2017年11月12日日曜日

オージー議会:二重国籍てんやわんや

オーストラリアでは国民の26%が海外で生まれ、49%が自分自身または親が海外生まれだ。そして二重国籍者は記録では全人口の6分の1ほどだが、実際にはもっと多いだろう。
4人に1人以上の割で外国生まれだから、日本でいう国際結婚は当たり前だ。オーストラリア生まれの日本人夫婦の子供は、二つのパスポートを持ち二重国籍で育つが、日本は例外なしに二重国籍を認めない珍しい国なので、21歳になると、どちらかの国籍を選び、どちらかのパスポートを返さなければならない。しかし今後は日本も、国籍に関しての鎖国政策を止めて徐々に様々な例外を認めて行くようにならなければならないと思う。

オーストラリアは、18世紀にイギリスとアイルランドから送られた囚人によって国の基礎が作られ、その後ドイツ、デンマーク、北欧、イタリア、ギリシャなどの移民を受け入れた。1930年代にはユダヤ人、東欧の国々が入国、ベトナム戦争ではボートピープルが難民として、また天安門事件のあとでは数万人の中国人を難民として受け入れて来た。移民によって形造られてきた国という意味ではアメリカやカナダに似た多様な文化を持つ。しかし、3国ともに、移民が始まる前に住んでいた先住民族を、極めて残酷な武力によって迫害してきた醜悪な歴史を持つ。

オーストラリアでは二重国籍は違法ではないことは勿論のことだ。49%の外国生まれの
国民の国籍を、いちいち審査し規制することなどできない。
しかし、国会の連邦議員は、憲法によって違法とされていて、二重国籍者は、排除される。憲法第44条第1項では、「外国に忠誠を尽くし、服従もしくは加担すると認められる者、外国の臣民もしくは市民であるもの、または外国の臣民、もしくは市民の権利や特権を有するもの」は、議員資格がない、と明記されている。
二重国籍を持った議員が悪いことをするとしたら、選挙で選出され連邦議員でいる最中に、不正取引や収賄でスキャンダルを起こし追放されたあと、別の国に行ってまた議員になって居座る、とか、国家の重大秘密情報を議員でいる間に収集して他国のスパイ活動をする、とかだろうか。

しかしこれほど外国生まれが多いオーストラリアで、寝た子を起こす、とはこういうことか。今年の7月に突然、グリーン党の連邦上院議員スコット ラドラムと、ラリッサ ウオーターズが、自分は二重国籍者だったと表明して辞任した。ラドラムは10代のときに親がオーストラリアに帰化したがニュージーランド国籍がいまだに残っていたという。ウオーターズは、出生日の1週間後にカナダ国籍法が改正されたため自分にカナダ国籍が残っていたことを知らなかったと表明。どちらも精錬潔癖なグリーン党の若い議員で、彼らの潔癖な人柄を思わせたが、自由党党首マルコム ターンブル首相は彼らのことをケチョンケチョンにけなし、労働党も口をとんがらかして批判、二人はこれまで受けた議員報酬もすべて返却して辞任した。

これで済めば良かったものの、マルコム ターンブル首相の閣僚で資源相マット カナバツが、本人の承諾なしに母親がイタリア国籍を申請していて、本人はそれを知らず、イタリアに行ったこともなかったのに国籍があった、ということで現職閣僚が辞任。
続いて極右政党のワンネーション党、マルコム ロバーツと、ジャステイン キーの二人が英国国籍を持っていて、英国国籍を放棄したのが選挙の5か月後だったことがバレて辞任。

その後、誰もがあっけにとられたのが、副首相バーナビー ジョイスで、彼はニュージーランド生まれの父親を持ったため、自動的に二重国籍を持っていた。ターンブル首相より人気のある、「できる男」。副首相でいわば国の顔、現職の農業水資源大臣だ。ターンブル保守連合政権は、自由党と国民党の連合政権だが、バーナビー ジョイスは上院議員でなく、下院議員なので、150議席の76席が保守連合、バーナビー ジョイスが抜けるとターンブル首相は議会で過半数を取れなくなる。首相は右腕を失い、議会では多数派でなくなった。 上院議員の場合、議員が辞めても同じ政党の次の候補者が繰り上げ当選して後を継ぐので党派を確保できるが、ジョイスの場合下院議員なので国民党議員が後を継ぐことはできないのだ。

バーナビー ジョイスは彼の地元、ニューサウスウェルス州ニューイングランドに戻って連邦下院選挙区で補欠選挙が行われることになった。もちろん彼は立候補したし、再選が確実視されている。ここでもうターンブル政権の傷に塩を擦り込むのは止めればいいのに、バーナビー ジョイスと同じ国民党副党首、ナッシュが英国国籍を持っていたことが分かり、辞任した。それにしてもオーストラリアのファーマー達からオーストラリアの歴史以来代々と信頼を受け支持されてきた頑固者、保守政党国民党の党首と副党首が外国人(半分)だったとは何という皮肉。

止めればいいのにブルータスお前もか。ニック ゼネフォン党のニック ゼネフォンが、父親はキプロス生まれのギリシャ人だったと名乗り出て大騒ぎ。彼はサッサと辞職して、故郷のアデレードに帰ってしまった。そして南オーストラリアの州選挙に出馬すると言っている。優秀な弁護士出身で、ポーカーマシン賭博規制を公約し、出馬して行動力と力量と、独特のカリスマ性をもって連邦議員になり、マスコミに顔が出ない日はないほど活躍中の58歳。人権問題に真摯に向かい合い、マレーシアで反政府団体を支援してマレーシアから強制国外退去処分にあったこともある。自分の名前を党名に着けて、3人の上院議員を送り込んだ。国籍問題ばかりに大騒ぎして政治上の重要項目をまったく審議さえしていない現在の中央政府を早々と見限って、州政府に自分の場を作るということだろう。

このように多国籍国家、移民国家のオーストラリアであるのも関わらず、二重国籍ということで役職を辞任した連邦議員が今のところ8人、灰色議員と言われる議員が3-4人まだいて、追及が留まるところを知らない。たまたま自分の党に該当する議員が居なかった労働党の党首ビル ショーテンは有頂天で嬉しそうに厳しく政府を追及している。
「この国の法を作る議会で、議員が法を違反していることを赦してはいけない。」たしかにそうだろう。だが、もういい加減にしたら良い。
この争いは何も生まない。

二重国籍者、多重国籍者が何をしたというのだ。何を壊し、何を傷付けたというのだ。
一方、多国籍企業の方はどうだ。
世界中の富を奪い、圧倒的多数の人々から、石油を奪い、水を奪い、食糧を独占し苦しめている。怒りの矛先を向けるべきなのは、そっちだ。

(写真はニック ゼネフォン)

2017年11月4日土曜日

映画「ルート アイリッシュ」と軍需産業と傭兵と

映画:「RUTE  IRISH」
監督:ケン ローチ
キャスト               
マーク ウォーマーク:ファーガス
アンドレア ロウ  :レイチェル
ジョン フォーチュン:フランキー
トレバー ウィリアムズ:ネルソン

ストーリーは,
英国 リバプール。
ファーガスは子供の時からフランキ―と仲の良い双子のように親友同士で、いつも一緒だった。フランキーの妻、レイチェルは夫が妻の自分よりもファーガスを大事にしていることに、いつも不満を感じている。そのフランキーがテロにあってバグダッドで死んだ。ファーガスの憤りと悲しみは尋常ではない。
ファーガスは、英国軍特殊部隊SASに属してイラク戦争に関わり、退役してからも民間会社の傭兵として、フランキーと一緒にイラクにとどまっていた。帰国しても仕事はなかなか見つけられない。1カ月1万ポンドという破格の給料に魅かれて、傭兵になった。ファーガスは、自分がフランキ―を誘って現地に留まった結果事故に遭った、フランキ―の死に責任を感じている。

フランキーは、バグダッド空港と市内の米軍管轄地(安全地帯)とを結ぶ全長12キロのルート アイリッシュと呼ばれる、世界一危険な道路で乗っていたトラックごと爆破されたのだった。テロリストによる攻撃は毎日のように起きた。しかし、フランキーが死ぬ直前、ファーガスに「話がある」とメッセージをよこしていたことが気にかかっていた。フランキーは、何を伝えたかったのだろうか。
ファーガスはフランキーの葬儀の場で、自分にあてて送られた小包みを受け取る。中身はフランキーの携帯電話だった。中にはヴィデオが写されている。そこには、傭兵が、タクシーに銃撃を浴びせて乗っていた子供を含む4人の家族を撃ち殺すシーンが収められていた。ビデオでは、銃撃のあとタクシーに駆け寄ってドアを開けるフランキーの姿も映っていた。軍人による一般市民への殺人は赦されない。フランキーはテロリストに攻撃されたのではなくて、傭兵仲間によって、自分の犯した犯罪を隠蔽するために殺されたのではないか。フランキーがテロリストによって爆破された車は、普段傭兵が使う軍用ジープではなく、簡単に銃が貫通するような、普通車だったのもおかしな話だ。

そんな疑問を持ち始めた矢先、アフガ二スタンからネルソンという傭兵の中でも粗暴で暴力的な男が帰国してきた。そして彼はいきなりファーガスの家を襲い、フランキーがファーガスに送った小包みに入った携帯電話を取り返していった。怒ったファーガスはネルソンが、親友フランキーを殺したに違いないと確信して、彼を拉致して、CIAお得意の水攻めの拷問で殺す。しかし、そのあとでネルソンはフランキーが死んだときには、すでにイラクからアフガニスタンに移っていたことを知らされる。では、誰がフランキーを殺したのか。

ファーガスやフランキーを雇っていたコントラクター(会社)は売却されて新たなオーナーを迎えるところだった。会社はフランキーが握っている、傭兵の市民虐殺というスキャンダルを、隠して無かったことにしたい。それで会社は故意にフランキーをルート アイリッシュを通過する仕事ばかりを任せて、テロに遭って死ぬように仕向けたのだった。事情がわかったファーガスは、コントラクターの雇い主2人が乗った車を爆破する。親友フランキーのかたきは取った。しかし、仕返しをするために巻き添えに何人もの人も殺してしまった。もうファーガスは、フランキーが居た頃のようなもとには戻れない。
ファーガスは子供の時からフランキーといつも乗っていたフェリーに乗って、フランキーの骨を抱いて、河に身を投げた。
というお話。

親友に死なれた男が、捨身で親友の仇を取る、復讐 アクション映画。
テーマは、米英を始めとする大国による不理屈な戦争介入によって、軍人が市民を守るどころか現地の人々を蹂躙する現状を、激しく批判している。傭兵という戦争のプロが、戦場では大きな役割を任されていて、軍人のように軍規に縛られない分だけ、勝手気ままに現地の人々の生活を破壊している。また英国の失業率の高さ。兵役を終えて、故郷リバプールに帰国しても、ブルーカラーの自分達には就職できる当てがないため、戦地に留まり傭兵になって、命を引き換えに稼がなくてはならない現状も描いている。
映画の登場人物が、みな粗暴で暴力的だ。「ファッキンなにがし、ファッキンどうした。」ばかりで、放送禁止用語が2時間の映画の中で1000回くらい出てくる。

ケン ローチの映画はいつも労働者階級の人物が描かれるので、舞台はリバプールとか、グラスゴーとかで、なまりが強い。この映画も登場人物全員が、たった一人を除いて強いなまりで話す。ただ一人のきれいな英語を使う人物がイングリッシュ出身のコントラクターの持ち主、ファーガスたちの雇い主でフランキーを死に追いやった悪い奴だ。英国は階級社会だから話す言葉で、出身も属する階級も教育レベルもわかるところが興味深い。キングスイングリッシュやクイーンイングリッシュをしゃべる奴は悪い奴!! ケン ローチの映画に出てくる人々は、イエス、ノーではなくてナインだし、DOWNはドゥーン、HEADはアイド、NIGHTはニート、RIGHTはリート、TAKEはテク、MAKEはメク、MONDAYはモンデイ、NOWはヌー、ABSOLUTEはアプソリュ―ト、などなど聞き辛く、イングリッシュの字幕が必要だ。

いまや戦争は完全にビジネスになっている。戦争を始めるのは金のため。続けるにも、勝つのも金次第。かつて第二次世界大戦前には武器産業は無かった。戦争中は自動車会社や石油会社が国策として武器を作った。しかし、戦後、米国を中心に新しい武器開発が盛んにおこなわれるようになり、できるだけ自分達の国民の血を流さずに相手国に多くの血を流させる、最小の犠牲で最大効果を出すための兵器研究、開発が促進されてきた。大学では国防総省からの豊富な資金をもとに産学協同で武器を開発し、政情不安定な国々に武器輸出を推進する。

米国の軍需産業では、ロッキード マーチン、ボーイング、ジェネラル ダイナミックス、ノースロープ グラマン、の5つの企業が武器生産に関わる無数の関連企業を牛耳っていて、全米の国防費の40%を占めている。おとなしく飛行機を作っていれば良いのに。 武器輸入最大国アラブ首長国連邦、サウジアラビア、カタール、イラク、中国などが上得意先だ。軍需産業は売れるから、生産を止められない。武器の開発費は、輸出して得られる資金に依存しているから、沢山一度に人を殺せる武器を開発するために、今すでのある製品を売りつくさなければならない。作るだけ売れるから戦争を温存して続消させなければならない、という循環を無限に繰り返している。企業論理では、国籍よりも利益が優先だから、敵国であろうが同盟国であろうが、かまわず武器を売る。
かつて’戦争は国の独立のため、正義のため、自由のため、他国からの侵略から自国を守るためにあった。しかし今、起きているすべての戦争に正義もなければ、自由を求めて戦う人々も無い。軍需産業を太らせるために、終わりのない戦争を続けるだけだ。

戦争をしている兵士たちも国から派遣される軍人でなく、民間会社に雇われた傭兵だ。傭兵をかかえるコントラクターは、用心警備、施設、警備、現地向けの軍事教育、兵站等、軍の任務のすべてをカバーする。軍の強化、増大化には政治問題化しやすいが、民間に雇われている傭兵の数は表には出ないので、トラブルにならない。傭兵の死は公式な戦死者として扱われない。そのため、国民から戦争批判を浴びなくて済む。
そのかわり軍のような厳しい軍規がないので派遣される現地で問題を起こすことも多い。2007年米国ブラックウオーター社に雇われた傭兵が、17人の女子供を含む家族を虐殺した事件や、2004年、ファルージャで民衆によって殺された3人の傭兵が橋に吊るされた事件も記憶に新しい。いかに傭兵が地元の人々から憎まれているかよくわかる。
1991年湾岸戦争では全兵士の内、傭兵は100分の1に過ぎなかったのが、2003年イラク戦争では10分の1になった。兵士の10人に一人は傭兵であって、死んでも戦死者として扱われず、軍人恩給も出ない。イラクでは多い時で、後方支援や警備活動を含め26万人の傭兵が米国政府のために働いていたという。

死の商人は武器を作って売るだけでなく、傭兵も売りに出しているのだ。1991年ソ連崩壊と冷戦終結によって、軍縮が叫ばれるようになり優秀な失職した兵士に就職先が必要だった。またネパールのグルカ兵など植民地時代の遺産的、よく訓練された兵もコントラクターにとっては重宝された。しかし傭兵の需要が増してくると、アフリカのシオラレオーネのような貧しく失業率の高い国から子供を含めた傭兵を集めて来て低賃金で戦争に駆り立てるようになった。戦死してもニュースにならず、戦死者としてカウントされない。人の目に触れない。
武器商人が国の経済を牛耳り、敵味方に関係なく、売れる国に売れるだけ武器を売りつけ、戦争は始まりも終わりもなく、戦っているのは民間の傭兵で、雇い主コントラクターの命令通りに給料をもらって人を殺す。何のための戦争であろうが、誰のための戦争であろうが、傭兵は給料のために待遇の良い会社の側に立って相手を殺す。
どこにも正義はない。
哀しい映画だ。

2017年10月28日土曜日

映画「私はダニエル ブレイク」と福祉社会の崩壊

原題:「I;DANIEL BLAKE」
監督: ケン ローチ                     

キャスト
デイブ ジョンズ :ダニエル ブレイク
ヘイレイ スクアーズ:ケイテイー
2016年カンヌ映画祭パルムドール賞、2017年英国アカデミー最優秀映画賞、最優秀主演男優賞、ロカルノ国際映画祭、デンバー映画祭、シーザーアワード、エンパイヤ―アワード、ヨーロッパ映画アワードなど受賞。

オックスフォード大学を出てBBCに入社したエリートなのに、一貫して労働者階級の視点に立って社会批判をしてきたケン ローチ監督。イタリアリアリズム手法で、素晴らしい映画ばかりを作って来た名匠も、81歳になって、もう引退宣言をしたはずだけれど、政府の福祉政策が機能していない現状に怒り狂って、この映画を製作した。監督の憤怒の結晶だ。
テーマは、彼が50年前(1966年)に製作した映画「CATHY CANE HOME」(キャシー故郷に帰る)と全く同じ。福祉とは誰のために、何のためにあるのかを鋭く問いかけている。この映画では、キャシーが幸せな結婚をして、新築の素敵なアパートに入居するが、子供禁止で子持ちは入居できないアパートだったので仕方なく引っ越しするが、夫が運悪く大怪我をして収入を絶たれ、赤ちゃんを抱えて夫婦はホームレスとなった末、子供をソーシャルサービスに奪われてしまう。そんな不条理な社会に翻弄される若い夫婦を描いた作品。
あれから50年経ったが、社会福祉政策は一向に良くならないで、悪くなるばかり。福祉制度そのものが形骸化しており、人間味のないものとなり、救われなければならない人々が、年齢や性別の関係なく取り残されている。一部の富裕層ばかりが肥え太り、大多数の真面目に働いて、社会を支えてきた善意の人々が報われない社会になっている。

ケン ローチは言う。政府の福祉関係者は、「人を人として扱わない。人を辱め、罰することを平気でやる。真面目に働く人々の人生を翻弄し、人を飢えさせることを武器のように使う政府の冷酷なやりかたに憤る。」と、政府の援助を受けるための複雑で官僚的なシステムと、それに関わる職員達を激しく批判している。

ストーリーは
英国、ニューカッスル。
59歳の大工、ダニエル ブレイクは職場で心臓発作を起こして倒れ、医師に仕事を続けることを止められたため失業する。病気が良くなるまで政府の福祉を受けなければならなくなって、失業手当を申請するため福祉事務所に行ってヘルスケアプロフェッショナルの審査を受ける。審査官に医師の診断書を渡してあるのに、50メートル歩けるか、電話のダイヤルが回せるか、自力で排便することができるか、などという馬鹿げた52問の質問に答えさせられた挙句の末に、ダニエルには失業手当が出ないと言い渡される。

納得のいかないダニエルは、審議不服申し立てをするために福祉事務所に電話するが、1時間48分間も待たされた後で、不服申し立てと、新たな手当受給申請をするには、すべてがオンラインサービスなので、オンラインで申請するように指示される。パソコンを使えないダニエルには手も足も出ない。
職安の待合室で職員の説明を聞くために列に並んでいたダニエルは、子連れのケイティという女性が、約束の時間に遅れたという理由で、係員との面接を拒否されて、言い争いをしている現場に立ち会う。遅刻しただけなのに聞く耳を持たない係員は、警備員を呼んで彼女を排除しようとする。その横暴さにに怒ったダニエルも、ケイテイと一緒に役所から排除、追い出されてしまった。

彼女は、ロンドンの低所得者向けの住宅に住んでいたが、役所の命令で300マイルも離れたニューカッスルの公営アパートに強制移住させられたばかりだった。慣れない土地で係官との約束時間に遅れただけで、話を聞いてもらおうとしたケイテイに対して面接官は警備員を呼んで建物から追い出した。ケイテイの落胆と怒りに、ダニエルは心から同情する。他人ごとではない。公営アパートは古く不備なままで、あちこち修繕しなければ住めない状態だった。電気代を払えないケイテイに、ダニエルは自分が軍隊に居たときに得た知識でロウソクで部屋を暖める方法を教え、壊れた水洗便所を修理し、子供たちのために木工オブジェを作ってやったり、力になってやる。ケイテイは掃除夫として雇ってもらうために職探しに奔走し、ダニエルもまた失業年金を得るためには仕事を探しているという証明が必要なため、職探しに足を棒にしていた。そんなときに、やっと役所から届いたメッセージは、「申請却下」の知らせだった。就職するための努力をしていないから失業手当が出ない。心臓病で働けないのに仕事を探している証明が必要だという矛盾に、ダニエルは怒りで一杯だ。

ダニエルは食べて行くために家財道具や家具の一切を売り払った。そんな折、ケイテイはスーパーで万引きをして注意勧告を受けた後、親切(?)な警備員からエスコート職を勧められ遂に売春宿で働く。それだけはやめてくれとダニエルは懇願するが、政府から援助を受けられないでいる二人にとって現状を打開する方法はない。
ダニエルは役所の壁に「私、ダニエルブレイクが飢え死にする前に不服申し立てを受け入れろ」とスプレーで書いて、警察に逮捕される。釈放後すっかり落ち込んでいるダニエルの、申し立て審査の日、ケイテイはダニエルに同行する。ダニエルは審査官の前でアピールする原稿を準備していた。しかしその直前に役所の洗面所でダニエルは、力尽き心臓発作を起こして倒れ、死ぬ。役所が準備した公営葬儀場で葬儀が行われ、ケイテイはダニエルが準備していた供述書を読み上げる。「わたしは今まで真面目に働き、一日として遅れることなく税金を払い、社会の一員として、市民として誇りをもって生きて来た。しかし政府は私を犬のように扱った。私は人間なのだ。」 それは人としての尊厳を踏みにじった政府と福祉関係者に対する強烈な抗議だった。
というお話。

映画の中でケイテイが子供に食べさせるために自分は極度の飢餓を我慢してきたため、フードサービスで缶詰めをもらった時、思わずその場で缶を開けて手掴みで中の豆を食べてしまい、職員に責められ泣き崩れるシーンがある。すかさずダニエルが、「大丈夫、君が悪いんじゃない。気にするな。」と言い聞かせる。哀しいシーンだ。
売春宿に入って来たダニエルが、ケイテイに大泣きしながら「こんなこと止めてくれ、止めてくれ。」と叫ぶシーンも悲しい。
ケン ローチの作品にはいつも体に障害を持った人々が出てくる。盲目のサッカーチームが、目を塞いだ健常者チームとゲームに興じる。ダニエルのアパートの隣の住人が盲目で、彼と一同居しているのはアフリカ系イギリス人だ。ケイテイの5歳くらいの息子も自閉症と思われる。一部の富裕層ではない、普通の市井の人々は、障害者とともに生きている。ケン ローチの「普通の人々」への温かい眼差しにはいつも好感を覚える。

それにしても福祉制度に携わる職員の横暴さはどうだ。政府の援助を必要としている人々のプライバシーを平気で晒しものにして、審査と称して自分が神にでもなったように、あなたには手当を出しましょう、あなたのは却下です、と自分たちの物差しで配分する。

オーストラリアも同じだ。福祉国家オーストラリア。鉱物資源に恵まれ農業、牧畜産業も盛んで輸出大国のラッキーカントリー。ネットでサーチしてみると良い事ばかり。高校まで教育は無料。大学も申請しさえすれば、誰でも政府から返却型の奨学金が得られて進学することができる。医療費も100%国民保健が適用され、70になれば国民老齢年金が出る。働いている間は給料の9.5%は雇用者が年金として積み立てててくれているので、退職後それを受け取ることができる。老人ホームは公営、私立、教会系と沢山あって、年金受給者は動けなくなれば一定の収入のある人以外は自己負担なしで面倒を見てくれる。何て素晴らしい国だ。

恐ろしいことは、こういった素晴らしいシステムが、果たして自分に当てはまるのかどうか自分がその年齢、そういった状況に陥るまでまったくわからないことだ。こういった福祉制度は手続きが煩雑で、官僚的で不親切で、非人間的。コンピューターの達人でも簡単には申請できないようになっている。
私は、年を取り腎臓透析が必要な身体障碍者になったオットを抱えて、彼の老齢年金を申請するのに役所に提出しなければならなかった書類の数々を積み重ねたら電話帳2冊分の厚さになる。オージ生まれ育ちのオットは80歳を超えるまで、毎日真面目に働き63年間に渡って税金を払い続け、健康保険を支払い、政府からは年金など一切の手当を受けたことがなかった。年を取り病気になっていよいよ働けなくなって、年金を申請するのには、夫婦一世帯が審査の対象になるため、必要書類と言われて出したものは膨大な量だった。

私とオットの出生証明、学歴、職歴証明、オーストラリアに上陸した正確な日時とその証明書、住居歴と現住所、婚姻証明書、収入、税金支払い証明、所得税報告書、銀行口座番号、残高証明、収入支出データ、給料以外の収入報告、金、宝石などの所有物の報告、所有する車名、走行距離、財産報告、病歴、投薬歴、専門医の診断書、罹った医療費の合計、二人以上の老人専門医によるアセスメント、オットが所有していたペーパーカンパニーの過去5年間の収支決算、会社の税申告、去年私が購入したアパートの契約書、資金調達報告、財産目録。などなど思い出せるだけでもこれだけの書類を提出させられた。

もともとオーストラリアは、税務署と銀行や証券会社と連絡を取り合っているので、隠し銀行口座を持つことも、お金を隠して持つこともできないシステムになっている。役所にこれだけの書類を出して、足の裏からヘソのなかのゴマの数まで調べられ、もう1セントもかくしてませーん、これが私達のすべてです、と「お上」に見せないと年金受給審査をしてもらえない。個人のプライバシーとか尊厳とか言っていたら相手にしてもらいない。私はオットの老齢年金が出るまでに2年半の時を要した。その間オットは病状が不安定で何度も入院と退院を繰り返し、無収入で24時間介護を必要とした。投薬だけで、月に600ドル。病気で働けなくなった80歳の身体障碍者に老齢年金という出て当たり前の年金が、申請しても却下され、また申請しても却下される。私が居なかったらオットはとうにホームレスになって飢え死にしていた。経済的にも物理的にもオットの介護と役所との交渉に身を減らして、悪夢のような2年半だった。フルタイムで働く自分の仕事をもって、障害者を介護して食べさせ、一日おきに腎臓透析に連れて行くだけで、体力の限界なのに役所の年金申請審査を待たされていることのプレッシャーで潰れそうだった。

何が辛いかというと、年金申請審査官の顔が見えないことだ。相手は姿を現さない。名前のない、顔を見せない審査官という目の前に立ちふさがる大きな壁は、傷ついた年寄りを見る目も聴く耳を持たない。いつまで待たされるのかわからない。誰が審査して、それがどこまで進んでいるのか、ただ膨大な書類の束が埃を被っているだけなのか、何もわからない。そんな暗礁に乗り上げて、将来への不安と怒りと哀しみの2年半で文字通りぼろぼろになった。

ひとりで戦ったダニエル ブレイクは、やっと障害年金が出る直前に、力尽きて心臓発作を起こして死んだ。ダニエル ブレイクの怒りは私の怒りだ。資本主義社会では、福祉制度そのものが機能しない。飾りなのだ。真面目に体が動けなくなるまで働いて、税金を払い続けている労働者の蓄積を、ほんの一部の富裕層がかっさらっていく。
これほど貧富の差が広がった爛熟期にある資本主義社会で、福祉とは欺瞞以外の何物でもない。それがよくわかる映画。見る価値がある。

2017年10月14日土曜日

映画:ジャコメテイの「ファイナルポートレイト」


初めて入った美術館で、遠目に見ても誰の作品かわかる展示物があると一挙に、その美術館が親しみを覚える。ニューサウスウェルス州立美術館には、入ってすぐ正面の展示室の真ん中にアルベルト ジャコメテイの女の立像がある。「ヴェニスの女Ⅶ」。初めて見る作品でも独特の、細長く引き伸ばされた人物像でジャコメテイの作品であることがわかる。背が高い。沈痛な顔、にも拘わらずどこかユーモラスな存在感。その横にはジャコメテイが残した3枚のデッサン画もある。

同じ展示室にフランシス ベーコンの絵、そのとなりの部屋に移るとピカソの大作「ロッキングチェアの裸婦」がある。以前はこれが地下の現代美術の展示室にあった。だから以前はピカソに会うためには、レンブラントや、オージーが大好きなターナーや、セザンヌやローレックを観て、それからたくさんの作品を通って、いい加減足が痛くなった頃にやっと地下にたどり着いてピカソに会えるという順路になっていた。ところが嬉しいことに、どうしてか知らないが最近ピカソの作品が全部出入り口の近くに展示室に移された。入口から入って、ジャコメテイの彫刻を通り過ぎて、ゴッホの「自画像」に挨拶して、隣の部屋でピカソのロッキングチェアの女が見られる。これだけ見ればもう用事が済んだようなものなので、サッサと帰ってくることもある。知っている人の、好きな絵じゃないと余り観たくない素人にとって、ここはとても足を運びやすい美術館になった。

そんなアルベルト ジャコメテイを描いた新作映画が公開された。ニューヨーク生まれのイタリア人、スタンレー トゥチ監督はジャコメテイが好きで、画家と親しかった作家ジェームス ロードが書いた「ジャコメテイの肖像」という本を読んで、いつか映画化すると心に決めて自分で脚本を書いて大切に20年も温めていたそうだ。ジャコメテイの作品が好きで好きで仕方のない監督が、彼のことを書いた本を愛読書にしていて、ジャコメテイにそっくりな役者をみつけて映画化したわけだ。
監督スタンレー トゥチは役者もしていて、大好きな役者さん。数えきれないほどの映画に出ている。「ベートーベン」1992年、「キス イン デス」1992年、「ペリカン文書」1993年、「真夏の夜の夢」パック役1999年、「ターミナル」2004年、「ラブリーボーンズ」2009年、「プラダを着た悪魔」2006年、「ハンガーゲーム」2013年、「スポットライト」2015年、「トランスフォーマーズ最後の騎士」2016年、「美女と野獣」2017年などなど私が観ただけでもこんなに沢山。いつもわき役としてとても良い味をだしていて、この人が画面に出てくると、馬鹿っぽいハリウッド映画が一挙に知的になるから不思議だ。

映画「ファイナルポートレート」は英米合作映画。今年のベルリン国際映画祭で初めて上映された。
監督:スタンレー トゥッチ
キャスト
ジェフリー ラッシュ:アルベルト ジャコメテイ
アーミー ハーマー :ジェームス ロード
トニー シャルブ  :アルベルトの弟
シルビー テステユー:妻 アネット
クレマンス ポエジー:愛人カトリーヌ

ストーリーは
1964年 作家で美術愛好家のアメリカ人、ジェームス ロードは訪れたジャコメテイの作品展示会で本人に会って友人となり、親しい交流をするようになった。ジェームスの肖像画を描きたいというジャコメテイの申し出に、ジェームスは願ってもないことと、喜んでアメリカからパリに飛んでくる。しかし実際、モデルになってみると画家は気分屋でわがまま。妻と愛人がいつも自由に出入りするアトリエは混沌としていて、やっと描きはじめても中断を繰り返してばかり、、、肖像も描いては灰色の筆で塗りつぶし、また描いては塗りつぶすばかりで、いつになっても先に進めない。2,3日で終わってアメリカに帰るつもりでいたジェームスは幾度も幾度も帰国の飛行機をキャンセルしなければならなかった。

金銭感覚のない画家は愛人に絵のモデルをさせ、車を買い与えたり贅沢をさせているが、愛人を維持するために、ヤクザに莫大な金を支払い続けている。このために妻の怒りも悲しみも大変なものだった。しかしジャコメテイにとっては、妻も居てくれなければ1日として生きていられない大切な同志。そんなジャコメテイの苦悩も喜びも知って、弟デイエゴはジャコメテイを後ろから、しっかり支えているのだった。
画家仲間と議論をして、かんしゃくを起こし帰るなり今までの作品に火をつけて燃やしてしまったり、芸術家の理解者だったジェームスもジャコメテイの感情の起伏にはついていけない。一向に肖像画が完成しない日々、パリ滞在が3週間に至る所で、ジェームスはジャコメテイにストップをかける。描いては塗りつぶすことを繰り返してきた肖像画を未完成のままいったん引き取り、アメリカでの展示を済ませた後また描きなおす、という約束でジェームスは肖像画を持って帰国する。しかしそのあとジャコメテイは亡くなり、肖像画は完成をみることはなかった。
このあとジェームスは心からの尊敬と愛情をこめてジャコメテイの回想録を書き出版する。
というお話。

スイスのイタリア国境に近いボルコツーヴォで生まれたジャコメテイの顔は、スイスフランの紙幣に印刷されている。紙幣の裏は彼の作品「歩く男」だ。ジャコメテイはジュネーブ美術学校で絵画を学び、後にパリでロダンの弟子だったアントワーヌ ブールデルに彫刻を学んだ。彼の彫刻は写実ではなく、キュービズム、シュールリアリズムなどの影響を受けている。パリでピカソ、エンルスト、ミロやジャン ポール サルトルやポール エリュアール、矢内原伊作などと親しく交流した。サルトルはジャコメテイの彫刻した人物像は現代に観る人間の実存を表していると言って高く評価した。

このジャコメテイの顔が映画を主演したジェフリー ラッシュにそっくりだ。縮毛からワシ鼻までそっくり。ジェフリー ラッシュはオーストラリアが誇る役者だ。クイーンズランド生まれ、66歳。クイーンズランドで演劇を学び、パリのレコールインターナショナル デ シアターで2年間学んだあと、メル ギブソンを同居して二人してパントマイムとシェイクスピア芝居にうち込んだ。30歳を過ぎて初めてフイルム界に入り、1996年「シャイン」で実在の自閉症で天才ピアニスト、デヴィッド ヘルフゴットの半生を演じてアカデミー賞主演賞、英国アカデミー賞、ゴールデングローブ賞などその年の賞という賞すべてを獲得、一つの映画作品でこれだけの沢山の賞を獲得した作品は前後に無く、未だに記録が破られていないそうだ。本当に心にいつまでも残る名作だった。
彼は1998年に「シェイクスピア イン ラブ」で再びアカデミー賞を獲得、「ハウス オン ホーンデッドヒル」1999年、「パイレーツ オブ カリビアン」3作2001年-2003年でキャプテン バルボッサを演じ、「キングス スピーチ」2010年、「やさしい本泥棒」2013年などで主演している。オーストラリアの演劇文化を代表する名役者。

一方のジャコメテイに肖像画を描かれる側のジェームスを演じたアーミー ハーマーはロスアンデルス生まれの31歳。「ソーシャルネットワーク」2010年で、フェイスブックの創始者マーク ザッカ―バーグの友人、ケンブリッジ大学で一緒だったウィンクルボス双子兄弟を好演して注目を浴びた役者。「ローンレンジャー」2013年でジョニー デップの相手役を演じ、クリント イーストウッド監督の「Jエドガー」2011年で、エドガー フーバーCIA局長の相手役を演じた。フーバー扮するデ カプリオの同性愛相手役という難しい役を好演したときは、まだこの役者さん、たった24歳だったことを思うと、でかいのは2メートルの図体だけではない。才能に満ちている。大男だが鼻筋の通った完璧型の美しい顔をしている。

映画の中でジャコメテイに連れられてカフェに入ったジェームスが、ワインとコーヒーを水の様にがぶ飲みするジャコメテイを前に、ウェイターに問われてフランス語でコカ・コーラを注文するシーンが笑えた。やっぱりアメリカ人はどこでもアメリカ人なのか。
パリのアトリエで気難しいスイス人画家がアメリカ人をキャンバスに描いている間、妻と愛人が、いかにもパリジェンヌらしい自由奔放な蝶々のようにヒラヒラ舞って男達を翻弄する姿が面白い。パリです。パリ。

この映画はジェフリー ラッシュとアーミー ハーマーの二人芝居と言って良い。名人芸の粋に達しているジャコメテイ役のジェフリーに振り回される芸術愛好家で人の良い青年作家の話。ジャコメテイが好きで好きで仕方がない映画監督が、ジャコメテイにそっくりな役者を連れて来て、ジャコメテイが当時使っていたアトリエをそっくりに再現して映画を作った。ジャコメテイが大好きな人にとっては、見ていて感動すること間違いなしだ。そうでない人でもアーミー ハーマーの美青年ぶりに心を躍らせるかもしれない。
しかし画家に興味に無い人にとっては、この映画はたいくつでたいくつで耐え難い。うますぎる演技は時として鼻につく。

藤田嗣二の半生を描いた映画「FOUJITA」では、はじめに絵筆を持ったフジタが女性モデルを前にして白いキャンバスに1本の線を入れるシーンから映画が始まる。それを役者ではなく、手はプロの画家、長友薫堂が描いている。この画家がこのシーンのために自分の絵を描くよりもずっと1本のフジタの線を描くことが難しかった、と回想している。

このジャコメテイの映画では、ずっと大きな100号の油絵の白いキャンバスに、本当に本当のジェフリー ラッシュが肖像を描き始めるための筆を入れる。描き直しのきかない大事なシーン。最初に1本の線を入れるとき、息が止まって、時も止まってしまったかと思った。緊張の一瞬。それでもジェフリー ラッシュは一気に描き始めた。度胸が据わっている。ジェフリー ラッシュという役者、一筋縄ではいかない。さすがだ。

2017年9月26日火曜日

映画「ヴィクトリアとアブドー」

19世紀、七つの海を我が物ととした大植民所有時代の大英帝国。
その象徴とも言われるヴィクトリア女王は、64年間という歴代イギリス国王の中でエリザベス2世に次ぐ長期に渡って治世を行った。この時代は特別に「ヴィクトリア朝」呼ばれ、英国帝国主義が最も華々しい勢力と栄光を世界に見せつけた時期に重なる。実に、ヴィクトリア朝の64年間で、英国は領土を10倍に拡大、地球上の全陸土面積の4分の1、世界人口の4分の1を支配する史上最大の帝国を誇った。

19世紀半ばの英国王は巨大な国王大権を有しており、首相を含めた大臣の任命と罷免、議会の招集と解散、国教会の聖職者と判事の任命と罷免、宣戦布告まで国王の大権だった。ヴィクトリアは若干18歳で、英国王を継承する。
彼女に言わせると、「帝国主義とは平和を維持し現地民を教化し飢餓から救い、世界各地の臣民を忠誠心もって結びつけ、世界から尊敬されること。」で、「領土の拡大は英国の諸制度を健全な影響を、必要とあれば武力をもって世界に広げるもの。」であった。彼女は9人の子供を産み、女子それぞれを各国の国王に嫁がせてヨーロッパ中に自分の影響力を広げることも忘れなかった。

現在でも、英国女王はオーストラリアの国家元首でもある。シドニー市の中心、市庁舎横のクイーンヴィクトリアビルの入り口に何トンもの重さの、どでかい彼女の像がそびえ立っている。
数年前、国民投票で、英国から離反して独自の大統領をもった政権に変革するかどうかを問われて、あっさりと女王維持を決めたオージーの国だ。ヴィクトリア女王って、どんな人、と問うと、年齢に関係なく誰でも、嬉しそうに2つのエピソードを話してくれる。
一つ目は、ヴィクトリアが狙撃された時、夫のアルバートが身をもって女王を庇い、自分は深い傷を負って死線を彷徨った出来事。二つ目は、22年間の幸せな結婚生活の後アルバートが亡くなると、ヴィクトリア女王は愛する夫のために自分が死ぬまで黒い喪服を通したことだ。二つとも美談として語り継がれている。

この映画「ヴィクトリアとアブドー」は、女王の晩年の恋物語。アブドーについて英国皇室は長年秘密にしてきたが、後に事実が明らかにされた。

タイトル:「VICTORIA AND ABDUL」
74回ヴェニス映画祭で初上映された。英米合作映画。BBCフイルム
監督: ステファン フレアーズ
キャスト
ジュデイ デインチ:ヴィクトリア女王            
アリ ファイサル: アブドー カリ―ム
エデイ イザード :エドワード皇太子
テイム ピゴット スミス: サー ポンソンビ
サイモン カロウ ;プッチーニ
オリビア ウィリアムズ:ジェーンスペンサーチャーチル

ストーリーは
1887年。 アブドー カリ―ムは、インド、タジマハールのあるアクラの街で生まれて育った。英国進駐軍で働いているが、父親は刑務所の囚人だ。ある日、長身で美男であることを見込まれて、女王の50年周年祝祭典を準備中の英国から、栄誉のコインを受け取る役を仰せつかって、渡英することになった。さんざん女王からコインを受け取る時に女王の顔を見てはならない、下がる時には背中を見せずに後ずさってくるように、と言われていたに関わらず、アブドーは生まれて初めて公式な食事の席で女王を見て、その威厳に思わずひざまずいて女王の靴にキスをする。そのことで、アブドーは強く叱責されるが、当の女王はアブドーが気に入ってしまった。
翌日、女王に呼ばれたアブドーは、女王に聞かれるまま自分の故郷の絨毯造りの話や、タジマハールについての話を聞かせる。すっかりアブドの話に興味をひかれた女王は、アブドーからウルドウー語を習い始める。

この日からアブドーは、女王の「エキゾチック ペット」となった。言葉を変えると、68歳の女王は29歳の植民地からきた青年に恋をしたのだ。首相をはじめ、国王の執事、秘書たちの猛反対を退けて、ヴィクトリアはアブドーに次々と美しい民族服をあつらえさせ、サーの称号を与え、自分の散歩のときも、公式の行事にも彼を傍に置いた。やがて、独身と思い込んでいた女王はアブドに妻と息子が居たことに衝撃をうけるが、家族を招いて宮廷に住まわせる。女王は、ウルドウー語を上達し簡単なスピーチをしたり、日記をウルドウーで書いたり出来るようになった。

一方、キッチンウェイターとして雇う予定だったインド人が、サーの称号を与えられ女王の側近になっている異常事態を何とか平常に戻したい閣僚たちは、アブドーが貧しい家の出身で、父親が囚人であることを報告したり、アブドーが梅毒を患っているに違いないと忠告したりするが女王に一笑に付される。
しかし女王もいつまでも元気では居られない。1901年女王は病に倒れる。最後に彼女は人払いをして、14年間寵愛したアブドーに別れを告げる。
アブドは女王を失って哀しみに沈む間もなく、女王の息子ヘンリー次期国王の命令で、アブドーの住居に押し寄せた警護官によって女王がアブドーに与えた手紙やご褒美の品々を、すべて跡形もなく焼却された。アブドー家族はイギリスを追われ、アグラの街に戻った。ほどなくしてアブドは46歳で亡くなる。
というお話。

この映画の魅力は、82歳で女王を演じた女優ジュデイ デインチにある。立派な役者だ。両目の黄変部変性で、ほとんど失明状態。台本が読めないので人に読んでもらって記憶し、人に手を取られ位置感覚を覚えてから、役柄を演じている。役者根性の塊のような女優。彼女の演じる女王がとても可愛らしい。背の高いハンサムな青年に手をとられ散歩する姿は、恋に浮き足たった少女のようだ。閣僚たちに見せる威厳ある女王の顔が、アブドーと二人きりになると、あどけない娘の’顔になる。

女王と貴族たちとの食事風景がたくさん出てくるが、彼女の食べ方が漫画のよう。可愛くて面白い。女王は旺盛な生命力を見せるかのように、品もなくむしゃむしゃ食べる。女王がズーズーとスープをすすり終わるやいなや、参列していた沢山のお客たちが気取ってスープに口を付けようとした瞬間にボーイ達がスープ皿を片付けてしまう。貴族たちは女王が次の皿に手を付けるまでは、自分達は手を付けられないし、女王が食べ終わったら、自分たちの皿も下げられてしまう。貴族同士で優雅な会話をするどころか、女王のむしゃむしゃペースで食べなければならないのだ。ジュデイ デインチの豪快な食べ方といったら、、。映画では女王の人間らしさをこんなところで表現したかったのだろう。

アブドーを演じたアリ ファサルも魅力的だ。インド人独特の超、聞き取りにくい英語で語る好青年。目の前で14年にわたる女王に寵愛された証拠の品々をことごとく燃やされて涙にくれる姿が印象的だ。彼は始めて女王に会った時に、思わずひれ伏して女王の靴にキスをした。そして映画の最後、タジマハールを背景に建つ女王の像に歩み寄り、足元にキスするシーンで映画が終わる。美しい終わり方だ。

この映画の前に「女王の最後の愛人」というBBCのドキュメンタリーフイルムを見ていたので、ヴィクトリアとアブドーのことは知っていた。英国皇室がいくら証拠を隠滅しても、事実は永遠には隠せない。女王は愛する夫アルバートとの間に9人の子供を持ち、愛に満ちた結婚生活を送ったが、夫の死後1年もするとアルバートの馬係りだったジョン ブラウンを恋人に持ち、彼の死後は、大蔵大臣のベンジャミン デイズレーを愛し二人三脚で政権を維持した。ベンジャミンが亡くなって悲嘆にくれていたときに、アブドーが現れたわけだ。恋する男達に次々と死なれて、自分は82歳まで生きた。

映画の中でヴィクトリアがアブドーを連れてイタリアを旅行する。フロレンスでプッチーニ本人が作曲したオペラ「マノンレスコー」を、女王の前で歌う。テナーだが、お世辞にも良い声と言えない。でもヴィクトリアも、アブドーも夢中になって、ブラボーブラボーを叫ぶ。何て優雅な女性の唄なの?というようなことをヴィクトリアが言うと、プッチーニが申し訳なさそうに、「マノンは娼婦なんです。」と言う。えーがっかり、、でも気を取り直してヴィクトリアがまた、でも二人は結ばれて幸せになるのね?と言うと、またまたプッチーニが、「いやマノンは砂漠で行き倒れて死ぬんです。」と言う。そんなやりとりのときのジュデイ とアブドの驚いて口を開けたままの顔がおかしくて、笑える。楽しい映画だ。

英国紳士たち。閣僚たちの貴族趣味、服装、立ち振る舞いも美しい。
しかし、この映画はジュデイ デインチの天才的な演技力なしに語れない。歴史的に大きな役割を果たしたヴィクトリア女王に、あたたかい人間の命を吹き込んでみせた役者の力量にただただ感動する。

興味深かったのは、この映画を当の英国人がどんな評価をしているかだ。映画評やツイッターを見てみた。賛否両論というか、批判派が多いことに驚いた。批判派いわく
英国帝国主義が1876年から1900年までに20ミリオンのインド人を殺しまくったし、インド植民地化によってインドのGDPは23%から4%の貧国に貶めた。英国による人種差別と奴隷化は、国家犯罪であり、そういった英国の歴史的犯罪を映画化したこの映画は、白人のノスタルジー、むかしは良かった式の日和見主義だ。という意見。
これに対して反論は、昔は昔、自虐史観は自己憐憫に過ぎない。むかしの帝国覇権主義が間違っていたからって、今を生きる自分が攻められるなんてフェアじゃない。というような意見。

おもしろかったのは、「英国がインドを植民地化したのは間違いで、責任を持てというのなら、すべてのイタリア人がローマ帝国が侵略した国々に謝罪して責任もたなくちゃならないのかよ?」というツイッター。また、「英国はアルジェリアを植民しなくて運が良かったよ。」とツイッターするフランス人にも笑わせられた。

どの国に自分が属しているかに関係なく、過去の歴史をよく知り、正しく評価して、未来につなげるのが、今を生きる私たちの使命だ。帝国主義がその時代の必然だったにせよ、覇権主義は誤りであって同じことが起こらないように努めなければならない。
過去を礼賛して、帝国主義によるジェノサイトを美化したり隠したり、無かったと偽ったりして過去を美化してノスタルジーに陥るかどうかは、その映画を観る人による。女王を悪者と観るか善人とみるかに関わらず、映画は人を血の通った人として見るための切っ掛けになる。繰り返すがヴィクトリアに人間としてのあたたかい命を吹き込んだ役者の力量に心から感動した。



2017年8月29日火曜日

TK生からの通信と、映画「タクシー運転手」


                          


岩波書店が出版発行している「世界」は、私が生まれる前から続いている優れた月刊誌だ。これを親しくしている山田修氏が毎月郵送してくださっている。親兄弟もしてくれなかったことを、いつもして頂いて親族以上の親近感をもってお付き合いして頂いてきた。有難いことだ。

「世界」創刊号は昭和21年(1946年)1月。美濃部達吉が「民主主義とわが議会制度」、大内兵衛が「直面するインフレーション」、和辻哲郎が「封建思想と神道の教義」、東畑精一「日本農政の岐路」、横山喜三郎が「国際民主生活の原理」という戦後日本の舵取りとなる そうそうたるメンバーが論説を書いている。連載小説は志賀直哉と、里見弴だ。1946年1月、新たな時代を迎えた岩波書店の、戦後民主主義社会に向けた意気込みが伺える。

この雑誌をわたしが真面目に読み始めたのは、1970年代ベトナム戦争が終結に向かう頃からで、契機は「韓国からの通信」-TK生の記事からだ。当時の学生らはみな読んでいたと思う。TK生は 独裁者朴大統領の維新体制から、朴の暗殺、それに続く新たな戒厳令下での、厳しい韓国の民主化運動の様子を、その月ごとに報告していた。いかに戒厳令下で出版や言論が圧殺され、活動家たちが虫のように殺され、人権が封殺されているのか、そこに居なければわからない人の血の滲む筆跡で記されていた。何時この筆者が逮捕、拷問の末に処分されるか、身の細る思いで毎月雑誌を手にして、祈るような思いで「ああ、TK生は無事だった。」と胸を撫で下す。弾圧の様子を読みながら、TK生の無事をいつも祈っていた。彼の書く文章は淡々としていて決して感情に流されない。冷静さと底に秘めた強さを持っていて、いつも圧倒された。

隣の国のことは、まさに自分達のことでもあった。当時親しかった友人たちは、ほぼ例外なく獄中にいた。権力による弾圧は隣の国の物語ではなかった。裁判なしの長期拘留で小菅の東京拘置所は不法逮捕された学生で一杯だった。
後にTK生は1924年生まれ、クリスチャンの政治学者、ジ ミョン クワン(池明観)教授だったとわかった。彼が「世界」編集長の安江良助の協力を得て書いたものだという。彼の書いた通信が、当時の民主化を求める人々に与えた勇気と感動の大きさはどんなに表現してもし尽せない。
1980年5月広州で大変なことが起こっている、軍に包囲された市民が無差別に一斉射撃で殺されている、そんな巨大な暗雲が立ち込めるような情報が広がっていき嘘であって欲しいと、すがる思いでTK生の通信を待った時のことが昨日のように思い出される。

1979年12月、クーデターで軍の実権を握った全斗換は、翌年全国を戒厳令下に置き執権の可能性のある金泳三と金大中を逮捕、監禁した。(金大中に死刑判決が下りたのが、1980年9月。)金大中は全羅南道出身で、全羅南道の道庁が広州だった。広州の人々の怒りは大きく、反軍民主化運動のデモが学生、知識人のみでなく10万人の市民が立ち上がり、軍部に反旗を翻した。
1980年5月20日。広州市の全南大学と朝鮮大学を封鎖した陸軍空挺部隊は、抗議に集まった人々と衝突。市民は郷土予備隊から奪った武器や角材、火炎瓶などで対抗した。翌21日には戒厳令軍が広州市を包囲、外部の鉄道、道路、通信回線を遮断した。そのため 広州市で何が起きているのか、全国の人々は知ることができなかった。
一方、軍による市民への無差別一斉射撃に怒り、立ち上がった怒れる市民の数は、日に日に膨れ上がり、金大中の釈放、戒厳令撤廃を要求した。5月26日には、陸軍部隊が戦車で市内を制圧。市民に対して無差別の逮捕、拘留 暴力がふるわれ軍の一斉射撃により多数の死傷者を出した。実際に亡くなった市民の数はわかっていない。公式発表では、死者行方不明者は、649人、負傷者5019人。戒厳司令部発表によると死亡者は170人、負傷者380人と食い違っている。
まことしやかに政府は広州暴動は北朝鮮によって工作され、金大中が内乱を起こした、と宣伝したが一笑に付された。いまは広州事件ではなく「5.18民主化運動」と規定されている。

唯一外国人による報道では、ドイツ公共放送(ARD)東京在住特派員だったドイツ人ユルゲンヒンツ ピーター記者が、広州に潜入して軍による民主化を求める市民虐殺の現場を撮影するのに成功した。彼は韓国から日本に帰ってから、事実を世界に向けて発信した。
映画「タクシー運転手」は、このドイツ人記者の話だ。

原題:「A TAXI DRIVER」
監督: JANG HOON
キャスト SONG KANG -HO ドライバー
     THOMASKRETSHMANN ドイツ公共放送特派員ピーター
     YOO HAE-JIN    広州のタクシードライバー
     RYUJUN-YEOL      広州の大学生

ストーリーは
タクシー運転手、ソン カンホーは妻に先立たれ、11歳の娘と二人で暮らしている。妻の病気を治療するために蓄えをすべて使い果たしてしまい、今は日々の暮らしに汲々としている。個人タクシーで使っている車も、もう60万キロ走っていて、かなりガタがきている。娘の履き古した運動靴も、小さくなって履けなくなっているが、新しい靴を買ってやることもできない。

1980年5月20日早朝、彼は金浦空港で外人客を拾う。東京から来たドイツ人記者ピーターだ。彼は東京で、ソウルから到着したばかりの記者仲間が、反政府民主化運動が高まりを見せている、広州でひどいことが起こっているようだ、というのを聞いて、飛んできたのだった。
ソン カンホーはピーターを乗せて広州に向かう。
政治に関心の全くないソンは、昔、彼が兵役についていた時、軍人はみな規律正しい良い人達ばかりだった、と言い、反軍反政府の民主化運動を標ぼうするのはコミュニストだけだと確信している。ピーターはのんきで人の良い運転手との会話にイラつきながら乗車している。広州に向かう主要道路はみな封鎖されていた。それでは仕方がないから、とソウルに帰ろうとするソンに向かって、ピーターは「ノー広州、ノーペイ」と言い、広州に連れて行かないと代金は払わないと言い張る。慌てたのはソンだ。どうしても代金をもらわないと困るソンは、農家から聞き出した山道の迂回路を通って広州に入る。

街は騒然としていた。軍は市民に家に留まるよう、ビラをヘリコプターで撒いている。しかし人々は街に出て集会に参加していた。街のどこにも反軍反政府のプラカードが立っている。病院は軍との衝突で怪我をした人々で溢れかえっている。ピーターはヴィデオを回す。運転手ソンは、こんなに危険な所には居られないと、ピーターを置いてソウルに帰ろうとするが、怪我をした老婆に呼び止められ、彼女を病院に運んたところで人々の惨状を目にする。夜になって軍の攻撃も激しくなった。ピーターが撮影しているところを、戒厳軍にキャッチされた。ピーターとソンは、軍人に追われる中、学生のひとりリュ― ジーヨルの手引きで逃げ切ることができた。一刻も早く撮影したヴィデオをもってソウルに帰りたい。しかしタクシーはエンコして動かない。学生の兄、広州のタクシー運転手のヨー ハエジンの家の泊めてもらい、車の修理をしなければならない。

翌日から軍とデモ隊との対立は激しさを増す。街は陸軍が戦車で街を走り回る戦場だった。運転手ソンは車の修理を終えると、ピーターを置いて一人でソウルに向かう。11歳の娘が心配で仕方がないのだ。広州を脱出し、近くの街で娘のために靴を買う。昼食を食べるうち、街の人々のうわさ話が耳に入る。広州では学生たちが戦車に包囲されて殺されているらしい。しかし人々は、かつてのソンのように、「それはコミュニストが殺されただけだろう」、と人々は取り合わない。「そうではない。」年を取った老婆が、女子学生が、市民が無差別に射撃されているのに。
ソンは広州からひとり逃げようとしている自分を恥じ、ピーターのところに戻る。ピーターは、自分を追手から逃がしてくれた学生リュ― ジーヨルが捕えられ拷問の末、殺された遺体の横に居た。ピーターは死体で溢れる病院を撮影し、治安軍に追われ何度も危険な目に会いながら撮影を続けたすえ、ソンのタクシーでソウルに戻る。無事ピーターを金浦空港に送り東京行きの飛行機を見送った後、ソンは家に戻る。11歳の娘が待っている。
というお話。

深刻な歴史を扱っているが、笑いもあり、涙もあるヒューマンドラマに仕上がっている。
運転手役を演じた、SONG KANG-HOの演技力が冴えている。彼は妻を亡くしたシングルファーザーだが、飲んべいで人が良く、あまり物事を深く考えないごくごく普通の市井の人だ。だからこそ彼が、軍の横暴を目撃して、民主化運動は軍がいう北朝鮮コミュニストのスパイによって起こされたようなものではなくて、「人が人であるために当たり前のことを要求しているに過ぎない、」ということが分かった。思い込みが間違っていたら、人は考えを改める。人は変わることができる。

悲惨な、昔あったことを忘れないために私達は、こうした映画を観ることは価値のあることだ。日曜日の午後、歩いて行ける近くの映画館でこれを観た。若いカップルで映画館は一杯だった。多国籍国家オーストラリアで、若い人達がこうした映画を観て、自分たちや自分達の親が生まれ育った様々な国が、それぞれ持っている歴史的なできごとを映画を通して知る。民主化運動とは何だったのか。そして反芻して理解する。それはとても意味のあることだ。

写真は広州事件:5.18民主化運動で亡くなった方々の墓

2017年8月22日火曜日

ACOコンサート「山」







久しぶりにオペラハウスで、ACO(オーストラリアチャンバーオーケストラ)のコンサートを聴いた。
舞台いっぱいに大きなスクリーンが出ていて、そこに山の映像が写され、それに合わせて舞台でオーケストラが演奏する。音楽監督リチャード トゲンテイと映画監督ジェニファー ピードンとのコラボレーション。二人は3年前から音楽と映像とを同時に満足できる作品を作りたいと話し合ってきた。そこからジェニファーが映像を作り始め、フイルムにリチャードが音を作っていく作業が始まり、遂に完成してコンサートが開催された。

タイトル:「山」
監督:ジェニファー ピードン ( Jennifer peedom)   
音楽監督:リチャード トゲンテイ ( Richard Tognetti)
カメラ:レナン オズダーク  ( Renan Oztuk)
脚本:ロバート マクファラン  (Robert Macfarlane)
ナレーター:ウィレン ダフォー  ( Wielem Dafoe)

演奏された曲
リチャード  トゲンテイ作曲:「プレリュード」、「マジェステイー」、「サブライン」、「ゴッズ アンド モンスター」、「フライイング」、「マッドネス ハイツ」、「オン ハイ」、「ファイナル ブリッジ」
エドワルド グリーグ:「Praludium from Holberg 」suite Op40
フレデリック ショパン:「ノクターン D フラットメジャー」Op27
アントニオ ヴィバルデイ:「四季」から冬 第3楽章と、夏 第3楽章
アントニオ ヴィバルデイ:「4つのヴァイオリンとチェロのためのコンチェルト」
              ラルゲットBマイナー RV580
ジョセフ ナイゼッテイ:「GRIEF」
ルドヴィック バンベートーベン:「ピアノコンチェルト第5番」Eフラットメジャ
                Op73「皇帝」

ヴァイオリン10、ビオラ3、チェロ3、コントラバス1、それにピアノ、パーカッション、フレンチホルン、フルート、バスーン、クラリネットが加わっていた。
ACOはいつも 立ったまま演奏する。練習もリハーサルも立ったまま、3時間の舞台演奏も立ったままで全然平気。コンサートでアンコールには答えないで、演奏で全力を出し切った後はサッサと舞台を後にする。コンサートの後、私が帰る時カーパークで彼らが建物から立ち去る後ろ姿を見送ることもたびたび。この爽やかさ、若さいっぱいで、しかし音の妥協は一切しない彼らをこの20年余り見て来た。寄付金も定期的に送ってきた。

国や自治体からは、資金援助をもらわない、この独立したオーケストラには、熱烈なファンが、沢山いてスポンサーをしている。団長のリチャード トゲンテイに、1743年のグルネリのヴァイオリンを寄付したのも、ザトウ バンスカに1728年のストラデイバリウスを貸与したのもオージーの個人の篤志家。第2ヴァイオリンコンサートマスターのヘレナ ラスボーンに1759年のガダニーニを貸与しているのはコモンウェルス銀行。チェロのテイモ ヴィツコに1729年のグルネリを、イケ シーに1790年のヨハネス クーパスのヴァイオリンを、貸与しているのも篤志家。コントラバスのマクシム ビボウは、16世紀のガスパロ ダサオという楽器を、彼のために再生した篤志家によって貸与されている。良い音を作っている芸術家には必ず地元の良いサポーターが付くという証だ。

映像に使われた山々は、ヒマラヤ山脈、ヨーロッパアルプス、日本の山々。衛星から画像を撮影することができるようになり、ドローンを飛ばすこともできるようになり、山々を撮ることで、今まで見ることができなかった山々の細部まで観ることができるようになった。
また地球上の山はすでに、未踏峰の山は無くなって全部登頂を極められてしまったので、今は、それらの山をどう登るか という段階に入った。エベレストを無酸素で登る。重装備なしに登る。ヘリコプターで頂上まで行き、急斜面をスキーやスノーボードで滑走下山する。パラシュートをもって登り、岩から飛び降りて飛んで帰って来る。ウィンドスーツを着て、山のてっ辺から飛び降りてモモンガ―のように手足をひろげて風に乗って帰って来る。すべて命がけだ。
それでも人は挑戦することを止めない。

山は良い。わたしに青春と呼べるような時期があったとしたら、それは間違いなく山だった。ベトナム戦争が終結して、何か物に取り憑かれたように山に登った。山から帰ると地上の汚れに耐え切れず、すぐに山に戻りたくなった。3000メートル級の岩壁を這いずり回っているから直射日光で山焼けして、顔が腫れて埴輪の様な顔になっても、顔の皮が2枚も3枚も剥がれて来ても、全然気にならなかった。穂高、槍ヶ岳、常念岳、蝶が岳、立山、剣岳、白馬3山、八ヶ岳、谷川岳、丹沢の山々。ひとつひとつの山の姿が目に焼ついていて思い出すだけで夢みたいだ。

「私たちが登る山は岩と氷だけでできている訳ではなく、夢と望みで形造られている。私たちは山を登る。それは私たちの心の山を超えるためであるからだ。」と、この作品を脚本したロバート マクファーレンは言っている。

ACOが演奏したのは、団長でこの作品を監督したリチャード トゲンテイが作曲した作品が多かったが、バロックのヴィバルデイ、クラシックのベートーベン、ロマン派のグリーグとショパン。 ヴィバルデイ「四季」の冬と春の第3楽章は、神々しい切り立った岩壁、氷の岩、人を寄せ付けないヒマラヤのフイルムにぴったりマッチした。ショパンの「ノクターン」は雪に覆われたアルプスの山々の乾いた風、山の空気、雪嵐、厳しい雪山に生きる野生動物たちの姿によく似合う。そしてベートーベンの「皇帝」では圧倒的な山々の力強さを表現する映像で完結する。 山と音楽が好きな人には、どんな映像が流れたか想像することができるだろう。

編集時にサウンド デザイナーとしてこの作品をまとめたデヴィッド ホワイトは「ジェニファーのカメラとリチャードのヴァイオリンとで 美しい詩が作られたんだよ。」と言っていた。本当に映像と音楽とで「詩」になっている。

久しぶりオペラハウスで日曜日の午後を過ごした。チケットはすべてソルドアウトで1席の空きもなかったのには驚いた。でも良い日曜日だった。今夜は山の夢を見よう。


2017年8月18日金曜日

映画「軍艦島」

監督:リュ スン ワン(RYOO SEUNGーWAN)          
キャスト
ファン ジョンミン:バンドマスターのイ カン オク
ソ ジ ソブ(SO JI-SUB):ストリートファイター、チェ チルソン
ソン ジュンギ(SONG JOONGーKI):挑戦独立活動家パク ムヨン
リイ ジョン ヒュン(LEE JUNGーHYUN):従軍慰安婦、オー マルニョン
キム スーアン(KIM SU-AN) :バンドマスターの娘、リー ソーヘイ

映画の背景
長崎県、端島は、形が軍艦の様に見えることから俗称「軍艦島」と呼ばれてきた。かつては石炭が採掘され、明治期からの製鉄、製鋼など基幹産業を支えてきた。島は三菱鉱業が所有していたが採掘のために島は拡張されて、当時は珍しい最新式の9階建てのアパートが建てられ、病院、学校、プール、映画館、パチンコ屋まであり、最盛期には5千人を超える炭鉱関係者が住んでいた。1960年代になると、需要が石炭から石油に取って代わられた為、1974年に炭鉱は閉鎖され、現在は無人島になっている。
その島の独特の成り立ちと歴史を評価され、ユネスコから世界遺産に指定された。2009年からツーリストを受け入れ、現在は船で上陸することができるが、崩壊する危険のある住居跡など島の95%は立ち入り禁止となっている。 2013年、007ジェームスボンドシリーズの「スカイ フォール」では、この島を使って映画が撮影された事も記憶に新しい。

当時、石炭の採掘現場は、地下1000メートルの深さにある海底で石炭を砕石するため、95%の湿度、30度の暑さという過酷な環境で採掘しなければならなかった。
1937年に日中戦争が始まると、1938年には国家総動員法、翌年には国民徴用令が施行され、1942年には 朝鮮総督は朝鮮労務教会によって、鉱夫が徴用された。次第に、戦争が長期化すると、日本の労働力不足を補うため、採掘のための労務者募集と言っても、実際には強制連行が行われ、日本警察が朝鮮の一般人を拉致に近い方法で徴用することも多かった。強制連行された韓国人、中国人などの労務者は、貧しい食事や乏しい道具で、地下深い現場で過酷な採掘に従事し、事故も多く、1300人の死者が記録されている。そのためにこの島は「地獄島」とも呼ばれた。

映画のストーリー
1945年2月 日本帝国主義による植民地朝鮮の京城(現在のソウル)。
ホテルのバンドマスター、カン オクは、ジャズバンドを持っていてホテルでショーを興業している。10歳になる娘のソー ヘイは、父親と一緒にタップダンスを踊り歌を歌ってショーの人気者だ。酒とショーを楽しみにやってくる日本兵は上客でもある。ある日、親しくしている日本人の親方から日本に出稼ぎに行ったらどうか、と勧められる。もっと稼げると聞いて、彼は娘を連れて、船で長崎に向かう。同じ船には沢山の出稼ぎのために来日する朝鮮人労務者が乗船していた。

しかし到着したところは軍艦島だった。待ち構える日本兵に囲まれて、数百人の朝鮮人らは裸にされて、時計や金製のアクセサリーなど、すべてを取り上げられて、男女は別々に分けられる。カン オクは、娘を取り上げられるのに抗して、ローレックスの時計を差し出すが無視されて、娘と離れ離れにされてしまった。
女たちは一様に着物を着せられて、慰安婦として島崎隊長ら日本軍将兵の相手を務めることになった。10歳のソーヘイまで化粧を施され、上官の酒の席に差し出される。女たちは言われるまま座敷に出るが、涙が止まらない。そこで島崎隊長は座敷の空気を明るくすべく、レコードをかける。それはソーヘイが父親と歌っているジャズだった。ソーヘイは、わたしは歌手です、歌手なのです、と叫ぶように言って彼女が踊ってみせる。そして慰安婦にされる危機局面を脱したソーヘイは、その後島崎隊長の住む家の女中として働くようになり、時々父親とも会えるようになる。

バンドマスターでショーマンのカン オクは、兵隊たちの前で「同期の桜」や軍歌を次々と演奏して気に入られ、過酷な鉱夫の労働から逃れることができた。以降日本語が流暢な彼は朝鮮人仲間のために、様々な便を図る。
地底深く劣悪な環境で採鉱する現場では事故が多発し、怪我人や病人も沢山出た。海底で突然噴き出るガスや炭塵で失明する鉱夫も出た。何百人もの朝鮮人鉱夫を牛耳っている朝鮮人ボスの非人間的な扱いに怒った、ストリートファイターのチル ソンは、壮絶な喧嘩の末に新しいボスになった。また、鉱夫に中には朝鮮独立活動家のム ヨンが居た。ム ヨンは京城大学学生らと結束して、島から脱出する計画を立てていた。ム ヨンは 日本軍が隠している内部資料を見て、日本兵と朝鮮人労務者との間の橋渡しをしている朝鮮人の組織委員長は、朝鮮人の信頼を得ていたが実は 日本側に身売りしたスパイであることを見抜く。この男は同胞の賃金の上前を撥ね、鉱夫たちに集団脱走を勧めておびき出し、その全員を鉱内の閉じ込めて殺害する計画を立てていた。ム ヨンは事実を鉱夫たちの前で暴く。

軍艦島の上空を、B29が飛んでいく。ム ヨンは日本の敗戦は目に見えていると読んだ。広島に新型爆弾が落とされたらしい。そして、遂に軍艦島もB29によって爆撃された。炭鉱は火の海。混乱に乗じて集団脱走が始まった。
島崎隊長は大火傷を負い、部下の山田副隊長に殺害される。日本兵らは軍の秘密書類を処分する。軍は朝鮮人らを強制労働させていた一切の証拠を焼却しなければならない。集団脱走の混乱のなかで独立闘士ム ヨンは山田副隊長の首をはね、奪った船に鉱夫たちや病人、怪我人や女たちを誘導する。船に乗り込むための鉄橋が破壊されたが、カン オクらの犠牲的な働きで再建され400人の朝鮮人たちは島を後にする。故郷を夢みる人々が長崎に向かう航路で見たものは、新型爆弾が落された瞬間だった。
というおはなし。

映画史に残る、優れた反戦映画だ。
反戦映画というだけでなく、エンタテイメントとして、実によくできている。忘れられないシーンが沢山ある。

男気のかたまりのような元ストリートファイターのチル ソンが、慰安婦のマル ニョンの哀しい話を聞かされて、必ず故郷に連れて帰ると約束するが、集団脱走の最中、マル ニョンは銃で撃たれて動けなくなる。彼は傷を負った女のために脱走を諦めて、仇を取った末、満身創痍の状態で虫の息の女を抱きしめて共に死ぬ。二人の純愛シーンにすすり泣く観客の声があちこちで聞こえた。

脱走する400人の朝鮮人をすべて鉱路に閉じ込めてダイナマイトで殺すように命令しながら自分は上官を殺して逃亡を図る山田副隊長に火炎瓶を投げる10歳のソー ヘイ。その忌まわしい敵の首を一刀両断で撥ねるム ヨンのその歌舞伎役者のような身のこなしに胸のすく思い。

島と舟とを結ぶ鉄橋が破壊され、乗船できなくなった。落ちた橋を再び起こすために日章旗を真ん中から引き裂き、2本の紐を作り、銃弾が飛び交う中を身を挺して、鉄橋を持ち上げるカン オクと慰安婦たちの英雄的な行為。

脱走した人々を乗せた船が下関に向かうときに落とされた原子爆弾、そのまばゆい光に照らされた人々の赤い頬。立ち尽くす人々。

10歳の女の子、キム スーアンの演技が秀逸。タップダンスしながらジャズを歌う、マルチタレントの子役女優。彼女の感情表現の豊さには目を見張る。2016年の「TRAIN TO BUSAN」でも彼女を見て立派な役者だと思っていた。ゾンビ映画だが、愛も人情も正義も描かれた映画。銃を構える兵士たちに「OVER THE RAINBOW」を歌いながら向かって行くシーンで映画が終わったが、今回の映画も彼女の唄で映画が終わる。

ストリートファイターのチル ソンと日本兵のお気に入りボスのミン ジョウとの乱闘場面が凄い。風呂場で互いに裸で、どちらかが生き残るか。殺気と活劇の激しさは本当に死者が何人か出ても不思議でないほどで、これまで他で観たことがない激しさだった。頭蓋骨陥没、大腿骨骨折、肋骨8本くらい折れていて不思議はない。こんな乱闘場面に比べたら、ランボーもジェームスボンドも軽い、軽い、話になりませんな。
そんな強くて優しい男、チル ソンにめろめろです。本名ソウ ジーソブ39歳、水泳の韓国代表選手だった人で、今はヒップホップラッパーで自作のCDをいくつも出している人だそうだ。
彼に限らず出演している男達、プロフィルをみると、みんなそろって身長180センチあって、引き締まった体で、裸の姿が絵になっている。素晴らしい。

韓国映画はドラマ造りのチャンピオンだ。ストーリーが良くできていて、おもしろい。わかりやすいが少しひねりもある。情があり情緒豊かで純愛を描いたら超一流。他にはかなわない。
どうしてか。

監督は、若干43歳、1973年生まれの、リュ スン ワン。彼が子供だった時は、表現の自由は制限されていて、映画と言えば、「プロパガンダ」ばかりだった。自由な表現にあこがれて、3年間中学生のとき昼食を食べないで我慢して貯めたお金で、8ミリカメラを買ったそうだ。同じころに両親を亡くして高校進学はあきらめたが、カメラを使って自由な表現を追及してきた、という根からの映画人だ。だからこの映画でもたくさんの登場人物が出てくるが、「ひとりひとりが豊かな感情をもった人」として描かれている。英雄的な人も何人も出てくるが、たった一人の英雄を描いた映画ではない。鉱夫たち、海底1000メートルの灼熱地獄で石炭を掘る、ひとりひとりが英雄だ。鉱道の先端で狭いところには大人が入れない。若くまだ子供の様な少年が最も危険な先端で採掘をする。トロッコの暴走で片足を失う男が居る。無言で死者を弔う男達、そういったわき役を演じる人々が圧倒的なパワーを持っている。「カメラで表現する」そうした動機をもって監督になった人だから、登場人物のひとりひとりが豊かな感情を持った「人」として描かれている。どのような環境にあっても人であろうとする400人の魂が、みんなみんな英雄として描かれている。

旧日本軍の残虐さが映画の背景にあるので日本の歴史の負の面を描いた映画という理由で日本での上映が懸念されている。世界中113か国で上映されている。日本での上映を心から望む。
アンジェリーナ ジョリイが監督した映画「アン ブロークン」では、日本軍が外国人捕虜を虐待するシーンがあったという理由で、日本で上映されなかった。この映画の映画評は2015年1月24日のこのブログで書いた。
チャン イーモー監督で、クリスチャン ベイル主演の映画「FLOWER OF THE WAR」は、南京虐殺を背景にしているので、これまた日本で公開されなかった。この映画評は2014年8月2日のブログで書いた。どちらも素晴らしい作品だった。

芸術に反日も好日もないのではないか。2本とも日本で一般公開されなかったことは残念でならない。過去の間違いは反省して正す努力をすればよい。旧日本軍を描いた映画を避けて正面から観ようとしない日本人に、「KKKにも言論の自由があるから、取り締まらない。」と言ったダニエル トランプ大統領を笑う資格はない。
世界中で公開されている映画をに日本だけでは公開しない、権力者にとって都合の悪い映画は封印する、というのではこれは「思想統制」ではないか。日本の誤った歴史から目を背けて無かったことにするのでは、画家アン ウェイウェイを弾圧し、ノーベル賞受賞者の詩人、劉暁波リウ シャオボーを獄死させた中国政府を批判する資格はない。
「軍艦島」の日本公開を切に願う。

2017年8月14日月曜日

RSPCAと猫の話

                     

手のかかるオットを施設に入れて、セイセイしたでしょう、と誰からも言われるが、そのへんのところは微妙なので、うんとも、いいやとも即答しないようにしている。
わたしはそれで良いが、愛猫クロエは、わたしのように、毎日ルンルンとはいかないらしく不安神経症を発病して、家じゅうの家具や絨毯をひっかいて駄目にしてくれた。

オットが居た頃は大きなアパートに住んでいて、いくらでも猫の隠れ場があり、昼間は家にわたしが、夜はオットが家に居て、いつも誰かが横に居た。わたしが夜勤をしていたのは、給与が高いこともあるが、夜の仕事中は静かで、結構本がじっくり読めるし勉強もできたからだ。また急に飛び込んでくる医療通訳の仕事は昼間なので、病院勤務は夜の方が都合が良かった。年中家に誰かが居て、いつもベランダは開け放ち、下界が見下ろせて、良い風が入って来る。そんな環境に クロエは満足していた。引っ越したくはないが、オットが居なくなり、月に3000ドルの家賃を払って大きなアパートを借りる必要がなくなったので、郊外に小さなアパートを買った。「家や土地など個人が所有するものではない。人は永遠に生きられない。家や土地を所有して、なんぼのものか。」と考えていたが、年を取り動けなくなって、年金暮らしになったら、家賃は年金で払えない。オーストラリアの年金など食費の半分にしかならない、ということが分かって、やむなくアパートを買った。日本の年金はどうなのだろう。

クロエはオットが居なくなり、小さなアパートに引っ越したことが気に入らない。出かけて行くと、仕事から長い事帰ってこない人を待つ生活も気に入らない。まず、レザーのソファを4面とも爪とぎ場にしてボロボロにしてくれたのを手始めに、ベッド、絨毯と、次々に見るも無残な姿にしてくれた。

獣医の娘がアメリカ製の立派な「爪とぎ柱」を取り寄せてくれたが、そんなもの見向きもしない。ソファをガリガリ始めると、飛んでいって新しい爪とぎ柱で爪を研ぐ真似をして「こうやるんだよ」とレクチャーするが、教育指導効果は全くなし。猫になったつもりで爪とぎ柱をひっかいている姿を軽蔑の目差しで見ている。ソファやベッドは襤褸になれば買い替えればよい。しかしアパートに床にはめ込んである絨毯の角から端を引っ張り出してボロボロにされたので、これは修理不可能。すべての家具を引っ越しさせて家じゅうの絨毯を張り替えるしかない。レザーのソファを買い替えるような値段では済まない。
全財産はたいて買った小さなアパートは、たった1年で襤褸屋、廃屋になりつつある。

クロエが来る前の、オーストラリアで初めて家にきてくれた猫オスカーは、素晴らしい猫だった。猫の大学があったとしたら、再優秀の成績で卒業したような立派な猫だった。猫をもらいにRSPCA(ROYAL SOCIETY FOR THE PREVENTION OF CURELTY TO ANIMALS) に行った時のことを忘れられない。

RSPCAは全国にあり保護を必要とする野生動物を引き取り治療し野生に帰したり、主人に死なれたペットを次の希望者に引き渡したりするシェルターで、各6州ごとに代表連絡先があって、センターに電話をすると自宅に近いシェルターを紹介してくれる。昨年保護して自然に返した野生動物が701、943頭、新しい飼い主に引き取られた犬、382、951匹、猫が246,928匹という。人口2千400万人の国で、これだけの動物が、一年間に保護されているというのは、記録的な事業と言える。

RSPCAシドニーは、ヤゴナという郊外にある。広い敷地には犬やポニーが散歩できるほどの広場があり、犬、猫、山羊、羊、ポニー、ウサギ、フェレルなどがいた。大多数の犬は一匹ずつコンクリート床の個室に収容されていて、入口にそれぞれ名前と年齢を書いた札が付いている。犬の中で一番大きなニューフオンテインランド犬まで居た。一人の青年がこの犬を欲しがっていて、職員に彼がどんな家に住んでいるのか、庭がどれくらい広いのかなどと質問されていた。片耳だけ大きくして盗み聴きしていると、結局自分の家の庭が何平方メートルあるのか答えられなかった青年の家に職員が訪ねて行き、この犬の飼い主として合格かどうかを判定することになって、そに日時について話し合うことになった。

また小部屋があって、生まれたばかりの子犬が数匹いた。見学に来た人はみんな子犬を抱いてみたくて、ちょっとした列ができていた。施設に来た人はみんな自分の犬や猫が欲しくて見学に来ているわけだから、それを知っている犬達は、「連れて行って、連れて行って」と尻尾を振り、柵まですり寄って来る。どの目も必死だ。本当にどの子も連れて帰りたい。みな棄てられた子たち。こんな良い子達が待っているというのに、ショッピングセンターのペットショップで今日もペットを気軽に買っていく人々、クリスマスプレゼントに子犬をプレゼントする馬鹿者たち、子犬が大きくなったらRSPCAに引き取ってもらいにつれてくる愚か者達が、本当に憎くなる。

猫は大きな室内のガラス張りのケージに、グループごとに収容されていた。中は猫たちが遊べるように階段や、木の上に小さな小屋が作られていて工夫が凝らしてある。
階段の頂上にオスカーが 悠然と下々のもの達を見下ろしていた。この猫を観たら、他の猫など目に入らない。決めた。茶色の縞模様。毛が長くふさふさ。長い毛がライオンのたてがみのようになって威厳がある。オスカーという名で8歳です、と言われて信じられない。美しい毛並みで3歳くらいにしか見えない。前の主人はイタリア人家族で、故郷に帰ることになって、仕方なくシェルターに連れて来たということだった。アントニオという名前だったそうだ。

予防注射やワクチンに要した費用を払って段ボールに入れて家に連れて帰った。オスカーは、優秀でアパートにもすぐ慣れた。トイレも失敗したことがない。一緒に住んでいた娘たちが大学を終え、専門職に就き、それぞれ独立して家を出て行くのを見送り、沢山の友人たちが訪ねて来て、誰からも愛された。
10年間わたしたちと一緒に暮らして18歳で老衰死した。彼の骨がきれいな箱に入って、居間のテレビの横の飾り棚に置かれている。

その飾り棚の足元を不安神経症を抱える今の飼い猫クロエが、またガリガリと爪を立てている。オスカーは死んでしまったし、オットは歩けなくなって、盲目になって、うちには、もう帰って来ないんだよ、クロエ。
                      
写真は黒猫クロエと、オスカー。

2017年8月5日土曜日

映画 「ベイビードライバー」

映画「ベイビードライバー」
日本公開: 8月19日             
監督:エドガー ライト
キャスト
アンセル エルゴード :ベイビー
ケビン スペイシー  :ドック ギャングのボス
リリー ジェイムズ  :デボラ
ジェイミー フォックス:バッツ 
エイザ ゴンザレス  :ダーリン
ジョン ハム     :バデイ

クールでスタイリッシュで、スピーデイーでビートが効いている映画。ものすごく音楽が好きな人は、観なくちゃダメだよ。
銀行強盗やって罪のない人々を傷つけたり殺して、何十台もの車を燃やし、建物や橋や高速道路を破壊して極悪ギャングの逃走用運転手をやっているベイビーと呼ばれる少年が、クール、、というのもおかいけど。
ものすごく沢山の血が流れ、現金が飛ぶ犯罪の数々が、スタイリッシュで素敵、、、というのも変だけど。
八重歯以外にこれといった特徴のない、特別ハンサムでもないベビーフェイスの少年が、いつも耳から離さないイヤホンから聞こえる音が、ビートが効いていて、スピーデイーなアクションに合ってイケてる、、というのも妙、、、だけど。
少ない予算で若い監督が作った映画が、予想外にたくさんの批評家から絶賛されて、制作費用の何倍もの興行成績をあげてしまって、誰よりも驚いているのが、監督さん、という微笑ましい結果になった。ミュージックヴィデオを作っていた人が、3千400万ドルで作った作品が、この商業映画不振の時期に、公開直後にすでに1億800万ドル興行成績を上げたとなると、驚くのも無理はない。

ストーリーは
ジョージア州アトランタ
ベイビーは、卓越した運転技術をもった、心の優しい少年だ。黒人で聾唖者で車椅子で生活する養父と二人で仲良く暮らしている。ベイビーは幼い時、母親の運転する車に乗っていて事故に遭い、前部座席にいた両親を同時に失った。母親は歌手だった。ベイビーは事故の後遺症で、聴覚に異常をきたし、いつも激しい耳鳴りがある。執拗な耳鳴りから逃れるにはイヤホンを通して音楽を聴いているしかない。自分で古いレコーダーやカセットデッキを使って音楽を編集して、アイポッドに入れて、それを耳から離さない。イヤホンを通して音楽に身を任せることによって、集中力が増して反射神経が研ぎ澄まされる。

善良な養父は、ベイビーが良からぬ仕事に関わって、時々札束を持って帰るのが心配で、いつも人を喜ばせる仕事に就きなさい、とベイビーに言い聞かせている。ベイビーはたまたまギャングの親玉ドックの車を盗んだことから、弱みを握られて、銀行強盗の逃走用の車の運転をやらされている。大金がもらえるが、決して好きでやっているわけではない。ただ、ベイビーは自分が運転すれば警察に捕まることなく逃げ切れる、運転技術に自信をもっていた。
ドックに依頼された最後の仕事は、現金輸送車を襲うことだった。激しいカーチェイスを重ねて警察の追手から逃げ切ったあと、ベイビーはもうこれで自由になった、とドックに放免されて、ほっとする。ベイビーは喜び勇んで、一目惚れしたカフェのウェイトレス、デボラをデートに誘う。

しかし撚りにもよってデートの真っ最中、再び親玉ドックに捕まり、もう一件だけ仕事に加わるように言われ、拒否したらデボラの命もない、と脅される。その仕事は郵便局襲撃だった。メンバーは、いつものバデイと、彼の妻ダーリン、それに加えてバッツ(ジェイミーフォックス)が加わった。4人は襲撃のための武器を手に入れるために地下組織に接触する。しかし待っていたのは、覆面警察だった。いち早くそれを察知したバットは、その場にいた警察官たちを一人残らず殺害、ベイビーたちは、這う這うの体で帰って来る。
ベイビーは目の前で人が殺されるのが耐えられず、デボラを連れて逃亡しようとするが、自宅を襲われ、大事にしていたミュージックテープを奪われ、養父を傷つけられて、ギャングたちの仕事に最後まで付き合わされることになった。

郵便局襲撃でドライバーとして待っていたベイビーは、現金袋を抱えて車に乗り込んできたバットらが、必要もないのにガードマンを目の前で殺す様子を見て腹を立て、車を発車しない。追われている3人が車を動かせ、と怒鳴ると前に駐車していたトラックにむけて思い切り急発進させて、飛び出ていた鉄骨でバットを殺す。バデイとダーリンは徒歩で現金を抱えたまま逃走、ベイビーも後を追う。しかし、警官たちの包囲されてダーリンは射殺され、バデイとベイビーは別々に逃走する。

ベイビーはアパートに戻り、養父に今まで稼いだすべての現金を持たせて、老人ホームに運び込む。そして大事なミュージックテープを取り戻すために、ギャングの親玉ドックに会いに行く。ドックはベイビーが、ガールフレンドのデボラを連れているのを見て、二人で逃げるようにミュージックテープも現金も渡す。そのあとドックは追ってきたバデイに殺される。ベイビーはバデイからなんとか逃げ切るが、警察の包囲される。デボラはなお逃げようとするが、ベイビーはデボラに別れを告げて自首する。

ベイビーは25年禁固刑を言い渡されるが、数々の人々の嘆願書が功を奏して5年の後、出所する。刑期を終え、刑務所の門を出たベイビーを待っていたのは、オープンカーで待っていたデボラだった。
というお話。

映画が始まった時から終りまで音楽がいつも鳴っている。
1950年代のスローダンスミュージックからヘビメタからヒップホップまで何でもありだ。その音楽は、イヤホンで聞いているベイビーのアイポッドから流れてくる音楽だ。
最初の激しいカーチェイスとともにベイビーが聴いているのが、ジョンスペンサーブルース エクスプロージョンの、「ベルボトム」。次に、ベイビーが歩きながらテイクアウェイコーヒーを買いにいくところの長い踊りのシーンが、ボブ アンド アールの「ハ―レム シャッフル」で、このベイビーの軽い身のこなし、ぴったり音楽に合ったステップを見て、誰もが映画に引き込まれてしまう。テンポの速いアクション映画に、ロックとヒップホップが完全融合している。音楽の良さというものが、身に染みて良くわかる映画だ。

タイトルはサイモンとガーファンクルの「ベイビードライバー」という曲からとられている(と思う)。
他に、ゴーギー レネの「スモーキー ジョー ララ」、カルラ トーマスの「ベイビー」、JONATHAN RICHMAN&THE MODERM LOVERS の「EGYPTIAN REGGAE」、TーREXの「デボラ」、BECKの「デボラ」、インクレデイブル ボンゴ バンドの「ボンゴリア」、ザボトム ダウン ブラスの「テキーラ」、BLURの「インターミッション」、クイーンの「ブライトン ロック」、SKY  FERREIRAの「EASY」、キッド コアラの「WAS HE SLOW?」などなど、合計35曲の音楽が流れる。

サイモンとガーファンクルの「ベイビー ドライバー」は

My daddy was the family bassman
My mamma was an engineer
And I was born one dark mom
with music coming in my ears
in my ears

They call me Baby driver
And once upon a pair of wheel
I hit the road and I'm gone
What's my number
I wonder how your engines feel
Ba ba ba

というような歌詞で始まる、1950年代のチューン、ビーチボーイズを聴いているみたいで、ちょっとサイモンとガーファンクルらしくない曲。「明日に架ける橋」のアルバムの中にある。車好きな子供が玩具の車に乗って歌っているような楽しい曲だ。インタビューでこの曲についてサイモンは、あまり意味はないから歌詞をみて考え込まないでね、と言っている。
ポール サイモンの両親はユダヤ系でハンガリアからの移民だ。父親はプロのバイオリン奏者だったそうで、コントラバスの奏者でもあったという。この曲の始めのBASSMANのことだ。「僕のお父さんはバス奏者で、お母さんはエンジニア、、、」
この曲をLPからテープに移してイヤホンで、この映画に出てくるベイビーみたいにして聴いてみた人の体験談を読んでみると、すごく音が良くて、曲の背景にカーレースの車の轟音まではっきりと聴こえてきて、F1レース会場で音楽を聴いているみたいに興奮したと、言っている。なるほど、映画からインスパイヤされて、色んな事をやってみるものだな。

主演のベイビーことアンセル エルゴートはニューヨーク生まれの23歳。父親はファッション誌ヴォーグのカメラマン、母親はオペラの舞台演出家で、子供の時から芝居好きで、演劇を習っていた、という。2013年、ホラー映画「キャリー」で映画デビュー。2014年「きっと星のせいじゃない」原題「THE FAULT IN AN STARS」で、癌で早死する青年を主演して話題になった。人を泣かせるために作られた、このテイーン同士の純愛ものよりは、彼にはベイビー役のほうが似合っている。ベビーフェイスだが怒ると怖い。悪に利用されているが人殺しだけは許せないという筋を通す強さを持っている。クールだが優しい、そんな役。はじめ、ジェイミーフォックスや、ケビン スペイシーをわきに置いて、この子が主役?と思ったが、堂々としてとても良かった。

映画の最後、ベイビーが出所したとき、デボラが刑務所の門で待っているシーンが、黒白フイルムに突然変わったが、これは彼らの純愛が「タイムレス」時間を超えて、色あせることのない白黒にしたのだそうだ。手が込んでいる。
この映画を観て、「ぼくもこんな映画つくってみたくなった。」と感想を述べている子がいたが、まったく同感。
サウンドトラックが秀逸。
大きな感動ではなく、土曜の午後音楽に身を任せて、スタイリッシュなアクションで、ゆるりとしたいときに観る映画。お勧めだ。

2017年7月1日土曜日

小児性的虐待でジョージペル枢機卿起訴される

                                                                     




今年2017年6月29日 オーストラリア ビクトリア警察が、ジョージ ペル枢機卿を性的小児虐待の容疑で起訴した。
ジョージペルは、ヴァチカンのナンバー3と言われ、ローマ法王フランシスの個人的アドバアイザーでもあり、彼のあと次期ローマ法王の候補にも挙がっている。現在、ヴァチカンで最も高い地位の財政長官を務めている。警察発表のあと、ジョージ ペルは直ちに記者会見して、法廷で自分の無罪を証明してみせる、と息巻いた。
彼は1996年から2001年までメルボルンで準大司教、2001年から2014年までは、シドニーの大司教を勤め、2014年からはヴァチカンで現職についている。76歳、長身でオーストラリア ルール フットボールで鍛えた体は、健康そうでがっしりしている。メルボルン警察による起訴に伴い、7月6日には予審がはじまり、7月18日には、ジョージ ペルが召還される。彼が何を発言し、何を発言しないでいるか、注目したい。

ジョージ ペルは昨年2月、ロイヤルコミッションから召還され、審議中の小児虐待の証人として証言を求められていたが、健康上の理由でバチカンからオーストラリアに来ることを拒否した。15人のレイプ被害者たちは、彼がフランス旅行から帰ったばかりなのを知って、なぜフランスには飛べてオーストラリアには来られないのか、と怒った。このとき被害者たち15人は、ビデオでロイヤルコミッションの問いに証言する彼の姿を見守るため、自費でバチカンに飛んだ。バチカンに着いた被害者たちは、記者会見にも一切応じないジョージ ペルの態度に業を煮やし、ローマ法王に会見を申し込んだが会見は実現しなかった。
ロイヤルコミッションの審議は メルボルンで彼が準大司教だったときに、ペデファイル牧師ジェラルド リズデイルが、少年達をレイプしていたことを知っていて、黙認しただけでなく教会全体で犯罪をカバーアップしたというものだった。彼の証言なしに、ジェラルド リズデイルは、今年実刑判決が出て、現在懲役に服している。

ジェラルド リズデイル牧師は、1993年から2013年までのあいだに4歳の子供を含む54人の少年をレイプしていた。当時ジェラルドと同じ家に住んでいたジョージ ペルは、彼が次々と連れてくる少年を自分の部屋に連れて行く姿を見ていないわけがない。証言によると、同じ部屋のとなりのベッドでジェラルドが14歳の少年がレイプしているのを「気が付かないで」いた、という報告もある。ジョージ ペルが被害者の家族からの報告を無視し、書類を焼却し、加害者をかばっていた罪は重い。
またジョージ ペルは自身も、ぺデファイルでいったん起訴されている。1961年にサマーキャンプで12歳の少年をレイプ、2002年に起訴され審議が始まったが、なぜか審議中に訴えが取り下げられた。様々な圧力や、被害者の自殺などが考えられるが理由はわからない。

ビクトリア警察は、2012年、カトリック教会による小児性的虐待が原因で、被害者のうち40人が自殺したと発表した。当時首相は、オーストラリアで初めての女性首相ジュリア ギラーだった。彼女はただちにロイヤルコミッションとともに、実情調査をすると宣言した。2017年のロイヤルコミッションは、1950年から2009年までのあいだ、牧師の7%が小児性的虐待をしていた、と報告。4千444件の被害報告書を提出した。被害の報告があると、教会ではその牧師を他の教区に移動させて、スキャンダルを封じており、教会ぐるみで証拠を隠滅していたことも明らかになった。

1997年、26人のレイプ被害者に対して50件の罪状をもって服役したビンセント ライアン牧師。2004年、4人の被害者、24件の罪状で服役中、余罪を審議している最中獄死したジェームス フレッチャー牧師。2009年、39人の被害者に対して135件の罪を犯したジョン デンハム牧師。まだ審議中の5人をレイプし22件の罪状を持つデビッド オハーン牧師。審議中病死した、8歳と10歳の少女をレイプしたデニス マクアリデン牧師。などなど、例を挙げるときりがない。

以前同じようなことを書いたので、繰り返しになるが、この世で最も罪が重いのは、無垢な心を裏切ることだ。子供達は牧師を信頼し教えを乞う。その師たる牧師が自分の性的満足のために子供を虐待することは、人として最も深い罪を犯すことになる。信頼を裏切られた子供は、精神的にも物理的にも傷を負い、成長過程で自分に自信を失ったり、他人との協調性が培われなくなったり、自殺や薬物依存症に走りやすい。理解者は容易に得られず、一生傷が癒えることはない。

ぺデファイルは「嗜好」であって、病気ではないから治癒することはない。被害者に追及されても、実刑に服しても、教育を受けてみても、「嗜好」を変えることはできないのだ。ぺデファイルに限らず、レイプによってしか快感を感じられない加害者は、必ず再犯を侵す。残念ながら、そういった犯罪者の存在を許さない社会を作るしかない。
オーストラリアにきて、レイプ犯罪は女性問題だと思ってきたのが、全然違って、男の子のレイプ被害の多いのに驚いた。レイプを性犯罪ではなくて、人権問題として扱わなければいけないのだと思う。

バチカンのナンバー3、ジョージ ペル枢機卿が起訴されたことは、実に喜ばしい。審議の経過を注目していきたい。

写真はサングラスのジェラルド リズデイル牧師と、ジョージ ペル枢機卿

映画「プロミス」とアルメニア人大虐殺

原題;「THE PROMISE」アメリカ映画       
監督: テリージョージ
キャスト
オスカー アイザック :アルメニア人医学生ミカエル
シャルロッテ レ ボン:アルメニア人画家 アナ
クリスチャン ベイル :アメリカ人ジャーナリスト クリス

ストーリーは
1914年 オスマン帝国の南端の街、シランに住むミカエルは、貧しいながら学業優秀で人助けのために奔走する好青年。街の有力者に気に入られ、400金貨を与えられ、首都コンスタンチノーブルにある医学校に通わせてもらえることになった。3年の学業を修めて医師になって帰り、学費提供者の美しい娘と結婚する「約束」だった。ミカエルは、婚約者を残し、喜び勇んでロバに乗って首都に向かった。
コンスタンチノーブルは、何もかも洗練された都会で、大学は素晴らしい設備を誇っていた。ミカエルは、叔父の屋敷に滞在する。大学ではエミールという学生と親しくなる。彼は、政府高官の息子で立派な屋敷に住んでいて、プレイボーイで有名だった。ある日、ミカエルは美しい画家志望の娘、アナを紹介される。彼女の知性溢れる魅力に、ミカエルは強い憧憬を抱くが、彼女にはアメリカ人のジャーナリスト、クリスという恋人がいた。毎日が、刺激に富み、希望に満ちた、日々だった。

しかし突然、第1次世界大戦が勃発し、オスマン帝国は参戦する。
同時に今まで仲良く暮らしてきたオスマン帝国のアルメニア人に対して、トルコ人が迫害を始める。あちこちでアルメニア人が経営する店や事務所が、襲撃にあって暴力を受けることになった。ミカエルは、大学から軍に引き立てられて、徴兵に応じるか、刑務所に行くかと、問われ窮地に立っていたところを、政府高官の息子で親友のエミールの助けで、医学生として特別待遇で徴兵を逃れることができた。しかし、街ではアルメニア人への迫害が激しさを増し、街を歩くことさえ危険になってしまった。

ある夜、ミカエルとアナは、教会のミサの帰り、トルコ人愛国者たちに襲われて怪我をするが、小さな宿屋の主人に助けられる。その宿で、アナとミカエルは同じアルメニア人同士の心と心が結びついて、愛し合う。翌朝、アナとミカエルが家に帰ってみると叔父が憲兵に連れ去られていた。ミカエルは婚約者の父親から受け取った400金貨を掴んで、叔父を連れ戻しに軍隊本拠地に行く。ところが叔父の救出どころか、叔父は銃殺、ミカエルは拘束されて、労働キャンプに送られる。オスマン帝国南部の鉄道施設に駆り出され、わずかな食料で重労働に従事させられた。怪我人や病人は、虫のように殺されていく。いつまでもそこに居たら酷使された末、殺されることが分かっている。ミカエルは工事現場のダイナマイトを爆破させて、逃亡する。

ミカエルは、何日も何日も素足で歩いて、遂に生まれ育った故郷の村に帰って来る。村ではアルメニア人の若い男達はみな連れ去られた後だった。かつて裕福だった婚約者の両親は、火のない家に隠れ住んでいた。両親はミカエルを喜んで迎え、娘と結婚させて、山間の小屋で新婚生活をするように段取りをしてくれた。人里離れた小さな山小屋で、二人は野菜を育て、つかの間の静かで幸せな生活を送る。しかし妻が妊娠すると栄養不足から病気になり、村に住む母親のところに預けなければならなくなった。
ミカエルはアナとクリスが近くの赤十字病院にいると知って、彼らに妻たち家族を安全なところに連れて行ってもらうように頼んだ。
アナとクリスは避難民と孤児たちを馬車に乗せて赤十字から出発し、ミカエルの家族を連れ出そうとして、村に着いたが、時すでに遅く、村はトルコ軍に襲われて妊娠中の妻も父親も誰もかも惨殺されていた。

軍人たちに追われて、クリスは逮捕されコンスタンチノーブルに戻される。罪状はスパイ罪。ジャーナリストとしてオスマン帝国軍が、国内のアルメニア人を虐殺していることを世界に発信していたことを追及される。スパイとして処刑されるところを、軍人になっていたミカエルの親友エミールが救いの手を差し伸べる。エミールはクリスを逃して、ミカエルを安全なところに逃がしてやりたかったのだ。エミールの連絡を受けて、オスマン帝国駐在アメリカ大使がやってくる。大使はクリスを釈放させて、マルタに脱出する手はずを整える。クリスは大使に伴われ、フランス軍の軍艦が停泊する海岸に向かう。しかし、エミールはオスマン帝国軍人として、あるまじきことをした、とされて銃殺される。

沢山の孤児や怪我人を保護しながら軍から逃げて来たミカエルとアナは、さらに大きなアルメニア人やクルト人難民と合流し、海岸線に達する。海には、クリスを乗せたフランス軍の軍艦が停泊していた。軍艦が難民を収容するためにボートを出し、海岸までたどり着いた難民からボートで救出する。ここでクリスとミカエルとアナは感動的な再会を喜び合う。オスマン帝国軍は、ついそこまで迫っていて砲弾を開始する。アナは孤児たちとボートに乗り込み、同じ船にミカエルも乗る。しかしそのボートは砲弾を受けて沈没。ミカエルは沈んでいく孤児たちを救出することができたが、すでに海底を深く沈んでいくアナを救うことができなかった。

アナを愛した二人の男は永遠にアナを失った。その後、クリスはミカエルにアメリカのビザ発給に力を貸し、アメリカでの生活を援助した。ジャーナリストとして活躍しその後スペイン戦争で取材中、命を失った。
というお話。

15世紀に東ローマ帝国を亡ぼして、世界にその繁栄を誇ったオスマン帝国の終焉を背景にした物語。メロドラマだが、ナチによるユダヤ人迫害と同様に語られるオスマン帝国によるアルメニア人大虐殺という歴史がテーマになっている。150万人のアルメニア人が虐殺された。いまナチによるユダヤ人ホロコーストを否定する人はいないが、いまだアルメニア人大虐殺をトルコ政府は公式に認めも、謝罪も補償もしていない。
はじめは、イスラム教のオスマン帝国で、少数民族のアルメニア人やクルト人はトルコ人と仲良く共存共栄していた。しかしイスタンブールなどの大きな都市で貿易や金融業で成功した裕福なアルメニア人商人らはカトリックを信奉。西欧との交流を通じて、アルメニア民族意識に目覚め、民族独立を願うようになってきた。一方のトルコ人のなかで、ロシアに占領されて難民となってオスマン帝国に逃れてきたモスリム難民たちは、クリスチャンのアルメニア人を憎悪した。アルメニア民族独立派と、トルコ愛国青年派は、互いに急進化し、過激化していった。

第一次世界大戦でオスマン帝国が同盟国側に付くと、ロシアは連合国側で参戦しているため、アルメニア人とトルコ人の対立は決定的になる。第一次世界大戦に敗れたオスマン帝国は崩壊し、トルコ共和国となり、1991年、アルメニアはトルコから独立した。いまだにトルコ政府はアルメニア人大虐殺は、オスマン帝国政府の計画的で組織的に行われたという、アルメニア側の主張を認めていない。アルメニアは独立したが、クルド民族はいまだにトルコでは迫害されており、ISISやシリア内戦の問題解決を、より複雑で困難なものにしている。

映画の中で、アナはパリで教育を受けたヨーロッパ人で、芸術を愛する知的な女性。クリスは世界の紛争地を取材するジャーナリストで、オスマン帝国軍によるアルメニア人虐殺を世界に向けて報道する。アナとクリスの信じる自由、平等、正義を語る結びつきは強い。そのアナの自由でしなやかな強さや、孤児たちへの献身的な態度に魅かれる、田舎出の医学生ミカエルが、アルメニア人迫害の嵐の中でアナと結ばれる。しかしアナを愛しながらも、義父との「約束」のために約束通りに結婚をし、子供をもうける。彼はアナと再会したときに偽らずに事実を伝える。隠れて、ひとりきりで悲嘆にくれるアナを見つめるクリスの苦渋にみちた姿。哀しい三角関係だ。ドラマテイックな背景に、もがき苦しむ3人の男女、、、これこそがメロドラマの骨頂です。それを美形のクリスチャン ベイルが演じるので、観ないわけにはいかない。いつも戦争映画を観るときは、このような状況に自分が居たら、自分に何ができるかと、考える。そのために観る。

昨日まで仲の良かったお隣さんが、戦争が勃発したとたんに敵となり、憎みながら殺し合うようになる、偽政者による民心操作の恐ろしさ。多民族への敵対心をあおることによって、愛国心を培養しようとする。時の権力者が、敵でもなかった人々を敵であるかのように発言し始めるとき。注意しなければならない。本当は敵なのか。他民族同士が憎しみ合い戦争が起こると、誰が得をするのか。権力者のうしろに誰がかくれているのか。目をそらしてはいけない、と改めて思う。

2017年6月28日水曜日

映画「ドッグ パーパス」と犬の話

自分がもっていた犬の話を始めたら止まらない。
沖縄で生まれ我が家に来て、フィリピンで9年一緒に暮らした犬のことだ。ボーダーコリーとジャーマンセパードのミックスだったと思う。
救急車がサイレンを鳴らしながら走ってくると、急に真面目な顔つきになって、前足をそろえ姿勢を正して、空に向かってアオーンと共鳴して鳴く。大真面目な顔で、サイレンが聴こえなくなるまで それを繰り返す。子供達と真似をして月に向かってアオーンと吠えて面白がったものだ。音感に優れた犬だった。

雷が大嫌いで、ある日家のすぐ近くに雷が落ちた。その日は娘たちの通うインターナショナルスクールで演奏会があり演奏したので、ジョーゼットのドレスにピンヒール。帰ってみると犬が居ない。真夜中、大雨のなかをずぶ濡れで狂ったように走り回って犬を探した。やっと見つけたのが、引っ越し前に住んでいた家の玄関先で、震えている姿だった。門から玄関まで10メートル。呼んでも走ってこない。仕方がないので門をよじ登って、腰が抜けて立てなくなっている大型犬を抱きかかえ、また門をよじ登って帰って来た。自然の神秘を畏怖する、気持ちの優しい犬だった。

石造りの床は冷たくて、夏は腹這いになって玄関で寝そべっていると、半開きのドアから涼風が入ってきて気持ちが良い。犬がウトウトしていたところ、6歳になったばかりのバイオリンの生徒が威勢よくドアをバシンと広げて入って来た。ドアが眠っていた犬の頭にぶつかり犬は寝込みを襲われて、思わず女の子の腹を噛んだ。女の子の悲鳴で大騒ぎ。彼女は米国大使館に勤務するの軍人の一人娘。制服に制帽をかぶった運転手つき黒塗りのベンツで、家にバイオリンを習いに来ていた。やわらかいおなかにしっかり噛み跡がついている。生徒の両親に電話をして急遽家に帰す。私は家じゅうの書類をひっくり返して狂犬病予防注射の証明書やワクチン証明書をつかんで別の車で後を追う。彼女のでかい屋敷に着いたとき、軍服姿の父親と、手術着を着た医師の怖い顔が待ち受けていた。日米開戦か。
私の命も犬の命もこれまでか、と覚悟した。女の子を母親に、「犬って野獣なんですね。ライオンと同じにまずオナカを裂いて内臓から食べて殺すんですね。」などと言われて身の置き所もない。これほど恐縮したことはない。幸い、日米開戦は避けられて、傷に深い皮膚の裂傷はなく、氷で冷やしただけで良くなって、しばらくすると女の子は何事もなかったようにレッスンに来るようになった。犬はジャーマンセパードの血が入っているから見事な歯並びをしている。前の2本の牙はほれぼれするほど長く、奥歯はギザギザで、本気で噛んだら腕の一本位簡単に食いちぎることができる。勇敢で美しい犬だった。
犬の話になると、すべてのエピソードが自慢話になってしまって、止められない。
と いうわけで、犬の映画を観た。

原題:「DOG PURPOSE」
監督:ラッセ ハルストン             
原作:ブルース カメロンの同名の小説
キャスト
ジョシュ ガッド : ベイリーの声
デニス クエイド : イーサン
ジュリエット ライランス: イーサンの母
ペギー リプトン : ハンナ
ルーク キーブイ : イーサンの父

ストーリーは
アメリカ東部の小さな街。1960年代
この映画のナレーターは、ベイリー。ゴールデンレトリバーの子犬で、彼の独り言がナレーションになって物語が展開する。「吾輩は猫である」の犬版だ。
野犬狩りから逃れてきた子犬のベイリーは、ごみ収集車の男に捕えられ、暑い夏の車の中に放置されて脱水で死にかけていた。そこを通りかかった少年に救命される。少年イーサンは、一人っ子。夫婦仲のあまり良くない両親に間で、イーサンとベイリーは喜怒哀楽を共にしながら、一緒に成長する。やがて父親は母親に暴力を奮うようになり、家を出て行き、イーサンにはガールフレンドができる。彼はアメリカンフットボールで花形選手となり、あこがれのミシガン州立大学に奨学金つき特待生として進学できることになった。ガールフレンドのハンナも奨学金を得て、一緒に進学できる。沢山の街の人に祝福されて幸せいっぱいの夜、それを羨んだ同級生に、花火を家に放り込まれて、家が全焼してしまった。ベイリーの大活躍によって家族の命は助かるが、イーサンは、崩れ落ちてきた屋根で足に大怪我を負う。イーサンは、家も、スポーツ特待生の資格も、大学進学の夢も、ガールフレンドも失った。

イーサンと母親は、祖父母の住む田舎の農場に身を寄せた。そしてイーサンは足の傷が癒えると地元の農業学校に行くことになった。肩を落として寄宿舎に向かうイーサンを、ベイリーはどこまでも追っていき、見送った。イーサンの居ない静かな農場でベイリーは年をとり亡くなる。

ベイリーの好奇心旺盛で、主人の為に役立ちたいという気持ちが強いため、ベイリーはその後4回も生まれ変わって、この世に帰って来る。
次のベイリーは、ジャーマンセパードとして生まれて来て、プエルトリコの警察官を主人に、k-ナインとして活躍する。何度も表彰されて活躍するが、誘拐犯にあっけなく撃ち殺される。

次の生まれ変わりは、コーギー犬で、飼い主は陽気なアフリカンアメリカンの女子大学生。一緒にピザとアイスクリームを分け合い、彼女が結婚したあとは、たくさんの子供達と愉快で賑やかな生活を楽しみ命を全うする。

最後はセントバーナード犬のミックス。貧しい夫婦に引き取られ、ずっと子犬時代は鎖につながれて運動もできない惨めな生活だったが、棄てられて放浪するうちに、ある日懐かしい匂いをかぐ。そう、それはイーサンが身を寄せていたおじいさんの農場だった。イーサンが居る。ベイリーは、年を取ったイーサンの胸にむかって飛んでいった。イーサンは、肩を落として放火で何もかも失ったときのままだ。わびしい一人暮らし。いつまでも鬱病じゃないだろう。ベイリーには、しなければならないことがある。農場に来る途中、公園でイーサンの恋人だったハンナの匂いをかいだのだ。迷わずベイリーはハンナを探し出して近付いて行く。すっかり年を取ったハンナは、ベイリーの名札を見て驚く。ハンナは半信半疑でベイリーを連れてイーサンの住む農場を訪ねて行く。 二人は数十年ぶりに再会する。嫌いで別れたわけではない。二人は再会して未だに、互いに魅かれ合っていることに気がつく。ベイリーの引き合わせによって、二人は結婚する。
やっと戻るべきところに、すべてが戻ってほっとするベイリー。イーサンは姿かたちも違う、この犬がベイリーの生まれ変わりだったのだということに気付くのだった。
という心温まるお話。

人と犬との結びつきが、よく表現されていて誰もが自分の犬を思い出して、ホロリとする様な映画。だからかもう4か月も劇場公開が続いている。見ようと思っていて見逃して諦めていたが、まだやっていて子供連れの家族やカップルで劇場がいっぱいだったので驚いた。

犬が動物の中で特別なのは、人の喜びを犬が自分の喜びとして捉え共感できる唯一の動物だからだ。嬉しい時、犬も一緒に飛び跳ねてくれて、悲しいときは一緒に嘆いてくれる。これは科学で証明されている。飼い主と犬が、同じ画面を見ながら脳波や断層撮影で脳の動きを調べてみると飼い主が嬉しくて活発な反応を示す脳の場所と同じ脳の反応を犬も見せる。犬はいつも飼い主の気持ちを知りたいと望み、飼い主の一番の理解者でありたいと思っているのだ。

癌末期の痛みの緩和にも犬の存在が効果をみせる。モルヒネで鎮痛効果の見られなくなった患者が犬が横にいてくれるだけで痛みが緩和された報告が沢山出ていて、実験的にホスピスなどで使われている。
痛みは科学的に計測することができない。どこか痛くて医者に行くと我慢できない痛みを10とすると、いまの痛みはいくつくらいですか、とよく聞かれるだろう。たいがいの患者は5か、6くらい、と答える。このような曖昧な痛みは、多分に心理的な影響によるもので、将来への不安や金銭的な心配がなくなり、検査で痛みの原因と解決方法がわかると、それだけで痛みが消失することが多い。一方、癌末期の痛みは、その進行によって鎮痛剤を増していくことになる。多くの場合モルヒネを連用して人は眠りながら死ぬ。しかし愛犬の鎮痛効果が効けば眠ってしまわずに最後まで自分を失わずに死ねる。犬は主人が辛い時共に痛みに共感を示すことができる。言葉をもたない犬だからこそ人に痛みを理論や科学や社会状況や財政状況や様々な問題を越えて、自分のものとして感じてくれる犬の存在が痛みの緩和に効果を示す。

また犬は人間生活の中で、時として家族の家長的役割を果たそうとして、外敵から家族を守ろうとする。自分より弱いものを守ろうとして、人助けを喜んでする犬の姿は神々しい。時として家長になり、時として育児係りを務めてくれる。手加減を知らない幼児が犬を掴んだり、体の上に乗ったり、踏みつけたりしても、それが主人の子供だったら驚くほどの辛抱強さで我慢して子供たちの世話係りとしての務めを果たしてくれる。

本当のことを言えば、犬を持って良い事ばかりじゃない。子犬のときのやんちゃぶりは手加減なしだ。家具はズタズタ ボロボロになるし、他人に迷惑をかけて謝罪してばかりいなければならない。映画に出てくるほど 良い事ばかりじゃない。それでも人は犬を、犬は人を必要とする。それは「人を散歩させてやってるときの犬」の満足そうな、鷹揚で理解のある顔をみれば、よくわかることだ。

2017年6月12日月曜日

女王陛下の誕生日

            
人は一度きり生まれてくるだけだが、これほど沢山の誕生日を持った人も他に居ないだろう。
英国の女王陛下のことだ。彼女は今だに、オーストラリアやニュージーランドなどの国家元首でもある。
私が住むシドニーでは,クイーンズバースデイは、6月12日だが、これはニューサウスウェルス州と、メルボルンのあるヴィクトリア州と、タスマニアの3’州だけで、この3州では、毎年6月の第2月曜日を誕生日と決めて祝日となっている。
パースのある西オーストラリア州は9月25日、ゴールドコーストやブリズベンのあるクイーンズランド州は10月2日が彼女の誕生日とされている。
           
彼女が生まれたのは、1926年4月21日、今年で91歳になった。キングジョージ6世の死にともなって1952年に女王となり歴代最長の期間、女王として君臨し、未だ引退の様子もみせない。

本場英国では、女王の誕生日は6月第2土曜日になる。カナダでは5月25日前の最終月曜日が、クイーンヴィクトリア女王の誕生日で祝日だったので、この日と、現在の女王の誕生日6月14日の両日を祝日として祝う。
フイ―ジ―では、6月第1月曜日が誕生日と決まっている。パブアニューギニアと、ソロモンアイランドでは、6月第2月曜日、ツバルでは6月第2土曜日がクイーンバースデイ。南アメリカのパタゴニア沿岸にある英国領、フォークアイランドでは4月21日が誕生日で祝日。オーストラリアとニュージーランドとニューカレドニアの間にあるノーフォークアイランドでは、6月第2土曜日が誕生日となっている。やれやれ(溜息)。


この日はシドニーでは、主要道路が封鎖されて車が締め出され、ロイヤルミリタリーアカデミーが正装してパレードをするので、沿道を国旗を持った人々や、単に物見高い人々が集まってきてお祝いをしたりする。式典では、その年に活躍した人々に栄誉賞が授与される。
この祭日は、ボランテイアデイともいわれ、どうせ休みだし、することがないから、各地でゴミ拾いや、ホームレスのために炊き出しなどの活動で休日を過ごす人も多い。

午後からはAFL (オーストラリアルールフットボール)の試合がメルボルンクリケットグラウンドで行われる。コリンウッド マグパイとメルボルンン デイモンズが戦うが、これは1856年からずっと行われてきた恒例の試合だ。10万人くらいの人が観戦に来るが、その何十倍の人が、昼からパブでビールをのみながら、テレビ観戦することになっている。

今年はクイーンズバースデイの栄誉賞に900人の人々が選ばれて表彰された。沢山の科学者、文学者、舞踏家、ボランテイア、など様々な分野で活動してきた人が選ばれる。目立ったのは、カンタス航空会社CEOのアラン ジョイスとか、麻薬をバリ島に持ち込んでインドネシアで死刑になった2人のオージー青年の主任弁護士だったジュリアン マホン弁護士。
26年間 アボリジニーのダンサーを育成し、バランガラダンスという組織を監督してきたアボリジニのステファン ペイジ。彼は「ブラック アクテイビスト」として、女王の誕生日の栄誉など受け取らないつもりでいたが、年長者アボリジニ長老たちに説得されて、受け取ることにした、という。活動を認められ、受賞を切っ掛けに沢山の人に見に来てもらうことが大切だからだ。アボリジニの伝統的なダンスだけでなく、白人文化だったバレエを大きく飛び越えた素晴らしい現代的な躍動感いっぱいのダンスは、目をみはる。若いダンサーたちの美しい体の動きには誠に心を打たれる。

女優のケイト ブランシェットも受賞した。彼女はシドニーシアターカンパニーを夫とともに率いて、どんなにロンドンやハリウッドで’活躍していて、仕事をオファーされてもオーストラリアから離れない。パース生まれの謙虚な舞台俳優だ。「THE AVIATOR」でアカデミー賞助演女優賞、ウッデイ アレン監督の「ブルージャスミン」でアカデミー賞主演女優賞を獲得した。気候変動、環境問題の活動家でもあり、難民救済活動家でもある。この女優がとても好きだ。

「勲章」で父のことを、思い出した。父が名誉教授になった年、国から勲章が出るので、受け取るか、と問い合わせて来た。父は、「国が何かをくれるから取りに来い、とは何事か。」と言って怒って断った。早くから実の父親を失くして、その弟の大内兵衛が父親代わりだった。でも断った後で、勲章にはルビーが付いていると聞いて、私が冗談に「どうしてルビーだけもらって、指輪にしてくれなかったの?」と言った時の あわてた父の顔が忘れられない。私の指輪のために、今から勲章を受け取ると、言い直せるだろうか、、と本気で父は慌てたのだった。今でも思い出すと笑ってしまう。

さて、女王の誕生日。休日で電車やバスは間引き運転、休みのカフェやレストランも多い。休日に運転違反をすると2倍の違反切符を取られる。先日混んだ道路で、信号が黄色になったが、大丈夫だと思って右折しきったら、写真をとられていて届いた罰金が520ドル。休日に同じことが起こったら、倍の1040ドル、、、10万円ですぜ。怖くてどこにも出かけられない!

2017年5月3日水曜日

スーマーの「泥水は揺れる」


     


弾き語りミュージシャンのスーマーが最新作、旧作の二つのCDを、シドニーに住む私と娘に送ってくれた。20年、マイクを通さず自分の声が届く範囲の場所で、聴きに来る人だけのために語り弾きしてこられた方。
ファーストアルバムは、「ミンストレル」(吟遊詩人)。2012年にオットのブルースと日本旅行をしたときに、ライブを聴きに行った。手の届くほどの距離で歌ってくれるスーマーを、ブルースは、いいね いいね、と喜んで聴き入って、ふところの深いスーマーの人柄とともにファンになった。

このとき一緒にライブを聴いた私の若い友人夫婦は、新婚旅行から帰ったばかりだったので、彼らのためにスーマーは、お祝いの歌を歌ってくれた。よく響く、よく通る声でたくさんの自作の唄を歌ってくれて、本当に楽しい夜だった。
シドニーに戻って、CDが送られてきたので、車でいつも聴いていた。エンジンがかかるとスーマーが歌い出す、ブルースは週に3日腎臓透析のために病院に往復する。その1時間半のあいだ私達は、いつもスーマーの歌を拍子はずれにハミングして、スーマーと一緒だった。

「ミンストレル」に収録されている曲のうち、「人生いきあたりばったり」を始めとする5曲が、映画「深夜食堂」の中で使われている。
新しいアルバム「泥水は揺れる」は、前作同様、桜井芳樹がプロデュース。でも音にこだわりのある「アナログ盤」で作られた。シドニーのどこに行ったら旧型ステレオやレコード針が手に入るのか、皆目わからない。あきらめていたら、後からCDが作られてスーマーが送ってくれた。ほとんどの曲が スーマーの作詞作曲。

「泥水は揺れる」は、CDのカバーから、中の12曲のひとつひとつの曲ごとに劇画作家エルド吉永のイラストが入っている。その絵は実に曲想によく合っていて、優れた芸術作品に仕上がっている。エルド吉永は、大量出版に抗し、こだわる寡黙な劇画作家。言葉に拘るスーマーと、絵に拘る作家のコーポレーションは大成功。

スーマーはギターを弾くのも、4弦バンジョーを弾くにもピックを使わない。初めてそれを知ったとき思わず彼の手指を触って見ずにはいられなかった。年がら年中強く弦を張ったフィンガ―ボードに指を走らせ、それをつま弾く弦楽奏者の指が、どれほど硬くなってタコができているか見てみたが、予想に反して柔らかい指なのに驚いた。なるほど。ピックを使わない分だけ人の血の通ったやわらかい音を出しているのか。

全曲バックミュージックの方々、ドラム、ピアノ、コントラバス、トランペット、マンドリン、電子オルガン,リコーダなど、デイュオの女性シンガーも含めて、極端に控えめ。そのためスーマーの声が引き立つ。素敵な仲間たちに囲まれているスーマーの様子が見えてくるようだ。聴いていると、自分を飾らない、表裏のない誠実な、心のあたたかい人が歌っているということが伝わってくる。

何度も何度もオットは死にかけて、今はもう自力で歩けなくなり、視力もほぼ盲目同然になった。24時間ケア付きの施設に入所し、腎臓透析には病院付きの救急車で送迎してもらうようになった。言葉もなかなか出てこない。勘違いが多くなった。
人間の5感のなかで、聴覚が一番最後まで残ると言われている。視覚、触覚、嗅覚、味覚がわからなくなり、認識障害が出て来ても、耳だけは人は最後まで聞こえる。

私に余力のあるときは、できるだけオットを家に連れて帰ったり、ドライブに連れ出している。そんなとき車の中で鳴っているのはスーマーの歌だ。ブルースの一生は病気がちで喜びの少ない人生だった。今になって2回ほど日本旅行できたことが、一番良い思い出だったという。スーマーはブルースの喜びに華を添えてくれた。車の中で、ブルースは本当に嬉しそうに拍子をとって聴いている。
ありがとう。
スーマー。

2017年4月16日日曜日

映画 「ヒットラーの忘れもの」

原題:「UNDER SANDET」(砂浜の下)(UNDER THE SAND)
英題:「LAND  OF  MINE」(地雷の土地)
邦題:「ヒットラーの忘れ物」
デンマーク、ドイツ合作映画             
今年度アカデミー外国語賞候補作
監督:マーチン サンフレット
キャスト
ローラン モラー :ラスムサン軍曹
ミケル フォルスガード :エベ大尉
ルイス ホフマン : セバスチャン
ヘルムート モーバッハ:ジョエル
アーネスト レスナー:エミル
ウェルナーレスナー :オスカー

背景
デンマークは現在でもマルグレーデ2世女王が国家元首の立憲君主国家だが、彼女の祖父クリスチャン10世国王の頃、第2次世界大戦では隣国、ナチスドイツに突然先制布告され、戦わずして降伏し、ドイツ軍に侵略された。デンマーク人の中には、志願してドイツ軍に加わる人もいたが、反ナチ活動家となって、レジスタンスの場を提供する者も多かった。駐米大使ヘンリス カウフマンの働きで連合国に接近し、土地をドイツに侵略されながらも連合国扱いされた。
戦争末期、ヨーロッパ戦線の連合軍はフランス、ノルマンデイー上陸を果たし、ドイツ軍を敗退させる。ドイツ軍はノルマンデイーではなく、輸送路が一番短いフランスのカレから、連合軍が侵攻すると考えていた。また同時に、デンマークの西北部の海岸から連合軍が侵攻することも考えていて、阻止するために大量の地雷で、西海岸埋めつくした。

1945年5月、終戦とともにデンマークに進駐していたドイツ軍兵士は捕虜となる。対戦国どうしの捕虜の扱いについては、国際条約ハーグ陸戦条約の規定があるが、ドイツ、デンマーク間は、交戦国ではないため、捕虜虐待禁止や、捕虜の強制労働禁止などの捕虜の扱いに特定の取り決めはなかった。ドイツ軍捕虜たちはデンマーク軍に引き渡され、200万個のドイツ軍が埋めた西海岸の地雷を除去する作業を強制された。従事した捕虜の多くは、戦争末期に非常徴集させられた兵役年齢に達していないテイーンエイジャーだった。

デンマーク人映画監督のマーチン サンドフリットは、地雷撤去に関心があって調べている内に、西海岸に大量のドイツ軍兵士の墓を見つける。どうしてデンマークの海岸沿いで終戦後なのに沢山のドイツ兵が死亡しているのか。調査の結果彼はドイツ軍が埋めた地雷を撤去するためにドイツ軍捕虜が使われた事実を知って、今まで語られることのなかった隠れた歴史を映画にしようと思い至ったという。
映画は、捕虜となったドイツ兵たちが行進してくる。その姿を見て怒りで鼻息荒くなった、ラスムサン軍曹の荒い呼吸音から始まる。

ストーリーは
ラスムサン軍曹は自分の国を侵略していたドイツ軍への怒りを抑えることができない。行進してくる捕虜の中にドイツ国旗を持っている兵を見つけると、飛んでいってぶちのめす。捕虜虐待とか、捕虜の人権とか言ってる場合じゃない。憎きドイツ兵をみて怒り心頭、絶対許せない。彼は12人の捕虜を任された。捕虜たちは、地雷を撤去する作業について訓練を受けた。この12人を生かそうが、殺そうがラスムッセン軍曹次第。3か月で砂浜に埋まった45000個の地雷を撤去してもらおうじゃないか。もともとドイツ兵が埋めた地雷、素手で掘り返して自分の国に持って帰ってくれ。

12人の少年たちは、列を作って砂浜で腹這いになって、棒で砂をつつく。棒に何か当たれば掘り返し、地雷を砂からかき出して信管を抜く。彼らは砂浜での作業以外は、鍵つきの小屋に閉じ込められて、食糧を与えられていない。たまりかねて捕虜の中でリーダー格のセバスチャンが、ラスムサン軍曹に食糧の配給を懇願する。砂浜は、僕たち餓死者で埋まってしまうだろう と。地雷が爆発して、一人の少年の両腕が飛んだ末、死亡した。
軍曹は、少年たちに食糧を配給する。それを見て、エベ大尉は批判的だ。どうして敵に少ない食料を分けなければならないのか。
二人目の被害者が爆破して死んだ。少年たちは空腹に耐えかねて、小屋を抜け出して農家から盗み出したネズミ捕りを知らずに食べ物と思って食べた。軍曹は食べた少年たちに海水を飲ませ、吐しゃさせて救命する。

3人目の被害者は双子の兄だった。弟は錯乱状態になって兄を探そうとする。軍曹は彼にモルヒネを打って鎮まらせ、眠るまで一緒についていてやる。鬼軍曹にも、徐々に少年たちへの優しい感情が芽生えてきている。
基地に出向いたときに、他の隊員達がドイツ兵捕虜に暴力をふるい土下座させたうえ放尿して面白がっている姿をみて、軍曹は虐められている二人の少年を貰い受けてくる。そして今の仕事が終われば国に帰れると、少年たちに約束する。

しかしラスマセン軍曹の大切にしていた唯一の友だった犬が、地雷撤去したはずの浜辺で、地雷を踏んで死んだ。一度は少年たちの父親の様に接し始めていた鬼軍曹は再び態度を硬化する。
そんな矢先、ジープの荷台に集めた数百の地雷を積み込んでいる最中、地雷が大爆発を起こして砂浜にいた4人を除いて全員が死亡する。爆発は強力で、車の残骸さえ残らなかった。残った4人は任務を完了する。終了後は放免されることを約束されていた捕虜たちだったが、地雷除去の熟練者を、軍は放免しない。ラスマセン軍曹の居ないうちに、エベ大尉らは4人の少年を別の地雷撤去の現場に連れ去ってしまう。セバスチャンら4人の捕虜たちは、約束された放免の日のために希望をつないで生きてきたが、ラスマセン軍曹に裏切られたと思い絶望する。

4人は作業の途中で呼ばれて、フードのかかったトラックに乗せられる。どこに行くのか、長いドライブのあとで外に出るように命令された少年たちは、希望を失い仮面のようになった顔で外に出ると、そこに立っていたのはラスマセン軍曹だった。500メートル先はドイツ領だ。走れ、立ち去れ。さっさと帰れ、、、。半信半疑の4人の少年たちは、軍曹の姿を振り返り、振り返りしながら走り去った。
というお話。
鼻息荒く怒っているラスマセン軍曹の顔で始まり、彼の満身の笑顔で映画が終わる。

国境にはデンマーク軍が居るだろう。4人の少年たちが無事に故国に帰れるかどうか疑わしい。軍規に逆らったラスマセン軍曹に待っているのは軍法会議か、厳しい罰則か、全くわからない。映画を観ているものとしては、すべて戦争直後のどさくさの紛れて、なんとかみんな生き延びて欲しいと、切ない希望を託すことができるだけだ。

強力な反戦映画。
砂浜が美しい。地雷撤去したあとの砂浜をはしゃいで走り回る少年たちの姿が、空を舞う天使たちのように美しい。

200万個の地雷。それを撤去するために従事させられた2000人の捕虜たちの映画。まだ兵役年齢に達していない戦争末期に徴発された、貧弱な体をもって腹をすかせた少年たちの姿が哀しい。
ラスマサン軍曹の犬がすごく良い。賢いボーダーコリー。ジープに乗る時も、歩くときもこの犬はいつも軍曹と一緒だ。軍曹が休んでいるとき、犬は幸せそうに全身の重さを軍曹にもたせかけている。演技とは思えない。

ラスマセン軍曹の表情の変化が甚だしい。怒りをたぎらせる鬼軍曹が、少年たちの仲間をかばい合う姿や、いつか家に帰れるという希望を失わず与えられた仕事に励む姿をみて、徐々に硬い表情が緩んでいく。彼とセバスチャンとの会話シーンなど、本当の父と息子のような空気が醸し出されていて、胸を打つ。双子の兄を失った後のエミールが哀しい。兄のオスカーは爆発で肉片さえも吹き飛ばされて何も残らなかった。兄を探して早く見つけ出して家に帰り、父親を助けてレンガを積む仕事をするんだ、と話すのを聞いてエミールが寝付くまで横について居る軍曹の限りなく優しい目。
人間はどんなに憎しみを持っていても、いつまでも鬼ではいられない。ともに飯を食い、同じ空気を呼吸し、同じ光景を見ていれば、人は人を赦すことができる。人は赦す心なしに生きることはできない。

しかし、兵器産業は武器を作り続ける。武器を売るために戦争を作り出している。
地雷ひとつ作るための経費:3ドル
地雷一つ撤去するために必要な経費:200-1000ドル
それでも毎日毎日地雷を作り続ける兵器産業。
米国、ロシア、中国は対人地雷全面禁止条約に署名しようとしない。

カンボジアには米軍が落した600万個の地雷がある。ラオスには、ホーチミンルート補給線をつぶすために米軍が200万トン、8000万発の爆弾を投下し、その30%が不発弾だったため、沢山の地雷撤去ボランテイア組織の活躍にもかかわらず、いまも人々が死んでいる。べtナム戦争は1975年に終了などしていないのだ。
どんな戦争もあってはならないし、起こってはならない。
良い反戦映画は、いつも私達に、自分はどう生きるのかを問いかけてくれる。

最後に「ヒットラーの忘れ物」というタイトルは変。原題はデンマーク語だが、直訳すると「砂の下」、英語の題名は「LAND OF MINE」で「地雷の土地」。どうしてこのまま直訳をタイトルにしなかったのか。忘れ物という言葉は、なにか、間の抜けた「母さん、忘れものだよー。」とか、母親が子供に「忘れ物ない?」と登校前の子に怖い顔で問い質すときなどに常用される言葉で、すぐれた映画のタイトルに合わない。

これまでにも、珍妙なタイトルが多くて、それごとにしつこく文句を言ってきたが、ブログに映画評を書いたので、思い出すだけでもいくつもの映画の例がある。
1)「優しい本泥棒」:「BOOK THIEF」という映画なので、本泥棒で良い。優しい がついて、やさしくて容易いのは泥棒だと言っているのか、泥棒が本だけ持って行ったから優しいのか、本泥棒はみんな優しい人なのか、、、理解不能。ナチによる出版弾圧、思想弾圧、梵書を描いたすぐれた反戦映画なので変なタイトルをつけないで下さい。
2)「ミケランジェロプロジェクト」:「MONUMENT MEN」モニュメント マンと呼ばれた人々が欧米では良く知られていて、ナチが奪った芸術品を取り戻した話なので、そのままのタイトルで良い。ミケランジェロプロジェクトという新語はないし、通じない。
3)「それでも夜が明ける」:「12YEARS SLAVE」苦しくても、夜が明けてハッピーエンドになると、初めからわかっている映画など人は見たくない。12年間奴隷にされた理不尽な人の、本当の話なので、はじめから結果がわかるようなタイトルはつけないで欲しい。
4)「戦禍に光を求めて」:「WATER DIVINER」ウォーターデヴァイナーという水脈を探し出す人で、この言葉は砂漠や荒れ地に住む人しか知らないかもしれないけど、激戦地トルコのガリポリを題材にした反戦映画。大好きな映画なので、奇妙な題をつけられて悲しい。戦禍に光なんかない。
映画の翻訳者には、どんな権限があるのだろう。映画の内容に合わない奇妙な邦題をつけるのは、止めて欲しい。映画監督に失礼ではないか。タイトルまで含めて監督は映画を作る。勝手に翻訳者のセンスでタイトルを「翻訳」してしまって良いのだろうか。これって芸術破壊ではないか。
「ヒットラーの忘れもの」タイトルは悪いが、映画は素晴らしい。見る価値がある。




2017年4月9日日曜日

映画「鷹狩の少女」イーグル ハントレス

                         

原題:「EAGLE HUNTRESS」
イギリス、モンゴル、アメリカ合作ドキュメンタリーフイルム
言語:カザフ語
監督:オット― ベル
アカデミー賞ベストドキュメンタリー賞ノミネート作品

モンゴル国、カザフ族
12世代に渡って鷹狩の名人と言われてきた家系に生まれた13歳の少女、アイショルパンが鷹狩のハンターになるまでのドキュメンタリーフイルム。

鷹狩は紀元前3000年のころから中央アジア、モンゴル高原で行われていた。厳冬期に必要な蛋白源である小動物を取るための生活の知恵だったものが、中国、ヨーロッパに伝えられると、それが全く異なる目的に使われた。神聖ローマ帝国では、鷹を持つことが権威の象徴になって、皇帝たちに愛された。
日本ではすでに古墳時代の埴輪に、手に鷹を乗せた埴輪が発掘されている。日本書紀では、仁徳天皇が鷹狩に興じている記録もある。鷹狩には資金も広い土地も人材も必要なため、天皇を中心としたわずかな特権階級の贅沢な遊びとして広まった。鷹を訓練するための広大な土地に、一般人は出入りを禁じられていた。織田信長や、徳川家康が大の鷹狩愛好家で、諸国の武将らが競って鷹を献上した話は有名だ。鷹は朝鮮半島で捕獲されたものが一番上等な鷹と認定されて高額で取引されていた。

明治維新後にも鷹狩は天皇家の娯楽として継承されてきた。第二次世界大戦後になって、ようやく宮内庁によって実猟は中止されるようになった。敗戦後の国民生活の惨状を思えば、当然のことだが、昭和天皇の時代まで鷹狩が皇室の特権的娯楽だったとは、驚きだ。しかし現在もまだイギリス皇室では、伝統的「キツネ狩り」が、様々な動物保護組織からどんなに批判されても、平気で毎年続行されていることを思えば、皇室の常識外れは世界でも普通のことなのかもしれない。

ところで、本場の本当の鷹狩の話だ。
モンゴルは国土の80%は草原地、そこで遊牧と畜産が行われている。鷹狩は、標高4300メートルのアルタイ山脈、モンゴルとカザフスタンとキリギス共和国の国境地帯に伝わる伝統的な狩猟だ。共産主義時代に多くのカザフスタン人がモンゴルに逃げて来てアルタイ山脈のふもとに定住した。カザフ族はモンゴル国民の4%を占める少数民族で、多くはイスラム教徒だ。これらの人々は、厳冬期マイナス40度にも気温が下がり、土地が雪に覆われる間、タンパク質源となる小動物を狩り、栄養補給しなければならなかった。その方法として鷹を飼い慣らし鷹を使って狩りをする伝統、習慣が継承されてきた。羽を広げると2メートルを超える雌のゴールデンイーグル(イヌワシ)を使い、ウサギやオオカミを捕獲する。

ドキュメンタリーは、男が片手に大きな鷹を止まらせて、残った手で器用に馬を繰りながら黙々と山を登っていくシーンで始まる。馬の背には生きた子羊が括り付けられている。小高い山の頂上に着くと、男は山の神々に祈りをささげ、子羊を殺して皮を剥ぐ。一頭の子羊が丸ごと鷹に与えられる。鷹を山に帰すのだ。長年、家族の一員だった鷹を、男は愛情をこめて撫でさすり、紐を解く。鷹は空高く舞い上がり、羊の肉をついばんでは、羽ばたいて空を飛ぶ。男は再び馬に乗り、振り返り振り返りしながら山を下りて行く。鷹が空に円を描いて、するどくケックエと短く鳴く。情景が詩になっている。美しいシーンだ。

13歳のアイショルパンは長女で、父親の手伝いをするうち、自分でも自分の鷹をもって、狩りに行きたいと願うようになり、父親から鷹の扱い方の手ほどきを受ける。伝統的に鷹狩は男の世界だったから、少女が鷹を持つことに反対する長老たちは多かった。女にできるわけがない、と言われていることごとを彼女は実際にやってみて、自分の可能性を証明しなければならない。
まず鷹を捕獲する。父親の体を結わえてあるロープの片端を腰につけ、山の頂上からザイルで崖を下りていく。崖の中腹に鷹の巣がある。生後数か月で、まだ飛べない鷹の子供を捕獲し、家で寝食を共にして、鷹との信頼関係が培う。鷹は、どこにでも付いてきて、馬上のアイショルパンの腕に安定して乗っていられるようになった。父親は年に一度の鷹祭りに、アイショルパンを出場させることを決意する。

アルタイ山脈のふもと、ウルギイの街では毎年鷹祭りが開催される。各地から選りすぐりの鷹狩の名手が集まってきて、沢山の見物客や観光客の前でその技術を競う。厳重な審査員の前で自分の鷹が、いかに忠実で優秀な狩猟をするか、を名手たちは見せなければならない。世界でも珍しい伝統的な鷹狩を競う祭りとあって、たくさんの人々が集まってきている。鷹の中には、いつもと違う空気のなかで、トチ狂って自分の主人でない人に腕に停まったり、空に飛んでいってそのまま帰って来なかったりする鷹も居る。100組ちかくの鷹狩が集まっていて、少女の鷹狩の登場に困惑している。様々の競技が展開されるなかで、スピード競技が始まった。アイショルパンの鷹が最短時間で彼女の呼びかけに答えて帰って来た。鷹祭り初出場で再年少、しかも女性の候補者が優勝した。女性の登場に快く思っていない候補者たちも、彼女の能力を認めないわけにいかなくなった。アイショルパンのこぼれるような笑顔。

祭りが終わり、本格的な冬が訪れる。アイショルパンは、父親について、厳冬期の山に入る。初めての狩猟だ。二人は数か月の予定で、それぞれの鷹を腕に乗せ、馬で山を越え、凍った湖を越え、獲物を追う。狩りが初めての鷹には、獲物を追い詰めても、死に物狂いで抵抗する狐を鷹は殺すことができない。幾度もの失敗を重ねて、遂にアリショルパンの鷹はキツネを仕留めることができた。アイショルパンは、もう一人前の鷹狩だ。
というお話。

アルタイ山脈とモンゴルの草原が、どこまでも広がっていて美しい。夏には、ゲルと呼ばれる移動式テントを張り、羊たちを山の緑の多い草原に移動させる。足腰の強い馬を自由に操るモンゴル遊牧民たちの、顔に刻まれた深い皺。羊たちの出産を手伝い、弱い子羊を家の中で育てる子供達。短い夏が過ぎると、テントをたたんで、山を下り、堅固に作られた石造りの家に、羊たちと共に戻って来る。家の中での調理、働き者の母親。家族の密接な結びつき、徹底した家長制度。鷹狩の名人の父親について回るアイショルパンの嬉々とした様子。ひび割れたあかぎれのある手にやっと手に入れたマヌキュアを懸命に塗るアイショルパンの表情をカメラは逃さない。

草原の騎馬民族、遊牧民族の人々の暮らしが、美しい絵のようだ。カジフスタン語による父娘の短い会話も印象的だ。馬にまたがり、片手を高く鷹のために掲げたままの姿勢で、片手だけで馬を繰る父娘の勇壮な姿は感動的だ。
椎名誠による映画「白い馬」も秀逸な映画だった。彼はモンゴルの人々が馬と共生する姿に心を奪われて、現地に何年も通い詰めた末、彼の映画を作った。全編が会話の極端に少ない抒情詩になっている。モンゴル騎馬民族の競馬競技を競う迫力あるシーン、短い夏を楽しむ人々を見ていると、広大な草原を走る風を感じることができる。

鷹狩の映画撮影チームは、数年にわたってアイショルパンの家族の生活に密着してドキュメンタリーフイルムを作成した。このフイルムはハンプトン映画祭でベストドキュメンタリー賞を獲得し、アカデミー賞でもドキュメンタリー部門にノミネートされた。賞金と映画上映で得られた収益すべては、アイショルパンの教育費となって、彼女は希望通り医者になったそうだ。

誇り高い騎馬民族、草原に生きる人々、機能的な移動式住居、足腰の強い馬による競馬競技、相撲競技に興じる若者たち、着飾った馬たち、鷹狩り、こうした美しい情景や伝統文化と生活様式は、近い将来消滅していく。いずれ鷹狩は、効率の良い銃による狩猟に、騎馬による羊の移動はモーターバイクやドローンに取って代わられる。失われる前にフイルムに残しておかないと永遠に私達は見ることができなくなる。
雄大な中国大陸の空気を呼吸し、草原の馬のひずめの音を聞き、走り抜ける馬が作る風に触れ、鷹を呼ぶアイショルパンの空を突き抜けるような声を聞き、それに応える鋭い鷹の声を聞いた。映画の作り出す美しい抒情詩を堪能した。
稀有な、貴重なドキュメンタリーだ。



2017年4月1日土曜日

チャンイーモーの「ザ グレイトウォール」

チャンイーモーが、お金をじゃぶじゃぶ使って、すごく馬鹿っぽい娯楽映画を作った。150ミリオンドル(15億円)使って製作されたファンタジーアドベンチャーフイルム。
彼は20年前から、中国が誇る「万里の長城」をテーマにした映画を作って欲しいと、中国政府からオファーされていたので、機が熟すのを待って、要望に応えたのだそうだ。映画の中に「これが中国の神髄」と言えるものが描かれているんだよ、と自分で言っている。
チャンイーモーの初めての英語の映画。映画は全部中国で撮影された。実際の万里の長城を使って撮影することは許可されなかったため、3つの長城を映画用に作って撮影した。エキストラを含めると中国人、数千人の映画出演者のために、100人以上の通訳が撮影に付き添って働いたという。
主役のマットデーモンが、テレビインタビューで「中国人監督のもとで中国の長城の映画に出ましたね。」と言われて、開口一番、「Yes,  build a great wall to keep Trump out」万里の長城を作ってトランプをアメリカから追い出そうとしてたんだよ。と言って笑わせていた。ハリウッドは徹底して反トランプだ。

中米合作映画
監督:チャンイーモー         
キャスト
マット デイモン:ウィリアム
ペドロ パスカル:トヴァル
ジン テイアン:リン隊長
アンディ ラオ:ナムレス砦の総司令官ワン
ルー ハン  :兵士ペヤング
ウィリアム ダフォー:バラード先生
他、出演者数千人

宋の仁宗皇帝の時代。
11世紀の中国は世界の中でも最も文明が発達していた。印刷技術が進み、世界で初めて紙を材料にした貨幣を使って銀行を通じた貨幣経済が発達していた。科挙制度は充実し、北方や西方からの敵にたいしては和睦で交渉、異民族からの侵略を防いでいた。またコンパスが作られ、海洋事業も進み、多数の商業都市からは優れた陶器などが外国に輸出されていた。中でも、火薬の発明は、世界の侵略や戦争の形態をこれまでと全く変えてしまう、強いインパクトを持っていた。

映画のストーリーは
火薬を求めて、中国の国境線を越えてたくさんの盗賊団や密売人がやってきていた。アイルランド人のウィリアムとトヴァルら無法者たちは、ある日追手から逃れて洞窟に逃げ込んだところ、何か途轍もなく大きな怪物に襲われる。図体が大きい割に動きが速い。辛うじてウィリアムは怪物の腕を切り落として、トヴァルとともに生き残るが、他の者たちは全員、怪物に食い殺される。
翌日二人は彷徨っているところを、長城を警備する兵士達に捕らわれて、ナムレス砦に連行される。砦では数千人の兵士たちが、警備しており、二人はワン総司令官(アンディ ラオ)とリン隊長(ジン テイアン)の前に引き出される。そこでウィリアムが怪物の腕を切り落としたとき剣に付いたウロコのようなものを見せると、一同の間に緊張が走る。怪物は60年ごとに群れをなして人を襲ってくる。2000年前からゴウウ山脈の奥から神が、奢り多い人々を制裁するために送って来る試練なのだと伝えられている。無数の怪獣は一頭の女王から生まれてくるので、女王を倒さなければ怪獣は無限に生産されて、人々を苦しめる。

二人は捕らわれるが、このとき無数の怪獣が砦を襲ってきた。この日のために軍事訓練をしてきた兵士たちは恐れることなく怪獣に立ち向かう。ウィリアムとトヴァルは、バラードというこの砦に何十年も捉えられていて、兵士たちに英語を教えて来たという男に、縄を解いてもらい、兵士たちと共に怪獣と戦う。怪獣は沢山の犠牲者を出したあと、いったん引き上げた。1頭だけ砦のなかに残された怪獣を兵士たちは生け捕りにして柵に入れ、首都の朝廷に運ぶことにした。怪獣は磁石を近くに置くとおとなしくなることがわかった。

怪獣は鎧を着たサイのような体形をしていて、文字通り無数に押し寄せてくるので人の力ではなかなか殺せない。リン隊長の指揮する女性兵士たちは、足に縄をつけ、砦の壁からバンジージャンプで、下から襲ってくる怪獣たちと勇敢に戦う。次々と殺されて血塗られた縄に、また次の兵士たちが結ばれて、ジャンプしていく。女性兵士たちは自分が死んでも、同じ志を持った同志たちが必ず後を追ってくることを確信している。リン隊長は、「わたしたちは信頼で結ばれているの。」とウィリアムに言う。それを聞いて、ウィリアムは、自分には信頼して命を預けられるような人が居ただろうか、と自分に問う。一方、トヴァルとバラードは、この時ばかりと隠していた火薬を盗んで二人で砦から逃亡する。ウィリアムは同行することを拒否する。

2度目の怪獣による襲撃が始まった。火薬を使って兵士たちは、ウィリアムとともに怪獣と戦う。一方、生け捕りにした怪獣は、首都に運ばれて朝廷に献上されたが、若い天皇は「馬鹿殿様」で、柵の中の怪獣をからかって玩んだので、怒った怪獣は檻を破り暴れまわって仲間を呼び寄せる。呼ばれた怪獣たちは砦を後にして、首都に向かった。首都は大混乱、人々は次々と襲われて命を失う。リン隊長は熱気球に乗って首都に天皇を助けに行く。ウィリアムも熱気球に乗って後を追う。リン隊長の乗った気球が割れて、怪獣に囲まれ絶体絶命のところを、約束通りにちゃんとウィリアムに救われる。そこで、ウィリアム達は、怪獣の群れの中に女王を発見。火薬を女王に向けて何度も何度も爆発させて、遂に女王を殺すことに成功し、怪獣たちは退却。再び平和が戻って来た。
ウィリアムは、リン隊長に、「火薬か自由か」ひとつを選ぶように言われ、リンに心を残しながらも去っていく。
というおはなし。

目もと涼しい美青年が次々と出て来て、「おお君が映画の主人公か!」と思って観ていると、また次の美青年が出て来て「そうか、キミが本当の主人公だったのか!」と納得していたら、次にはもっと可愛いヤツが出てくる、という訳でもう 何が何だかわからない。話の筋などどうでも良くなってきて画面を見ているだけで楽しい。もう中年のマット デイモンなど目じゃないです。これは、「美青年見放題のおばさん用の映画か」、と思っていたら、いやいや、、美顔美形の少女達はもっとすごくて、バンジージャンプで空を飛び、城壁から突き出た踏み台を蹴って、さかさになったまま剣と盾で怪獣と戦う。勇ましく、強く、美しい。その少女達がさんざん怪獣と戦った末、単なる肉片となって、つるされていたロープだけが帰って来る。ひるまずに次の美少女が壁を蹴って去っていく。美しいものたちが正義で、この世のものと思えない醜い怪獣が悪だから、もう死に物狂いでやっつけるしかない。

ウィリアムは中国から火薬を盗み出して密輸入しようとした無法者だったが、互いに信頼関係で結ばれ強固な意志をもって生きている兵士たちをみて自分も出来る限りのことを人の為にしたいと思うようになる。チャンイーモー監督は、この映画に中国の「心」が込められていると言っているが「信頼」が彼のテーマなのだろうか。よくわからない。チャンイーモーはただ「でかい映画作品」を作りたかっただけではないか。

2000年、チャンイーモーは中国で初めて、プッチーニ作曲のオペラ「トランドット」を演出した。初めて西洋歌劇の公演を中国で行うに当たって、チャンイーモーは何百人もの大人数の出演者で、どでかい舞台を作った。普通プッチーニのオペラ「トランドット」の舞台は男女合唱団を入れても50人以下。だがチャンイーモーは、数百人の出演者で舞台を埋めた。「スぺキュタクラー!」「豪華絢爛」ド派手というわけだ。この北京の紫禁城での公演が、舞台造りからリハーサルを含めて、「チャンイーモーのオペラ:トランドット」というフイルムに納められた。これを映画館で観た。準備が大変だったのは、フイルムを観なくても想像できる。1公演に10万人だったかの観客のために、イタリアから監督を呼んで、舞台造りから始めて、合唱団の組織化、舞踏団の協力、何もかも初めてで大変だったと思う。
出来上がったオペラを観ていて、落胆したのは、トランドット姫に心奪われた王子が胸をかきむしって恋する苦しさを吐露してアリアを歌っているその後で、ポーズを取っている兵士たちが「チェ!やってられないよなー。もうゲッソリよ。」「全くねー。」という感じでおしゃべりしている姿がはっきり写っている。10万人が見守る舞台の上でダレ切っている役者達。フイルムを編集するときだって、おかしな背景が写らないように普通は編集するだろ。フイルム編集者は何を見ていたのか。そりゃ舞台の上に200人もの役者たちが居れば、いろいろあるだろうし疲れるだろうが、舞台の上の出演者なのだからその自覚があって良い。プッチーニのオペラ トランドットを侮辱しないで。彼の演出した「でかいオペラ」は成功したと言えるのだろうか。

2008年 北京オリンピック 世紀の大事業五輪の開会式、閉会式の演出をチャンイーモーは任された。期待された割には、ふたを開けてみると、開会式の派手な花火はCGだったり、会場で独唱した可愛い女の子は「くちパク」で他の子供が歌っていたり、少数民族服に身を包んで踊って歌った青年少女達は、少数民族どころか北京の踊り子たちだったなどなど、スキャンダルばかりで酷評された。オリンピックそのものに反対だから競技をテレビで全く見なかったが、開会式の模様がニュースで流れたとき、数百人の若い少年少女が会場に輪になって手をつないで踊りながら歌っていた。ちょうど「オーストラリア選手たちの入場です!」とアナウンサーが興奮している後で少女達がくたびれた顔で「全く嫌になるねー。」という感じでおしゃべりしながら体を動かしていた。またか。数分の映像でさえ、そんなシーンを目撃して、苦笑するしかない。ただ人を沢山使った「でかいオリンピック」を、彼は演出したくて演出したのか。

チャンイーモーは、中国で初めてのオペラを演出し、北京オリンピックの開会式と閉会式を演出し、そして、中国が誇る万里の長城の映画を監督し、中国の国宝みたいな存在になった。けれど、結果は、どれも「雑で、ただでかいだけ」。人を沢山使えば良いという訳ではないだろう。お金をたくさんつぎ込めば良い作品ができるわけでもない。でも彼の場合、人を多く使って大規模な作品になりすぎたために、内容が雑になったという訳ではないような気がする。雑で、でかいだけの作品を何度も何度も繰り返して作る人は、かりに僅かな資金で限られた人数で小さな作品を作ってみても、もう心に響くものは作れないのではないか。

かつて、自由に物が言えず、自由に作品を作ることが出来なかった弾圧下で、本当に魂のある作品を作った監督だっただけに、残念だ。そう、チャンイーモーはアンウェイウェイではない。わかっている。でもそれが哀しい。

2017年3月25日土曜日

メッツオペラHD 「ロメオとジュリエット」

オペラが大好き。
この世で一番美しい音は、よく訓練された男のテナーの音だと思う。
オペラハウスの会場の華やかさ。舞台下のオーケストラピットの楽士達の音合わせのにぎやかさ。指揮者がさっそうと入って来る時の期待の高まり。オペラの物語が始まる前の興奮と昂揚感、そういったオペラ開始前の華やぎは、他の何にも代えがたい嬉しさだ。
オペラ「真夏の夜の物語」では、舞台が宮廷の庭になっていて、舞台の端に二階建ての楽士席が作られていた。そこに緑と銀色の宮廷侍従の服を着て、房のついた飾り帽を被った
楽士達が、次々とバイオリンを抱えたり、トランペットをもって着席して、序曲が始まったのだ。何て素敵なアイデア!嬉しくて、跳ねまわりたくなる自分を抑えるのに苦労した。

10年くらい前は、毎月の様にオペラハウスに通っていた。会員になって、中央の前から5番目。すごく良い席を確保していた。しかし、シドニーオペラハウスは、外観の良さに反して、年寄りや障害者にとっては最悪の建物だ。外からオペラハウスの正面玄関に入るのには、数十段の階段を登るが、建物に入りクロークから劇場まで、さらに数十段の階段を登らなければ、中に入れない。劇場入口には入れても、席が後の方だったりしたら、またさらに階段だ。クロークの前に、劇場までの小さなエレベーターができる前までは、足の悪い人は、舞台裏まで歩いて舞台の大道具を運ぶ荷物用のエレベーターで、劇場に上らなければならなかった。そのために案内人が来るのを待って、エレベーターを手動してもらう。また、休憩時間にトイレにいくのも、また階段を下りて登らなければならない。
足の悪いオットは、杖をついてオペラに行くのを諦めて、次に車椅子でオペラハウスに行くのを諦めて、遂にオペラに行くことを完全の諦めた。今、オペラハウスが目に入っても、オットを連れて段差を乗り越えられなくて車椅子で立ち往生したり、空気調整が異常に悪い地下の駐車場で喘息発作を起こして死にかかったりした悪い記憶しか戻ってこない。半分国民の寄付で作られたオペラハウスなのに、どうして健康で若い人しか入れないような建物を作ったのか。愚かだ。バーロー。こんなところには、もう二度と行かない。
もっと上等なオペラを、フイルムで観た方が良い。 というわけで、
ニューヨークメトロポリタンオペラの、ライブHDフイルムだ。

オペラ「ロメオとジュリエット」
作曲: シャルル グノー
原作: ウィリアム シェイクスピア          

初演: 1867年 パリ テアトル リリークシアター
2時間40分 フランス語、英語タイトル
指揮: ジアナンドレア ノセダ
製作: バートレット シア
ジュリエット: ダイアナ ダムラウ
ロメオ : ヴィットリオ グリゴロ
ステファーノ:バ―ジニー ヴェレッツ
メルキシオ: エリオット マドレ

背景
14世紀 イタリア ヴェローナ

ヴェローナ支配層は、1239年、神聖ローマ帝国の皇帝フリードリッヒ2世の協力を得て、近隣諸国を征服し、勢力を拡大していた。それをローマ教皇グレゴリウス9世は 反キリスト的だと非難。ヴェローナの支配層は教皇派と皇帝派に分裂して、し烈な抗争を繰り広げた。皇帝派のモンターギュ家と、教皇派のキャピレット家とは、血を血で洗う勢力争いをくり返していた。

第1幕
キャピレット家のジュリエットは14歳になり、父親はヴェローナ侯爵の甥と娘を結婚させようと、やっきになっていた。しかし蝶よ花よと大切に育てられたジュリエットには、結婚に何の興味も感じられない。ジュリエットは、「恋をするってどんなかしら。炎のような愛に生きてみたい。」とアリアで歌う。
モンターギュ家のロメオは、友人のメルキューシオと、面白半分にキャピレット家の仮面舞踏会に紛れこんで、キャピレット家の一人娘ジュリエットに出会う。ひと目で二人は恋に陥るが、二人は後で、相手が敵同士の家の出であることを知らされる。
第2幕
その夜、眠れないロメオは、キャピレット家の庭に忍び込み、ジュリエットのいるバルコニーを見つめながら思いのたけを告白して歌う。「ぼくの太陽、登れよ登れ、ぼくの心の太陽」と、絶唱。ジュリエットも、バルコニーから姿を現して、自分の思いを伝える。
第3幕
ロメオは旧知の神父を訪ね、結婚したいと申し出る。そこに乳母を連れたジュリエットもやってきて、二人は秘密裏に結婚の誓いをたてる。ふたりの熱唱と、乳母、神父を含めた4重唱が美しい。
キャピレット家の仮装舞踏会から、一度も家に帰ってこないロメオを、メルキューシオたちは心配している。一方、モンターギュ家の男達は、自分の家の舞踏会に忍び込んでいたロメオのことを怒っていて制裁しようと、探し回っていた。街は不穏な空気の覆われていた。結婚式を終えたロメオが街頭で、メルキューシオ家の男たちに見つかって囲まれる。駆け付けたモンターギュ家の者たちと、剣を交えた激しい諍いが始まる。ロメオは親友のメルキューシオを殺されてしまい、いきりたって、メルキューシオ家の跡取り息子を殺してしまう。 その夜、ロメオとジュリエットは、互いの運命を嘆きながら、ジュリエットの部屋で初夜を迎える。ロメオは国外追放と宣告されて、二度とヴェローナの街に帰って来られない。延々と、二人の悲嘆にくれるデユエット。
第4幕
ロメオはヴェローナを去った。ジュリエットは父の強い勧めでヴェローナ侯爵の甥と結婚することになった。結婚を避けるために、どうしたら良いのか、ジュリエットはローランス神父に助けを求める。神父は、みんながジュリエットは死んだと思わせるように、仮死状態になる薬を与える。
第5幕
ジュリエットは霊安室で眠っている。そこにローランド神父の使いと入れ違いに、ロメオが、ジュリエットが死んだと聞かされて駆けつける。そしてジュリエットの死んだ姿を見て、後を追って毒を一気にあおる。その後、目が覚めたジュリエットは、ロメオを見て再会の喜びにデュエットを歌うが、ロメオは徐々に力を失う。ジュリエットに問われて、ロメオはすでに毒薬を飲んでしまったことを打ち明ける。ジュリエットは迷わずロメオの短剣を胸に突き付けて、ロメオは最後の力を振り絞って刃を突き刺し、二人は共に倒れる。
というストーリー。

ジュリエット役は、ドイツ人のソプラノ、ダイアナ ダンラウ。厚みのある力強いソプラノだ。表情が豊かで体当たりの演技もとても良かった。14歳のジュリエットが嬉しい時にぴょんぴょん跳ねたり、父親に甘えてしなだれかかったり表現が優れていて、30歳近くの亭主もちの女性と思えない。独唱の多いオペラで3時間ちかく、ほとんど二人舞台といって良い過酷な舞台。インタビューに答えて、「一日一日をサバイブすることで一杯で、他のことなど何も考えられない。」と言っていた。文字通りの大役なのだろう。

ロメオ役はイタリア人テナーのヴィットリア グリゴロ。彼の熱演がものすごく熱い。14歳の少年の役なのだから、もうちょっと力を抜いてソフトにやってくれと言いたくなる。汗をぶちまけながら全身で熱唱、このまま数か月の公演で体がもつのか、他人事ながら心配になる。インタビューで、ジュリエットを横に抱いて、「ぼくは彼女と結婚するんだ。」と宣言して、完全に役になりきっている。決闘場面など本当に剣を抜いてやり合って、トムクルーズ並に活躍。ジュリエットのいるバルコニーに飛び上り、3メートルの高さの門柱に半分足が浮いた状態で、ジュリエット、ぼくの太陽、太陽と、歌いまくっていた。これほど動きの激しいロメオ役も珍しい。

ニューヨークタイムスの批評を読んでみると、「たしかにこの二人が愛を交わし合い、これでもかこれでもかと熱唱する姿がとてもリアルだ、二人で最高の愛のケミストを発散しまくっている。」 と書いてあった。二人はこのオペラの前は、「マノン レスコー」を共演していた。この後、半年後には、「ホフマンの舟歌」でまた共演するようだ。相性が良いのだろう。二人の共演、これからも楽しみかもしれない。心配かもしれない。互いの家族が壊れて血を見るかもしれない。どうでもいいが。

オペラ「ロメオとジュリエット」は、シャルル グノーが作曲し、フランス語で歌うが、作風は古典の中の古典。重鎮グノーの作品だから、オペラ「ファウスト」もそうだが、重くて宗教色も強い。
一方、バレエの「ロメオとジュリエット」は、セルゲイ プロコフィエフ作曲で、現代的で明るい。人気作品だから、今も昔もたくさんのバレエ団が、これを演じているが、中でも1965年ロイヤルバレエロンドンで、ルドルフ ヌレエフと、マーゴ フォンテイーンが演じた作品が最高で、これ以前にも、これ以降にも、この二人以上に美しいロメオとジュリエットはあり得ない、と伝説になっている。まことに夢のような組み合わせだ。

映画では、1968年 フランコ ゼフィレリ監督によるオリビア ハッセイと、レオナルド ホワイテイングが演じた「ロメオとジュリエット」を、最も高く評価したい。このとき17歳だったオリビア ハッセイの、みずみずしく、ういういしくもまた清楚な美しさには目を見張る。相手役の18歳のレオナルド ホワイテイングも、稀有な美少年、本当に美しかった。この映画の後、レオナルドは二度と映画出演せず、その世界から遠ざかってしまった。オリビア ハッセイも、この映画のあと全然良い映画にもましな役にも恵まれなかった。
2015年になって、二人は 「ソーシャル スーサイド」というスリラーミステリー映画で、47年ぶりに、仲良く共演して話題になった。すっかり年を取ったレオナルドは、みごとに額が広くなってふくよかな顔になっていた。昔の絶世の美少年の面影もない。大昔のロメオとジュリエットが47年ぶりに共演したイギリス映画、ということだけが話題の2流作品だったらしく、こちらでは公開されなかったので、観ていない。

このあと1996年、クレア デインズとレオナルド デカプリオが、映画「ロメオとジュリエット」を演じたが、不興だったようだ。2013年には、ヘイリー スタンフェルドと ダグラス ブースで再びイタリア映画、「ロメオとジュリエット」が作られている。
またバーンスタインのミュージカル「ウェスト サイド ストーリー」も、このシェイクスピア作品がもとになっている。
もともとは、シェイクスピアのオリジナルではなく、ギリシャ神話がもとになっているが、人々は悲劇が好きだから、この作品はこれからも、オペラや、バレエや、ミュージカルや、映画で繰り返し繰り返し 全世界で演じられて、人々の涙をそそることだろう。そういえば、フイルムを見ながら泣いている人が結構いて、二人の絶唱をききながら、あちこちで嗚咽したり、鼻をかんだりしている音がした。
土曜日の午後、家から魔法瓶に甘い紅茶とサンドイッチを持ち込んでのひとり観劇。
こういう週末、全然わるくないぞ。




2017年3月19日日曜日

映画「ボブという名のストリートキャット」




                           

原題:「A STREET CAT NAMED BOB」
イギリス映画
監督 :ロジャー スポテイスウッド
キャスト
ボブ : ボブ自身
ジェームス:ルーク トレタウェイ
べテイ :ルタ ゲドミンタス
ヴァル(ソーシャルワーカー):ジョアナ フロガテイ
父 二―ガル : アントニー ヘッド

今から15年前のことだが、シドニー北部で最大規模のベッド数を持つ公立病院に勤めていた間、病院の前に建つアパートに住んでいた。病院は広大な敷地に、メインビルデイング、研究室、小児科病棟、透析室、産科、精神科、など独立したビルが散在していた。目の前に住んでいても、務めていたビルに行くまで歩くと結構距離があって、巨大な樫の樹や、ガムトリーが茂る木々の間を歩いていると、枝から枝へと飛び移る猫サイズの有袋類ポッサムによく出会った。大きいリスのような姿で、両手で木の実を抱えてすわって食べる様子は、愛らしい。出会うと嬉しく、ポッサムのためにいつも果物を持ち歩いていた。牧歌的な時代だった。
やがて敷地一杯に新しい総合病院が建てられ、100年を超える歴史を持った木々たちは、無残に切り倒され、土の香りもなくなった。大きな建物の一角に、ドアには何も書かれていないが、それとわかる「メサドンクリニック」が開設された。ヘロイン中毒者と一目でわかる顔つきの人々が朝早くから並んで順番を待っている。メサドンを飲んだ後、仲間同士つるんでから、彼らはそれぞれ散っていく。

薬物中毒者が薬を絶ち、自立するには、大変困難を伴う。常習者は薬物が体から脱けると自分の意志に関わらず体が薬物を求める。一挙に薬物を中止することができないので、メサドンという代行ヘロインを毎日飲んで、徐々に薬物依存から抜け出していく。メサドンはビンごと患者に渡すと貯めて売ったりするから、必ず毎日クリニックに通わせて、医師や看護師の前で飲ませる。医療側も毎日患者の顔が見られると、様子がわかるので管理しやすい。メサドンを飲んでいても、働き出してお金ができるとヘロインを打って、過剰投与で命を失ったり、行倒れになるかもしれない。メサドンをもらいに来なくなると、警察の世話になっているのか、交通費もなくて困っているのか、など状態を把握し福祉関係者と連絡を取り合って必要な援助をすることができる。

シドニー最大の歓楽街キングスクロスには、ユナイテッド教会が経営する「ヘロイン注射所」がある。やってきた人に医師や看護師は、清潔な使い捨ての注射器と駆血帯をあげる。来た人はこれを受け取って、自分でヘロインを打つ。おかげで過剰投与で命を失うことも、注射器の使いまわしで HIVなど感染症を拡散することもない。薬物過剰投与で命を失う若い人が後を絶たないので、他州でも同じような注射所を開設する動きが出ている。薬物の関しては、今のところ、メサドンプログラムと、ヘロイン注射所の継続によって、かなりの感染症が防げて、過剰投与による死亡者を減らす効果が出ている。

というわけで、「ボブという名のストリートキャット」だ。
同名のタイトル原作本が世界28国で翻訳紹介されてベストセラーを記録している。日本でも愛読されているそうだが、全然知らなかった。ボブと名付けた野良猫に出会ったジェームス ボーエンというストリートミュージシャンが、猫と暮らすうちヘロイン中毒から立ち直ることができたという実話を、映画化したもの。

ストーリーは
ジェームスはオーストラリア生まれだが、父の再婚を機会にロンドンに移って来た。プロのミュージシャンを目指していたが、うまくいかず、父の再婚相手とも良い関係を築けない。家にいたたまれず家出、学校も放校となる。ドロップアウトの終着駅、ヘロイン中毒者となり、住むところも失い、コペントガーデンでギターを弾いて、その日暮らしをしていた。お金がたまるとつい薬を打つ。何度目かの過剰投与で死にかかって病院に送られたあと、ソーシャルワーカーの計らいで、古いアパートを提供され、メサドンプログラムを始める。

アパート生活が始まって、ある日、大きな傷をうけた茶色の猫を保護する。彼は有り金を全部はたいて、猫の治療をしてもらい、猫と一緒に生活を始める。動物病院の看護婦とも仲良くなって友達になる。ボブと名付けた猫は、すっかりジェームスに慣れて、ジェームスがバスで、1時間もかけてコペントガーデンにバスキングに稼ぎに行くときも、一緒についてくる。そのうちボブは、バスキングでギターを弾くジェームスの肩の上に載ったり、歌うジェームスのギターの上に座り込んだりするようになって、道行く人々が、珍しがって足を止めるようになった。猫と一緒のバスキングが人気を呼んで、稼ぎも良くなると、他のストリートミュージシャンの嫉妬、ねたみうらみを買う。遂に喧嘩になって、ジェームスはコペントガーデン出入り中止の命令を言い渡される。バスキングできなくなると生活費を稼げない。

被雇用者が雑誌を売るとその何割かのお金を受け取ることができる「イシュー」を、街角で売ることになった。ここでもボブを肩に乗せたジェームスは、たちまち人気者になって他の「イシュー」の売り子たちの顰蹙をかう。それで「イシュー」を売ることも禁止されてしまった。クリスマスにジェームスは、なけなしの金で買ったシャンパンをもって父の家に訪ねていくが、再婚した母は冷たく、その子供達は面白がってボブを追いまわし、散々な目に遭ってジェームスとボブは、家から追い出される。せっかく友達になった動物病院の看護婦とも仲たがいしてしまった。おまけに殴り合いのけんかで警察で留置されているあいだに、ボブを失ってしまった。

最低だ。ボブはもういない。バスキングが出来なければ稼げない。仕事も友達も失い、もう何の希望もない。そんな情けない、どん底のジェームスのところに、ひょっこりボブが帰って来る。ジェームスは、もう2度とボブに辛い目に遭わせないように、心を決めてヘロインもメサドンも絶つ。地獄のような数週間、そして数か月、、、。ボブがいつも見守っている。遂にジェームスは完全に薬から抜け出すことができた。ボブのおかげだ。
というお話。

依存症は性格のひとつで、もって生まれてくる。だからひとつのことに依存する人は、年を取ったり、家庭環境が変わっても依存する対象が変わるだけで、依存そのものは無くならないことが多い。タバコ依存症の人は、コーヒー依存症にも、睡眠薬依存症にも、アルコール中毒症にも、薬物依存症にもなる可能性がある。依存を絶ち、立ち直るには、どうしてそれがなければ居られなくなったのか冷静に自己分析して、ならばどうやって無くても居られるか解決方法を導き出し、よそからの援助を仰がなければならない。ドクターや医療関係者や施設やソーシャルワーカーや福祉施設の利用は必須だ。
自分の力だけで抜け出せる人は少ない。まして施設に入らないで自力で薬を断つのは容易ではない。ジェームスが、ばかをやってどん底まで落ちた時、それでもジェームスのところに戻ってきてくれたボブのために自己再生することができた男の実話は、同じような状況にある人達に勇気を与えることができるだろう。

この映画の良さは、1にも2にも猫のボブにある。映画化された実話をボブ本人が映画特別出演している。ジェームスは役者のジェームスだが、本物のジェームスの肩に乗るようにして役者のジェームスが歌っている間、彼の肩やギターの上に座って、ちゃんとじっとしている。これはすごい。天才的な立派な役者ではないか。それが、丸々とした可愛い猫なのだ。ジェームスのお話が本になり、ベストセラーを記録し、それから映画が撮影されるまで何年も経っているのにボブは、かっぷく良く丸々として年齢を感じさせず、美しい毛並みを誇って平然としている。立って姿よく、座って気高く美しく、歩く姿は堂々として華麗そのもの。すばらしい。
映画が公開され、英国映画ベストフイルム賞を受賞し、キャサリン ミドルトンからも頭をなでられた。フェイスブックにアカウントを持ち、そのフォロワーは20万人だそうだ。うーん!

ボブが自分のところに帰ってきてくれたから、ジェームスはドラッグから抜け出せることができた。しかし、実のところは、猫は飼い主を救おうとして帰って来たわけではない。はなから猫には、飼い主などというものは居ない自由な存在ではなかろうか。猫は単に居心地の良い場所に戻って来ただけ。
気がむいたから帰って来たのさ。
猫は、そうやって猫である、というだけで人々を救う。



2017年3月2日木曜日

大混乱のアカデミー賞授賞式と、映画「HIDDEN FIGURES」

                             


2017年2月26日に開催されたアカデミー賞授賞式は、特別おもしろかった。
アカデミー賞のなかで一番肝心な、「作品賞」は、毎年5時間にわたる授賞式で最後の最後に発表される。最後のとっておきの栄誉だ。だからこの栄誉を受けた作品関係者は、受賞作の監督だけでなく、作品に関わった製作者やキャストの面々もステージに上がって、祝福を受け監督が受賞スピーチをするのが通例だ。
今年は、「ムーンライト」が受賞した。が、どこをとち狂ったか発表者が 「ララ ランド」と間違えて発表してしまい、「ララ ランド」の面々がステージに上がり、役者たちも抱き合い大喜びをして、監督は涙ながら受賞スピーチをし、製作者もスピーチをしている最中に、司会者から「重大な間違いが起きました。受賞作品は 「ララ ランド」ではなく、「ムーンライト」です。」と叫び始め、檀上は大混乱。急遽登場した 「ムーンライト」の監督の受賞スピーチが始まっても、ステージの 「ララ ランド」の面々は意味が解らず、茫然と檀上に残ったまま、ステージの上はただただ混乱して人々が右往左往していた。

映画「ボニーとクライド」は、1967年アーサーペンによって作られた映画史上で後世に残る名画だが、これを主演したのが、フェイ ダナウェイと、ウオーレン ビューテイーだった。1934年に起こった男女による連続銀行強盗の実際にあった事件を映画化したもので、二人は最後、警官に包囲され、それぞれが50発以上の銃弾を浴びて惨殺された。1930年代の少年少女の行き場のない退廃的な社会状況の中で、貧しく恵まれない大人になったばかりの男女が強盗に走る姿が、アーサー ペンの切れ味の良いシャープな映像と、テンポの良い音楽に乗せて映し出される、素晴らしい作品だった。この作品がアカデミー賞作品賞、監督賞、主演男優賞、主演女優賞にノミネートされて、今年で60年目となる。

そこで、フェイダナウェイ、76歳と、ウオーレン ビューテイー、79歳が、手に手を取って、今年のアカデミー賞のステージに華々しく登場して、作品賞を読み上げたのだが、それが間違っていて、大混乱を起こしたのだった。このとき、ウオーレン ビューテイーが、ステージで封をされた封筒を開けて、中に書かれた作品名を読み上げるはずだった。ところが中の紙を彼は読まず、フェイ ダナウェイに渡して彼女に読ませた。誰もがゴールデングローブ賞をすでに取っていた「ララ ランド」が、作品賞を獲ると思っていた。で、フェイが、「ララ ランド」と言って、アカデミー賞始まって以来の大失態が起きた。ウオーレンは自分が読まずにフェイに読ませたのは、彼女に華を持たせたかったのか、自分が何十年かぶりの舞台に立って舞い上がってしまって、字が読めなかったのか どうか事実はわからない。わたしは、フェイ ダナウェイが予定外に、突然紙を渡されて、眼鏡なしに字が読めなかったのではないかと思う。

あとでアカデミー審査委員が、間違った封筒をウオーレン ビューテイーとフェイ ダナウェイに渡してしまったと、言い訳していたが、そんなわけはない。ステージの上でフェイが持っていた紙には、確かに「ムーン ライト」と書かれ、それをカメラが大写しでとらえていた。メデイアは、審査委員のミスだったということにして、80歳ちかくになった二人の往年の名優をかばったのだろう。

という訳で、今年のアカデミー賞はハプニングがあったり、パーキンソン病で20年も前に惜しまれながら引退したマイケル フォックスが足を引きずりながらも元気な姿で出て来たり、ジャステインテインバーレイクの歌も、ステイングのパフォーマンスも良くて、なかなか見ごたえがあった。

中で3人のアフリカンアメリカン女優が、仲良く肩を組んで司会に出てきたのは嬉しかった。3人は新作映画 「THE HIDDEN FIGURES」(隠された人々)のヒロインたちだ。
1969年 ガガーリンが世界で初めて人工衛星で宇宙に飛んだ。アメリカではNASAの宇宙開発をしていて、天才的数学者のアフリカンアメリカンの女性たちがそれを支えていた。彼女たちは人間コンピュ-ターと言われ、IBMがコンピューターを開発する前までの 宇宙工学と宇宙物理学的な数字をはじき出すために無くてはならない存在だった。
しかしこの事実は白人、男性優先社会では公にされず隠され続けてきた。黒人がまだ公民権を持っておらず、黒人女性が大学院で学ぶ前例もなく、公共の場では、トイレも学校も、劇場の入り口も、「白人専用」、「カラード専用」と区別されていた時代だ。
映画の中で、数学者キャサリン ジョンソン扮する、タラジア ヘンソンが、仕事をしているNASAのビルには、カラード用の女性トイレがないため、遠くのビルまで走っていかないとならなかったり、全員白人の職場でいやがらせに、コーヒーまで 「白人専用」、「カラード専用」と分けられたりして、いじめられる姿が出てくる。それを知ったボスの、ケビン コスナーが怒り狂って、全職員の前でナタで「白人専用」トイレの看板をたたき割る。で、「きょうからトイレはみんなのものだよ。」と宣言する。年取った、ケビン コスナーがとても良い。とても良い映画だった。

それで、この作品はアカデミー賞に縁がなかったが、3人のアメリカのこれまで隠されていたヒーロインたちが、本物の天才数学者で工学博士のキャサリン ジョンソンをステージに連れて来た。スタンデイング オベーションで迎えられた車椅子の彼女の登場は、威厳のある美しい女性で、アカデミー賞の華を添えた。

映画「THE HIDDEN FIGURES」
監督:テオドール メルフィ
キャスト
タラジ P ヘンソン:キャサリン G ジョンソン
オクタビア スペンサー : ドロシー ボウガン
ジャネル モネイ メアリー ジョンソン
ケビン コスナー : アル ハリソン
クリステイン ダンスト :ビビアン ミッチェル
グレンパウレル:ジョン ハーシェル グレン宇宙飛行士
マハーシャラ アリ:キャサリンの夫

アカデミー賞は、白人のショーと言われて久しい。審査員はユダヤ人が多い。
だからユダヤ人差別発言を酔ったついでに言ったことがあるオージー監督のメル ギブソンは これこそが今年の映画の中で最も優れていると思われる、良心的兵役拒否者の沖縄戦を描いた 「ホーカス リッジ」が作品賞、監督賞、主演男優賞にノミネートされていたにも関わらず、編集賞を獲得しただけだった。とても残念だ。

しかし アカデミー賞に集まったアーチストたちは、はっきり「反トランプ」だ。メリル ストリープはアカデミー賞の大御所で、トランプが大統領になる前から激しく批判を繰り返していた。トランプも大人げなく、メリル ストリープなんか、大したことない影響力のない女に過ぎない、とコメントしてきた。司会者のジミー キンメルは、アカデミー賞が2時間過ぎたところで、「みなさん トランプが何も、ツイッターしてきません。」と言って、会場を沸かし、「メリルが ハーイって言ってるよ。」と、トランプにむけて、自分の携帯でメッセージを送って見せて、笑わせたあと、メリル ストリープをみんなが支持しているところを見せてあげよう、といって、会場の全員がスタンデイング オベーションでメリル支持表明した。

また、前回の受賞者として登場した役者のガエル ガルシア ベルナールは、受賞者の名前を読み上げるだけでなく、自分の言葉で、「アートに国境はない。メキシコ人として、人間としてアメリカとメキシコの間に壁を創ってはいけない。」と発言した。
去年のアカデミーは受賞者が全員白人だったことから「ホワイトアカデミー」と揶揄されたが、今年のアカデミーは、反トランプの勢いでさしずめ 「ブラック アカデミー」と言えよう。

作品賞を獲得した「ムーンライト」は、アフリカンアメリカンの少年がマイアミの貧しく暴力的な黒人社会の中で自分のアイデンテイテイーを模索しながら成長していくお話。製作予算も小さく特に有名俳優を使っているわけでもない小品だ。しかし、アフリカンアメリカンでゲイという少年にとって、社会がいかに不条理で厳しく、生きにくい社会であることか、を物語っている。心に響く作品だ。
助演男優賞をこの作品でマヘシャラ アリが受賞した。この役者は、「HIDDEN FIGURES」で キャサリン ジョンソンの夫役でも出演している。母親役のナオミ ハリスは助演女優賞にノミネートされていた。
また助演女優賞には、映画「フェンシズ」(「柵」)で、主演ベンゼル ワシントンの妻役を演じたビオラ デイビスが獲得した。
アカデミー作品賞 「ムーンライト」を監督したバリージェンキンスは、受賞のスピーチの最後に、この賞はすべての肌の黒い人々のためにある、と言って、このアカデミー大祭を締めた。反トランプに沸いて、アフリカンアメリカンの受賞が多数の「ブラック アカデミー」となったが、これを一日だけのお祝いにすることなく、ずっと継続していってもらいたい。