2008年11月4日火曜日

スイス ルツエルン その1







イタリアのフロレンスを後にして、ピサに寄る。
ピサの斜塔が有名だが これはドウモー(教会)の鐘楼、ベルタワーだ。
ここでも、ピサ教会と斜めになった鐘楼と洗礼堂の3つの建物が隣り合わせになって建っている。洗礼を受けた人が教会に入るとき 斜塔が時を告げる鐘を鳴らしたわけだ。教会はロマネスク様式、1063年に建設が始まった。説教壇は ピサーノの作品。とても立派で美しい。

内部ではガリレオが その揺れを見て 「振り子の原理」を発見したと言われるランプがある。中にろうそくが灯されるようになっているランプが、シャンデリアのように、いまだに輝いている。 天井は 美しい彫金を施された本当の金で飾られて、豪華でピカピカの館内だ。 教会と洗礼堂の外側の壁は 全部、真っ白い大理石とグレーの大理石とを交互に積み立てた 縞模様。3色の縞模様の教会をフロレンスで 初めて見て、斬新なデザインと感心したがここでも 2色の縞模様が 美しい。

朝 早いのに、沢山の観光客が押し寄せていて、日本人も多くて、ここが人気なのがわかる。みな、遠くから倒れそうな斜塔を自分の手で押さえているような 格好をしてみたり、塔に抱きついているように見えるようなポーズをとったりして カメラの前で、大騒ぎをしている。 塔の前で、斜めに傾いているコーヒーカップを 面白いと思ってセットで買う。10ユーロ。(2000円)

ピサの後は、一路、アルプスの山々を見ながらスイスに向かう。 ドライブインでランチに、コーヒーとサンドイッチ。立ち食いだが、ちゃんとハムの入ったサンドイッチを温めてくれて、おいしい。
5,30ユーロ。 600円くらい。
ホテルはルツェルンのアストリアホテル。

夕食は スイスフォンデユーを食べる為、レストラン「STADTKELLER」という店に行く。大ジョッキのビール飲み放題で 60ユーロ。お料理は スイスフォンデユーと ビーフシチュー。久しぶりに新鮮な生野菜のサラダが出て、嬉しかった。フォンデユーを食べ、1リットルジョッキのビールを 軽ーく空けながら、ヨーデル音楽、スイスフォークダンス、ホルンの演奏などのショーを見る。

ルツエルンは ルツエルン湖の湖畔、ピラトゥス山のふもとにある 人口6万人の街。チューリヒからインターラーケンに向かう交通の要所だ。今まで、ベニス2泊、ローマ2泊、フロレンス1泊と、イタリアでは余りにも見るべきところがたくさんで 消化不良気味なので、ここで少し体を休められるかもしれない。

スイスは日本の九州ほどの大きさの山岳国。永世中立国。国民皆兵。ドイツ語圏、フランス語圏、イタリア語圏に分かれていて、連邦共和制。人口755万人。人々は国に属するというよりも、コミューン自治共同体に属する。スイスが永世中立国なので、戦争放棄を明確にうたった憲法を持つ日本と同様の平和国のイメージが大きいが これは誤解で、スイス国民は 男も女も国民皆兵で、常に武装、戦闘訓練を受けている。各自の家には70発の弾丸と銃が備え付けられている。きわめて、強力な軍事国家なのだ。
独自国家で、EUにも参加していない。歴史的には、ルネッサンスの影響も受けていない。
強力な移民制限政策を施行していて、外国労働者は、1年間以上は この国で働けない。1年といっても3ヶ月の休暇を強制的にとることになるので、9ヶ月間しか働くことが許されない。。バッキンガムの衛兵がそうだが、昔からスイス人がヨーロッパでは出稼ぎに行っている。移民を受け入れるつもりはない。本当にユニークな国だ。アルプスがもし なかったら誰も訪れたくない国かもしれない。アルプスがあるために、世界一美しい国なのだけれども。などと、考えながら眠りにつく。
写真左:ルツエルン湖
写真右:レストランで

2008年11月3日月曜日

フロレンス イタリア







ベニス、ローマを見てから フロレンスに着いた。
街全体が美術館と言われている。また天国に行く為の入り口とも。ルネッサンス発祥の土地だ。
フロレンスのまちに入るまで、キャンテイ丘陵地帯は 一面青々としたブドウ畑だった。豊かなトスカーナ地方はワインの生産地だ。ここで生産されるキャンテイワインはイタリア最高のワインといわれている。

街に着いて、落ち着き先はビラ ガブリエラ ダヌンテイオという地元のホテル。今回の旅行では このホテル以外はシェラトン、ヒルトン、コンチネンタルなど、世界のチェーンホテルばかりに宿泊したが、ここでは 初めて古い地元の歴史あるホテルに泊まることになる。

まずフロレンスで 地元のガイドに付いて初めに行くところは アカデミア美術館。
コシモ1世が初代総裁を務めた美術大学。学生の手本になる美術品を集めたのが始まりだ。ミケランジェロの「ダビデ像」がある。1502年から2年かけて作られた ルネッサンスの記念碑的な作品だ。 メディチ家は、芸術家を保護して育成した。ボッティチェリ、ミケロッツオ、ドナテッロ、ミケランジェロなど 特別に メディチ家から保護を受けてきたことが ルネッサンスという文化の革命の起爆剤になった。フロレンスの父と言われるコシモ デ メディチ全盛時代のメディチ家の富は ローマ法王やフランス王を合わせたよりも 大きかったと言われている。

「ダビデ像」のあるホールには、ミケランジェロの未完の4体の奴隷の像がある。その中のPRISONER ATLAS:「奴隷のアトラス」が未完ながら力強くて素晴らしい。両腕から顔の表情までもう構想ができているのに、どうして完成させなかったのだろう。人の筋肉の躍動 ダイナミックな生命力、今にも動き出しそうな人の姿の美しいこと。ひとつの石からできている像は 余程バランスよく彫りださないとこれほど長い年月 破損もなく完璧な姿で 歴史に残ることはないのだろう。ダビデ像の完成度の高さにいまさら気がつく。

次は、ドウオーモ:サンタマリア デルフィオーレ大聖堂を見る。1436年に完成。高さ107Mの巨大な円形屋根が載っている。横に「ジェットの鐘楼」があり、こちらは1359年完成。側面に施された56枚のレリーフや16体の彫像はピサーノや、ドナテッロの作品。これが素晴らしい。そのまた横に、8角形のサン ジョバン二洗礼堂。1336年完成。3つの聖堂の門があって、ひとつはピサーノの作品。 今まで観た教会はみなそうだが、教会には必ず 教会と時を告げる鐘楼と洗礼堂の合わせて3つの建物が並んで建っている。人々は 洗礼を済ませてからでないと教会に入ってはならない とされていたからだ。

ここでは教会、鐘楼、洗礼堂と3つそろって堅固な要塞のように大きく聳え立って居る。外壁は この地の特産、赤っぽい大理石と白い大理石と緑の石の3色で縞のもようになっていて、偉業を誇る巨大建物なのに 可愛らしいというか、現代的な感じがする。建物の外側 装飾が凝っていて美しい。いままでいくつもの教会を見てきた。イギリスのウェストミンスター寺院、ドイツのコロン大聖堂、インスブルック、ザルスブルグの教会、ベニスのサンマルコ寺院、ご本拠ヴァチカンのサンペテロ大聖堂、、、各国を代表するたくさんの教会を見てきたが、わたしはここフロレンスの サンタマリア デルフィオーレ大聖堂が 一番好きだ。デザインが洗練されていて 横縞の外壁の装飾が美しい。壁にはめ込まれている聖人の彫像もきれい。

シ二ョーリア広場、共和国時代の政治の中心だったところ。べッキオ宮殿とその回廊に囲まれた広場に「ネプチューンの噴水」がある。 その一角にアカデミアと言っていたが、沢山の時代を異にした 彫像が集められ 青空ギャラリーになっている。20ほどもある像の一つ一つが素晴らしい。略奪するローマ兵、首をもぎ取る兵士、嘆き女達、、、。歴史的な彫像を人々の手に触れられる広場に惜しげもなく ごちゃごちゃと置いてある。こんなところで生まれて、育つ若い人たちは 一体 子供のときからどんな絵を描くのだろう。

レザー加工場を見学させてもらう。3階建てのビルで 見学というより皮製品、バッグ、ジャケット、靴などを売っている。皮ジャンは持っているし、靴は皮でない軽いジョッギングブーツだし、、、欲しいものなどないのでサッサと出る。

娘と二人、歩いてポンテベッキオ(ポンテ橋)に行って見る。 金細工で有名なフロレンスで、金のアクササリーだけを売る店が 橋の両側に 50軒くらい並んでいる。どの店も ボンジョールノーと言って入っていくと、親切に色々見せてくれる。見るだけでも、出るときには あちらから気分よくグラーチェと言ってくれる。ピンクゴールド、イエローゴールド、ホワイトゴールドの3色を上手に配色よく使った繊細なネックレスがとても良い。3色の使い方が洗練されていて、オーストラリアでは勿論 日本でも見たことがないデザインだ。思わずヨダレが出そうになる。でも高い。シンプルなものでも2000ドル:20万円位。娘も随分迷っていたようだが、結局買わずに 重い足で帰ってくる。考えてみると、今日は、歩き回っているうちにお昼を食べるのを忘れていた。

夜は宿泊先のホテルのレストランが良くないらしく、歩いて他のホテルに食べに行った。キャンテイーワインは 飲みやすく良かったが 食事の方は どうと言うこともないチキンだった。ただコーヒーだけは さすがイタリア、本当に美味しい。

2008年11月2日日曜日

ローマ その2




次の日は早く起きてバチカン博物館と システイナチャペルへ。
9時に開く博物館の前に8時半から並ぶ。着いてみたら二番目に早く来たグループだった。人のいないうちに見たい、と気がはやる。ここに入るのに昼間になったら2時間待ちがざらだ。厳重な荷物検査と金属探知機をくぐって入館。

バチカン博物館は古代から現代までの芸術品をもつ世界最大の博物館だ。27の美術館と博物館で構成されている。博物館に入って、もうそこの廊下に感心し、天井に驚きあきれて、壁と言う壁を覆うタピストリーや絵画に感嘆し、彫刻に心奪われる。いくら時間があっても足りない。早足で先に行ってしまうガイドがうらめしい。

システイナチャペルのミケランジェロの天上画の素晴らしさ。教会の ものすごく大きな天井いっぱいに描かれた旧約聖書の物語。ワーッと声を出してしまう大きさ。四方のまわりに座れるようになっており 座って天井画を じっくり見ることができる。続いて、祭壇画。これも素晴らしい。ミケランジェロはこの天井画を完成した後 教皇ユリウス2世に命じられ祭壇画を製作した。旧約聖書の創世記から人類再生まで「最後の審判」を祭壇画として描いた。ミケランジェロの偉業は一人の天才によって果たされたとは思えない、天才以上の天才。どの絵もカラフルで美しい。

サン ピエトロ大聖堂に入り ミケランジェロ23歳の時の傑作「ピエタ像」を見る。キリストを抱くマリアの嘆きの像。ガラスケースに入った この美しい像を沢山の人が取り囲んで カメラに捉えたりしている。教皇の祭壇の豪華なこと。29メートルのおおきなベルニーニ作の天蓋。いくつもある祭壇がそれぞれ、華麗な装飾を施されている。聖ペトロの銅像もある。カトリックの富の総本山。装飾と富と美の極地を求めた殿堂に圧倒されながら外へ。

サンピエトロ広場には 何百何千という椅子を並べているところだった。聞くと年に一度、カトリックの中で階級を上げる認証式があるので準備しているところだそうだ。見上げると聖堂の右の3番目、法王がいる部屋の窓が開いているので 在室だという。テレビでおなじみの法王の顔を思い浮かべつつ 窓にむかって、チャオ と手を振って バチカン王国を後にする。

サンタジェロ城は 139年に建てられた霊ちょう。屋根の頂上高く、天使が立っている。10世紀にはバチカン宮殿と秘密に通路で結ばれて法王の避難場所となり、また牢獄としても使用されたという。テビレ河に架かるサンタジェロ橋の両側に 沢山の聖天使の像が立ち並んで壮観だ。

紀元前27年に建てられたパンテオンを見る。天井に43メートルの球形の採光のための 明り取りがくりぬいてあるため 堂内に光が入り 日光で時刻を正確に計測したという。聖母マリアと殉教者のために捧げられた教会。球形の天井を撮る為 天井の真下に娘と立って二人の顔を下から撮影しおもしろい写真が撮れた。

ナボナ広場とネプチューンの噴水、そしてトレビの泉。もう一度来られますように、いのりながら 3枚のコインを投げ入れる。

コロシアムに戻る。夜のコロシアムも美しかったが、炎天下で大汗をかきながら見るコロシアムも迫力満々。紀元80年ごろ完成した円形競技場。すべて大理石で覆われていた。猛獣とグラデイエイター、またはグラデイエイター同士の戦いを見物する為に 7万3千人の市民が押しかけたところ。円周527メートル 高さ50メートル。一階が貴族、2階が市民、3階は立見席、地下に猛獣が1頭1頭 入れられていた檻のあとが はっきり残っている。ライオンなどの猛獣は遠くアフリカから連れてこられたと言う。何という財力、何というパワー。

ローマ帝国ではコンスタンテイン帝の時代になってから改宗、キリスト教が公認された。それまではイエスキリストの迫害を例にするまでもなく クリスチャンは弾圧されローマ人から憎まれた。 キリスト教が公認され 力を持つようになると クリスチャンはローマの施設を攻撃、破壊した。コロシアムのすべてをカバーしていた大理石は このとき破壊され、はがされた。この大理石を、のちにウェストミニスター寺院に張り替えたのはクリスチャンだ。何たるイギリスの介入、暴挙。歴史のダイナミズムの中で 常に犠牲になるのは 芸術だ。

夜は 疲れた体に鞭打って ちゃんと着替えて、ツアーで仲良くなった人たちとレストランに繰り出す。老オージー夫婦、アメリカ人夫婦、シンガポール人夫婦など。他の人たちと社交する為に きちんとした食事でもしないと長い一日にくたびれ果てて 夕食抜きで眠りこけてしまう。眠る時間が惜しい。冷えたワインでパスタ、夜半まで語り 飲む。イタリアの濃いコーヒーがとても美味しい。 明日はフロレンスだ。
写真右:サンピエトロ大聖堂 教皇の祭壇
写真左:サンピエトロ広場

ついに ローマ その1







世界遺産の60%が、イタリアにあるという。
中でも毎日一日平均6万人の人が訪れるというベニスは世界の宝だ。その離れがたいベニスから、バスで一挙にローマへ。

朝発って 途中ドライブインで短時間の昼食をとっただけで またバスに揺られ、アペニマウンテンを見ながら 走りに走って、夕方ローマ シェラトンホテルに着く。ついに ローマに来た。ホテルで着替えて、夕食の為にコロシアムの横にあるというレストランへ。57ユーロのデイナーコース。

夕日がコロシアムに落ちて 暗くなるとコロシアムの中にある明かりが灯されて 闇の中に巨大なコロシアムが浮かび上がる。素晴らしく幻想的だ。古代ローマの遺跡を見つめながら ワインを傾けることになるとは 何という贅沢。アコーデイオン伴奏にソプラノとテノール歌手がやってきて歌ってくれる。「サンタルチア」や、「帰れソレント」などだ。スパゲテイの前菜、やっと南部イタリアに来たのだからパスタとピザだ。冷えた白ワインも赤ワインも美味しかった。コロシアムを前に何の文句が言えよう。 でも本当のことを言うと、歌手達、こういう観光客を前にして歌う芸人はミュージシャンとしては一流でも二流でもない。だから聞いた後 私は盛大に拍手をしながらブラボーと言う代わりにプラクテイースと叫ぶ。もっと練習しなさい、という意味だ。皮肉だはなく、ご愛嬌だ。

食事の後、もう夜遅いのに、バスで名所案内をしてもらう。これが本当の、ブラボー!!だ。 
ローマ遺跡、カラカラ浴場。217年にカラカラ帝の命で建設された古代ローマの巨大娯楽施設。総面積16万平方メートル。一度に1600人の市民が 高温 中温、低温の浴場、スチームバス、図書館、礼拝堂、劇場、スタジアム、遊歩道などを、楽しんだという。そのすべてが大理石で敷き詰められていたのだ。暗闇にライトアップされていて美しい。

遺跡のなかで、ロムラスとリーマスが狼のお乳を飲む像を見る。ローマの始まりだ。紀元前800年、ラテンのプリンセスがマーズの神を父とする双子を産む。しかしプリンセスは世界を天と地の二つに割ったという罪で、罰せられ、双子を取り上げられる。ロムラスとリーマスの双子は捨てられ河に流されるが、狼に拾われて 狼に育てられる。やがて成長した二人は国を造り支配者になるが、リーマスはロムラスに敗れて殺される。国王となったロムラスは この国をローマと名付ける。ローマの歴史の始まりだ。

パラテイーノの丘から フォロ ロマーノという宮殿跡を見た。競馬場の跡がある。勇士たちがカレッサを走らせ競技しただろうトラックがおまだにはっきり残っている。
ヴェネチア広場に行き、べネチア宮殿を見る。ここはベネチア共和国の大使館だった立派な宮殿。漆黒の夜をライトアップされている美しい殿堂のため息をつく。

そして、バチカン サンピエトロ大聖堂を夜歩く。バチカンの国境線に立つ。世界一小さな国の世界一大きなカトリックの大本山。大聖堂の大きさは とても説明できない大きさだ。 本当に 遂にローマに来たのだ。 ローマ帝国の夢を見ながら眠る。

写真1:コロシアム
写真2:バチカン
写真3:ヴェネチア広場

2008年10月31日金曜日

いよいよイタリア ベニス!







オーストリアのザウスブルグからべネト平原を抜けて 橋を渡ってやっと夕方になってからイタリア ベニスに入った。憧れのベネチアだ。
グルスコ(こんにちわ)とダンケシェーン(ありがとう)が、ボンジョールノとグラーチェに取って代わる。なりふりかまわずこれを連発する。

まずホテルコンチネンタルに。ベニス市内に車は入れない。重い私達のスーツケースはベニスの入り口 セントルチア駅でバスからボートタクシーに乗せられてホテルに先に運ばれていった。

事前にツアーダイレクターから クギを刺されていた。イタリアに外国人が望むようなホテルはない。イタリアで観光客に気に入ってもらいたいと思っているようなサービス業関係者など居たためしがない。出した料理が気に入らなければ食べなければ良い。外国人がお望みの物など出すつもりはない。子供じゃあるまいし10時以降にカプチーノなど飲む奴は馬鹿だ。お湯で薄めるようなアメリカンコーヒーなど作れない。飲みたければアメリカで飲んでくれ。というのがイタリア人だから、ホテルに入って、文句を言わないで、と。

人ごみを歩いて橋を渡りホテルに到着。娘とツインの部屋は小さいが別に文句を言うほどのことはない。ただ、バスルームに窓があり、レースのカーテンがあるだけで、向かいの建物の窓も開いている。夜暗くなってから どちらかのバスルームの明かりを点けると 中が丸見えになる。他の人は気にならないのだろうか。窓に大きなバスタオルをかけて、カバーして、やっと安心してお風呂につかる。

夕闇迫る外に出てみると、狭い路地の両側は宝石店、仮面専門店、ベネチアグラス専門店が並び、人々がぞろぞろ歩き回っている。ベネチアグラスでできたアクセサリーも パーテイーに使う華やかな仮面も、素晴らしい。全部持って帰りたい。

夕食はホテルのレストランで。ベランダから運河を通ってくる風が心地よい。イタリアのよく冷えた白ワインを早いピッチで飲みながらコース料理を。前菜にスパゲテイがでた、とても嬉しい。と思ったら、メインにチキン。イタリアに来てパスタとピザ以外のものを食べたくない。鶏肉に呪われているのか?と、思っていたら、勘違い。イタリアでも北イタリアの教養人は、パスタやピザのような南イタリアの貧乏人の食べ物は食べないのだそうだ。知らなかった。イタリアでは北と南とは まるで言葉も人種も違うのだから 食習慣が違うのは当然だ。ベニスは かつて完全に独立した共和国だった。商業都市として東西の貿易の要として富を謳歌した。ベニスとナポリなんかと一緒くたにしたら 叱られる。全然別の国として考えなければいけないのだ。

ベニスの2日目はサンマルコ広場までボートで行き、サンマルコ寺院を見学する。829年アレクサンドリアから持ってきた聖マルコの聖遺骸を祭った寺院。内部は床も壁も みごとなモザイクで埋め尽くされている。ベネチア共和国の富を象徴したような建物。とにかく大きい。カメラに収まりきらない。 寺院の前には 高さ96メートルの大鐘楼が立っている。
サンマルコ寺院のとなりがドウカーレ宮殿。共和国時代の総督の住居、政庁、裁判所だった。ここでも教会と権力者の住居は隣同士だ。白とピンクの大理石でできた建物。これも巨大な ゴシック様式の建物。内部は見られなかったが 2階3階の広間は16世紀の美術品で飾られ、世界最大の油絵テイントレットの「天国」や フレスコ天井画があるそうだ。

この宮殿の横からゴンドラに乗って運河から街を見物する。ドウカレ宮殿から運河を隔てた隣の建物は 昔 政治犯を収容した牢獄だ。かかっている橋の名は、ため息の橋。この橋を渡れば二度と外には戻れない囚人が ため息とともに振り返ったからだという。カサノバは収容されたが脱獄して、女泣かせを止めなかった。実在の人物だそうだが、晩年はどんな生活だったのだろう。映画「カサノバ」では、私の大好きな、オージー俳優で今年28歳で亡くなったヒース レジャーがカサノバの役をやった。彼が演じると女たらしも 全然いやらしくなくて、当時のベニスの貴族達の豪華な暮らしぶりや華美な服装が美しくて楽しい映画だった。 ゴンドラからその鉄格子や、ホテルダニエリのわきを通り、様々な建物を見る。こぎ手はしまのシャツにベレー帽のハンサムな青年、大きな櫂で小運河を自由に漕いでいく。でもカンツオーネを歌ってはくれない。

陸にあがって、地元のガイドについて 沢山の教会、沢山の像や家々、建物を見た。かつて政治を司っていた貴族達の家や貿易物資を保管する巨大な倉庫などを見た。人がやっと行き交うことが出来る狭い路地を通り抜けると 広場に必ず井戸がある。それを中心に人々の生活が広がっていった様子がわかって、興味深い。狭い路地にある小さな靴屋が手製の靴を作っているところを覗いたり、沢山の橋をわたり、そこを潜り抜けるゴンドラに乗った人々を冷やかしたりした。

ランチはスタンドカフェで、立ったままピザを温めてもらってコーヒーを飲む。見る物が多すぎて どんなに歩き回っても追いつかないのでとても座ってゆっくり何かを食べている余裕がない。15ユーロ。高い。3000円で立ち食いそばならぬ、立ち食いピザを食べたことになる。

朝から快晴、強い太陽の陽に照らされて早朝から歩き回っているので足の痛みもはんぱでないが、今日しかベニスに居られないと思えば、我慢も出来る。    その痛い足で、ガラスファクトリーに行く。せっかくベニスに来たのだ。どんなに高くても 一番気に入ったグラスを買おうと思っていた。一つ一つ 熱い炉で口で息を吹き込んで 手作りで作った本当のグラス、、、一生の宝になるだろう。職人が目の前でガラスの馬を作る。熱い竈から出したガラスの塊をちょっとペンチで引っ張ると馬の脚ができて、あっという間に完璧な馬の置物ができる。魔法を見ているようだ。ガラスの色付けは 紫はアメジスト、赤は本当の金を溶かして色付けするそうだ。赤に凝った金の飾り絵柄の入ったワイングラスをセットで買う。しっかりした足がついていて、ひとつでもとても重い。値段などひとつ200ドルでも300ドルでも どうでも良く、クレジットカードを渡して、シドニーまで送ってもらうように依頼する。本場に来て、作るところを見て本物を買ったという満足感で、充分だ。

夕方は、ボートで1時間 ブラノ島に行く。ボートと食事で65ユーロ。ブラノ島は それぞれの家が自分の色を持っていて、並んでいる家々が緑、ピンク、青、黄色、紫、というように どの家も同じ色はない。そんな家並みが御伽噺に出てくる家のようで 愉快で楽しい。レストランでワインを飲みながら、スズキのような白身の魚を食べる。エビフライ、イカフライ シーフードパスタも出てくる。満腹のおなかをかかえて、お土産屋を見て ボートでホテルに帰ると もうすっかり夜中で まわりの宝石店、仮面専門店などみんな店じまいしている。仮面を買って持って帰りたかったが、泣く泣くあきらめてベッドに入る。 

2008年10月30日木曜日

インスブルックとザウスブルグ







オーストリアのインスブルックは、街のどこを見ても 背景に雪山がある、素晴らしい街。 ホテルの窓から見える雪山と街の灯は、美しく、明け方、上ってくる太陽の光をあびた山々の輝き、そして光がさして来て徐々に街が目覚めていく様子が美しく いつまで見ていても見飽きない。 インスブルックを離れたくない。山のある光景が どんなに人の心に潤いと、落ち着きを与えてくれることか。オーストラリア大陸の平板な土地に暮らしていて、毎日の風景の中には山も、谷も、川も湖もない。窓を開けた時に 山が見えたらどんなに素晴らしいだろう。
しかし、旅は続く。 人は生まれるとき、場所も環境も、とりまく社会状況も 自分で選ぶことは出来ない。生きていくうちにそれを変える事はできる。しかし、全部はとても変えられない。部分だけだ。

インスブルックでは、過去2回、冬季オリンピックが開催されている。街から山に残されたスキージャンプ台が見えて、木々を伐採して作られた周囲が無残だ。地元の人がスキーを楽しむのはさぞ楽しいだろう。しかし国際試合のために山を切り刻み、ジャンプ台など作って自然を破壊した残骸を 雪のない時期に見るのは悲しい。
ジャンプ台の真下に ウィルテン バジリカ(WILTENER BASILLICA)という、ロココ調の教会がある。外側は普通の教会だが、内部が素晴らしい。白と金色に輝く装飾で 祭壇は目の覚めるよう。丸天井はカラフルな絵、壁の一つ一つが入念にデコレイトされていて無数の絵と彫刻で埋められており、芸術の極致。山に囲まれた美しい街に住む人々の心の豊かさを示すような 美しい教会だ。

この美しいインスブルックに2,3年 暮らしてみたい気持ちを残したまま、バスはザウスブルグに向かう。 毎年、ザウスブルグ音楽会が開かれる モーツアルトの生誕の地。強力な大司教が支配してきた歴史から、イタリアとの結びつきが強く、荘厳な寺院やイタリア風建築物が多数ある。 モーツアルトの生家を訪ねる。
何年もヴァイオリンを弾いて来て、好きな作曲家は、と聞かれると、いつも躊躇なくモーツアルト、と答えてきた。いつも良い演奏家によるモーツアルトの曲を聴くと 貧困のどん底にあって、これほど美しい曲を 自分の命を削って つむぎ出したモーツアルトの短い一生を思って泣きたくなる。モーツアルトが大好きだ。彼が生まれたアパートを見上げ、狭い階段を4階まで登る。 入場料6,50ユーロ。

意外なことに 家の中を見て回ったが、あまり感動もしなかったし、インスピレーションも受けなかった。人が多すぎる。部屋の一部がお土産屋になっていて、彼の顔写真つきのチョコレート、彼の顔のボールペン、彼の鉛筆立てを ぶったくりというような値段で売っている。通俗すぎる。彼が生まれた部屋に、ベビーベッドがあって、中に人形が寝ているのは 気持ちが悪い。悪趣味だ。 それでも、木の床をミシミシ踏みしめながら、当時、この家の人々が寒さを凌いだ 陶器製のヒーターに触れ、天井の低さを感じ、窓から乾いた空気を胸いっぱい吸ってきた。

ザウスブルグに来て、サウンドオブミュージックが好きな人は、ここでトラップ一家のあとをたどり、マリアが居たノンベルグ修道院や、家族が隠れていたザンクペーター教会や、一家が音楽祭でエイデルワイスを歌った野外劇場などを 見て回るツアーに行く。けれど、わたしは無視。限られた時間に何もかも見ることは出来ない。

街からバスで、私と娘は ヒットラーのイーグルネストを見にいった。1834メートルの山の頂上にヒットラーのために建てられた山荘、イーグルネストがある。ヒットラーを現人神として熱狂崇拝していた マーチン ボーマンがヒットラーの50歳の誕生日にプレゼントした山荘だ。山荘に通じるふもとにはヒットラーの私邸や、2000人のSS 親衛隊の住居があったそうだ。
現在はオーストリア政府観光局のものになっていて、5月末から10月までの夏の間 山道を往復する特殊なバスで、アクセスできるようになっている。バスの終点から歩いて124メートルのトンネルを通り抜け、124メートルの高さのエレベーターで 頂上の山荘に行く。

硬い石灰石でできた山を切り開き、いくつものトンネルを掘り、資材を運び、山の中央を掘りだし ぶち抜いて山頂に至るエレベーターを作った。この無謀な建設には 当時ドイツの最新の技術が使われたという。 124Mのトンネルの頑強、堅固な姿はあきれるばかり。そしてエレベーターは、天井も壁も、床も金色に輝く箱で、その豪華なこと。今まで見たこともない立派なエレベーターだ。ヒットラー50歳の誕生日に最大最高の贈り物をしたかった信奉者の狂気が充分うかがえる。 山荘には大きな暖炉のある大広間、ヒットラーの部屋、秘書で死ぬ前に彼の妻となった エバ ブラウンの部屋などがある。今はレストランとして観光客に利用されている。山荘から頂上までは50メートルくらいの きつい登りで山頂に立つことができる。素晴らしい眺め。紅葉で山々が色とりどり。とても寒い。山荘に戻って ランチ代わりに アップルケーキとコーヒーをいただく。12ユーロ。

夜は街に下りてきて、デイナーは カステラー二 パークホテルで またチキン、、、泣けてくる。ホテルの部屋に戻ると 部屋の気温が29度もあって、暑くて寝られない。娘がレセプションに電話でエアコンを入れるように頼むと 「今は秋だから エアコンはない。暑いなら窓を開けてください。」と言われる。これには笑った。それからは、しばらくの間 「今は秋だから」を連発して娘と笑うことになる。外は寒いのに部屋の気温が29度なのも、暑くて眠れないのも、携帯電話が何故か使えないのも、ホテルにコンピューターがないのも、寝坊して朝食をかきこむことになったのも、みんなみんな秋だから、、、というわけだ。  

写真1は モーツアルトの生家
写真2は ヒットラーのイーグルネスト
写真3は インスブルックの教会

2008年10月29日水曜日

ミュンヘンとインスブルック







ドイツ ラインランドから バスでミュンヘンに立ち寄る。

街の中心、マリエン広場の市庁舎に、ドイツ最大の仕掛け時計:グロッケンスパイルがある。1568年のバイエルン大公ヴィルヘルム5世と、ローレン皇女レナータの結婚式の様子を再現したもの。32体の等身大の人形が この地方の踊りや 騎士の馬上の試合などを舞う。これを見るために、午前11時と12時に、市庁舎前は人々で埋まる。是非 見たいと思っていたが、来る途中の道路が混雑していて、着いたのが12時半、みごとに見逃した。残念でならない。

ミュンへンは バイエルン国立オペラ劇場も有名。ここでルードヴィッヒ2世が ワーグナーのオペラ「ローウェングリーン」を観て感動してその後 生涯 ワーグナーのパトロンを勤めた。王家専用席のある 格調ある 歴史的なオペラハウスだ。ウィーンでウィーン交響楽団の新年コンサートを聴き、ミュンヘンでシュトラウスのオペラ「こうもり」を観たらば、もう完璧、これ以上のお正月はありえない。

今回はミュンヘンの仕掛け時計は見逃し、オペラハウスはバスで通過するだけ。ふてくされて、すし屋へ。しかし、こ、、、これは 何ですか。春巻きの干からびたもの、かっぱ巻き、死んだ魚としか形容できないような刺身が、プラスチックの皿に乗って回っている。中国人の怖い化粧をした女の子が 乱暴にお茶をドンと置いていく。これは危ない。かっぱ巻きだけを 何皿も食べて、15ユーロ払って出る。銀座老舗のすし屋並みの料金を取って、小学生が 海苔巻き作りに挑戦してみましたー、というような 海苔巻き失敗作を食わされた。

再びバスで一路 オーストリアのインスブルックに向かう。バスから眺めるドイツの石作りの家々が オーストリア領に入ると 木造の家に変わってくる。緑が一層 濃くなり 紅葉した木々も見えてくる。そうだ。秋たけなわなのだ。春になったばかりのシドニーから来た。オーストリアで日本のような鮮やかな紅葉が見られるなんて、なんという贅沢。スズカケの木、プラタナス、カエデの緑、黄、紅が調和して美しい。国境を越えても オーストリアは同じドイツ語の国だ。グーテンモルゲンや、グーテンタークでなく、朝でも夜でも使える挨拶言葉「グルスコ」と、ダンケシェーン(ありがとう)を、連発する。

インスブルックは、世界で一番美しい街。小さな街の四方を雪を抱いたチロルの山々が取り囲んでいる。街のどこで写真を撮っても バックに雪山が写る。聞くと 2日前に冷え込んで新雪が降ったばかりだという。雪山と紅葉した低い山々が重なり合って それが街のどこからでも見えて、手が届きそうだ。 街の中心にあるスワロスキ本店でバスを降りた。水晶のアクササリーや動物の置物を作っているスワロスキは チェコスロバキアかハンガリーのものかと思っていたが、インスブルックが本拠だと初めて知った。4階建ての店内を100%観光客の顔で見て回る。色々見て 娘にネックレスを買う。100ユーロ。 ここから歩いて街を見ながら ヒルトンホテルへ。

夕食はチロルの山小屋でチロルの伝統料理を、というコースがあったので申し込む。時間になると、バスが迎えに来て、結構暗い夜の山の中に入っていく。バスのあとは、馬車で山道をさらに登る。2頭立ての馬車の御者の横に座らせてもらって、足元の2匹の犬を抱き寄せる。御者が可愛がっている8ヶ月のセパードと白いテリア犬。寒いので毛布を膝にかけると犬達ももぐって入ってきて可愛い。30分余り 馬車が走っているうちにセパードが何度も馬車から飛び降りそうになり 首輪をしっかり掴んでいなければならなかった。真っ暗で何も見えなかったが、きっと山兎とか 狐とかあるいはもっと怖い動物でもいたのだろう。

着いたチロルの山小屋で、大ジョッキのビールにチキン、ポーク、ザワークラフト(キャベツ酢漬け)が出た。驚いたことに、木の器に載った肉や野菜をナイフもフォークも無しで食べる。それがチロル風 と聞いて 仕方なく手掴みで食べる。飲んで、食べて、愉快な気分で 深夜ホテルに帰って、爆睡する。

写真右は、ミュンヘン市庁舎(仕掛け時計は左の方)
写真中央は、インスブルックのゴールデンルーフの建物
写真左は、インスブルックから見える山々

2008年10月28日火曜日

ドイツ ライン河下り




ベルギーのブルッセルから バスでドイツ領に入り ケルンを訪れる。


日本語でケルン、英語でコロンだが、現地ではコロンのコを ケにちょっと近いケで、コロンと発音していた。
ライン河の左岸、鉄道の駅の横にある大聖堂が有名。世界文化遺産。夫からコロンの教会が素晴らしい、素晴らしいと 聞かされていたので、しっかり見てこなければ とおもいつつ、そびえ建つ かのコロン大聖堂を仰ぎ見る。
高さ157M、奥行き144M。幅86Mのドイツ最大のゴシック建設。1282年から630年余りかけて、建設された。内部にはバイエルン王ルードヴィッヒ1世が納めた 鮮やかなステンドグラスがある。

ミサをやっている最中だった。朗々としたテノールで、牧師が 鐘を鳴らしながら お祈りをとなえている。美しい。心が安まる。 かのルードヴィッヒが 作らせたというステンドグラスは今まで観たどのステンドグラスよりも精巧で豪華絢爛。字の読めない人のために、イエスキリストのお話を絵でわかるようになっている。色合いが美しく、700年も前に造られたものとは思えない。

コロンの大聖堂を見た後は 売店でコロン4711を買う。このコロンを父が昔 使っていた。緑のラベルがなつかしい。 オーデコロンはここ GLOCKENGASSE4711番地が 発祥の土地だ。オーデコロン4711は、昔、水質のよいコロンで作られていた。1792年に生業を始める。2年後にナポレオンが占領、兵士達が好んで このコロンを求めて国の妻や恋人に贈るため フランスの持ち帰ったところから オーデコロンは世界中に広がった。

父の仕事柄、日本人が外国に出ることが まだ稀だったときから、外国帰りの人が 家を訪れていたので、まだデパートにも売っていなかった、コロンとか、スコッチとか、ブランデーが 家にはあった。まだ小学生のくせに、コロン4711とか レミーマルタンとか、ジョ二黒、オールドパー、バレンタイン、バット69なんかを知っていた私は、見様によっては 生意気な子供だと思われていたのかもしれない。

コロンからセントゴアへバスで行き、そこからライン河を船で下る。
ライン河の源はスイスの山中に発している。フランスとドイツの国境を流れ、オランダのロッテルダムで北海に流れ込む。河の両側に 美しい葡萄畑が広がり、河沿いに、ホテルやリゾートハウスが立ち並んでいる。どの建物も 窓を花ばなで飾り立てて 美しい。約2時間ほどの乗船の間に、8つくらいの古城が船から見られる。 船は3階建ての広いデッキを持った船で、中にバーやお土産を売る売店がある。窓きわに座っていたら 甘いドイツの白ワインを出された。 河の両岸とも深い緑、そこを玩具のような赤い電車が走っていく。教会、鐘楼、白い壁に黒い屋根の家々、本当に美しい光景だ。
古城の多くは ホテルやユースホステルとして使われている。一つのお城は日本人に買われた、と聞いた。
河がくねっていて流れが急になる、難所といわれるところに ローレライの像がある。昔から 少女ローレライが唄を歌って 船の舵取りを魅了させて、船を沈めたという昔話がある。ハイネの詩に ズイルヒャーが曲をつけて ローレライの歌が生まれた。船がここを通るとき ローレライの歌が船内で流れたので、大きな声で日本語で歌う。

船を下りてから バスでハイデルベルグの街を見る。夕方の6時になっていたが まだ明るい。ここはヨーロッパで一番古い大学 ハイデルベルグ大学がある、小さな街だ。街から見上げた崖の上に大きなお城がある。とても大きな城で、これがハイデルベルグのトレードマークになっている。街の家々の窓には鉢植えが並び、ゼラニウムやベコニアが窓を飾っている。どの家の鉢植えもよく手入れされていて 町全体とよく調和していて美しい。

ランチはコロン大聖堂の横にあるマクドナルドで、6ユーロもするバーガー。芸術を愛したルードヴィッヒにゆかりのある地でマクドナルドとは 我ながらあきれるが、ここのトイレを借りなければならなかったので、仕方なく、、。
デイナーは、ラインランドのルネッサンスホテルでターキーを食べる。もさもさした肉に ほんのご愛想程度の野菜。ああいやだ。小魚の佃煮で白いご飯が食べたい。
ホテルはルネッサンスホテル。一日歩きくたびれて 帰ってすぐに死んだように熟睡するので どんなホテルだったか、何も覚えていない。

写真1は、ケルン大聖堂。
写真2は、ライン河下りの船。

2008年10月27日月曜日

ベルギー ブルッセル







ロンドンからドーバー海峡を渡って、フランス領のカラスから ベルギーのブルジェスの街に入る。

英語でブルジェスと呼んでいたが、現地の人はブルッシゥと発音していた。ここは中世の建物、教会がそのまま残っている街を運河が巡らされている、美しい御伽噺のような街。街そのものが 天井のない美術館と呼ばれている。

新作の映画「IN BRUGES」(ブルッジェスにて)の紹介を9月の日記に書いたが、ここが舞台で、二人のヒットマン(殺し屋)を主人公にしたブラックユーモアの 大人のテイストの映画だった。ヒットマンが飛び降りた教会の鐘楼や、広場がそのまま出てきて おもしろかった。 16世紀から続いているという 伝統的レース作りを見学して、ムール貝にビールという食事を考えていたが、小さな街中をあふれかえる観光客、人と人の波で どのレストランもカフェもいっぱい。そんな込み合った石畳を 観光客を載せた馬車が行き交う。全く馬が可哀想。辟易して、ブルッセルに向かう。

ブルッセルはEUの本部が置かれ ヨーロッパの各種機関の代表が集まった ヨーロッパの首都的な存在。ブルッセルの街の中心は 近代的な大型ホテルが林立し、ブランドショップが立ち並ぶ。
しかしいったんグランドプレイスに立ち入ってみると いっきに中世の時代に立ち戻る。GRAND PLACEは、素晴らしい。200メートル四方を、全部壮大なゴシック建築の建物の囲まれた大きな広場。 ビクトル ユーゴが世界で最も美しい広場と、言い、ジャン コクトーが「豊穣なる劇場」と形容した広場だ。一方はブルッセル市庁舎、他方は王の家と呼ばれる市立博物館、他方はギルトハウス。広場に面した美しいゴシック建築は、ホテルとして使われたり、宝石屋、レストラン カフェになっている。有名なベルギーチョコレートの老舗ゴデイバもある。ベルギービール醸造博物館もあり、ビールが供される。ベルギービールは 有名。全土で110もビール醸造所がある。
ギルトハウスは 肉屋のギルト、花屋のギルトなどが集まった建物で、ドアに白鳥の彫り物がある建物は 昔の精肉店ギルトで、マルクスとエンゲルスが「共産党宣言」を 考案した場所だそうだ。今はラ メゾン シーニュというフレンチレストランになっている。 中に入ってみたかったが 夜遅くならないと開かない高級レストランだそうで、閉まっていて残念。尊敬するマルクスとエンゲルスの 終始変わることのなかった友情に思いをはせ、写真をパチリ。

ベルギーではフランス語圏とオランダ語圏とドイツ語圏とが あって、カトリック75%、プロテスタント25%。 熱狂的国民的スポーツというのが どの国にもあるが、ここでは ピジョンレース(鳩のレース)だというのが とても変わっている。小さな鳩が飛ぶのに熱狂するなんて、、、それに比べたら野球に熱くなる日本人や ラグビーに狂うニュージーランド人の方が 健康的な気がする。

ランチは 観光客ひしめくブルッシェで、オランダ語のメニューが読めなくて メニューひとつひとつを英語で説明してくれるような親切なウェイターもいなくて、ムール貝のワイン蒸しなど、メニューで見つけらないまま 2つしかチョイスのないランチコースを注文するはめになった。かくして、運河の風に吹かれながらムール貝でビールをやる計画がオジャンになる。
出てきたのは、ポタージュスープとローストチキンの半身。おいしかったが量が多すぎて 半分もやっつけられない。デザートにケーキが付くのを、辛うじて押しとどめ、ケーキの代わりにコーヒーで許してもらった。15ユーロ。$30以上の観光客価格。

デイナーは 昼食が重かったので全然おなかが空かない。 カフェでケーキとお茶。カプチーノ:3,30ユーロ。ケーキ:5ユーロ。
どちらも観光客しか来ないような店なのに 言葉の通じない客に対して一歩も譲歩しない。メニューを見て、このワッフルの上には何が載っているの?と英語で聞いているのだから、英語で説明してくれればいいものを ウェイターは愛想良く にこにこ笑って フランス語で答えると サッと行ってしまう。紳士的で慇懃だが、頑固なヨーロッパ人のかたくなさが 垣間見える。ぜんぜん嬉しくない。

写真右は、ギルトハウス:マルクスとエンゲルスが共産党宣言を考案した場所と言われている。
写真左は、二枚ともグランドプレイス

2008年10月26日日曜日

ロンドン その2







写真中央は、ロンドンアイ ロンドンの新しい名所となった観覧車。

写真左は、ロンドンアイの夜景。初めて見たとき 思わず歓声をあげた。

写真右は、ウェストミニスター寺院。
王室教会で英国王室の戴冠式が行われる。代々の国王が埋葬されている。ウェストミニスター宮殿(国会議事堂)と この王室教会が隣り合っているところから見ても英国では政治と国王と教会とが 非常に強い絆で結ばれている関係であることを示している。歴代の国王が埋葬されていて、エリザベス1世の墓も、ギロチンで殺されたスコットランド女王メアリーの墓もある。

入り口で渡された説明のテープを聴きながら棺を見て回る。宗教と習慣の違いだろうが、遺体を入れた棺が、どれだけデコレートされて封印されていても それが床にデンと安置され、その周りを見物客が連日、ぞろぞろと見て回ることを許す というクリスチャンの感覚がわからない。棺の中で遺体が時間の経過とともに どう変化していくか、だいたい想像できるので、そんなものを聖なるものと捉えて何世紀もの間 教会の中で、大切に保存することを、埋葬というのが、よくわからない。
日本人の感覚では埋葬と言うと 灰となり、土に還るこというので、生産的で清潔だ。
ゾロアスター教の鳥葬なんかも気持ちが良いが、やはり私が死んだときは 細かい灰になるまで きちんと焼いて、そして海に流してもらいたい。七つの海の間を悠々とたゆたい、陽の光にくすぐられ、豊かな気持ちで波と遊んで眠りたいものだ。

ロンドン その1







米国の低所得者むけ住宅ローン、サブプライムローンの破綻に端を発する金融業界で未曾有の金融恐慌が 進行しつつあると言われている。全米証券会社第4位のリーマンブラザーズ破綻、第3位のメリルリンチが金融大手のバンクオブアメリカに救済合併された。のちに ワシントンミューチュアルが貯金の急激な流出、取り付けによって倒産した。 1930年代の世界恐慌を上回る経済破綻が起きている、とも言われている。

この間 オーストラリアドルが落ちて、米ドルに98セントくらいだったのが、あっという間に66セントに落ちたり、また上がったり、まさにヨーヨーのようにお金の価値が上下している。

そんな時期にノーテンキに旅にでて、ロンドンに着いた。ホテルでテレビのスイッチをひねると、イギリスの首相が鎮痛な顔をして 大不況に備えなければならない。失業率は飛躍的に上がるだろう。この国の労働者を守る為に海外からの労働者の受け入れを厳しく制限するつもりだ、と話していた。

不況だ、経済危機だ、暴動だ、革命だ と 高度経済成長期に、叫んでいた岩田弘。いまごろ どうしているだろう。わたしは 完全な経済音痴。金融破綻 といわれて、だから どうしたらいいのか、ぜんぜんわからない。旅でも続けるしかないではないか。

写真右は、ロンドンのホテル。いま流行りのブテイックホテル。外から見ると ただのアパートとしか見えない。ドアにストリートナンバーのプレートがあるだけ。清潔で小さなホテルだった。ツインで、1泊190ポンド($380)だったが、ヨーロッパをひとまわりしてロンドンに帰ってみると、1泊240ポンド($480)になっていた。オーストラリアドルが急降下したため、ホテル代が40%ちかく値上がりしたことになる。

写真中央は、バッキンガム宮殿。 おもちゃの兵隊みたいな楽隊、赤い制服に毛皮の帽子の近衛兵、騎馬隊が行進してきて交代式をする。ロンドンの名物だから行進が始まる11時半には 宮殿前は観光客でいっぱいになる。 夏の間は、宮殿内部を一般公開していたそうで、いま人気の画家フェルメールの「音楽の稽古」があるそうだが、私のいたときは公開されておらず内部をみられなくて残念だった。

写真左は、ウェストミニスター宮殿 現在の国会議事堂。権威の象徴のように やたら巨大でそびえ立つて威圧する。そ、、そんなに偉いのか?  13世紀から審議の場として使われ、議会政治が生まれた場所。全長300メートル、部屋数1100、11の中庭、100箇所の階段をもつ。テムズ河を渡って吹き付ける北風を受けながら 建物の端から端まで歩いただけで もうヘトヘト。
写真1 ウェストミンスター
写真2 バッキンガム宮殿衛兵交代
写真3 ホテル

2008年10月22日水曜日

ヨーロッパ旅行から帰ってみたら


3週間かけてヨーロッパを旅行してきた。
ロンドンを始発点に、ドーバー海峡を渡り、フランス領からベルギーのブリュッセルに、1泊。ブリュッセルから ドイツ領にはいり、ケルン、ボン ライン河クルーズを経て ハイデルベルグからラインランドで一泊。
ラインランドからミュンヘンを経てオーストリア領に入り、インスブルッグで一泊。翌日はザウスブルグでもう一泊。翌日はオーストリア領から一挙にイタリア領に入り ベニスへ。ベニスで2泊したあと ローマでも2泊。
フロレンスでゆっくりしたあと、今度はスイス領に侵入、ルツエルンで2泊、山を見て、パリに入って二泊、そこからまたロンドンにもどって、ミュージカルなど観て 帰ってきた。

良い旅だった。 訪ねた各地のことを思い出しながら 今後ゆっくり書いていきたい。
帰途はロンドンから11時間のフライトで成田空港に着き、5時間待たされて、成田からシドニーまで10時間のフライトだった。ロンドンーシドニーでは ちょうど中間点に成田があるので 乗り換えのあいだ 成田でシャワーや仮眠が出来るかと思ったが満室で ままならず 2日前に歯磨き、着替えしたままの姿で 疲れて、重いスーツケースを押しながら ヨレヨレの姿でシドニーの自宅に帰宅したら ベッドには、醜いトドが居た。と、思ったら、きりっとネクタイして仕事にいっているはずの夫が下痢と高熱で苦しんでいた。

台所は熊が襲ったキャンプと言う感じ。むきだしのパン。からからにひび割れしたチーズの大きな塊、カビのはえたにんじん、芽の出たジャガイモ、腐ったハム、古い卵、真っ黒なバナナ、、、洗濯機の横には、半乾きの20枚のパンツ、、、 土曜日に急に寒気がしてー、とか 日曜にどうしたとか 言い訳めいた夫のことばが きれぎれに聴こえるけど、全部無視して、ガガーっと 家中を掃除機をかけて ごみをまとめて どんどん出す。夫の洗濯物をチェーック、、、全然きれいになってない。失格!洗い直し。 留守の間、夫が使った皿やナイフ スプーンをチェーック、全然きちんと洗えてない、失格! 洗い直し。同時に洗濯機と乾燥機を回しながら、掃除機をかけた後は ぞうきんがけ。 私のかわいいお風呂場をチェーック。怖い顔で、夫に「私のお風呂場とトイレを使わなかったでしょうね。」と確認。やっと安心して夫用の すごく汚い お風呂場をタワシでガガーっと掃除 洗浄。3日間下痢が続いていると言うトイレを 最強の消毒剤で磨きあげる。

これでやっと 家中が私の家らしくなってほっと安心。日曜に ロンドンを発ち、火曜に帰宅した今まで シャワーもなしで同じ服だったことに気がついて やっとお風呂。歯磨き シャワーでお気に入りジーンズを着て、ああ、やっと、家に帰ってきたんだわ、と、にっこり。ここで、コーヒー。

おもむろにスーツケースを開けて、3週間持ち歩いた衣類をクリーニング屋に出す袋にまとめ、洗濯物を洗濯機に入れ、できた順から乾燥機に入れて、買って来たウイスキー3本を隠し、チョコレートやら お土産は あげる人ごとにまとめ、 空になったスーツケースを 棚の上に片付けて、夫のために買ったセーターや本を夫の机に並べ、ああこれでやっと、全部片付いたわー。とまた、にっこり。ここでコーヒー。

すっかり忘れていたけれど、左右違う色の靴下はいて、這ってトイレに通っている夫、、、おやおや どうしたの??? 熱を測ってみると、39,5度。あら、あなた 病気だったのね!!!

2008年9月29日月曜日

映画 「ウォーリー」


デイズ二ー映画制作のSFアニメーション「ウォーリー」を観た。「ファインデイング 二モ」の、アンドリュー スタントン監督。 男の子の名のウォーリーでも、悩ませる心配させる の WORRYでもなく、「WALL-E」とは、「WAST ALLOCATION LOAD LIFTER EARTH CLASS」 の略で、地球のごみ処理ロボットのことだ。

今から800年後の話だ。
地球に住んでいた かつての住人はすべて 他の星や宇宙船に避難 移住した。放射線や化学物質で汚染された地球は 完全に人々から捨てられて、命あるものは死滅した。その廃墟に残った ごみ処理ロボット達も、ウォーリーを除いて、皆役目を果たし、エネルギーを使い果たして動かなくなっていた。地球上ただ一台 残されたごみ処理ロボット ウォーリーの友達はただ一匹のゴキブリだった。 毎朝 日が昇ると ウォーリーはごみを集めて圧縮してはそれを積み上げていく。なにか面白いものや再利用できそうなものは 拾って集めて、夕方になると ガレージの自分の部屋に持って帰ってくる。自分の部屋では 1969年のミュージカル「ハロー ドリー」をVHSビデオで観て、自分でも踊ってみたりしている。ウォーリーは孤独だ。

ある日、轟音とともに、ロケットが着陸して、偵察ロボットを地球に残していく。ウォーリーはその白い美しい偵察ロボット、イブの姿に魅せられて、恋をする。イブは地球に生命体があるかどうか調査する為に来たのだった。そんなとき、ウオーリーは 鉄くずの残骸の下から 小さな芽を出したばかりの緑の植物を見つける。有頂天になって、それをイブにプレゼントする。生命体を受け取ったイブはそれを自分の体内で処置しようとして、故障して 動かなくなってしまう。ウォーリーは動かなくなったイブを 眺めの良い山頂や 港に連れて行って、懸命に話しかける。自分の行くところ どこにでも連れて行って 片時もイブを離さない。

そうしているうちに またロケットが来て、もう動かなくなったイブを連れ去ろうとする。ウォーリーは 必死でイブについていき 人間の住む巨大な宇宙船に中に侵入する。ここでは人間は働いてものを生産する必要がないので 太った豚のような姿になっている。何もかもが機械がやってくれるので 手足も退化している。目も前のコンピューターを作動させるだけで 食べ物も飲み物も目の前に来る。コンピューター画面しか見る必要がないので、視野も退化して狭くなっている。宇宙船の船長はこのうち宇宙船を提供している会社のしもべでしかない。こうしたなかで、ウォーリーとイブの恋の行方は、、、。 というお話。

すべての生命体が死に絶えたニューヨークで パワフルに休まず ごみを処理するウォーリーが 仕事を終え、自分の部屋に戻れば ごみの中から拾ってきた物をより分けて、自分の古くなった部品を自分で修理して取り替えたり、古いミュージカルビデオを見て 愉快になったりする姿がとても人間的だ。アニメーションでロボットの表情ひとつに喜怒哀楽を表現させるテクニックに脱帽。観ながら、すっかりウォーリーに感情移入してしまう。動かなくなったイブをいつも連れ歩き、雨が降れば 自分は濡れてもイブには傘をさしかける、本当に人間的。イブも笑い顔がすごくかわいい。

ロボットが人間的で、生き残って退化した人間が獣以下、という設定がおもしろい。退化した人間の姿が ブラックユーモアになっている。コーラとハンバーガーで生きているアメリカ人の将来、行く末を明確に描いている。 ウォーリーがどうしてロボットなのに人の心を持つようになったのか、命令に忠実なイブまでが 何故ウォーリーの恋心によって、変わってしまったのか 不明だが、ウォルトデイズ二ーがこの映画で対象にしている年齢層を考えれば 細かいことを追求しても仕方がない。子供がこの映画を観ていのちの大切さや 相手を思いやること、緑を守ることの意味を考えるのが大切だ。 とても、良い映画で、子供の為のアニメーションにしておくのは もったいない。

ウォールトデイズ二ー社は 手塚治虫を実によく研究して とりこんでコピーしている。「ライオンキング」が、40年前の彼の作品「ジャングル大帝」の まるっきしコピーなのは、名目瞭然。 このウォーリーも 彼の「火の鳥」のテーマに似ている。 「火の鳥」は 「黎明編」、「未来編」、「ヤマト編」、「宇宙編」、「鳳凰編」、「復活編」に分かれた5部作だ。 第一部、「黎明編」が発表されたのが1955年。連載されては雑誌廃刊、また再編されては出版社倒産と、何度も憂き目に会いながら、1976年、朝日ソノラマ発行の月間「漫画少年」で、完結した。この30余年前の5冊を持っている。紙が赤茶けているが内容は現代そのもので手塚ワールドは、時を経ても いつも新しい。

この完結編の中で 事故で脳挫傷した少年が 体は人間、脳の3分の2は 人口脳を埋め込まれて再生する話が出てくる。体は人間、脳はロボット、でも心は人間だ。少年の目から見ると 有機質の人間は 醜い物体だが、美しい人間の姿に見えるのは 無機質のロボットだ。そして、少年は一人のロボットに恋をして、やがて互いに愛し合うようになる。勿論、人間達から、理解を得られない。恋の末路は悲劇的だ。

「火の鳥」では、この人の心をもった 人工脳の少年とロボットの少女が ロビータのもとになり、「火の鳥」第一巻のはじめにもどっていく。最終的にはロビータは、ひとつのロビータが 人間に死刑を要求されたために、人間に仕えていた何万 何十万というロビータがすべて 自ら溶鉱炉のなかに飛び込んで 鉄くずとなって、人間社会からロボットは消えていく。

手塚治虫はすぐれて、ヒュ-マニストの作家だが、子供向けの漫画だからといって ハッピーエンドの御伽噺は 決して描かなかった。 漫画の中で、科学者は 死んだ人の命を人工機能によって再生し、命の創造に着手する。死に絶えたはずの動物達を 人工羊水のなかで育てている。二つの死体から 一つの完璧な体を作ろうとする。人の記憶を残して、人の心をもったロボットを製作する。 それらが、とても斬新な発想で、こういったストーリーを彼が書き始めた1955年ごろ、世界は まだ月の探索どころか、コンピューターもなかった。それを思うと、今、改めて、手塚治虫は とてつもない想像力を持った 大きな子供だったんだ、と思う。

2008年9月25日木曜日

マケイン降板か


この10月のアメリカ大統領選挙にむけて、民主党から出馬したオバマと、ほぼ互角で選挙戦を戦っていた 共和党の上院議員マケインが、大統領候補としてのキャンペーンを、WITHHOLD すると、発表した。
それほど、アメリカの金融危機が深刻で、かりに、彼が大統領になっても ならなくても 国家的な経済危機の責任を負う という不名誉な責任を負いたくないからだろう。

アメリカでは、自由市場で、投資、投機ばかりが跋扈するなか、クレジットクランチが起き、政府が7000億ドルのレスキューパケッジを、出すという。これは、国民の税金。このことにより、金融市場が健全に立ち戻るとは思えない。

かつてドルは金と土地に価値を裏打ちされていた。 いまや、ただの紙切れ、ブッシュは 国債という紙を印刷しまくり、彼を支える大型企業や金融機関は証券という紙を印刷しまくった。そのツケが回ってきたに過ぎない。

アメリカは第一次世界大戦で国土に何の被害もなく、戦後、世界中の金の85%をもっていた。それで、やり放題、、、韓国に介入し、ベトナムを蹂躙し、いままたイラクとアフガニスタンに派兵している。9,11は、起こるべくして起こったのだ。

アメリカは、なりふりかまわず自国の国民を守る為に、アメリカの不良証券を日本に売りつけるだろう。それがなくては、生き延びられない。 ところで、いまの日本の首相って誰だっけ? おまえ、ちゃんと、ノーと言えるのか???

2008年9月15日月曜日

映画「IN BRUGES」



ブラックユーモアは嫌いではないが、人の死を笑うようなブラックなユーモアは好きになれない。 職業柄、余りにも 毎日が死に満ちている。死にたくなくて、死んでいく人ばかりだ。そうではなくて、自分の命を充分生きたという満足感をもって 豊かな気持ちで心安らかに旅立たせてあげることが 使命のひとつでもあると思っている。 心臓外科病棟の忙しさに疲れて、エイジケア(老人ホーム)に勤め始めて2年になる。人々は死ぬ為に、ここにやって来る。家族は世話を拒否、病院での加療で治癒することは望めない、長期療養施設も、徘徊や失禁が進むと手がかかる為 出されてしまう そんな人が集まってくるエイジケアは 人生の終着点だ。だから入口はあっても、出口はない。 この2年間に沢山の患者を 心をこめて見送った。そこに笑いはない。

映画 「IN BUUGES」を観た。
各地ホイッツで上映中の新作。
監督:MARTIN MCDONAGH
俳優:COLLIN FARRELL    
    BRENDAN GLEESON   
    RALPH FLENNES
邦題にすると「ブルジスにて」だろうか。ベルギーの古い中世の雰囲気の残っている街の名前だ。クエンテイン タランテイーノの「パルプフィクション」のヨーロッパバージョンとも 評価されているようだ。不真面目ともまじめとも言えない殺人のお話というか、ブラックユーモアの映画。

ブルジスに2週間後に 行くことになっている。それが理由でこの映画を観た。それ以外に こんな人の死をブラックに笑う映画など観る理由がない。「パルプフィクション」も大嫌いな映画だった。

映画は 16世紀の中世の趣を残した 伝統的な手縫いのレースと観光で生きているブルジスの街が 舞台だ。古い町並み、石畳、人々がテーブルと椅子をだしてカフェを楽しむ中央広場、高い時計台、いくつもの古い教会と宗教画、街の中央には運河が走り、観光客を乗せたゴンドラが浮かぶ、河には白鳥、夕方になれば霧が出て、幻想的な中世の世界が広がる、御伽噺のような街だ。

ここに、ロンドンでドジな仕事をしてしまった二人の殺し屋が 事件のほとぼりが冷めるまで 留まるように命令されてたどり着く。小さな町は観光客でいっぱいで、狭いひとつの部屋に 年老いた殺し屋:ケン( BRENDAN GLEESON)と、若い殺し屋:レイ(COLLIN FARRELL)は滞在することになる。 レイは 知らない街で、することもなく、イライラしどうしだ。太い眉毛が8時20分を指していて いつもお母さんにしかられたような 情けない顔をしている。この街で 映画撮影に来ているアメリカ人と知り合い、オランダ人の娼婦にゆきずりの恋をする。レストランで喧嘩になって カナダ人夫婦をぶんなぐったりもする。ブルジスの街で アメリカ人、オランダ人、カナダ人、が出てきて、ケンはイギリス人、レイはアイルランド人という だれも皆が 異邦人であるという設定がおもしろい。

そうしているうちにケンとレイは ボスからの指令を受けて、教会の牧師を殺しに行く。レイは またまたドジなことに 牧師を撃った時 同時に、祈りに来ていた少年を撃ち殺してしまう。この少年は「良い子になれますように、算数が得意になれますように」という神様にお願いを書いた紙を握り締めて死んでいた。この少年がものすごく美しい。清らかで美しい魂が巻き添えにあって倒れ、あわてふためく殺し屋の愚かさ加減が滑稽だ。それで、レイは陰鬱な中世の街で何もかもうまくいかない上、子供を殺してしまったことで自分を責め始める。

そんな時 年老いた殺し屋のケンはボスから 相棒のレイはもう使い物にならないので始末するように という命令を受ける。命令とはいえ自分の息子ほどの年齢で、妙に気の弱いレイを殺すのが忍びない。かといって命令に従わない殺し屋は 次には殺される番だ。ケンは命令に従う決意をして、出かける。公園のベンチに座っているレイを見つける。幸い彼はケンには気がつかない。ケンは消音機つきの拳銃をもって、後ろからそっと近ずいていく。カメラがズームしていき、ケンがしのび足でレイの背後に立ち、銃の引き金を引く緊張感の頂点で、レイが同じ瞬間に自分の銃で自殺を図る。まさにケンが引き金を引いて撃とうとした頭を ケン自身が引き金をひいて撃とうとした 、、その緊張の瞬間、爆発的な笑いが起こる。殺そうとしている相手が自殺しようとしたら、殺し屋は その瞬間 どんな条件反射を示すのか。
ケンは夢中でレイの銃を奪って 自殺を食い止めて、生きるように教え諭す。このブラックユーモアが とても笑えるところ。

そんなこんなで、ロンドンのボスが 二人の殺し屋を殺しにブルジスにやってくる。ボスを演じるのが RALPH FIENNES。この彼がメチャメチャうまい。目の光り方が尋常ではない。完全に狂っている。激情に走ってどんなことでもする。体だけ大きな幼児のように 怒ると止めようが無くなって 終点まで行くしかない。なんだ、二人の殺し屋のボスって、ただのオタクだったのか、と笑える、というか笑うしかない。
ラルフ フィネズは、「イングリッシュ ペイシャント」や、「ナイロビの蜂」を主演した俳優で、私は大好き。礼儀正しく、シャイで、チャーミング。ソフトで優しくて紳士の鏡みたいなイギリス人役者。この彼が およそ自分と正反対の役で、汚いアメリカ言葉、一つの単語にひとつのF***言葉をつけて 怒鳴り散らし 銃を撃ちまくる。これが おもしろかった。

この映画 面白いから観てみて、とは誰にも言わないけれど、良い俳優を使っている。人生を皮肉とブラックユーモアで 乗り越えなければならないときもあるだろう。こんな映画が割合 評判高いというのも、わかる気もする。 3週間後には、この街の石畳を踏むことになる。殺人や騒動に巻き込まれることはないだろうが、旅行中は 気をつけて行きたいと思っている。

2008年9月12日金曜日

IPHONEを使ってみたならば


携帯電話の契約が2年を過ぎて、別の新しい形の携帯電話に取り替えてもらえる時期が来たので、アップル社のアイフォーンをもらってきた。

これで 携帯電話も5つ目になる。

洗濯機でジーンズと一緒に間違って洗ってしまった携帯以外は、壊れたわけでなく どこも悪くないのに 契約切れとともに より薄く より軽い携帯にと取り替えてきた。いま、4つの古い携帯をながめてみると、それぞれが どんなに自分の手になじんだものだったか、と思う。日本人旅行者に病人やけが人が出るたびに 病院やホテルを駆け回っていた その昔、携帯はなくてはならないものだった。起きている時は ポケットに、寝ているときには枕元に いつも一緒だったのに、2年たつとポイッか。

さてIPHONEをもって家に帰って 箱を開けてみたら ほんの申し訳のような薄くて 眼鏡をかけても読めないような小さな字の小さな説明書しかない。使い方は ネットを通して勉強するように なっているらしい。フムフム。

IPHONEは、カメラや録音、録画する今までにもあった携帯電話の機能だけでなく ナビゲーターがついていたり、音楽を聴く機能がついている。音楽を聴きながら、電話を受けることができる。

生まれてから 一度も音楽を聴きながら勉強したり、通勤したり 仕事をしたことがない。音楽は ちゃんと正装して劇場に行き 聴くものだと信じていた。昔の粗悪な音質のラジオやテレビから流れてくる粗雑な音に 嫌気がさしていたからかもしれない。技術が進み、CDやDVDの音質も 本物に近い良い音がでるようになっているのだろう。IPHONEでは、ネットで好きな音楽を買って インストールするのだと言われて びっくりした。エー!

携帯がIPHONEになって とってもがっかりしている。
今にもゴミ箱に放りなげて 前の手になじんだ携帯にもどりたい気分になっている。
どうしてか というと、、

1)SMSで写真が送れない。 写真はEメイルで送ることになっている。SMSで写真を送れないのでは 離れて住んでいる家族と毎日 写真つきメッセージでやりとりを楽しんできた私にとっては大打撃。忙しくて 遠くに住む娘に 電話で話する時間はないが、ちょとした安否確認に、飼い猫の笑える写真をつけて送ったり、今日のお料理が良く出来たので写真を送ったりして たわいのないやりとりが楽しかったのに、それが出来なくなってしまった。写真をネットを通して送ると言っても 携帯がネットと同じ役割をはたしている日本のような進んだところと違って 携帯でネットをやっている人はまだ オーストラリアでは少ない。だからIPHONEから写真を送っても コンピューターのほうに送られてしまう。写真を今までのように、SMSでは送れないと、始めから知っていたらIPHONEなど買わなかった。腹立たしい。

前の携帯のシームカードを入れてIPHONEを使っているのに、前の携帯に保存していた写真が全部消えてしまった。 娘がイタリアから送ってくれたミケランジェロの天井画など、貴重な写真も消えてしまって頭にくる。

2)メッセージをタイプする画面が小さくて タイプに時間がかかり、誤字も多くなった。私の指でもふたつの文字をタッチしてしまい 余程 時間をかけて注意深くタッチしないと メッセージのタイプができない。私の指で大変なら、大きな男の人の指だと、どういうことになるんだろう?ワカラナイ。

3)電池の消耗が激しい。 何も使わないのに 一日持ち歩いていると、3分の1くらい電池がなくなっている。今までの携帯では3日くらい充電しないで平気だった。IPHONEでは毎日充電しなければならない。

4)節電モードになっているので、ポケットから出したときは真っ暗。今までは  ポケットから出してすぐに時間と日付けが確認できて 時計代わりになったが、IPHONEでは ポケットから出して、ボタンを押して、画面を明るくして 自動ロックを解除してから、やっと時間がわかる。これでは 急いでいるとき 時計代わりにならない。

5)写真のボタンを押すと、今までとった写真が全部並んで出てきてしまう。従って、特定の写真だけを特定の人に見せたくても、写真を全部見せてしまうことになる。私は別に秘密がないから良いけど、4-5人親しいボーイフレンドがいて、そのうちのどの子にしようか 決めかねているような人は、 この子と撮った写真も あの子と撮った写真もあるだろうから、自分のアルバムを人に見せられない。、、かもしれない。

いまのところ、IPHONEの良いところが全くみつからない。

これから音楽をじっくり選曲してIPHONEにインストールしようと思っているが また様々な やっかいなことが起きそうでこわい。 いま、IPHONEに乗り換えようとしている人は、立ち止まって 再考することをお勧めする。

2008年9月5日金曜日

加藤登紀子チャリテイーコンサート


日本から加藤登紀子が 国連環境計画親善大使として来豪し、シドニーでコンサートをしたので 聴きに行ってきた。

歌った曲は
「あなたに」 モンゴル800
「島唄」 宮沢カズフミ
「この空を飛べたら」 中島みゆき
「I LOVE YOU 」 尾崎豊
「愛さんさん」 小倉ケイ
「百万本のバラ」 R PAUL
「知床旅情」 森茂久弥
「NOW IS THE TIME 」 自作
「一人寝の子守唄」自作
「檸檬」自作
など、また リクエストに答えて「崖のうえのポンチョ」を歌った。

シドニーには日本人の団体が二つあって ひとつは自営業者など永住権を持っている人が中心になっているシドニー日本クラブと 他に、企業から赴任してきた人などのジャパニースソサイテイーシドニーがある。今回のコンサートは日本クラブが主催して、ジャパニーズソサイテイーの方が後援した。コンサートで集まった約7000ドルのカンパは 環境保護のために寄付されるそうだ。

加藤登紀子の昔の 上質のベルベットのような声を知っているので 高音が全くでなくなってしまった声の衰え 伸びのない かすれ声にショックを受けた。しかし、何曲か聴いているうちに そういった衰えがあまり気にならなくなって、ギターをかかえれば、昔と同じ雰囲気で語り弾きする姿に感銘をうけた。相変わらず 彼女が元気でやっている ということがわかってうれしかった。

改めて40年という気の遠くなるような時の積み重ねを思った。 共有した時代の計りようもない重さ、、、。 あの時代をひきずっている者たちの 独特の熱気。
それだけに、いまだに権力に囚われて 高い壁に中に閉じ込められて自由を奪われている友人がいる限り 心休まることはないという心情は 彼女も同じだろう。 囚われている共通の友人に、どうぞ 元気でいてくださいと、祈ることができるだけ。

銃口にジャスミンの花
無造作に挿して岩場を歩きゆく君

戦場のハンモックに寝てみれば
満天の星手に触れるごとし

「地獄でまた革命やろう」と先に逝き
彼岸で待っている君は二十六歳

公判で問われし過去を切りとりて
かきまぜながら飲み干した夏

もう一度よんでみてよと姉の便り
「君死にたまふことなかれ」の文字

雪降る日 白胡蝶蘭差し入れの
白鳥のごと独房に舞う            

重信房子 「ジャスミンを銃口に」幻冬舎

2008年9月1日月曜日

チャッツウッドの韓国風呂



州花 ワトルの明るい黄色の花が咲き始めた。
シドニーの長かった冬が やっと終わりつつあり 朝晩まだ寒いが 春の兆しが見えてきた。
堅くなった古皮から這い出てくるのに良い季節になった。ので、チャッツウッドに新しく出来た女性だけの為の韓国風呂に行ってみた。怖いもの見たがり というべきか。
ORIANA BATH HOUSE
2・5 HELP ST.CHATSWOOD
9884-8333
あかすり $58
オイルマッサージ $88
整体マッサージ $250

私のは全身オイルマッサージに美顔パックがついて$110なり。 予約時間の1時間前に来るように 電話で言われたので、律儀に1時間前に着いて 言われた通りに入浴とサウナでしっかり温まる。日本の銭湯よりは小さいが久しぶりに大きな湯船につかってゆっくりする。でも1時間は長すぎ、湯船もサウナも高温でくらくら、ゆでだこ並みに赤くなって冷たい水風呂で冷やし またサウナでのぼせてというのを繰り返しているうちに 今知能テストをされたらIQ:15くらいという段になってやっと おばさんが呼びにきて救命してくれた。 おばさん 40位か、ちょっといやらしい黒のパンテーとブラ姿。

台に乗せられ いきなり足から擦り始められる。下ろし金で 身をすられる大根になった気分。とても痛い。うわーん と泣きまねをするが おばさんは一心不乱で「こすり:いのち!」と言う感じで私の顔も見てくれない。英語も通じない。通りかかった受付嬢に ちょっとやさしくしてーと呼びかけたらやっと、韓国語で伝えてくれて、じゃあ ミデアムから、ソフトに変えましょう という路線転換したはずなのに、なにも変わらず 足の指など2-3本もげて無くなっているはず、、。
ジェスチャーでうつぶせ、仰向け 横向きとポーズを変えさせられながら 両手をナイロンたわしで武装したおばさんに 擦りまくられる。横にした木に全力でカンナをかける大工職人みたい。 くまなく前後左右縦横斜め、すみずみまですりがねで 擦られて、皮が2枚分くらいこすりとられた。これで第一ラウンド終了。

第二ラウンドは熱々のタオルでカバーされた体の上から 全身マッサージ。手指 足指 腕、背中ときて、うつぶせの不自由な姿勢から ふと後ろを見ると 体重70キロくらいのおばさんが足で 45キロの私の背中や腰や足の上に乗っかっているではありませんか! 肋骨骨折の恐怖と戦いながら 辛うじて我慢をしているうちに、今度は引っ張り放題。足や首がひっぱられるのは 身長が伸びてよいかもしれないけれど、肩を思い切り引っ張られたときは 2回くらい脱臼してまた修復されたと思う。

第三ラウンドのオイル塗りたくられて ぬるぬる地獄でまたもや 足から首までマッサージ。それと顔のマッサージにあとにはキュウリのパック。ここですでに90分経過。
第四ラウンドで顔にヨーグルトパック。髪をシャンプーしてくれて、顔も蒸しタオルで きれいにしてくれて、やっと無罪放免。サウナでゆっくりしてから 帰りなさい と言われる。おばさんは滝のような汗、私をサウナに追いやった後で 自分も裸になってガシガシ髪や体を洗っていた。重労働ご苦労様。 

始めの1時間を入れると ここに来て約3時間過ごしたことになる。 マッサージされることが好きな人にはリラックスできてよいかもしれない。でも私には強い力で揉まれたり 擦られたり 掴まれたりすることに恐怖心が先行してしまう。やっぱ、黒のビキニ姿の英語の全然通じない、体の大きな韓国人のイメージに、強迫感を感じてしまう。

理学療法士:フィジオセラピストは シドニー大で4年コース。獣医学部、医学部、オプトメトリストコースの次に大学受験が難しいコースだ。高校3年で受ける統一試験(HSC)で90%位取らないと入れない。ちなみに看護コースは60%だから、90%がどんなに大変か わかる。入学できても3分の1は 中退させられるという。筋肉、神経 などの解剖学 生理学の基礎をしいっかり勉強してくれないと 骨を折ったり ぎっくり腰や寝違えた人の体は触れない、ということだ。だから、この資格を持っている人にやってもらうマッサージは、信頼できる。

カイロプラクテイションは、2年コース、マッサージ、アロマセラピー 美容の為のケアコースは大抵6ヶ月の研修で資格が取れる。多くの ホテルなどのボデイケアの美容師は このコースを学んだものと思われる。 韓国マッサージとか、タイマッサージ、中国人のマッサージなど、資格がこの国にないものは、資格を問うても仕方がない。上手な人に当たれば良いが 上手下手は、やってみないとわからない。

かくして春になり 古い皮は、ぬけ落ちた。
でもなんか、すごく疲れた。 もう ここには来たくないかも、、、。

2008年8月25日月曜日

映画 「96時間」(「TAKEN)」



新作映画 「TAKEN 」(邦題「96時間」)を観た。92分。
監督:LUK BESSON
主演:ブライアン:ライアン ネーソン
        キム:マギー グレイス
ハリウッド アクションスリラー映画。
暴力満載。
ストーリーは、
カルフォル二アでは18歳以下の子供が海外旅行するためには、両親の承諾書が要る。キム(MAGGIE GRACE)は高校を卒業して18歳になったばかりだが、親友と二人でパリを始発点にヨーロッパ旅行を計画している。母親も、再婚した大富豪の養父も キムには やりたいことは何でもさせてやりたいと思っている。 しかし本当の父親、ブライトン(LIAN NEESON)が、なかなか承諾書にサインしてくれない。彼は 警備会社で働いている。元は、CIAのエイジェントだった。テロ対策専門のエイジェントで、テロ予防のために特殊技術を使っていたため、敵もいる。娘の海外旅行が心配で 気安く娘の旅行に行っておいで とは言えないでいる。そんなブライトンに元妻もキムも怒っている。しかし、娘の度重なる懇願に 頑固なブライトンも とうとう折れて 携帯電話を娘に渡して 必ず毎晩電話をするように約束させて、送り出してやる。

キムと親友は 両親の許可がおりて おおはしゃぎでパリに向かう。パリの滞在先は親友の親戚の家のはずだが、その親戚は休暇旅行中で、二人だけで勝手気ままに使えるアパートだ。親友は両親から首尾よく離れられてパリで思い切り羽を伸ばして遊びたいと思っている。空港に着いて タクシーを待つ間、ハンサムな青年に タクシー代を倹約する為に相乗りしないかと誘われて 二人とも勿論OKだ。 娘からの電話を待っているブライトンは 待ちくたびれて 深夜娘に電話をする。その娘と話している最中 4人の男達が親友を連れ去っていく。父親はうろたえる娘の事態を 即座に飲み込んで、キムにベットの下に隠れるよう指示し、仮に賊に連れて行かれても携帯電話を身から離さないように、、また 必ず見つけ出して助けに行くから、と約束する。しかし、賊は キムをベッドの下から引きずり出し 携帯電話を踏み潰して彼女を誘拐していく。

このグループは 若い女性旅行者を誘拐して性奴隷として人身売買するアラブの犯罪組織だった。娘が売り飛ばされて中東に送られるまで3日しかない。ブライアンは ただちにパリに向かい、娘達が連れ去られたアパートに忍び込み 娘達の足跡を追って、、、。 という おはなし。 56歳のライアン ネーソンが、たった一人で 大きな犯罪組織と戦う。もとCIAエージェントでなければ 絶対不可能な頭脳戦と 肉体的にも激しい暴力戦の連続。「ダイハード4」のブルース ウィルスも娘を人質にとられて奪いかえす ものすごい暴力と、戦車、ヘリコプター、戦闘機まで動員してのオンパレードだったけれど、彼はまがりなりにも警察官、、、やりすぎても警察の後ろ盾があった。しかし、こんどのブライアンはただの市民であり パリという外国で 誰一人頼れる人のない中での孤独な戦いだ。ブライアンの役は、「シンドラーのリスト」「バットマン ビギンズ」などの役者。一種 虚無的な顔が とてもこの役にはまっている。笑い顔や平和なシーンにこの人ほど似合わない人は いないのではないか。

パリ郊外の巨大な建築現場で、急ごしらえのテントのアパートを造った売春宿で 誘拐され、麻薬を打たれ続けて抵抗も逃亡もできなくなった年若い娘達が売春させられている。また秘密カジノで 一人一人裸の娘達がバイヤーのオークションにかけられて、2千万円とか3千万円とかで取引されている様子は 衝撃的だが、かなり本当の話だろう。 世界中から 旅行してきて、憧れのパリに着いたとたんに 誘拐された若い女の子達がただただ哀れだ。 高級ブテイックで試着室の床が羽目板になっていて、服の試着に入った若くて綺麗な子は、羽目板で地下に落とされて 中東に連れて行かれてハーレムに売られるらしい、、、という冗談のような話も聴いたことがある。

この映画を見た人は 親の反対を押し切って友達同士で旅行するなんて、、、だから、いわんこっちゃない、と言いそう。では、しっかりしていれば こういう羽目に陥らずに済むだろうか? どんな時代にも どんなところにも 性犯罪は起きてきたし、これからも起き続けるだろう。しっかりしていれば大丈夫ということは、絶対にない。若くて美しい女は(男も)いつの時代にも、どんなところでも性犯罪の犠牲になりうる。もちろん、充分被害にあわないように注意を怠らないことは大切だ。しかし、仮に被害にあってしまった場合は 生き延びるために どんなことでもすること。そして、生き延びることができたら、自尊心を取り戻すために、最大の努力を払うべきだ。大切なことは、自分をとりもどし、希望を失わないこと。

犯罪の中で、最も卑劣な犯罪はぺデファイルと呼ばれる小児性愛だが、物言えぬ状況の中で力によるレイプも根は同じだ。犯罪は同じ加害者によって幾度でもくり返される。

つい先週、東南アジアでは有名なぺデファイル、ギャリー グルッター(GARY GRITTER)が、タイの刑務所で5年間の刑期を終えて出所した。イギリス人で、もと歌手だ。出所後、ベトナム入国を希望したが、入管局に拒否され、タイ、シンガポール、フィリピンに入国を打診したが、拒否された。いやおうなく イギリスに帰国していったが この男による 未成年の性犯罪被害者は、何百人にも上ると言われている。イギリスで、パスポートを取り上げられたというが、当たり前だ。

オーストラリアでは 繰り返し性犯罪を起こした人には出所後でも 電子バンドをつけさせて、いつもどこにいるか警察が確認できるようにしている。しかしこんなことに膨大な資金を使っても、本人が電子バンドを外して逃亡してしまえば 再犯を防止することはできない。性犯罪を繰り返す者には、刑務所で再教育を期待したり、出所後に監視をしたりすることよりも、去勢手術をすべきではないか。自分でコントロールできない 暴力的な性犯罪者には、手術でその元を絶つべきではないか。そうなれば、性犯罪の再犯予防のために、膨大な税金を使って 刑務所で再教育をしたり、出所後 監視をしたりしないで済むばかりか、まじめに一人前に働いて労働者として 社会に貢献することもできる。地元の子供たちも安全だ。人権に反するというならば、物言えず性犯罪の犠牲になった弱い者達の人権と、加害者のどちらの人権を優先させるのか。被害者が ともすると 深い傷ゆえに、口をとざしてしまう性犯罪。 加害者の刑罰については、もっと活発に討議されて良い。 ライアン ネーソンの絶望的で孤独な戦いを見ていて そんなことを考えた。

2008年8月18日月曜日

オペラ「ランメルモールのルチア」


オペラ「LUCIA DI LAMMERMOOR」 作曲ドンゼッテイ 1835年作 を観た。
オペラハウス。
ストーリーは、
17世紀のスコットランド。 アッシュトン家の当主、エンリコは、宿敵レヴェンスウッド家のエドガルドが、妹ルチアと恋仲であると知って 激怒する。ルチアは母親の墓参りに行った際 エドガルドに命を救われて以来、エドガルドに夢中だ。しかし、エドガルドの父親を殺したのは ルチアの兄エンリコだった。二人は憎しみ合う二つの家の間で 許されざる恋人達だった。

そこで、エドガルドが王の使いでフランスに行っている間に エンリコは エドガルドに恋人が出来たという偽りの手紙を妹に見せて 妹に 政略結婚を強いる。そして、結婚式の当日、ルチアが結婚承諾書にサインした瞬間に、エドガルドが駆け込んでくる。事情を知らないエドガルドは ルチアの心変わりを激しく怒って ルチアをののしる。ルチアは何も言えずに気を失う。

アッシュトン家の広間で 人々が喜びうかれているところを、新郎を刺し殺してしまったルチアが 真っ赤な血で染まった姿で現れる。そして、エドガルドの名前を呼びながら狂って死んでいく。 傷心のエドガルドに、ルチアの死が告げられる。ルチアの本当の心を知らされたエドガルドは ルチアの後を追って 自害して果てる。

愛のために生き、ひとつの愛のために死ぬ、最もオペラらしいオペラ。
3幕 2時間30分
指揮:  リチャード ボニンゲ
音楽:  オーストラリア オペラバレエ オーケストラ
ルチア: エマ マチュー
エドガルド:エリック カトラー
エンリコ:ホセ カルボ
牧師:  リチャード アンダーソン
ルチアの侍女:ローズマリー ガン
ルチアの夫:カネン ブリーン

オペラの見せ場は、第一幕のルチアとエドガルドの愛のデュエット。
それと、第2幕の 祝宴の場で、ルチア、エドガルド、兄エンリコ、牧師、ルチアの新郎、ルチアの侍女 この6人による6重奏だ。 ルチア(コロラトーラ ソプラノ)は エドガルドが 心変わりしたと思い込まされている。エドガルド(テノール)は、ルチアに裏切られたと思っている。兄のエンリコ(バリトン)は 一刻も早くエドガルドを殺して自分が仕組んだ悪巧みを隠したい。ルチアの新郎(テノール)は ルチアが自分のものになるので、浮かれている。牧師(バス)はすべての事情を知っているので ルチアとエドガルドに深く同情している。ルチアの侍女(アルト)は ルチアが可哀想でならない。この6人6様の思いを6重奏するところが圧巻。6人がそれぞれ思いのたけを歌って 3幕のクライマックスに導いていく。オペラのなかで、一番興奮するところだ。

第3幕のルチアの狂乱が、このオペラの一番の見所聴き所だ。愛のない政略結婚をさせられた新婦ルチアが 新郎を刺し殺した血染めの寝衣、裸足の姿で 踊りながら狂って歌う。無垢な小鳥のさえずりのような、コロラトーラ ソプラノだ。フルートの音にあわせて独唱する長いシーンには、超技巧的なテクニックを要し、おまけに演技も要求される。ソプラノ歌手でも、このコロラトーラが出来る人は多くはない。

永遠のオペラ プリマドンナ、マリア カラスが愛して止まなかった このオペラ。
彼女が歌うルチアを CDで何度も聴いているから いやでも舞台のルチアの声を比較してしまう。というか、初めから 期待しないで観にいった。期待して行って、ぺしゃんこにされて、丸つぶれになって帰ってくるのではたまらない。 ところが 観てみたら、とてもよかった。

何よりも、テノールのエドガルドが ものすごく良い声だった。2メートルの背の高さ、がっしりしてハンサム こんな人に命を助けられたら ルチアでなくても夢中になる。考えてみたら、オーストラリアには良いテノールがいなかった。去年見た「リゴレット」のテノールは イタリア出身オージーで、声が良かったが、太って背が低い。今年の「ラ ボエーム」では、主役テノールがオールバックヘアに4頭身の中国出身オージーのおっさんだった。「トランドット」も、「ラクーメ」も声は良いが、見栄えの良くない韓国人だった。一体オペラオーストラリアは何をやっているのか。プレミア席に$190払っている観客達は 反乱くらい起こしても良いはずだ。 人の声の中で テノールが一番美しい音だ。かつて、王族貴族達はカストラートの声を愛した。思春期前に去勢して高い美しい声を維持させられた歌手達は教会で、オペラの舞台で活躍した。現在は テノールが人々の心を掴む。エリック カトラーというテノール、声も歌も演技もとても良い。アメリカ人だそうだが、この出し物が終わっても、ここに留まって欲しいものだ。  

肝心のコロラトーラ ソプラノのオージー歌手、エマ マチューだが、技巧的なソプラノをちゃんと立派に歌っていた。象のように 太って大きいルチアが両手を血で真っ赤にして、白いネグリジェに血しぶきあびてドタドタ出てきたら どうしようかと思っていたが、彼女 声も姿も美しい人だった。
総じてとても満足なオペラだった。満足以上のオペラだった。

2008年8月12日火曜日

映画 「ザ バンク ジョッブ」



実際に起こった事件をもとにして出来たイギリス映画。当時のことをよく憶えている私には すごくおもしろかった。

1971年、何者かが ロンドンの銀行の貸し金庫室に、となりのビルから地下にトンネルを掘って侵入して 大金が盗まれた。ビッグニュースは即時、世界中に報道されて、大胆不敵な銀行強盗の手口に びっくりした。被害金額は30億円とも言われていた。 そんなに簡単に盗めるほど銀行の警報システムが脆弱だったことが証明されて、ロンドン警察も銀行も面目まるつぶれになった。当時、イギリス政府による北アイルランド占領に真っ向から反対して 連日爆弾テロを繰り返していたIRAが、当然この事件を起こしたのだと人々は推測した。IRAのように、大きな軍事組織でないと とてもこんな大胆なまねはできないだろう と。

ロンドン警察は まもなく報道管制を布いた。事件に関する報道は一切止まり 犯人は誰だったのか、その後どうなったのか、わからないまま時が過ぎた。私は これはIRAの快挙だったと思い込んでいた。政府も警察も黙り込んだのは、IRAと、政府との間でなにか政治的な取引が行われたのだと思っていた。この映画をみるまでは。 その後 この事件が語られることはなかった。人々の記憶から完全に忘れられていた。ベトナム戦争の真っ只中、、アイルランドもパリも神田も火を噴いていた。学生達は街に出ていた。流動する世界の動きに気をとられていて ロンドンでひとつの銀行が襲われたことなど気をとられている暇もなかった。

30年たった今 迷宮いりしたはずの この事件が明るみにでる。どうして報道管制が布かれたのか。どうして銀行の警報は鳴らなかったのか。事実はこんなことだったのか と映画で知らされる。もちろん、これは事実を基にして 作られた映画だから、事実以上に 脚色されているだろう。真相暴露に映画のストーリーテラーとしての色付けが なされているに違いないが、それでもすごくおもしろい。

ストーリーは
モロッコから ドラッグを仕入れてロンドンに帰ってきた美女、マーテイン(サフロン バロウズ)は、空港で荷物検査で引っかかって逮捕される。5,6年の懲役を覚悟しなければならないところを、政府の秘密エージェントから 取引を持ち込まれる。もし、ある銀行の貸し金庫に預けてあるものを 無事に盗み出してくれれば 罪に問わないで自由にしてくれるという。銀行のアラームは、システム変更のために数日間電源が切られるので、容易に貸し金個室に侵入できると エージェントは保障する。

マーテインはさっそく 昔のボーイフレンドのテリー(ジェイソン ステイサム)を誘って、地下のトンネルを掘って 銀行の貸し金個室に侵入する計画を立てる。テリーは自動車修理工場をもっているが、やばい仕事にも手を出していて、資金繰りに困っている。テリーは仲間4人を引き入れて、地下を掘り始める。 貸し金庫に到達したグループ6人は 片端からボックスをこじ開けて現金や宝石などを袋につめて逃げる。当然これを政府の秘密エージェントは 監視していて、マーテインが、約束どうり 指定された番号のボックスを持ってくるのを待っている。しかし、テリーはマーテインが 何かを隠していて男と 秘密に連絡しあっているのに気がついていた。だから、当初予定していたのとは別の車で 別のところに逃げる。

逃げた先で盗んだものを見てみると ざくざく 宝物が出てくる。  マーテインが エイージェントに頼まれて渡さなければならなかったものは、エリザベス女王の娘、プリンセスが、ウェスト インデイーの独立運動家たちと乱交している写真だった。ウェスト インデイーの独立運動派は、この写真を 政府を脅迫するために大切に保存していたのだった。当時、カリブ海のイギリス領土だったウエスト インデイーでは、独立運動が起きていた。エージェントは 女性エージェントをウェスト インデイーに送り込んで 情報を得て、独立運動をけん制していたが、女王のスキャンダルは 早めに潰しておく必要があったのだ。

またテリーは 盗んだものの中に、ロンドン警察署署長が、当時は 違法だった売春宿で、サド マゾ プレイに興じている写真を見つける。売春宿のオーナーが 自分達の商売の存続に関わる問題が起きたときのために、いつでも警察署を告発できるように 写真を確保していたのだった。

さらに、ロンドンギャングの親玉が 警察署内部に 高額の賄賂を手渡して手なずけていた。ギャングの出納記録まで 出てきた。これが暴露されるとギャング団も 警察署の半数の役人の首が飛ぶ。

貸し金庫の中身をごっそり持ってきたために マーテインもテリーも予想外の宝物のために、政府のエージェントからも、警察からも、ギャングからも、汚職刑事からも 追われる身になる。 というお話。 同時進行で、警察の動きやギャングの動きをカメラが追うので、怖くておもしろくてゾクゾクする。動きの早い映画だ。

人々は貸し金庫に誰にも言えないような秘密を仕舞っていたり、闇で得た裏金を隠していたり、盗んだ宝石をかくしていたりする。だから、この事件で 盗まれたものの被害額は いちじ30億円位と、推定されたが、いまでも全くわからない。被害者が被害額を申請できない事情があるからだ。

それにしても、たったひとつの銀行の貸し金個室が襲われたくらいで イギリスの王室も警察も 根底から震かんさせられた、と言う話、実におもしろいではないか。 30年たってみて この映画はウソだ、王室にスキャンダルはなかった、警察に汚職はなかった、ウェスト インデイーに介入はしなかった、というのならば、イギリス政府はこの事件に報道管制を布いたのは どうしてだったのか。事件直後に迷宮入りを宣言して 一切の報道が止まったのは どうしてなのか。ちゃんと説明してくれなければならない。

2008年8月11日月曜日

ステブン イスラレスのチェロを聴く


ACO(オーストラリア チャンバー オーケストラ)の定期公演会に行ってきた。
エンジェルプレイス シテイー リサイタルホール。
ゲストは イギリスから、チェリストのステブン イスラレス。
監督:リチャード トンゲッテイ
曲は

1)CPE バッハ チェロコンチェルト 作品172番
2)バージル 弦楽8重奏曲 作品15番

3)ラベル  二つのヘブライのメロデイー
4)バルトーク 弦楽変奏曲

リチャード トンゲッテイを含めて、第一バイオリン5人、第二バイオリン5人、ビオラ3人、チェロ3人、コントラバス1人の計17人。これにコンサート チェリストのステブン イスラレスが加わった。 演奏会に先立って、世界的に名前のあるステブン イスラレスのチェロという宣伝文句に期待をして行った。
が、みごとに裏切られた。
というか、世界で高い評価を受けているチェリストが かすんでしまうほど、リチャード トンゲッテイ率いる室内楽団がのレベルが高い と言うことかもしれない。だから、このゲストチェリストが下手だったと言うわけでは決してない。
肩までのカーリーヘアを振り乱して、バロックを演奏するハンサムなイスラリスは、なかなかビジュアル的に見ごたえがあったし、軽々とテクニックを披露してくれて 簡単にはマネできない実に優れたテクニックをもっていた。でも心に染み入るようなチェロの音を聞くことが出来なかったのは、残念だった。

なかでは 弦楽8重奏が良かった。弦楽4重奏は、何度も二人の娘達と演奏したことがあるが 8重奏はない。複雑な構想、曲そのものの難解さ。8人のうち、一人が1拍 早まっただけで、綿密に組み立てられている曲そのものが、がらがら音をたてて壊れてしまう。とてもアマチュアには演奏できない。それを互いの音を聴きながら、実にみな楽しそうに演奏していた。

むかし、オーストラリアに来たばかりの頃は NSW大学を拠点において活動しているオーストラリア アンサンブルの音に魅了された。デイーン オールデイングの率いる室内管弦楽団だ。オールデイングの繊細なバイオリンの音は なにか特別な、取って置きの音と言う感じで 聞いていると泣きたくなるような音だった。若くてシドニーシンフォニーオーケストラのコンサートマスターだったが、大所帯を飛び出して、自分の仲間だけで演奏を始めた。彼らの室内楽を3年くらい 熱心に聴いていたが ある日突然 禅問答のような現代音楽ばかりに挑戦しているオールデイングの音が嫌になった。

その頃には リチャード トンゲッテイは 自分の仲間とともに、オペラハウスで定期公演会をもてるほどに 実力をつけていた。かれは 間違いなくオーストラリアでナンバーワンの演奏家だ。ソロイストとしての名声がついていると、えてしてわがまま坊主になりがち。世界のソロイストは皆そうだ。出来る人はわがままでいい、一人のソロイストを100人の演奏家達が支えてやればいいというのが常識の世界。しかし、リチャード トンゲッテイは あくまで謙虚でソロイストとしても 楽団のリーダーとしても きちんと立派に仕事をしている。この10年間、定期コンサートで、同じ曲をやったことがない。常に新しい曲に取り組んでいる。 毎回 世界からピアニストや、ハーピストや歌手やリュート奏者などを招いて、一緒に様々な曲を演奏している。毎年1ヶ月は、ヨーロッパなどに演奏旅行にでかけて、世界の演奏家達と交流をしている。 小さなグループだから 資金繰りは大変だと思う。10年間 彼らのコンサートを聴いてきて、スポンサーシップも続けているが 今後も期待して見守っていきたいと思っている。

2008年8月10日日曜日

映画 「ウォンテッド」




映画「WANTED」を観た。
監督:TIMUR BEKMAMBETOV
配役:JAMES MCAVOV         MORGAN FREEMAN    ANGELINA JOLIE

派手なカーアクション 銃やナイフでの殺し合い、ガンさばきと、流れる血、、、ハリウッドの娯楽映画の典型の、最新のフィルムだ。 とてつもない規模の破壊、今回の映画も おびただしい数の車が派手なカ-チェイスの末に ぶっ壊れ 火を噴いた。車だけでなく 列車や人も沢山 崖から落ちていった。

アメリカ人がこんなにも 建物や車やバイクやヘリコプターや飛行機が火を噴いて壊れていくのを 映画で見るのが好きなのは、毎日の平凡でまじめな生活に疲れて飽き飽きしているので、せめて画面の中で 物が壊れるのを見て うさばらしをしたいのだ という心理学者の解説を読んだことがある。
本当だろか?
むしゃくしゃして 不満がつのって、そのはけ口に、大きな音でガラスを蹴破ったり、食器を床に投げつけたり、無抵抗な女をぶん殴ったりして不満をぶちまけないと気がすまない というタイプの人がいるということも、知識としては知っている。
が、本当だろうか?
私だったら、うさばらしや不満をぶちまける暇があったら、不満の原因を冷静にたどって、そちらから解決するように努力してみる。仕事がつまらなくて耐えられないほどだったら、別の仕事を探し始めるし、夫が退屈でたまらなかったら別のを探す。

破壊や流血を見るのには痛みを伴う。
それでもそういった映画が封切られるそばから観るのは それが現在 最大規模の映画産業ハリウッド文化の主流だからだ。

ハリウッドで一番女性からも男性からも人気のある女優、アンジェリーナ ジョリーが、凄腕の殺し屋で、 そのボスは モーガン フリーマン。そこに今が「旬」の ジェームス マックボイがリクルートされてくる。という俳優ぞろいだとわかれば、ちょっと映画の好きな人ならば見逃すことができない。 まあ、日常生活からは、程遠い おとなのおとぎばなしを見るという感じだ。

ジェームス マックボイ扮する ウェスリーは、全然うだつのあがらない銀行員だ。職場ではヒステリックでサドの女性上司に頭が上がらず、毎日嫌味を言われながら 過重な仕事を押し付けられている。家に帰れば 長年付き合っているガールフレンドがいるが 彼女はウェスリーの同僚と浮気をしている。それをうすうす知っていながら 慢性的金欠病の彼にはどうすることもできない。銀行貯金の残金は$14というわけだ。誰にもももんくをいえるわけでなく ただただダメ男の代表のような凡人だ。

だがある日、立ち寄ったドラッグストアで 拳銃の撃ち合いに巻き込まれる。逃げまくっている最中、目の覚めるような美しい女性の運転する車に拾われて 命拾いする。連れて行かれた 砦のようなお城で、ウェスリーは 4歳のときに死んだと聞かされていた父親が、実は 秘密結社の殺し屋で、昨日殺されたばかりだ、と言われる。そして、天才的な 狙撃手だった父親の後を継いで 狙撃手として教育訓練を受けて欲しいと要請される。夢のような話に 一度は断って自宅に戻るが、自分には何も失うものはないと 思い直して、プロの殺し屋としての訓練を受けることを決意する。文字どうり何度も瀕死の怪我を受けながらも 優秀だった父の血筋を受けているだけに、めきめきと力をつけて、様々な武器を使えるようになって、命令どうりに、敵を殺す仕事をこなしていく。 しかし、そうしているうちに、父親を殺した仇を討つつもりでいて その仇が実は 本当の父親だったという真相がわかり、、、。 というストーリー。

つまり、この秘密結社は ライバルの秘密機関にいるウィリーの父親を殺す為に、ウィリーを リクルートして 父殺しをさせる計画を立てたわけだ。殺し屋ナンバーワンを消すためには、ナンバーワンの血筋を引いた息子に ナンバーワンになってもらって、父親を消すしかなかったというわけ。そうしたことのために、沢山の車が壊され、建て物が破壊され、巻き添えにあった沢山の人の命が失われる。

アンジェリーナ ジョリーの派手なアクションと 彼女の指導によって うだつのあがらない普通の男が一人前の殺し屋になっていく過程が とっても おもしろい。

なかで、目新しいのは、ガンさばきだ。従来のプロの狙撃手にとって、大事なのは 限りなく遠くから、限りなく正確に 相手の心臓または頭を一発で打ち抜くことが究極の仕事だった。 しかし今回は 見えないターゲットを 殺すテクニックが開発される。建物の後ろに隠れている人に向かって 腕をまわし撃ちにして 流れ弾のようにして撃ち殺す。弾はまっすぐ飛ばないで 弧を描いて飛ぶ。肩を支柱に 腕を回すことによって 目の前にあるものを避けて その後ろにあるものに当たって 隠れている人を確実に殺すのだ、、、。ウェスリーは これをマスターする。

回し撃ちで 見えないターゲットを撃つ なんて、そんな馬鹿な、、、! 
もうほとんど「巨人の星」の「魔球」の世界だ。「弾が き、、きえた、、。」というわけだ。 

ゴルゴ13も、びっくり。 そんなテクニックをアンジェリーナ ジョリーに 手取り足取り指導されれば 本当に出来るようになってしまうかもしれない と、観客に信じさせてしまうところが この映画の醍醐味だ。

だから、これは おとなのおとぎばなしだ。この映画を観た後は、日常生活に戻って、こつこつとまじめに仕事して 嫌味な上司にも頭を下げて、飽き飽きしているパートナーにも優しくしてやって 金欠にも耐え、そうしているうちに、いつか、突然、アンジェリーナ ジョリーみたいな とびきりの人が あなたの人生に飛び込んできて 日常をぶっ壊くれるかもしれない。その日を夢みよう。

2008年8月4日月曜日

オペラ「マイ フェア レデイー」


マイ フェア レデイー」は、劇作家、ジョージベルナルド ショーが書いた芝居「PYGMALION」をもとにして フレデリック ローイが音楽をつけてミュージカル化したものだ。初演は 1956年、ニューヨーク マークへリンガ劇場。そのミュージカルが映画化されたのは 1964年。オードリー ヘップバーンと、レックス ハリソンが主役を演じ、その年のアカデミー賞を総なめした。

ヘップバーンの愛らしさに魅了されて、この映画は永遠のヒット作になり、今でも人々から、変わらず愛されている。同じ年に、ミュージカル「サウンド オブ ミュージック」が 大ヒットしたにも関わらず、「マイ フェアレデイー」のインパクトが大きくて、そちらは、何の賞も獲得できなかった。ヘップバーンの姿が多くに人の目には焼きついているから 今さらながら これを舞台で上演するなんて、わざわざ不評を買うためにするようなものではないか。そんな勇気ある、というか考え無しのオペラを、オペラオーストラリアがやったので、観にいってきた。

舞台は、 時は1912年 所はロンドン、コベントガーデン。今しがたロイヤルオペラハウスでオぺラが終わり、紳士淑女が 出てくるところ。 貧しい花売り娘達が 紳士達に群がっていく。劇場から出てきたヒギンス教授と、ピケリング将軍は 余りに汚い下町言葉で話しかけてくる 花売り娘達を見ながら、下町なまりは教育によって変えられるものかどうか 論議している。ヒギンス教授は言語学者なので、賭けをして、半年間で目の前にいる娘を誰よりも立派な上流階級の言葉を話せるようにしてみせる、と豪語する。

翌日、チョコレートを食べさせてもらえる という餌に釣られて、イライザが 教授邸にやってくる。教授はイライザに半年間 自分の家に住み込んで その間お小使いもあげるが、言われたとおりに学習するように と娘に約束させる。娘の父親は貧しい掃除夫で 娘が花を売って得たお金で 飲んだくれてばかりいるお調子者。さっそくヒギンス邸のお金を無心にくる。 イライザの英語のレッスンは毎日毎日深夜まで 厳しく続けられるが、徐々にイライザの物腰からしぐさ、言葉にいたるまで上流階級のレベルに達する。ヒギンス教授は テストのつもりで、アスコット競馬場に イライザを連れて行くが、馬の走行に興奮したイライザは、馬に向かって下品な声援を送って大失敗をやらかす。しかし、それが若い貴族フレデイの心を捉える。

最終テストと称して、ヒギンズ教授はイライザを大使館主催の舞踏会に連れて行く。そこで、各国大使達から イライザの品のよさと美しさが絶賛され、注目の的になって、ヒギンスは、鼻高々。一介の花売り娘を上流階級の娘に育てた自分の業績に自画自賛する。そんなうぬぼれの頂点に立ったヒギンスを見て、自分はただピッケリング将軍との賭けに使われただけだったと知ったイライザは、もう自分はヒギンスにとって用無しになったと思い込んで、家出する。しかし、生まれ育った下町では、変わってしまった自分を受け入れてくれる人々はいない。貴族で自分を愛していると言うフレデイも、若すぎて頼りにならない。

一方、教授はイライザがいなくなって 初めて彼女の存在が 自分の日々の喜びであり、彼女が自分にとってなくてはならない存在になっていたことを思い知る。テープレコーダーに録音されたイライザの声を聞きながら 呆然としているヒギンス教授の背後に 帰ってきたイライザが 立っていて、、、という 余りにも有名なストーリー。

オぺラは、2幕 3時間。
演奏:オーストラリア オペラバレエ オーケストラ
指揮:ANDREW GREENE
監督:STUART MAUNDER
イライザ ドリトル:TARYN FIEBIG
ヒギンス教授: REG LIVERMORE
ピケリング将軍:RHYS MCCONNCHI
フレエデイー:MATTHEW ROBINSON
イライザの父:ROBERT GRUBB

何よりも、衣装が派手で綺麗な舞台だった。
衣装、舞台の華やかさに比べて ソプラノの声は貧しく 高音と低音がマッチしていない、など、主役にはちょっと物足りないソプラノだったが、衣装の華麗さ、帽子の美しさで 欠点をカバーしている。ヒギンス役のバリトンは、テナーともバリトンともいえない。だいたいオペラ歌手ではない。長年ミュージカルや劇で活躍してきた人。最初の出だしで、声の質がオペラにマッチしない、好きになれない声なので 一瞬 出てきてしまおうかと思ったが、大人気ないことはせず、きちんと見た結果、これはこれで良い。もとが、ミュージカルなのだから、これで立派ではないか、と思うことにした。

イライザとヒギンス、ピッケリング将軍以外にも、ヒギンスの母親、ヒギンス邸の執事、女中頭、イライザの父など、みな役柄によく合った役者達が配役されていて、重要な舞台回しをしていた。 イライザの父と飲んだくれ仲間達のよるコーラスや、花売り娘達のコーラスも良かった。 貴族達が集まるアスコット競馬場でも目にも鮮やかな 女性達の豪華な衣装と帽子は1920年代のファッションショーのようで、見ていて楽しい。それと、唯一、フレッドのテナーは、聞きごたえのある、よく延びる美しい声で、特筆に値する。

ヘップバーンが演ずる映画を観たのは、1964年、今 再びオペラで観て 中で歌われる曲 全部をよく憶えていた。それほど良くできた曲ばかりで、印象も深かったのだろう。そして最後の場面 おなじところで、昔と同じように ホロッとした。楽しいオペラだった。
このオペラを観終わった後、ロイヤル劇場で、ミュージカル「マイ フェア レデイ」が、10月10日から1ヶ月間 同じソプラノ歌手で、上演されることがわかった。ソプラノ以外は 別の歌手で見せるらしいが、オペラハウスではプレミヤ席 $190 だったのが、ロイヤル劇場では プレミヤでも $125なので、かなり得かも知れない。それだけオペラハウスでは、使用料が高いのと、オーケストラや舞台装置に お金がかかるということか。この見世物ならば、ロイヤル劇場で、ジーンズ姿で、アイスクリームをなめながら見たほうが、楽しいような気がする。