2020年9月15日火曜日

ライブストックの沈没に思う



   

                    歌は弘田龍太郎作曲の「浜千鳥」

9月6日に台風9号が日本を襲った時、奄美大島沖でニュージーランド船籍、ガルフ ライブストックが沈没した。
中国に輸送されるはずだった、6000頭の牛と、43人のクルーが乗っていた。その後、2人のフィリピン人のクルーが、救命ゴムボートで漂流しているところを救命された。しかし日本政府と海上保安庁は、台風9号の余波と台風10号が続いて接近していて危険だ、という理由で、行方不明者捜索をたった事故から6日間で中止した。
いまだに救出されていない41人のクルーのうち、2人はオーストラリア人だ。一人は6000頭の生きた牛の送り元クイーンズランドのストックマン。もう一人は獣医だ。二人とも20歳代、小さな子供のお父さんだ。その家族たちが、日本の海上保安庁に、あきらめないで引き続き海上捜索を続けてほしい、と悲鳴のような嘆願の声を上げている。どうか本当に打ち切りにせず、海上を探し出してほしい。彼らは、救命着を着ていて、救命ボートももっているはずだ。あきらめないで、帰りを待っている家族のことを考えてほしい。どうか海上捜索を続けてほしい。

20代の獣医が海難事故で行方不明になっていることが他人事と思えない。
娘が獣医で日々奮闘している。 オーストラリアでは大学進学で獣医学部に入るためには、高校のHSCという試験で、最高点を稼がなければならない。各州に獣医学部を持つ大学が1校ずつしかないため全国で5校のみ、競争率が並みではない。HSC試験の最高点を要求される医学部よりも高い点と、どうしても獣医学部に行く、という強い動機をもっていないと入れない。念願かなって獣医学部に入学できても1年生で、半分が落伍する。本当にこれほど根を詰めて勉強して頭が爆発しないか心配になるほど厳しい学業にプラス、1年のときから実習が始まり、大学の寮にステイして農場体験をする。卒業までに牛のファームに何か月、羊のファームに何週間、デイリーファームに何週間、と自分で直接農場に掛け合って、住む込みで実習させてもらわなければならない。狭い日本で獣医学部のある大学が20数校、卒業まで犬猫に予防注射をしたこともない獣医を大量生産している日本とは、卒業段階でのレベルは全然ちがう。やっと獣医になれても、長時間、寝る間もない忙しさとストレスで、オーストラリア職業別自殺率で、獣医はナンバーワンなのだ。
そんな荊の道をあえて選んで一人前になったばかりの獣医が、6000頭の牛たちとともに海に沈んでしまった、などと信じたくない。人生これからだったろう。最後まで牛を助けようとしたのではないかと思うとたまらない気持ちになる。

また閉じ込められたまま海に沈んだ6000頭の牛たちが、狭い船倉で恐怖におびえながら死んでいったかを思うと胸がつぶれる思いだ。
オージー牧場主たちが1頭1頭名前をつけて、山火事や、日照りや、、水不足や、牧草不足の中でも苦労して、いつくしんで育てた牛を、買い手たちは生きたまま輸入したがる。回教徒たちは食肉をお祈りしながら殺した肉しか食べてはならないという厳しい掟があるから冷凍肉ではだめなのだ。牛や羊など、生きた動物を輸出することを、動物保護団体は一貫して反対してきた。狭い船倉の中で、ぎゅうぎゅう詰めにされて数か月、最低限の水やエサで売りに出されていく動物たちは、脱水症、熱射病、皮膚病や何らかの感染症にかかる率も高い。しかし農業国オーストラリアで、牧畜に携わる業者にとって生きた動物の輸出は、死活問題だ。大型船での輸送中の動物の死亡を避けるため、空調や室温管理を適正にし安全に運ぶといった対策しか建てられてこなかった。

世界中の人口がトイレットペーパーを使うようになると世界中の樹はなくなる、という説がある。すべての中国人のディナーの食卓にワインとビーフステーキが並ぶようになると世界中の森林が無くなる、という説も、、。アマゾンを焼き払い牧草地を広げようとしているブラジル政府のやりかたを見ると、そういった説もうなずける。
いまCOVIDのパンデミックにあって、こうした感染症の発生と拡散が、地域や国を超えた通商と、環境破壊から起きたものだということが検証された。グローバルな食べ物の需要と供給が、世界的に広がり続けるかぎりCOVIDが終息しても、また別の病原菌によってパンデミックは繰り返されるだろう。

パンデミックを何度も繰り返さずに済むために、少なくとも食糧は自国で供給する。地元の人は地元の生産物を食べる努力をしたい。さらに、動物蛋白質に栄養を依存する食生活も、今後の生き方として再考しなければならない。人が人らしく頭脳活動を継続するために必要な蛋白源が肉である必要はない。
COVIDパンデミックで国境が封鎖され、州境がロックダウンされ、外出制限、レストランパブ、映画館、劇場、イベントが禁止されて、人と人との交流が制限されたとき、人は初めて「ぜいたく」とは、宝石を付けて、ブランドを身に着け、飲み放題、食べ放題でどんちゃん騒ぎすることではないことに、やっと気が付いたのではないか。
本当の贅沢とは、心の通った人と、感謝をもって共に食することを喜び、互いに健康と安全を確かめながら手をつなぐことではなかったか。人が人として身にあった生き方をすることが大切だと思う。