2006年11月9日木曜日

映画「父親達の掲げた星条旗」


昨年、「ミリオンダラーベイビー」でアカデミー映画監督賞を受賞した、クリント イーストウッド監督の映画、「FLAGS OF OUR FATHERS」を観た。各地 ホイッツで上映中。

この映画は、1945年日米太平洋戦争の、硫黄島が舞台。
血を血で洗うような激戦の後に、若い兵士達が、硫黄島中央の茶臼岳の頂上にアメリカ国旗を立てたのは、ヒロイズムとちょっとした 茶目っ気の兵士達がやったことだった。それを見た軍の上層部が これはアメリカの良いプロパガンダに使えると考えて、カメラマンを連れて、別の兵士達に、最初に立てた旗より大きな旗を立てさせて、写真を撮る。

このときに撮影された、、6人の兵が山の頂上に国旗を掲げる写真は後にピュリツアー賞を受賞し、アメリカ中の 愛国心を燃え立たせ、破産しかけた軍に資金を提供することになった。 その後も厳しい戦闘が続き、このときの仲間は次々と死んでいく。 国の軍資金が欠乏する局面になって、生き残りの3人は、属していた隊からはずされ、故国に戦争のヒーローとして、帰還して、全国を講演してまわり、軍資金を集めることに利用される。 しかし、この3人は、仲間の屍を踏み越えて山頂に到達し、最初に旗を立てた仲間は その後の戦闘で死んでしまっていることや、自分達が写真撮影用の役者でしかなかった にも関わらず、全国どこに行っても、ヒーローとして熱烈に受け入れられるといった、ギャップに苦しむことになる。

とくに3人のうち、ひとりは、先住民族インデアン出身で、人々からヒーローとして、歓迎されながらも、先住民族の誇りと、アメリカ軍人としての相反する誇り、国を代表して英雄になった喜びと、本当は旗を立てて、死んでいった人々が英雄で、自分ではないという罪悪感から、逃れることができずに、酒びたりになってしまう。
戦争が終わって、彼は農場で、雇われて働らき始めるが、ある日 突然 銃の暴発で死ぬ。事故だったのか自殺だったのか、誰にもわからない。

もう一人のヒーローは、英雄視されていた間は、調子に乗って有頂天になっていたが、人々の熱が冷めて、忘れられてしまうと、ただの、時代の波に乗り遅れた 無学無能の男にすぎなかったことを知らされる。昔、出会った人をつてに、職を探すが、なんの特技も才能もないまま、掃除夫として生きていく。

3人のうち、最後のヒーローは、誰にも戦争のことは、いっさい 語らず、家庭をもち、平凡な人生を終えようとする。しかし、心臓発作をおこし、死ぬ直前に息子に この戦争で、自分が体験したことを、語って聞かせる。  彼は言う、「戦争に英雄なんて、いやしないんだ。それを必要とする人が勝手に作り出しているだけなんだよ。」と。
戦争に良い戦争の悪い戦争もない。正義の戦争も誤った戦争もない。ただ、大量兵器の消耗と人命損失があるだけだ。

ビュンビュン弾丸が飛び交い、大砲が鳴り、激しい戦闘で、手足や首が ちぎれて、飛んできたり、腸がはみ出したり、残酷なシーンが続くが、どこかで、こんなシーンみたような、、、そう、「SAVING PRIVATE RYAN」にとてもよく似ている。 あの ノルマンジー上陸シーンを見たとき、戦争のリアリズムを極限まで、追求している と思った。以来、この映画を超える戦争映画はなかった。クリント イーストウッドも同じこと考えたんだ。

イーストウッドは良い俳優だったが監督としても良い。私が子供の時は、毎週日曜日テレビの「ローハイドー」で、カウボーイ姿のイーストウッドを見て育った。青春時代は、ダーテイーハリーのキャラハン警部。彼の映画史は私の歴史でもある。

この映画はアメリカ側から見た硫黄島の激戦史の一コマだが、今度は、日本側からみた物語を「硫黄島からの手紙」という題で、映画を制作発表するそうだ。現在、編集中。 二つの映画を総合して歴史を検証しようという試み。と、言うから、こちらも観なければならない。宿題がまだ残っている。