2017年3月25日土曜日

メッツオペラHD 「ロメオとジュリエット」

オペラが大好き。
この世で一番美しい音は、よく訓練された男のテナーの音だと思う。
オペラハウスの会場の華やかさ。舞台下のオーケストラピットの楽士達の音合わせのにぎやかさ。指揮者がさっそうと入って来る時の期待の高まり。オペラの物語が始まる前の興奮と昂揚感、そういったオペラ開始前の華やぎは、他の何にも代えがたい嬉しさだ。
オペラ「真夏の夜の物語」では、舞台が宮廷の庭になっていて、舞台の端に二階建ての楽士席が作られていた。そこに緑と銀色の宮廷侍従の服を着て、房のついた飾り帽を被った
楽士達が、次々とバイオリンを抱えたり、トランペットをもって着席して、序曲が始まったのだ。何て素敵なアイデア!嬉しくて、跳ねまわりたくなる自分を抑えるのに苦労した。

10年くらい前は、毎月の様にオペラハウスに通っていた。会員になって、中央の前から5番目。すごく良い席を確保していた。しかし、シドニーオペラハウスは、外観の良さに反して、年寄りや障害者にとっては最悪の建物だ。外からオペラハウスの正面玄関に入るのには、数十段の階段を登るが、建物に入りクロークから劇場まで、さらに数十段の階段を登らなければ、中に入れない。劇場入口には入れても、席が後の方だったりしたら、またさらに階段だ。クロークの前に、劇場までの小さなエレベーターができる前までは、足の悪い人は、舞台裏まで歩いて舞台の大道具を運ぶ荷物用のエレベーターで、劇場に上らなければならなかった。そのために案内人が来るのを待って、エレベーターを手動してもらう。また、休憩時間にトイレにいくのも、また階段を下りて登らなければならない。
足の悪いオットは、杖をついてオペラに行くのを諦めて、次に車椅子でオペラハウスに行くのを諦めて、遂にオペラに行くことを完全の諦めた。今、オペラハウスが目に入っても、オットを連れて段差を乗り越えられなくて車椅子で立ち往生したり、空気調整が異常に悪い地下の駐車場で喘息発作を起こして死にかかったりした悪い記憶しか戻ってこない。半分国民の寄付で作られたオペラハウスなのに、どうして健康で若い人しか入れないような建物を作ったのか。愚かだ。バーロー。こんなところには、もう二度と行かない。
もっと上等なオペラを、フイルムで観た方が良い。 というわけで、
ニューヨークメトロポリタンオペラの、ライブHDフイルムだ。

オペラ「ロメオとジュリエット」
作曲: シャルル グノー
原作: ウィリアム シェイクスピア          

初演: 1867年 パリ テアトル リリークシアター
2時間40分 フランス語、英語タイトル
指揮: ジアナンドレア ノセダ
製作: バートレット シア
ジュリエット: ダイアナ ダムラウ
ロメオ : ヴィットリオ グリゴロ
ステファーノ:バ―ジニー ヴェレッツ
メルキシオ: エリオット マドレ

背景
14世紀 イタリア ヴェローナ

ヴェローナ支配層は、1239年、神聖ローマ帝国の皇帝フリードリッヒ2世の協力を得て、近隣諸国を征服し、勢力を拡大していた。それをローマ教皇グレゴリウス9世は 反キリスト的だと非難。ヴェローナの支配層は教皇派と皇帝派に分裂して、し烈な抗争を繰り広げた。皇帝派のモンターギュ家と、教皇派のキャピレット家とは、血を血で洗う勢力争いをくり返していた。

第1幕
キャピレット家のジュリエットは14歳になり、父親はヴェローナ侯爵の甥と娘を結婚させようと、やっきになっていた。しかし蝶よ花よと大切に育てられたジュリエットには、結婚に何の興味も感じられない。ジュリエットは、「恋をするってどんなかしら。炎のような愛に生きてみたい。」とアリアで歌う。
モンターギュ家のロメオは、友人のメルキューシオと、面白半分にキャピレット家の仮面舞踏会に紛れこんで、キャピレット家の一人娘ジュリエットに出会う。ひと目で二人は恋に陥るが、二人は後で、相手が敵同士の家の出であることを知らされる。
第2幕
その夜、眠れないロメオは、キャピレット家の庭に忍び込み、ジュリエットのいるバルコニーを見つめながら思いのたけを告白して歌う。「ぼくの太陽、登れよ登れ、ぼくの心の太陽」と、絶唱。ジュリエットも、バルコニーから姿を現して、自分の思いを伝える。
第3幕
ロメオは旧知の神父を訪ね、結婚したいと申し出る。そこに乳母を連れたジュリエットもやってきて、二人は秘密裏に結婚の誓いをたてる。ふたりの熱唱と、乳母、神父を含めた4重唱が美しい。
キャピレット家の仮装舞踏会から、一度も家に帰ってこないロメオを、メルキューシオたちは心配している。一方、モンターギュ家の男達は、自分の家の舞踏会に忍び込んでいたロメオのことを怒っていて制裁しようと、探し回っていた。街は不穏な空気の覆われていた。結婚式を終えたロメオが街頭で、メルキューシオ家の男たちに見つかって囲まれる。駆け付けたモンターギュ家の者たちと、剣を交えた激しい諍いが始まる。ロメオは親友のメルキューシオを殺されてしまい、いきりたって、メルキューシオ家の跡取り息子を殺してしまう。 その夜、ロメオとジュリエットは、互いの運命を嘆きながら、ジュリエットの部屋で初夜を迎える。ロメオは国外追放と宣告されて、二度とヴェローナの街に帰って来られない。延々と、二人の悲嘆にくれるデユエット。
第4幕
ロメオはヴェローナを去った。ジュリエットは父の強い勧めでヴェローナ侯爵の甥と結婚することになった。結婚を避けるために、どうしたら良いのか、ジュリエットはローランス神父に助けを求める。神父は、みんながジュリエットは死んだと思わせるように、仮死状態になる薬を与える。
第5幕
ジュリエットは霊安室で眠っている。そこにローランド神父の使いと入れ違いに、ロメオが、ジュリエットが死んだと聞かされて駆けつける。そしてジュリエットの死んだ姿を見て、後を追って毒を一気にあおる。その後、目が覚めたジュリエットは、ロメオを見て再会の喜びにデュエットを歌うが、ロメオは徐々に力を失う。ジュリエットに問われて、ロメオはすでに毒薬を飲んでしまったことを打ち明ける。ジュリエットは迷わずロメオの短剣を胸に突き付けて、ロメオは最後の力を振り絞って刃を突き刺し、二人は共に倒れる。
というストーリー。

ジュリエット役は、ドイツ人のソプラノ、ダイアナ ダンラウ。厚みのある力強いソプラノだ。表情が豊かで体当たりの演技もとても良かった。14歳のジュリエットが嬉しい時にぴょんぴょん跳ねたり、父親に甘えてしなだれかかったり表現が優れていて、30歳近くの亭主もちの女性と思えない。独唱の多いオペラで3時間ちかく、ほとんど二人舞台といって良い過酷な舞台。インタビューに答えて、「一日一日をサバイブすることで一杯で、他のことなど何も考えられない。」と言っていた。文字通りの大役なのだろう。

ロメオ役はイタリア人テナーのヴィットリア グリゴロ。彼の熱演がものすごく熱い。14歳の少年の役なのだから、もうちょっと力を抜いてソフトにやってくれと言いたくなる。汗をぶちまけながら全身で熱唱、このまま数か月の公演で体がもつのか、他人事ながら心配になる。インタビューで、ジュリエットを横に抱いて、「ぼくは彼女と結婚するんだ。」と宣言して、完全に役になりきっている。決闘場面など本当に剣を抜いてやり合って、トムクルーズ並に活躍。ジュリエットのいるバルコニーに飛び上り、3メートルの高さの門柱に半分足が浮いた状態で、ジュリエット、ぼくの太陽、太陽と、歌いまくっていた。これほど動きの激しいロメオ役も珍しい。

ニューヨークタイムスの批評を読んでみると、「たしかにこの二人が愛を交わし合い、これでもかこれでもかと熱唱する姿がとてもリアルだ、二人で最高の愛のケミストを発散しまくっている。」 と書いてあった。二人はこのオペラの前は、「マノン レスコー」を共演していた。この後、半年後には、「ホフマンの舟歌」でまた共演するようだ。相性が良いのだろう。二人の共演、これからも楽しみかもしれない。心配かもしれない。互いの家族が壊れて血を見るかもしれない。どうでもいいが。

オペラ「ロメオとジュリエット」は、シャルル グノーが作曲し、フランス語で歌うが、作風は古典の中の古典。重鎮グノーの作品だから、オペラ「ファウスト」もそうだが、重くて宗教色も強い。
一方、バレエの「ロメオとジュリエット」は、セルゲイ プロコフィエフ作曲で、現代的で明るい。人気作品だから、今も昔もたくさんのバレエ団が、これを演じているが、中でも1965年ロイヤルバレエロンドンで、ルドルフ ヌレエフと、マーゴ フォンテイーンが演じた作品が最高で、これ以前にも、これ以降にも、この二人以上に美しいロメオとジュリエットはあり得ない、と伝説になっている。まことに夢のような組み合わせだ。

映画では、1968年 フランコ ゼフィレリ監督によるオリビア ハッセイと、レオナルド ホワイテイングが演じた「ロメオとジュリエット」を、最も高く評価したい。このとき17歳だったオリビア ハッセイの、みずみずしく、ういういしくもまた清楚な美しさには目を見張る。相手役の18歳のレオナルド ホワイテイングも、稀有な美少年、本当に美しかった。この映画の後、レオナルドは二度と映画出演せず、その世界から遠ざかってしまった。オリビア ハッセイも、この映画のあと全然良い映画にもましな役にも恵まれなかった。
2015年になって、二人は 「ソーシャル スーサイド」というスリラーミステリー映画で、47年ぶりに、仲良く共演して話題になった。すっかり年を取ったレオナルドは、みごとに額が広くなってふくよかな顔になっていた。昔の絶世の美少年の面影もない。大昔のロメオとジュリエットが47年ぶりに共演したイギリス映画、ということだけが話題の2流作品だったらしく、こちらでは公開されなかったので、観ていない。

このあと1996年、クレア デインズとレオナルド デカプリオが、映画「ロメオとジュリエット」を演じたが、不興だったようだ。2013年には、ヘイリー スタンフェルドと ダグラス ブースで再びイタリア映画、「ロメオとジュリエット」が作られている。
またバーンスタインのミュージカル「ウェスト サイド ストーリー」も、このシェイクスピア作品がもとになっている。
もともとは、シェイクスピアのオリジナルではなく、ギリシャ神話がもとになっているが、人々は悲劇が好きだから、この作品はこれからも、オペラや、バレエや、ミュージカルや、映画で繰り返し繰り返し 全世界で演じられて、人々の涙をそそることだろう。そういえば、フイルムを見ながら泣いている人が結構いて、二人の絶唱をききながら、あちこちで嗚咽したり、鼻をかんだりしている音がした。
土曜日の午後、家から魔法瓶に甘い紅茶とサンドイッチを持ち込んでのひとり観劇。
こういう週末、全然わるくないぞ。




2017年3月19日日曜日

映画「ボブという名のストリートキャット」




                           

原題:「A STREET CAT NAMED BOB」
イギリス映画
監督 :ロジャー スポテイスウッド
キャスト
ボブ : ボブ自身
ジェームス:ルーク トレタウェイ
べテイ :ルタ ゲドミンタス
ヴァル(ソーシャルワーカー):ジョアナ フロガテイ
父 二―ガル : アントニー ヘッド

今から15年前のことだが、シドニー北部で最大規模のベッド数を持つ公立病院に勤めていた間、病院の前に建つアパートに住んでいた。病院は広大な敷地に、メインビルデイング、研究室、小児科病棟、透析室、産科、精神科、など独立したビルが散在していた。目の前に住んでいても、務めていたビルに行くまで歩くと結構距離があって、巨大な樫の樹や、ガムトリーが茂る木々の間を歩いていると、枝から枝へと飛び移る猫サイズの有袋類ポッサムによく出会った。大きいリスのような姿で、両手で木の実を抱えてすわって食べる様子は、愛らしい。出会うと嬉しく、ポッサムのためにいつも果物を持ち歩いていた。牧歌的な時代だった。
やがて敷地一杯に新しい総合病院が建てられ、100年を超える歴史を持った木々たちは、無残に切り倒され、土の香りもなくなった。大きな建物の一角に、ドアには何も書かれていないが、それとわかる「メサドンクリニック」が開設された。ヘロイン中毒者と一目でわかる顔つきの人々が朝早くから並んで順番を待っている。メサドンを飲んだ後、仲間同士つるんでから、彼らはそれぞれ散っていく。

薬物中毒者が薬を絶ち、自立するには、大変困難を伴う。常習者は薬物が体から脱けると自分の意志に関わらず体が薬物を求める。一挙に薬物を中止することができないので、メサドンという代行ヘロインを毎日飲んで、徐々に薬物依存から抜け出していく。メサドンはビンごと患者に渡すと貯めて売ったりするから、必ず毎日クリニックに通わせて、医師や看護師の前で飲ませる。医療側も毎日患者の顔が見られると、様子がわかるので管理しやすい。メサドンを飲んでいても、働き出してお金ができるとヘロインを打って、過剰投与で命を失ったり、行倒れになるかもしれない。メサドンをもらいに来なくなると、警察の世話になっているのか、交通費もなくて困っているのか、など状態を把握し福祉関係者と連絡を取り合って必要な援助をすることができる。

シドニー最大の歓楽街キングスクロスには、ユナイテッド教会が経営する「ヘロイン注射所」がある。やってきた人に医師や看護師は、清潔な使い捨ての注射器と駆血帯をあげる。来た人はこれを受け取って、自分でヘロインを打つ。おかげで過剰投与で命を失うことも、注射器の使いまわしで HIVなど感染症を拡散することもない。薬物過剰投与で命を失う若い人が後を絶たないので、他州でも同じような注射所を開設する動きが出ている。薬物の関しては、今のところ、メサドンプログラムと、ヘロイン注射所の継続によって、かなりの感染症が防げて、過剰投与による死亡者を減らす効果が出ている。

というわけで、「ボブという名のストリートキャット」だ。
同名のタイトル原作本が世界28国で翻訳紹介されてベストセラーを記録している。日本でも愛読されているそうだが、全然知らなかった。ボブと名付けた野良猫に出会ったジェームス ボーエンというストリートミュージシャンが、猫と暮らすうちヘロイン中毒から立ち直ることができたという実話を、映画化したもの。

ストーリーは
ジェームスはオーストラリア生まれだが、父の再婚を機会にロンドンに移って来た。プロのミュージシャンを目指していたが、うまくいかず、父の再婚相手とも良い関係を築けない。家にいたたまれず家出、学校も放校となる。ドロップアウトの終着駅、ヘロイン中毒者となり、住むところも失い、コペントガーデンでギターを弾いて、その日暮らしをしていた。お金がたまるとつい薬を打つ。何度目かの過剰投与で死にかかって病院に送られたあと、ソーシャルワーカーの計らいで、古いアパートを提供され、メサドンプログラムを始める。

アパート生活が始まって、ある日、大きな傷をうけた茶色の猫を保護する。彼は有り金を全部はたいて、猫の治療をしてもらい、猫と一緒に生活を始める。動物病院の看護婦とも仲良くなって友達になる。ボブと名付けた猫は、すっかりジェームスに慣れて、ジェームスがバスで、1時間もかけてコペントガーデンにバスキングに稼ぎに行くときも、一緒についてくる。そのうちボブは、バスキングでギターを弾くジェームスの肩の上に載ったり、歌うジェームスのギターの上に座り込んだりするようになって、道行く人々が、珍しがって足を止めるようになった。猫と一緒のバスキングが人気を呼んで、稼ぎも良くなると、他のストリートミュージシャンの嫉妬、ねたみうらみを買う。遂に喧嘩になって、ジェームスはコペントガーデン出入り中止の命令を言い渡される。バスキングできなくなると生活費を稼げない。

被雇用者が雑誌を売るとその何割かのお金を受け取ることができる「イシュー」を、街角で売ることになった。ここでもボブを肩に乗せたジェームスは、たちまち人気者になって他の「イシュー」の売り子たちの顰蹙をかう。それで「イシュー」を売ることも禁止されてしまった。クリスマスにジェームスは、なけなしの金で買ったシャンパンをもって父の家に訪ねていくが、再婚した母は冷たく、その子供達は面白がってボブを追いまわし、散々な目に遭ってジェームスとボブは、家から追い出される。せっかく友達になった動物病院の看護婦とも仲たがいしてしまった。おまけに殴り合いのけんかで警察で留置されているあいだに、ボブを失ってしまった。

最低だ。ボブはもういない。バスキングが出来なければ稼げない。仕事も友達も失い、もう何の希望もない。そんな情けない、どん底のジェームスのところに、ひょっこりボブが帰って来る。ジェームスは、もう2度とボブに辛い目に遭わせないように、心を決めてヘロインもメサドンも絶つ。地獄のような数週間、そして数か月、、、。ボブがいつも見守っている。遂にジェームスは完全に薬から抜け出すことができた。ボブのおかげだ。
というお話。

依存症は性格のひとつで、もって生まれてくる。だからひとつのことに依存する人は、年を取ったり、家庭環境が変わっても依存する対象が変わるだけで、依存そのものは無くならないことが多い。タバコ依存症の人は、コーヒー依存症にも、睡眠薬依存症にも、アルコール中毒症にも、薬物依存症にもなる可能性がある。依存を絶ち、立ち直るには、どうしてそれがなければ居られなくなったのか冷静に自己分析して、ならばどうやって無くても居られるか解決方法を導き出し、よそからの援助を仰がなければならない。ドクターや医療関係者や施設やソーシャルワーカーや福祉施設の利用は必須だ。
自分の力だけで抜け出せる人は少ない。まして施設に入らないで自力で薬を断つのは容易ではない。ジェームスが、ばかをやってどん底まで落ちた時、それでもジェームスのところに戻ってきてくれたボブのために自己再生することができた男の実話は、同じような状況にある人達に勇気を与えることができるだろう。

この映画の良さは、1にも2にも猫のボブにある。映画化された実話をボブ本人が映画特別出演している。ジェームスは役者のジェームスだが、本物のジェームスの肩に乗るようにして役者のジェームスが歌っている間、彼の肩やギターの上に座って、ちゃんとじっとしている。これはすごい。天才的な立派な役者ではないか。それが、丸々とした可愛い猫なのだ。ジェームスのお話が本になり、ベストセラーを記録し、それから映画が撮影されるまで何年も経っているのにボブは、かっぷく良く丸々として年齢を感じさせず、美しい毛並みを誇って平然としている。立って姿よく、座って気高く美しく、歩く姿は堂々として華麗そのもの。すばらしい。
映画が公開され、英国映画ベストフイルム賞を受賞し、キャサリン ミドルトンからも頭をなでられた。フェイスブックにアカウントを持ち、そのフォロワーは20万人だそうだ。うーん!

ボブが自分のところに帰ってきてくれたから、ジェームスはドラッグから抜け出せることができた。しかし、実のところは、猫は飼い主を救おうとして帰って来たわけではない。はなから猫には、飼い主などというものは居ない自由な存在ではなかろうか。猫は単に居心地の良い場所に戻って来ただけ。
気がむいたから帰って来たのさ。
猫は、そうやって猫である、というだけで人々を救う。



2017年3月2日木曜日

大混乱のアカデミー賞授賞式と、映画「HIDDEN FIGURES」

                             


2017年2月26日に開催されたアカデミー賞授賞式は、特別おもしろかった。
アカデミー賞のなかで一番肝心な、「作品賞」は、毎年5時間にわたる授賞式で最後の最後に発表される。最後のとっておきの栄誉だ。だからこの栄誉を受けた作品関係者は、受賞作の監督だけでなく、作品に関わった製作者やキャストの面々もステージに上がって、祝福を受け監督が受賞スピーチをするのが通例だ。
今年は、「ムーンライト」が受賞した。が、どこをとち狂ったか発表者が 「ララ ランド」と間違えて発表してしまい、「ララ ランド」の面々がステージに上がり、役者たちも抱き合い大喜びをして、監督は涙ながら受賞スピーチをし、製作者もスピーチをしている最中に、司会者から「重大な間違いが起きました。受賞作品は 「ララ ランド」ではなく、「ムーンライト」です。」と叫び始め、檀上は大混乱。急遽登場した 「ムーンライト」の監督の受賞スピーチが始まっても、ステージの 「ララ ランド」の面々は意味が解らず、茫然と檀上に残ったまま、ステージの上はただただ混乱して人々が右往左往していた。

映画「ボニーとクライド」は、1967年アーサーペンによって作られた映画史上で後世に残る名画だが、これを主演したのが、フェイ ダナウェイと、ウオーレン ビューテイーだった。1934年に起こった男女による連続銀行強盗の実際にあった事件を映画化したもので、二人は最後、警官に包囲され、それぞれが50発以上の銃弾を浴びて惨殺された。1930年代の少年少女の行き場のない退廃的な社会状況の中で、貧しく恵まれない大人になったばかりの男女が強盗に走る姿が、アーサー ペンの切れ味の良いシャープな映像と、テンポの良い音楽に乗せて映し出される、素晴らしい作品だった。この作品がアカデミー賞作品賞、監督賞、主演男優賞、主演女優賞にノミネートされて、今年で60年目となる。

そこで、フェイダナウェイ、76歳と、ウオーレン ビューテイー、79歳が、手に手を取って、今年のアカデミー賞のステージに華々しく登場して、作品賞を読み上げたのだが、それが間違っていて、大混乱を起こしたのだった。このとき、ウオーレン ビューテイーが、ステージで封をされた封筒を開けて、中に書かれた作品名を読み上げるはずだった。ところが中の紙を彼は読まず、フェイ ダナウェイに渡して彼女に読ませた。誰もがゴールデングローブ賞をすでに取っていた「ララ ランド」が、作品賞を獲ると思っていた。で、フェイが、「ララ ランド」と言って、アカデミー賞始まって以来の大失態が起きた。ウオーレンは自分が読まずにフェイに読ませたのは、彼女に華を持たせたかったのか、自分が何十年かぶりの舞台に立って舞い上がってしまって、字が読めなかったのか どうか事実はわからない。わたしは、フェイ ダナウェイが予定外に、突然紙を渡されて、眼鏡なしに字が読めなかったのではないかと思う。

あとでアカデミー審査委員が、間違った封筒をウオーレン ビューテイーとフェイ ダナウェイに渡してしまったと、言い訳していたが、そんなわけはない。ステージの上でフェイが持っていた紙には、確かに「ムーン ライト」と書かれ、それをカメラが大写しでとらえていた。メデイアは、審査委員のミスだったということにして、80歳ちかくになった二人の往年の名優をかばったのだろう。

という訳で、今年のアカデミー賞はハプニングがあったり、パーキンソン病で20年も前に惜しまれながら引退したマイケル フォックスが足を引きずりながらも元気な姿で出て来たり、ジャステインテインバーレイクの歌も、ステイングのパフォーマンスも良くて、なかなか見ごたえがあった。

中で3人のアフリカンアメリカン女優が、仲良く肩を組んで司会に出てきたのは嬉しかった。3人は新作映画 「THE HIDDEN FIGURES」(隠された人々)のヒロインたちだ。
1969年 ガガーリンが世界で初めて人工衛星で宇宙に飛んだ。アメリカではNASAの宇宙開発をしていて、天才的数学者のアフリカンアメリカンの女性たちがそれを支えていた。彼女たちは人間コンピュ-ターと言われ、IBMがコンピューターを開発する前までの 宇宙工学と宇宙物理学的な数字をはじき出すために無くてはならない存在だった。
しかしこの事実は白人、男性優先社会では公にされず隠され続けてきた。黒人がまだ公民権を持っておらず、黒人女性が大学院で学ぶ前例もなく、公共の場では、トイレも学校も、劇場の入り口も、「白人専用」、「カラード専用」と区別されていた時代だ。
映画の中で、数学者キャサリン ジョンソン扮する、タラジア ヘンソンが、仕事をしているNASAのビルには、カラード用の女性トイレがないため、遠くのビルまで走っていかないとならなかったり、全員白人の職場でいやがらせに、コーヒーまで 「白人専用」、「カラード専用」と分けられたりして、いじめられる姿が出てくる。それを知ったボスの、ケビン コスナーが怒り狂って、全職員の前でナタで「白人専用」トイレの看板をたたき割る。で、「きょうからトイレはみんなのものだよ。」と宣言する。年取った、ケビン コスナーがとても良い。とても良い映画だった。

それで、この作品はアカデミー賞に縁がなかったが、3人のアメリカのこれまで隠されていたヒーロインたちが、本物の天才数学者で工学博士のキャサリン ジョンソンをステージに連れて来た。スタンデイング オベーションで迎えられた車椅子の彼女の登場は、威厳のある美しい女性で、アカデミー賞の華を添えた。

映画「THE HIDDEN FIGURES」
監督:テオドール メルフィ
キャスト
タラジ P ヘンソン:キャサリン G ジョンソン
オクタビア スペンサー : ドロシー ボウガン
ジャネル モネイ メアリー ジョンソン
ケビン コスナー : アル ハリソン
クリステイン ダンスト :ビビアン ミッチェル
グレンパウレル:ジョン ハーシェル グレン宇宙飛行士
マハーシャラ アリ:キャサリンの夫

アカデミー賞は、白人のショーと言われて久しい。審査員はユダヤ人が多い。
だからユダヤ人差別発言を酔ったついでに言ったことがあるオージー監督のメル ギブソンは これこそが今年の映画の中で最も優れていると思われる、良心的兵役拒否者の沖縄戦を描いた 「ホーカス リッジ」が作品賞、監督賞、主演男優賞にノミネートされていたにも関わらず、編集賞を獲得しただけだった。とても残念だ。

しかし アカデミー賞に集まったアーチストたちは、はっきり「反トランプ」だ。メリル ストリープはアカデミー賞の大御所で、トランプが大統領になる前から激しく批判を繰り返していた。トランプも大人げなく、メリル ストリープなんか、大したことない影響力のない女に過ぎない、とコメントしてきた。司会者のジミー キンメルは、アカデミー賞が2時間過ぎたところで、「みなさん トランプが何も、ツイッターしてきません。」と言って、会場を沸かし、「メリルが ハーイって言ってるよ。」と、トランプにむけて、自分の携帯でメッセージを送って見せて、笑わせたあと、メリル ストリープをみんなが支持しているところを見せてあげよう、といって、会場の全員がスタンデイング オベーションでメリル支持表明した。

また、前回の受賞者として登場した役者のガエル ガルシア ベルナールは、受賞者の名前を読み上げるだけでなく、自分の言葉で、「アートに国境はない。メキシコ人として、人間としてアメリカとメキシコの間に壁を創ってはいけない。」と発言した。
去年のアカデミーは受賞者が全員白人だったことから「ホワイトアカデミー」と揶揄されたが、今年のアカデミーは、反トランプの勢いでさしずめ 「ブラック アカデミー」と言えよう。

作品賞を獲得した「ムーンライト」は、アフリカンアメリカンの少年がマイアミの貧しく暴力的な黒人社会の中で自分のアイデンテイテイーを模索しながら成長していくお話。製作予算も小さく特に有名俳優を使っているわけでもない小品だ。しかし、アフリカンアメリカンでゲイという少年にとって、社会がいかに不条理で厳しく、生きにくい社会であることか、を物語っている。心に響く作品だ。
助演男優賞をこの作品でマヘシャラ アリが受賞した。この役者は、「HIDDEN FIGURES」で キャサリン ジョンソンの夫役でも出演している。母親役のナオミ ハリスは助演女優賞にノミネートされていた。
また助演女優賞には、映画「フェンシズ」(「柵」)で、主演ベンゼル ワシントンの妻役を演じたビオラ デイビスが獲得した。
アカデミー作品賞 「ムーンライト」を監督したバリージェンキンスは、受賞のスピーチの最後に、この賞はすべての肌の黒い人々のためにある、と言って、このアカデミー大祭を締めた。反トランプに沸いて、アフリカンアメリカンの受賞が多数の「ブラック アカデミー」となったが、これを一日だけのお祝いにすることなく、ずっと継続していってもらいたい。