2011年6月1日水曜日

フランス映画 「神々と男たち」




フランス映画「神々と男たち」、英語題名「OF GODS AND MEN」を観た。英語字幕、2時間15分。
2010年カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した作品。
アルジェリアのテイブリンという村で、トラピスト修道院の7人の修道士が モスリム過激派に誘拐された末 斬首殺害された 実際1996年に起こった事件を映画化したもの。44歳のフランス人監督がメガホンを握った。

監督:ザビア ボーヴォワ
キャスト
クリスチャン:ランバート ウィルソン
ルーク   :ミカエル ロンズデール
クリストフ :オリビエ ラローデイン
セレステイン:フィリップ ランデンバック
アメデイー :ジャッキー へリン
ジャンピエール:ロイック ピション
マイケル  :ザヴィア マリイ
ポール   :ジャン マリー フリン

ストーリは
1995年。アルジェリアの寒村。丘の上にトラピスト修道院が建っている。そこに住む9人の修道士たちは 羊を飼い 畑を開墾し農作物を作り、パンを焼き 地元の人々と共に生活していた。村の住民の多くはクリスチャンだが、モスリムの住民達と仲良く共存して暮らしていた。修道院の一角には 村で唯一の診療所が開設され、年老いた修道士が人々の治療に従事している。彼は 住民に無料で治療するだけでなく、やってきた住民に靴がなければ靴を与え、身なりの貧しい患者には服を与えた。
平和で静かな 修道院の祈りの日々。

しかしクリスマスの夜、突然モスリムの武装集団が 修道院に押し入ってくる。彼ら過激派の一団は ブラザークリスチャン(ランバート ウィルソン)に銃を突きつけながら 薬と医師の提供を要求する。しかし、クリスチャンは 命を脅かされながらも 修道院の医師は 高齢で病気がちであり、患者のために出かけていくことは出来ない、また医薬品は欠乏気味で分けることが出来ない。と毅然たる態度で提供することを断る。
一行は退いていく。
しかし、その日から 静かだった村にも 過激派のゲリラがひんぱんに現れて 協力を断った住民が首をはねられたり、政府職員が連れ出されて拷問の末に惨殺されたりする事件が頻発するようになった。

クリスチャンは地元の役所に呼び出されて 修道士は全員フランスに帰還するように命令が出たことを知らされる。
彼は修道士全員を集めて、意見を聞く。二人の修道士が 母国に帰りたいと言う。自分達が実際ゲリラに取り囲まれ、銃を突きつけられたときの恐怖感。道路で ゲリラに襲われて咽喉を掻き切られて死んだ住民を見たときの激しい嫌悪感。ゲリラに協力することを断り拷問の末に殺された信者の遺体を前にしたときの恐怖感。修道士たちは みな心の平静を求めて祈るが 忍び寄る恐怖感に苦しむ。
軍は修道院を武装兵で護衛することを提案するが、クリスチャンは 神の居る場に 武器を持ったものは入ってはならない、と言って断る。

クリスチャンは 村の信者達に会いに出かける。自分にフランス帰還命令が出ていることを言うと、「村の住民はみな小鳥、修道士達は樹。樹がなくなったら小鳥は巣を作ることも 生きることもできなくなってしまう」、と言われて、村に残る決意をする。
クリスチャンは 修道士全員の意見を再び求める。
留まるか、去るか。もう そのときには全員が留まる覚悟ができている。迷いがなくなり、みな微笑んでいる。修道院に入る前に自分が持っていた家庭や所有物や国籍や自分の名など 捨てて生きることが自分達の使命だ。
雪の夜 静寂が破られて 武装集団が修道院を襲う。修道士達はゲリラ達に誘拐される。雪深い山に修道士達はゲリラ達に先導されて、吹雪のなかを山に入っていくところで映画が終わる。

修道士を演じた役者たちは 修道士の役柄を理解するために 実際何週間も修道院に入って教育を受けたそうだ。修道士の責任者 クリスチャン(ランバート ウィルソン)と 医師の修道士ルーク(マイケル ランデール)以外の役者は ほとんど無名の役者さんたちだ。
クリスチャン役の役者は 役者で歌手でもあるそうで、どうりで賛美歌を彼が主導すると ひときわ声が通る 美しいテノールだった。
準主役のルークは79歳の役者で、実際年齢と同じ年寄り役を飄々と演じていて貫禄たっぷりだ。1日に100人もの患者を診て 疲れ果てて、足をひきずって歩く 喘息もちで かんしゃくもちでもあるルークの かわいいおじいさんぶりを見ると、愛さずにいられない。
撮影はモロッコで行われた。丘の上に立つ修道院は実際 建ってから40年もの間 放って置かれていた修道院が使われたそうだ。

カメラワークが素晴らしい。アルジェリアのなだらかな山々、痩せた土地を耕作し、種を蒔く人々、川の美しい流れ、石ころだらけの道を羊飼いが羊を追っていく姿。
ゲリラたちが去り、平安が戻ってきたと思われた晩、夕食のときにルークはお祈りではなくて、チャイコフスキーの白鳥の湖 序曲CDをかけ ワインを開ける。小さなラジカセから流れる圧倒的な音の力に聴き入る修道士達の顔が順に映し出される。シンフォニーの美しさに 思わず涙が流れ、安堵の表情、安らかな顔が映し出される。
しかしながら その夜 彼らは襲われて誘拐される。文字通り これが「最後の晩餐」になった。

カメラは 修道士の顔を真正面から大写しする。銃を付き付けられて恐怖に歪む顔、死の恐れから逃れられずに苦しむ顔、死者を見つめる哀れみの顔、祈るときの真剣な顔、死を覚悟した瞬間の毅然とした顔、、、顔が心を映し出す。逃げも隠れも ごまかしも嘘もない本当の心がそのまま顔に表される。画面いっぱいに映し出された顔、それぞれ若くない男達の顔が 実に美しい。
カメラの動きが極力、抑えられていて、それがそのまま修道士達の心の動きのように一定している。

最後の場面で、雪が降りしきる中、山の斜面をゲリラ隊と 寝間着姿のまま誘拐された修道士達が 息を切らせながら歩いていく。カメラの位置は 変わらない。ロングショットだ。一人一人の修道士がおぼつかない足取りで登っていく。被害者的な表情も 絶望も希望もあきらめも何もない。誘拐者たちも誘拐された者たちも 淡々と雪山を登っていく。そして、すべての者が通りすぎてしまい、後姿が小さくなり、音が消え、降りしきる雪だけとなって そして終わる。長い長い 素晴らしいロングショットだ。
この最後のシーンで 彼らがどこまでもどこまでも歩いていって そのまま世界から消えていっってしまったことを象徴している。恐らく修道士達は、行進の後、一人一人首をはねられ山に捨てられた。しかし、それを映像にしないで、修道士達が山に向かって歩き続けていく姿で映画を終えることで、修道士達が 私達の心の中で 永遠に生き続けていくことを示した。巧みだ。

とても美しい映像。
監督名は初めて聞く名前だが、今回のグランプリだけでなく、1995年にも「DON"T FORGET YOU ARE GOING TO DIE」という映画でも カンヌ映画祭で賞を取っている人だそうだ。映像と音の使い方が上手で 音響効果が素晴らしい。若いのに才能のある人だ。