2011年4月14日木曜日

ロシア映画「私がどうこの夏を終えたか」




ロシア映画「HOW I ENDED THIS SUMMER」を観た。
邦題がまだ わからないので、勝手に「私がこの夏をどう終えたか」と 直訳したが、「この夏」とか、「この夏に私に起こったこと」とか、「夏のおわりに」とか、いろいろな題が考えられる。もし日本で公開されることになって、邦題がついたら、タイトルを書きかえることにする。
2時間20分。
監督:アレクセイ ポポグレフスキー(ALEXEI POPOGREBSKY)
1972年生まれの 若い監督だ。

キャスト
パーシャ:グレゴリー ドブリジン(GREGORY DOBRYGIN)
セルゲイ:セルゲイ パスケパリス(SERGEI PUSKEPARIS)

ストーリーは
北極に一番近い シベリアの果ての小さな孤島。
数年前に原子核爆発実験が行われ 島が放射能で汚染されたため 住民は全員 避難し 移住させられている。
そこに 気象庁測候観測所の監視官セルゲイが 一人だけ残って 観測を続けている。この島に生まれ育ち 妻と息子を持ったセルゲイにとって、妻子だけは移住させても、自分が他の土地の移り住むことはできなかった。島は荒れ果て、ヘリコプターから投下される石油のドラム缶ばかりが荒涼としてひと気のない島に転々と転がっている。セルゲイはその石油で 一年中 夜の来ない北極に近い島で体を温め、投下された塩漬け肉を食べて生きて来た。必ず 毎日同じ時間に気象観測結果をラジオで送り、報告する。何の変化もない 規則正しい生活だ。ラジオから送られてくる 妻と息子からのメッセージを受け取ることだけが 彼の心のよりどころだ。

そこに、大学を立たばかりの青年 パーシャが 夏の間の数ヶ月を過ごしにやってくる。セルゲイは少々荒っぽいが、愛情をもって若い職員に仕事を教える。ミーシャは パソコンを持っていて、セルゲイが 手書きで観測結果を書きとめて、統計を作る時間の 半分の時間で 報告事項を作ってしまう。時間が余るとコンピューターゲームに興じている。セルゲイには それが 気に入らないが、ミーシャが間違ったデータを出す訳ではないから、叱りつけることができない。
妻と息子に送る毎日の伝言も、無骨なセルゲイが考える言葉より、ミーシャに聞いたほうが 気の利いたメッセージが送れる。

ある日 セルゲイが 数日間、ボートで向かい側にある島の浅瀬にやってくるアラスカマスを獲りに行っている間に、ミーシャは緊急連絡をラジオから受け取る。それは、セルゲイにとって、何よりも大切な妻と息子が入院した という知らせだった。恐らく 白血病で、ふたりは死の床にある。

何も知らないセルゲイが たくさんのマスを釣って、上機嫌で帰ってくる。セルゲイは、妻がいたらどんなにこの魚に喜んだだろうか、とミーシャに話して聞かせる。ミーシャはとうとう、セルゲイに緊急連絡を伝えることが出来なかった。この島にセルゲイのために、ヘリコプターは来ない。ヘリコプターが来るのは、ミーシャを迎えに来る時だけだ。
このときから、ミーシャは、セルゲイに対する罪の意識に苛まれる。

遂にセルゲイが事実を知ってしまった。ミーシャはセルゲイの怒りに、心底脅えて セルゲイにむかって銃口を向ける。そして、逃亡する。セルゲイと暮らした暖かい小屋から 無人小屋に逃げる。夏とはいえ極寒の戸外で 北極熊に追われ 震えながら過ごす。自責の念と ぬくぬくと暖かい小屋にいるセルゲイへの憎しみ、、。遂に いまだに熱を放熱している放射性物質に さらしたアラスカマスをセルゲイに食べさせる。

夏の終わり。パーシャを迎えに ヘリコプターがやってくる。パーシャは、どうセルゲイに謝罪してよいかわからない。自分は卑劣だったと思う。
しかし、セルゲイは しっかりパーシャを抱いて 見送ってやる。
というお話。

孤島に暮らすたった二人の男達の心理的葛藤がテーマになっている。
パーシャは 2メートルくらいの長身で美男子。ものすごく笑顔が可愛い。それに比べて セルゲイは 太ったおじさん。頑固一徹で 時代遅れの 几帳面なだけがとりえの観測官だ。セルゲイが仕事をしているあいだ、パーシャが アイポットでロックを聴きながら 飛んだり跳ねたり遊んでいる。そんな姿が とても可愛くて憎くめない。
それが段々、話が深刻になってくるに従って セルゲイの妻子への深い愛情、自分だけが死の島に残って仕事を続ける固い決意と責任感が わかってきて、セルゲイの男らしさに心が傾いてくる。
そして、そんな100%誠実なセルゲイを殺そうとまで思いつめたパーシャの卑怯な態度が許せなくなってくる。

圧巻はラストシーン。セルゲイの大きな体が か細いミーシャを包み込むように 万感の思いをこめて抱くところだ。ものすごく長い間、二人は抱き合っている。
セルゲイには妻と息子を避難させたときから妻子の死も 自分の死も避けがたいものとして すっかり受け入れていたのだ。言葉なしにセルゲイの決意、達観、そしてパーシャへの友情が、しっかり伝わってくるシーンだ。セルゲイは若いミーシャに 自分が無骨で不器用な男として死んでいく姿をしっかり伝え、希望を未来のあるミーシャに託したのだ。

登場人物 二人だけ。会話が極端に少ない映画。
読みようによって、解釈も違ってくるだろう。
自然が美しい。夜の来ない北極の夏。広大な大地と痩せた山々。北極熊がエサを探す姿、荒れる海。言葉がない男達の心理劇が、美しい自然の中で 繰り広げられる。
とても心動かされる映画だった。

私達人類は 原子力という本来人を殺す目的で開発された パンドラの箱を開けてしまった。開けられた以上、人類は破滅に向かって進むしかない。破滅のその日まで、私達はセルゲイのように 毎日変わらず、仕事に精を出し、家族を愛し、淡々として生きていくしかない。ただ、残念なことは、私達にとって未来を託せるミーシャが居ないことだ。ヘリコプターはいつまでたっても来ない。