2009年3月30日月曜日

ペッカのバイオリンを聴く



オーストラリア チェンバーオーケストラ(ACO) 今年第2回定期公演を聴いた。団長のリチャード トンゲッテイは 出演せずに、代わりに フィンランドを代表するバイオリニスト ペッカ クシストがACOを監督 指揮した。

プログラムは
FORD作曲: BRIGHT SHINERS
バッハ作曲 : ブランデンブルグ コンチェルト第3番
シベリウス作曲: 弦楽4重奏曲 親しき声

バッハ作曲: バイオリンコンチェルト第2番
ALAKOTILA: フォークソングより
以上

ペッカ クシストについては 去年の日記にも一昨年の日記にも 演奏会後記を書いている。「少女漫画から出てきたような 美しい細身の少年」と表現したが いまだに、そのイメージに変わりない。ミルクのような北欧の白い肌に、プラチナブロンド あどけない少年の姿のままだ。バイオリンを肩に載せて、あごで挿んでいない。弓も根元の握る場所から ずっと弓の中心にちかいところを持っている。スタンダードで常識的なバイオリンの持ち方からすると はるかに常識離れしたスタイルで弾く。そんな姿で、いったん弾き始めると オーケストラをバックにしても、ソロの音がマイクなしで 会場中を響き渡る。澄んで 太い 大きな音だ。それなのに繊細きわまる音。
こんな人を天才というのだろう。素晴らしい。生きた天才を間近で観て聴くことができるとは なんて素敵。もう彼の演奏会も4度目。幸せ。

今回ペッカが率いて ACOは、ニューカッスル、アデレード、キャンベラ、パース ブリスベン、メルボルン、ウーロンゴン、シドニーと、12回の公演をした。最後の公演を聞いたことになるが ACOのメンバーは穏やかな いつもの雰囲気を持ちながらも いつもと違う 神経を張り詰めているのがわかった。トンゲッテイ団長のいない間のペッカによる監督で、短時間に集中的な火の様な 燃えるような厳しいリハーサルを繰り返してきたのだろう。それだけに ACOの音もすごかった。とても感動的な公演だった。

バッハのブランデンブルグ コンチェルト第3番は 私達母娘3人にとって、忘れられない曲だ。3人でバイオリンとビオラで何度も何度も演奏したものだ。
東京生まれの娘達は父親の仕事先について 3歳から17歳まで 沖縄 レイテ島、マニラとバイオリン抱えて移動してきた。マニラでその父親をなくした後も バイオリンは続けてきて、しっかり成長して 大人になってくれた。どんなに そんな娘達を誇りに思ってきたか 言葉では言い尽くせない。
ブランデンブルグ コンチェルトは バッハの代表作、快活で明るく、生命力あふれる曲だ。私の歓びを 代弁してくれるかのようだ。

バッハは1717年から1723年にかけて これを作曲した。この頃 バッハはレオポルド公に仕えていた。彼の宮殿にある 美しい庭園で17名のオーケストラを従えて楽長として 作曲 演奏していた。全6曲のコンチェルトは、ブランデンブルグ領土のルートヴィッヒ侯爵に 献上された。バッハは 音楽をクリスチャンのシンボリズムと考えていたから「礼拝と同じく音楽もまた神によって ダビデを通して秩序だてられるべきだ。」と言っている。音楽の構造 構成が秩序立っていなければならないという強い信念から、クルスチャンの3という 聖なる数にこだわって 3つの楽器で、3つの高、中、低音により、3連音符を連らねて 3楽章に分かれた曲を作った。

ペッカがコンサートマスターを勤めながら指揮した ブランデンブルグは 驚くほど速く、驚くほど一つ一つの音が 明確で 鋭い それなのに軽やかで 現代的だ。5人の第一バイオリン、5人の第二バイオリン、3人のビオラ、3人のチェロとコントラバスが、本当に一体になっていた。ブラボーだ。観客も、床を踏み鳴らし ブラボーの連呼、、、会場はとても沸いていた。

シベリウス 弦楽4重奏 作品56「親しき声」というタイトルが付いて、1908年に作られた曲。
シベリウスは フィンランドを代表する作曲家だ。フィンランドは100年もロシアの圧政下にあった。彼の作曲した交響詩「フィンランデイア」は、フィンランド人の愛国心を鼓吹するという理由で、ロシア政府から弾圧を受け、演奏することを禁止された。ロシアから解放され、独立を求める人々にとって、「フィンランデイア」は 心のよりどころとなり、抵抗の音楽ともなった。彼が92歳で亡くなった時は、国じゅうが喪に服し 彼は国葬にされた。

シベリウスは7つの交響曲を残した。そしてたくさんの交響詩を書き、一生を通じて 劇音楽 声楽曲を絶え間なく作曲している。歌曲はフィンランド詩人 ヨハン ルートヴィック リュ-ネべりの詩を用いている。余り彼の声楽曲が一般的でないのは フィンランド語だったからだろうか。交響曲も7番まで作れば 当然8番への期待が集まるが 本人もプレッシャーを知っていて、「何度も完成した」と言い、「燃やしてしまった」という言葉を残して、楽譜は残さなかった。死後、出てきた組曲には、「出版しない」と書いてあったが じつは素晴らしい作品だった、という話もある。気難しい 完ぺき主義者だったのだろう。彼が 笑っている写真など見たことがない。

ペッカにとってシベリウスは 当然 身内のような感じだろう。1年の半分以上 雪に埋まっている極北の国のバイオリニストが 南極に一番近い国で 極暑 酷暑 太陽の黒点の真下にすんでいるオージーオーケストラに どんなシベリウスを演奏させるのか。じつに興味深い。

バイオリン協奏曲 作品47の没頭に、シベリウスは 自身でこんなことを書いている。「極寒の澄み切った北の空を 悠然と滑空する鷲のように」。
ペッカとACOの 弦楽4重総曲もまさに シベリウスの言葉どうりだった。驚くことに 初めの一小節 4音で、バッと、広大な雪景色が眼前に広がった。ペッカのオーケストラの音で まさに北欧の極寒の澄み切った空、雪に埋まった白樺の林、どこまでも広がっていく大雪原が 見えてくるようだ。これは、フィンランドの音だ。乾いて、清涼で 冷たく 軽やか。こんなにも 監督 指揮がフィンランド人だと オーケストラ全体がフィンランドになるなんて なんというマジック。

シベリウスもペッカのような若手の音楽家が 自分の仕事をきちんと引き継いでいてくれて きっとうれしいだろう。苦虫をかみ殺したような 陰鬱なシベリウスの写真の顔も、こんな演奏のあとでは すこしやわらいで見える。
割れるような 拍手。彼はラリアでは 特別人気者だ。良い仕事をしている。拍手が鳴り止まない。
最後にペッカは フンランド民謡を2曲弾いた。心に残る音だった。