2010年10月3日日曜日

キンバリー10日目 ホールスクリーク




アーガイルダイヤモンド鉱山から350キロメートルの距離を走る。着いたところは ホームズクリーク、アボリジニーの町だ。
1885年に金が発見されて 牧畜ばかりでなく鉱山として栄え、ゴールドラッシュで、一挙に人口が増えた。今は人口4000人。


町に行く途中に、「チャイナ ウォール」という奇観をほこる名所がある、と言うので行ってみた。なるほど1000メートル近い岩壁の先端だけが白くギザギザになっていて、切り立っている。それが見ようによっては、中国の万里の長城に見える。岩岩の白い先端は、クオートストーンで、自然に山の侵食をくりかえすうちに、露出したものだという。カメラに収めて 険しい岩壁と砂漠のなかの ちいさな町に戻る。

ホールスクリークの町は よく整備されていて、学校も職業訓練校もある。小学校には25メートルプール、病院、スーパーマーケットもあるし、パブも2軒ある。
公園は広々としていて、ヴィンセント イヤーリの銅像が誇らしげに立っている。彼はアボリジニーの英雄。アボリジニーの公民権獲得のために大掛かりなストライキを戦いとって、キャンベラまで行って アボリジニーの人権抑圧を訴えた人だ。となりには、金鉱で、昔使われていた掘削機や蒸気によるピストンなどが、展示されている。木陰には アボリジニーの老人達が座り込んで のんびりしている。

今までオーストラリアの北端ダーウィンから西オーストラリア州キンバリーをリ旅行してきて、ホールクリークは いちばん「アウトバック」といわれる 文明のどこからも一番遠い、田舎の過疎地だ。しかし、ここのモーテルで出された食事が一番 本格的な料理で、それが今までに無く とても美味しかった。オーストラリアはイギリス人の移民で出来た国だから、料理には何も期待できない、と言う事実が常識だ。肉は焼くだけ、野菜はクタクタに茹でるだけ。生ぬるいビールと砂糖の乗った馬鹿でかいケーキのデザート、これが典型的なオージーデイナーだ。

このモーテルのレストランは、まず外見からしてファンシー。赤一色の壁と椅子とテーブル、テーブルナプキンまで深紅。壁にはジェームス デイーン、フランク シナトラ、マリリン モンロー、サミーデイヴィス ジュニアなどの写真が一面に飾られ、ジュークボックスには、プレスリーが、、、。
ビュッフェの料理は チキンのパイ皮包み、薄切りビーフのレバーロール、ビーフストロガノフに、ポトフー、野菜もサラダが5種類選べる。ケーキは昔々おばあちゃんが焼いてくれた硬いパンプキンケーキの砂糖乗せ とかいうのじゃなくって、柔らかくて甘すぎない上等のマンゴーケーキとチョコレートケーキだった。久しぶりの料理された料理に 大満足。どんな田舎にも、ハリウッドファンは居る。そしてファンシーな趣味、良いテイストをもった人たちはいるものなのだ。

翌朝、職業訓練学校を覗かせて貰う。
40人の若い人たちが ここで職業訓練を受けている。ビジネスコースと鉱業コースとがあって、将来ダイヤモンド鉱山や その他の鉱山で働く人を育成している。アートコースもあって、見学を許された。たくさんのアボリジニーの絵画や 壁飾り、ガラス細工などの作品が無造作に積み上げてある。3-4人の生徒が キャンバス ペインテイングを製作中だった。
作品を交渉次第で購入することもできるかもしれない と聞かされていた。若い生徒達に絵画を教えている年配の女性の説明を聞いて 彼女自身の作品を見せてもらった。なかで、赤い土色に、湖を描いた絵が とても気に入った。絵の値段を聞いてみたら 300ドルという。財布を探ってみると 手持ちは200ドルとコインだけ、、。失礼を承知で、「あなたの絵が欲しいけれど これしかない。」と言って財布を見せると 彼女 優しい笑顔で、持って行きなさい と絵を包んでくれた。

絵は赤土の大地に5つの湖がある。ここがわたしの生まれたところなのよ と、穏やかな笑顔で説明してくれた。年のころなら60くらいだろうか。THELMA MOGINTY という彼女の名前が表の絵の下にサインされている。アイリッシュの苗字を持っている。アボリジニーの子供達の多くは キリスト教育を施すために 子供の時に白人家庭や教会施設に入れられて 実際の親と引き離されて育った。そのためイングリッシュネイムをもつアボリジニーが多い。
とても細かい 手の込んだ 時間をかけて描いた作品だ。アボリジニーの絵を その本人から手に入れることができた、ということが とても嬉しかった。一緒に見学した人たちから 買ったばかりの絵を見せて、見せて と請われて、うらやましがられる。他の人たちは アートクラスのマネージャーを通して絵や作品を買おうとしたが 高価な値を言われて 買うことが出来なかったそうだ。わたしが、クラスに中に入っていったとき、絵を売ってくれた人と目が合って、自然と彼女と会話ができたのだったが、そうして絵を買うことが出来たのは 幸運だったようだ。とても嬉しい。うちの家宝ができた。
きょうもビールが美味しいはずだ。

写真は、1)購入した絵:オイルペインテイング 2)バオバブの木の実に彫刻:アボリジニーアート3)チャイナウォール

2010年10月2日土曜日

キンバリー アーガイルのダイヤモンド鉱山




西オーストラリア州キンバリー地区のエル クエストで2日間 渓谷を見て遊んだあとは、4輪駆動のコーチに乗ってアーガイルに向かう。グレートオーシャンハイウェイを320キロメートル。世界中のダイヤモンドの35%を採掘している アーガイルダイヤモンド鉱山を見る為だ。このアーガイル ダイヤモンド鉱山は リオ テイントが所有している。そしてリオ テイントの最大株主は エリザベス女王だ。

鉱山の3時間見学コースと いうのに 50人の見学者とともに入った。 皆オージーだが、鉱山の見学に興味深々だ。厳重な警備をしている山の入り口で、案内役のアボリジニーの青年が 私たちの乗ったバスに乗り込んできて、案内してくれる。
とんでもなく大きな敷地に7台の大型トラックが 山を削って掘って採掘した鉱石を運び出している。ダイヤモンドは 16億年も昔 火山によって、噴火して急速に冷却した鉱物が固まったもので、1980年から掘り始めて、もうすでに7千800万トンのダイヤモンドを掘ってきたそうだ。現在400キログラムの掘った岩にひとつの割合でダイヤモンドが採掘されている。20キロから30キロほど 地下を掘って 出した鉱石をテニスボール大に砕いて ベルトコンベアーに乗せ センサーを通じてその硬度から、ダイヤがあるかどうか 調べるのだそうだ。年間7トンのダイヤモンドが採掘されている。

働く人は皆 1日12時間 シフトワークで、それを2週間続けて、2週間休むことが出来る。鉱山が人里離れたところにあるので、ワーカーは みな寮住まいだ。2週間1日12時間労働をしたワーカーは 寮を出て、2週間実家に帰って休養する。
2020年には この鉱山は操業を止めて 掘ったところは人口湖にして、土地を自然に返すのだそうだ。
採掘されるダイヤモンドのうち 75%は産業用で、残りが宝石になる。この鉱山では シャンパンカラーといわれるイエローダイヤモンドと、世界でも極めてまれなピンクダイヤモンドが採掘される。装飾用イエローダイヤモンドは インドに送られ、ピンクダイヤモンドはパースに送られて、削ったり カットされたり磨かれたりするという。いまは、ピンクダイヤモンドが一番人気があって、価値も高いそうだ。

見学と説明が終わると どうぞご自由に、と職員食堂に通される。ホテルのビュフェスタイルの食堂でセルフサービスだ。コールドサラダはローストビーフやチキン、シーフードサラダなどがきちんと並んでいるし、メインの肉も魚も何でもある。コーヒーは エスプレッソもカプチノもあって、果物も豊富。みんなはしゃいで、さっそく食べ始める。オットは 脂ぎったベーコンや肉に齧り付いている。肉食人種だなあ。
アイスクリームが 20種類も並んでいるのを見つけた。「わー、ヴァニラもクッキー入りアイスも チョコレートクラッシュも、ラム入りも、ナッツ入りも、カフェオーレ味も、イチゴシャーベットも、メロンも、バナナも、レモン味も、わー、マシュマロ入りも、わーわーわーマーブルチョコをトッピングできるよー。」と、思わず うれしくて叫んで、全部の種類を大きなどんぶりに一口ずつよそっていたら、他の人たちも寄ってきて、同じことをする人の群れで 長い列ができた。50人の見学者たち、全然可愛くない、お菓子の家を見つけたヘンゼルとグレーテルになっってしまった。

こうして設備の整った寮、申し分のない食堂、清潔な職場を見学すると とても良い職場だな、と思うが 働いている間中 モニターで監視され、自分の自由がない2週間ごとのシフトワークは 私には無理かもしれない。セキュリテイーガードは 6ヵ月毎に 全く新しい人に入れ替わるそうだ。癒着とか汚職とかをなくす為らしい。
24時間操業、12時間シフトということは、今でも この建物で、誰かが寝ている訳です、と言われてしまうと 宝石展示室を見ても、あれがいい、これがいいとか、大騒ぎ できなくなってしまった。食べ終わったあとの見学では、急に静かになる私たち、、、。

いま旅行しているキンバリー地区のキンバリーは、南アフリカのダイヤモンド産地のキンバリーに地形や景観が、似ているから ついた名前だそうだ。見せてもらったダイヤモンド鉱山は 2020年に閉山されるそうだが、探せば まだまだ近くからダイヤが出てくるだろう。近くの油田からは 原油が採掘されているし、沖合いからは天然ガスの採掘も見込まれている。ニッケル、亜鉛 ウランなど キンバリーには探せばいろいろまだ出てくる可能性に満ちている。キンバリー地区は 古い大陸だけに、宝ものでいっぱいだ。
今日もビールが美味しいだろう。

2010年9月30日木曜日

エル クエスト 滝つぼで遊ぶ




キンバリー7日目の旅。
エル クエストに着く。エル クエストはとても素敵なところなので、特別な思いが残っている。
規模の大きさも そこにいたる道のりの遠さも、ぜんぜん違うが、エル クエストは 戦前の開発前の 上高地のようなところではないだろうか。戦前の上高地といっても 私はまだ生まれてないけれど。母から聞いた上高地のイメージにぴったりなのだ。
母は 大正生まれのモガ(モダンガール)だった。結婚前はベレー帽にカーリーヘアで、スカート姿でスキーをしたり、オープンカーで銀ぶらをしたり、軽井沢でテニスをしたり、2人の兄たちと上高地を散策したりしていた。私が穂高から下山してきた と言ったら 普段は無口なのに、珍しく目を輝かせて、昔の上高地の様子を話し出したので びっくりしたことがある。そんな母の思い出の詰まった上高地は きっとエル クエストのように輝いていたのだろう。

エル クエストは四方 高い岩山に囲まれて 渓谷があり、泉があり、滝がある。植物層も豊かで 鳥も多い。
テントに2泊した。夜でも猛禽類だろうか、鳥の声がする。朝には様々な鳥たちの声で にぎやかでとても寝坊していられない。テントには、簡単なバスルームも水洗トイレも ついているが、シャワールームに カエルが居た。うすい茶色の5センチくらいのカエルで とてもフレンドリー というか 中に入って シャワーを浴びても逃げようとしない。カエルと一緒に水浴びをしたのは、初めてだ。
テントから出て、バンガローに食事に行く。朝から強い太陽が激しく照り付けているが、山から吹き降ろす風が心地よい。バオバブの大きな木の根元に 地下水を引いている水場がある。水筒の水を一杯にする。

テントから岩山を歩くこと2キロ。
ガイドの後をついて、大きな岩をつかんでやっこらさ と登るような急な山道だ。情け容赦ない太陽に焼かれながら、岩を登って たどり着いたところは エマ渓谷の滝つぼ。エメラルドグリーンの素晴らしいプールがあった。まわりは数百メートルの岩で囲まれた自然のプールに いくつかの滝が流れ込んでいる。岩から沢山のツルが下がっていて 映画ターザンの出てくるみたい。競技用のプールを2つ合わせたくらいの大きさだ。うっそうと緑のコケや植物が生い茂る岩壁の美しさ。文字通りのエメラルドグリーンの水。ガイドについて ここまで来た10人くらいの人々はさっそく岩場に隠れて水着にかえて、ジャポーン。岩に囲まれた滝つぼ、、、さぞ水は冷たい、と恐る恐る水に入ってみると20度くらいに 水は温まっていた。岩がコケでぬめるが足が立つところだけで、バシャバシャやって、とても満足。滝の真下までは 泳いでいく勇気がない。帰りは大満足で きつい岩下りも鼻歌まじり。

エル クエストは ここ20年ほどで開発された休養地だ。もとは アボリジニーの人しか住んでいなかった。深い山林を切り開いてテント村が作られて 一般の人が滞在できるようになっている。このエル クエスト全部の、山奥の広大な土地を所有するのは たった一人の人。その所有者の家は 厳しい警備と山林で囲まれていて 山道からは 屋根がちょっと見えるだけだ。所有者とそのゲストはヘリコプターでアクセスする。インターンネットで予約すると 所有者とそのゲストが使わない時は 一般人も宿泊できるそうだが、1泊$1700もするそうだ。

翌日エル クエストのチェンバーライン渓谷を観にいく。
50人乗りのグラスファイバーボートに乗って、渓谷を見て回る。赤い切り立った岩山が両側にそびえる。深い緑色の水の上をボートが走る。操縦士も説明する人もアボリジニーだ。
河の中ほどに来た時、船が止められて、みんなに魚のエサが配られた。エサを指でつまんで水にかざして エサを落とすまねをしてごらん と言われる。やってみると、びっくり、寄ってきた魚が次々と 口から水をピューと、勢いよく飛ばすので 水にかざしていた手が びっしょり濡れる。あちこちから 驚きと嬉しい悲鳴。口の中から勢いよく水を飛ばして 飛んでいた虫を落として食べる魚、アーチャーズフィッシュという魚だそうだ。ヒゲをもったキャッツフィッシュも出てくる。

魚が水を飛ばす騒動が治まると、操縦士が今度は勢い良くシャンパンの栓を抜いて、グラスが配られる。おまけに新鮮なメロン、パパイヤ、スターアップル、スイカ、マンゴスチンなどの果物まで。サービス満点だ。趣のあるアボリジニーの語り手で案内されたボートで、緑の水、赤い岩山、青い空、シャンパンに 甘みのある果物、、、他に何が要るだろう。ぜいたくな水あそびの午後、、、。
今夜もビールが美味しいだろう。

2010年9月29日水曜日

キンバリーの旅 第6日目ペリーラグーン




今、旅をしているのは 西オーストラリア州のキンバリー地区とよばれるところだ。キンバリーは面積にして434,517平方キロメートル、西オーストラリアの6分の1を占め、日本の1,1倍の大きさがある。北にチモール海、西にインド洋に面しており、西オーストラリア州で一番暑く 雨期の始まる11月にかけては 37度、内陸部では40度にもなる。

今日は ペリーラグーン、干潟、湿地帯に入る。何千、何万という鳥が湖やまわりの木々に羽を休めている。
シドニーでも よく観られる騒がしい白い大きなインコ:サルファークレステッド コカトゥー。
愛らしいキングフィッシャー:カワセミは体に比べて 頭が大きくて可愛い。
ジャビルーというアボリジニーの愛称でよばれる足が赤く 体が白と黒のコウノトリ。黒くて長いくちばしで魚を取っている。
ブラックコカトゥー(黒インコ)は、全身黒いのに尾だけが赤くて とても大きい。
ブラミーカイトというトビは 白い胸に茶色の羽で悠然と飛んでいる。立派なので はじめはこれが 海の王様、シーイーグルだと思っていた。
シーイーグルは美しい白い胸に黒い翼で雄大、さすが王様の貫禄。ブラックブッチャーバードというモズもペリカンもガチョウまでいる。

鳥を見るための遊歩道と展望台が定められていて、それ以外のところを歩くことは禁じられている。ワニがいるからだ。
ワニには淡水ワニと海水にいるワニの2種類がいる。湖に居るワニは小型で人を襲わないが、海のワニは人でも動物でも何でも食べる。ワニを食べる地元のアボリジニーでも うっかりすると ワニに食べられる。
数年前、3人のアボリジニーの青年がキャンプをしていて、2人の見ている前で一人がワニに襲われて食べられた。二人は 立ち木に登って難を逃れたが、他のワニたちにとりかこまれて3日間 木から下りてくることが出来なかった。3日間、木に掴まって助かった青年達も偉いが、3日間人があきらめて落ちてくるのを待っていたワニも我慢強くて執念深い。

ペリーラグーンから アボリジニーの町 ウィンダムに入る。
人口1000人。かつて 人々は牧畜と食肉加工に携わっていた。屠殺した牛や羊の肉は冷凍処理をして外国に輸出したり他州に発送する。用のなくなった肉や骨は河に捨てられる。その血の匂いでワニが集まってきた。ところが近年では 牛も羊も生きたまま インドネシア、エジプト、サウジアラビア、中東の国々に輸出するのが主流になった。モスリムの国では生きたままの家畜を買い取り お祈りをしながら殺した肉しか食べないからだ。
これがまた、オーストラリアの動物愛護団体からクレームがついて、毎年のように問題になっている。生きたままの食肉牛が狭い船のなかで横になるスペースもない状態で運ばれる為死亡率が高いからだ。いまでは徐々に 運送中の環境が改善されてきた という。
今日も一日晴天で 暑かった。
ビールが美味しいはずだ

2010年9月28日火曜日

バングルバングルを飛ぶ




北部準州ダーウィンから 500キロ走ってキャサリン渓谷を見て、また500キロ飛ばして、西オーストラリア州 キンバリー地区のクヌヌラに来てアジル湖 オルド河下りをした。
今朝は5時に クヌヌラから150キロ走って小さな飛行場に来た。ここからパーヌル国立公園、バングルバングル山脈を上空から見る。

パーヌル国立公園は 世界自然遺産に指定されている。パヌールとはサンドストーン(砂岩)という意味。バングルバングルと言う非常に珍しい奇観を誇る山脈をもつ。横縞もようの釣鐘型の山々が 23万ヘクタールという途方もない広さで広がっている。デボン期 3億6千万年前に形造られた自然奇観だ。サンドストーンと微生物に侵食された鉄を多く含んだ岩の層とが地殻変動と水と風による侵食をくりかえして 山々の横縞もようを作ってきた。

ここが発見されたのは つい25年ほど前の話だ。それまでは この山々を知っているのは 地元のアボリジニーと、近くのダイヤモンド鉱山に働く限られた人だけだった。雨期の11月から3月までは ここに至る道が閉鎖されるため 1年のうちの半分 乾期にしか入れない。乾期でも 道が険しいので4輪駆動のジープに、ガイドつきでないと入れない。一般的なのは 小型飛行機で国立公園内まで入り、そこからジープで見て回る方法だ。

5人乗りの小型飛行機で クヌヌラを発つ。ここから550キロも距離を 上空500キロから3500キロの高さで、飛ぶ。乗っているとエンジンの音が ものすごくうるさい。ごつい航空用イヤホンをつけて、狭い椅子にすっぽり入り込み、キャプテンパイロットの指示に従う。
朝日が昇ったばかり。今日も晴天。ヒョイと、飛行機は空に浮かんだ。
アジル湖の緑、オルド河の青、一面灌漑で潤された農地の緑、赤い大地、青い空。

30分たったところで 飛行機は急にガスに囲まれる。キャプテンが「今日は バングルバングルを飛ぶには雲が多すぎるよ。ダイヤモンド鉱山だけ観て帰るかい?お金は半分返すよ。」と、、。キャプテンの声は良く聞こえるが 私たち乗客の声はキャプテンには聴こえない。ジェスチャーで、「いやだ。いやだー。帰りたくないー。」「バングルバングルまで曇っていてもいいから 飛んで、飛んでー!」と必死で訴える。他の3人も 悶えんばかりに行きたい行きたい行きたいと ジェスチャーで斉唱する。その勢いに折れて、キャプテンは雲の中を飛ぶ。横を見ると 同じ頃飛び発った 他の客を乗せた小型飛行機が 雲のずっと下を飛んでいる。それならば、、、と、こちらのキャプテンも グンと機体を低くして 地上500メートルを飛んでくれた。

雲の下、バングルバングルの山々の頂上スレスレを飛んでもらって 見た山々の素晴らしいこと。ただただ見惚れる。
山々の美しい 渦巻き模様、重なる山脈の模様の色合いは 山ごとに異なって それぞれの美しさを競っている。3億6千年前から侵食を続けてきた山々の大きさ。自然の形造る芸術作品に、感動する。バングルバングルの上を何度も何度も旋回してもらう。
そのあとアーガイルダイヤモンド鉱山の上を飛んでもらって、クヌヌラに帰る。

帰り道 ガスのなかをキャプテン 後ろを見たり横を見たり キョロキョロして、私に「他の飛行機どこだろ?」を聞くのには びっくりした。え?私たちが他の飛行機がどこを飛んでいるか 探さなければならないの? ガスのなかで、突然目の前に他の飛行機が現れた時では、もう遅いのではないでしょうか。空中衝突。
ということはなく、無事に飛行場に着陸。
とても良い飛行だった。
バングルバングルは 予想以上の美しさだった。
きょうもビールが美味しいはずだ。

2010年9月27日月曜日

州境を越えて キャサリンからクヌヌラへ




旅をはじめて第4日目
北部準州のキャサリンから さらに500キロメートル車を走らせて、州境を越えて 西オーストラリア州に入る。
州境では 厳しい荷物検査がある。リンゴや蜜柑、ローストしてないナッツ、植物、昆虫などは、すべて取り上げられて棄却される。生ものに付いているかもしれない農作物に害になる害虫の卵などを 西オーストアリア州に持ち込ませないためだ。

到着した町は 西オーストラリアで一番新しく出来たばかりの町、クヌヌラ。
1960年にオルド河かんがい工事をするために、人口が増えて、町になった。山々と渓谷から落ちてきた水を貯めて 人工的に湖に変えたのが アジル湖(LAKE ARGYLE)。オーストラリアで一番大きな人工湖だ。豊かな湖の水はオルド河に流れ、水力発電に使われ かんがい用水として牧畜、農業に使われる。また、毎年のように新しく発見される鉱物資源の発掘にも使われている。
鉱物資源というと、必ず名前が出てくるのが リオティントとPHB、世界最大の地下資源を牛耳っている。これがオーストラリアの経済基盤を握っていて景気の上下を左右している。採掘しているのが 金、ダイヤモンド、亜鉛、ニッケル、銅など。世界で産出されるダイヤモンドの3分の1を ここで産出している。農業では、バナナ、マンゴー、メロン、麦、大麦など、近年では、サンダーウッドの植林が主流になってきている。

クヌヌラでは こういった開発が始まる前は 長いこと デュラックファミリーが牧場を経営していた。彼らは、まず土地を買い、所有した1万2千平方メートルの土地に5万頭の牛を持って牧場を始めた。
オーストラリアが 50万年前に、南極大陸から分離して以来、厳しい自然のなかで 火星同様の表土を持つ砂漠ばかりのオーストラリアで 岩と渓谷から流れ落ちた水で湖を作り、灌漑施設を作り、牧場と農業を確立したイギリス人開拓者たちの努力と開拓者精神の強さに思いを馳せる。

現在1万4千平方メートルの土地が 灌漑工事によって潤され、牧畜、農業、鉱業を成功させ、オーストラリアを支える経済をこの一番新しい人口たった6000人の町が代表しているわけだ。
クヌヌラの町を歩いてみる。あるのは しょぼい銀行、スーパーマーケット、酒屋など。滞在したホテルはバンガロー風。アジル湖、オルド河に作られた水力発電で、電気はあるものの おせじにも一流ホテルとはいえない。年間平均気温が35度。もともと西オーストラリアは オーストラリアの中でも一番 年間平均気温の高いところだ。ここには住みたくないが、家を買うとすると平均的安つくりの3寝室の家で7千万円、と聞いて驚愕する。鉱山開発で、次から次へと新しい鉱物資源が見つかり、農業も順調で人が足りなくて 家も足りなくて家がものすごいスピードで値上がりしているのだそうだ。

北部準州の地図を広げてみると、その多くが グレーの色に塗り分けられていて、アボリジニーの土地ということになっている。5万年も前から 元来アボリジニーの土地だったオーストラリアに イギリス人が入植して以来 砂漠ばかりだった土地に水を引き、農業、牧畜を持ち込み人が住めるようにして、さらに地下資源を確保してきた。
そのあとで、公民権の認知を経てアボリジニーが土地所有権を主張して、裁判では かなりの土地がアボリジニーに返還されてきた。しかし、現実には狩猟で生活をしてきたアボリジニーは、白人入植者たちの経済活動に協調して生きていくしか他に方法はない。土地所有権は返されても 近代生活の中で 農業、牧畜、鉱業に、雇われて給料生活者となり 折り合っていくしかない。

一方、北部準州の20%あまりの土地を占めるアーネムランドが 残されており この広大な未開発の土地には 完全なアボリジニー社会が残っている。ここには部外者は立ち入ることが出来ない。許可されたものだけが出入りできて、完全なアボリジニーだけの世界が残されている。
現実と、あるべき姿としての理想、この2つが何とか折り合いながら やりくりしている姿が 現在のオーストラリアの姿だ。
500キロメートルあまりの移動。
今日もビールが美味しい。

写真は、アジル湖、湖畔の木にとまる蝙蝠、灌漑農地

2010年9月26日日曜日

キャサリン渓谷を見る





北部準州のダーウィンから キャサリンの町に向かって スチュワートハイウェイを南下する。距離は450キロメートル。

スチュワートハイウェイの名前は ジョン マクドナルド スチュワートという南オーストラリアからダーウィンまでオーストラリア大陸縦断を初めて走破した冒険家の名前からくる。また、向かう先のキャサリンという町の名は このスチュワートの大陸縦走を資金面で支えた南オーストラリアの大富豪家 ジェームス チェンバーの娘の名前だ。ジョン マクドナルド スチュワートの偉業は 大陸縦断のみならず、電信通信網を施設するための予備調査をして オーストラリアの南と北を結んで通信網を確立したことにある。彼は行動力も判断力もあり 探検隊長として、部下一人として失わずに全員を生かして帰した。立派な冒険家だったが、後半生はアルコール中毒で惨めに死んでいった。彼の葬式に参列したのは たった7人だったという。4人が親戚で、3人がナショナルジェォグラフィックの社員だった、と。なんて、素敵な奴なんだろう。

450キロメートルのダーウィン、キャサリン間を私たちを乗せた車は時速150キロで飛ばしていく。この北部準州では 3年前まで 車の時速制限がなかった。北部準州は人口もわずかで3分の2がアボリジニーだ。なかでも町と呼べるのは アリススプリング、エアーズロックとダーウィンくらいだ。広大な土地にわずかな人口しかいないので 地元の人は車をとばす。この州で 事故を起こすのは85%が観光客だった。自動車事故で亡くなる人が他州の人ばかり、、、ということで批判が集中して ついに北部準州でも道路スピード制限が制度化されて 2007年から最高速度が130キロと、決められた。その結果、今度は事故を起こすのが地元の人ばかりになった。130キロなんて、トロトロ 人一人いない赤土の大地を走っていると 退屈で退屈でハンドルを握りながら 眠ってしまうからだ、という。

まあともかくダーウィンからキャサリンまで スチュワートハイウェイを 400キロあまり走ったところで、キャサリン渓谷に到着。
キャサリンの町は人口1200人。

鉄分を含んだ激しく赤い色をした岩山を越えて 渓谷を渡るグラスボートに乗り込む。両側を切り立った屏風のように聳え立つ岩の間をボートが渡っていく。両側の岩は1000メートルちかい。何千年も時間をかけて雨期と乾期を繰り返しながら 岩を侵食してできた自然の渓谷だ。空が青い。岩が赤い。水が真緑だ。気温が36度で 太陽が情けも無く照りつける。荒々しい赤い岩壁と岩壁のあいだを、キャサリン河とヴィクトリア河が流れていく。迫力満点。2時間あまり、グラスボートを乗り換えて、二つの渓谷を渡って また戻ってきた。河をわたる風が心地よい。

6000年以上前のものと言われるアボリジニーの壁画を観た。高い壁に描かれた数人のアボリジニーの仲間の絵だ。ボートから20メートルほど高いところに 描かれているので写真に取ったが、あまりはっきり見えないのが残念。6000年の月日がたって、今なお人の心に訴えてくる壁画の威力に圧倒される。

グラスボートを降りたところで 「アイ ラブ ツーリスト」と言って口を大きくあんぐり開けているワニの立て看板をみて 思わず笑う。「ワニに注意」とか、「泳ぐな!」とか命令調の注意書きより ずっと気が利いている。
今日もビールが美味しいはずだ。

2010年9月25日土曜日

北部準州ダーウィン 第二日目




気温35度、日中の日差しが強くて ちょっと街と海辺を散策しただけで たちまち真赤に日焼けした。ダーウィンの街は こんがり日焼けした若者であふれている。世界中からやってきたバックパッカーたちだ。街にはマックも コールススーパーマーケットも ユースホステルもある。しかし海は ワニとクラゲがいるので 波乗りや遊泳などはできない。テントを載せてキャンプして移動しながら ダーウィンからカカドウ国立公園を見て回る四輪駆動ジープの旅をする若者達の顔は 冒険者達の顔だ。良い顔をしている。

ここ 北部準州(ノーザンテリトリー)の議会と博物館を見る。
博物館は美術館も兼ねていて アボリジニーのキャンパスに描かれたみごとな絵画がたくさん並んでいる。アボリジニの絵画は それぞれの土地の泥とか植物を顔料に使っているので 描かれたときと同じ状態に温度と湿度を維持するのが とても難しい。アボリジニーの作品は維持費が他の絵に比べて 何倍もかかるし、維持するのが大変だと、美術館のアボリジニーのスタッフが言っていた。

博物館の中に 1974年のクリスマスイヴに ダーウィンを襲ったハリケーン トレイシーに関する一角がある。このハリケーンでダーウィンの70%の建物が崩壊して、50人の死者を出した。このときの風速150キロというとてつもない殺人的な風の音を 来館者に体験させるための小部屋がある。真っ暗な部屋の中に入ると 風速150キロが襲う風の音を再現してくれて、ハリケーンの恐怖を体験させてくれる。一人で入ったので、とても怖かった。

ダーウィンというと、必ず1974年のハリケーン トレイシーの話が出てきて、ついでに1942年の日本軍ダーウィン爆撃の話がでてくる。これはもう、セットメニューのようなもので、避けて通れない。1941年12月 日本軍はパールハーバーを攻撃したあと、1942年2月には ダーウィンを 242機の戦闘機で爆撃したため 湾内にいた6隻の大型船が沈められ、市庁舎、病院などが破壊、243人の民間人、軍人が亡くなった。パールハーバーとちがうところは、一回だけの攻撃ではなくて、日本軍はここを1943年までの間に、何度も繰り返して空襲したことだ。したがって、いまだにダーウィンでは 日本人の受けが良くない。

ダーウィンにはたくさんの岬があるが、先端はみな軍事基地になっていて、立ち入ることが出来ない。イラク、アフガニスタン、スリランカなど、内戦状態にある国々から、ボートでオーストラリアに難民としてやってくる人々が押し寄せるからだ。ブラックマーケットが インドネシアにあって、人身売買のプロが 難民受け入れの時期を読みながら 小さな漁船で 一人200万円とかを取り立ててボートでやってくる。世界で戦争がある限り、また富める者と 何も持たない者がある限り 難民として自分の国を捨てる人は後を絶たない。欧州でも米国でもオーストラリアでも日本でも 難民受け入れは 簡単に解決することのできない難題だ。

明日から ダーウィン発キンバリーの旅のグループの一員になる。キンバリーというと、西オーストラリアの秘境といわれるところだ。たくさんの山と渓谷と湖がある。一般観光地ではない。来る前に、調べてみたがあまり この地域の旅を紹介するものが見つからない。プロの写真家の写真集ならある。で、図書館の司書に、「キンバリーの本をみたい。」と言って 探してもらおうとしたら、北部準州の項で探している。「ちがいます。西オーストラリアです。」と、言ったら司書に睨まれた。詳しい地図とか、ガイドとかが見つからなかったので、行って見るしかない。そんな旅もいいかもしれない。
今日も 冷えたビールが美味しい。

写真は、北部準州議会、日本軍爆撃による被害者の墓地、アボリジニーの絵画 

チモール海に沈む太陽を見る




オーストラリアの北の果て、ダーウィンに到着。
日本からダーウィンには ただ経度をまっすぐ下に 下りてくればよい。地図で見てみると 日本に一番近い街だし、南極に向かって まっすぐ下がったところにある。しかし 日本からの直通便はない。いったんケアンズとか、パースとか メルボルンとかに行って 国内線に乗り換えなければならない。

このトップ エンドと呼ばれるダーウィンは沖縄より緯度で10度 距離にすると1000キロメートルも赤道に近い。南緯12度から15度にあって 南回帰線(南緯23度27分)と、赤道の真ん中にある。熱帯サバンナ気候で 雨期と乾季がはっきりしている。街の名前は チャールズ ダーウィンがビーグル号で立ち寄ったと言われているので、そのまま街の名前になった。

空港から車でダーウィンの町に入る。
海岸線沿いにある 広々とした公園の木陰では 円座を組んでたくさんのアボリジニーの人たちが のんびりとくつろいでいる。彼らのリラックスした穏やかな表情は シドニーでは決して見られないものだ。

海岸に向かって建てられたホテルのバルコニーから 日没を見る。
チモール海に沈む 大きな南国の太陽。西側はインド洋だ。
みごとな日没にビールが美味しい。

2010年9月11日土曜日

北北西に進路をとるのだ




旅にでることにした。
3交代勤務の職場で働いているので、年に6週間有給休暇がある。10年間 同じところに勤めていると その6週間の上に さらに1ヶ月有給休暇がご褒美でもらえる。けれど、それは まだ先のこと。
年6週間の休暇を どう過ごすかというと 大抵のオージーの同僚は海外を旅しているようだ。「オージーの4人に1人は海外生まれ。」という、移民で形作られている国なので 多くに人は 休暇で自分の生まれた国や親戚のいる国を訪ねる。ご多分にもれず私も 父が元気な内は 二人の娘を連れて毎年日本に帰っていた。しかし、98歳で、記憶を失くした父に会いに行くのは つらい。今年の1月に帰国しているので、残った有給休暇を 国内旅行で過ごすことに決めた。

オーストラリアに住むこと15年にして、初めての大がかりな国内旅行だ。北上することにした。オーストラリア大陸のほとんどは 乾燥した砂漠だ。人は住めない。大陸を一周する海岸線の一部に緑と水のある豊かな土地が散在しており大部分の人がここに集中して住んでいる。シドニーという一番人口が多く、進歩 繁栄している街にいると、オーストラリアが もともとはアボリジニの国だったことを忘れそうになる。
だから日常から非日常への旅は 思い切り文明から離れた土地に行ってみるのが 良い。そこに砂漠、湿地、荒野といった 本当のオーストラリアの姿が見られるかもしれない。アボリジニの人々の本場に足を踏み入れてみよう。

北北西に進路をとって、行く先は トップエンドと呼ばれるオーストラリア大陸の先端 一番日本に近い点、ダーウィン。

ダーウィン地域は 熱帯モンスーン気候だ。明確に乾季(5-10月)と、雨期(11月ー4月)に分かれている。ここで4万年前から暮らしてきたアボリジニにとって 季節は6つに分かれる。すなわち 1-2月のモンスーン期、3-4月の収穫期、5-6月の冷涼期、7-8月の乾燥期、9-10月の灼熱期、11-12月のモンスーン期の6つだ。灼熱のダーウィンを歩くことになった。

ダーウィン カカドウ国立公園は 四国全部の大きさ。アボリジニが4万年前から暮らしてきた伝統的な生活と 今もあまり変わらない生活を 続けている。自然が豊かな土地で、1600種の植物、1万種の昆虫、60種の哺乳類、132種の爬虫類、290種の鳥がいる。人類史上最古といわれるアボリジニの壁画(ロックアート)がたくさん残っていて、豊かな動植物が繁殖していることで、ユネスコから世界遺産に指定されている。

先住民族アボリジニは 約4万年前に(5万年前と言っている学者もいる) インドネシアからカヌーでやってきて大陸に住み着いた人々だ。地球が氷河期にはいったのは 5万年前と2万年前が最後と言われているが 気温が下がり 地表の水分が凍ったため海面が今から比べると100メートルくらい低かったので カヌーによる大陸どうしの行き来ができたらしい。

アボリジニは 文字を持たない人々だ。語る言語は部族の数だけある といわれていて600くらいあったらしいが、今では200くらいになって、ひとりの人が 4つも5つもの方言を話すことができるようだ。年寄りが若い人に知識を語る口頭によって伝承文化が 維持されてきた。

人類最古の壁画といえば、学校の教科書ではスペインのアルタミラ洞窟の壁画や フランスのラスコー洞窟画が 紹介されていて、記憶に新しい。赤茶けた岩に バッファローの絵が描かれていて、それが1万7千年前の作品とは思えない迫力だ。しかしアボリジニの壁画は それらの絵よりももっと古い、少なくとも2万年昔に描かれたものだそうだ。鉱石や土、植物の樹脂などを混ぜ合わせて造られた顔料や、焚き火の木炭で 人やカンガルー 魚、カメなどが描かれている。

中でも興味深いのは ナマゴン NAMARRGON というライトニングマンの絵だ。これは雷をおこす神様のことで、雷を持った人の姿をした絵だ。また、2000年前の作品では、レントゲン画法といわれて 人や動物の姿を ものの内部を透かしてみたときの骨組みを描写したものもある。 アボリジニのアートは とても豊か。シドニーではコピーしか見られないので、本物を観てこようと思う。
とっても楽しみ。

2010年9月2日木曜日

メトロポリタンオペラ 「ばらの騎士」を観る



ニューヨークメトロポリタンのオペラを ハイデフィニションフィルムに収めたものを 映画館で観た。同じハイデフィニションフィルムを日本でも、限られた映画館で上映しているそうだ。日本で上映しているフィルムのなかには、歌舞伎も狂言も文楽もあるらしく、そういったフィルムを ここでも観られたら どんない良いか、、、と思う。
オペラは リチャード シュトラウスの「ばらの騎士」、原題「DER ROSENKAVALIER」、「デル ローゼンカヴァレル」というドイツオペラ。リチャードを日本では ドイツ語読みにしてリヒャルドといっているみたい。ウィンナーワルツの ヨハン シュトラウスとは関係ない ゴリゴリのドイツ人作曲家。

初演は1911年、ドレスデンロイヤルオペラハウス。3幕 3時間30分と、長い本格的オペラで、リチャード シュトラウスの代表作とされている。他に彼は「サロメ」、「エレクトラ」など とても前衛的なオペラを作曲したが 「ばらの騎士」が大ヒットしたため これが彼の最高傑作といわれている。初演時から人気が出て、ヨーロッパ各地から このオペラを観る人達のために 特別列車が仕立てられ「ばらの騎士列車」とよばれたそうだ。ウィーンの香り高い 優雅でモーツアルト風の繊細さに満ちている。吉田秀和が オペラの中で モーツアルトを除けば これが一番好きだ と どこかで書いていた。

「ばらの騎士」というと、手塚治の「りばんの騎士」を思い浮かべてしまうけど ウィーンの貴族の間で当時 婚約の契約に際して 相手に銀の薔薇を送る習慣があり、その薔薇を届ける使者のことを薔薇の騎士と呼んだ。
シュトラウスはソプラノの声を一番愛していて、世界で一番美しい音だと言っていた。このオペラでは テノールを歌う王子様や恋を語る男はいない。銀の薔薇を届ける美青年の騎士オクタビアンは メゾソプラノを歌う男装の麗人 女性だ。昔はカステラートが 歌っていたのだろう。カステラートは、高音を歌うために睾丸を除去された歌い手のことで これについては5月26日の日記で書いたので繰り返さない。

このオペラでは 極端にアリアがなく、合唱もない。メゾソプラノの薔薇の騎士オクタビアンと ソプラノを歌う彼の愛人と恋人の3重唱が 多くて みごとに美しい。歌のどれもが重唱だ。繊細だが難曲ばかり。音程も次々と転調し 演奏するオーケストラはどんなに大変か と思う。頼まれても演奏したくない。安楽椅子で聴く分には 実に贅沢な喜び。立場が違えば 天国と地獄だ。
舞台設定が マリア テレシア時代のウィーンなので ロココ調の家具や衣装で、それを舞台に再現するとものすごくお金がかかる。お金も時間も しっかり掛かる 重いドイツオペラ。絶叫型アリアの多いイタリアオペラと比べると、何と違うテイストだろう。

しかし ハイビジョンフイルムを映画館で観て $24もするけれども得をした気分になれるのは、2回ある幕間の休憩時間に、フイルムが止まることなく 幕の内側で、舞台セットを組みかえるために何十人もの作業員が 次の舞台を作る様子をずっと見せてくれることだ。これは オペラより面白いかもしれない。クレーンで階段がつるされて、背景を描いたパネルが次々とはめ込まれていく。魔術をみているようだ。
またプレシド ドミンゴの 出演者へのインタビューまでサービスされていて、舞台裏で歌手達の素顔が見られるのも、うれしいオマケだ。

ニューヨークメトロポリタンオペラオーケストラ
指揮:エド デ ワート
キャスト
マルシャリン元帥夫人:レネ フレミング
騎士オクタビアン  :スザン グラハム (メゾソプラノ)
ソフィー      :クリステイン シャファー (ソプラノ)
オックス男爵    :クリステイン シグマドソン(バスーン)
ソフィーの父ファニル:トマス アレン (バリトン)

ストーリーは
ウィーンにある屋敷で マルシャリン元帥夫人と 17歳の美青年オクタビアンは愛し合って暮らしている。
そこに夫人の従兄弟に当たるオックス男爵が訪ねてくる。彼は俗物で、ケチで野卑で臆病者で好色漢だ。ファニルという新しく貴族に昇格した裕福な成金の娘、ゾフィーを妻に迎えたい意向をもっている。そこで、マリシャリン元帥夫人は オクタビアンを婚約成立のための薔薇の使者に立ててやることにする。
純白の美しい衣装を身に着けたオクタビアンを先頭に オックス男爵はファニルの屋敷に到着する。銀の薔薇の花を 娘のゾフィーに手渡して口上を述べるオクタビアンは しかし一目で可憐なゾフィーに恋をしてしまう。ゾフィーも美しくて立派な騎士オクタビアンを一目で愛してしまう。
そこに登場するオックス男爵は 無作法な上、すでにゾフィーの主人になった気で強引にことを運ぼうとする。たまりかねて、ゾフィーは オックス男爵と結婚しない、と父親に宣言して、 オクタビアンに助けを求める。しかし父親は娘のわがままを許そうとはしない。オクタビアンは いやがるゾフィーを無理に 連れ出そうとするオックス男爵を 止めさせようとして剣を抜くが、オックス男爵は からきし臆病で剣は使えず オクタビアンに肘を突かれて怪我をして大騒ぎをする。

オクタビアンは策略を練る。召使を使って オックス男爵に 女からの偽の手紙を渡して密会におびき出すことにした。いかがわしい宿屋に、オックス男爵が 約束どおりにやってくる。現れたのは 女装したオクタビアンだった。男爵が熱心に口説き始めると、ゾフィーも、ファニナルも、警官や おまけに元帥夫人までが現れて、大混乱。あまりの醜態に、元帥夫人はオックス男爵に 貴族としての自覚をもって、立ち去るように命令する。
そこで元帥夫人とオクタビアンとゾフィーの3人になる。オクタビアンは 元帥夫人に未練はあるが、ゾフィーを放っておくこともできない。そんな 混乱してうろたえるオクタビアンに向かって、元帥夫人はやさしく、若い二人で幸せになるように、と言い置いて自分は去っていく。というお話。

気品があり、風格も備わっている元帥夫人のソプラノと、若くて可憐、初々しいゾフィーのソプラノに オクタビアンのメゾソプラノが加わって みごとな3重唱になる。オクタビアンを愛しているのに、自分はもう若くないのだから 愛を捨ててあげましょう と嘆きながらも力強く愛を歌いあげる元帥夫人と、ただ一途にオクタブアンを愛していますと訴えるゾフィーのソプラノが オクタビアンの低音にからみあって、とても美しい。
この3幕の3重唱には、シュトラウスにとっても とても愛着のある曲だったようで、彼が亡くなったとき遺言どおりに、この3重唱が演奏されたそうだ。

2010年8月31日火曜日

映画「マッチング ジャック」と小児白血病




映画「MATCHING JACK」を観た。
監督:ナデイア タス(NADIA TASS)
キャスト
母マリサ:ジャシンダ バレット
息子ジャック:トム ラッセル
父コーナー:ジェイムス ネスビット
息子フィン:コデイ スミット マクフィー

オーストラリア映画。オーストラリア人のナデイア タスが監督をして、その夫のデヴィッド パーカーがカメラを回して、メルボルンで撮影した映画。

ストーリーは
9歳のジャックは、たまたまサッカークラブの定期検査で血液検査を受け、急性白血病と診断されて、即、入院することになった。父親は出張中だ。検査、医師との面談、入院手続きなど、母親のマリサは、衝撃を受けていることを隠して、息子の手前、何事もなかったように笑顔で振舞っていた。いつもと変わらない母親の様子に、急に入院することになったジャックも 何事が起こっているのか あまり心配する気にならない。
入院部屋には、フィンというアイルランド人の ジャックと同じくらいの年頃の子が居る。化学療法を受けているフィンの頭には 毛がない。フィンには父親のコーナーが付き添っている。コーナーは活発で素敵な男だ。新入りのジャックとマリサを、フィン父子は とても自然に受け入れてくれて、すぐに仲良くなった。

コーナーは船大工だ。息子のフィンのために 亡くなった母親の姿を実物大に彫り ボートの舳先に取り付けて、航海の守り神にしている。フィンのベッドの回りをボート材で囲み、マットを立てて帆を張る。そこを扇風機で風を送ると フィンのベッドは まるで本物のボートのように、今にも海の上を滑り出しそうだ。フィンとジャックを乗せたベッドを コーナーが押して、病棟の端から端まで 移動すると、航海中の子供達を夢中になる。フィンとコーナーは、母親が亡くなった後、二人で世界中を航海している途中だったのだ。

フィンは いつも達観したような、物静かな少年だった。フィンに、君は血液の癌といわれる白血病なんだよ と言われてジャックはびっくりする。ジャックは 母親に否定してもらいたくて、母親を問い詰める。するとマリサは、笑顔で「そう、あなたは白血病なの」と言う。本格的な治療が始まる。

出張からジャックの父親が帰ってきた。ふとした偶然からマリサは夫が出張していたのではなく 若い愛人と休日を過ごしていたことを知ってしまう。夫の留守の間に 息子の発病と入院を経験し、息子に病状を理解させなければならなかった。ずっと息子のベッドの下に簡易ベッドを置いて 眠れない夜を 病院で過ごしてきた。夫の裏切りを知って 今まで一人で耐えてきた母親の思いが 一挙に爆発する。
一方、マリサとコーナーは、共に白血病の子供を持つ親同士の共感と友情が芽生えていた。

フィンの化学療法に 治療効果が認められない という残酷な医師からの説明がなされる。ジャックにも、助かる方法は 骨髄移植しかないことがわかる。ジャックの骨髄と同じ もしくは似ている遺伝子を持った人が親にも親戚にも どこにもいないことが分かり マリサは独自に骨髄移植ドナーを探し始める。すなわち、それはマリサの夫が関係した昔の女性をすべて洗い出して訪ねて回ることだった。尋常なことではない。しかし、夫が几帳面に関係した女性すべての記録をとっていた日記をもとに、マリサは夫の子供を産んだかもしれない女性を求めて家から家へと訪ねていく。
ある日 16年前に 夫が関係を持っていた女性が 16歳の娘をもっていて その顔が夫に似ていることがわかる。昔のことを ほじくりり返すマリサにたいして、怒り狂う女性の前で、16歳の娘は意外にも「私に弟がいるなんて素敵じゃない。」と言い、自ら病院に来て検査を受けてくれる。果たして、骨髄はジャックにマッチしていた。同じ夫の遺伝子を持っていたのだ。この16歳の娘のおかげでジャックは 骨髄移植に成功して完治する。
一方、フィンは ひとりコーナーを残して 母親のもとに旅立ってしまう。というお話。

今日 小児白血病の治癒率は毎年上がっていて、ほとんどが完治するようになった。しかし小児白血病を宣告された親の衝撃や、嘆きや怒りは 想像に余りある。
30年前、病院の輸血科で 高速回転血小板分離機の機械を操作していた。当時まだ何台も日本にない機械だった。血液ドナーを集めてきて、片腕の静脈から 2000-4000MLの血液を取って、白血球と血小板だけを採取して、もう片方の腕の静脈に返血する。採血に2時間以上かかり、沢山の血液を動かすので 同じドナーから何度も 繰り返して採血することができない。せっかく健康な人から取った 白血球と血小板は 取っても取っても その場でどんどん壊れていく。採血したばかりの血液を患児に輸血しても輸血しても足りない。

自分の体の骨髄の中で 正常な骨髄細胞ができなくなって 血小板と白血球が造られない状態になった子供達は 内出血や鼻血を止めることが出来ない。細菌感染に弱く すぐに熱を出し肺炎を起こす。子供達の命は どれだけ新鮮で良い血液を輸血できるかに拠っている。骨髄移植も移植手術に耐える体力があるときでないとできない。同じ遺伝子を持った親や兄弟から骨髄移植しても成功するとは限らない。
自然、どれだけ延命できるかは、どれだけドナーを集められるかが大きな鍵になる。ドナーを集める親の苦労な並大抵のことではない。30年も前のことだが、病気を持った親達の悲嘆も、怒りも祈りも 今も全く変わることはないだろう。当時の 治療に関わって亡くなった子供達 ひとりひとりの顔も名前もいまだに忘れることが出来ない。

小児白血病の子供を映画化した もう一つの映画「わたしのなかのあなた」 原題「マイ シスターズ キーパー」は、2歳で発病した娘を助ける為に、両親がもう一人、娘を産んで、その下の娘を 治療のための輸血や骨髄移植のドナーとして利用する、というむごい 実際にあった実話を映画化したものだった。キャメロン デイアスの母親役と、天才子役のアピゲール プレスリンが 熱演していた。
今回の「マッチング ジャック」はドナーを求めて、夫がむかし関係した女性達を 妻が訪ねまわるという これまた尋常でないお話だ。どっちの母親も狂っている。しかし狂わずにいられないところが この病気の残酷さだ。

大人たちの狂騒をよそに、2人の子 フィンとジャックは実に子供らしくて しっかりと死を受け止めて、印象深い。二人して、病院を抜け出して遊園地に遊びに行くところが美しい。夜の遊園地で乗り物に乗り、遊びまくって疲れ ふたりして呆然として立っている後姿の寂寥感、、。
逃避行がいつも美しいのは 必ず破壊的な終末が 迫っているからだ。

それと、妻を亡くし、フィンもまた無くしてしまったら、もう何も大切なものなど持たない海の男コーナーが やるせない。息子のためにならどんなことでもする。
ひとりボートを漕いで、360度見渡す限り海ばかりの 遠くまできて、そして息子の骨を 海に流す。輝く太陽を背に、白い骨が海風に乗り 波に交わって消えていくところが、一遍の詩のように、美しい。

2010年8月30日月曜日

春がきた




日本は秋、、、おいしいものが たくさんあって、うらやましいなー。

ここでは、やっとニューサウスウェルス州の州花 ワトルの黄色い花が咲き始めると 春がやってくる。今年の冬はとっても寒かったので とても嬉しい。ワトルが 咲き乱れるその下にいるとまさに、ゴールデンシャワーをあびている気持ち。

梅の花も満開。近所ローズビルの道路沿いに咲いていたので 思わず車を止めてパチリ。映っているシルバーの車は 愛車のホンダエコー。黄班部変性、白内障、緑内障と言う3つの目の病気をもったオットが運転するので 前後左右まんべんなく大きな傷がついている。

2010年8月24日火曜日

映画 「ソルト」とロシアスパイ



つい最近 米国各地に10人のロシア人スパイが 市民を装って住んでいて情報を収集していた。なかには夫婦として 子供を地元の学校に通わせていたスパイもいたし、若い美人の妻がスパイだったと聞かされて寝耳に水の夫まで出てきたが、一斉に逮捕された。彼ら10人のロシア側スパイは ロシアに逮捕 拘束されているアメリカ側のスパイで原子物理学者と交換に 超法規処置によってロシアに送り返された。10人のスパイの代わりに 米国に戻ってきた物理学者は 自由の身になったにも関わらず 自分はもともとロシア人なので、ロシアに帰国すれば また逮捕されるが それでも帰国したいという意志を表明した。

米ソ冷戦終結から時が経っても 依然として米ソ核兵器縮小交渉に毎回難渋しているように 互いのミサイル攻撃と防衛の対立は持続しており、スパイ合戦も続いているようだ。
何十年も互いの敵国に市民として潜入して 情報を定期的に母国に送り なんらかの指令を待っているスパイが あちこちにいるのは事実だろう。

15年前に成人移民英語講座で ロシアから来たスラーという青年と親しくなった。2メートル近くの身長があり、青い目で金髪の美青年。結婚したばかり。私も再婚したばかりだった。
当時、永住権を取得した移民には その人のレベルに合わせて沢山の英語講座が用意されており 510時間まで無料で講義を受けることが出来た。民間の英語学校に1年間通うより はるかにレベルも高く良質な教育プログラムだった。同じクラスには 若い人が多く、イラン、トルコ、レバノン、ポーランド、ボスニア、ルーマニア、ハンガリア、チェコスロバキア、チリ、ホンジュラス、などなど、様々な国の人がいて、友達になった。
でも ロシア人のスラーだけは、特別だった。会ってすぐ仲良くなった。いつも彼と二人で文学の話をした。彼は 驚くほど博識で、芥川龍之介の本など みな翻訳で読んでいた。私も彼も、英語のボキャブラリーが豊富でないので、適当な言葉が見つからず 時には互いに悔しい思いで歯噛みしながら、日本文化について語り、禅や山岳仏教などの話に熱心に討論した。またフランツ カフカの文学をどう捉えるか などという話にも及んだ。

彼の両親は共に軍人だったので、北極に一番近いニューアイランドというロシアの北の極限に暮らしたことがあると言っていた。1年のうち3分の2は、太陽が出ない島。この島はロシアの軍事基地で、数家族が交代で派遣されているが、1年のうち数ヶ月しか 昼と夜がない厳しい生活でうつ病に陥りやすいので 派遣期間は2年が限度だそうだ。家の外を5メートルもの高さのある大きなシロクマがノシノシ歩き回り、毎晩激しいブリザードが吹き荒れるという。そんな彼の話に夢中になった。
510時間の講座が終了したあとも、2回ほど彼と会った。1度はレストランで 互いにパートナーを紹介しあって、2度目は、オフィス街を歩いていた時 AKIKO-と大声で 呼び止められた。来週日本に行くんだ、と嬉しそうに言っていた。それが最後で、その後 何度か携帯電話を かけてみたが 誰も出なくて二度と彼を見ることが無かった。彼は健康そうな肉体を持ち 裕福そうだった。
今でも私は 彼はスパイだったのではないかと思う。何らかの目的で ここに送り込まれて、前触れもなくどこかに去っていった。彼と話に夢中になって二人で共有した時間をときどき思い出す。

映画「ソルト」を観た。ハリウッド映画で アンジェリーナ ジョリー主演の新作。トム クルーズが主役をやるはずだったのが、かねてよりジェームス ボンドのような役をやりたいと言っていたアンジェリーナが主役に抜擢されて話題になった。3人の赤ちゃんを産んで 養子を入れると6人の子供のおかあさんとして、子育てをしながら 国連親善大使を務めている。芯が強く しっかり者で 自分のスジを通すというイメージから決して外れない。173センチの長身で 目鼻立ちがはっきりした美人だ。
ジョン ヴォイドの娘。彼が米国のヌーベルバーグの切っ掛けになった「真夜中のカウボーイ」で登場したときの衝撃は忘れられない。「チャンプ」も良かった。
アンジェリーナ ジョリーの映画で一番好きなのは「MR&MRSスミス」2005年だ。

新作「ソルト」のストーリーは
CIAエージェントのソルトは 子供の頃ロシアで KGBの中でも過激派のグループに捉えられて、スパイとして特殊教育を受けて育った。しかし、KGBの中で二重スパイをしていた両親を殺されたことを切っ掛けに ソルトはアメリカに戻り CIAとして働く。北朝鮮で拘束されて拷問を受けるが、CIAの仲間に助け出された経験を持つ。
その後、博物館に勤めるドイツ人の昆虫学者と 恋に落ちて結婚、仕事を続けながらも 幸せな結婚生活を送っていた。

ワシントンCIA本部で ソルトは逮捕されたロシア人スパイを尋問することになる。CIAの仲間が注目する尋問室で ロシア人は尋問に答えた後 ソルトがロシアのスパイであると言う。いっせいに仲間から疑いの目で見られてソルトはあわてる。今度は同じ尋問室でソルトが尋問される番だ。彼女は 家にいるはずの夫に危害は及ばずにすむようにしなければならない。逃亡することにする。監視カメラを消火器やパンテイーで覆い、消火器と掃除に使う薬品で迫撃砲を作って 追手から逃げる。辛うじて家に戻ってみたら すでに夫は何物かに連れ去られていた。

ソルトの次のターゲットは ニューヨークで、米国副大統領の葬儀に渡米しているロシアの大統領を暗殺することだ。黒髪に変装して 首尾よく大統領を処分、そして、ソルトが向かう先はKGBの米国内本拠地だった。着くや否や、ソルトを待っていたのは 愛する夫が処刑される場面だった。 顔に出さず、慟哭するソルト。しかし休むことなく さらに、ソルトは 男装してホワイトハウスに潜入して米国大統領の命を狙う。ソルトはCIAエージェントなのか、それともKGBの2重スパイだったのか、、、。というお話。

ハリウッドで活躍するオージー映画監督 フィリップ ノイスによると、アンジェリーナは ほとんどスタントマンを使わずに 危険なアクションを自分で演じたそうだ。
彼女は橋の上から高速道路に落ちて 走ってきたトラックの幌につかまる、、手錠姿でパトカーを乗っ取り カーチェイスの末 逃げ切る、、大統領の乗ったエレベーターを追って 何十階段分もシャフトを滑り降りる、、走っている地下鉄から飛び降りる、、驀進中のヘリコプターから海に飛び降りる、、、そして教会でロシア大統領を暗殺し、ホワイトハウスで米国大統領を襲う。細身の彼女が スーパーマンと バットマンと スパイダーマンと、アイアンマン全部あわせたくらいの 活躍をする。

まったく現実感がないが、おもしろい。
観ていて 時としてソルトと一体となって、逃げ惑い 時として味方だと思った こっち側の相手を無慈悲に殺し、ええっ? それじゃあ 前に殺したあっちは、何も殺すことなかったんじゃないか?と期待を裏切られ そうか、やっぱりCIAの中でも こういう一匹狼が必要なのか と なるほどと納得したり、またそれも疑ってみたり、、、。とても忙しい。
これを娯楽映画という。
とてもお金のかかった 贅沢な娯楽映画だ。こういう映画の評価は ひとこと 「おもしろかった」と答えるのが正しい。
じつにおもしろかった。

2010年8月17日火曜日

ポランスキーの映画「ゴーストライター」と湾岸戦争




2003年 米軍と英国軍がイラクを侵攻して、戦争を仕掛けた時 ジョージWブッシュ大統領は サダム フセインが政権独裁をしているイラクには大量生物化学兵器があり、自由世界が危機下にあると断言した。続くトニー ブレア英国首相も イラクの大量破壊兵器を潰すことなしに平和はない、として足並みを揃えた。
ジョージWブッシュと トニー ブレアの開戦と同時に オーストラリアのジョンハワード首相も開戦に同意して特殊部隊を投入、小泉純一郎首相は 開戦を支持する声明を出した。

国連の決議なしに フランス、ドイツ、ロシア、中国の強硬な反対を押し切っての決断だった。国が戦争を始めるという大事な決断を米国ブッシュが言い出すやいなや 英国もオーストラリアも日本もすぐ同時に、賛成したのは 何故か。
ソースが同じだったからだ。
情報の「もと」が たったひとつ。その「もと」とは 何だったのか。
CIAだ。CIAの作った軍事情報をもとに 各国は兵を送り、イラクに戦争を仕掛けた。そして、それはいまも続いている。

1991年湾岸戦争のとき、停戦決議で イラクの大量破壊兵器の保持が禁止された。しかし兵器はある、として2001年ブッシュが大統領就任するとすぐに 米軍がイラクへの空爆を開始し、2003年、全面的開戦となった。投入された米軍26万3千人、英軍4万5千人、オーストラリア2千人。
サダム フセイン大統領が倒れ、2006年に処刑された後も 米国を中心とする連合軍によるイラク占領政策は続き、戦闘終結宣言以降に、大量の死者が出ている。米軍が36万6千人の兵力で イラクのマリキ政権を擁護しても、治安の悪化とシーア派、スンニ派との対立を抑えきれない。マリキ政権が 米英軍占領軍の繰り人形にすぎないことがわかっているからだ。

第1次湾岸戦争のときブッシュの国防長官だったデイック チェイニーは 第2次湾岸戦争のジョージWブッシュのときには 副大統領を勤めた。彼はハリバートン社の経営者で所有者でもあり、この世界最大の石油掘削機会社をして、イラクの復興事業や軍事関連サービスを提供して 二つの戦争で巨額の利益を得ている。イラクに眠る 油田の権益のためにも米国は何が何でもイラクを占領しなければならなかった。
戦争ほど儲かる商売はないからだ。

米軍兵4000人余り、民間傭兵1000人以上の死者を出してやっと、ブッシュは 選挙で負け去った。2009年1月オバマ大統領は 就任後イラク駐留米軍を5万人に削減、2011年には全面撤退を約束した。
今年に入って、英国議会では イラク参戦に関する独立調査委員会の公聴会で、トニー ブレアを証人喚問した。ブッシュのペット プードル犬と呼ばれた男だ。彼は大量兵器がない とわかって何故 戦争を続けたのか と厳しく追及されている。

CIAの情報をもとに イラクで亡くなったイラク市民15万人、アメリカ人5千人余り、英国人179人、この戦争のために起こったニューヨーク貿易センタービル倒壊で亡くなった2千人余り、州兵がイラクに行ったため救援できずハリケーンカトリーナで亡くなった2000人、ロンドン爆発事件で亡くなった56人、スペイン列車爆発事件で亡くなった191人の人々、、、おびただしい死者の列、、、。

映画「ゴーストライター」を観た。ロマン ポランスキー監督の新作。ロマン ポランスキーは 去年2009年9月に チューリッヒ映画祭に参加した際 スイス当局に逮捕された。30年近く前に彼が起こした13歳のモデルの子への淫行容疑のため ずっとアメリカから逮捕状がでていて、身柄引き渡しを要求されていた。昔のことで 当時のモデルは訴訟を取り下げている。何故、今になってパリに住むポランスキーが突如、スイスで拘束されたのかわからないが、ともかくもスイスは米国への身柄引き渡しは拒否、2010年7月になってやっと、ポランスキーを釈放した。これは 遅れをとりもどすようにして、彼が力を注いで発表した作品だ。

ポランスキーが拘束されたときスイス映画祭に来ていた 映画関係者たちが 口々に「彼は生涯のファイターなのに、、、。」と言っていた言葉が印象的だ。
ユダヤ教徒のポーランド人。母はアウシュビッツで殺され 本人は収容所から逃亡、ドイツ領となったフランスで ユダヤ狩りから隠れ 転々と逃げながら成長した。
1969年には 自分の子供を妊娠中の妻、シャロン テートが惨殺され、その現場の惨状の第一発見者だった。
2002年「戦場のピアニスト」でアカデミー監督賞を受賞。今年、釈放されてやっとこの映画「ゴーストライター」を発表することができた。彼の一生を見ると、文字通りの生涯のファイターなのだ。


ストーリーは
湾岸戦争に兵力を投入した前英国首相アダム ラングは責任を問われて退陣、今は追及を逃れてアメリカ東海岸の孤島で引退している。伝記を出版する予定でそのための ゴーストライターを探している。ラングのために、600枚あまりの伝記を書き下ろした前任者が この島と本島を結ぶフェリーから 酔って転落して 死亡してしまったので その後を継いで 伝記を仕上げて欲しい。一か月で仕上げてくれたら25万ドル報酬を出すという。願ってもない仕事に ゴースト(彼の本当の名前は映画の中で終始出てこない)は喜んで フェリーに乗って孤島に向かう。
しかし着いて すぐラング前首相が、戦争犯罪人としてハーグ国際戦争裁判所で裁かれるかもしれない というニュースが飛び込む。テロリストを違法な方法で拷問した という件が問題になっていた。押しかけてくるマスコミ勢に追求から逃れる為の声明作りまで ゴーストが引き受けることになってしまった。

夫婦仲の良くないラング前首相、事務的で高飛車な秘書、愉快でないラングの家で ラングへのインタビューと執筆が始まる。亡くなった前任者の部屋を片付けていて、ゴーストは引き出しの裏に、テープではりつけてある秘密の封筒を見つける。そこにはラングの大学時代の仲間の写真があり、それらを渡すべき人の電話番号が 走り書きされていた。
ゴーストは 前任者が 酔ってフェリーから転落死したのではないのではないか、と疑い始める。自転車でラング邸から出て、岬に行ってみる。そこでゴーストは人の良い年寄りに出会う。老人は フェリーから転落した死体は 波の関係でこの島に打ち上げられるはずはない、と言う。でも死体を発見した夫人は その後 階段から落ちて昏睡状態に陥ったので、死体がどんな状態だったのか、事実はわからずじまいだ、と言う。

ゴーストは 本島に渡り、写真をもとに調べ始め、写真に写っている男がラングが首相だったときの閣僚の一人で 兵器会社の持ち主であり、CIAに通じる男であることを突き止める。この男は ゴーストに刺客を差し向けてくる。手に汗を握る逃亡、、、。
ゴーストは 前任者が残していった電話番号を回す。現れた男に従って最終的に出会えたのは、現在の英国政府 外務大臣その人だった。判明した段階の事実だけを報告して、ゴーストは島に帰る。
そこで彼を待っていたのは、、、。
スリラーなので この先はいえない。

ラング前首相とは トニー ブレアのことだ。この映画では 伝記を書き残した前任者と、ラングの残した言葉がキーになる。ヒッチコックの映画のように、よくできた映画だ。そして、ヒッチコックの映画のように 素晴らしいラストシーン、、、。 興奮した。
胸が潰れるような 悲愴な思いに陥るラストシーンが忘れられない。
生涯のファイター ポランスキーの描いた湾岸戦争が、そこにある。

キャスト
前首相:ピアース ブロンストン
妻  :オリビア ウィリアムズ
秘書 :キム カトレル
ゴーストライター:エバン マクグレゴール

2010年8月13日金曜日

オペラ 「フイガロの結婚」


モーツアルトの傑作中の傑作、「フイガロの結婚」を観た。オペラハウスにて オペラオーストラリア公演。イタリア語。3時間。

監督:二ール アームフィールド
音楽:オーストラリア オペラバレエオーケストラ
指揮:パトリック サマーズ
キャスト
フイガロ:テデイ タフ ルーデス (バリトン)
スザンナ:タリン フイビッグ (ソプラノ)
伯爵:ピーター コールマン ライト(バリトン)
伯爵夫人:レイチェル ダーキン(ソプラノ)
マルチェリーナ:ジャクリーヌ ダーク(ソプラノ)

オペラは同じ作品を何度観ても そのつど新しい発見と、新しい感動がある。今年になって、「椿姫」、「トスカ」、「真夏の世の夢」と「フイガロの結婚」を観た。来月「ペンザンスの海賊」を観る。
席は舞台から13列目の真ん中。こんな良い席で 毎年オペラを観るなど、私の年収からみたら とてつもない出費だ。しかし、そのことによって得られる満足という名の代価は大きい。しょせん、人生は自己満足 と割り切っている。
去年は 「魔笛」、「アイーダ」、「ムチセンスクのマクベス夫人」、「ミカド」、「コシ ファン トッテ」をみて、」アイーダ」が一番 豪華な舞台だったので 強く印象に残っている。
今年観たオペラの中では 「真夏の世の夢」が一番印象的だった。舞台全体が意表をついて 青く神秘的な森の中になっていた。その森に本当に水を張った湖があり 森に住む不思議な動物達、幻想的な舞台を飛びまわるインドの子供たちや妖精。アクロバットなみに自由自在に動き回り 踊り 歌も歌うパックが素晴らしく、忘れられない。

今回のフィガロは 正統的というか、モーツアルトの時代のコスチュームだった。当初は べネデイクト アンドリュー監督の 前衛的な舞台になるはずだった。設定も、伯爵邸ではなくて刑務所で、出演者の衣装は刑務官の制服という現代的な解釈でオペラが演じられるはずだった。しかし、オペラサポーターからの、ブーイングがひどかったらしくて、何年か前にニール アームストロング監督で成功したとおりの舞台に 急遽変更したもようだ。まあ、どっちでも良いのだけれど、保守的なオペラファンの声に負けて、演出が変わるというのも、おもしろい。プログラムもポスターも全部無駄になったわけだ。

今回のオペラは モーツアルトの良さをたっぷり味あわせてくれた。やはりモーツアルトは最高。これ以上の作曲家は望めない。3時間あまりの舞台でせりふが全くない。全部が歌だ。激しい動きの芝居をしながら3時間余り、歌いっぱなしの役者たち、、、それも2重唱、3重唱、4重唱の連続だ。一つ一つのせりふが 完結した歌になっている。コーラスも入って、歌の祭宴だ。モーツアルトが亡くなる5年前の作品。この頃、家賃も払えない 食事も充分とれない貧困のどん底で これほど笑いの満ちた 愉快で楽しい音楽を作るために命を紡いで そして死んでいったモーツアルトを思うと涙がでてくる。

1786年初演だから、フランス革命勃発直前の作品。まだ権力者が絶大な力を持っていた時代に 使用人たちが 伯爵を懲らしめて、大笑いするという反骨的な喜劇。モーツアルトの 権力者を茶目っ気でおちょくるユーモアの傑作だ。圧倒的な庶民のあいだでもてはやされ 人気を得たという事が うなずける。ストーリーは

18世紀半ば、スペイン セビリアでのお話。アルマビーバ伯爵家に仕えるフイガロと 小間使いのスザンナは結婚を間近に控えている。それを知っていて好色な伯爵は スザンナをものにしようと しつこく言い寄っている。スザンナの防御が固い とわかると 伯爵は女中頭のマルチェリーナをけしかけて、彼女とフイガロと結婚させてしまおうとする。
一方、純情な伯爵夫人は 伯爵の浮気が悲しくてたまらない。そこでスザンナと伯爵夫人は 二人で秘密の悪巧み。ニセの手紙で 伯爵を庭におびき寄せて 伯爵にはスザンナの服を着た伯爵夫人が、フイガロには伯爵夫人の服を着たスザンナが待っている。まんまとワナに はまった伯爵は闇にまぎれてスザンナに近ついて、口説き始める。しかし なんだか騒がしい。何とスザンナとフイガロが、目の前で逢引をしている。立腹する伯爵。では、口説いていたのは、、、実はなおざりにしてきた 美しい妻だった。長いこと妻に悲しい思いをさせてきたことを反省して、伯爵は心から謝罪する。
最後はフイガロとスザンナの結婚式が伯爵の祝福のもとでおこなわれる という 愉快で楽しい喜劇だ。

このオペラが成功するかどうかの鍵は 何といってもフイガロとスザンナに、「演じて良し」、「歌って良し」、「「観て良し」の 歌手を配役にする事にかかっている。フイガロのバリトン:テデイ タフ ルーデスは背が高くてハンサム 若くてかっこ良過ぎるフイガロで申し分ない。スザンナのタリン フィブリグが おちょぼ口で美人とはいえないが ソプラノではオペラオストラリアの顔だし、可愛くてとても良かった。ふたり共 演技がとてもうまい。声も良い。
伯爵のバリトン:ピーター コールマン ライトは腹が出ていて好色漢らしくて とても良かった。声がのびのびとして堂々としていて美しい。

しかし中でも伯爵夫人をやった ソプラノ レイチェル ダーキンが一番好きだ。彼女は「コシ ファン トッテ」でも、「真夏の夜の夢」でも準主役をやった。背が高くて 顔はジュリア ロバーツなみの美人。声に伸びがあって、声量もある。何よりも大学を出て何年もたっていない 若い成長盛りの歌手だ。出てくるたびに 良くなっていく。
オペラオーストラリアはこういう人を 海外に流出させないように、大切に大切にしてもらいたい と思う。いままで 同じように 大学を出たばかりでテノールを歌っていて、出演するごとに成長しているのがわかる イタリア人オージーの歌手が一昨年までいた。その声が アンドレア ボッチェリに似ていて大好きだったのに、もう外国に引っ張られていってしまった。レイチェルには この土地で成長して ずっと歌っていて欲しいと思う。

死ぬまでに あと何本 オペラを観られるか わからないが 何百年も前に優れた芸術家が 命を削るようにして作ってきた 総合芸術の中でも、とりわけすぐれた芸術の結晶であるオペラをみるたびに ありがたい、幸せなことだと思う。

2010年8月7日土曜日

ハルキの 「1Q84」を読む



村上春樹の「1Q84」BOOK 1,2,3を読んだ。1650ページ 新潮社。
春樹の7年ぶりの長編小説とあって、2009年5月の発売日に 飛ぶように売れて、その日のうちに重版が決定された。発売10日後に、100万部突破して 早くもミリオンセラーになった。 
これと同時に 小説の中に出てくる ヤナーチェックの「シンフォニエッタ」のCDも 売れに売れて、英国のSF作家 ジョージ オーウェルの「1984年」も、品切れになったそうだ。春樹の引き起こした ハルキ旋風も、いま又「BOOK3」が出て、引き続き、勢いが収まらない。

少女の書いた小説が契機になって 10歳の頃からお互いに想いあっていた男女が再会して結ばれるというストーリーが、今まで春樹に縁の無かった若い世代にも支持されやすかったのだろう。
春樹は外国でも人気がある。「1Q84」は すでに 中国語、ハングル、ウクライナ語、オランダ、ドイツで翻訳されて出版されているし、フランス、イスラエル、スペイン、ポルトガル、アルゼンチンで 出版される予定。アメリカでは来年9月に翻訳が出る。
彼がノーベル文学賞を取るのも時間の問題だ。

ストーリーは
青豆雅美はスポーツインストラクター。
30歳独身。両親も兄も熱心な宗教団体の会員だったことから 両親に連れられて幼いときから 戸別訪問の宗教の勧誘をして歩いていた。そのことで小学校では完全に浮いた存在、ひとりも友達の居ない孤独な子供時代を過ごした。11歳で 親元を離れ、叔父に引き取られ育ったが 親とは縁が切れて成長した。
大人になってからは、自立心の強い女性になった。優秀なインストラクターとしてジムに勤める。青豆がジムで知り合った年配の婦人は、暴力を受けた女性を救済する活動をしていた。それに青豆も 共感する。そして、ある宗教団体の教主が、まだ幼い少女を虐待していることを知り、その男を殺害することを決意する。

川奈天吾は予備校の数学教師。30歳、独身。乳児のときに母親に死なれ NHKの集金をする父親に育てられる。彼もまた 幼ないときから友達と遊ぶことを許されず、父に連れられて 家々を集金のために歩き回ることを強制されて 孤独で不幸な子供時代を過ごす。神童といわれるほど数学を解く能力に長けていたため、彼は孤独ながらも まわりから尊敬されていた。中学に入ると 奨学金を得て全寮制の学校に入り 柔道の特待生としてスポーツのも学業にも優秀な成績を収める。以来、父親とは ほとんど関わりを持たずに成長した。予備校の教師をしながら小説を書いている。

川奈天吾には、若い作家を育てる目的で新人賞を募集している出版社の編集室に 親しい男が居る。ある日、17歳の高校生が書いた不思議な小説に目を留めた天吾と、この編集者は、その小説に手を加えることにする。思惑通り 作品は新人賞を受賞し、17歳の美少女は 一躍人気者になり、小説はベストセラーとなる。しかし、その高校生は ある宗教団体の教主の娘で、特殊な団体の世界で育ってきた。小説で発表された内容は この宗教の世界では触れてはならない秘密の世界だった。

宗教団体は、青豆と天吾を追う。その過程で 10歳のときに 同じように孤独で不幸な小学校時代を共にした 青豆と天吾は 再び出会う。
というお話。
二人の10歳の時から引き合っている強い想いは、青豆の言葉にすると、、、「チベットにある煩悩の車輪と同じ。車輪が回転すると外側にある価値や感情は上がったり下がったりする。輝いたり暗闇に沈んだりする。でも本当の愛は車輪に取りつけられたまま動かない。」ということだし、それを天吾に言わせると、、 「これまでの20年間、天吾はその少女の手が残していった感触の記憶とともに生きてきた。これからも同じように この新たな温もりとともに生きていくことができるはずだ。ー青豆をみつけよう、と天吾はあらためて心を定めた。」というわけだ。

親から愛されたことの無かった子供達だったからこそ、二人は 純粋に愛し合うことができた。そして、また二人の精神的な結びつきが宗教を越えた、ということが言える。

カルトの教主が出てきて 意味の重い言葉を沢山語り、死んでいく。春樹が1997年に書いた700ページあまりのドキュメンタリー「アンダーグラウンド」が元になっている。この作品は1995年3月の地下鉄サリン事件に会った人々の証言集だ。事件にあった人々 一人一人に会ってインタビューしたものを編集した労作。40人あまりのサリン被害者の生の声を読んでいて たまたまその時 地下鉄に乗っていた というだけで殺された11人の人々、受傷した3800人の方々、いまだに健康を脅かされ 後遺症に苦しんでいる被害者の姿に、しばしば活字が滲んできて、鼻をかむために読むのを中断しなければならなかった。

現実の世界に比べて 春樹の世界は幻想的で不可解な世界だ。「首都高速3号線、池尻出口の手前の非常階段」、、を下ると 月が二つある世界に入りこんでしまった。そこで生活している人々は 以前暮らしていた人と全く変わりがないのだが、月が二つあることに 気がついていない。青豆と天吾は 見えない糸で引き合って この世界に迷い込んできたので月が二つあることに気がついて 愕然とする。
手に手をたずさえて青豆と天吾は月が二つある世界から一つだけの世界にたどり着いた。しかし、そこが以前居た世界かどうか、全く保障がない。タイガーの看板が逆向きになっている。そこは 今まで暮らした世界に似てはいるが 又別のルールのある 鏡の世界なのかもしれない。

続編、BOOK4が出るかもしれない。楽しみだ。

2010年8月1日日曜日

映画 「インセプション」




映画「インセプション」を観た。原題「INCEPTION」
監督:クリストファー ノーラン
キャスト
コブ:レオナルド デカプリオ
サイトウ:渡辺謙
妻マル:マリオン コテイアード
ロバート:キリアン マーフィ
アーサー:ジョセフ ゴードンレヴィ
アリアドネ:エレン ペイジ
(なお、アリアドネとは、ギリシャ神話で迷宮から脱出することを教える神様の名前)

ストーリーは
眠っている人の無意識の頭の中に潜入して その人のアイデアや情報を盗み出す という特殊な能力を持つ企業スパイ、コブ(レオナルド デカプリオ)は 重要犯罪人としてインターポールから 国際指名手配されていて、子供達の居るアメリカに帰ることが出来ないで居る。
妻、マルも、同じ仕事をしていたが、仕事のストレスによって、夢の世界と現実の世界の境界がわからなくなって 自ら命を絶ってしまっていた。子供達は コブの 大学教授をしている父親と母親が 世話をしていてくれている。自分がこのような仕事をしているために 自殺してしまった妻に対しても また会えなくなった子供達にも コブは深い罪悪感を持っている。

ビジネスマン サイトウから仕事の依頼があった。成功したらアメリカに帰国して子供達に会えるように手配してくれるという。それは サイトウのライバル会社の社長ロバートの潜在意識の中に入りこみ、情報を盗みだすのではなく、自分で自分の会社を潰すという考えを植え込む「インセプション」という仕事だった。それは夢の中からアイデアを盗むよりも はるかに難しい仕事だった。

コブは 仕事を請け負うに当たって、心理学者の父親の助言を得てアリアドネ(エレン ペイジ)という女子学生を 仲間として協力を得ることにする。彼女は夢をデザインすることができる。また「泥棒」という名の情報をスリとって それをコピーすることができる男や、「薬屋」という夢に導入するための薬を調合できる男をチームのメンバーに入れる。

世界のオイルを一手に収める大富豪の息子ロバートが 死の床にある父親に会いに行く為に 乗っている飛行機の搭乗時間は10時間。その間にロバートを眠らせて チーム全員が同じ機械に取り付けて 眠ったロバートをチームのデザインした夢の中におびき寄せる。そこまでは 守備よく成功する。
しかし予想外に、ロバートは自分の潜在意識の世界を守る訓練を受けていた。彼の夢のなかには それを読み取ろうとするものを攻撃する敵や戦士達が沢山居る。ロバートの無意識の意識を守ろうとする無数の敵と、コブたちチームは激しい戦闘をしなければならなかった。運の悪いことに、サイトウが銃で撃たれて大怪我をする。強い催眠薬で 夢に導入された場合 夢に中で殺されると無意識の虚無に陥り 廃人になってしまう。一時もはやく、チームは仕事を済ませなければならなくなった。

コブは現実世界と夢の世界の境界がわからなくならないように ポケットにコマを入れてる。コマを回して 永遠に回り続ける世界は夢の世界で コマが止まるのが現実世界だ。

夢の世界では重力も距離も時間もない。数秒の眠りの中で人は何十年も年をとる。眠りのなかで死ぬと目が覚める。催眠薬を使って夢に導入されて 夢に中で殺されると潜在意識の無に陥り現実世界で廃人になってしまうので、そうならないように、チームの仲間は、睡眠中の仲間に水をかけて強制的に起こさなければならない。

チームは 激しい戦闘の末、ロバートの心の奥底に仕舞われていた金庫を開ける。ロバートは大富豪で偉大な事業家の父親に育てられて 父に「期待はずれだった」と言われたことで、深く傷ついている。父の期待に答えて 仕事を継ぐことだけを念じて生きてきた。しかし、こじ開けられた夢に中で再会した死の床にある父は、「おまえが自分の生きたいように生きなかったことが期待はずれだった。」という意味だったのだということがわかる。そして、父に愛された子供の時の写真とともに、父が作って 彼が大事にしていたカザグルマが 父の金庫に しまわれていた。ロバートを苛んでいた長年の心の傷が癒された。父との心からの和解。
こうして しっかりロバートはチームの思惑通りに 無意識の中で自分に会社を潰す考えを植え付けられていたのだった。

夢の中で銃撃を受けたサイトウを 救うことができるだろうか。彼は戦闘の途中で死んでしまう。
また、コブの夢の中には、死んだ妻マルが いつも出てきてコブの仕事の邪魔をする。コブはマルから開放されることが できるのだろうか。
以前、コブとマルは二人で共通の夢を共有していた。二人でデザインした夢の世界を作って 50年先まで二人が仲良く暮らせる世界を作っていた。そこでは コマはいつまでも回り続け、二人の子供達はいつも背を向けている。マルが心変わりしないように、、実はコブは二人の夢をデザインするだけでなく、モルに「インセプション」を実験したのだった。そのために、マルは現実の世界と夢の世界の境界線がわからなくなって、自殺してしまった。その罪が余りに深いゆえに、コブが仕事で 無意識の世界に入るたびに マルが必ず出てきて邪魔をする。
 
チームの面々は 航空機の中だ。
10時間の長い眠りから一人一人と、目を覚ます。着いたところはアメリカ。荷物受け取りのところで それぞれは自分の荷物を受け取り 笑顔で別れ別れになっていく。
コブが出口を出ると 父親が迎えに来てくれている。そして、父親と共に着いた家に足を踏み入れると 二人の子供達が待ち構えていた。飛びついてくる子供達。しっかり子供達を抱きしめて 喜びにふるえるコブ。幸せすぎて コブは思わずコマを回してみる。しかし、それは いつまでもいつまでも回り続ける止まらないコマではなかったか、、、、。
というストーリー。

画面を見ていて それが現実世界のお話なのか、夢の中かわからない。嘘か真か わからないまま 激しいアクションシーンが続いていく。同じ デカプリオ主演の映画「シャッターアイランド」のほうが分かりやすかった。「シャッター、、」では 精神病患者の頭の中で起こっていることと、現実との2極に別れた世界だった。
今回の無意識の意識、潜在意識の世界は、現実世界に限りなく近いため、どこにいるのかが、とてもわかりにくい。
それだけに それぞれの人の解釈がちがってくるだろう。難しい映画というのは 自己流の解釈ができて、それが他の人と全然ちがう おもしろさがある。私の書いた解釈を これは違う!と言う人も多いだろう。これは私の解釈したストーリーであって、他に人と違って それで良い。

ハッピーエンドだった と思っている人も多い。
コブの心の傷が余りに大きくて 子供たちにも会えない姿が可哀想で可哀想で 何とか子供達に会わせてあげたい、、映画の観客の無意識の願望が 最後をハッピーエンドにするのだろう。ここで すでに観ている人は「インセプト」されているのだ。

2010年7月25日日曜日

映画 「クリエーション ダーウィンの幻想」




チャールス ダーウィンが「種の起源」を出版したのが1859年1月24日。5年間に及ぶ ビーグル号の航海を経て、進化論を確立した記念的書物だ。その日のうちに完売された、という。
理論の正しさは、150年あまりたった現在も証明され続けている。生物は進化する。
日本では1874年、現在の東京大学医学部で フランツ ヒルゲンドルフが初めて進化論の講義をして、それを森鴎外が聴講した、という。

ヒトの進化については 1992年にエチオピアで発見された 440万年前に生存したという ラミダス猿人が鍵になる。その実態が徐々に わかってくるにつれ ヒトのルーツは ゴリラやチンパンジーとヒトとの共通祖先があったわけではなくて、全く別のヒトの祖先をもっていたことが 明らかになってきた。発見されたラミダス猿人は 身長120センチ、体重50キロ。はじめから2本足で立って歩いていたという。この最古の猿人が その後どのように 他の猿人たちにつながっていくのか ヒトの祖先を解明する道は まだ遠そうだ。

経済学者カール マルクスは 進化論に大きく影響された学者の一人だ。進化論が唯物史観を 着想する鍵になった として マルクスは「資本論」を ダーウィンに献本している。
ナチズムのアーリア人優等人種論では 優生学を証明するために ダーウィンの進化論を利用しようとしたが、学問的には全く相容れない 科学的な思想とは言えないとして、ヒットラーの優生学は否定されている。

進化論を最も否定するのは イスラム教とキリスト教だ。
イスラムにとって「神アッラーは天地を創造した。」のである。
キリスト教では、聖書学が「創世記」に、「神が植物、動物、人の順で天地を完成させた」と、記述されている。
しかし、カトリックでは 1991年にローマ教皇 ヨハネ パウロ2世が 「進化論は仮説以上のものであり、肉体の進化論は認めるが、人間の魂は神によって創造されたものだ」として、進化論とキリスト教とは矛盾しない、という結論を下した。

アメリカでは 進化論どころか、神によって人はデザインされたとするインテリジェント デザイン(ID説)が 公共教育に取り入れられる動きがある。ジョージw ブッシュもそのうちの一人だ。彼らは 「複雑な細胞からなる生体組織が進化、自然淘汰などでできたとは考えられない。創造にさいして 高度な知性(神)によるデザインが必要だった。」と主張する。 これを根拠にカンサス州では教育委員会が 進化論を教育に取り入れないことを決定した。その一方でペンシルバニア州では ID説を公立学校え教えるのは 宗教的創造論と結びついているので、憲法違反だという決定をした。

小学校高学年の時にダーウィンの進化論を学び、ごく自然に生物が進化する説を正論としてきた私たちにとって、月や火星探検が現実になっている現在でも人口の 40%のアメリカ人が 進化論は間違っていると 信じている事実に驚愕する。日本人の常識がアメリカ人の常識とは限らない ことは承知だが、やはりそれでも驚かざるを得ない。進化論を正しいとするアメリカ人は たった40%。トルコ人にいたっては、25%でしかない。

どうして映画評を書くのに 長々と進化論について述べているか というと、「種の起源」を出版する前後のダーウィンを映画化した作品の上映が 反対者が多く、アメリカで上映延期になった というニュースを聞いたからだ。クリスチャンの立場から この映画上映を反対する人々もご苦労なことだが、こういう事態をみて、アメリカという国を理解する良い機会にもなる。

イギリス映画「クリエーション ダーウィンの幻想」
原題:「CRIATION」
監督: ジョン コリー
キャスト
チャールス:ポール ボタニー
妻エマ:  ジェニファー コネリー
娘アニー: マーサ ウェスト

原作はチャールス ダーウィンのひ孫に当たる ランダル ケインズの「ANNIE’S BOX」。
ストーリーは
イギリスの田舎 ダーウィンは広大な領地を所有する領主だ。ビーグル号での航海を終え「種の起源」をほぼ書き終えるところだ。彼を支持してその出版を心待ちにしてくれる同胞も多いが、敵も多い。「君は神を殺す気か」と、科学者としての確信を 誹謗中傷する知識人も多かった。宗教心あつい妻との確執 家族そろって教会に行く習慣も チャールスにとっては 苦痛をともなう。家庭の中で 唯一のなぐさめは10歳の長女アニーだった。彼女は科学者としての父を尊敬し 父親のすることすべてに信頼を置く よき理解者だった。
そのアニーが しょう紅熱で亡くなる。チャールス自身も健康を害し 執筆に行き詰まった。アニーの幻覚をみたり 採集した生物標本が 動き出したりする。心の病を経て苦渋の末に「種の起源」を完成させる。頑として全知全能の神を信じる妻に、チャールスは原稿を渡す。妻は夜を徹して夫の渾身の研究成果を読み通す。どうだった、と心配気に問うチャールスにむかって 妻はすでに出版社あてに小包みにしてある原稿を手渡すのだった。
というお話。

ダーウィンのバイオグラフィを映画化するというので とても期待していた。ポール ベタニーは 大好きな俳優の一人だ。長身で額が広く 学者の風格もあって、ダーウィンは適役だ。
ラッセル クロウと共演した 同じ監督ジョン コリーの「マスターアンドコマンダー」でも 航海先で時間をみつけては動植物を採集する学者の役をやっていて、それがとても良かった。長い航海で、夕食が済むと ラッセル クロウがヴァイオリンを、ポール ベタニーがチェロを弾いて食後のひと時を楽しむ。そのシーンが、美しくて忘れがたい。
このポール ベタニーが「ダヴィンチ コード」では イルミナリテイの狂信者でシラスの殺し屋になった。アルビノで全身に毛がない。次から次へと司祭を殺していく。本当に恐ろしくて震えた。
シェイクスピアを劇場で演じていた人だから どんな役でもやれる。その彼の実生活上の妻、ジェニファー コネリーがこの映画で 妻エマを演じている。映画の中でエマは一度も笑わない。実生活でもこんな感じかな、と思ってポール ベタニーがちょっと可哀想。

役に適した良い俳優、いまだに人気のあるダーウィンという題材がそろっているのに 残念ながらフイルムワークは良くなかった。現在と過去が余りにも頻繁に交差するので、背景を理解できないまま画面にひきずられ、感情をフイルムに移入することができない。
夫を理解しない妻との あまり明るくない家庭、唯一の理解者だった娘を失って嘆く父親、、、人間としてのダーウィンを描いたにしては 一面的だ。恐らく 彼のひ孫による原作「ANNIE;S BOX」がそのようなものなのだろう。家族にとっては貴重な内容だが 外部の人間にとってはあまり意味をもたない、というような。
科学者の苦悩を描くのは 確かにむずかしいだろう。まして人類史にとって画期的な意味を持つ書物だ。

ハトの何世代にも渡る遺伝的形質を研究するために 沢山のハトを飼っている。次から次へと記録の為に 首をひねって殺しているシーンが 本物っぽくてダーウィンに肉迫していた。また ダーウィンとチンパンジーとの交流のシーン、、、心が通じ合って一緒にハーモニカを吹くところなど、心があたたかくなる。また、10歳で死んだアニーの活発で好奇心に満ちた瞳が印象的だ。心に残る良いシーンが 点在する。
もしも良いシナリオライター、すぐれたカメラマン、それを編集する知性をもった監督が これらの題材を使って映画制作したら、見ごたえのある映画になっただろう。この映画は、監督の知性とセンスが足りない為に映画が台無しなった という珍しい例だ。とても残念だ。

最後にもうひとつ ケチつけ。
最後、チャールスが原稿を妻に渡し 妻がそれを徹夜で読む。妻が「種の起源」出版に反対するのではないかと、チャールスは心配で眠れない。しかし朝方 ちょっと眠ってしまった。起きて見ると居間で原稿を読んでいた妻も原稿も見つからない。チャールスは必死で探す。すると妻は庭で怖い顔をして、何かを燃やしている。近付きがたい 恐ろしい雰囲気だ。何を燃やしているのだ。原稿はどこだ、、、。チャールスは庭に向かって走っていく。心臓が早鐘のように鳴っている。何が燃えているの???? ギャー やめてー!
で、こわい顔の妻は 無言で出版社あてに包まれた原稿をチャールスにわたす。という結局なんでもなかったシーンだけれど、皮肉屋と一緒に映画を観ていたら大爆笑するところだった。