2009年6月30日火曜日

映画 「恥辱」




映画「ディスグレイス」(恥辱)を観た。
原作:南アフリカ人作家でノーベル文学賞受賞者 クツツエー(J M COETZEE’S)。
監督:ステーブ ヤコブ。
脚本:アンナ マリア モンティセりー(監督の妻)
キャスト:ジョン マルコビッチ (デビッド ローリー教授)      
    ジェシカ ハインツ (娘ルーシー)

ストーリーは
アパルトヘイトが撤廃された 南アフリカが舞台だ。
ケイプタウンで イギリス人大学教授デビッド ローリー52歳は 古典文学を教えている。詩人バイロン 後期の生き方に共鳴していて 自堕落でデカダンな日々に自分の晩年の日々を重ね合わせている。2度の離婚を経て 愛を求める心に変わりはないが 退屈で満たされることのない生活。家に帰れば 趣味の作曲など、嗜んでいる。

ある日、教え子のなかで ひときわ目立つ生徒メラニーを、半ば強引に誘って関係を持つ。メラニーは同僚の大学教授の娘だった。デビッドは関係を継続させようとして、メラニーが授業に出てこなくなっても、来ている様に 出席簿を改ざんする。事態が表面化してきて、当然ながら、学生達からバッシングされる。ついに、大学管理委員会から 召喚されて事情説明を求められるが、バイロン信奉者のデビッドにとっては、ラブ スキャンダルも 姦通罪も 懲戒免職もこわくない。何の未練も 反省も後悔もなく サッサと潔く大学を立ち去ってしまう。

おさまらない学生達からのバッシングに ちょっとだけ傷ついて、デビッドは イースタンケープの田舎で 友達と暮らしているという娘に会いに行く。
行ってみると、予想外に 都会から離れた田舎で 娘のルーシーは たった一人で犬たちと生活していた。ナチュラリストのルーシーは 堆肥を作り、野菜と花を栽培して市場で売って、細々と生計を立てていた。若い娘が一人、無用心な家に、犬の世話をしているアフロアフリカンのぺトラを自由に出入りさせている娘の様子に驚愕したデビッドは、娘が心配で仕方がない。アパルトヘイト撤廃後 南アフリカは無秩序、無警察社会になっていて、田舎でも危険極まりない。にも拘らず、この田舎の人々は 昔のままの生活を維持しているのだった。

そしてデビッドの悪い予感が的中して ある日、3人のアフリカーナのギャングに襲わて暴行される。ルーシーは3人のギャングに輪姦され、デビッドは石油を浴びせられ 火をつけられて半死状態で助けられる。圧倒的多数のアフリカンの国で 僅かに生き残る白人社会。長いアパルトヘイトの歴史の抑圧がなくなったばかりの時期に 白人社会が無事でいることは、難しい。デビッドは必死でルーシーに、離婚して別れたルーシの母親が暮らしているオランダに 行くように忠告する。 しかし、ルーシーは 暴力を受けても、暴力で跳ね返すことも、警察など第3者の介入を求めることも、外国に逃亡することも 拒否する。デビッドの助言や忠告や懇願に、聞く耳をもたず、ナチュラリストとして 自分に与えられた土地で大地を母として、生きていく という。

デビッドは娘が性的に辱められ 自分も暴行されて 初めて、自分が学生に関係を強要したことの罪を知る。そして、心から謝罪するために かつての同僚の家に行き ひざまずいて許しを請う。
ルーシーは 3人のギャングによる輪姦の結果、妊娠する。彼女は それが何の結果だったにしろ、母として命を受けたものを産み育てて その土地で生きて死んで生きたいと言う。
そんな娘を 自分とは考えが違っても、デビッドは父親としてささえて生きていく決意をする。
というストーリー。

テーマは、人種差別、男女間の性暴力、女の自立 など、重い現実の課題すべてを含んでいる。 まず、南アフリカが アパルトヘイトがなくなって、民主化したというきれいごとと同時に 大量の教育を受ける機会のなかったアフリカーナが抑圧から解放され自由になったことによって、力と武器が支配する暴力社会に 一挙に後退したこと。今まで搾取してきた白人大規模農園主が追われたあと、土地問題を政府がコントロールできていないこと。くい止めることの出来ない ジンバブエや 他の内戦から逃れてきた難民、貧困の蔓延、アフリカーナの中での貧富格差の拡大、労働人口の30%がエイズ感染者という現状、こうした中で、南アフリカは 世界一治安の悪い国になった。

力と武器が支配する暴力社会で、人が人たる生き方をするために 何を犠牲にしなければならないのか。 ルーシーは 何年も苦労して作ってきた 唯一の生計である菜園をつぶされ 可愛がってきた人生の伴侶の犬たちを殺され、輪姦され、妊娠させられ、自分を守ろうとした父親を半死の目にあわされた。長年信頼していた作男のぺトラが 3人のギャングを誘導した共犯だった ということも知った。過疎地では警察の力もあてにできない。 それでも 四面楚歌のなかで女ひとり 大地を母として、自分の足で自然とともに生きて行こうとしている。 ものすごいパワー。頑固者、自己満足にもほどがある。 しかし、考えみれば、女にとって安全な場はあるだろうか。あると思うのは幻想にすぎないのではないか。 ルーシーの頑固なまでの自立は、南アフリカの白人の姿そのものではないか。貧しいオランダで食うに食えず アフリカに入植して根っこを張った南アフリカの白人のパワーそのものなのかもしれない。

ルーシーが イングリッシュ テイーを飲みながら 読んでいるのは ディケンズ。それをみて笑うデイビッドは バイロンの詩集を肌身離さず持っている。デイビッドが運転する車では 最大ボリュームの音響で オペラ「ナブコ」のコワイヤーが鳴り響いている。彼もまた自己耽美派の個の強い 南アフリカの白人なのだ。

ルーシー役のジェシカ ハインズも良いが、やはり この映画はジョン マルコビッチのテイストでこそ 成功している。マルコビッチの ひとり舞台のようなものだ。 気の進まないワインの相手をして はっきりと嫌がっている女学生を高級レストランに誘い バイロンを口ずさんで ベッドの強引に引きずり込む嫌味な男の役も マルコビッチがやると 本当にムシズがはしる。大自然の中で 娘の強い生き方に啓発される気の弱い男の役を マルコビッチがやると 本当に哀れで 寂しげで消え入りそうだ。でも娘の生きかたにすこしでも寄り添って生きたいと 心に決めるマルコビッチは 最後には抱きしめてやりたくなる。気弱な男から、極悪人まで 上手に演じ分けることの出来る 稀な 立派な役者だ。
見ごたえのある映画だった。 

2009年6月28日日曜日

映画「サンシャイン クリーニング」


映画「SUNSHINE CLEANING」を観た。
サンダース映画祭でグランドジュリー賞にノミネイトされた映画。 サンダース映画祭は俳優で監督の ロバート レッドフォードによって、若い独立プロの映画人を育成する為の教育の一環として開かれている映画祭。

監督:クリステイン ジェフ
キャスト: エイミー アダムス(ローズ役)      
エミリー ブラント(ノーラ役)       
          アラン アーキン (父)
ストーリーは
高校時代は チアガールのキャプテン 人気者だったローズ ローコフスキーは、いまや30代のシングルマザー。小学生の息子をかかえて、掃除婦として生活に四苦八苦している。 妹のノーラも 30近くなっても、ウェイトレスや様々な仕事が身に付かず、いまだ父の家から 自立できずに居候している。男やもめの父は、いつも新事業の成功を夢みて 試みるが うまくいかず失敗ばかりしている。そろいもそろって、人生負け組家族の面々だ。 ローズとノーラが まだ幼かった頃に 女優だった母親が自殺してしまって、母を失くした事で 3人は3様の心の傷をかかえている。

ある日、掃除婦ローズは 自殺した人の家の掃除 後片付けを頼まれて、いやいや血の飛び散った家を掃除した後、それが法外な収入になることを知らされる。その経験に触発されて、犯罪現場の清掃業をはじめることにする。妹を誘って 必要道具をそろえ、車を買って プロの清掃業社 その名を、サンシャイン クリーニング。

ローズもノーラも はじめは鮮血の飛び散る部屋や、たっぷり血のしみこんだベッドなどにひるんでいたが、度胸もついてきて、身内の死なれて、残された人々を慰めてあげられるだけの度量もついてくる。また犯罪に巻き込まれたり、自殺した人々の姿を 想像することで、死んでいった人々の心のありようも 見つめることができるようになっていくのだった。新しい仕事について、様々な人と出会い 失敗も重ねていって、、、。 というおはなし。

コメデイーということになっている。 たしかに 新事業を思いついて即、のめりこんでは 失敗ばかりしている懲りない父親は笑わせる。またシングルマザーのローズと 落ちこぼれノーラが おどろおどろしい犯罪現場で格闘すればするほど おかしくてすごく笑える。

しかし本当の映画のテーマは「心の癒し」だ。3人は3人とも 自殺してしまった母親が恋しくて 悲しくて仕方がない。母親を失った心の傷を 犯罪現場で死んでいった人々の心に共感して、死者の心に寄り添うことによって 埋めようとしている。死者が残していったものをきれいにして、処分することによって 死者の尊厳をとりもどしてやっている。残された家族のとなりに座ってあげることによって 家族だけでなく自分の心もまた なぐさめているのだ。

そうったヒーリングプロセスが 笑いながらも心に響く。

人はみな心に見えない傷をもっている。年をとるということは 小さいときに作った傷に 傷を重ねて大きくしていくことにすぎない と言うことも出来るし、傷を自ら癒し 治していくことが人生だ ということもできる。癒す、治す と簡単に言うが 傷から自らを解放してやることが どんなに大変なことか、、。

ローズ役のエミー アダムスが、裕福な暮らしをしていることが一目瞭然の昔のハイスクールクラスメイトたちに会って、自分の職業が掃除婦だと言えずにいる時や 怒ったり泣きたくても 笑顔をみせる様子が けなげで泣かせる。シングルマザーのがむしゃらぶりが とても良い。

ノーラ役のエミリー ブラントイギリス女優だが、「プラダを着た魔女」でデビュー、演技派若手女優の注目株だ。こんどは、「ヤング ビクトリア」という新作で ビクトリア女王の大役を演じる。ビクトリア女王は シドニーの街の中央 タウンホールの横に数百トンの銅像になって鎮座しているが、彼女のイギリスの歴史になくてはならないドラマチックな人生を演じることになって、俳優としては、とても嬉しいだろう。この映画では いくつになっても母親が、恋しくて母親が身に着けていた羽毛で頬をなで、母親が吸っていたタバコの吸殻を口にして、自分の弱気に耐えているノーラの姿に しんみりさせられる。

総じてコメデイーだが二人の娘達のがんばりがおかしくて、哀しくて ほろ苦い。
小作品だが、心に訴える力をもっている。

2009年6月20日土曜日

映画「カチン」


ポーランドの巨匠 アンジェイ ワイダ監督による 2007年制作 映画「KATYN」を観た。
1939年に起きた「カチンの森 虐殺事件」を描いた作品。
ポーランド軍の大尉だった ワイダの父親も この事件で虐殺されている。ワイダは 長い監督生活のなかで沢山の作品を紡ぎ出したが 彼がずっと溜め込んでいた、一番言いたかったことを この映画で 全部吐露した感がある。

カチンの森の事件が明るみに出たのは 虐殺60年後、21世紀にはいるころだ。真実を語ったものは KGBによって、命を奪われ 監禁され、口を閉じさせられてきたからだ。

第二次世界大戦が始まると、独ソ不可侵条約を結んだ ナチスドイツと、ソビエト連邦は 1939年8月 ポーランドを侵略占領し 分割統治した。1万2千人もの ポーランド軍将校達と、その家族は、ソ連軍の手に引き渡されて ソ連領カチンの森で 秘密警察KGBによって殺された。
しかし、1943年に、ナチスドイツが ソ連に侵攻すると、ソ連はポーランド軍将校達虐殺跡を掘り返し、 これがナチスドイツによる犯罪だ、と報道して 反独のプロパガンダに利用した。生き残った現場の証人や、事実を知るものたちは ソ連の秘密警察によって徹底的に弾圧され、口を封じられてきた。 したがってポーランド人や大多数の人々はカチンの森の大量虐殺事件は、ナチスドイツによる戦争犯罪のひとつとして理解されてきた。クレムリンが 責任はすべて当時のスターリンとKGB秘密警察にあることを認めたのは 最近のことだ。それまで ワイダ監督の父親は「行方不明者」だったわけだ。

映画は、1939年 秋に始まる。 前方からは ドイツ軍による攻撃で追われ、後方からは ソ連軍の侵攻に追われ、市民は大混乱に陥っている。 包囲されたポーランド軍は 武装解除され、1万2千人もの将校などの上級兵だけが集められて、列車でソ連に連行されていく。
次々と占領された建物に翻る紅白のポーランド国旗は 切り裂かれ、半分に残った赤旗だけを 建物に取り付けていくロシア兵たち。野蛮な顔つきのソ連兵達が 旗から取り去った白地の布で靴を磨いているシーンを カメラは淡々と写していく。
映画では架空の2組のポーランド家族を通して ストーリーが進められていく。一組は 父親を連れて行かれた妻と幼い娘。もう一組は 息子を連行された母と幼い妹だ。
映画はドキュメンタリータッチだが 画面が美しい。残された女達、妻、母、娘が みな毅然としている。戦争中でも ワルシャワの町は風格のある かつての古いポーランド王国のたたずまいを残している。女達は きちんとした装いをして 姿勢正しく 決意を表すかのように 硬い音をたてて石畳の街を歩く。毅然とした姿が 貴族達の肖像画を観るように 堂々として輝いている。
二度と帰ってこない父、夫、息子たちを待つ女達が 鋼のような強さで ソ連進駐軍下にあるワルシャワで 真実を追究していく。逮捕されても脅されても 全くひるまない。 スターリン主義に反旗を翻すレジスタンスの青年も まっすぐ前に向かって走っていく。追われて レジスタンスをかくまう 女子高校生の澄んだ目。つかぬ間の淡い恋。若い命が飛び跳ねるような 躍動感。

暗い事件を扱っているのに 画面が暗くない。将校達も一人一人 残酷なやり方で殺されていくのに ただ悲惨なだけではない。最後の最後まで 妻に残すための日記を書き続ける青年将校も 惨めではない。画面が色であふれている。 映画全体に漂う気品。上品で貴族的な空気。かつてのポーランド王国の誇りとヨーロッパの乾いた空気が感じられる。これがワイダの映画なのだろう。抵抗の芸術家、ポーランドの英雄。
ポーランドは 戦争中ドイツ、ソ連、スロバキア、リトアニアの4国に分割占領されていた。1945年にヤルタ会議で かつての領土を取りもどしたが、ソ連による実質支配が 続いた。個人財産はすべて没収され、国有化されて 人々の民主化 自由が日の目をみるには1989年まで 長いこと待たなければならなかった。 ポーランドは何と悲しい国だろう。大国に侵略されてばかり。

ショパンは 愛国者だったが 戦乱のため39歳で亡くなるまで 二度と母国に帰ることができなかった。死後、彼の心臓だけが遺言どおり 故郷に帰って 教会に埋葬された。 ジェイ チョウの、「十一月のショパン」なんという曲もあるけど、、、。 私は ショパンの「軍隊ポロネーズ」が大好き。ちょっと 大仕事をする前、ひるみそうになったり、引っ込み思案になりそうなとき この曲は勇気を奮い立たせてくれる。ショパンの繊細だが しなやかで強い。古典的だが華麗で新しい。気品があって 美しい。

そんな ポーランドのことを考えながら ニュースを見ていたら、6月18日、北アイルランドで ルーマニア人20家族が 人種差別極右グループに襲撃され、警察の保護のもと、長年住んでいた家を捨て 避難地に移住した と報じられた。極右に つけ狙われているので 避難先は極秘だそうだ。そもそも 地元のサッカーゲームで ポーランドがアイルランドに勝ったことが、反ポーリッシュの暴動を起こす契機になったらしい。ポーランド人もルーマニア人も見分けがつかない脳の足りない極右サッカー狂が ポーランド移民やルーマニア移民を襲撃したようだ。警察のものものしい警備のなかで、20家族の脅えた移民たちが 大型バスに乗り込んでいく様子をニュースで見て 言いようのない怒りを感じた。

もとにもどるけど、抵抗の芸術家、ポーランドの英雄、アンジェイ ワイダ。世界中で存命する映画監督のなかで 最も尊敬すべき巨人。1926年生まれ。 1954年作品「世代」、1956年「地下水道」、1958年「灰とダイヤモンド」以上を抵抗の3部作といわれる。

ワイダは、第二次世界大戦では 反独レジスタンス活動家、戦後のソ連進駐下で、反ソレジスタンス活動家、1981年の戒厳令で職を奪われ国外脱出して、映画制作を続けた。 2000年、民主主義と自由を求め続けた芸術家としてアカデミー特別賞を受賞した。現在もまだ現役。
印象に残る「大理石の男」1976年、「鉄の男」1981年など 多いが、やはり 最初にもどって「地下水道」と 「灰とダイヤモンド」が忘れられない。白黒画面が、強烈なインパクトで 人の命の強さと弱さを訴えかけてくる。すごい迫力。

生涯を通じて 権力を恐れず 映画という武器をもって その力と戦い 権力者を糾弾することを止めなかった 孤高の巨人。心から 敬意をこめて この美しい映画「カチン」に拍手を送りたい。

2009年6月11日木曜日

映画「ターミネーター4 サルべーション」







映画「TERMINATOR4 SALVATION 」を観た。
日米豪とも同時公開だったようだ。 「天使と悪魔」も、この「ターミナーター」も、日本と ここラリアと同時公開だったが、作品によっては随分と公開日が ずれる映画もある。「グラントリノ」、「愛を読む人」、「レボリューショナリーロード」など、みな1月末に観たが、日本では公開が遅れたみたい。今年に入って観た映画のなかで、私は「グラントリノ」が 一番好き。何度観ても、泣けて泣けて仕方がない。
日本では ハリウッドものと同時に他の外国映画も入ってきて より多様で幅の広い分野の映画が楽しめるのが うらやましい。日本映画、韓国映画など 年一度のシドニー映画祭で1-2度 上映されるだけで 一般の映画館で公開されることはない。6月のシドニー映画祭で、話題の中国映画 三国志を描いた「レッドクルフ」が来るらしい。

「ターミナーター」は、アーノルド シュワルツネッガーを一躍有名にした 現カルフォルニア州知事にとって、記念的な作品だ。この映画無しに 彼の今の地位はなかっただろう。

1984年、「ターミネーター第一作」では、稲妻とともに タイムマシーンに乗って 地球に送り込まれた カイル リースは サラ コナーと出会う。人よりも優れた人口脳を持った機械軍が 地球に侵入を始めていて 地球をターミネートさせるためのサイボーグ:シュワルツネッガーがサラを殺す目的で 地球にやってくる。カイルとサラとの間に生まれるはずの子供が 将来 機械軍に抵抗するレジスタント リーダーになるので、彼が生まれる前に始末しようとする。そしてカイルはサラを守る為に命を落とす。

1991年、「ターミネーター第二作」では、カイル亡き後 サラが産んだ子供 ジョン コナーはまだ小学生だ。執拗に 送り込まれてくるターミネーターから逃れて、サラは ジョンを守りきる。
ここではシュワルツネッガーは、サラの味方のロボットとして 次々と攻撃をしかけてくるターミネーターと戦って 破壊される。

2003年;「ターミネーター第3作」は スカイネットと呼ばれる軍事コンピューターの機械軍に、サラと少年ジョン コナーは立ち向かうが 人類は壊滅的打撃をうけ、サラは殺される。

どうして「ターミネーター」第一作と第二作が 爆発的にヒットしたのかというと、シュワルツネッガーの ちょっと人間離れした機械的で四角い顔と巨体、ドイツ語なまりの変な英語を話す役者が いかにも未来から地球を滅ぼすためにやってきたサイボーグ役に よくハマっていたからではないだろうか。それが ごく普通の生活をしている女性を襲って殺そうとするのが 限りなく恐ろしかった。サイボーグだから血も涙もない。矢継ぎ早にサラを殺そうと 冷酷無比に攻撃してくる。逃げる方が 必死で逃げれば逃げるほど 怖さが増してくる。そこに地球の将来がかかっている、というストーリーの展開がおもしろい。 サラは 天使ガブリエルに啓示をうけて 処女懐妊してキリストを産むマリアのようだ。

そして、遂に、「ターミネーター第4作 サルべーション」だ。
ジョン コナーはやっと大人になった。抵抗軍のリーダーとして たくさんの世界に散らばるレジスタンスの希望の星として、活躍している。
監督: マックG 配役 
ジョンコナー:クリスチャン ベール   
機械人間マーカス:サム ワーシングトン

ストーリーは
地球は スカイネットによる最終戦争で破れ、壊滅的な被害を受けた。わずかな生存者は、地下に潜伏して 機械軍によるパトロールから逃れ、武器をもって抵抗している。生存者 レジスタンスにとって 指導者ジョン コナーの 電波を通じて 送信されてくる指令は 何よりも勇気を鼓吹してくれる 唯一の励ましだ。抵抗軍の中枢司令部は 海底深く沈んだ潜水艦だ。
サンフランシスコは今や、機械軍スカイネットの中心で、機械工場では ロボットが大量生産されている。次々と生産された ターミネーターたちは、パトロールで人を捕まえては 捕虜にして人質として利用している。

ある日 死刑囚マーカスは 自分の体を人体実験に使われて 体は機械になるが頭脳までは従来の洗脳方法で洗脳されず 人の心をもって再生されてしまった。記憶を喪失していて、地球を彷徨っているところを レジスタンスに拾われる。レジスタンスの様々な人々と出会い、体は機械でも、心は人間のマーカスは ゲリラの女性に恋をする。 ジョン コナーは マーカスが サイボーグであることを知ったが、敵として断定できないまま、スカイネットを破壊する為に 機械軍中枢に侵入するマーカスを 見放すことが出来ない。 そのマーカスは、スカイネットに帰って、自分が何者であるかを知って、、、 というお話。

体は機械なのに 自分では人間だと思っている優しい男、マーカスを演じたのは 新人サム ワーシングトン、33才のオージーだ。
ニコル キッドマンや メル ギブソンや、故ヒース レジャー同様 ラリアで唯一の俳優養成所NIDA出身。 メデイアでは この映画をもって、久々の大型新人登場、、、といっているが ラリアでは 10年前からあちこちで見かける。私が初めて彼を見て 注目するようになったのは、10年前の映画「BOOTS MAN」だ。ニューカッスル炭鉱の街で タップダンスを踊りまくる男達の映画だった。このローカル映画で彼は 主役のハンサム男をだしぬいて、演技で賞賛された。
このとき、どうして役者になったのか、と メデイアに問われて、パースからガールフレンドが俳優になりたくてNIDAの入学オーデイションを受けるので ついてきたが、時間つぶしのために 自分もオーデイションを受けてみたら ガールフレンドは落ちたのに、自分は合格して ふられてしまったので役者の道を歩むことになった と飾りも気負いもなく 言っていた。体ばかり大きくて、田舎っぽくて どこといって特徴のない好青年といったところか。ヒュー ジャックマンのように、洗練されていくかどか 疑問だけど 良い役者ではある。

この映画、主役、ジョン コナーをやっているクリスチャン べイルのアクションがすごい。
もう息をつく暇もなく 人と機械との戦争だ。敵は 巨大ターミネーターになったり、水中タ-ミネーターになったり、バイクターミネーターになったりして、次々と攻撃してくる。

そして、最後の方では、「で で でたーーー!!!」と言う感じで、アーノルド シュワルツネッガーのロボット登場。クリスチャン ベールが 破壊しても破壊しても 再生して攻撃してくる。迫力満々だ。 アクションの好きな男の子にとっては 最高の映画だろう。男の子でもアクション好きでもないが、怖くて思わず キャーキャー言いながら すごく楽しんで観た。

律儀にこの20年間 「ターミネーター」を第一作から 続けて見てきた。昔の作品を観てない若い人たちでも、わかる内容になっている。この4作目から、5,6と、続いて3部作になるのだそうだ。このさき10年かかって、完結するというのなら、もう、乗りかかった船だから、ずっと最後まで 観て応援してあげようじゃないか と思う。

 

2009年6月8日月曜日

映画 「天使と悪魔」







超一流 第一級のスリラーというのは こういう作品のことを言うのだと思う
ダン ブラウン原作、ロン ハワード監督によるアメリカ映画 「天使と悪魔」130分を観た。
2006年「ダ ビンチ コード」に続いて ダン ブラウンによる作品の映画化。作品としては 「天使と悪魔」の方が 2000年に 「ダ ビンチ コード」が2003年に刊行されて 全世界でベストセラーとなった。

主人公は ロバート ラングトン教授。二つの作品を読み比べてみると「天使と悪魔」のときは まだ若かったからか ヘリコプターから飛び降り 空から落ちてきたり、水底に潜って溺れる人を救ったり、何度も全力疾走したり 007並みの大活躍だが、「ダ ビンチ コード」になると 少しだけ肉体派から脱却して 知性の塊となって中年教授の渋みが出てきている。それにしても、ラングトン教授の博識には いつもながら感心、感動、私は大ファン。

監督:ロン ハワード
製作総指揮:ダン ブラウン
音楽:ハンス ジマー
キャスト
ラングトン教授:トム ハンクス
カルメンゴ:ユアン マクレガー
ヴィットリア:アヤレト ズーラー

ストーリーは
ハーバート大学象徴学者のロバート ラングトン教授のところに 突然 スイスにあるヨーロッパ原子核研究所機構から 使いが派遣されて、スイスに招聘される。世界で初めて生成に成功した「反物質」が盗まれ、その「反物質」を作り出した学者が殺された。
無残にも学者の胸にはイルミナテイの紋章が焼印されていた。反物質とは 新しいエネルギーで 放射線の100倍のエネルギー効率を持つ。原子核研究所機構のセットから外されて 盗まれた反物質は 24時間以内に 研究所のセットに返さない限り 爆発する。24時間以内に回収できなかったら 爆発をくい止める方法はない。

時を同じくして バチカンに イルミナテイから脅迫状が届く。「反物質」をバチカンに仕掛けたという。何世紀も前に絶滅したはずの イルミナテイという秘密結社が ヴァチカンのローマ法王の突然死した直後に バチカンを一瞬の内に 跡形もなく吹き飛ばすほどの威力のある新型爆弾を仕掛けた。おまけに 次期ローマ法王候補のうち、もっとも有力候補だった4人の枢機卿が誘拐されており、イルミナテイはその一人一人を一時間ごとに公開処刑する という。
イルミナテイは カトリック教会に身代金を要求しているわけではない。脅迫でもなく、これは宣言であり、何世紀ものあいだ イルミナテイを迫害してきた教会にたいする復讐なのだった。

イルミナテイとは17世紀にできた哲学、科学者の間で作られた組織で、彼らは カトリック教会から迫害されて 地下で秘密組織化されたが、すでに消滅したと考えられてきた。ラングトン教授は イルミナテイの主要メンバーだった 科学者ガリレオが残した著書にヒントを得て 4人の枢機卿が公開処刑される場所を同定して、救助しようとする。反物質の生成を成功させ殺された学者の娘 ヴィットリアも一緒だ。

ガリレオは科学者だったが 敬虔なカトリック教徒でもあった。科学は神の存在を脅かすものではなく むしろそれに説得力を与えるものだと考えていたが 時の権力者 カトリック教会は ガリレオを異端者として裁き 迫害した。イルミナテイの会員のうち4人の科学者は 生きながら胸に十字の紋章を焼印されて公開処刑された。何世紀もたった今、イルミナテイは この恨みを晴らそうと、復讐にでた。

ガリレオは 沢山の著書を残しているが 科学的事実で公表を許されなかった論文や出版社に焚書されたものが多い。ラングトン教授は ガリレオの出版を禁止された著書に、ガリレオの友人で同じくイルミナテイの会員だった 作家ジョン ミルトンの4行詩が書き込みされているのを見つける。 

悪魔の穴開く サンテイの土の墓より
ローマに縦横に現る神秘の元素
光の道が敷かれ 聖なる試練あり
気高き探求 天使の導きあらん

この詩に 誘拐された4人の枢機卿が公開処刑される場所が 隠されている。イルミナテイは 科学の4大元素を 一つずつ4人の枢機卿の胸に 生きたまま焼印を押されて殺す予定だ。4大元素とは 土、空気、火、水。イルミナテイは 午後8時から1時間ごとに 4人の法王候補者を公開処刑して、深夜12時には 反物質が爆発をしてバチカンが跡形もなく爆破される。ラングトン教授とヴィットリア、バチカン警察、スイス警備隊は 猛烈なプレッシャーのなかで 爆弾の発見と 枢機卿の救出に走り回る。

とびきり頭の良いイルミナテイと、時間の限界のなかで これまた天才的な頭脳と行動力を持ったラングトン教授の対決と知恵比べが ものすごくスリリングでおもしろい。時限爆弾が仕掛けられているので 刻一刻、爆発の時が迫っている。もう、気は気ではない。  

法王の死去にともない 新しい法王を選出するコンクラーベ(選挙)までの間 死去した法王の秘書だった若い牧師、カメルレンゴの肩にのしかかった 重大責任と苦悩。カメルレンゴの複雑に 絡み合って解けない 法王への絶対的な愛情と憎しみ。この作品のラングトンに次ぐ 主人公カメルレンゴも、魅力的に描かれている。

読者または観客は 時限爆弾を抱えたまま 暗号を読み解きながら ローマ市内をラングトン教授とともに 走り回る。土、空気、火、水のヒントを探して 意外にもイルミナテイの会員だったベルニーニが彫刻や教会に残した意味を説き解いていく。ローマの地図を頭に描きながら 一通り市内観光をしてしまう。スリル満点。映画の完成度は、「ダ ビンチ コード」より この作品のほうが 高い。
映画を観た人は 本を読むことをお勧めする。本を読んだ人には映画を観ることをお勧めする。とにかくおもしろい。

ダン ブラウンという人、1964年ニューハンプシャー生まれで、45歳。父は数学者、母は宗教音楽家、妻は美術史研究家だそうだ。
「天使と悪魔」、「ダ ビンチ コード」に続く第3弾「THE LOST SYMBOL」が脱稿され、ことしの9月に出版される。
ワシントンを舞台に、フリーメイソンをテーマにした作品らしい。
フリーメイソンは 中世のヨーロッパでギルト社会を守る為に作られた組織だった。それが今でも続いている。チャーチルも ケネデイーも会員だった。入りたくて入れる組織ではない。世界で一番 入会審査の厳しい 今も現存する組織だ。この組織をラングトン教授が どう暴いて解き解いてくれるのか。またまた教授が どう活躍してくれるのか 楽しみだ。出版される日が 待ち望まれる。

2009年6月3日水曜日

娘が結婚したー!


















次女が結婚した。
5月31日 クイーンズランドのハミルトン島で。

娘が もう長いこと この相手と一緒に暮らしていて、彼のいびきがうるさいことも、ちょっと厳しいことを言うと すぐに すねることも、必要なときにフラッと出て行って居なくなることも よくわかっていた。

背ばかりが 高くて ヒョロっとした こんな無知で無教養で、碌な仕事に就いているわけでもなく 金もない 図体ばかりの男のどこが良いのかわからないが、

いつなんどき 瀕死の患者が飛び込んでくるか わからない救急動物病院の救急医を勤める娘には 居心地の良い大きな枕が必要なのか と思い、

ああ、娘はそんなにもストレスにまみれて働いているのか と、不憫に思っていた。

初めて 娘の口から 結婚の言葉が出たときは、腰をぬかして、あせりながら、「あんな奴でいいのか?」と、思わず 男の悪口を100以上並べ立てたが、

後日 再び 娘から 話題が出たときには 覚悟ができていた。

まあ、教養の塊で、責任感があり、立派な仕事を持ち コツコツ貯めた貯金額が高いからといって、必ずしも娘がくたびれているときに 疲れを癒してくれるわけではない。
娘のように スポーツも一通りやり、絵を描き、ヴァイオリンやチェロを弾き、オペラや芝居をよく理解し、詩とたしなみ、様々な芸術作品を紡ぎ出す そんな男が居たとしても、それで、娘をウマが合うとは 限らない。

気が付かないうちに 私も このウドの大木を愛しているみたい。可愛い奴。

そうこれでいい。

結婚おめでとう。

2009年5月27日水曜日

映画「X-MEN オリジンズ ウルバリン」


映画「X-MEN オリジンズ ウルバリン」を観た。この映画、日本では 9月に公開されるみたい。

1963年に 原作 スタン リー、作画ジャック カービーによってマーベルコミックから刊行されたコミックを映画化したもの。 X-MENシリーズは アメリカンコミック史上で 第一位のベストセラーだ。コミックブックだけでなく、映画、テレビアニメ、と対戦格闘ゲームなど、多くの派生作品を生み出した。

この映画は 107分。南アフリカ出身の ギャビン フッド監督。
お話は、前3作の前に さかのぼってくるもので、筋としては ウルバリンの過去と、彼がX-MENの一員になるまでを描いた作品だ。 

「バットマン」も 3作 作られて人気が出てから「バットマン ビギンズ」といって、バットマンの子供のころの生い立ちや バットマンになる契機が語られて それをクリスチャン べールが演じてとても良かった。
トーマス ハリスの「羊達の沈黙」、「ハンニバル」も、映画化され話題になってから、ずっと後になって「ハンニバル ライジング」が 発表されて、迫害され薄幸だったハンニバルの少年時代や 血塗られた学生時代が 映画で描かれた。ハンニバル博士が決して 猟奇的な殺人鬼や、血に飢えた異常者なのではなくて、一人の人間として理解できるようになっている。 「BOURNE ULTIMATUM」も、シリーズで お話が終わった後で、主人公がどうして軍やCIAを敵にまわすことになてしまったのかが、わかる仕組みだ。 ヒーローの人気が出てから ヒーローになる前の過去の物語を映画化するのが 流行っているのか。

X-MENとは 突然変異によって超人的な能力をもって生まれたミュータント集団のこと。
超能力があるために 人類からは差別され、恐れられ 嫌われている。プロフェッサーX こと チャールズ エグゼビア教授は ミュータントが一般人と同等に、権利を認められ ミュータントが誇りを持って生きられる社会にするべきだ という考えに基いて 人類を悪の世界から守る為に X-MEN を組織した。

一方、マグニートは むかしはプロフェッサーXと親友だったが、ホロコーストの生き残りであり その過酷な経験から人を憎み、人類よりも優秀なミュータントは 人を支配してミュータントのための社会を作るべきだという信条をもっている。今回の映画では アクションが大盛り大サービスで、スピード感ある戦闘場面が圧倒的に多い。

ストーリーは
ウルバリンは病弱な少年だった。兄 ビクターと暮らしている。ある日 父親がアルコール中毒で粗暴な男に銃で撃ち殺される。それを見て 怒りにふるえていると、ウルバリンの手から爪が飛び出してきた。思わず爪で男を刺し殺してしまう。人を殺してしまったミュータントのウルバリンとビクターは、追ってくる人達から やっとのことで逃れる。ウルバりンは自分では知らなかったが、兄も自分もミュータントだったのだ。

二人は 国の為にアメリカ市民戦争を戦い、第二次世界大戦に従軍し、ノルマンデイー上陸で戦果を挙げ、ベトナム戦争では、今度ベトナム女性に乱暴をする米兵を殺して、またしても追われる身となる。 ふたりは 肉体再生能力があるので年をとらない。

ある日、秘密情報機関にリクルートされて、ほかに5人の特殊な超能力をもったミュータントたちと一緒に仕事をすることになる。ウルバりンは、超人兵士製造所で 絶対に 壊れることのない超金属アダマンチウムを全身の骨格に移植されてアダマンチウムの刃でできた爪を両手に持つことになった。これで自在に爪を立てれば 車でもヘリコプターでも簡単に潰せるように改造された。秘密情報局は 次々とウルバリンたちを 紛争地帯に送り込み 戦果をあげた。しかし、彼らの 一般人をも巻き込んで殺戮する残酷な兵法に嫌気が差して、ウルバリンは チームから脱退する。

ウルバリンは アラスカの山の中で林業従事者として働き 出会ったエマ フロストという女性と二人きりの 平和で普通の人と同じ静かな暮らしを営んでいた。しかし、チームに脱退は許されない。執念深い兄は エマを殺し 弟をチームにもどすように仕向ける。また、バラバラになっていた5人も それぞれ死の脅迫を受けて 戻ってくる。
仲間同士の激しい争いが繰り広げられ ウルバリンは情報局の本部に乗り込んでいって 司令塔を倒さなければ ミュータントどうしの戦いをやめることが出来ないことを知る。本部に乗り込んでいったウルバリンを待っていたものは、、、 という ストーリー。

XーMENは ヒュー ジャックマンの役者としての輝かしいデビュー作だ。このオージー俳優はXーMENを契機に ハリウッドのアクションスターとして成功、ミュージカル「オズから来た少年」で ブロ-ドウェイ進出、今年はアカデミー賞の舞台でホストという大役を務めた。長身、嫌味のない顔、厚い胸板、肉体派アクションもできるし、歌って踊って良し、スマートなプリンス役もできる マルチタレントの役者だ。同じオージー俳優のメル ギブソンよりも大型で 幅の広い俳優になるかもしれない。

XーMENのおもしろさは 色々なことのできるミュータントが 次々と登場して超能力をみせてくれることだ。いわば、「ドラえもんのポケット」。それぞれがみんな 人間の願望の現われかもしれない。
ウルバりンは 肉体再生能力で年を取らないし 怒ると両手から超合金でできた爪が出てくる。兄のビクターも、年を取らず、狼のように敏捷で、強力な爪を持っている。
プロフェッサーXは 今回の映画ではチラとしか出てこないが テレパシー能力があり、人の心を読んで 操作することが出来る。
サイクロップスは 両目から破壊光線、オプテイック ブラストを発射する。サングラスを外すと 見たものすべてを焼き尽くしてしまう。 悪者マグ二ートーは 磁力を繰り あらゆる金属を意のままにできる。核爆発でも壊れない電磁バリアを張ったり、地球の地殻変動や 火山の噴火も自由自在に起こせる。

今回大活躍の5人のうち エイジェント ゼロは狙撃手で、相手が何人でも 移動しながら確実に敵を倒し 的を外すことはない。ジョン ライスはテレポーターで、自分の体を消して 自由に移動テレポートすることができる。 傭兵 ワイド ウィルソンは 抜群の刀捌きで、飛んでくる銃弾でも矢でも鉄砲でも刀で弾き飛ばすことができる。  クリス ブラッドリーは 磁力があり電気がなくても電流を体から流して電気をつけたり、機械を動かすことが出来る。ガム ピットは 触ったもの すべてを爆発させることができる。
そんなそれぞれ超能力を持ったミュータント同士が 格闘する場面の連続だ。コミックが映画になり ゲームになって男の子達が夢中になって画面に釘付けになるのがわかる気がする。

戦闘の合間にも、ウルバりンとエマとのラブシーンや、情報局にリクルートされた仲間同士の友情、兄弟間の愛情と嫌悪も描かれている。
「スーパーマン」、「バットマン」、「スパイダーマン」、「ファンタステイックフォー」、「ハルク」、「X-MEN」、みな、コミックから映画化された作品だ。私が一番すきなのは、やっぱり 「スーパーマン」と「バットマン」だ。

それにしても どれもがみんな ユダヤ人が作者という事実、、これをどう捉えるべきなのだろう。

2009年5月15日金曜日

ラリアは秋




オーストラリア生まれの高校生の娘を持った 日本人の友人が「母の日」に 白い菊の花束を 娘からもらって くさっている。もう充分生きたじゃない と思わず自分の心境を言ってしまって もっとへこましてしまった。

白い菊の花を見ると 悲しかった肉親の葬式をイメージして線香のにおいまで感じてしまうのは 日本人だけらしい。 普段 シドニーでも 花屋で菊の花は余り見ないのに、母の日だけは、どの花屋も、白い菊の花束でいっぱいだ。菊は英語でクレサンチマムといい、最後のマムが 母親のことだから、母の日に贈る事になったらしい。母の日にカーネーションを贈るのは 北半球の限られた国だけなのかもしれない。

母の日には 娘達それぞれから花をもらった。ふたつの花束のバラが満開で部屋中に香りが漂っている。二人が自立して家を出て行って久しいが、彼女達が巣立っていく前に すでに一生分の親孝行をしてもらっている。娘達の成長が日々、嬉しく 笑い声が生きる活力となってくれた。娘達のおかげで半世紀余り 喜びに満ちて生きてきた。この世の どの母親より幸せだったと思うから、これ以上 辛気臭い親孝行は してもらいたくない。
もう 親など振り返らずに 自分たちの道をどんどん切り開いて 前に進んでいって欲しい と思う。

今は秋。ぶどう、柿、みかんが美味しい。
ぶどうは 大粒のグリーンの種無しと、小さめの赤い種無しが甘い。柿も、みかんも ものすごい勢いで移民して増えてきている中国人が栽培していて、この2,3年は普通の果物屋でも買えるようになった。

今年は 何十年ぶりかで「巨峰」を食べた。韓国人食材店で、見つけたもので、韓国人が自分の畑で栽培して 今年初めて実がなったのだという。普通のぶどうの5倍くらいの値段だったが 久しぶりに食べて感激した。日本で最後に巨峰を食べたのは 家族で沖縄に転勤する前、娘達が 保育園にいたこ頃のはなしだ。離乳食など何も食べてくれないくせに 巨峰ならば、皮をむいてやると いくらでも食べた。

その頃 病院の輸血科で、高速血液分離採血機を操作していた。白血病の子供たちに、血液提供者から 2000MLから4000MLの血液を採血しながら、血小板だけを取って、あとを体に返す、当時としては新しい治療に参加していて、病院ではこの機械を操作できる唯一のナースだった。 
秋に輸血学会があり、東欧のドクターたちや、地方からの医学関係者の前でこの採血機を 操作してみせることななった。機械を取り囲むように、見学者が立っているところを、緊張した面持ちで 血液提供者が到着した。さて、静脈に針を刺して、採血を始めますから ご注目ください、といって、針を入れる瞬間 ハッと皆の息を飲む音がして、人々の目が 私の手に釘付けになった。
てへへ、、、わたしの手の指の爪が真っ黒だったのだ。ちょっと前まで やんちゃ坊主が泥遊びしていて 手も洗わずに飛んできたみたいに。 ち、ちがいます。皆さん これは汚れではなくて 毎日 巨峰の皮をむいては うちの赤ちゃん達に食べさせてたのでーす。巨峰の皮のシブで爪が黒く染まってしまっただけで、手はちゃんと洗ってきれいです。などと、言い訳するのもシャクなので、そのまま 見学者達が私の爪の汚さに腰をぬかさんばかりにあきれているのを尻目に 仕事を続けた。
そんなこともあったっけ。数えてみると28年も前のことだ。 久しぶりに巨峰を食べて、うん、、、おいしい訳だ。

写真は住んでいるアパートの入り口。プラタナスの葉が 色付いて 落葉する冬を待っている。

2009年5月6日水曜日

映画「ディファイアンス」


アメリカ映画「ディファイアンス」、原題「DEFIANCE」を観た。
第二次世界大戦中、ナチドイツに占領されていたべラルーシュで、ナチと戦ったレジスタンス、ビエルスキー兄弟の実話をもとにして 作られた映画。
当時余り知られていなかった 歴史的事実がこうして映画となって世界中の人々に知られることになって 歴史が再評価されることは、価値のあることだ。人は過去から学ぶことができるからだ。手記を読み、映画を観ることによって その場に自分を置いてみて、人としての生き方を考えることができるからだ。
恐らく百人百様の戦争体験があり、人々に知られていない戦争秘話もたくさん埋もれているに違いない。戦争体験を持たない私達は 真摯な気持ちでそういった ひとつひとつの話に耳を傾けるべきだ。

今年に入ってドイツ ナチをテーマにした映画が 次々と公開されている。ケイト ウィンスレットが主演女優賞をとった「愛を読む人」(「THE READER」)、トム クルーズの「ワルキューレ」(「VALKYRIE」)、ジョン ボイン原作の「縞模様のパジャマの少年」(「THE BOY IN THE STRIPED PYJAMAS])、そして、このエドワード ズウィック監督による「デイファイアンス」だ。タイトルは しぶとい抵抗、とか、頑強な挑戦とか言う意味。この映画はリトアニアで撮影されたそうだ。

監督エドワード ズウィックは 1999年に「ブラッド ダイヤモンド」で、シエラレオーネの内戦と、それに群がるダイヤモンド密売人と死の商人を描いた。まさに何故アフリカで内戦が止まないのか、何故人々が飢えるのかを 問い正していくと 必ずぶち当たる先進国の利益とエゴを描いた力作だった。
その前は「GLORY」で、アメリカ市民戦争で、使い捨てにされていった黒人兵を描き、「COURAGE UNDER FIRE」では、湾岸戦争の不条理を描いた。一環して戦争と人をテーマにしている監督。私は大好き。

監督:エドワード ズウィック
キャスト
トゥビア :ダニエル クレイグ
ズシュ  :リーブ シュレイバー
アザエル :ジェミー ベル
ストーリーは
1941年 ナチドイツがべラルーシュを占領。次々とユダヤ人は、虐殺され、ゲットーに収容されていった。ビエルスキー家の両親は ドイツ軍の襲撃にあって 殺され、長男トゥビアの妻子も殺される。
ドイツ軍のユダヤ人狩りや そのお先棒を担ぐ地元警察の追求をかわしながら 4人の兄弟は、逃げ場を求めて リビクザースカの森で合流する。森には虐殺から逃れてきた生存者達があちこちで 彷徨していた。トゥビアは、そんな人々をまとめ、森の中で、コミュニテイーを作りあげる。

トゥビアの 指導力によって、食料を分かち合い、共同で仮小屋を建て、武器を手に入れて自衛する。兄弟は、ゲットーに侵入し、話し合いを持って 留まりたい人を残し、脱出希望者を手引きして森に救い出す。空からの爆撃に逃げ惑い、執拗に繰り返されるナチと地元警察によるユダヤ人狩りに抵抗しながら コミュニテイーをささえる。

長男トゥビアと、次男ズッシュとは 意見の対立があり、ズッシュは森の中で逃げ回るだけでなく 一人でもドイツ兵を殺し復讐する道を歩む。彼はロシアのレジスタンス軍と合流して、勇敢にドイツ軍と戦うことになる。
トゥビアは、次の弟、アザエルを右腕にして コミュニテイーの中の不満分子を押さえ 強力な指導力で住民達を守る。 アザエルの結婚、トビアの恋、などをまじえながら 冬の寒さや飢えをのりこえて3年余りの耐乏生活が続けられる。

メンバーは拡大していき 最終的には1200人のユダヤ人が生き延びることを成功させた。戦争が終わったとき べラルーシュの森から1200人のユダヤ人が出てきた という。

何といっても 007ジェームス ボンドのダニエル クレイグが良い。長男といっても 初めから家族やコミュニテイーのリーダーとして生まれてきたわけではない。たくさんの不幸を目の当たりにして傷つき、絶望を乗り越えた者が、徐々に人々の上に立つことを学んでいくのだ。トゥビアのリーダーとして悩むすがたが とても人間的だ。

弟のアザエルが、ういういしくて可愛い。映画「リトルダンサー」(原題「ビリーエリオット」)で、細いからだで バレエを踊っていた少年、あの映画から10年余り。
ここでは 父親を殺されて 泣きじゃくっていた少年が度重なるドイツ軍との交戦を経て、またコミュニテイーの難題のぶち当たりながら 男として 成長していく。後半では、顔つきまですっかり変わって 決断力のある一人前のリーダーに育っていく様子が 頼もしい。

当時 ドイツ軍と交戦していたロシア人パルチザンの獰猛 果敢な姿、しかし、その中にあってさえ 存在するユダヤ人差別にも、監督の目は見逃がさない。
とても良い映画だ。

2009年5月4日月曜日

映画「ドラゴンボール」







ハリウッド映画「ドラゴンボール」を見た。
1984年から1995年まで11年間にわたって少年ジャンプに連載された鳥山明による人気漫画だ。


集英社で単行本として新書版で 全42巻で出版されたあと、一回り大きなA5版で全34巻が出版された。発行部数1億5千万部、全世界で3億5千万部売れたそうだ。

ドラゴンボールが連載されていた その間は私達家族はフィリピンで暮らしていたので このコミックがテレビアニメとして11年間も続いて 平均20%の視聴率を維持していたということは、全く知らなかった。また、映画にもなっていて 東映漫画17作が上映されて 総動員数4900万人にのぼった。ビデオカセットが3万セット売れて、テレビゲームになったのは40本以上、これが150万本売れた。 アニメ「ドラゴンボール」はアメリカでもフランスでも人気番組になりフランスではアニメ放映中 テレビ視聴率87,5%まで記録し、鳥山明の名前は フランスで最も有名な日本人になったという。
「ドラゴンボール」の主人公は悟空、7つの黄金の玉を集めると どんな願いでもかなえられる。「西遊記」からヒントを得て 作られた作品。こんな日本の国民的人気もの悟空が ハリウッド映画になった。
キャスト
悟空:JUSTIN CHATWIN
亀仙人:CHOW YUN FAT
ブルマ:EMMY ROSSUM
ヤムチャ:JOO PARK
ピッコロ大魔王:JAMES MARSTERS
チチ:JAMIE CHUNG
ゴハン:RANDAL DUK KIM
スパイ マイ:ERIKO TAMURA
さてハリウッド版「ドラゴンボール」のストーリーは
悟空は ちょっと冴えない高校生。強くてかっこよい同級生達からは いじめられっこ。厳しく武道を教えてくれる おじいさんグランパ ゴハンから 学校で友達を相手に武道を使ってはならないと 言われているので、いじめられても 暴力をふるわれてもやり返すことができない。好きな女の子 チチのことも、遠くから見つめていることしかできない。

家に帰れば 毎日毎日、グランパ ゴハンの猛特訓が待っている。しかし長年の厳しい訓練のおかげで、悟空の実力は徐々にゴハンに近ずいてきた。 悟空は誕生日にゴハンから これは大切な宝だといわれて 黄金に輝く玉をもらう。しかし、その夜、悟空が家に帰ってみると、家は崩壊、全焼していて、ゴハンが家の下敷きになって 虫の息でいる。ゴハンは、死ぬ前に 悟空に、亀仙人と一緒に、黄金の玉を集めて世界征服しようとしている悪者と戦うように言い残して亡くなる。

旅立ちのしたくをしているうちに 崩壊した家に盗人が入る。やはり、黄金の玉を捜し求めている ブルマだった。話しているうちに 意気投合して悟空は ブルマとともに亀仙人を訪ねる。その途中 夜盗ヤムチャと出会い 仲間に入れる。ヤムチャはブルマに恋をする。一方、砂漠で悟空も、憧れの娘チチにであい、彼女がただの可愛い高校生ではなく 武道の達人であったことがわかり、ともに 敵と戦う決意をする。悟空 亀仙人、ヤムチャ、ブルマ、チチ、の一行は 行く手をピッコロ大魔王に阻まれる。悟空は黄金の玉を 狡猾に潜入したピッコロ大魔王のスパイで奪われてしまう。おまけに、ピッコロ大魔王との大決戦で亀仙人は殺されてしまう。

怒り狂った悟空は ピッコロ大魔王と戦ううち、自分が別の惑星に住む サイヤ人で 満月を見ると大猿に変身することを知る。変身するとピッコロ大魔王に限らず 敵味方関係なく すべての生き物を破壊殺生せずにいられなくなってしまう。 しかし、チチやブルマの前で、自分の本能に必死で逆らって、悟空はまたもとの悟空にもどる。 そしてピッコロ大魔王から奪い返した7つの黄金の玉で、神龍を呼び出して ひとつのお願いをする。それは自分の身代わりになって死んでしまった亀仙人を生き返らせることだった。  そして、願いがかなったとたんに、7つの黄金の玉は世界に飛び散って去ってしまった。 そこで、また振り出しに戻って、孫悟空、亀仙人、ヤムチャ、ブルマとチチは世界に散らばった黄金の玉を求めて 旅立つのだった。
というおはなし。

B級映画にはB級映画なりのおもしろさがある。 「縞模様のパジャマの少年」のような 重いテーマの映画のあとに、気晴らしになるし、演じている俳優の意外な顔が見られたりする。

この映画のキャストでは一番 名高いのは、中国人のチョウ ユン ファだろう。中国映画のヒーロー、日本でいう昔の三船敏郎だ。武術に長けて、人を統率し、徹底して自分の筋を通す男 かと思ったら お茶目で どこか間の抜けたところもあって可愛い。中国では国民的スターだ。「カリブの海賊」では ジョニー デップを相手に 怖い幽霊船のキャプテンになったし、ツァン イー モー監督の映画には、監督の奥さんゴング リーとともに、必ず共演している。

ブルマ役のエミー ロッサムは 映画では髪を染めているが、本当は22歳、金髪の美人だ。ミュージカル映画「オペラ座の怪人」では、か細いが、きれいな声で、怪人に誘拐されて幽閉される悲劇のオペラ歌手の役を演じていた。また、「ポセイドン」では、船が沈没して みんなみんな死んでしまうのに、勇気あるお父さんが命をかけて守った娘の役を演じていた。

主人公の悟空の役は、25歳のカナダ人、スタントマンをやっていて これが初めての主役だそうだ。青い目の悟空がカメハメハをやるところなど、この漫画のファンだったら怒るかもしれないが この映画はこれで良いと思う。

冴えない男の子が たった一人の保護者だったおじいさんを殺されて 敵に戦いを挑む途中で出会った人々と 硬い友情で結ばれて 一人前の男に成長していく。恋もする。自分がサイヤ人で 破壊を生きがいとする人種だったと、わかっても、自制して友達は裏切らない。この物語は、特別なヒーローのお話ではなくて、ごく普通の高校生の男の子が成長していく過程を描いたお話なのだ。洋風ドラゴンボールは これで良いのだと思う。これでよいのだ。

2009年5月2日土曜日

映画 「縞模様のパジャマの少年」


新しい ドイツ ナチをテーマにしたイギリス映画を観た。
原題「THE BOY IN THE STRIPED PYJAMAS」、邦題「縞模様のパジャマの少年」。日本では8月に公開予定されている映画。1時間34分。アイルランド人作家 ジョン ボインの短編小説を映画化したもの。ジョン ボインは1971年生まれの戦争を知らない 若い世代の作家だ。岩波書店から千葉茂樹訳で、本が出ている。

映画監督は、マーク ハーマン
音楽は ジェームス ホーナー
撮影はハンガリー ブタペストで行われた。
今年になって ナチズムをテーマにした映画が続いている。アカデミー賞受賞の「愛を読む人」、トム クルーズの「ワリキューレ」、それと、007ジェームスボンドのダニエル クレイグが主役を演じている「DEFIANCE」だ。どれもなかなか重いが 観る価値のある映画だ。

キャストは、
ブルーノ:エイサ バターフィールド 
シュメル:ジャック スキャロン
父親  :デビッド シューリス
姉   :アンバー ビーテイー
母親  :べラ ファーミ

ストーリーは
8歳のブルーノは 軍人の父親と、優しい母親と12歳の姉の4人家族で ベルリンに住んでいる。
戦争が始まっていて、大人たちの顔色は冴えないが 学校には たくさんの友達がいるから 毎日が楽しくてたまらない。ブルーノは、軍人の父親が 職場でどんな仕事をしているのか知らないが、男の子にとっては 父親はいつもヒーローだ。

ある日 父親が ベルリンから地方に転勤になって、家族そろって引越すことになった。ちょっと、寂しい友達との別れ、、、ブルーノは 田舎の新しい家に 慣れようとする。しかし、奇妙なことにブルーノの家は 他のどの家からも離れた森のなかにあり、高い鉄条網に張り巡らされ、門には24時間軍人が警備をしている。家には とても怖い父親の秘書も一緒に住んでいて、息が詰まりそうな 緊張した空気が漂っている。
ブルーノの部屋から背伸びをして 高窓から外を覗くと 遠くにスポーツ場のようなフィールドが見える。おかしなことに そこには沢山のパジャマ姿の人々が住んでいるようだ。台所を覗いてみると こんどは ズボンだけ縞模様のパジャマを履いて 貧しい身なりの年寄りが 下働きをしている。子供の目から見ても 異常に見える縞模様のパジャマ姿の人について 父親に聞いても 母親に問いただしても 大人たちは困った顔をして 話題をはぐらかせるばかりだ。 
引越しをして何が退屈か と言うと学校に行けなくなって、友達が一人も出来ないことだ。ブルーノは退屈で退屈で仕方がない。

4歳年上の姉は 父の秘書として家に居る 若いハンサムな軍人に恋をしていて、ブルーノをうるさがって、邪険にするばかりだ。彼女は自分の部屋にアドルフ ヒットラーの写真を張り、軍歌に心を躍らせて、秘書の後を追いかけてばかりいる。
ある日 家に誰もいないとき、ブルーノは 庭のブランコから落ちて、怪我をする。介抱して適切な傷の処置をしてくれたのは パジャマのズボンを履いた 台所の下働きをしている年寄りだった。傷の手当てをしてもらいながら、ブルーノは 男が 今はジャガイモの皮をむいているが 昔はドクターだったことを知る。
友達がいない、話し相手がいない、そんな中でブルーノの不満とやり場のない疑問は膨れ上がるばかりだ。

ある日、ブルーノは 物置小屋の小窓から 誰にも気付かれずに家の外に出られることを発見する。そっと 家の外に出てみると 外は美しい緑の林だった。縞模様の人々の居る方向に行ってみると 鉄条網のフェンスで仕切ってある その中に 男の子が座っていた。話しかけてみると、パジャマ姿の男の子は 自分と同じ8歳で、シュメルという子だということがわかる。シュメルはフェンスのなかで、人々が何をしているのか ブルーノには言わない。ブルーノは シュメルがユダヤ人だと 教えられるが それがどんな意味を持つのか わからない。ただ、引越し以来 初めて友達ができたことが嬉しくてたまらない。
ブルーノは次の日には チョコレートを持って、またその次の日には サンドイッチを持って シュメルに会いに来る。

ある日、ブルーノは自分の家の台所で、グラス磨きをさせられているシュメルを発見する。グラスの細かいところを磨ける小さな手が必要だったので 手伝いに呼ばれたものだった。いつものように、ブルーノはシュメルに お菓子を与える。それを 怖い軍人の秘書に 見つけられて詰問され、ブルーノは叱られるのがこわくなって シュメルにお菓子をあげたのは自分ではない シュメルが盗んだのだ、と言ってしまう。

翌日、ブルーノは卑怯だった自分を責めながら シュメルのキャンプに行く。シュメルは見るも無残に 殴られて怪我をしている。それでも、ブルーノが謝ると、許すと言ってくれたシュメルにブルーノは このたった一人の友達を もう二度と裏切らないことにしようと心に決める。そんなシュメルは、自分の父親が突然居なくなってしまったことを、とても心配している。ブルーノは、自分のために みんなと同じパジャマを持ってきてくれたら 鉄条網の下を掘って 下からキャンプに忍び込み シュメルと一緒に父親を探してあげようと 思い立つ。

一方、家庭では 母親は夫を信頼 尊敬してきたが 子供達を連れて引っ越してきたところが ユダヤ人収容所に隣接しているとは、移ってくるまで思ってもみなかった。また、無用意な秘書の言葉から キャンプの煙突から終始 煙が出て 嫌な匂いがするのは ユダヤ人を処分しているからだ ということを知ってしまう。妻は夫と対立して、そのような仕事をする夫と一緒に暮らすことはできない と主張する。そして、遂に子供達を連れて 別の土地に移り 夫とは別居することにする。ブルーノは また引越しすることを知らされて、シュメルにはもう 会えないことを知らされる。

出発の日の朝、シャベルを持って ブルーノは シュメルとの約束を果たす為に フェンスの下を掘る。子供が辛うじて通れる隙間ができると、ブルーノはシュメルが持ってきたパジャマに着替えて、二人でシュメルの父親を探しにキャンプの小屋から小屋へと、探索しながら走る。ある小屋では、沢山の男達が集められて何かを待っている。と、突然、軍人達に押し出されて、ブルーノとシュメルも 群集にもみくちゃにされながら コンクリートの部屋に追い込まれて、、、、。
というお話。

原作以上に 映画が とてもよくできている。音楽がめっぽう良い。音楽が映画の画面にぴったり寄り添って 効果的に観る物の視聴覚を興奮させ、喜ばせ 悲しませ 驚き 嘆息させて、すべてを経験させてくれる。映画の音楽がすごく良くて、映画を見ていて心地よい と心から感じたのは、最近ではクリント イーストウッドの「グラントリノ」以来だ。
最後の方の見ている人の不安感 恐怖感 そして、それが押しつぶされて 長い長い救いのない嘆きに変わるときに 音楽が心に響く。ジェームス ホーナーと言う人の音作りに、今後も注目していこう。

映画で秀逸なのは、8歳の子供の役者だ。くもりのない子供の瞳 という言葉があるが 二人の子供がまさに それだ。世界や自分のまわりで 何が起こっているのか わからないでいるブルーノの 子供の目に映る光景は、いつもおなかを空かしているシュメルであり、いつも嫌な臭いの煙を吐き出している煙突や 怖い顔の秘書であり、疑問と不安ばかりが増長していく。
ある日 家に軍人達が集まり 映写会をしている。ドイツが他国にむけてユダヤ人キャンプを様子を宣伝するためのプロパガンダというか、エクスキュースのフィルムだ。ユダヤ人はキャンプの中で、安全で楽しい生活を保障されている、家族は一緒で、良い食事を与えられ、サッカースポーツやゲームに親しみ、何不自由なくキャンプ生活をしている という映像だ。これを盗み見て、ブルーノは 嬉しくなって、思わず父親に抱きつくシーンが印象的だ。ブルーノにとって 父親はやっぱりヒーローだ。疑うことなどできない。

配役では、自分の任務に何の疑問も持たない、今までの歴史になかった特別の国 ドイツ帝国を作るという信念に凝り固まっている石頭の父親に、デビット シューリスは、適役だ。
ナチズムの正体を徐々に知ってしまい、良心の痛みから病人のように やつれていく母親役の、べラ ファーミガが とても良い。

そのとき、その場に居ると 人は外から客観的に 何が起こっているのかわからない。気をつけていないと 自分が踏みつぶしている生き物が 見えない。状況をみきわめて、何が起こっているのか 知ること。そんな中で さらに良心的に生きるということが、どんなに難しいことなのか、改めて思った。 

2009年4月16日木曜日

オペラ 「夢遊病の女」




ニューヨーク メトロポリタンオペラ座で上演中の イタリアオペラ ヴィンセント ベリーニ作曲「LA SONNAMBULA」を観た。
ニューヨークまで行ったわけではない。今、ニューヨークで上映中のオペラを ハイヴィジョンで実況中継したフィルムを 映画館の大型スクリーンでやってくれたので、観にいったものだ。
便利な時代になったものだ。実際の舞台を 何台ものカメラで納めたものをそのままスクリーンで見せているから 舞台を実際にみているような迫力がある上 精密なカメラで追っているから 舞台では見えないような顔の表情や細かい動きが実に良く見える。
クレモン オフェアムにて。$200から$300のオペラのチケットを買わずに、$30で 本場のオペラが観られるなんて なんという粋なことをしてくれるんだろう。それに なんという贅沢。

行ってみたら シドニーオペラハウスに行ったのと同じ 年寄りばかりだった。幕間の休憩時間になっても 杖や歩行器の年寄りばかり、のろのろ歩いていて なかなか出口にたどり着けない。この国では、こんな極度の年寄りにしかオペラが支えられていなくて こんな調子で今後 ここに来ている人たちが死に絶えたら オーストラリアのオペラも絶滅するのか と まわりを見回して 心配になった。いま、ヒップホップをやったり、ロックをアイポッドで24時間流している若い人たちが、歯がなくなって 棺おけに片足突っ込む頃になって 急にオペラが 聴きたくなったりするのだろうか?

ベリーニ作 オペラ「ラ ソナンブラ」、邦題「夢遊病の女」
ニューヨークメトロポリタンオペラ
指揮:エベリノ ピドゥ
出演:アミーナ=ナタリー デウセイ (コロラトーレ ソプラノ)
   エルビノ=ジョアン デイエゴ フロレッツ(テノール)
   領主ロドルフォ=ミケーレ ペルトシ (バリトン)

ストーリーは
第1幕
スイスのある小さな村
アミーナはエルビーノと結婚する日が 翌日に迫っていて、ドレスの仕上げや 式場の準備で忙しい。村中が 清純で優しい娘 アミーナの結婚を祝福している。たったひとり、リサを除いては。
エルビーノがアミータと婚約する前は リサがエルビーノの恋人だった。いまでもリサはエルビーノが忘れられない。そんなことを知らないアミーナは、幸せいっぱいで、エルビーノとデユエットを歌い 愛を誓い合う。

一方、村人達は 夜な夜な幽霊が村を歩き回っている といって怖がっている。そんな夜、領主ロドルフォが 村にやってきて リサのやっている宿屋に泊まることになった。リサは金回りのよいプレイボーイのロドルフォに心ひかれる。夜がふけて、リサがロドルフォの寝室に入っていってロドルフォの くどき言葉を聞いていると、驚いたことに こともあろうに寝間着姿のアミーナが 眠ったままロドルフォの寝室に入り込み そのままベッドで寝入ってしまう。
朝になり 村の人々がロドルフォを起こしに部屋に入ると 何も知らないアミーナがロドルフォのベッドで眠っている。結婚式の前夜というのに、村中は大騒ぎ。騒ぎを聞きつけて 飛んできたエルビーノは 寝間着姿のアミーナを見て 嘆き悲しみ 母の形見の婚約指輪を アミーナから奪い返す。

第2幕
リサはこの時とばかり エルビーノに言い寄り 結婚式は予定通りの日に リサとエルビーノとで 行うことをサッサと決めてしまう。しかし、アミーナの母は、ロドルフォのベッドにあった リサのスカーフを見せて アミーナが来る前はロドルフォのベッドにリサがいたことを 証明してみせる。ロドルフォも アミーナが夢遊病という病気にかかっているだけで無実だ と、村人達に説得する。
そうしているうちに、夜になって、村人達は 建物の屋根の上をふらふら歩いている幽霊を目にする。
それは良く見ると 夢遊病のアミータの姿だった。眠ったまま、アミータは、切々と、エルビーノへの愛の心を歌い上げる。そのアミーナの純な心に、村人達もエルビーノも 涙をさそわれて、アミーナに邪気がなかったことを知る。
最後は、村人達と 若い二人の結婚式、誰もが喜びあふれて、歌い踊って終わる。

たわいないストーリーだが コロラトーレ ソプラノを歌うアミーナの可憐で純粋な心を切々と訴える愛の歌と、夢遊病の花嫁に引きずりまわされるエルビーノの 裏切られ どん底に突き落とされた男の悲しみや、愛の悦びに有頂天になる男の歌の数々が 楽しいオペラだ。

フランス人のソプラノ歌手 ナタリー デユッセイは、小柄で可愛い。日本でも人気があって、CDを沢山出している。とてもきれいな声だ。
相手のテノール ジョアン デイエゴはチリ人 ハンサムで傷つきやすい青年の役を とても上手に歌って演じていた。バリトンをやった、領主役のミケレ ぺルトゥシは 有名な人気歌手らしい。私は知らなかったが 堂々としていて とても美しい声で カップルと3人で歌うところが 素晴らしかった。どの歌手も適役で、本当に見ていて幸せな気持ちになれるオペラだ。

アミーナは、サザランドが一番得意にした役だそうだが、サザランドのあの四角い顔と背の高さでは、可憐で可愛らしいアミータにはならないだろう。サザランドが完全に引退してくれて良かった。

しかし、家に帰ってきて、CDでマリア カラスのアミータ、ニコラ モンテイのエルビーノを聴いてみると、やっぱり全然 いま見てきたオペラと同じ曲と思えない。
ささやくような マリア カラスの気高く 純粋で気品のある声を聞くと やっぱりカラスが世界で一番、と確信できる。アミーナのような役で、ささやき声で心に訴えて聴衆をむせび泣かせるカラス、トスカのように 天にまで響き渡れとばかり 絶叫してその強靭な声で聴衆を狂喜させるカラス。どんなに他の歌手が上手に歌っても、どんな美しいオペラ歌手が育ってきても やはりカラスには 絶対かなわない。若い人たちは くやしいだろう。

2009年4月13日月曜日

ジャパニーズ コミック


これほど何も 観るもの 聴くもののない時期も珍しい。

オーストラリアチェンバーオーケストラ(ACO)は、海外遠征中で 留守にしている。
オペラは 「魔笛」と、「ムスチェンクのマクベス夫人」を観た後は、7月まで何もない。

映画はアカデミー賞発表前後まで、見ごたえのある良い映画がたくさんあって、たて続けに観て 心に残る作品がたくさんあったが、今はすっかり 残りカスみたいな映画ばかりで 全然見る気になれない。

アシュケナージがせっかく 今年常任指揮者になったのに、シドニーシンフォニーオーケストラも、彼の指揮するコンサートが予定にない。

いつになっても成長 変化の兆しのない ブランデンブルグオーケストラは わざわざ 聴きに行く気になれないし、現代音楽ばかり演奏するようになってしまった デビッド オールデイングのオーストラリアアンサンブルも カクテル食事付きの演奏会チケットをもらっても行く気にはなれない。

オーストラリアバレエは 小作品ばかりをつなぎ合わせただけのパフォーマンスで、財政難を感じる分だけ 見にいけば みじめになるだけだ。 ミュージカルも目新しいものはない。

イースターホリデイは、静かに家で 教会音楽 パイプオルガンに賛美歌でもききながら 漫画を読むしかないのか。

このところ 漫画をたて続けに200冊以上読んだ。 今、続いているもので、最も気に入っているのは やはり井上雄彦の「バガボンド」と、「リアル」だ。 どちらも絵が美しく、せりふが気が利いていて、ストーリーから目が離せない。素晴らしい作力だ。

もう完結してしまった漫画のなかでは、「二十世紀少年」が 一番おもしろかった。最後の最後まで「ともだち」がわからない。 はなしをどんどん広げていきながら、登場人物も増えていって 最後まで読者をみごとに引っ張っていった筆力に 脱帽。感動。

シドニーには古本屋が2軒。日本人は数千人、手に入る漫画が限られている。
日本ではもう とうに 完結して忘れられているのかもしれないが 小畑健の「ヒカルの碁」全23巻と、一色登希彦の「ダービージョッキー」全19巻が とてもおもしろくて 最後まで飽きなかった。 今まで全然知らなかった 囲碁の世界を「ヒカル君」に教えられたし、まったく興味のなかった競馬の世界をダービージョッキーに登場する沢山の馬や上杉圭君に教わった。

まだ知らずにいて 触れたことのない世界がたくさんある。漫画がそれを教えてくれて 嬉しい。

2009年4月2日木曜日

結婚する娘に


下の娘が結婚することになった。 
一つ違いの上の娘の先を越して結婚する、という。 何でも、自分で創って見ないと気が済まない子供だった。とんでもなく独創的な絵を描き、抽象的な詩を書き散らし、教えもしないのに できたものを見て針を使って 縫い物をしていた。4歳でバイオリンを始め 親より情感豊かな音色でバイオリンやチェロを弾く子になった。
子供のときから 動物のお医者さんになると宣言していて、言葉どうり獣医になった。

思い返してみると 忘れられぬエピソードがたくさんある。
カーリーヘアで 白い陶器のような肌をもった赤ちゃんだった。いつもベビーベットに2匹の猫と一緒に寝ていた。猫達は1年先に来ていた長女の登場で、赤ちゃんに慣れっこになっていたから 二人目の赤ちゃんも、おおらかに受け入れてくれた。この頃の写真を見ると 長女と二匹の猫と次女が4匹並んでスヤスヤと眠っている。みな同じ大きさなのがおもしろい。

仕事が好きで子育てに自信がない親だから、生後二ヶ月 まだ首がしっかり据わる前から 病院の保育室にあずけられた。父親が、沖縄に転勤になる3歳まで保育園育ち。積み木や 玩具を使った遊び、水遊びなどの遊び方から 離乳食を経て、食事が食べられるようになるまでと、おむつ離れもすべて保育園の保母さんから学んだ。
母親が勤める駒込病院の勤務が終わって、お迎えする3時からが、楽しかった。二人乗りの乳母車で 今日は駒込図書館、明日は森鴎外図書館、その次は田端図書館、と遊びに行き、もてるだけの本を借りてきては 夢中で読んできかせた。本が大好き。親の方が 子供の本の世界の深さと大きさに心を奪われていた。
座われるようになると、自転車の前と後ろに椅子をくくりつけ、前に長女、後ろに次女をのせて、どこにでも出かけていった。千駄木からは 東大の三四郎池、根津神社、後楽園、上野公園、不忍池など、みんな自分の家の庭のようなものだ。下町だからお祭りも多い。上野動物園では お弁当持参で一日中過ごした。東大の三四郎池で 釣りの真似事をし、ダンボールに載って 丘から芝生を滑り降りる、次から次へと 行動範囲が広がって 遊びも多様になっていった。

背丈が1メートルになると、後楽園のジェットコースターに乗れる。3人で一台の自転車で、後楽園まで遊びに行って 初めてジェットコースターに 乗った。娘は動き出したとたん 怖くなって「ママ下ろして、ここから出して」 と泣き叫ぶが もうレールの上、どうすることもできない。そのうち、ジェットコースターはビュンビュン走る。どうしているかと、そっと振り返って 娘の顔を見ると、泣きながら立って 両手をあげてギャーおもしろい、ギャーおもしろい と大声で叫んでいた。喜怒哀楽がことさら激しい。

3歳で沖縄。はじめは言葉が通じなくて 友人も知人もいないところで 本土から送られてくる「学研」だけが楽しみ、という時期もあったが、幼稚園が始まると 友達も一挙に増えた。お迎えで、赤いホンダに 沢山の幼稚園の友達を乗せて 坂道の多い首里のまちを走り回り 沢山ある急坂をスピードで きゃーきゃーいいながら下っては、おもしろがっていた。子供を宝として大切にする沖縄で人様の子供を連れて危険な遊びをするなんて ブレーキやハンドルを切り損ねていたら、、、と今考えるとゾッとする。

母親が所属する沖縄交響楽団のリハーサルは土曜の夜。練習をしている間中 毛布を床に敷いて 絵を描いたり本を読んで 静かに待っていてくれた。走り回りもせず、騒ぐこともなく 幼児が静かに何時間も待っているなど、驚異に値するが、大人たちが真剣に何かに打ち込んでいるのを見て、幼児なりに理解してくれたのだろう。

沖縄で我が家に来てくれた大型犬を連れて、フィリピンのレイテ島オルモックに引っ越しすることになった。何でもやることが早い。 文化生活に縁遠いフィリピンの田舎暮らしに少しでも潤いを、とエレクトーンを持ってきた。大人が 悠長に100ボルトから210ボルトに使えるトランスフォーマーを取り付けている間に、すばやく娘はエレクトーンをコンセントにつないで弾こうとした。あっという間だった。一瞬 娘の手が早かったために、エレクトーンは燃えて、だたの大型ごみと化した。

オルモックで、ある夜 酔っ払いがパパイヤの木をつたって 二階のバルコニーにまで侵入した。雇っていたガードマン兼運転手が寝込んでいるのをいいことに、娘達の眠る寝室とドア一つ隔てたバルコニーで 10人くらいの男達が調子にのって 酔って騒いでいる。枕の下に隠した拳銃を握り締めながら びっしょり汗をかき、朝までまんじりともしなかった。自衛のために拳銃を持つことは常識だったが使わずに済んで良かった。
フェスタで 市のホールで頼まれて 3人でバイオリンの合奏を披露したこともあった。モーツアルトのアイネクライネ ナハトムジーク。最初の一つの音を出したとたん ブラボーと ホールいっぱいの人たちの熱狂的な拍手の嵐。音楽好きなフィリピン人の姿を再認識した。

レイテ島からマニラに移って、インターナショナルスクールに 小学校、中学校、高校まで通う。勉強も スポーツも バレエも 楽器も よくできる娘だった。背が高く、行動力があり ものおじせずに意見をはっきり言う。どうしても目立つので 先生の好き嫌いも激しい。いじめられることも多かった。泣かされることも多かったが、泣いた分だけ 笑ったと思う。
たった13歳で 父親をなくして よく母娘で持ちこたえたと思う。親しい友人も頼れる親類や知り合いもない外国で 日本にいる家族からも、会社からも日本大使館などからも何の支援も慰めも励ましも、援助もない孤立無援の状態だった。しかし母娘私達3人の内部精神は、音楽に満ちた 充足して豊穣な世界にいた。

マニラを脱出してシドニーに落ち着き 獣医学部に入る。学部でも、地元の学生は自分の家がファームを持っていたり 親戚が農場を経営している人が多いから 実習するにも問題はない。何のコネクションもない娘は タスマニアに飛んでいって牛の世話をしたり、クイーンズランドまで運転していって、豚の世話をさせてもらったり、田舎のキャラバンキャンプのバスのなかで寝泊りをして、農場に通い乳牛のめんどうをみたりした。学生最後の年には カムデンの寮に泊り込んで実習をした。医学部よりも難関な学部をよく頑張り卒業した。

大学生になりたて、お酒を覚えたばかりの頃、同級生たちと飲みに行ってキングスクロスのドラッグデイラーで有名なステーキハウスのトイレの床でスヤスヤ眠っていた。人々がドラッグの売り買いで忙しいその女トイレに、意を決して男友達が連れ出しに入ってくれなかったら 今頃売り飛ばされて サルタンのハーレムに囲われていたかもしれない。

破れた手術着姿で帰ってきたのを洗濯して、気が付いた。どうしたのかと聞くと、中年のナースに嫌がらせをされて 手術後 メスで脅かしに切りつけられた、と言われて動転した。オージー社会で アジア人の若い女のドクターが 長年 安給料で働いてきたナース達に指示を与えて仕事をさせる。それが気にいらない中高年のナースが陰険で執拗なドクターいじめをする。醜い現実社会をこんな経験を通じて娘は知っていく。

タスマニアで実習中、後ろに重機具を載せたトラックを運転しなければならなかった。走っていて ハンドルの切り方が悪くて 重い後部を中心に車が大きくスピンを繰り返し ガードレールにぶつかって止まった。たまたま対向車がなかったために 大事故にならずに済んで命拾いした。 

道路を走っていて 右側を走っていた軍用トラックが突然ウィンカーも出さずにスピードを緩めることもなく右折したので、衝突。当然、娘の車のフロントはめちゃめちゃだ。生きていただけでもありがたい。娘に100%落ち度はない。しかし、軍のトラックから降りてきた4人の制服軍人は娘を取り囲んで 娘が悪いと言い立てた。警察が到着したが、現場調査もせずに警官までが娘が悪いという。体の小さな外国人の娘をひとり 脅かして黙らせれば この事故はなかったことになる。娘一人 泣き寝入りすればよいことだ。 しかし、娘はひとりで現場の写真をとり 4人の軍人と警官の脅しに負けず 保険会社に調査させた。娘が正しかったことが明確になり、相手の過失による事故だったことが 証明されるにまでに 半年あまり待たなければならなかった。

2008年のニューカッスルの大洪水では6人の死者を出した。死者が出たすぐそばを 娘は集中豪雨のなか 職場に向かっていた。職場には心臓手術をする犬が向かっているので どうしても来て欲しいと言われていた。道路は濁流の河となり 娘の運転する車も浮いて 水に流されそうになる。娘の運転する車が、車ごと流れて建物に激突したり、海まで流されたりせずに道路に留まり、命が助かったのは、たまたま運に恵まれたから、という理由に過ぎない。またもや命拾い。

彼女の部屋を掃除したことがある。多才な子供の頭の中というものは こんなものだろう、というような、カオスのジャングルだった。描きかけなのか 完成しているのかわからない抽象絵、編みかけの毛糸、縫い始めたばかりのパッチワークの小片、おびただしい数の書きかけの紙片、ベッドの下に1ヶ月前のカビの生えたピッザ、このごろ見ないと思っていた皿とフォーク、脱ぎ捨てたままのシャツ、洗濯機に入れるのを忘れてカビの生えた下着、数週間前夜食に渡した紙袋のままのカップケーキ、2ヶ月前にパーテイーに着ていったドレスもノートや本の下でぺっちゃんこ。洗濯機を3回 乾燥機を2回まわしても 片付け切れない服、服、服。ここで絨毯のシミについた青カビを蹴散らかしながら 娘は猛勉強し、遊びに行く支度をし、数々の芸術作品を紡ぎ出していたのか。 
3時間余りの大掃除の結果 眩暈と吐き気 足腰もヨロヨロになったが、達成感に酔ったのも、つかの間、にこやかに帰ってきた娘、数時間で彼女の部屋はもとのジャングルにもどっていた。

母娘3人のなかで この娘がいつも先陣を切る。何物にも 恐れない。新居を買うのも、新車を買うのも この娘が最初だ。車なんて古い車を安く買って 何とか乗りこなしていくものだと思っていたから、娘がピカピカの新車で帰ってきたときは、腰をぬかした。
ボーイフレンドと暮らし始めて 二人で家を買った。「落ち着ける自分の場所が欲しかったから」、という娘の言葉に胸がつまった。ああ、この子は 幼い時から東京、沖縄、レイテ、マニラ、オーストラリアと移ってきて どこにも自分の落ち着ける場所がなかった。いま、とうとう自分の力で自分の巣を作ろうとしているのか と思って 親のふがいなさと、まっすぐでなかった私達母娘の道のりを思って 胸にこみあげてくるものがある。

時計を止めて という歌があったが、二人の娘と ブランデンブルグ協奏曲やヴィバルデイのコンチェルトを、3人で弾いているとき、私は世界のどの親よりも幸せな親だと感じていた。そして時を止めて 永遠にそれを続けていたいと願った。 でも娘達は、彼女達が経済的に自立する ずっと前から精神的に自立していたのだ。結婚する事も、次女の一生にいくつかある区切りのひとつにすぎない。
親である以上 何歳になっても娘を心配するのをやめることはできない。これから先も 娘は、怒り泣き悦び笑い続ける。親はそれを見て死ぬまで、ハラハラするだろう。
娘の一生のひとつの区切りを前にして、私はこの娘をもって世界一幸せな母親だったと なんどでも断言できる。

この娘を育てることを 世界の誰よりも楽しんで喜んだ。
これほどの子育てという幸せを 娘にも味わってもらいたいと思う。 だから、結婚すると決めてくれて うれしい。
おめでとう。

2009年3月30日月曜日

ペッカのバイオリンを聴く



オーストラリア チェンバーオーケストラ(ACO) 今年第2回定期公演を聴いた。団長のリチャード トンゲッテイは 出演せずに、代わりに フィンランドを代表するバイオリニスト ペッカ クシストがACOを監督 指揮した。

プログラムは
FORD作曲: BRIGHT SHINERS
バッハ作曲 : ブランデンブルグ コンチェルト第3番
シベリウス作曲: 弦楽4重奏曲 親しき声

バッハ作曲: バイオリンコンチェルト第2番
ALAKOTILA: フォークソングより
以上

ペッカ クシストについては 去年の日記にも一昨年の日記にも 演奏会後記を書いている。「少女漫画から出てきたような 美しい細身の少年」と表現したが いまだに、そのイメージに変わりない。ミルクのような北欧の白い肌に、プラチナブロンド あどけない少年の姿のままだ。バイオリンを肩に載せて、あごで挿んでいない。弓も根元の握る場所から ずっと弓の中心にちかいところを持っている。スタンダードで常識的なバイオリンの持ち方からすると はるかに常識離れしたスタイルで弾く。そんな姿で、いったん弾き始めると オーケストラをバックにしても、ソロの音がマイクなしで 会場中を響き渡る。澄んで 太い 大きな音だ。それなのに繊細きわまる音。
こんな人を天才というのだろう。素晴らしい。生きた天才を間近で観て聴くことができるとは なんて素敵。もう彼の演奏会も4度目。幸せ。

今回ペッカが率いて ACOは、ニューカッスル、アデレード、キャンベラ、パース ブリスベン、メルボルン、ウーロンゴン、シドニーと、12回の公演をした。最後の公演を聞いたことになるが ACOのメンバーは穏やかな いつもの雰囲気を持ちながらも いつもと違う 神経を張り詰めているのがわかった。トンゲッテイ団長のいない間のペッカによる監督で、短時間に集中的な火の様な 燃えるような厳しいリハーサルを繰り返してきたのだろう。それだけに ACOの音もすごかった。とても感動的な公演だった。

バッハのブランデンブルグ コンチェルト第3番は 私達母娘3人にとって、忘れられない曲だ。3人でバイオリンとビオラで何度も何度も演奏したものだ。
東京生まれの娘達は父親の仕事先について 3歳から17歳まで 沖縄 レイテ島、マニラとバイオリン抱えて移動してきた。マニラでその父親をなくした後も バイオリンは続けてきて、しっかり成長して 大人になってくれた。どんなに そんな娘達を誇りに思ってきたか 言葉では言い尽くせない。
ブランデンブルグ コンチェルトは バッハの代表作、快活で明るく、生命力あふれる曲だ。私の歓びを 代弁してくれるかのようだ。

バッハは1717年から1723年にかけて これを作曲した。この頃 バッハはレオポルド公に仕えていた。彼の宮殿にある 美しい庭園で17名のオーケストラを従えて楽長として 作曲 演奏していた。全6曲のコンチェルトは、ブランデンブルグ領土のルートヴィッヒ侯爵に 献上された。バッハは 音楽をクリスチャンのシンボリズムと考えていたから「礼拝と同じく音楽もまた神によって ダビデを通して秩序だてられるべきだ。」と言っている。音楽の構造 構成が秩序立っていなければならないという強い信念から、クルスチャンの3という 聖なる数にこだわって 3つの楽器で、3つの高、中、低音により、3連音符を連らねて 3楽章に分かれた曲を作った。

ペッカがコンサートマスターを勤めながら指揮した ブランデンブルグは 驚くほど速く、驚くほど一つ一つの音が 明確で 鋭い それなのに軽やかで 現代的だ。5人の第一バイオリン、5人の第二バイオリン、3人のビオラ、3人のチェロとコントラバスが、本当に一体になっていた。ブラボーだ。観客も、床を踏み鳴らし ブラボーの連呼、、、会場はとても沸いていた。

シベリウス 弦楽4重奏 作品56「親しき声」というタイトルが付いて、1908年に作られた曲。
シベリウスは フィンランドを代表する作曲家だ。フィンランドは100年もロシアの圧政下にあった。彼の作曲した交響詩「フィンランデイア」は、フィンランド人の愛国心を鼓吹するという理由で、ロシア政府から弾圧を受け、演奏することを禁止された。ロシアから解放され、独立を求める人々にとって、「フィンランデイア」は 心のよりどころとなり、抵抗の音楽ともなった。彼が92歳で亡くなった時は、国じゅうが喪に服し 彼は国葬にされた。

シベリウスは7つの交響曲を残した。そしてたくさんの交響詩を書き、一生を通じて 劇音楽 声楽曲を絶え間なく作曲している。歌曲はフィンランド詩人 ヨハン ルートヴィック リュ-ネべりの詩を用いている。余り彼の声楽曲が一般的でないのは フィンランド語だったからだろうか。交響曲も7番まで作れば 当然8番への期待が集まるが 本人もプレッシャーを知っていて、「何度も完成した」と言い、「燃やしてしまった」という言葉を残して、楽譜は残さなかった。死後、出てきた組曲には、「出版しない」と書いてあったが じつは素晴らしい作品だった、という話もある。気難しい 完ぺき主義者だったのだろう。彼が 笑っている写真など見たことがない。

ペッカにとってシベリウスは 当然 身内のような感じだろう。1年の半分以上 雪に埋まっている極北の国のバイオリニストが 南極に一番近い国で 極暑 酷暑 太陽の黒点の真下にすんでいるオージーオーケストラに どんなシベリウスを演奏させるのか。じつに興味深い。

バイオリン協奏曲 作品47の没頭に、シベリウスは 自身でこんなことを書いている。「極寒の澄み切った北の空を 悠然と滑空する鷲のように」。
ペッカとACOの 弦楽4重総曲もまさに シベリウスの言葉どうりだった。驚くことに 初めの一小節 4音で、バッと、広大な雪景色が眼前に広がった。ペッカのオーケストラの音で まさに北欧の極寒の澄み切った空、雪に埋まった白樺の林、どこまでも広がっていく大雪原が 見えてくるようだ。これは、フィンランドの音だ。乾いて、清涼で 冷たく 軽やか。こんなにも 監督 指揮がフィンランド人だと オーケストラ全体がフィンランドになるなんて なんというマジック。

シベリウスもペッカのような若手の音楽家が 自分の仕事をきちんと引き継いでいてくれて きっとうれしいだろう。苦虫をかみ殺したような 陰鬱なシベリウスの写真の顔も、こんな演奏のあとでは すこしやわらいで見える。
割れるような 拍手。彼はラリアでは 特別人気者だ。良い仕事をしている。拍手が鳴り止まない。
最後にペッカは フンランド民謡を2曲弾いた。心に残る音だった。

2009年3月20日金曜日

憲法に異を提えるオバマ大統領を支持する


初のアフリカンアメリカンのアメリカ大統領、オバマは空前の人気と人々の支持を保っているが 崇高な理念だけが先回りして 議会の根回しや、金融界の守銭奴達に手を焼いているように見受けられる。

未曾有の不景気、失業率上昇、貧富格差の拡大、医療体制の貧困、アフガニスタン派兵による出口のない戦い、、、。アフガニスタン介入は はっきり愚かで間違っている。
しかし、こうした中で なんだ、理想が高くても人は飢える一方ではないか、という世論操作がなされて、理念が理念倒れになることを、危惧する。

彼はすごく良いことを言っている。
彼の人権擁護政策の理念を示す例としてセクシャルマイノリテイーの人々に対する対策が明記されているのがそれだ。これは立派だ。100%支持したい。保守的クリスチャンが多く、人種差別、ジェンダー差別の強いアメリカで、このような政策理念を はっきり示すということは 立派で、勇気ある提言だ。

ホワイトハウスのホームページに明記されている「LGBT:セクシャルマイノリテイーのためのサポート」によると、

LGBT:レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル(両性愛)、トランスジェンダー(性同一障害者)の人権はすべての人が尊厳と尊敬をもって平等に扱われなければならない。

1)セクシャルマイノリテイーを攻撃したり、嫌がらせをすることはヘイトクライム:犯罪行為であり 罰せられなければならない。

2)セクシャルマイノリテイーを理由に雇用差別をしてはならない。 性的嗜好や性自認による雇用差別法を支持する。その上、同棲するカップルは結婚した男女カップルと同じ法的権利を擁する。

3)LGBTカップルをサポートするために社会保障をする。健康保険の扶養者として認定したり、所得税の配偶者控除を受けられたり、夫婦としての財産所有権を認めるなどの保障をする。

4)同性結婚を禁じる憲法に反対する。

5)軍隊内「DO’NT ASK」や「DO’NT TELL」 のポリシーを撤回する。入隊時にゲイやレズビアンであることを聞くのも 自分から言うのも止めて黙っていることは、かえって、明白な差別になる。カミングアウトしても問題なく軍隊内部で受け入れられるようになるべき。

6)すべてのカップルに 養子縁組の権利がある。セクシャルマイノリテイーであるかどうかに関わらず 望むカップルが養子縁組ができるべきだ。

7)セクシャルマイノリテイーがHIV・AIDSの関連で差別をもたらすことがないように配慮する。 エイズを予防し、HIVを減らし、コンドームの使用を推奨し、使用済みの注射器を再使用しないように、使い捨ての注射器を 必要とする人に支給する。

8)女性のHIV感染を予防する為に 抗ウィルス予防薬開発を促進する。

以上 素晴らしいではないか。100%支持する。
男と女は まったく対等な存在だ。相手が男であろうが女であろうが、愛情にかわりはない。パートナーとして一生ともに生きていく相手が男であっても女であっても良い。
戸籍に父と母と子といった記録をする必要はない。ともにパートナーと生を分かち合うことに意味がある。そして子供が家族の宝として 大切にされ、愛されて育つことが優先されるならば、生物学的な精子が誰のものであろうが、卵子が誰のものかは、重要ではない。どんな愛の形であっても、大切なことは人が自分の愛する相手を尊重して共に生きていける社会を作ることだ。

そのために宗教的固定概念を捨て、現状に即した法を整備すべきだ。教会グループはこれを絶対つぶしにかかる。しかし、セクシャルマイノリテイーにとっては、教会で結婚を認められる一般夫婦の存在こそが、差別を助長してきたことに、目を向けるべきだ。 憲法に異を提える大統領の LGBTに関する理念を全面支持する。

2009年3月17日火曜日

オペラ「ムチェンスクのマクベス夫人」




ドミトリ ショスタコビッチ作 4幕 3時間のオペラ「ムチェンスクのマクベス夫人」を観た。
原作は、ニコライ レスコフの同名の小説。

このオペラを 1934年にショスタコビッチが レニングラードとモスクワで、同時に発表したときには、26歳の新鋭の作曲家の登場に おおむね評判は良く 人々から受け入れられた。ヨーロッパにもアメリカにも紹介され、好評を得た。しかし1年半後、1936年がターニングポイントとなる。

1936年1月、たまたまオペラを観に来たスターリンは、内容に激怒して途中で退席した。その2日後「プラウダ」で、このオペラをケチョンケチョンに批評する文が無署名で掲載され、事実上これが上演禁止の絶対命令と解釈された。スターリンの直接介入である。何百万人もの人々がスターリン圧政下で粛清され、シベリアに送られた。ショスタコビッチも 身の回りのものを鞄に詰め いつ逮捕されてシベリアに送られても良い様に鞄を横に眠らなければならなかった。

1963年にショスタコビッチは このオペラをもとに、「カテリナ イズマイローバ」という題名で ベッドシーンを削り、かなり内容の変更をして発表上演した。しかし、もとのままの「ムチェンスクのマクベス夫人」の再上演は、1979年まで待たなければならなかった。

彼は リアリストで皮肉屋で 過激だったのだ。
はじめ、ショスタコビッチは ドイツのワーグナーの「ニーベルングの指環」のような長編の大きなオペラ4部作を作曲するという壮大なプランをもっていた。明確な人民の意志を持った力強いロシア女を描く構想も、正義を芸術に求めるスターリンの力によって破壊された。彼はこのあと、国外脱出もままならず スターリンの粛清の脅えながら、作曲を続けるが、オペラは作らなかった。

出演
カテリーナ:スーザン ブロック(ソプラノ)
愛人セルゲイ:サイモン オニール(テノール)
夫ジノーヴィ:デビッド コクララ(テノール)
父ボリス  :ジョン ウェグナー(バス)
オペラオーストラリアコーラス オペラバレエオーケストラ
指揮:サー リチャード アームストロング

そのスターリンを激怒させたストーリーは
第1幕
裕福な商人の妻、カテリーナは、父親に絶対服従で 妻には思いやりのない夫に不満で退屈な日々を送っている。夫の出張中、裏庭で使用人たちが 一人の女を集団暴行に及んでいる。中心人物は 女たらしで悪名たかいセルゲイだ。カテリーナは男達の間に入って 乱行をやめさせる。でもセルゲイに魅力を感じてしまう。その夜、セルゲイはカテリーナの寝室に忍び込み、カテリーナと結ばれ、二人は愛し合う。

第2幕
息子の妻が使用人と不貞を犯したことを知った父親、ボリスは激怒するが、カテリーナはすばやく ボリスを毒殺する。 カテリーナとセルゲイが愛し合っているところに 帰宅した夫ジノーヴィは、二人に撲殺されて、地下室に隠される。

第3幕
カテリーナとセルゲイは結婚する。幸せいっぱいの日に、酔っ払いがウォッカを探しに地下室に入り込み 死体を発見して事態が明るみに出る。 第4幕 カテリーナとセルゲイはシベリアに送られて強制労働に就いている。こんなところでも、セルゲイの女あさりは 止まらない。傷心のカテリーナの前で これ見よがしにセルゲイは新しい恋人ソニエッカと愛し合っている。カテリーナは そんな男のために殺人をしてきた自分に耐えられなくなって遂にソニエッカを海に突き落とし 自分も後を追う。 というおはなし。 ショスタコビッチの描いた「ロシアの強い女」カテリーナは 欲情に負けて夫、夫の父親、さらに邪魔な女も殺す。全く人間としての恥も プライドも 倫理観も 社会観もない女だ。

スターリンは第1幕の 一人の女が労働者に集団暴行を受けるシーンでショックを受け、直後のカテリーナとセルゲイのセックスシーンにダブルショックを受け、第2幕の父親殺しで もう我慢できず席を立ったのではないだろうか。音楽的評価はともかく、わたしも同じ思いだ。どんな状況であっても、それがちょっとした悪ふざけであっても、多数の男が一人の女をいたぶって面白がるシーンに耐えられない。たしかに、この時代の教育のない労働者にとって気晴らしといえば、酒と女だ。ひとりの女たらしが連れてきた女を 沢山の男で からかうのは面白いだろう。しかしこれを 舞台でやられるのは たまらない。

また 家に忍び込まれたカテリーナにとって、男の選択の余地はなかった。情欲を愛情と勘違いして ダブル殺人をやってのけたカテリーナは 実は強いロシア女などではなくて、可憐な女であり、被害者だ。原作者は 簡単に3人殺してのける女 カテリーナに「マクベス夫人」と言う名をつけた。手を血で汚したシェイクスピアの「マクベス」からきている。しかし、シェイクスピアのマクベス夫人も 殺人をせざるを得なくなり、嘆き、おのれを呪う哀しい女だ。

スターリンの怒ったオペラの内容はともかく、音楽は生き生きとして良かった。100人のコーラスが抜群に良い。コーラスも沢山でてくると、音に厚みができて、すごく良い。ソプラノもテノールも上手だった。

ショスタコビッチは13歳でぺトログラード音楽院で ずば抜けて才能あるピアニストとして注目をあびた。しかし、早いうちに父親に死なれて、経済的には苦労が絶えず、貧困の中で映画館で無声映画の音を即興演奏して生活していた。26歳でオペラを発表すれば スターリンに粛清の脅しをかけられ、スターリンが死ぬまで脅えながら作曲しなければならなかった。

交響曲を1番から15番まで作曲している。弦楽4重奏も1番から15番まで作り、業績はこのシンフォニーと4重奏で現代音楽作曲家として不動の地位を得た。シベリウス、プロコフィエフに並ぶ作曲家として 高く評価されている。重く、暗く、難解な弦楽4重奏。演奏者にとってはチャレンジであり、おもしろいかもしれない。でも自分はやめておく。

2009年3月13日金曜日

100万円消えたー!




100年に一度あるないかの経済不況のなかで 米国サプライムローン問題以降、株式相場は下落を続けている。
アメリカでは この2月だけで、651000人が職を失い、失業率は8.1%になった。
オーストラリアでは 同じ月に前月に加えて36800人が新たに職を失って、合計54万人、失業率は4.8%に上昇した。

こんな中でもアメリカのオバマ大統領は 過去最高の選挙投票率を記録しながら 人々の支持と期待を得て、次々と新しい政策を発表して人気をつないでいる。
ラリアのケビン ラッド首相も 先週の世論調査で国民の支持率54%という高率を維持している。去年、自由党のジョン ハワードから労働党のケビンに変わって すでに1年余りたつのに ケビンは何一つ大きな失敗もせず、スキャンダルもなく、答弁の読み間違いもなく、不況対策でも 失業対策でも卒なく答えて仕事をこなしている。210人もの 死者を出すことになったビクトリア州の山火事も、クイーンズランドも大洪水も 迅速な対応と、誠実 実直な発言で、人気を保ってきた。

彼は景気刺激対策として、去年12月には 年金生活者と、育児中の家庭に 1000ドルずつ生活支援金を送った。子供一人につき1000ドルだったから 子沢山の家は助かったろう。クリスマス前に 支援金を受け取ったお年寄りが ニュースで嬉しそうに 孫にプレゼントが買ってあげられます と言う姿が印象的だった。日本の景気刺激対策で ばらまかれたお金が一人、1万2000円だったから、ラリアの10万円は、大きいと言えるかも知れない。

これに加えて、この3月 今週から 年収8万ドル以下の すべての人に向けて $900ドルの小切手が郵送され始めた。夫婦ともに 低収入ならば 倍で1800ドル、さらに子供一人につき950ドルずつ支給される。このような 一時的な景気刺激対策は 根本的な不況対策ではないが、ラリアには日本のようなボーナスがないので これを長いこと安給料で働いてきた報奨として捉えれば もらえる人は素直に嬉しいだろう。

ところで私達の年金は 給与の9%を 雇い主が2週間ごこに 本人が希望する年金会社に振り込んで 自動的に貯蓄されていく。それが老後の蓄えとなり、65歳になると それを月ごとに受け取るか、一括で受け取ることもできる。すべての勤労者の給与の9%が自動的に貯蓄されるわけだから 集まったお金はそれぞれの年金会社が 投資をして運営している。年金会社は たくさんあって、医療従事者に強い会社もあれば、半官半民だった会社もある。

私はAMPという会社に、ラリアで初めて働き出したときから 雇用主に私の年金を入れてもらっていた。契約のときに、沢山の会社のリストがあって、自分のお金を どの会社に投資するかを選ぶように言われて、地下資源の豊富なラリアでは 鉄鋼会社なら潰れないだろうと思って、適当に選んでおいた。それが今回の不況で 年金会社が投資した会社の経営不振で、私のこつこつ貯めてきた年金から100万円ほど、目減りした。2年分の貯蓄が消えたことになる。

今回経済不況、株の下落で おびただしい数の年金生活者が年金を失った。プロのマネーアドバイザーと言われる立派な教育を受けてきた人に 退職後 楽に暮らせるように すべての年金の運用を依頼していた沢山のお年寄りが 今回 全財産を失ったりしている。

私は自分の給与の9%が年金として積み立てられ それが年金会社によって どんな企業に投資されどれだけ損したり得したりしているのか、3ヶ月ごとに送られてくるレポートで知ることが出来た。まめな人はネットで毎日でも株のやり取りを見ることが出来る。自分のお金がどの会社に役立っているのか ろくでもない会社に投資して赤字を出しているのか知ることが出来たのに、きちんと監視せずに 放って置いて、100万円損害を受けるままにした自分がうかつだったのかもしれない。

まったく腹立たしい限りだが、日本の方が もっと怖いのではないだろうか。日本では 給与から自動的に引かれて 貯蓄されていく年金がどのように運用されているか、自分ではわからない仕組みになっているようなのだ。日本では すべての年金は「年金積立金管理運用独立行政法人」(GPIF)という一行政法人が、厚生労働相の委託を受けて すべてのお金を運用している。昔の名を、年金福祉事業団。この法人は積立金150兆円のうち、役80兆円を金融市場で運用、そのうち、7割が国内債権、3割が外国株、国内株を運用している。で、この公的年金をまかされた法人が、いくら不良債権を買ったか、どれだけ赤字株で失敗したか、公表する必要がないので、一般勤労者は知らせれないままなのだそうだ。これって、すごく怖いのではないだろうか。

私は 投資や株のやりとりに みごとに興味がない。ギャンブルが大嫌いだ。そんなふうに ギャンブルが嫌いで投資も株も嫌いな人って多いのではないだろうか。働けるうちは 働いて、自分が稼いだ分だけを蓄え、体が動かなくなったら その貯蓄で暮らしていければ幸せだ。それ以上のお金は要らない。けれど 年金会社の都合や、訳のわからない事情で 蓄えが無くなるのは困る。

毎日、テレビではスーパーヒーローのオバマ大統領が「大丈夫、景気後退はあるけれど、失業もあるけれど、がんばってやっていこう 明日は明るいぞ」と言っている。ケビン ラッドも「苦しい時期だ でも希望をもっていこう」と言っている。暗いのに スーパースターが輝いてみせている。
なんか、奇妙な時代だ。

2009年3月10日火曜日

「鼓童」と「TAIKOZ」のパフォーマンス


去年の7月に、和太鼓「TAO」のマーシャルアート オブ ザ ドラムというパフォーマンスを ステート劇場で観た。

九州をねじろに共同生活をしながら体を鍛えて演奏していて 海外にも遠征ししているエネルギーの塊のような若者達のパフォーマンスだった。大地震の前触れかとも思うような地響きを伴った ダイナミックな和太鼓のリズムに とても深い印象を受けた。

先日「鼓童」と「TAIKOZ」の太鼓集団のパフォーマンスがあったので、同じ人たちかと思って 行ってみたら 全然ちがうグループの人たちだった。

「鼓童」は、新潟県を拠点にして和太鼓や踊りや歌を披露しているグループだっだ。1981年ベルリン音楽祭でパフォーマンスをして以来、3100公演を世界各地でしてきた という。アメリカ、イタリア、スペインなど巡業し、新日本フィルハーモニーと 共演もしているようだ。

また、オーストラリアに太鼓集団「TAIKOZ」と言うのがあるということも、今回初めて知った。
監督のイアン クレワース(IAN CLEWORTH)さんは、1997年にこのグループを作ったひと。シドニー交響楽団のパーカッション奏者を20年も務めた人だ。19歳のときに日本で和太鼓に出会って練習をはじめたという。

今回は日本から5人の「鼓童」の中心メンバーと、「TAIKOZ」からは7人のメンバーの共演だった。太鼓だけでなく、歌や踊りも入った2時間のパフォーマンス。 前回の太鼓集団「TAO」には とても感激したが、今回は余り心を動かされなかった。理由ははっきりしないが、前回のような新鮮な驚きがなかった。日本から来た方々が みんな初老の方々ばかりで、エネルギーの爆発が感じられなかったのかもしれない。

彼らの特徴は、佐渡を拠点にしているけれど、佐渡の伝統芸能に固執するわけではなくて、様々な地方の民謡などを取り入れて 新しい歌や踊りを作り出しているところだ。出し物はみな、彼らのアレンジだ。従って歌も踊りも国籍不明の現代風 音楽となって、再生されている。日本からやってきているこのグループの 主要メンバー5人の名前がプログラムではローマ字になっているので、日本人の名を ローマ字でここに書くのは失礼かと思って、ネットで見てみたら ブログでも メンバー紹介はローマ字になっていた。海外で活躍することを、主に考えているからかもしれない。

「NISHIMONAI」は秋田の歌だそうだ。
「OWARIYARE」は山形。
「HANAHACHIJOU」は 伊豆八丈島。
「YATAI-BAYASHI」は埼玉県の歌 と紹介されて、披露された。
神社の女官みたいな ギリシャのビーナスみたいな 国籍不明の服を着て、創価学会が使うみたいな 小さな太鼓を叩きながら 歌われたのは、アイヌの子守唄だそうだ。

海外に住む日本人にとって、日本の民謡や伝統芸能は、わかりにくい。「OWAIYARE」が、どんな漢字があてられるのか どういう歌なのか、全然わからない。「NAGAURAJINNKU 」も、「NISHIUNAI」も申し訳ないけど、お手上げだ。 日本人だからといって、解説を求められても困る。
また 先住民族の文化については、オーストラリアに限らず どの国も、非常に神経質だ。アイヌの子守唄を 舞台で太鼓集団が こんな風にして歌っても良いのか、よくわからない。

県立沖縄交響楽団のなかで、バイオリンを弾かせていただいた時期がある。沖縄の歌がとても好きだ。あの独特の音階、独特のリズムは ウチナンチュウにはまねできない。独立国 琉球としての独特の文化を 心から尊重するから、もしこの人たちが 見世物として琉球民謡を和太鼓で、演奏したら、きっと傷ついていたと思う。日本から来た 和太鼓集団を見ながら いろんなことを考えてしまった。

ま、でも、パフォーマンス、OMOSHIROKATTA YOー。

2009年3月3日火曜日

映画「フローズン リバー」


映画「FROZEN RIVER」を観た。邦題未定。「フローズンリバー」か、「凍った河」か。

主演女優 メリッサ レオ(MELISSA LEO)が、今年のアカデミー賞、最優秀女優賞にノミネイトされた。予算の限られた独立プロが作った映画が、アメリカでヒットして、中年で地味な女優が主演女優賞に推薦されるというのも 大変珍しいことだ。晴れやかなアカデミーの舞台に これほど似合わない女優も少ないだろう。 この映画で、初めてメガホンを握って アカデミー監督賞にまで 推選されたのは、コートニー ハントという女性監督だ。

ストーリーは
極北の冬、ニューヨークの北の端 川を挟んでカナダと国境を接しているモホークという町に住んでいるレイ(メリッサ レオ)は、15歳と5歳の男の子のお母さんだ。パートタイムで、近くのスーパーに勤めている。家を買ったばかりなのに、その購入資金を ギャンブル狂の夫に すべて持ち逃げされてしまって、途方にくれている。

そんな時、乗り捨てていった夫の車を運転している女を見かけて、必死で追いかける。女は モホーク町のインデアン自治地区に住んでいる 先住民族のライラという女だった。車は乗り捨てられていたので もらったのだという。ライラは車さえあれば、大金が稼げる良い仕事がある、とレイに言う。レイは初めは相手にしなかったが、家のローンを取り立てに来る不動産屋の圧力にまけて、仕事を引き受けるために ライラを訪ねていく。 仕事とは 凍結した河と車で渡って カナダからアメリカに密入国する人を運ぶという危険きわまりない仕事だった。いつ、どこで 氷を張った河が 割れるかわからない。走行中 氷が割れれば 車ごと ただちに全員の死が待っている。氷の厚さを心配すれば 荷物を減らすしかないが トランクに入るだけの密入国者は運ばなければならない。夜間運転で方向を間違えても、車がエンコしても、命に関わる。車は ぼろい普通乗用車だ。国境警備隊の眼からも、逃れなければならない。

ライラは 私生児を産んだために 赤ちゃんを 親に取り上げられて、家を追い出された女だった。お金を貯めて自分の赤ちゃんを取り戻したい と思っている。レオとライラは 二人で危険な仕事をしなければならないことに、怒りと憤りを感じている。しかし、二人とも 自分たちの子供のために 違法な仕事を続けなければならない。互いに憎みあっていた 二人は 命知らずの仕事を 共にやっているうちに 憎悪はやがて理解に、そして、共感に変わっていく。二人は、車のトランクに中国人やアフガニスタン人を忍ばせて密入国者を運び続ける。 そして、ある日、、、。 というお話。

吹雪の舞う、極寒の凍結した河の上を車が走るごとに、ハラハラし通しだった。まったく とんでもない映画だ。 男運のない女達の 母親としての強さ、けなげな母親の捨て身の子供達への愛情。まことに女は子供のためなら何でもできる。

レオの15歳の息子がとても良い。彼にとっては 父親はヒーローだ。全財産を持ち逃げして、自分を捨てて去っていったなどとは 信じられない。父親は家の修理や 車の修理を いとも簡単にやってのける立派な男だ。そんな父親を悪し様にののしる母親が許せない。父親をギャンブラー呼ばわりするのも許せない。それでも母親なしに 生きていくことができない。母親に対して 憎み反発しながら それでも寂しくてならない難しい年頃の息子の姿には ホロッとさせられる。

映画の最後がとても良い。自分の子供のためだけに 無鉄砲な違法行為を続ける女が 自分の子供だけでなく 他の子供も不憫に思い そのために自分を犠牲にするとき、女は一段上の人間性を獲得する。 とても良い映画だ。

独立プロの小さな映画が人の心を感動させ アカデミーという最も華やかな舞台に引き上げられた、そのことに大きな意味があると思う。ハリウッドの 商品として売れ行きの良い 人々の好みの迎合するような映画でなく 独立プロで、どうしても言っておきたいこと どうしても主張したいことを映画にした若いエネルギーを高く評価したい。