と軍民合わせて110万人、インドネシアなどアジアで80万人、合計1900万人の人命を奪った。明らかに加害者としてとして日本人を認識するのでなければ、どんな話もできない。日本人は多くの民族を蹂躙し、他国を侵略し奪い殺し占領し日本語を強制した過去から逃れることはできない。本当の謝罪は、言葉だけでなくどんな行為で 今後も同じことを繰り返させないために、行動で謝罪を示していけるかだ。

今私たちがすべきことは、慰安婦像をいくつも設置することでも、同じアジアの民族どうしが敵対することでも、憎み合うことでもない。安倍内閣の右極独走を止めて、平和憲法をもとにした立憲国家としての日本をとりもどすことだ。慰安婦像設置の動きを、韓国、中国のコミュニテイーとともに、安倍政権の右傾化を批判していくことで、一緒に歩める可能性を探っていきたい。

2014年5月25日日曜日

映画 「ベル」(BELLE)

                   


イギリス映画:「BELLE」(ベル)
監督:アマ アサンテ
キャスト
ダイド ベル マンスフィールド      :ググ ムバサ
ウィリアム マリー マンスフィールド伯爵:トム ウィルキンソン
マンスフィールド伯爵夫人         :エミリー ワトソン
ジョン ダヴィ二エール           :サム レイド
レデイーエリザベス マリー        :サラ ガドン

ストーリーは
18世紀、ロンドン。
1761年英国下院議員であったジョン リンゼイ卿は、海軍の軍艦の艦長として西インド諸島に赴任していたが、スペインの奴隷船から略奪されてきた黒人女性を救出して愛した。しかしこの女性は、リンゼイ卿の子供を出産した際に命を落とした。子供の父親は残された形見の娘、ベルを引き取るが自分が赴任中で居所が定まらないため、ロンドンに住む大叔父のマンスフィールド伯爵ウィリアム マレーに養育を依頼する。伯爵夫婦は、色の黒い娘を連れてきた甥の訪問に驚くが、彼らに子供はなく、丁度亡くなった姪の子供エリザベスを養育していたので、彼女の遊び相手にベルを引き取ることにした。ウィリアム マレー マンスフィールド伯爵は、法務長官で、裁判所長官として、政治的には当時のイギリス首相の次に権力を持った存在だった。ベルは、彼の広大な屋敷で、慣習に従い家族に一員として遇され、エリザベスとは実の姉妹の様に仲良く育った。

ベルは高い教育を受け、成長するにつれて利発で法律家としての父親の仕事をよく理解し、彼の下す審議の判定に必要な記録を整備するなど秘書のような役割さえできるようになった。またベルは、ピアノや習い事でもエリザベスに比べて遥かに優れた才能を示した。ウィリアム マレーは、ベルが小さなときから、貴族社会で育つベルに、将来結婚相手は出てこないだろうから自分が死んで一人になっても生きて行けるように毎月彼女のために高額のお金を積み立ててきた。その上に、ベルの本当の父親リンゼイ卿が亡くなって、ベルは莫大な遺産を継ぐ。従って、ベルは、本人や家族の意に反して、肌が黒いだけで、美しく女性として魅力を持ち、多大の持参金つきの貴族として、若い貴族からは、魅力的な存在になっていた。やがて、エリザベスに結婚を前提にしたパーテイーの誘いがくる。相手のアッシュフィールド家とは釣り合いのとれた家柄で、長男との結婚が望まれていた。ところが次男が、エリザベスよりも賢く美しいベルに、結婚を申し込む。ベルは身に余る光栄と、申し出を受けるが、父親に伝言を伝えに来た、爵位を持たない貧しい弁護士ジョン ダヴィにエールに、心を惹かれていた。

折しもゾング事件が起きる。1781年、座礁した船ゾング号が、船の転覆を防ぐために船の重荷を捨てると同時に、142人の奴隷を海中に投棄した。これを大虐殺とみるか、船の安全を第一に考えた保険会社の正しい判断とするか、意見が分かれ、最終に判断は、ウィリアム マレー判事に委ねられていた。若い弁護士ジョンは、保険会社の判断が誤りだったとして、この裁判をきっかけに奴隷売買禁止と、奴隷解放を社会に訴える運動を提唱していた。ベルは、ジョンに会ってはじめて黒人を白人と同じ人間として考える思想にふれて、心を動かされる。そして、ベルはアッシュフィールドとの婚約を解消して、奴隷制の反対をする若い弁護士のもとに走る。若い二人が見守るなかで、父親の下した判決は、、、。
というお話。

1761年―1804年まで実在したダイド ベル マンスフィールドという女性のお話。
1779年に肖像画家ヨハン ゾファー二によって描かれたエリザベス マンスフィールドの肖像画がある。彼女の横には美しい黒人女性が立っている。この絵を所有する現在のマンスフィールド伯爵家は、2007年に奴隷貿易廃止200年を記念して、この絵を公開した。この映画の脚本家はこの絵にインスパイヤーされて、ベルについて調べて、史実をもとにして映画を作ったという。
また、2007年には、ゾング号事件(ZONG)が契機になって、奴隷解放の法的な正当性が与えられたとして、ゾング号が海軍にエスコートされてロンドンタワーブリッジを記念航行した。そのうえゾング号200年記念碑がジャマイカのブラックリバー沿いに建立された。

ゾング号事件の判決を言い渡したウィリアム マリー判事は、当時イングランドとスコットランドは別々の独立した裁判所を持っていたが、同時の双方の裁判所最高判事として奴隷制を明確に否定した。またイギリス国法を近代化した法律家として名を遺した。
保守派の法の守護者だった伯爵が若い奴隷廃止論者の意見に耳を傾け、思い切った改新的判決を出したことについては、自分の育ててきた黒い肌のベルの存在が大きく影響したのではないかと推測される。黒人が劣った人種だと考えられていたこの時代に、自分が育てたベルの利発さに目を見張り、人間としての目を養われた。

初めてベルがマンスフィールド伯爵夫婦の前に連れてこられたとき、夫人は「二グロを育てることなんかできないわ。」と言い放った。しかしベルの成長とともに彼女は頭の良い、父親の秘書的な役割まで果たせる娘になって夫婦にとって大切な娘になっていく。ピアノを弾いても、お見合いをしても、二人そろって鏡の前に座ってみても、どちらが美人で優れているか自ずと明確になってしまう、冴えないエリザベスが可哀想になってしまうが、本人はおっとりしていて、そこがまた可愛らしい。出世も結婚も貴族社会の称号も持参金次第という、イギリス貴族社会の愚かしさを存分に見せてくれる。

ベルが心を惹かれる若い弁護士など、マンスフィールド家では 全然人間扱いされていない。階級の称号を持たない人間なんて教育があろうと弁護士であろうと、貴族に気軽に話しかけたりすることも許されない社会なのだ。圧倒的な権力を握る貴族の下に 大衆がいて、その下に奴隷がいる。彼らは、海が荒れて転覆しそうな船を守るために、鉄鎖でつながれたまま海中投棄されるような存在だ。
ベルは、いったん婚約したアッシュフォード家の次男に どうして婚約破棄したのかと、問われて、自分の黒い肌を示して、「結婚は私自身のことです。」という。莫大な実父から譲られた遺産や、養父が積み立ててくれた持参金や、養父の社会的地位や権力や貴族の称号でなく、奴隷だった母から生まれた黒い肌の自分自身が結婚相手を決めるのだという、この時代の流れに反した強い意志を見せるシーンが感動的だ。
階級社会で階級を否定するほど勇気あることはない。階級が現状を維持していくための基盤なのだから、それに疑問をはさむことは社会の基盤を崩壊させることにつながる。その意味で、法律家として、初めて奴隷解放につながる考察を示したマンスフィールドは、破格の人間としての幅を持っていた人だったといえる。こういった勇気ある人々の生き方が、少しずつ時代を変えて来たのだ。
とても良い映画だった。

監督は英国人アサン アマ。西アフリカガーナからの移民だった両親をもったロンドン生まれの、まだ45歳の監督で脚本家だ。これからの彼女の仕事が楽しみだ。

2014年5月10日土曜日

映画 「そして父になる」




人は一度は自分はこの家の子供じゃないのではないかと、思ったことがあるのではないだろうか。98歳で亡くなった私の父は、大学では学生たちから敬愛され、それなり威厳を保っていたが、家では暴君。それでいて小心で気が弱く、亡くなるまで自分が長男なのに、実の母親から愛されず無碍にされていた、と娘の私に「告白」しては、子供のようにグジグジすることがよくあった。そんな大人げない人は 父だけかと思っていたら、親しくなった人の中にも、自分がもらいっ子だと思い込んでいる人が何人かいて驚いたが、再婚したオットまでが、同じようなことを言い出すのには、閉口した。世の中は「心の孤児」、「充分愛されなかった、もらいっ子みたいな子」、「みなし児みたいな寂しい子」で、あふれているのかもしれない。

映画「そして父になる」を観た。英語のタイトルは「LIKE FATHER LIKE SON」
監督:是枝祐和
キャスト
野々宮良多:福山雅治
野々宮慶多:二宮慶多
斉木雄大 :リリー フランキー
斉木琉晴 :黄升呟
第66回カンヌ国際映画祭2013年に出品された時に、上演後10分間のスタンデイングオベーションを受けて話題になった作品。

映画のストーリーは、
病院で赤ちゃんを取り違えられた二組の親たちと子供たちのお話。子供が6歳になり小学校に入学するために受けた血液検査で、一組の親子がじつは親子ではなかったことが分かり、同じ日に生まれた赤ちゃんが、間違って別の親に引き取られて育っていた事実が分かった。自分の子供として6歳になるまで育てて来た子供が、血のつながった子供ではないことがわかった夫婦の苦悩は大きい。二組の夫婦は、病院で引き合わされ、提案に従って血のつながった実の親子に早いうちに戻すことが、子供たちにために良いと言われて、互いに子供たちが実の親に慣れるように、週末は子供を交換したり、一緒にピクニックに行ったりして互いに慣れるように、試してみる。しかし、当の二人の子供たちは、どうして自分が、親許から引きはがされなければならないのか、そして、今まで会ったこともなかった人の家庭に泊まりに行かなければならないのか、理解できない。強引な子供の交換に、二人の子供たちは混乱するばかりだ。二組の夫婦も病院を相手取って訴訟を起こすが、6年間育てて来た子供を失うことによって深く傷つく。というお話。

たった6歳の子供たちが、突然親から引き離されて、孤独の崖っぷちに突き落とされるような経験をさせられる姿が、可哀想で可哀想で、とても感情的につらい映画だ。
福山雅治とリリーフランキーの二人の父親の対比が、興味深い。エリート社員と、しがない自営業者。上向志向の塊のような男と、出世と縁のない田舎の電気屋。勝ち組と、落ちこぼれ組。都会暮らしと、田舎者。個人主義と、大家族。核家族と、祖父まで含めた6人家族。有名私立小学校と、公立。金銭的に余裕のある家庭と、やりくりに苦労する家庭。すべてが正反対の対称をなす二人の父親の違う点は無数にあるが、共通するのは二人とも息子を愛していて、自分が一番良いと思う育て方をしてきたことだ。

慶多の父親は有名大学を出て一流会社に勤めていて自分が子供のときに、親に遊んでもらった記憶がない。自分の子供にも、ひとりで何でもできるように厳しくしつけて来た。自分がそのようにして育てられ、それが一番良かったと思っているから、自分が育ったように息子を育てているが、息子は人が良くて競争心に欠けるところに、苛立ちを感じる。だから、琉晴の父親に、「子供と遊んでやってくださいね。」と言われて戸惑う。6歳の男の子にとって、野外で思いきり体を使って遊ぶ時期に、遊びのルールやほかの子供と遊ぶ社会性を培う基本を父親から教わることができない子供は不孝かもしれない。しかし、だからといって子供と一緒に泥だらけにならない父親が悪い父親だとは思わない。
私自身、親に遊んでもらったことなどないし、七五三も、ひな祭りも、子供の日も、成人式も、誕生日でさえ、親に祝ってもらったことなど一度もない。学校で他の子供の話を聞いたりして、自分の親はよその家とは違った変な家なのだと自覚したが、よその子供を特にうらやましいと思うこともなかった。

慶多は仕事が忙しくて自分をかまってくれない父親をみて、いつもいつも寂しかった。それがいつも子供と遊んでくれるお父さんが本当のお父さんだと言われて、父親が迎えに来たときに「パパなんかおとうさんじゃない。」と言い放ち抵抗する。しかし、慶多がもう少し大きくなったら、一緒に泥だらけになって遊んでくれる父親よりも、知識が豊富で聞いたことに何でも答えられる知識人の父親や、難解な数学を教えてくれる父親の方が頼もしいと思うようになるだろう。頼りがいのある親もそうでない親も、出来の悪い親も、優秀な親も、子供はそれを自分の親として、じきに認識するようになる。そして、いずれはどんなに優秀な親も そうでない親も、子供から否定される時が来る。親は否定され、子に乗り越えられていくものだ。

一方、父親の側から考えると、子供に何を期待しても期待通りには子供は育たない。子供の性質は変えられない。子は自分の性質を持って生まれてくる。おっとり型マイペースで、他の子供との競合を嫌う子供もいれば、競争が楽しくて仕方がない積極的な子もいて、それらの特質を兼ね備えて子供は生まれてくる。親は子供のそういった特質をよく見て、良い点が伸びるような環境を整えてやることができるだけだ。
慶多はピアノが好きではないが、自分が練習するとピアノを心得ている父親が喜ぶので、練習を続けている。しかし慶多はそんな環境が合わずピアノをじきに止めるだろう。親がピアノを買い、小さなときから先生のところに通い叱咤激励してきた親の期待は無駄になる。
一方、琉晴は田舎の大家族で、家計のやりくりに苦労する家庭で3人兄弟の長男として育ってきたから、慶多のようにおっとりはしていられない。本当の父親の負けず嫌いや競争心の強い気質を受け継いでたくましい子供になっていくだろう。やがて知識欲を充分満たしてくれない心優しい父親を疎ましく思い、自立心の旺盛な子供になるだろう。そのようにして、父親は子供に乗り越えられていく。
親は子供が成長するごとに何度も何度も自分の期待を裏切られ、そのことによってありのままの子供を愛し、見守っていくことになる。

この映画では6年間、育てて来た子供が自分の子供ではないことが分かり、子供を本来の親のところに交換したあと、もう互いに会わないようにしようと 親同士で約束するが、子供たちは育ての親のところに帰りたがる。親たちは、どちらの子供を育てていくのか、結論を出すことができない、というところで終わる。親には、結論など出せない。決めるのは子供たちだ。子供が親を親と認識するまでは、決定することなどできない。映画の中で、病院で起きたことのために「私たち家族は一生苦しむことになる。」という台詞が繰り返して言われる。
そうだろうか。
子供の成長は早い。いずれ子供は親を乗り越えていく。いずれ子供は親を必要としなくなる。親は、子供のことを心配するより自分の心配をした方が良い。自分が老いて子供にめんどうをかけずに済むように、子供の世話にならずに上手に老いていけるように準備することだ。

ちょうど映画を観た後、アメリカの実際の赤ちゃん取り違いを追ったドキュメンタリーフィルムを観る機会があった。病院の手違いで小学校低学年の女の子が、血の繋がっていない親に育てられていた。同じ日に生まれた二人の女の子は、同じ小学校に通っていた。親たち、4人が顔を合わせて深刻な話し合いを続けた結論は、4人の親で2人の娘たちを 同じように可愛がって育てようということになった。子供同士も親友になった。二人して、双子のように今日はこっちの家、来週はあっちの家というふうに学校から帰ってくる。「私たちにはパパが二人いて、ママが二人もいるの。」と嬉しそうに笑顔で言う女の子たちの姿は感動的だった。
子にとって親(親代わり)は多いほど良い。親にとっても子供が多い方が良いだろう。小さな土地で核家族では息が詰まる。親と子は、互いにもっとクールに生きていけたら良い。

映画では子供たちの演技が自然でとても良かった。監督の前作「誰も知らない」も、印象的な心に残る作品だった。この監督の次の作品が楽しみだ。

2014年5月6日火曜日

映画 「インヴィジビル ウ―マン」


                              

原題:「INVISIBLE WOMAN」
監督:ラルフ フィネス
キャスト
チャールズ ディケンズ:ラルフ フィネス
ネリー エレン ターナン:フェリシテイー

英国シェイクスピア俳優、ラルフ フィネスの監督した映画第1作目の作品。19世紀のイギリス文学を代表する国民作家チャールズ ディケンズの秘められた私生活を映画化したもの。チャールズ ディケンズといえば、日本でいうと森鴎外とか、夏目漱石に当たるだろうか。日本映画でも文芸作品は、常に一定の人気を保っていて、毎年いくつかの古典作品や、近代文学が映画化されている。

ディケンズ(1812年―1870年)の代表作は、「クリスマスキャロル」、「偉大なる遺産」、「二都物語」など。彼の作品は、トルストイからも、ドストエフスキーからも愛された。ディケンズと妻のキャサリンとの間には10人の子供がいたが、1858年に彼は妻子を残して、エレン ネリーという19歳の女優とフランスに居を構えた。その時彼は46歳だったが、死ぬまでこの女性を愛した。しかし彼女を妻にはせず、公表することもなかった。
ディケンズは英国だけでなく、ヨーロッパじゅうから名士として人々から尊敬され敬愛されていたから、彼の秘密を知っている人々も他言することがなかった。ディケンズは秘密を抱えたまま亡くなり、人々はネリーのことについて、語ることなく忘れ去った。まさに、ネリーは、「INVISIBLE」、見えない女、隠された女だった。この映画は、彼女の立場にたって描かれた作品。

役者であり監督をしたラルフ フィネスは、この女性の秘められた物語に魅かれて映画化を思い立ったという。伝記作家クライア トマリンによって書かれたものをアビ モーガンが脚本にした。自分の過去を誰にも語らず、ディケンズとの約束を守りとおして生きて死んでいった女性の苛立ちと苦悩と悲哀が描かれている。

ストーリーは
1857年、エレン ネリーが初めてディケンズに会ったのは彼女が18歳の時だった。ネリーの母親は、もと女優で、ディケンズの芝居を演じていたので、ディケンズとは親しかった。母親はネリーと、もう一人の娘を連れてディケンズの新しい舞台のためにロンドンに来ていた。亡くなった夫の遺産で暮らしているが、生活はそれほど楽ではない。
このときディケンズは45歳。作家活動も舞台の仕事も順調で、もっとも油が乗りきった時期で、彼の芝居は、人気を博していた。彼自身が舞台で主役を演じたり、舞台で詩を朗読したりして公演を成功させていた。そんな彼が、18歳の気の強い、自分の意思をはっきり言う美少女に恋をする。ネリーはあこがれの人に求愛されて、周りの人々の忠告や、本妻からの圧力などまったく目に入らない。盲目的にディケンズを心から慕い、恋に生きる。

ディケンズは、妻と別居して、ネリーを連れてフランスに移る。二人の愛の巣で、子供を宿るが死産する。ディケンズは死ぬまで彼女を愛した。
ディケンズの死後、ネリーは、教師になってディケンズの芝居を学校の子供たちに教える。結婚して子供も生まれる。幸せな家庭を持ったはずが、心はまだディケンズにある。彼の死後も心は喪に服している。いつも黒い服を着て、感情の起伏が激しい。それを理解できない夫も、周囲の人々も困惑するばかりだ。村の神父は、壊れそうな家庭を心配して、夫婦の力になろうと、折に触れてネリーに語り掛けて、堅く閉ざしたネリーの心を開こうとするが、ネリーは拒否するだけだ。時がたつほど、ネリーの感情が制御できなくなっていく。過去の思い出に生きるネリーと、現在のネリーとの境が、限界に達した時、ネリーは海に向かう。海を表現したディケンズの詩の朗読が聞こえる。荒ぶる海の波が砕け散る浜を彷徨するネリー。そんな凄惨な姿を見て神父は理解する。この不幸な女がディケンズの秘密の女だったのか、と。ネリーは神父の差し出した手にすがる。そして、神父とともに教会の墓地を歩くことによって 心の苦しみが消えていくのを自覚する。
長い長いディケンズとの旅路は終わったのだ。
というお話。

人は弱い存在だ。
誰でも人は秘密を抱えて生きている。しかしその秘密が大きすぎて、抱えられないとき、人には秘密を分かち合える人の存在が必要だ。
ネリーは抱えきれない秘密を、神父に理解されることで、生き返る。そして重すぎた過去を捨てて、別の女性として生きることができた。人生にとって忘却することがいかに大切なことか、この映画は物語っている。

監督主演したラルフ フィネスは52歳、英国サフォークイプスウィチ出身。父親は写真家、母親は名高い小説家の長男。弟ジョセフは役者、妹マサは映画監督。ラルフは王立演劇学校を出て、シェイクスピアロイヤルカンパニーで役者になり、イワン ツルゲイネフ、ヘンリク イプセン、サミュエル ベケットなど好んで演じ、映画「シンドラーのリスト」で、ナチ将校の役を演じて注目をあびるようになった。このことは、前の日記「グランド ブダペストホテル」で述べた。この作品で内部に狂気を秘めた軍人を演じてアカデミー賞男優賞の候補になり、1996年には「イングリッシュ ペイシャント」でこれまた内部に嵐を抱えた元貴族の学者を主演した。良い作品だったが、2005年の「ナイロビの蜂」と、2008年の「愛を読む人」(「朗読者」)は、どちらも秀逸。2作とも、忘れられない作品になった。この作品では最もこの役者らしい役を演じた。この人の魅力は「壊れ物としての人間」の「あぶなっかしさ」の表現の仕方にある。作家ジョン ル カレによる「ナイロビの蜂」も、ベルン ハルト シュリンクのよる「朗読者」(愛を読む人)も、原作が素晴らしく、ベストセラーにもなったが、本当に映画が良かった。
珍しく、ラルフ フィネスは「グランド ブダペストホテル」で笑わせてくれたが、次作では007ジェームスボンドシリーズで、ボンドのボスにあたるMの役を演じることになっている。Mは、長年ジュデイ デインチがやっていたが彼女はもう黄変部変性疾患で失明状態なので、ラルフにバトンタッチして引退するようだ。ラルフ フィネスのM、どんな親分になるのか、次作が楽しみだ。

2014年4月29日火曜日

映画「グランド ブダペスト ホテル」

  



https://www.google.com/webhp?rct=j#q=movie+the+grand+budapest+hotel&sh=0

原題:「THE GRAND BUDAPEST HOTEL」
監督: ウェス アンダーソン (WES ANDERSON)
キャスト
ミスター グスタフ :ラルフ フィネス
ロビーボーイ ゼロ:トニー レヴォリ
他、マチュー アマルリック、アドリアン ブロデイ、ジュード ロウ
ウィレン ダフォー、ジェフ ゴールド ブラム、ビル マリー
F マリーアブラハム、エドワード ノートン、リー セドリック
ジェーソン シュワルツマン、トム ウィルソン、サオイス ロナンなど

英独合作映画
ベルリン国際映画祭オープニングに上映。審査員グランプリ受賞作品。

ストーリーは
仮想の国、スブロッカ。第一次世界大戦が終わり、第二次世界大戦の始まる前のヨーロッパで、一番豪華で人気の高かったホテルのコンセルジュ、グスタフ氏のお話。
世界中からお金持ちの女性が、グスタフ氏にお世話をしてもらいたくて、休暇をとって会いにやってくる。グスタフ氏は、最も有名で、お金持ちの間でもてはやされているホテルマンだ。彼は、山の頂上に立つヴィクトリア風の美しいホテルで、ホテルにやってきた女性たちを一人一人大切にもてなして、アルプスの山々の景観を楽しんで休養してもらうために、ホテル最大のサービスを提供する。グスタフ氏は、新しいベルボーイを連れて、いつもいつも忙しい。ベルボーイの名前はゼロ。どの国から、どうやってブタペストまでやってきたのか誰も知らない。教育ゼロ、勤務経験ゼロ、でも、とにかく気が利くのでグスタフ氏のお気に入りだ。

ある日、グスタフ氏をことのほか気に入っていた年寄りの女性が亡くなった。グスタフ氏はゼロを連れてお葬式に行ったところ、ちょうど遺書が開封されるところだった。亡くなったおばあさんの親戚が全員集まっている。おばあさんの遺書によると、遺産はルネッサンス時代の名画ひとつだけ、、、これをグスタフ氏に贈るという。遺族たちは怒り心頭、グスタフ氏を罠に落とそうと画策する。皆で口裏を合わせて、おばあさんはグスタフ氏によって毒殺された、というのだ。
グスタフ氏は逮捕され刑務所に送られる。
刑務所でもグスタフ氏の誰にでも気分よく過ごしてもらうホテル式サービル精神は変わらない。グスタフ氏は刑務所仲間から評判が良くて、とても大事にされている。一方、グスタフ氏のいなくなったホテルでは、毎朝全職員がグスタフ氏のスピーチを聴きながら、そろって朝食をとることになっていたが、いまは、刑務所からゼロが受け取ってきたグスタフ氏の手紙のスピーチを、ゼロが読んで朝食をとることになっていた。ゼロはキッチンのパン焼き係りの少女と結婚する。このお嫁さんが、刑務所に、パンとケーキに鉄やすりやシャベルを忍ばせてグスタフ氏に差し入れをする。グスタフ氏は同室者5人で、刑務所脱走に成功。迎えに来たゼロと一緒にホテルにもどる。
そうこうしている間に、おばあさん殺しの真犯人がわかり、グスタフ氏の無実が証明された。しかし、第二次世界大戦の不穏な波がブダペストにも及んでいた。ある日、グスタフ氏がゼロを連れて鉄道で移動する途中、独軍に捕らえられ二人は引き離された。そしてそのままグスタフ氏は行方不明になってしまった。グスタフ氏は、どんなところで生まれ育ったのか、自分のことは誰にも言ったことがなかった。そして突然居なくなってしまった。ゼロはグスタフ氏を待ちながらホテルに留まっていたが、もう年を取ってしまった。

かつてヨーロッパで一番立派だったホテルも、グスタフ氏をなくして今はもう見る影もない。戦前からこのホテルを贔屓にしてくれた人々が時たま思い出したかのように、訪れるだけだ。すっかり年を取ってしまったゼロは、それでもグスタフ氏を待ち続ける。
というお話。

ストーリーにすると、こんなお話だがこの映画は喜劇で、話の筋やストーリー展開ではなく、一コマ一コマを笑う映画だ。早いピッチでシーンが変化して画面の面白さで笑わせてくれる。ちょうど喜劇の舞台を、映画でスピードアップして、次から次へと笑わせるようだ。ラルフ フィネスのソフトで誠実そのもの、繊細な人柄が、おおまじめにホテルサービスする姿が、とてもおかしい。ホテルマン達はみんな忙しいので、早口でしゃべる。ゼロはとりわけ早口だが、同じ口調でラルフ フィネスが早口ことばでしゃべると、言葉が上滑りしていて、笑える。それらの言葉がウィットとユーモアに富んでいて、皮肉もきつい。イギリスの上質の笑い。本格的なシェイクスピア舞台俳優ラルフ フィネスにしか出せない質の高い笑いだ。

刑務所の脱走なども、現実離れしていて、無声映画時代のチャップリンを見ているようだ。雪のアルプスをソリで脱出するシーンなど、オリンピックのジャンプ台からスレーダーから山スキー競技まで、敵に追いつ追われつ全部こなすところなど、笑いが止まらない。
山の頂上に建つピンク色の瀟洒なホテルや、ホテルの中の装飾、登場人物たちの服装など、現実離れした映画監督ウェス アンダーソンの独得の美意識が見受けられる。この監督の前作「ムーンライトキングダム」(2012年)を見て、彼の独得の映画のセンスに興味がわいた。この映画も、非現実的な世界の羅列で、絵画のように、見て楽しむ映画だった。20メートルくらいの高い木のってっぺんに、ボーイスカウトのテントがあったり、教会の尖塔の穂先で、取っ組み合いをしたりしていた。彼の映画を好きな人と嫌いな人とが、はっきりと分かれるだろう。嫌いな人にとっては この映画、さっぱりわからない。絵画でいうと精密画や印象派の絵やデッサンを違って、いわば抽象画だ。何を言おうとしているのかは、描いた本人にしかわからない。見た人はそれぞれ画を自分にひきつけて観て自分なりの解釈をするだけだ。そういう映画もあって良い。

出演者がみな有名な役者ばかりで、一人ひとりが端役でなくて主役級の役者ばかりが、この映画のちょい役で出演している。とても贅沢な映画だ。映画のプロばかりで ウェス アンダーソンと、ちょっと遊んでみました、という感じの映画。しかしこの映画の成功は、1にも2にも、主役をラルフ フェネスにしたことで以っている。彼のソフトで紳士的な口調、声の柔らかさ。デリケートで神経の行き届いた表現と物腰。怯えた少年のような青い目。

「シンドラーのリスト」(1993年)で、冷酷無比なドイツ軍将校を演じて、注目されるようになった。自分の一存で人を死に追いやったり、一度だけチャンスを与えて再び酷い死に目にあわせたりして楽しむヒットラーの盲信者の狂気を見事に演じて、アカデミー助演男優賞、ゴールデングローブ賞にノミネートされた。
ピーター オトウールの演じた「将軍たちの夜」という映画があった。戦時下のナチズムの嵐の中で、身の毛がよだつような、、人がどこまで人に対して残酷になれるかテストしているような、、、絶対狂っていなければできないようなことを平気でやるサデイストを、ピーター オトウールが、当たり前のような顔で演じていた。彼がお茶を飲んだり、街を歩いたりするシーンごとにあぶなっかしい狂気が潜んでいて、いつどこで爆発するかわからない、不安に満ちた映画だった。そのときのピーター オトウールの「あぶなっかしさ」は、ラルフ フィネスの物腰にも共通する。現に、ラルフ フィネスが、王立演劇学校を卒業して役者になって初めて踏んだ舞台が、「アラビアのロレンス」のロレンス役だった。ロレンスとピーター オトウールと、ラルフ フィネスの3人には、共通する「繊細と狂気」が潜んででいるのではないだろうか。そんな役者が、この映画では喜劇を演じていて、とても笑わせてくれた。

一枚の抽象画をみるような、愉快な舞台を観ているような、楽しくて、不思議なテイストの映画だ。


2014年4月23日水曜日

映画 「アメイジング スパイダーマン 2」


                        

監督:マーク ウェブ
キャスト
ピーター パーカー:アンドリュー ガーフィールド
グウェン ステイシー:エマ ストーン
叔母 メイ     :サリー フィールド
エレクトロ     :ジェイミー フォックス
グリーン ゴブリン:デイン デハーン
ライノ        :ポール ジアマテイ
ストーリーは
ニューヨーク名門高校の卒業式。グエン ステイシー(エマ ストーン)は、総代として、列席者を前にスピーチをしている。ピーター パーカー(アンドリュー ガーフィールド)も、列席しているはずが、彼は登校途中で、暴走トラックが暴れまわり、罪もない市民をなぎ倒して悪事を働いているのを見逃せなくて、スパイダーマンスーツに身を包み飛び回っている。スピーチが終わり、卒業証書の授与になり、ピーターの名が呼ばれた瞬間に、まわりをハラハラさせながら滑り込みセーフ、彼は証書を受け取ることができた。
ピーターとグエンは愛し合っているが、グエンの父親が警察署長として殉職する寸前、ピーターの正体を知って、「娘を愛しているなら、これ以上近付くな。」と厳命して息絶えたことが、ピーターの頭から離れない。グエンはピーターの正体を知っている。ピーターがスパイダーマンを続ける以上、グエンは危険にさらされる。別れなければならないと分かっていて、ピーターにはどうしてもグエンを諦めることができない。煮え切らないピーターの態度にグエンはイライラし通しだ。

グエrンはニューヨーク最大の電力会社オズコープ社の研究機関に研修生として入社した。オズコープ社の社長、オズボーン氏は、科学者だったピーターの父親の協力者だった。ピーターの父親が6歳のピーターを置いて行方不明になってからは、オズボーン氏は会社を発展させてきたが、いまは遺伝病で、死の床にある。息子、ハリー オズボーン(デイン デハーン)は、ピーターの幼馴染だったが、死に際の父親に会いに、ニューヨークに帰ってきた。ハリーも同じ遺伝病で若死にする運命にある。
ピーターの両親は、たった一つの茶色のカバンを残して失踪した。代わりにピーターを育ててくれた叔父も事故で亡くなった。ピーターは、自分は何者なのか。愛するグエンとの関係も思うようにいかない。正義のためにスパイダーマンになって、ニューヨークのヒーローになったが、自分はいったい何者なのか。これからどうして生きていくのか、疑問を叔母さんにぶつけてみても答えは見つからない。

しかし、ピーターは残された茶色のカバンの中にあった暗号を解いて、今はもう廃線になった地下鉄の駅の中に、父親が自分のために残してくれた秘密基地を見つける。そして、オズボーン氏が科学者として許されない遺伝子操作の研究に携わっていることを知る。そのころ、幼馴染のハリー オズボーンは、スパイダーマンを必死で探し回っていた。スパイダーマンの血液を使って、自分の遺伝病を直そうと期待している。
一方、オズコープ社のマックス(ジェイミー フォックス)は、取りえのない真面目なだけの冴えない技術者だが、事故で高圧電流をあびて自分が電気を吸収して熱を発するこののできる発電人間「エレクトロ」になってしまった。気が付くと、姿も人とは思えないモンスターに変っていて、人々を傷つけ警察から銃撃を浴びせられている。ハリー オズボーンは、スパイダーマンに血液を提供することを断られて、彼を憎むようになり、エレクトロを使ってスパイダーマンを襲う。自分も開発中の遺伝子操作でできたワクチンを注射して「グリーン ゴブリン」怪人になる。戦いが始まり、
スパイダーマンはグエンの力を借りてエレクトロを倒すが、グエンをグリーン ゴブリンの人質に取られ、戦っている間にグエンを死なせてしまう。グリーン ゴブリンは警察に捉えられ再び平和になるが、グエンはもう戻ってこない。ピーターはふぬけのようになって、生きる希望を失った。ニューヨークに、スパイダーマンはいなくなった。

再び悪がはびこり、サイ型のアーマーに入った怪力鉄人「ライノ」が、思うまま街を破壊している。プルトニウムを盗もうとするロシアマフィアだ。警察の包囲されているが、警察の力は及ばない。人々が見守る中を、ライノの前に小さなスパイダーマンの服を着た子供が現れる。以前スパイダーマンに助けられた少年だ。ライノが少年を踏みつぶそうとした瞬間、「あぶないよ。下がっていなさい。」という少年には聞き覚えのある声がした。スパイダーマンが帰ってきたのだ。
というお話。

今回のスパイダーマンの敵は、「エレクトロ」、「グリーンゴブリン」、「ライノ」だが、エレクトロにジェレミー フォックス、グリーン ゴブリンにデイン デハーン、ライノにポール ジアマテイと、悪人に有名役者を使っている。ビルからビルに、蜘蛛の糸で気分良く飛び回るスパイダーマンは気分爽快。3D画面も、ここまできたか。映像が本当に綺麗だ。自由自在に自分が飛んでいるような気分になれる。

ピーターは大いに悩む。だいたい映画のはじめの台詞が、「僕は怖い。」だ。戦えば戦うほど敵が増えてきて敵の力は増大するばかりだ。弱い者のために悪と戦うことに、「怯えるピーター」がとても良い。正義の味方が、いつも強くて自信満々なわけがない。高校を卒業したばかり。恋人の父親からは、娘に近付くな、と釘を刺されている。悩み多い17歳か18歳の少年だ。心の支えのはずの両親は謎の失踪中。父親代わりだった叔父さんは、ピーターと口喧嘩の末、家出したピーターを探し回って強盗に殺されてしまう。スパイダーマンは人気があるけれど本当の自分の姿を知っているのはグエンだけ。その恋人に近付いてはいけない。本当にこれじゃ、グレちゃうよね。強さも弱さももって、それでも尚、弱者の側に立ちたいと願うピーターに、共感できる。

エレクトロは冴えない真面目男で、誰からも評価されないで地味に生きて来た暗い暗い男だ。ハリーに、おまえが必要なんだ、おまえだけが頼りなんだ、と繰り返して言われて、生まれて初めて喜び一杯で、やる気むんむんになる姿も、単純だがよくわかる。

ハリー オズボーンも父親の研究を教えられていない。ピーターも、6歳で自分を捨てた父親のことを知らない。父親同士が協力者であり、やがて敵対するように、ピーターとハリーもいがみ合わなければならない運命だが、久しぶりに合った二人が、はじめは言葉少なく互いに下を向いていて、、、やがて二人並んで歩き出して、遂に童心に帰って、べらべらしゃべり、二人グダグダして、川に石を投げ競ったりするところがとても良い。こういうところが、マーク ウェブ監督の独得のテイストだろう。とても自然だ。
アンドリュー ガーフィールドの個性をよく出している。一人前のようでいて、頼りなく、男っぽいようで急に甘えた子供のような声で無邪気にしゃべり出す。アメリカ人だがイギリスで舞台役者の教育を受けた立派な役者だ。アメリカの人気トークショー、グラハム ノートンショーに、ガーフィールドと、エマ ストーンと ジェレミー フォックスが3人でゲスト出演していて、3人が和気あいあいと仲良くしている姿は、みていて気分が良かった。

マーク ウェブ監督のスパイダーマンは、強さも弱さも抱える少年が煩悶しながら大人に成長していく人間ドラマとして描いていて共感できる。前回のスパイダーマンよりもずっと人間的で良い。だいたい、前回のスパイダーマンは、垂直のビルの壁を本当の蜘蛛のように這って登っていく姿が気持ち悪かったが、今回のスパイダーマンは、空を飛び、ビルからバンジージャンプして冷たい風を切る。気持ちが良い。3Dでニューヨークの摩天楼を飛び回りたい人は、必見!

2014年4月19日土曜日

映画 「ノア 約束の舟」

                       

原題 :「NOAH」
監督: ダーレン アロノフスキー
キャスト
ノア    : ラッセル クロウ
妻ナーメ :ジェニファー コネリー
養女イラ :エマ ワトソン
息子シャム:ローガン ラーマン
祖父    :アンソニー ホプキンス

コーランはムハメドが、610年に神の啓示を受けて、632年に没するまでの22年間に、神アラーから受けた啓示を編纂したものだ。ムハメドは預言者であり、預言者とは神の言葉を預かった者を指す。キリスト教ではイエスを「神の子」として信仰の対象にしているのに対して、イスラム教ではムハメドは人間であり、信仰の対象にはならない。信仰するのは、唯一絶対神のアラーだけだ。
一般にイスラム教は7世紀に始まったと言われる事が多いが、コーランによれば、この世が創られた時から根源的に神は存在していた、とされる。神はそれぞれの共同体に預言者をつかわせて正しい信仰と、正しい行いの規範を伝えさせた。アダム、ノア、アブラハム、モーゼ、イエスなどが、重要な預言者であり、ムハメドは、「最後の最も優れた預言者」である、とされている。
アダムやモーゼは旧約聖書の登場するが、コーランにもその名前が預言者として記載されていることに、意外な気がする。したがって、旧約聖書は、キリスト教にとっても、ユダヤ教にとっても、イスラム教にとっても、重要な人類の創世記について述べた宗教書ということになる。

キリスト教、ユダヤ教、そしてイスラム教にとって、共通して世界は「はじめは何もなかった。」のであって、神が天と地を創造した。旧約聖書は、イエス以前の神による天地創造の壮大な物語だ。
神はアダムとイブを創り、イブは蛇にそそのかされて禁断の果実を食べてアダムと共にエデンの園から追われる。アダムとイブは、カインとアベル、二人の男の子を持ったが、カインは嫉妬ゆえに弟アベルを殺し、エデンの東に留め置かれる。人々は邪悪に慣れ、高慢がはびこり、神は自分が創造した肉体をもつものすべてを皆滅ぼすことにした。しかし、預言者ノアだけは、過ちを冒すことなく正しく生きていたので生存することを許される。神の言われるまま、ノアは妻と3人の息子とともに方舟を作り、罪のない動物たちを方舟に乗せる。40日、40夜雨が降り、ノアとともに方舟に乗っていたもの以外の生き物は皆死に絶える。ノアは7か月と2週間のちに、陸に立ち神の祝福を受ける。 これが「ノアの方舟」の物語だ。

この「ノアの方舟」が映画化された。全米では上映開始後、記録的な入場動員数を上げて、すべり出しは好調。オーストラリアでも主演が、オージーの中のオージ―代表選手、ラッセル クロウだから、3Dの大型映画館は、大人気で込み合っている。
しかしイスラム教徒が多数を占める、カタール、バーレーン、アラブ首長国連邦、エジプト、ヨルダン、クエートなどでは、この映画の上映が禁止された。イスラム教では、神を偶像化することが禁じられている。アダムやノアやモーゼやイエスや「最後の最も優れた預言者ムハメド」を、役者が演じることも許されない。映画化は神や預言者を侮辱することになる、という。
宗教は、もとが同じでも、伝わり方によって、ことほどさように厄介だ。

ノアの方舟ときいて、動物がたくさん出てきて方舟に乗るところをとても期待して観に行った。大地を揺るがしてドカドカと、象やキリンやゴリラが方舟に向かってくるシーンは、大スペクタクルで迫力いっぱいで、単純に見ていて嬉しい。フィルムだからこそすばらしく勇壮な映像で、観客に強いインパクトを与えることができる。

エマ ワトソンが、部族の襲撃にあって生き残った少女がノアに救出され養女として育てられ、やがて長男と結婚して双子を生む、大事な役を演じている。ハリーポッターでは、顎のしゃくれた気の強い魔法使いだったが、すっかり大人になって可愛らしい。しかし、11歳でハリーポッターの映画の撮影が始まった3人の子役たち、ダニエル ラドリフ、ルパード グリント、エマ ワトソンの3人が、3人とも20歳になっても背が伸びなかったのは残念だ。

ウォッチャーズという岩の「おばけ」がたくさん出てくる。神の怒りに触れて岩にされて地上に降ろされた生き物だが、彼らが体を張ってノアたちを、方舟を乗っ取ろうとする邪悪な人間たちから救ってくれる。おかげでノアたち家族は全員そろって方舟に乗り遅れずに済むわけだけれど、ウォッチャーズがガンガン敵をぶっとばしたり、人間の束をわし掴みしてブン投げたりするシーンは、「ワールドワーZ」のゾンビと米軍戦闘シーンか、「指輪物語」の怪獣との乱闘シーンを見ているようだ。戦うだけ戦って、ボロボロになったウォッチャーズが次々と、神に許されてバキューン ドキューンと、天に召されていくところなど、ほとんど漫画のようだ。

CGを使って壮大なスケールで、預言者ノアのパワーを見せようとすればするほど、ノアがただの石頭の「頑固親爺」に見えてくる。なんといってもラッセル クロウだからかしら。ウェリントン生まれのオ―ジー俳優、50歳。男っぽさと喧嘩早いことで有名。「グラデイエイター」(2000年)撮影中、プロデユーサーブランコ ラステイングと喧嘩になって素手で殺しかけたけれど、結果としてアカデミー主演男優賞を受賞し、「ビューテイフルマインド」(2001年)でゴールデングローブ賞をとり、受賞スピーチの報道に文句をつけて番組プロデユーサーを壁に叩きつけ、「シンデレラマン」(2005年)では、NYホテルからシドニーの家に電話がかからないことに腹をたてボーイに電話をたたきつけ怪我をさせ、暴行容疑で逮捕された。そんなの彼には日常茶飯事。
ロックバンド「30 ODD FOOT OF GRUNTS」のリードボーカルでギタリスト。

おまけに彼は、ナショナルラグビーリーグ「ラビトーズ」のオーナーだ。
国民全体が間違いなくラグビー狂のオーストラリアで、プロのラグビーチームを所有するということが、どんなに英雄的なことか、、、彼をして男の中の男と、いわせる所以なのだ。選手15人を食べさせていけばよいというわけではない。試合に出場する強豪選手を支える2軍、3軍の選手たちをかかえ、地元シドニー南部のサポーターたちや、熱狂的なファンの会や、チアガールのグループを持ち、リーグ戦に勝ちぬかなければならない。体重100キロのバッファローのような男たちが100メートルを10秒で走り激突する。ラグビーは格闘技そのものだ。今季も彼の「ラビトーズ」は、「シドニールースターズ」や、「バンクスタウン ブルドッグス」や、「マンリーシ―イーグルズ」など強豪チームを相手に良い試合をしている。
また役者のなかにはパパラッチを嫌って、私生活を守るために逃げ隠れする俳優が多いが、ラッセル クロウは表裏なし、公私の隔てなし、どこからでも取材も写真も自由で、パパラッチはマイト扱いだ。ロックで、フットボール狂で、喧嘩の早い乱暴者だけど、これがオージー男の代表です。はい、、、。もんくありません。なのだ。

そんな男を主役にすえた聖書物語。本物のクリスチャンは、見ない方がいいかもしれない。
パラマウントが1億2500万ドルの巨費を投じて製作したスペクタクル超大型作品「ノア」。
よもや聖書のお話、と思わないで、ハリウッドアクション超大作娯楽映画というつもりで観に行くことをお勧めする。

2014年3月30日日曜日

オペラ 「イーゴリ公」

   
       

オペラを観ていて眠ってしまった、、、で、目が覚めた時、眠る前と全く同じ情景で、同じ人たちが同じようなことを言いながら歌っていた。すごい。
これがロシアのオペラの醍醐味か、、、。

ニューヨークメトロポリタンオペラ
オペラ「イーゴリ公」: 「PRINCE  IGOR」
作曲: アレクサンドル ボロデイン
指揮: ジアナンドリア ノセダ
音楽: ピッツバーグオーケストラ
ホスト: エリック オーウェンズ

イーゴリ公    :アブトラザコフ イルダ (バスバリトン)
妻ヤロスラザブナ:オクサナ デイーカ (ソプラノ)
ガレツキー公  :ミハイル ぺトレンコ (バス)
息子ウラジミール:セルゲイ セミシュクール(テナー)
コンチャクカーン :ステファン コツャン(バリトン)
カーンの娘    :アニータ ラチヴェリシュべリ(ソプラノ)

ストーリーは
プチバルの国のイーゴル公は、息子ウラジミールを連れて、コンチャック カーンの国を亡ぼしに全軍を率いて出陣する準備をしていた。ところが、いざ出陣に段になって、突然日が陰り、太陽が月に重なって日蝕が起きて、あたりが真っ暗になってしまった。人々は突然、暗闇に陥り恐怖に震え、これは、悪い予兆にちがいないと、言い出した。イーゴリ公の妻も、夫をひき止めようと説得するが、イーゴリは弟のガリツキーに後を頼むと、意気揚々と軍を率いて行ってしまった。

しかし戦争では コンチャク カーンの軍に完敗し、イーゴリ公は傷を負って捕虜となった。イーゴリ公の息子ウラジミールも、同じく捕虜になったが、コンチャク カーンの娘カンチヤコバに愛される。自由奔放で美しいカンチヤコバは、ウラジミールに甘い酒を飲ませ、楽しくて甘い生活を提供して、すっかり誘惑で骨抜きにしてしまう。イーゴリ公にもたくさんの誘惑が待っている。コンチャク カーンは イーゴリを敵をみなさずに友情を持って歓待する。しかし、イーゴリはかたくなに誘惑を拒み、沢山の兵隊を失って、自分は生きて敵の捕虜になったことを恥じて、苦しむ。

一方、イーゴリ公のいないプテイバルの国は イーゴリに弟ガリツキーによって規範を無くし堕落と退廃に陥っていた。ガリツキーの取り巻きたちは、このときとばかり羽目を外して酒に酔い、女たちを襲い、イーゴリの妻の権力を奪おうとしていた。そこに、イーゴリ公が捕虜になったという知らせが入る。妻ヤロスラブナが嘆く閑もなく、敵兵が襲ってきて、カーンの兵によって城は包囲されて、攻められ破壊された。ガレツキー公は殺される。

破壊された瓦礫に、傷を負い生き残ったプテイバルの人々が、肩を寄せ合って生きている。そこに、逃亡してきたイーゴル公が、ボロボロになってたどり着く。息子はカーンの娘との甘い生活に溺れて父親も故国も捨てた。イーゴリは一人帰国して、妻と再会する。イーゴリは敗戦も、国破れ、城が瓦礫となったのも、すべて自分の責任だったと自分を責めて、ひとり黙って、黙々と瓦礫を除いて破壊された城の再建に身を投じるのだった。というお話。

12世紀のロシアの英雄イーゴリ公の物語。
ボロデインの曲はロシアというよりも、トルコ系遊牧民族やモンゴルの草原の民の音楽に近い。

このオペラのみどころは、第2幕、幕が上がった途端、、、あっと びっくり、舞台が真紅のケシの花で覆われている。12万本のケシが咲き乱れている中を、流れてくるのが有名な曲、「韃靼人の踊り」だ。このオペラで一番有名な曲、「韃靼人の踊り」。もう ほとんどポピュラーと言ってよいほど有名で、誰でも聴いたことがあるはず。英語では、この曲を「ストレンジャー イン パラダイス」。じつは「韃靼人の踊り」も「ストレンジャー イン パラダイス」も、「韃靼人の行進」も、みな別々の曲だが、オペラの中で、全部をつなげて演奏しているように、ひとつの長い曲のようにバレエの舞台音楽としてよく使われている。曲の一部は、映画にもコマーシャルにも、携帯の呼び出し音楽にも使われている。オペラでは、この曲が果てることなく繰り返し繰り返し、延々と演奏され続け、真っ赤なケシ畑で、裸のような衣装を着た30人もの男女が身をくねらせて踊る。戦に負けて傷を負い、捕虜になったイーゴル公もウラジミールも このケシ畑で途方に暮れるが、やがて陶酔して甘美な世界に身を浸す。ケシは誘惑と陶酔の世界を象徴している。

この12万本のケシ畑を演出したのはロシア人、オデイミトリ チェル二アコフ、43歳で これがメトロポリタンオペラ演出の初デビュー作品になった。優秀な演出家で 主にイタリアで活躍している。またこの「韃靼人の踊り」は、「イーゴリ公」よりも、ブロードウェイミュージカル「キスメット」で使われて有名になった。1954年の「キスメット」は、ボロデインの弦楽四重奏曲と、管弦楽曲をアレンジして使っていて、ミュージカルとして成功し、高く評価されて、この年にトニー賞受賞、ボロデインもオリジナル音楽賞を受賞している。そのころボロデインはとっくに亡くなっていたけれど。このミュージカルは映画にもなっている。

アレクサンドル ボロデインは人物紹介されるとき、いつもロシアを代表する作曲家だが、化学者で医師でもあった、と言われる。1833年生まれ。貴族出身でサンクトぺテルスブルグ大学医学部を卒業し、化学者としてイタリアピサ大学をはじめヨーロッパの各地で研究に励み、有機化学の分野で大きな業績を残した。26歳のときに結婚した妻がピアノを弾くのに魅かれて、音楽に興味をもち、作曲を勉強し始める。二つシンフォニーを完成させており、1880年にフランツ リストがドイツでカレのシンフォニーを紹介したのが契機でヨーロッパでも彼の名前が知られるようになった。
オペラ「イーゴル公」は、ボロデインが、本職が忙しくて生前、完成できなかったが、彼の死後、ニコライ リムスキーとコルサコフ アレクサンドル グラズノフによって完成されて、上演されるようになった。ロシアでは、ロシアの誇りとして、ひんぱんに上演されて、ボリショイバレエ団の踊りとともに大人気の作品。ロシアでは多数のコーラス隊と、多数のバレエダンサーの出演を得て、規模の大きな、どでかい舞台に仕上がっている。それだけにヨーロッパではあまり上演されてこなかった。今季、メトロポリタンオペラでは、100年ぶりの「イーゴリ公」上演だそうだ。100年!!!

主役のイーゴリ公を演じたのは、若いロシア人、体格も良く、顔も良い。しっかりしたバスバリトンで、戦に敗れ、捕虜として辱められ何もかも息子さえも失って故国に帰ってきた苦悩する男の役を立派に演じている。インタビューで、このオペラを子供の時!!!から観て育ってきた、と語っている。すごい。4時間半の本格的なロシアのオペラを、ロシア人に歌わせて成功している。
貞淑な妻を演じたソプラノ、オクサナ デイーカはウクライナ出身で格調ある、とても美しい声をしている。メトロポリタン初デビューだそうだ。声は、素晴らしい高貴な声をだすが、演技のほうは堅くて重い。
バスの悪役イーゴリ公の弟も、息子のウラジミールのテノールも、とても良かった。コンチャク カーンのバリトンもすごく良い声だった。

コンチャク カ-ンの娘役で、ウラジミールを誘惑してすっかり骨抜き男にしてしまう自由奔放な娘を演じたアニータ ラチヴェリシュヴェリは、いま主役級の人気ソプラノ歌手だ。ジョージア出身。この人の主演した「カルメン」を見たことがある。腰まで長い黒髪をなびかせて、豊かな胸をさらけ出し、大胆で野性的。オペラ界の新しいセックスシンボルになりそうな感じ。のびのある美しいソプラノを歌う。

第1幕の出陣を前に、イーゴリ公が妻や弟や100人近い兵士たちを前に、あれこれ言っているシーンが延々と続くので思わず寝てしまったが、良いオペラだった。久しぶりお金を使い放題の大規模な重い本格的なオペラ、出場役者が200人以上に加え、30人のバレエ団、とびぬけて贅沢な舞台、こんなロシアオペラも良いものだ。4時間半、ライブフィルムを堪能した。

フィルム開始直前、暗闇の中で、となりの席に滑り込んできた小柄な女性が、ニューサウスウェルス州知事のマリー バシェール教授だった。ニュースでしか見たことのなかった人が、幕間に気軽に話しかけてくれたのが、なんか、とっても嬉しくてすっかり彼女のファンになってしまった。そんな のんびりした日曜の午後。