2011年5月15日日曜日

久坂部羊の小説3作を読む




医師でありながら物を書く人は多い。
医療現場に身を置くよりも 小説家として成功している人の中には 森鴎外、夏目漱石、北杜夫、斉藤茂太、なだいなだ、渡辺淳一、藤枝静雄、大鐘稔彦などが居る。
人の生と死に立ち会う医療従事者には 他の職種に就く人よりは、人生について言うべきもの、語らずにいられないものを 抱えることが多いからかもしれない。

久坂部羊の小説を読んだ。
1:「無痛」
2:「破裂」上下
3:「廃用身」2003年 デビュー作
以上3作。
作者は 大阪大学医学部卒、小説のほかにエッセイ「大学病院のウラは墓場」、「日本人の死に時」などがある。小説というかたちで、現在の日本の大学病院のかかえる問題、特定の教授が強権を持ち、医局で若い医師達が押しつぶされる姿や、患者をもとに教育、修練しなければならないため患者の人権が無視される医療状況などが 小説の背景に しっかり描かれている。
山崎豊子の小説「白い巨塔」が 発表されたのが1963年だが 未だに何ひとつ変わらないのが 大学病院の現状だろう。この作家は 益々厳しくなる 現状を背景にしながら「人間」が描かれている。とても 優れた力を持った作家だと思う。

1:「無痛」
神戸で幼い子ども2人を含めた一家4人が極めて残酷な方法で惨殺されていた。現場からは凶器のハンマーや 犯人のものと思われる帽子や靴跡など 遺留品が多かったが 警察の捜査は難航した。
事件から8ヵ月後 この事件は自分がやった と精神障害児童施設の14歳の少女が告白し、事件現場で発見された帽子には彼女の髪が残されていた。心を閉ざしている少女と会話できるのは 心理療法士の菜見子だけだ。警察は色めき立つ。しかし、菜見子が頼りにする 一見風采の上がらない街医師 為頼は、彼女を一見しただけで犯人は彼女ではない と考える。
ではこれほど 無残な殺人をやってのける人間は 何物なのか。 生来痛みを持たない特殊体質:先天性無痛症で、尖頭症の知的障害を持った 井原という男が大病院で 白神院長のもとで働いている。痛みが理解できないので 他人を思いやったり、人と共感したり同情したりすることがない。白神の命令に絶対服従するが 命令がどんな意味を持つものか、理解する知性はない。病気を持つ人は必ず 外見も変わってくる。注意深く観察すれば人がどんな病気をもっているかわかる、と断言する為頼は、井原が内包する素質を外見だけで見抜いて事件を追っていく。
というお話。
医学知識が豊富な人が書くミステリーは 持たない人が書くものよりも数段 おもしろい。

2:「破裂」
医師の誤診によって 一度は絶望の底に突き落とされたことのある新聞記者、松野は医療過誤を告発しようとして、聞き取り取材をするうち、若い麻酔医 江崎と出会う。江崎は硬直化した大学病院の独裁体制に嫌気がさしていた。心臓手術で父親を失くした娘 枝利子は 父親は手術のミスで死んだのではないかと疑い 手術を主導した香村助教授を訴えるために、松野と江崎に助けを求める。
香村助教授は いったん心筋梗塞で破壊された心筋を 活性化させて蘇生するという画期的なぺプタイド療法を開発していた。しかしこの画期的な治療法は 深刻な副作用を抱えていた。患者が治療を受けて、すっかり元気になったころに突然何の予告もなく心臓が破裂して死亡するのだ。
一方、厚生省の実力者、佐久間は 今後老齢化する日本の老人社会のなかで、老人が苦しまずに突然死する 香村のぺプタイド療法が老人の究極の望みだとして、香村を巻き込んだ老人対策を進めようとする。しかし、それをかぎつけたマスコミによって アイデアは潰される。
「日本はどうなっていくのか。佐久間のような非情なやり方以外に 日本を救う道があるのか。ひょっとして佐久間は日本の危機を回避する唯一の切り札ではなかったか。」で 終わる。

3:「廃用身」
神戸の老人専門病院で働く医師、漆原は、麻痺して回復の見込みのない手足は切断するべきだ、と考えている。脳卒中などで麻痺して、いくらリハビリを続けても回復しない手足がなくなれば、本人にとっては、残った健康な手足だけで移動したり日常生活するのが楽になる。介護者にとっては 体重が減って 扱いやすくなって、介護が楽になる。いたずらにリハビリを続けて 動かない手足:廃用身を嘆くことよりも、物理的に楽になり 痺れやだるさから解放され、気持ちの上でも前向きになれる。
しかし廃用身の切断は、健康保険では認められないため、手術理由を 感染とか別の理由をつけて行わなければならない。しかし患者からも家族からも漆原の治療は信頼を得ていた。
患者にも家族にも好評だった、漆原医師による手足の切断が、しかし、マスコミに取り上げられて、老人虐待だと 断定される。
マスコミ主導の世論にたたかれて、漆原は「頭はわたしの廃用身」という遺書を残してレールを枕に横たわり 首を轢断されて自殺。妻も赤子を抱えて電車に飛び込んで亡くなる。
「このケアについて語れば 真近に迫った介護破綻に目をむけざるを得ない。彼が命を賭してまで問いかけたことを見過ごしてはいけない。彼は老人医療の先駆者だった。人々は漆原氏の慧眼をしるだろう。」
で終わる。

「廃用身」では、介護を必要とする年寄りと家族が少しでも楽になる方法を 漆原ドクターに語らせる。彼は「一般常識」を唱えるマスコミが操作した世論によって 破滅させられたが、彼の主張に矛盾はない。時代が変われば 新しい「一般常識」になり、認知されることではないだろうか。これが老人問題の ひとつの回答であることは、確かだ。
「破裂」では、現在はタブーになっている「安楽死」の問題が課題になっている。いずれ オランダのように、日本も安楽死を認めざるを得なくなってくるだろう。
そのうえ、生きる目的をなくした老人が、死ぬその日まで元気でいて、心臓破裂によって苦しむことなく突然死する という選択を望む老人も少なくないだろう。老人問題は年寄りの問題でも、若者の問題でもある。硬直した人権や クリスチャン的な人道主義を標榜しても始まらない。
おもしろい。
この作家の今後の活躍に期待する。