2013年4月23日火曜日

映画 「コンチキ」


   
ノルウェー映画
原題:「KON-TIKI」
監督:ヨアキン ローニング
   エスパン サンドベルグ
2013年アカデミー賞、ゴールデングローブ賞候補作

ノルウェーの人類学者で冒険家、トール ハイエルダーによる「コンチキ号漂流記」(偕成社)や、「コンチキ号探検記」(ちくま文庫、河出文庫)は、子供の時に、夢中で読んで、愛読した。冒険物語の中でも ピカイチ。ドキドキワクワクの連続だ。実際に、ハイエルダーがコンチキ号で、南米から南太平洋まで航海したのは、1947年だが、彼の航海記は、いま読んでも大人も子供も楽しめて、全く古さを感じさせない。ユーモアたっぷりで、ウィットに富んだ、気品のある文章は、いつまでも人を惹きつける。20世紀の名著の一つだそうだ。

実際航海中に クルーによって撮影されたフイルムは、長編ドキュメンタリーに編集されて、1951年のアカデミー賞、長編ドキュメンタリー賞を受賞している。

コンチキとは、インカ帝国の太陽神ピラコチヤ コンチキの名前からきている。ノルウェーの人類学者トール ヘイエルダールは、南太平洋ポリネシアの島々を学術調査して、ポリネシアの神々がインカ帝国のそれに酷似していることや、人々が東からやってきたと、言い伝えられていることから、ポリネシア人は 南米から移ってきた民族であることを確信する。当時、ポリネシア人が はるか、8千キロもの海を渡って 南米から来たという学説を信じる者はいなかった。そこで、彼は、自説を証明しようと、コンチキと名付けた「いかだ」を作り、南米から南太平洋に向かう計画を立てた。インカ帝国を征服したスペイン人の残した図面をもとに、バルサという南米産の常緑樹や、松、竹、マングローブなどを使って、いかだを組み、麻でマストを作る。何の動力もつけずに、風と、フンボルト海流を頼りに、5人のクルーとともに、太平洋を渡る。

南米ペルーを1947年4月に出発、102日後の8月に、彼らは、遂にポリネシアのツアモツ諸島に到着。7000キロ余りの距離を航海して、ペルーからポリネシアまで 人々が海流にのって移動することができることを証明した。ポリネシア人の先祖が南米のインデアンだという学説が証明された形になったが、のちに、ヘイエルダールの学説は否定される。DNAなど、科学的な調査によって いまではポリネシア人はアジアを起源とすることが、定説になっている。
しかし、ヘイエルダールはいつまでも、ノリウェーの英雄であることに変わりはない。現在、コンチキ号は、ヘルシンキの博物館に展示されている。

2006年に、ヘイエルダールの孫たち6人が、再びコンチキ号を作って、ペルーから太平洋を横断する航海に挑戦した。ヘイエルダールが作ったのと同じ、いかだを作り、ポリネシアに渡った軌跡をなぞることによって、今日の海洋汚染が海中動物や植物にどのように影響しているかを調査するのが目的だったそうだ。60年経っても ヘイエルダールの冒険心は、孫の代まで受け継がれているようだ。

映画は 今年のアカデミー賞候補になったが、受賞にならなかったのは、アング リーの「ライフ オブ パイ」の同じような海の漂流ものが重なったのが不運だったのかもしれない。映像の魔術師、アング リーの鮮やかな色彩の氾濫、光と影の芸術、最新技術を駆使しての映像美には、誰も勝てはしない。
しかし、「コンチキ」の自然描写も、秀逸だ。海から日が昇り、海に日が沈む。サメの襲撃による恐怖、くじらの群れとの交流、光り輝くクラゲの遊泳、降るほどの星々。

ハイエルダールの描き方も良い。自分の学説の曲げず、それを証明するために学識者や「ナショナルジェオグラフィー」や、新聞社などから 航海に必要な資金を集めようと、足を棒にして回るが、一向に資金提供者を見つけられない。ペルー大使に直談判して 誇り高いペルー民族が ポリネシア人の先祖だと、熱心に説得して資金を引き出すところなど、涙ぐましい。航海のクルー探しでも、経験者を集められず、やってきたのは、冷蔵庫のセールスマンで、海を知っているどころか、泳ぐこともできない男だ。
やがて航海が始まり、6人6様の個性の強い男たちが、協力したり、ぶつかったり、いがみ合ったりするが、キャプテン ハイエルダールのいつも穏やかな人柄が救いになる。

唯一の外部との連絡を果たす無線機がだめになっても、現在位置がわからなくなっても、客観的にみて、全く希望がないように思える局面でも、自分の根底に楽天性をもち、自分を信じることが大切だということが よくわかる。冒険物語はいつも自分を励ましてくれる。だから、読むのも、見るのも大好き。
この映画をみていると、ノルウェー人にとって、いかにハイエルダールが、大切な存在で、みなが誇りにしているかがわかる。アムンゼンにしても、本当に立派な冒険者たちを生んだ国だ。
 6人のクルーとキャスト
トール ハイエルダール :パル ヘイゲン
エリック ヘイゼルベルグ:オッドマグナス ウィルアンソン
ベント ダニエルソン  :グスタフ スカルスガード
クント ホーグラン   :トビアス サンテマン
トルステイン ラビー  :ヤコブ オフテブロ
ヘルマン ワジンガー  :アンドレア クリスチャン
Kon-Tiki -- The legendary explorer Thor Heyerdal's epic 4,300 miles crossing of the Pacific on a balsa wood raft in 1947, to prove that this could have been done in pre-Columbian times for South Americans to settle in Polynesia.

2013年4月22日月曜日

小野伸二、がんばる

      

4月2日の日記で、小野伸二が シドニーパラマッタを拠点とするサッカーチーム、ウェスタンシドニーワンダラーズで、大活躍していることを報告した。
小野伸二、33歳、背番号21、ポジションはMID、25ゲームで8ゴールを成功させ、さらにチームを、レギュラーシーズンで、みごと、優勝させた。トニー ポポヴィッチ監督は、今年の最優秀監督賞を受賞した。新造チームが 10チームあるプロのチーム戦で 上位に食い込むことは不可能と言われていたにも関わらず、強豪チームを次々と破り、優勝したのは、胸のすくような快挙。昨年9月に小野伸二が 加わってからは小野の人気はすごい。試合ごとに、オージーファンが、オーノ、オーノ、を連呼していた。

昨日の午後、サッカーのグランドファイナル戦があった。レギュラーシーズン戦とは別に、10チームの総合点を上げた2チームが、最終的に戦う、いわばオーストラリアで一番強いサッカーチーム王者決定戦だった。小野伸二のウェスタンシドニーワンダラーと、セントラルコースト マリナーズとが試合をした。マリナーズは、過去3回続けて優勝している強豪チームだ。どちらのチームも、熱狂的なファンが多い。観客は、どちらもチームの選手たちと同じシャツを着て、応援に来る。でも、昨日は地元、シドニー勢のウェスタンシドニーワンダラーの、赤と黒の縞のシャツを着たファンがずっと数では多く、試合前から異様な盛り上がり方をした。オリンピック会場につめかけたのは、4万2千人余り。4万2千人と軽く言うが、シドニーの人口は、376万人だ。野球の巨人戦で東京ドームに2万人集まるといっても、東京の人口は 1千322万人だ。これまで、これほどサッカーの試合が 盛り上がることはなかった。シドニーでサッカーがこれほど熱くなっていて、それを日本人の小野が機動力になっている。

試合結果は0対2で、ウェスタンシドニーワンダラーは、優勝を逃した。善戦したが、前半で得点をあげられ、後半、ペナルティキックで点を取られた。SBS国営テレビのサッカー解説者で、自分もサッカーのエースだった クレイグ フォスターは、試合を振り返って、「2回もペナルテイーを取られた。これについては賛否両論あるだろう。」と言っていた。サッカーのペナルテイーは、たった一人のレフリーの判断に任される。公正な判断だったか、疑問をもつことも多い。
小野もシュートしたが、得点にならなかった。残念。

グランドファイナルには 優勝できなかったが、ともかくも、レギュラーシーズン戦ではチームは、優勝した。小野は 今年の契約延長にサインした。
ニュースでも、小野の顔写真を引き伸ばしたお面を、オージーの子供たちがかぶって、オーノーオーノー、シージー シージーと黄色い声を上げて声援している。小野伸二の活躍が 嬉しい。

2013年4月18日木曜日

映画 「オブリビオン」

    

映画「オブリビオン」を観た。原題「OBLIVION」アメリカ映画、サイエンスフィクションアクション。日本での公開は 5月31日。
監督:ジョセフ コジンスキー
キャスト
ジャック:トム クルーズ
ビーチ :モーガン フリーマン
ジュリア:オルガ キュリンコ
ビクトリア:アンドレア ライズボロー

ストーリーは
地球はすでに60年前にエイリアン スカブによる攻撃で壊滅していた。生存者はみな、他の惑星に移住している。かつては、米軍海兵隊員だったジャック(トム クルーズ)は、地球に残って、残存するエイリアンの監視と始末をする命令を受けて、小型宇宙船に乗って毎日パトロ-ルしている。まだ、あちこちの洞窟や地下壕のなかに、エイリアンが隠れていて、生き残った人間を攻撃してくる。ジャックは、最新技術を駆使して作られた球形の攻撃型宇宙船で、任務を遂行する。指令は 他の惑星の司令塔から PCを通じて送られてくる。ジャックのパートナー、ヴィクトリアは、危険な任務のために出かけていくジャックを、二人が住んでいるカプセルから PCを通じて見ていて、後方援助する。家は、汚染された地面から、はるかに高い位置に建てられたカプセルで、中で、空気も水も人工的に作られている。

ジャックは 何度も何度も同じ夢を見る。それは、自分がニューヨークのエンパイヤビルデイングの展望台で 美しい女性と微笑みを交わしているシーンだった。そんなある日、パトロールをしていると、突然、大型のシャトルが墜落してきて、地球に激突する。大破したシャトルから、5つの人間を乗せたカプセルが散らばった。ジャックは、生存者を救助しようとするが、ジャックのパトロールマシンは、容赦もなく次々と 人を乗せたカプセルを 攻撃して爆破させる。ジャックは、必死で最後に一つ残ったカプセルを守る。残ったカプセルの中で眠っていたのは、ジャックが これまで幾度も夢で見た、美しい女性だった。

しかし、女性を保護したジャックは、何者かに襲われて拉致される。連れていかれた洞窟の中で、ジャックが対面したのは、マルコム ビーチと名乗る、地球に残ったレジスタンス軍の指揮官だった。そこで、ジャックは驚くべき事実を知らされる。
実は、地球には、エイリアンなど居ないのだった。地球を破壊したエイリアン、スカブは人間の中からジャックのような優秀な人を選んで、そのクローンをたくさん作って、思うまま使用している。ジャックやヴィクトリアも そうして作られたクローンであって、すでに人間ではない。しかし、ジャックは例外的に、人間だったときの記憶をもったまま生きている。
カプセルで眠っていた、美しい女性は、ジュリアという名の女性宇宙飛行士で、60年前に宇宙に飛び立ったNASAのミッションだった。しかも、ジュリアはジャックの妻だった。ジャックは、自分がクローンであって、ジュリアの本当の夫ではない、と知るが、ジュリアは、60年前のジャックの記憶をもったジャックを 自分の夫として受け入れる。

恐らく、マルコム ビーチらのレジスタンスとジュリアは 唯一の地球上の生き残りだろう。レジスタンスは 絶えず攻撃にさらされていた。ついに、司令官ビーチは 敵の攻撃で致命傷を受ける。ジャックは、エイリアン、スカブの本拠地に乗り込むために、捕獲したジュリアをカプセルごと連れていく、と連絡する。ジュリアは、ジャックをうながして、自分が原子爆弾を抱えて、エイリアンの司令塔に入り込み爆破するつもりでいた。ジャックは、それに同意したふりをして、ジュリアを再び眠らせてカプセルに入れて、安全な隠れ家に送り込み、カプセルには、致命傷を受けているビーチを乗せて、司令塔に向かう。二人は、宇宙に浮かぶエイリアンの本拠地に入り込み、爆破する。スカブの本拠地は 木端微塵の宇宙の塵となった。
3年の時が経つ。あれから ジュリアはジャックの子供を生み、泉のほとりの隠れ家で平和に暮らしている。生き残ったレジスタンスたちも健在だ。
というストーリー。

二人乗りの小型ヘリコプターのような 球形の戦闘機を自由自在に繰って、地上や空を飛び回る。真っ白でピカピカ光っている。その乗り物を小型にしたような球形のレーダーつきの戦闘ロボットが いつも 後からついてきて、援護射撃して守ってくれる。男の子ならば 誰もが乗ってみたい乗り物、誰もが夢中になりそうな戦闘ロボット。操縦士は、白い宇宙服を着て、ライフルのような銃を背中に背負っている。小型のバイクも 装備されている。いくつになっても 年を取らない、少年のようなトム クルーズが大真面目な顔で、ちょっと嬉しそうに それを操作している。うらやましい。
地上にそびえたつ、プール付き、寝室、台所付きの住宅カプセルには、戦闘機の発着できるへリポートが付いている。すべてガラス張りで美しい。それで、出かけていけば、訳の分からない玩具のようなエイリアンが潜んでいて、それをバリバリ倒していく。これは、メカ好きな男の子たちのための おとぎ話だ。見ていて、とてもわくわくして、うらやましい。

ふつうSFアクションに女性が出てくると とたんにメロドラマ風に 話がトロくなって、つまらなくなるが、この映画は、そんなことはない。さすが、トム クルーズだ。SFなのに、ラブシーンなどが入ってくると、「そんなことをしている場合じゃないでしょ。地球の存亡がかかってるんだからボヤボヤするんじゃない。」と 激を飛ばしたくなるが、この映画では必要ない。登場するジュリアも ヴィクトリアも人工的近未来の顔をしていて、愛だ恋だとべたつかない。ジャックの妻、ジュリアは宇宙飛行士だし、スカブを倒さないことには 人類の生存が危ぶまれる、と わかればすぐに爆弾を抱えて敵地に飛び立とうとする。立派だ。最後に3歳になった娘が出てきて、ふむふむ、そんな時間があったんですか、という感じ。ジュリアを演じたオルガ キュリエンコという女性、日本人かと思ったが、可憐で可愛い。SFだから、頭の良い人が見ると細かいプロットで理屈に合わないとか、科学的でないとか、地球上で生き残ったのはレジスタンスだけで動植物はどうなったのか、とか、放射線で破壊されつくした地球に他の惑星から指令がどうやって届いたのかとか、いろいろ、よくわからないところもあるだろうが、深く考えないで、画面を楽しむのが良い。

安物のSFでなくて、120ミリオンドルというような、沢山のお金をかけて、こういった美しいSFの映像を作り出すことができるハリウッド映画。やっぱり楽しい。見る価値はある。

http://www.imdb.com/title/tt1483013/

2013年4月16日火曜日

映画「ハイドパーク オン ハドソン」

     

月刊雑誌「文芸春秋」のはじめの数十ページは、いつも、その時々の様々な分野で活躍している人のエッセイが載る。そこで、誰の文だったか忘れたが、大学教授のエッセイで、彼が「日本は昔、アメリカと戦争したから、、」と話し出したら、受講中の学生たちが「えええー?」と心底吃驚した とあった。それで、教室のざわめきが静まったとき、一人の男子学生が恐る恐る、「、、、で、どっちが勝ったんですか?」と、教授に聞いたという。これには、たまらず、おなかを抱えて笑った。
また、もうすこし前の、やはり文芸春秋のエッセイで、ある美術大学教授が 自分が子供の時、B29に焼け出された話を 学生たちに聞かせたら、「えー?そんなに濃い鉛筆があるんですか?」と、問われたという。B29は、B1 とかB2と、数字が上がるほど太くなって、濃くなる鉛筆のことかと思ったらしい、と。
新人類だか、幼稚園大学生だか、ニートだか、ノマドだか、異星人だか、なんか知らないが、自分の国がそれほど昔でもない過去に、とんでもなく無鉄砲な戦争をして、米国の占領下に置かれたことがある現代史くらいは、知っていたほうが良い。その前時期に、今がとてもよく似ているように思えるから。

映画「ハイドパーク オン ハドソン」を観た。日本が太平洋戦争で戦った、相手国アメリカの当時の大統領、フランクリン ルーズベルトの晩年のエピソードを映画化したもの。ルーズベルトをビル マーレイが演じていて、今年のゴールデン グローブ最優秀男優賞の候補になった。
ルーズベルトと言えば、日本人にはなじみ深い顔だ。小学校高学年の教科書には、スターリン、チャーチルに並んで、彼がサインをする「ヤルタ会議の3人」の写真が載っている。この3人が戦後社会の舵取りとなった。
民主党出身。第32代大統領(1933-1945)で、アメリカ政治史で、唯一、4選された大統領。アメリカで最も高く評価されている大統領でもある。ニューヨークハイドパーク生まれ。裕福で 政治色の強い家庭で育ったユダヤ人。第一次世界大戦後の世界恐慌のなか、自分の信じるケインズ福祉国家を実行し、ニューデール政策をとって景気を回復させ、世界恐慌のどん底からアメリカを救った。また、当時各家庭にようやく普及したラジオを通じて、初めて国民に、じかに対話をした。
しかし、大戦中、在米日本人から財産を奪い、強制収容所に送り、アフリカ系アメリカ人の公民権運動を徹底して妨害した人種差別主義者だった。日本の敗戦を見ずして、直前に心臓麻痺で急死した。

監督:ロジャー ミッチェル
キャスト
ルーズベルト:ビル マーレイ
英国国王ジョージ6世:サミュエル ウェスト
クイーンエリザベス :オリビア コールマン
デイジー    :ローラ リネイ
ストーリーは
第二次世界大戦前夜。
アメリカ社会は 世界恐慌から抜け出しつつあったがフランクリン ルーズベルトの責任は重い。ヨーロッパでは、ドイツ、ナチスの力が拡大する一方で、脅威となっていたが、イギリスではジョージ5世が亡くなり、長男のエドワードが、ナチス、ヒットラーと密接な関係をもったシンプソン夫人と再婚するために、王位を捨てた。このため予想も期待もしていなかった若く、吃音障害をもつ次男のジョージが王位を継承する。1939年。ジョージ6世は、初めてアメリカに渡り、大統領に会う。国王は、チャーチルをはじめ、議会に押される形で、ルーズベルトに不穏なヨーロッパ情勢に理解を得、ナチスドイツにアメリカが組しないという約束を、是が非でも取り付けなければならなかった。

ルーズベルトは小児麻痺で 下半身麻痺の障害者だったが 彼には妻エレノアと愛人で秘書のルーシーが居た。そこに彼は 長年のお気に入りだった遠縁のデイジーを迎えた。デイジーは、田舎から出てきてルーズベルトの身辺の世話を頼まれるが、ハイドパークの自宅の裏に小屋を建てたのは、引退後は’デイジーと暮らすためだ、ルーズベルトに告白されて、舞い上がる。デイジーが恋心を募らせていると、じつはその小屋で、ルーズベルトと秘書が逢引していることを知ってしまう。一時は田舎に帰ったデイジーだったが、実家に迎えに来たルーズベルトをみて、デイジーは第3番目の女として 彼のために生きる決意をする。

一方、クイーンエリザベスを同伴してアメリカに渡り、ニューヨーク、ハイドパークまでやってきた英国王ジョージ6世は イギリスと違って、自分たちを歓迎する人垣もなく、警備もなく、イギリス史式礼儀をわきまえないアメリカの人々の対応に驚愕し、腹を立て、困惑していた。椅子に座ったまま出迎えるアメリカ大統領、、、「ハイネス」と呼ばずに、「ねえーあなたのこと エリザベスって呼んでいい?」と妻エレノアに聞かれて、「NO」と強く否定する王妃、、、。アメリカ人の友達のような馴れ馴れしい態度、客を迎えることに慣れていない使用人たちの礼儀を失した態度、到着翌日には アメリカンインデアンのダンスを見ながらホットドッグパーテイーをするという。英国王には、ホットドッグというようなアメリカ下層労働者の食べ物を 写真で見たことがあるが、どうやって食べるものなのか想像もつかない。意表を突いたアメリカ川の受け入れ態度に 若い国王は困惑するばかりだった。

しかし国王は自分の父親ほどの年齢のアメリカ大統領に、次第に惹かれていく。チャーチルからイギリスの命運がかかった手紙を持たされてきた緊張は、ルーズベルトとのフランクな会話でほぐされて、癒される。国王は、大統領と互いに心を許し合えたと同様に、イギリスとアメリカが 強い絆で結ばれていることを確信する。ジョージ6世は、チャーチルの手紙を渡さずとも、立派にミッションを務めることができ、帰国する。
やがて、時がたちルーズベルトは、終戦を待たずに亡くなり、デイジーも死ぬ。彼女の残した日記から、ルーズベルトの秘められた生活が明らかになった。
というお話。

優秀な政治家で、ニューディール政策で、アメリカ経済のどん底から救ったルーズベルトの私生活の秘話を いま映画化する必要があるのだろうか。映画「ヒッチコック」でも 立派な業績を残して、いまだに彼ほどの天才的な映画監督はいないと、高く評価されている監督の私生活が 今になって表に出て映画化されて、私は悲しかった。なんだ、男としてはサイテーな奴だったのか、と女性の目で見て思う。
まあ、昔は女はみな男に依存するしかなかったし、女は社会的地位がなかったし、という事情はわかるが、昔でも立派な男はいた。自分なりに倫理観を持ち、女性を人間として自分と対等の価値を認め、自分の命と同じに愛する相手を大切にした男たちは、どんな時代にも、どんなところにも居た。だから、秘書兼、愛人の女に彼を「シェアしていきましょ。」と言われて、それを許して、3番目の女になるデイジーには、共感のかけらも持てない。

ジョージ6世がとても良い。初めて訪れたアメリカで、誰も国王を見ていないのに、人にすれ違うたびに帽子をとって、とっておきの笑顔で挨拶する国王、自分自身に自信を持てないで、緊張で吃音を繰り返す悩める国王。単刀直入に息子に話しかけるようにして話す ルーズベルトの話術にはまって、徐々に自信を取り戻す国王の気持ちが 映画を見ていてとてもよくわかる。厳格すぎる父親から愛情をもって接することがなかった国王、、次男であるため、何の期待もされずに育った恥ずかしがりやの国王が、ルーズベルトに息子扱いされて、うれしくなり、有頂天になる姿が、痛ましく、また共感を呼ぶ。映画「英国王のスピーチ」も良かったが、この映画のシーンも良い。ビル マーレイの大仰な演技や、ローラ リネイのやぼったさには、まいったが、ジョージ6世の サミュエル ウェストの演技に救われた。



2013年4月6日土曜日

浅田次郎の小説「蒼穹の昴」

      

浅田次郎の小説が好きだ。人間に対する優しい目差しが感じられる。彼は物書きのプロ、ストーリーテラーの名人だが、手作りで自分の世界を紡いできた人の、文章に対する真摯な眼差しが好ましい。悲惨で、客観的に見たら残酷な人生を歩んでいる人の生と死を描いても、皮肉や裏切りやあざとさとは縁がなく、あくまでも人の道に対して真っ直ぐで、優しい。宮本輝にも共通する、人への愛があり、ある種の陽気で楽天的な明るさが根底にある。

彼の「鉄道員」は名作だが、このような切れ味の良い短編も良いが、長編も良い。彼の トレジャーハント(宝探)しシリーズ、とでもいうか「シェイラザード」と、「日輪の遺産」と「蒼穹の昴」を続けて読んだ。「シェイラザード」は、昭和20年に台湾沖で2000人余りの人命と膨大な帝国陸軍の金塊を乗せたまま沈んだ、弥勒丸の引き上げに集まった男女の物語。「日輪の遺産」は、終戦直後、帝国陸軍がフィリピンのマッカーサーから奪った200兆円に値する金を、終戦時の混乱のなかで、隠した軍人たちのお話。
「蒼穹の昴」は、清国の財宝、1000カラットのダイヤモンド(龍玉)を乾隆大皇が、人目の届かぬ台地の奥底に封じ込める、お話だ。3つの小説の中で、「蒼穹の昴」1-4巻が一番面白かった。これだけ中国の現代史に通じ、歴史的人物に絡めて、物語を作るには、どれほどの史実を調査し研究し、歴史を読み込んできたのか、、、彼が検証した資料の束がどれほどのものだったか、想像すると、気が遠くなる。読んでいると、北京の街並みのたたずまいや、様々な人々が交差する様子が、映像を見ているかのように、生き生きと想像できる。本物の小説家というのは、こんな人を言うのだろう。

ストーリーは
時代は清朝末期。
河北省静海の地主の次男、梁文秀(リアン ウェンシユウ)は、地主の息子だが 変わり者で、貧民で牛の糞を拾って売り歩く李春雲(リーチュンユン)の死んだ兄と幼馴染の遊び友達だったことから、気軽に春雲の話し相手になってやったりする。文秀は「科挙」の試験を受けるために、上京するが、占い師に’将来天下の財宝を手中に収めるであろう、と予言された春雲を連れていく。
梁文秀は みごと科挙の試験を主席で突破して、政府の官僚となる。学問も財力もない春雲は 自ら男性器を切り落として宦官となって、西太后慈禮(シータイホウツーシー)に仕える。大清国を君臨して観劇と飽食に明け暮れる西太后は、みごとな舞を見せる春雲を手元に置いて可愛がる。しかし、列強国に囲まれた清国は、植民地化しようとする日本やヨーロッパ諸国の侵略を受け 外部の力によって音を立てて壊れていく。清国を近代化して延命しようとする改革派の梁文秀と、西太后を守って清国を延命させようとする李春雲の命は、4億の中国人の命とともに 激動の歴史の流れに投げ出され翻弄される。
というお話。

清朝6代目、韓隆大皇は、「バイカルのほとり、ゴビ砂漠の果て、ヒマラヤの峻嶮な峰から、南蛮の島々まで史上空前の大帝国を作り上げた」人だ。1000カラットの龍玉を家宝とする。彼の知識の源であり、生涯の心の友が、ヴェネチアからイエズス会を通じて派遣されたイタリア人、ジュゼッペ カスチリョーネだった。ダヴィンチの再来と言われた画家で、技師で、天文学、生物化学にまで通じている学者だ。彼はジョバンニ、バチスタ,テイアポロなど、ベネチア時代の先輩だった。当時、アントニオ ヴィバルデイもイエズス会から中国に派遣されようとしていたがヴィバルデイは 直前に逃亡、カスチリョーニは、ひとり清国に渡って、若い韓隆に教育を施し、西洋の科学を教え、芸術を伝えた。
利発な子供だった韓隆が、カスチリョーネに与えられた望遠鏡をみて、地球が円いことに気が付くシーンは感動的だ。のちにキリスト教が禁止されたあとでも、カスチリョーネの機転で 孤児院が運営され、そこでガラス作りや工芸作品が引き継がれていくシーンも印象深い。

清国は、もともとタルタル女真族の連邦体だ。漢人ではない。タルタル族大ハーンの子孫、韓隆の直系は、西太后の他に置いてはいない。清国末期には、長すぎる西太后の治世が続き、暗殺未遂も起きるが、これはタルタル族内部の内紛が原因だった。内部紛争から清朝崩壊へと、なし崩しに会う清国では、満州旗人か、漢人か、国の存亡に危機にあっても、民族の血の濃さが権力を決めるのだ。
一方、列強諸国は、帝国主義日本も、欧州の国々も 寄ってたかって清国を侵略、分割しようとしていた。日本は遼東半島を強奪するだけでなく満州王国を我が物にした。ロシアは’旅順、大連を獲得しようと、待ち構え、フランスは広州湾の租借をとり、雲南で鉄道を施設、それを起点に植民地化を狙っていた。イギリスは香港、九龍半島全部を自分のものにして、ポルトガルはマカオを摂取した。アヘン戦争で中国を思いのまま蹂躙した英国は、香港を99年間租借するというこう交渉までしていて、植民地化は、1997年まで’続いたのだ。

宦官制度の描写がすごい。手術による死亡も稀ではない。切り落とした男性器は「宝貝」パオペイと言い、雇い主に担保として取られ、移動にたびに見せなければならない。勤め上げて この担保を買い戻せればよいが、できなければ一生借金を背負うことになる。李春雲は 手術台が払えない為、自分で手術する。彼のように貧しいゆえに、餓死するか、占い師の言葉を信じて宦官として出世するか 二者択一しかできないとしたら、人はどちらを選ぶだろうか。

中国の歴史を学ぶと必ず出てくる「科挙」という国家試験制度を、文秀は通過するところが 興味深い。身分に関係なく秀才が唯一出世できる試験のために、全土から優秀な若者が集まって上京してくる。省の試験に合格して、挙人となり、中央の会試を突破して、「進士」となって、国政に携わる。試験問題が 実際の国の外交戦力を問うもので、それらの問いに、若い進士達が次々と実践的な答えをしていくところが 感動的だ。日本の一級国家公務員試験など、この進士試験のように、国家政策を自分で述べる質疑応答だと、おもしろい。例えば、「シリアの反政府勢力を支持しながら、どのように対露、対中外交を進行させるのか。」とか、「5%の消費税を上げずに効率的に税収入を増やすには、」とか、返答をすべて漢語で書かせるとか。
同じ年に進士となった、文秀と、王逸(ワンイー)と、順桂(ジュンコイ)の3人の友情が素晴らしい。国を背負って行く若々しい官僚たちの熱意と知性。そんな新しい清国への改革が 次々とつぶれて、誇り高い若者たちに 3人3様の悲劇が待ち構えている。

登場人物がみな魅力的だ。
清国改革派の梁文秀と、西太后を自らの命を懸けて守る李春雲、清国外交の命運を握る李鴻章将軍(リーホンチャン)、光緒帝、軍の権力を握る栄禄(ロンルー)、春雲に愛される宦官の蘭琴(ランチン)、春雲の妹 玲玲(リンリン)、カスチヨリーネ神父、フランス人ファビエ神父、ニューヨークタイムス記者のトマス バートン、会津藩士族出身の新聞記者、岡圭之助、、、どの登場人物にも魅力があって、忘れられない。

清朝末期の歴史の重みに圧倒され続けて4巻まで読み進んだ。そして、今さらながら中国という国の大きさに目を見張る。3000年の歴史に人類の知恵が詰まっている。大国中国、こんな国と戦争をしてはいけない。日本は大陸から分離した今、大陸をマザーランドと呼ぶ、小さな島国にすぎないのだから。

2013年4月2日火曜日

小野伸二がんばれ!





シドニーに住んでいて、何らかのプロフェッショナルとして活躍している日本人は多い。
コンピューター技術者、研究者、医師、獣医、薬剤師、歯科医、フィジオセラピスト、ナースも私と定期的に交流しているナースだけでも12人くらいいる。しかし、スポーツのさかんなこの国で、先祖代々、肉だけを食べて生存競争に勝ち抜いてきたオージーたちに交じって、日本人が活躍してくれることは、驚異に値する。
日本人が3週間かかって大腿骨骨折から、やっと立ち上がり 歩くためのリハビリに入るのに比べて、オージーは,術後1週間で歩き始めるし、日本人が1週間絶対安静にする心臓のメジャー手術でも、オージーは5日で退院だ。出産後、産婦を1週間は入院させる日本と違って、オージーは、出産後すぐに、産婦に歩いてシャワーを浴びに行かせて、翌日自宅に帰させる。医療現場にいて、体力の差が歴然としている姿を見ているから、肉食欧米型勢力のやるスポーツに、米と魚を食べてきた日本人が 負けずに活躍していることは、大変立派なことだと思う。

サッカーの小野伸二(33歳)が、シドニーで活躍している。
チームは「ウェスタンシドニーワンダラーズ」で、ポジションはもちろん、(MF)ミッドフィールダー。彼が昨年9月に入団して以来、大活躍してくれて、そして遂に このチームが、シーズン優勝をした。もともと、ワンダラーズは、Aリーグ(日本でいうjリーグ)の中で、一番新しいチームで、全く優勝など誰も期待していなかった。優勝といえば、「セントラルコースト マリナーズ」か「、シドニーFC」だろう。今年、「シドニーFC」は、イタリアからアレクサンドロ デル ピエロを入団させ、このチームにはオーストラリア代表サッカルーズの主将ルーカス ニールも居る。また「ニューキャッスル ジェット」には、元イングランド代表のエミール ヘスキーが居る。新しいチームが優勝するとは、誰も思っていなかった。本当に、ワンダラーの優勝は、快挙なのだ。

ウェスタンシドニーワンダラーズの拠点地は、パラマッタという西部。西部の人間は他とは違う。西部劇に出てくる開拓民を思い描いてくれれば良いかもしれない。粗暴で男そのもの、とにかくスポーツに熱狂的で、すぐにヒートアップする。移民も多い。それだけに、オーストラリアで一番人気のあるフットボールよりも、サッカーファンが多い。

小野伸二が、チームのオファーを受けたのが、去年の9月28日、シドニーに到着したのが、10月1日。その日のチームファンたちの空港への出迎えは、熱狂的で、ニュースを見ていても、すごかった。日本語を知らないチームサポーターたちが、「オーノ オーノ シンジ― シンジー」の合唱だった。
9月のシーズン開幕後、彼は、すぐに試合に参加して、チームをまとめていた。彼は攻撃の全権を握り、守備では前線からの守備に貢献する。必要な時に、必要な場所にいて、パスで、アシストする。ボールをよくコントロールして、送り出す。24試合に出場して、7得点を挙げた。快挙だ。でも、10連勝して、臨んだ、3月23日、地元のパラマッタ スタジアムの試合で、足の付け根を大怪我をして、休場した。次の3月29日の試合で チームは勝ち進み、シーズン優勝が決定した。優勝戦に出られなくて、悔しかっただろう。

「ウェスタンシドニーワンダラー」は、Aリーグに参加初年度に優勝したことになる。トニー ポポヴィッチ監督、キャプテンはヴュー チャンプ、小さなチームで、控え選手とレギュラー選手との差がなくて、チームワークが良い。小野に言わせると「誰が出ても同じことをやる。」チームだ。
「セントラルコースト マリナーズ」、「パース グローリー」、「メルボルン ヴィクトリー」、「ブリスベン ロア」、「シドニーFC]、「ニューカッスル ジェット」、「メルボルン ハート」、「ウェリントン フェニックス」、「アデレード ユナイテッド」の10チームが戦い、レギュラーシーズン優勝が決まったので、これからは、後半戦で、セミファイナル2試合と、グランドファイナルがある。これに勝てば、ファイナルの王者となる。オーストラリアで一番のチームとなる訳だ。
すでに、シーズン優勝チームは、アジアサッカー連盟のACLの選抜対象になっている。だから、小野伸二は、オーストラリア代表として、アジアゲームに出場することになる。これは とても嬉しいことだ。
1日も早く、怪我から回復してほしい。がんばれ!

2013年3月24日日曜日

映画 「大いなる遺産」




原作:チャールズ デイッケンズ
原題:GREAT EXPECTATION
監督:マイク ニューウェル
キャスト
マグウィッチ  :ラルフ フィネス
ピップ      :ジェレミー アービン
ミス ハビシャム:ヘレナ ボンハム カーター
ステラ      :ホーリー グレンジャー
ストーリーは
孤児フィリップ ピリップ(通称ピップ)は、鍛冶屋の姉夫婦の家に引き取られていた。ある早朝、両親の墓に花を供えようとして、脱走犯に出くわしてしまう。そのいで立ちの恐ろしさから、言われるままに、秘密に食物とやすりを与える。その後、成長したピップは、村で唯一裕福なミス ハビシャムの屋敷に、彼女の姪のステラの遊び相手として、定期的に招ばれるようになる。ビップは貧しい少年を見下して高慢で意地悪なステラの態度に傷つきながらも ステラの美しさに心を奪われる。

その後、立派に成長したビップは鍛冶屋の見習いをしていたが、ある日、弁護士の訪問を受ける。匿名の人の好意で、資金を提供され、ロンドンで紳士になる修行を受けられることになったのだった。ビップはその匿名の人は、ミス ハビシャムに違いなく、立派な紳士になれば、ステラと結婚できるに違いないと思い込む。嬉々として、ピップはロンドンで、弁護士の仕事を手伝いながら、紳士修行に精を出した。しかし、ある日、子供の時に 自分が助けた脱走犯、アーサー ラステイグが訪ねてきて、ピップを一人前の紳士に教育する資金を提供したのは自分だと 告白される。彼は、イギリスを離れ、オーストラリアで、農場主として成功し、ピップに会いに来たのだった。その昔、罪に陥れられた、彼には妻も娘もいた。その娘がステラだったのだ。ピップはミス ハビシャムを訪ね、ステラに会うが、ステラはピップの気持ちを知りながら、ピップと敵対する大金持ちの俗人と結婚することになっていた。

失意のピップは アーサー ラステイグを、警察の追手から逃れ、もう一度、オーストラリアに帰そうとするが、失敗。逮捕されたアーサーは怪我を負い、死ぬ。ピップは紳士になっても、何一つ幸せを掴めないことを悟る。
というお話。

原作者 チャールズ デイケンズ(1812-1870)は ヴィクトリア時代を代表する作家。「オリバーツイスト」、「クリスマスキャロル」、「デヴィッド コバフィールド」、「二都物語」などが代表作。生家が破産したため、学校教育は4年しか受けられず、たった12歳で、独立。靴墨工場で働きながら、ジャーナリストになる夢を持ち、1834年、22歳でモーニング クロニクル紙の記者になった。自分をモデルに貧しい者達を小説に書き、成功。68歳で亡くなると、ウェストミンスター寺院に 英国を代表する作家として埋葬された。墓石には、「苦しみの多い抑圧された貧しい者の共鳴した、イギリスで最も偉大な作家だった」という文字が彫られている。
プルースト、ドストエフスキー、トルストイ、ジョージ オーエルなどから 高く評価された。英語圏の国々では 彼の作品が必ず教科書に用いられている。日本の国語の教科書に、森鴎外や夏目漱石が載っているようなものか。

それほどポピュラーな作家の作品だから、これまで7回も映画化されている。
最も印象に残っているのは、1946年 デヴィッド リーン監督によるのもだろう。白黒映画だが、この年のアカデミー賞、監督賞を取っている。ピップは ジョン ミルズ、ステラをジーン シモンズ、マグヴィッチを フィンレイ カリーが演じている。
1998年の、アルフォン カーロン監督によって、撮影された、同じ作品では ピップを、イサン ホーク、ステラをグレン パースロー そしてマグヴィッチを ロバート デ ニーロが演じている。

今回の新しい「大いなる遺産」では、ヘレナ ボンハム カーターの演じるミス ハビシャムの怪奇ぶりが秀逸だ。裕福で恵まれた家庭の一人娘だが 結婚式の当日に婚約者から婚約破棄の手紙を受け取り、それ以来、時間を止めて、ウィデイングドレス姿のまま、何十年も生ける屍のように生きている。引き取ったステラを可愛がり、他の誰をも信頼しない。屋敷は蜘蛛の巣と 埃にまみれている。そんな異常な女を、役柄にぴったりなヘレン ボンハム カーターが好演している。彼女、映画監督のテイム バートンの奥さんで、こんな人間離れした役ばかりやっている。ハリーポッターシリーズでも、ずっと怖い魔女役で出演していた。「レ ミゼラブル」では孤児コデットを虐待する叔母の役、「スウィートトッドフリート街、悪魔の理髪店」では、人肉でパイを料理する女の役、「アリス ワンダーランド」では、トランプの女王役になっていて、とても怖かった。全然ふつうの女性の役で出てこない。

囚人アーサー ラステイグが、オーストラリアに流刑にあったのち、羊の牧場主として成功する。大金を手にして、警察に追われながら、またロンドンに ピップに会うためにもどってくる。自分の命を助けてくれた少年を 一人前の紳士にしてやりたいという願いをかなえるだけのために、自分の命を粗末にする。そんなあわれな男の役を ラルフ フィネスが演じている。この映画で 彼が一番輝いている。2時間あまりの映画の中で、彼が出てきただけで役者の貫録というか、迫力が 他の役者たちに比べて全然違う。炎のように生きた男の人生が ことさら痛ましく感じられるのは、役者の存在感ゆえだろう。「ハリー ポッター」でも、「ブルンジ」でも、「「愛を読む人」でも、とても良かった。

現代社会では考えられないお話だが、階級社会が永遠に続くと思われていた、この時代に紳士になること、貴族社会で受け入れられることがそれほそ大切だったのか。いま考えれば、アーサー ラステイグは、じめじめ雨ばかりで、気候の良くないロンドンなどに見切りをつけて、せっかくオーストラリアで牧場主で成功したならば、どうしてピップをオーストラリアに呼んでやり、一緒に事業を拡げて、楽しく暮らさなかったのだろうか、と思うけど。囚人の移民でできたオーストラリアは、気候がよく、刑期を終えた囚人には土地が与えられ、イギリス階級社会からいったんドロップした人々にとっては 生きやすい土地であったはずだ。

そういえば ローレンスの「チャタレー夫人」にも、夫人がイギリス階級社会の誇りも何もかも捨てて、無教養で無口な「きこり」と一緒に、手と手を取り合って、「二人でオーストラリアに逃げましょうか。」という台詞があった。囚人がさかんに送られていたオーストラリアという新しい国を当時のヨーロッパ人が、どう捉えていたかが 推測されて、興味深い。
いま考えれば、二人してオーストラリアに移住したら、きこりは特殊技能を生かしてイングランド式庭園をつくる造園や、公園管理、林野庁に就職して出世できただろう。不能の夫をもったチャタレーが、名誉を捨てて 新開地で贅沢さえしなければ 彼と幸せなハッピーエンドもあり、だったかも。

時代は変わる。人の考え方も価値観も変わる。階級制度、奴隷制度、専制君主、男尊女卑、、、壊されるべきものは、壊される。いつまでも虐げられた者は 黙ってはいない。とってつけたような紳士の名誉よりも実質を。紳士淑女の虚礼よりも生の人間を、しっかり取り戻すことだ。

2013年2月26日火曜日

映画「シルク ド ソレイユ 彼方からの物語」



1985年以来 カナダを本拠にするサーカス集団、シルク ド ソレイユのパフォーマンスを映画化したもの。ラスベガスで公開された 7つのサーカスを、50か国余りの国々から集まった、1200人のパフォーマーが演じている。公演は、「O」、「KA」、「ビバ エルビス」、「LOVE」、「ズーマニテイ」などなど7つの公演を合わせて編集されている。日本では去年の11月に映画館で公開された。

カーニバルに迷い込んだ少女(エリカ リンツ)が 空中曲芸師の青年(イゴール ザリボフ)に恋をする。青年はエリカを見つめて、空中で綱を落としてしまい、落下。砂に飲み込まれる。そのあとを追って、エリカは青年を探しに、冒険の旅に出る。というストーリー。台詞はなく、すべてパントマイムと音楽だけ。砂に飲み込まれ、砂漠でピエロに出会ったエリカは 彼の案内でさまざまな人々に出会いながら、冒険を重ねていく。半ばからは、誰も乗っていない空の三輪車が、彼女を案内して空中曲芸師の青年を探し求める。

シルク ド ソレイユを3Dデジタルで映像化するアイデアは、ジェームス キャメロンからきたそうだ。キャメロンは「アバター」撮影後、3Dで録った彼のデモフィルムを シルク ド ソレイユの社長に送り、それを契機に両者が会って、フイルム化が実現したそうだ。プロデユーサー兼 総指揮が キャメロン、映画監督は、「シュレク」や「ナルニア物語」のアンドリュー アダムソンだ。キャメロンは、現在活躍している映画監督の中で、最も尊敬すべき監督の一人だと思うが、長年ハリウッドにいる映画人にしては珍しく とっても人柄の良い人らしく、「アバター」発表の時には、自分が開発したカメラ技術の、デジタル3Dで、ビジュアル モ-ションを作った新しい技術を、他の映画監督たちを招待して、惜しげもなく公開したそうだ。
世界一の石油会社BPが アメリカ西海岸で事故を起こし、地下で噴出するオイルを止めることができなくて 世界を震撼させていた時、いち早く、自分たちが「タイタニック」撮影のために開発した水中ロボットや機材を BPに使うように申し出ていた。
世界一、深い海底を自分の開発した潜水機材で、遊泳した冒険家でもある。
このシルク ド ソレイユの撮影では、自ら3Dカメラを抱えて、空中で撮影したそうだ。18台の3Dカメラを同時に使いながら 動きの速いアクロバットを撮影したという。

この映画で見られる、ラスベガスの7つのショーのうち、幾つかは今でも公演されている。日本でも北米以外では 唯一シルク ド ソレイユの常設舞台が デイズ二ーランドにあった。2008年に 初めて「ZED」の公演が行われ、3年続いたが、2011年3月11日の地震で休業、安全な興行が保障できないことや、興行収入の問題があり、12月31日で興行が打ち切られた。全然、知らなかった。残念だ。でも考えてみれば サーカスのアクロバットは 一瞬の取り違い、一秒の相手とのミスが事故につながる。骨折や脱臼どころではない、脊椎損傷で死亡事故につながったり、一生車椅子の生活になりかねない。地震国ではリスクが多くなるので、彼らの 興行打ち切りと、全員の引き上げはやむを得なかったのかもしれない。

ずいぶん昔になるが シドニーで、シルク ド ソレイユを見に行った。大きな広場にカラフルなテントが立ち、それはそれは素晴らしいサーカスだった。
テントに入るなり たくさんのピエロたちが歩き回っていて、まだ舞台が始まる前なのに、お客が退屈しないように手品を見せたり、遊んでくれる。そのプロフェッショナルな立ち振る舞いで、お客は テントに入った途端に、おとぎの国に入り込むことができる。手品やアクロバットも、みな出し物に、生のオーケストラが演奏している。ヴァイオリニストの腕も素晴らしかった。ピエロの笑わせ方にも品のある、上質な笑い。
観ていると、マットの上で10人ほどの青年が 棒やボールを投げ合いながら自分たちも跳んだり空中回転するアクロバットで、一人の青年が動かなくなった。ピエロ達がその青年を速やかに運び出し、アクロバットは途切れることなく続いたので 私たちは何が起こったのかわからなかった。でも、すべてのパフォーマンスが終わったあとで、アナウンスで、「パフォーマンスの最中に倒れた団員は、病院に運ばれましたが骨折も怪我もしていないことがわかりました。ご心配かけました。」と放送された時、同時にワーっと お客たちが拍手と歓声があがって、みな喜び合った。忘れられないことになった。一瞬のミスが 団員にとっては命に係わるような仕事をしているのだ。

今回の映像のうち、どのパフォーマンスも素晴らしいが、エリカを案内するピエロがとても素敵。背が高くて手足が長く、ものすごいハイジャンプしながら走ったり、頭が後ろに着きそうなほど反り返ることができる。舞台回しの役だが、最高のピエロ。BENEDLKT NEGROという名前。トキメキ。
「ビバ エルビス」のショーの中の 沢山のトランポリンをロックに合わせて沢山の男の子たちが 跳んで跳ねて空中回転したり交差したりするのも楽しい。「LOVE」ではビートルズの曲に合わせて空中で大きな車輪が回り その中やその上を男たちが駆け回ったりする。すべてのアクロバットが 今まで見たことがあるボリショイサーカスの空中ブランコの100倍くらい危険度が高く、スピードがあるのに、観ていて楽しい。
「O」の水中撮影もすごかった。水の底からゆっくりアラビア風の音楽に合わせて、踊り子たちが 踊りながら引き上げられてくる。沢山の踊り子たちの踊りが 美しいが、驚いたことに最後にゆっくり踊りながら水から引き上げられてきた6人の踊り子たちは 一体何分間水中で息を止めて待っていたのだろうか。よく生きていました。
大きな金魚鉢のようなプールで一人水に入ってはプール際でバランスをとったり、美しいポーズをとる曲芸も美しい。3人のアラビア女性(?)のアクロバットは、3人とも怖いくらい体が柔らかくて、どこが誰の足で どこからどこまでが足なのか手なのかわからない。
「KA」の 巨大な床が垂直に立ち上がって、ワイヤー一本で男たちが戦闘を繰り広げるシーンは すごい迫力。ビュンビュン矢が 垂直の床に飛んできて付き刺さる。飛んでくる矢を避けたり、突き刺さった矢に体重をかけたりしながらスピーデイーに やっつけたり、やっつけられて床から滑り落ちて行ったりする。

でも私が好きなのは、空中で金色に輝く四角のワクを手や足や体でクルクル回したり、中に入ったりしながら踊る青年のパフォーマンス。鍛えぬいた男女の体が これほど美しいものか と感動する。
最後のエリカが、空中曲芸師アエリアリストに やっと会えて、二人が仲良く 一本のひもに手を絡ませるだけの命綱で 空中で踊る美しいパフォーマンスが良かった。「ふたりはやっと会えて、幸せに幸せに暮らしました、とさ。」という、おとぎ話がすんなり飲み込める 本当に美しい舞台だった。

本当に夢みたい。シルク ド ソレイユ。何て素敵な人たちだろう。

2013年2月25日月曜日

映画「ゼロ ダーク サーテイ」



これほど後味の悪い映画も他にない。
2001年9.11の主犯をオサマ ビン ラデインと決めつけ、CIAがSEALS(米海軍特殊部隊)を使い、彼の居場所を突き止めて暗殺するまでの過程を描いた映画。独善的で一人善がりで、正義の名を借りた容疑者への私刑と虐殺を正当化する。彼らは、ガードマンも持たず、無抵抗の武器を持たないラデインを一方的に殺害した。
ビン ラデインの急襲作戦に ゴーを出したオバマ大統領は 共和党にも出来なかったことをやった、この結果を高く評価されて、超保守、愛国支持者まで味方にしてしまった。容疑者を逮捕、捜査、尋問することもなく、主犯と断定し、深夜闇に紛れて、襲って殺すという、警察も行政も裁判制度もない私刑処分をしたのは、アメリカという世界一権力を持ち、法も民主主義も持たない無法国家だ。こんなことが まかり通るなんて。

いまだ、9.11については「アルカイダという有名だが実態が把握されていない組織による犯行ではない、」とする知識人も多い。一般に報道されていることが、事実ではなく、9.11直前に巨額のドルが、ウォールストリートで動いたことや、少なくとも、ペンシルバニアの飛行機事故は 爆弾犯によるものではなかったという目撃者や関係者が多いことや、誰一人として犯行を公に認める声明を出していないなどなど、わかっていないことが多い。未解決事件なのだ。
CIAやアメリカ政府が作り上げたお話ではなく、客観的な事実を私たちは、知る必要がある。

上映に先だって、アメリカ国内でも上院議員のジョン マッケイン、カール レヴィン、ダイアン フェインステインらが この映画はアメリカ政府に 人々の誤解をもたらす恐れがあると声明を出した。人権擁護団体も、映画のトップシーンで CIAが捕虜を虐待するシーンで、これらが国際法違反であるという理由で抗議声明を出した。
パキスタンも この映画は、購入せずパキスタン国内では上映できないようにした。前代未聞の形でパキスタン政府を無視してパキスタン国内で、アメリカ政府が介入、軍事行動をとったことで、政府も不快と遺憾を表明した。また映画のなかで、一般のパキスタン人がアラビア語をしゃべっている。パキスタン人は、ウルドウー語か、パシュト語を話す。また映画では、一般人がHUMMUSという、ひよこ豆とごま油のペーストを食べているが、トルコ人と違って、パキスタン人は、これを食べない。パキスタン文化に無知で、基本的知識さえ欠如しているため、このフイルムはパキスタン人にとっては悪い冗談でしかない、とパキスタン人コラムニストが語っている。

監督:キャサリン ビグロウ
キャスト
マヤ  ;ジェシカ キャステイン
ジャステイン ;クリス プラット
ストーリー
2003年CIA分析官、マヤらはアルカイダのリーダー ビン ラデインを探し出すために、パキスタンに派遣される。ここでありとあらゆるテロリスト容疑者へ拷問をして、情報を得る。何日も食べさせず、眠らせず、ぶんなぐり、水攻めや性的拷問 何でもありだ。ビン ラデインは腎不全を患っている。常に 腎透析できる施設と医者を必要としているはずだ。当初からCIAは、顔の割れている アルカイダ ナンバー2のアブ アラハドを、追っていたが、その写真の顔は彼の弟で、すでに死亡していたことがわかった。ありとあらゆる手段で、アブ アラハトを追う。クエートのプリンスに、アルファ ロメオをプレゼントする代わりに、彼の母親の電話番号を手にする。そこから不審者をあぶり出し、ついに顔のわからなかったアブ アラハドがパキスタン国境ちかくで ある家に出入りしていることを突き止める。屋敷には数人の男女が子供たちと住んでいる。CIAの長官は、屋敷の男女は ドラッグ デイラーだと決めつけて、まじめに取り合わない。マヤは辛抱強く 監視して、この屋敷に住むのがビン ラデインに違いないことを 確信して、仲間を説得する。遂に、2代のステルスヘリコプターで、SEALSの面々が 夜間屋敷を急襲。側近の男女たちを、手あたり次第に次々殺していって、泣き叫けぶ子供たちに、ビン ラデインの部屋かどうかを確認したうえで、中に居た無抵抗の男を 殺害。何発もの銃撃をしたうえで、ラデインと確認する。というストーリー。映画の中では少なくとも ラデインとされる男以外に3人の男女を殺害しているが、実際はどうだった、誰にもわからない。

SEALSの元隊員マット ビソネットが、ペンネームでこの作戦の内幕を克明に描いた本を出版。これが映画の参考になっている。マット ビソネット自身が、ビン ラデインに銃弾を撃ち込んだそうだ。
SEALSはアメリカ人にとってはヒーローだが、本来は名前も顔もわからない秘密の存在だ。国のために自己犠牲の精神で特殊作戦を戦い、戦果を一般人に知られることはない。退職後も彼らは どんな作戦に従事したか、家族にも語ってはならないことになっている。この愛国の戦士の名前と顔が 表に出るときは、死んだときだけだ。
例えば、2006年イラクで銃撃戦の最中 窓を破って手りゅう弾が飛んできた。一瞬のスキもなくマイケル モンスール隊員は手りゅう弾の上に覆いかぶさり 体で爆発を受け、他の仲間たちの命を救った。2005年アフガニスタンでSEALSのヘリコプターが40人のタリバンに囲まれた。米兵全員が負傷、マイケル マーフィー隊員は覚悟を決め、電波の通じやすい広場に走り、全身に銃弾を受けながら無線で友軍の救助を依頼しながら絶命した。ニュースウィークによると、己の命を捨てて仲間を助けることがSEALSの伝統だそうだ。これも、アメリカ人の自画自賛で、マット ビソネットの自伝や、この映画などが、契機になってSEALSに入隊したいと思う人も多いのだろう。

映画の中で、CIA分析官マヤが 自分の生活とか、趣味とか男遊びとか酒やドラッグなど見向きもせずに仕事にうちこんで、それがなぜかというと、9.11が動機になっていることは、わかる。事実こうした職員も多かっただろう。また、SEALSの隊員どうし 互いに命をあずけ合った仲間と仲間の友情も、本当のことで、実際にあるだろう。
しかし、映画を見ていて、一瞬たりとも共感できるシーンがない。正義はどこにいったのだ。こんなことをアメリカという国が大手を振ってやっている。許されて良いことではない。


2013年2月22日金曜日

パリ国立オペラ公演「カルメン」



パリ国立オペラオーケストラ
パリ国立オペラ合唱団
パリ国立オペラ児童合唱団
指揮:フイリップ ジョーダン
監督;イブ ボウネシー
キャスト
カルメン:カテリーナ アントナテイ
ドンホセ:ニコライ シヨコフ
ミケイラ:ゲニア クメリール
エスカミリオ:ルドヴィック テジエール
メルセデス:ルイス カリナン
フラスキック:オリヴィア ドライ

一番好きなオペラは、「カルメン」と「アイーダ」。
この二つのオペラは何度見ても 誰が演じるのを見ても新しい感動をもたらせてくれる。ひとつひとつの音楽が感じさせてくれる胸の高まり、興奮、悲哀、歓喜、安らぎ、怒り、憤怒、、、観ていて舞台に立っている人とともに 喜び、怒り 悲しみ 楽しむ。椅子に座っているのは体だけで、オペラの間中 自分の魂が舞台の中で 役者たちに交じって飛び回っている。主演女優とともに、恋をして男を捨て、憎しみに震える。こんな体験ができるのはオペラだけだ。演じながら、声の限りに歌いつくす声楽のエネルギーに、観ているものが完全に取り込まれてしまうオペラの魔力というものだろう。
パリ国立オペラの去年12月の出し物「カルメン」のハイデフィニションフイルムを映画館で観た。たった2か月前に パリで公演されたオペラを こんなに早くシドニーで観られるなんて 何て嬉しいことだろう。

ジョルジュ ビゼーは一年以上かけて作曲した、このオペラが不評だったために、心臓を悪くして37歳で失意のもとに死んだといわれている。チャイコフスキーは彼の死後、「カルメン」は世界一人気のあるオペラになるだろう と予言した。ビゼーの死後、たくさんの作曲家や演出家によって、手が加えられて今日の姿になったが、事実、「カルメン」は フランス語で書かれた最も人々に愛されるオペラになった。

余りに有名なストーリーだが、一言でいうと、三角関係の末、別れた男に殺される女の話だ。背景にセビリアの独立運動やジプシーへの差別社会が存在する。現在でも スペインは、最大で深刻な問題、バスク地方の分離独立運動を抱えている。
主人公カルメンは バスク地方の出身のジプシー。スペイン政府からは二重に差別されている上、反政府盗賊団の一員だ。カルメンのために身を持ちくずすドン ホセもバスク地方の出身。立身出世が困難な立場だが、軍隊に入団して国のために忠誠を尽くすことで 堅実に生活の糧を得て、国に残してきた母親を楽にさせたいと願っている、誠実な青年だ。
タバコ工場で働くカルメンは 気の合わない女ボスを口論の末、ナイフで刺し殺そうとして 治安軍に拘束され、鎖につながれるが、見張りのドン ホセに「あなたも同郷者じゃない、そんな女を縛り付けるの?」と情に訴え、激しく愛を乞うダンスを踊って誘惑した末、すきを見て逃亡。ドンホセは 罪人を逃亡させた罪で留置される。数か月後、懲役を終えてカルメンに会いに来たホセは、カルメンと愛し合う。しかしカルメンを口説きに来た上司を、嫉妬から切りつけてしまい、もう軍には二度と帰れない身になってしまう。
カルメンとホセはジプシーの盗賊団の一行とともに、山に移動して軍の駐屯地を襲い武器を奪う。帰る場のなくなったドン ホセはすぐにカルメンから飽きられる。カルメンは闘牛士エスカミリオに心移りし、やがて招待された闘牛場の場外で ドン ホセに再開。カルメンと再び愛に生きることしか考えられないホセに愛を乞われ それを無碍に断ったカルメンは殺される。

このオペラのどのシーンも、素晴らしいが、一番華やかなシーンは 最初と最後だ。
最初の町の中心、井戸のある広場の喧騒のシーン。
駐屯している軍の交代時間になると軍人たちの行進に合わせて 子供たちが行進のまねをしたり、井戸の周りで一休みする兵士たちに物売りが集まり、タバコ工場で働く女工たちが、休憩時間に井戸で一服するのを待ち構える男たちで、大変な喧騒だ。100人あまりの男声女声合唱団や児童少年合唱団が、走ったり、水浴びしたり、跳ねたり跳んだり それぞれの役を演じながら歌う。田舎からドン ホセに会いに来たミケイラが 兵士たちにからかわれたり、タバコ工場の女工と男たちのやり取りがあったり、役者たちが、舞台の上をひしめいている華やかなシーンだ。舞台の隅から隅まで小さな子供たちまで一人もボーとしていないで、役を演じて「街の喧騒」を立派に演じている。舞台だから当たり前かも知れないけれど、初めて見たときは、その見事さにびっくりした。とても楽しいシーン。その喧騒の只中に カルメンが出てきて「ハバネラ」(野の鳥)を歌って、男たちを魅惑する。野の鳥は自由の鳥。誰にも手なずけられたりしないものさ、、、と言うわけだ。

また最後の 闘牛場の華やかなシーンも素晴らしい。美しい闘牛士たちがマタドールに身を包み堂々と舞台をうねりながら行進し、人々が歓声で迎える。子供たちがパレードに付き従い 道化師や、一輪車の軽業師たちや 着飾った紳士 淑女がカーニバルを楽しむ。ここも100人の歌手とダンサーがそろって豪勢で華麗な舞台が繰り広げられる。そして、人々が闘牛場に入ってしまうと、広い広場にカルメンとドン ホセだけが取り残される。静寂と死。

実によくできたオペラだ。今回のカルメンは 首を絞められて殺された。オペラオーストラリアの前作ではピストルだったし 2年前のイギリスロイヤルオペラのはナイフだった。オペラオーストラリアの公演では 盗賊団とともに山い向かうカルメンに 本当の馬に乗せて歌わせた。リハーサルで馬から振り落とされて足を捻挫しながらの公演で主演歌手は大変な思いをしたそうだ。
闘牛士エスカミリオが 初めて登場する場面で馬に乗って出てくる舞台もあったし、カルメンにカスタネットを持たせて色っぽいフラメンコを躍らせる舞台もあった。

今回の公演で秀逸だったのは、エスカミリオの素晴らしいバリトンだった。ルドヴィック デジエールって、どこの国の人だろう。今までみたカルメンで、いつもエスカミリオは、見たところ立派なのに声量が足りなかったり、闘牛で牛を避けるどころか避けることもできなさそうな巨体で醜かったり なかなか満足な人に会えなかったが 今回のエスカミリオには大満足。それとミケイラのソプラノが 力強いソプラノで、真っ青な秋の空を突き抜けていくような晴れ晴れとしたソプラノで、びっくりした。ゆるぎない 立派なパワフルなソプラノ。舞台の隅々まで声が行き渡る。端役にはもったいない。

主役のカルメンは平均点か。イタリア女性にしては 歌は良いが演技にジプシーの激しい性格が表現されていなかった。金髪のカルメンでは、ちょっと迫力に欠けるということか。しかし、ニコライ シュコフのドン ホセは、とても良かった。演技力も歌も申し分ない。最後のカルメンを殺すときなど、女に、「もう顔も見たくない、好きじゃない、」と言われているのにしつこく 偏執狂みたいな’顔で 無理にカルメンにウエデイングドレスを着せて、そのリボンで首を絞めるところなど、本当に怖かった。カルメンを見る目など、完全の狂人の目になっていて演技と思えない真迫力にぞっとした。すごいな。歌いながらここまで役柄に打ち込めるのか、と感動した。

また、指揮者のフィリップ ジョーダンが素晴らしい。若くてハンサム。華麗で闘牛士みたいに、切れの良い、素晴らしい指揮で、目を奪われた。写真は彼の姿。

本当に身も心も満たされたオペラの午後。
おまけに、映画館には ボトルでない樽のイタリアビール ペリー二がある。ボトルより数倍美味しい。3時間余りのオペラを観て渇いたのどを潤して、景気よく闘牛士に唄を歌いながら 運転して帰ってきた。音楽は本当に何と人を幸せにしてくれるのだろう。

2013年2月18日月曜日

映画 「アンナ カレリーナ」



真夏のシドニー名物「オープンエア シネマ」に娘に連れて行ってもらった。
とっぷり日が暮れた頃に、オペラハウスとハーバーブリッジが真向いに見える景観の良い岬の高台で、シャンパンやワインを飲みながら、最新映画を見る。仮設された観客席には限りがあるし、強風や嵐になるとキャンセルされるから 限られたチケットは 売りに出されたとたんにネット上で、売り切れになる。
このシドニーの野外シネマというと、日本でいえば、真夏の甲子園とか、真冬のラグビー日本一とか、東京ドームでのジャイアンツ戦みたいなもの。これぞシドニーライフ、という感じ。行ってみて初めてその良さがわかる。行ってみないとわからない。シドニーに来る人、みんなに勧めたい。

このときは ゆっくりと日が暮れて、あたりが暗くなり、ハーバーブリッジや まわりの高層ビルに灯りがともり、たくさんの光をデッキにつけた豪華船が出航していくのを見送りながら、娘の機転でそろえてくれた寿司にシャンパンを傾ける。やがて、あたりが真っ暗になり、海上から真っ赤なスクリーンが重そうに、立ち上がってくる。出し物は、最新作、トルストイ原作の「アンナ カレリーナ」だ。レフ トルストイが、1873年に 執筆を開始した、「戦争と平和」に並ぶ彼の代表作。ロシア革命の父、レーニンが愛読し、ドストエフスキーも トーマス マンも絶賛した長編小説。

映画では 古くは1930年代に、グレタ ガルボが主演。さすがに これは見ていないが、1948年のヴィヴィアン リーが主演した作品と、1967年のロシア映画のアンナ カレリーナと、1997年に英米合作で初めて 全部ロシアで撮影されたソフィー マルソーのアンナ カレリーナを観ている。ヴィヴィアン リーの1948年版は 白黒映画なので、ロシアツアーリズムの中での貴族社会の重厚さ、歴史の重みがよく出ていて ヴィヴィアン リーの意思をもってこの時代の勢いに逆らって生きる女の強さと それが、音を立てて折れるようにして死んでいく姿が無残で、忘れられない映画になった。

グレタ ガルボ、ヴィヴィアン リー、ソフィー マルソーと、世界の美女が演じて生きたトルストイの名作。最新作のケイラ ナイトレイは、ではどうだっただろうか、、。かなり がっかり。おちゃらけていうと、「あんな カレー二ナ?」という感じ。ナイトレイは、ただの可愛い子ちゃんでしかない。エラが出ていて顎が細い分、発音が口先だけになってしまって 声に奥行がない。舌先でペラペラしゃべるだけのせりふには 重みも品格もない。彼女は海賊にはなれても、ロシア貴族にはなれない。完全にミスキャストだ。トルストイの大悲劇の名作が ただのメロドラマになってしまっている。1874年の貴族社会が背景なのに、衣装だけが豪華で お尻も胸もない 貧相な体形のナイトレイが 若い男を追いかけるだけのドラマ、、これでは、シャネルも泣いているだろう。次から次へと衣装が変わるたびに ナイトレイが身に着けている宝石は全部 シャネルから貸与されている超豪華品ばかり。宝石にはよだれが出るが、女優の細い首には重そうで 気の毒になる。自分の体にふさわしい宝石を身につけなさい というメッセージとして、しっかり受け取った。

ぺテルスブルグに住む政府高官アレクセイ カレー二ンの妻、アンナは18歳で嫁いで すでに9歳の息子がいる。兄に会いに、モスクワ来たところで、貴族の将校、若いヴロンスキーに出会って、今までに感じたことのなかった気持ちの高まりを感じる。二人は恋に陥った末、出走。アンナはヴロンスキーの子供を産むが、夫は、離婚に応じない。夫、カレー二ンに味方する社交界は アンナとヴロンスキーの不品行を認めず、社交界から締め出し、アンナは失意のうちに生きる目的を失って、列車に身を投げる。
アンナの恋の物語と同時に、アンナの兄嫁の妹、キテイに求婚する善良な地方の地主 リョーヴィンとキテイの話が 同時に並行して語られる。虚飾に満ち腐敗した貴族社会がある一方で、農村で実直に生きるリョービンの生き方を対比させ トルストイ独特の「より良い人間として生きるには、、、」という’命題が提示されている。

初めてアンナが 将校ヴロンスキーに会った翌日、ひとりぺテルスブルグに帰る汽車の途中駅で、胸のざわめきを抑えようとしてアンナが、雪のプラットフォームに出る有名なシーンがある。蒸気機関車の煙が消えると、そこに、居てはならないはずの男 ヴロンスキーが立っている。驚愕するアンナ。この大事なシーンは、映画史上でも有名シーンのひとつで、例えば、「カサブランカ」で、イグリッド バーグマンが ハンフリー ボガードの部屋に再び姿を現して「待った?」と聞くシーンがある。このシーンは カップラーメンのコマーシャルにもなった。あるいは、「アンタッチャブル」の駅の階段から乳母車が転げ落ちてくるシーンとか、「サイコ」のシャワーシーンとか、「アンナ カレリーナ」の汽車に身を投げるシーンみたいな 映画にとって大切で、印象的なシーンだ。
1997年のソフィー マルソーは、プラットフォームで、ショーン ビーン演じるヴロンスキーを認めると「WHAT ARE YOU DOING HERE?」と言うけれど、なんか、英語だと情緒もへったくれもないんだ、と思ったものだ。今回のケイラ ナイトレイは、ヴロンスキーを見た途端、もう早くも あなた大好きモードの涙目で、一度ダンスを踊っただけの中なのに、ウルウルの目で どうして私についてきたの?それならトットと一緒に’駆け落ちしましょ、、なのだ。どこまでも軽い現代的と言うべきか。

アンナがヴロンスキーの子供を産んだ直後、産褥熱に浮かされて、ヴロンスキーの愛と保護の真っただ中に身を置きながら、アンナは夫に「わたしは今死にそうなの。最後に許すと言いに、会いに来て。」と手紙を書く。で、、、 サッサと産後回復すると やってきた寛大な夫に「わたし、死ななかったけど、ごめんなさい。やっぱりヴロンスキーを愛しているの。」と言うが、ここで、一緒に映画を見ていた観客が大爆笑した。わたしも その様子を見ていて笑ったけれど、ケイラ ナイトレイは ここで喜劇を演じているとは思っていなかったろう。ヴィヴィアン リーがここで この台詞を言っていたら それを見ている人にも納得させてしまう力のある演技ができていただろう。残念。すくなくとも ここは爆笑シーンではなかったはずだ。日本語訳では、どうなるのだろう。

妻に裏切られるカレー二ンを演じたジュード ロウが、とても良かった。一度も声を荒げることがない。論理的にアンナを説得してもとに戻そうと 最後まであきらめない。誠実な人柄を表すように 抑えた低い声で語りかける。よき夫、よき父親で、繊細な神経をもった紳士。
ヴィヴィアン リーがアンナを演じたときの夫役や、ソフィー マルソーの時の夫役は、冷酷でしつこい嫌な夫だったので、アンナに共感したが、ジュード ロウが演じたような夫では、妻が、どうしてこんな良い人を捨てて突っ走ってしまったのか、全然、人を納得させることができない。
「演じる」ということの 難しさを改めて認識させられる映画だった。

ヴロンスキー役のアーロン テイラー ジョンソンは、2009年の「NOWHERE BOY」で、若い頃の、ビートルズのジョンの役を主演した。幸せではなかった少年時代のジョンが、母親と叔母のもとで育ち、ポールとジョージに出会うまでの、心の軌跡を描いた映画。多感で繊細なジョンを好演していた。この映画では、母親のヴロンスカヤ伯爵夫人に叱られてうなだれる姿や、アンナが死んでしまうと思って泣きじゃくる姿が可愛らしい。B級映画「キック アス」でも主演していたが、実力がある。これからが楽しみな役者だ。

映画の手法が新しい。
スピードのある回り舞台を観ているようだ。登場人物が歩きながら背景が 勝手にどんどん変わっていく。シーンごとの移動を これまでのフイルムのように 場面を変えることをしないで、背景を変える。役者たちは舞台の上を動きながら役を演じていて、スピード感がある。とてもおもしろい試みだ。美しい舞台を観ているような、とてもアートな作品だ。

2013年2月16日土曜日

映画 「リンカーン」

     

この2月、米国で、バラク オバマが大統領が再選されて、彼はリンカーンが所有していた聖書に手を置いて、大統領宣誓をした。米国にとって第16代米国大統領エイブラハム リンカーンは、「奴隷解放の父」と呼ばれ、アメリカンフロンテイア精神代表として、開拓精神のパイオニアとして尊敬されている。 

丸木小屋で育ち、無学の両親に育てられ、斧で木を切ることに長けていた。独学で弁護士になり、大統領にまで登りつめた。祖父は、父が子供の時に、その目の前でインデイアンに惨殺されたが、その話を子供の時から聞かされて育ったために、土地所有権の争いを避けるために、法律を学んだと、言われている。大統領になって、インデイアンを保留地に追い込み、インデアン大虐殺を指揮し、それが南北戦争で北軍の勝利を導くことになった。黒人を解放して、労働者や兵士として確保するのは賛成だが、インデイアンは 民族浄化、皆殺しにしなければならないと考えていた。奴隷制度拡張に反対し、南北戦争を指揮、南軍のロバート リー将軍に降伏をゴリ押しして戦争を終結させたが、直後に暗殺。初めての、在職中に暗殺されたアメリカ大統領となった。 

このリンカーンの役を、ダニエル デイ ルイスが演じ、その妻役がサリー フィールだと分かったとき、その映画を見るまでもなく、もう今年のアカデミー賞を誰が取るか、決まったようなものだ、と思った。二人とも すでにアカデミー主演男優賞、女優賞をとっている。ダニエル デイ ルイスに至っては、彼が主演する映画の、ほとんどの作品で、アカデミー主演男優賞にノミネートされている。 
ロンドン生まれのユダヤ人。1989年「マイ レフト フット」で主演男優賞、1992年「ラスト モヒカン」と、2002年「ギャング オブ ニューヨーク」でノミネートされ、2007年「ゼア ウィル ビブラッド」で、再び主演男優賞を取っている。彼が出てくると、他の役者がかすんで見える。それほどカリスマテイックな役者だ。 

エイブラハム リンカーン:ダニエル デイ ルイス 
メアリー トッド(妻) :サリー フィールド 
ロバート トッド    :ジョセフ ゴードン レビット 
タデウス ステイーブンス:トミー リー 

ストーリーは 
南北戦争が始まって、すでに3年。戦況は硬直し、人々は増え続ける重税にあえいでいた。共和党のリンカーンは 2期目の大統領として選出されると 奴隷制度拡張を叫ぶ民主党の圧力に対抗して、議会に圧力をかけて 何とか戦争を終結させようとする。すべての上院議員は、州議会によって選出されていたから 当時圧倒的多数だった 奴隷制度拡張主義の民主党は’、大統領の主張に同意しない。収入源である大土地所有者にとって、民主党党員の存亡をかけた戦いでもあった。リンカーンとその側近は 民主党の結束力に負けず、一人ひとり 取引、恫喝など、手段を選ばず取り崩していく。そして、とうとう議会で、奴隷解放を明記する条文を通過させ、戦争を終結させた。しかし、大統領は、オペラに出かけた夜、。 
というお話。 

ダニエル ルイ ルイスの上手すぎる演技の、独り舞台だ。リンカーンが、このようにして悩み、このようにして妻にガミガミ言われ、このようにして祈ったのだろう。 
奴隷制度の欠陥を、民主党議員に向かって説得するとき、古代エジプトの哲学者ユークリッドを出して説得する。幾何学の原論の中から「同じものと等しいものは 互いに等しい」という あらゆる学問に通じる真理を語っていく。白人は'人間で、黒人は人間、ならば白人も黒人も同じ人間だ、という単純でゆるぎのない真理だ。彼の説得力を もの語るシーンだ。 

サリー フィールドの妻役も、素晴らしい。「アメイジング スパイダーマン」で アンドリュー ガーフィールド演じるスパイダーマンの養母役で とても光っていた。今回は リンカーンをしっかり支える恐妻を好演、他の女優がやっていたら、嘘くさくなっていただろう。 

共和党タデウス ステイーブンス議員をやった トミー リーは、奇妙なカツラ姿で出てきたが どうしてそんなものを被っていたのか、最後にわかる。この人が映画に出てくると、ほっと、映画に血が通う気がするのは 私だけだろうか。 
息子のジョセフ ゴードン レビットも、ダニエル デイ ルイスとサリー フィールドの間の生まれて 大事にされて育つと、こんな息子になるだろう、というような素直な姿で好演している。 

明るいシーン、華やかなシーン 楽しいシーンの全くない 重厚で 感動的なアメリカ南北戦争の歴史を語った映画。アメリカ人は この映画、好きだろう。アメリカ人の心根の底の底を優しくく撫でてくれる。 
オバマの大統領宣誓を注目する 貧困層や移民たちやゲイや アフガニスタンに送られた兵士たちは、オバマの横顔に、このリンカーンの姿を重ね合わせて観ることだろう。そんな映画だ。

2013年1月30日水曜日

映画 「インポッシブル」


                         

スペイン アメリカ合作映画

原題:「IMPOSSIBLE」
邦題:「インポッシブル」
監督: J A バヨナ
キャスト
マリア:ナオミ ワッツ
ヘンリー:ユアン マクレガー
ルカス:トム ホーランド

2004年12月26日に起きたスマトラ島沖地震と それに続いて起きた津波の被害にあった、スペイン人家族のお話。あの23万人の死亡者、行方不明者を出した津波だ。
これは実話です、という断り書きで映画が始まり、最後に実際に被害にあった家族写真が出てくる。主演したナオミ ワッツが、今年のアカデミー賞、主演女優賞にノミネートされている。監督は、サイコホラー映画「永遠のこどもたち」を製作したJ A バヨナ。

ストーリーは
クリスマスイヴ。2004年のクリスマスホリデーを 家族そろって過ごそうと、3人の子供達を連れたスペイン人一家が、タイのリゾートにやってくる。日本に派遣されて働いている父親ヘンリーと、医師の妻、マリアと、5歳、7歳、と15歳の3人の男の子たちだ。 寒い冬から一足飛びで真夏のリゾートに来て、クリスマスには、子供達はクリスマスプレゼントを受け取る。幸せ一杯だ。翌朝 家族は、早くから南国の強い光をあびて、ホテルのプールで遊んでいた。その時、未曾有の規模のスマトラ島沖地震が起き、近辺の海岸だけでなくアメリカやアフリカにまで波及して犠牲者が出るほど大規模の津波が押し寄せる。不気味な轟音と共に、ホテルの塀を越えて、巨大な波が押し寄せてきたとき、家族全員が あっという間に大波に流される。

波が来た時に、初めに遠くに流されていった長男のルカスを マリアは追う。名前を呼びながら、漂流物にぶつかり、傷だらけになって、マリアはルカスと一緒になると、長い漂流の末、やっとのことでマングローブの茂る浜に泳ぎ着く。マリアは肺に達する大きな傷を胸に受け、ガラスで切った片足も出血が止まらない。そんな母親を励まし、自分も傷だらけになりながらルカスは、救出されるまで 母親を気丈に支える。

ヘンリーは、波が押し寄せてきた時、幼い二人の息子を抱きかかえていた。肋骨骨折や無数の傷を受けながらも運良くホテルに近い椰子の木にひっかかり無事息子の命を守ることができた。二人の息子達を避難所に向かうトラックに載せると、ヘンリーは、7才のトマスに、5歳の弟の面倒を見るように言って聞かせ二人の見送ると、自分は長男とマリアを探し始める。おびただしい数の死体。混乱を極める仮設病院。
マリアはルカスの機転で、病院に運ばれ、胸の手術を受けるが、傷は深く衰弱が激しい。やがて沢山の人の助けや偶然が重なり、家族5人が再び会うことが出来、マリアは気力を取り戻し、、、。というお話。

2011年3月11日に、東日本大震災と、それに伴う大津波と原発事故を体験している日本人には、この2004年の大津波の映像を見るのは過酷過ぎる。と思っていたが、この映画、日本でも、じきに公開されるという。主演女優ナオミ ワッツがアカデミー賞にノミネートされたからかもしれない。確かに子供の為なら何が何でもやってのけることができる母親の姿を熱演していて、あつい涙を誘う。とても良い役者だ。

ナオミ ワッツ、44歳イギリス生まれのオージー女優。高校では二コル キッドマンと同級生だったそうだが、ニコルのように恵まれた家庭で育った女王様ではなくて、働く為に卒業もしていない苦労人。テレビ俳優だったがデビッド リンチに認められて、2001年「マルホランド ドライブ」を主演して実力を見せた。
その後、2004年に日本のホラー鈴木光司原作、中田秀夫監督による「リング」のアメリカ版リメイク「リング1」と「リング2」を主演した。日本のホラー、怪談の怖さを世界中の人々に紹介して震え上がらせてくれた功績者でもある。2005年の「キングコング」では、網タイツで踊って手品をみせてキングコングを面白がらせて辛うじて殺されずに済んだ女を演じ、2010年「フェアゲーム」では CIA職員でありながら「イラクに 核兵器どころか大量殺人兵器も無い」と本当のことを言ってしまって、CIAから命を狙われた役をショーン ペンとともに演じ、また、2011年には「「J エドガー」では、一生独身で、エドガーが死ぬまで支えて生きる地味で寡黙な秘書の役を演じた。美人なのに、総じて金髪美人の可愛い子ちゃんが良い男に会ってハッピーエンド、、というような作品に全然出ていない。「マルホランド ドライブ」でデビューということからしてメインストリームではない。頭が良すぎるのかもしれない。
映画でナオミ ワッツの夫役をやったユアン マクレガーは、41歳、スコットランド人の舞台俳優だ。この人も過酷な状況で傷だらけになりながら苦労する役が多い。2012年の「イエメンでサーモンフィッシング」は、彼にしては珍しい恋愛ものだ。彼の2011年「ゴースト ライター」が良かった。ここでも彼はCIAに最後にあっけなく殺されてしまう。

今回の映画でナオミ ワッツ以上に大活躍して「悲嘆」「絶望」そして再会後には「歓喜」をたっぷり見せてくれて泣かせてくれたのは 長男ルカス役のトム ホーランドだ。16歳のバレエダンサーということだが、華奢でずっと若く14歳くらいに見える。ジブリ作品「アリエッテイ」の主役、心臓病のショウの役を 英語版で声役を務めた。舞台「エリオット」で注目されてエリザベス女王の前でも演じたそうだ。バレエを踊る舞台俳優。将来を期待されている。

津波で人々が流されるシーンは クリント イーストウッド監督の映画、「ヒア アフター」に出てくる津波のシーンに、とてもとても似ている。透明な水の中で人々が溺れ、激しい勢いで突進してくる車や柱にぶつかり傷だらけになる。衝撃音がすごい。
でも本当の津波は、透明な波ではなくて、海底地震によって覆された海底の真っ黒い土砂の波が 暴力的にぶつかってくるのだ。この波に沈められると、海の中は何も見えないし、衝撃で多量に飲んでしまう土砂はヘドロや石油を含んでいるため急性中毒を起こして、救出されたあとで 人々は亡くなることが多い。泥が咽喉に詰まって呼吸ができなくなったり、急性肺炎も併発する。これほどの大規模の大災害にあって 混乱のなかで家族5人が再会できたことは、この映画のタイトルが言うように ほとんどインポッシブル(ありえない、不可能)なことだったろう。奇跡に近い再会だった。映画はハッピーエンドだが、現実は 23万人の死であり、とてつもない「悲惨」と「無残」な別離だった。

ヒトは、2004年にスマトラ島沖地震と津波を体験し、2011年3月に東日本大震災と大津波を経験した。ヒトは二本足で立ち、道具を自在に使えるようになると、ほかの動物も植物もすべて人が生存する為に利用し、自然を破壊してきた。自然から逆襲されても仕方の無いほどに、罪を犯してきた。いずれヒトは滅亡し、地球は無くなる。無限の宇宙の歴史から見たら、地球上で繰り返される自然災害など ちっぽけな出来事でしかないのかもしれない。

それでも私達は、こうした映画を通して 災害に出くわしたひとつの家族の喜怒哀楽に、少しでも共感したくて、映画を見る。
絶対、忘れない為に。 

2013年1月22日火曜日

7人の邦人犠牲者を悼む、仏はマリ介入を止めよ

アルジェリア南部イナメナスの天然ガスプラントで起きた、イスラム武装勢力による人質事件で、軍が介入したため、日本人7人の犠牲者が出た。ロイター共同によると人質48人が殺害された と伝えられている。詳細がわかってくれば、もっと犠牲者が出る可能性もある。

イスラム武装勢力が、外国人人質を取って世界に対して「マリへのフランス軍攻撃を止めるように」訴え、要求したにも拘らず、アルジェリア政府軍が聴く耳をもたず、強硬手段に出たために、犠牲者が出た。多数の犠牲者が出たのは、勿論イスラム武装勢力のテロリズムによるが、人質交渉も、フランス政府やイギリス政府などと話し合いも一切せずに、武力で一挙に解決をはかったアルジェリア政府の責任だ。

人質をとった武装勢力は、隣国マリへのフランス軍攻撃の停止を要求していた。マリで、北部のトゥアレグ人がアルカイダの支援をうけて、勢力を拡大してきたことを憂慮するフランス軍は、マリ政府軍の要請を受けて トゥアレグ勢力を攻撃している。マリ政府軍の後にフランス軍が居て、それをイギリス、アメリカ、ドイツ、ガーナ、アルジェリアが後押しをしている。マリ国内民族問題に、フランスは口出しをすべきではない。

アルジェリアは人口のほとんどがアラブ人で 90%以上がスンニ派のイスラム教徒。天然ガスの生産量、世界第9位。今回 武装勢力に占拠された天然ガス施設は イギリスの石油最大企業BPのものだ。人質になって犠牲になった日本人は 天然ガスプラント日揮の技術者だった。国境の囲いに関わらず、企業は国境を超えて共同で利益を追う。世界が今、豊富な資源を求めてアフリカや中東の国々で勢力をのばそうとしている。資源の奪い合いだ。マリへのフランス軍介入も、豊富な資源を確保し続けることが、目的だ。

改めて7人の邦人の犠牲を悼む。フランス軍は、これ以上の犠牲者を出さない為に、マリへの介入を止めるべきだ。

2013年1月19日土曜日

映画 「ヒッチコック」

                                                                                           
                                                                               
原題「HITCHICOCK」
監督:サーシャ ガヴァン
キャスト
アルフレッド ヒッチコック:アンソニー ホプキンス
アルマ レヴィル:ヘレン ミレン
ジャネット リー:スカーレト ヨハンソン
アンソニーパーキンス:ジェームス ダーシー

アルフレッド ヒッチコックは「サスペンスの神」と言われて、後続の映画人に多大の影響を与えた。ジャン リュック ゴダールや、フランソワ トリュフォーなど、ヌーベルバーグの旗手達からは、神様のように崇拝された。(今になって思えば 神はヒッチコックではなくて ドナルド チャップリンの方だったと思うけど。)彼は、ロンドン生まれのアイルランド人。27歳で、監督で脚本家だったアルマ レヴィルと結婚。二人してハリウッドに移ってから、サスペンス、犯罪物の白黒映画で大成功した。

自分が映画好きになったのは 多分にヒッチコックの影響による。小学生高学年から中学生のころ、テレビで1時間物のヒッチコックシリーズが放映されていて、ヒッチコックが番組の後に登場して、解説をする。物語のなかに、ヒッチコック本人がさりげなく通行人や 特徴のある体形の本人の「影」などになって出演していて、それを探すのも面白かった。
普通の人が、とんでもない人違いで事件に巻き込まれたり、二重人格の人の恐ろしい犯罪が起きたり、善良そうな夫に保険金を掛けられて 妻が殺されそうになったり、効果音を使って、恐怖心が煽り立てられる。ドキドキ、ハラハラ 怖がりながらも画面から目を離せない。事件のキーになる物、電話とか鍵とか色とか音を、実に上手にハイライトさせて、あとで「ああ そうだった。なるほど。」と、納得させて事件の解決をみる。観ている時は気がつかないが、「ダイヤルMを廻せ」では撮影に 普通の電話の倍も大きな電話を使って「事件のキー」を暗示していた。さりげない会話が 後で重要な事件解決の鍵を暗示していたりもする。
サスペンスは いわば作り手と観客の頭脳ゲームのようなものだから、画面ひとつ見逃せない。そんな映画の面白さを教えてくれたのが ヒッチコックだった。

ハリウッド パラマウントも、当時の最高の男優、女優を彼の映画のために提供したと思う。
1940年の「レベッカ」では、ローレンス オリビエと、ジョーン フォンテイーン。1945年の「白い恐怖」では グレゴリー ペックとイングリッド バーグマン。1946年「汚名」では、ケイリー グラントとイングリッド バーグマン。1954年の「ダイヤルMを廻せ」では、レイ ミランドとグレース ケリー。54年の「裏窓」では、ジェームス スチュワートとグレース ケリー。「泥棒成金」では、ケイリー グランドとグレース ケリー。1958年「めまい」では、ジェームス スチュワートとキム ノヴァック。1959年の「北北西に進路をとれ」では、ケイリーグランドと エバマリー セイント。1960年の「サイコ」では アンソニー パーキンスとジャネット リー。1963年の「鳥」では ロッド テイラーと、テイッピ ヘドレン。1964年の「マーニー」では ショーン コネリーとテイッピ ヘドレン。1966年の「引き裂かれたカーテン」では、ポール ニューマンとジュリー アンドリュース、、、などなど、これだけ豪華な役者達を自由自在に使って自分の映画を作った。すごいなー。彼の映画をほぼ全部みている自分にも 少しあきれる。

彼の映画の中で、一番好きな作品は、「レベッカ」1940年作だ。年の離れた男の屋敷に、後妻として迎えられた幼妻ショーン フォンテイーンを震え上がらせる前妻レベッカの影、、。ラストシーンで、レベッカの付き添い女中が屋敷に火を放ちレベッカの影とともに、炎に焼かれて狂い死んでいくシーンなど、怖くて怖くて映画を観たのは10歳前後だったのに、昨日見た映画のように克明に記憶している。
1969年作の「サイコ」はやはり、映画史上に残る名作だろう。映画「ヒッチコック」は、この「サイコ」を作る過程を描いた作品だ。

ストーリーは
「北北西に進路を取れ」が 思いのほか製作費がかかったためパラマウントには予算がない。ヒッチコックは、実際に起った女性大量殺人のノーマンべイツ事件をもとに人格障害でサイコパスの男による残酷殺人事件の映画を作ることに決めていた。犯人は母親しか愛せない男で、母親がすでに死んでいるのにミイラ状態になった母親を抱いて眠る。歪んだ性衝動は若く美しい女性を殺して切り裂くことで解消していた。映画のタイトルは「サイコ」。

当時、「サイコパス」(精神病質)という医学用語が一般に知れ渡っていなかったし、女性大量殺人のような「きわもの」を扱うのは、B級のグロテスクえいがと決まっていたので、ヒッチコックのアイデアは パラマウントに受け入れてもらえなかった。そのためヒッチコックは 自宅を抵当に入れて、自分で資金を作り、低予算の白黒映画「サイコ」に取り掛かった。

自分も監督だった妻のアルマは、おもしろくない。主役になるジャネット リーを、初対面ですぐに気に入ってしまったヒッチコックを見ていて、「あ、またか。」と夫の悪い女癖に腹が立つ。アルマは脚本家のウィッドフィールド クックと共に、ヒッチコックの次の作品の脚本をすでに用意してあった。にも拘らず夫はそれを読もうともしない。夫に愛想がつく。一方、ウィッドフィールドはアルマを女王様のように扱ってくれて優しい。女心がなびかないわけが無い。彼はアルマのために海沿いに家を借りた。子供のようなヒッチコックの世話に疲れると、アルマはその海の家でウィッドフィールドと肩を並べてタイプライターをたたく。
それに気がついたヒッチコックは アルマとぶつかり合い、怒鳴りあい、責め合う。しかし、ヒッチコックが過労で倒れたのを機に、アルマは自分を必要とする夫のもとに帰る。以降、二人三脚で作り上げた低予算映画「サイコ」は、大成功する。というお話。

太って特殊メイクを施したアンソニー ホプキンスより、妻役のヘレン ミレンの演技が素晴らしい。夫への「嫉妬」と「諦念」。若い男への少女のような「憧憬」と「落胆」を、みごとに表現している。
エドガー フーバーを演じたデカプリオ、マーガレット サッチャーを演じたメリル ストリープ、マリリン モンローを演じたミッシェル ウィリアムズ、アウンサン スーチーを演じたミッシェル ヤオ、、、ここでヒッチコックを演じたアンソニー ホプキンスが加わると、比較してちょっと、がっかり。本物のヒッチコックのかもし出す、おっとりしたユーモラスな姿の印象が強すぎて ホプキンスがヒッチコックに見えない。

「サイコ」の主人公はアンソニー パーキンスなのに パーキンスのそっくりさんジェームス ダーシーなど、2時間余りの映画のうちの数分しか出番がなくて、これではあんまりじゃないか。でもそれは、「サイコ」でパーキンスに殺されるジャネット リーのシャワーシーンが有名になりすぎたからかもしれない。特殊効果音とともに サイコパスに襲われるシーンの怖さは本当に並外れて怖い。

映画の中でヒッチコックが、ジャネット リーの気を引こうとして、アルマが妊娠してしまったので僕達は結婚せざるを得なかったんだ と言うシーンがある。また、アルマはアルマで 若い脚本家に 私が先に映画監督だったのよ。ヒッチは助監督だったんだから、、、と言うシーンもある。浮気は後ろめたい。だから浮気に走る口実が要る。
ヒッチコックは もう30年あまり結婚生活をしているのに むかしむかし妻が妊娠してしまったからやむなく結婚したという口実で 若い女性との浮気の口実にしてきた。アルマは自分も才能があったのに ヒッチだけが脚光をあびて有名になり自分は裏方役に押し留められている不満を隠せない。
ヒッチコックは 大きな子供のように、短気で感情を抑制できない。怒ると馬鹿食い、がぶ飲みを止められなくなって、ほとんどアル中。おまけに映画に出演した女優に次から次へと手を出す。そんな 現実のヒッチコックが、自分がイメージしていた上質のユーモアを持った紳士のイメージに そぐわない。イメージが重ならない という違和感が映画が始まって終わるまで消えなかった。「サスペンスの神様」も 所詮俗人です、と言われて なんか、ちょっと、しょげてしまった。

2013年1月14日月曜日

映画 「ライフ オブ パイ」

                           
原題:「LIFE OF PI」
邦題:「ライフ オブ パイ、トラと漂流した227日」
原作:「パイの物語」ヤン マーテル
監督:アング リー

題名の通り16歳の少年がインドからカナダに渡航する途中で 海難事故に遭いトラと救命ボートで漂流した末に救助される冒険物語。
ストーリーは
パイは動物園を経営する父親と教養ある母親とに間に生まれ育った。数学に出てくる、割っても割っても割り切れない円周率のパイにちなんで名前をつけられた。幼い内から よく勉強が出来て、パイがスペルが「PI」で発音するとピー(おしっこ)とも読めるために、小学校で虐めにもあうが 逆に秀でた知識で生徒ばかりか先生方からも尊重させるようになる子供だった。ヒンズー教だけでなく、イスラムにも仏教のもキリスト教にもユダヤ教にまで 改心し、すべての宗教と自分は協調して生きていけると信じていた。そんな一風変わり者のパイも16歳になり、美しい少女に恋をする。 しかし家族はカナダに動物園ごと移住することに決めていた。

 大型貨物船に沢山の動物達や彼らの食料を乗せ、家族の旅が始まる。しかし、出航してしばらくすると嵐に遭い船は沈没、パイは傷ついたシマウマとともに救命ボートで脱出する。嵐が過ぎ去り、パイは両親も兄弟も失ったことを知る。
運良く生き残ったオランウータンを海上から拾い上げ、ボートに積まれた非常食を探索していると、救命ボートの船底から獰猛なハイエナが飛び出してくる。ハイエナは傷ついて動けないシマウマとオランウータンを襲う。パイの素手では、小さなボート上の殺戮を止めることができない。しかし、船底には、ハイエナをも簡単に食い殺すトラが潜んでいたのだった。トラは次々と動物を餌食にする。パイは寸でのところで、いかだを作ってボートから乗り移り、トラの攻撃から逃げ延びる。 

救命ボートのトラと、それにくくりつけられた、いかだに乗るパイとの生存をかけた闘いと漂流が始まる。 パイは、いかだで雨をためて、魚を釣って生き延びる。そしてボートに移って、トラと水と食料を分け与える。トラが空腹に耐えかねて飛び魚を追って、海中に飛び込むと、その隙にボートに乗り移って、救命ボートの船底から水や非常食を取り出す。パイとトラは、何十日も漂流し、いくつもの嵐を乗り越えるうち、互いに生き残り同志の共存関係が出来てくる。パイは、トラが生きているからこそ自分も生きる意味を持つことができるのだということを知る。

227日たった。とうとう、島にたどり着き、ボートが砂浜に打ち上げられるが、パイにはもう砂地を立って歩く力がない。トラはボートから飛び下り、林に入って行って姿を消した。林に姿を消す前に 一度だけ振り返ってトラはパイを見つめた。
というお話。

冒険小説でお伽噺だが、とても映像が美しい。3Dの必要はない。3Dでなくても充分過ぎるくらい自然が美しく描かれている。大海の日の出と日没。輝く果てしない海の大きさ。くらげが漂い、鮫が回遊し、巨大な鯨がボートをかすって行く。荒れる海、なぎの梅。海の表情を映しだすカメラワークが秀逸だ。
映画のはじめのころに、出てきて、回想の形で繰り返されるインドのまばゆいばかりの色彩の多様さ。色とりどりの花々、インド舞踊の衣装の美しさ、香りたつようなインドの少女たちの美しさにも心奪われる。
おまけに、コンピューターグラフィックで、ここまで出来るのか、と驚くほど動物達の表情が豊かで動きがリアルだ。トラがパイと漂流するうちに段々とやせ細り、最後に林に姿を消す頃には 骨と皮になっている。とてもリアリテイがある。

トラはリチャード パーカーという名前を持っている。エドガーアラン ポーの「ナンタゲット島出身のアーサーゴードンビムの物語」という1838年に書かれた恐怖小説があって、小説の中で4人の男が海で難破した末、リチャード バーカーという男が3人に殺されて食べられる という話がある。で、実際1884年に実際に、同じ状況で、カニバリズムがおこり、偶然殺されて食べられた男がリチャード バーカーという名前だった、という記録が残っている。本当だったら、ポーの小説よりも怖い。
しかしこの映画のリチャード バーカーというトラは、むしろ、ヒンズーの輪廻思想で、トラは人の生き代わりなので、大切にしなければならないという思想からきているのだと思う。パイの動物園では このトラは始めからリチャード バーカーを呼ばれて尊重されていた。

貨物船の食堂で働く、人種差別でタチの悪いコックが出てくるが、彼はジェラール ドバルデュー。フランス人の役者だが、最近、フランスにこのまま居ると収入の65%を税金で取られるばかりなので、と、国籍を捨ててロシア人になってしまったことで話題になった。
この映画で、残念なのは、モノローグがインド人独特の強いアクセントの英語で ものすごく聞き取りにくいことだ。英語で語ってくれるが、英語の字幕をつけてもらいたかった。

でも身も心も引き込まれる冒険物語。 文句なしに映像を楽しめる。
本当に美しい映画だ。

2013年1月3日木曜日

映画 「レ ミゼラブル」

 
                       
原題:「LES MISERABLES」
 監督:トム フーバー
キャスト
 ジャン バルジャン:ヒュー ジャックマン
 コデット     :アマンダ セルフライド
フォンテーヌ   :アン ハサウェイ
シャベール警部  :ラッセル クロウ
マリウス     :エデイ レッドメイン
エボニーヌ    :サマンサ バークス

ヴイクトル ユーゴーは フランスを代表する作家で、ロマン派の詩人。ボードーレールを見出して世に紹介たことでも有名。たった23歳で詩作や小説を評価されて、レジオンドヌール勲章を受け、ルイ18世から高額の年金を受け取っていた。にも拘らず、リベラルな知識人として、コメデイフランセーズの台本で、王政を笑い上演禁止になったり 1848年にはルイ ボナパルトが政権をとると これに真っ向から反対して弾圧され、ベルギーに亡命せざるを得なくなった。以来、1870年でナポレオンが失脚するまでフランスに帰ることができなかった。 小説「レ ミゼラブル」は ベルギーで出版される。

クリスチャン精神に裏打ちされた人道主義。人としてより良き人として生きようとする男、ジャン バルジャンの半生を描いた。1本のパンを盗んだゆえに19年間投獄され、出獄後 一晩の宿を許された教会から銀食器を盗み、捉えられるが、神父から、それらは盗んだものではなく与えたものだ、と証言されて罪を逃れる。この神父に 良き人として、人の為に生きることを諭されて良心に目覚める というお話は余りにも有名。 子供の頃は 岩波少年少女文庫で読み、中学では細かい字の大人用の本で読んで、心が躍った。ジャン バルジャンと警部シャベールとの確執、どこまでも追ってくる執念の塊のようシャベールの恐ろしさ、パリの地下水道のドラマテイックな逃走、コデットを虐め抜く叔父叔母のいかさま師ぶり、せっかく安定した生活ができるようになり人々の信頼を得て市長にまで成りながら、他の男がジャン バルジャンとして逮捕されたと知ると、すべてを投げうって出頭する勇気、、、ジャン バルジャンの冒険に息もつけずに読み進んだ。人間として、良き人として生きる決意、少女を守り、幸せになるまで見届けると言う断固とした決断、自分の良心を見つめる厳しい目、本当に素晴らしい名作。感性豊かな子供のうちに 是非読んでおくべき本のひとつだ。

ミュージカルはロンドン コペントガーデンで上演されて大成功、ロングランで、今でも上演が続いている。ロンドンで観られると思っていたが、運悪く、丁度劇場の修理で滞在中に観られなかった。 映画化してフイルムを作ったのは トム フーバー。「英国王のスピーチ」を作った監督。 ジャン バルジャン役は オージーの、歌って踊って演じる、ヒュー ジャックマン。44歳。身長190センチの大きな体で、ミュージカル「オズから来た男」を演じて、オーストラリアよりもアメリカで先に、人気者になった。全然名前のない役者時代に テレビで共演した7才年上のオージー先輩役者デボラリー ファーネス(全然美人じゃない)と結婚して以来、ずっと離れたことが無いという仲良し夫婦だ。
このミュージカル映画は、演技を撮影した後、レコードしておいた歌を画面にくっつける従来のミュージカルの製作方法をやめて、演技と歌をライブで撮影している。そのため どの役者の歌も迫力のある臨場感に満ちている。

映画の最初のシーンに、みな度肝を抜かれるのではないだろうか。オーケストラの重厚な響きで始まる大スペクタクルだ。どでかい帆船を修理するために港のドッグに船を停留させるために何百人もの囚人たちが鎖につながれたままロープで船を牽く。ドッグの畝かと思っていたものが、船をひくロープでそこに豆粒のようにへばりついていたのは 疲れ果てた囚人たちだったのだ。 ここでヒュー ジャックマンが歌う「囚人の歌」がすごい迫力だ。彼いわく、36時間水を飲まないで居ると、顔が4.5キロ痩せることが出来る。そうして自ら激しい頭痛と戦いながら脱水し、骸骨のような形相になってこのシーンを演じたのだそうだ。恐るべき執念。本当に圧倒された。

驚いたのは、コデット役のアン ハサウェイが、とても高い綺麗な声で歌っていたこと。娘のために痩せた体で、身を持ち崩し初めて体を売ったあとに歌う「I DREAMED A DREAM」(夢やぶれて)は、可哀想で不憫で 聴いていて自然に涙が浮かんでくる。 でも、エプニーヌ役のサマンサ バークスには勝てない。彼女の歌唱力は本物だ。たった一人、片想いとわかっていて自分の愛した青年を見つめる けなげな純真さを「オン マイ オウン」で歌い上げる。その姿に胸がつまる。
ジャン バルジャンが富も名誉も地位も捨てて、身代わりに拘束された男を救うために名乗りを上げる決意を示す「WHO I AM」(おれは誰だ)も、すごく良い。もう怖いくらい。
たくさんの登場人物に繰り返し繰り返し歌われる「民衆の歌」は 本当に心に響く。貧しくて もう失うものなど何もない民衆蜂起の歌の合唱が、映画を観終わった後でもずっと頭の中で繰り返されて、忘れられない。

原作が良いので ミュージカルにしても、映画にしても人の心を打つ。古典作品だが 今でも人々は富める物と、何も持たないものとに分断され、厳しい生活の中でも、人は愛する人のために身を投じ、良心をもって良き人でありたいと念じて生きている。150年前に出版された文学作品だが、少しも古くない。今日でも全く新しい。
これだけ力の入ったミュージカルをほかに見たことが無い。2013年のアカデミー賞は、全部これにあげたら良いのではないだろうか。

2012年12月26日水曜日

2012年に観た映画 ベストテン

  

第1位:「HUGOの不思議な発明」マーチン スコセッシ
第2位:「最強のふたり」 エリック トレダン、オリバーナカチェ
第3位:「J エドガー」 クリント イーストウッド
第4位:「アウンサン スーチー引き裂かれた愛」 リックべッソン
第5位:「ル オーブルの靴磨き」 アキ カウリスマキ
第6位:「人生の特等席」 ロバート ローレンツ
第7位:「ぼくらのラザール先生」フイリップ ファラルド
第8位:「レ ミゼラブル」
第9位:「アメイジング スパイダーマン」マック ウェブ
第10位:「バットマン ダークナイトライジング」クリストファーノーラン

第1位 「HUGOの不思議な発明」
原題 「HUGO」
監督: マーチン スコセッシ
原作:「ヒューゴカブレットの発明」
映画の説明と評価は1月27日に 詳しく書いた。
人は映像を観ることによって初めて自分の想像力に色彩や香りや動きがついてきて、イマジネーションを広げ、さらに夢を見ることができるようになる。それを明確に実証してくれたのが 映画人ジョージ マリエス(1902年の月への旅行)だ。この映画人マリエスと、ヒューゴというパリ駅の時計台に住む孤児との素晴らしい物語。
映像の美しさが例えようも無い。ヒューゴが少女に伴われて入るパリ国立図書館、パリ駅の中の本屋、巨大なぜんまいに取り囲まれた大時計の内部、公安警部と花売り娘との恋、陽気なカフェの音楽家たち、つかの間の逢瀬をする恋人たち。1930年代の人々を 美しいセピア色に染め上げて、紡ぎだされた映像が 身震いするほど美しい。今年観た映画の中で一番素晴らしかっただけでなく、人生のなかで観たすべての映画の中でも忘れがたい貴重な作品。スコセッシを心から敬愛。

第2位 「最強のふたり」
原題:「INTOUCHABLE」
監督;エリック トレダン オリバーナカチェ
映画評は、11月8日に書いた。
裕福だが脊椎損傷の障害者フリップと、ケア役のセネガルからきた移民のドリスとの交流を描いた作品。身体障害者に必要なのは、怪我をしないように真綿に包んで大切にされる事ではなくて、同等の友人として歓びを共有することだという当たり前にことを、気付かせてくれる映画。二人の男が車椅子を倍の早さで走れるように改造し、ハングライダーを楽しみ、時速300キロ出る黒のマセラテイでぶっとばす。童心に帰ってふたりの男達の魂が解放される。笑い転げる二人が子供のように輝いている。何て素敵な映画だろう。

第3位 「J エドガー」
原題:「J EDGAR」
監督:クリント イーストウッド
映画評は、2月9日に詳しく書いた。
8人の米国大統領に恐れられ、48年間休むことなくアメリカ連邦捜査局局長を務めたエドガー フーバーが現職で亡くなるまでのバイオゲラフイー。フーバーとクライドとの生涯の伴侶として尊敬しあうプラトニックな男と男の結びつき。求愛を拒否されながらもフーバーの小児病的いびつな愛情を受け止めて、右腕として生涯を貫くクライドの愛のかたちが、泣かせる。人間が描かれている。人を描いて、感動させることの天才 クリントイーストウッドの力量に感服。82歳で完成させた映画。映画を観た後で、様々なシーンが蘇ってきて感動が深まっていく。素晴らしい。

第4位 「アウンサン スーチー引き裂かれた愛」
原題:「The LADY」
監督:リック べッソン
映画評は 6月6日に書いた。 ビルマ独立建国の父アウンサン将軍の一人娘スーチーが ロンドンで家庭を築いて夫と二人の息子と暮らしていた1988年から、夫と離れたまま死に別れる1999年を描いた作品。1991年の自宅軟禁で、本人不在のノーベル平和賞を夫と息子が代わりに受け取るシーン、その後の2007年の僧侶達の勇気ある反政府デモのシーンに泣かずに居られない。この後これらの僧侶達は惨殺され、寺は打ち壊され、残るものは野に放たれたのが、現実だった。
現職の国会議員スーチーは非暴力 民主化実現のシンボルになったが、その現存の女性という難しい役を演じたミッシェル ヤオは、体重を極限まで落とし、難解なビルマ語をマスターし、スーチーの癖や仕草まで完全に習得。そっくりさんになってヤンゴンでの民主化要求演説したシーンでは、実際の国民民主連盟にいた映画関係者が 当時を思い出して取り乱して撮影が中断されたという。顔が違うのに映画を観ていると、彼女がアウンサン スーチーにしか見えない。楚々とした美しさ。孤立を恐れず一歩たりとも後ろに引かない。本当に美しい人。世界中に勇気を与え続けている。

第5位 「ル オーブルの靴磨き」
原題:「LE HARVRE」
監督:アキ カウリスマキ
映画評は 5月3日に書いた。
フランス北西部の港町、ル オーブルで、妻とつましく暮らす初老の靴磨きマルセルが、アフリカから密航してきたイングリッサという少年を匿って 彼の母親が働いているロンドンまで送り届けてやるために、貧しいル オーブルの住民達が一汗かく、というヒューマンドラマ。マルセロのヨレヨレのジャケット、埃だらけの破れそうな靴、顔の深いしわ、ぐちゃぐちゃのタバコの箱、めったに着ないけど大事にクロセットにかかっている背広、妻の服も2着しかない。徹底した市井の人々、権力にも法にも守られてさえ居ない。貧しいが、自分達の足でしっかり立っている生活者達を描いている。彼らの正義は金に縛られている人々の正義よりはるかに正しい。渋みと苦味とペーソスがあ合わさって やさしい笑いをかもし出している。さすがアキ カウリスマキ。

第6位「人生の特等席」
原題:「THE TROUBLE WITH THE CURVE」
監督:ロバート ローレンツ
映画評は12月12日に書いた。
83才で依然として立派な男、クリント イーストウッドは、いつまでもスターだ。イーストウッドの右腕としてプロデユースしてきたロバート ローレンツの初監督作。撮影中 彼が少しでも迷いを見せたら すぐにイーストウッドが代わって監督し始めるとわかっていたので、入念に準備して早いペースで撮影していってイーストウッドに口を出す暇を与えなかった と笑いながら言っている。映画の中でスタンドでイーストウッドに並んでいたスカウトマンらは、皆本当のスカウトマンだったそうだ。野球のダイナミズム、、、キャッチャーの弓なりになった全力投球、振り絞ったバットがみごとにヒットするときのカッキーンという音。野球が好きになる。イーストウッドは役者としても監督としても最高のストーリーテラーだ。

第7位 「ぼくらのラザール先生」
原題:「MONSIER LAZHAR」
監督:フリップ ファラルドー
映画評は8月29日に書いた。
カナダ映画、フランス語英語字幕。モントリオールの小学6年生のシモンとアリスは 担任の先生が教室で首を吊って死んでいる姿を見てしまった。学校側は心理療法士に事後処理をまかせ、何事もなかったように平常にもどるが、新しく雇われたラ ザール先生は、シモンとアリスの心の傷を放って置くことが出来ない。11歳の子供達の自然な姿が印象的。愛くるしい顔で心に痛みを抱えて、日常を過ごしている子供達の姿に涙が出て仕方が無かった。言葉でなく映像で子供の心を映し出すことに成功した素晴らしい映画。映像が詩になっている。

第8位 「レ ミゼラブル」
これについては、昨日観たばかりなので、あとで詳しく記載する。

第9位「アメイジング スパイダーマン」
監督:マック ウェブ
映画評は7月10日に書いた。
前回のスパイダーマンがサエなかった分だけ主役をアンドリュー ガーフイールドにして、全く別の作品のように素晴らしくなった。ガーフイールドはアメリカ人だがイギリスで育ち、映画よりシェイクスピアを演じる本格的な役者。スパイダーマンの動きも、悩める青年の心理描写も、感情の抑揚など良くわかりやすく見せてくれて、どうしてスパイダーマンになったのか理解、共鳴できる。3D画面がうまく生かされていて 画面の立体的で奥行きが深く美しい。スパイダーマンと一緒に風を切ってニューヨークの摩天楼をスウィングしている気分になれる。とても楽しい。今では、無駄にたくさんの3Dが出ているが この映画なら3Dにするだけの価値がある。

題10位 「バットマン ダークナイトライジング」
原題:「DARK KNIGHT RISES」
監督:クルストファー ノーラン
映画評は7月25日に書いた
2005年「バットマンビギンズ」、2008年「ダークナイト」に続いて、この2012年の作品が3部作の最終作になった。主演のクリスチャン ベール、執事のマイケル ケーン、ウェイン財閥代表のモーガン フリーマン、3人の芸達者が演じて、とても良い。両親を目の前で無慈悲にも暴漢に殺された少年が正義とは何か、そのために戦う真の強さとは何かを人として傷つきながら成長していく姿を見ることが出来る。悩めるバットマンに共鳴できる。素敵なラストシーンだった。

2012年12月24日月曜日

2012年に読んだ漫画 ベストテン

                                           

第1位:「岳」 1-18巻 石塚真一
第2位:「ピアノの森」1-22巻 一色まこと
第3位:「聖おにいさん」1-8巻 中村光
第4位:「3月のライオン」1-7巻 羽海野チカ 
第5位:「テルマエロマエ」1-5巻 ヤマザキマリ
第6位:「宇宙兄弟」1-19巻 小山宙哉
第7位:「ちはやふる」1-18巻 末次由紀
第8位:「バガボンド」1-34巻 井上雄彦
第9位:「神の雫」1-34巻 亜樹直作 オキモトシュウ
第10位:「きのう何食べた」 よしながふみ

第1位 「岳」
5月15日と9月17日に、この漫画について書いた。読み終わったときの感動が今でもそのまま続いている。むかし男の子が生まれたら穂高と名前をつけようと思っていた。その美しい山で、主人公、島崎三歩が小屋を作って山岳救助をしている。読んでいると、山から吹き降ろしてくる冷たい風が頬をなで、淡い山の陽が感じられて、乾いた風の音が聴こえてくる。一歩一歩踏みしめる雪渓の固さ、360度山また山の光景、突き抜ける青空、落葉樹や可憐な山岳植物、コッヘルで待ちわびるアルファ米入りラーメン、夜行列車の賑わい、茅野駅で電車を待つ間飲む味の濃い牛乳などなどが一気に蘇って来る。
 島崎三歩は、沢山の人命救助をして、遭難死した山男達を背負って下ろし、救助要員を育て、山の事故で親を失った孤児の兄貴になり、山を愛する人々の心の支えになった末、ひとりでヒマラヤで、救助をしていて死んでしまった。酸欠でおぼろげになった意識のなかで ヒマラヤの山々を見下ろしながら「んまいコーヒー」を飲んで、その死の瞬間まで自分が生きて帰る自分を信じていた。悲しいけど、この終わり方が自然だった。これ以上のことを三歩に望めない。本当に心にいつまでもいつまでも残っていて、胸のうちで三歩が永遠に輝いている。

 第2位 「ピアノの森」
一之瀬海は「森の端」と呼ばれる色町で、15歳の売春婦玲子から生まれた。父親は玲子にもわからない。住んでいる家の横に 昔ストリップショーに使われて今はもう音の出ない古いピアノが捨ててあった。同年の子供など一人もいない色町で、海はピアノを唯一の玩具にして育った。小学校に上がってもいつも裸足でいる森の端の子供には、友達もできない。しかし海は生まれながらの天真満爛さで、暴力団やキャバレーの面々だけでなく社会から取り残された人々に愛されてきた。
小学校5年生のときに、将来ピアニストになる、と自己紹介をする雨宮修平が 東京から転校してくる。世界的に有名な日本を代表するピアニスト雨宮洋一郎の息子だった。父親は、学校の陰湿で人気のない子供嫌いの音楽教師 阿字野が、実は20年前、彗星のように世界に躍り出て、雨宮洋一郎をあこがれさせ、最高潮のときに交通事故にあい突然姿を消した、伝説になった幻の天才ピアニストだったことがわかる。
人気絶頂の時に手指の事故で世間から隠れるようにして生きてきた阿字野が、彼が昔特別に作らせたピアノを唯一の玩具にして育ってきた天然野生児、海に出会い、阿字野の失踪のあと血の滲む努力でピアニストになった雨宮とその息子修平が、海に出会う。この4人の運命の出会いが、太い縦糸になって、それにまつわる沢山の人々、暴力団、娼婦達、丸山誉子、海の弟子大貴、ジャン ジャックセロー、カロル アダムスキー、パン ウェイ、レフ シマノスキー、ダラナドス、タイスなどなど、登場人物が横糸になって物語が紡ぎ出される。それぞれの人々がみな魅力的で、それぞれの抱える物語がどんどん広がって、一大交響曲になっている。
10歳で出会った海を「宿敵」と断定した雨宮父子と、出会ったとたんに修平をピアノの「同志」と思い込んだ海との友情と憎しみと嫉妬と 音楽への深い愛情の行方から目が離せない。他のコンクールの候補者のショパンを聴きながら「なんと音楽は人を喜ばせることだろう。」という海のつぶやきが すべてを語っている。本当に音楽は何と人を幸せにしてくれることだろう。舞台がポーランドに移り、ショパンコンクールで一体誰が 優勝するのか、、。まだ、連載、継続しているので、この先が楽しみ。

第3位「聖おにいさん」
目覚めた人ブッダと、神の子イエスが東京立川のアパートで 下界バカンスを送っている。浮世離れした、二人の会話の豊さに笑いが止まらない。何度も何度も読んで同じところでいつも笑い転げる。
血の涙を流すマリア、天草四郎の踏み絵、悟れアナンダの単行本化、ヨセフの父としての疑惑、仲良しのヤクザの兄さん、ゼウスまで突然出てきて、もう本当に、笑って笑って、涙が出て、呼吸が笑いで苦しくなる。他人のいるところでは絶対読めない。ずっとこれからも笑わせてもらいたい。

 第4位 「3月のライオン」
この世のすべての不幸を たった一人で背負うために生まれてきたような、親も兄弟も信頼できる親戚もない零が、ひとり将棋で戦っている。中学生で将棋で稼ぎ、高校生になって新人王を獲得。 零の唯一の心の安らぎをもたらせてくれる、やはり親のないアカリとヒナ姉妹。
正義感が強く、友達をかばったために、学校で陰湿ないじめにあうヒナと零の友情と忠誠心。ほかに、将棋の厳しい世界で日々戦う山崎五段とハト、順慶、不治の病気をもった二階堂、桐山五段、たくさんの人が出てきて、それぞれが壮絶な闘いを続ける。それぞれの将棋士たちに独白をさせるが、それがとても良い。

第5位 「テルマエロマエ」
第1巻が出たばかりの頃から愛読している。女性作家の作品と思えない。「そこはかとした」笑い。にんまりしながら読んで、終始顔がくずれる。古代ローマのハドリアヌス帝に仕える技師、ルシウスが、風呂のなかで「平たい顔族」の国の風呂にワープする。まじめ一方のルシウスが 馬のハナコにホレられたり、伊藤温泉でくつろいだ人々に囲まれて、旅館の半纏を着て働く様子など、何から何までおかしい。
このおかしさは、テイーンのころから理解ある母親から背中を押されてヨーロッパで絵を勉強しながら放浪した作者の、自由な発想からくるものだろう。作者自身が、とても魅力のある人だ。実際、立派な建築物を沢山残したハドリアヌス帝のところを 塩野七生のローマの歴史物語を読んでいるところ。今後も楽しみ。

第6位 「宇宙兄弟」
NASAに所属している六太と日々人兄弟が 一緒に月に行く希望もなかなか簡単には実現しない。日々人は月面での事故で、帰還後パニックアタックに苦しんだ。やっとそれを克服できたというのにNASAは日々人に残酷な決定をする。何をやっても優秀な弟、日々人に勝てなかったサエない兄ちゃん、六太は、いつも「何回目だ。こうやってあいつの背を見るの、、、。」と、つぶやいていたけれど、これからが兄の出番だ。兄弟愛、友情、信頼と敬愛。二人を取り巻く 沢山の人々が、みんな魅力的に描かれている。

 第7位 「ちはやふる」
小学校6年で転校生、綿谷新に出会った綾瀬千早は、カルタのおもしろさを知って、カルタで日本一は世界一のこと、と世界制覇の夢を見る。そんな千早も もう高校生。原田先生の言うように、「個人戦は団体戦、団体戦は個人戦」千早と彼女を片思いする太一との二人三脚で、瑞沢高校は、高校選手権を成功させた。今度は 彼らが属する白波会から、名人戦 クイーン戦の前哨戦である吉野会大会にのぞむことになる。
いよいよ新と千早と太一が同じ土俵に登って戦うことになる。千早が可愛い。新も太一も素敵だ。

 第8位 「バガボンド」
やっと34巻が出た。33巻まできて、作者が書く意欲を失ってしまって、ずいぶん待たなければならなかった。「スラムダンク」で青春の涙をふりしぼらせてくれた作者も中年クライシスか。吉川英次原作の「宮本武蔵」を彼らしい自由な発想で、佐々木小次郎をろうあ者にして人間としての魅力を引き出してくれた。絵がうまい。この人ほど生きた人間の表情を上手にとらえる漫画家を他に知らない。

第9位 「神の雫」
神咲豊多香の息子、神咲零と遠藤一青とのワインをめぐる争い。12本のワインを当てなければならないが、まだまだ先が長い。遠藤一青がじつは豊多香りの息子らしいが、二人にレースを強いることによって何を伝えようとしているのか知りたい。ワインに対する知識が増えた。ボトルが怒り肩のボルドー、下半身がデブのブルゴーニュ、ブルゴーニュの最高の畑でできるロマノコンテインが どうして高級なのか、カビを利用した貴腐ワイン、凍結するまで収穫しない糖度の高いアイスワインなどなど、とっても勉強させてもらった。

第10位 「きのう何食べた」
ふたりの男の作る料理の魅力的なこと。これをもとに、料理上手になる若い人が増えているらしい。よしながふみの描く絵が大好きだ。

2012年12月19日水曜日

メトロポリタンオペラ「皇帝ティトの慈悲」

                                
作曲者:ヴォルフガング アマデウス モーツアルト

原題 :「LA CLEMENZA DI TITO」
指揮 :ハリー ビケット
1791年 プラハで初演。 

日曜の午後、映画館でハイデフィニションフイルムのメトロポリタンオペラ「皇帝ティトの慈悲」を観た。
モーツアルトが亡くなった年に作られた最後のオペラ。神聖ローマ皇帝レオポルド2世が プラハでボヘミア王として戴冠(1791年9月)する式で上演するために、ボヘミア政府から依頼されて、モーツアルトが作曲した作品。当時、貧困と神経衰弱で死の床にあったモーツアルトは、「魔笛」を死力をつくして作曲していたが、政府の依頼に応じて、「魔笛」を中断して18日間でこのオペラを書き上げた。モーツアルトが食べ物にも事欠くような貧困、寒さ、絶望のなかで これほど美しい曲の数々と、楽しい舞台を作り上げたことは奇跡のようであり、また、とてつもなく哀しい。

紀元1世紀のローマ帝国。
実在した皇帝ティトのお話。歴史的にはこのティトの父親が皇帝で、政権を取っていた時に、ベスビアス火山の噴火が起こり古代ローマの都市、ポンペイが埋まってしまった。そのために皇帝が過労で早死にしたと言われている。親子共に、慈悲深い皇帝だった。皇帝ティトは、エルサレムを侵略、鎮圧した後、そこでエルサレムの王女と出逢い、愛し合っていたが、ローマ市民はそれを望まず、ユダヤ人を妃に迎えることができなかった。ティトは心を鬼にして、愛する王女を追放する。そこから、物語が始まる。

愛する人を失ったティトのために、お妃選びが始まった。ティトが妃にセルヴィリアを選ぶか、ヴィラリアを選ぶか、、、忠実な部下であり心の友であるセストとアンニオは 気が気ではない。実は セストはセルヴィリアを、アンニオはヴィラリアを愛している。とうとう皇帝はセルヴィリアを妃に迎えたい意向を伝えてきた。アンニオとセルヴィリアはパニックに陥る。二人は涙ながらに互いの愛を確認しては泣き崩れるばかり。セルヴィリアは意を決して 皇帝の前に進み出て、自分が皇帝の部下のアンニオと愛して合っていることを告白する。

ヴィラリアは、昔、自分の父親が皇帝に殺されていることを根に持って皇帝を憎んでいるが、自分は王妃に地位が欲しくて仕方が無い。このまま王妃の座をセルヴィリアに奪われてるくらいなら、皇帝ティトをいっそのこと抹殺したい。それで自分に夢中のセストをたきつけて、皇帝暗殺を企む。しかし、皇帝は、アンニオの恋人セルヴィリアの訴えに理解を示して、自分はヴィラリアと結婚することに決めた。王妃の夢がかなうことになって、あわてたのはヴィラリア。皇帝を暗殺しようとしているセストを止めなければ。しかし、時はすでに遅く、セストは城に火を放ち、反乱を起こしていた。セストは誰よりも崇拝し、心から忠誠を誓っていた皇帝を、恋人との愛を貫く為に殺害したことで、自分を責めて心身ともにズタズタになっている。親友のアンニオに見つかって、自分が皇帝を裏切ったことを言うが、アンニオは信じない。やがてセストは近衛隊に捉えられる。

皇帝ティトは無事だった。暗闇に中でセストに襲われて殺されたのは、別人だった。皇帝は心からセストを信頼していたから、セストが皇帝暗殺を謀ったとは信じられない。どうしても有罪の判決にサインをすることが出来ない。
一方、逮捕され、拷問されても、何故皇帝を襲ったのか、一切自己弁護しないセストの様子を見て、ヴィラリアは セストをそそのかしたことを心から後悔する。本当にセストが自分を愛していたのだと知って、ヴィラリアは苦しむ。迷った末、とうとう、ヴィラリアは皇帝の前に 自らの命を投げ出して、暗殺をそそのかしたのが自分であることを懺悔する。そんなヴィラリアを見て、皇帝ティトは すべてを許すと言い渡す。
というお話。

テーマは、「苦悩の末の赦し」だ。犯行を実行するまでのセストの迷いと苦悩。皇帝に無実だと言ってくれ、と迫られたあとの苦しみ。ヴィラリアの苦渋に満ちた愛情と権力欲。苦しみぬいた末の皇帝ティトの「赦し」は、モーツアルトが生活苦や、自分の才能が正しく認識評価されない苦悩から、脱却したい願望でもあっただろう。

皇帝はテノール。近衛隊長はバリトン。驚くことに二組の恋人たちのうち、ヴィラリア(ソプラノ)の相手、セストはカストラートで、セルヴィリア(ソプラノ)の相手アンニオはパンツ役といわれる男役のソプラノだ。カストラートは、モーツアルトの時代に流行していた、少年時に声変わりする前に睾丸を除去して一生ボーイソプラノの声を維持させた去勢歌手のこと。カストラートが禁止された後 現在はこの役をメゾソプラノの女性が歌っている。
従って二組の恋人たちは4人とも女性だ。男役は二人とも限りなくソプラノに近いメゾソプラノ。声も姿も、観ているとお花畑にいるような華やかさ。モーツアルトがいかにメゾソプラノの声域、声量、音質を愛していたかが わかる。おかげで宝塚をみているような美しい舞台だった。アンニオ役が、稀に見る美貌なのに男役で、中性的な不思議な魅力,よろっとしたり、くらっとしたり、声量もあって、素晴らしい。宝塚の那智わたるや、真帆しぶきに夢中になった大昔の記憶が蘇る。

このオペラになかで一番好きな曲が 「S’ALTO CHE LACRIME」。セストが自分のために捕らえられ死刑にされる事態の中で、このまま黙って王妃になることが出来るだろうか、と自分を責めるヴィラリアに向かって、親友のセルヴィリアが歌いかける。「あなたは残酷だわ。彼のために してあげられることは泣くことだけじゃないはず。」じっくり、説得調に歌われて、ヴィラリアは すべてを皇帝に告白することを決意する。
この曲はたくさんの歌手が歌っているが、キャサリン バトルが一番良い。親友の説得、忠告だから、力強いソプラノで歌うが、キャサリンのは時として強く、時として囁くようにピアニシモの美しい済んだ声で歌い上げる。彼女の声には、他のソプラノ歌手にない独特の輝きがある。

皇帝ティトにイタリア人テノール、ジョゼッペ フィルアントニ。セストにエストニア人のメゾソプラノ歌手、エリナ ガランチャ。ソプラノのヴィテリアにバーバラ フリットリ。セルヴィリアにイギリス人ルーシー クロウ。細身で美貌の男役アンニオに ケイト リンゼイで、すごい人気だった。みんなとても良かった。
日曜日の午後、ポップコーンとアイスクリームかじりながら こんな素敵な舞台に浸れるなんて何という贅沢な幸せだろう。オットは終始寝ていたが、、、。

2012年12月12日水曜日

映画「人生の特等席」

 
      
原題:THE TROUBLE WITH THE CURVE

監督:ロバート ローレンツ
キャスト
ガス  :クリント イーストィウッド
ミッキー:エイミー アダムス
ジョニー:ジャステイン テイバーレイク
ビート :ジョン グッドマン

クリント イーストウッドは私の人生で、いつもヒーローだった。
小学生のときに「ローハイド」、中学生のときにマカロニウェスタン、「荒野の用心棒」、大学生で 「ダーテイーハリー」、大人になって、「許されざる者」。中年になって「マデイソン郡の橋」や「ミステイックリバー」。ババになって、「ミリオンダラーベイビー」、「グラントリノ」そしてさらに、この映画「人生の特等席」だ。
彼が一生かかって描いてきたものが、そのまま私の人生の軌跡に重なる。だから82歳の彼が元気で現役役者や監督でいてくれることが、とても嬉しい。この映画は、恐らく彼が主演を勤める最後の映画になるだろう。これは彼の監督業で右腕になってきたロバート ローレンツが単独で 初めて監督をした映画。イーストウッドの右腕だけあって、音の使い方がうまく、映画全体の起承転結 メリハリの付けかたが秀逸。とてもよく出来た映画だ。
ただ邦題の「人生の、、、」の意味するものはよくわからない。原題をそのまま つけるべきだと思う。「TROUBLE WITH THE CURVE」の題は そのまま訳して、「カーブでトラブル」とか、「カーブが難問」とかの意味。

ストーリーは
ガスはメジャーリーグ、ボストンレッドソックスのスカウトマン。毎年有能な新人を発掘してチームに入れて成功させている。スカウトマンの中で一番古くからチームに貢献してきて、本当に使い物になるスターを見出すことで仲間からも ライバルチームのスカウトマンたちからも一目置かれていた。
しかし寄る年波には勝てない。ガスは新聞を読むにも眼鏡だけでは活字が見えなくて、虫眼鏡が要るようになった。視野の中心部がぼやけて足元が危うくて、よく転ぶ。医者からは黄班部変性か緑内障なので早く専門医に行って治療が必要だと言われている。スカウトマンのボス、ビートからは 何時引退するのか、と問われている。
しかしガスは聴く耳を持たない。大丈夫。今までも上手にやって来た、これからもやっていけるさ。スカウトマンは街から街へ 旅を続けて新人を見出す。ゆっくり家で腰を下ろしている暇などないのだ。

彼には自慢の娘がいる。33歳 独身の弁護士ミッキーだ。彼女は若いのにやり手で努力家。実績を買われて名のあるファームの招聘されている。名誉なことだ。恋人も弁護士で将来結婚するつもりでいる。
ガスのボス、ビートがある日、弁護士事務所に訪ねてくる。ビートはミッキーが赤ちゃんの頃から知っている。ミッキーは6歳で母親を亡くし、幼いうちからいつもガスに引っ付いていたからだ。彼は、ガスがどこか、体の調子が悪いのでは無いかと言う。そういわれると、忙しくてこのごろ疎遠にしていた父親が心配。でも、訪ねてみると頑固親爺は娘をうるさがるばかり。目医者に行くなど、とんでもない。不健康な食生活、酒も葉巻も手放せない。娘を怒らせて、サッサと返すだけの父親。

ある町にすごい新人バッターが出現。ガスを始めとして各チームのスカウトマンが町に乗り込んでくる。ガスを追って、ミッキーもこの町に。新人バッターは、皆の目の前で ジャンジャンボールをかっ飛ばす。どのチームもこの新人は「買い」だ、という中で、ガスはひとり反対する。新人は手を捻ってバットを握っている。これではカーブは打てない。とガスは言う。しかし眼鏡をかけても遠くが見えないガスの言うことなど誰も聞かない。ガスは、新人がボールをバットに当てる時の「音」だけで、バッターの欠点がわかったのだ。ガスの主張を娘のミッキーだけは信じる。父が強情に言い張る時は 絶対に正しい。しかし、「音でわかる」と言うガスをみんなは笑いものにして、この新人をチームは買う。

ミッキーは他のチームのスカウトマンをしている青年に 新しい恋をしていた。相手は、ガスが昔、見出したピッチャーのジョニーだ。彼は腕を痛めてプロから脱落、今はブロードキャストを目指しながらスカウトマンをやっている。ガスもミッキーもこの新人は「止め」というのでスカウトしなかった。しかし、ガスのチーム、レッドソックスは この新人を買った。ジョニーは、ガスとミッキーが自分を裏切ったと思って、怒って町を去っていく。ガスも 自分の意見を聞かずに カーブも打てないバッターを買ったチームの首脳陣に怒って、町から引き上げる。

しかし、町に残ったミッキーは、そこで埋もれていた とんでもない実力のあるピッチャーを見つける。ホテルの下働きをしている青年だった。ミッキーは、彼の投球するカーブに惚れこんで、彼を連れてレッドソックスの本部に乗り込む。そこでガスもビートも見ている前で 買ったばかりの新人バッターが この青年の投げるカーブも、ストライクさえも打てない醜態を見せて、父親の言ったことが真実だったことを証明してみせたのだった。
というおはなし。

父と娘の絆の深さに胸がジンと滲みる。老練のスカウトマンの正しさを娘が実証して仇をとる痛快な終わり方に拍手。この父にしてこの娘あり。やったぜい。最後に年をとったクリント イーストウッドがひとり歩み去る後姿が、娘との二人三脚の歓び、人生の喜怒哀楽を語っている。

それにしても、クリント イーストウッドはなんと「男」であることか。バーで33歳の娘に言い寄る男が出てきたとたんに、ぶん殴りに飛び込んでいく。転んでも人の手を借りない。だいたい転んだことを認めない。娘を和解しても抱き合わない。手も触れないし、肩に手を置く事もしない。ハローと言って軽く抱き合い、行ってらっしゃい お帰りと言い合い頬にキスする習慣の国で 彼は全然誰も抱いたりしない。するのは男と男の握手だけ。

家事ができない。夕食は冷蔵庫に入れっぱなしの食べかけの缶スパムのランチョンミート。これを直接フォークで口に掻き込む。または、フライパンで焼きすぎて真っ黒になった肉。朝食兼ランチは出前のピザ。葉巻タバコを手放せず、夜になれば勿論呑む。なんと偏った不健康な食事と生活態度、、、これが男だ。
「グラントリノ」でも誕生日に、でっかいバースデイケーキと 老人用の文字盤が大きい電話、落ちたものを拾える杖など持ってきた息子夫婦に怒ってどなり帰す。プレゼントはぶん投げて帰すが バースデイケーキは夕食に食べようとして 隣人にバーベキューに呼ばれるシーンがある。
彼の初期の頃の「ローハイド」では、彼はいつもアルミの皿に、「また豆かよ。」と文句を言いつつまずそうにスプーンで豆をすくって食べていた。彼の出てくる映画で彼が 健康的でおいしそうな食べ物を食べているシーンを見たことが無い。男もつらいな。

ガスがもう30年近く前に亡くなった妻の墓で妻に語りかけるのは「ユーアーマイサンシャイン」の歌詞だ。

   「おまえが俺には太陽の光
   俺には この光があるだけさ
   おまえだけが、この俺を幸せにしてくれる
   ー
   どうかこの俺からお前の光をうばわないでくれ」

泣かせる。妻が生きていた頃 優しい言葉ひとつかけてやらなかったに違いないが、墓に向かってなら、本心を言える。それでいて、残った唯一のサンシャインである娘に向かって、帰れ、帰れとどなりつけるだけで、まともな話しをしようとしない。こんな不器用な扱いのむずかしい親爺 まったくお手上げだ。

娘役のエイミー アダムスが良い。頑固親爺に意地っ張り娘。とてもきれいな目をした女優だ。わたしの愛用のLONGCAMPのバッグを映画のなかで使っていて、なんか、嬉しかった。
彼女の恋人になる元ピッチャーのジャステイン テインバーレイクの役者ぶりには恐れ入る。「ソーシャルネットワーク」でも良かった。ラッパー音楽家だけでなく役者としても一級だ。一芸ニ芸秀でている。
オットは、オージーでクリケットしか見ないので、野球をほとんど知らなかった。でもこの映画で ストライクもカーブも変化球も しっかり勉強できて、野球の面白さに目覚めた。ふりしぼったバットがみごとにヒットするときの 気持ちの良い音、キャッチャーとのやりとりの面白み、ピッチャーの豪快な投げ、など、たくさん映画で経験することができて、とても喜んでいる。

イーストウッドが口ずさむ「ユーアーマイサンシャイン」を聞いて、どうしてもギターで弾きながら歌いたくなった。一念発起して半世紀ぶりにギターを手にしてみよう。
とても心に響く良い映画だ。

2012年12月11日火曜日

映画 「ザ セッション」

                            
原題:THE SESSIONS

監督:ベン レウィン
キャスト
マーク オブライエン:ジョン ホーク
チェリー グリーン :ヘレン ハント

米国の作家、マーク オブライエンの自叙伝を映画化したもの。独立系プロダクションによる小作品。サンダース映画祭で上映され、観客賞を受賞し、スタンデイングオべーションとなった作品。

マーク オブライエンは6歳のときにポリオを患い、首から下の全身麻痺、人口肺(鉄の肺)の助けが無ければ呼吸も自由に出来ない。ストレッチャーに横臥したままの姿勢で ベッドに取り付けられた酸素を吸入しながら、学校にも行き、大学も優秀な成績で学位をとった。大学を出たあとは、アパートで猫と一人暮らし、生活の何もかもヘルパーに頼っている。
書き物は口でくわえたペンでタイプライターに活字をタイプする。電話も口でくわえた棒でダイヤルをまわす。

下半身に感覚はないが、性機能はあるらしい。寝たきりで自分で性器を見ることは出来ないが、異様な感触は残っている。38歳になったある日、彼は人並みに性体験を持ちたいと考えて 親しくしている神父に相談する。様々な人の協力を得て、彼はチェリーというセックスセラピストなる女性に出会う。彼女は、家庭をもって、理解ある夫と息子を持った普通の女性だ。セックスセラピストと娼婦の違いは高額のお金をとるかどうかの違い、とチェリーはさばさばと、のたまう。

セックスセラピーのセッションが始まると、彼女は 患者に男と女の体の違いを良く理解し、互いに体を触れ合ううちに共に、満足の得られる性行為ができるようになるまで セラピーが続けられることを説明する。マークは、四肢が麻痺していて、話をすることは出来ても顔を自由に動かすことが出来ない。チェリーに体を触れられ、次第に興奮して思いを遂げられるようになるまでセッションは続く。マークは当然のように、チェリーに想いを寄せるようになる。ここまで親身になってケアしてくれる人が 今まで他に居ただろうか。マークはペンを口にくわえて、チェリーに思いつくまま 愛の詩を書いて、チェリーに送る。
チェリーのほうは これはあくまでセラピーで仕事は仕事と考え、彼女の夫も息子も医療における彼女の仕事の重要性を理解している。しかしマークから美しい詩が届くようになると、チェリーはマークの純真さに魅かれ始めていた。それで、、。
というお話。

マーク オブライエンは実際6歳から49歳で亡くなるまで、人生のほとんどの時間を鉄の肺の中で過ごした。鉄の肺とは、首から下を鉄でできた棺桶のような箱に全身を入れ高圧酸素を流す治療方法。今でも潜水病の治療などに使っている。この映画を製作したオーストラリア人の監督、ベン レウィンも小児麻痺で障害を持ち、杖をついている。

障害者で24時間他人の世話がなければ生きていくことが出来ない全身麻痺の状態、勿論便や尿文字分ではコントロールできない失禁状態の男が 一人前にセックスが出来るようになり 彼を取り巻く何人もの女性達と冗談を言い合い心の交流をする。前を向いて生きていくマークの勇気がまぶしい。

停電になって アパートの電気が止まり鉄の肺に圧縮酸素が送られなくなって死にかかったり、猫が横を通って毛を落としていって、鼻がかゆいがかくことが出来ない自分を、心の中で鼻を掻くことで自分を笑うシーンがある。自分で自分を笑う精神の強さに目を瞠る。決して弱気にならず、常にユーモアをもって前を向いて生きている。亡くなったときは、たくさんの女性から 惜しまれて逝く。

稀有な映画。
マーク役のジョン ホークは出演中に熱演して自分の脊椎を痛めてしまい、病院のお世話になったそうだ。一方、セラピストのヘレン ハントは49歳とは思えない美しい全裸を惜しげもなくさらけ出して出演している。知性派女優でナチュラル志向。この映画でもマゾヒストではないかと思うほど 女の体をマークに理解させるために、マークの顔にまたがったり、生の自分をさらけだしてセラピスト役をこなしている。彼女は、ジャック ニコルソン共演の「AS GOOD AS IT GETS」でオスカーを受賞している。自然派で整形手術やボトックスなどを拒否、自分で脚本を書いて監督した「THEN SHE FOUND ME」という作品では 49歳、全く化粧なしの体当たり演技をしてみせて話題になった。

マークが亡くなって アパートに残された鉄の肺の無用な姿。そこにマークが残した猫が乗っている最後のシーンが いつまでも心に残っている。

2012年12月9日日曜日

英国の看護士の自死について

オーストラりアで看護士の資格を得たとき、しつこいくらいに教育されたことが、コンフィデンシャルだった。もともとオーストラリアを含む欧米では個人主義が徹底している。隣の住人や同僚が ギャンブル狂だったり アル中だったり、レスビアンだったり 母子家庭だったりしても関係ない。まして職場で知り得た患者の個人情報はコンフィデンシャルで他人に決して漏らしてはならない。医療従事者として、秘密情報は守らなければならない。人の生と死にかかわる場だから、慎重になるのは当然だ。


勤務を交代するときに引継ぎをするが、普通は引継ぎ用紙と口頭で行う。そこに診断名は書かない。エイズをもっているか、肝炎などの感染症を持っているかなども書かない。他人の手に渡ったら困るからだ。情報の中でどうしても伝えなければならないことは口頭で伝えて証拠を残さない。診断名、治療経過、検査結果、ドクターノート、看護記録などは、ひとつのファイルになっていて、ステーションから持ち出すことが出来ない。厳重に管理されている。

オーストラリアのラジオステーションでホストが 入院して妊娠が発表されたばかりのウィリアム王子の妻ケイトの状態を エリザベス女王の声を真似て問い合わせ、担当看護士が電話で答えてしまったことで、電話を取り次いだ看護士が自殺した。英国でもオーストラリアでもトップニュースで伝えられ、このラジオ番組のホストは、激しくバッシングされている。
オーストラリアは国土が広く人口が少ないので、公共の交通機関が未整備なため、多くの人々は車で移動することを強いられている。24時間ラジオ番組を耳にしながら人々は ニュースを聞き、音楽を聴き、たれながされるゴシップを聞かされている。問題になったラジオ番組は以前にも たちの悪いゴシップとプライバシーの侵害で警告を受けていた。このラジオ番組は、閉鎖されるだろうし、二人の男女のホストも仕事を干されるだろう。

私は基本的には権力を笑う、皇室を笑うのは 悪いことではないと思っている。働いても働いても 家など買えない。そんな庶民が毎日働いた給料から38%の税金を取られ、10%の消費税まで取られ、そういった税金で働きもしない皇室やその家族を養っているのはおかしい。日本の皇室も外交と研究だけでなく、消防署や保健所や災害対策などで汗を流して働くべきだと思う。だから、庶民感覚として皇室を笑う、おちょくるのは自然の反応だ。だからといって、この番組ホストたちを擁護する気はないけれど。

今回エリザベス女王の声に惑わされて 患者の担当看護士に電話をつないだ看護士が亡くなったことで、病院当局は「わたしたちはこの看護士たちを攻めていない。」と必死で弁明し、ラジオ番組のホストを責めていたが、責任の取り違いだ。もし何事も起きていなかったら、当然病院当局は 二人の看護士を諮問して、コンフィデンシャルに関してプロフェッショナルでなかった として、何らかの処分をしていただろう。看護士免許の剥奪や停職は無かったに違いないが、注意勧告、位の処分は出ていただろう。

病棟に勤めていると 患者の家族からの電話の問い合わせは多い。問い合わせには担当看護士が対応するがコンフィデンシャルには注意している。状態の悪い患者の家族が 電話で問い合わせてきた時など家族であることを確認して答えるが、遠い親戚や外国にいる息子とか保険会社とか警察とかの問い合わせには 本人が直接病院に来るまで 電話では答えない。癌診断の下りた患者のことを知りたがる保険会社、交通事故の示談のために情報が欲しい人など、患者情報が犯罪に利用されることも多々あるからだ。

イタリア人のビッグママが入院したときは まいった。毎日毎日朝昼晩と、世界中に散らばっている9人の息子達、嫁達、子供達またその親戚や近所の人々が、ママの状態を知りたがって電話してくる。電話ではあなたが本当の息子かどうかわからないから説明できない、というが早いが、マーマ マーマと涙声で大騒ぎ。自分がどんなに良い息子か延々と話す。電話は鳴りっぱなし。病棟では25人の患者が、携帯心電図を胸につけモニターしている。その内どの患者も、いつ心臓が止まっても不思議でない状態のときに、マーマ マーマとやられると、電話を叩き付けたくなる。でもどんなに憎まれてもコンフィデンシャルは譲れない。

癌末期の夫が今日、明日逝ってしまうかもしれない。気使う老いた その妻が電話をしてくれば、心をこめてご主人の一挙一動を電話で伝える。ご主人は朝ごはんを全部食べましたよ、あなたもしっかり召し上がってね、と。
看護士をやっていれば、いやがる患者に苦い薬を飲ませてブン殴られそうになったり、浣腸して蹴飛ばされたりもする。家に帰って患者の名前を出してあんなことあった、こんなことあった としゃべって愚痴をこぼしたいこともある。しかし、コンフィデンシャルは譲れないのだ。

2012年12月7日金曜日

映画 「アルゴ」

         
イランは、紀元前から誇り高いオリエントの大帝国だった。

1979年のイスラム革命によって 宗教上の指導者、ホメイニ師が国の最高権力を握り、イスラム共和国を樹立、真のイランの誇りを取り戻した。
それまでのバフラビ政権は、米国の傀儡政権だった。

イランは、石油ではOPEC第2位の石油産出国、天然ガスもロシアに続いて世界第2位の埋蔵量を持つ。英国も米国も、イランという宝の山を確保しようと イランに介入し続けてきた。この1979年イラン革命で、イラン政府は、米国のパペットだった逃亡中のバフラビ皇帝の身柄引渡しを要求したが、当時のカーター米大統領は拒否、イランに対して在米資産を接収し、国交断絶、経済制裁を実施した。その結果、怒ったイラン国民と新政府によって、反米をスローガンに大規模な反米デモストレーションが各地で起きた。怒り暴徒化した市民は、テヘランのアメリカ大使館を占拠して、52人のアメリカ人の外交官を人質にとる。
このとき、ドサクサの中で6人の職員が大使館を脱出し、カナダ大使公邸に逃げ込み保護される。

映画「アルゴ」は、ここから始まる。この出来事について米国側に正義はない。イラン政権による米国大使館占拠は、米国の利益のためにイランという国を蹂躙してきた米国の国策による結果のひとつにすぎない。そして犠牲者はいつも国からきり捨てられた 無力で一介の市民だ。
ストーリーは
カナダ大使公邸の地下に匿われた6人のアメリカ人大使館職員は、高まる反米の社会状況の中で、外に出る事も、封鎖された空港から脱出する事もできない。すべてのアメリカ人は、スパイとみなされている。イラン革命の象徴のように、街頭には処刑されたアメリカ人が、クレーンで吊るされている。空港ではアメリカで教育を受けたイラン人がチェックをして アメリカンアクセントをもつ外国人はすべて捕らえられている。

CIA工作本部技術部のトニー メンデスは、6人の大使館職員をカナダ大使公邸から脱出させるための策を考える。「アルゴ」という架空のSF映画を撮影することにして、映画監督としてイランに入国、首尾良く6人と合流し、全員を、イランから脱出させた。CIAの秘密工作だったので、事実は公表されずにいたという。これを映画化したもの。

監督:ベン アフレック
製作:ジョージ クルーニー、ベン アフレック
原作:アントニオ J メンデス「MASTER OF DISGUISE」
    ジョシュア パーマン「THE GREAT ESCAPE」

ベン アフレックが監督、主演している。
この映画では、ベン アフレック以外に目立った役者は居ない。美男美女も出て来ない。名前を出しても 誰が誰かわからないから、出演キャストは省く。
ベン アフレックは40歳。バークレー生まれで、ハーバート大学卒の母親をもちリベラルな家庭で育つ。8歳の時から近所に同年のマット デーモンが住んで居て、今に至るまでずっと親友。ふたりで共同で映画制作会社ライブ ネットを設立して映画の脚本、製作を手がけている。社会活動もリベラリストとして活発に行っている。

「グッドウィルハンテイング旅立ち」は、この二人で脚本から製作、主演まで共同製作したものだが、アカデミー脚本賞、助演男優勝、ゴールデン グローブをもらっている。当時、無名だったマット デーモンは、天才的な頭脳を持った掃除夫、ベン アフレックは 彼を見出す心理学者を好演している。とても印象深い映画だ。
2001年「パールハーバー」では、ベン アフレックは恋人を寝取られる純真な青年を演じ、2009年では「消されたヘッドライン」で、たちの悪い国会議員を主演している。

でも、この「アルゴ」が、ベン アフレックの主演作のなかで一番良い。口数が少なく、ボサーとしているようで無造作に見えるが CIA工作員として緻密に計算された動きで確実を手に入れる。カナダ大使公邸の地下で陽の光を浴びることがでいないまま数ヶ月くすぶっている。その6人が6様に絶望感に覆われ不安と不信でいらだっている時 ばらばらになった6人の気持ちをひとつにまとめる度量がある。彼が少ない言葉で6人から全幅の信頼を獲得する経過は、まるで心理劇をみているようだ。迫力がある。
米国人を見つけて、公衆の前で断罪 処刑しろと 目の色をかえて米国人狩りをする群集の只中を通過するシーンや 空港でのパスポートのチェックなど、恐怖で心臓が口から飛び出てきそうなハラハラドキドキのシーンがたくさんある。

結果として、イラン革命を評価するかどうかに関係なく 映画としてCIAに救出された6人に共感できる秀作に出来上がっている。

ベン アフレックは こんないハンサムだったのか。彼の出演作を沢山見てきているが 間の抜けた顔とは感じていても、一度も良い顔だと思ったことが無かったが、今回、前髪をボサボサに下げて、ヒゲも口の周りに伸び放題にしてみると、画面で大写しになった顔をどこから見てもハンサムなのに、びっくりした。この時代、1970年代は思い返してみると みな長髪、ひげ面が主流だったんだな。いま見ると 人によっては、むさ苦しいだけだが ベン アフレックの長髪、ひげ面は高感度100%。今後もこれで行って貰いたい。

イラン国民の悲願だった米国傀儡政権が打倒されたあとも、イランは 米国を中心とする国際社会から、経済制裁や核疑惑を受け、厳しい道を歩んでいる。2005年から保守派のマフムド アクマデイネジャードが大統領になって、強権を主導しているが、米国はイラン政権を揺るがす反政府運動を裏で組織して内政干渉を繰り返している。
イランの核開発について、イランが核兵器を持っていないことは、米国CIAの調査でも IAEAの調査でも明確になっているが、政治の駆け引きのために、明確にせず核兵器を持っているような扱いをして、イランの核が国際社会の安全を脅かしているような米国主導の宣伝ばかりが繰り返されてきた。
しかし、米国の経済不況と国内の失業者など深刻な問題で国際社会への影響力が少なくなるに連れて、今後はこれまでとは違った状況になってくる。イラクは力を蓄えて、今後はイスラム国家の指導的役割を与えられ、オピニオンリーダーとしてイスラム社会を拡大していくだろう。そして美しいペルシャ語を語る人々が、紀元前から営んできた過去の栄光を取り戻していくことだろう。
いろんな事を考えさせる、良い映画だ。