2011年7月18日月曜日

映画 「ポッパーさんとペンギンファミリー」




アメリカの子供向けコメデイ映画「ポッパーさんとペンギンファミリー」原題「MR.POPPER"S PENGUINS」を観た。
1938年に リチャードとフロレンス アドウォーターによって書かれた 児童文学を映画化したものだ。

監督:マック ウォーター
キャスト
ポッパーさん   :ジム キャリー
妻アマンダ    :カルラ グジーノ
レストランオーナー:アンジェラ ラズべリー
秘書ピピ     :オフェリア ロビボンド
娘ジェミー    :マデリン カロル
息子ビリー    :マクスウェル ペリーコットン
http://www.popperspenguins.com/main.html

ストーリーは
ポッパーさんのお父さんは冒険家だった。いつも冒険に出かけていて留守だけど、未知の国から通信機を通して 息子に冒険の話を聞かせてくれた。ポッパーさんの部屋は お父さんから送られてきた世界中の珍しい秘宝でいっぱいだ。そんなお父さんは 冒険に行ったまま帰ってこなかった。
いまや、ポッパーさんはニューヨークで不動産業をしている大金持ち。世界中を冒険して、旅に出たまま帰らなかった父親の影響で 顧客に土地や家を売るというより、夢を売ることに重点を置いていた。しかし大きな夢を見ながら、仕事をしていて、妻にあいそをつかされて、別居されてしまった。小学生の息子ビリーと、ジュニアスクールに通う むずかしい年頃の、娘ジェイミーが居る。

ある日、子供の頃に音信を絶ったままの父親から 遺産を相続することになった。ブルックリンの高級アパートに住むポッパーさんのところに届いた遺産の小包みを開けてみると 凍ったペンギンが入っていた。飾り物かと思ってみたら、何と本物のペンギンだった。おまけに いたずらなペンギンで、留守中に 風呂場いっぱいを氷水で満たして アパート中に洪水を起こしてくれる。ポッパーさんは仕事が忙しい。反抗期の娘が訪ねてくるし、息子は誕生日の贈物を期待して来る。混乱のうちに 後続の小包みが届いて 中には5匹のペンギンがいた。ポッパーさんの行くところ行くところ 6匹のペンギンがついてきて 彼の仕事も家庭も振り回されて、、、。
というお話。

喜劇役者としてのジム キャリーのおとくい一人舞台だ。いくつになっても年をとらないキャリーとペンギンの組み合わせのおかしさに 引かれて観にいった。とてもまともな妻、優秀な秘書、反抗期の娘が ペンギンに振り回されるポッパーさん以上に ポッパーさんに振り回される様子がおかしい。
CGをたくさん使っているだろうが、ペンギンたちが列を作って ニューヨークの街中を歩き回ったり、博物館の廊下を流れる水とともに滑り降りたり、セントラルパークを横切ったりする。歩く姿が愛らしい。

GUGGENHEIN博物館は 超近代的な美しい建物で階段がなく らせん状のゆるやかな坂で、階上まで上がれるように設計されているが、この建物全部を使って 華やかなパーテイーが行われている。そこにポッパーさんを追ってペンギンたちが入り込み、氷と飲み物のトレイを倒した拍子に 最上階から流れる水とともに 下まで滑り降りる姿が素晴らしくて、笑える。アパートで、留守番するうちに、テレビで チャールズ チャップリンの白黒映画を、自分たちの仲間だと思って ペンギンたちが興味深く眺めるところも笑える。ニューヨークの真冬、アパートの窓とバルコニーを全開して、床に氷と雪で覆い 雪の上にシュラフに包まって寝るジム キャリーの姿も良い。

コメデイーだが、母親が他の男とデイトする姿に、傷ついている子供達の柔らかな心と、ポッパーさんの子供心が、マッチして、ほろりとさせられる。また 父親に贈られたペンギンを契機に、ポッパーさんが一番自分でやりたかったことをすることになった。よかった、よかった。
ペンギン騒ぎで ばらばらだった家族が すべて丸く収まって 子供向けの映画として、成功している。

コメデイ映画 「ブライズメイズ」



珍しくコメデイ映画を観てしまった。原題「BRIDSMAIDS」。
http://www.imdb.com/title/tt1478338/


監督 :ジュード アパロウ
キャスト
アニー :クリステイン ウィルグ
リリアン:マヤ ロドルフ
ヘレン :ローズ バーン

独身男達の仲間の一人が結婚するのを切っ掛けに 飲んだくれの男ばかりが メチャメチャをやる「ハングオーバー」その1とその2が、大受けしている。男達の無軌道ぶりが 桁外れなのが おかしい。もともと 友達の一人が結婚するとき 結婚式の前日に独身仲間が集まって、大馬鹿をやるという古くからの習慣がある。これは ハングオーバーの女性版ともいえるコメデイ映画だ。ブライドメイドとは、結婚前のパーテイーや 結婚式の準備に関わり 式当日には 花嫁の横にいて 式や披露宴が順調にいくように手伝う女性のこと。ふつう花嫁の親友が選ばれる。ブライドメイトを任されるということは、女性にとって とても名誉なことだ。

ストーリーは
40代にはいったアニーとリリアンは 高校生のときからの親友だ。むかし仲の良かった友達は みな結婚してしまい、独身でいるのはアニーとリリアンのふたりくらい。そのリリアンが結婚することになって、アニーがブライドメイドをまかされることになった。
アニーは ボーイフレンドと経営していたパン屋は 男に逃げられて倒産、いまのセックスフレンドは 単なる不倫関係、アパートの空いている部屋を人に貸して辛うじて食費を得ている。そんな状況を知っている 同じ同級生だったヘレンが、リリアンのブライドメイトを肩代わりしようとして、しゃしゃり出てくる。ヘレンはスーパーリッチの後妻だ。結婚衣裳も ブライドメイトたちのドレス選びやパーテイー会場選びも ヘレンの洗練されたセンスが アニーの先を行く。何もかもうまくいかず、アニーは 泣く泣くブライドメイトから下りなければならなくなって、、、、。
というお話。

女の力が強くなって晩婚、子なし夫婦が当たり前のアメリカで、40過ぎても結婚式が女にとって どんなに大切なものか女の固執ぶりが わかっておかしい。結婚式は 女がどんなにキャリアを積み重ねても 高給取りになってもまだまだ神話的な世界であって、夢の世界で女にとって確執以上のものだ。純白ドレスとベールをあきらめることが出来ない。そこが ばかばかしくて、おもしろい。

結婚式、女の友情、虚栄と競争心、、これが女性の弱点か。
アニー役のクリステイン ウィルグは、アメリカのテレビで活躍しているコメデイアンで、ヘレンはオーストラリアのテレビでお笑いをやっている女優だ。
女性版 ハングオーバーも、きっちり豪華豪勢な結婚式で歌って踊って楽しく終わる。つくずくアメリカのコメデイ映画だ。笑って ホロリとさせればそれで良しとする。下品で 下ネタが絶えない所もアメリカ的。
高級ブライダル店で吐いたり、何千ドルもするウェデイングドレス姿で路上でトイレをさせたり、あきれて笑えない。
不景気と失業と日常のストレスから一瞬でも逃れたいアメリカ人にとって こんな映画も 必要なのかもしれない。 醒めると むなしいけれど。

2011年7月14日木曜日

仏映画 「ナンネル モーツアルト 哀しみの旅路」



フランス映画、「MOZART’SISTER」、邦題「ナンネル モーツアルト 哀しみの旅路」を観た。日本では、限られた映画館で公開されていたらしいが、ここでは ごく限られた劇場で、1週間だけの公開だった。英語字幕つきのフランス映画は ここでは 人気がなくて観る人が少ないので 公開されてもすぐに終わってしまって、ビデオも出ないので、一度見逃すと二度と見る機会を失う。それにしても何とセンスのない邦題だろう。「哀しみの旅路」とは何のことか?べとべと湿っていて気持ちが悪い。映画と全然そぐわない。
http://www.youtube.com/watch?v=LC8uDF9PVoI

監督:RENE FERET
キャスト
父レオポルド  :MARC BARBE
母アンナマリア :DELPHINE CHUILLOT
姉ナンネル   :MARIE FERET
弟ヴォルフガング:DAVID MOREAN

ストーリーは
1763年 モーツアルト一家は 王侯貴族たちの招聘に応じてヨーロッパ各地を演奏旅行している。一行は 父レオポルド、母アンナマリア、14歳の姉ナンネルと 10歳の弟ヴォルフガングの4人だ。
父レオポルドは 5歳で早くも作曲をし、ピアノ ヴァイオリンを自由自在に演奏することができる 息子ヴォルフガング アマデウスに、ヨーロッパデビューさせることが目的だった。
パリをめざす途中で、一行の乗った馬車の車軸が折れてしまう。修理のために世話になることになった修道院には、フランス王 ルイ15世の3人の娘たちが暮らしていた。

ナンネルはここで 3人の娘のうち末娘のリサと親しくなる。リサはベルサイユで暮らす兄の音楽教師に恋をしていた。身分の違いで一緒になることはできないが 自分の思いだけは伝えたい。馬車の修理が終わり一家はベルサイユに向かうが、ナンネルはリサの恋文を託されていた。
ベルサイユで 父レオポルドは ヴォルフガングをみごとにデビューさせる。音楽の神童は どこでも歓迎された。そしてナンネルは ルイ フェルデイナンの音楽教師に無事リサの恋文を届ける。その時に ルイ フェルデイナン王太子に 呼び止められたナンネルは 求められるまま、王太子のために歌い ヴァイオリンを演奏する。そして14歳のナンネルとフランス国王の王太子は互いに惹かれあう。

王太子ルイ フェルデイナンはナンネルの音楽的才能を高く評価して 二人はしばしば会う様になる。ナンネルは ルイのために 自分が思いついた曲を楽譜に残して捧げたい。しかし、父レオポルドは女に音楽理論は理解できない と断じて作曲を禁じた。父は 幼いときからナンネルにクラビーア、チェンバロ、ピアノ、ヴァイオリンは教えたが、弟の伴奏役として考えて、女は結婚することが一番良いと、頑なにに信じていた。
ナンネルは 王太子に役に立ちたい一心で 家族がヨーロッパ旅行している間 一人パリに残り作曲の勉強をして、いくつもの曲を王太子に捧げる。しかし、彼は妻を迎えなければならず、妹のリサからも、別れるように宣告されて、ナンネルの恋は終わる。
というお話。

撮影は本当に ベルサイユ宮殿で行われた。
18世紀のブルボン王朝の華麗な宮殿、、、王侯貴族たちの美しい衣装、、そしてモーツアルトの音楽、、、これだけそろっていれば、他に何が必要だというのだろう。
とても美しい映画だ。
ヴォルフガング アマデウスを演じたデビッド モーランは 本当にヴァイオリンを上手に演奏した。ピアノを弾いている真似はできるが、ヴェイオリンを弾く真似はできない。本当に上級レベルのヴァイオリンを弾ける子供をアマデウスに抜擢していて 音楽だけでなく彼の演技も とても良かった。利発そうな愛くるしい顔、10歳ころの男の子は本当に可愛い。彼がベッドで でたらめを歌っている。するとナンネルが そのメロデイーに合わせて低音で歌い始める。二人してふざけて重唱しているうちに「これはいけるぞ。」とばかり、ベッドを飛び出してオルガンで連弾するシーンが とても良かった。こんなふうにして曲が出来てくることがわかって、興味深い。

ヴォルフガングが 何の土台もないところから 一人飛びぬけて天才として出てきたわけではなくて 作曲家としても優れたピアニストでもあった父と、声楽にもピアノにも優れた才能を持った姉がいて、それをしっかり支える母もいて その上でヴォルフガングが育ってきたことが よく理解できる。父親も母親もしっかりと二人の子供に愛情を注ぎ込んでいる。
ザウスブルグの彼の家に行ってみると、彼は家族に沢山の手紙を残しているが、いつも家族への愛に満ちていて、家族の調和がいかに 彼にとって大切だったかが想像できる。だから、レオポルドとアンナマリアが、思ったとおりに映画で描かれていて嬉しかった。

ナンネルが恋に陥るルイ フェルデイナン役も、とても良かった。ちょっと病的で ひ弱な感じで かんしゃくもち。決して王座に座ることなく 父ルイ15世よりも先に死んでしまう永遠の王太子。本当にこんな人だったのだろう。
ナンネル役は この映画の監督の娘だが、とても清楚で良かった。この恋のあと、ナンネルは作曲家としても、音楽教師としても成功したに違いないのに、自分で選んだ夫を父レオポルドに反対され、裕福な判事のもとに嫁がせられ 愛のない結婚生活を生きた。

ヴォルフガングも、コンスタンサと結婚して 貧困のどん底で若死にする。
ナンネルも、ヴォルフガングも 父の庇護のもとで子供時代をもっとも幸せに過ごしたが、大人になってからはそれがかなわなかった。
事実が痛ましいだけに、初々しい二人の子供時代の才能と美しさが際立っている。

とても満足した。良い映画だ。
厳密に時代検証すれば、ナンネルが恋をしたルイ フェルデイナンは 映画のように17歳ではなくて、もうおじさんだったはずだ。その息子(後のルイ16世)も マリーアントワネットもベルサイユに居て良いころの話だ。映画作りのための時代検証の甘さがちょっと残念。

2011年7月6日水曜日

映画 「ツリー オブ ライフ」



映画「ツリー オブ ライフ」(THE TREE OF LIFE)を観た。
今年5月の 第64回カンヌ映画祭で、最高の名誉である パルムドール賞を受賞した作品。日本公開は8月12日。
http://www.imdb.com/title/tt0478304/

監督:テレンス マリック
キャスト
父オブライエン: ブラッド ピット
母      : ジェシカ チャステイン
ジャック   : ショーン ペン

ストーリーは
今や人生の盛りを越したジャックは、建築家として成功しサンフランシスコ(ニューヨーク?)に住んでいる。仕事に疲れた彼が しきりと思い出すのは自分の子供時代の思い出ばかりだ。
厳格な父、優しい母、3人の男の兄弟の長男として父と母に愛されて、幸せな少年時代を送った。父は 敬虔なクリスチャンで オルガンを弾く。自分を子供達が呼ぶのにサーをつけて呼ばせ、躾に厳しいが、いつも愛情をもって見守ってくれていた。母は美しい女性で、どんな時でも子供の味方になってくれた。楽しい子供時代、森での冒険、クラスメイトの女の子への淡い恋心、母親のお供で買い物に行った町の様子、家が火事になり大火傷をした友達、弟への嫉妬、競争心、、、いつもいつも両親がそばに居てくれた。
そんな父が 失業し 思い出のつまった家を売ることになり、引越しをする。それから大分たって、弟が死ぬ。弟の死は何だったのか。自分の命を育んでくれた両親は自分にとってどんな存在だったのか。ジャックは考える。
というお話。

本当は、この映画にストーリーはない。物語の起承転結やドラマやストーリーは何もない。
最初の30分ほどは 生命の誕生を顕微鏡のミクロの世界で写しだしたり、海洋の水の流れ、海の中の生きる生き物達、風、ゆれる木々、古生代の恐竜まで出てきて、ナショナルジェオグラフィックのようだ。それぞれの映像に何の脈絡もなく ただ美しい映像が次々と映し出され、荘厳な音楽が流れる。ブラームス「交響曲第3番」が流れる。囁き声で マザーとか、命とか誰かが囁く。
物語を期待して見ると 完全に裏切られる。綺麗な音楽と何の脈絡のない画像ばかりをしばらく見せられて、となりに座っていたおばあさんは もうすっかり眠ってしまった。

ジャックが生まれ 若い父親(ブラッド ピット)と母親(ジェシカ チャステイン)が愛情をたっぷり注ぎ込む。ジャックがヨチヨチ歩きの時に 弟が生まれ、そして末の弟も生まれる。
3人の男の子が自然いっぱいの家の周りでふざけまわる長い長いシーンには スメタナの「モルドヴァ」が使われていて 管弦楽が高らかに鳴り響いて感動した。ソビエトの圧政下で禁止されながらもチェコスロバキア人の誇りを「交響曲 わが祖国」に託してを演奏し続けた「モルドヴァ」。無垢な少年達が飛びはね、ふざけて笑い、はじけるような歓喜のシーンに この曲の第一楽章全部を使うなんて、何と言う大胆な贅沢。

イマジネーションの羅列と言うことも出来るし、一人で連想ゲームを楽しんでいる、ということも言える。監督は完全に、自分の世界で遊んでいる。この映画は 監督自身の個人的な思いを音楽と映像で並べ立てた 抒情詩だ。

彼の作品「2001年宇宙の旅」(A SPACE ODYSSEY)を観ていないので、よくわからないが、この監督はバーバードでも オックスフォードでも哲学を学んだ学者さん ということだ。

しかし、ブラームス、スメタナが高らかに鳴っていたのは前半で、後半はバッハとレクイエム 賛美歌ばかりに変わる。
宗教的な啓示に満ちている。
天国も出てくる。へクター ベルリオズの「レクイエム」をバックに 死んだ人々が昔のままの姿で出てきて 渚を素足で歩いていく。天国に向かって。

ハシゴも出てくる。天に登るバベルの塔だ。ノアの洪水も出てきて、プールで溺れて死ぬ子供が出る。罪人に水を施すマリアのような母。それから 汚れた足を洗う女も出てくる。敬虔なクリスチャン家庭に育った少年時代を思い起こせば 聖書をさけて通ることはできない。神なくして人生の哲学はない。そういえば、題名の「ツリーオブ ライフ」は 聖書の言葉だった。知恵の樹と、命の樹のツリー オブ ライフだ。

外国で暮らしていて いつも興味深く観察するは こういった知的で芸術的で、さらに抽象的、印象派的な作品に対する観客の反応だ。日本だったら、この映画を観て 人々はおとなしく上品に「なかなか味わいのある映画でございました。」などと言うのだろう。
私が見ていた映画館では、映画が終わったとたん、失笑の渦と ため息の氾濫。「マイガーッシュ!!!イナッフ イナッフ!」(おやまあ、、もう沢山よ!)と大声のおじいさん、、、。完全にこの映画、ここでは 受けませんでした。
おいおい、みなさんクリスチャンでしょう? カンヌで最高の賞を受賞した映画なんですけど、、。ブラピが出ている映画なんですけどー。

いくら芸術でも 気取りや粉飾やおせじが効かないのが、オージー気質。わかっているつもりだったが、詩情たっぷりの美しい映画を みごとに拒否してくれたオージーたちの反応をみて、改めて オージーは正直だな と思った。
でもわたしも、ブラッド ピットが出ていなかったら この映画 最後まで観なかったかもしれない。彼がオルガンでバッハの「トッカータとフーガ」を弾くシーンがとても素敵だ。 ブラピのファンなら 3分間のこのオルガンのシーンのために、2時間20分の映画を我慢して座っているのも耐えられるでしょう。

2011年7月4日月曜日

2011年 上半期 漫画ベストテン




今年に入って1月から6月までに読んだ漫画は70冊ちかく。
シドニーで 日本の漫画は手に入りにくく、雑誌連載で継続中の漫画は 単行本が出て、こちらに送られてくるまで待たなければならない。従って日本に居る人たちより ずっと遅れて読む。ベストテンの中には 新作ばかりでなく 松本大洋の「花男」のように 古本でやっと手に入った作品も含まれている。
ちなみに 2010年 一年間に読んだ漫画のベストテンは
「バガボンド」、「リアル」、「聖おにいさん」、「竹光侍」、「宇宙兄弟」、「神の雫」、「ちはやふる」、「リアルクローズ」、「きのう何食べた」、「海猿」だった。

第一位=「リアル」 井上雄彦
第2位=「聖おにいさん」 中村光
第3位=「宇宙兄弟」小山宙哉
第4位=「3月のライオン」 羽海野チカ
第5位=「情熱のアレ」 花津ハナヨ
第6位=「神の雫」オキモトシュウ 亜樹直作
第7位=「ジェラールとジャック」よしながふみ
第8位=「BAKUMAN」大場つぐみ
第9位=「舞姫テレプシコーワ」1-10巻 山岸涼子
第10位=「花男」松本大洋 1-3巻
第10位=「漫画で分かる心療内科」1-2巻 ゆうきゆう作 ソウ画

第1位の「リアル」
井上雅彦の「バガボンド」が止まっていて、ずっと気になっているが その分「リアル」が ゆっくりながら続いていて、井上ワールドの夢を見続けることができて幸せだ。彼の絵もストーリーもみんな好きだ。この人ほど 登場人物ひとりひとりに命を吹き込むことが上手な作家は 他に居ない。野呂明美が大好き。なにひとつ取り得がない。自分のせいで下半身麻痺になってしまった夏美を前にして、「どうして今までくすぶっていたんだ。どこまで行けるか確かめもしないで。」と、ひとり立ち上がる。登場するひとりひとりが困難を抱えて 実にリアルに燃えて生きている。とても励まされる漫画だ。

第2位 「聖おにいさん」
このおもしろさは巻を経ても 全然ダレない。何巻から読んでも いつでもおもしろい。ページをめくるごとに笑える。知識が豊富で才能ある作家だ。松田ハイツに住む「目覚めた人ブッダ」と「神の子イエス」が 下界で日常生活を送る。会話が実に冴えている。
楽器屋に入って、、、 カートコバーン愛用のムスタングギターや ジミヘンのギター、ボンゾのドラムを見せて、3人とも若くして突然亡くなった 天才は何故早く逝ってしまうのか、、、と嘆く店主に、ブッダは青くなり、そういえば「弁財天さん今年は天界で大きな音楽フェスやるって。」するとイエスが「気のせいだよ 偶然だよ。」と慰め「業界の黒い秘密に触れてしまいそうだね。」と、二人して口をつぐむ。で、ブッダが「弁財天さんがロックバンドで雷神さんにスネアドラム叩かせようと、」と言えば、イエス「ミカエル大天使さんはお兄ちゃんっ子だから ルシファーに影響されてデスメタルみたいな声で歌ってみたいとか、ラファエルがグレゴリー聖歌のテクノREMIXしたいとか、、」と応ずる。イエスがカラオケで森進一の「おふくろさん」を歌えば、ブッダは「それってアベマリアに相当するから まずいんじゃない?」などと言う。知識がないと笑えないが、とにかくおかしい。読んでいる間中 笑いが止まらないから、電車の中や、病院の待合室などでは絶対読めない。

第3位「宇宙兄弟」
読者はみんな 出来の悪いお兄ちゃんの味方ではないだろうか。優秀で心優しい弟、俗物で身勝手な両親の家族の中で、取り得のないお兄ちゃんが 頑張る様子に 心から応援せずにいられない。

第4位「3月のライオン」
不幸な過去を持つ高校生の主人公が 将棋の世界で生きる。悲しいことに慣れっこになってしまった小さな魂が痛々しい。読んでいるうちに いつしか彼に強く共鳴している。

第5位「情熱のアレ」
珍しい。女性向けの性教育になっている。無知な女より何でも知っている女の方が良いに決まっている。知らなければただの無知だが、知っていれば知識を生かすことも 知らないふりをすることも出来るからだ。

第6位「神の雫」
はじめの1-2巻に興奮して感動した読者の半分は もう飽きてこの漫画から離れてしまったのではないだろうか。この作者は 話を伸ばしすぎる。読者は疲れてきた。けれど最後の結末を見たいばかりに 読み続けている。神咲雫の勝負は もう28巻になったのに まだ半分の道のりだ。もんくを言いながら読んでいる。

第7位「ジェラールとジャック」
よしながふみの絵が好きだ。これはボーイズラブのこの作品、革命期のパリを背景にしていて それなりおもしろかった。この人の作品では、「愛すべき娘たち」、「1限目はやる気の民法」、「愛がなくても食ってゆけます」、「大奥」、「きのう何食べた」などを読んできた。なかでは「西洋骨とう洋菓子店」が一番内容も絵も良かった。これに勝る作品は他にない。

第8位「BAKUMAN」
二人の少年の漫画に対する熱が伝わってくる。漫画の作り方やデビューの仕方、漫画の成功の鍵を握るのが 編集者の能力次第だという内幕もわかって興味深い。ほかに漫画家を描いた島本和彦の「吼えろペン」1-13巻も たわいないが、おもしろく読んだ。

第9位「舞姫テレプシコーワ」
少女漫画の典型。バレエ漫画だが、映画「ブラックスワン」並みの怖さ、恐ろしさがあって、結構読ませる。

第10位「花男」
松本大洋の独特な世界が好き。この人の描く 本当に邪気のない、まっすぐ無邪気な男を愛さずにはいられない。

第10位「マンガで分かる診療内科」
心理士の心内療と看護士宮越あすなのコンビが バカバカしいギャグを連発しながら うつ病、ぺデファイル、幻聴、認知症、適応障害、パニックアタック、不眠症、といった病気をわかりやすく解説する。精神病や神経症に偏見を持っている人や 知識のない人には良い啓蒙書になっている。

2011年7月2日土曜日

2011年 上半期 映画ベストテン




2011年の1月から6月末までの間に 映画館で見た新作映画は26本、ヴィデオは14本 合計40本。
それ以外に、映画館で HD劇場ライブのフイルムのオペラを数本観た。その中では ロンドンのロイヤルオペラ シアターの「カルメン」と、ニューヨークメトロポリタンオペラの「ヴァルキューレ」が良かった。本当のオペラを劇場で観たのは オペラオーストラリアだが、「カルメン」がやっぱり良かった。
2010年に観た 映画ベストテンは、「終着駅トルストイの謎の死」、「剣岳 点の記」、「アバター」、「インセプション」、「シャッターアイランド」、「ゴーストライター」、「ソーシャルネットワーク」、「リミット」、「インヴィクタス負けざる者たち」、「ドン ジョバンニ」以上の10作品だった。2011年の上半期のベストテンは、

第1位=「英国王のスピーチ」 1月23日の日記で映画評を書いている。
第2位=「ザ ファイター」 1月25日
第3位=「ヒア アフター」 2月15日
第4位=「127時間」 2月24日
第5位=「コンヴィクション」 3月5日
第6位=「ソース コード」 5月11日
第7位=「オレンジとサンシャイン」 6月14日
第8位=「ノルウェイの森」  6月27日
第9位=「ザ ウェイ バック」 3月28日
第10位=「ふたりの女」

第1位 「英国王のスピーチ」
主演のコリン ファースがアカデミー主演男優賞をとり、脚本家が脚本賞を受賞した。この脚本家は 自分の書いたものを 亡くなった英国王ジョージ5世の妻(エリザベス女王の母親)に見せて、映画化の許可を願い出たが、彼女に「吃音障害を持った夫のことは、余りにもつらい思い出なので 映画化するのは自分が死ぬまで待って欲しい。」と言われた。彼女はとても長生きしたので 脚本家は20年余り待たなければならなかった。20年間暖められてきた作品がようやく映画化されて、芸達者な訳者ばかりが出演して完成度の高い映画になった。
コリン ファースも良かったが、人を食ったような言語療法士のジェフリー ラッシュの演技は本当にうまい。映画館でオージー俳優のジェフリー ラッシュが出てくるたびに 観ていたオージーたちが手をたたいて笑い転げ、男の友情に涙する様子が これまたおもしろかった。

第2位 「ザ ファイター」
クリスチャン べイルの役者としての徹底した役作りに ただただ感服、脱帽する。役になりきるということが こういうことなのか。「マシニスト」で体重を35キロ落とし、カンボジアの米軍捕虜役で20キロ痩せて、「アイアム ノット ゼア」で ボブ デイランになりきって、「ダークナイト」のバットマンと、「ターミネイター4」で 立派で美しい肉体美を見せてくれた。
この映画では ドラッグ中毒の元ボクサーの役。ガリガリにやせ細った体で、鋭いジャブを出す。予告編のフイルムを見た時は、彼だとわからなかった。弟役のマーク ウェルバーグも ごまかしの効かないボクサーの体作りで、しっかりクリスチャン べイルの役者魂を引き継いでいた。この映画も芸達者の役者ばかり集めていて ほんの端役まで手抜きがない。優れた映画だ。

第3位 「ヒア アフター」
心に傷をもった人たちの 心の再生を描いた クリント イーストウッドが作った32番目の映画。愛する人を突然失ない、哀しみを持っていく場を持たない人にとって とても慰めになる映画だ。

第4位 「127時間」
単独登山中 落石に手を挟まれて動けなくなり 自ら腕を切り落として 127時間後に生還したアーロン ラストンの実話。軽やかな音楽とともに ジェームス フランコが岩山に登り、自然と戯れる。とても素敵な役者だ。アメリカ ユタ州の広大な自然が美しい。山を愛する男は みんな 孤独だが勇敢で心優しい。

第5位 「コンビクション」
身の覚えのない殺人を犯したとして収監された弟を救うために、シングルマザーの妹ががんばって弁護士になり 無罪を勝ち取り弟を連れ戻す 実際にあったお話。ヒラリー スワンクのがんばりが、迫力満点で 勇気をもらえる。

第6位 「ソース コード」
アフガニスタンで戦死した空軍パイロットのジェイク ギレンホールが 死ぬ直前の脳の記憶装置を 実験的に利用されて これから起こるテロを事前に食い止める という近未来SF映画。名作「ジョニーは戦争に行った」のような 優れた反戦映画に仕上がっている。

第7位 「オレンジとサンシャイン」
イギリスとオーストラリア政府の合意によって 1970年代までの間に 13万人のイギリスの子供達が ボートに乗せられてオーストラリアの孤児施設などで 強制労働を強いられたという 歴史的事実を暴露した映画。つい最近になって両国の首相が 議会で正式に謝罪したが 謝って済むことではない。人口たかだか2千万人の国に 17万人の傷ついた子供達がいる。その労働力によって発展してきたオーストラリアの恥ずべき歴史の暗部を前にして、言葉もない。

第8位 「ノルウェイの森」
村上春樹の原作を ベトナム人のフランソワ トリュフォーと言うべき トラン アン ユン監督が映画にした。音楽と映像が美しい。会話がなくても音楽と映像だけでも 完成した映画になっている。

第9位 「ザ ウェイ バック」
1949年にシベリア流刑地から脱走して ゴビ砂漠を越えヒマラヤを迂回して インドまで逃れたポーランド人とロシア人捕虜の実話。ナショナル ジェオグラフィックが協賛しているだけあって 雄大な自然が素晴らしい。6500キロを自由を求めて歩いた男達に感動する。

第10位 「ふたりの女」
1960年作品 ビットリア デ シーカ監督。ソフィア ローレン主演 ジャンポール ベルモンド共演の白黒フイルム映画。若いときに これを見逃していたので どうしても観たいと長年思っていたが、VHSフイルムしかなくて手に入れようがなかった。2006年に「クラシックシアター」名作シリーズで 2本の古い映画と抱き合わせでDVDが出されたので ようやく手に入れて観ることが出来た。
第2次世界大戦中 ローマに住んでいた シングルマザーのソフィア ローレンは 13歳の娘を連れて田舎に疎開する。ロ-マは 日々空爆で危険になっていて、田舎に通じる道も、連合軍のスパイや、ドイツ軍や、イタリアの軍事政権で混沌としている。避難の途中で 母娘はモロッコ兵によって輪姦される。自分だけが傷つくならいい。しかし自分の娘がひどい事をされるなんて許せない。ソフィア ローレンの大きな瞳が絶望し、素足で土を蹴って前に進んでいく姿に圧倒される。大昔の名作を観ることが出来て 嬉しい。

2011年6月29日水曜日

映画 「ノルウェイの森」


日本での映画公開から半年たって、やっと この映画がヴィデオで手に入ったので、観て見た。
ハルキの世界がそのまま映像になっていて、驚いた。監督 トラン アン ユンは、フランス語の翻訳でこれを読んだそうだが、とても深いところで ハルキの世界を理解していることがわかる。翻訳者も優れているのだろう。
ハルキは ユン監督から映画化の申し出があったとき すぐに快諾したという。ハルキの作品は ベストセラーになり、36言語で翻訳され世界で出版されている。小説の中に出てくる音楽のCDが流行ったり 携帯電話のコールに使われたりもしているそうだ。ノーベル文学賞受賞も目前らしい。
彼が過去に生み出した作品は すべてとっくに彼自身の手からは離れているのだ。それでいいのだと思う。

原作:村上春樹
監督:トラン アン ユン
キャスト
ワタナベ:松山ケンイチ
直子  :菊地@子
ミドリ :水原希子
キズキ :高良健吾

ストーリー
キズキと直子は3歳の時からいつも一緒に育って成長してきて 互いに無くてはならない強い結びつきを持っていた。そんなキズキの親友ワタナベは 中学でも高校でも キズキと直子と3人で一緒に遊んで過ごした。
しかしキズキは17歳で自死、ワタナベは 一人東京で大学生活を始める。そして偶然、直子と出会う。二人はひんぱんに会うようになり、直子の20歳の誕生日に二人は結ばれる。しかしワタナベの不用意な一言が 直子のキズキを失った傷を再び痛みつける。直子は東京を去り、京都の山奥の療養所に入所してしまう。療養所に直子を訪ねたワタナベは、直子とキズキの間にあった傷に触れることになって 直子を守ることがキズキに託された責任だと思い込む。しかし直子は、、
というお話。

テーマは二つ。
ひとつは 愛する人を失った喪失感から 人は抜け出せるのだろうか ということ。
もうひとつは 愛があって肉体が結びつくことができない不毛の愛に 人は耐えられるかどうか ということ。
3人が3様の答えを出す。キズキは17歳で自死し、「永遠に17歳である」ことで結論を出し、直子は 21歳まで生きるが 喪失から抜け出せずキズキの後を追うという結論を下す。ワタナベは 直子を失うことによって、2度も親友のキズキを失う。だから彼はこんなに悲しかったのだ。彼は二人を失って キズキの親友に託された責任を負うこともなく、初めて自分自身のひとりだけの自由を得る。3人3様の結論。人は自分の選択を生きるしかない。

ハルキ独特の世界、空気が透明で 生活の匂いがしない。登場人物は極端に口数が少なく ひとことひとことに とても大切な意味合いが含まれている。女は 危うく揺れ動くが 男はいつも誠実だ。そういったハルキの世界が 忠実に映像になっていて、とても良かった。

直子の療養所のある田舎の自然描写が秀逸だ。カメラワークが独特。自然が中心で その端っこの隅に人が佇む。
山々の緑、陽を受けた川の輝き、冬の始めの雪原の美しさ。これに音楽がとても合っている。弦楽重奏の使い方が素晴らしい。直子の不安、罪悪感、喪失感 死者のささやき、幻覚、幻聴が そのままヴァイオリンの不協和音で表される。うまいな と思う。

ユン監督は ベトナムのフランソワ トリュフォーだ。トリュフォーは 壮大な抒情詩のような映像を たくさん残した。 彼がフイルムに中で映し出す緑は ふくよかな貴婦人が佇む印象画に出てくる 光り輝く緑だ。それをユン監督は継承している。「青いパパイヤの香り」の詩情たっぷりの映像の美しさ。「シクロ」の画面の美しさ。若く 貧しい青年達の無残な姿が 美しいベトナムの情景の中で 浄化される。
まだ若い監督だ。彼の前作にくらべて画面のひとつひとつが、はるかに洗練されてきた。音楽の使い方が前作に比較できないほど素晴らしい。自身でも「音楽はインスピレーションと思考をもたらす言語だ。」と言っているが、映像と音楽の使い方がとても良い。

ハルキと同じ時代を生きてきた。
安保、ベトナム反戦、安田講堂、防衛庁攻撃、明大学生会館、六角校舎、神田カルチャラタン、、、おびただしい数の学生達が傷つき、たくさんの自殺者を見送った。殺された仲間も居た。大切なのに失った人が沢山居た。
直子の苦しみも、当時の自分の苦しみに重なる。
「20歳が美しいなんて、誰にも言わせない。」ポール 二ザンじゃないけど、、どうしてあのころ 平和になったベトネムなんか見たくないとでも言うように みんな急いで逝ってしまったのだろう。

ミドリの会話やワタナベの言葉が エキセントリックだと言う人が居る。あの時代 みんながエキセントリックだった。トロッキー、バクーニン、フロイト、ヴィトゲンシュタインとか ごっちゃにしながら付け焼刃で仕入れた知識をその日のうちにしゃべらずに居られない。女の解放、性の解放を言いながら男物のジーンズで走り回って 不器用な恋をした。今も古傷に触れれば血が滲む。
とても共感できる映画に仕上がっている。

2011年6月27日月曜日

メトロポリタンオペラ 「ヴァルキューレ」



オペラ「ニーベルングの指環」は ワーグナーが26年間かけて完成させた一大叙事詩だ。ギリシャ神話をオペラにしたもので、バイエルン国王 ルードビッヒ2世という 半端ではないパトロンなしには 絶対完成できなかった作品。
全曲の初演は1876年8月13日から17日、バイロイトオペラハウスで発表された。普通 4部に分かれていて、14時間30分の上演時間を、4晩に分けて上演される。4部とは 「ラインの黄金」、「ヴァルキューレ」、「ジークフリート」と「神々の黄昏」だ。

今回 ニューヨークメトロポリタンオペラのHDフイルムを 映画館で観たのは 「ヴァルキューレ」3時間40分。
指揮:ジェイムス レビン (JAMES LEVINE)
解説:プラセド ドミンゴ

ヴォータン  :ブライン ターフェル (BRYN TERFEL)
ブリュンヒルデ:デボラ ヴォイト (DEBORAH VOIT)
ジークムント :ヨナス カーフマン(JONAS KAUFMAN)
ジークリンデ :エバ マリア ウェストブレック(WESTBROEK)
フリッカ   :ステファニー ブライス(BLYTHE)
フンデイング :ハンス ピーター コング (KONG)
http://www.metoperafamily.org/metopera/broadcast/template.aspx?id=16210&prodpage

ストーリーは
神々の一番上に立つ神、ヴォータンには人間との間にもうけた子供、双子の兄妹がいる。二人は生後 別れ別れになっていた。妹ジークリンデは 愛のない結婚でフンデイングの妻になっている。
ある嵐の夜 戦で傷を負った戦士ジークムントが 助けを求めてきたのがジークリンデの家だった。二人は一目観るなり 恋に陥り激しく愛し合うようになった。そこに夫 フンデイングが戻ってきて ジークムントと決闘することになった。ジークリンデは 父が残した霊剣を兄に渡す。

一方 ヴォータンは それを見ていて ジークムントを助けてやりたいが 正妻フリンカの猛反対にあって、息子ジークムントを処分するために娘のブリュンヒルデを送り込む。
しかし、ブリュンヒルデは 父が本当はジークムントを助けてジークリンデとの愛に生かしてやりたい気持ちを持っているのを知って、ジークムントに加勢する。しかし、ヴォータンが与えた霊剣をもっても 傷ついたジークムントは 決闘に敗れて死んでしまう。いとしい人を失ったジークリンデは、死を望むが ブリュンヒルデは ジークリンデにはジークムントの子供の命が宿っていることを教えて 折れた霊剣を持たせて森に逃がす。
娘ブリュンヒルデが 父に背いたことを知った父ヴォータンは 娘に愛を感じながらも 娘を罰するために 炎で取り囲んだ中に封印して眠らせてしまう。
というストーリー。

イタリアオペラが大好きだけれど、ドイツオペラもすごいなと思う。見終わって 感動の波が序序に競りあがってきて もう息もつけない。3時間40分の長い長い夢を見ていたようだ。
極端に重唱が少なく、どれもが独唱で、それがすべてどっぷり じっくりと聞かせてくれる。一般的なオペラでは 心を奪われるような しっかり聞かせてくれるアリアはせいぜい2-3曲だ。しかし、このオペラでは、ほぼ全曲が独唱の連続だ。
オーケストラの奏でる音楽が素晴らしい。管弦楽が特に 光っている。
とても一人の作曲家が全部を作り上げたとは思えない。本当に、天才の作曲家が何年も何年も時間をかけて 構想して構築して練り上げて、作り上げた完成品だ。本当に素晴らしい。
このような芸術の遺産に、いま触れることが出来る贅沢が 心から喜ばしい。

ジークムントとジークリンドの出会いと互いに愛し合う テナーとソプラノがとても美しい。ジークムントをやった ヨナス カーフマンという人は、若くてギリシャ彫刻のような美しい顔をしている。テナーの声も美しくのびて 力強い とても男性的なテナーだ。聞き惚れて、見惚れる。

ヴォータンのブライン ターフェルのバリトンが パワフルで美しい。今一番人気のあるバリトンではないだろうか。彼の神様の重厚で厚みのある声が胸に迫ってくるが、彼は役者としても一級だ。表情など、怒った顔は火の様に燃えていて怖い。父に背いた娘を怒りながらも 一番のお気に入りの娘だったブリュンヒルデを罰することの 心の痛みが伝わってきて泣かせる。

ブリュンヒルデを歌ったデボラ ヴォイドは ソプラノの人だが剣と盾をもって戦う勇ましいヴォータンの娘を演じてアルトっぽいアリアを沢山歌った。戦士の娘が父の前に立つと 父に思わず幼児のように駆け寄ったり けなげで いじらしい娘の姿も見せる。最後は舞台中央が 盛り上がって10メートルも高いピラミッド状になり そこから眠ったまま逆さ吊りにされて まわりを火で囲まれる。舞台が真赤に染まり その下で苦悩する神々の神ヴォータンの嘆く姿が ひとり浮き出されて終わる。
絵のように美しい。この美しい劇的な光景が忘れられない。とても感動的な終わり方だ。たくさんの舞台を観てきたが これほど 激しく脳裏に焼きつくようなエンドは稀だ。

このあと、話は続いて 身ごもったジークリンドは隠れ家でジークフリートを産む。この若き英雄が ブリュンヒルデの炎を解いて彼女の眠りを覚まして、活躍する。
長い長い 叙事詩だ。オペラをもってギリシャ神話を生き生きと甦らせて総合芸術に仕立てあげたワーグナーの才能と、それを支えたルートヴィッヒの遺産に改めて感動する。

2011年6月23日木曜日

二人目のマゴ



6月16日に二人目の孫が生まれた。
獣医で 救急病院に勤める次女の 二人目の赤ちゃん。最初が女の子で、今度が男の子。1年9ヶ月 離れた姉弟になる。
出産という重労働を乗り越えて 終始冷静に新しい家族を迎えた娘に 心からご苦労様と言いたい。そして、おめでとう。

東京生まれの娘は 親戚も頼れる人もいないフイリピンという父親の赴任先で、たった13歳で父親をなくした。そのまま外国に留まり 大学を終え、専門職に就き、家庭を持った。誰にでもできることではなかったと思う。迷いもあったが 帰国せずに オーストラリアに移住してよかったと思う。

娘の陣痛が始まったのが 15日の朝。
私は病院の夜勤を終え、ベッドに入ったばかり。「陣痛が始まったよ。」という娘のことばに 「あ、そう良かったね。」と応じて そのまま眠ってしまった。夢の中で「寝ていて良いのだろうか?眠って良いのだろうか?」と誰かが問いかける。ふむふむ。そうか、、、こんなことはしていられなかった。
ガバ と起き上がり 職場に電話をかける。今日から休暇をください。お願いお願い。休暇願いは 一週間後からとって許可も得ている。そのころが予定日だった。でも予定は未定。今日から休暇を 何が何でも取らなければならない。マネージャーの機嫌が良くて 助かった。ラッキー! 職場に急行して休暇届を出して 娘の住むニューカッスルへと、車を飛ばす。

3時間の運転の間中 「間に合いますように 間に合いますように」と まじめに祈った甲斐あって、娘が笑顔で出迎えてくれる。娘に代わって 家事をしたり 夕食を作ったり、1歳9ヶ月の孫の遊び相手をしている間も、娘は痛みに必死で耐えている。

オーストラリアでは 妊婦が破水しても 子宮口が3センチ以上開かないと 病院に入れてくれない。陣痛の痛みが どんなに激しくても 陣痛を促進するために病院の外を歩いてくるように言われる。 痛みでパニックを起こしている妊婦でも、家に帰される。出産は自然の営みなので妊婦を病院では 患者扱いしてくれないのだ。出産後もすぐに シャワーを浴びさせられる。トイレも自分で行かなければならない。入院は1日か2日だ。入院中の食事も自分で取りに行かなければならない。だから 日本に居た時のように 出産のときにずっと助産婦がついて励ましてくれたり、産後1週間入院させてくれる日本の出産を知っている日本人産婦のカルチャーショックは大きい。娘は 家でしっかり我慢をして夜になって 夫と病院に行った。

孫が眠り、娘とその夫が病院に留まり、離れで眠っているうちに夜中の1時に 生まれたばかりの赤ちゃんの画像が携帯電話に送られてきた。
おめでとう。良かった、良かった。

朝、シドニーから 上の娘が やって来た。その娘と孫とで 産婦を見舞う。産後12時間というのに、娘はジーンズ姿で元気だ。一緒に病院の食堂でコーヒーと 上の娘が持ってきたケーキを頂く。
娘と生後1日目の孫は、一晩 病院に泊まって、翌日の朝、帰宅。
やれやれ、、、。
とてもうれしい。

2011年6月22日水曜日

映画 「スーパーエイト」




映画「グーニーズ」みたいな少年達が 「ET」みたいな出会いをして、「スタンバイミー」みたいに成長する映画だ、、、と宣伝されたら、観ずにいられないだろう。行って観てきたが、残念ながら 「グーニーズ」の興奮、「ET」の感動、「スタンバイミー」の共感を期待していると、そのどれにも裏切られる。強いて言えばトム クルーズの「宇宙戦争」が好きな人には 見る価値があるかもしれない。
http://www.youtube.com/watch?v=vpzUCA5i6zY

題名の「スーパーエイト」は、スーパー8ミリのカメラのこと。
1979年、夏、オハイオ州の小さな街。
ジョーは 母親を交通事故で亡くす。兄弟なない。父親は町の警察官だ。多忙を極める父親を見てきた街の人々は 一人残されたジョーを心配する。ジョーは母親が死ぬまで身に着けていた 息子を抱く自分の写真の入ったペンダントをいつもポケットに忍ばせている。

夏休み。ジョーと4人の仲間は 8ミリカメラで映画を作っている。太っちょのチャールス、カーレイ、マーテイン、プレストンだ。伊達男の私立探偵が ある事件を追っているうちに 犯人がゾンビであることを突き止めるという恐怖映画だ。探偵の愛人役に、アリスに頼んで出演してもらうことになった。ジョーもチャールスもアリスのことが とても好きだ。

撮影場所は駅舎。
アリスを含む6人は、深夜 家を抜け出して駅で映画撮影を始める。そこを列車が通過する。 すると、列車の進む方向から トラックがやってきて列車に衝突し、列車はことごとく脱線して燃え上がる。少年達は命からがら 逃げ回るが、駅に置き忘れてきたカメラのフイルムは 回り続ける。6人の子供たちは列車に衝突したトラックと それに乗った男を見つける。それは、半死状態の学校の生物の先生、ドクターウッドワードだった。驚くことに、先生はまだ生きていて、ジョーたちに「今見た事を誰にも言ってはならない。軍が来て お前達を見つけたら殺すだろう。早く逃げろ。」と言って銃でジョーたちを脅かす。6人は恐怖に駆られて現場から遁走する。そうしている間にも 何百という軍人を乗せたトラックが どこからともなく集結していて、周辺が封鎖された。

ジョーたちは翌日 顔をあわせても あったことについて口を閉じていた。街は軍人達であふれている。彼らは事故の処理で忙しい。街の警察官のジョーの父親は、軍に協力を申し出るが 相手は断り そっけない。
この日を境に、街中の犬が居なくなり、車のバッテリーは盗まれ、電線が断ち切られ、停電ばかりするようになった。不思議なことばかり起きて、一人、また一人と、住民が消えて居なくなる。

ジョーとチャックは 現像した8ミリカメラのフイルムを観ていて、そこに横転した列車から何か、異様な生き物が出てくるシーンを目撃して、衝撃を受ける。
軍は 次々と転覆した列車事故の跡に、火を放ち 何かの証拠を消すかのようだ。ついに住民は 避難するように命令され 人々は着の身着のままバスに乗せられる。
アリスが父親の目の前で 何物かに連れ去られた。その何物かを目撃したアリスの父親の言葉に ジョーは誰がアリスを誘拐したのか 確信して 彼女を助け出す決意をする。ジョーと4人の仲間は学校に忍び入り 列車転覆事故の原因になったドクターウッドワードの研究室を調べる。そし列車から逃げ出した正体が、、、
という お話。

監督:JJエイブラムス
製作:ステーブン スピルバーグ
キャスト
ジョー  :ジョエル コートニー
ジョーの父:カイル チャンドラー
アリス  :エル ファニング
アリスの父:ロン エルダート
チャールス:ライリー グリフィス
カーレイ :ライアン リー

1979年オハイオ州で実際にあったコンレール社の貨物列車脱線事故で、このときの事故処理が 秘密裏に行われ、処理に200万ドル以上の空前の費用が投入された。スリーマイル島原子力事故に、時期的にも近いし、列車で何が運ばれていたのか 人々には知らされなかった。またネバダ州のエリア51が閉鎖され、人々の立ち入りが禁じられたが その理由が全く明らかにされていない。など数々のクエスチョンマークが この映画制作の切っ掛けになったようだ。
ステーブン スピルバーグを尊敬していて とても思い入れのある監督JJエイブラムスが監督した映画だが、気色の悪さで 彼のB級作品「アルマゲドン」を思い出してしまった。エイリアンも「宇宙戦争」、「トランスフォーマー」や、「ロードオブザリング」などでおなじみの姿で、「やあやあ、またお会いしましたね。」という感じ。

印象に残った場面も無くはない。
ジョーが、犬が居なくなったので 犬の写真を貼った紙を街の掲示板に貼り付けに行く。初めカメラがジョーの犬をフォーカスしている。フォーカスが解かれ、画面が序序に大きくなり、ジョーが犬を失くしたのが自分だけではないと気がついて 後ずさりすると掲示板いっぱいに 様々な犬の写真が 何百と掲示板にひしめいている。カメラのレンズが拡大するに従って ジョーの恐怖感が増大するシーンだ。カメラワークがうまい。

最後のエンデイングの音楽とともに映る 子供たちが製作した8ミリ映画が秀逸だ。
これが とても愉快でよくできている。映画そのものよりも、こっちの方が良い。

「グーニーズ」は1985年作品。リチャード ドナー監督。女の子一人を含む6人の子供たちが 仲間のマイキーの家が 銀行の借金で立ち退きになる為 それを阻止するために海賊の隠した財宝を探しに洞窟探検するお話。喘息で吸入器が離せないマイキー、メキシコ人のマウス、虚言癖のある太っちょチャンク、中国系で発明家のデータ マイキーの兄とその恋人アンデイー、、どの子も目の前に居る実際の子供のように鮮やかに描かれていて楽しい。
「ET」は 1982年作品。 地球に探索にきて 一人置き去りにされてしまったエイリアンとエリオット少年とその仲間の 心の交流の物語。
「スタンバイミー」は 1986年 ステーブン キング監督。12歳の少年4人が 死体探しの冒険の旅に出るお話。
コーデイには優秀な兄がいて、家庭に自分の居場所がない。その兄が事故で死んでしまったとき、親は「お前が死ねばよかったのに。」と言われて傷つく。4人とも 心に傷を持っていて けなげに現実に向き合っている。それぞれが実に生き生きしていて、忘れられない名作だ。
「グーニーズ」と「ET」と「スタンバイミー」をあわせたような 本当に心がふるえるような 子供たちの映画があったら、素敵だ。

2011年6月14日火曜日

映画「オレンジとサンシャインと」



どの国にも暗い過去、あまり他人に触れられたくない過去の汚点といわれるものがある。日本でいうと、関東大震災直後の朝鮮人狩り、宣戦布告なき開戦パールハーバー、南京大虐殺、アイヌ土人法、部落差別、日本軍による沖縄人集団自決の強要、ハンセン氏病患者の隔離、調査捕鯨、東電の放射能垂れ流し、などなど、、、。

この映画は イギリスとオーストラリア両国政府の歴史的汚点である、「忘れられた子供たち」を明るみに出した映画だ。いまのところ 明確になった事実は、1920年代から1970年代までの間に、13万人の 3歳から14歳までのイギリスの子供たちがオーストラリアに送られて、多くは孤児施設や教会施設で強制労働を強いられた というものだ。子供たちの移送はイギリス政府とオーストラリア政府間の合意のもとに行われた。政府間の間にたって、斡旋したのは救世会、カトリック教会、大英教会、その他 慈善団体だった。
ボートに乗せられ、オーストラリアに送られた子供たちの、多くは孤児ではなかった。母親が病気で預けられていた子供たちや、子供を欲しがっている家庭に養子に出した貧しい家庭の子供たちや、戦争中 安全なところに避難させられた子供たちが多数含まれていた。

主に西オーストラリアと南オースチラリアに送られた子供たちは 私物やパスポートを取り上げられ、粗末な衣類と乏しい食料を与えられ、教育を受けることもなく、孤児院施設や教会施設の建設、灌漑事業の強制労働をさせられた。施設では 子供たちへのレイプや虐待は日常茶飯事だった。成人してからは、施設で過ごした年数分の食費を借金として返済させられた。この子供たちを「忘れられた子供たち」と呼ぶ。

これらの両国間の恥ずべき事実は、長いこと当の子供達以外に知るものが無かった。政府のスキャンダルが 明らかにされ、被害者起こしが始まる。しかし、心にも体にも傷を負った当時の子供たちの口は重い。成長した後も 教育を満足に受けられなかったため 良い職業につくことが出来ず また、性的奴隷にされ成長したために 大人になっても普通の結婚生活を送ることができず生活破綻する人が多い。僅かだが幸運にも子供を欲しい家庭に養子として受け入れられて幸せに成長した子供も居る。しかし、ほとんどは 施設で過酷な境遇にあった。イギリスで孤児に掛る一日の経費は一人10ポンドだが、オーストラリアでは5シリングで済んだ、と言われている。

2009年11月、労働党ケビン ラッドが 首相になって 初めて政府として国会で「忘れられた子供たち」に謝罪が行われた。続いて、2010年2月、英国政府として、ゴードン ブラウンが謝罪した。
しかし 両国による謝罪が済んだばかり。今後は具体的な 経済的保障、損害賠償などが課題になる。まさに、「忘れられた子供たち」は、過去の汚点などではなく、現在進行形の事実なのだ。

現在キャンベルタウンの市長は この「忘れられた子供たち」のひとりで、インタビューに答えて、自分は生後2ヶ月で揺りかごの中から浚われて、最終的にはオーストラリアに送られてきた。ボートが港に着いたときに、男女別々にされたため兄と妹、姉と弟が引き裂かれて泣き叫んでいた時の悲鳴が忘れられない、といっている。当時の同じ仲間の多くは子供のときに頭を殴られて いまは耳が聞こえない、と語っている。

監督:ジム ローチ
原作:マーガレット ハンフリー著「EMPTY CRADLES」
キャスト
マーガレット ハンフリー:エミリー ワトソン
レン          :デヴィッド ウエナム
ジャック        ;ヒューゴ ウィービング
ストーリーは
英国 ノッチンガムでソーシャルワーカーとして働いているマーガレット ハンフリーは 1986年、ある日 オーストラリアから来たというシャーロッテと名乗る女性に呼び止められる。彼女は ノッチンガムの孤児院から 4歳のときに オーストラリアに送られて成長した。自分が誰なのか、探して欲しいと言われる。しかし それがマーガレットには どういうことなのかわからない。そんなことがあるわけがない。4歳の孤児がまさか、地球の果てのような外国にボートで送られるなんて。その上、孤児施設で奴隷のように働かされたなんて。

しかし自分のグループセッションに参加している女性が 自分には身寄りがないと思っていたが ジャックという弟がオーストラリアにいることがわかった と言って喜んでいる。ジャックは 8歳のときに船に乗せられてオーストラリアに送られたのだと、にわかには信じられない話がマーガレットのところに 再び舞い込む。
オーストラリア大使館に問い合わせても、わからない。何の記録も残っていない。シャーロッテの戸籍を調べてみると、彼女の母親がまだ実在していることがわかった。母親は 当時社会では許されない婚外関係で子供を産み 養子に出して、シャーロットを手放した。まさか、その後 娘が外国に送られて過酷な生活をしたなどとは想像もしていなかった。
マーガレットは この母娘を引き合わせる。うりふたつのように似た顔の娘が母を初めて対面する。捨てられた娘の母を見るぎこちない視線、、、。

マーガレットは、オーストラリアを訪ねて、ジャックと姉に引き合わせ、彼らの母親を探し出す。しかし見つけたのは1年前に亡くなった母の墓石だった。「ボクが かあさんを見つけるのが遅すぎたから、、」と 泣きながら自分を責めるジャック、、、。

レンは 西オーストラリアの砂漠の中で カトリックの巨大な殿堂を建設させられた。重労働による怪我や栄養失調で 亡くなる仲間の子供たちがたくさん居た。、昼は労働、夜は牧師たちの性奴隷になった。成長してから借金を返済するまで拘束は続いた。30年余り時がたって マーガレットが探し当てた母親に会いに、渡英したが、かつて自分を捨てた母親を受容することができずに、苦しんでいる。

マーガレットはオーストラリアの当時の子供たちを訪ね歩き、新聞社や放送局の協力を得て 当時の子供たちをカミングアウトするようにキャンペーンを始める。それに対して これは済んだ過去のこと として教会関係者や当時の施設関係者たちの妨害が始まる。マーガレットは死の脅迫を受け 暴力の恫喝を受ける。しかし、ひるまず彼女はまた、「忘れられた子供たち財団」を組織して 当時の子供たちの 聞き取り調査を続ける。
という実際にあった ストーリー。

この映画は 社会派映画監督ケン ローチの息子 ジム ローチが製作した。ジムはテレビ畑の人なので、ドキュメンタリーフイルムを作る予定で動き出していたが ドラマの方がインパクトがあると考えて映画にしたそうだ。英国とオーストラリアで撮影され、両国の俳優を使っている。レンを演じたデヴィッド ウェルナムは実際被害者たちと会い 彼らが建設したカトリック施設で 1週間過ごして役作りを考えたそうだ。

題名の「オレンジとサンシャインと」は、子供たちがオーストラリアに連れてこられる前に 言い聞かされていた言葉。「オーストラリアでは手を伸ばせばオレンジの実が取れて それが朝ごはん。毎日太陽が輝いて カンガルーが学校に連れて行ってくれるよ。」と。なんと罪つくりな大人たちだったことか。映画が始まってすぐに、見ている人たちの嗚咽が聴こえてきて、それが最後まで続いた。涙なしに この映画は見られない。

2011年6月12日日曜日

ランランのラフマニノフを聴く



真冬のシドニー。
凍りつくような 冷たい雨が降るしきる夜 オペラハウスにランランがきて ラフマニノフを弾いてくれた。
待ちに待ったライブ。チケットを手に入れたのは 去年の9月だ。ランランのオーストラリア公演は、3日間だけ、それもシドニーオペラハウスでの公演だけだ。今年に入って すぐにチケットは完売して 友達など欲しがっている人も多かったが、全然手に入らなかったそうだ。水曜日に「ベートーヴェン ピアノソナタ第3番」、「プロコフィエフ ピアノソナタ第3番」を弾き、次の火曜日に「チャイコフスキー ピアノコンチェルト第1番」を弾く。

聴きに行ったのは土曜。プログラムは シドニーシンフォニーオーケストラの「チャイコフスキー交響曲第4番」のあと、ランランが オーケストラをバックに、「ラフマニノフ ピアノコンチェルト第2番」を弾いた。
彼はシドニー滞在中、ピアノを学ぶ子供達に、公開レッスンに積極的に取り組み、彼らしく 分厚い眼鏡をかけた子供達相手に、「感じて、感じて、うたって、うたって、、」と繰り返して言っていた。
おもしろいことに、彼が ピアノに興味をもって3歳で弾き始めた切っ掛けは、テレビ漫画「トムとジェリー」で、トムがピアノを弾くシーンだったそうだ。このとき ネズミのトムが弾いたのが、リストの「ハンガリアン ラプソデイー」だった。人生、何が切っ掛けで子供の才能が開花するか わからないものだ。子供には 何でも見せること、聞かせることが大事だ。
ランランのライブを初めて ビデオで見たのは 飛行機の中でのこと。その時の 驚きと感動は、2010年の2月10日の日記で書いた。

プログラム前半のチャイコフスキー交響曲第4番。
シドニー シンフォニー オーケストラでは シモン ヤングが居なくなってからは ブラデミール アシュケナージが常任指揮者になったが、今回はランランが連れてきた ジャージャ リンが指揮をした。日本ではクラシックを弾く人も聴く人もエチケットに大変厳しいらしくて 交響曲の楽章の合間に拍手する人が居たりすると 睨まれたり叱られたりするそうだけど、オージーは とてもおおらかで 聴衆は奏者が上手で自分が嬉しかったら 曲の途中でもブラボーを叫ぶし、一つの楽章が終わったら つい夢中で拍手したり立ち上がって足を踏み鳴らしたりする人も居る。弾く人も聴く人も楽しむ。オペラ鑑賞も同じだ。それでいいのだと思う。

この日、チャイコフスキーの第一楽章が終わって 拍手が終わったあとも指揮者はニコニコ笑って、ドアが開けられ遅れて来た観客があわてて席に着くまで待った。こんなことは始めてだ。この日、オペラハウスのコンサートホールは満員。真冬の大雨で道路は渋滞し、オペラハウスの駐車場が大混乱だった。オペラハウスでは、いつもは早めに行って、コンサート前に シャンパンを飲んで ゆったり音楽を楽しむことにしている私達も、この日 駐車場に車を入れるだけで 余計に時間が30分もかかって、シャンパンどころか小走りに会場の階段を駆け上がらなければならなかった。肥満と心臓病で100メートル歩けない おまけに喘息もちのオットなど、私にせかされて 水を抜かれた金魚のようにアップアップして席に着いたのだった。遅れて来た人たちを 第1楽章のあと入れてやり オーケストラを待たせたのは 指揮者の優しい思いやりだったのだろう。立派なことだと思う。

シドニーシンフォニー。第1第2バイオリン 各14人、ビオラ12人、チェロ10人、バス8人に木管を入れて80人余りの音は、、、第1楽章を聞いたときは「何だ、これでちゃんと音あわせしたのか?」と問いたくなったが、第2楽章からは、良くなって、聴いている内に ちゃんと チャイコフスキーのロシアの風景が目に浮かぶようになった。可もなし不可もなしの演奏。彼らは自治体と国から給料をもらって、演奏している。この楽団の悪口は この5年余りのブログで ことあるごとに言い続けてきたが、給料もらって演奏しているなら もっとがんばれと繰り返し言いたい。どこからも補助金をもらわずに この20年近く 素晴らしい音を演奏してきたリチャード トンゲテイ率いる オーストラリア チェンバー オーケストラ(ACO)の 質の高さを比べると シンフォニーの連中の「サラリーマンの音」にはいつも失望させられるのだ。

休憩に入り、やっとシャンパンで人心地ついて、次がランランの演奏だ。
ラフマニノフ ピアノコンチェルト第2番。ぺテルスベルグに近いセミョノフ生まれ。1873-1943。28歳の時に作曲した ロシア 浪漫派の音楽の代表作。自身が従兄アレクサンドル ジロデイ指揮で初演している。

ランランの演奏の最初の3音で、「ああ、これがランランの音だ。」と思わせる とてもとても力強い和音連打だ。すごいな と思う。1音の強さと濃厚な音の連なり。
豊かな音量、深くて厚みのある、とても熱い音だ。とても良い。
しっかりとロシアの森 黒々とした針葉樹森 雪の残る冷えた空気、冴え渡る白い空、大地の広がりが、目の前に現れてくる。感動的だ。とても良い。本当に実際のランランの音に触れることができて良かった。

この曲、そういえば「のだめカンタービレ」で、「千秋真一先輩」がピアノ演奏している。パリ行きを決意した後で、大学での最後のコンサートで、様々な思いをこめて演奏する千秋真一に、見ていて思わず涙が出た。漫画の作者も ドラマの製作者も この曲の使い方が上手だ。感心した。
この曲、デビッド リーンのイギリス映画「逢びき」でも 道ならぬ恋の場面で使われていた。ベンゼル ワシントンが30年代に白人の人妻に危険な恋をする出会いの場面で流れたのも、この曲だった記憶がある。

28歳で神経を病んでいたラフマニノフが 心をこめて作曲した このせつないコンチェルトを、骨太のランランが力強く弾くと ロシアの大地が香り立つ。ブラボー ランラン。

2011年6月1日水曜日

フランス映画 「神々と男たち」




フランス映画「神々と男たち」、英語題名「OF GODS AND MEN」を観た。英語字幕、2時間15分。
2010年カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した作品。
アルジェリアのテイブリンという村で、トラピスト修道院の7人の修道士が モスリム過激派に誘拐された末 斬首殺害された 実際1996年に起こった事件を映画化したもの。44歳のフランス人監督がメガホンを握った。

監督:ザビア ボーヴォワ
キャスト
クリスチャン:ランバート ウィルソン
ルーク   :ミカエル ロンズデール
クリストフ :オリビエ ラローデイン
セレステイン:フィリップ ランデンバック
アメデイー :ジャッキー へリン
ジャンピエール:ロイック ピション
マイケル  :ザヴィア マリイ
ポール   :ジャン マリー フリン

ストーリは
1995年。アルジェリアの寒村。丘の上にトラピスト修道院が建っている。そこに住む9人の修道士たちは 羊を飼い 畑を開墾し農作物を作り、パンを焼き 地元の人々と共に生活していた。村の住民の多くはクリスチャンだが、モスリムの住民達と仲良く共存して暮らしていた。修道院の一角には 村で唯一の診療所が開設され、年老いた修道士が人々の治療に従事している。彼は 住民に無料で治療するだけでなく、やってきた住民に靴がなければ靴を与え、身なりの貧しい患者には服を与えた。
平和で静かな 修道院の祈りの日々。

しかしクリスマスの夜、突然モスリムの武装集団が 修道院に押し入ってくる。彼ら過激派の一団は ブラザークリスチャン(ランバート ウィルソン)に銃を突きつけながら 薬と医師の提供を要求する。しかし、クリスチャンは 命を脅かされながらも 修道院の医師は 高齢で病気がちであり、患者のために出かけていくことは出来ない、また医薬品は欠乏気味で分けることが出来ない。と毅然たる態度で提供することを断る。
一行は退いていく。
しかし、その日から 静かだった村にも 過激派のゲリラがひんぱんに現れて 協力を断った住民が首をはねられたり、政府職員が連れ出されて拷問の末に惨殺されたりする事件が頻発するようになった。

クリスチャンは地元の役所に呼び出されて 修道士は全員フランスに帰還するように命令が出たことを知らされる。
彼は修道士全員を集めて、意見を聞く。二人の修道士が 母国に帰りたいと言う。自分達が実際ゲリラに取り囲まれ、銃を突きつけられたときの恐怖感。道路で ゲリラに襲われて咽喉を掻き切られて死んだ住民を見たときの激しい嫌悪感。ゲリラに協力することを断り拷問の末に殺された信者の遺体を前にしたときの恐怖感。修道士たちは みな心の平静を求めて祈るが 忍び寄る恐怖感に苦しむ。
軍は修道院を武装兵で護衛することを提案するが、クリスチャンは 神の居る場に 武器を持ったものは入ってはならない、と言って断る。

クリスチャンは 村の信者達に会いに出かける。自分にフランス帰還命令が出ていることを言うと、「村の住民はみな小鳥、修道士達は樹。樹がなくなったら小鳥は巣を作ることも 生きることもできなくなってしまう」、と言われて、村に残る決意をする。
クリスチャンは 修道士全員の意見を再び求める。
留まるか、去るか。もう そのときには全員が留まる覚悟ができている。迷いがなくなり、みな微笑んでいる。修道院に入る前に自分が持っていた家庭や所有物や国籍や自分の名など 捨てて生きることが自分達の使命だ。
雪の夜 静寂が破られて 武装集団が修道院を襲う。修道士達はゲリラ達に誘拐される。雪深い山に修道士達はゲリラ達に先導されて、吹雪のなかを山に入っていくところで映画が終わる。

修道士を演じた役者たちは 修道士の役柄を理解するために 実際何週間も修道院に入って教育を受けたそうだ。修道士の責任者 クリスチャン(ランバート ウィルソン)と 医師の修道士ルーク(マイケル ランデール)以外の役者は ほとんど無名の役者さんたちだ。
クリスチャン役の役者は 役者で歌手でもあるそうで、どうりで賛美歌を彼が主導すると ひときわ声が通る 美しいテノールだった。
準主役のルークは79歳の役者で、実際年齢と同じ年寄り役を飄々と演じていて貫禄たっぷりだ。1日に100人もの患者を診て 疲れ果てて、足をひきずって歩く 喘息もちで かんしゃくもちでもあるルークの かわいいおじいさんぶりを見ると、愛さずにいられない。
撮影はモロッコで行われた。丘の上に立つ修道院は実際 建ってから40年もの間 放って置かれていた修道院が使われたそうだ。

カメラワークが素晴らしい。アルジェリアのなだらかな山々、痩せた土地を耕作し、種を蒔く人々、川の美しい流れ、石ころだらけの道を羊飼いが羊を追っていく姿。
ゲリラたちが去り、平安が戻ってきたと思われた晩、夕食のときにルークはお祈りではなくて、チャイコフスキーの白鳥の湖 序曲CDをかけ ワインを開ける。小さなラジカセから流れる圧倒的な音の力に聴き入る修道士達の顔が順に映し出される。シンフォニーの美しさに 思わず涙が流れ、安堵の表情、安らかな顔が映し出される。
しかしながら その夜 彼らは襲われて誘拐される。文字通り これが「最後の晩餐」になった。

カメラは 修道士の顔を真正面から大写しする。銃を付き付けられて恐怖に歪む顔、死の恐れから逃れられずに苦しむ顔、死者を見つめる哀れみの顔、祈るときの真剣な顔、死を覚悟した瞬間の毅然とした顔、、、顔が心を映し出す。逃げも隠れも ごまかしも嘘もない本当の心がそのまま顔に表される。画面いっぱいに映し出された顔、それぞれ若くない男達の顔が 実に美しい。
カメラの動きが極力、抑えられていて、それがそのまま修道士達の心の動きのように一定している。

最後の場面で、雪が降りしきる中、山の斜面をゲリラ隊と 寝間着姿のまま誘拐された修道士達が 息を切らせながら歩いていく。カメラの位置は 変わらない。ロングショットだ。一人一人の修道士がおぼつかない足取りで登っていく。被害者的な表情も 絶望も希望もあきらめも何もない。誘拐者たちも誘拐された者たちも 淡々と雪山を登っていく。そして、すべての者が通りすぎてしまい、後姿が小さくなり、音が消え、降りしきる雪だけとなって そして終わる。長い長い 素晴らしいロングショットだ。
この最後のシーンで 彼らがどこまでもどこまでも歩いていって そのまま世界から消えていっってしまったことを象徴している。恐らく修道士達は、行進の後、一人一人首をはねられ山に捨てられた。しかし、それを映像にしないで、修道士達が山に向かって歩き続けていく姿で映画を終えることで、修道士達が 私達の心の中で 永遠に生き続けていくことを示した。巧みだ。

とても美しい映像。
監督名は初めて聞く名前だが、今回のグランプリだけでなく、1995年にも「DON"T FORGET YOU ARE GOING TO DIE」という映画でも カンヌ映画祭で賞を取っている人だそうだ。映像と音の使い方が上手で 音響効果が素晴らしい。若いのに才能のある人だ。

2011年5月25日水曜日

映画 「パイレーツ オブ カリビアン4 生命の泉」




パイレーツ オブ カリビアンの第4作、「生命の泉」3Dくを観た。
監督が変わって ロブ マーシャルになった。「シカゴ」、「NINE」などのミュージカルを手がけた監督だ。137分。デイズニー配給のアメリカ映画。ハワイで撮影された。

第1作「呪われた海賊たち」、第2作「デッドマン チェスト」、第3作「ワールドエンド」の3作は、カリビアンの海賊首領のジャック スパロウが主役というよりも、ウィル ターナーと エリザベス スワンの恋がメイン ストーリーだった。

第1作で、子どもの時に ウィルとエリザベスは ボートで運命的な出会いをする。時がたち、大英帝国の総督の娘、エリザベス(ケイラ ナイトレイト)は大人になって 貧乏な鍛冶屋のウィルに 再び運命的な出会いをして、二人は恋に陥る。ウィル(オーランド ブルーム)は 貧しい天涯孤独な青年だが 父親から受け継いでいた彼の血が 海賊たちの狙う財宝を開ける鍵になる。
第3作で この二人はやっと結婚にこぎつけるが、ウィルは 「さまよえるオランダ人」の伝説どおりに永遠に海の上を彷徨い続け、7年に一度だけ上陸を許されて エリザベスに会う。
第3作のエンデイングロールが終わった後のフイルムでは、7歳になった子供と並んで丘に立ち ウィルの帰りを待つエリザベスの姿で終わった。伝説どおりで行くと 上陸を許された時の 心の行き違いでウィルの船は 沈んでしまい、女は身を投げて二人とも死ぬが、これによって永遠に二人は救済されるというお話がある。ともかく、ウィルとエリザベスのお話は 1-3作で終了した。もう、この海賊シリーズで オーランド ブルームとケイラ ナイトレイトに、会うことはできない。

第1作から第3作までの主役をウィルに譲り 舞台回しの役をやっていた キャプテン ジャック スパロウ(ジョニー デップ)が 第4作では文字通りの主演主役をやる。おなじみの登場人物、黒ひげ(イアン マグシェン)、キャプテン バルボサ(ジェフリー ラッシュ)、ジャックの父 キャプテン スパロウ(キース リチャード)、ギブス航海士(ケビン マクナリー)、も みんなみんな健在で 登場する。ジャックの昔の女で、黒ひげの娘アンジェリカ(ぺネロペ クルース)が 初登場する。

飲めば永遠の命を持つことが出来るという「生命の泉」を求めて 大英帝国も スペイン政府も キャプテン バルボサも、黒ひげも アンジェリカも ジャック スパロウも探索の旅に出る。
生命の泉から湧き出る水に 人魚の涙を1滴落とした水を 二組の銀の杯に入れて飲み干したものだけが 永遠の命を手に入れることができる。まず、人魚を生け捕りにしなければならない。
月夜にボートを浮かべて、若い男が恋の歌を歌う。歌声に誘われて 人魚達がやってくる。しかし人魚達は その美しさで、男達を魅了して海底に連れて行って沈めてしまう。キャプテン バルボサは 黒ひげの捕虜となったジャック スパロウを利用しながら、人魚を生け捕りにして、生命の泉まで連れて行く。探し当てた泉で、英国軍、スペイン軍、バルボサ、黒ひげ、アンジェリカとジャック スパロウの全員が 顔をあわせることになって、、、。
というお話。

監督が変わったが、音楽の素晴らしさ、映像の美しさは変わらない。これは海賊というお伽噺だから、画面が美しくなければならない。デイズニーが全力投球して 沢山お金を使って製作しているだけに映像は素晴らしく美しい。
ジャック スパロウは、海賊の首領なのに、片目がつぶれている訳でもなく 怖くもない、いつも英国軍からは追われ、バルボサ側や黒ひげ側にとっ掴まって 脅迫されて財宝までの道案内をさせられる冴えない首領、おまけに今回は彼の船を沈められているから、海賊船さえも持っていない親分。女たらしで へろへろしていて、もったいぶっていても、実は逃げ回ってばかりいる。ジョニー デップが作り上げたジャック スパロウに 魅了される。彼の役者としての 徹底した役作りのこだわりが 実に愉快だ。カリビアンの海賊は まったくもってジョニー デップが作り上げたおとぎばなしだ。

ぺネロペ クルースの舌足らずの英語が可愛い。子どもの時から役者よりもダンサーになりたかった と言っているが、彼女の健康で水みずしい姿が美しい。映画「帰郷」で 酒場で仲間達にせがまれて、ギターを抱えて民謡を歌った場面が忘れられない。スクッと姿勢を正して こぶしの効いた民謡を歌出だしたとたんに、スペインの乾いた大地が感じられた。彼女には強い女の役がとても似合う。

今回初登場の宣教師 フィリプを演じたサム クラフトンと、彼が恋の陥る人魚のシレーナを演じた アストリット ベルジェ フリスべが 印象に残る。人魚がたくさん出てきて、それがみんな美人。特にシレーナは人間に生け捕りにされて何度も死に絶え絶えになる姿が はかなくて、可哀想で、宣教師フィリップが何度死んでも 助けにもどって来い と祈らずにいられない。

第4作は このシリーズで初めて3D画面になったが、特に3Dで見る価値はない。どう観ても とてもきれいな画面で よくできている。前回沢山出てきた えぐい怪物や 生きていて戦う怖い骸骨も出てこない。安心してみていられる。筋も単純でわかりやすい。
この海賊シリーズはとても おもしろい。1作目から4作目まで、全部続けて観たら 見落としていたことがたくさん出てくるだろう。どうして ここに、というような 意味がわからなかったところなども、納得できるだろう。新しい発見も沢山ありそうだ。
長い長いエンデイングロールのあとの映像で、次の第5作も ぺネロペ クルースで続くことがわかる。今後も キャプテン ジャック スパロウに敬意を表して 見逃さずにちゃんと最後まで観よう。このシリーズ、何作続いても、おもしろい。

2011年5月24日火曜日

メトロポリタンオペラ 「カプリチオ」を観る




ニューヨーク メトロポリタンオペラ公演 リチャード シュトラウス作曲のドイツオペラ「カプリチオ」のハイビジョンフイルムを、巨大スクリーンで観た。
映画はビデオでなく 新作映画を映画館で観る。オペラはCDやDVDで観ず  オペラハウスで観る。コンサートはCDで聞かずに コンサートホールで聴く。本はIPADやPC画面で読まずに 印刷されたものを読む。30年余り そうしてきた。しかし、ニューヨークメトロポリタン オペラの作品が 映画館で ハイビジョンスクリーンで観られるようになって 誘惑に勝てず 上映するたびに足を運ぶようになった。シドニーで レネ フレミングや、プラセタ ドミンゴは 観られない。オペラオーストラリアの オペラハウスでの公演を10年あまり続けて観てきたけれど やっぱりもの足りない。

ハイビジョンフイルムで、オペラでは シュトラウスの「ばらの騎士」、ベルデイの「ドン カルロ」、「サイモン ボカネグラ」、や「カルメン」、「アイーダ」、トスカ」などおなじみの作品。バレエも、ボリショイバレエの「くるみ割り人形」、国立パリオペラバレエの「コッペリア」、ロンドンロイヤルバレエの「ジゼル」、「白鳥の湖」、キロフバレエの「ドンキ ホーテ」など観た。フイルムでは、踊り手の細かい表情まではっきりと見ることが出来て、舞台で観るのと違う、発見や楽しさがある。

今回観たのは、リチャード シュトラウスが 最後に作ったオペラ「カプリチオ」。もともと イタリアのフィレンツェで始まったオペラは 天才モーツァルトの活躍のあと、イタリアオペラの巨人ヴェルデイと、ドイツオペラの巨人ワーグナーの時代が長かった。二人とも悲劇ばかり書いた。
彼らの後に やってきたドイツのリチャード シュトラウスと、イタリアのプッチーニは 楽しいオペラを書いて 大衆の人気を得た。
シュトラウスの「ばらの騎士」は、当時の人々に大歓迎され、また「サロメ」では、オペラに 血のしたたる生首が出てくる斬新な舞台で観客達を驚かせ、興奮させた。テレビや映画のなかった時代、オペラは民衆の 大切な娯楽だったのだ。

「カプリチオ」とは イタリア語で「気まぐれ」の意味。1941年、ミュンヘンで上映された。パリが ナチスドイツに蹂躙されるころ、このような優雅なオペラが上映されていた、ということが、驚きだ。
3時間の舞台に、ほぼ主役のレネ フレミングが ずっと出ている。舞台は伯爵夫人の広間だけで物語が進行していき、舞台背景は全く終わるまで変わらない。

ルネ フレミングは1959年生まれのアメリカ人。ドイツに留学していて、ドイツオペラが得意な人。モーツアルトの「フイガロの結婚」の伯爵夫人、シュトラウスの「ばらの騎士」の伯爵夫人など、貴婦人の役を演じるために生まれてきたような気品あるソプラノ歌手だ。彼女に「カルメン」とか、「ボギーとべス」とか「ラ ボエーム」はできない。

ストーリーは
若く美しい未亡人 マドレーヌの誕生日にどんな贈り物をして、彼女を楽しませるか サロンに集まる若い芸術家達は 議論に余念がない。作曲家、フラマンドと詩人のオリビエは どちらもマドレーヌに求婚しているライバル同士だ。マドレーヌを魅了するのは音楽か、ソネットの詩か、二人とも互いに負けられない。捧げたソネットを マドレーヌが褒めると、フラマンドはそれに曲をつけて マドレーヌの気を引こうとする。
マドレーヌの兄、伯爵は 妹の誕生日の贈物に、芝居を見せたいと考えて、女優のクラリオンを誘い出す。クラリオンは劇場主 ラ ロシェの協力を得て、さっそく芝居の練習を始める。そうしているうちに、マドレーヌを喜ばせようと、サロンにバレリーナが呼ばれ、イタリアオペラ歌手が呼ばれて、それぞれが パフォーマンスを見せる。楽しい見世物をみて、マドレーヌは、作曲家も詩人も役者もバレリーナも歌手もいる。ここで、新しいオペラを作って見せてください。と提案したところで、みんなが一致して、お話が終わる。

指揮:アンドリュー デビス
キャスト
伯爵夫人マドレーヌ :レネ フレミング
伯爵、マドレーヌの兄:モートン フランク ラーセン
作曲家フラマン   :ジョセフ カイザー
詩人オリバー    :ラッセル ブラウン
女優クラリオン   :サラ コノリー
劇場主ラ ロシェ  :ピーター ローズ

序曲が弦楽6重奏で始まる。
これから始まる物語が6人の男女のやりとりであることを予感させるような6重奏のハーモニーがとても良い。オペラのアリアが少なく、3重唱、4重唱、5重唱がたくさん出てきて楽しい。3時間あっても重くない 楽しいオペラだ。
さすがに今一番オペラで人気者のレネ フレミングだ。本当に柔らかい優雅なソプラノの声を出す。それと、伯爵のモートン フランク ラーセンのハンサムで甘い顔とバリトンの素晴らしい声に すっかりノックアウトされた。

ギリシャ悲劇をベースにした「大」悲劇や、人間に苦悩を描いた重い哲学的な物語りは、やはり劇場で観たい。役者達の呼吸に合わせて息を止めたり、ため息をついたり、涙を流したり、舞台と一体になって感動をもらいたい。
でも日曜日の午後、ブランチを食べたあとゆっくりと手足を伸ばすようにして 通いなれた映画館で 美しいソプラノを聴くと、心の底まで贅沢な幸せな気分になれる。そんな 素敵な日曜日だった。

2011年5月20日金曜日

映画 「恋人たちのパレード」




アメリカ映画「WATER FOR ELEPHANTS」、邦題「恋人たちのパレード」を観た。
原作サラ グルエンによる小説「サーカス象に水を」を映画化したもの。アメリカ映画。
監督:フランシス ローレンス
キャスト
サーカス団長 オーグスト:クリストフ ワルツ
サーカスの花形 マレーナ:リース ウィザスプーン
獣医学部学生 ヤコブ    :ロバート パテインソン

ストーリーは
1931年、アメリカは 未曾有の不景気に見舞われていた。
ヤコブは 実業家の一人息子で 大学で獣医学を学んでいる。東欧からの移民だったヤコブの父親は 自分の事業を起こして大恐慌の中でも、なんとか中流の生活を維持していた。
ところが ある日突然 両親が車の事故で亡くなる。担保に入っていた会社は銀行に取られ、住んでいた家からもヤコブは追われる。大学卒業を目前にしながら ヤコブは文字通り 路頭に迷うことになる。突然、両親を失った悲しみに浸る余裕もないまま、土地を追われ、ヤコブは仕事を探しに街に出ようと決意する。

ヤコブが飛び乗った貨物列車は、サーカス一座が移動する列車だった。一文無しのヤコブは 雇ってもらいたいばかりに、サーカス団員に混ざって動物達の世話をさせてもらう。動物の糞尿にまみれて 団員達と一緒に働くうち、ヤコブは すぐに美しいサーカスの花形マレーナに 心を奪われる。彼女は 団長の妻だった。
しばらくして ヤコブはやっと団長、オーグストの目にとまり 紹介されることになった。ヤコブは 自分は獣医だと名乗り 正式に雇ってもらうことになった。
しかし団長は酒癖が悪く、飲みだすと冷酷なサデイストになる。芸を教えても なかなか思い通りにならない動物に対して 厳しく鞭で芸を強制する。芸をする動物達と 心を通わせているヤコブには それはつらいことだった。マレーナは夫が暴力を振るうようになると、じっと夫の嵐が過ぎるまで待っている。しかし、ヤコブは団長がマレーネにまで暴力的になるのが許せなかった。ヤコブは益々、マレーネを慕うようになる。

サーカス団に新しい動物、象が加わることになった。ヤコブは、この象を飼いならして マレーネが象使いとしてステージにたてるように調教する役を命じられる。象を扱いながら ヤコブとマレーネの間には特別な感情が芽生え始める。

ある日 団長に逆らったヤコブは 団長の怒りを買い殺されそうになる。マレーネは機転をきかせてヤコブを走る列車から逃がそうとする。その土壇場でヤコブはマレーネに 愛を告白してマレーネを抱いたまま 列車から飛び降りて、サーカス団から逃亡する。しかし、団長と彼のお抱えガードマン達は二人を追って、、、。
というお話。

これはラブストーリーだから、ロバート パテインソンとリーズ ウィザスプーンの二人が主役だが、三角関係で捨てられる方のサデイストのクリスト ワルツが断然輝いている。役者としての格がちがう。実に演技が上手で この人、とくに冷酷で血も涙もない男の役をやると輝きが増す。キラリと目が光り サドになる瞬間の表情など迫力があって他の人にまねできない。切れ味の良いナイフのようだ。
この役者、ブラッド ピットの「イングロリアス バスタード」でもサデイストのナチの将校をやって 82回 アカデミー助演男優賞を取った。この人が 普通の顔で日常会話をしている時が とても怖い。笑いながら どんなことでも冷酷なことができるからだ。ナチの将校役で英語もドイツ語もイタリア語も使っていたが、このオーストリア人役者は 実際5ヶ国語を自由自在に使えるそうだ。53歳。とても良い役者だ。若いときのピーター オツールのように見えるときがある。

主役のロバート パデインソンは 吸血鬼なのに人間を愛してしまう映画「トワイライト」シリーズで人気者になった。それなりに役をやっているが、どうしてもこの人の顔が好きになれない。だから「トワイライト」は どれも見なかった。

リース ウィザスプーンが、とても可愛い。サーカスの花形で、走る馬の上で立ったり、馬を 床に寝そべらせて その上に乗ったり、象に乗って行進したり 二本足で立たせたり 芸をさせて、本当のサーカス団員のようだ。本人も動物が大好きだそうだ。そうでなければ とてもできない役だ。シャープなアゴの線と大きな目、、、いくつになってもとても美しい女優だ。ロバート パデンソンと10歳くらい年が違うが、そんなに見えない。気が強くて気性が激しいが、案外もろいところのある女の役のぴったり。

話の筋は単純。
総じて役者では クリスト ワルツとリース ウィザスプーンが良かったが、しかし、何と言っても一番素晴らしい役者だったのは、42歳の象TAIだ。打たれて、うちしおれて哀しがったり、2本足でらくらく立ってみたり、音楽に合わせてステップを踏んだり、とてもよく訓練されている。鼻でコミュニケーションをとったりするところも 可愛くて微笑ましい。

野生動物を群れから離して、芸を憶えさせることは 動物の意志に反しているから 動物虐待ともいえる。サーカスではもう動物を使わなくなった。それでもなお、TAIは素晴らしい。畑正憲 ムツゴロウ先生も言っているが、象は最も知恵の高い動物だそうだ。
象が主役のラブストーリー。象が好きな人は 観て楽しい。

2011年5月17日火曜日

オーストラリアで見るユーロビジョン



普段は ニュース以外にテレビを見ないが、この週末は ユーロビジョン ソング コンテストがあったのでテレビ浸けだった。
ユーロビジョンは 60年の歴史を持つ 歌のコンテストで テレビの最長長寿番組であり スポーツを除いては ヨーローッパで最大の国境を越えた祭典だ。 今年は43カ国が出場した。
オーストラリアは ヨーロッパから遥かに離れていて、出場権も投票権もないのに、人々はこの番組が大好きだ。 ユーロビジョン コンテストを見ることは、ヨーロッパの現代史を見ることでもある。60年の間には 東西冷戦、軍による圧制、侵略、戦争 テロがあり、今でも平和とは言えない紛争が続いている。

日本にいるときは これを知らなかった。日本に居たときは 世界中の国の人が野球をやっているのかと思っていたが、野球はマイナースポーツで、「世界3大スポーツの祭典」といったら、オリンピックと サッカーワールドゲームと ツアー デ フランスだった。歌も、アメリカっぽいロックやヒップホップがメジャーかと思っていたら、ユーロビジョンが一番の人気だった。 こういうことは 日本を出てみないとわからなかった。

ユーロビジョンは 1950年代に 第二次世界大戦後の復興の一環としてヨーロッパの国々が共同でエンタテイメント番組を作るという目的でできた。最初に大会は スイスのルガーノデ開催、まだ 衛星放送はないからマイクロ波中継でテレビ放映された。参加国は それぞれ代表を選出し、視聴者からの投票数で優勝国を決める。
1国1歌手の代表。曲は3分以内。生で歌われ、バックトラックに声を入れてはならない。バックコーラスは3人まで許される。参加国のテレビ中継は その国の公共放送で放映される。視聴者は自国以外の国に票を入れなければならない。投票が最多得点を得た国が優勝、トロフィー以外に特に何も与えられない。
などのルールがある。

ここで生まれた世界のヒットソングがたくさんある。1956年の「ボーラーレ」。ボーラーレ ウオウオウオウオーーーという曲は日本でも流行った。1974年のアバ、「ABBA」の登場は たちまち世界中にセンセーションを起こした。また1974年の セリーヌ デイオンの登場も華々しい。

ドイツを隔てていた東西の壁は ぶち破られたが、それ以前は 東欧はユーロビジョンを見ることは規制されていた。しかし人々は「ユーロビジョン秘密パーテイー」をして、業務用や家庭用のアンテナを使って 政府が厳しく禁止するなかを テレビを見ることで抵抗していたのだ。
アイルランドは、ユーロビジョンで 7回優勝をして優勝最多国だが、1970年 毎日のようにダブリンで IRAの爆弾が爆発し、北アイルランドが火を吹いていたときに 優勝者ダナが 北アイルランドンに行って優勝歌を歌うことに、深い政治的抵抗の意味があった。ジョニー ローガンは2回出演して、2回とも優勝している。

フィンランドは スターリン圧政下のあっても、ユーロビジョンに代表者を送り続けた。1979年 ポーランドもブルジネフ体制になって出場。
1968年にはスペイン代表は 長きにわたるフランコ軍事独裁体制下、抑圧されていたカタロニア出身の歌手が、土地の歌を歌って、ヨーロッパ中の支持を得た。
1968年 英国のクリフ リチャードが出現して 当時ではかっこ良い、今では とても恥ずかしい身振り手振りで スローロックを歌った。

バルカンでは ユーゴスラビアは ボスニアヘルツエコビナと クロアチアとスロベニアに分かれ、それぞれが代表を送り込む。ロシアから分かれた エストニア、ラトビア、リトアニアも、それぞれが代表を送る。
参加国は毎年増え続けている。

独立国とは名ばかり、内政をロシアが牛耳っていたウクライナが、2004年には優勝する。これは感動的だった。
ウクライナ代表のルスラナは、闘士でもある。自分で作詞作曲した「ワイルドダンス」という歌を 編み上げブーツ、黒髪にバンダナ、スパルタカスのようなローマ戦士のいでたちでヘビーロックを 飛んだり跳ねたり ギタリスト達を足蹴にして肩に登ったり 広い舞台を自由自在に駆け巡り ものすごいボリュームの声量と激しいダンスのパフォーマンスで、文句なしの優勝をした。その後、彼女はロシアの繰り人形の大統領を拒否し ルシェンコ大統領を立て オレンジ革命の活動家として活躍する。

2006年のフィンランド代表 ローデイが優勝したときは おもしろかった。このときフィンランドは45回参加し続けていて、初めての優勝。スターリン影響下にあっても ユーロビジョンに代表者を送ることで ソビエト政府に抵抗してきた国。歌ったローデイは ヘビーロックグループで、当時話題の映画 指輪物語「ロードオブザ リング」に出てくる怪物の姿。ロックバンド「キッス」にも太刀打ちできない異星人の迫力。記者会見にも決して素顔を見せないバンドの面々だった。ヘビーロックの押しの強さでトロフィーを掻っさらって行って、痛快だった。

2009年のノルウェー代表者のアリャクサンドル ルイバークは史上最高の得点で優勝。歌いながらヴァイオリンを弾き、それが何とも民族的で土の香りのする激しく情熱的な曲だった。ヴァイオリンも美しい音。テレビの画像でもわかるほど、激しく弾く弓から 馬の尻尾の毛が切れて飛んでいた。彼はゲイ。本当にチャーミングな歌手だった。彼の優勝も痛快。

2010年はドイツのレナ マイヤー ランドリート。これにはびっくり。黒髪の19歳の女の子が ちょっと音程をはずしながらヒョロヒョロ歌う。どうしてこんな少女が優勝を、、、とあきれたいたら、2011年今年のドイツの代表でも彼女が出てきて 不安定な音程で歌って再びびっくりさせてくれた。
2011年今年の優勝者は アゼルバイジャンのエルダル ガスモフとニガル ジャマルの男女のカップル。可でもなく不可でもなく といったところか。女性歌手の方が イギリス在住とわかって、規約違反を問われている。

今年の代表で印象に残っているのは、フランス代表のアマルイ ヴァシリ。彼は コルシカ出身 ナポレオンが生まれたイタリア領にある小さな島。コルシカ独特の言語を持つ。長身、美形の彼が コルシカ語で素晴らしいテノールを聴かせてくれた。彼自身が魅力的だったがそのような少数民族の言語をもつ歌手を国の代表に送り出すということが嬉しかった。

各国の投票数をみていくと興味深い。視聴者は自分の国には投票できない。すると 多くは隣の国々に投票するのだ。あれほど憎みあっているポルトガルが スペインに最多投票をし、スペインがポルトガルに。トルコがギリシャに多数票を入れ、ギリシャがトルコに票を。セルビアモンテネグロが スロベニアに票をいれ、クロアチアまでもが。

驚くのは、このあいだロシアが戦闘タンクで侵略した ジョージアが ロシアに多数票を入れたことだ。
政治を地図の上でしか理解できない わたしは これが 理解できなくて、混乱した。
親兄弟が隣の国に殺されて、政治的には、憎い。しかし同じ文化を共有し、同じ音楽を聴いて育った人々は、同じ音楽に歓び 哀しみを見出す。まさに、「音楽に国境はない」のだ。
歌に国境はない。それが ユーロビジョンを見て 改めて知らされて、衝撃を受けている。

写真は
フランス代表のアマルイ ヴァシリ

2011年5月15日日曜日

久坂部羊の小説3作を読む




医師でありながら物を書く人は多い。
医療現場に身を置くよりも 小説家として成功している人の中には 森鴎外、夏目漱石、北杜夫、斉藤茂太、なだいなだ、渡辺淳一、藤枝静雄、大鐘稔彦などが居る。
人の生と死に立ち会う医療従事者には 他の職種に就く人よりは、人生について言うべきもの、語らずにいられないものを 抱えることが多いからかもしれない。

久坂部羊の小説を読んだ。
1:「無痛」
2:「破裂」上下
3:「廃用身」2003年 デビュー作
以上3作。
作者は 大阪大学医学部卒、小説のほかにエッセイ「大学病院のウラは墓場」、「日本人の死に時」などがある。小説というかたちで、現在の日本の大学病院のかかえる問題、特定の教授が強権を持ち、医局で若い医師達が押しつぶされる姿や、患者をもとに教育、修練しなければならないため患者の人権が無視される医療状況などが 小説の背景に しっかり描かれている。
山崎豊子の小説「白い巨塔」が 発表されたのが1963年だが 未だに何ひとつ変わらないのが 大学病院の現状だろう。この作家は 益々厳しくなる 現状を背景にしながら「人間」が描かれている。とても 優れた力を持った作家だと思う。

1:「無痛」
神戸で幼い子ども2人を含めた一家4人が極めて残酷な方法で惨殺されていた。現場からは凶器のハンマーや 犯人のものと思われる帽子や靴跡など 遺留品が多かったが 警察の捜査は難航した。
事件から8ヵ月後 この事件は自分がやった と精神障害児童施設の14歳の少女が告白し、事件現場で発見された帽子には彼女の髪が残されていた。心を閉ざしている少女と会話できるのは 心理療法士の菜見子だけだ。警察は色めき立つ。しかし、菜見子が頼りにする 一見風采の上がらない街医師 為頼は、彼女を一見しただけで犯人は彼女ではない と考える。
ではこれほど 無残な殺人をやってのける人間は 何物なのか。 生来痛みを持たない特殊体質:先天性無痛症で、尖頭症の知的障害を持った 井原という男が大病院で 白神院長のもとで働いている。痛みが理解できないので 他人を思いやったり、人と共感したり同情したりすることがない。白神の命令に絶対服従するが 命令がどんな意味を持つものか、理解する知性はない。病気を持つ人は必ず 外見も変わってくる。注意深く観察すれば人がどんな病気をもっているかわかる、と断言する為頼は、井原が内包する素質を外見だけで見抜いて事件を追っていく。
というお話。
医学知識が豊富な人が書くミステリーは 持たない人が書くものよりも数段 おもしろい。

2:「破裂」
医師の誤診によって 一度は絶望の底に突き落とされたことのある新聞記者、松野は医療過誤を告発しようとして、聞き取り取材をするうち、若い麻酔医 江崎と出会う。江崎は硬直化した大学病院の独裁体制に嫌気がさしていた。心臓手術で父親を失くした娘 枝利子は 父親は手術のミスで死んだのではないかと疑い 手術を主導した香村助教授を訴えるために、松野と江崎に助けを求める。
香村助教授は いったん心筋梗塞で破壊された心筋を 活性化させて蘇生するという画期的なぺプタイド療法を開発していた。しかしこの画期的な治療法は 深刻な副作用を抱えていた。患者が治療を受けて、すっかり元気になったころに突然何の予告もなく心臓が破裂して死亡するのだ。
一方、厚生省の実力者、佐久間は 今後老齢化する日本の老人社会のなかで、老人が苦しまずに突然死する 香村のぺプタイド療法が老人の究極の望みだとして、香村を巻き込んだ老人対策を進めようとする。しかし、それをかぎつけたマスコミによって アイデアは潰される。
「日本はどうなっていくのか。佐久間のような非情なやり方以外に 日本を救う道があるのか。ひょっとして佐久間は日本の危機を回避する唯一の切り札ではなかったか。」で 終わる。

3:「廃用身」
神戸の老人専門病院で働く医師、漆原は、麻痺して回復の見込みのない手足は切断するべきだ、と考えている。脳卒中などで麻痺して、いくらリハビリを続けても回復しない手足がなくなれば、本人にとっては、残った健康な手足だけで移動したり日常生活するのが楽になる。介護者にとっては 体重が減って 扱いやすくなって、介護が楽になる。いたずらにリハビリを続けて 動かない手足:廃用身を嘆くことよりも、物理的に楽になり 痺れやだるさから解放され、気持ちの上でも前向きになれる。
しかし廃用身の切断は、健康保険では認められないため、手術理由を 感染とか別の理由をつけて行わなければならない。しかし患者からも家族からも漆原の治療は信頼を得ていた。
患者にも家族にも好評だった、漆原医師による手足の切断が、しかし、マスコミに取り上げられて、老人虐待だと 断定される。
マスコミ主導の世論にたたかれて、漆原は「頭はわたしの廃用身」という遺書を残してレールを枕に横たわり 首を轢断されて自殺。妻も赤子を抱えて電車に飛び込んで亡くなる。
「このケアについて語れば 真近に迫った介護破綻に目をむけざるを得ない。彼が命を賭してまで問いかけたことを見過ごしてはいけない。彼は老人医療の先駆者だった。人々は漆原氏の慧眼をしるだろう。」
で終わる。

「廃用身」では、介護を必要とする年寄りと家族が少しでも楽になる方法を 漆原ドクターに語らせる。彼は「一般常識」を唱えるマスコミが操作した世論によって 破滅させられたが、彼の主張に矛盾はない。時代が変われば 新しい「一般常識」になり、認知されることではないだろうか。これが老人問題の ひとつの回答であることは、確かだ。
「破裂」では、現在はタブーになっている「安楽死」の問題が課題になっている。いずれ オランダのように、日本も安楽死を認めざるを得なくなってくるだろう。
そのうえ、生きる目的をなくした老人が、死ぬその日まで元気でいて、心臓破裂によって苦しむことなく突然死する という選択を望む老人も少なくないだろう。老人問題は年寄りの問題でも、若者の問題でもある。硬直した人権や クリスチャン的な人道主義を標榜しても始まらない。
おもしろい。
この作家の今後の活躍に期待する。

2011年5月11日水曜日

映画 「ミッション:8ミニッツ」




新作アメリカ映画「SOURCE CODE」、邦題「ミッション:8ミニッツ」を観た。なかなか おもしろい。
監督のダンカン ジョーンズの二作目の作品。最初の作品は、SFスリラーというか、ミステリー心理劇と言うか、人の心を描いた映画の「月に囚われた男」。
この監督の父親は 役者や映画監督もできるマルチで ロックの神様、デビット ボオイだ。
http://www.imdb.com/video/screenplay/vi1777835289/

キャスト
コルター ステイーブンス:ジェイク ギレンホール
キャプテン ゴッドウィン:べラ ファミーガ
プログラム責任者    :ジェフリー ライト
クリステーン      :ミシェル モナハン

ストーリーは
アフガニスタンに派遣されていた空軍パイロットの コルター ステイーブンスが あるとき目が覚めてみると シカゴに向かう列車の中に居た。前の座席にすわって 親しげに話しかけてくる女性は 自分の知り合いらしい。どうして自分が列車に乗っていて クリステーンという女性から ショーンと呼びかけられるのか、全く覚えがない。混乱して、列車の洗面所に駆け込むと、そこの鏡には 見た事のない男の顔が映っている。ポケットの中の財布には鏡に映ったショーンという学校の先生の顔写真が入っている。
その瞬間に列車は火を吹いて爆発。コルターは 吹き飛ばされて気を失う。目が覚めてみると 彼は鉄の箱の中で 座席に拘束されている。
鉄の箱の名は ソースコード。

奇妙な 電気コードばかりが張り巡らされている鉄の箱には、テレビのモニターがあり、キャプテン ゴッドウィンと名乗る軍人の女性が コルターに語りかける。キャプテンはコルターに 乗っていた列車に仕掛けられた爆弾と、爆弾犯を見つけるように命令する。

猶予は8分間。
脳には死亡する直前の 8分間の記憶が死んだ後もしばらく残っている。その記憶に 別人の脳がトリップして入り込むと 死ぬ前の8分間を追体験することができる。ソースはコルターの脳だ。ショーンが死ぬ前の8分間の脳に コルターの脳が入り込むことが出来れば 爆弾犯を捉えて、次の犯行を未然に防ぐことが出来る とキャプテンは言う。
シカゴ警察は、シテイーの中心を走る列車に爆弾が仕掛けられている という予告を受けていた。第1発目の爆弾は シカゴに向かう列車で すでに爆破されていた。ショーンもクリステイも含めて 乗客は全員死亡していた。第2発目は 市の中心を走る列車に仕掛けられ 規模も大きな爆弾だと犯人は言う。もし爆発すれば 被害の大きさは計り知れない。是が非でも 爆発を止めなければならない。
爆破予定時間が迫っている。

コルターは 再び列車の中に送り込まれる。8分間で爆弾を見つけて 犯人を探し出さなければならない。コルターは必死で爆弾を探し出す。爆弾は見つけた。しかし犯人を捜す途中で8分間は過ぎ 爆発。コルターは 何度も 爆弾犯が見つかるまで 8分間ごとに 列車のなかに送りこまれる。
コルターは何度も失敗し、キャプテンと話すうちに 自分が すでにアフガニスタンの空軍戦で死亡していることを知る。しかし、軍は内密にコルターの脳だけを生存させておいて その脳をソースに死ぬ直前の他人の脳にトリップする技術を開発していた。キャプテンの命令は絶対だ。コルターは何度も何度も列車に乗せられて 8分間の爆弾犯探しをさせられる。

コルターは 父親をとても尊敬 敬愛している。自分の脳が生きていることを父親に伝えたいが、それはできない。
彼は、死に物狂いの犯人探しの末、とうとう犯人を捕らえる。ついにシカゴ市内で列車が大爆発することは 未然に防ぐことが出来た。しかしそれまで生かされ利用されていた コルターの脳は、、、、。
というお話。

サイエンスフィクションともミステリーとも言える。面白い映画だ。デ カプリオの「インセプション」同様に 観ている人が 自分なりの理解の仕方ができる。よくわからない映画は それだけ解釈が多様で どんなふうに理解しても許される。

反戦映画「ジョニーは戦争に行った」の先を行っている。手足体を失ったジョニーの脳は生きていた。同じように この映画では 戦闘で体を失ったコルターの脳は生かされていて 死ぬ人の8分前の脳に乗り移って 犯人探しまでやらされる。死んでも死ねない軍の新兵器だ。タイムスリップならぬ、ブレインスリップ。

しかし人の脳は 命令に従うだけのために あるわけではない。人はたった8分間にも 人を愛し 恋して 歓びも哀しみも感じることが出来る。それを、コルターを演じたジェイク ギレンホールは、とても上手に演じている。
人がこんなに悲しかったり、嬉しかったり、怒ったり 愛を求めたりする生きものだった ということが改めてわかる。
コルターが心から敬愛して慕っていた父に コルターの友達だと言って電話をするシーンがある。涙が出る。

最後に コルターが脳の生命装置を打ち切られると知っていて、クリステーンと笑いあって抱き合いながら死んで行こうとするシーンがある。自分だったら8分間だけ命を預けられたとき、何をするだろうと思って、とても切ない。
ジェイク ギレンホール、テイーンのアイドルだった可愛い子ちゃんから、人間の哀しみを体言できる良い役者になった。
おもしろい映画だ。「インセプション」が好きな人、「月に囚われた男」が好きな人ならば 絶対楽しめる。

2011年5月2日月曜日

アメリカに正義はない


CNNの緊急ニュースで、アル カイダのオサマ ビン ラデインが、パキスタンで 米軍の特殊チームによって殺された という。
これについて、オバマ大統領は これで正義が勝った と国民にむけて発表した。

アメリカに正義と良識はあるのか。
2001年9月11日の貿易センターなど、一連の爆発について、ビン ラデインは 犯行声明を出していない。ビン ラデインはあくまで 犯行容疑者であって、犯人ではないから 裁判にかけることなしに、有罪を判定することはできない。

3000人という沢山の人を殺したら 取調べや裁判なしに 殺しても良いのか。それではリンチを認めるようなものではないか。警察も裁判所も必要ないことになる。
そんなことでは市民社会は維持できない。民主主義はどこにいったのか。

「一人殺せば殺人者、沢山殺せば独裁者、皆殺せば神様だ。」

いまニューヨークのグランドゼロでは ものすごく沢山の人々が集まって ビン ラデインの死を喜んで 祝杯をあげ、叫び 涙を流して 遂に正義が勝った と口々に「正義」、「正義」と祝福しあっている。人の死が そんなに嬉しいか。
この人たちは 鬼より醜い。 

2011年4月26日火曜日

カナダ映画 「灼熱の魂」




カナダ映画「アンサンドゥ」、邦題「灼熱の魂」を観た。
2011年アカデミー外国語映画賞にノミネイトされたが、「イン ア ベターワールド」が受賞したため、惜しくも賞を逃した作品。
レバノン生まれのカナダ人 ワジデイ ムアワッドの芝居を デニス ヴィルヌーブが監督して映画化した。アラビア語とフランス語で映画が進行し、英語の字幕がつく。130分。全編 ヨルダンで撮影された。
http://www.sonyclassics.com/incendies/

原作:ワジデイ ムアワッド
監督:デニス ヴィルヌーブ
キャスト
ナワル:LUBUNA AZABEL
ジェーン:MELISA DESORMEAUX POULIN
サイモン:MAXIM GAUDETTE

ストーリーは
中東。孤児院に収容されていた男の子ばかりが集められ 軍服姿の男達によって 一人一人髪を刈られ 丸坊主にされていく。乱暴にバリカンで髪を刈られながら 固く唇をかみ締めて 不屈な瞳で男達を見つめる少年のズームアップで、映画が始まる。

カナダのケペック。フランス語圏。
ナウル マワンは弁護士の秘書を 20年近く勤めながら、双子の姉弟、ジェーンとサイモンを 育ててきた。彼女はこの弁護士のパートナーでもある。ジェーンもサイモンも もう成人して独立した。
ある日、突然ナウルが発作を起こして床に就き、やがて死ぬ。残された遺書を開いて、ジェーンとサイモンは驚愕する。遺書には 兄と父親を探し出し同封された2通の手紙を渡すように と書いてあったのだ。ジェーンとサイモンの父親は 母がカナダに来る前に 中東、ダレッシュの内戦で戦死したと聞かされていたし、兄の存在など聞いたこともなかった。母に どんな過去があったのか。

ジェーンは数学者として 事実から目をそむけてはいけない と考えて母親が生まれた土地、中東のダレッシュに向かう。(ダレッシュはレバノンと思われるが、架空の地名だ。)ジェーンは 母の古いパスポートと写真を頼りに 内戦と 血を血で洗う宗教戦争に引き裂かれた激動の60年70年代を生きた母の軌跡を追うことになる。

ナムルは ダレッシュ南部の小さな村で生まれた。伝統的なモスリムの厳しい戒律が生きる土地だ。ナムルは宗教上 許されない相手に恋をして 恋人を兄弟に殺され 恋人との間にできた男の赤ちゃんを産むが、家名を汚した罪で 家から追われ、ダレッシュの街に、叔父を頼って出てくる。
クリスチャンでリベラルな叔父は ダレッシュ大学の教授だったが、ナムルに教育を受けさせ 彼の持つ新聞社で働くように世話をした。
1970年、極右勢力がダレッシュを占拠し、大学を封鎖した。叔父達はダレッシュを捨て 北に避難する。しかしナウルは 故郷に戻り 昔自分が生んだ子どもを引き取りたいと考えて南部に向かう。しかし南部は完全に極右勢力によって占拠されていた。家は瓦礫となり、家族の姿はない。産んで すぐに取り上げられてしまった息子は 孤児院ごと 軍に連れ去られたという。

街に向かう途中 モスリムの乗客でいっぱいのバスに 乗せてもらったところ、軍に襲われて バスごとガソリンをかけられ 乗客はすべて惨殺される。辛うじてクルスチャンとして一命を取り留めたナウルは 反政府ゲリラに入る。そして極右政府の議長の家に、家庭教師として入り込み 議長を暗殺する。ナウルは政治犯として捉えられ、監獄に送られる。女囚に対する 拷問やレイプはすさまじいものだった。監守の中でも、最も残酷な男からナウルは 繰り返しレイプされ、15年間の刑期を終えるときには妊娠していた。監獄で出産をして、ナウルは 新政府の恩赦によって、産み落とした赤ちゃんとともに、カナダに送られる。
母親の歩んできた道は そのような過酷なものだった。中東の宗教戦争、対立や政治犯などについて、何も知らなかったジェーンとサイモンは、傷つく。しかし そのような中で、遂に探し出した兄と父は、、、。
おどろくべき事実が明らかにされる。
ナウルの1949-2009と、彫られた墓石の前に佇む男の姿を最後に、映画が終わる。

大変 インパクトのある映画なので、心臓の弱い人は観ない方が良い。一緒に観たオットなど、映画にあと、家にもどり 一言も口をきかずにベッドに入ってしまった。ナウルは60歳で死んだことになる。彼女の生きた60年、70年は シナイ半島、中東戦争、イスラエル進駐、パレスチナ蜂起、など、ナウルは火薬庫の上で育ったようなものだったろう。映画のようなことも、確かにあったかもしれない。

この映画の残したテーマで 考えたことは、「過酷な過去から人は立ち直れるものだろうか」、という問いと、「母は子に何を残すのか」 ということだ。私は 人は残酷な過去を忘れて 立ち直ることができる、と信じる。人は 触れられれば血が噴出すような 生傷を抱えて生きているが 触れずに生きている。忘れたふりも、立ち直ったふりをすることも上手だ。沢山の人が、そうして生きて来たと思う。ナムルの過去がどんなに残酷なものだった にしても、、、。
それと、母親が死ぬ時、子供達に何を残せるか。どんな親も 子ども達が生きてくれたことを祝福し、感謝し、自分からは1セントでも多くのものを 残してやりたいと思うのが自然だと思う。死ぬ時に自分の負債を子どもに残したい母親など居ない。その意味で、この映画は、非現実的だ。彼女が激白したことで、暴かれた秘密は、子供達にとって抱えきれないほどの痛みだ。残された子供達に それを どう乗り越えて生きろというのか。生き続けられないかもしれない。彼女は最後に 双子の姉弟の兄と父にむけて 愛に満ちた手紙を届けさせた。それが愛だろうか。復讐ではなかったか。
知らないで居る方が、ずっと幸せな場合もある。

映像が美しい。音楽とマッチして とても効果的だ。
母親の過去を探すジェーンとサイモンの「現在」と、ナウルの「過去」とが、交差しながら物語が進行する。画面が現在になると、ロックやブルースのリズムにアラビア語の のびやかな歌が響く。ナウルの過去に画面が変わると 音楽はクラシックの賛美歌に変わる。
風の音が印象的だ。砂塵と風の音、、、遠くのモスクからお祈りの声が響き渡る。映像が洗練されていて、美しい。