2021年10月28日木曜日

香港アムネステイ事務局閉鎖、「HARD TO SAY I’M SORRY」

香港アムネステイインターナショナル事務局が閉鎖される。
この10月31日で事実上、40年の活動の歴史に終止符が打たれる。理由は、新法である国家安全法によって中国政府の介入で、自由な人権保護活動ができなくなったため。文字通り中国の強権に屈して退却することになった。これによって現場からは、香港の人権被害を調査、告発することができなくなる。

アムネスティは、人間の尊厳や人権について教育をし、人権侵害の事実がないか調査をし、それが疑われる場合はキャンペーンを国際規模で広め人権回復に努める組織だ。香港事務局はバンコク支局とともに、中国、台湾、日本、韓国、北朝鮮、ミャンマーなどアジアの国々とオーストラリア、パブアニューギニアなど太平洋諸国まで広範な国々を担当していた。過去に香港に死刑制度を廃止させた実績もある。

私の香港人の親友は、シドニーで長いこと一緒に働いてきて、立派な家を建て、息子たちを大学にやり、優秀な息子たちは、すでに研究職につき家庭も持った。何不自由なくシドニーで隠居できるのに、彼女は2019年、逃亡犯条例改悪が持ち上がった時、4万人デモに参加するために休職して香港に飛んだ。そして弾圧されている活動家達を支える「母親の会」を立ち上げた。その後、逃亡犯条例どころか、死刑つきの政権転覆罪、国家安全法までが履行されることになった。デモ参加者が顔識別カメラでとらえられ数日後に大学で連れ去られる、ザック背負っで歩いていたら私服のデカにバッグの中を探られる、と彼女はワッツアップでこぼしてきた。
頻繁に連絡しあってきたのに、このごろ返事がない。盗聴されているだろうから、へたなメッセージが送れない。彼女の安全が心配で心配でたまらない。職場で10年、二人で辛い時に支え合ってきた。いま彼女は一人きりで苦しんでいるのかと思うと、声をあげて泣きたくなる。

「素直になれなくて」(HARD TO SAY I’M SORRY)1969を歌っている。バンド「シカゴ」のピーターセテラに歌われた。
  僕は謝るのが下手なんだ あなたは少しの間離れてみようと                    
  あなたと一緒に居たいだけなんだ
  君と約束した通りに努力してみるよ
  本当にぼくが悪かった  どこにも行かないで
I am singing [ Hard to say I am sorry ] 1969, is a song written by Peter Cetara, a basist and vocalist for the group: Chicago". The band produced by David Foster.



2021年10月21日木曜日

ポールサイモンにとっての「ホームワード バウンド」(帰郷)

ポール サイモン作詞の「ホームワード バウンド」(帰郷)を歌ってみた。作曲者不明。
  駅で僕はギターを抱え、これから演奏旅行にいくところ            
  夜ごとに街から街へ移動して歌って歩くんだ
  本当はすごく家に帰りたい 
  家に戻れば苦しくないし ゆっくりできるし
  自分の音楽やってられるし 恋人だって待ってる
  毎日僕はタバコと雑誌で時間をつぶし
  どの街も映画館と工場ばっかり 人々もみんな同じ顔 
  今夜僕はまた自分で作った歌を歌う 約束通りにね
  だけど僕の吐いた言葉は自分に帰ってくる
  凡庸で、空虚な歌 こんな僕を慰めて欲しい
  本当はすごく家に帰りたい
  家に帰れば苦しくないし ゆっくりできる
  自分の音楽やってられるし、恋人も待ってる

ポール サイモンが無名時代に恋人と別れてデビューするために家を出て行った時に作ったという曲。後から考えると彼にとっての家は、恋人と住んでいたエセックスではなく、自分が生まれ育ったニューヨークのユダヤ人街のことだったのかもしれない。あるいはもっと掘り下げて、ホームとは、お母さんの子宮に戻りたいと言う、人の根源的な願望を言っているのかもしれない。人はみな自分がひどい失敗をしてしまったり、みじめな時、もう一度お母さんの子宮に戻って、はじめから生き直したいと思うものだ。
住んでいるアパートの隣が教会で、その入り口に電光掲示板がある。夜になると聖書からの言葉なんかが出てきてピカピカ光っているが、昨日のは、「R U OK?」だった。(アーユーオーケー?)あなた 大丈夫?というわけだ。コビッド禍が2年近くに及んで、精神的にダメージを受けていない人は居ないだろう。
若くて無名だったサイモンは、自分の才能を信じて家も恋人も捨てて、家に帰りたいよーと叫びながらも振り返らず、前に進んで成功を掴んだ。苦しい時自分の感情をため込まないで、外に放出する。黙っていないで、文章や歌や語ることで、傷ついた心を表現することが、とても大事なことだ。
I am singing [ Homeward Bound ] Lyrics written by Paul Simon, composed by unknown and recorded by Simon & Garfunkel.



2021年10月14日木曜日

「真夏の果実」とコビッド現況

サザンオールスターズの「真夏の果実」を歌ってみた。熱い恋の歌だと思っていたら「マイナス100度の太陽みたい」な失恋の歌だった。
ニューサウスウェルス州シドニーは、3か月余り続いた厳しいロックダウンが一昨日から条件付きで解除になった。16歳以上のワクチン接種者が91%、2回のワクチン接種を終了した人口が76%に達したため。3か月ぶりに開いたレストラン、パブ、ショッピングセンター、ヘアサロン、映画館などに、ダブルワクチン接種証明書を見せ、QRコードを登録すると入ることができるようになって、4か月ぶりに髪を切ってもらってホッとした。
国境、州境閉鎖は変わらず、メルボルンを州都にするビクトリア州では、いまだ300日近い、世界一長い厳しいロックダウンが続いている。FBを見れば、台湾の友達は仲の良い家族同士で誘い合い山に湖にキャンプを楽しみ、日本の友達も演奏会、映画、観劇、オペラを楽しんでいて、なにか別世界か、異次元世界をのぞき見るような思いだ。
公式累計数をみるだけでも米国70万人、ブラジル60万人の死者数に比べるとオーストラリアは人口比の死者は、比べ物にならないくらい圧倒的に少ない。隔離と閉鎖で感染を徹底的に封じ込めてきた。幸い医療現場で、患者の自宅待機や、救急車のたらい回しや、機材不足や医療崩壊は起きていない。医療従事者不足を、エイジェンシー、医学生、看護学生、引退者などに頼っているのも事実だが、感染した医師や救急隊員やナースを休ませても現場を何とかやりくりしている。それは、現場がとても頑張っているからだ。
デルタの感染力は今までヒトが経験したことがなかった速さと、致死率で伝播している。ウィルスの致死性と、毒性にはワクチンで、それを弱毒化するしか方法はない。12歳から老人まで可能な限り免疫力をつけることが唯一の予防でもある。
スペイン人に侵略された南米マヤの人たちが、持ち込まれた伝染病のために抵抗もせずに敗北し、ピラミッドを作り素晴らしい金細工作る高い技術を持った民族が根こそぎ失われた歴史を見れば、感染症は決して軽く見てはいけない.
ロックダウンが緩和されて無邪気にワクチン証明書をかざして、パブで乾杯し、買い物に繰り出す人々の群れを、横目でみながら、これから急増するだろうワクチン未接種者の重病化への対応、クリスマス前後に聞かなければならないとだろう人々の悲鳴を予想して、心の準備をしている。
I am singing [Manatsuno kajitsu] ( Mid Summer Fruits) 1990, written by Keisuke Kuwata, and recorded by his rock group: Sothern All Stars. The song tells bitter sweet memory of a mid Summer love.


 


2021年10月8日金曜日

「You raise me up」とケルト文化

「ユーレイズミ―アップ」を歌ってみた。
ノルウェーアイリッシュ人のブレダングラハム作詞、ロルフラブランド作曲、この二人組デイユオ「シークレットガーデン」によって2002年に発表された。
 落ち込んで心が疲れてしまった時 
 何もかもうまくいかなくて 心に 重荷を背負ってしまった時  
 ここであなたを待つ あなたが横に座ってくれるまで
 あなたがいるから 山の頂まで登って行かれる
 あなたに寄りかかっているから 嵐の海にむかっていける 
 飢えるって命があるからでしょう
 心臓は休むことなくうち続けてくれる あなたが居てくれて永 
 遠を見ているような気がする
 あなたが居るから 山の頂に行ける 
 あなたの力を借りて嵐の海に向かっていける
 あなたが居るから 今以上のわたしになれる

この歌がディュオによって曲を発表された時は、注目されずにいたが、ダニエルオドネルや、ケルテイックウーマンなどに歌われて、徐々にポピュラーになった。それは、「消滅」されたケルテイック文化への再認識、ブリテンからのスコットランド独立への動きに伴って、ケルトの血をひくもののアイデンテイテイが大きく取り上げられるようになったのも一因だろう。この曲で歌われている「あなた」とは全知全能の神様とか、あまり頼りにならない夫のことではない。歌詞にゴー マウンテンと、聖書の言葉があるが、ジーザスのことではなく「あなた」とは個人のアイデンティティのことだと考える。自分が育った土地、言語、文化すべてによって培われた自分の信条のことを指している。
紀元前1500-400年青銅器の時代に中央アジアの草原からヨーロッパに渡来したインドヨーロッパ語族、ケルト語派と呼ばれる人々を古代ローマ人は「未知の人」ケルトと呼んでいた。ギリシャとエトルリアから学び鋭利な鉄でできた武器を持ち、馬に引かれた戦車に乗っていた。ケルト戦士は剣と槍で戦い、その勇猛さは、戦闘は始まるや否や衣類を脱ぎ捨て金の首輪や腕輪だけの姿で戦ったという。討ち取った敵兵の首を自分の馬にぶら下げて自慢する狂暴な獣だった、とローマ人は伝えている。
「ルビコン」をこえたジュリアスシーザーによってケルトは侵略され500年もの長い間強力な支配下に置かれるが、じつはシーザーが生まれるずっと前、BC390年、ローマはケルトに7か月間のあいだ 侵略された。そのころローマは、すでに下水道完備、法が整備された共和制の布かれた文化都市だったが、蛮族ケルトに侵略され食糧庫を焼き壊されたため食料が無くなり、水道に死体を投げ込まれ飲料水がなくなり、そのため疫病が蔓延して自分達も含めて飢餓に苦しんだ。そのためローマ人は7か月後に300キログラムの金を引き換えにケルトの撤兵を願い出た。ケルトが引き上げた後、完全に破壊された文化都市を取り戻すのに、ローマ人は40年かけて再建したという。この間のことは塩野七生の「ローマ人の物語」全43巻(新潮文庫43巻!!!)に詳しい。
その後ジュリアスシーザーによってBC50 年代に、フランス、スペイン、ドイツ、ブリテン諸島などに広がっていたケルト族もローマ軍に占領される。ここはシーザー著による「ガリア戦記」に詳しい。
その後500年経って、ローマ帝国の衰退にともない、アングロサクソンによってイングランドが侵略され、ケルト語がゲルマン語にとってかわられる。しかし同じブリテン島でもスコットランドやアイルランドはアングロサクソンの支配が充分に及ばず、ケルト語は生き残った。現在でもケルト語を話せる人は、アイルランド、スコットランド、ウェールズで何万人もいる。
基本的に文字を持たない文化は消滅することを免れないが、ケルト文化の復権運動が起きて、言語がいまでも大切に伝承されていることは嬉しいことだ。この歌もケルト語で、ケルトの血を引く人たちによって歌われることに価値がある。
[ You Raise me up]
I am singing this song written by Brendan Graham, composed by Rolf Lovland in 2002, and recorded by Norwegian-Irish Duo: Secret Garden.



2021年10月1日金曜日

「椰子の実」をめぐる島崎藤村と柳田国男

「椰子の実」を歌ってみた。1901、島崎藤村が出版した詩集「落梅集」に収められている。作曲大中寅二。
舞台は愛知県渥美半島。島崎藤村の友人、柳田国男が大学生2年生で、ひと夏を過ごし伊良湖岬の海岸を歩いていたときに、椰子の実を見つけた。それを聞いた島崎藤村が、それを詩にした。

のちに民俗学者となる柳田国男が、椰子の実を見て、黒潮に乗って南洋諸島からその実が流れてきたように、日本民族も南洋から渡ってきたのではないかと考えた。柳田は、これを契機に日本人がどこから来たのか考察するが、仲の良かった島崎は、椰子の実をセンチメンタルな旅人の心に託して歌を作った。椰子の実ひとつについて語り合った二人が、そののちに民俗学者と文学者になっていったことは興味深い。
歌詞は古い日本語なので、日本で教育を受けていない娘たちに藤村の詩は、スペイン語で聖書を読むより難解なので現代語にしてみた。吉丸一昌の「早春賦」を歌った時も???だったから。
 名も知れない遠い島から 流れ着いた椰子の実
 故郷の岸を離れて どれほど長い旅をしてきたのか
 実のなっていたもとの樹は 今もなお 茂っているか 
 枝はなお 影を作っているか
 わたしは波の音をききながら ひとり旅をする人
 椰子の実を胸に当てれば 旅人の憂いが身にしみる
 海に沈む夕日をみれば 故郷を思い涙ぐむ
 遠い旅路で思いをはせる いつの日か故郷に帰りたい

I am singing " A Coconut" written by Toson Shimazaki and Toraji Daichu in 1936.
A traveler found a coconut fruit drifting on the surface of water in the seashore in Aichi prefecture. That fruit might be arrived from South West Island and traveling days and months. Like the coconut fruit the traveler has been traveling alone. His sentimental memory flushed back, then he decided some day he will back to his place where he came from.