2021年8月26日木曜日

PPM の「PUFF」とマゴ自慢

PPMの「PUFF」を歌ってみた。
 魔法の恐竜パフは、霧に囲まれた海辺に住んでいる。いたずらっこジャッキーはパフが大好きで、まねしてヒゲやウロコを作って身に着けた。二人して大波こいでボートで旅に出た。ジャッキーはパフのしっぽに登って見張り役。お姫様や貴族たちは丁寧にお辞儀して、海賊たちは怖がって、旗を低くした。恐竜は永遠に生きるけど,ジャッキーはいつまでも子供じゃない。作り物の羽や輪は他の道具に使われて、ジャッキーはもうパフに会いに来ない。パフは悲しくて、悲しくて、頭は低く垂れ、緑のうろこも剥がれ落ちた。もうパフは勇者になれない。魔法もなくして、ひとり洞窟に閉じこもってしまったよ。

マゴの自慢話をしてみたい。
マゴが3歳の時、この曲を聴いて涙を流したのだった。たった3歳の子供の想像力と豊かな感受性に感動した。パフとジャッキーの絵がのっている絵本があったわけではない、恐竜パフの映画を見たわけでもない。小さな少年がパフと一緒に大冒険をして仲良しだったのに、少年は恐竜を忘れ、傷心の恐竜は魔法の力を失ってしまう。歌を聞いただけでパフの気持ちを察することができた3歳の子の信じがたいほどの感性の柔らかさに心打たれた。
その後も、この子は成長につれ自分で絵本を作ったり、手先器用にドールハウスを作ったり、印象的な絵をかいて驚かせてくれた。紫式部じゃあるまいし、いくらなんでもそんなに長く髪を伸ばして、と思っていたら誰が勧めたわけでもないのに、どこかから情報を得てきて、癌で髪を失った人のために自分の伸ばしてきた髪をバッサリ切ってきた。
暮れに長年一緒に生きてきた猫のクロエを私は亡くした。今でも安楽死させた獣医の前を車で通ると、どっと涙が自動的にあふれてきて前が見えなくなる。安楽死させたその日、誰もいない家に戻ると、辛くてつらくて娘たちに携帯でメッセージを入れた。すると1分もしないうちに、このマゴが、「おばあちゃんクロエを亡くして辛いでしょう。でも悲しみすぎないで。これからはクロエは、おばあちゃんの胸の中でずっといっしょにいてくれるから。」とメッセージを送ってくれた。11歳の思いやりのこもった言葉をもらって前を見ることができた。マゴの何という、心の成熟度、人の心を思いやることができるマチュアリテイ。私はマゴを見ていて、人の精神というものが、どれほどの成熟性をもつことができるのか、それは実際の年齢と関係がないことを知ったのだった。 12歳になるREMI、 お誕生日おめでとう。

I am singing [Puff the magic dragon] written by Peter Yarrow and Lenny Lipton and recorded by Peter, Paul and Mary(PPM) in 1963.PPM is American folk group formed in NY 1961. This song is about lost love, and broken heart story,, childhood playmate Puff was forgotten by Jacky.
When my grand daughter was 3, listen first time this song and she became emotional and tears. I was surprised only 3 years old girl can imagine the feeling of lost. How rich imagination and sensitive heart she has. She'll turn to 12 soon, still she has been surprising me at many ways : giving me artistic draw, playing violin for nearly 10 years, swimming like Nemo, kicking ball in soccer field, giving me hand made story book, donating her long hair for cancer patients, and showing sympathy when I lost my cat; Chloe and gave powerful message.
I learned mental maturity is not only related to age.
Gorgeous my grand daughter Remi, Happy birthday!


2021年8月24日火曜日

大叔父さん大内兵衛のオリンピック

大叔父さんの大内兵衛が治安維持法で逮捕拘禁される1年半前に、個人書簡で、オリンピックについて書いたものが見つかったので、シェアしてみる。1936年ベルリンオリンピックのときを、保田の家で夏休みを過ごしていたときの文。オリンピアンを馬や鳶に例えるなど、いつも達観していて、お茶目な彼らしい言葉に笑ってしまう。鳥にしても、鷹(タカ)でなくて、鳶(トンビ)に例えるところも、いかにも叔父さんらしい。わざと、時間ギリギリに家を出て、ドアが閉まる寸前に電車に飛び乗って、人をハラハラさせるのが好きな人だった。
「8月に入って保田の海岸の光景は一変した。小学生のラジオ体操がなくなって、若い男女の学生がたくさん森永のキャンプストアの前の砂の上にうずくまって物静かなラジオを聞いている。ベルリンの伝えるオリンピックの鼓動を彼らの若い血潮の心臓において再生産するのだという話だが、私見によれば走ることにおいては人は馬に敵わず、飛ぶことにおいては鳶にかなわない。だから本来西洋に発達したスポーツに日本がまけたとして悲しむに及ばず.勝ったからとて、そう喜ぶことはないはずで、僕はこの目前の現象がどうしてこうあるかについて全く理解するところがない。ただ、先頃の議会において外国人の真似をせぬほうがよい、という理由でメーデーの挙行を阻んだ、広田総理が、この外国にオリジンをもつオリンピック東京招致に歓喜し、その上巨額の国幣さえ投じようとしている点から考えると、オリンピックというものは何か非常時的ないし、国民神話的な効験をもつものではないかと察せられるのである。



2021年8月19日木曜日

テネシーワルツとリチャードライト

「テネシーワルツ」を歌ってみた。
1948年にピーウィーキング作曲、レッドスチュワート作詞。テネシーはアメリカ南部の州で典型的な南部の常として人種差別が激しかった。貧しい人々にまで人頭税の納税義務が課せられていたにも関わらず選挙権がなかった。公民権法によって、アフリカンアメリカンに選挙権が与えられたのは、なんと1965年になってからだ。
1968年4月4日に、マーチンルーサーキング牧師が殺されたのも、テネシー州のメンフィスだった。アフリカンアメリカンの人権運動のために遊説中だった。
メンフィスと言うとプレスリーが生まれた土地でブルースの中心地、カントリーミュージックの発祥地であり、レコード会社サンレコードにジョニーキャシュ、ジェリールイスなどが集まってきていて、ギターのギブソン本社もあって、ミュージシャンにとって明るいイメージがある。
でも子どもの時からリチャードライトを、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら読んできた自分には、メンフィスというと、怒りと悲しみのイメージしかない。
リチャードライトはメンフィスに育ち、何の理由もなく白人に自分の家族や友人たちが殺される日々の体験を通して、恐怖と屈辱と怒りをペンにたたきつけるように小説を書いた。初めて読んだ時の衝撃は忘れられない。
身近に1930年40年代に、治安維持法で逮捕、拘禁された大叔父にあたる大内兵衛や、叔父に宇佐美誠次郎がいたにもかかわらず、彼らが寡黙だったのと、家では政治の話を全くしなかったため、「やさしい叔父さんたち」の思い出しかない。自分は「人権」というものの価値を、リチャードライトから学んだと思う。

I am singing [Tennessee Waltz] written by Pee Wee King and Redd Stewart in 1948. Tennessee is one of the most conservative US South territory, and racial discrimination was strong culture. After the US Supreme Court ruled racial segregation to be unconstitutional in 1954, schools were integrated and the right of vote were given to African American in 1965.
On April 4 1968, civil rights leader Martin Luther King Jr. was assassinated in Memphis Tennessee. King participated lending march for black's right to vote, desegregation, labor rights and basic civil rights.
Since I was a small child I was deep impressed by [Black American Writer], Richard Wright. He grew up in Memphis and facing, watching, and suffering white men were killing black men without any reason only for amusement. He wrote his novels for express his full of anger, hate, and terror. I have learnt what human right are, from this writer, Richard Wright.



2021年8月12日木曜日

サイモンとガーファンクルの「アイアム アロック」

サイモンとガーファンクルの「アイアムアロック」を歌ってみた。
 冬のある日、寒くて暗い12月、僕は一人ぼっちで、窓から降りしきる雪を見ている。僕は堅固な岩。揺るぎのない島。僕は壁を作った。完全な砦みたいな壁に誰も入れない。友達なんか要らない。笑ってみたり愛して見たり、友達なんて自分が傷つくだけさ。僕は岩。僕は島。
愛のことなんか言うなよ。そんなヤツ僕の記憶の底で寝ちまってるさ。僕は誰も傷付けたり、死んだ思いをすることもない。だって僕は岩。僕は島。僕は本をたくさん持ってる。僕の詩は僕を守ってくれる。僕は武装して、まるで子宮の中にいるみたいに安全な部屋にこもってる。僕は誰も触れることもないし、誰も僕を触れない。だって僕は岩。僕は島。
シドニーはこの歌みたいに真冬で、ロックダウンがすでに8週間続いていて、家族や友達を訪ねていくこともできない。厳しい自宅隔離で自宅から10キロ以内で食料品などを買いに行くことができるだけ。自分には仕事があるが、大多数の人は仕事に行けず、1年半にわたって繰り返されたロックダウンで職場そのものが倒産寸前だったり、政府のわずかな補助金で生き延びるしかない。
これではサイモンでなくても「僕には友達も恋人もいない、痛みを感じることも泣くこともない、」と、「岩」になりたくなる。
1966年、若かったポールサイモンの感受性の強い魂に触れる曲だ。日本では昨年コビッドが流行り出してから、この8月までに33500人の自殺者が出ている。人々は共通する社会の中でルールを守りながら、少しでも自分だけでなく多くの人に良くありたいを思って生きている。社会はヒトとヒトとの関係で成り立っているが、それが遮断されたら個人はどう生きればよいのだろう。自殺者を出さない。身近な人々、孤独な魂にあたたかい息を吹き込むこと、それがワクチンよりも大切なことだ。
I am singing [ I am a rock ] written by Paul Simon, recording by Simon & Garfunkel.
I have imagined, 1966, Paul Simon was so sensitive and delicate young poet. = In a deep and dark December, I am alone, ,,I have no need friendship, that cause pain. Do not talk of love, I never loved, I never would have cried because I am a rock, I am a island,,,.
I am alone at home already for 8 weeks except working days, by the Sydney lock down law, unable to see family, unable to visit friends.
Since COVID had spread last year about 33500 people killed them selves in Japan. I believe people can not live alone. We need to talk to some one, any one, any time, and need to express selves, that is important than Vaccine.



 


2021年8月5日木曜日

フレデイアギラの「アナク」

フレデイ アギラの「ANAK」(我が子よ)を歌ってみた。
私たちの国は、一滴の血も流さずに民衆の力で独裁者を倒したことがあっただろうか。私たちの国は、米軍基地を撤退させたことがあっただろうか。フィリピンは、それをした。

フィリピンはマゼランの航海以来330年間、スペインに植民地化された後、米国に売られ、太平洋戦争時3年間は日本に侵略された。戦後独立してもなお、独裁者マルコスの圧政下で長いこと戒厳令が敷かれていた。1983年大統領選挙のために米国から帰国したベニグノ アキノ上院議員は、飛行機から降りフィリピンの地を踏んだ瞬間に、大統領再選を狙うマルコスによって暗殺された。これが契機になって余りにも長いこと戒厳令を敷き、権力を欲しいままにしてきた独裁者に対する人々の怒りが爆発した。民衆は、マルコスの住むマラカニアン宮殿を取り巻き、エドサ通りを埋め尽くした。フレデイ アギラは、ギターを抱えプロテストソング「バヤンコ」(我が祖国)をデモの先頭に立って歌った。
1986年マルコス政権がピープルズ革命によって倒された翌年私たち家族は、フィリピンに赴任した。人々の革命を経た興奮は冷めやらず、レイテのような島ではまだ治世は混乱していたが人々の目は、輝いていた。10年の間に、レイテ島大洪水、セブ行き乗船沈没で2000人死亡、ピナツボ火山大噴火、ローマ法王訪比などいろんな出来事があった。まじかにこの国の大きな動きを身近で見て貴重な体験をしたと思う。

I am singing [ANAK]( Child )written by Freddie Aguilar, the Philippines singer song writer.
The Philippines was invaded by Spain for 330 years and later USA occupied then Japan did during world war2. Even though after independent, Philippines people suffered by dictator Marcos. In 1983 president candidate Senator Benigno Aquino Jr was assassinated by President Marcos. That was triggerd the People Power Revolution in 1986. Freddie Aguilar was always in front of peoples resistant and demonstration.
My family arrived in Leyte Philippines the following year of the Revolution, and still people and society were unrest and fragile. during nearly 10 years in the Philippines, we were witness of real country's history ,and it was great experience.