ベルギーのブルッセルから バスでドイツ領に入り ケルンを訪れる。
日本語でケルン、英語でコロンだが、現地ではコロンのコを ケにちょっと近いケで、コロンと発音していた。
ライン河の左岸、鉄道の駅の横にある大聖堂が有名。世界文化遺産。夫からコロンの教会が素晴らしい、素晴らしいと 聞かされていたので、しっかり見てこなければ とおもいつつ、そびえ建つ かのコロン大聖堂を仰ぎ見る。
高さ157M、奥行き144M。幅86Mのドイツ最大のゴシック建設。1282年から630年余りかけて、建設された。内部にはバイエルン王ルードヴィッヒ1世が納めた 鮮やかなステンドグラスがある。
ミサをやっている最中だった。朗々としたテノールで、牧師が 鐘を鳴らしながら お祈りをとなえている。美しい。心が安まる。 かのルードヴィッヒが 作らせたというステンドグラスは今まで観たどのステンドグラスよりも精巧で豪華絢爛。字の読めない人のために、イエスキリストのお話を絵でわかるようになっている。色合いが美しく、700年も前に造られたものとは思えない。
コロンの大聖堂を見た後は 売店でコロン4711を買う。このコロンを父が昔 使っていた。緑のラベルがなつかしい。 オーデコロンはここ GLOCKENGASSE4711番地が 発祥の土地だ。オーデコロン4711は、昔、水質のよいコロンで作られていた。1792年に生業を始める。2年後にナポレオンが占領、兵士達が好んで このコロンを求めて国の妻や恋人に贈るため フランスの持ち帰ったところから オーデコロンは世界中に広がった。
父の仕事柄、日本人が外国に出ることが まだ稀だったときから、外国帰りの人が 家を訪れていたので、まだデパートにも売っていなかった、コロンとか、スコッチとか、ブランデーが 家にはあった。まだ小学生のくせに、コロン4711とか レミーマルタンとか、ジョ二黒、オールドパー、バレンタイン、バット69なんかを知っていた私は、見様によっては 生意気な子供だと思われていたのかもしれない。
コロンからセントゴアへバスで行き、そこからライン河を船で下る。
ライン河の源はスイスの山中に発している。フランスとドイツの国境を流れ、オランダのロッテルダムで北海に流れ込む。河の両側に 美しい葡萄畑が広がり、河沿いに、ホテルやリゾートハウスが立ち並んでいる。どの建物も 窓を花ばなで飾り立てて 美しい。約2時間ほどの乗船の間に、8つくらいの古城が船から見られる。 船は3階建ての広いデッキを持った船で、中にバーやお土産を売る売店がある。窓きわに座っていたら 甘いドイツの白ワインを出された。 河の両岸とも深い緑、そこを玩具のような赤い電車が走っていく。教会、鐘楼、白い壁に黒い屋根の家々、本当に美しい光景だ。
古城の多くは ホテルやユースホステルとして使われている。一つのお城は日本人に買われた、と聞いた。
河がくねっていて流れが急になる、難所といわれるところに ローレライの像がある。昔から 少女ローレライが唄を歌って 船の舵取りを魅了させて、船を沈めたという昔話がある。ハイネの詩に ズイルヒャーが曲をつけて ローレライの歌が生まれた。船がここを通るとき ローレライの歌が船内で流れたので、大きな声で日本語で歌う。
船を下りてから バスでハイデルベルグの街を見る。夕方の6時になっていたが まだ明るい。ここはヨーロッパで一番古い大学 ハイデルベルグ大学がある、小さな街だ。街から見上げた崖の上に大きなお城がある。とても大きな城で、これがハイデルベルグのトレードマークになっている。街の家々の窓には鉢植えが並び、ゼラニウムやベコニアが窓を飾っている。どの家の鉢植えもよく手入れされていて 町全体とよく調和していて美しい。
ランチはコロン大聖堂の横にあるマクドナルドで、6ユーロもするバーガー。芸術を愛したルードヴィッヒにゆかりのある地でマクドナルドとは 我ながらあきれるが、ここのトイレを借りなければならなかったので、仕方なく、、。
デイナーは、ラインランドのルネッサンスホテルでターキーを食べる。もさもさした肉に ほんのご愛想程度の野菜。ああいやだ。小魚の佃煮で白いご飯が食べたい。
ホテルはルネッサンスホテル。一日歩きくたびれて 帰ってすぐに死んだように熟睡するので どんなホテルだったか、何も覚えていない。
写真1は、ケルン大聖堂。
写真2は、ライン河下りの船。