2019年11月10日日曜日

州立美術館 ジャパンスーパーナチュラル展


NSW州立美術館で、ジャパニーズスーパーナチュラルと題した特別展が開催されている。江戸時代から今日に至る妖怪、幽霊、鬼、などをテーマにした作品展。
江戸時代の鳥山石燕、板谷広春、葛飾北斎、歌川国芳、月岡芳年などの浮世絵から、現代作家の村上隆、水木しげる、松井冬子、やなぎみわ、束芋、青島千穂までの作品、180点あまりが展示されている。

鳥山石燕(1712-1788)が200以上の妖怪を書いて解説した絵本と、1860年代に描かれた板谷広春による絵巻物「百鬼夜行絵巻」が、薄い絹の布に色鮮やかに描かれていて、今もなお色あせていないことに驚かされる。葛飾北斎(1760-1849)による浮世絵の「笑う鬼」、「お岩」、歌川国芳(1797-1861)による骸骨、月岡芳年による「お岩」(1892作)などの化け物が、繊細な筆使い美しい神秘世界を描き出している。このような日本の緻密で繊細な浮世絵が、当時のヨーロッパでは画期的な画法としてセンセーションを起こしたことが理解できる。ダンテによる地獄篇などの気味悪さと恐ろしさに比べると昔の日本の妖怪たちが、いかに高い美意識によって描かれていることか。構図にしても、色使いにしても、浮世絵が古いものではなく、全く新しい。写真は、トップが、村上隆。左が歌川国芳、右が月岡芳年の浮世絵。

水木しげるの作品は、6枚の「妖怪道五十三次」から、おなじみのゲゲゲの鬼太郎もあったが、浮世絵として完成していて、それぞれが愉快で素晴らしい。しげるは戦争中パブアニューギニアで米軍の被弾を受け、左腕を失い、敗戦後は貧困の中で紙芝居作家となり、漫画家として「ガロ」でデビュー、学歴こそ小学校卒だが、漫画の魅力は勿論のこと、幅広い知識と博学、叡智に富んだ文章が魅力だ。人間に対する深い愛情が底に流れる彼のエッセイを子供ときから愛読していた。

水木しげるの影響を受け、東京芸術大学で日本画を専攻した現代作家に、村上隆がいる。今回の特別展では、彼の埼玉県の工房から2体の赤鬼、青鬼のオブジェが運ばれてきた。それと高さ3メートル、幅30メートルの大作「死者の国に差し込んだ虹の尻尾を踏んだ時は」と、同じく高さ3メートル幅10メートルのNSWアートギャラリーのために創作された新作のアクリル画の2作を観ることができた。
機会さえあればできるだけ現代美術の作品を見たいと思う。それは今日世界中で起こったニュースを、自分の生活に関わりはないが、見ておきたいので必ず夜6時半から1時間SBSのワールドニュースを欠かさず観るのと同じ感覚だ。世界で何が起き人々がそれに対してどう反応し時代というものの流れがどう変わっていくのか把握しておきたい。だから現代美術が好きでなくても観るし、村上隆の作品をあげるよ、と言われても遠慮しておくけど。

草間彌生が1960年代に裸になって、ペニスを形取ったオブジェで遊んで見せたりボデイーアートでみせた女の主張は、その時代にとって必然的に通過しなければならない過程だったと思うし、彼女の代名詞のような水玉もようは、彼女が幼少期からみてきた強迫概念から逃れるために必要なものだったかもしれない。が、それは私に必要なものではなくて、理解できるが、共鳴できない。

村上隆も1990年代という時代が生んだ必然的な時代の所産だろう。彼は現代美術の国際舞台で傑出した作家だが水木しげるの影響を受け、漫画やアニメのポップアートを日本画のベースに融合させた。日本でも人気のある東ドイツ出身のリヒテンシュタインが、浮世絵の影響をうけて、西洋絵画の土台である遠近法の奥行を、とっぱらった「フラットベッド」を言い出したので、その尻馬に乗るようにして、彼は「スーパーフラット」を言い出した。彼なりに西洋美術史を覆したかあったのだろう。
村上隆は、狩野一信の「五百羅漢図」にインスパイヤ―されて300人の彼の弟子と美術生とを使って、「五百羅漢図」(2007-2012)」を完成した。日本画家出身者に線を描かせ、洋画出身者に色塗りをさせることによって、日本画と洋画の融合をもくろみ、500人の仏陀の弟子たちのそれぞれ異なった姿を描いた。高さ3メートル、幅100メートルの巨大なシルクスクリーンを使ったアクリル画だ。キャンバスに光る素材を塗ってから絵を入れたので背景が、星のように光って見える。漫画のAKIRAや、NARUTOもいる大作だ。森美術館で展示されていた。

今回の展示会ではこの五百羅漢に似た、長さ30メートルの大作「死者の国に差し込んだ虹の尻尾を踏んだ時は」は、東日本大震災のあとに描かれたもので、背景には彼が大震災のときに実際に見た雲が、下地に描かれている。中央に荒れ狂う海、木の葉のように波に翻弄される船、龍、虹、光、大きな黒い骸骨、左に青い服の男。右には国籍不明の人々と子供達。
もう一つの作品は、10メートルの長さの新作。激しい赤を背景に中央に寄り目の猫。猫の頭の上に小さな2匹の猫が鎮座して、両側には作者が影響を受けたという黒澤明と山田洋二の時代劇にでてくるサムライの戦闘場面が描かれている。背景が明るいせいで、サムライも猫もすっきりと際立っている。このアクリル画は、NSW州立美術館所有になったので、今後いつでも見ることができる。この絵の前に、彼の埼玉県の工房から持ってきた赤鬼と青鬼がそびえ立っている。こちらも迫力いっぱいだ。

松井冬子のフイルム作品で、毛の長い白い犬が印象的だった。それと、女が死に、肉が腐って蛆に食われ、骸骨になっていく日本画が美しかった。

総じて観る甲斐のある展示会だった。「ジャパンスーパーナチュラル」と聞いて、ジブリのアニメを思い浮かべるのか、若いオージーがたくさん見に来ていた。「ねつけ」と言って、おしゃれな武士や裕福な商人たちが帯に付けた小さな飾りものだ、と説明してもオージーには何のことかわからなかっただろうが、象牙や木製の彫られた骸骨や鬼を目を細めて見つめる若い人々の姿が印象的だった。展示ははじまったばかり、3月8日まで。観る価値はある。

モーツァルトを演奏したり、モーツアルトのオペラを観るごとに、どうして、どうして彼が極貧の内に、たった32歳で死ななければならなかったのかと思って、泣きたくなる。
重厚な宗教音楽が主流の時代に、彼は早く生まれ過ぎた。
前衛は常に叩かれる。芸術家の斬新さを人々は認めようとしない。今まで自分が親しんできた芸術作品になじんで快適だからそれを変えたくない。でも現代作家たちの作品をよく見ようと思う。新しい動きを好きになれなくても良いから。村上や松井の作品が100年先の人々にとって宝になるのか、ただの紙クズになるのか、それは私ではなく、100年先の若者たちが決めることだ。


1:始めの写真は:村上隆のねこ(NSW州立美術館所蔵)
2:左上:歌川国芳 骸骨の浮世絵
3:右上:月岡芳年「お岩」
4,5:2作:水木しげるの「妖怪道53次」
6,7:「死者の国に差し込んだ虹の尻尾を踏んだ時は」:村上隆
8:寄り目の猫:村上隆
9:赤鬼:村上隆
10、11:白い犬、骸骨の女:松井冬子
12:骸骨のねつけ(木製)