2011年3月31日木曜日

ピーター ウェヤー監督




ピーター ウィヤーは オーストラリア人の映画監督。
日本で言うと 黒澤明とか、篠崎正浩みたいな存在か。オージー映画の代表作を作っている偉大な そして現役で活躍している監督だ。紹介したばかりの 映画「ザ ウェイ バック」が彼の最新作。シドニー生まれ、シドニー大学卒の67歳。

代表作は
1975年:「ピクニック ハンギンロック」
1981年:「誓い」
1989年:「いまを生きる」
2003年:「マスターアンドコマンダー」
2011年:「ザ ウェイ バック」

「ピクニックハンギングロック」は、
1967年、ジョーン リンジーによる同名の小説の映画化で、ミステリーだ。
1900年 メルボルンの名門 クラウド女学院の生徒達が 恒例のピクニックに、景勝地ハンギングロックに行った。19人の生徒達と教師2人は、昼食のあと、休んでいたが、そのうちの3人の生徒が 岩山に登って そのまま帰ってこなかった。岩のクレーターに落ちて 帰れなくなったのか、誘拐されたのか、山の神隠しにあったのか、、、。地元の人々や警察の懸命の捜査にも関わらず 3人の少女はそのまま失踪してしまった。
美しい山々の景色と、両家の子女達の優雅で美しい白いドレス姿、これにパンパイプの音響効果で、ミステリー効果抜群の怖さだ。山の霧とともに 美少女たちが 音もなく消えていく。山の神秘的な姿と、不思議なパンパイプの不思議な音が とてもとても怖い。画面では殺人も 怖い男も 何も出てこないのに、どの恐怖映画よりも怖い。
いまでも メルボルン方面を旅する人は この景勝地ハンギングロックにハイキングに行くことができる。入り口のハンギングロック博物館に入って、行方不明になる追体験もできる。

「誓い」は、
1981年 原題「ガリポリ」。これはオージーにとって、特別な作品だ。
第一次世界大戦 トルコのガリポリで イギリス軍の判断ミスのためにイギリス軍指揮下にあったオーストラリアとニュージーランドの志願兵が1万人以上 無駄に戦死させられた。当時オーストラリアは 欧州の戦争の どこからも遠く離れていたにもかかわらず 自分達の祖先であるイギリスに忠誠を誓うため 進んで若い人々が志願し参戦した。しかしガリポリでは、トルコ兵が 機関銃で陣地を作って待っている前線を 歩兵が突撃するという誤った作戦のために 1万人余りの兵が ほぼ全滅した。このイギリス軍の命令によって文字通り意味のない戦死を強いられたことが、契機になって オージーのイギリス離れが起き、オーストラリア人としての自覚と愛国心が芽生える契機になった。
毎年4月25日の開戦記念日には、オージーたちは 年よりも若い人も 大きな集団になって戦死者に祈りをささげるために ガリポリまで出かけていく。去年は1万人余りのオージーが トルコもこの小さな岬を埋め尽くした。オージーにとってガリポリは 愛国心の拠り所なのだ。
そのガリポリの戦いを描いたのが この映画で、メル ギブソンの出世作でもある。戦争映画の傑作中の傑作だ。何度観ても 観終わったあとで ふつふつと戦争への憎悪と怒りが湧いてくる。とても優れた反戦映画だ。

でもわたしがピーター ウィアーの映画のなかで 一番好きなのは「いまを生きる」。
1989年、原題「デッド ポエット ソサイテイー」(DEAD POET SOCIETY)。ロビン ウィリアム主演のアメリカ映画。
1959年 ニューイングランドの、名門カレッジであるウェストンアカデミー。この全寮制の男子校は、イギリス式の厳しい校則のもとに 学問を究め、卒業後は政財界の主流を占める優秀な人材を育てる。校則になじめない生徒や 勉強で優秀な結果を出せない生徒は どんどん辞めさせられる。生徒と先生と卒業生は3身一体の強い絆で結ばれている。
そんな高校に ちょっと風変わりな、元卒業生という 国語教師(キーテイング)が赴任していきた。校則を守らない。イギリス近代詩の授業で 定型詩の作り方を述べた部分を破り捨てるように言う。教室の机の上に靴のまま 皆を立ってみさせて、そこから見た視点の違いを大切にするように、と言う。授業中にフィールドでラグビーをして汗を流す。校庭を歩きながら 詩を読ませる。そして自分の心が感じる詩を描けと言う。
生徒達は 驚きあきれながらも キーテイングが来てから 活発で生き生きとした心を持ち始める。

キーテイングに触発された生徒達のグループが「デッド ポエット ソサイテイー」という名前をつけて 寮を抜け出して秘密の集会を持つようになった。森の中の洞穴が集会場所だ。そこで禁止のタバコを吸ったり、雑誌を読んだりする。勿論 見つかれば退学だ。
しっかりもので優秀な二ールは いつもいじめられっ子だったトッドと寮で同じ部屋だ。二人は キーテイングに 強烈な刺激を受けた。二ールは、学期終了前の学内劇で、シェイクスピア「真夏の夜の夢」のパックを演じた。劇が成功して、二ールは 自分を自由に表現することの喜びを知る。そして父親に 将来役者になりたい と申し出る。一人息子が伝統校で学び、将来を政財界で活躍することを期待していた父親は 激怒して、二ールを退学させて 陸軍士官学校に強制入学させた。ニールは、芝居をもう二度と演じることが出来なくなったことを悲観して自殺する。
学校側は ニールの自殺は 教師キーテイングに強く影響されたためだ と断じて過激思想犯のキーテイングを退職させる。デッド ポエット ソサエテイーは崩壊した。
キーテイングが学校を去る日、学校側はキーテイングと生徒達を接触させようとしない。黙って去っていくキーテイングに、尊敬と信頼をこめて いつも弱虫だったトッドが机の上に立った。後に続いて 何人もの生徒達が机の上に立つ。そして去っていくキーテイングを見送った。

魂が自由であることの大切さが描かれている。
伝統、良家の子弟 全寮制といった制約のなかで、自由な心をもって芸術を愛することを教えた ひとりの教師の意志と 不幸な結果がただただ痛ましい。型破りな教師を最後まで慕う生徒達の澄んだ目が美しい。ラストシーンで 泣かずにいられない。
昔のことだが、この映画は、死んだ夫がどうしても見たいと言い出したので フィリピンに赴任中だったが里帰りして 東京で観た。ふたりの娘達は 当時10歳と11歳。映画館に慣れていなかったので最後まで見てくれるかどうか心配したが、誰よりも娘達が熱心に この映画を観た。10歳なり11歳なりに 感じるところがあったのだろう。そのことが、とても嬉しかった。
ホイットマン、キース、ゲーテ、シェイクスピアの 美しい詩が 映画のなかで いくつも読まれた。

「マスター アンド コマンダー」は
あまりよく憶えていないので 映画の説明はしないが、船のキャプテン、ラッセル クロウと船医のポール ベタニーが 長い航海のあいだの退屈しのぎに ヴァイオリンとチェロで二重奏するシーンが何度も出てきて それがとても良かった。エリート貴族の気品あふれる格調高い雰囲気のなかで、楽器を介して 男同士の友情が確かめ合う姿がまぶしい。美しい映像に バロック音楽が合わさって とても贅沢な映画だった。

ピーター ウィラーの作品のそれぞれに類似性はない。ひとつひとつの作品が独立した趣をもち、全くそれぞれが異なったテイストで仕上がっている。
監督として多作とはいえない。でも、こんな才能豊な監督が 居てくれて嬉しい。まだ若い。これからも 良い作品をみせて貰いたいと思っている。