2020年10月6日火曜日

映画「シカゴ7裁判」

原題:THETRIAL OF THE CHICAGO7
監督:アーロン ソーキン                 

キャスト
エデイ レッドメイン:民主党学生組織委員長、トム ハイデン
サッシャ バロンコーエン:ヒッピー、アビー ホフマン
ジョセフ ゴードンレビッド: 検察側訴人
マーク ライランス:公民権運動家弁護士、ウィリアム クンスラー
フランク ランジェラ:地方裁判所判事、ジュリアス ホフマン
ヤシャ アブダルマテイーン2世:ブラックパンサー、ボビーシール
マイケル キートン:ラムゼイ クラーク 司法長官
ジェレミー ストロング:ヒッピー、ジェリー ルービン 

1968年8月、イリノイ州シカゴで、大統領選挙を前にして民主党の全国大会が開かれることになっていた。その年の4月にはマルチン ルーサー キング牧師が、テネシーメンフィスで暗殺され、6月にはジョンF  ケネデイ大統領の後を継いで民主党選挙キャンペーン中だったロバートF ケネデイが、カルフォルニアで右翼によって殺されていた。また、ベトナム戦争が深刻化していて、沢山の若者が徴兵で駆り立てられ、ベトナムで命を落としていた。
民主党大会で数万人の支持者が全国から集まって来ることから、シカゴでは民主党学生組織は1万人規模の集会とベトナム戦争反対のデモを予定していた。またブラックパンサー党も集会を持ち、ヒッピーも1万人の集会と音楽祭を開催する予定でいた。それに対して、政府は1万5千人の完全武装の警官隊、1万人のナショナルガードを配備した。当日は、デモの衝突によって多数の負傷者が出るが、8人の活動家らが暴力扇動共謀罪で、起訴された。

初めはブラックパンサー党のボビー シールが加わり8人の被告だったが、ボビーは独自の弁護士を立てたことから、被告は7人となり、彼らのことは、「シカゴセブン」と呼ばれるようになった。「シカゴセブン」が、なぜ全米中で注目されるようになったかというと、
1)平和的なベトナム戦争反対のデモが一方的に、完全武装した警官隊とナショナルガードによって暴力の場となった。
2)逮捕、起訴された8人は、デモの前に一度もあって共謀したことがなく共通した運動形式も同じ信条も持っていない。
3)にもかかわらず、検察は彼ら8人が、暴動を共謀して起こした、として起訴した。
4)デモ隊のなかにFBI員を潜入させたり、ウルトラ右翼に扇動させた証言がある。
5)反ベトナム運動で初めて暴力扇動共謀罪が適用された。
などの理由による。

「シカゴセブン」は、民主党学生組織のトム ハイデン(エデイ レッドメイン)のグループと、国際派ヒッピーを自称するアビー ホフマン(サシャ、バロンコーエン)とジェリー ルビー(ジェレミー ストロング)の2人のグループと、ブラックパンサーのボビー シール(ヤシャ アブダルマテイーン2世)の3つのグループに分かれ、運動体の目的も全く異なり、3つの組織に共通する信条はなかった。裁判は2年に渡って審議されたが、ベンジャミン スポック、ノーム チョムスキー、ジュデイ コリンズ、ノーマン メイラーなどの知識人らが被告たちを擁護し、アピールを出すなど、裁判を支援した。裁判長、ジュリアス ホフマンは共和党支持の悪名高いタカ派で被告らの人権など考えもしない強硬なやり方で、裁判を進め、弁護士事務所を盗聴したり、陪審員を買収したり、裁判長自ら不正行為をした。

シカゴセブン事件当時、ジョンソン大統領は直接ラムゼイ クラーク司法長官に、デモを暴動化させてどんどん逮捕しろ、と指令を出していた。FBIを使って情報を集め、ウルトラ右翼に組織を混乱させるよう働きかけもしていた。様々なスキャンダルが明るみに出たが、裁判所は、ブラックパンサーのボビー シールに4年間の懲役刑を言い渡し、それに抗議したシカゴセブンには、懲役5年の実刑を言い渡される。

映画は、法廷でのやり取りが中心で、検察側と弁護側の喧々諤々が、スリルに満ちていて引きずり込まれる。2時間全然飽きない。この映画の中心になる人権活動家で弁護士のウィリアム クンスラー(マーク ライランス)と、トム ハイデン(エデイ レッドメイン)の活躍が目を引く。二人とも英国人だが二人とも、映画ではアメリカ風の発音でしゃべっている。おまけにマーク ライランスは典型的イギリス人紳士なのに映画では似合わない長髪だ。エデイ レッドメインはオックスフォード大学で、プリンス ウィリアムの学友だった。裕福な家庭出身で在学中、本格的な機材で自由に映画をいくらでも作らせてもらった、という幸運な人だ。東京生まれの役者が台本通りに大阪弁で役を演じるのを見たときに違和感を感じるのと同じように、映画が始まってすぐ、レッドメインが学生に向かって演説を始めた途端、やっぱりアメリカ人には違和感があるらしく、「変な発音ー!」と誰かが言う声が聞こえてきて、ちょっと笑った。

民主党学生組織のレッドメインと、ヒッピーのサッシャ バロンコーエンとは、ぶつかってばかり。意見の違いというよりもヒッピーの思想自体が認められないレッドメインが、論争中「文化革命なんて夢ばっかりみてるんじゃねえよ。」と叫ぶが、社会改革をまじめに取り組む側にとってはヒッピーは、つかみどころがない。法廷でもベトナム解放戦線の旗を法廷に持ち込んだり、二人して裁判官のローブを着て出廷、怒った裁判長にローブを取るように言われると、その下には警察官の制服を着ている、というように裁判そのものをちゃかすのは面白いが、裁判の進行妨害をすることに意味があるのかないのか。

映画の一番の盛り上がりは、司法長官ラムゼイ クラーク役のマイケル キートンが出廷がするところだろう。裁判長の独自判断により陪審員のいない法廷で、証言台の彼から、「ジョンソン大統領がデモを暴動化させるように仕向けた、」という発言が引き出されたとたんに巨大な渦のような拍手の音。被告らも傍聴人達も大喜び。しかしその事実は政府の機密に関わる、とされて裁判陪審員には伝えられないことがわかって、再び重苦しい空気に戻る。

またデモ隊が完全武装装備の警官隊に行く手を阻まれ、仕方なく方向を変えて別の方向に向かう。すると再び銃を構えた別の警官隊がデモ隊の向かう方向で待ち構えている。怒るデモ隊をなだめてまた別方向に行くと、さらに行く先を警官隊がふさいでいる。同じところをぐるぐる回るように強いられて、遂にやり場のない怒りで警官隊に突っ込んでいったデモ隊を、催涙ガスと警棒の乱打が待っている。このようなことが繰り返されて暴動を起こしたのは、学生達か、挑発したのは警官隊かが法廷で問われる。デモ隊のなかにFBIの職員や、ウルトラ右翼が巧妙に配置されていて、挑発した証拠も残っている。暴動を始めたのは警官隊の方ではなかったか。しかし、「突っ込め、やっちまえ」と言ったのは僕だ。とトム ハイデンは苦しんだ挙句、正直に言う。彼の良心の発露を貶めてはいけない。

忘れてならないことは、この事件のあった1968年当時、米国では徴兵制があったことだ。若者は義務としてベトナムに派遣された。進んでベトナムのジャングルに入り女子供を殺しに行ったわけではない。国の法律に逆らえば国賊として刑務所に入ることを意味した。そうした中での反ベトナム運動だった。米国で徴兵制度が廃止されたのは、ベトナム戦争後1973年だが、徴兵制度復活を主張する根強い保守派の要求があり、何度も検討されたあと徴兵復活案が議会で否決されたのは、2004年のことだ。

映画は被告たちが、5年の懲役を言い渡されたところで終わるが、実際はその2年後に上訴審で懲役刑は取り下げられた。民主党学生組織のトム ハイデンはカルフォルニア議会で上院、下院議員としてその後も活躍、女優で活動家のジェーン フォンダと結婚する。2016年に76歳でなくなったそうだ。ジェーン フォンダの方は、83歳でいまだ現役活動家、先日も、ブラック ライブマターのデモで逮捕された。すごい人だ。
国際派ヒッピーを自称していたアビー ホフマンは1989年に自殺、ジェリー ルビンは1994年に事故死したそうだ。

この映画は始めステイブス スピルバーグが監督し、パラマウントが制作する予定だった。スピルバーグは、レッドメインが演じた役をヒース レジャーに演じさせる予定だったが、ハリウッドの全米脚本組合のストが長引き、俳優組合にまでストが波及して映画が作れなくなり、ヒースも死んでしまって、それをNETFLIXが買い取ったという。
映画製作をしたNETFLIXは、前作メキシコのアルフォンソ キユアロンが「ROMAローマ」でアカデミー外国語映画賞を受賞させた。どうしても、今年はアカデミー賞作品賞をとりたいNETFLIXとしては、是非ともこの映画で作品賞を取りたいと意欲満々だ。アカデミー作品賞の候補にはなるだろう。
映画最後の場面は感動的だ。第1回目の上映が終わり、映画を見終えた人々が目を真っ赤にして泣き顔で出てきた理由が、映画を見てわかった。良い映画だ。見て損はない。