2011年5月17日火曜日
オーストラリアで見るユーロビジョン
普段は ニュース以外にテレビを見ないが、この週末は ユーロビジョン ソング コンテストがあったのでテレビ浸けだった。
ユーロビジョンは 60年の歴史を持つ 歌のコンテストで テレビの最長長寿番組であり スポーツを除いては ヨーローッパで最大の国境を越えた祭典だ。 今年は43カ国が出場した。
オーストラリアは ヨーロッパから遥かに離れていて、出場権も投票権もないのに、人々はこの番組が大好きだ。 ユーロビジョン コンテストを見ることは、ヨーロッパの現代史を見ることでもある。60年の間には 東西冷戦、軍による圧制、侵略、戦争 テロがあり、今でも平和とは言えない紛争が続いている。
日本にいるときは これを知らなかった。日本に居たときは 世界中の国の人が野球をやっているのかと思っていたが、野球はマイナースポーツで、「世界3大スポーツの祭典」といったら、オリンピックと サッカーワールドゲームと ツアー デ フランスだった。歌も、アメリカっぽいロックやヒップホップがメジャーかと思っていたら、ユーロビジョンが一番の人気だった。 こういうことは 日本を出てみないとわからなかった。
ユーロビジョンは 1950年代に 第二次世界大戦後の復興の一環としてヨーロッパの国々が共同でエンタテイメント番組を作るという目的でできた。最初に大会は スイスのルガーノデ開催、まだ 衛星放送はないからマイクロ波中継でテレビ放映された。参加国は それぞれ代表を選出し、視聴者からの投票数で優勝国を決める。
1国1歌手の代表。曲は3分以内。生で歌われ、バックトラックに声を入れてはならない。バックコーラスは3人まで許される。参加国のテレビ中継は その国の公共放送で放映される。視聴者は自国以外の国に票を入れなければならない。投票が最多得点を得た国が優勝、トロフィー以外に特に何も与えられない。
などのルールがある。
ここで生まれた世界のヒットソングがたくさんある。1956年の「ボーラーレ」。ボーラーレ ウオウオウオウオーーーという曲は日本でも流行った。1974年のアバ、「ABBA」の登場は たちまち世界中にセンセーションを起こした。また1974年の セリーヌ デイオンの登場も華々しい。
ドイツを隔てていた東西の壁は ぶち破られたが、それ以前は 東欧はユーロビジョンを見ることは規制されていた。しかし人々は「ユーロビジョン秘密パーテイー」をして、業務用や家庭用のアンテナを使って 政府が厳しく禁止するなかを テレビを見ることで抵抗していたのだ。
アイルランドは、ユーロビジョンで 7回優勝をして優勝最多国だが、1970年 毎日のようにダブリンで IRAの爆弾が爆発し、北アイルランドが火を吹いていたときに 優勝者ダナが 北アイルランドンに行って優勝歌を歌うことに、深い政治的抵抗の意味があった。ジョニー ローガンは2回出演して、2回とも優勝している。
フィンランドは スターリン圧政下のあっても、ユーロビジョンに代表者を送り続けた。1979年 ポーランドもブルジネフ体制になって出場。
1968年にはスペイン代表は 長きにわたるフランコ軍事独裁体制下、抑圧されていたカタロニア出身の歌手が、土地の歌を歌って、ヨーロッパ中の支持を得た。
1968年 英国のクリフ リチャードが出現して 当時ではかっこ良い、今では とても恥ずかしい身振り手振りで スローロックを歌った。
バルカンでは ユーゴスラビアは ボスニアヘルツエコビナと クロアチアとスロベニアに分かれ、それぞれが代表を送り込む。ロシアから分かれた エストニア、ラトビア、リトアニアも、それぞれが代表を送る。
参加国は毎年増え続けている。
独立国とは名ばかり、内政をロシアが牛耳っていたウクライナが、2004年には優勝する。これは感動的だった。
ウクライナ代表のルスラナは、闘士でもある。自分で作詞作曲した「ワイルドダンス」という歌を 編み上げブーツ、黒髪にバンダナ、スパルタカスのようなローマ戦士のいでたちでヘビーロックを 飛んだり跳ねたり ギタリスト達を足蹴にして肩に登ったり 広い舞台を自由自在に駆け巡り ものすごいボリュームの声量と激しいダンスのパフォーマンスで、文句なしの優勝をした。その後、彼女はロシアの繰り人形の大統領を拒否し ルシェンコ大統領を立て オレンジ革命の活動家として活躍する。
2006年のフィンランド代表 ローデイが優勝したときは おもしろかった。このときフィンランドは45回参加し続けていて、初めての優勝。スターリン影響下にあっても ユーロビジョンに代表者を送ることで ソビエト政府に抵抗してきた国。歌ったローデイは ヘビーロックグループで、当時話題の映画 指輪物語「ロードオブザ リング」に出てくる怪物の姿。ロックバンド「キッス」にも太刀打ちできない異星人の迫力。記者会見にも決して素顔を見せないバンドの面々だった。ヘビーロックの押しの強さでトロフィーを掻っさらって行って、痛快だった。
2009年のノルウェー代表者のアリャクサンドル ルイバークは史上最高の得点で優勝。歌いながらヴァイオリンを弾き、それが何とも民族的で土の香りのする激しく情熱的な曲だった。ヴァイオリンも美しい音。テレビの画像でもわかるほど、激しく弾く弓から 馬の尻尾の毛が切れて飛んでいた。彼はゲイ。本当にチャーミングな歌手だった。彼の優勝も痛快。
2010年はドイツのレナ マイヤー ランドリート。これにはびっくり。黒髪の19歳の女の子が ちょっと音程をはずしながらヒョロヒョロ歌う。どうしてこんな少女が優勝を、、、とあきれたいたら、2011年今年のドイツの代表でも彼女が出てきて 不安定な音程で歌って再びびっくりさせてくれた。
2011年今年の優勝者は アゼルバイジャンのエルダル ガスモフとニガル ジャマルの男女のカップル。可でもなく不可でもなく といったところか。女性歌手の方が イギリス在住とわかって、規約違反を問われている。
今年の代表で印象に残っているのは、フランス代表のアマルイ ヴァシリ。彼は コルシカ出身 ナポレオンが生まれたイタリア領にある小さな島。コルシカ独特の言語を持つ。長身、美形の彼が コルシカ語で素晴らしいテノールを聴かせてくれた。彼自身が魅力的だったがそのような少数民族の言語をもつ歌手を国の代表に送り出すということが嬉しかった。
各国の投票数をみていくと興味深い。視聴者は自分の国には投票できない。すると 多くは隣の国々に投票するのだ。あれほど憎みあっているポルトガルが スペインに最多投票をし、スペインがポルトガルに。トルコがギリシャに多数票を入れ、ギリシャがトルコに票を。セルビアモンテネグロが スロベニアに票をいれ、クロアチアまでもが。
驚くのは、このあいだロシアが戦闘タンクで侵略した ジョージアが ロシアに多数票を入れたことだ。
政治を地図の上でしか理解できない わたしは これが 理解できなくて、混乱した。
親兄弟が隣の国に殺されて、政治的には、憎い。しかし同じ文化を共有し、同じ音楽を聴いて育った人々は、同じ音楽に歓び 哀しみを見出す。まさに、「音楽に国境はない」のだ。
歌に国境はない。それが ユーロビジョンを見て 改めて知らされて、衝撃を受けている。
写真は
フランス代表のアマルイ ヴァシリ