2007年7月30日月曜日

映画 「バラ色の人生」


79歳で死んだ私の母は、大正生まれのモガ(モダンガール)らしく、歌と言えば シャンソンばかり歌っていた。死ぬまで フランス語の勉強を続けていて、読書量もハンパではなかった。 彼女の若いときの写真があるが、銀座をオープンカーで乗り回し、冬は竹製のスキー、夏は葉山でパラソルの下で日光浴、戦争直前まで 上高地でテニスをやっていた。

その母に連れられて 観にいったエデイット ピアフの映画は白黒で、パリの街角で歌を歌っては 投げ銭をもらう可愛い女の子の物語だった。私は7歳くらいだったが、そこで、ピアフの歌う 本当のシャンソンを聴いて、初めてわかったことがある。母は 完全に音痴だったのだ。

映画「バラ色の人生」(LE VIE EN ROSE)を観た。この映画は、今年のシドニー映画祭の前夜祭で初めて公開された。今、デンデイー、クレモンォピアムなどで、上映中。フランス映画、英語字幕つきのなのに、珍しく オーストラリアでも評判になっている。オリビア ダン(OLIVIA DAHAN )監督。シャンソン歌手 エデイット ピアフの薄幸な一生を描いた映画だが、ピアフを演じたのがマロン コテイラッド(MALON COTILLARD)。

両親に捨てられ、売春宿を棲家とし、貧困のどん底で学校教育と無縁に育った少女時代、酒場で歌を歌っては、アルコールびたりの、救いのない青春時代。すごく暗い。 事実では、ピアフはドイツに占領されたパリでレジスタンスだったはずだが、この映画では、そうした社会状況は全く触れられていない。ワンシーンだけ、映画の中で、ニューヨークの舞台で歌い終わった ピアフにマレーネ デイトリッヒが逢いにきて、「あなたは、本当のフランスの誇りよ。」と言って去るところが、印象的。デイトリッヒは、パリを占領したヒットラーの度重なる 懇願にも 脅しにも答えず、ドイツを去り二度と帰国しなかった。

つかの間の心休まる時期、ピアフは世界ボクシングチャンピオンの、マルセル セルダンを愛するようになる。そのころ彼女が歌う「バラ色の人生」が とっても良い。しかし、彼を飛行機事故で失った後 ピアフは、生涯黒い服しか身に着けず、酒とドラッグに溺れて、死んでいく。なんか、酒、ドラッグに身をやつすと、こんなことになりますよ、という政府のキャンペーンみたいだ。

全体が、暗い映画で、ピアフの人生が幼児期にいったり、死ぬ直前になったり、そうかと思うと また幼児期になったり、画面がめまぐるしく 編集がわかりにくい作品だったが、女優がすごい。こんなに演ずることに 徹底して演じる女優も少ない。ラッセル クロウと共演した「THE GOOD YEAR」の女優だったとは、新聞の映画コラムを読んで 初めて知ったが 始めは信じられなかった。「THE GOOD YEAR」で、若いピチピチした美しい 豊かな髪の女性と、酒とドラッグで髪も抜け 醜い顔になったピアフとの落差がすごい。どの映画評を読んでも、この女優がピアフが乗り移ったように そっくりで、本当にピアフが生き返ったのかと思ったと 言われている。完璧なピアフになるために、役造りを、ものすごく集中して勉強したのだろう。シャンソンも、この女優が本当に歌っているとしか思えなかった。役者魂のあるひとに違いない。つぎの、彼女の作品で、彼女、何に化けるのか とっても楽しみ。