オーストラリア生まれの高校生の娘を持った 日本人の友人が「母の日」に 白い菊の花束を 娘からもらって くさっている。もう充分生きたじゃない と思わず自分の心境を言ってしまって もっとへこましてしまった。
白い菊の花を見ると 悲しかった肉親の葬式をイメージして線香のにおいまで感じてしまうのは 日本人だけらしい。 普段 シドニーでも 花屋で菊の花は余り見ないのに、母の日だけは、どの花屋も、白い菊の花束でいっぱいだ。菊は英語でクレサンチマムといい、最後のマムが 母親のことだから、母の日に贈る事になったらしい。母の日にカーネーションを贈るのは 北半球の限られた国だけなのかもしれない。
母の日には 娘達それぞれから花をもらった。ふたつの花束のバラが満開で部屋中に香りが漂っている。二人が自立して家を出て行って久しいが、彼女達が巣立っていく前に すでに一生分の親孝行をしてもらっている。娘達の成長が日々、嬉しく 笑い声が生きる活力となってくれた。娘達のおかげで半世紀余り 喜びに満ちて生きてきた。この世の どの母親より幸せだったと思うから、これ以上 辛気臭い親孝行は してもらいたくない。
もう 親など振り返らずに 自分たちの道をどんどん切り開いて 前に進んでいって欲しい と思う。
今は秋。ぶどう、柿、みかんが美味しい。
ぶどうは 大粒のグリーンの種無しと、小さめの赤い種無しが甘い。柿も、みかんも ものすごい勢いで移民して増えてきている中国人が栽培していて、この2,3年は普通の果物屋でも買えるようになった。
今年は 何十年ぶりかで「巨峰」を食べた。韓国人食材店で、見つけたもので、韓国人が自分の畑で栽培して 今年初めて実がなったのだという。普通のぶどうの5倍くらいの値段だったが 久しぶりに食べて感激した。日本で最後に巨峰を食べたのは 家族で沖縄に転勤する前、娘達が 保育園にいたこ頃のはなしだ。離乳食など何も食べてくれないくせに 巨峰ならば、皮をむいてやると いくらでも食べた。
その頃 病院の輸血科で、高速血液分離採血機を操作していた。白血病の子供たちに、血液提供者から 2000MLから4000MLの血液を採血しながら、血小板だけを取って、あとを体に返す、当時としては新しい治療に参加していて、病院ではこの機械を操作できる唯一のナースだった。
秋に輸血学会があり、東欧のドクターたちや、地方からの医学関係者の前でこの採血機を 操作してみせることななった。機械を取り囲むように、見学者が立っているところを、緊張した面持ちで 血液提供者が到着した。さて、静脈に針を刺して、採血を始めますから ご注目ください、といって、針を入れる瞬間 ハッと皆の息を飲む音がして、人々の目が 私の手に釘付けになった。
てへへ、、、わたしの手の指の爪が真っ黒だったのだ。ちょっと前まで やんちゃ坊主が泥遊びしていて 手も洗わずに飛んできたみたいに。 ち、ちがいます。皆さん これは汚れではなくて 毎日 巨峰の皮をむいては うちの赤ちゃん達に食べさせてたのでーす。巨峰の皮のシブで爪が黒く染まってしまっただけで、手はちゃんと洗ってきれいです。などと、言い訳するのもシャクなので、そのまま 見学者達が私の爪の汚さに腰をぬかさんばかりにあきれているのを尻目に 仕事を続けた。
そんなこともあったっけ。数えてみると28年も前のことだ。 久しぶりに巨峰を食べて、うん、、、おいしい訳だ。
写真は住んでいるアパートの入り口。プラタナスの葉が 色付いて 落葉する冬を待っている。