2011年5月25日水曜日

映画 「パイレーツ オブ カリビアン4 生命の泉」




パイレーツ オブ カリビアンの第4作、「生命の泉」3Dくを観た。
監督が変わって ロブ マーシャルになった。「シカゴ」、「NINE」などのミュージカルを手がけた監督だ。137分。デイズニー配給のアメリカ映画。ハワイで撮影された。

第1作「呪われた海賊たち」、第2作「デッドマン チェスト」、第3作「ワールドエンド」の3作は、カリビアンの海賊首領のジャック スパロウが主役というよりも、ウィル ターナーと エリザベス スワンの恋がメイン ストーリーだった。

第1作で、子どもの時に ウィルとエリザベスは ボートで運命的な出会いをする。時がたち、大英帝国の総督の娘、エリザベス(ケイラ ナイトレイト)は大人になって 貧乏な鍛冶屋のウィルに 再び運命的な出会いをして、二人は恋に陥る。ウィル(オーランド ブルーム)は 貧しい天涯孤独な青年だが 父親から受け継いでいた彼の血が 海賊たちの狙う財宝を開ける鍵になる。
第3作で この二人はやっと結婚にこぎつけるが、ウィルは 「さまよえるオランダ人」の伝説どおりに永遠に海の上を彷徨い続け、7年に一度だけ上陸を許されて エリザベスに会う。
第3作のエンデイングロールが終わった後のフイルムでは、7歳になった子供と並んで丘に立ち ウィルの帰りを待つエリザベスの姿で終わった。伝説どおりで行くと 上陸を許された時の 心の行き違いでウィルの船は 沈んでしまい、女は身を投げて二人とも死ぬが、これによって永遠に二人は救済されるというお話がある。ともかく、ウィルとエリザベスのお話は 1-3作で終了した。もう、この海賊シリーズで オーランド ブルームとケイラ ナイトレイトに、会うことはできない。

第1作から第3作までの主役をウィルに譲り 舞台回しの役をやっていた キャプテン ジャック スパロウ(ジョニー デップ)が 第4作では文字通りの主演主役をやる。おなじみの登場人物、黒ひげ(イアン マグシェン)、キャプテン バルボサ(ジェフリー ラッシュ)、ジャックの父 キャプテン スパロウ(キース リチャード)、ギブス航海士(ケビン マクナリー)、も みんなみんな健在で 登場する。ジャックの昔の女で、黒ひげの娘アンジェリカ(ぺネロペ クルース)が 初登場する。

飲めば永遠の命を持つことが出来るという「生命の泉」を求めて 大英帝国も スペイン政府も キャプテン バルボサも、黒ひげも アンジェリカも ジャック スパロウも探索の旅に出る。
生命の泉から湧き出る水に 人魚の涙を1滴落とした水を 二組の銀の杯に入れて飲み干したものだけが 永遠の命を手に入れることができる。まず、人魚を生け捕りにしなければならない。
月夜にボートを浮かべて、若い男が恋の歌を歌う。歌声に誘われて 人魚達がやってくる。しかし人魚達は その美しさで、男達を魅了して海底に連れて行って沈めてしまう。キャプテン バルボサは 黒ひげの捕虜となったジャック スパロウを利用しながら、人魚を生け捕りにして、生命の泉まで連れて行く。探し当てた泉で、英国軍、スペイン軍、バルボサ、黒ひげ、アンジェリカとジャック スパロウの全員が 顔をあわせることになって、、、。
というお話。

監督が変わったが、音楽の素晴らしさ、映像の美しさは変わらない。これは海賊というお伽噺だから、画面が美しくなければならない。デイズニーが全力投球して 沢山お金を使って製作しているだけに映像は素晴らしく美しい。
ジャック スパロウは、海賊の首領なのに、片目がつぶれている訳でもなく 怖くもない、いつも英国軍からは追われ、バルボサ側や黒ひげ側にとっ掴まって 脅迫されて財宝までの道案内をさせられる冴えない首領、おまけに今回は彼の船を沈められているから、海賊船さえも持っていない親分。女たらしで へろへろしていて、もったいぶっていても、実は逃げ回ってばかりいる。ジョニー デップが作り上げたジャック スパロウに 魅了される。彼の役者としての 徹底した役作りのこだわりが 実に愉快だ。カリビアンの海賊は まったくもってジョニー デップが作り上げたおとぎばなしだ。

ぺネロペ クルースの舌足らずの英語が可愛い。子どもの時から役者よりもダンサーになりたかった と言っているが、彼女の健康で水みずしい姿が美しい。映画「帰郷」で 酒場で仲間達にせがまれて、ギターを抱えて民謡を歌った場面が忘れられない。スクッと姿勢を正して こぶしの効いた民謡を歌出だしたとたんに、スペインの乾いた大地が感じられた。彼女には強い女の役がとても似合う。

今回初登場の宣教師 フィリプを演じたサム クラフトンと、彼が恋の陥る人魚のシレーナを演じた アストリット ベルジェ フリスべが 印象に残る。人魚がたくさん出てきて、それがみんな美人。特にシレーナは人間に生け捕りにされて何度も死に絶え絶えになる姿が はかなくて、可哀想で、宣教師フィリップが何度死んでも 助けにもどって来い と祈らずにいられない。

第4作は このシリーズで初めて3D画面になったが、特に3Dで見る価値はない。どう観ても とてもきれいな画面で よくできている。前回沢山出てきた えぐい怪物や 生きていて戦う怖い骸骨も出てこない。安心してみていられる。筋も単純でわかりやすい。
この海賊シリーズはとても おもしろい。1作目から4作目まで、全部続けて観たら 見落としていたことがたくさん出てくるだろう。どうして ここに、というような 意味がわからなかったところなども、納得できるだろう。新しい発見も沢山ありそうだ。
長い長いエンデイングロールのあとの映像で、次の第5作も ぺネロペ クルースで続くことがわかる。今後も キャプテン ジャック スパロウに敬意を表して 見逃さずにちゃんと最後まで観よう。このシリーズ、何作続いても、おもしろい。

2011年5月24日火曜日

メトロポリタンオペラ 「カプリチオ」を観る




ニューヨーク メトロポリタンオペラ公演 リチャード シュトラウス作曲のドイツオペラ「カプリチオ」のハイビジョンフイルムを、巨大スクリーンで観た。
映画はビデオでなく 新作映画を映画館で観る。オペラはCDやDVDで観ず  オペラハウスで観る。コンサートはCDで聞かずに コンサートホールで聴く。本はIPADやPC画面で読まずに 印刷されたものを読む。30年余り そうしてきた。しかし、ニューヨークメトロポリタン オペラの作品が 映画館で ハイビジョンスクリーンで観られるようになって 誘惑に勝てず 上映するたびに足を運ぶようになった。シドニーで レネ フレミングや、プラセタ ドミンゴは 観られない。オペラオーストラリアの オペラハウスでの公演を10年あまり続けて観てきたけれど やっぱりもの足りない。

ハイビジョンフイルムで、オペラでは シュトラウスの「ばらの騎士」、ベルデイの「ドン カルロ」、「サイモン ボカネグラ」、や「カルメン」、「アイーダ」、トスカ」などおなじみの作品。バレエも、ボリショイバレエの「くるみ割り人形」、国立パリオペラバレエの「コッペリア」、ロンドンロイヤルバレエの「ジゼル」、「白鳥の湖」、キロフバレエの「ドンキ ホーテ」など観た。フイルムでは、踊り手の細かい表情まではっきりと見ることが出来て、舞台で観るのと違う、発見や楽しさがある。

今回観たのは、リチャード シュトラウスが 最後に作ったオペラ「カプリチオ」。もともと イタリアのフィレンツェで始まったオペラは 天才モーツァルトの活躍のあと、イタリアオペラの巨人ヴェルデイと、ドイツオペラの巨人ワーグナーの時代が長かった。二人とも悲劇ばかり書いた。
彼らの後に やってきたドイツのリチャード シュトラウスと、イタリアのプッチーニは 楽しいオペラを書いて 大衆の人気を得た。
シュトラウスの「ばらの騎士」は、当時の人々に大歓迎され、また「サロメ」では、オペラに 血のしたたる生首が出てくる斬新な舞台で観客達を驚かせ、興奮させた。テレビや映画のなかった時代、オペラは民衆の 大切な娯楽だったのだ。

「カプリチオ」とは イタリア語で「気まぐれ」の意味。1941年、ミュンヘンで上映された。パリが ナチスドイツに蹂躙されるころ、このような優雅なオペラが上映されていた、ということが、驚きだ。
3時間の舞台に、ほぼ主役のレネ フレミングが ずっと出ている。舞台は伯爵夫人の広間だけで物語が進行していき、舞台背景は全く終わるまで変わらない。

ルネ フレミングは1959年生まれのアメリカ人。ドイツに留学していて、ドイツオペラが得意な人。モーツアルトの「フイガロの結婚」の伯爵夫人、シュトラウスの「ばらの騎士」の伯爵夫人など、貴婦人の役を演じるために生まれてきたような気品あるソプラノ歌手だ。彼女に「カルメン」とか、「ボギーとべス」とか「ラ ボエーム」はできない。

ストーリーは
若く美しい未亡人 マドレーヌの誕生日にどんな贈り物をして、彼女を楽しませるか サロンに集まる若い芸術家達は 議論に余念がない。作曲家、フラマンドと詩人のオリビエは どちらもマドレーヌに求婚しているライバル同士だ。マドレーヌを魅了するのは音楽か、ソネットの詩か、二人とも互いに負けられない。捧げたソネットを マドレーヌが褒めると、フラマンドはそれに曲をつけて マドレーヌの気を引こうとする。
マドレーヌの兄、伯爵は 妹の誕生日の贈物に、芝居を見せたいと考えて、女優のクラリオンを誘い出す。クラリオンは劇場主 ラ ロシェの協力を得て、さっそく芝居の練習を始める。そうしているうちに、マドレーヌを喜ばせようと、サロンにバレリーナが呼ばれ、イタリアオペラ歌手が呼ばれて、それぞれが パフォーマンスを見せる。楽しい見世物をみて、マドレーヌは、作曲家も詩人も役者もバレリーナも歌手もいる。ここで、新しいオペラを作って見せてください。と提案したところで、みんなが一致して、お話が終わる。

指揮:アンドリュー デビス
キャスト
伯爵夫人マドレーヌ :レネ フレミング
伯爵、マドレーヌの兄:モートン フランク ラーセン
作曲家フラマン   :ジョセフ カイザー
詩人オリバー    :ラッセル ブラウン
女優クラリオン   :サラ コノリー
劇場主ラ ロシェ  :ピーター ローズ

序曲が弦楽6重奏で始まる。
これから始まる物語が6人の男女のやりとりであることを予感させるような6重奏のハーモニーがとても良い。オペラのアリアが少なく、3重唱、4重唱、5重唱がたくさん出てきて楽しい。3時間あっても重くない 楽しいオペラだ。
さすがに今一番オペラで人気者のレネ フレミングだ。本当に柔らかい優雅なソプラノの声を出す。それと、伯爵のモートン フランク ラーセンのハンサムで甘い顔とバリトンの素晴らしい声に すっかりノックアウトされた。

ギリシャ悲劇をベースにした「大」悲劇や、人間に苦悩を描いた重い哲学的な物語りは、やはり劇場で観たい。役者達の呼吸に合わせて息を止めたり、ため息をついたり、涙を流したり、舞台と一体になって感動をもらいたい。
でも日曜日の午後、ブランチを食べたあとゆっくりと手足を伸ばすようにして 通いなれた映画館で 美しいソプラノを聴くと、心の底まで贅沢な幸せな気分になれる。そんな 素敵な日曜日だった。

2011年5月20日金曜日

映画 「恋人たちのパレード」




アメリカ映画「WATER FOR ELEPHANTS」、邦題「恋人たちのパレード」を観た。
原作サラ グルエンによる小説「サーカス象に水を」を映画化したもの。アメリカ映画。
監督:フランシス ローレンス
キャスト
サーカス団長 オーグスト:クリストフ ワルツ
サーカスの花形 マレーナ:リース ウィザスプーン
獣医学部学生 ヤコブ    :ロバート パテインソン

ストーリーは
1931年、アメリカは 未曾有の不景気に見舞われていた。
ヤコブは 実業家の一人息子で 大学で獣医学を学んでいる。東欧からの移民だったヤコブの父親は 自分の事業を起こして大恐慌の中でも、なんとか中流の生活を維持していた。
ところが ある日突然 両親が車の事故で亡くなる。担保に入っていた会社は銀行に取られ、住んでいた家からもヤコブは追われる。大学卒業を目前にしながら ヤコブは文字通り 路頭に迷うことになる。突然、両親を失った悲しみに浸る余裕もないまま、土地を追われ、ヤコブは仕事を探しに街に出ようと決意する。

ヤコブが飛び乗った貨物列車は、サーカス一座が移動する列車だった。一文無しのヤコブは 雇ってもらいたいばかりに、サーカス団員に混ざって動物達の世話をさせてもらう。動物の糞尿にまみれて 団員達と一緒に働くうち、ヤコブは すぐに美しいサーカスの花形マレーナに 心を奪われる。彼女は 団長の妻だった。
しばらくして ヤコブはやっと団長、オーグストの目にとまり 紹介されることになった。ヤコブは 自分は獣医だと名乗り 正式に雇ってもらうことになった。
しかし団長は酒癖が悪く、飲みだすと冷酷なサデイストになる。芸を教えても なかなか思い通りにならない動物に対して 厳しく鞭で芸を強制する。芸をする動物達と 心を通わせているヤコブには それはつらいことだった。マレーナは夫が暴力を振るうようになると、じっと夫の嵐が過ぎるまで待っている。しかし、ヤコブは団長がマレーネにまで暴力的になるのが許せなかった。ヤコブは益々、マレーネを慕うようになる。

サーカス団に新しい動物、象が加わることになった。ヤコブは、この象を飼いならして マレーネが象使いとしてステージにたてるように調教する役を命じられる。象を扱いながら ヤコブとマレーネの間には特別な感情が芽生え始める。

ある日 団長に逆らったヤコブは 団長の怒りを買い殺されそうになる。マレーネは機転をきかせてヤコブを走る列車から逃がそうとする。その土壇場でヤコブはマレーネに 愛を告白してマレーネを抱いたまま 列車から飛び降りて、サーカス団から逃亡する。しかし、団長と彼のお抱えガードマン達は二人を追って、、、。
というお話。

これはラブストーリーだから、ロバート パテインソンとリーズ ウィザスプーンの二人が主役だが、三角関係で捨てられる方のサデイストのクリスト ワルツが断然輝いている。役者としての格がちがう。実に演技が上手で この人、とくに冷酷で血も涙もない男の役をやると輝きが増す。キラリと目が光り サドになる瞬間の表情など迫力があって他の人にまねできない。切れ味の良いナイフのようだ。
この役者、ブラッド ピットの「イングロリアス バスタード」でもサデイストのナチの将校をやって 82回 アカデミー助演男優賞を取った。この人が 普通の顔で日常会話をしている時が とても怖い。笑いながら どんなことでも冷酷なことができるからだ。ナチの将校役で英語もドイツ語もイタリア語も使っていたが、このオーストリア人役者は 実際5ヶ国語を自由自在に使えるそうだ。53歳。とても良い役者だ。若いときのピーター オツールのように見えるときがある。

主役のロバート パデインソンは 吸血鬼なのに人間を愛してしまう映画「トワイライト」シリーズで人気者になった。それなりに役をやっているが、どうしてもこの人の顔が好きになれない。だから「トワイライト」は どれも見なかった。

リース ウィザスプーンが、とても可愛い。サーカスの花形で、走る馬の上で立ったり、馬を 床に寝そべらせて その上に乗ったり、象に乗って行進したり 二本足で立たせたり 芸をさせて、本当のサーカス団員のようだ。本人も動物が大好きだそうだ。そうでなければ とてもできない役だ。シャープなアゴの線と大きな目、、、いくつになってもとても美しい女優だ。ロバート パデンソンと10歳くらい年が違うが、そんなに見えない。気が強くて気性が激しいが、案外もろいところのある女の役のぴったり。

話の筋は単純。
総じて役者では クリスト ワルツとリース ウィザスプーンが良かったが、しかし、何と言っても一番素晴らしい役者だったのは、42歳の象TAIだ。打たれて、うちしおれて哀しがったり、2本足でらくらく立ってみたり、音楽に合わせてステップを踏んだり、とてもよく訓練されている。鼻でコミュニケーションをとったりするところも 可愛くて微笑ましい。

野生動物を群れから離して、芸を憶えさせることは 動物の意志に反しているから 動物虐待ともいえる。サーカスではもう動物を使わなくなった。それでもなお、TAIは素晴らしい。畑正憲 ムツゴロウ先生も言っているが、象は最も知恵の高い動物だそうだ。
象が主役のラブストーリー。象が好きな人は 観て楽しい。

2011年5月17日火曜日

オーストラリアで見るユーロビジョン



普段は ニュース以外にテレビを見ないが、この週末は ユーロビジョン ソング コンテストがあったのでテレビ浸けだった。
ユーロビジョンは 60年の歴史を持つ 歌のコンテストで テレビの最長長寿番組であり スポーツを除いては ヨーローッパで最大の国境を越えた祭典だ。 今年は43カ国が出場した。
オーストラリアは ヨーロッパから遥かに離れていて、出場権も投票権もないのに、人々はこの番組が大好きだ。 ユーロビジョン コンテストを見ることは、ヨーロッパの現代史を見ることでもある。60年の間には 東西冷戦、軍による圧制、侵略、戦争 テロがあり、今でも平和とは言えない紛争が続いている。

日本にいるときは これを知らなかった。日本に居たときは 世界中の国の人が野球をやっているのかと思っていたが、野球はマイナースポーツで、「世界3大スポーツの祭典」といったら、オリンピックと サッカーワールドゲームと ツアー デ フランスだった。歌も、アメリカっぽいロックやヒップホップがメジャーかと思っていたら、ユーロビジョンが一番の人気だった。 こういうことは 日本を出てみないとわからなかった。

ユーロビジョンは 1950年代に 第二次世界大戦後の復興の一環としてヨーロッパの国々が共同でエンタテイメント番組を作るという目的でできた。最初に大会は スイスのルガーノデ開催、まだ 衛星放送はないからマイクロ波中継でテレビ放映された。参加国は それぞれ代表を選出し、視聴者からの投票数で優勝国を決める。
1国1歌手の代表。曲は3分以内。生で歌われ、バックトラックに声を入れてはならない。バックコーラスは3人まで許される。参加国のテレビ中継は その国の公共放送で放映される。視聴者は自国以外の国に票を入れなければならない。投票が最多得点を得た国が優勝、トロフィー以外に特に何も与えられない。
などのルールがある。

ここで生まれた世界のヒットソングがたくさんある。1956年の「ボーラーレ」。ボーラーレ ウオウオウオウオーーーという曲は日本でも流行った。1974年のアバ、「ABBA」の登場は たちまち世界中にセンセーションを起こした。また1974年の セリーヌ デイオンの登場も華々しい。

ドイツを隔てていた東西の壁は ぶち破られたが、それ以前は 東欧はユーロビジョンを見ることは規制されていた。しかし人々は「ユーロビジョン秘密パーテイー」をして、業務用や家庭用のアンテナを使って 政府が厳しく禁止するなかを テレビを見ることで抵抗していたのだ。
アイルランドは、ユーロビジョンで 7回優勝をして優勝最多国だが、1970年 毎日のようにダブリンで IRAの爆弾が爆発し、北アイルランドが火を吹いていたときに 優勝者ダナが 北アイルランドンに行って優勝歌を歌うことに、深い政治的抵抗の意味があった。ジョニー ローガンは2回出演して、2回とも優勝している。

フィンランドは スターリン圧政下のあっても、ユーロビジョンに代表者を送り続けた。1979年 ポーランドもブルジネフ体制になって出場。
1968年にはスペイン代表は 長きにわたるフランコ軍事独裁体制下、抑圧されていたカタロニア出身の歌手が、土地の歌を歌って、ヨーロッパ中の支持を得た。
1968年 英国のクリフ リチャードが出現して 当時ではかっこ良い、今では とても恥ずかしい身振り手振りで スローロックを歌った。

バルカンでは ユーゴスラビアは ボスニアヘルツエコビナと クロアチアとスロベニアに分かれ、それぞれが代表を送り込む。ロシアから分かれた エストニア、ラトビア、リトアニアも、それぞれが代表を送る。
参加国は毎年増え続けている。

独立国とは名ばかり、内政をロシアが牛耳っていたウクライナが、2004年には優勝する。これは感動的だった。
ウクライナ代表のルスラナは、闘士でもある。自分で作詞作曲した「ワイルドダンス」という歌を 編み上げブーツ、黒髪にバンダナ、スパルタカスのようなローマ戦士のいでたちでヘビーロックを 飛んだり跳ねたり ギタリスト達を足蹴にして肩に登ったり 広い舞台を自由自在に駆け巡り ものすごいボリュームの声量と激しいダンスのパフォーマンスで、文句なしの優勝をした。その後、彼女はロシアの繰り人形の大統領を拒否し ルシェンコ大統領を立て オレンジ革命の活動家として活躍する。

2006年のフィンランド代表 ローデイが優勝したときは おもしろかった。このときフィンランドは45回参加し続けていて、初めての優勝。スターリン影響下にあっても ユーロビジョンに代表者を送ることで ソビエト政府に抵抗してきた国。歌ったローデイは ヘビーロックグループで、当時話題の映画 指輪物語「ロードオブザ リング」に出てくる怪物の姿。ロックバンド「キッス」にも太刀打ちできない異星人の迫力。記者会見にも決して素顔を見せないバンドの面々だった。ヘビーロックの押しの強さでトロフィーを掻っさらって行って、痛快だった。

2009年のノルウェー代表者のアリャクサンドル ルイバークは史上最高の得点で優勝。歌いながらヴァイオリンを弾き、それが何とも民族的で土の香りのする激しく情熱的な曲だった。ヴァイオリンも美しい音。テレビの画像でもわかるほど、激しく弾く弓から 馬の尻尾の毛が切れて飛んでいた。彼はゲイ。本当にチャーミングな歌手だった。彼の優勝も痛快。

2010年はドイツのレナ マイヤー ランドリート。これにはびっくり。黒髪の19歳の女の子が ちょっと音程をはずしながらヒョロヒョロ歌う。どうしてこんな少女が優勝を、、、とあきれたいたら、2011年今年のドイツの代表でも彼女が出てきて 不安定な音程で歌って再びびっくりさせてくれた。
2011年今年の優勝者は アゼルバイジャンのエルダル ガスモフとニガル ジャマルの男女のカップル。可でもなく不可でもなく といったところか。女性歌手の方が イギリス在住とわかって、規約違反を問われている。

今年の代表で印象に残っているのは、フランス代表のアマルイ ヴァシリ。彼は コルシカ出身 ナポレオンが生まれたイタリア領にある小さな島。コルシカ独特の言語を持つ。長身、美形の彼が コルシカ語で素晴らしいテノールを聴かせてくれた。彼自身が魅力的だったがそのような少数民族の言語をもつ歌手を国の代表に送り出すということが嬉しかった。

各国の投票数をみていくと興味深い。視聴者は自分の国には投票できない。すると 多くは隣の国々に投票するのだ。あれほど憎みあっているポルトガルが スペインに最多投票をし、スペインがポルトガルに。トルコがギリシャに多数票を入れ、ギリシャがトルコに票を。セルビアモンテネグロが スロベニアに票をいれ、クロアチアまでもが。

驚くのは、このあいだロシアが戦闘タンクで侵略した ジョージアが ロシアに多数票を入れたことだ。
政治を地図の上でしか理解できない わたしは これが 理解できなくて、混乱した。
親兄弟が隣の国に殺されて、政治的には、憎い。しかし同じ文化を共有し、同じ音楽を聴いて育った人々は、同じ音楽に歓び 哀しみを見出す。まさに、「音楽に国境はない」のだ。
歌に国境はない。それが ユーロビジョンを見て 改めて知らされて、衝撃を受けている。

写真は
フランス代表のアマルイ ヴァシリ

2011年5月15日日曜日

久坂部羊の小説3作を読む




医師でありながら物を書く人は多い。
医療現場に身を置くよりも 小説家として成功している人の中には 森鴎外、夏目漱石、北杜夫、斉藤茂太、なだいなだ、渡辺淳一、藤枝静雄、大鐘稔彦などが居る。
人の生と死に立ち会う医療従事者には 他の職種に就く人よりは、人生について言うべきもの、語らずにいられないものを 抱えることが多いからかもしれない。

久坂部羊の小説を読んだ。
1:「無痛」
2:「破裂」上下
3:「廃用身」2003年 デビュー作
以上3作。
作者は 大阪大学医学部卒、小説のほかにエッセイ「大学病院のウラは墓場」、「日本人の死に時」などがある。小説というかたちで、現在の日本の大学病院のかかえる問題、特定の教授が強権を持ち、医局で若い医師達が押しつぶされる姿や、患者をもとに教育、修練しなければならないため患者の人権が無視される医療状況などが 小説の背景に しっかり描かれている。
山崎豊子の小説「白い巨塔」が 発表されたのが1963年だが 未だに何ひとつ変わらないのが 大学病院の現状だろう。この作家は 益々厳しくなる 現状を背景にしながら「人間」が描かれている。とても 優れた力を持った作家だと思う。

1:「無痛」
神戸で幼い子ども2人を含めた一家4人が極めて残酷な方法で惨殺されていた。現場からは凶器のハンマーや 犯人のものと思われる帽子や靴跡など 遺留品が多かったが 警察の捜査は難航した。
事件から8ヵ月後 この事件は自分がやった と精神障害児童施設の14歳の少女が告白し、事件現場で発見された帽子には彼女の髪が残されていた。心を閉ざしている少女と会話できるのは 心理療法士の菜見子だけだ。警察は色めき立つ。しかし、菜見子が頼りにする 一見風采の上がらない街医師 為頼は、彼女を一見しただけで犯人は彼女ではない と考える。
ではこれほど 無残な殺人をやってのける人間は 何物なのか。 生来痛みを持たない特殊体質:先天性無痛症で、尖頭症の知的障害を持った 井原という男が大病院で 白神院長のもとで働いている。痛みが理解できないので 他人を思いやったり、人と共感したり同情したりすることがない。白神の命令に絶対服従するが 命令がどんな意味を持つものか、理解する知性はない。病気を持つ人は必ず 外見も変わってくる。注意深く観察すれば人がどんな病気をもっているかわかる、と断言する為頼は、井原が内包する素質を外見だけで見抜いて事件を追っていく。
というお話。
医学知識が豊富な人が書くミステリーは 持たない人が書くものよりも数段 おもしろい。

2:「破裂」
医師の誤診によって 一度は絶望の底に突き落とされたことのある新聞記者、松野は医療過誤を告発しようとして、聞き取り取材をするうち、若い麻酔医 江崎と出会う。江崎は硬直化した大学病院の独裁体制に嫌気がさしていた。心臓手術で父親を失くした娘 枝利子は 父親は手術のミスで死んだのではないかと疑い 手術を主導した香村助教授を訴えるために、松野と江崎に助けを求める。
香村助教授は いったん心筋梗塞で破壊された心筋を 活性化させて蘇生するという画期的なぺプタイド療法を開発していた。しかしこの画期的な治療法は 深刻な副作用を抱えていた。患者が治療を受けて、すっかり元気になったころに突然何の予告もなく心臓が破裂して死亡するのだ。
一方、厚生省の実力者、佐久間は 今後老齢化する日本の老人社会のなかで、老人が苦しまずに突然死する 香村のぺプタイド療法が老人の究極の望みだとして、香村を巻き込んだ老人対策を進めようとする。しかし、それをかぎつけたマスコミによって アイデアは潰される。
「日本はどうなっていくのか。佐久間のような非情なやり方以外に 日本を救う道があるのか。ひょっとして佐久間は日本の危機を回避する唯一の切り札ではなかったか。」で 終わる。

3:「廃用身」
神戸の老人専門病院で働く医師、漆原は、麻痺して回復の見込みのない手足は切断するべきだ、と考えている。脳卒中などで麻痺して、いくらリハビリを続けても回復しない手足がなくなれば、本人にとっては、残った健康な手足だけで移動したり日常生活するのが楽になる。介護者にとっては 体重が減って 扱いやすくなって、介護が楽になる。いたずらにリハビリを続けて 動かない手足:廃用身を嘆くことよりも、物理的に楽になり 痺れやだるさから解放され、気持ちの上でも前向きになれる。
しかし廃用身の切断は、健康保険では認められないため、手術理由を 感染とか別の理由をつけて行わなければならない。しかし患者からも家族からも漆原の治療は信頼を得ていた。
患者にも家族にも好評だった、漆原医師による手足の切断が、しかし、マスコミに取り上げられて、老人虐待だと 断定される。
マスコミ主導の世論にたたかれて、漆原は「頭はわたしの廃用身」という遺書を残してレールを枕に横たわり 首を轢断されて自殺。妻も赤子を抱えて電車に飛び込んで亡くなる。
「このケアについて語れば 真近に迫った介護破綻に目をむけざるを得ない。彼が命を賭してまで問いかけたことを見過ごしてはいけない。彼は老人医療の先駆者だった。人々は漆原氏の慧眼をしるだろう。」
で終わる。

「廃用身」では、介護を必要とする年寄りと家族が少しでも楽になる方法を 漆原ドクターに語らせる。彼は「一般常識」を唱えるマスコミが操作した世論によって 破滅させられたが、彼の主張に矛盾はない。時代が変われば 新しい「一般常識」になり、認知されることではないだろうか。これが老人問題の ひとつの回答であることは、確かだ。
「破裂」では、現在はタブーになっている「安楽死」の問題が課題になっている。いずれ オランダのように、日本も安楽死を認めざるを得なくなってくるだろう。
そのうえ、生きる目的をなくした老人が、死ぬその日まで元気でいて、心臓破裂によって苦しむことなく突然死する という選択を望む老人も少なくないだろう。老人問題は年寄りの問題でも、若者の問題でもある。硬直した人権や クリスチャン的な人道主義を標榜しても始まらない。
おもしろい。
この作家の今後の活躍に期待する。

2011年5月11日水曜日

映画 「ミッション:8ミニッツ」




新作アメリカ映画「SOURCE CODE」、邦題「ミッション:8ミニッツ」を観た。なかなか おもしろい。
監督のダンカン ジョーンズの二作目の作品。最初の作品は、SFスリラーというか、ミステリー心理劇と言うか、人の心を描いた映画の「月に囚われた男」。
この監督の父親は 役者や映画監督もできるマルチで ロックの神様、デビット ボオイだ。
http://www.imdb.com/video/screenplay/vi1777835289/

キャスト
コルター ステイーブンス:ジェイク ギレンホール
キャプテン ゴッドウィン:べラ ファミーガ
プログラム責任者    :ジェフリー ライト
クリステーン      :ミシェル モナハン

ストーリーは
アフガニスタンに派遣されていた空軍パイロットの コルター ステイーブンスが あるとき目が覚めてみると シカゴに向かう列車の中に居た。前の座席にすわって 親しげに話しかけてくる女性は 自分の知り合いらしい。どうして自分が列車に乗っていて クリステーンという女性から ショーンと呼びかけられるのか、全く覚えがない。混乱して、列車の洗面所に駆け込むと、そこの鏡には 見た事のない男の顔が映っている。ポケットの中の財布には鏡に映ったショーンという学校の先生の顔写真が入っている。
その瞬間に列車は火を吹いて爆発。コルターは 吹き飛ばされて気を失う。目が覚めてみると 彼は鉄の箱の中で 座席に拘束されている。
鉄の箱の名は ソースコード。

奇妙な 電気コードばかりが張り巡らされている鉄の箱には、テレビのモニターがあり、キャプテン ゴッドウィンと名乗る軍人の女性が コルターに語りかける。キャプテンはコルターに 乗っていた列車に仕掛けられた爆弾と、爆弾犯を見つけるように命令する。

猶予は8分間。
脳には死亡する直前の 8分間の記憶が死んだ後もしばらく残っている。その記憶に 別人の脳がトリップして入り込むと 死ぬ前の8分間を追体験することができる。ソースはコルターの脳だ。ショーンが死ぬ前の8分間の脳に コルターの脳が入り込むことが出来れば 爆弾犯を捉えて、次の犯行を未然に防ぐことが出来る とキャプテンは言う。
シカゴ警察は、シテイーの中心を走る列車に爆弾が仕掛けられている という予告を受けていた。第1発目の爆弾は シカゴに向かう列車で すでに爆破されていた。ショーンもクリステイも含めて 乗客は全員死亡していた。第2発目は 市の中心を走る列車に仕掛けられ 規模も大きな爆弾だと犯人は言う。もし爆発すれば 被害の大きさは計り知れない。是が非でも 爆発を止めなければならない。
爆破予定時間が迫っている。

コルターは 再び列車の中に送り込まれる。8分間で爆弾を見つけて 犯人を探し出さなければならない。コルターは必死で爆弾を探し出す。爆弾は見つけた。しかし犯人を捜す途中で8分間は過ぎ 爆発。コルターは 何度も 爆弾犯が見つかるまで 8分間ごとに 列車のなかに送りこまれる。
コルターは何度も失敗し、キャプテンと話すうちに 自分が すでにアフガニスタンの空軍戦で死亡していることを知る。しかし、軍は内密にコルターの脳だけを生存させておいて その脳をソースに死ぬ直前の他人の脳にトリップする技術を開発していた。キャプテンの命令は絶対だ。コルターは何度も何度も列車に乗せられて 8分間の爆弾犯探しをさせられる。

コルターは 父親をとても尊敬 敬愛している。自分の脳が生きていることを父親に伝えたいが、それはできない。
彼は、死に物狂いの犯人探しの末、とうとう犯人を捕らえる。ついにシカゴ市内で列車が大爆発することは 未然に防ぐことが出来た。しかしそれまで生かされ利用されていた コルターの脳は、、、、。
というお話。

サイエンスフィクションともミステリーとも言える。面白い映画だ。デ カプリオの「インセプション」同様に 観ている人が 自分なりの理解の仕方ができる。よくわからない映画は それだけ解釈が多様で どんなふうに理解しても許される。

反戦映画「ジョニーは戦争に行った」の先を行っている。手足体を失ったジョニーの脳は生きていた。同じように この映画では 戦闘で体を失ったコルターの脳は生かされていて 死ぬ人の8分前の脳に乗り移って 犯人探しまでやらされる。死んでも死ねない軍の新兵器だ。タイムスリップならぬ、ブレインスリップ。

しかし人の脳は 命令に従うだけのために あるわけではない。人はたった8分間にも 人を愛し 恋して 歓びも哀しみも感じることが出来る。それを、コルターを演じたジェイク ギレンホールは、とても上手に演じている。
人がこんなに悲しかったり、嬉しかったり、怒ったり 愛を求めたりする生きものだった ということが改めてわかる。
コルターが心から敬愛して慕っていた父に コルターの友達だと言って電話をするシーンがある。涙が出る。

最後に コルターが脳の生命装置を打ち切られると知っていて、クリステーンと笑いあって抱き合いながら死んで行こうとするシーンがある。自分だったら8分間だけ命を預けられたとき、何をするだろうと思って、とても切ない。
ジェイク ギレンホール、テイーンのアイドルだった可愛い子ちゃんから、人間の哀しみを体言できる良い役者になった。
おもしろい映画だ。「インセプション」が好きな人、「月に囚われた男」が好きな人ならば 絶対楽しめる。

2011年5月2日月曜日

アメリカに正義はない


CNNの緊急ニュースで、アル カイダのオサマ ビン ラデインが、パキスタンで 米軍の特殊チームによって殺された という。
これについて、オバマ大統領は これで正義が勝った と国民にむけて発表した。

アメリカに正義と良識はあるのか。
2001年9月11日の貿易センターなど、一連の爆発について、ビン ラデインは 犯行声明を出していない。ビン ラデインはあくまで 犯行容疑者であって、犯人ではないから 裁判にかけることなしに、有罪を判定することはできない。

3000人という沢山の人を殺したら 取調べや裁判なしに 殺しても良いのか。それではリンチを認めるようなものではないか。警察も裁判所も必要ないことになる。
そんなことでは市民社会は維持できない。民主主義はどこにいったのか。

「一人殺せば殺人者、沢山殺せば独裁者、皆殺せば神様だ。」

いまニューヨークのグランドゼロでは ものすごく沢山の人々が集まって ビン ラデインの死を喜んで 祝杯をあげ、叫び 涙を流して 遂に正義が勝った と口々に「正義」、「正義」と祝福しあっている。人の死が そんなに嬉しいか。
この人たちは 鬼より醜い。 

2011年4月26日火曜日

カナダ映画 「灼熱の魂」




カナダ映画「アンサンドゥ」、邦題「灼熱の魂」を観た。
2011年アカデミー外国語映画賞にノミネイトされたが、「イン ア ベターワールド」が受賞したため、惜しくも賞を逃した作品。
レバノン生まれのカナダ人 ワジデイ ムアワッドの芝居を デニス ヴィルヌーブが監督して映画化した。アラビア語とフランス語で映画が進行し、英語の字幕がつく。130分。全編 ヨルダンで撮影された。
http://www.sonyclassics.com/incendies/

原作:ワジデイ ムアワッド
監督:デニス ヴィルヌーブ
キャスト
ナワル:LUBUNA AZABEL
ジェーン:MELISA DESORMEAUX POULIN
サイモン:MAXIM GAUDETTE

ストーリーは
中東。孤児院に収容されていた男の子ばかりが集められ 軍服姿の男達によって 一人一人髪を刈られ 丸坊主にされていく。乱暴にバリカンで髪を刈られながら 固く唇をかみ締めて 不屈な瞳で男達を見つめる少年のズームアップで、映画が始まる。

カナダのケペック。フランス語圏。
ナウル マワンは弁護士の秘書を 20年近く勤めながら、双子の姉弟、ジェーンとサイモンを 育ててきた。彼女はこの弁護士のパートナーでもある。ジェーンもサイモンも もう成人して独立した。
ある日、突然ナウルが発作を起こして床に就き、やがて死ぬ。残された遺書を開いて、ジェーンとサイモンは驚愕する。遺書には 兄と父親を探し出し同封された2通の手紙を渡すように と書いてあったのだ。ジェーンとサイモンの父親は 母がカナダに来る前に 中東、ダレッシュの内戦で戦死したと聞かされていたし、兄の存在など聞いたこともなかった。母に どんな過去があったのか。

ジェーンは数学者として 事実から目をそむけてはいけない と考えて母親が生まれた土地、中東のダレッシュに向かう。(ダレッシュはレバノンと思われるが、架空の地名だ。)ジェーンは 母の古いパスポートと写真を頼りに 内戦と 血を血で洗う宗教戦争に引き裂かれた激動の60年70年代を生きた母の軌跡を追うことになる。

ナムルは ダレッシュ南部の小さな村で生まれた。伝統的なモスリムの厳しい戒律が生きる土地だ。ナムルは宗教上 許されない相手に恋をして 恋人を兄弟に殺され 恋人との間にできた男の赤ちゃんを産むが、家名を汚した罪で 家から追われ、ダレッシュの街に、叔父を頼って出てくる。
クリスチャンでリベラルな叔父は ダレッシュ大学の教授だったが、ナムルに教育を受けさせ 彼の持つ新聞社で働くように世話をした。
1970年、極右勢力がダレッシュを占拠し、大学を封鎖した。叔父達はダレッシュを捨て 北に避難する。しかしナウルは 故郷に戻り 昔自分が生んだ子どもを引き取りたいと考えて南部に向かう。しかし南部は完全に極右勢力によって占拠されていた。家は瓦礫となり、家族の姿はない。産んで すぐに取り上げられてしまった息子は 孤児院ごと 軍に連れ去られたという。

街に向かう途中 モスリムの乗客でいっぱいのバスに 乗せてもらったところ、軍に襲われて バスごとガソリンをかけられ 乗客はすべて惨殺される。辛うじてクルスチャンとして一命を取り留めたナウルは 反政府ゲリラに入る。そして極右政府の議長の家に、家庭教師として入り込み 議長を暗殺する。ナウルは政治犯として捉えられ、監獄に送られる。女囚に対する 拷問やレイプはすさまじいものだった。監守の中でも、最も残酷な男からナウルは 繰り返しレイプされ、15年間の刑期を終えるときには妊娠していた。監獄で出産をして、ナウルは 新政府の恩赦によって、産み落とした赤ちゃんとともに、カナダに送られる。
母親の歩んできた道は そのような過酷なものだった。中東の宗教戦争、対立や政治犯などについて、何も知らなかったジェーンとサイモンは、傷つく。しかし そのような中で、遂に探し出した兄と父は、、、。
おどろくべき事実が明らかにされる。
ナウルの1949-2009と、彫られた墓石の前に佇む男の姿を最後に、映画が終わる。

大変 インパクトのある映画なので、心臓の弱い人は観ない方が良い。一緒に観たオットなど、映画にあと、家にもどり 一言も口をきかずにベッドに入ってしまった。ナウルは60歳で死んだことになる。彼女の生きた60年、70年は シナイ半島、中東戦争、イスラエル進駐、パレスチナ蜂起、など、ナウルは火薬庫の上で育ったようなものだったろう。映画のようなことも、確かにあったかもしれない。

この映画の残したテーマで 考えたことは、「過酷な過去から人は立ち直れるものだろうか」、という問いと、「母は子に何を残すのか」 ということだ。私は 人は残酷な過去を忘れて 立ち直ることができる、と信じる。人は 触れられれば血が噴出すような 生傷を抱えて生きているが 触れずに生きている。忘れたふりも、立ち直ったふりをすることも上手だ。沢山の人が、そうして生きて来たと思う。ナムルの過去がどんなに残酷なものだった にしても、、、。
それと、母親が死ぬ時、子供達に何を残せるか。どんな親も 子ども達が生きてくれたことを祝福し、感謝し、自分からは1セントでも多くのものを 残してやりたいと思うのが自然だと思う。死ぬ時に自分の負債を子どもに残したい母親など居ない。その意味で、この映画は、非現実的だ。彼女が激白したことで、暴かれた秘密は、子供達にとって抱えきれないほどの痛みだ。残された子供達に それを どう乗り越えて生きろというのか。生き続けられないかもしれない。彼女は最後に 双子の姉弟の兄と父にむけて 愛に満ちた手紙を届けさせた。それが愛だろうか。復讐ではなかったか。
知らないで居る方が、ずっと幸せな場合もある。

映像が美しい。音楽とマッチして とても効果的だ。
母親の過去を探すジェーンとサイモンの「現在」と、ナウルの「過去」とが、交差しながら物語が進行する。画面が現在になると、ロックやブルースのリズムにアラビア語の のびやかな歌が響く。ナウルの過去に画面が変わると 音楽はクラシックの賛美歌に変わる。
風の音が印象的だ。砂塵と風の音、、、遠くのモスクからお祈りの声が響き渡る。映像が洗練されていて、美しい。

2011年4月20日水曜日

デンマーク映画「未来を生きる君たちへ」





デンマーク スウェーデン合作の映画 「IN A BETTER WORLD」、邦題「未来を生きる君たちへを観た。
2011年 ゴールデングローブと、アカデミー賞 最優秀外国語映画賞、受賞作。
スーザン バイヤー監督 (SUZAN BIER) 1時間50分。
キャスト
ドクター アントン:PERSBARANT MIKAEL
アントンの妻マリアンヌ: DYRHOLN TRINE
10歳のエイアス  :MARKUS RYGOAD
10歳のクリスチャン:NIELSEN WILLIAM JOHUK
クリスチャンの父  :THOMSER ULRICH
http://www.imdb.com/video/imdb/vi1945869593/

ストーリーは
デンマークのある小さな街。
二人の 10歳の少年がいる。
エイアスは スウェーデン人で、おまけに兎のような前歯を矯正しているところなので 学校で いじめられている。体の大きな 悪いグループの生贄になって、通学用の自転車を壊されたり 殴られて 生傷を作ってばかりいる。
彼の父親、アントンは デンマークに本拠を置く国連から派遣されて スーダンの難民キャンプで働くドクターだ。エイアスの母親も ドクターだが、家の近くの病院に勤めている。しかし夫が過去に 他の女性と恋愛関係を結ぶ裏切りにあって以来 夫とは別居している。

そんな 壊れた家庭と、学校でのいじめに苦しむエイアスのクラスに 新入生が やってきた。
ロンドンから来たばかりの クリスチャンだ。彼は癌で母親を失ったばかりだ。父と二人 父の生まれ故郷に 帰って来たのだった。クリスチャンにとって、母の死は 耐え難い痛みだった。父、クラウスは いつもクリスチャンに 「母親は必ず良くなって帰ってくる。」と、約束していた。でも母は帰ってこなかった。癌末期に、母は自分がわからなくなって 子どものようになってしまった。そんな母の姿を見て、父は母の死を望んでいた。クリスチャンにはそれが許せない。
クリスチャンは 無表情、無感情を装いながら、心の中では やり場の無い怒りで燃えていた。

アントンが 休暇で帰ってきた。再びスーダンの難民キャンプに帰るまで 数週間 エイアスや彼の小さな弟や クリスチャンを遊びに連れて行ってやることができる。そんなある日、エイアスの弟が粗暴で乱暴な自動車整備工の子どもに いじめられた。中に入ったアントンは その男に恫喝され、暴力を振るわれる。
アントンには 強い信念がある。暴力に暴力で返しても何も生まれない。自分は筋の通らない無意味な暴力を決して恐れない。そう子供達に言い聞かせて、アントンは その男の前に立つ。しかし、男はアントンの説得など何も聞かず、再び一方的に暴力を振るった。アントンは このことで子供達に 暴力を恐れない自分の正しさを示したつもりだったが、子供達は ただ、信頼する人が 自分達の目の前で殴られる暴力への恐怖を体験することになった。

クリスチャンの古い家の作業小屋には、ずっと昔 亡くなったおじいさんが放置していた爆薬が沢山あった。クリスチャンは インターネットで爆弾の作り方を学び、爆弾を作る。エイアスの父アントンを侮辱して殴ってきた自動車修理工の車に 爆弾を仕掛けるためだ。暴力には暴力で対するしかない。エイアスの協力が要る。しかし気の弱いエイアスは どうしてよいか わからない。思い余って アフリカにいる父に ネットを通じて電話をする。すると、父は いつもの父ではなく うっすら涙を浮かべ 疲れているから息子と話が出来ない、と言う。そんないつもと様子が違う 気弱な父を見たエイアスは 父を傷つけた悪者を征伐しなければならない、と思い込み、クリスチャンと一緒に 敵の車に 爆薬を仕掛けることにする。
アントンはその日、難民キャンプで 幼い少女の命を救うことができなかったことで気落ちしていた。そこを、少女を傷つけた張本人 反政府軍のキャプテンが 怪我をしてアントンの部屋に 銃をもって押し入ってきた。アントンは 死んだ少女を侮辱して笑いものにする この男を 治療せずに キャンプ内にいる人々に引き渡したのだった。男は難民達によって撲殺される。アントン自身の暴力へのの強い信念が揺らぎ始めた。アントンは傷ついていた。

クリスチャンとエイアスは 車の下に爆弾を仕掛ける。しかし発火直前に何も知らない 女の子が近寄ってきたのを 止めようとしてエイアスは爆発とともに吹き飛ばされる。幸い エイアスは命を取り留める。クリスチャンは警察にも父親にもすべてを話して、エイアスの母親に許しを求める。しかし、母親はクリスチャンをなじり、責め立てることしかしない。
クリスチャンは それをみて エイアスは死んだと思いこんでしまった。
彼は、ひとり、死んだ母親のところに行こうとして ビルの屋上から飛ぼうとしているところを アントンに救い出される。
というお話。

10歳のころの子供達の 傷つきやすい魂が、痛ましい。孤独な少年達、エイアスとクリスチャンの傷の痛みがひしひしと伝わってくる。
信頼していた両親の離婚と、学校で毎日繰り返される いじめにあっているエリアスの孤独は、母親の死を受け入れられないで 平然を装っているクリスチャンの孤独と 同じだけ 深くて大きい。

しかし孤独で哀しいのは、少年達だけではない。
夫の裏切りを許せない妻も、アフリカで止むことのない暴力と 不合理な医療活動に押しつぶされそうなアントンも、そして 妻がガンで苦しみながら死んでいくのを見送ることしかできなかったクリスチャンの父親も みな大きな傷を抱えて生きている。

痛みや哀しみをうすめてくれるように、自然が 雄大で美しい。
アフリカの大地、どこまでも広がる砂漠、砂塵のなかを歩き続ける女達の色鮮やかな 衣装が目を瞠るほど美しい。
デンマークの海辺の町。
人は誰もが 疲れて帰ってくるところは 海辺だ。朝も、昼も夜も 葦の茂る湿地と、それの続く海 広くて大きなな果てのない海を眺めて、心を鎮める。

題材に 社会問題や深刻な民族問題を扱っているが、映像そのものは、美しい抒情詩のようだ。映像の美しさに 心を浸けるだけのために、観ることもできる。すぐれた映画だ。

2011年4月14日木曜日

ロシア映画「私がどうこの夏を終えたか」




ロシア映画「HOW I ENDED THIS SUMMER」を観た。
邦題がまだ わからないので、勝手に「私がこの夏をどう終えたか」と 直訳したが、「この夏」とか、「この夏に私に起こったこと」とか、「夏のおわりに」とか、いろいろな題が考えられる。もし日本で公開されることになって、邦題がついたら、タイトルを書きかえることにする。
2時間20分。
監督:アレクセイ ポポグレフスキー(ALEXEI POPOGREBSKY)
1972年生まれの 若い監督だ。

キャスト
パーシャ:グレゴリー ドブリジン(GREGORY DOBRYGIN)
セルゲイ:セルゲイ パスケパリス(SERGEI PUSKEPARIS)

ストーリーは
北極に一番近い シベリアの果ての小さな孤島。
数年前に原子核爆発実験が行われ 島が放射能で汚染されたため 住民は全員 避難し 移住させられている。
そこに 気象庁測候観測所の監視官セルゲイが 一人だけ残って 観測を続けている。この島に生まれ育ち 妻と息子を持ったセルゲイにとって、妻子だけは移住させても、自分が他の土地の移り住むことはできなかった。島は荒れ果て、ヘリコプターから投下される石油のドラム缶ばかりが荒涼としてひと気のない島に転々と転がっている。セルゲイはその石油で 一年中 夜の来ない北極に近い島で体を温め、投下された塩漬け肉を食べて生きて来た。必ず 毎日同じ時間に気象観測結果をラジオで送り、報告する。何の変化もない 規則正しい生活だ。ラジオから送られてくる 妻と息子からのメッセージを受け取ることだけが 彼の心のよりどころだ。

そこに、大学を立たばかりの青年 パーシャが 夏の間の数ヶ月を過ごしにやってくる。セルゲイは少々荒っぽいが、愛情をもって若い職員に仕事を教える。ミーシャは パソコンを持っていて、セルゲイが 手書きで観測結果を書きとめて、統計を作る時間の 半分の時間で 報告事項を作ってしまう。時間が余るとコンピューターゲームに興じている。セルゲイには それが 気に入らないが、ミーシャが間違ったデータを出す訳ではないから、叱りつけることができない。
妻と息子に送る毎日の伝言も、無骨なセルゲイが考える言葉より、ミーシャに聞いたほうが 気の利いたメッセージが送れる。

ある日 セルゲイが 数日間、ボートで向かい側にある島の浅瀬にやってくるアラスカマスを獲りに行っている間に、ミーシャは緊急連絡をラジオから受け取る。それは、セルゲイにとって、何よりも大切な妻と息子が入院した という知らせだった。恐らく 白血病で、ふたりは死の床にある。

何も知らないセルゲイが たくさんのマスを釣って、上機嫌で帰ってくる。セルゲイは、妻がいたらどんなにこの魚に喜んだだろうか、とミーシャに話して聞かせる。ミーシャはとうとう、セルゲイに緊急連絡を伝えることが出来なかった。この島にセルゲイのために、ヘリコプターは来ない。ヘリコプターが来るのは、ミーシャを迎えに来る時だけだ。
このときから、ミーシャは、セルゲイに対する罪の意識に苛まれる。

遂にセルゲイが事実を知ってしまった。ミーシャはセルゲイの怒りに、心底脅えて セルゲイにむかって銃口を向ける。そして、逃亡する。セルゲイと暮らした暖かい小屋から 無人小屋に逃げる。夏とはいえ極寒の戸外で 北極熊に追われ 震えながら過ごす。自責の念と ぬくぬくと暖かい小屋にいるセルゲイへの憎しみ、、。遂に いまだに熱を放熱している放射性物質に さらしたアラスカマスをセルゲイに食べさせる。

夏の終わり。パーシャを迎えに ヘリコプターがやってくる。パーシャは、どうセルゲイに謝罪してよいかわからない。自分は卑劣だったと思う。
しかし、セルゲイは しっかりパーシャを抱いて 見送ってやる。
というお話。

孤島に暮らすたった二人の男達の心理的葛藤がテーマになっている。
パーシャは 2メートルくらいの長身で美男子。ものすごく笑顔が可愛い。それに比べて セルゲイは 太ったおじさん。頑固一徹で 時代遅れの 几帳面なだけがとりえの観測官だ。セルゲイが仕事をしているあいだ、パーシャが アイポットでロックを聴きながら 飛んだり跳ねたり遊んでいる。そんな姿が とても可愛くて憎くめない。
それが段々、話が深刻になってくるに従って セルゲイの妻子への深い愛情、自分だけが死の島に残って仕事を続ける固い決意と責任感が わかってきて、セルゲイの男らしさに心が傾いてくる。
そして、そんな100%誠実なセルゲイを殺そうとまで思いつめたパーシャの卑怯な態度が許せなくなってくる。

圧巻はラストシーン。セルゲイの大きな体が か細いミーシャを包み込むように 万感の思いをこめて抱くところだ。ものすごく長い間、二人は抱き合っている。
セルゲイには妻と息子を避難させたときから妻子の死も 自分の死も避けがたいものとして すっかり受け入れていたのだ。言葉なしにセルゲイの決意、達観、そしてパーシャへの友情が、しっかり伝わってくるシーンだ。セルゲイは若いミーシャに 自分が無骨で不器用な男として死んでいく姿をしっかり伝え、希望を未来のあるミーシャに託したのだ。

登場人物 二人だけ。会話が極端に少ない映画。
読みようによって、解釈も違ってくるだろう。
自然が美しい。夜の来ない北極の夏。広大な大地と痩せた山々。北極熊がエサを探す姿、荒れる海。言葉がない男達の心理劇が、美しい自然の中で 繰り広げられる。
とても心動かされる映画だった。

私達人類は 原子力という本来人を殺す目的で開発された パンドラの箱を開けてしまった。開けられた以上、人類は破滅に向かって進むしかない。破滅のその日まで、私達はセルゲイのように 毎日変わらず、仕事に精を出し、家族を愛し、淡々として生きていくしかない。ただ、残念なことは、私達にとって未来を託せるミーシャが居ないことだ。ヘリコプターはいつまでたっても来ない。

2011年4月13日水曜日

赤毛のアンの手作り絵本




外国の小説を読むことの面白さの中に お話の中に出てくる料理や食材やお酒で 私たちの生活にはないものが出てきて それを想像しながら読むということがある。
イヤン フレミングの007シリーズも 登場人物のお酒に対するこだわりがおもしろくて、しばらくドライマテイニとか ジンに凝ったことがある。「ナルニア物語」で、弟が砂糖菓子を もらいたいばかりに 氷の女王に魂を売り渡してしまうシーンがあるが、このお菓子をシドニーで見つけたときには 躊躇なく買って味わってみた。

「赤毛のアン」は、孤児だったアンが 、マシュウとマイラ老兄妹に引き取られて グリーンズゲイブルの彼らの家で 家事を習い、学校に行って、大人になり 恋をして結婚してたくさん子供を産んで、、、というお話だが、小説のなかに、沢山のカナダのケーキや 家庭料理が出てきて、おいしそうな本だった。本の中に出てくる料理や御菓子や キルトや手芸品を絵本にしたのが、この本「赤毛のアンの手作り絵本」だ。

とても美しい3冊の本。大好きだった。
鎌倉書房から出版されたのが 1980年。とても大切にしていたのに、結婚された方に差し上げてしまった。以来、もう一度手に入れたいと、ずっと思っていたが、鎌倉書房が倒産して手に入らなくなった。諦めて もう二度と見られないのかと思っていたが、白泉社から 1995年に再版されて 2006年に増版されたものが 手に入った。とても嬉しい。母親から娘に渡されて 読み継がれている ロングセラーなのだろう。

がっしりして重い 料理と手芸の本。写真とイラストと説明とで成り立っている。1ページごとに 美しいテーブルセッテイングに料理やお菓子の写真があって、開きのページには アンのイラストと関連するストーリーのエピソードが載っている。後半は、その作り方の詳しい説明や型紙が載っている。それぞれのページの見出しが楽しい。たとえば、「アン ハリソンと友達になる ピンク砂糖で飾ったお手製のくるみ菓子」、「アンとダイアナの寄付金集めで、いかにもカナダ風なおいしいテイーブレッド」、モーガン夫人 突然あらわれる ピンチを救ったバーリー家の鶏の煮物」、「ブレア氏のエプロンといちごのレアケーキ」、「「子どもの好きな鶏ごはんとフルーツサラダの献立」、「アンとダイアナ少女時代にもどる、ダイアナを魅了した悪魔のチョコレートケーキ」、「アンの可愛い天使達、女の赤ちゃんのためのピンクのベビーふとん」などなど。

城戸崎愛が料理とお菓子、上田園子のパッチワークとアップリケキルト、北道万里江の洋裁、竹沢紀久子のフラワーアレンジメント、広川ますみの料理と手芸、松浦英亜樹、石垣栄蔵のイラスト。
とてもとても素敵な本だ。料理や手芸の本はいくらも出ているが これほど内容が ぎっしりつまって充実した それでいて美しい本はほかにはない。
むかしむかし大好きだった本が30年ぶりで手に入って とても嬉しい。
というわけで、今夜は「アンとマイラ二人の生活、マイラと楽しむサーモンステーキデイナー」と「メアリーおばさん、住み着くが あったかいうちに食べたいミルクシチュー」。

2011年4月7日木曜日

池上永一の「テンペスト」を読む



池上永一は 1970年、沖縄那覇市生まれ、石垣島育ち、早大在学中に、沖縄を舞台にした小説で認められ、注目されてきた若手の作家。
作品に「バガージマヌパナス」、「風車祭」、「夏化粧」、「シャングリア」、「レキオス」、「やどかりとペットボトル」などがある。

先週 読んだのは「テンペスト」上下巻と「トロイメライ」の3冊。
「テンペスト」は、おもしろいと評判になって、堤幸彦の演出で舞台化されて、新歌舞伎座で、公演されている。
「テンペスト」は、琉球版「ベルサイユの薔薇」とでも言おうか。真鶴という美貌で頭脳明晰な女性が 当時は女が学問することが許されていなかったので 男装して学問を修め 琉球王国の尚真王に仕えるというお話だ。

ストーリーは
19世紀 琉球王朝 第18代国王 尚育王の時代。
孫家の父は 琉球王の後継者争いに負けて今は ただの役人だが、いつかは息子を王家に上げて 王から権力を奪い 王家を復活させたいと願っている。男子の誕生ばかりを願って 生まれる前から孫寧温という名前をつけていた。しかし 妻の命を引き換えに 生まれてきたのは女の子だった。
父の落胆にも関わらず 娘の真鶴は 学問が好きで学んで知識を得ることが楽しくて仕方がない少女にだった。硫歌、孟子、荘氏 漢詩に外国語まで、知識欲は留まることを知らない。当時厳禁されていた英語やオランダ語を 唯一琉球に伝道のために来ていて拘束されていた英国人宣教師から 密かに教わっていた。
男装して私塾に入り 学問を重ねて 年に一人登用されるかどうかわからない という難関試験を経て ついに琉球政府の役人として王に仕えることになった。時に13歳、史上最年少の官士だった。

年少で小柄ながら 知識が豊富で13ヶ国語を話し、決断力のある寧温は 次々と降りかかってくる外交問題を解決して めざましい活躍をする。琉球政府は 大国清国とは 冊封体制を取っており 年一度 冊封子が 輸出品を持って来た時は最大のもてなしをして 圧力に負けず 対等な貿易をした。また、一方では薩摩藩に支配されており 島津から役人を迎えて 良好な関係を維持していた。琉球のような小国が、どの国の植民地にもならないように済むためには、清国とも薩摩藩とも等間隔の距離を置き 上手に外交することが不可避だった。

しかし寧温は 清国から秘密裏に入り込んで政界を汚染していた阿片とそれに関わっていた政府関係者全員を処分したり、思い切った財政緊縮政策を取った為、他の閣僚達からは恨みをかった。さらに、清国から追放されて来ていた臣官が、内部撹乱を目論んでいることを知り口封じするはずが、殺してしまい、断罪されて八重山に流刑の憂き目に会う。

八重山でも政敵に狙われて、逃げ延びた先で九死に一生を得て、農家の老婦に拾われる。ここでは女の子として育てられ、機織をして暮らすうち、那覇から尚泰王の側室探しに来た役人の目にとまる。王の妻は、子供に恵まれなかったため、国中で側室を探していたのだった。側室の条件は 美貌や品格だけでなく高い教養が必要だった。真鶴は その点 漢文で読み書きできるだけでなく日本の詩歌にも 琉歌にも優れていたため、難なく、何百人の候補の中から、側室に選ばれる。

ぺリーが艦隊をつれて 琉球を訪れた。ペリーとの交渉のために 王朝政府は 是が非でも寧温が必要になった。尚泰王は、急遽 八重山に使いを出して寧温の名誉回復、政府への帰還命令を出す。
困ったのは、真鶴だ。一人二役を演じなければならなくなった。真鶴は側室として女性ばかりの館に住まいながら、朝になると役人になって寧温として出勤しなければならない。しかし、寧温の巧みな外交術によって ペリーとの交渉は 琉球国としての面目を保つことができた。ペリーら一行は 琉球のあと、浦賀に向かい、江戸幕府に開国を迫る。近代日本の幕開けだ。

しかし、一人二役はいつまでも続けることはできない。
遂に寧温が 真鶴という側室であることが明るみに出てしまい、真鶴は地位を剥奪されて城から追放される。そのとき真鶴は 尚泰王の赤子を抱いていた。保護された寺で子育てが始まる。明という名前をつけられた男の子は 母親の真鶴に負けず劣らず利発な子供で 早くから読み書きを憶え、学問好きの子供に育っていった。

しかし、時は 明治12年。琉球処分として、熊本から帝国陸軍の大軍が来襲。首里城が明け渡され、尚泰王は 東京に連れ去れていった。
真鶴は 空となった首里城王宮に明を連れて忍び込み、これが最後と知って、明を王座に座らせ、国王任命の儀式をするのだった。
「1879年 琉球王国は沖縄県となった。」で、この物語が終わる。

沖縄はむかし3年間 住んだ。娘達が幼稚園から小学校2年戦まで過ごした土地なので、特別に愛着がある。守礼の門のわきにある城西幼稚園、城西小学校に通っていたので 竜たん池や首里城は毎日の遊び場だった。
首里は、那覇の喧騒と庶民の生活臭から離れ、坂を上り石畳を登っていった高台にある。城の歓会門、久慶門まで石段を登っていくと 素晴らしい眺めだ。この小説のラストシーン 琉球処分で、あわただしく王家が東京に拉致されたあと、残った寧温が 息子を幻の尚家の国王として王座に座らせるシーンは感動的だ。

ペリー来日、徳川政府の終焉、日本開国、近代日本の幕開けと天皇を中心とした集権国家のはじまりも、沖縄の側からみれば「琉球処分」の一言に尽きる。視点を変えて日本の歴史を捉えることに、小説は成功している。
清国からの冊封子を歓会門から通し、薩摩からの役人を久慶門から通して、ペリーが港の借款契約を取ろうと圧力をかけても応じないで どの国からも独立した琉球王朝を存続させてきた琉球の外交戦略が、とてもおもしろかった。

それにしても 彼の悪文には悩まされた。
たとえば
「同じ頃、表の世界にいる花当の嗣勇は、美貌に磨きをかけていた。王府の高官たちを次々と手玉にとって着実に出世の道を切り開いていく嗣勇は琉球のシンデレラだ。ただし計算高いのが玉に瑕だけど。--花びらが枯れてしまう前に次のステップを考えておかなければならないのは、時代を超えたホステスの悩みだ。」
とか
「王宮にはふたつの顔がある。昼間は政治の中枢として知的な顔つきをしているが、夜は紅をさす貴婦人に変わる。もともとは王宮は男装の麗人なのだ。」
などとある。
???

文章は まず言っている事に矛盾がなく文体に無理が無いのでなければ すんなりとは読めない。描写するためには表現力が必要だ。残念ながら文才は誰もが持って生まれてくるわけではない。生まれつきスポーツが得意な子がいたり、絵をかくのが上手な子が居るのと同じように 文才も生まれて付いて来る。努力によって補うことは出来るが 努力で文才を得ることは出来ない。この作家の文章には格調も品格も文法の正しい使い方もない。テレビ文化の中で育って現代っ子の会話調。あらかじめ映画化されたり漫画化されることを念頭において書いている。しかし、おもしろい。それで良い。
 
以前娘達とテレビを見ていたら、ひどく美しい少年が、極端に音程が狂っているのに マイクをもって平気で歌を歌っている。それを指摘したら、娘が ビジュアル系だから、それでいいのだ、という。びっくりしたが、そうか、、、それでいいのか。なるほど。
だから、この小説も ビジュアル系ということで、、、これで良いのだ。
おもしろいのだから。

2011年3月31日木曜日

ピーター ウェヤー監督




ピーター ウィヤーは オーストラリア人の映画監督。
日本で言うと 黒澤明とか、篠崎正浩みたいな存在か。オージー映画の代表作を作っている偉大な そして現役で活躍している監督だ。紹介したばかりの 映画「ザ ウェイ バック」が彼の最新作。シドニー生まれ、シドニー大学卒の67歳。

代表作は
1975年:「ピクニック ハンギンロック」
1981年:「誓い」
1989年:「いまを生きる」
2003年:「マスターアンドコマンダー」
2011年:「ザ ウェイ バック」

「ピクニックハンギングロック」は、
1967年、ジョーン リンジーによる同名の小説の映画化で、ミステリーだ。
1900年 メルボルンの名門 クラウド女学院の生徒達が 恒例のピクニックに、景勝地ハンギングロックに行った。19人の生徒達と教師2人は、昼食のあと、休んでいたが、そのうちの3人の生徒が 岩山に登って そのまま帰ってこなかった。岩のクレーターに落ちて 帰れなくなったのか、誘拐されたのか、山の神隠しにあったのか、、、。地元の人々や警察の懸命の捜査にも関わらず 3人の少女はそのまま失踪してしまった。
美しい山々の景色と、両家の子女達の優雅で美しい白いドレス姿、これにパンパイプの音響効果で、ミステリー効果抜群の怖さだ。山の霧とともに 美少女たちが 音もなく消えていく。山の神秘的な姿と、不思議なパンパイプの不思議な音が とてもとても怖い。画面では殺人も 怖い男も 何も出てこないのに、どの恐怖映画よりも怖い。
いまでも メルボルン方面を旅する人は この景勝地ハンギングロックにハイキングに行くことができる。入り口のハンギングロック博物館に入って、行方不明になる追体験もできる。

「誓い」は、
1981年 原題「ガリポリ」。これはオージーにとって、特別な作品だ。
第一次世界大戦 トルコのガリポリで イギリス軍の判断ミスのためにイギリス軍指揮下にあったオーストラリアとニュージーランドの志願兵が1万人以上 無駄に戦死させられた。当時オーストラリアは 欧州の戦争の どこからも遠く離れていたにもかかわらず 自分達の祖先であるイギリスに忠誠を誓うため 進んで若い人々が志願し参戦した。しかしガリポリでは、トルコ兵が 機関銃で陣地を作って待っている前線を 歩兵が突撃するという誤った作戦のために 1万人余りの兵が ほぼ全滅した。このイギリス軍の命令によって文字通り意味のない戦死を強いられたことが、契機になって オージーのイギリス離れが起き、オーストラリア人としての自覚と愛国心が芽生える契機になった。
毎年4月25日の開戦記念日には、オージーたちは 年よりも若い人も 大きな集団になって戦死者に祈りをささげるために ガリポリまで出かけていく。去年は1万人余りのオージーが トルコもこの小さな岬を埋め尽くした。オージーにとってガリポリは 愛国心の拠り所なのだ。
そのガリポリの戦いを描いたのが この映画で、メル ギブソンの出世作でもある。戦争映画の傑作中の傑作だ。何度観ても 観終わったあとで ふつふつと戦争への憎悪と怒りが湧いてくる。とても優れた反戦映画だ。

でもわたしがピーター ウィアーの映画のなかで 一番好きなのは「いまを生きる」。
1989年、原題「デッド ポエット ソサイテイー」(DEAD POET SOCIETY)。ロビン ウィリアム主演のアメリカ映画。
1959年 ニューイングランドの、名門カレッジであるウェストンアカデミー。この全寮制の男子校は、イギリス式の厳しい校則のもとに 学問を究め、卒業後は政財界の主流を占める優秀な人材を育てる。校則になじめない生徒や 勉強で優秀な結果を出せない生徒は どんどん辞めさせられる。生徒と先生と卒業生は3身一体の強い絆で結ばれている。
そんな高校に ちょっと風変わりな、元卒業生という 国語教師(キーテイング)が赴任していきた。校則を守らない。イギリス近代詩の授業で 定型詩の作り方を述べた部分を破り捨てるように言う。教室の机の上に靴のまま 皆を立ってみさせて、そこから見た視点の違いを大切にするように、と言う。授業中にフィールドでラグビーをして汗を流す。校庭を歩きながら 詩を読ませる。そして自分の心が感じる詩を描けと言う。
生徒達は 驚きあきれながらも キーテイングが来てから 活発で生き生きとした心を持ち始める。

キーテイングに触発された生徒達のグループが「デッド ポエット ソサイテイー」という名前をつけて 寮を抜け出して秘密の集会を持つようになった。森の中の洞穴が集会場所だ。そこで禁止のタバコを吸ったり、雑誌を読んだりする。勿論 見つかれば退学だ。
しっかりもので優秀な二ールは いつもいじめられっ子だったトッドと寮で同じ部屋だ。二人は キーテイングに 強烈な刺激を受けた。二ールは、学期終了前の学内劇で、シェイクスピア「真夏の夜の夢」のパックを演じた。劇が成功して、二ールは 自分を自由に表現することの喜びを知る。そして父親に 将来役者になりたい と申し出る。一人息子が伝統校で学び、将来を政財界で活躍することを期待していた父親は 激怒して、二ールを退学させて 陸軍士官学校に強制入学させた。ニールは、芝居をもう二度と演じることが出来なくなったことを悲観して自殺する。
学校側は ニールの自殺は 教師キーテイングに強く影響されたためだ と断じて過激思想犯のキーテイングを退職させる。デッド ポエット ソサエテイーは崩壊した。
キーテイングが学校を去る日、学校側はキーテイングと生徒達を接触させようとしない。黙って去っていくキーテイングに、尊敬と信頼をこめて いつも弱虫だったトッドが机の上に立った。後に続いて 何人もの生徒達が机の上に立つ。そして去っていくキーテイングを見送った。

魂が自由であることの大切さが描かれている。
伝統、良家の子弟 全寮制といった制約のなかで、自由な心をもって芸術を愛することを教えた ひとりの教師の意志と 不幸な結果がただただ痛ましい。型破りな教師を最後まで慕う生徒達の澄んだ目が美しい。ラストシーンで 泣かずにいられない。
昔のことだが、この映画は、死んだ夫がどうしても見たいと言い出したので フィリピンに赴任中だったが里帰りして 東京で観た。ふたりの娘達は 当時10歳と11歳。映画館に慣れていなかったので最後まで見てくれるかどうか心配したが、誰よりも娘達が熱心に この映画を観た。10歳なり11歳なりに 感じるところがあったのだろう。そのことが、とても嬉しかった。
ホイットマン、キース、ゲーテ、シェイクスピアの 美しい詩が 映画のなかで いくつも読まれた。

「マスター アンド コマンダー」は
あまりよく憶えていないので 映画の説明はしないが、船のキャプテン、ラッセル クロウと船医のポール ベタニーが 長い航海のあいだの退屈しのぎに ヴァイオリンとチェロで二重奏するシーンが何度も出てきて それがとても良かった。エリート貴族の気品あふれる格調高い雰囲気のなかで、楽器を介して 男同士の友情が確かめ合う姿がまぶしい。美しい映像に バロック音楽が合わさって とても贅沢な映画だった。

ピーター ウィラーの作品のそれぞれに類似性はない。ひとつひとつの作品が独立した趣をもち、全くそれぞれが異なったテイストで仕上がっている。
監督として多作とはいえない。でも、こんな才能豊な監督が 居てくれて嬉しい。まだ若い。これからも 良い作品をみせて貰いたいと思っている。

2011年3月28日月曜日

映画 「ザ ウェイ バック」




ナショナル ジェオグラフィック協賛の 実話をもとにして作られたイギリス映画。原作は 1956年に発表された サルボミール ラビチェスの自伝的小説「THE WAY BACK」。

1940年 シベリア グラグ流刑地。
ポーランド軍士官、ヤヌスはロシア軍に捕らえられ 拷問を受ける。スターリン独裁政権下、ドイツ侵略によって分断されたポ-ランド人、政治犯、ロシア国内の極悪犯罪者、ユダヤ人などが、次々とシベリアに送り込まれた。ヤヌスは コミュニストのスパイをしていた嫌疑で逮捕されたが、証言台に引き出された妻の証言によって、シベリアに送られた。シベリアで流刑者たちは 森の木々を伐採し、鉱山で石炭を掘る強制労働を強いられた。宿舎の劣悪な環境と、過酷な自然環境の中で、流刑人の死は日常のことだった。

ヤヌスは シベリアに着いた その日から脱走する計画をたて、信頼できる仲間を探し始めた。収容者たちは 食料を隠し持ち、タバコを密輸し、博打もする。収容者の中でも 極悪犯罪者のギャングの力が大きく支配していた。
強制労働に就いて ある日、森の木の伐採に出かける途中 激しいブリザードに遭い、行進させられていた流刑人たちが、次々と低体温で道端に倒れて死んでいく。このままでは 全員が凍死するしかない という生死の際で、 アメリカ人の流刑人スミスが 警備陣が止めるのを聞かず 隊列から出て、森の中に避難する。残りのヤヌスや警備員達も スミスに従って森の木々をかき集め ブリザードをやり過ごして延命することが出来た。これを機会に スミスとヤヌスを中心に 信頼できる仲間が結束する。

収容所の電気を供給するジェネレーターは いったん止まると 回復するまでに10分かかる。この10分間は収容所を囲む外柵の電流も止まる。電灯も止まるから 監視は収容者の姿を監視することができない。この10分に 柵を越えて どこまで逃げられるかに、脱走が成功するか、失敗して銃殺されるかの 生死がかかっている。激しいブリザードの夜、ジェネレーターが止まり7人の男たちが脱走した。

アメリカ人で技師のスミス(エド ハリス)、ポーランド軍士官だったヤヌス(ジム ストラジェス)、ロシア人極悪犯罪者バルカ(コリン フェレル)、コサック兵だったヴォス(グスタフ スカースガード)、ちょっと頭の弱いカバロ(マーク ストロング)、料理人で絵がうまいゾーラン(ドラゴス ブカー)、最後のひとり ポーランド人は逃亡に成功したものの凍死する。ヤヌスは その墓に立ち、収容所で死ぬのではなく自由になって死んだ青年に 祝福の言葉を捧げて 皆は逃亡の旅を急ぐ。一行の食料は少ない。バイカル湖に向かって、先を急がなければならない。

湖まで数百キロ。飢えと寒さを乗り越えて 湖に着く。そこで一行は一人の少女が 後をつけてきていることに気がつく。飢えて彷徨っていた少女の名はエレーヌ(サイオアス ロナン)、彼女はポーランド人で コミュニストだった両親を殺され、孤児院に入れられ そこで性的に虐待を繰り返されるのに耐えかねて逃亡してきたのだった。エレーナが加われば 彼女に乏しい食料を分けなければならない。それは、6人の男たちの生死に関わることだった。しかしエレーナを振り切って男たちは 立ち去ることができない。幼い少女がたどってきた過酷な境遇を知ったからだ。しかしエレーナの軽い足取りや、小鳥のように男たちの間を飛びまわって語りかける姿は 男たちの心に、忘れていた安らぎをもたらせてくれた。
一行7人は バイカル湖を後に ロシアとモンゴルの国境をめざして歩く。モンゴルに入れば自由になれるはずであった。

しかしスターリニズムはモンゴルにまで波及していた。中国共産党勢力は モンゴルにまで及んでいたのだった。国境で、ロシア人バルカ(コリン フェレル)は ひとりロシアに残ると主張して 皆と別れる。重罪犯とは言え、ロシアへの愛国心を捨てることができなかったのだ。

6人は モンゴルから万里の長城を越えて、タクラマカン砂漠を横断して、チベットを経てインドまで逃れる。これがヤヌスの道程だ。あわせて6500キロメートル。これを徒歩で行かなければならない。 
タクマカラン砂漠で エレーナが倒れる。飢えと乾きの果てに、エレーナは男たちに見守られながら死んでいく。料理屋で絵のうまかったゾーランも死んでいく。残った4人の男たちは 何度も死線を彷徨いながら 砂漠を徒歩で越え、チベットに至る。
ここで チベットから中国に入りアメリカ軍に合流するというスミスを置いて、残りの3人は ヒマラヤを越えてインドに入り 占領国のイギリス政府によって、保護される。1年かけて、男たちは自由を求めて、徒歩で6500キロメートルを走破したのだった。
というお話。

監督:ピーター ウィアー
キャスト
ヤヌス:ジム ストラジェス
スミス:エド ハリス
バルカ:コリン ファレル
カバロフ:マーク ストロング
ゾラン:ドラゴス ブカール
ヴォス:グスタフ スカルスガード
エレーナ:サオイアス ロナン

自然の映像が素晴らしい。ナショナル ジェオグラフィック協賛だけのことはある。黒々として深いシベリアの森、ブリザード、そしてバイカル湖の大きさ。360度黄土の広がるタクラマカン砂漠、チベットから見るヒマラヤの山稜の輝き。
ヒマラヤが雄大に空に聳える その岩山を 粗末な衣類を身にまとい、履き古した軍靴で足を踏みしめていく。自然の大きさのなかで豆粒のような大きさに見える男たちが 一歩一歩 助けあって進んでいく姿が感動的だ。カメラワークが素晴らしい。

「ラブリーボーン」で、変態男に殺されてしまう小さな少女を演じたサオイアス ロナンが 暗い男ばかりの映画で 花をそえている。可憐で 涼しげで可愛らしい。この一輪の花のために 飢えて生き延びることしか頭になかった男たちのなかに、急に人間らしい感情が流れ出す。無口で 自分のことを決して語らなかったアメリカ人、おそらくスパイだったと思われるスミスの冷たい目が、少女に出現で目に優しさがもどってくる。そういった男たちの心の変化が画面で 巧みに表現されている。さすが、ピーター ウィラーは うまい。

ヤヌスはどんなことがあっても 妻の待つ家に 帰らなければならない。自分は拷問を受けても罪を認めなかったが 妻の証言によって 政治犯としてシベリアに送られた。妻は一生 夫を権力に売り渡したことで 自分を責めるだろう。恐らく妻も拷問されて 夫を裏切らずにいられなかった。だから、自分が妻のところに戻って 自分が受けた罰など 何とも無い、妻は許されている、私たち夫婦は何ひとつ壊されてはいないのだ ということを 伝えてやらなければならない。そう信じて帰ろうとする 信念の強さに感動する。

この映画は、6500キロを歩いて強制収容所から自由を求めて脱出した勇敢な男たちの物語。観終わった後に 過酷な戦争への怒りにふるえ、それを乗り越えようとする人間の力強さに、心打たれる。

2011年3月25日金曜日

スウェーデン映画「ミレニアム 眠れる女と狂卓の騎士」




スウェーデン映画「ミレニアム 眠れる女と狂卓の騎士」を観た。
日本ではずっと前に 3部作全部が一緒に 公開になって、もうブルーレイも出ているようだが、シドニーでは 一つずつ公開されて、第一部、第二部を観てから 1年近く待って第3作をやっと いまやっと劇場で観ることが出来た。

「ミレニアム」3部作の最後の作品。第一作「ドラゴン タトゥーの女」と、第2作「火と戯れる女」に続く第3作だ。
世界中で 1000万部以上売れに売れたベストセラー小説を 映画化したもの。残念なことに この作家ステーブン ラーソンは 作家として油の乗り切った時に 若くして2004年に亡くなった。
映画でマイケルを演じたマイケル ナクビストは スウェーデンで人気の 日本で言えば 高倉健のような人だったが 映画のおかげで 世界のマイケルになったし、主役のノーミ ラパスは ハリウッド女優なみの扱いを受けるようになってしまった。スウェーデン作家によるスウェーデン映画であるところが良い。しかし、この3部作の映画での成功を見て、ハリウッドが 別の俳優を使って同じ映画を作るようだ。2番煎じもいいところ。ハリウッドが そんなオリジナリテイーに欠けることをしてはいけない。
キャスト
リズベット サランダー:ノーミ ラパス
マイケルブロンクビスト:マイケル ナクビスト

ストーリーをおさらいする
リスベットは14歳で 性暴力で自分や母を虐待してきた父親に ガソリンをかけて火をつけ 焼き殺そうとした。その罪で精神病院に送られるが、ここでもベッドに1年以上 拘束されたまま 精神科医によって 性的虐待を受ける。成人してからは またしても後見人からサディステイックな虐待を受ける。エリザベットは 理解者も信頼すべき友人もない中で一人で生きて行かなければならなかった。
彼女はコンピューターハッカーとして天才的 特異な才能をもっていた。企業の秘密を ハッカーして盗み出すプロとして、生活するようになった。
病的なナチ信奉者による連続女性猟奇的殺人事件を追求していたジャーナリスト「ミレニアム」紙の マイケルと、コンピューター上で知り合い、マイケルはリスベットの協力を得て 事件を解決する。マイケルとリスベットの間には 男女の愛情を越えた友情が芽生えはじめた。
ここまでが第1部。

リズベットの後見人が殺された。
死体の横には りズベットの指紋のついた銃が落ちていた。また同じ時期に「ミレニアム」の編集記者とその妻が 残忍な殺され方で殺された。死体から出てきた薬きょうは リズベットの後見人が殺されたのと同じ銃から発射されていた。殺された記者は ロシアマフィアの人身売買について、記事を書いていたが、そのレポートも奪われた。
リズベットは警察から指名手配され、殺された記者の書いたレポートを探し求めるマイケルの身にも危険が及ぶ。そこでわかったことは、ロシアマフィアの大元は リズベットが14歳の時に 殺そうとした実の父親:ザラだった。ザラは スウェーデンの政治家や ビジネスのトップ達に 人身売買で連れてきた東欧の女性を手配したり、ぺデファイルの生贄を供給していた。ザラとその息子は リザベットを消そうとする。警察に追われながら、リズベットは ザラたち、ロシアギャングからも逃げつつ、復讐を試みる。しかし遂に ザラに捉えられ 頭や体に6発の銃弾を受け地中ふかく埋められる。リズベットは 死に物狂いで 穴から這い出して さらにザラにナタで襲い掛かり復讐しようとして 駆けつけたマイケルに救われる。警察は傷だらけで瀕死のリザベットと ザラを逮捕するが、兄を獲り逃す。
ここまでが第2部

病院でザラは スウェーデンの高官から口封じのために殺される。リズベットも、同じ殺し屋から追われるが、マイケルの機転で助けられる。彼女は後見人と「ミレニアム」紙の記者とその妻を殺した容疑に加えて、ナタで父親に襲い掛かり大怪我をさせた容疑で 裁判所に引き出される。自己弁護しなければならない身になって、彼女は自伝を書き始める。マイケルはそれを出版することになった。何故子供のときに 父親にガソリンをかけて殺そうとしたのか、精神病院のベッドで何があったのか、また後見人からどんな虐待を受けていたのか、、、リズベットの過去が明らかになる。マイケルは法廷で 公安警察とともに、ロシアマフィアに汚染されたビジネストップや政府高官たちの 腐敗した姿を明らかにする。
リズベットに判決がおりて、、、
と ここで第3部も終結する。

世界1の福祉国家 スウェーデン。表向き 静かで平和な社会に はびこる腐敗と汚職、汚れた金と異常な性愛、権力者たちの いびつな欲望。スウェーデンの「いま」を映し出している。
何にも恐れず ちゅうちょなく頭から危険に飛び込んでいく リズベットの向こう見ずな行動力と 絶対負けない気力がすごい。
子供の時から これでもかこれでもか と虐待されて、性的に貶められて傷だらけになりながらも 精神は全く打たれない。小柄なひとりの女性が ロシアマフィアや政府高官たち、ビジネスのトップの面々、暴力団、バイクギャング、プロの殺し屋 すべてを敵にまわして 平然と自分の足で立っている。パワフルで、力強い。勇気つけられる。

トサカヘアーにメタルルックス。鼻や唇にいくつものピアス。高いブーツに ぴったりのレザースーツ、「キッス」並みの化粧、アッと驚くパンクファッションに包まれた やわらかい心の傷。触れば血が噴き出してくる生傷を抱えて しかし決して打たれない。そんなリズベットの姿に 女性なら みな共感を覚えるだろう。心から あたたかい拍手を送らずにいられない。

2011年3月20日日曜日

アシュケナージ指揮で庄司紗矢香を聴く



折りしも空前の大地震と津波が日本の東海岸を襲った日の翌日、3月12日、日本の若手のヴァイオリニスト:庄司紗矢香が シドニーオペラハウスでメンデルスゾーンを演奏した。

このときは、まだ 私たちには地震、津波の被害状況が よくわかっていなかった。津波が北東海岸を襲う テレビニュースの様子に胸を痛めながら、東京の父や兄弟の安全は確認できたが、全体の被害状況は ほとんどわかっていなかった。
大地震のニュースに ニュージーランドのクライストチャーチで 救助に当たっていた日本の消防署の方々が急遽帰国し、ジュリア ギラード オーストラリア首相が、日本に60人の災害救助隊を送る約束をしたばかりだった。

ウラジミール アシュケナージが NHK交響楽団のあと、シドニーシンフォニーオーケストラの常任指揮者になって3年目になる。今年も彼がいくつものコンサートで棒を振る。現役のピアニストとして活動を続けながら オーケストラの指揮をしていて、彼の包容力のある人柄が オージーたちを魅了している。去年と今年にかけて、彼は精力的に シドニーシンフォニーで マーラーの交響曲全曲を公演して、収録している。

プログラム
メンデルスゾーン ヴァイオリンコンチェルト ホ短調
マーラー交響曲第7番 ホ短調「夜の曲」

この日 シドニーオペラハウスは 満員、3000人余の席が埋め尽くされていた。メンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルト ホ短調は とてもよく知られた曲で、ヴァイオリンを弾く人なら一度は弾いたことがある 美しい曲だ。演奏したのは 地震と津波被害のあったばかりの日本から来た、可愛らしいお嬢さん。オージーの標準体格からすると中学生くらいにしか見えない小さな女の子が 驚くほど大きく 豊かな音を出してオージー達を感動させてくれた。
演奏が終わると オージーは 熱狂的に拍手をした。10分くらい 拍手が止まらなかった。庄司紗矢香は、何度も舞台を引っ込んだり 出てきたりしてお辞儀をして去って行った。
ちょっと あっけなかった。観客の大歓声と 鳴り続く拍手に対して、なにか一言 あるいは短いアンコール曲があっても良かった。

庄司紗矢香は、1999年パガニーニ国際コンクールで日本人初 史上最少年で優勝したバイオリニスト。現在28歳。
ズビン メタに見出されイスラエル ハーモニックでパガニーニのCDを収録している。独逸ケルン音楽大学を出て、主にヨーロッパを根城に音楽活動をしているそうだ。
この日のコンサートのチケットを手に入れたのは 去年の9月。
日本の25年住んでいないので、若手の音楽家のことは知らないが、彼女のことは映画「4」で知っていて、是非聴きたいを思っていた。

映画「4」とは、ヴィバルデイの「四季」を4人の若手のヴァイオリニストに弾かせて それぞれの奏者が住む国の季節を捉えるという映画だった。このときの「冬」を弾いたのは フインランドのペッカ グスト。ペッカが大好き。好きで好きでたまらないので、この映画を何度も観た。フィンランドの深い雪のなかを音楽仲間達とふざけて走り回る彼の姿と、彼の透明なフィンランドの空気が透けて見えてくるような 滑らかで艶のある 豊かな音色に 心を奪われずにいられない。
映画の中で 庄司紗矢香は 「春」を弾いた。少し前のものだが 彼女のメンデルスゾーンを 貼り付けておく。
http://www.youtube.com/watch?v=dskvPJdRDoE

さて、休憩をはさんで第2部 マーラー。
交響曲の中でも 一番長くて、色彩が豊かで いろいろな表情をもった曲、第7番「夜の歌」。
第5楽章まである。
とても楽しいシンフォニーだ。彼の曲には物語りがあり、曲の経過とともにストーリー性があって、テンポも曲想も変わっていく。最初にしっかりした構造があって、そこにメロデイーが入っていく古典派とは全く異なった構造を持っている。シンフォニーになかに、声楽が入り 歌曲とシンフォニーとの境目など全く無視している。シンフォニーオーケストラの音に まったくそぐわない音:マンドリンとギターを組み入れる。転調がめまぐるしくあって、テンポも自由自在に代わる。多調、無調というか、転調を繰り返し 緩急自在にテンポを変化させた。それが楽しい。

マーラー(1860-1911)オーストリア人は 作曲家としてよりも指揮者として有名だった。ライピチッヒオペラハウスを始めとして、ウィーン宮廷オペラハウス、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団、ニューヨークフィルハーモニックなどで常任指揮者だった。10のシンフォニーを書いたが 最後のシンフォニーは未完のままで亡くなった。彼のような 前衛的なロマン派の作品が演奏されるようになったのは 1970年以降だ。
指揮者にとっては マーラーのように 自由で古典的制約のないシンフォニーは、それを生かすも殺すも指揮者次第になるので、とても棒の振りがいがあるだろう。
アシュケナージは、ヨーロッパの歴史ある重厚で慇懃で暗いオーケストラでマーラーをやるのでなく、あっけらかんとして明るくて、順応性のあるシドニーシンフォニーに出会って、マーラーを取り組みたくなったのだろう。とても楽しいマーラーだった。
14のヴァイオリン、13のセカンドヴァイオリン、10のヴィオラ、10のチェロ、7のコントラバスに 30人のフレンチホーン(5)を含む金管木管吹奏楽器、それと6人のパーカッションがいて、様々な音を作っていた。コンサートマスターは デイーン オールデイング。彼独特の少し金属的な でも優しい音がよく響いていた。

マーラーは シンフォニーは世界を祝福するものであるべきだ と信じていたそうだ。その言葉どおり明るくて高らかに鳴り響き 聴いている人を幸せな気分にさせてくれる。

地震、津波、そして被爆と、悲しいニュースばかりで、音楽は それらに対して何の力ももっていない。
しかし、音楽は心をひとつにし、人間らしい情感を取り戻す力を持っている。こんなときに音楽、、、でもこんなときだからこそ音楽に耳を傾けたい。 

2011年3月16日水曜日

地震 津波 そして被爆

わたしたちは 充分原子力発電所設置に反対してきただろうか?
圧倒的な死者の葬列にむかって
何も言うべき言葉が見つからない

活断層の上に立つ55基の原子力発電所
世界第2位までに登りつめたことのある日本の経済力をささえた
日本の35%の電力を賄った原子力発電に
わたしたちは いつもNOを言い続けてきたはずだった
それが未来のクリーンエネルギーだと誰も信じていなかったはずだ

金曜日の午後 日本を地震と津波が襲い
政府は 最初の記者会見で 死者3名 原発に被害はない と公表した
いま日本政府が記者会見をするたびに、ABCやSBS記者たちは、「日本政府の発表にどのくらい信憑性があるか疑問です」という言葉を付け加えることを忘れない

各国大使館が、東京から大阪に避難移動する という
大阪なら大丈夫か と誰もが疑心暗鬼だ

メルトダウンした福島原発第1、第2、第3、第4は 永遠に封鎖されなければならない と識者は言っている
すべての原発をシャットダウンさせるべきだ
株が急落して円を支えることが出来ない
日本経済はどん底まで落ちる
再生への道は 原発すべてを封印することなしにあり得ない

2011年3月11日金曜日

オペラ 「カルメン」を3Dで観る




イギリスロイヤルオペラシアターのオペラ公演「カルメン」が、ハイデフィニションフィルムに収められて、それを3Dで立体的に観ることが出来た。
「なに、それ?」「アバターやシュレクやアリスワンダーランドなら わかるけど どうして古典オペラを 3Dで観なくちゃならんのか?」と言われそうだが、実際行って見て これがとても良かった。

日本でも 映画配給会社がこのような舞台ライブのフィルムを 映画館で公開しているようだ。オペラだけでなく、歌舞伎や文楽のフィルムもあるようで、うらやましい。
地の果てのような 南半球のオーストラリアに暮らしていて、ニューヨーク メトロポリタンオペラや、ロンドンのロイヤルオペラシアターのライブを観ることが出来る贅沢が とても嬉しい。映画館の大画面で観られるだけでなく、幕間の休憩時間に 舞台裏で働く人を カメラが追って見せてくれるサービスも嬉しい。時として 出演者にプラシボ ドミンゴが インタビューするのを見せてくれたりもする。大サービスだ。

3Dで観たのは ビゼーのオペラ「カルメン」。本物の オペラオーストラリアが演じた舞台は ひと月ほど前に観たばかりで 報告を2月10日の日記に書いた。これが2006年 コベントガーデンで初めて好演されて大好評だった舞台を基にしているので 3Dで観た ロンドンの舞台と ほとんど同じだった。でも お金のかけ方が 2倍も違う。ロンドンの舞台の方は、少年合唱団など 40人以上 使っているが オーストラリアの舞台では、12人だった。出演者の数が断然 ロンドンの方は多い。衣装や道具も ずっとお金がかかっている。やっぱ、本家は違うんだ、、と 再認識させられて、ちょっと くやしい。

3Dフィルム というのは 右目用と左目用の映像を高速で交互にスクリーンに映し出して 特殊眼鏡をかけて 片方ずつしか見えないようにすることで 映像を立体的に感じさせる技術だ。初めの頃は きれいな色が出せないとか、立体的と言われれば 立体的かな?というくらいで、あまり特別な感じは しなかったが 序序に画面の質が良くなってきている。
3Dしか見られない 大型の3Dテレビが売りに出されて、自宅で3D映画が楽しめるようになったが 学校関係者や幼児専門医療関係者は 子供の目の成長に良くないので 3Dテレビは買わないように というキャンペーンをしていた。確かに 幼児に距離感がわからなくなるような映像ばかりを見せていたら 危険だし良くないだろう。

さて、オペラの舞台を3Dで観ると どう見えるのか。
自分の目から舞台までの距離が 無くなる。自分の手の届くような近さでオペラが繰り広げられる。舞台が私だけのためにある、よう。舞台を独り占めしている感じだ。
接写カメラのおかげで、表情はよく見えるし、カルメンの涙が 頬を伝い 鼻水が落ちそうなところまで見える。ドン ホセのひげの剃り残しまで はっきり見える。
特殊眼鏡をかけているから、隣や前の人が見えないので、他人が居ないも同然。ふつう、舞台を観ていると 前の人の頭が邪魔だったり 咳やクシャミをする人がいて 腹が立つが、そんなことは 見えないので全く気にならない。
舞台では フランス語のオペラを英語字幕が舞台の上に出てくるので 見上げて字幕を読みながら 舞台を観るので 首が疲れるが フィルムだと 映画のように 画面下に字幕がつくので観やすい。
普段の舞台では、オーケストラは 舞台下に隠れていて暗いので 指揮者の頭くらいしか見えないが、序曲のときは、オーケストラの奏者達を ひとりひとり しっかり写して見せてくれて、どんなに質の良い音を出しているかが ちゃんと見られる。指揮の指揮の仕方が華麗で とても感動的だった。

監督:ジュリアン ナピエール
キャスト
カルメン :クリステイン ライス
ドン ホセ:ブライアン ハイメル
ミケーラ :アリス アリギリス
エスカミリオ:メイヤ コバレスカ

カルメンのメゾソプラノを歌ったクリステイン ライスは黒髪の美女。素足でタバコ工場で働く姿は、野性的で実に魅惑的、最後のころエスカミリオの恋人になって闘牛場に向かう正装した姿は貴婦人のようだ。とても魅力的でパワフル。一頭の馬に エスカミリオと二人で乗って登場する姿は 立派で美しい。
エスカミリオのバリトンが とても通る 太い声で、堂々として力強い。何度も馬に乗って舞台に出てきて しっかり演技もして、歌も歌う。満足度95%のエスカミリオだった。
肝心の ドンホセ。ブライアン ハイメルの よく伸びてよく通るテノールが とても良かった。
 
コンサートはCDを買わず コンサートホールで聴く。映画はDVDを観ないで 映画館で観る。オペラは 舞台でしか観ない。そう決めている。
しかし、優れたオペラを 質の良いフィルムで よく編集された画面で しかも3Dで観ることが、こんなに楽しいことだった とは知らなかった。
新しい発見だ。誰にも邪魔されず 自分だけの舞台を独占して、至上の時を過ごした。

2011年3月5日土曜日

ヒラリー スワンクの映画 「コンヴィクション」

劇場で映画が始まる前に 近いうちに上映予定の映画の前宣伝をいくつか見ることが出来る。それを見ていると 是非観たい作品と、もう宣伝フィルムだけで内容も感触もわかってしまったからもう充分、という作品とに分かれる。 宣伝用のフィルムを見ただけで 涙があふれて仕方がなくて、公開を心待ちにして、観たのが この映画「コンヴィクション」だ。原題「CONVICTION」、有罪宣告という意味。実話を映画化したものだ。

ストーリーは
兄ケリーと 妹べテイアンとは とても仲の良い兄妹だった。マサチューセッツの田舎で、二人は 泥まみれになっていつも遊んでいた。母親はシングルマザーで6人子供を産んだが、その父親が全部ちがう父親だった というような生活環境。妹思いのケニーは 妹が悪いことをしても いつも叱られたり 責められたりするのは兄の役割だと思っている。ケニーは どんなことがあっても 小さな妹を体をはって守り通してくれた。 小さな町で二人は成長し、それぞれ家庭を持ち、子供をもった。そんな二人の兄妹の関係に 転機が訪れる。

1983年、静かな小さなこの町で、強盗事件が発生する。未亡人が殺され、家が荒らされた。 寝耳に水のケニーの逮捕。物証が何もないのに、二人の女の証言だけで ケニーは 殺人犯として、終身刑を言い渡される。 そんなことがあって良いはずはない。べテイアンは、どんなことがあっても 監獄から兄を救い出す決意をする。

まず、べテイは高校卒業の資格を取り、大学に入り 法学を勉強し始める。小さなバーで働きながら、昼夜なく働き、彼女は勉強を続ける。兄の無実を証明したい一念だ。夫が去り、二人の子供達は 母親の不在に不満のやり場がない。 べテイアンは 遂に弁護士の資格を取り、兄のケースを再審に持っていくための仕事にとりかかる。18年たっていた。時に DNAテストが 警察で事件の証拠として認められるようになり 殺人事件当時の証拠とされていた血痕が ケニーのものではないことが証明された。べテイアンは、協力者を得て、ケニーの無実を立証していく。あとは、二人の当時の証人を探し出し、証言をひるがえさせることだ。そして、二人の証人の偽証が明らかになる。
人生の一番幸せだったときに 逮捕され、終身刑を言い渡されたケニーに 遂に無罪が、、、
というお話。

監督:トニー ゴールドウィン
キャスト
べテイーアン ウォーター:ヒラリースワンク
ケニー ウォーター   :サム ロックウェル
ナンシー テイラー警部 :メリッサ レオ
友人弁護士       :ミニー ドライバー
友人弁護士       :ピーター ガラシャー
ケニーの娘       :アリ グレイノール

本当のお話だけに迫力がある。「ヒラリー スワンクのがんばり」に終始する映画だが、彼女が演じる「強い女」はピカイチだ。涙をこらえて キリッと前方を見据えて しっかりした足取りで歩く。勇敢だ。 彼女は クリント イーストウッド監督の「ミリオンダラーベイビー」で、アカデミー主演女優賞を取った。ハングリーで自分の決めたことは 絶対に譲らない。他の女優には演じられない。この映画は この女優なしには成功しなかったと思う。

汚い手で 女達に偽証をさせて、自己保身にはしる女警官役を演じた、メリッサ レオは、「ファイター」で、クリスチャン べイルの母親役で、つい先週発表された今年のアカデミーで、助演女優賞を取った。カメレオンのように どんな役にも自分を合わせて 器用に演じることのできる女優だ。

感動的な実話なので その強烈な事実に引きずられて、心動かされるが 映画としては 人物の心象風景の描き方や ケニーとべテイアンの心理に立ち入って描かれていない。子供時代の回想シーンも、クリント イーストウッドが監督していたら もっと子供達の生き生きとした世界が描けていただろう と残念に思った。いろんな場面で、何かが足りない気がして仕方がなかった。

しかし、事実の重みに心動かされ 勇気つけられる。18年間の彼女の努力。自分は家族のためにこれだけのことが出来るだろうか。 映画に感動して、涙を枯らしたあとで、映画の最後のテロップを読んで、観ていた人はもう一度 泣く。
泣かずにいられようか。
事実は 残酷だ。

2011年3月2日水曜日

リアン ニルソンの映画 「身元不明」



映画「身元不明」、原題「UNKOWN」を観た。

アクションスリラー映画 アメリカ ワーナーブラザーズ製作。
監督:ジャゥメ コレット セラ
キャスト
ドクターマーチン ハリス: リアン ニーソン
妻 リズ        : ジャヌアリー ジョンズ
ジーナ タクシードライバー:ダイアン クルーガー
マーチン ハリス その2: エイデン クイン

ストーリーは
科学者ドクターマーチン ハリス(リアン ニーソン)は 学会に参加するために 妻のリズ(ジャヌアリー ジョンズ)を伴い ベルリンにやってきた。ベルリンは初めてだ。
二人は 曇り空、雪がちらつく寒い空港から タクシーに荷物を積み込んで ホテルに向かう。しかし、ホテルに着いたときに マーチンは パスポートや 学会で発表する原稿の入った一番大事なアタシュケースを タクシーに積み残して、空港に残したまま来てしまったことに気がついて、あわてて、別のタクシーで 空港に戻る。

気が動転しているマーチンは、女性のタクシー運転手(ダイアン クルーガー)に 無理を言って 空港への近道を走るように頼み込むが、運悪く交通事故にあって 車は河に転落、マーチンは命は助けられるものの 昏睡状態で病院に運び込まれる。3日後、マーチンが昏睡から覚めたときには、自分が誰であるのか思い出せない。自分を証明するものは 何ひとつ身につけていない。不思議なことに ホテルで自分を待っているはずの妻や アメリカ大使館やベルリン警察から 行方不明の届出が出ていない。自分を探している人はいない。自分は 一体誰なのか わからない。

病院のベッドで テレビを見ていると、学会が開催されるニュースが報道された。これを見て にわかに 自分が学会のために来ていた事と、妻を残してきたホテルの名を思い出す。ドクターが止めるのも聴かず、マーチンは 病院を抜け出してホテルに急行する。
しかし5年余りの間 愛し合ってきたはずの妻は、マーチンを見て 知らない人だ と言う。そして妻に寄り添っているのは、見たこともない男だ。その男は ドクターマーチン ハリスだと名乗り、パスポートを見せる。パスポートの横には 妻を抱いた男の写真が貼ってある。
全く同じ所で撮影した妻を抱いた写真を マーチンは自分のパスポートケースに持っていた。しかしパスポートは アタシュケースとともに、失くしてしまった。マーチンは自分を証明することができない。

混乱しているマーチンに、プロの殺し屋が追ってくる。病院に戻ったマーチンのところにも 殺し屋が追ってきて、次々と自分を保護してくれる職員が殺されていく。安全なところは どこにもない。マーチンはジーナ(ダイアン クルーガー)という 事故にあったときに 乗っていたタクシードライバーに助けを求める。彼女は ボスニアから違法難民で、ベルリンでは不法労働者だった。二人は、年老いた私立探偵に出会う。彼はむかしのヒットラー時代のSSの生き残りだ。強力な この探偵の裏コネクションで調べた結果、マーチン ハリスが他の男に取って代わられた裏には、巨大な組織があることを突き止める。マーチンはジーナを伴って 逃げ回りながら、自分は誰なのか、殺し屋は何を狙っているのか、突き止めなければならない。

ことの真相がわかりかけてきた私立探偵は 消される。ジーナの友達も まわりにいる人たちも次々と殺されていく。追われながら 自分が誰なのか探し求めるマーチンに わかったことは、、、
というお話。
スリラーなので、その先は言えない。入り組んだスパイ劇なので、ちょっと考えなければストーリーが読めなくなる。それだけに おもしろい。

「シンドラーのリスト」、「72時間」(原題TAKEN)、「Aチーム」のリーアン ニルソンが大活躍する。彼の巨大な骨格、鼻筋が通った高い鼻と うすい唇、、外観からすると怪力ロボット、殺人マシーンのような役柄が ドクターマーチンの役に似合う。
私生活では 長年連れ添った奥さんの ナターシャ リチャードソンを 2009年のカナダモントリオールでのスキー事故で亡くしたばかり。
「72時間」では、誘拐された娘を取り戻す為に、刑事から情報を得ようと、好意的で親切にしてくれる刑事の妻を ちゅうちょなく平気で撃つシーンには驚いた。彼に笑顔は似合わない。無表情に じゃんじゃん敵をやっつけていく。アクション映画は、どんどんスピードを増し、残酷さを上回っていく。息つくひまもない。沢山の人が死に、たくさんの建物が壊れ、車も家も燃え上がる。

ダイアン クルーガーが可愛い。罪もないのに、たまたま男を助けた為に 複雑な事情に巻き込まれ 友人を殺され 自分の命まで狙われて 何度も何度も死線を潜り抜けなければならない。クロアチア難民という役柄なので ぎこちないアクセントで英語をしゃべる舌足らずが可愛い。

オーストリアの人気テレビ番組「インスペクター レックス」で ストックナー刑事を演じている役者カール マルコビックが リーアン ニーソンが入院した病院のドクター役で出ている。これが嬉しかった。ドイツ人の とても良い役者なのだ。インスペクター レックスでは、レックスという立派で賢い警察犬に いつも命を助けられるドジな刑事役だけど、彼が主役のドイツ映画「ヒットラーの贋札」では、彼の役者としての良さを証明してくれた。
この映画では ちょい役というか端役。こんなとき「カール マルコビックがカメオだった、、」という英語の言い方をする。カメオは小さな貝殻や象牙に彫刻を施した芸術品で 指輪やネックレスになる。そんな小さくて よく手をかけた宝石のような存在。彼がこの映画に出ていたために映画全体が引き締まって良くなったので 彼はカメオみたいだった。

この映画 スリルとサスペンスに、ミステリー謎解きが加わっておもしろい映画に仕上がっている。
日本公開は5月7日だそうだ。