2007年7月6日金曜日

映画 「ザ デッド ガール」


映画「THE DEAD GIRL」 カレン モンクレッフ 監督の、アメリカ映画を観た。各地ホイッツ映画館と、デンデイー映画館で上映中。

女が5人出てくる。 トニー コレット、ローズ バーンと、マリー べス ハート、マルシア ガイ ハーデンと、ケリー ワシントン そして最後に死んだ女の子、ブリッタニー マーフィーの5人。このうち、トニー コレットと、ローズ バーンは、オーストラリアを代表する女優。 5人の女は、それぞれ、「ストレンジャー」、次が、「シスター」、「ワイフ」、「マザー 」そして最後に「死んだ女の子」が出てきて、はじめの4人の女たちのできごとが、死んだ女の子を元に みな つながっていたことがわかる。

はじめのトニー コレット。彼女は 住み込みの看護婦、幼い時から、小児虐待されてきて、一個の女性としての自信も誇りももてずに、中年にさしかかっている。彼女は、家の庭で少女が乱暴され殺された死体を発見する。そのことで、街で、注目をあびることになり、以前から好意をもっていた店の男に、デートに誘われるが、自虐、自傷行為でしか、快感を得られなくなっている彼女の、異常性が明らかになる。

次は、ローズ バーン。彼女は司法解剖医師の助手をしているが、15年前に姉が失踪したことによって、壊れかけた家庭で育ってきた。失踪中だった、女の死体が運ばれてきて、姉と同じところにある生まれつきのアザを見つけて、動揺する。

第3話は、マリー べス ハート。子供のない中年夫婦の間にうまれた溝は広がるばかりで、毎晩出かけて 朝まで帰ってこない夫を待つ妻は、いらだっている。偶然、家の倉庫から、血のついた女の下着や、バッグや、靴などが出てきて、遂に 15年前に失踪した女の子の運転免許証が隠されているのをみつけて、夫が連続殺人犯ではないか、という確信に至る。しかし警察に密告する決断ができないまま、すべての証拠物件の血まみれの服、靴、持ち物の膨大なコレクションを焼いてしまう。

第4話は、マリア ゲイ ハートで、警察から呼び出しがきて、何年か前に家出した娘の死体が 郊外の家の庭で見つかったことを、知らされる。警察からの帰り道、母親はたまらない思いで、娘が死ぬ前に住んでいたというアパートを訪ね、娘が売春婦で薬物中毒だったことをしらされるが、家出の契機は義理の父親からレイプされたことだった、と知って、それに気がつかなかった自分を責める。そんな、娘が子供を産んでいたことをしって、子供を引き取って育てる決意をする。

最後の 殺された少女は、ブリッタリー マーフィー。「ボーイズ ドントクライ」で良い演技を見せていた女優。彼女は、自分の生んだ子供の誕生日に、贈り物を届けようとして、ヒッチハイクして、運悪く、通りかかった殺人者の車に拾われて、無残に乱暴され、殺される。

5人の女の暗く、無残で 重い映画だ。オペラハウスの横の、キーウェストデンデイーで、平日の朝 一人で見たんだけど、珍しく、中年や壮年の女の人ばかり 20人くらい これを観にき来ていた。 映画の最中や、映画の後で、離れて座っていた女の人たちが あちこちで鼻をかんでいる音がした。

こういう映画は男の人には わかんないんだろうな、と思う。また、カップルでは見ないほうが良い。お互いよく理解しあっているつもりでいても、こういう映画をめぐって男と女が話しすると、受容体の違いと言うか 感覚の差が明らかになって、イライラする。

知らないで足を踏んだ男に、踏まれた側の女の痛みはわからない。男女差別が制度として撤廃され、男女平等社会が定着している。しかし、物理的に男の方が体も大きく、体力もあり、攻撃されれば、女は ひとたまりもない。制度が整備され 教育が普及し、マナーが重視されても、依然として、多くの場合女が暴力の被害側であることに 変わりはない。

この映画を観ていて、2年くらい前に観た「クラッシュ」という映画を思い出した。サンドラ ブロックなんかも出ていて、アカデミー賞の何か、をとったはず。やはり、話が4つくらいに分かれていて、それぞれ違う短い4つの話が、最後に関連していたことがわかるという同じ手法をとっていたが、こちらは、人種差別がテーマだった。やはり、重くて、暗く 悲しい映画だった。ばらばらだったものが、最後に整合性をもち、意味をもってくるとき、人は、ウーン と、うなるしかないんだ。うーん!