2022年3月24日木曜日

即時停戦を

即時停戦を
ウクライナで激しい攻防戦が行われている。1千万人もの国外避難する子供や老人を連れた女性たちの姿は、100の言葉よりも雄弁に戦争の悲惨さを訴える。
ロシアは昨年暮れから国境線に10万人規模の兵を配置して、ウクライナのルガンスク共和国とドネツク共和国の独立を要求していた。この2つの州の人口の半分はロシア人で、ロシア正教を信じ、ロシアのパスポートを持ち選挙権もあり、ロシアの政治に発言権も持ち、ロシアへの併合を望んでいる。今回の戦乱で260万人の親ロシア避難民がロシアに避難した。

一方ウクライナの隣国、ポーランド、ルーマニア、チェコ共和国には、米国ミサイル防衛システムをもったミサイル発射装置があり、それらはロシアを標的に備えられている。NATO軍はかつてソビエト連邦との冷戦時、ワルシャワ条約機構に対抗して作られた軍事組織だが、ワルシャワ条約機構が無くなった今も、米軍の強い協力を得て一体化している。ロシアは、ウクライナのNATO加盟によって、これ以上ロシアとの国境線に米軍ミサイル発射装置を作ってもらいたくない。

ウクライナ首都キエフは、ロシア国境から200キロ、ベラルーシから80キロの距離にあり、はじめからロシアがウクライナを占領支配するつもりでいたなら、侵攻第1日目に電撃的に首都陥落することができた。それをしなかったのは、圧力と時間をかけて、ウクライナとの話し合いを公開的に進めたかったからだと思う。
すでにウクライナは、NATO加盟をあきらめたが、2つの共和国の独立について話し合いに応じていれば、戦乱は避けられた。またロシア軍が国境を越えたときに、キエフがオープンシテイー(無血開城)していれば市街戦など起きず、死者も避難民も出なかった。

1940年のパリ、1943年のローマを思い起こしてもらいたい。しかしゼレンスキーは最悪の選択をした。NATOと米軍の協力のもとに徹底抗戦を選んだ。米軍はすでに5億ドルの武器をウクライナに送ったが、さらに追加して800機のステインガ対空ミサイル、9000の対戦車火器、2,000万発の弾丸を送ったそうだ。ゼレンスキーは湯水のように投入される米製NATO軍の武器を使い交戦し、街を破壊し、国民の4分の1の人口を他国に流出させた。米軍、NATO軍は武器だけでなくクロアチア、チェチェンなど16か国から外国人傭兵を送り込んだ。高い生命保険をかけ、1日2000ドルでどんなことでもするプロの殺し屋だ。戦争する傭兵達に正義はない。勝利も敗北もない。

日本はかつてアジアの国々を侵略し、中国人1100万人、インドネシアなどアジアで800万人、計1900万人を殺害し、謝罪も賠償もしていない。その日本の国会で、徹底抗戦中の国の代表者がもっと援助を、と訴えて議員のスタンデイングオべーションを得たという。ゼレンスキーは「平和を」と訴えたのではない。ウクライナの軍事勝利のための支援を訴えたのだ。戦争する一方の側だけに味方をして支援するのは、自分たちも参戦していることになる。正義の戦争などないからだ。ウクライナの戦いのために総立ちになって拍手した日本の国会議員に、良心というものがあるのだろうか。
I am singing 'Sound of Silence" written by Paul Simon in 1963.





2022年3月16日水曜日

戦争に勝者は居ない、直ちに停戦を!

戦争に勝者はいない。即時停戦を!
ロシアによるウクライナ空爆と地上攻撃によって、空前の数の避難民が近隣諸国に流出している。国に残った者は、NATO、USとUKによる、無制限ともいえる膨大な武器支援をうけて、停戦に応ぜず、交戦を続けている。誰が停戦を拒否させて戦争を長びかせているのか。

避難する人々の群れを見て、1917年のロシア革命を思う。私のヴァイオリンの先生は、このボルシェビキ革命から逃れてきた貴族だった。小野アンナという。ジョンレノンの妻オノヨーコは彼女の姪にあたる。毎週レッスンを受けていたのは彼女の直弟子だから私は孫弟子ということになるが、年1度の発表会前には必ず来て練習を見てくれた。長い髪を後ろで小さくまとめられ、いつも淡い色の服を着た、物静かで気品に満ちた人だった。彼女がロシアに帰国する前の、最後の発表会のために、「庭の千草」の曲を渡されてむくれた。こんな平凡な曲を私に?と気乗りしないまま、その年の発表会を終えた。レッスンは基礎の音階練習と指の練習ばかり、曲を弾きたいのに、1時間のレッスンで曲をなかなか弾かせてもらえない。基本を真面目に取り組まないので彼女の期待に沿えなかった。

それから半世紀以上の時間が経って、シドニーにマクシム バンゲロフが来てくれた。一番尊敬している素晴らしいヴァイオリニスト。その人がコンサートの最後にアンコールに応えて「庭の千草」を弾いた。バリエーションをたくさんつけたそれは、本当に本当に素晴らしかった。アンナ先生は、この曲をこんな風に弾いて欲しかったんだ、と思うと涙が出た。

人の歴史は戦争によって翻弄される歴史だ。戦火から逃れるために小野アンナは日本に来て、自分が生まれた祖国に帰るまでに42年間を要した。ロシアに帰って、幸せな20年間を送って、幸せな死を迎えた、と思いたい。

I am singing [IMAGINE] by the Beatles. There is no Winner in a war. Cease fire immediately!!!

2022年3月2日水曜日

ウクライナに武器援助をしてはいけない

「死んだ男の残したものは」作曲:武満徹、作詞:谷川俊太郎を歌ってみた。
ウクライナへの武器提供は「支援」ではない。
ロシアによるウクライナ越境5日目の今日、米国バイデン大統領は、米国とNATOとは強い同盟であり一体だ、と宣言して共和党と民主党両党から拍手喝采を受けた。ウクライナは、NATOとUS,UKによる5億ドルの武器提供を受けているが、昨日オーストラリアからも1700万ドルの武器がウクライナに提供されることになった。

ロシア越境と同時にウクライナ極右武装団は、キエフなどの住宅街の道路にトラックに積んだ地対空砲を据え付け、住民を盾にしてロシア軍機を攻撃した。またNATOから提供されたステインガ(携帯式地対誘導ミサイル)をアパートの屋上や木陰から隠れてロシア軍の飛行機や戦車を攻撃した。結果として罪なき市民の住むアパートやキエフのTVタワーや、ハキフの解放広場やユダヤ人記念館や愛国者記念塔などが破壊された。

ウクライナ政府は18歳から60歳までの男性の国外脱出を禁じ、病人、年寄り、赤ちゃんなどを抱えて避難してきた人の中から男性をごぼう抜きに捕らえて、銃を持たせて前線に送っている。刑務所を解放し殺人鬼や犯罪人に銃を渡して国を守れと言っている。ロシア人を一人でも多く殺せば罪が帳消しになるなら逃げ惑うドンべス地区の女子供を殺しまくるだろう。無制限に提供される武器をもって嬉しそうに、国を守るためという大義名分を繰り返す。ウクライナはNATOの一員になりたがっているが、EUに参加すればロシアとの国境にNATO軍、UK,US軍の基地を持つことになる。そうしてNATO軍、UK US軍は、ロシアの頸動脈にナイフを突きつけたくて仕方がないのだ。それは外交の破綻であり、世界平和の終焉にかかわる。

軍拡は人類に対する犯罪だ。ウクライナに武器を提供してはいけない。ロシアによる侵略反対、ウクライナ市民の命を守れ、というならば、NATO、UK、USによる、自分の手を汚さずしてウクライナ市民に武器を持たせて血を流させる武器提供者こそが、卑怯者で,真の敵だ。

I am singing 'What dead man left" written by Shuntaro Tanigawa and Toru Takemitsu.
Australian PM decided on 5th day of Russian invasion to Ukraine, to send 17 million dollars armament for Ukraine. Already 500 million dollars weapon was sent to help Ukraine citizen to fight against Russian troops by NATO, UK and UK. Since 1950 the ultra right separatist in Ukraine have been fighting to exclude Russian in Ukraine, and now NATO, UK,US gave free gift :huge amount of weapons. Ukraine government force 18-60 years old men to fight against Russian troops with free gift weapons from NATO, UK and US. It is wrong. If we want stop the war, we should stop sending armament. The expansion of armament dose not bring any peace. Real war criminal is NATO UK and US: the merchants of death.


2022年2月24日木曜日

「竹田の子守歌」と「赤い花」とCOVID中間総括

曲は「竹田の子守歌」と「赤い花」。「赤い花」は中林ミナの曲。村松和行のリクエストに応えて歌ってみた。

ついでにこのコビッドが猛威を振るう2年余りの間、医療現場で働いてきたので、中間総括をしてみたい。50人の老人居住者を預かるエイジケアに勤めている。居住者は80代、90代の身体障害者、アルツハイマー病、認知障害、精神障害などを持ち、ほぼ全員がオムツをしているが、半数は歩くことができる。朝起きて、介助でシャワーを浴び普通の服を着せてもらい、女性は化粧もする。
職員は、約60人、ケアワーカーがその90%、10%が給食係を占め、レクリエーション療法士が常駐する。他に物理療法士、栄養士、言語療法、レクリエーション指導者、医師、ポデイアトリスト、美容師などが定期的に来る。また掃除と洗濯は外注の専門業者を使っている。

2020年にWHOがコビッドをエピデミックと宣言してから、居住者と職員は全員ワクチンを、3回目のブースターを含めて打ち、職員はマスク、フェイスシールド、ガウンなどPPEを徹底、面会者を制限した。2年間一人も感染者を出さず、無事に過ごしてきたが、今年になってオーストラリアが国境と州境を解放してから、オミクロン株が流入した。すべての職員が3回目のワクチンを打ち終わるよりも、感染のスピードのほうが速かった。職員の中から感染者が出て、この1月末にあっと言う間に、年寄りたち、居住者にも感染が広がった。最悪時、2月初めには居住者の半数、職員の3分の1が感染した。職員は毎日、職場の玄関でラピッドテストをして、感染していないことを確認して職場にはいり、そこで感染が認められた職員は帰宅し2週間自宅隔離し、政府の補助金で休暇となる。一番大変だったのは人手不足。検査で陽性になった職員と知らずに一緒に食事したり濃厚接触した職員も自宅隔離になるので人手が足りず、人材派遣会社に頼り切りになった。

それでもコビッドで一番危惧された居住者の感染による死亡を、出さずに済んだ。ブースターを打っていた80代90代の居住者が、コビッドに感染しても、一人として発病しなかったことは、誇っても良い。ワクチン懐疑者がいまだに居るが、うちの場合はワクチン効果がはっきり認められた。感染した職員の中でも、1人だけ重い症状が出た以外は、全員無症状で、元気に職場復帰した。
2月初めからの2週間は、感染者隔離など、感染対策と人手不足で地獄だったが、エイジケアで一人も死亡者を出さなかったことを誇りにしても良い。これは、ワクチンが出た途端に、居住者も職員も率先してワクチンを受け、さらに職員たちが自分の命を削るようにして、感染予防対策をして、まじめに働いてきた結果でもある。

I am singing [Takeda Lullaby] folk song and [Red Flower] written by Nakabayashi Mie.
I was working as a medical interpreter for government, and as a nurse at Aged Care facility: where has about 50 aged people: 80's and 90's, Disables, Alzheimers, Dementia, and incontinent. Since WHO declared COVID epidemic, all 60 members of staff got PPE, and stopped visitors. Our residents and staff all got 3 vaccines and staff has everyday tested Rapid COVID test.
However half of aged residents and one 3rd of staff got COVID positive this the end of January. Lucky there was no symptoms or serious condition among COVID positive people. because we, staff carefully care our residents, and made huge effort for stopping to spread infection.t. We have to proud of our selves-: no death- no serious condition- even aged residents got COVID positive . I have to say how important to get 3 shots of COVID vaccines.





2022年2月21日月曜日

村上春樹原作の映画「ドライブマイカー」

原作:村上春樹                               
監督:濱口竜介                          
キャスト
家福悠介:西島秀俊
みさき:三浦透子
音:霧島れいか
高槻耕史:岡田将生
イ ユナ:バク ユリム
コン ユンス:ジン デユン
ジャニス チャン:リニア ユアン

ストーリー
演出家、家福悠介は、シナリオライターだった妻、音を脳出血で亡くしていた。妻とは愛情と理解とで結ばれていたことを確信しているが、妻は水を飲むような自然さで、若い役者や演劇関係者と肉体関係をもっていたことで、実はずっと傷ついていた。その傷は、妻が故人になって、さらに深まっている。2年後、ヒロシマで演劇祭が開催されることになり、家福が演出する、チェホフの「ワーニャ叔父さん」が取り上げられることになった。役者たちは、日本人に限らず、韓国、台湾、フイリピン、ドイツ、マレーシア、インドネシアなどからも公募されてキャステイングが決まる。家福は、ワーニャ叔父さんに、こともあろうに妻と関係を持っていた若い役者、高槻を指名する。演出家と役者として対面することで、家福は自分の心の傷を深めていく。専用ドライバーとなった、みさきとの朴訥な会話によって、家福は徐々に自分の心の中の傷について真正面から見つめなおさなければならないことを気付かされる。というおはなし。

演劇から言語のワクを外した「舞台」というものに新鮮な驚きを感じた。舞台演出家の家福が作る舞台に、言葉の障壁がない。日本語を語るワーニャ叔父さんに対して娘のソーニャは、手話で応じ、教授の後妻エレーナはマンダリンで答える。舞台上には、セリフが日本語、英語、ドイツ語、韓国語、マンダリンなどで写しだされる。役者たちは異なる言語に対して、自分の言葉で何も不自然を感じさせないかのように劇を進行させる。
舞台というものは、いつの時代にも前衛の旗手を担ってきたが、このような形で舞台が作り上げられたことで、19世紀の文化人チェホフも喜んでいるだろう。

「ワーニャ叔父さん」は、兄の教授が美しい後妻を連れて故郷の田舎に戻ってくるところから始まる。教授の弟ワーニャは、インテリで美しい妻を伴った教授とは異なって、苦労して領地を維持し管理してきたことで、不公平感にさいなまれている。片思いしている兄の妻、エレーナはつれないし、教授が土地を処分しようと考えているに至っては、怒り心頭、銃を持ち出し兄を殺すか自殺するか。土地を失ってしまえば、自分が生きている意味もなくなってしまう。ワーニャは絶望するが、娘ソーニャの純真な励ましによって、魂を再生させる、という人間と宗教、善と悪、知と無知といったテーマを持った芝居だ。

それと同時に、自分がどれほど自分と異なる他人に寛容になれるか、という価値感もテーマになっている。家福とその妻とは別人であって価値観も異なる。自分のエゴを押し付けることは愛ではなく暴力だ。自分と異なる言語を話す人に、自分の言語を押し付けるのも暴力だ。どこまで他者を認め、許し合えるのか、互いに違いを認め合えるのかといった問いが、映画の初めから終わりまで付きまとっている。

芝居を取り組む妻の浮気相手だった高槻も、家福の妻、音も本心から愛し合っていて、尊重し合っていたことを知らされて家福は打ちのめされる。一方、そういった家福や高槻とのやりとりを耳にするドライバーのみさきは、母子家庭で母から暴力を受けながら育ってきた。生きる喜びも知らず、将来の目的や幸福感とは縁遠く、自分の魂を半分殺すようにして生きてきた。家福はみさきの、魂を絞り出すような告白によって、自分自身の心の傷を初めて認識して傷に立ち向かう勇気をもらう。
舞台の進行と同様に、それぞれの人が、自分をさらけ出すことによって、自分の魂を認識する。芝居同様に、魂の死と再生がテーマになっている。

3時間の長い映画。村上春樹の小説を読むように、タッチがそっくり映画になっている。役者たちがそれぞれ、実に達者で良い。ソーニャ役の手話には感動した。手話がこれほど表情豊かな表現方法だったのか、台詞の音がないだけ、その静かで豊かな表現にじわじわと感動が広がる。手話に対してワーニャ叔父さんが、打ちひしがれた表情から徐々に立ち直り、希望をつなごうとする演技と表情も素晴らしい。この映画、見る価値がある。
第79回ゴールデングローブ賞で、最優秀英語映画賞受賞。第94回アカデミー賞で、作品賞にノミネイトされているだけでなく、監督賞、脚色賞、国際長編映画賞の4部門で、ノミネイトされている。

2022年2月17日木曜日

ジミーチンとマックスロウの「TORN」

                  

ジミーチンは世界一優秀なドキュメンタリーフイルム製作者だと断言できる。
2015年「MERU」でヒマラヤ未踏峰の、6250Mの絶壁「シャークフィン」に初登頂し、その過程を、登りながら撮影して見せてくれた。2019年には「FREE SOLO」でカルフォルニアヨセミテ国立公園に聳える岩壁「エルカピタン」初の単独フリー登頂をフイルムにして、その年のアカデミー長編ドキュメンタリー賞を受賞した。

今回ジミーが監督をしていないが、彼の撮った莫大なフイルムが提供されて、登山家アレックスロウの息子、マックスロウが「TORN」(伝説の登山家ー亡き父を追って)というドキュメンタリーフイルムを作った。とても感動的で、貴重なフイルムだ。しかしそれを紹介する前に、ジミーチンの過去の2作についても説明しておきたい。

「MERU」(メルー)2015年
ヒマラヤ山脈中国側のメルー中央峰、6250Mの難攻不落の岩壁「シャークフィン」の世界初の登頂記録。ジミーチン、コンラッドアンカー、レナンオズタックの3人が成功させた。3人は、2008年に頂上あと100Mのところで、登頂を断念している。総重量90キロの荷物を担ぎ、2台のカメラと機材、8日分の食料とともに17日間登り続け、悪天候と雪崩にあいながら、岩肌にビバーグしていたが、テントを強風で壊され、燃料も食糧も尽きて、世界初登頂 の記録をつくる寸前のところで、下山を決断した。このときの失望感が大きすぎて3人とも、もうこの山に戻ることはないと思ってきたという。その後、ジミーチンは別の山で雪崩にあい、600Mの距離を130キロのスピードで山から落下して大怪我をする。レオンオズダックは、スピードボードの事故で頸椎骨折、再起不能の車椅子生活を言い渡される。またコンラッドアンカーは長年のザイルパートナーで親友だったアレックスロウと、ヒマラヤ登山中に雪崩にあって亡くし、自身も怪我を負う。3人3様の事故で大きな傷を負うが、2008年の失敗を乗り越えて2011年、3人は厳しいトレーニングの末カンバック、再びシャークフィンに集まり、世界初登頂を成し遂げる。このときのドキュメンタリーフイルム。ただただ感動する。


「FREE SOLO」(フリーソロ)2019年
アカデミー長編ドキュメンタリーフイルム賞受賞
単独登山者アレックスオ二ルドが、カルフォルニアヨセミテ国立公園の中にある「エルカピタン」と呼ばれる1000Mの絶壁を、パートナーもザイルもハーケンもカラビナも使わずに、たった一人で登頂する姿を撮ったドキュメンタリー。
1インチに満たない岩の尖がりに足をかけ、3本の指でつかんだ岩のくぼみに全体重をかけて登っていくアレックスも神経を集中しているが、少し離れた横で重機材を担ぎ撮影するジミーチンも決死の覚悟で撮影している。かつて誰も成功したことがなかった単独登攀の撮影中、二人とも滑落して、その瞬間をとらえたフイルムだけが残される可能性もあった。手足のうち、3点を確保しながら登るのロッククライミングだが、両手を必要とするカメラワークを続けるには、高度な山岳技術がいる。また8000M級のヒマラヤなどの撮影では氷点下20度で、分厚い手袋を外せば瞬時に指が凍って血が通わなくなるところを、ジミーチンは手袋を取ってシャッターを押す。山岳登山家としての経験と高度な技術をジミーはもっている。他の人には真似できない。ひょっとすると彼のような、勇敢な製作者はもう二度と表れないかもしれない。


「TORN」(伝説の登山家ー亡き父を追って)2021年
監督マックスロウ
アレックスロウと、コンラッドアンカーは伝説の登山家だ。スーパーヒーロー、カリスマ登山家として山岳界で次々と新記録を更新した。二人は兄弟以上の強い絆で結ばれていた。しかしアレックスは1999年9月、チベットシシャパンマで雪崩にあって亡くなる。一緒だったコンラッドも雪崩で埋まったが、怪我をしただけで生き残った。
亡くなったアレックスは生前、家庭を持たないコンラッドをいつも羨ましがっていた。家に閉じ込められると、怒りと苦しみで手がつけられなかった、と妻は言う。いつも冒険していないと気が済まない。雪崩にあって亡くなる前の日、テントでアレックスはコンラッドに「長男の誕生日にデイズ二ーランドに連れて行けなくて自分は悪い父親だと思ってる。」と語っていた。アレックスが亡くなって、彼の息子たち、10歳のマックス、6歳のサニー、3歳のアイザックが残された。

アレックスの家族は長い間、コンラッドと家族のように親しかったから、コンラッドは、自分だけが生き残った罪悪感からアレックスの妻を支え、3人の息子たちが飢えないために、アレックス以上に家族の世話をする。クリスマスをディズニ―ランドで過ごし、アレックスの影のように、アレックスに成り代わってベストをつくすうち、自然と愛情がはぐくまれ、新しい家族が形成される。父親が亡くなった時10歳だったマックスは、父親との時間が長かったのでコンラッドを、父親としてなかなか受け入れられないが、そのとき3歳だったアイザックやサニーはほとんど父親の事を覚えていないので、何のこだわりもなくコンラッドを父親だと思っている。

16年の月日が経った。3人の子供たちはすっかり一人前の大人になった。2016年4月、シシャパンマの雪が解け、アレックスの遺体が発見される。コンラッドは、家族全員を連れてチベットに飛び、遺体を回収し、荼毘に臥す。骨はヒマラヤ山脈の風にのって散る。
というおはなし。

山のドキュメンタリーは素晴らしい。ジミーチェンは、40代になったがまだまだ活躍してほしい。常に滑落の危険を冒してザイルに身を預け、凍傷の危険を冒してシャッターを押し続けるジミーチェンは、私の英雄だ。
でもどうしてそんな危険を冒してまで山の上るのかって、、、答えは簡単。それだけ山は素晴らしい。登ってみればわかる。





2022年2月11日金曜日

ジョンレノンの「NOBODY LOVES YOU」

「NOBODY LOVES YOU」1973年、ビートルズのジョンがヨーコオノから別居を言い渡され、ジョンが一人きりでいた時作った歌を歌ってみた。
:誰も愛してくれない 落ち込んでいるときも、最高にうまくいってる時でさえ 見てもくれない みんな生活のために精一杯、 傷つけあってる 僕は君の側に行って 裸になってさらけ出したのに すべて打ち明けた だのに今だに君は愛してるのか と聞いてくる それって何だよ 誰も愛してくれない 誰も必要としてくれない ぼくをみんなが愛してくれる時 それは僕が墓に埋められた時だけさ。

こんな厭世的な歌が、ジョンの予想外にヒットしてしまったのは、何かの皮肉か。人は人生の中で何度か死んでしまいたい気持ちになる厄介な生き物だ。自分が誰からも愛されていないと感じながら生きるのは辛い。一番身近な人に見放され、友達からも嫌われたらなおさらだ。一人きり暗い部屋で雨音を聞きながらギターなど弾いていたら、うっかりすると自殺してしまうかもしれない。

2人の娘が生まれた時から家庭用のアルバムとは別に、娘たちに渡せるように、ダイジェスト版のアルバムを作ってきた。文京区で生まれ、ハイハイし、初めて歩き、沖縄で幼稚園、レイテで小学校、マニラで高校、そしてシドニーで大学に入るまでの分厚い一冊のアルバムを、娘たちが18歳になった時に渡した。記録を見れば自分がどれだけたくさんの人達に愛されてきたかがわかるだろう。それを見れば死ねないはずだ。
同じことを二人のマゴのためにしている。マゴたちの成長ぶりが手に取るようにわかる。マゴたちも自分が辛い時、それを見れば自分たちがどれほどの愛を受けてきたか、わかるだろう。重いアルバムは時代遅れ。そんなもの今は誰も手に取って見ない、と人は言うが、自分は年寄りだから、他人に耳を貸すつもりはない。時代遅れ、だからどうした。

I am singing [ NOBODY LOVES YOU] written by John Lennon in 1973. John said : Nobody loves you when you are down and out. Nobody sees you when you are on cloud nine. Nobody loves you when you are old and grey. But,,,,, Everybody loves you when you are six foot in the ground.🙁 dead and in under the grave stone)
It's terrible!!! John wrote this music when 1973, during separation period with his wife: Ono Yoko. He was really sad. Despite he was depressed and down, this music hit and become popular. Probably too many people sympathized with John on that time.

2022年2月4日金曜日

BTS 「V 」のクリスマスツリー

BTSという韓国ヒップホップボーイズの「V」が歌っている「クリスマスツリー」をちょっとだけ真似してみた。
娘に「V ]が素敵と言われて、清潔で可愛らしい私のマゴの年にも当たる青年に好感をもったが、BTSの7人が並んでしまうと、どれが「V 」なのか皆目わからなくなる。

まだ2月になったばかりだがオーストラリアでは今年のコロナによる死者は約400人、2年前にパンデミック宣言がなされて以来、合計約4000人が亡くなった。米国では90万人、メキシコで40万人、英国で15万人という夥しい死者数とは比べようもないが。
オーストラリアは人口2600万人、日本の6分の1。ワクチン接種率95%に達したが、現在人口800万人のNSW州で、1日の新患者数が連日2万人を超えている。PCRテストを廃止したので実際の患者数はもっと多いだろう。

遂に私の職場も、ロックダウンで部外者、家族面会など1年余り禁じてきたにも拘らず、スタッフの間にも、患者にも感染者が出てじわじわとそれが広がっている。毎日職員は、職場の入り口でRAT(RAPID ANTIGEN TEST)をして感染していないことを証明してから仕事に取り掛かる。フェイスマスク、フェイスシールド、ゴーグルに手袋、プラスチックのガウンを着て、まるで宇宙飛行士のような姿で仕事をしている。
人手不足は深刻だ。NSW州だけで5000人のナースが感染かその疑いで働けず、救急車を陸軍の兵隊が運転し、ワクチンはケミストが打ち、スーパーに生活必需品を運ぶ人が足らず、フォークリフトを18歳以下の無免許の高校生バイトが働いても良いことになった、というのには笑った。
自分もいつ感染するか時間の問題か。感染すれば1週間仕事を休んで、政府からお金をもらい、うちで本が読める、と気楽に構えて、医療現場で仲間たちと励まし合っている。
I tried to sing "Christmas Tree" ( Our beloved Summer) by 「V」 BTS.
My daughter said 「V」is nice and I agree, however I can not find him when 7 boys BTS on the stage. Which one???




2022年1月26日水曜日

26回目のオーストラリアデイ

今日1月26日はオーストラリアデイで祭日。1770年英国人探検家キャプテンクックがシドニー湾から上陸して以来、1778年1月26日に初代英国総督アーサーフイリップが、上陸後英国王室による領有化宣言をした。その日から大英帝国の旗を掲げ、先住民族アボリジニー大虐殺が始まる。

アボリジニーは先住民族として6万年の歴史を持ち、独特の言語、道具、絵画などの芸術、楽器などを持った民族だが、入植後、英国人が持ってきた感染症や、虐殺により人口の90%を失った。75万人から100万人あった人口が、一挙に10%に減ったのは、奴隷として売買されたアフリカ民族と違って、怠惰で教えに従って働くことができないと判断され、「害蓄」として大量佐殺戮されたからだ。人口はその後回復したが、現在は総人口の3.3%、約85万人になっている。

オーストラリアは英国植民地となって以来、最初の20年は主に英国の刑務所として役割を果たした。囚人として故国から追放されてきた者の30%は19歳以下、彼らは無給の労働者としてシドニー湾の周りに道路や政府の建造物を建て、植民地を耕し、刑期を終えた後は家庭を持ち、捕鯨、漁業、羊毛業、鉱物採掘に携わった。1850年代にニューサウスウェルス州とビクトリア州で金が採掘されるようになるとゴールドラッシュが起こり急激に人口が増した。遂に植民地男性の20%が中国人に占められるようになり、暴力を伴った激しいアジア人排斥運動がおこる。オーストラリアの白豪主義はこれをもって形成され、オーストラリアは有色人の海に囲まれた唯一の白人の島というアイデンテイテイが作られる。
白豪主義が改められるのは、1943年第2次世界大戦で人口がわずか、730万人の国となってしまい、他国から侵略される危険性が高くなったので、移民を制限すべきではないという切羽詰まった危機感に迫られたからだ。現在は4人に1人は外国生まれという移民大国となって、多様な民族、宗教、文化を誇っている。

1996年1月25日に2人の娘とともにオーストラリアに移住して26年経った。その前は、10年フィリピン、その前は3年沖縄に暮らしたから、娘たちは生まれ育った東京を幼児の時に離れて、40年近く経ったことになる。怪しげな日本語を使うわけだ。責められない。
日本ではマスコミを学び編集記者、フイリピンではインターナショナルスクールでバイオリン教師をやってきて、誰一人知人も友人もいないシングルマザーが子連れでオーストラリアに来るなんて、勇敢ね、バカじゃない、と言われたが、シドニーで頼まれて医療通訳、修学旅行付き添い、病院ナースなどをやっているうちに、娘たちは大学を終え立派な専門家として自立、家庭を持った。

オーストラリアの良いところは、ものすごく勉強すれば必ずそれが報われて望み通りの専門家になれるところかもしれない。娘たちの勉強ぶりは在学中も卒業後も際立っていたが、じつによく学ぶ。彼女達とは学びのレベルは比較にならないが、私も55歳で大学に入った。全然違和感がなく在学中、誰一人として私に年齢を聞く人は居なかった。
いまナースとして働いていて、職場の仲間たちも、ナースをやりながらICUのスペシャリストや、教育者の資格などを次々と取って勉強を辞めない。それでいて自由時間に「本当は役者になりたかった」などと、突然言い出して俳優養成所に通うナースが居たと思うと、歌手になる、と言ってパブでバンドを組んで歌いながらトレイナーについて声楽を勉強しているナースがいる。

人生自己満足だと思うが、自己満足のレベルが高いのだ。オージーの許容量の大きさ、というか年齢や環境や立場に縛られず自由な度量の大きさが、とても好ましく感じる。日本の良さ、フイリピンの良さ、オーストラリアの良さに身を浸し、体現して生きていくことが出来たら上出来だ、と思っている。
I am singing [ I STILL CALL AUSTRALIA HOME].




2022年1月20日木曜日

歌ってみた!100曲達成!

2019年1月に、恐る恐るフェイスブックに投稿してみたら、褒められたので以来、調子に乗って2022年1月までに、100曲の歌を歌った。知らなかった曲や知っている曲をユーチューブで探してコードを付けて、自分なりの歌い方で歌ってみるということが、実に面白かった。仕事ではコビッドをかかえ、2021-2022年といえば、まことにすさまじいストレスであったが、家に帰ればギターがあって、次々と新しい曲にチャレンジしてみることで気持ちを保つことができた。以下、100曲の題名を書いてみる。

ダブル曼荼羅、福田満作詞作曲「バラと祝杯」、BEATLES 「BLACK BIRD」、BON JOVI「BED IN ROSES」、BETT MIDLER「THE ROSES」、「島唄」、「アリラン」、「イムジン河」、SIMON & GARFUNKEL「BRIDGE OVER TROUBLED WATER]」、SECRET GARDEN「YOU RAISE ME UP」、LADY GAGA「ALWAYS REMEMBER US THIS WAY」

「BIRTHDAY SONG」、ELVIS PRESLEY「I CAN NOT HELP FALLING IN LOVE」、ERIC CLAPTON「TEAR IN HEAVEN」、「琵琶湖周航の歌」、「ワルシャワ労働歌」、「DANNY BOY」、REDD STEWART「TENNESSY WALTZ 」、RADWINPS「愛にできることはまだあるかい」、「死んだ男の残したものは」、「香港に栄光あれ」「GLORY HONG-KONG」

映画:FROZEN2「ALL IS FOUND」、QUEEN「LOVE OF MY LIFE」、「GOODNIGHT IRENE」、THE GREENDAY「21GUNS」、「朝日のあたる家」、BEATLES「YESTERDAY」、「MY WAY」、CAROL KING「YOU GOT A FRIEND」、「I STILL CALL AUSTRALIA HOME」、BEATLES「IMAGINE」

フォークソング「おじいさんの時計」「GRAND FATHERS CLOCK」、浅川マキ「にぎわい」、中田章「早春賦」、「浜千鳥」、「いつかある日」、LEONARD COHEN「HALLELUJA」、スーマー「いきあたりばったり」、あがた森魚「赤色エレジー」、成田為三「浜辺の歌」、秋吉壽和「ALOHA AU IA OE」

米津玄師「カナリア」、フイリピン民謡「サンパギータ」、VELVET UNDERGROUND「CANDY SAYS」、JOHN LENON「MOTHER」、米津玄師「まちがいさがし」、加藤登紀子「時には昔の話を」、加藤和彦「悲しくてやりきれない」、NINO ROTA「LOVE THEME FRON THE GODFATHER」、本田鉄麿「思い出のアルバム」、ダイアナロス「IF WE HOLD ON TOGETHER」

SIMON &GARFUNKLE「SOUND OF SILENCE」、SIMON &GARFUNKLE「SCABOUGH FAIR」、STING 「FIELD OF GOLD」、スーマー「夜明けまで」、「POOR DIRT OLD FARMER」、スペイン民謡「CUCU RU CU CU」、スピッツ「ロビンソン」、「CARNIVAL IS OVER」、秋吉寿和「さくらみち」、SIMON &GARFUNKL 「BRIDGE OVER TROUBLED WATER」

ジョンデンバー「ANNY’S SONG」、BOB DYLAN 「HARD  RAIN GO_A  FALL」、「インターナショナルの歌」、「島唄」、サイモンとガーファンクル「THE BOXER」、BOB DYLAN「FOREVER YOUNG」、RAY CHARLES  AND SOUTHERN ALL STARS「ELLIE MY LOVE」、クラウドプットマンジュニア「GREENGREEN GRASS OF HOME」、プレスリー「CAN"T HELP  FALLING LOVE  WITHYOU」

中島みゆき「糸」、フレデイアギラ「ANAK」、SIMON&GURFUNKLE 「I AM A ROCK」、「TENNESSEE  WALTZ」、ピーターポール&マリー「PUFF」、山田耕筰「赤とんぼ」、岡野貞一「おぼろ月夜」、港倉俊一「五番街のマリーへ」、THE BEATLES「HEY JUDE」、JHONE LENNON「NOWHERE MAN」

島崎藤村、大中寅二「椰子の実」、「YOU RAIS ME UP」、サザンオールスターズ「真夏の果実」、SIMIN &GARFUNKLE「HOMEWARD  BOUND」、PETER CETARA「HARD TO SAY IM SORRY」、JHONE  MAIYER「SLOWD ANCING IN BURNING ROOM」、「HALLELUZAH」、レイチャールス「STAND BY ME」、江間章子、中田喜直「夏の思い出」、「I WANT THATWAY」

THE BEATLES 「IN MY LIFE」、フェルデイイナンド カルリ「エチュード」、THE OASIS「DON’T LOOKBACK IN ANGER」、スコットランド民謡「AULD LANG SYNE」、「DANNY BOY」、「香港に栄光あれ」、「ワルシャワ労働歌」、「I STILL CALL AUSTRALIA HOME」、BTS[V]「CHRISTMAS TREE」、JOHN LENNON「NOBODY LOVES YOU」、THE BEATLES 「IMAGINE」 

ワルシャワ労働歌とインターの歌を

100曲達成!!!
これでFBでギターをもって歌ってきた曲が100曲目になった。50年余り前、学生だった頃は毎日のように隊列を組んで歌っていた曲、「ワルシャワ労働歌」と「インターナショナル」を歌ってみた。
2019年1月にボンジョビの「ベッドインローズ」と、ビートルズの「ブラックバード」がギターで歌えるようになって嬉しくて、恐る恐るFBに載せてみてから3年かけて100曲になった。下手な歌を辛抱強く聴いてくださり、いいねボタンを押してくださった心の広い方々に、心から感謝の気持ちをお伝えしたい。

72歳のフルタイムで医療現場で働くナースが、このコビッド禍のなかで混乱極める職場に留まり、ストレスで倒れもせず狂いもせず、心の平静を保っているためには仕事以外に、家に帰ってから熱中できる何かが必要だった。週に1曲、今まで歌ったことのない曲をユーチューブで見つけて、ギターコードを付け1週間で、自分流に歌えるようにする、というチャレンジ―な作業は、スリリングでとても面白かった。
でもいま、ちょっと忙しくなって、100曲ですこし休憩するかも。

この2年間、国境も州境も閉鎖してコビッドの流行を抑えてきたオーストラリアも昨年末に開国したとたんに、コビッドが拡散、オミクロンは軽い風邪、と言っているが、このウィルスが肥満体、老人、糖尿病、癌患者から恐ろしい勢いで命を奪っている。職場でも主要な職員が次々と感染して補充要因が確保できない。派遣会社に1時間100ドル、1日10万円出しても絶対数の足りないナースを確保できない。休んでいるナースの代わりに1人が2人分働かなければならなくて、忙しくてローラースケートで走り回りたいくらい。インターの歌で自分を励ましている。

Finally 100 songs I sang!! I have been singing with guitar on FB since Jan.2019, for 3years. The first songs were Bon Jovi's [ Bed in Roses], and The Beatles'[ Black Bird].
It was difficult time by COVID for the past 2years, specially in my work place, medical facility. I have been under huge stress and pressure for infection control. After work, I need something to concentrate spending my time at home, and playing guitar was good mental release for me. Thank you for listening and I appreciate you to push [LIKE] button for me. It is huge encouragement!! and I can't express how I feel thanks to you.



2022年1月13日木曜日

香港に栄光あれ

FBで下手な歌を歌い始めてこれで99曲目になる。
「香港に栄光あれ」を歌う。革命とか独立とか過激な言葉は歌詞にない。2019年逃亡犯条例改正案に反対する運動の中から生まれた曲。

この歌を歌う者はもういない。
香港国安安全維持法により公衆の前で歌うことは香港の独立を扇動する行為として刑事罰の対象になる。終身刑を含む国安法のもとで香港教育局は、これを歌うことを禁止した。
歌うことを政府が禁止しても歌詞を変え、人々が歌い続けることを止めることはできないだろう。その歌詞も禁止されたら、また別の詩が書き換えられるだろう。その歌詞も禁止されれば人々はハミングで歌い続けるだろう。権力は歌を禁止することはできても人々の心をつぶすことはできない。
香港で革命を起こそうとか、独立を願うわけではない。民主的な普通選挙を望んでいるだけだ。政治に民意を取り入れる、ごく普通の当たり前の普通選挙を願っているだけだ。

香港はかつて英国領だったが、1997年に2047年までは、中国と1国2制度を認める形で中国に返還された。2012年に、中国はシーチンピン(習近平)国家主席が新体制を施いて以来、中国国家安全のためにキャリーラム特別行政長官をして、徐々に1国2制度の香港の自治を狭め締め付けてきた。
2019年、逃亡犯j条例改正案で容疑者を本土に引き渡すことを可能にする条例には、人口300万人香港の市民のうち、延べ200万人史上最大の反対デモが繰り広げられたが、キャリーラムはこれを意に介さず、さらに、2020年6月30日には国家安全法が採決され、ただちに施行された。終身刑を含む国家安全法により、区会議員47人に加え120人近くの逮捕者が出た。

2021年6月、民主派の新聞アップルデイリーでは主幹のジミーライが逮捕、新聞は廃刊、社の資産は凍結、従業員全員が解雇さた。2021年11月、香港アムネステイインターナショナル事務局が閉鎖され、その40年の歴史が閉じられた。
2021年12月29日には、スタンドニュース(立場新聞)の幹部6人が逮捕され、ニュース配信が停止させられた。さらに2022年1月4日、衆新聞も発信停止を命じられた。
2021年12月19日、香港立法会選挙が行われ、かつての民衆派の議員たちは立候補することさえできず、香港議会の90議席のうち89席は親中派に独占された。こうして100人以上の民主派議員の議員資格が失われた。また1月に香港大学にあった天安門事件記念モニュメントが未明に撤去された。
怒涛の勢いで、香港の中国化、同化政策が進んでいる。せめて私にできることは、この歌を歌い続けるだけ。そしてこの過酷な現実の目撃者となること、歴史の証人となることだ。




2022年1月6日木曜日

反戦歌としての「ダニーボーイ」

フェイスブックの場で歌ってきた曲も、いよいよ98曲目。「ダニーボーイ」を歌ってみた。

 愛する息子よ 軍がバグパイプをかき鳴らし おまえは戦争に  行く  谷から谷へ 山の斜 面を降りて 夏は終わり 薔薇は枯れ お前は戦場に 夏の草原に 谷が雪で白く染まるころまで ずっと待っているよ 愛する息子よ でもきっと   すべての花が枯れる頃 お前は帰ってくるまで おそらく私は待っていられなくて 土の下 お前が帰ってきたら 私が眠る場所を見つけて ひざまずいておくれ そして愛していると言っておくれ それを聞いたら 私は静かに深く眠ることができる 待っているから 息子よ 帰ってきておくれ

反戦歌。曲はアイリッシュ民謡。詩は英国人弁護士フレデリック ウェザリー(1848-1929)が、1913年に書いたもの。
子どもたちを戦場に送ってはいけない。どんな戦争も外交の失敗の結果だ。人は利害や方針が異なっても殺し合わなければならないほど大きな利害があるはずがない。日本の軍備拡大は他国への軍備拡大の歯止めにはならない。間もなく日本の人口の半分が50歳以上になる。現実に3人に1人が高齢者か障害者の老人国日本。日本人にとって今大切なことは、子供たちの命を守り、戦場に送り出さずに済むようにすることだ。ダニーボーイを歌うのは、これからの親達であってはならない。核も軍事力も持たないことが、最大の自衛だ。
I am singing [ Danny Boy] Ireland folk song. The text is written by English layer Frederic Edward Wealtherly ( 1848-1929 )on 1913.
The song means: a father has to send his son to war. The old father prays desperately son to come back home.
Recently Japan expends largely military defense budget. Any armed force- racing do not bring peace neither protection. A half of Japanese population will be soon over 50's of age. In reality 1 in 3 Japanese are disabilities or aged people. We should not send young people to war. No arm is the best arm.



2021年12月30日木曜日

2021年の終わりに「AULD LANG SYNE」(蛍の光)を

2021年の終わりに「AULD LANG SYNE」(蛍の光)を歌ってみた。
スコットランド民謡。日本では卒業式や図書館とか美術館の閉館を告げる目的に使われるが、原曲は昔の友達に再会できた喜びを歌った曲だ。ニューイヤーのカウントダウンに、新年に希望を託してこの歌を歌う。

1940年の映画「哀愁」(WATERLOO BRIDGE)では英国軍大尉(ロバートテイラー)とバレリーナ(ヴィビアンリー)が、ロンドンテムズ川に架かるワーテルロー橋で出会い、恋をしてこの曲でワルツを踊る。その姿は二人が互いになくてはならない存在となり、底なしの悲劇に向かっていく予兆のようで、優美ながら哀しい。ロバートテイラーにとってもヴィビアンリーにとっても、この映画が自分が主演した作品の中で一番好きだったと語っている。自分にも忘れられない映画だったので、ロンドンを旅行した時、感慨深くこの橋に立ち、映画の一コマ一コマを反芻しながら歩いて渡ったものだ。

2020年1月29日、英国のEU離脱協定案が可決されたとき、EU議会では、すべての議員が立ち上がり、これを歌った。去る側の英国議員のなかにも、まさかこんな結果になるなんて、と思いながら歌った議員も多かったろう。

  親しい友よ 古き昔のことも記憶から失せていく
  古き良き友のために 乾杯しようではないか
  我ら二人は丘を駆け上がり 可憐な雛菊を折った
  古きむかしから時は過ぎ
  我らは遠く離れて彷徨っていた
  いま親友の手がここにある 手を取り合い友情の盃を
  古き昔のために 乾杯しようではないか
I am singing [ Auld Lang syne ], Scotland Folk song. The text is a Scots poem written by Robert Burn in 1788. This is traditionally sung at the conclusion of New Years Eve.
Movie stars Robert Taylor and Vivian Leigh had dance with this music, that was unforgettable and beautiful in the movie tilted[ Waterloo Bridge] directed by Meriyn Leroy in 1940. The story is Army captain and ballerina met on the Waterloo Bridge during WW1, loved each other however end up in tragic.
on 29-January 2020,this song was sang by members of the European Parliament when the Brexit withdrawal agreement was passed, ending the UK membership in EU. Probably many members felt to be betrayed by people's choice of UK.
Many people will listen this song at the end of 2021 on count down, hoping new year will be better, healthy and joyful 2022.



2021年12月23日木曜日

オアシスの「怒りをもって振り返るな」とマンチェスター自爆テロ

オアシスの「怒りをもって振り返るな」を歌ってみた。
作詞作曲「オアシス」のボーカル、ギタリストのノエル ギャラガーによる1996年の作品。バンドは2009年に解散したが。2017年5月22日オアシス結成の地、マンチェスターで起こったイスラミスト自爆テロの時に人々の間で、この歌が蘇った。

この事件はまだ記憶に新しい。当日マンチェスターアリーナでは米国シンガー、アリアナ グランテのコンサートが行われていたが聴きに来ていた若い聴衆のうち22人が爆発で死亡、120人が受傷した。犯行はリビア難民の両親のもとにマンチェスターで生まれた22歳の青年によるもので、米国による空爆で殺されたシリアの子供たちへの報復だった、と解釈されている。
事件直後、犠牲者のために集まってきた人々の間で、自然発生的に誰かが歌い出した、この歌が一挙に広がり、その数日後の慰霊祭では、5000人の市民の間で大合唱された。この歌でマンチェスターの人々の心がひとつになったように、「怒っても振り返るな」というタイトルは、「辛くても前に進め」、「悲しくても後ろを見ずに前を向け」といった励ましを意味するようになった。歌がいかに人々に力を与えるかがわかる。

 心の中で探してごらん  きっとみつかる
 もっと楽しいところが そんなところはないと君は言うけど
 眼で見てきたものなんて すべてゆっくり消えていく
 僕はベッドから革命を起こす  君は僕をうぬぼれというけど
 真夏の真っ盛りだぜ そんな暗い顔して
 暖炉にうずくまってないで 出てこいよ そんなじゃ
 僕の心は冷えちゃうぜ サリーは待てる
 でもほんとは もう手遅れって わかってる
 でも怒りを持ったまま振り返るな どこへだって
 連れて行ってくれ 昼だろうが夜だろうがロックやってようが
 お前の人生、他人に振り回されるなよ

[Don't look back in anger] is a song by English rock band;
The Oasis, written by band guitarist, Noel Gallagher released on 1996. The band dissoluted on 2009, but this song returned on 2017 : Manchester Arena Bombing 22 young music funs were killed and 120 injured by terrorist. Manchester was home town of the Oasis. The citizen of Manchester 5000 gathered and proud of singing together for the bombing victims to show the city's spirit. [ Don't look back in anger] means ; We can't be looking backwards whatever happened. and we have to look forward to the future.





2021年12月16日木曜日

フェルデイナンド カルリのエチュード

フェルディナンドカルリ(1770-1841)作曲のエチュードを弾いてみた。
カルリはイタリア人でギタリスト、生涯に400曲余りのギター曲を作った。どの曲も哀調に満ちて美しい。
バイオリンは激しくエネルギーを消耗する全身運動で、健康で柔軟な体がないと音が出せない。昨年、自分が弾いたバイオリンの音に絶望してから、二度と楽器を手にしていない。しかしギターは主に指先運動で何とか音が出る。初心者ギタリストにとっては良いが雑音なしに弾くのが難しい。
この曲はカルリの教本の初心者用テキストの、ほんの初めの方の曲だ。400曲、カタツムリのようなスピードで少しずつ練習している。

もうじき1月が来る。オーストラリアに移住して26年、その間に娘が大学を卒業して家を出て行き、もう一人も自立して出て行き, オットが死んで、可愛がっていた愛猫16歳を昨年安楽死させ、一人暮らしの身になった。
今月末に72になるが、今だにフルタイムでナースをしている。日本人旅行者が居なくなったので医療通訳の仕事はなくなったが、今の職場に戻れば気心の知れた仲間がいた。しかし 一番仲の良かったナースは、香港の民主化運動に身を投じる、と言って去年帰国し、今は音信不通。もう一人の仲良しは先月眠っているベッドで亡くなっていた。徐々に友達が減って、寂しい限りだが、生涯続けていける職業に関りを持ち、後輩を育て、さらに芸術に関心を向き続けて、ずっと続けていける趣味を大事にしていきたい。

I am playing guitar etude written by Fernando Carulli ( 1770-1841), Italian guitarist and composer. He composed more than 400 guitar music. I'm doing practice little and little,,, but 400 etudes,, ,long way to go!



2021年12月8日水曜日

ビートルズの「インマイライフ」

ビートルズの「IN MY LIFE」(1965)を歌ってみた。
「いろんなことを思い出すんだけど 
僕の人生にも変化があって  永遠に変わってしまったところとか  なくなってしまった場所とかがあるけど  今もなお続いている場所もある  みんな、その時は特別だった  むかし愛した人とか 友だちとか  みんなちゃんと思い出せる  死んでしまった奴とか  生きてる人も  僕の人生で出会った人みんな愛してる  だけど  今まで出会ったどんな人と比べても
君みたいな人は他に居なかった  だから昔のこと 昔の記憶が遠く思える  この湧き上がる新しい愛  今も昔の思いは忘れないよ  立ち止まって昔のことに想いをはせる  だけど 今は 君のことをもっと愛していく   僕は今  君のことを もっともっと愛していく」

なんかとても初々しい恋の歌とも、若者の旅立ちの歌とも思える。ジョンレノンは「過去に愛した人や昔の友達へのセンチメンタルな思いを書いたんだ。」と言っている。ビートルズの曲213曲のうち、70%は、ジョンレノンとポールマッカートニーの作詞作曲で、二人共同のクレジットになっている。

ビートルズは1962年のレコードデビューから1970年の解散までの短い間に、どれだけ音楽の世界だけでなく社会に強い影響を与えたか語りつくせない。
自分は、彼らの歌を聞きながら、1968年に大学に入るなり、反安保、反ベトナム戦争運動の巨大なうねりに飛び込んでいった。この時期は社会での自分の立ち位置を決めるための重要な時期だったと思う。

[ IN MY LIFE ] is a song by The Beatles, written by John Lennon and Paul McCartney released on 1965.
The Beatles commenced recording from 1962, and they broke out on 1970. Only very short period they had worked together, however they effect huge influences not only to music but to society all over the world. For myself, I became university student on 1968 and immediately became a radical activist for anti-Vietnam war and anti US and Japan treaty. That 1960-70's were great period and that made me now.



2021年12月2日木曜日

最新スマホのCMにオールドヒットソング「I WANT IT THAT WAY」

アメリカンボーイズバンド:「バックストリートボーイズ」のヒットソング「I WANT IT THAT WAY」を歌ってみた。マックス マーチン作詞、アンドレアス カールソン作曲、1999年作品。

先週テレビを見ていたら サムサンのスマホ、ギャラクシーのコマーシャルにこの曲が使われていたので、ちょっと驚いた。

コビッドが、この2年間人々の生活をすっかり様変わりさせてきたが、そのうちのひとつに、1人1台のネット環境のスマホが必要不可欠になったことが挙げられる。シドニーでは牛乳1本を買うにも、スマホを通して店のQRコードを登録し、ワクチン証明書を見せないと、店に入れない。図書館にも学校にもどこにも入れない。私の職場では仕事前に、スマホでQRコードを登録し、ワクチン証明書を提示し、PCRテスト結果を見せ、勤務表を見せないと仕事も始められない。コロナによる失業手当も、休業手当もスマホを通して申請すると、その5分後には銀行口座に振り込まれていた、と聞く。便利だが、今や買い物も、公共料金支払いも、みなスマホを通してだ。
全世界の地球人が携帯電話の奴隷になった感がある。24時間スマホの微弱電磁波を浴びながら、右往左往している。私たちは、自分たちの親の生きた平均寿命を生き延びることができるのだろうか。

I am singing [ I want it that way ] released by American boys band [
Backstreet Boys] on 1999, written by Max Martin and Andreas Carlsson. Last week when I was watching TV, I found this song was used for commercial for SumSang Galaxy: the latest mobile phone.
It's interesting old hit song used for the latest high tech phone,, ,any way I don't want it that way.



2021年11月24日水曜日

「夏の思い出」とブッシュファイヤーと気候サミット

「夏の思い出」を歌ってみた。作曲:中田喜直、作詞:江間章子、1949年作。
これから本格的な夏にむかうシドニー。ああ、またブッシュファイヤー(山火事)の時期になるのかと思うと恐ろしい。
2019年10月からオーストラリア全土で5か月間燃え続けたブッシュファイヤーでは、33人死亡、770万ヘクタール消失、焼失家屋2500軒、400人余りが煙害、有害微小粒子による喘息で死亡。同じころブラジルで山火事が起きて話題になったが、その面積の5倍の面積が燃えた。その後2月に降り始めた豪雨が1週間続き、大規模な水害を起こしながら、燃え続けていたブッシュファイヤーは消火された。
シドニーに住む自分の家にも燃えがらが沢山飛んできたし、空が昼も夜もオレンジ色に覆われる姿には、この世の終わりか、と思い、喘息もちには24時間呼吸が苦しい日々が続いたし、その後の豪雨では、浸水で車が被害を受けた。

この11月グラスゴーで、1980年代からの新自由主義による野放しの資本主義が地球のCO2を破滅的に急増させた、という前提にたって、気候サミットが開催された。世界中の国々が2050年までに地球上のCO2を減らし気温上昇を止めるために、いかに脱炭素社会を作るかについて、話し合われた。そして、予想通り石炭火力発電をゼロにするという、最も基本的な合意が反故された。
インド、米国、オーストラリアがゴネた。黙っていた日本も姑息なことに、石炭火力発電所をこれからも、新規建設する予定を変えていない上、インドネシアやバングラデイシュに発電所を輸出する予定だ。オーストラリアも資源国だから、石炭輸出に経済を支えられている。みんなカンニング国家、チーテイング常習国ばかり。グレタ トウンバーグら若い人々が怒るのが当たり前だ。

地球上の水分は総体的に変わらない。地球の一方で日照り、山火事、砂漠化が進んでいれば、一方では洪水、豪雨、地滑りで被害が出ている。
暑い時、寒い時、地球の反対側で暮らしている人たちは、いまごろどうしているのだろうか、と、いつも考えをめぐらすことができる人間で居たいと思う。
I am singing Japanese old song[ Memories of Summer ] written by Yoshinao Nagata.



2021年11月17日水曜日

「スタンドバイミー」とマゴと燕

ベン E キングが歌っている「スタンドバイミー」を歌ってみた。
原作スチーブン キング、監督ロブ ライナーによる1986年の同名の映画のテーマソング。ひと夏の12歳の子供たち4人の甘辛な冒険物語。映画史に残る永遠の名画。
これから、本格的に夏に向かうシドニー。毎年この時期には渡り鳥の燕が、うちのアパートのガレージに巣を作る。ガレージは半地下で出入り自由になっているので、その天井に巣が6つほど出来ていて、それぞれ3,4羽のヒナがいる。彼らはエサを運ぶ親鳥を待ち構えていて大騒ぎ、喧しいほどだ。

ニューサウスウェルス州では、コビッドワクチンを2回接種した人口が州人口の94%を超えたので、やっとロックダウンが緩やかになって、半年も会えなかった娘たちとマゴ達が、訪ねてきた。半年も会えずにいてウカウカしている間に、マゴ娘に身長を越されていた。
この日、マゴが、巣から落下した2羽のヒナを見つけた。気温は22度なのに冷たい強風が吹きまくって体感10度の寒い日だった。冷たいコンクリートの暗い隅で震えている。「触るな、落ちたヒナをうちに連れ帰ってはいけない。まだ赤ちゃんで人からは食べ物を受け付けられず死なせることになる。」と獣医の娘は、激しく言う。
なんかシュンとして、みんなよく眠れない夜が明けて、マゴたちは、どっかから誰かさんの、高くまで登れるハシゴを勝手に持ってきて、2羽のヒナを巣にもどすことに成功。巣の中でちゃんと親が運んでくるエサをピーピーいいながら待っているのを確認。ああよかった。ああ嬉しい。

その日の午後、娘一家が帰る時、巣の横に駐車していた車を出そうとしたら、2羽の親鳥がチョコンと横に張られた電線に並んで、こちらに向かって姿を見せた。彼らのありがとうというメッセージをしっかり受け止めて、マゴたちは帰っていった。6か月ぶりに二人の娘とマゴ達に会えたこと、2羽のヒナを救命できたこと、それはそれは、しみじみと良い日だった。
I am singing [ Stand by Me] by Ben E Smith ; the theme song of same titled movie. The film is a 1986 American film directed by Rob Reiner, based on Stephen King's novel. River Phoenix and other three 12 years old boys go on a adventure trip, bitter and sweet story, that is unforgettable, one of the best movie.