2010年9月26日日曜日
キャサリン渓谷を見る
北部準州のダーウィンから キャサリンの町に向かって スチュワートハイウェイを南下する。距離は450キロメートル。
スチュワートハイウェイの名前は ジョン マクドナルド スチュワートという南オーストラリアからダーウィンまでオーストラリア大陸縦断を初めて走破した冒険家の名前からくる。また、向かう先のキャサリンという町の名は このスチュワートの大陸縦走を資金面で支えた南オーストラリアの大富豪家 ジェームス チェンバーの娘の名前だ。ジョン マクドナルド スチュワートの偉業は 大陸縦断のみならず、電信通信網を施設するための予備調査をして オーストラリアの南と北を結んで通信網を確立したことにある。彼は行動力も判断力もあり 探検隊長として、部下一人として失わずに全員を生かして帰した。立派な冒険家だったが、後半生はアルコール中毒で惨めに死んでいった。彼の葬式に参列したのは たった7人だったという。4人が親戚で、3人がナショナルジェォグラフィックの社員だった、と。なんて、素敵な奴なんだろう。
450キロメートルのダーウィン、キャサリン間を私たちを乗せた車は時速150キロで飛ばしていく。この北部準州では 3年前まで 車の時速制限がなかった。北部準州は人口もわずかで3分の2がアボリジニーだ。なかでも町と呼べるのは アリススプリング、エアーズロックとダーウィンくらいだ。広大な土地にわずかな人口しかいないので 地元の人は車をとばす。この州で 事故を起こすのは85%が観光客だった。自動車事故で亡くなる人が他州の人ばかり、、、ということで批判が集中して ついに北部準州でも道路スピード制限が制度化されて 2007年から最高速度が130キロと、決められた。その結果、今度は事故を起こすのが地元の人ばかりになった。130キロなんて、トロトロ 人一人いない赤土の大地を走っていると 退屈で退屈でハンドルを握りながら 眠ってしまうからだ、という。
まあともかくダーウィンからキャサリンまで スチュワートハイウェイを 400キロあまり走ったところで、キャサリン渓谷に到着。
キャサリンの町は人口1200人。
鉄分を含んだ激しく赤い色をした岩山を越えて 渓谷を渡るグラスボートに乗り込む。両側を切り立った屏風のように聳え立つ岩の間をボートが渡っていく。両側の岩は1000メートルちかい。何千年も時間をかけて雨期と乾期を繰り返しながら 岩を侵食してできた自然の渓谷だ。空が青い。岩が赤い。水が真緑だ。気温が36度で 太陽が情けも無く照りつける。荒々しい赤い岩壁と岩壁のあいだを、キャサリン河とヴィクトリア河が流れていく。迫力満点。2時間あまり、グラスボートを乗り換えて、二つの渓谷を渡って また戻ってきた。河をわたる風が心地よい。
6000年以上前のものと言われるアボリジニーの壁画を観た。高い壁に描かれた数人のアボリジニーの仲間の絵だ。ボートから20メートルほど高いところに 描かれているので写真に取ったが、あまりはっきり見えないのが残念。6000年の月日がたって、今なお人の心に訴えてくる壁画の威力に圧倒される。
グラスボートを降りたところで 「アイ ラブ ツーリスト」と言って口を大きくあんぐり開けているワニの立て看板をみて 思わず笑う。「ワニに注意」とか、「泳ぐな!」とか命令調の注意書きより ずっと気が利いている。
今日もビールが美味しいはずだ。