2021年3月7日日曜日

卒園式の歌「思い出のアルバム」




3月は卒業の季節。卒園式のために、2人の幼稚園の先生が作られた曲「思い出のアルバム」を歌っている。
年子の娘たちが、それぞれ夫の赴任先の沖縄で、首里城のわきに建てられた城西幼稚園を卒園し、城西小学校に上がる時に歌った歌。しっかりした骨格、大きな目の沖縄の子供たちに交じって、声を張り上げて歌っていた娘たちの姿が、昨日のように思い出される。もう36年も前のことなんだけれど。
It is Graduation period in Japan now. I am singing song ”Memories”, that was written by 2 kinder garden teachers for graduation ceremony. My 2 daughters finish kinder garden and moved to elementary 36 years ago at Okinawa. Flush back good memories. Okinawan children have big shining eyes and strong body structures. They, include my girls sang this song with full of energy. Can not forget.


FB投稿、50曲達成 「ゴッドファーザー愛のテーマ」






2年前からギターを弾きながらフェイスブック(FB)で歌ってきた歌がとうとう50曲になった。
我ながらびっくりで、凄いと自画自賛。フルタイムで医療通訳とナースをしている71歳が、ヴォイストレーニングを受けた訳でもなく、音感は並以下、リズムは結構ズレ気味というのに、人の迷惑を考えずに歌ってやかましい、と言われるだろうが、単純にいろんな歌が歌えるようになって嬉しい。だから歌うのをやめない。人生すべて自己満足。死ぬときに、ああ楽しかった、と友達と家族に感謝しながら死んでいきたい。
2006年からブログを書いてきたのは、聴いたコンサート、鑑賞したオペラ、観た映画を自分が記憶にとどめておくための備忘録だったが、オペラは4年前から、映画は去年から殆ど観なくなった。1年近くCOVIDで映画館が閉鎖されて、興味が薄れた。関節炎で両手指が変形し痛くて、バイオリンも弾けなくなった。出来ることが限られてきても、しばらくはギターで楽しみを見つけていくつもりだ。今まで、2019年1月から歌った曲を書き出してみる。

福田満作詞作曲「バラと祝杯」、BEATLES 「BLACK BIRD」、BON JOVI「BED IN ROSES」、BETT MIDLER「THE ROSES」、「島唄」、「アリラン」、「イムジン河」、SIMON & GARFUNKEL「BRIDGE OVER TROUBLED WATER]」、SECRET GARDEN「YOU RAISE ME UP」、LADY GAGA「ALWAYS REMEMBER US THIS WAY」、「BIRTHDAY SONG」、ELVIS PRESLEY 「I CAN NOT HELP FALLING IN LOVE」、ERIC CLAPTON「TEAR IN HEAVEN」、「琵琶湖周航の歌」、「ワルシャワ労働歌」、「DANNY BOY」、REDD STEWART「TENNESSY WALTZ 」、RADWINPS「愛にできることはまだあるかい」、「死んだ男の残したものは」、「香港に栄光あれ」「GLORY HONG-KONG」、FROZEN2「ALL IS FOUND」、QUEEN「LOVE OF MY LIFE」、「GOODNIGHT IRENE」、GREENDAY「21GUNS」、「朝日のあたる家」、BEATLES「YESTERDAY」、「MY WAY」、CAROL KING「YOU GOT A FRIEND」、「I STILL CALL AUSTRALIA HOME」、BEATLES「IMAGINE」、「おじいさんの時計」「GRAND FATHERS CLOCK」、浅川マキ「にぎわい」、中田章「早春賦」、「浜千鳥」、「いつかある日」、LEONARD COHEN「HALLELUJA」、スーマー「いきあたりばったり」、あがた森魚「赤色エレジー」、成田為三「浜辺の歌」、秋吉壽和「ALOHA AU IA OE」、米津玄師「カナリア」、「サンパギータ」、VELVET UNDERGROUND「CANDY SAYS」、JOHN LENON「MOTHER」、米津玄師「まちがいさがし」、加藤登紀子「時には昔の話を」、加藤和彦「悲しくてやりきれない」、NINO ROTA「LOVE THEME FRON THE GODFATHER」以上。

I have been singing with guitar in FB since January 2019. The number of song reached 50 songs, It is amazing. Now I am singing "Love Theme from the Godfather" by Nino Rota.

ゴッドファーザー愛のテーマを歌っている。

2021年2月21日日曜日

FB オ-ストラリア国民に謝罪

  



2月18日木曜日にフェイスブック(FB)をPCで開けてみると、FBのご案内、としてニュースを見ることができません、と画面に出てきたので驚いた。個人的にはニュースは毎晩テレビで見る習慣がついているので、FBでニュースが見られなくても不便はないが、テレビをつけてみると、そのことでてんわやんやの騒ぎになっていた。
なにしろ新聞の宅配などありえない国、広大な土地をもったオーストラリアで、紙の新聞を読む人などごく僅かだ。若い人々は毎日のニュースを、忙しい合間にFBで見る。若い人の人口の3分の1が、ニュースをFBに、頼っているそうだ。その数、170万人。

スコットモリソン首相もカンカンになって怒っている。FBがサイトを閉じたのは、国営ニュース(ABCニュース)だけでなく、各州保健省(ヘルスデパートメント)、天気予報、政府キャンベラ保健省、アボリジニーヘルスサービス、ブッシュファイヤー情報、ヒューマンライト人権保護、自殺予防チャリテイーセンターなどなどのサイトが一方的に何の予告もなく削除されたのだ。
ニュースも天気予報も国民生活になくてはならない情報だろう。アボリジニーの人にとっては、保健サービス情報は大事だし、西オーストラリアではすでにブッシュファイヤーが広がっている。いつ火事から逃れるために避難するかを判断するための情報は、命に関わる。またコロナで失業者が増え、ロックダウンが続くなかで、自殺予防のための窓口もまた、人々の命に関わる大切な情報源だ。それらのサイトをFBは削除した。

FBがオーストラリアの公的メデイアからチャリテイーへのアクセスまで、サイトを撤去したのは、政府がニュースを載せるための、お金を払わなかったからだそうだ。企業の広告代で稼ぎに稼いで私腹を肥やしている世界一金持ちの、民間企業FBが言うことか。
スコット モリソンは、FBという民間企業による「オーストラリア人いじめだ。」と大声で吠えている。オーストラリア人の怒りは収まらないが、英国の通信技術委員会ジュリアン ナイト下院議員も「FBはメデイアとしての責任を放棄した。断じて許してはならない。」と激しくFBを批判した。

一方FBは、超保守派、タカ派共和党べったりのマードックファミリーが経営するモーニングヘラルド、チャンネル9,ジ、エイジ、オーストラリアンなどのニュースは、引き続きFBで見られるようにしている。FBは自分の好きな超保守メデイアは、FBで提供し、都合の悪いメデイは排除したのだ。

この件は、2日後にFBが、「うかつにも操作上のミスでチャリテイーサイトや、人権保護サイトや、天気予報まで消してしまって、申し訳ありません。」と、アジアパシフィック地域担当サイモン ミルナー副社長が謝罪した。しかしこれで一件落着ではない。解決では決してない。FBの誰が、どんな、ミスを犯すと、ニュースや天気予報が見られなくなるのか、これだけの謝罪では、全くわからない。次に何が起こるのか予想できない。
世界で最も大きな私企業が、ちょいと指を動かしただけで、170万人のオージーが影響を受けたのだ。「えへ、、ごめんちゃ!」で済むことではない。

FBが好きなメデイアのニュースだけを流し、政府の公的なニュースを見られなくする。天気予報どころか、人権擁護やアボリジニ保健活動やチャリテイー活動のサイトまで削除して、人々がアクセスできないようにする。このように露骨にメデイアを操作するFBが、いかに保守的な立場に立っているかがわかる。今後も、このままFBからニュースを読むオーストラリアの170万人は、他社のニュースや論説を読む機会がなくなれば、保守化するし、FBが好む話題だけを取り入れ、FBの好きなものを買い、満足し、FBという企業の思うとおりに生きていきそうだ。FBは、マスメデイアに操作される人々を作っている。
金をもった民間企業が、メデイアを操作する、人々を操作する、ということが実際行われたのだ。今後、決してあってはならないことだ。

歌は加藤和彦作曲、作詞サトウハチローによる「悲しくてやりきれない」です。

2021年2月14日日曜日

加藤登紀子の「時には昔の話を」

I am singing 「My Story」by Kato Tokiko that is  requested by my life long old friend Muramatsu Kazuyuki.





加藤登紀子の「時には昔の話を」を古い友達、村松和行のリクエストの応えて歌ってみた。彼とは1968年、大学1年の時に会った。54年の歳月が経ったことになる。初めて会った時から他人のような気がせず、兄弟のように感じられたのは、育った環境が似ていて、子供の時からバイオリンを弾き、小説も書いていたからかも知れない。今度の芥川賞は、私が取るといったら、即座に俺が先に取って見せると言われた。何故か討論をしても行動していても、他の人から抜きんでていて目立ち、存在感があった。彼は高校の時から運動していて、佐世保で原子力潜水艦寄港阻止闘争から帰ってきたところだった。迷わず大学学費闘争、反ベトナム戦争の隊列を組んだが、常に一歩先を歩いていた彼は、権力に連れ去られ、長いこと獄中にあった。長期にわたる不当逮捕と拘留、無用な裁判で彼の貴重な20代の大半が失われた。その間の辛さは言葉に代えがたい。

互いに家庭をもち、私がフイリピンで暮らしていて、子供たちの父親で夫であった人を失い、暗闇の底辺で手探りしていた時、彼は手作りのバイオリンを送ってくれた。友達が作ったという、美しい低音のよく響くバイオリン。モーツアルトのバイオリンとヴィオラのためのコンチェルトの楽譜も入っていた。「オーケストラを雇って一緒に弾こうぜ」と。この人ならやりかねない、と思い、50人のフルオーケストラをバックに大きなホールで、二人でモーツアルトを演奏する姿を想像して、再び立ち上がる気力が出た。

数年に一度しか帰国して、やもめになった父を訪ねて行かない私に代わって、彼は父に花をよく送ったり、訪ねてくれた。父は居間に置いた小さな黒板に、彼の電話番号を書いていて、死ぬまで何かあったら電話で助けを呼ぶから、と頼りにした。父は、むかし早大政経で教務主任をしていたころ、早大全学闘委員長だった大口昭彦に退学を言い渡した。そのことでずっと胸を痛めていて、大口昭彦の友人だった彼と関りを持つことで贖罪したい気持ちもあったのだと思う。

この歌を作詞作曲した加藤登紀子も、その夫の藤本敏夫も、同じ時代を駆け抜けてきた。反帝全学連副委員長だった藤本の力強いアジテーションは有名だった。
昔のことを振り返ることには、失ってきたものが多くて痛みを伴いうが、54年間ものあいだ友人でいてくれた村松和行に心から感謝している。

2021年1月31日日曜日

ジョンレノンの「マザー」Mother

       

I am singing "Mother" composed by John Lennon. Hope all children are safe from domestic violence even though such a tough time under the epidemic and economic condition. 
幸せな子供時代を送らなかった、ビートルズのジョン レノンが作った「MOTHER] を歌っています。パンデミックのなかでも、すべての子供たちが家庭内暴力を受けずに済むように、願ってやみません。

2021年1月25日月曜日

オーストラリアデイによせて

     


25年前の1月25日に、10年暮らしたフイリピンを出て、二人の娘たちと、オーストラリアに移住した。娘たちはマニラインターナショナルスクールの10年生と11年生だった。出発直前に年学期の終業式のコンサートで最後の演奏を終えたばかりだった。二人の娘たちはオーケストラのコンサートマスターを務め、3人とももうバイオリンなど弾くこともないかもしれない。弦よ燃えよ、弓よ折れよとばかりに渾身の演奏をして、世話になった学校を後にした。
フイリピンマニラ空港の混雑に揉まれて、1月になったのにメリクリスマスと言い金品をねだってくる入管局職員やなんかの伸ばしてくる手をよけながら、乗り込んだ飛行機は満席で、なぜかミスでダブルブッキングされていて3人はばらばら席。
やっと着いたシドニー空港から見上げた、雲一つない大きな青い空が忘れられない。私たちは、3人それぞれがバイオリンと小さなバッグを背負っただけの姿で、知り合いもない、友達も親類もいない新しい土地に着いて生活を始めたのだった。



その日は、オーストラリアデイ、祝日だった。英国人探検家ジェームスクックがボタニー湾に到着して、シドニーコーブで植民地として領有を宣言した日だ。国を挙げての祭日。この日から、先住民族アボリジニの虐殺が始まる。アボリジニは5万年も前から先住していて独特の言語と文化を持ってきた民族だ。しかし、この日は、デイフェンスフォースによるパレード、政府による式典、この1年の間に活躍した人への功労賞、国民栄誉賞などが賞与される。式典は、オーストラリアでは国会が始まる時や、スポーツや大きなイベントが始まる前に必ず行われる、アボリジニーのスモーキングセレモニーで始まる。ユーカリの葉に火をつけた煙で参加者全員が身を清めて式典が開始される。




今年はコビッドで式典も縮小されるだろうし、パレードするデイフェンスフォースも、空港やホテルで海外から帰国してきたオージーの検査、誘導、ホテル隔離に駆り出されているので式に参加する数も限られるだろう。
今年の栄誉賞のトップに推薦されたのがテニスの昔のチャンピオン、マーガレットコートであることで勲章賞与に反対する人が続出している。彼女は、ゴリゴリの保守で引退後、ペンテコステ派の聖職者となり、LGBTQIを悪魔呼ばわりしていて恥じない。今年表彰される予定のキャンベラのクララ スー医師は、LGBTQIへの差別を助長するような勲章などは受けるつもりはない、と辞退。前年に表彰を受けた人々のなかにも勲章返上の動きもある。ただでさえLGBTQIの自殺率が高い。勲章辞退、返上の波は広がるだろう。

オーストラリアデイは、アボリジニにとっては、侵略された日だ。多くのアボリジニは、各地でお祝い気分の祭典に抗議して、デモに参加する。年々デモの規模は大きくなってきているが、2020年は、ジョージ フロイドの死を契機にしたブラック ライブスマターの広がりの中でアボリジニーの拘束中の死が脚光をあびた。ニューヨークのデモに、「アボリジニー432人の死」に抗議するオージーが加わって大きく報道されたのだ。
アボリジニーは5万年も前から大自然と共に生きてきた。自分の家や、他人の家、公共施設といった「境」が文化の中にない。彼らにとっての「マイ プレイス」は実際自分が住んでいる家でなく、まわりの土地全部、湖、山々、海を含むのだ。そんな人々がいったん酔っぱらって公園で寝ていたり、他人の自転車をちょっと借りただけでポリスに拘束され、窓のない日の差し込まない留置所に留め置かれたりする。それだけで神経が拘束に耐えられず自殺者が出る。アボリジニーに対するポリスの暴力的な扱いも止まない。この10年に、獄死者 432人。



1月26日
オーストラリアデイは、わたしたち母娘3人が、オーストラリアに来て新生活を始めた特別な日。
英国人を先祖に持った侵略者たちが、この国に到着して植民地にした開国日。
アボリジニにとっては侵略を受けた屈辱の日。
国民の40%が外国からの移民でよって作られているオーストラリアで、人口3%弱にまで減少してしまったアボリジニー文化に、敬意をもって、アボリジニの怒りに共鳴して、その日を過ごしたい。


2021年1月24日日曜日

ベルベットアンダーグランドの「キャンデイー セズ」




ベルベットアンダーグランドの「キャンデイー セズ」を歌ってみました。「わたし、自分の体が嫌い、人前で目立つのも、大事なことを自分で決めるのも嫌。きっとわたしって幸せになれないんだと思う。」キャンデイという小さな女の子が、おそらくLGBTQI(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、クイアクエスチョニング、インターセックス)の悩みを抱えて社会との接点でもがき苦しんでいる歌です。
I am singing " Candy says" by The Velvet Underground.  A small girl, Candy hates her body self and being struggled to get close with society, because of LGBTQI.
 Hoping the day will come when she loves for herself and loves others.



2021年1月11日月曜日

フィリピン民謡「サンパギータ」





I am singing old Philippine folk song " Sampaguita". My family spend 10 years in the Philippine and I was a violin teacher at International School Manila where my 2 daughters were studying. We used to wake up in the morning with full of sweet smell of Sampaguita; little and humble white flower.

フイリピンで10年間過ごした日々、朝早くサンパギータの甘い香りで目を覚ましたものです。古いフイリピンの民謡、サンパギータをタガログで歌っています。
        

2021年1月7日木曜日

オージーナースと日本の看護師さん

                        

大昔のことだけど、大学で4年マスコミュニケーションを学び、2年新聞社で働いて、ひどい女性差別とセクシャルハラスメントを受けて、一生働ける職業を、と思い都立看護学校に行き、都立病院に勤めた。当時、大叔父にあたる大内兵衛は、90歳だったが、手を取られ都知事選の選挙演説カーによじ登り、美濃部亮吉を応援した。無事都知事になった美濃部都政は、将来予想される看護師不足に対処すべく、いくつもの全寮制の看護学校を作り都立病院を設立、その横には看護師寮も保育所も作った。その美味しい部分をすべて甘受した。

結婚していたので寮には入らなかったが、学費無料で、返金なしの奨学金のお小使いを受け取りながら、卒業後は都立病院に就職。奨学金もらったお礼に、いっぱい働くから、と約束したそばからたて続けに妊娠してごめん、有給休暇。ほとんど無料の病院付属の保育園で娘たちも、自分も親として育ててもらった。経験豊かな保母さんたちに何もかも教わって支えられた。どんなに感謝しても感謝しきれない。40年以上前のことだ。

病院はエアシューターでカルテも薬も、他の施設とやりとりして、必要な時、瞬時に受け取れる。看護師たちは、月に2日の生理休暇をもらえたし、残業する人などいなかった。看護師たちには、更衣室とロッカーが与えられていて、仕事が終われば脱いだ制服はポイとドロップすればエアシューターで地下3階の洗濯室に行って、洗われてピシっとアイロンされて、3日後に配達されてくる。シャワーもお風呂もあって着替えて、保育所の娘たちと帰宅する、そんな40年前のことを、いまオージーナースたちに話して聞かせると、みんな目を丸くして、「すごい!日本すごい!」、「保育所無料ってすごい、自分は給料の半分以上チャイルドケアにとられてるのに!」とか、「制服にアイロンかけて返してくれるの、うらやまし。」とか言われる。しかし、いまになっては、その良かったすべてが、過去になっている。公立病院付属だった保育所は民間に売り渡され、洗濯業務も給食業務も民間。ついでに政府は、都立病院そのものを私立に売りに出す予定だそうだ。

最近、医療通訳を頼まれたとき、日本人ナースと話していて、日本では残業が大変だ、と聞いて驚いた。給料も上がっていないことも驚きだ。
40年前にできていたことが、今できなくなっている。保健所がない、ナースが足りない。病院が足りないって、どういうこと。美濃部亮吉都知事のあと、どんな悪い奴が知事をやるとこんなひどいことになるのか。
今日本ではCOVID 患者の急増に、病院施設も、看護師も足りなくて悲鳴を上げている。COVID患者を受け入れていた私立病院が経営が成り立たなくなって倒産の憂き目にあっている。低給料、過重労働で働いている看護師たちがいっせいに離職している。政府は看護師を確保するために、この40年間何もせずにいたのだから、こんな結果がでることは当然だった。40年前にできたことが、どうして今できないのか。待遇は良ければ誰も離職したりしない。

国家予算で、どんなことがあっても削ってはいけない分野が、教育と医療だ。これを国家ではなく、民間にやらせたら、国は滅ぶ。市場原理に任せ、アングロサクソン型資本主義の、新自由主義を導入すれば、「小さな国家」と、「巨大な民間企業」が出現し、教育も医療も切り売りされて、企業を太らせるだけになる。あってはならないことだ。

オーストラリアの看護師の免許は英国、スコットランド、アイルランド、カナダ、シンガポール、中東の国々でも通用する。沢山の英国人やアイルランド人がこちらの病院に働きに来ている。彼らは病院の寮に入ったり、アパートをシェアして働き、お金がたまるとオーストラリア中を旅行して楽しんでいる。ナースには1年に6週間の有給休暇があり、たいてい年内に消化する。残業したら、自分のタイムマネージメントができないトロい奴と思われ嫌がられるから時間きっちりに帰る。病欠も嫌がられない。定年はない。何歳になっても働けるし、雇用で年齢、性別、出身で差別されてはいけないことに法で決められている。
私がオーストラリアでナースになって一番ほっとしたことは、ナースという専門技術職が社会的に高く評価されていることだった。学校の先生より給与も良いし、地位も高く評価されている。
日本で看護師になると言った時、母に「他人の尿や便を扱う仕事に就く気ですか?」と問われ、のちにフイリピンで離婚騒動が起きた時、兄には「看護婦の分際で子供2人育てられる、などと思いあがるな。」と言われた。驚くべき職業貴賤と、男尊女卑の精神構造。日本の看護師はその教育の高さや、技術を過小評価されすぎている。日本では医師会の力が強く、ナースが独立した職業と認識されておらず、医師の「お手伝いさん」扱いされてきた歴史も無視できない。

こんなことではいけない。看護師が誇りをもって働けるような社会、看護師がいつ6週間休暇をとっても困らない勤務体制、看護師が風邪気味のときに気持ちよく病欠が取れる勤務表、そして働いた分に見合うような給与をもたなければ、医療に明日はない。
日本の看護師さん。今の生活がおかしいと思ったら、COVIDのいまのうち英語をしっかり学んで、さっさと辞表をたたきつけ、国外に出るべきだ。
ナースの知識と技術は、どの国でも通用する。

2020年12月24日木曜日

2020クリスマスに

この一年に大切な方々を亡くされた方々、大事なペットを失った方々が、安らかな気持ちでクリスマスを迎えられますように。
People who lost love one: person and pet, May your Christmas be filled with peace. Merry Christmas!


2020年12月22日火曜日

愛猫クロエが死んで

            


16歳になった愛猫クロエがなくなった。私に抱かれて、その死の瞬間まで全幅の信頼をよせて、体重をすっかりもたせ掛けて私を見つめ続けていた。大きな黒い目を閉じることなく、その目は、体が冷たくなってしまっても輝き続けていた。

肝臓がんと言われ、血液検査をしたら1単位に50くらいなければならない赤血球が12しかなかった。いま突然息が止まっても不思議ではない、と言い渡されて、最後の頼みのプレドニン注射を2回受けて、ひと月、私と普段通りに暮らした。無理を言って長い休暇をもらって一緒に居られたことが、私には何よりも幸せなことだった。

クロエを失って、悲嘆にくれた。20年余り一緒に暮らしたオットが2年前に、死んだ時よりずっと悲しい。ヒトは愚かな、罪深い存在だが、クロエは違う。私の喜怒哀楽をすべて共有してくれた。クロエには邪心がない。心と心だけで私たちは結ばれていた。


初めのころクロエは甘え方が下手な猫だった。抱き上げると嫌がって爪を立ててくる。雌なのに来客があると、シャーと相手を威嚇して、ここは自分のテリトリーだと主張する。娘がアメリカ製の立派な爪とぎ木を取り寄せてくれたのに、それを一瞥もせず皮製のソファーで爪を研ぐ。絨毯の一番目立つところで爪とぎの仕上げをする。おかげでソファーセットも、絨毯も、ベッドもボロボロになった。食事の好き嫌いも激しい。気に入らない猫缶やカリカリを出すと,匂いを嗅いでサッと立ち去る。絶対に、せっかく出してくれたんだから試してみよう、などと親切心を起こさない。余程寒い夜など、以前の犬や猫は寝ている私のふとんに潜り込んできて、私の枕を横取りして一緒に寝たものだが、クロエは布団に入ってくるとそのまま、私の足まで行って、そして出ていく。それを何度も繰り返すので、冬など寒いのなんのって。猫じゃらしや、ボールで遊ばせようとしても、全く関心を示さない。まことに人に甘えない、人に媚びない、関心をもたない、不思議な猫だった。そのくせ コンピュータを使おうとすると、キーパッドの上で寝そべって動かず仕事の邪魔をする。料理を始めようとすると、台所のシンクのなかでリラックスしているので、水が出せない。本当に気難しい猫だった。


前の猫を17歳で亡くしていたので、もう猫を飼うことはないだろうと思っていたときに、獣医の娘がクロエを連れてきた。オーナーが安楽死させたい、とクリニックに来た、という。そのオーナーは家に子犬を飼った。新しく来た子犬をクロエは虐めて、いたぶって噛み殺そうとしたらしい。まだ若いのに安楽死はないだろう、と思って娘の言うまま、うちで飼うことにした。そのクロエは家に来て3日で居なくなった。住んでいた高層アパートで、ベランダから飛び降りて逃げ出すことはできない。でもベランダ越しに小さな隙間から隣の家に行くことができる。ちょうど隣の一家が引っ越して、ペンキ屋や絨毯屋が出入りしているときだった。誘拐されたらしい。1週間後に、とんでもなく遠くにある獣医から連絡があり、マイクロチップから私の電話番号がわかって、クロエを保護したので引き取りに来てほしいという。あわてて40分運転して迎えに行った。やつれても、痩せてもいない。足裏も汚れてもいなくて長い毛でふかふかだ。何があったのか言ってくれないので、どうしてそんな遠くにいたのかわからない。でもそれからは、平穏に10年間、私と一緒に暮らしてくれた。


16歳になって徐々に痩せてきて、食べ物の好き嫌いも以前より激しくなって、来客嫌いも治らないが、私にはとても甘えるようになった。私が台所に立てば横に来て見上げ、トイレに行けばドアのところで待っていて、外出から帰れば地下の駐車場の車の音でわかるらしく、家の入口で「正座」して待っている。朝は私のほほを、シャープな爪で3-4回ひっかいて、朝食を催促する。夜はベッドの足の方で丸くなり、私がベッドで足を伸ばせないようにしてくれる。おかげで私は首を寝違えたり腰痛で動けなくなったり、散々な目にあった。片手で本をもって読んでいると空いている方の手に顔をこすりつけてくる。机に向かっていると足にからみついてきて、横で寝そべっている。どこにいったのかな、と見まわしてみると、部屋の隅に居るが、顔だけはこちらに向けていて、じっとこちらを見ている。


いま息が止まっても不思議じゃない、覚悟して、と言われてから、仕事を休んでずっと一緒に居た。最後のころ、クロエはいつもこちらを見ていた。寝転がっていても、へたばっていても、いつも目の届くところにいて、私の気配を察して必ず目を合わせてくる。愛情を確認するように美しい金色の目を交わしてくる。ペルシャのミックスなので長いふわふわの自慢の毛は、病気で食べなくなってもつやつやして、輝いていた。赤血球が足りないから酸素が十分体に行かないで呼吸が苦しいはずなのに、立ち振る舞いは優雅そのもので、決して姿勢を崩さなかった。きっちり前足をそろえて、おしゃれな姿勢で立っている。


いよいよ何も食べられなくなって、貧血で、呼吸数が1分間に40と早かったのが、50になって呼吸困難が明確になって、これ以上引き留めることが、可哀そうで辛くなった。注射を4本。最初の麻酔注射で眠ります、といわれたけれど、クロエは大きな目を開けて、私を見つめていた。それから静脈注射を3本。心臓も呼吸も止まったのに、大きな目でこちらを見ている。体が冷たくなっても、その目は私を見つめていた。

クロエとふたりで生きてきた。クロエが居なくなってしまって、一人きりで生きていく自信があまりない。つらくて、つらくて、クロエを安楽死させたことを、娘たちにメッセージした。すると数分後に、11歳のマゴから「おばあちゃん、クロエが亡くなって残念です。でもこれからはいつもいつもクロエはおばあちゃんと一緒に居る、っていうことを忘れないでね。」と。11歳にして、何というマチュアリテイ、、、。遠く離れて住むマゴが、悲しまないで、と必死で慰めてくれている。11歳の思いやりのこもった言葉が、悲嘆にくれて、ひとりぼっちだった魂を救ってくれた。娘たちもすぐに電話をくれた。クロエ、長いこと一緒に居てくれて ありがとう。ありがとう。ありがとう。



2020年12月11日金曜日

2020年12月に職場の仲間たちと

今年はパンデミックで、押しつぶされるほどの大きなストレスの中で働く最低の年だった。定期的に検査され、自分に一度でもコビッドテストで陽性が出れば、接触した50人の患者と30人ほどのスタッフが、2週間自宅隔離にを言い渡される。パートタイムの職員は2週間仕事にこれず無収入となる。患者たちは、2週間面会禁止、外出禁止となり、ただでさえ認識障害が出ているのに、症状が進んで、ひどい痴呆状態になったりアルツハイマーで暴力性が突出したりして事故が急増する。毎日、一人でも患者が熱発したり咳をすると、一挙に患者隔離、テスト、消毒、マスク、エプロン、シユウカバー、アイプロテクト、で対応する。一日として気を抜ける日がない。

もう楽しく仕事ができない、と職場を去るスタッフも多かった。職場のクリスマスパーテイーも、慰労会もなし、ストレス値ばかりが上がる。ならばと、気の合う仲間たちだけで小さなクリスマス会を持った。ナースたちは、ガーナ、シエラレオーネ、アルメニア、フイリピン、バングラデイシュ、ネパール、タイ、中国出身。
もうじき71歳になるが、ここで立ち止まることはできない。これらの仲間たちと一緒に、現役で、ここに踏み留まって、すこしでも前進していきたい。
         

2020年11月24日火曜日

危険な日豪軍事協定



オーストラリア保守自由党党首スコット モリソン首相は、この11月17日単独訪日し、菅義偉首相に会い、「円滑化協定」(RECIPROCAL ACCESSAGREEMENT)について合意した。
オーストラリアが、今年に入って厳しいロックダウンで、海外渡航禁止、国民の国外出国禁止、国境封鎖を続けているにも関わらずにだ。コロナ禍でモリソン首相は、一度も外遊をしてこなかったし、海外にいた2万人ちかくのオージーが、自分の国に帰ってこられなくなって大騒ぎをしているこの時期に、首相が海外渡航するとは異例のことだ。

この2週間、日本から帰国して、モリソン首相は自己隔離している。コロナ流行以来ほとんど毎日、彼は官邸から記者会見をして現状報告とメデイアへの質問に答えてきたが、それをビデオメッセージに変えて記者会見に応じており、自宅にジムのマシンを持ち込んで運動したりして体調管理しているそうだ。2週間自己隔離で外出できず、誰にも会えない。そんな犠牲を払ってまで日本に行って菅首相に会う必要があったのか。

誰も日本を問題にしていない。世界中のメデイアは日本の政界劇に興味を失っている。
しかし米国が大統領選挙後のトランプ混迷にある時期に、それも国境封鎖が厳しい中、首相専用機で国境を突破して、オーストラリア首相が日本首相と、直接会って話し合わなければならなかったことは、何なのか。サイバーアタックで、漏れたらオーストラリアにも日本にも困るような、深刻な「密談」が行われたとしか考えられない。同国にとって大変重要な日豪軍事密約がなされたに違いない。それは、中国を視野に入れた日豪軍事同盟関係を強化するという防衛協定というだけではないような気がする。
すごく、嫌な感じだ。
 歌は「浜辺の歌」成田為三作曲です。

2020年11月3日火曜日

映画「レベッカ」

タイトル:「レベッカ」
原作:ダフネ デユ モーリエ            

監督:ベン ウイトリー                    
キャスト
わたし:リリー ジェームス
マキシム ド ウィンター:アーミー ハマー
家政婦ダンバー婦人: クリステイン スコット トーマス

1940年版 「レベッカ」
監督:アルフレッド ヒッチコック
キャスト
わたし:ジョーン フォンテーン
マキシム ド ウィンター:ローレンス オリビエ
家政婦ダンバー婦人:ジュデイス アンダーソン

ストーリーは
休暇で、モンテカルロにホッパー婦人の付き人(レデイスコンパニオン)として来ていた、「わたし」は、同じホテルにいた英国紳士、マキシム ド ウィンター卿に出会う。マキシムに誘われるままドライブや食事を共にするうち、恋に陥り求婚される。二人して素晴らしい夏を過ごすが、ハネムーンが終わり、マキシムの由緒ある古い屋敷マンダレイに着いてみると、屋敷は、巨大な博物館のようで、わたしは家政婦長のダンバース婦人をはじめ使用人たちからは、好奇の目と冷笑で迎えられる。ダンバース婦人は、1年前に嵐で溺れて亡くなった前妻レベッカが、子供の時から世話をしてきた女でレベッカに心酔していたため、新しい妻のわたしを認めようとしない。陰湿ないじめを繰り返され、追い詰められたわたしがダンバース婦人のの誘導に乗って窓から身を投げようとしたとき、大きな花火の音がしてわたしは正気を取り戻す。
花火は1年前から行方不明だった前妻レベッカを乗せたヨットが見つかったことを知らせる合図だった。船内からレベッカの死体が見つかる。レベッカの愛人だった従弟ジャックは、マキシムが二人の関係を嫉妬してレベッカを殺した、と主張する。レベッカの死因をめぐって裁判が起こされ、マキシムは殺人者か否かを問われる。しかしロンドン在住の医師が、レベッカは癌に侵されていてあと数か月の命だったが、誇り高いレベッカはそれを誰にも言わず自ら死んだ、と事実を明らかにする。レベッカの呪詛からやっと逃れられたマキシムと、わたしが屋敷に帰ると、狂ったダンバー婦人が屋敷に火を放ち、屋敷は目の前で崩れ落ちて行った。
というお話。

英国人作家ダフネ デユ モーリアが、わずか30歳の若さでこの小説「レベッカ」を書いた1938年から80年余が経った。彼女は「鳥」も書いている。
「レベッカ」は発表後、すぐに脚光を浴びて戯曲化され1940年ロンドンのクイーンズシアターで演じられ大人気となった。ダフネは小説だけでなく他にも戯曲「THE YEAR BETWEEN」や、「SEPTEMBER TIDE」など書いて舞台で演じられている。祖父は作家で風刺漫画家として有名だったジョージ デユ モーリア、父親は役者だったジェラルド デユ モーリア、母親は人気の高い女優のミュリアル バーモンドだった。そういった家族の知名度の高さが彼女の作家として成功する要因にもなった事だろう。軍人と結婚して、1男2女を育てたが、81歳まで生きて、英国の田舎コーンウェルに住んだ。若い時からインパクトのある個性的な作品を書いたが、ベストセラーを続出しても本人は人前に出るのを嫌い、コーンウェルの田舎から外に出ることもなかった。

テイーンのときに「レベッカ」と「鳥」を読んだが、短い文で読者を没頭させる。語り手の間の取り方、語りの巧みさ、話の持っていき方が巧妙で読者を不安にさせ、怖がらせる優れたミステリーのストーリーテラーだ。たとえば、女が島に着くとなぜか急に寒気に襲われる。すると大きな黒い鳥が鋭い視線で女を見竦めていた、、、というように、ただ LOOKとかWATCH 見ていたのでなくて STARE、震え上がるくらい怖い目で凝視されていたのだ。この時から鳥の目が怖くて視線を合わせないようにしている。彼女はまことに天才ミステリー作家といえようか。

映画監督、アルフレッド ヒッチコックが、ダフネの作品に、音響効果や視覚効果を加えて一流のサイコテイックスリラー映画を仕上げた。
「レベッカ」は、英国人ヒッチコックが渡米して作品を制作するようになって最初の記念的ヒット作品だ。のちの作品「鳥」でもヒッチコックは成功した。
ヒッチコックの「レベッカ」は配役が素晴らしい。「わたし」を演じたアメリカ人、ジョーン フォンテーン、マキシムを演じた英国人ローレンス オリビエ、ダンバース婦人を演じたオーストラリア人のジュデイス アンダーソン、3人ともその年のアカデミー賞主演賞、助演賞を獲得している。この1940年第13回アカデミー賞で、「レベッカ」は最優秀作品賞、撮影賞も受賞している。それなのに監督賞だけをヒッチコックは逃した。この年の監督賞は、「怒りのぶどう」のジョン フォード監督に与えられている。1940年といえば戦争中だ。世界恐慌のあと街は失業者があふれ、餓死者が出て、労働組合の芽が育っていた。スタインベックの名作「怒りのぶどう」の力強い労働者の怒りが人々の心を揺さぶったことを思えば、このときジョン フォードに栄誉が与えられたことは、妥当な判断だったはずだ。

ヒッチコックは「レベッカ」を白黒映画で撮影し、わずかな光、暗い死を思わせる古い屋敷、音もなく忍び寄るダンバー婦人などを強調することによって、存分に視聴者を怖がらせてくれた。最後の火事のシーンは有名だ。焼け落ちる屋敷の火の中で勝ち誇って笑い続ける狂った家政婦の怖さは忘れられない。夢に出てくるほど怖い。

新作「レベッカ」では、配役の悪さが目立つが、ヒッチコックよりもずっとお金をかけて、イングランドのロケーションをたっぷり見せてくれて満足した。
配役の悪さでは、まずアーミー ハマーが、45歳初老の貴族に見えない。2メートルの長身、知的な風貌、文句のないハンサムな顔、からし色の3つぞろいの背広が似合って美しいモデルのようだ。浮気な妻を殺したかもしれない影をもった富豪にもみえない。ハンサムすぎる。
またリリー ジェームスが20代前半の恋愛経験のない、親のない薄幸な女の子に見えない。アーミー ハマーも、リリー ジェームスも同じ年ごろに見える。平民のリリーは妻として貴族の館に招き入れられて、伝統を重んずる貴族のしきたりも作法もわからない、まわりの誰もが彼女が失敗するのを待っている。そんな中で消えゆくほどに自分を失い、ダサい服を着て顔の輪郭さえぼやけた存在だった。
それがボートが引き上げられたとたんに事態が変わる。マキシムは「富豪貴族のウィンター卿様」ではなくて、自分の「夫」だ。夫が殺人犯人にされそうになったとたんに、強い「わたし」に変わる。生き生きとした自立した強い女、目鼻立ちがはっきりして、強い生きる意志が表れる。きりっとした服装にきっちり顔が見える帽子をかぶり、きっぱりした歩調で歩く。すべてが180度変わる。一晩にして薄幸少女が、自信に満ちた妻、強いワンダーウーマン、グラデイエイターの変わるのだ。そういった変化の表し方が、上手だった。これはヒッチコックにはなかったことだ。女優の実力だろう。

ヒッチコックの白黒フイルムがほとんど屋敷の中での撮影だったのに比べて、新作ではロケーション撮影が主になっていて、イングランドの景色が素晴らしい。激しい波が打ち寄せる断崖絶壁。白い岩の壁がそびえ立つ。荒々しいイングランドの海岸線。強い風を受けて建つ小さな釣り小屋。レベッカが愛人と隠れて過ごした釣り小屋は、岩の上で吹けば飛ぶような儚い存在だ。そんな小さな小屋を、レベッカが愛した犬、ゴールデンレトリバーが、新妻を誘導する。死んだレベッカを悼む気持ちは家政婦だけではないのだ。

美男美女の「レベッカ」新作は見て楽しい。しかし80年ものあいだヒッチコックの「レベッカ」は名作として人々から忘れられずにきた。80年経って、どうしてもリメイクが作られなければならないという理由がみつからない。舞台と違って、映画はどんなに上手にリメイクしても、人は前作と比較する。残念ながら古い映画のリメイクで成功した例が思い浮かばない。


ハンフリー ボガードとイグリッド バーグマンが演じない「カサブランカ」は見たくない。クラーク ゲーブルとビビアン リーが主演ではない「風と共に去りぬ」も、見たくない。グレゴリー ペックとオードリー ヘップバーンの演じない「ローマの休日」も見たくない。ついでに、三船敏郎の主役でない「羅生門」も、高倉健がやらない「唐獅子牡丹」も、渥美清が出てこない「ふうてんの寅」も見たくない、のは私だけではないだろう。

2020年10月19日月曜日

コロナ禍あれこれ


                        




歌は「ハレルヤ」(hallelujah)
この10月18日、ニュージーランドの総選挙で、保守国民党を破り労働党党首のジャシンダ アダーン40歳、が首相に再選されたことは喜ばしい。
世界で一番早くに国境閉鎖を敢行、コロナによる死者を世界一少数に抑えた実績や、積極的な福祉政策、税金対策などを打ち出したことが評価された。またモスリムが超右派テロリストに襲われたときに、即時にその武器となった自動小銃、セミオートマチックガンの所持を禁止した行動力は高く評価された。首相になってから出産を経験し、授乳のためにパートナーと議会に出るなど、若い女性として首相の任を自然体でこなす姿も好ましく、国民から高い支持を得た。

世界でコロナによる死者、111万人、米国だけで21万人、感染者3千800万人、といった記録が日々更新されていく。ニュージーランドでは死者25人と低く抑えられたのは、政府によって早くから対策が練られた結果だろう。

彼女が3月19日にニュージーランドロックダウン、国境閉鎖が宣言されたときは驚いたが、その5日後にはオーストラリアも国境を閉鎖した。ニュージーランドという弟に先を越されて、悔しかったのかオーストラリアのスコット モリソン首相は海外からの入国禁止だけでなくオーストラリアの国民、永住者の外国への出国まで禁止した。出国禁止、国民封じ込めは他のどの国もやっていない、オーストラリアだけの緊急事態法による決定だった。

現在オーストラリア人のコロナによる死亡は、898人。そのうち、810人がビクトリア州民だ。また死者のほとんどが80歳以上の老人だったということも特徴といえる。一般に年寄りは冬に死ぬ。いま南半球は冬を脱したところだが、毎年インフルエンザで1万人くらいの死者が出るが、今年はインフルエンザは全く流行らなかった。インフルエンザよりも致死率が高いはずのコロナで、死者がこれほど抑えられた事、冬に老人の死亡がこれほど抑えられた事は驚異といえる。国民全体の「外出禁止、自宅学習、自宅勤務」の努力の結果と言えよう。若い人々と社会の犠牲の上で、年寄りの命は保護された、ということか。

子供が学校に行けず、若い人が職場に行けず、勤務先が倒産するのをただ家で見つめ、自宅から1キロ以内で食料の買い物を済ませ、エッセンシャルワーカー(ドクター、医療関係者、スーパーマーケット従業員、ガソリンスタンド、公共機関、清掃業者など)だけがマスクをして職場と家の間を往復する、レストラン、パブに行かず、映画も美術館もコンサートもあきらめる。そういった数か月の国民の努力の結果、コロナの死者は800人台に抑えられた。
私の職場、エイジケアでは施設への入所も外出も禁止、面会禁止となり、週末は時々家に帰っていた人は、それができなくなり、家族が面会に来てくれるのだけが楽しみだった人の楽しみも奪われた。そのために自分でトイレに行けた人が、排尿便失禁でおむつを当てるようになり、施設の居住者全員の痴呆が進んだ。特にアルツハイマー患者で暴力的になる人が増え、職員が殴られるなど事故が絶えない。公立病院でも、とくに救急室で、同じような暴力事故が増えている。そのような犠牲のもとで、コロナの死者が抑えられている。

オーストラリア国民の出国禁止は、まだ解かれていない。来年1月に、国境を開けるとモリスン首相は言ったが、2021年6月までは国境を開けても、来た人が着いて2週間は、指定されたホテルで隔離されるというのだから、それでも旅行に来る人がいるのだろうか。実質は2021年7月から海外からの旅行者を受け入れる予定、ということだろう。

海外旅行の話をするのは早すぎる。海外から帰ってこられないでいるオーージーが、29000人いる。国民の4分の1が外国生まれ、移民で形作られた国で、国際結婚でない人の方が珍しい。外国に親戚が居ない人など、一人として居ない。そんなオージーには州境も国境も同じくらいに容易く乗り越えられる存在だった。親の介護でロンドンに帰っていたがロックダウンで帰国できなくなり、半年間も肩身の狭い思いで親戚の間をたらい回しされている夫婦、出張で来ていたドバイで足止めされ数か月、会社からの予算を削られてホテルに滞在できず事務所の硬い床で寝泊まりするITエンジニア、新婚旅行中に帰れなくなって、やむなくぺルーの安いモテルで自炊しながら飛行機が飛ぶのを待っている新婚夫婦、ヨットで世界一周でしていた夫婦は南アフリカで足止めされて、モテルに転がり込んだらヨットを盗まれて、、、などなど悲しい話ばかり。ようやく政府が、29000人のオージーのために帰国便を飛ばす計画を立てているが、エアフィーが高額のことと、オーストラリアに着いても指定のホテルで2週間隔離されることには抵抗あるだろう。

国境が異常に高くなったうえに、州境まで厳しく閉鎖されたままだ。メルボルンがコロナの多発でビクトリア州境が閉鎖されているのは理解できるが、観光が主産業のクイーンズランド州とタスマニア州と西オーストラリア州が、他州からの越境を許していない。毎日のようにニューサウスウェルス州プレミアと、クイーンズランド州プレミアが黄色い声で喧嘩しているのをニュースで聞く羽目に陥っている。

シドニーでは、まだ公共交通機関や人込みでのマスク着用と、人と人との間隔を1,5メートル以上開けることは義務化されている。しかし図書館、映画館、レストラン、パブは人数制限されながらも、QRコードを登録すれば入場できるようになった。QRコードは、感染者が出たら連絡が入って感染を追跡できるようにするためだ。そんな登録をしてまで映画を見るか、外食をするか、選択に迷う。街に出て見渡すと、倒産した事務所、閉鎖したレストランの看板ばかり。壮絶な眺めだ。
失業者の増大、倒産、年金の過剰な引出しによる危機、貧困増大、子供たちの学習の遅れ、観劇、コンサート、音楽活動などの実質的な文化活動阻害による損失、などなど。問題が先送り、先送りされている。1年後、2年後の社会状況を見るのが怖いのは、私だけではないだろう。

2020年10月6日火曜日

映画「シカゴ7裁判」

原題:THETRIAL OF THE CHICAGO7
監督:アーロン ソーキン                 

キャスト
エデイ レッドメイン:民主党学生組織委員長、トム ハイデン
サッシャ バロンコーエン:ヒッピー、アビー ホフマン
ジョセフ ゴードンレビッド: 検察側訴人
マーク ライランス:公民権運動家弁護士、ウィリアム クンスラー
フランク ランジェラ:地方裁判所判事、ジュリアス ホフマン
ヤシャ アブダルマテイーン2世:ブラックパンサー、ボビーシール
マイケル キートン:ラムゼイ クラーク 司法長官
ジェレミー ストロング:ヒッピー、ジェリー ルービン 

1968年8月、イリノイ州シカゴで、大統領選挙を前にして民主党の全国大会が開かれることになっていた。その年の4月にはマルチン ルーサー キング牧師が、テネシーメンフィスで暗殺され、6月にはジョンF  ケネデイ大統領の後を継いで民主党選挙キャンペーン中だったロバートF ケネデイが、カルフォルニアで右翼によって殺されていた。また、ベトナム戦争が深刻化していて、沢山の若者が徴兵で駆り立てられ、ベトナムで命を落としていた。
民主党大会で数万人の支持者が全国から集まって来ることから、シカゴでは民主党学生組織は1万人規模の集会とベトナム戦争反対のデモを予定していた。またブラックパンサー党も集会を持ち、ヒッピーも1万人の集会と音楽祭を開催する予定でいた。それに対して、政府は1万5千人の完全武装の警官隊、1万人のナショナルガードを配備した。当日は、デモの衝突によって多数の負傷者が出るが、8人の活動家らが暴力扇動共謀罪で、起訴された。

初めはブラックパンサー党のボビー シールが加わり8人の被告だったが、ボビーは独自の弁護士を立てたことから、被告は7人となり、彼らのことは、「シカゴセブン」と呼ばれるようになった。「シカゴセブン」が、なぜ全米中で注目されるようになったかというと、
1)平和的なベトナム戦争反対のデモが一方的に、完全武装した警官隊とナショナルガードによって暴力の場となった。
2)逮捕、起訴された8人は、デモの前に一度もあって共謀したことがなく共通した運動形式も同じ信条も持っていない。
3)にもかかわらず、検察は彼ら8人が、暴動を共謀して起こした、として起訴した。
4)デモ隊のなかにFBI員を潜入させたり、ウルトラ右翼に扇動させた証言がある。
5)反ベトナム運動で初めて暴力扇動共謀罪が適用された。
などの理由による。

「シカゴセブン」は、民主党学生組織のトム ハイデン(エデイ レッドメイン)のグループと、国際派ヒッピーを自称するアビー ホフマン(サシャ、バロンコーエン)とジェリー ルビー(ジェレミー ストロング)の2人のグループと、ブラックパンサーのボビー シール(ヤシャ アブダルマテイーン2世)の3つのグループに分かれ、運動体の目的も全く異なり、3つの組織に共通する信条はなかった。裁判は2年に渡って審議されたが、ベンジャミン スポック、ノーム チョムスキー、ジュデイ コリンズ、ノーマン メイラーなどの知識人らが被告たちを擁護し、アピールを出すなど、裁判を支援した。裁判長、ジュリアス ホフマンは共和党支持の悪名高いタカ派で被告らの人権など考えもしない強硬なやり方で、裁判を進め、弁護士事務所を盗聴したり、陪審員を買収したり、裁判長自ら不正行為をした。

シカゴセブン事件当時、ジョンソン大統領は直接ラムゼイ クラーク司法長官に、デモを暴動化させてどんどん逮捕しろ、と指令を出していた。FBIを使って情報を集め、ウルトラ右翼に組織を混乱させるよう働きかけもしていた。様々なスキャンダルが明るみに出たが、裁判所は、ブラックパンサーのボビー シールに4年間の懲役刑を言い渡し、それに抗議したシカゴセブンには、懲役5年の実刑を言い渡される。

映画は、法廷でのやり取りが中心で、検察側と弁護側の喧々諤々が、スリルに満ちていて引きずり込まれる。2時間全然飽きない。この映画の中心になる人権活動家で弁護士のウィリアム クンスラー(マーク ライランス)と、トム ハイデン(エデイ レッドメイン)の活躍が目を引く。二人とも英国人だが二人とも、映画ではアメリカ風の発音でしゃべっている。おまけにマーク ライランスは典型的イギリス人紳士なのに映画では似合わない長髪だ。エデイ レッドメインはオックスフォード大学で、プリンス ウィリアムの学友だった。裕福な家庭出身で在学中、本格的な機材で自由に映画をいくらでも作らせてもらった、という幸運な人だ。東京生まれの役者が台本通りに大阪弁で役を演じるのを見たときに違和感を感じるのと同じように、映画が始まってすぐ、レッドメインが学生に向かって演説を始めた途端、やっぱりアメリカ人には違和感があるらしく、「変な発音ー!」と誰かが言う声が聞こえてきて、ちょっと笑った。

民主党学生組織のレッドメインと、ヒッピーのサッシャ バロンコーエンとは、ぶつかってばかり。意見の違いというよりもヒッピーの思想自体が認められないレッドメインが、論争中「文化革命なんて夢ばっかりみてるんじゃねえよ。」と叫ぶが、社会改革をまじめに取り組む側にとってはヒッピーは、つかみどころがない。法廷でもベトナム解放戦線の旗を法廷に持ち込んだり、二人して裁判官のローブを着て出廷、怒った裁判長にローブを取るように言われると、その下には警察官の制服を着ている、というように裁判そのものをちゃかすのは面白いが、裁判の進行妨害をすることに意味があるのかないのか。

映画の一番の盛り上がりは、司法長官ラムゼイ クラーク役のマイケル キートンが出廷がするところだろう。裁判長の独自判断により陪審員のいない法廷で、証言台の彼から、「ジョンソン大統領がデモを暴動化させるように仕向けた、」という発言が引き出されたとたんに巨大な渦のような拍手の音。被告らも傍聴人達も大喜び。しかしその事実は政府の機密に関わる、とされて裁判陪審員には伝えられないことがわかって、再び重苦しい空気に戻る。

またデモ隊が完全武装装備の警官隊に行く手を阻まれ、仕方なく方向を変えて別の方向に向かう。すると再び銃を構えた別の警官隊がデモ隊の向かう方向で待ち構えている。怒るデモ隊をなだめてまた別方向に行くと、さらに行く先を警官隊がふさいでいる。同じところをぐるぐる回るように強いられて、遂にやり場のない怒りで警官隊に突っ込んでいったデモ隊を、催涙ガスと警棒の乱打が待っている。このようなことが繰り返されて暴動を起こしたのは、学生達か、挑発したのは警官隊かが法廷で問われる。デモ隊のなかにFBIの職員や、ウルトラ右翼が巧妙に配置されていて、挑発した証拠も残っている。暴動を始めたのは警官隊の方ではなかったか。しかし、「突っ込め、やっちまえ」と言ったのは僕だ。とトム ハイデンは苦しんだ挙句、正直に言う。彼の良心の発露を貶めてはいけない。

忘れてならないことは、この事件のあった1968年当時、米国では徴兵制があったことだ。若者は義務としてベトナムに派遣された。進んでベトナムのジャングルに入り女子供を殺しに行ったわけではない。国の法律に逆らえば国賊として刑務所に入ることを意味した。そうした中での反ベトナム運動だった。米国で徴兵制度が廃止されたのは、ベトナム戦争後1973年だが、徴兵制度復活を主張する根強い保守派の要求があり、何度も検討されたあと徴兵復活案が議会で否決されたのは、2004年のことだ。

映画は被告たちが、5年の懲役を言い渡されたところで終わるが、実際はその2年後に上訴審で懲役刑は取り下げられた。民主党学生組織のトム ハイデンはカルフォルニア議会で上院、下院議員としてその後も活躍、女優で活動家のジェーン フォンダと結婚する。2016年に76歳でなくなったそうだ。ジェーン フォンダの方は、83歳でいまだ現役活動家、先日も、ブラック ライブマターのデモで逮捕された。すごい人だ。
国際派ヒッピーを自称していたアビー ホフマンは1989年に自殺、ジェリー ルビンは1994年に事故死したそうだ。

この映画は始めステイブス スピルバーグが監督し、パラマウントが制作する予定だった。スピルバーグは、レッドメインが演じた役をヒース レジャーに演じさせる予定だったが、ハリウッドの全米脚本組合のストが長引き、俳優組合にまでストが波及して映画が作れなくなり、ヒースも死んでしまって、それをNETFLIXが買い取ったという。
映画製作をしたNETFLIXは、前作メキシコのアルフォンソ キユアロンが「ROMAローマ」でアカデミー外国語映画賞を受賞させた。どうしても、今年はアカデミー賞作品賞をとりたいNETFLIXとしては、是非ともこの映画で作品賞を取りたいと意欲満々だ。アカデミー作品賞の候補にはなるだろう。
映画最後の場面は感動的だ。第1回目の上映が終わり、映画を見終えた人々が目を真っ赤にして泣き顔で出てきた理由が、映画を見てわかった。良い映画だ。見て損はない。


2020年10月5日月曜日

1968年とは何だったのか

           



映画「シカゴ7裁判」「THE TRIAL OF THE CHICAGO7」という映画を見た。1968年に米国民主党全国大会が開催されたとき、反ベトナム戦争を叫ぶ平和的なデモ隊に、完全武装した警官隊が襲い掛かり沢山の負傷者を出したが、7人の活動家が逮捕、起訴された事件を扱った映画だ。NETFLIX制作で、早くも2020年のアカデミー賞にノミネイトされると言われている。1968年という時代が自分にとってどんな時代だったのか、説明することなしにこの映画の映評が書けない。そこで日本の戦後史にとって1968年とは、どんな年だったのか、書いてみたい。

第二次世界大戦では戦没者310万人、当時の人口の4%が失われた。日本兵の死因のほとんどは餓死だった。1945年8月に日本軍は連合軍に対して無条件降伏して戦争は終結され、アメリカ進駐軍によって日本は占領、統治された。
1951年にサンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約締結を条件に、占領軍は撤収、日本は再び独立国となった。日本という国は他国を侵略したこともなければ、侵略支配されたこともない平和国家だったわけでなく、中国、韓国、フィリピン、シンガポール、ビルマ、インドネシア、ニューギニア、ソロモン諸島など沢山の国を侵略した結果、敗戦を機に米国に7年間支配され再建した国なのだ。

その10年後の1969年、日米安全保障条約(安保条約)は、日米がより軍事的に協力し強化していくことを約束し10年間延長された。そしてそのまた10年後の1970年、アジアの平和のために日米協力して軍事同盟を共同して強化していく、として議会で決議され現在に至っている。その間、米軍は朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン侵攻、イラク侵攻、シリア内戦などはを引き起こしているが、日本は、沖縄基地を米軍に提供し、米軍の出撃基地となり、その一翼を担ってきた。安保条約と日米地位協定だけでなく、安倍政権は憲法解釈によって積極的に戦争に海外派兵できる体制を作り、特定秘密保護法、安全保障関連法、共謀罪法などで警察国家として日本の軍事力を強化してきた。日本は侵略し、侵略され、シリアなどの戦争に加担している血なまぐさい軍事国家なのであって、決して平和な国でも、和をもって礼節をわきまえた美しい国でもない。それを胸に刻みたい。

自分は、1949年戦後米国の占領下の日本に生まれたベビーブーマー。子供のころは、街角や電車でアコーデオンを抱え義足や義手をつけた傷痍軍人が軍歌を歌って小銭を求め、上野駅の地下には孤児や家のない家族が暮らしていた。大雨が降れば荒川や江戸川が氾濫してゼロメートル地帯に住む人々が、浸水した家の屋根の上で生活している姿を京成電車から見た。
小学校5年生のときに、1960年自民党の岸内閣によって国会に警官隊を導入してに安保条約が強行採決される、暴力内閣の様子をテレビで見る。国会を取り巻く警官隊、抗議のために集まった数十万人の市民、労働者、学生、このときの安保条約反対集会は、延べ6290か所。参加人数は延べ460万人に及んだ。国会を前にしたデモで、当時東大生だった樺美智子さんが圧死する。当時ブントで全国学生連盟(全学連)議長の唐牛健太郎は、警官隊の装甲車を占拠しその上で演説をしたあと先頭に立って国会に突入した。反対運動の高まりの中でアイゼンハワー米国大統領は来日を取りやめ、岸信介政権は退陣する。

1967年ベトナム戦争が本格化し、8月に新宿駅で立川基地に米軍ジェット機の燃料を輸送する列車が衝突事故を起こし、青梅街道ガードから100メートル四方が火の海となった。王子にはベトナム戦争野戦病院が建設され、王子と沖縄ではベトナムで死んだ兵士がつなぎ合わされ綺麗に処理されて本国に送られていった。
1968年、米軍のベトナム戦争介入はさらに本格化し激しい北爆が続いていた。1月、佐世保に米軍エンタプライズとミサイル巡洋艦が寄港することになり、佐世保港がベトナム戦争出撃基地となる。それを阻止するために、延べ5万6千人の市民が集結した。
私は大学に入ると同時に、自分の大学でなく明治大学を訪れる。上原敦男(よど号ハイジャック)、遠山美枝子(赤城山で殺害)、重信房子(服役中)が最初に学生会館で会って仲良くなった活動家だった。でも、一番私が共感し、影響を受けた活動家は味岡修(三上治)だった。彼はベトナムに飛んでアメリカ兵と戦うためにベトナムに志願兵として合流しようとしていた。反ベトナム戦争、70年安保阻止運動は空前の高まりをみせていた。

大叔父はリベラルな大内兵衛、叔父は宇佐美誠次郎、父は早稲田大学政経学部教授、しかし父は私がデモに行くのを許さなかった。サッサと家を出たが、そのころはどの大学も封鎖していたから泊るところに不便はなかった。1968年と69年に2回デモで逮捕されるが、未成年だったので起訴を免れた。警察署の留置所に入る経験をして良かったのは、普通に大学生となって生きてきたがそれが普通なのではなく、警察署の雑居房にいる人たち、売春婦たち、バーでもめ事を起こしたレズビアン、朝鮮人の密売人など今まであったことのなかった人々に会えたことだ。怪我をして房に放り込まれて痛みと怒りで一杯の自分が、そんな人たちから優しく看護された。母親より優しかった手のぬくもりが忘れられない。娑婆に出てみると、ブントは二つに割れていた。関西から塩見孝也議長が過激文書をもって上京し、赤軍ができていた。そっちにいっちゃだめだ。まちがいだ。レーニンの組織論に戻ろう、と叫んでいるうちに仲間は仲間でなくなっていた。
思い描いている理想社会が一致しない、意見が異なる、方針も戦略も違う。でもだからどうした。仲間じゃないのか。どうして殴り合う。アジトを襲い寝込みを襲い、拉致して閉じ込める。どうして死ぬまで殴るのか。組織が組織である以上、人間を捨てなければならないのか。

1968年がどんな年だったか。このころの騒然とした社会状況を説明するのは難しい。誰もが暴力的だった。国はより激しく暴力装置としての国家権力をむき出しにしていた。
このころに逮捕され長期拘留されていた友人たちを思うと、どうして自分ではなくて彼らだったのか、と胸が痛む。殺された仲間たち、自死した友達の顔がよみがえってきて胸がふさがれる。
日本を離れて34年になるが、状況は少しも良くなっていない。市場原理、新自由経済政策のおかげで国の公共機関であった資源、福祉、教育が私企業に売り渡され、貧富間の格差は広がる一方だ。経済効率主義は環境汚染を広げ、地球温暖化を促進させる。日本の軍事予算は大きくなる一方で、安保条約は軍事同盟として強化されてきた。
米国は世界中に米軍基地を持ち、世界一の技術で通信網を維持し数々の戦争をしてきた。ソマリア戦争、イラン侵攻、アフガニスタン占領、シリア内戦、リビア内戦、イラン核兵器の虚言と経済封鎖、ウクライナ転覆、イエメン戦争、パレスチナ占領の容認、などなど、これらのすべてに日本は加担してきた。
私企業である軍需産業が国を支えているから、供給を満たすために需要、すなわち戦争をやめることができない。中国が国力を増し、かつての米ソ以上の米中対立は深刻な勢力争いになる。日本はそれを止めることはできない。1968年は一つの大きな通過点だった。今になってそう思う。


2020年9月23日水曜日

映画ジャック ロンドンの「野性の呼び声」

原作: 1903年 ジャック ロンドン作
原題:THE CALL OF THE WILD
監督: クリス サンダース
キャスト
ソーントン:ハリソン フォード
郵便配達夫:オマール シー

ジャック ロンドン(1876-1916)が居なかったら、アーノルド ヘミングウェイ(1899-1961)は小説を世に出さなかったかもしれない。ジャック ロンドンがほとんど文盲ながら冒険小説を書いて新聞社に売りに行っていなかったら、ヘミングウェイの作風は、ずっと異なった文体で描かれていたかもしれない。
ロンドンは40歳で、モルヒネを飲んで死んだが、ヘミングウェイは61歳で、散弾銃で自分の頭を撃ち抜いて死んだ。どちらも男の中の男、文体は簡潔。写実的で明確。行動的で冒険的な生活をして、勝手に自分で死んでしまった。私はこの二人の作家が熱狂的に好きだ。
ジャック ロンドンの「野性の呼び声」と、「白い牙」は、子供の時の愛読書だった。この人間ではなく犬の冒険物語を、何度繰り返し読んだか知れない。

1903年に書かれた「野性の呼び声」を日本で初めて翻訳したのは堺利彦、こんなところで彼に会えるなんて! 1919年のことだ。堺利彦(1871-1933)は、内村鑑三、幸徳秋水らと日露戦争に反対し非戦論を唱えた社会主義者だが、「平民新聞」を刊行、大逆事件を獄中で知り、山川均、荒畑寒村らと1922年に日本共産党を結成、のちに離党し労農派として活動した。当時の彼ら社会主義活動家たちの本を読むと、その貧乏な暮らしぶりを知ることができる。生活に困った堺利彦は色町の女たちの恋文を代筆したり、雑誌社に雑文を書かせてもらったりして食いつないでいた。そんな彼が、ジャック ロンドンの冒険小説を、「共産党宣言」を翻訳した翌年に翻訳していたことを思うと感慨深い。

いま日本では、「マーチン エデン」というイタリア映画を上映中をのようだ。これはジャック ロンドンの半生を描いたバイオグラフィーで、主演は、ルカ マリネッリ。2019年今年のアカデミー賞男優主演賞も、ゴールデングローブ賞も、「ジョーカー」のホアキン フェニックスが受賞したが、ベネチア国際映画祭では主演男優賞を、このルカ マリネッリが受賞した。孤高の作家を演じた役者が優れていたのだろうが、それほどジャック ロンドンの一生が劇的だったとも言える。


映画のストーリーは
19世紀末。カルフォルニア州サンタクララバレー。
パックはセントバーナード犬とスコットランドコリー犬との間に生まれた大型犬だ。裕福な判事一家の住む大きな屋敷で大切に育てられた。体重は63キロ。やんちゃで甘えん坊、判事一家の誰からもあふれるほどの愛情を受けてきた。しかし4歳になったある日、出入りする庭師に誘拐されてれて売りに出され、列車でアラスカに送られてしまう。

当時カナダのユコンでは、金脈が見つかりゴールドラッシュに沸いていた。深い森を切り開き、岩山を削り山道を開通させて金を掘る男たちは、馬で走るには危険なため犬ぞりで雪と氷の山の中を移動しなければならない。重い荷物を引いて走れる大きな力の強い犬が必要だった。ユコンに着いて、生まれて初めて雪が舞い降りるのが不思議で走り回るパックを見て、誘拐犯たちは笑うが、パックには極寒の土地で他の犬たちと重いそりを引く過酷な運命が待っていた。
男たちは、言うことを聞かないパックを半死状態になるまでこん棒で殴り続ける。そり犬たちも1頭として親しくする犬はなく皆が敵だ。パックは厳冬の中で、いかにして与えられた粗末な食べ物を仲間の犬に奪われないように食べ、こん棒で殴られずに、他の犬からしかけられた喧嘩に打ち勝って生き延びるかを学び取っていく。

最初のパックの買い手は、郵便配達員のフランス人夫婦だった。12頭の犬たちで重い郵便物を、ユコン全域に届ける重労働に就く。途中凍ったユコン河の氷が割れ、凍る河に落ちた飼い主をパックが救ったこともあり、飼い主の信頼を得てソリの先導犬として活躍する。しかし突然、政府の費用削減のため郵便配達業務が中止となり、パックはまた売りに出される。
次の買い手は、金鉱目当てにアラスカに来たばかりの3人の男女だった。彼らはソリの扱いを知らず、重い荷物を少ない犬たちで引くことを強制し、満足な食事を与えなかった。弱い犬から次々に死んでいく。命令に従わないパックを3人組がこん棒で打ち据える様子を見ていたソーントンという老人が見かねて、死にかけていたパックを譲り受ける。

ソーントンは、単独で山に入り小さな小屋を作り、何年も一人で金鉱探しをしている孤独な老人だった。彼に傷の手当をされ、食べ物を与えられ、パックは忘れかけていた主人への信頼と忠誠心を取り戻す。谷の合間に建てられたソーントンの小屋からは、狼たちの叫び声がよく聞こえる。中でも白い雌の狼は、誘うようにパックのすぐ近くまで来るようになった。パックはこの美しい狼に惹かれる。そんなある日、ソーントンは、ならず者たちに襲われて殺される。パックはソーントンが死んだことを知って森に入っていく。白い狼がパックを待ち受けている。
というところで映画は終わる。

でも原作では、「その後」があって、、、狼の群れを一回り大きな犬のような狼が率いている。先頭の狼にはいつも白い雌の狼が寄り添っている。その群れは極めて頭がよく残忍で、人々が仕掛けた罠をわざと壊し、飼い犬や狩人を襲い、のどをかみ切って殺し、その血をそこいらじゅうに残して引き上げる。しかし毎年夏になると、その大きな狼は1頭だけで、むかしソーントンが殺された谷まで下りて来て、苔むした崩れかかった小屋の前で、長い長い悲しみに満ちた遠吠えをあげて、そして去っていく。それをインデイアンたちは、幽霊犬といって恐れていた。というところでお話が終わる。


白銀の世界を12頭の犬が引くソリが走っていく様子が、たとえようもなく美しい。雪崩が起きることを知ってパックがやみくもに走り抜け、山々が崩れていくシーンには感動した。アラスカの山々の純白の世界と恐怖、音もなく山が崩れ形を変えて生き物たちを踏むつぶしていく。雄大な自然の美しさ。
ハリソン フォードが孤独な年よりを演じていて、それなりに悪くはない。

この映画の決定的な欠点は、CGにある。犬のパックの動きをシルクド ソレイユのバレエダンサーがモーションキャプチャーで演じ、それをもとにCGで作ってフイルムにしたそうだ。そのために犬の動きは自然だが、CGで作られた犬の表情は、犬の表情とは思えない。吐き気がするほど、嘘っぽい。

CGは、映画にとってどこまで許されるのだろうか。それが数万人の兵隊の戦争場面とか、100万人の市民が蜂起して革命が起きる場面とかに使われるのならわかる。だから100%CG映画なら良い。また、監督ジョン ファブローによる100%CGの「ライオンキング」は純粋にアニメ映画だが、とても良かった。彼は、単にアニメ映画を作るのではなく、本物の撮影監督が本物のカメラで、ドキュメンタリーを撮影するようにして映画を作った。自然の光、動物の自然な表情、自然主義リアリズムのある、動物をどうやって本物のように動かすかで、映画技術としては最先端といわれる技術を使った。
それに比べると、この「野性の呼び声」は、アニメではない、CG映画でもない、実写映画でもない中途半端な顔をした犬が主人公だ。それは困る。この映画は実写映画で、ヒューマンストーリーなので、主人公の犬は、CGで作ってもらいたくない。犬は動物の中で一番表情の豊かな生き物だ。犬の心の動きは逐一表情の変化になって表れる。犬好きの人にはそれがよくわかる。犬ほど主人の喜びを一緒に喜び、主人の悲しみに同感を示して悲しみ、主人とともに生きようと努力してくれる生き物は他にはいない。犬の表情はそのまま言葉を超えて人は理解し受け止めることができる。豊かな犬の表情を、勝手に操作しないでもらいたい。気持ちが悪い。

テイム バートンの「ダンボ」もこれと同じで、実写映画なのに、象の顔の表情だけが人間様の表情をCGで作っていて、気持ち悪い。極端にきょとんとしたり、大げさに嬉しそうにしたり、目をキラキラさせたり、、、CGで動物の顔を作るのは、動物に対する理解を妨げ、生きているものの尊厳を傷つける。やめてもらいたい。
これからの映画では、ますますCGが多様化し、多くの映画で使われ、なにが本物で、どこまでが現実でどこまでがCGなのか、全くわからないように、CG技術も洗練されていくことだろう。それが良いことなのか、悪いことなのかわたしにはわからない。でも、犬の顔をCG操作するような映画だけは今後は見ないつもりだ。

2020年9月15日火曜日

ライブストックの沈没に思う



   

                    歌は弘田龍太郎作曲の「浜千鳥」

9月6日に台風9号が日本を襲った時、奄美大島沖でニュージーランド船籍、ガルフ ライブストックが沈没した。
中国に輸送されるはずだった、6000頭の牛と、43人のクルーが乗っていた。その後、2人のフィリピン人のクルーが、救命ゴムボートで漂流しているところを救命された。しかし日本政府と海上保安庁は、台風9号の余波と台風10号が続いて接近していて危険だ、という理由で、行方不明者捜索をたった事故から6日間で中止した。
いまだに救出されていない41人のクルーのうち、2人はオーストラリア人だ。一人は6000頭の生きた牛の送り元クイーンズランドのストックマン。もう一人は獣医だ。二人とも20歳代、小さな子供のお父さんだ。その家族たちが、日本の海上保安庁に、あきらめないで引き続き海上捜索を続けてほしい、と悲鳴のような嘆願の声を上げている。どうか本当に打ち切りにせず、海上を探し出してほしい。彼らは、救命着を着ていて、救命ボートももっているはずだ。あきらめないで、帰りを待っている家族のことを考えてほしい。どうか海上捜索を続けてほしい。

20代の獣医が海難事故で行方不明になっていることが他人事と思えない。
娘が獣医で日々奮闘している。 オーストラリアでは大学進学で獣医学部に入るためには、高校のHSCという試験で、最高点を稼がなければならない。各州に獣医学部を持つ大学が1校ずつしかないため全国で5校のみ、競争率が並みではない。HSC試験の最高点を要求される医学部よりも高い点と、どうしても獣医学部に行く、という強い動機をもっていないと入れない。念願かなって獣医学部に入学できても1年生で、半分が落伍する。本当にこれほど根を詰めて勉強して頭が爆発しないか心配になるほど厳しい学業にプラス、1年のときから実習が始まり、大学の寮にステイして農場体験をする。卒業までに牛のファームに何か月、羊のファームに何週間、デイリーファームに何週間、と自分で直接農場に掛け合って、住む込みで実習させてもらわなければならない。狭い日本で獣医学部のある大学が20数校、卒業まで犬猫に予防注射をしたこともない獣医を大量生産している日本とは、卒業段階でのレベルは全然ちがう。やっと獣医になれても、長時間、寝る間もない忙しさとストレスで、オーストラリア職業別自殺率で、獣医はナンバーワンなのだ。
そんな荊の道をあえて選んで一人前になったばかりの獣医が、6000頭の牛たちとともに海に沈んでしまった、などと信じたくない。人生これからだったろう。最後まで牛を助けようとしたのではないかと思うとたまらない気持ちになる。

また閉じ込められたまま海に沈んだ6000頭の牛たちが、狭い船倉で恐怖におびえながら死んでいったかを思うと胸がつぶれる思いだ。
オージー牧場主たちが1頭1頭名前をつけて、山火事や、日照りや、、水不足や、牧草不足の中でも苦労して、いつくしんで育てた牛を、買い手たちは生きたまま輸入したがる。回教徒たちは食肉をお祈りしながら殺した肉しか食べてはならないという厳しい掟があるから冷凍肉ではだめなのだ。牛や羊など、生きた動物を輸出することを、動物保護団体は一貫して反対してきた。狭い船倉の中で、ぎゅうぎゅう詰めにされて数か月、最低限の水やエサで売りに出されていく動物たちは、脱水症、熱射病、皮膚病や何らかの感染症にかかる率も高い。しかし農業国オーストラリアで、牧畜に携わる業者にとって生きた動物の輸出は、死活問題だ。大型船での輸送中の動物の死亡を避けるため、空調や室温管理を適正にし安全に運ぶといった対策しか建てられてこなかった。

世界中の人口がトイレットペーパーを使うようになると世界中の樹はなくなる、という説がある。すべての中国人のディナーの食卓にワインとビーフステーキが並ぶようになると世界中の森林が無くなる、という説も、、。アマゾンを焼き払い牧草地を広げようとしているブラジル政府のやりかたを見ると、そういった説もうなずける。
いまCOVIDのパンデミックにあって、こうした感染症の発生と拡散が、地域や国を超えた通商と、環境破壊から起きたものだということが検証された。グローバルな食べ物の需要と供給が、世界的に広がり続けるかぎりCOVIDが終息しても、また別の病原菌によってパンデミックは繰り返されるだろう。

パンデミックを何度も繰り返さずに済むために、少なくとも食糧は自国で供給する。地元の人は地元の生産物を食べる努力をしたい。さらに、動物蛋白質に栄養を依存する食生活も、今後の生き方として再考しなければならない。人が人らしく頭脳活動を継続するために必要な蛋白源が肉である必要はない。
COVIDパンデミックで国境が封鎖され、州境がロックダウンされ、外出制限、レストランパブ、映画館、劇場、イベントが禁止されて、人と人との交流が制限されたとき、人は初めて「ぜいたく」とは、宝石を付けて、ブランドを身に着け、飲み放題、食べ放題でどんちゃん騒ぎすることではないことに、やっと気が付いたのではないか。
本当の贅沢とは、心の通った人と、感謝をもって共に食することを喜び、互いに健康と安全を確かめながら手をつなぐことではなかったか。人が人として身にあった生き方をすることが大切だと思う。

2020年9月6日日曜日

ノーランの新作映画「TENET」

原題:「TENET」


監督: クリストファー ノーラン
音楽: ルドヴィグ ゴランソン

キャスト
主人公プロタゴニスト:ジョン デヴィッド ワシントン
ニール       : ロバート パテインソン
ロシア人大富豪セイター :ケネス プラナー
セイターの妻、キャット :エリザベス デッキ
サーマイケル クロスビー:マイケル ケイン
インド人武器商人スーザン:デインプル カパテイア

ストーリーは
ウクライナのオペラハウス。盛装した紳士淑女たちがオペラの開始を待っている。突然そこに、ガスマスクを装着した特殊部隊が突入、空機構から催眠ガスを流して聴衆を眠らせたあと、一つ一つのボックス席のドアを蹴破り一人のアメリカ人を探し始める。特殊部隊の目的は、このアメリカ人と彼が敵から盗み出したプルトニウムを、保護、奪還することだ。特殊部隊の一員、主人公プロタゴニストー(彼の名前がなくてプロタゴニストとされているが、その言葉のイメージと役者のジョン デヴィッド ワシントンとが合わない気がするので、仮にワシントンと呼ぶ)ーも、ガスマスクをつけて、アメリカ人を救出するために敵の部隊と激しい格闘を続ける。ワシントンは、寸でのところで敵の銃弾に倒れるところだったが、赤い糸のタグのついたバックパックを背にした覆面の男に命を救われる。アメリカ人は救出され、プルトニウムは獲得できたが、しかしワシントンは敵に捕らえられ両手両足を拘束され列車に牽かれる脅しを受け拷問される。彼は拷問死した仲間の青酸カリカプセルを飲み込んで自害する。

ワシントンが目を覚ました時、CIAの幹部に、「これはテストだったんだ。君は合格だ。」と言われ、科学者のところに行かされる。そこで世界を第3次世界大戦による滅亡から救うために「時間を逆行」する任務に就くように命令される。キーワードは、「TENET」。ワシントンは、相棒としてニールを紹介される。ワシントンとニールの二人はインドに飛び、ムンバイの武器商人スーザンの屋敷に忍び込む。スーザンは、セイターというロシアの大富豪に特殊な銃を売ったという。その銃は撃つと前進せずに逆行する銃だという。
ワシントンとニールは、そのロシア人についての情報を得るためにロンドンに行き、英国情報部幹部のサー マイケルに会う。そこで、ロシア人セイターという男は、ロシア僻地の寒村で育ったが、子供の時に大爆発があって立ち入り禁止だった地中からプルトニウムを見つけた。彼は成長した後、そのプルトニウムをもとに世界を破滅させる時間を逆行をさせる装置を作ったらしい、と聞かされる。そしてセイターに会うために、まず妻のキャットにアプローチするように提言される。

セイターの妻キャットは、美術鑑定士だが、アレポという男から手に入れた偽のゴヤの絵をセイターに売ったために、弱みを握られて子供を人質に取られて、セイターの言われるままになっている。小学校に息子を見送るキャットをとらえたワシントンは、キャットに偽の絵を取り返す約束をして、セイターに引き合わせてもらう。大型ボートで会ったセイターは、キャットを深く愛していて嫉妬深いので、ワシントンを敵と認識する。セイターとキャットは、ワシントンをボートの競艇に誘い、スピードを出している最中に、キャットは、セイターの命綱を切って殺そうとして海に落とす。ワシントンはそこでセイターの命を救う。プルトニウムを奪うまでは、セネターを殺すわけにはいかない。

ワシントンとニールは、セイターがオスロのフリーポートの倉庫にゴヤの絵を隠している事を知り、オスロ空港でボーイング747を乗っ取り、飛行ごとセイターの倉庫に突入する。しかしゴヤの絵はなかった。倉庫の中にはガラスで隔てられた特殊な部屋があり、そこにいくつもの銃痕があった。そこで突然ワシントンに襲い掛かってきた二人の男のうち、一人の男は前に進むが、もう一人の男は後ろに動く。激しく乱闘するうちに、ニールは「相手を殺すな」、と言ってワシントンを止める。二人の男たちは、このガラスの時間逆行の部屋の中で、一人の同じ人間なのだった。そしてそれは未来世界でのワシントンだ。ガラスの部屋は、時間を逆行させるために作られた部屋だった。

ワシントンとニールは、その後エストニアのタリンで、一組のプルトニウムを盗み出す。プルトニウムは9つ、3組あって、それを組み立てると地球の半分が吹っ飛ぶ。彼らを追うセイターと激しいカーチェイスが繰り広げられる。プルトニウムを取り返すためにワシントンの車と平行して走るセイターの車には、キャットが両手を縛られ後部座席に拘束され爆走している。ワシントンはあきらめて窓からプルトニウムを敵に投げ渡し、爆走する車からキャットの命を救う。しかしワシントンは、捕らえられる。怒ったセイターは、オスロの時間逆行のガラスの部屋で、妻のキャットを殺そうとする。ガラスを隔てて、未来の部屋でキャットが撃たれるのを、今の時間のワシントンとニールは、無力で見ている事しかできなかった。そこで、ワシントンは逆行装置の部屋から未来に戻って、カーチェイスでプルトニウムを受け取った銀色の車(時間逆行車)に乗って、後ろ向きで走り、再びセイターを追う。しかしセイターに捕らえられ車は大破、燃え上がるが未来社会では火は氷になるので、ワシントンは、凍って低体温状態になった体で、ニールによって助けられる。キャットは未来の世界で普通の銃で撃たれたので、ワシントンとニールは、瀕死のキャットを、オスロ空港にボーイング747で突入した日の1週間前に戻って、「時間逆行部屋」に連れて行き、ニールがキャットの傷を手術、銃創を治療する。ワシントンはそのあいだ逆行時間から現在に戻るまで敵と戦う。

キャットは、セイターは膵臓癌末期で、自分が死ぬときは世界もすべて破滅するべきだと考えて、死んだらプルトニウムの地球破壊装置が発動するようにしている、と告げる。しかしキャットは昔はセイターとベトナムで仲良く幸せに暮らしていたので、本当は彼は楽しい思い出に浸りながら死にたいはずだという。キャットは時間逆行の未来世界で、夫を殺す決意をする。
ワシントンとニールは、TENET軍事部隊を連れて、未来のロシアの大爆発のあった街に向かう。核爆発で破壊され封鎖されていた街でセイターたちとの戦闘が始まる。そこにセイターは、9つのプルトニウムを持っている。9つのプルトニウムが、すべて組み合わされ発動する時、地球が滅びる。
ワシントンは前進する現在の世界で赤チームを率い、ニールは逆行する世界の青チームを率いる。激しい戦闘が行われ再びワシントンが危機一髪、敵に襲われたところで逆行世界から移ってきたニールによって命を救われる。そして赤チームはロシアの核爆発を食い止めることができた。ワシントンは、赤い糸のタグのついたバックパックを背負った男が倒れている姿を目にする。

キャットの現在の夫セイターは、ボートからすでにヘリコプターでキエフに向かった。キエフのオペラ劇場を襲撃するためだ。
しかし未来世界のセイターは、キャットの横に居る。キャットは夫を殺し処分する。そして自分が小さなボートで息子を一緒にやってくる自分たちの姿を確認して、海に飛び込んで、未来世界から自分は姿を消す。

同時に行われるように計画されたロシアの核爆発と、キエフのオペラ劇場襲撃は、時間逆行装置を利用して回避された。
セイターの仲間だったインド人武器商人スーザンは、キャットを殺そうとするが、ワシントンがスーザンを処分する。9つのプルトニウムを組み合わせて地球を破壊する装置を開発した科学者は、自分の行為を後悔して自殺したが、死ぬ前に9つのプルトニウムを3つに分けて地中深くに隠した。それを見つけて地球破壊をもくろんだセイターも死んだ。

ワシントンとニールは、「現在」に戻る。そこでワシントンは、ニールが赤い糸のタグがついたバックパックを背負っていることに初めて気が付く。何度も危機一髪で死ぬところだった彼の命をずっと助けたのはニールだったのだ。ニールは、「お前が知らないだけで俺たちはうんと長いこと親友同士だったんだぜ。」と言い去っていく。ワシントンがいまだ知らない世界で、ニールは自分の命と引き換えに、自分を守ってくれたのだった。ワシントンは未来の世界で、チームTENETの指導者になる。しかし彼に名前はない。彼は「いま」を生きていない人だからだ。
というおはなし。

クリストファー ノーランは自分が作った映画の中でこの映画に一番お金をかけたそうだが、その額、2憶ドルほど。子供の時からアクション映画が大好きで、自分が夢中になったようにすべての観客を大規模なアクションのなかに引きずり込みたい。自分がまるで主人公のように興奮する渦に巻き込みたいと言っている。それで、普通映画は35ミリフイルムを使うが、ノーランは終始IMAX、70ミリ、カメラで撮影している。その分だけ画面が広く撮影範囲が広がって撮影規模も大きくなる。臨場感があって良いが、見るほうはそれだけ大変だ。戦場場面など画面の端から端まで見ている余裕がないほど、画面が早いスピードで移動するのでどうしてもとらえきれないで見逃す部分が残る。ノーランの映画は特に、画面ごとに独特の「こだわり」があって、一瞬映される画面に後で深い意味がこめられていたりするのだが、それを見逃すと、見なかったことになってしまう。作っている側にとっては、面白くて仕方がないだろう。ここにも、あそこにも秘密の鍵が埋め込んである。そんな複雑化されたストーリーを、本人は面白がって遊んでいる。しかし秘密探しと、謎解きがわからないと見る側にとってはなかなかタフだ。
この映画の解説書「HOW TO」が本になってアマゾンから出ているらしい。そんな本を読了しないと消化できない映画監督の遊び心にどこまで付き合うかだ。難解映画は面白いし、その良いところは自分なりの解釈ができることだ。

時間を逆行させた世界で未来の自分と今の自分が触れ合うと消滅してしまう、未来では熱が反転するので氷になる、時間逆行世界で言葉も音も逆さになる、未来世界では酸素マスクを着けていないと生きられない、、、物理が苦手で自分にはわからないけれど、いちいちつまずいていると先に行けないので、科学者が映画の中で言っているように、「理解するな、体で感じろ!」ということでやり過ごすしかない。

TENETとは信条とか原則とかの意味で、映画では地球を救う組織名。
古代都市ポンペイで発掘されたセイタースクエアとか、ロータススクエアといわれる2000年前の回文で、5つの言葉が書かれた石板があるそうだ。上下左右どこから読んでも同じ文字になって、SATOR、AREPO、TENET、OPERA、ROTUS これらが この映画にでてくるキーワードになっている。すなわち、SATOR、はロシア人セイターの名前。AREPO はキャットにゴヤの絵を売った男。 TENETは、テロリストと戦う組織の名前。OPERAはアメリカ人スパイがプルトニウムを隠した劇場。そして、ROTUS はセイターの経営する企業の名前だ。謎っぽい5つの言葉を、ノーラン監督が人や組織の名前に使ったわけだ。

87歳のマイケル ケインがカメオ出演してくれて嬉しい。この気品ある人の美しい英語の響き。いつまでも映画出演してほしい。 身長190センチのキャットを演じたエリザベス デベッキは何を身に着けてもサマのなっていて素敵だ。
役柄で得をしているのはニール役のロバート パテインソン。「トワイライト」で狼になったり、「ハリーポッター」でセドリックになって、いつも憎めない風貌の役者だ。ワシントンの命と引き換えに死んでしまって、その分だけワシントンよりも良い人に思える。ワシントン主演、スパイク リーの「ブラック クラインズマン」を見た時も感じたけど、主演のワシントンよりも相棒役のアダム スコットのほうが冴えてい見えて仕方がなかったのも偶然ではないのかもしれない。

世界を救うTENETという組織の未来の親分が、ワシントンということで、とてもシリアスな役なのに、なぜか彼自身の持ち味なのか、彼独特の「おかしみ」がある。セイターに、妻と寝たのか、と問われとっさに「まさか」と答えるが、ちょっと間をおいて、「まだだけど」と言うところ、笑わせるし、「どうやって死にたいか」と脅されても即座に、「OLD」(年を取って老衰で死にたい)と答えるところなどとても素敵。ロンドンの高級レストランにサーマイケルの席にどかどか入り込んで、「僕にも同じものを」とガードマンに料理を注文してみたり、とてもお茶を飲んでいる余裕がないところで「エスプレッソを」とねだったりユーモアがあって、こういう会話ができる人って好きだ。

ノーラン監督はオスロ空港にあるフリーポートのセイターの倉庫に、監督本人が購入したボーイング747を突っ込ませて炎上させる。このフリーポートは実際に世界中の金持ちが倉庫に財宝を隠す場所として使われている。時間逆行装置を据え付けるためではなく、現実世界では、小賢しい億万長者が、コソコソと税金逃れをするために財宝を隠している、という「せこい」場所だ。

ノーラン監督で残念なのは、イギリス人もロシア人も、あまりにステレオタイプに描かれていること。つくずくアメリカ人の視野って狭いんじゃないだろうかと思う。ストーリーそのものは単純で、プルトニウムを持ったロシアとインド合体ギャングから、CIAが地球を救うというお話だなんだけど。

見た人の感想に、DAZZLING、PUZZLING!(眩いほどの謎ばかり!)と言っている人が多いたけど、本当に謎ばかりだが、スピーデイに展開する場面とストーリーの意外さに全く3時間近い間、飽きることがない。呆気に取られているうちに時が経つ。全編IMAXカメラで撮影、250人のクルーを使って、7か国飛び回り、ボーイング747を壊すだけのために購入するといった予算に制限をつけないで、湯水のように製作費を使って。3時間近い映画を作れる太っぱらな監督って、いまはもうこの人以外には見つからない。アメリカ映画の娯楽性を徹底的に追求したゴージャスな映画。見ても損はない。