映画「THE DEAD GIRL」 カレン モンクレッフ 監督の、アメリカ映画を観た。各地ホイッツ映画館と、デンデイー映画館で上映中。
女が5人出てくる。 トニー コレット、ローズ バーンと、マリー べス ハート、マルシア ガイ ハーデンと、ケリー ワシントン そして最後に死んだ女の子、ブリッタニー マーフィーの5人。このうち、トニー コレットと、ローズ バーンは、オーストラリアを代表する女優。 5人の女は、それぞれ、「ストレンジャー」、次が、「シスター」、「ワイフ」、「マザー 」そして最後に「死んだ女の子」が出てきて、はじめの4人の女たちのできごとが、死んだ女の子を元に みな つながっていたことがわかる。
はじめのトニー コレット。彼女は 住み込みの看護婦、幼い時から、小児虐待されてきて、一個の女性としての自信も誇りももてずに、中年にさしかかっている。彼女は、家の庭で少女が乱暴され殺された死体を発見する。そのことで、街で、注目をあびることになり、以前から好意をもっていた店の男に、デートに誘われるが、自虐、自傷行為でしか、快感を得られなくなっている彼女の、異常性が明らかになる。
次は、ローズ バーン。彼女は司法解剖医師の助手をしているが、15年前に姉が失踪したことによって、壊れかけた家庭で育ってきた。失踪中だった、女の死体が運ばれてきて、姉と同じところにある生まれつきのアザを見つけて、動揺する。
第3話は、マリー べス ハート。子供のない中年夫婦の間にうまれた溝は広がるばかりで、毎晩出かけて 朝まで帰ってこない夫を待つ妻は、いらだっている。偶然、家の倉庫から、血のついた女の下着や、バッグや、靴などが出てきて、遂に 15年前に失踪した女の子の運転免許証が隠されているのをみつけて、夫が連続殺人犯ではないか、という確信に至る。しかし警察に密告する決断ができないまま、すべての証拠物件の血まみれの服、靴、持ち物の膨大なコレクションを焼いてしまう。
第4話は、マリア ゲイ ハートで、警察から呼び出しがきて、何年か前に家出した娘の死体が 郊外の家の庭で見つかったことを、知らされる。警察からの帰り道、母親はたまらない思いで、娘が死ぬ前に住んでいたというアパートを訪ね、娘が売春婦で薬物中毒だったことをしらされるが、家出の契機は義理の父親からレイプされたことだった、と知って、それに気がつかなかった自分を責める。そんな、娘が子供を産んでいたことをしって、子供を引き取って育てる決意をする。
最後の 殺された少女は、ブリッタリー マーフィー。「ボーイズ ドントクライ」で良い演技を見せていた女優。彼女は、自分の生んだ子供の誕生日に、贈り物を届けようとして、ヒッチハイクして、運悪く、通りかかった殺人者の車に拾われて、無残に乱暴され、殺される。
5人の女の暗く、無残で 重い映画だ。オペラハウスの横の、キーウェストデンデイーで、平日の朝 一人で見たんだけど、珍しく、中年や壮年の女の人ばかり 20人くらい これを観にき来ていた。 映画の最中や、映画の後で、離れて座っていた女の人たちが あちこちで鼻をかんでいる音がした。
こういう映画は男の人には わかんないんだろうな、と思う。また、カップルでは見ないほうが良い。お互いよく理解しあっているつもりでいても、こういう映画をめぐって男と女が話しすると、受容体の違いと言うか 感覚の差が明らかになって、イライラする。
知らないで足を踏んだ男に、踏まれた側の女の痛みはわからない。男女差別が制度として撤廃され、男女平等社会が定着している。しかし、物理的に男の方が体も大きく、体力もあり、攻撃されれば、女は ひとたまりもない。制度が整備され 教育が普及し、マナーが重視されても、依然として、多くの場合女が暴力の被害側であることに 変わりはない。
この映画を観ていて、2年くらい前に観た「クラッシュ」という映画を思い出した。サンドラ ブロックなんかも出ていて、アカデミー賞の何か、をとったはず。やはり、話が4つくらいに分かれていて、それぞれ違う短い4つの話が、最後に関連していたことがわかるという同じ手法をとっていたが、こちらは、人種差別がテーマだった。やはり、重くて、暗く 悲しい映画だった。ばらばらだったものが、最後に整合性をもち、意味をもってくるとき、人は、ウーン と、うなるしかないんだ。うーん!
女が5人出てくる。 トニー コレット、ローズ バーンと、マリー べス ハート、マルシア ガイ ハーデンと、ケリー ワシントン そして最後に死んだ女の子、ブリッタニー マーフィーの5人。このうち、トニー コレットと、ローズ バーンは、オーストラリアを代表する女優。 5人の女は、それぞれ、「ストレンジャー」、次が、「シスター」、「ワイフ」、「マザー 」そして最後に「死んだ女の子」が出てきて、はじめの4人の女たちのできごとが、死んだ女の子を元に みな つながっていたことがわかる。
はじめのトニー コレット。彼女は 住み込みの看護婦、幼い時から、小児虐待されてきて、一個の女性としての自信も誇りももてずに、中年にさしかかっている。彼女は、家の庭で少女が乱暴され殺された死体を発見する。そのことで、街で、注目をあびることになり、以前から好意をもっていた店の男に、デートに誘われるが、自虐、自傷行為でしか、快感を得られなくなっている彼女の、異常性が明らかになる。
次は、ローズ バーン。彼女は司法解剖医師の助手をしているが、15年前に姉が失踪したことによって、壊れかけた家庭で育ってきた。失踪中だった、女の死体が運ばれてきて、姉と同じところにある生まれつきのアザを見つけて、動揺する。
第3話は、マリー べス ハート。子供のない中年夫婦の間にうまれた溝は広がるばかりで、毎晩出かけて 朝まで帰ってこない夫を待つ妻は、いらだっている。偶然、家の倉庫から、血のついた女の下着や、バッグや、靴などが出てきて、遂に 15年前に失踪した女の子の運転免許証が隠されているのをみつけて、夫が連続殺人犯ではないか、という確信に至る。しかし警察に密告する決断ができないまま、すべての証拠物件の血まみれの服、靴、持ち物の膨大なコレクションを焼いてしまう。
第4話は、マリア ゲイ ハートで、警察から呼び出しがきて、何年か前に家出した娘の死体が 郊外の家の庭で見つかったことを、知らされる。警察からの帰り道、母親はたまらない思いで、娘が死ぬ前に住んでいたというアパートを訪ね、娘が売春婦で薬物中毒だったことをしらされるが、家出の契機は義理の父親からレイプされたことだった、と知って、それに気がつかなかった自分を責める。そんな、娘が子供を産んでいたことをしって、子供を引き取って育てる決意をする。
最後の 殺された少女は、ブリッタリー マーフィー。「ボーイズ ドントクライ」で良い演技を見せていた女優。彼女は、自分の生んだ子供の誕生日に、贈り物を届けようとして、ヒッチハイクして、運悪く、通りかかった殺人者の車に拾われて、無残に乱暴され、殺される。
5人の女の暗く、無残で 重い映画だ。オペラハウスの横の、キーウェストデンデイーで、平日の朝 一人で見たんだけど、珍しく、中年や壮年の女の人ばかり 20人くらい これを観にき来ていた。 映画の最中や、映画の後で、離れて座っていた女の人たちが あちこちで鼻をかんでいる音がした。
こういう映画は男の人には わかんないんだろうな、と思う。また、カップルでは見ないほうが良い。お互いよく理解しあっているつもりでいても、こういう映画をめぐって男と女が話しすると、受容体の違いと言うか 感覚の差が明らかになって、イライラする。
知らないで足を踏んだ男に、踏まれた側の女の痛みはわからない。男女差別が制度として撤廃され、男女平等社会が定着している。しかし、物理的に男の方が体も大きく、体力もあり、攻撃されれば、女は ひとたまりもない。制度が整備され 教育が普及し、マナーが重視されても、依然として、多くの場合女が暴力の被害側であることに 変わりはない。
この映画を観ていて、2年くらい前に観た「クラッシュ」という映画を思い出した。サンドラ ブロックなんかも出ていて、アカデミー賞の何か、をとったはず。やはり、話が4つくらいに分かれていて、それぞれ違う短い4つの話が、最後に関連していたことがわかるという同じ手法をとっていたが、こちらは、人種差別がテーマだった。やはり、重くて、暗く 悲しい映画だった。ばらばらだったものが、最後に整合性をもち、意味をもってくるとき、人は、ウーン と、うなるしかないんだ。うーん!