2019年8月22日木曜日

ジミーチェンのドキュメンタリー「フリーソロ」

原題:「FREE SOLO」
監督: ジミー チン
エリザベス チャイ ヴァサルヘリ
撮影: ジミー チン、クレア ポプキン
    マイキー シェファー
出演者:アレックス オイルド
    サニー マクキャンドレス
    トミー コールドウェル
ナショナルジェオグラフィック ドキュメンタリフイルム
2019年 アカデミー長編ドキュメンタリー映画賞受賞作

監督で、撮影者のジミー チンと、妻のエリザベス チャイ ヴァサルヘリは、ともに登山家で写真家だが、二人してこの映画を監督している。ジミー チンは中国系アメリカ人2世で、妻のエリザベスは母親が香港人。二人には一男一女の子供たちが居る。
「フリーソロ」は二人にとって第2作目の山岳フイルムで、第1作目は、2013年の作品「MERU・メル―」。

「MERU メル―」はヒマラヤ山脈の中国側、メル―中央峰の難攻不落の岩壁「シャークス フィン」とよばれる岩を、ジミー チンを含めた3人の登山家が世界初登坂に成功したときの記録フイルムだ。3人とも有名な登山家で、コンラッド アンカー、レナン オズダークとジミー チン。3人は、2008年に頂上まであと100メートルのところで、登頂を断念して下山している。総重量90キロの荷物を担ぎ、2台のカメラと機材を持ち、8日間の食糧で、「シャークス フィン」を17日間登り続け、悪天候と雪崩とで岩肌にビバーグしていたテントが壊れ、食糧と燃料がなくなり、登頂寸前のところで諦めて下山した。このときの失望が大きすぎて3人とも2度と同じ山に再び戻ることはないだろうと思っていたという。その後、ジミー チンは雪崩に合い600メートル落下、時速130キロのスピードで山から落ちるが、奇跡的に生還した。
またレオン オズタークは、スピードボードの撮影をしていて事故に合い、頚椎骨折で、再起不能、一生車椅子生活と診断されるが、執念のリハビリで、登山家として、これまた奇跡的な復帰をする。3人の内、残りのコンラッド アンカーは、山岳史で最も有名な登山家ジョージ マロ―二―の遺体を見つけた人だ。登山の長年のパートナーだったアレックスを、ザイルでつながりながら死なせたことで、自分を責め、のちに彼の妻と結婚して彼の3人の息子たちを育てている。3人3様の2008年メル―世界初登頂失敗後の、苦渋と失望を乗り越えて2011年 3人は再び申し合わせたようにヒマラヤに集まり、「シャークス フィン」の初登坂を成功させる。メル―はそのときの記録映画だ。

第2作目の「フリー ソロ」は、登山家はアレックス オニルドただ一人。フリー ソロとは、ザイルもハーケンもカラビナも一切使わずに、たった一人でロッククライミングするスタイルのことを言う。山は、カルフォルニア、ヨセミテ国立公園の中にある「エル カピタン」と呼ばれる1000メートル近い絶壁。ここをザイルパートナーなしで単独登頂する姿を数台のカメラで追ったドキュメンタリーフイルムだ。
ジミー チンは「この仕事を引き受けるかどうか迷った。アッレックスは山仲間で友達だ。誰も成功したことのない単独登頂の撮影中、滑落の瞬間をカメラがとらえることもあるだろう。それはアレックスの死の瞬間でもあるのだから。」と語っている。

1インチに満たない岩の尖がりに足をかけ、指3本でつかんだ岩のくぼみに全体重をかけて登っていく。ハングオーバーがあり、トラバースを幾度もしなければならない。滑りやすく全く何のとっかかりもない所が2か所もある。体重のバランスをかけて、伸ばした見えない指の先で、くぼみを掴めなかったら、そのまま落下するしかない。何度ザイルを使ってリハーサルしてみても失敗につぐ失敗。ザイルで身を確保して、すこし離れた岩壁で撮影する4人のカメラクルー。望遠レンズで下から撮影する別のカメラマン。
リハーサルの繰り返しで、すっかり煮詰まってしまったアレックス オノルドは、とうとう一人怒って下山してしまう。もうやめだ。こんな岩壁をフリー ソロで登れるわけがない。

アレックス オノルドは、1985年カルフォルニア州 サクラメント生まれ。山が好きで、19歳で大学をドロップして10年あまり車で生活しながら山から山に移動し、登山を繰り返し山岳会で華々しくデビューする。20代で、難所ばかりのロッククライミングをフリー ソロで成功させ、その世界ではスーパースターとなった。今まで誰もチャレンジできなかった「エル カピタン」をフリーソロで世界で初めて成功させることは、彼にとって自分を越えるための最大のチャレンジだった。その彼にも恋人ができる。車で生活することが普通だったアレックスが 恋人と家を買うことになる。2016年恋人とザイルを組み、登山して落下、足首を骨折する。そこでアレックスは、一念発起、自分がやらなければならない課題に直面する。今やらずにいて諦念だけでこの先、生きていくことはできない。激しいリハビリと自主訓練で、再起したアレックスは「エル カピタン」に戻る。
ジミー チンははじめ半信半疑だった。いったんアレックスは逃げ出したじゃないか。
しかしアレックスは本気だ。朝、暗いうちから登り始め、フリー ソロで登頂成功させる。
というおはなし。

山の話だ。
ジミー チンは山のすばらしさをフイルムを通して体験させてくれる。子供の頃はスキー少年、16歳で山に魅せられて登山を開始し、23歳で写真に取り憑かれ、自分で登りながら撮影するという独自の山岳ドキュメンタリーを製作するようになる。素晴らしい登山家だ。ナショナルジェオグラフィックと契約して、いつも未知の世界を見せてくれるだけでなく山の空気を連れて来てくれる。ロッククライミングでは両手両足のうち、3点は確保して固定していなければ登れない。登りながらフイルム撮影するには、ただ登る人よりも高度な技術がなければならない。6000メートル級の岩壁で、1点1点手足を確保しながら、岩を這い、強風に飛ばされながら、登山のすばらしさをフイルムに納めてくれる撮影者は、文字通りのヒーローだ。アカデミー賞受賞のあと、「フイルム撮影中一番スリリングだったのは、どんなときだった?」と聞かれて、岩壁で「ザイルを扱いながら、カメラをバッグから取り出して、そのカメラからチップを抜き出した時だったかな。」と言って笑わせてくれた。それは怖い。

デヴィッド リーンの映画「アラビアのロレンス」(1961)で、ジャーナリストがロレンスに、「どうして こんな砂漠に居られるのか?」と問われて彼は「砂漠は清潔だから。」と答える。私は山が好きだ。清潔だから。若いころ、取り憑かれたように山に登ってばかりいたことがある。山の吹き下ろす風に身を任せ、岩に取り憑いていると、山に浄化されるようだった。2000メートル級の山で太陽の直下にいると顔ばかり山焼けして、顔の皮が2枚も3枚もむけてきて、腫れあがり埴輪のような顔だったと思う。けれど下山して人の多い地上のもどってみると、自分の体が腐ってくるようで、またすぐに山に戻りたくなる。北アルプス、南アルプス、丹沢の山々、どの山も、山はどんな教師よりも多くのことを私に教えてくれた。
人生というものが、単なる自己満足だとするならば、登山は最高の自己満足だ。登山は何も生産しないし、お金にも名誉にも、業績にもならない。ただ自分を満足させてくれるだけだ。誰のためでもない。それだけ贅沢な行為だということもできる。

映画のエンデイングに、テイム マツグローが、「GRAVITY」という歌を歌っている。渋い。たくましい男が荷物を背負って、がっしりと山に取り憑いている。厳しい自然の中で、突風やがけ崩れにもてあそばれながら、岩肌を尺取り虫のように進んでいく。孤独な山男の背に、低い男の歌が語り掛けるようで、映画にみごとにマッチしている。

写真は上の2枚が、フリー ソロの「エル カピタン」
下の2枚が、ヒマラヤ メロー峰の「シャークス フィン」

山が好きな人にも、山が嫌いな人にも、自然が文句なく美しいフイルムなので見る価値がある。

2019年8月4日日曜日

映画「ホワイトクロウ:伝説のダンサー」

原題:WHITE CROW
英国映画
監督:レイフ ファインズ           
キャスト
オレグ イヴェンコ: ルドルフ ヌレエフ
レイフ ファインズ: アレクサンドル プーシキン
セルゲイ ポレーニン:ヌレエフのルームメイト
アデル エグザルホプロス:クララ サン
ルイス ホフマン
チェルバン ハムトーヴァ
ラファエル ペルソナ

ストーリーは
1938年3月17日、ヌレエフ一家が、父親の赴任先に向かうシベリア鉄道の列車の中で,ルドルフは生まれる。タタール人の父親は軍人で、ムスリムだった。ルドルフには上に3人の姉がいた。5歳の時に、母親がもらい受けた1枚のチケットで、家族はバレエを見に初めて劇場に行く。ルドルフは劇場の豪華なシャンデリアや、踊り子たちが照明に照らされて拍手を浴びる様子を見て、バレエを自分の一生の仕事にしたいと思う。そこで戦争中の貧困と食糧難もあって、幼いルドルフは地方の全寮制のダンス学校に入れられる。戦争が終わり、ルドルフが17歳になって、1955年やっと彼はレニングラード(セントぺテルスブルグ)のマリンスキーバレエ学校に入学を許される。そこでアレクサンドル プーシキンに実力を認められる。

ヌレエフはバレエ団のなかで人一番熱心に練習をする団員だったが、性格的に協調性に欠け、自己主張が強いために、いつも孤独だった。また裕福な子女が多いバレエ団のなかで、貧しいタタール人出身だったヌレエフは、ムスリムのタタール人を揶揄するホワイトクロウをいうレッテルを貼られていた。それは事実上にのけ者にされていたルドルフのあだ名でもあった。しかし彼の実力を誰も否定できなくなり、やがてプリンシパルとしてバレエ団の中心的存在になっていく。
彼はバレエ団の海外巡業でパリを訪れ、フランス文化大臣の息子の婚約者クララと親しくなって、彼女とキャバレーやバーに行き夜遊びをする。KGBはそういったフランス文化を資本主義の退廃した姿と捕えていたから、ヌレエフの監視を強化した。そしてこの海外遠征が彼にとって最後の旅になるだろうと、警告する。

パリ公演を終えて、バレエ団がパリからロンドンに移動しようとする空港で、ヌレエフはKGBに、他の団員達と別れてヌレエフだけ帰国して、モスクワ公演に合流するように命令される。KGBに取り囲まれ自由を奪われたヌレエフは、助けを求めて叫ぶ。見送りに来ていたパリバレエの団員は、急きょクララに助けを求める。亡命希望者は、自分から亡命をする国の担当官に亡命したい旨を伝えなければそれを認められない。クララは、パリ空港警察を、ヌレエフの後ろに立たせ、別れの言葉をヌレエフに言う許可をKGBからとって、ヌレエフに空港警察官に亡命する意思を伝えるようにささやく。クララの言葉に従い、ヌレエフはKGBと空港警察との激しいやり取りの末、保護されてフランスに亡命する。1961年、ヌレエフが23歳の時の事だった。
というお話。

この映画の話題性のひとつは、監督がシェイクスピア劇場出身の英国が誇る名優、レイ ファインズが監督したということだ。英国映画にも拘らず、舞台がセントぺテロスブルグとパリなので、ロシア語とフランス語で物語が進行して、それに英語字幕がつく。
ヌレエフは実際、英語を独学していて、米ソ冷戦時に珍しく英語が話せるロシア人だったそうだ。映画の中でも役者はロシア語なまりの英語を話す。米ソが一触触発で核戦争が始まるような危険な世界情勢のなかで、ヌレエフが英語を話せたことは奇跡のようだが、それが亡命するうえでものすごく役に立ったのだ。

それと、この映画が評判になったのは、何といってもルドルフ ヌレエフという世界一名高いバレエダンサーの波乱の半生を描いた作品だということだろう。ヌレエフは日本にも公演に来たし、彼のダイナミックで現代的なバレエは、いまも沢山映像になって残っていて、没後26年経っても人気が衰えることがない。

レイフ ファインズは1993年に刊行されたヌレエフの評伝を読んで、20年もの間ずっと映画にしたいと考えていたという。ヌレエフ役のダンサーを、9か月間探して、ロシアでオーデイションを繰り返してヌレエフの体つきも踊り方も似ているバレエダンサーを見つけた。
ヌレエフ自身は、短気で自己主張が強く、周りの人を平気で傷つけ、自分が思い通りのダンスが踊れるようになるまで妥協のない、極度の頑固者だった。地方巡業を断ったり、自分の実力を認めない教師に怒りをぶつけたり、高級レストランでウェイターが自分を百姓の息子だと馬鹿にしていると怒り出したり、わかままいっぱいだ。それでもダンサーとして最高のところまで行き着きたいと一心に願っている混じりけのない純粋さが、胸を打つ。

映画の中でヌレエフがひとり美術館で絵画や彫刻を食い入るように真剣に見つめるシーンがいくつか出てくる。初めて訪れたパリで、ひとりルーブルに入りテオドール ジェリコの「メデユース号の筏」を凝視する。フランスフリゲート艦メデユース号が座礁して乗組員149人のうち、わずか15人が、救命ボートの中で殺人やカニバリズムをして生き残った。男達の生と死、期待と絶望、そのすさまじさをヌレエフは見ていたのだろうか。
またセントペテルスブルグのエルミタージュ美術館で、レンブラントの「放蕩息子の帰還」を見つめる。父親の大きな手に抱きしめられる子供の安堵、それはヌレエフの子供時代に決して得られないものだった。

ヌレエフを演じたオレグ イヴェンコが素晴らしい跳躍を見せてくれる。バレエ学校の練習風景が沢山出てくるのが嬉しい。男の美しい足が床を蹴る。床をなぞるように、流れるように円を描きながら跳躍する。力強いジャンプから着地するときの激しい音。
おまけに「ダンサー、セルゲイボルーニン世界一優雅な野獣」のセルゲイ ボルーニンがマリンスキーバレエ団のヌレエフのルームメイトとして出演していて、練習風景の中でこれまた素晴らしいジャンプを見せてくれる。英国紙ガーデアンの映画評では、オレグ イヴェンコよりも,端役のセルゲイ ボルーニンがずっとチャーミングでセクシーで素敵だ、と書いてあった。でも映画ではそんなことはなく、オレグ イヴエンコがちゃんと主役になるように撮影されている。当たり前だけど、、。。実際は、二人は仲の良い仕事仲間として互いに尊敬しているそうだ。
映画の中でプーシキンが、ヌレエフに、どんなに技術が素晴らしくても語るべきストーリーが伝えられなかったら、バレエじゃない、と言っているが、オレグ イヴェンコも、セルゲイ ボルーニンもストーリーを踊りでみせてくれる力を持っている。

ヌレエフは1961年に亡命したあと1980年まで20年間英国ロイヤルバレエ団に所属してプリンシパルダンサーとして、カリオグラファーとして活躍した。19歳年上のマーゴ フォンテーンとペアを組み、ジゼル、白鳥の湖、ロメオとジュリエットなどで世界中をセンセーションの渦に巻き込んだ。マーゴは1961年にヌレエフに会った時、ロイヤルアカデミーオブダンスの校長先生で、42歳でリタイヤをするところだった。だが23歳のヌレエフとのペアが実に似合っていて、二人の踊るヴィデオを今見るとロマンチックで優雅で夢みたいだ。マーゴはその後、パナマ人で弁護士の夫が暴漢に襲われ車椅子生活を余儀なくされたため、看護するためにリタイヤして1991年パナマで、71歳で亡くなった。彼女の死亡を告げる新聞記事が出たとき、華やかだったバレリーナ人生と実生活の不幸とが思われて、悲しかったことをよく覚えている。

ヌレエフは、英国ロイヤルバレエを去ってから、パリオペラバレエのダイレクターになり、そのあとは、カリオグラファーとして活躍した。10数年前シドニーにパリオペラバレエが来た時の「白鳥の湖」はヌレエフ版の作品だった。伝統的なロシアバージョンではなく、ヌレエフ版は、より人間的な悩み、迷い、悲嘆にくれて死んでいく王子のストーリーが生き生きと語られて涙をさそった。

バレエはフランスでルイ14世によってはじめて作られて以来、男の美しさを見せるための芸術だった。そういった人々の期待に応える形でヌレエフは究極を追及し、死ぬまでバレエ芸術に身を捧げた。1993年に、54歳の若さでエイズで亡くなった時も新聞で知った。芸術家は技術を磨き、その優れた技術を手段にして物語を人々に伝えなければならない。プーシキンは、ヌレエフに繰り返しそう言った。良い言葉だ。
これから離れ小島で一人で死ぬまで暮らしなさい。でも2本だけヴィデオを持って行ってもよろしい、と言われたら、マリア カラスのオペラ「椿姫」と、ヌレエフとマーゴ フォンテーンのバレエ「ジゼル」を持っていこう。
バレエがあまり好きでない人でも、この映画で好きになるかもしれない。見て損はない。


2019年7月22日月曜日

現代画家リヒターの半生「ある画家の数奇な運命」

                      

ゲルハルト リヒターという美術界で、「ドイツの最高峰の画家」といわれている画家が居る。87歳。現存する作家のなかで世界で最も注目されている現代画家と言われている。

リヒターは、ナチ政権下のドレスデンで多感な少年時代を過ごし、独国敗戦で生まれた土地が完璧に破壊される過程を目撃し、ロシア軍の進駐によって再建された芸術大学で学んだ。優秀な画家の卵は、やがて自由な表現を求めて東西の壁ができる寸前に西ドイツに逃れ,前衛作家として成功する。文字通り激動の時代のドイツを生きた。

現代美術の旗手で、抽象画、シュールリアリズム、フォトリアリズム、ハイパーナチュラリズム、などの作風をとり、油絵だけでなく彫刻、ガラス作品など製作している。初期の作品群であるフォトペインテイングは、写真を大きくキャンバスに模写し、画面全体をぼかして、さらに人物などを描きこんでいくという独特の作風を構築した。また、モザイクのように256もの色を並べた「カラーチャート」、キャンバス全体を灰色に塗りこめた「グレーペインテイング」、様々な色を織り込んだ「アブストラクト ペインテイング」、ガラスをたくさん並べ周囲の風景を映すガラス作品、5千枚以上の写生や写真からなるパネルを並べた「アトラス」などが代表作で、いまは油絵からエナメルや印刷技術を用いた作品制作している。また「線」を描かずに、先に鉛筆をつけた電気ドリルを使って絵描く方法を取っていたりする。

2002年にリヒターは、ドイツのケルン大聖堂のステンドグラスを製作依頼され、113メートル四方の聖堂の南回廊を、72色のステンドグラスではめ込んで、これを2007年に完成させた。リヒター本人はこの仕事でいっさい報酬を受け取っていないが、5年という長い年月と506000ドルという法外な費用がかかたため沢山の人の寄付を仰がなければならず、完成後、ケルン市長は余程機嫌を悪くしたらしく、こんな作品はカトリック教会でなくモスクとかほかの宗教に似合ってるんじゃないか、とコメントしている。個人的には、2008年にここを訪れていて、彼のモザイクステンドグラスを見ているはずだが、どこを見ても美しい装飾が隙間なく凝らされているゴシックの大聖堂の美しさに圧倒されていて、リヒターの作品を個別に観た記憶がない。

日本では瀬戸内海の無人島の豊島にリヒターの「14枚のガラス」が展示されている。全長8メートル、縦190センチ横180センチの14枚のガラスがハの字を描くように少しずつ角度を変えて立ち並んでいる。2011年に島を訪れたリヒターが、この静かな海に囲まれた土地が気に入って作品を恒久展示することに決めた。作品を収める箱形の建物も彼がデザインして製作したそうだ。

2012年オークションで、エリック クラプトンが所有するリヒターの抽象画「アブストラクテルスビルト」が26憶9千万円で落札、翌年には別の作品が29憶3千万円で取引されて、生存する画家の作品として史上最高額を記録したという。彼が影響された画家としてジョセフ ベイス(JOSEPH BEUYS 1921ー1986)が居る。またジグマー ボルケ、アンゼイム キーファーなどに影響した。

映画監督、フロリアン ヘンケル ヴォン ドネルスマルクは、この映画を作るにあたって数週間、リヒターとの対話をテープに取り、話し合いの末、映画を製作した。だがいざ映画が完成してみると、本人リヒターは、自分は伝記なんか作ってもらいたくない、映画を見る気もないし、全く興味もない。映画がリヒターの伝記だなんて言ってもらいたくない、と主張したそうだ。そういうわけで、この映画の解説にリヒターのリの字も出てこない。ただ映画の紹介に、現実の画家にインスパイヤ―されて製作した、と記述されているだけだ。
芸術家とは、かようにして面倒な生き物だ。破壊されたドレスデンで幼少期を送り、ナチ信奉者で精神病者や障碍者をガス室に送った犯罪者を義父にもち、東ドイツから西に逃れて画家として成功した、といえばリヒターだと自ずとわかってしまう映画。こんなの自分じゃないと本人が言おうが、言うまいが自明のこと、リヒターの半生を描いた映画ですと公に書いていないだけのことだ。

一人の画家の成長の物語として素晴らしく、画面の美しさも映画作品として完成度が非常に高い芸術作品。3時間の長編映画だがまったく飽きない。2018年代75回ベニス国際映画祭で、金獅子賞候補作。映画祭で13分間スタンデイングオベーションで拍手が収まらなかったと報じられた。ゴールデングローブ、91回アカデミー賞でも最高外国語作品賞候補となった。

ドイツ映画:NEVER LOOK AWAY
監督:フロリアン ヘンケル ヴォン ドネルスマルク
キャスト
トム スキリング : 画家 カート ベルナルド
パウラ ビア   : 妻 リー シーバンド
サキスア ローゼンデル:叔母エリザべス メイ
セバスチャン コッホ:義父 シーバンド医師

ストーリーは、
1937年、ナチ政権下のドレスデン。
5歳のカートは美しい伯母に連れられて美術館に行く。ユーゲン ホフマン(EUGEN HOFFMANN 1892-1955)の彫刻「青い髪の少女」に魅入られたカートに向かって、叔母は、この作品がどんなに美しいか、一つ一つを見逃さないようにじっくり観るよう、NEVER LOOK AWAYと繰り返し言う。ナチの美術館案内人は、これらホフマンなどの前衛芸術は、退廃的で社会的ではない、と批判的だが、叔母はそういった表面的な解説をまったく意に介さない。美しいものに純粋に身をゆだねるように生きる叔母は、カートの一番の理解者だったが、やがて精神分裂症と診断されて、ナチの病院に連行され、ナチのシーバンド医師により去勢手術を強制され、その後ガス室に送られて殺される。

戦争が終わり、街の小学校の校長先生だったカートの父親は、進駐してきたロシア軍によって、ナチ政権に与したものとされて、小学校の掃除夫を命ぜられる。ナチ信奉者によって、ユダヤ人ばかりでなく沢山のドイツ人の精神病者や障害者がガス室に送られた。叔母を精神病と判断し、処分したシーバンド医師は、犯罪人として刑務所に入れられる。しかし、刑務所のなかで、ロシア人将校の妻の異常出産を助けたことで命の恩人として釈放される。ロシア人将校は、秘密裏にシーバンド医師が犯した罪に関する書類をすべて廃棄する。
カートはドレスデン芸術大学で絵画を学ぶ学生となり、同じ大学でデザインを学ぶ、エリという美しい学生と出会う。彼女は熱烈なナチ信奉者だったシーバンド医師の一人娘だった。二人は結婚するが、義父シーバンド医師は娘が可愛いので、カートとの関係を認めない。娘が妊娠しても自分のところに引き留めるために娘に妊娠中絶を強制する。やがてシーバンド医師を釈放し保護してくれたロシア人将校が、ロシアに帰国することになったのを機会に、シーバンド一家は、西ドイツに逃れる。カートも東ドイツの社会主義的な芸術感に堪えられず、自由な表現を求めていた。

カートは西独で、ドッセルドウ芸術大学に入り教師ジョセフ ベイス(JOSEPH BEUYS 1921-1986)から現代絵画を学ぶ。才能を認められるが、本人は自分の表現に苦しむ。30歳を過ぎても社会人として働くでもなく絵が売れるでもなく、自分のスタイルができるわけでもなく、表現することに四苦八苦していたが、シーバンド医師が、彼の上司だった医師が戦争犯罪で逮捕されたことを知って自分もいつ追及されるかわからない恐怖にかられる姿をみて、彼の写真をキャンバスに模写して、その上に人物を重ねて描くフォトリアリズム手法を考え付く。それを機に、カートは新聞や写真をキャンバスに模写して絵を重ねるハイパーナチュラリズム、フォトリアルといった自分のスタイルを見つけていく。
というところで映画が終わる。

幼い時から美意識の高い伯母から、NEVER LOOK AWAY 見過さないで芸術作品から目をそらさずによく見るように、それと人を良く観察しなさい、と言いきかされていた少年が、成長と共に画家となり、よく見るだけでなく自分で作り出し、人に伝えようとして、表現者としてもがき苦しむ姿が描かれている。
若く瑞々しい美少年と、美しい伯母、叔母にそっくりな姿の可憐で美しい妻。一人の画家が成長していく姿が良く描かれている。背景も自然描写も秀逸。3時間が少しも長くない。いつまでも美しい画面を見ていたくなる。
カートは30歳すぎても妻の裕福な父親シーバンド医師に食べさせてもらって画学生を続けているから、義父に皮肉を言われる。「レンブラントは30歳で数えきれないほどの弟子をもっていた。モーツアルトなんか30歳といえばもう死んでいた。」そんなふうに、画家の生活力のなさを非難されても、カートは何一つ言葉を返せない。それでもひたすらキャンバスに向かうカートの姿は胸を打つ。

リヒターの芸術大学の教師だったジョセフ ベイスが、本物みたいに、映画でもものすごく魅力的に描かれている。古典派の画家の写真をキャンバスに立て、それに火をつけて燃やしながら講義を始めたり、本物を見つけろ、とリヒターを激励するためにいつも被っている帽子を取って自分が死にかけた爆撃機事故のときの頭の醜い傷を見せたりする。映画には出てこないエピソードだが、1974年彼はアメリカに招待され「コヨーテ私はアメリカが好き、アメリカも私が好き」という作品を展示するといって、ニューヨーク空港到着後、画廊に救急車で運ばれ、1週間、ホテルにもどこにも行かず、フェルトや新聞、干し草の積まれたギャラリーの中に籠ってアメリカ先住民の聖なる動物コヨーテとともにじゃれあったり、にらみ合ったりして無言の対話を続けたあと、再度空港に救急車で運ばれてドイツに戻った、という。こんな現代芸術家って、、、何て素敵なんだ。

リヒターを演じた役者も絵を描く人だと思う。おおきな刷毛で床に置いたキャンバスに、何度も大きな円を描いてみせる。彼がキャンバスに描かれた本当の写真みたいに模写された油絵を、板で強くなぞって、それをぼかしていく。絵がぼやけるに従って過去の写真が、心に映った本当の過去の姿になぞられていく。魔法をみるようだ。 
一心に絵を描く人の姿は、美しい。5歳の少年を前にして素裸でピアノを弾く美しい伯母、何台ものバスの運転手に頼んで、力いっぱい警笛を鳴らしてもらって、その音の渦に身を浸す美しい伯母、ガス室で死んでいった叔母が、一番の芸術家だったのかもしれない。
とても良い映画だ。現代美術を見る人、見なくちゃだめだよ。



2019年6月23日日曜日

映画 「レッド ジョアン」

英国映画
原題:RED JOAN
原作:ジェニー ルーニーの小説「レッド ジョアン」
監督:ロイヤルシェイクスピア劇場と、ナショナルシアター前監督、ロイヤルヘイマーケット劇場の現監督、トレヴァン ヌン
キャスト
ジュデイ デンチ:  ジョアン
ソフィ コックソン: 50年前のジョアン
トム ヘイズ   : レオ
テレサ スルボバ : ソニア
ステファン キャンベルモア:マックス デビス博士
ベン マイルス  :ニック
2018年トロント国際映画祭でプレミア、2019年4月から米国と英国で公開

ストーリーは
1938年ロンドン。
ケンブリッジ大学物理学科の学生、ジョアンは優秀な学生だった。彼女は、ドイツから来ているユダヤ人の女学生ソニアと友達になる。ある日、ソニアに誘われて、ジョアンは、大学のコミュニストの集会に参加する。時は、スペイン戦争の真っただ中。ファシスト、フランコによる市民への弾圧の嵐が吹き荒れていた。革新的な学生たちはスペインに義援金を送る活動をしていた。ジョアンは、コミュニストの集会で、勇敢なアジテーションをするリーダーのレオに紹介される。レオはソニアの従兄だという。やがて二人は恋心を持つようになる。しかし、レオはユダヤ人への迫害が激しくなっているドイツに、地下活動するために帰国するという。その夜二人は結ばれるが、以降レオの行方はわからなくなる。

ジョアンは無事卒業し、イギリス政府の非金属物質研究協会に就職し、マックス デビス博士の秘書になる。戦争中であり、政府と軍とは効果のある武器開発に莫大な予算をかけていた。ジョアンは積極的にデビス博士の研究に協力し、新しい画期的な兵器の開発に力を注ぐ。新兵器開発のための英国、カナダ、米国との会合に招へいされたデビス博士について、ジョアンもカナダに渡航することになった。カナダに向かう船上で、ジョアンは博士と結ばれる。博士は、若く才能に満ちたジョアンを愛さずにはいられなかったが、彼には妻が居て離婚に応じないことはわかりきったことだった。ジョアンは求愛に喜びながらも結婚できないため、未来のない愛情に胸が塞ぐ想いだった。

カナダでの会合が終わり、一息ついたところでジョアンを待っていたのは、ずっと行方のわからなくなっていたレオだった。レオはジョアンに政府機密をスパイして欲しいと依頼する。ジョアンはただちに拒否して立ち去る。英国に戻り、博士との研究に戻ったジョアンは、米軍によってヒロシマ、ナガサキに原子爆弾と水素爆弾が投下されたことを知る。博士は平静だが、ジョアンには自分の研究がこのような形で利用されたことに、反感と衝撃を受ける。デビス博士は自分の研究が連合軍に役立ったことを単純に喜んでいて、ジョアンの心情とは全く異なっていた。
そんなある夜、レオが再びジョアンを訪ねてくる。ジョアンは博士と愛し合っていても、彼とは結婚できないことにも、原子爆弾への見解が異なっていることにも不満を抱いていた。求愛してくるレオと、博士との愛情の間で、ジョアンは試されていた。揺れ動く心情。しかし、そのあと、レオは自殺している姿が発見され、ジョアンは激しく、自分を責める。

レオの従妹、ソニアに会ってジョアンはKGBに軍事機密を渡す。ジョアンは信頼するデビス博士も、英国も裏切ったのだった。しばらくしてデビス博士が研究している情報が、ソ連に筒抜けになっていることが分かり、デビス博士が逮捕される。ジョアンはソニアに会いに行くが、彼女はすでに姿を消して逃亡していた。ソニアの家に残された写真を見て、ジョアンはレオとソニアが夫婦だったことを知る。二人の間に子供まで居た。ロシアのスパイ、ソニアに初めて出会った時から、ジョアンは騙されていたのだった。
ジョアンはデビス博士の収監されている刑務所に面会に行く。そこで博士に自分がスパイだったことを告白する。しかし、ジョアンを愛している博士は怒らない。無実の自分が罪を問われるはずがない。収監によって離婚が成立した。ジョアンと結婚して人生をやり直したい、、と。
ジョアンは、ロシア大使館に行き、ソニアとレオの仲間だったロシア政府高官に会って、今までのすべての秘密を全部バラす、と脅かして代わりにデビス博士と自分のオーストラリア行きのチケットと旅券を要求する。船の出る直前、桟橋に釈放されたデビス博士がジョアンを待っていた。二人は急いで、乗船する。

50年という途方もない月日が経過した。
2000年初頭、引退してひとり田舎で暮らしていたジョアンの家に、国家保安局の刑事たちが訪れる。50年以上前に国家を裏切り、政府の秘密情報を、ロシアの漏洩した罪で彼女は取り調べを受ける。同行したジョアンの息子の前で、ジョアンは堂々と自分がしてきたことを語る。弁護士をしている息子は、寝耳に観ずだったがスパイとして英国政府を裏切った母親を、「裏切者」と叫び、激高する。取り調べが終わり、ジョアンが逮捕され連行される日、ジョアンの家の前に詰めかけたメデイアやカメラマン、野次馬達に向かって、ジョアンは胸を張って語る。「私は何一つ悪いことはしていない。米国とソビエト連邦の2大国がともに核兵器を持ってきたからこそバランスが取れて平和が保たれた。50年余り戦争は避けられた。私は政府の情報を他国に漏洩したといわれるが、情報は誰にでもアクセスする権利がある。誰もが科学研究による成果を得る権利がある。」と。
というお話。

この映画英国ではものすごく酷評されている。THE GUARDIAN では、「このようなバカみたいな軽薄な女の役を、国宝級の名優、ジュデイ デンチに演じさせるべきではない。無駄というものだ。」などと書いている。英国政府がロシアスパイにぬけぬけと情報漏えいされていたことが余程気に食わなかったのか、あの皮肉屋の英国人が急に愛国者になったのか、わからないが、rotten tomatoは、英国人からの酷評だらけだ。それにしてもみんなジュデイ デンチが好きなことだけは確かだ。そしてみんなが時間がないことを知っている。この83歳の国宝級女優は、黄斑部変性で両目ともひどい弱視で、台本が読めない。人に読んでもらって記憶して役を演じている。それでいて彼女の演技、表情の豊かさには驚嘆すべきだ。ジュデイは、性格俳優と言われアカデミー賞を最多数稼いだ、メリル ストリープなど比較にもならない。頬を少し緩めるだけで喜怒哀楽を表現できる、並みの役者ではない。彼女がこの映画で最後に記者や野次馬に囲まれて罵声を浴びるが、毅然として自分が情報を漏えいしたおかげで、米ソのパワーバランスがとれて核戦争が起きなかったなどという「とんちんかん」を言っても、あまりに堂々としているので、なぜかみんな納得してしまう。すごいパワーだ。あと何本の映画に出演してくれるのだろうか。

原爆の父、アルバート アインシュタインも、ロバート オーペンハイマーも、原爆の使用には反対だった。
そもそも学問と実用とは全く別の分野で、相いれない。学問研究は、それを応用して製作し、使用する分野とははるか遠くに存在する。また、1930年代当時、ナチズムに唯一反対する勢力はソビエト連邦だけだったとも言える。のちにナチスが行ったホロコーストもまだ起こっておらず、いかにドイツの新勢力に対抗するかを考えたら、当時若いインテリたちがソ連共産党に期待を寄せるのは自然なことだった。ナチによる民族浄化も、スターリンによる大粛清もまだ起こっていなかった。

この映画の実際のモデル、メリタ ノーウッドーは、映画の筋とは異なって、死ぬまで本物のコミュニストだった。映画のように男にほだされて、ちょっとの間スパイしたのではない。1932年から1972年まで40年間、KGBのために働いた正真正銘のスパイだ。彼女の両親はコミュニストで、父親はレーニンとトロッキーが、常時投稿する労働組合のための出版社を経営していた。メリタは1935年学生時代にアンドリュー ローゼンシュタインが指導する共産党に入党した。非金属研究所に就職してからは、積極的に英国の原爆プロジェクトのファイルを盗み出してKGBに送っていた。
1992年。ソビエト連邦崩壊後、KGBが所有していた多量の秘密文書が出て来て、4人のケンブリッジ出身者がスパイ容疑で逮捕された時に彼女の名前があったが、誰なのか特定できなかった。1999年に、KGBのスパイ活動家だったワシリー ミトロヒンが英国に亡命し、分厚いファイルを英国政府に渡した。その中にメリタ ノーウッドの名前があったのだ。そこで87歳の年金生活者、13年間未亡人でロンドン郊外で庭造りをしていた老婦人が、じつは40年間ロシアのスパイだった、ということが明るみに出たのだった。

しかし、87歳のメリタは高齢を配慮されて、一度として法廷に出ることなく、2005年に、93歳で亡くなった。マスコミからは、「おばあちゃんスパイ」として揶揄されたが、最後まで、自分は何一つ間違ったことはしていない、と言って自分の信念を貫いて死んだ。
映画では、彼女を単なるメロドラマのヒロインとして描いている。初恋の人、コミュニスト、レオの自殺にショックを受け、上司との関係に行き詰まり、ヤケッパチでスパイをしたみたいに描いていて残念だ。 でもシンプルなメロドラマとして、この映画をみるのも悪くない。

1930年代のファッションが素敵だ。ニットのセーター、肩の張ったツイードのコート、ベレー帽、長靴下にロングスカート、あまり高くないヒール。男は貧しくてもきちんと背広を着て、幅広いズボンに帽子。とてもシック。ベレー帽の似合う女たち、ソフトを上手に被る男達。いいなあ。
若い女優ソフィ コックソンもソニア役のテレサ スルボバ、レオ役のトム ヘイズもみんな生き生きしている。画面が美しい。
悪いのは原作と脚本だが、とてもきれいな映画だ。

2019年5月29日水曜日

オット、ブルースが亡くなって1年

来月でオットのブルースが亡くなって1年になります。すっかり忘れてたけど。
22年間の結婚生活のなかで、最大の彼の功績は、私の二人の娘の結婚式で、娘の手をとってヴァージンロードを歩いてくれたことです。このことは今でも感謝しています。それくらいかな。

結婚する娘に

2019年5月21日火曜日

テルアビブでユーロビジョンソングコンテスト

2019年ユーロビジョンソングコンテスト:ヨーロッパ最大規模の歌の祭典が、ガザのパレスチナ避難民にイスラエル軍がミサイルを撃ち込み、日々罪もない人々が虐殺されている場所から数百メートル先のテルアビブで行われた。これらの動きに反対表明を出す良識的なイスラエル市民もいたし、ユーロビジョンに不参加を呼びかける団体もたくさんあったが、圧倒的なイスラエル警察と軍による警備のなかで、歌の祭典が強行された。

前2000年紀にパレスチナに住んでいたヘブライ人は、強国エジプトに移住し奴隷として生存を許されていた。60万人のヘブライ人がモーゼに率いられエジプトを奪出したとき、エホバは、彼らが十戒を守ることを条件にそれを助けた。その後、約束の土地カナン(パレスチナ)に王国を建てたヘブライ人は唯一エホバを信仰し、自分たちが天地を創造した全能の神エホバによって選ばれた民族として救済されるといった選民思想を持つ。

ユダヤ人というと、誰もがナチスヒットラーによって犠牲になった600万人のホロコーストを思い浮かべるが、「ユダヤ人の選民思想であるシオニズム」は、「ヒットラーのゲルマン純血主義」よりも、はるかに強力な排外思想だ。自分たち選ばれた民族が、約束の土地で全能の神エホバだけを信じ、新しい国を建国するという思想は、他の宗教を認めない。他民族や他国文化を相いれないし認めない。
戦後、生き残って世界中に散らばっていたユダヤ人が集結して、1948年イスラエルを建国したことによってパレスチナ国家を奪われたパレスチナ人民500万人は、避難民として限られた土地に追いやられている。ネタニヤフ大統領が再選され、強硬派が力をつけており、ユダヤ人の新居住区が拡大する一方だ。イスラエル軍、警察は、抗議するパレスチナ人を迫害し、爆弾を落とし、銃撃している。

2019年5月15日、16日、18日とイスラエルのテルアビブでユーロビジョンソングコンテストが行われた。ヨーロッパ最大の祭典で、41か国のヨーロッパ各国代表に選ばれたアーチストがパフォーマンスを行い、それを見ている観衆やテレビの視聴者が携帯で人気投票をする。その後、即時投票結果が発表される。世界中で、6億人の人々が投票したり観戦する。

出場参加国が多いので、3日間に渡って選抜が行われ、第1次審査と第2次審査を通過して残った国と、ドイツ、英国、フランス、イタリア、スペイン、ビッグ5の代表の合計26か国が、最終日にパフォーマンスを競う。ビッグ5は、この国際音楽祭に多大の出資額を負担しているので第1審査が免除されている。毎年英国は、最大額出資しているのに1997年以来一度も優勝したことがない、ことをこぼしているけど、それは実力というものでしょ。
昨年はイスラエルの女性歌手が、自分でDJをしながらユニークなパフォーマンスを見せて優勝したので、開催国がテルアビブになった。今年はオランダの青年が、キーボードを弾きながら歌い、最高得点で優勝したので来年はアムステルダムで開催されることになった。

オーストラリアはヨーロッパに位置していないのに出場が許されている稀有な国だ。移民でできている国だからヨーロッパを身近に感じている人の方が多い。距離ではなく、文化だ。戦後20年間の間に移民した人々は、英国、アイルランド、ニュージーランドから88万人、北欧、オランダ、ドイツ、スカンジナビアから24万人、東欧、ユーゴスラビア、ポーランドから30万人、南欧、イタリア、ギリシャから53万人、、、戦災から逃れてきたヨーロッパ人だけでこれだけの数で、毎年移民は増えるばかりだから、文字通りの移民国家なのだ。
またオーストラリアはいまだに英国女王を元首とした国。自分を英国人だと思い込んでいて、英国のパスポートを死んでも離さない人が多い。

10年前オーストラリアで、英国から分かれて独自の大統領制にするかどうか、国民投票が行われたが、オージーは、英国女王をこのまま元首として選んだ。自国のアイデンティテイー存在基盤を、現状維持的に英国民族の末裔とすることに決めたのだ。一般にオージーは女王陛下のロイヤルファミリーは好きだが、英国議会やメイ首相は、ぼろくそに批判、自分達はオージー多民族、多文化をもった新しい国の国民だと認識している。だから、ユーロビジョンは、オージーの間でも長い事人気があって、2014年に特別参加が認められたときの人々の興奮の仕方と言ったら、怖いほどだった。
2014年は、アボリジニのジェシカ マウボーイがオーストラリアを代表して舞台で歌い、翌年からは特別参加ではなく、他のヨーロッパ諸国同様の条件で参加が許され、2015年はマレーシアオージーのガイ セバスチャンが舞台に立った。2016年は、韓国系オージーのダミ イン、2017年はアボリジニの青年、そして今年は、もともとはオペラ歌手だったケイト ミラーハイキが、投票で選ばれてオーストラリア代表として舞台に立った。オーストラリア代表がアボリジニ、マレーシア、韓国など、移民国家らしい出場者たちだが、毎年最後の第2審査まで生き残りなかなか善戦していて、今年もトップ10に入った。オーストラリアが優勝したら、どうなるんだろう。ヨーロッパは地続きだから、どの国が優勝しても参加、移動が簡単だけれど、オーストラリアは海を越え、飛行機でも丸1日かかる。毎年数十万人がユーロビジョンのために、開催国に集まって来るという数10年間の歴史が変わってしまうかもしれない。こればかりは、60憶の視聴者のチョイスだから決まってしまったら変えられないだろう。心配だ。

ユーロビジョンが国家というオーソリテイに抵抗する意味を持った歴史がある。東西の壁が高く遮られ、西側の自由で開放的な文化が東側に届けられずにいた時期、東側の人々は、パラボラアンテナを隠し持ち、隠れてユーロビジョンを見ていた。国境で遮られていても、文化の流れを食い止めることはできない。東側の人々も、西側に人々と共に、イタリアのカンッオーネを歌い、フランスのシャンソンを歌い、スペインのファドを同じように歌っていたのだ。感動的ではないか。

2016年のユーロビジョンではウクライナの女性が優勝を勝ち取ったが、彼女の歌がウクライナ民主化に弾みをつけ、彼女はその後政界入りをした。沢山のパフォーマーが、歌で政治的なメッセージを届けていることも、ユーロビジョンの特徴だ。近年はその国の少数民族の歌、女性差別、人種差別をテーマにしたパフォーマンスも多い。国の代表という意味も変わって来た。ヨーロッパだが、白い肌、ブロンズに青い目といった歌手にまずお目にかかれない。今年の最終審査に残った男性歌手のうち、一人を除いて全員が黒髪だった。イタリア代表は父親がエジプト人で、3人のアフリカンダンサーを従えて、アラビア語で歌を歌った。優勝候補とされていたスイス代表の男性歌手と4人のダンサーも、スペイン代表の歌手とダンサーも肌が黒かった。

興味深いのは最後の視聴者による人気投票だ。ウクライナはロシアの政治介入と干渉を受けて政治的に憎んでいるはずなのに、ウクライナ人の最大数の人がロシアに投票している。ロシア人もウクライナ歌手に投票している。セルビア人がスロバキア歌手に最大多数票を入れて、アルバニア人がクロアチア歌手に投票している。ポルトガル人がスペイン歌手に票を入れ、スペイン人がポルトガル歌手に票を入れる。
こういった現象をみていて人々の好みというものが、国境線や政治では語れないということがわかる。人は生まれて育ち、赤ちゃんの時から耳にしていた音階や旋律になじんで、快感を覚えるようになる。そして慣れない音や旋律に違和感を覚える。それはその人の感覚、そのものを形成しているから、政治的な状況が変わったり、国境線が変えられたり、戦争したり、移民したり、難民になっても変わることがないのだ。国境が文化の境ではない。人々は文化の広がりをもって、国境を越えて生きているのだ。人々の感覚は国境線を越える。こういった事実に気つかせてくれたのが、ユーロビジョンだった。感謝しなければならない。

今回パフォーマンスがすべて終わり集計を待つ間、ステージを飾ったのは2014年に優勝したコンチータ。ドラッグクイーンの彼女は黒い髭、胸毛をさらして、網タイツにハイヒール、濃いまつ毛をつけて優雅でパワフルなパフォーマンスをした。
そして最後のマドンナ。今年のユーロビジョンの最大のトピックはマドンナの登場だったろう。大金を積んでマドンナの出場をオーケーさせたイスラエルは得意だったろうが、これが一筋縄でいかないアメリカ人。30人ほどのダンサーとコーラスを引き連れて登場。数百メートル先で、パレスチナ人が爆撃で殺されているのだ。
ステージでマドンナの登場にはしゃぎまわっている司会者に、彼女はニコリともせず質問にろくに答えもせず、MUSIC MAKE PEOPLE COME TOGETHER (音楽で人はひとつになれる、、)を繰り返した。ステージは小オペレッタのような舞台。神は死んだ、戦争と地球温暖化、環境汚染、核による汚染で人々に未来はない。といったメッセージ。「LIKE A PRAYN」と「FUTURE」を歌った。最後に背を向けたダンサーたちの背中に、パレスチナの国旗がはりつけてあった。最後に大画面で、WAKE UP.
これがマドンナの限界だったろう。これ以上のことをしたら彼女のパフォーマンスそのものがつぶされていただろう。これだけでも良くやった、と言わなければならない。

こうして2019年ユーロビジョンは終わった。華々しい会場から数百メートル先にある、パレスチナに生まれ居住区で貧しい生活を送る人々に爆弾を落としながら、ヨーロッパの歌の祭典を主宰したイスラエル。彼らの選民思想と排他主義はユーロビジョンの趣旨に最もそぐわない、人々の魂である音楽とヨーロッパの文化を貶めている。WAKE UP。(目を覚ませ)

写真1:マドンナ    写真2:アイスランド代表が持つパレスチナの旗  
写真3:オーストラリア代表
写真4:優勝国オランダ代表    写真5:スイス代表
写真6:左がコンチータ、2014年オーストリア代表で優勝


2019年5月13日月曜日

ロシア映画「ラブレス」

原題:「LOVELESS」
ロシア、フランス、ドイツ、ベルギー合作映画
監督: アンドレイ ズビャギンツェフ
2017年第70回カンヌ国際映画祭 審査員賞受賞
2018年アカデミー賞外国映画賞 候補作
キャスト
マトベイ ノビコフ : アレクセイ
アレクセイ ロズイン: 父ボリス
マリア―ナ スピバク: 母 ゼ―ニャ
マリア―ナ バシリエバ :マーシャ
アンドリス ケイシス  :アントン

ストーリーは
2012年、セントペテルスブルグ。
高層ビルが建ち並ぶ郊外に、12歳の少年アレクセイの住むアパートがある。見渡せば森がどこまでも続いている。その眺めの良いアパートは今、売りに出されている。両親が離婚して、それぞれの愛人と一緒に住むために、処分しようとしているからだ。そしてアレクセイを両親のうちどちらが引き取ってそだてるのか、互いに養育権を放棄していて争いが続いている。しかしアパートが売れるまで、夫婦は今のアパートで顔を合わせなければならない。会えば少年のことで口汚い争いが避けられない。

高層アパートから一歩外に出ると、そこにはまだ美しい森があり、大きな湖がある。アレクセイは、学校の帰り、遠回りして森を通って家に帰る。冬が終わりつつある。森を歩けば雪が溶けた後の落ち葉が、乾いた音を立て、湖は静まり返っている。アレクセイは落ち葉に埋もれていた赤と白の長いテープを拾い、小枝にからませて、エイヤと高い大きな樹に向かって投げる。テープは手の届かないずっと高い枝にひっかかって風になびいている。

母親のゼ―ニャは街の大きな美容院のマネージャーをしている。高給取りや中流階級の妻たちが顧客だ。彼女の愛人、アントンは離婚してテイーンの娘が外国留学をしている。彼がひとりで住むアパートは、近代的で広々としていて居心地が良い。
父親ボリスの愛人マーシャは、母親と一緒に小さなアパートに住んでいて、出産まじかだ。赤ちゃんが正式なボリスの子供として生まれてくることができないので、不安を抱えている。ボリスが泊まりに来るときは、マーシャの母親が、叔母の家に泊まりに行かなければならない。

売りに出ているアパートを見に、若い夫婦が訪ねて来た日、再びボリスとゼ―ニャは大喧嘩をする。アパートが売れたらサッサと息子を連れて出て行ってよ。なんてことを言うのだ。子供には母親が必要だ。うそ、子には父親こそ必要でしょう。何だったら寄宿舎のある学校に転校させて、そのあと軍に入隊させればいいじゃない。もううんざりよ。
ゼ―ニャは席を立ち、ドアをあけたままの洗面所に入り排尿し、乱暴にドアを閉めて、寝室に閉じこもる。その開けたままだった洗面所のドアの陰には、声を出さずに泣きじゃくるアレクセイが隠れていた。大写しのアレクセイの顔。翌朝、アレクセイは朝食を取らずに学校に走っていく。

2日経って母親は家にアレクセイが居ないことに気付く。互いに愛人の家で過ごしていて、相手が家に帰っているとばかり思っていたので、学校から2日間登校していないと連絡があるまでアレクセイが家に帰っていないことに、誰も気がつかなかったのだ。ゼ―ニャは警察に連絡する。事情聴衆の後、郊外に住む、アレクセイの祖母、ゼ―ニャの母親の家に行っているかもしれないので、確かめるように、警察に言われて、夫婦は3時間運転して、祖母の家に向かう。しかしゼ―ニャの母親は、彼女に輪をかけたような自己中心の寡婦で、アレクセイのことを心配するどころか、夫婦の突然の訪問を非難するばかりだ。再び夫婦は家に向かう。醜い口論が果てしなく続く。警察の人手が足りないので、捜索にボランテイアの力を借りることになる。約40人のボランテイアが警察の指導のもとに、森に捜査を広げる。

アレクセイの友達の情報から、森の奥で打ち捨てられた昔の工場跡にボランテイアが向かう。その地下室でアレクセイのジャンパーが見つかった。しかしアレクセイの姿はどこにも見つからない。しばらくして警察では、身元不明の姿かたちを留めないほど傷だらけの遺体が見つかり夫婦が呼ばれる。しかし二人は、それをアレクセイだとは認めない。DNA検査も夫婦は拒否する。

捜査は打ち切られる。時間が経ち3年後。人々はアレクセイのことを忘れてしまったかのようだ。ボリスは、赤ちゃんの父親になり、マーシャが母親と一緒に住む狭いアパートで一緒に暮らしている。ゼ―ニャは、恋人の初老の男と暮らしている。
森の、アレクセイが学校帰りに通った湖畔。大きな樹の枝にアレクセイが放り投げて、枝に引っかかったままの赤白のテープが、風にゆれて空を踊っている。
そこで映画が終わる。

映画の初めの方で、両親の諍いに身の置き場がなく洗面所のドアの陰で泣いていたアレクセイが翌朝駆け足でアパートの階段を下りるシーンを最後に、二度と映画の中で姿を現さない。雪の舞う廃墟になった工場でジャンパーを脱いだアレクセイは、そのまま姿を消してしまった。生きていないことだけは確かだ。彼の傷ついた魂は、大木の枝で風に舞い、空に向かって羽ばたくテープのように自由に飛んで行ったしまった。

現代社会で夫婦が別れ、互いに子供を押し付け合っているというどこにでもある話。とても単純なストーリーなのだが、見ている観客は胸に鋭利な刃物を当てられたようなインパクトを与える映画だ。映画の始まるシーンでは、冬のおわり、寒空の下、乾いた空気と枯れ葉の映像が写される。かすかにピアノの音が聞こえてくる。低い Eの音の連弾。この音が段々大きな音になって響き渡る。呼吸が速くなって、恐怖感が増してくる。音が最大限まで大きくなって緊張感が最大限まで高まる。そうして映画が始まる。映画の最初のシーンで、もう監督は観客の緊張感と集中力をわし掴みにしてしまうのだ。
少年が誘拐されて血に染まったり殺人犯に切り刻まれる訳でもなく、どこの目鼻があるのかわからないほど殴られ虐待されるわけでもない。映画の中で、血が一滴として流れるわけでもないのに、これほど恐怖心が湧き、心が痛む映画も珍しい。ひとえに監督の作り出す映像の手法の巧みさにある。

監督は「現代には濃いかたちで存在する愛がない。そのラブレスな状態を見せたかった。」「AIに職業が奪われていくような時代です。我々は他人を犠牲にしなければ生き抜けない。狂気じみた生存競争のなかにいる。芸術家は時代を切り取る者。今の状況を映す映画や文学が多く生まれるのは当然のことです。」と言っている。この監督は2014年にロシアで、国内の官僚による腐敗を告発するフイルムを作って、その発表を政府に止められた経緯がある。それを同情する映画界の国際的な支持があって、この映画がカンヌ映画祭で審査員賞を与えられた、といわれている。政府の内部告発が、現代社会への告発にぼやけさせられた、そんな形でしか映画が作れなかった、ということかもしれない。

ゼ―ニャはいつも携帯電話を見てばかりいる。恋人とデイナーテーブルに付いているときでさえこれを離さないで、グにもならない写真を撮っては自己陶酔している。アレクセイが居なくなって3年経って恋人と一緒に暮らすようになっても、二人の間に会話はなく、彼女が幸せそうには見えない。
夫のボリスもゼ―ニャが妊娠して結婚せざるを得なかったように、新しい恋人マーシャが妊娠して再婚したが、そのことによって彼の人生が変わったわけでも、新しい結婚生活に愛が溢れているわけでもない。赤ちゃんが泣くわめくと、ベビーコットの中に無理やり押し込んで、赤ちゃんが泣くわめこうが抵抗しようがお構いなしだ。
ゼ―ニャと母親とのやり取りも見れば、ゼ―ニャが母親から充分に愛されることなく孤独な子供時代を送ったことは容易に想像できる。おそらく夫のボリスも同じだろう。どこにも愛がない。愛など見つかる筈がない。

愛情をもって育てられなかったアレクセイがどれほど心に深い傷を負っていたか。映画の初めで彼が夫婦喧嘩を聞かされた翌日に姿を消し、2度と姿を現さなかったことで彼の心の傷の深さを思い知らされる。
自分以外の人を愛せない人は、結婚相手を変えてみても、子供を変えてみても,愛は見つからない。なぜなら、愛はどこかに落ちているものではなく、それを持っている人と一緒になれば得られるものでもなく、自分で見つけて、育てるものだからだ。相手の生き方の中に入って行き、自分と違う相手を発見して、そのことに喜びを見出すことだ。自分と違う相手の存在を喜び、共有できるものを相手と一緒に探すこと、そういった努力を伴う行為が愛であり、人も自分も幸せにすることができる。

ラブレスという親から子への虐待を止めるには、愛が欲しいと相手を変えて見たり、別の土地に移って見たり、愛が欲しいと叫んでみても、かなえられない。ラブレスは親から子へ虐待という形でおこり、その子供が再び同じように、次の子供に虐待を繰り返す社会的な不幸の連鎖を招く。愛を見つけるには、自分を見つめることだ。自分でなく相手との違いを喜び、共感することを喜ぶことだ。愛する人が居るということが、どんなに大きな生きる支えになるか、喜びも悲しみも、怒りや驚きや笑いや、憎しみさえも愛に値する人がいるから起きてくる感情だ。愛するもののためにどんなことでもしたいと思うとき、生きる価値も出てくる。

映画ではアレクセイを探し出すためにたくさんのボランテイアが出てくる。実際にロシアで活躍するリーザ アラートという組織だ。頼まれてやるわけではない。自分の子供が突然居なくなったらどう感じるか、よその親の心配を自分の子供を心配するように思って、警察の捜査に協力する。集まって来るのは普通のおじさん、おばさんたちだ。素晴らしい人々。オーストラリアでも山火事の消防隊、ビーチでのレスキュー、山で行方不明になったひとの捜査隊、みなボランテイアで、彼らは人々の英雄だ。こうしたボランテイアの経験者は誰からも尊敬されている。人の為に生きること、それが自分のために生きることだ。このトルストイの言葉はいつも私を勇気付ける。

音楽がとても良い。ユージン ガルペリンと、サッシャ ガルぺリン兄妹の作曲だという。映画の初めのE音の連弾は、映画の最後でもこの激しい連弾で終わる。この迫力が素晴らしい。
どのシーンで使っていたのかとうとうわからなかったが、アルヴォ ペルトの曲も使われているらしい。エストニア生まれの宗教音楽、古楽、三和音などを得意とする作曲家だ。彼の音楽は鎮魂の音楽と言える。この人の世界が、この映画の湖や森の映像にそっくり重なって来る。

関係ないけど、一流企業に勤めるボリスの会社のランチシーンが面白かった。アメリカ映画だったら、女子はバナナ、リンゴとヨーグルトとかでゴリラのランチと同じような内容だし、ごっつい男なら野菜なしの骨付きステーキが普通みたいで、もう見飽きたけど、ここではさすがロシア。ボリスはでかいポテトがいっぱいと肉団子。彼と「離婚したら出世に響くかなあ。」などとしゃべっている同僚は、ブロッコリー山盛りと魚のシチューみたい。それにデザートらしき小皿がついていて、ふたりとも別の小皿に入った生野菜から食べ始めていたのには、感心感心。健康ですね。愛がないけど。

日本では去年のアカデミー賞で話題になって公開されたらしいが、こちらではやっと今頃公開された。この映画 哀しい哀しい映画だ。

2019年5月2日木曜日

映画「ボヘミアンラプソディ」と「ホテルムンバイ」

      
映画「ボヘミアンラプソディ」が、2019年第91回アカデミー賞で、主演男優賞、編集賞など4つの賞を取った。
映画は、フレデイ マーキュリーが生きていた時代にはまだ生まれていなかった若い人々を魅了させ、クイーンが再び脚光を浴びる結果となった。彼らが1981年にサンパウロのエスタジオ ドモルンビーで行ったコンサートは、観客数で世界記録を作り、未だにどのロックグループも記録更新できずにいる。1986年8月に英国ネブワース公演で、30万人の観客の前で、フレデイが絶唱したのが、最後のフレデイのコンサートになったが、この何十万人もの観客が熱狂する姿が、フレデイの目に映るシーンが、この映画の最高に興奮するところだ。フレデイの大きな目の隅から隅まで、フレデイのパフォーマンスに酔いしれる観衆若者達の姿が捉えられている。フレデイは演奏者と観客の興奮を、一つに一体化させて、観客を熱狂の渦に巻き込むことにおいて天才だった。

彼らの音楽は、ジャンルにとらわれることなく、ロカビリー、ロック、ヘビメタル、ゴスペルなどを取り入れて抜群にユニークな音楽を作った。
映画の中で、これから何をやるんだ、と聞かれてフレデイが、「俺たちオペラやるんだよ。」と言い、意表を突かれたブライアンとロジャーとジョンが、一瞬ののちにそろって、「そうだよ。俺たちオペラやるんだよ。」というシーンがある。そうして、オペラチックな「ボヘミアンラプソデイ」が生まれるのだ。かっこいい。
ブライアン メイ、ロジャーテイラー、ジョン デイーコンが一人ひとり個性を持った、知的で多才な男達で、それぞれが4人4様でいて、とてもイギリス人的。仲の良いグループだった。
例えばブライアン メイは、宇宙工学博士で、大学で研究も講義もしてきたし、自分の工学的知識をもとに特殊音響効果音を自作のギターで創作してきた。ロジャー テイラーは歯医者だ。フレデイを含めて全員がピアノもギターもシンセサイザーも演じて歌うことも作詞作曲もする、すぐれた音楽センスを持っている。
フレデイの死後、最もフレデイと仲が良くて、つながりの深かったベースのジョンがフレデイ追悼コンサートのあと引退して、2度と舞台に立たなかったことも泣かせる。

この映画が成功したのは、主演したラミ マレックがフレデイそっくりにその姿を再現したことと、彼が歌っていた歌、すべてが本物のフレデイの声で編集されたことだろう。
今年のアカデミー賞授賞式で、トップにクイーンが登場して「WE ARE CHAMPION」と「WE WILL ROCK YOU」を歌ったのは嬉しいサプライズだった。ブライアン メイのギター、ロジャー テイラーのドラム、アダム ランバートのボーカルだ。パフォーマンスのあと、71歳のブライアン メイと、69歳のロジャー テイラーは会場に残って授賞式を楽しんで居る様子が見られた。二人とも知的で優雅で美しくて、最高だ。

ところでフレデイ マーキュリーがエイズで亡くなったことはみな知っているが、ゾロアスター教信徒だったことはあまり知られていない。
フレデイは当時英国領だったアフリカタンザニアのザンジバル島で生まれた。幼少期は英国領だったインドで育ち、17歳で家族と共に英国に移住して、彼はロンドンの工業学校とイ―リングアートカレッジでデザインを学ぶ。両親は敬虔なゾロアスター教信徒だ。
ゾロアスター教には厳しい戒律があり、布教はしないこと、両親が信者だと子供も信者と認められるが、多宗教の信者と結婚すると信者であることを捨てなければならないと決められている。
もともとゾロアスター教は、古代ペルシャで、ツアラストラが創設した善悪2元論の宗教だ。紀元前からサーサン朝まで、ペルシャでは国教として信心されていたが、7世紀になってイスラム帝国の軍事侵攻によって、ペルシャがムスリムに改宗されたことを切っ掛けに、迫害された信者たちはインド西部に逃れた。この時、ヒンズー教がマジョリテイーのインドに、ゾロアスター教を布教しないことを条件で定住を許された。だから信徒は、現在10万人くらいで、減少するばかりだ。
ゾロアスター教といえば鳥葬で有名だ。沈黙の塔の石板に遺体を乗せて鳥がついばむのに任せる、究極の自然主義リサイクルだが、いまは法的に禁止され土葬になっている。
余談だが日本のカーメイカーのマツダは松田さんという創業者によって命名されたが、ゾロアスター教の守護霊アブラ マズダーの名をかけて、MAZDAが正式名になっている。

インド最大の国際金融都市、ムンバイ(かつてのボンベイ)には、ゾロアスター教信徒が大勢居住している。彼らは、かつての東インド会社との関係が深く、貿易関係者や知的職業人が多い。中でもタタ財閥は、現在のインドの金融商業活動で最大のパワーを持つ財閥だ。このタタ財閥が所有する1903年に開業した、タジマハールパレスホテルは、世界中から来た政治家、王侯貴族などが滞在する最高級のホテルだ。スイート46室を含む565室、22階建ての美しいホテル。このホテルが、2008年、175人の命を奪ったムンバイ同時多発テロで襲撃され多数の被害者を出した。放火されて建物のトップにあったドームはいまだに修復されていない。この様子が映画になった。

邦題:「ホテルムンバイ」
原題「HOTEL MUMBAI」
監督:アンソニー マラス             
キャスト
デヴ パテル : アジュン ホテルの給仕
アーミー ハマー:デヴィッド アメリカ人旅行者
ナザ二ン ボ二アデイ : ザラ デヴィッドの妻
テイーダ コバン ハーベイ:サリー ザラ夫婦の子の乳母
アヌパン カー: ヘルマン ホテルヘッドシェフ
ジェーソン アンザック: ロシア人ホテル滞在客
ストーリーは、
2008年11月26日、いつものようにタジマハール パレスホテルでは仕事始めの朝礼が始まっていた。アジュンら、給仕たちは一列に並びヘッドシェフ、ヘルマンから、お客様を神様と思って尊重し、満足されるように給仕するようにと訓示され、身だしなみから姿勢まで厳しくチェックされる。その日もいつもと変わらず、ホテルマン達は、忙しく立ち働く。 
イラン系英国人貴族のザラが、アメリカ人の夫デヴィッドと赤ちゃんのキャメロン、乳母のサリーを伴ってホテルに到着する。夫婦は乳母を赤ちゃんを部屋に残して、階下に食事に出る。

一方10人の自動小銃や手榴弾で完全武装した男達が、パキスタン、カラチ港から貨物船で渡航、ゴムボートに乗り換えてムンバイの海岸に到着した。男達は二人ずつ分かれて、夕方で混雑している駅やカフェや映画館などで、いきなり無差別乱射を始める。外国人に人気のカフェで夕食を楽しんでいた、アメリカ人のバックパッカーたちの目の前が血の海となる。

チャトラパテイシヴァ―ジ駅、オベロイトライデントホテル、レオポルドカフェ、カマ病院、ユダヤ教ナリーマンハウス、メトロアドラブ映画館、マズガーオン造船所など、12か所で、人々が一日の仕事が終わり夕食を取る時刻に、突然乱射が起こった。警察は前代未聞の出来事になすすべもなく、特殊部隊の救援を頼みに待つばかりだった。
街で起きている無差別乱射から逃げ惑う人々が、助けを求めてドアを叩いたのが、タジマハールパレスホテルだった。パニックに陥っている人々は、群れを成してホテルのロビーになだれ込むが、その中にはテロリスト達も紛れ込んでいた。ホテルのロビーで情け容赦ない射殺が始まる。階下のロビーやレストランでの殺傷は一段落すると、犯人たちは、オペレーターに銃を突き付けて、客達に一室一室のドアを開けるように命令する。ドアを開けた宿泊客たちは、たちどころに撃たれる。

ザラとデイヴィッドはレストランに身を伏せて、銃も持った犯人たちの様子を窺う。ホテルの部屋では、事態を知らずにいた乳母は、突然隣の部屋に宿泊していた老婦人が、血相を変えて部屋に踊り込んでトイレに隠れ、それを追ってきた男達が撃ち殺すのを間近に見て、洋服ダンスのなかに隠れる。レストランからデヴィッドが、犯人たちのすきをついて赤ちゃんを助けに階上に上がろうとして、犯人に人質として捕らえられる。
ホテルのヘッドシェフのヘルマンと、給仕のア―ジェイは、レストランに隠れていた生存者を安全な会議室に誘導する。そこに外から逃げ込んできた人々も合流する。テレビは、多発テロで混乱する駅や町の様子を放映している。

ニューデリーから、軍の特殊部隊が到着するのに何時間も待たなければならない。すでに、その時間は過ぎ、1日経っていた。ザラや、謎のロシア人客らは、救援がもう来ないのではないかと絶望的になり、ヘルマンやアージェイの助言を聞かずに、自分達でホテルから脱出しようとする。しかしそれらの宿泊客達は、待ちかまえていた犯人たちによって殺され、ザラは人質として捕らえられる。人質にされたデヴィッドは、見張り役の犯人の銃を奪おうとしてザラの目の前で死ぬ。犯人たちと警察との交渉は、決裂した。火がつけられ、人質にされた外国人たちは一人ひとり撃ち殺される。ザラは銃の頭に向けられて、必死でコーランを唱える。その女の頭を犯人は銃で吹き飛ばすことができない。
丸2日かかって、軍の特殊部隊300人がホテルの犯人たちを一掃、テロリストの襲撃は終わった。

10人のテロリストによる乱射で175人の命が失われ、そのうちの34人が外国人だった。犠牲者の一人に三井丸紅液化ガスの日本人社員もいた。
ニューデリーから、軍の治安特殊部隊の到着が大幅に遅れ、一般市民が無差別に殺害され始めてから、丸2日たっても10人の犯人を捕らえることができず、市民の救命が遅れた理由のひとつに、タジマハールパレスホテルが、インドの大多数がヒンズー教信者ではなく、ゾロアスター教信者の所有するホテルだったこともあったのではないか、と言われている。

映画ではロシア人で秘密部隊で働いていたらしい謎の屈強の男が出てくるが、ザラを守ろうとして、あっけなく殺される。ハンサムの代名詞みたいなアーミー ハマーも生存できない。
映画の中で、足を撃たれて動けなくなった犯人の一人が、人質たちの見張り番を任される。彼は怪我の痛みに耐えかねて、故郷の父親に電話をする。「パパ、元気?組織からお金を受け取った?」「え? まだなの?受け取ってないの?」 息子の英雄的アタックの命の代償として大金が父親に送られる、という組織の話がウソだったことが分かる。自分は捨て石だった。彼は泣きながら「パパ、元気で。」と言って電話を切り、一人ひとりの人質を処分していく。

今年2019年4月2日に、スリランカのコロンボで起きたイスラム国によるカトリック教会への爆弾テロでは250人の命が失われた。ニュージーランドのクライストチャーチでは、たった一人のレイシストによって、モスクが攻撃されて50人の信者たちが亡くなった。
これらで犯人らが使ったのが「AK自動小銃」だ。今ではオーストラリアでもニュージーランドでも所有が禁止された。これら自動的にたくさんの弾丸が連射できる銃を、「卑怯者の銃」という。狩猟は原始からある男の究極のスポーツだという人があるが、殺傷目的に開発された銃をスポーツとして狩りに使うなら、動物が苦しまずに綺麗に死ねるように、たった1発で仕留められることが、スポーツだろう。安全なところに隠れていて連発銃や散弾銃で獲物の姿が形をとどめないほどにして殺すのは、冷血で精神を病んだ者のすることだ。スポーツからは程遠い。銃は断じてスポーツではない。一度に沢山の人を殺すためのものだ。

「卑怯者の銃」AK47など自動小銃は、一度弾を込めて発射すると、発射時に発生する高圧ガスが次の弾を薬室に押し出すので自動的に再装備することができる。1分間に600発もの発射が可能な自動連射小銃が開発されている。自分が安全なところに隠れていて、短時間で最大数の「けもの」を殺すことができる「卑怯者の銃」だ。

もともと武器は、帝国主義国が他国を侵略するときに、自分達とは、肌の色や宗教や、文化の異なった人々を「野蛮人」と断定して自分たちの都合の良く植民地化する目的に使われた。野蛮人でも奴隷でもない人々が、帝国主義者が使ったのと同じ武器を持って反撃に転じるのは当然の成り行きだ。
いまテロリスト達に大量殺人が行える「卑怯者の銃」を製造販売しているのは、最先進国米国、英国、フランス、ロシア、中国、イスラエルの国々の企業だ。シリアで反政府軍に武器を供給してきたのは米国だし、トルコ、カタールといった国々とも兵器を供給している。こうした武器を使って米国や英国はアフガニスタン、イラク、スーダンや南米の国々に直接介入してきた。武器の供給の過程で、それら巨大な武器製造企業の裏では、マフィアともつながっている。

テロリスト達に大量殺人が行える武器を製造供給しているのは最先進国の企業だし、売れれば売れるほど人が死に、死の商人は肥え太る。テロリストは最先進国の企業が育てているのだ。 ロンドンもパリも執拗に狙われている。私たちは明日、どこかで爆弾の爆発や、無差別乱射に巻き込まれて命を落とすかもしれないという、危険の中を生きている。そんな場面に行き当たったら生き残るかどうかは、運次第と言うしかない。
そうした病んだ社会を資本主義が育てて来た。武器生産を止めるしか道はない。人は誰ひとり、人をだまし、傷つけ、殺すために生まれてきたのではないからだ。

「ホテルムンバイ」のようなデザスター映画は、見た後でいろんなことを考えさせられるが、これを観るなら「ボヘミアンラプソデイ」を3回みることをお勧めする。元気が出る。




2019年4月9日火曜日

アイスランド映画「たちあがる女」

邦題:「たちあがる女」
原題:「WOMAN AT WAR」
監督:ベネデイクト エルリングトン
キャスト
ハルドラ ゲイルハルズデツテル : ハットラ
ヨハン シグルスアルソン  :合唱団員
デヴィッド―ル ヨハンソン:牧場主
マルガリータ ヒルスカ : 二ーカ

アイスランド フランス ウクライナ合作映画
2019年カンヌ国際映画でプレミア公開。アカデミー賞外国映画賞候補作。ヨーロッパ映画に与えられるラックス賞受賞。トロント国際映画祭でオーデイエンス賞受賞。
監督は、前作「OF HORSES AND MEN」で、独特で詩情豊かな作風が注目された。
この映画を観て、感動したジュデイ フォスターが、自身が主演監督してハリウッドメイクの同作品を制作する了解を得た。

ストーリーは
あるハイランド地域の街に住む、50歳独身のハットラは、地元社会人合唱団の音楽教師をしている。双子の姉が近くに住む。ハットラは、音楽教師以外に、自然環境破壊と戦う、活動家としての顔も持つ。地元には、鉱業ジャイアント、多国籍企業のリオ テイントが所有するアルミニウム工場がある。ハットラは、アルミニウムを精製する過程で出る廃液が環境破壊につながるために、工場の生産を止め、環境を保護するために、すでに5回も工場に直結する送電線をショートさせ送電の妨害を起こしている。

会社も黙ってはいない。アルカイダによるテロか、ゲリラグループによる破壊活動か、グリーン党内部の過激組織によるものか、犯罪グループの摘発のためにCIAの知恵を借り、犯人を特定、追跡しようとやっきになっていた。ある日、ハットラが6回目にアルミニウム工場送電線を妨害して帰ってくると、養子縁組担当者から手紙がきていた。4年前の事なので、すっかり忘れていたが、ハットラは養子縁組の申し込みを出していたのだった。ウクライナから4歳の孤児を引き取るかどうか問われて、ハットラは突然の事なので、戸惑いながらも喜んで引き取ることにする。合唱団の人々も祝福され、双子の姉からも喜んでもらえた。

でも子供を引き取る前に、子供の未来のためにやらなければならないことがある。まず、アルミニウム生産による廃液が自然環境を破壊していることを街の人々に訴え、これまで6回も送電を妨害してきたのは、テロリストでも過激派グループでもなく、単独犯であるという声明を印刷して町中に撒いた。リオ テイント社の工場が閉鎖しなければならないほどの打撃を与えなければいけない。ハットラは、爆弾と電動カッターを持って、山に入り、送電線を爆破する。

警察は思いのほか早く動き出した。犬を使って本格的な追跡隊が駆り出され、ドローンもヘリコプターも日夜わけずに上空から偵察を続行する。ハットラは、山を走り、凍った氷河を登り、氷水の濁流を渡り、もう力尽きて逃げ切れなくなったところを、牧場主に助けられる。牧場主に街なかの自宅まで送ってもらうと、その日はもうウクライナに養女を迎えに行く日だった。空港に行き、カウンターに向かう。しかしそこでは、「テロリストハント」が行われていて、通過できないことを悟ったハットラは、タクシーで引き返す途中で、逮捕される。

拘置所に双子の姉が面会に来てくれた。姉はハットラをしっかり抱きしめながら、自分のワンピースを妹に頭からかぶせて、自分はハットラの囚人服を素早く身に着ける。車のキーを渡しながら「これで空港に直行し、ウクライナで亡命しなさい。」という。身代わりの囚人になった姉を残して、ハットラは言われた通りに国外脱出し、ウクライナの孤児院を訪ね、4歳の娘に会う。そこで孤児とハットラは、しっかり心を通わせる。娘を引き取ってバスで首都に向かう途中、洪水でバスがエンコする。他の乗客たちと一緒にハットラは、娘をしっかり抱いて、腰まで水につかりながら進路に向かって進んでいく。
というおはなし。

しばらくこんなに素敵な映画を他に観なかった。まず映像が素晴らしい。そして音楽が良い。まず映像だが、前作で映像の詩人といわれた監督の作品。詩情に満ちた映像に、登場人物のかもしだす大人のユーモアがちりばめられていて何度映画を観ながら笑ったことだろうか。アイスランドの山々が広がる広大な高地の美しさが例えようもない。山々は何億年もの間、溶けることのない雪渓を抱えている。雪解けの水が川を作り、乾いた大地は深い緑色のミズゴケの覆われている。その柔らかな大地にうち伏してミズゴケの匂いを胸いっぱい吸うハットラの自然にむけた深い愛情。われら皆大地の子供。山々が吹き下ろす風の音を聴け。雪渓から落とされる水滴に耳を澄ませ。ミズゴケに覆われた大地の柔らかさに心を開け。

そんな美しい大地にいくつもの送電線が林立し、ミズゴケを殺し環境を破壊する工場に電気を送っている無惨なすがた。たった一人、誰の支援もなく単独で、多国籍企業に立ち向かっていくのはドン・キホーテでもなく、スーパーヒーローでもなく、ひとりの中年のおばさんなのだ。50歳独身の音楽教師の家の居間には、ネルソンマンデラと、ガンジーの大きな写真が飾ってある。そんな彼女が何をしているか知った人々は、手助けの労をいとわない。確固たる心情をもって、ひとりきりで突き進む孤高の活動家は、決して孤独ではなく、アイロニストでもペシミストでもなく、ただただ大真面目に生きているのだ。彼女が絶体絶命のときに救いの手を差し伸べる人々とは、彼女のやり方がどうのとか、批判も評価もせずに、ただ出来ることをしてやる。みんな大人なのだ。成熟した社会に住む人々。

警察の追跡から逃れようと、山を走り、雪渓を渡り、氷の河を潜り、力尽きて死にかけているハットラを助ける牧場主が素敵な男だ。何も聞かず、何も問わず黙って低体温で半分心臓がとまりかけているハットラを温泉に放りこんで救命し、警察の警戒網を突破する。人生を達観した男の魅力。
ハットラが警察から逃げまくっているときに、3回も同じスペイン人バックパッカーが、ハットラの身代わりの様にして警察に逮捕される。山でテントを張り、自転車で気ままに高地を彷徨っているのだから誤解されても仕方がないのか。彼が登場するたびに大笑いしてしまうけれど、精悍な顔をした好青年なのだ。

この映画の一番の良さは詩情たっぷりの映像の美しさと、そして音楽のスタイリッシュな使い方だ。映像と同時に画面に音楽隊が登場する。ハットラが山で走り回っているときに、突如ドラムとピアノのホーン3人の楽隊が登場して演奏する。ドラムがハットラの早鐘のような心臓の音を鳴り響かせる。
彼女がウクライナから養子をもらうことになった途端に、3人のウクライナ女性が民族衣装を着て登場して、フォークソングを歌い出す。ハットラが合唱団を指揮したあとの帰り道自転車を走らせるバックミュージックは、合唱だ。3人の楽士と、3人のウクライナ歌手達は、映画の最後まで繰り返し、繰り返し登場して演奏する。ハットラの頭の中に住む存在なのだろう。最後に異常気象で苦しむウクライナの洪水のなかを、ハットラが子供を抱いて歩くシーンでは、3人の楽士、3人のウクライナ合唱隊が総出でバックグラウンドミュージックを奏でて、ハットラを見送る。
映像のバックに音楽を演奏する楽隊を登場させるという斬新でスタイリッシュな方法に感動する。新しい。これからこのスタイルで音楽を使う映画が沢山出てきそうだ。

登場する人々がみんな大人で、過激な活動家の話なのに安心して見ていられる。成熟した社会が背景にあるからだ。豊かな自然をもつアイスランドの魅力も尽きない。ヴァイキングが9世紀に持ち込んだ、長い毛と太い足を持った美しい馬たち、山から吹き下ろす風に揺れる山岳植物、雪渓の広がり、ミズゴケが生えそろう柔らかな大地が、いつか訪れるとき、待っていてくれるだろうか。それとも鉱山開発の垂れ流す汚水で生物が死に絶え、気温上昇で河が氾濫し、洪水で村が流され、破壊された自然を怒った火山が大爆発を繰り返すアイスランドになっていることだろうか。

2019年4月2日火曜日

フレーザー島での日本人高校生死亡事故について

3月29日に海外交流プログラムで神奈川大学付属高校から来豪していた二人の高校生が、フレーザー島のマッケンジー湖で溺死した。
16歳になるまで大事に育てられたお子さんを失くされたご両親、ご兄弟姉妹、親類の方々、親しい友人の皆さんの哀しみを思うと胸がつぶれる想いだ。母親にとっては妊娠期を含めれば17年間、大事に大事にと育ててこられた命を、突然の事故で失われた悲しみは、耐え難い喪失だろう。心からお悔やみを申し上げたい。

プログラムでは、彼らは3月24日に日本を出発し、28日にクイーンズランドのブリズベンからフレイザー島に到着。29日は島の中央にある湖で遊んで、31日に帰国する予定だったそうだ。高1と高2の15人の生徒に、2人の引率教師、1人の添乗員が付いていて、話によると湖畔で女子の記念撮影をしている間、男子は泳いだり遊んで待っていた、そのほんの少しの間に男子2人の姿が見えなくなった、という。
一人の男子生徒が溺れ、それを助けようとしたもう一人の男子生徒も溺れたのだろう。15人の生徒に、2人の引率と添乗員という数字は妥当だと思う。8日間の日程も、観光を含めた海外交流プログラムに無理がなく、行程にフレーザー島を入れたことも良い立案だったと思う。

マッケンジー湖は石英が崩れて真っ白い砂になったまわりに囲まれた、透明度の高い淡水湖だ。フレーザー島はブリズベンから300キロ、世界最大の砂でできた島だ。寒くなると赤ちゃんを連れたクジラやイルカが北上するのが見られ、野鳥の宝庫でもある。犬の先祖、デインゴの生息地でもある。

どんなに気を付けていても事故は起こる可能性がある。人は完全ではないし、人の体は完璧ではないからだ。
何十キロもの遠泳が得意な人で、陸より水の中が好きだという健康体の見本のような人が、ある日突然、足の着く子供プールで水死していた例を知っている。娘たちの学校でも授業中のプールで、普通に泳いでいた11歳の生徒が突然死したこともあった。

何千万人の特に開発途上国の子供達の命を救ってきた、麻疹や百日咳の予防注射で、3%の割合で副作用を起こす子供が居る。発熱、発疹、ときとして死亡に至ることもある。しかしだからといって予防注射を避けてはいけない。人の体は誰もが同じではないから副作用が出るかもしれないが、予防すべき疾患にかかるより統計上、はるかに良い結果が出ている。医学は進歩しているのであって、退化していない。それを信じて良い。
人の体は数学の方程式のように結果を出せない。効果があるはずの治療が効かない、癌だと自分で信じて亡くなったが解剖してみたらガンなどなかった、治療を何もしていないのに自然に完治した、、、そんな例がどこにでも転がっている。人の体は科学だけで説明できない。

1996年にオーストラリアに来て、看護士として働き、医療通訳として登録していたので頼まれれば夜間緊急で呼び出されることも多かったが、日本からの修学旅行の付き添いの依頼は断ったことがない。楽しいからだ。喜んで、本職の方は有給休暇を取って、修学旅行の付き添いをした。学校によっては日本から看護士を付けてくる学校もあったが、オーストラリアの緊急医療システムを知らない上、医師の指示がないと何もできない日本の看護師はできることが限られる。オーストラリアの看護師は、時給も高いが、能力も高い。PCで血液検査の結果を見ながら患者に血液凝固剤をどんどん投与するし、看護士の判断で投与できる薬品も沢山ある。またオーストラリアの看護師の免許は万能で、明日ロンドンに飛んで翌日から病院で働ける。英国、アイルランド、シンガポール、ドバイなど中東の国々でも、免許が通じる、といった便利さがある。

修学旅行の付きそいで,思い出すことが沢山ある。
シドニーの中心街、日本で言うと渋谷ハチ公前のようなところで、タバコを買おうとしていた男子生徒が、指導教員に捕まって沢山の人々が行き交う真ん中で、腕立て伏せ50回やらされていた。いがぐり頭の可愛い男子が大声で数を数えながら腕立て伏せをやっているのを、やめさせようと駆け寄るおばあさん、おやまあと遠巻きに嘆息する人々、、。私は交通整理。

有名女子公立高校1年生の女の子。夕方からお腹が痛いと言い、痛がり方が尋常ではないのでホテルドクターを呼ぶと、ホテルに2人1室で共有していたため3日間便秘しただけだったんだけれども、同室の子も、その隣の部屋の子も、またその両隣の子もお腹が痛いと泣きだして、一晩に28人の患者、集団ヒステリーという奴。手持ちの薬が足りなくなって、深夜薬屋のドアをたたき開けることに。

修学旅行ではシドニー、メルボルンなどの観光に、田舎の牧場での体験を取り入れる学校も多かった。その際、乗馬が一番やばい。馬の扱い方、たずなの扱い方を通訳し、ヘルメットをかぶせて一人一人馬に乗せて、牧場を歩いてもらう。馬が怖がるから馬にまたがった時に高いけど、黄色い声を上げないでね、と何度も言い含めたのに、女の子は一様に馬の背に乗った途端に、たかーい、キャーと 激しく黄色い声を上げる。自然、振り落とされる子供も出てくる。落馬すると、本人が頭は打たなかった、首も痛くない、と言い張っても一応頚椎損傷を疑って、病院に連れて行く。めんどうもいいとこ。都心ではない。牧場だから救急車を呼ぶにもお金も時間もかかる。

14歳男子。体が一回り他の子供達よりも大きくて、クラス委員長。ハンサムで礼儀正しく何でもよく知っている。最初に紹介されたら私の仕事に興味を持ったらしく、接近してきて,一番に仲良くなった。先生方からも信頼されていて、生徒たちと教師らとの間に立つまとめ役のような子だった。立派なお子さんですね、と両親をねぎらいたくなるような。ところが隠れたところで体の小さな眼鏡の男子を虐めている現場に遭遇。突入して、弱い者いじめの卑怯者と、この男子を弾劾する声は、1オクターブ高音の不快音。あのとき私は泣いていたかもしれない。くやしくて。

オーストラリアは毒蜘蛛が世界一多い国。靴を履こうと思ったら、黄色い蜘蛛がスポシューから出て来た、と騒ぐ男子。咬まれたの、咬まれなかったの? わっかんなーい。汗で臭い立つ足には無数の傷が。どれが咬まれた後なの? わっかんなーい。こんなクレームにも、万一毒蜘蛛が咬んでいたら数時間後に死ぬから、一応救急車を呼んで病院に付き添ってやらなければならない。

ナースの部屋はここだから、何かあったら深夜でもいつでも来なさい、と言っていたから、深夜一人で来て暗い顔で、ひとこともしゃべらないですわっていた女子もいた。隣に座って、ゆっくり暖かいウィスキーを二人で朝までなめていた。翌日は別人のように仲の良い子に明るい顔をみせていたので安心した。

シドニーの有名高級ホテル。ベッドで逆立ちしたら、ガラス張りの絵画に足を突っ込んで蹴破ってしまった元気男子。3針縫っただけで済んだ。
有名ホテルのビュッフェスタイル朝食時間。男子生徒が先にがっつり取ったので、完全にオムレツやソーセージやサラダやパンの皿は空っぽ。女子の朝食がない。大急ぎで厨房に行って新たに作らせて、市内見物5分前に朝食終了ということもあった。
修学旅行で一緒に過ごした子供達にいつも元気をもらってきた。一緒にいる時間が長くなると、どの子も、自分の子供の様に可愛い。彼らの成長の一時に、海外経験がプラスになってくれれば嬉しい。

生徒達は帰国していく。旅先であったことの全部は親には言わない。多感な少女期。多動な少年期の修学旅行だからいろんなことが起きる。事故も起きる。
しかし、子供たちが高校や大学の入試に必須科目である英語を、ほんの少しでも英語圏の人に使ってみる冒険の機会を奪ってはいけない。日本という小さな島国を出て、自分には当たり前のことが外国では通じないという体験をしてみるチャンスを逃してはならない。世界の中の日本の姿を見るために、一度は日本から出て見る勇気を失なってはならない。

人は完全ではないし、人の体にはわからないことが沢山ある。事故はどんなに注意していても起こることがある。
最悪の事故が起こったからといって、海外修学旅行が取りやめになったり、職員が処分されたりしてはいけない、と思う。



2019年3月16日土曜日

映画「ビールストリートの恋人たち」

「二グロルネッサンス」と、アメリカ文学史上呼ばれる時期がある。1920年代のことで、黒人でも「歌ったり踊ったりするだけでなく、芝居も出来るし物も書ける」ことが白人社会に認識されるようになったことが、ルネッサンスだという、白人が白人のために作り出した極めて原始的な規定だ。しかし現実にそうした時期を経た後で、1940年代になって、やっと本格的な黒人作家、リチャード ライトや、ジェームス ボールドウィンが華々しく登場する。

Richard Wright リチャード ライト(1908-1960)は、小説「アメリカの息子」(Native Son)が新聞に掲載されてベストセラーとなり、一躍流行作家となるが、早くから黒人差別社会で知に目覚めた者として,キリストの受難ごとき、差別と苦渋に満ちた人生を送る。彼はミシシッピーの開拓地で,水車小屋で働くシングルマザーの子供として育ち、貧困から基礎教育を受けられず、読み書きの能力を自力で身に着け、黒人は入れない公立図書館の前で、親切な白人が自分のために借り出してくれる本をむさぼり読み、知識を自分のものにする。理由もなしに黒人が白人に嬲り殺されるような南部から、北部に出ることを夢みて、意を決してシカゴに移るが、そこでも「私の毎日は一つの長い静かな、たえず抑えられた恐怖と緊張と不安の夢の連続だった。」(ブラックボーイ)と、言わしめる差別にさらされた。
そこで彼は、全世界の労働者が肌の色に関わりなく団結できる、という呼びかけに魅せられて共産党に入党する。しかし自分がいかに黒人差別をテーマにした小説や論評を書いても、共産党は人種差別問題に関心を払わない。自分の課題とする人間の解放、自由と権利の獲得といったものは無視され続行け、ライトは共産党を去る。マルキストは社会を変革するが、人間を解放しない。ライトは、アメリカ社会に絶望してパリに移り、ボーヴォワールなど実存主義者などと交流しながら、「アウトサイダー」として生き、パリで52歳の若さで亡くなる。

何故リチャード ライトについて書いているかと言うと、彼の存在なしにジェームス ボールドウィンが作家としてこの世に出ることはなかったからだ。リチャード ライトや、ジェームス ボールドウィンの作品は、1960年から70年にかけての米国の公民権運動の高まりとともに、紹介されて広まった。抑圧される黒人の文学が自然発生的にブラックパワーとして湧き上がって社会的に認識された。1990年代、娘たちがマニラインターナショナルスクールに通っていた時、英語の教科書にリチャード ライトの作品「ブラックボーイ」が収録されていた。現代アメリカ文学の代表として、中学校の教科書に紹介されていたのだ。

James Baldwin ジェームス ボールドウィン(1924-1987)は、リチャード ライトの支援を受けて、作家として世に出たが,ライトより16歳若い。ゲイでもあった。ライトと同じように流行作家になり、やがて行き詰まりフランスに渡り、そこで亡くなった。
彼はニューヨークのハーレムで生まれ貧乏人の子沢山、9人兄弟の長男として家庭内暴力と街中でのポリスによる暴行を受けながら成長する。暴力にさらされても、筆で抵抗を試みて、13歳のころからエッセイや小説を書いて、学校が発行する雑誌や新聞に投稿した。公民権運動にも積極的に関わり、マルコムX,マルチンルーサー キング牧師や、ハリー べラフォンテ、シドニー ポアチエ、マイルス デビス、画家のビュフォード デラ二などと交流した。代表作は、「山に登りて告げよ」、「アメリカの息子ノート」、「ジョバンニの部屋」など。

ボールドウィンもライトも、全米に沸き上がり広がりつつある黒人の公民権運動に積極的に関わっていたが、1970年までに、FBIが調査したファイルが、ボールドウィンのは1884ページ、ライトは276ページ、トルーマン カポテが110ページ、ヘンリー ミラーがたった9ページだった、という興味深い数字もある。いつでも拘束して締め上げられるように準備しておくのがFBI長官エデイ フーバーの趣味だったんだな。

ところで、ここでやっとボールドウィン原作の映画の話になる。前置きが異常に長くなったのは、映画の看板に、「ボールドウィン原作のロマンテイックドラマ」と説明してあったので、え、、待てよ、ボールドウィンってそんなに有名で誰でも知っている作家だったっけ、と疑問に思ったからだ。特に1960年代の公民権運動に関心のある人でないと、増してアメリカ以外の国の人だと、そんなに知られていない作家なのではないだろうか。それにロマンテイックドラマなど書いていない。血を吐き出すように、自分が体験してきた黒人差別の痛みと疼きを表現してきた作家だ。映画の「ロマンチックドラマです」という宣伝だけ見ると、ボールドウィンって、ロマンス物ばっかり書いているハーレクインシリーズの作家か、と間違われるかもしれない。別にそれでもいいけど。

映画:「IF BEATLE STREET COULD TALK」
邦題:ビールストリートの恋人たち」
監督:バリー ジェンキンス
キャスト
キキ レイン   :テシュ
ステファン ジェームス:フォニー
レジナ キング    :テシュの母親、シャロン
コールマン ドミンゴ :テシュの父親
マイケル ビーチ   :テシュの父親
エド スケルトン   :警官ベル
マイケル ビーチ   :フォニーの父親

2019年アカデミー賞でテシュの母親を演じたレジナ キングが助演女優賞受賞、GG賞でもレジナ キングが助演女優賞受賞。

ストーリーは
1970年代ニューヨーク
デパートの売り子をしている19歳のテシュと、22歳の大工フォニーは、父親同士が仲が良かったので、子供の時からいつも一緒に遊んで育って来た。テシュが美しい女性に成長し、フォニーが真面目な働き手として独立するころには、二人が恋人同士になるのは、ごく自然な成り行きだった。二人は一緒に暮らすためにアパートを探す。70年代のニューヨークで黒人カップルに、快くアパートを貸してくれる大家は余りなかったが、ユダヤ人の大家は二人の初々しい姿を見てアパートを貸すことにする。
ある夜、白人の経営する食品店でいつものように買い物していたテシュは、白人の若者にしつこい嫌がらせを受ける。怒ったフォニーは、この男を店からたたき出す。それを見たパトロール中に警官ベルは、白人青年に暴力をふるった黒人フォ二ーを逮捕しようとする。そこをテシュとフォニーを子供の時から知っている店主が出て来て、二人は真面目なトラブルなど起こしたことのない子供達だ、と間に入ってその場を収める。しかし、これを根に持った警官ベルは、フォニーに執拗に付きまとうようになる。

じきにフォニーは、ビクトリアという娘をレイプした容疑で逮捕される。被害女性は暗がりで連れ去られたので加害者を見ていない。しかし警察署でこの男だ、と言われて信じて、その通りの供述をした。その時間フォニーはテシュと他の友達と食事をしていたが、事実よりも、現場でフォニーを見たという警官の証言が、採用された。テシュは妊娠していたので、意を決してテシュは両親と姉に告げる。家族はテシュを祝福する。
その後、被害者の女性はプエルトリコに帰国してしまい、裁判は無期限に延期され、フォニーの拘留は長引くことになった。テシュの母親シャロンは、希望を失いそうになる娘とフォニーのために、お金を集めてプエルトリコに飛び、被害女性に会って裁判で証言するように頼み込むが、拒否される。被害者不在のまま裁判は長引き、フォニーは出所できる予定が立たない。裁判で刑期が言い渡されないまま、何年も あるいは死ぬまで刑務所に不法に入所させられている黒人が沢山いた。そういう時代だった。

テシュには元気な男の子が生まれる。以前はテシュ一人で刑務所に面会に通ったが、いまは二人して通う。刑務所の面会室で、自動販売機で買ったサンドイッチを、いまは親子3人で手をつなぎ合ってお祈りをしてから、分け合って食べる。つかの間の家族の小さな幸せの時間が過ぎていく。
というお話。

派手なカーチェイスもなければ、激しいい殴り合いや、喧々囂々の争いの場面もない。激しく笑いこけたり、泣きじゃくったり、怒鳴り合ったりすることもない。
人種差別が当たり前の社会で、意味もなく黒人の若い女が嫌がらせをされ、理由もなく黒人の青年が、白人にヘビのような目で地獄に落とされる、白人中心のいびつな社会だ。そんな中で人々が懸命に生きようとしている。大声を出すことをせず、静かな怒りを胸に秘めて、黙々と耐えて生きている。

映像の光と影の使い方が秀逸だ。色彩が鮮やかで、美しい。
この監督バリー ジェンキンスは、2016年アカデミー賞で作品賞を獲った「ムーンライト」を作った監督だ。これは作品賞だけでなく、助演男優賞にマハシャラ アリが、助演女優賞にナオミ ハリスが獲得した。「ムーンライト」も映像が美しく、海岸のシーンや光の中の木々や風に揺れる花々などの映像美に魅せられた。登場人物の顔の大写しもこの監督の得意技のようだ。役者の心の動きを、表情の変化で上手に捉えている。
「ムーンライト」も、この映画もストーリーはあまり重要ではない。前者は少年の成長がただ淡々と描かれており、とくに筋といったものはないし、この映画も劇的なストーリーなどはなく、ただ幸せなカップルの顔の大写しと、刑務所で面会する二人の心の動きが描かれる。とても抒情的な映画だ。
ドラマチックなストーリー展開が好きな現代っ子だったら2時間余りの映画に、みごとに寝てしまうだろうが、私は好きだ。
作曲家ニコラス ブリテルの音楽が とても心地良い。ジャズとブルースが、静かに嘆きの歌を奏でている。

2019年2月11日月曜日

チャイニーズオペラの夕べ

2月5日はチャイニーズニューイヤー正月だった。
新年のお祝いイベントの一環としてチャッツウッド市民会館、コンコースでチャイニーズオペラを上演したので行ってみた。香港から、役者一行と共に、指揮者のジョン クリフォードと、パーカッションなどの楽士達が来豪して公演が行われた。
チャイニーズオペラは一つが3時間以上の長いものだそうだが、今回の公演では、二つのオペラのハイライト部分だけが公開された。

演題:「STOPPING OF THE HORSE」
   「FATAL ATTRACTION」
舞台は背景を描いた舞台に机が一つ、椅子が一つという具合にしごく単純。役者達は、白塗りの顔に女性は目から頬にかけて濃いピンクに塗り、結い上げた髪には豪華な髪飾りをつけて、長衣のドレスを着ている。男性は眉毛が太く、10時10分くらいに眉を吊り上げ、髪にはこれまた豪華な髪飾り、美しい衣装に先のとがった布製の靴をはいている。

舞台に役者が登場すると、ものすごくけたたましく、騒がしい鐘と太鼓が鳴りだす。また役者が型を決めるたびに、激しくジャンジャン鐘が鳴り、ドーンとドラが鳴り、ドラムが叩かれる。高音のせりふはインを踏んだ歌のようであり、胡弓とともに謡われる。

「STOPPING OF THE HORSE」では、馬に乗って旅をする美しい娘が、一軒の茶屋で休憩する。給仕の男は旅人の美しさに見とれて、何かと話しかける。彼女を油断させて、お茶ではなくお酒を飲ませようとするが、そんな男の下心に彼女は乗ってこない。旅人と給仕の男とのひょうきんな歌のやり取りと、男のアクロバットが笑わせる。男は飛んだり跳ねたり、一つの椅子でバランスを取って椅子の背に立ったり、椅子を転がしたりしながら旅人の気を引こうとする。最後には、二人は親戚の従妹同士だったことが分かって、二人して旅して故郷に帰ることにする。楽しい曲芸と歌と踊りが見られる。

「FATAL ATTRACTION」は、娼婦だった薄幸の美女が、望まれて結婚したが、相手は獣のような姿で醜いうえに、人情もない男だった。それに相反して、夫の弟は美男子で力強く、社会的にも成功した立派な男だ。不幸な妻は、一目でこの弟を愛してしまう。男の方も兄の妻に魅かれる。やがて妻は惨めな夫との生活に耐えられなくなって、遂に夫を毒殺する。兄の死の知らせを聞いて、弟がやってきて心惹かれる女の愛の告白を聴く。女は自分を殺しに来た男の気持ちを変えて、男を自分の思いのままにしようと、様々な誘惑を仕掛ける。夫の葬儀のために白い服を着ているが、途中でそれを脱いで真紅の服になって男に迫る。彼女の服の袖は3メートルくらいの長い袖で、それをクルクル巻いたり、投げたりしながら踊って見せる。新体操のリボン競技のようだ。兄の妻に心を残しながら、弟は自らの剣で女を切り殺す。苦渋の選択だったが、復讐が達成された。

二つのオペラ、それぞれ高音の唄が美しい響きで、楽士達のドラや鐘は限りなく騒がしく、とても楽しんだ。実際初めてチャイニーズオペラを観るまで、オペラには男優も「女優」もいることを初めて知った。日本の歌舞伎の様に、「男優」ばかりで女形を男優が演じるものと思っていたのだ。おまけに「北京オペラ」と、「広東オペラ」とは違うものだと言うことも、現物を見に行って初めて知った。無知とは恐ろしいものだ。

私が観たのは香港からきた「広東オペラ」で広東語で演じられる、ユネスコから人類の無形文化遺産として登録されていた14世紀から17世紀から伝えられているオペラだった。香港文化博物館には、この広東オペラの衣装や歴史が常設展示されているそうだ。
もう一方のオペラは「京劇」と一般に呼ばれる「北京オペラ」だ。こちらは言語が異なって、カントニーズではなく、マンダリンだ。この二つの言語は、全く異なっている。同じ中国語などと言って混同してはいけない。日本に居る人にはわかってもらえないし、私も違いが聞き取れないが、国際人である娘たちはカントニーズとマンダリンをきちんと聞き分ける。

紀元前から爆弾を作り、文字を印刷してきた3000年もの高い文化を誇る中国民族と、過去100年間英国領で民主主義を身に着けブリテンのパスポートを持っていた香港人とは、言語も文化も人種も異なる。共にものすごく誇り高い人々だ。広東オペラと北京オペラの違いを知らずに、オペラを観に行った私は中国人の友人と行かなくて一人で行って、知らず知らずのうちに「地雷」を踏まずに無事帰って来られて良かった。帰ってきてから自分が見たのは、ユネスコ人類無形文化財の広東オペラの方だった、と知ったのだ。

チャイニースオペラに興味を持った切っ掛けは、チャン ガイゴー監督の映画「さらばわが愛;覇王別姫」(FAREWELL MY CONCUBINE)1993年作品だ。
これは捨て子だった少年:程蝶衣(チェン デイエー)が、京劇の女形役者となり、彼を子供の時から支えて来た男役の段小楼(ドアン シャオロー)と組んでオペラ「覇王別姫」を演じるが、二人は互いに愛情と憎悪と嫉妬に苦しむというお話。女役をレスリー チャン、相手役をチャン フォンイーが演じた。この映画の中で、二人が繰り返し演じるオペラ「覇王別姫」は、武将で王様の項羽と、その愛人虞美人(ぐびじん)の悲劇だ。

項羽は紀元前200年ころ、秦末から楚漢戦争の頃の武将で、自分の10万の兵と共に、劉邦の率いる30万の漢軍に囲まれて、「四面楚歌」(しめんそか)となり(四面楚歌とは項羽が四方敵に囲まれたこの史実からきている)、囲いを突破して逃れるが、戦いに敗れて殺される。このとき項羽の愛人の虞美人は項羽の足手まといにならないように自ら項羽の剣で自殺する。その後、項羽を破った劉邦は 漢王朝を築き400年間政局の安定を図る。
美しかった虞美人のはかない人生をオペラにしたものが、この「覇王別姫」だ。ちなみに虞美人草(ひなげし)の名前はこの美女からとってつけられたものだ。

紀元前200年の美しかった女が、花の名前となり、オペラとして現在まで伝えられてきた。虞美人の自死のシーンでオペラの観客は泣かされるが、チェン ガイゴーの映画の中でも、虞美人の役を演じたレスリー チャンは、チャン フォンイーの剣を奪って彼の目前で自死する。生涯たった一人の男を愛し続けた女形役者の哀しい結末だった。いつまでも心に残る映画だった。
新年に、チャイニーズオペラという、とんでもなく古い伝統文化に触れて、楽しむことができた。こんな贅沢を、現代に生きる自分が享受できることが何よりも嬉しい。

2019年2月10日日曜日

レバノン映画「存在のない子供たち」

映画:CAPHARNAOM (アラビア語でカオスの意)
レバノン映画
邦題:「存在のない子供たち」
監督:ナデイン ラバキ
キャスト
ザイン アル ラフェア:ザイン
ヨルダノス シフェラウ:ラヒル (エチオピアの母親)
ボルワテイフェ バンコール:ヨナス (ラヒルの赤ちゃん)
カウサー アル ハダト:ソウド(ザインの母親)
ファディ カメルヨセフ:セリム(ザインの父親)

2018年カンヌ国際映画祭パルムドール審査員賞受賞
2018年アカデミー賞外国語映画賞候補作

ストーリーは
ベイルート。子だくさんのレバノン人家族が小さなアパートで暮らしている。父親に定職はなく、母親は、違法ドラッグを刑務所にいる男に差し入れして利ザヤを稼いでいた。小さなアパートに7人の子供たちが折り重なるように眠る。そして早朝から子供達は小さな体で大人顔負けに働かなければならない。12歳のザインは スクールバスで同じ年頃の子供達が学校に行く姿を横に見ながら、自分の弟達や妹たちを連れて、野菜から作ったジュースを道端で売ったり、商店の配達を手伝ったりして僅かな賃金を得る。

ある日仕事を終えてアパートに戻ると、にわ鶏が何羽か届いていて、14歳になったばかりの姉が口紅をつけ化粧して中年の男の前に座らされている。ザインは怒って、姉の口紅を落とそうとするが、姉はすでに親に売られていくことを覚悟していて、ザインの抵抗を避け別れを告げて去っていく。

ザインは1歳年下の妹と特別に気が合って可愛がってきた。妹もザインを頼りにしていて、いつもザインの後をついて歩いている。ある朝ベッドに血痕をみつけたザインは、妹を洗面所に連れて行き、汚れた下着を洗ってやりながら、どんなことがあっても起こったことを親に言わないように命令する。そしてマーケットから盗んできたパッドを妹に渡して、汚れたパッドを家のゴミ箱に捨てないように、誰にも見つからないように捨てるよう言い渡す。ザインは妹を連れて家出する計画を立てる。しかし、間に合わなかった。バスで逃げる手配をしている間に、マーケットでいつもザインの母親に色目を使っている商店主が、ザインの宝だった妹を連れ去る。妹は、ザインに助けを求め泣き叫びながら連れ去られた。ザインはたった11歳の妹を、わずかな金で売り渡した両親に絶望して、妹と乗って逃げる筈だった長距離バスにひとり乗る。目的地などない。下りたところは遊園地だった。そこで仕事を探して回るが、大人たちは誰も相手にしてくれない。

遊園地で掃除婦をしているラヒルは、腹をすかせたザインを見るに見かねて食べ物を与える。彼女はエチオピアから密航してきた違法難民で、生後1歳に満たない赤ちゃんを育てている。遊園地で働く間、バスルームに赤ちゃんを隠していて、職場の行き帰りは荷物カートで赤ちゃんを人目に触れないように連れて帰り、人にわからないように育てていた。遊園地で寝泊まりし、飢えていたザインを彼女は家に連れて帰り、赤ちゃんの世話を頼む。ラヒルはスクウオ―ターのような小屋に住んでいて、赤ちゃんが居ると分かると居られなくなるので、ザインは赤ちゃんを泣かさないように、外にも出ないようにしてミルクを飲ませ、おむつを替えて、退屈して泣かさないように世話をした。

しかしある日、ラヒルは違法労働者狩りにつかまって警察署に連行される。ザインは赤ちゃんを連れて遊園地やラヒルの知り合いのところを探し回るが、彼女の行先がわからない。商人は、赤ちゃんの世話に手を焼くザインの様子を見て、赤ちゃんを売らないか、ともちかける。ザインは家に戻り、昔母親がやっていたように違法ドラッグを手に入れて、それを薄めて売り、小金を作り赤ちゃんを食べさせていく。しかし家賃を入れていなかったので、ザインと赤ちゃんは家を追い出されてしまう。家を失い、ザインは、赤ちゃんを自力で育てていけなくなって、遂に商売人の処に行く。イエメンの金持ちが子供を欲しがっている、と言われて赤ちゃんを置いて去る。そこでザインは同じストリートチルドレンが、身分証明書か、パスポートがあればスウェーデンに移住できると言うのを聞いて、身分証明書を取りに、二度と帰らないつもりだった家に戻る。

迎えた両親は激高して、ザインを罵倒し殴る。身分証明書が欲しい、生まれた時の病院の証明書が欲しいというザインに向かって、両親は子供のために病院になど行ったことがない。たくさんの子供の生年月日などいちいち憶えていないし知らない、と言ったあと、父親が、病院に行ったのはザインの妹だけだ、と口を滑らせる。商人に売られて、ザインの助けを求めて泣き叫びながら去っていった11歳の妹は、買われた商人の言うままにならなかったため、食べ物を与えられず、鎖に繋がれ、餓死同然で病院に運ばれて死んだのだった。ザインは、とっさに包丁を握ると商人の店に向かって走る。

刺された商人は車椅子生活者となり、12歳のザインは傷害罪で5年の懲役刑を言い渡される。ザインは法廷で、裁判長に求められるまま発言する。「僕は両親を訴えたい。人は尊重され、愛されるために生まれて来た。生まれてきた子供を育てられないならば、親は子を産むべきではない。」ザインは、どうして両親を訴えるのかと裁判長に問われて、「何故って ぼくは生まれて来るべきじゃなかったからだ。」と答える。
というストーリー。

カンヌ国際映画祭で映画のあと観客が総立ちで、15分間拍手が止まなかった、という話の通りのパワフルな映画だった。12歳の子供の口から出る正真正銘の「正しい言葉」のパワーに取りつかれて、映画の後もしばらく立ち上がれなかった。
「自分は12歳の今まで親から尊重されもしなければ、愛されもしなかった。生まれてきたこと、そのものが間違いだった。自分は罪を背負って生まれて来た。大人は生まれて来た子供を育てられないならば産んではいけない。育てられない子供を産んだ両親は罪に問われ、罰せられるべきだ。」子供が自分の身をもって証明した正論を、泣きじゃくりながら言うでもなく、叫ぶように訴えるでもなく、達観した哲学者のように淡々と裁判長に向かって言う子供の姿に胸がつぶれる想いだ。

一人としてプロの役者が出演していない映画。みな撮影場所の近隣で、普通の生活をしていた市井の人々を使って制作した映画。ザインの役を演じた12歳の少年の名は、本当にザインと言う名で、レバノンに住むシリア難民、8年間難民キャンプで暮らした少年だそうだ。フイルムは12時間の長い作品だったが、それを2年間かけて2時間半の作品にしたという。資金のない独立フイルムのため、制作者カルド モザナールは、自分の家を抵当にいれて映画製作をした という。パルムドールに選ばれたカンヌで、この映画の女性監督、レバノン人のナデイン バラキは、流暢なフランス語でアラブ世界に住む女性として、これからも女性の人権問題や貧困について発言していかなければならないことが多いが、ひるんではならない、と立派なスピーチをした。

子供がひどい目に遭うということが、この世で一番許せない。世の仕組みも、金融資本家が人を牛耳り、トップ26人の超富裕層が全世界の総資本を独占している現状も、軍需産業が肥え太るために、世界各国に戦争の火だねを故意に撒き散らしていることも、全く知らずに生まれてきた子供たちが、自分達は何の罪もないのに飢え、殺され、ひどい目に遭うことが許せない。12歳の子供が、親から違法ドラッグ造りを強制されたり、配達を命じられていった先でレイプされそうになったり、理由もなくぶん殴られたり蹴られたりしても、ザインは決して泣いたりせず超然としていた。その子がエチオピア人の掃除婦に拾われて赤ちゃんの世話を任されて信頼感が生まれていたときに、彼女が家に戻ってこない。再び自分が棄てられたと思って、少年は初めて泣く。このシーンが哀しくてたまらない。そんなザインが決して自分とは赤の他人の赤ちゃんを捨てようとせず、懸命にミルクを手に入れて、働いて金を作り赤ちゃんを育てようとする。この映画の批評に、シーンごとに泣きます、と書いてあったが、本当。うなずける。ワンシーンワンシーン、しっかり泣かされる。

映画の中でザインは一度として、文字通り一度として笑顔を見せなかった。しかし、彼の画面いっぱいの笑顔で映画が終わるのだ。刑務所の中で身分証明書が作られる。あなたには戸籍も身分証もなかったけど、やっとお望みの身分証明書が作られるんだから、カメラに向かって笑って、と係官に言われて初めて見せるザインの笑顔の何と、今にも壊れそうなデリケートで、やわらかな少年の笑顔、、、。そこに低音で響くチェロの独奏が流れて映画が終わる。
自分は世界一惨めで悲しい子供時代を送ったと思い込んでいるわたし、、、映画館の暗い座席でひとり身を沈めて、12歳の少年の心に共鳴して、ずっと泣いて居りました。少年の笑顔が消え、チェロの音が終わって、館内が明るくなって、掃除のお兄さんが掃除を終えて、再び電気が消えて、その後しばらく別の映画はかからないらしくドアが開いたまま暗い椅子で、やっと涙を拭いて立ち上がり出ていくまで,声をかけずに黙って待ってくれた掃除のお兄さん、ありがとう。
この映画、アカデミー外国語映画の候補作品だが、きっと賞を取ると思う。

2019年2月3日日曜日

クリントイーストウッドの映画「運び屋」

原題:「THE MULE」
(MULEは、ロバとか頑固者の意)
製作監督:クリントイーストウッド      
キャスト
クリント イーストウッド:アール ストーン
ブラドリ クーパー   :麻薬取締官
ローレンス フィッシュボーン:麻薬取締局長
ミカエル ぺニア    :麻薬取締官
ダイアン ウィ―スト : アールの妻
アリソン イーストウッド:アールの娘

ニューヨークタイムスのサム ドルニックによる「90歳のドラッグ運び屋」という記事で広く知られることになった、実際にあった事件をイーストウッドが映画化した。90歳のアールの役を、88歳のイーストウッドが演じている。イーストウッドは、第二次世界大戦の退役軍人で、ユリを栽培する園芸家、しかも犯罪歴のない60年間模範運転手だった老人が、コカインの運び屋として10年余り働いていたという、その人生に興味をもって、映画にしたのだと言っている。イーストウッドの言うように、アールと言う人は、誠に興味深い人で、コカインで作ったお金を、子供病院に寄付したり、退役軍人の施設の改築に使用している。76歳で運び屋を始め、月に250キロのコカインをメキシコからアリゾナに運び、逮捕され刑務所に入って間もなく亡くなった。
この映画がイーストウッドの最後の主演、監督映画になると、新聞で報じられたが、インタビューで、彼は肯定も否定もしていない。人に「これが最後の作品になりますね。」と言われて、「そうかもしれない」と答えただけで、自分では引退なんて言ってないよ、と笑っていた。嬉しいことだ。

ストーリーは
インデイアナ州 ミシガン市
アール ストーンはミシガン湖のほとりにユリの花を栽培するファームを持っていた。何人もの農夫を雇い180種ものユリを栽培し、新種のユリの育成にも成功していた。園芸科の間でもアールのユリは、いつも一番の人気を保っていた。アールの生活は、手間のかかるユリが中心で、妻や娘のことに構うことがなかった。ユリの花は最も短命で、手を抜くとすぐに枯れてしまう。ユリの品評会に気を取られていて、一人娘の結婚式に出るのを忘れたときは、さすがに慌てたが、娘はその日以来二度と父親と口をきこうとしない。妻もアールを責めたてるばかりで家から離れて、ファームに住むアールは、事実上別居、離婚状態になってしまった。

時が経ち、2000年代になると一般に園芸熱が冷め、ユリの球根も売れなくなリ、ビジネスが立ち行かなくなってしまった。すでに76歳になっていたアールのファームは、差し押さえとなり園芸ビジネスを畳まなければならなくなった。
ファームからトラックに家財道具をすべて乗せて自宅に帰ると、妻は口汚く夫を責め、娘は険悪な顔で相手にせず、家族は他人扱いで家に入れてもらえない。仕方なくアールはトラックで、立ち去る。

彼の新しい職場には、60年間無事故だったという模範運転歴を買われて、雇われた。雇い主は、何やら見るからに怪しげな男達だが、言われた通りにニューメキシコから荷物をトラックに載せて、言われたモーテルに配達する。始めは何を運んでいるのか見当もつかなかったが、じきにコカインだとわかる。知らないうちにドラッグマフィアの片棒を担いでいたのだ。犯罪組織は、アールのことを、タタ(おじいちゃん)と呼んでいて、次第に親しくなっていった。模範運転手の年よりを、運び屋だなどと誰も疑わない。麻薬捜査官の目をかいくぐって仕事は順調だ。
しかし犯罪組織が仲間割れして、親しかったボスが殺される。そんな取り込み中に、アールの妻が癌で死の床に居るという知らせが入る。アールは断りなしに仕事から離れ、妻のもとに走る。妻は夫が来てくれて喜び、再び夫を受け入れる。心の平静を取り戻し、妻はアールの腕の中で亡くなる。葬儀もすべて終わって、彼は職場に戻るが、事情を知らないギャング達は勝手にいなくなったアールを責めて脅し、再び運び屋を強い監視の下で行わせるが、遂に麻薬取締官の厳重体制を突破することはできず、彼は逮捕される。

すべての罪状を自ら認め、アールは進んで刑務所に入る。そこで再びユリの栽培に精を出す。嬉々として花造りをするアールの姿を追ったシーンで、映画が終わる。

イーストウッドの無駄のないフイルム、ストーリーの流れにぴったり合った音楽、筋書きのテンポの速さ、編集の完璧さ。これがイーストウッドの映画だ。彼の洗練されたフイルムが好きだ。無駄のないフイルムの作り方は、恐らく何十年間ものあいだ、ロクでもない映画から一生忘れられない名画まで、数えきれない映画に、役者として出演してきた経験から、無駄を省く能力を身に着けたのだろう。

映画のなかで、麻薬捜査官ブラデイ クーパーが、カフェのカウンターで、携帯を見ながら、思わず「畜生」と声を出す。横にたまたま居たイーストウッドが、「誕生日か?」と聞く。「いや、結婚記念日だった。」麻薬捜査が終盤にはいって、家からしばらく離れている。それを責める妻からの携帯へのメッセージに慌てる夫。そんな何気ない会話のテンポの良さ。 彼は私生活では2回離婚しているが、5人の異なる女性との間に7人の子供がいる。今回の映画で長女のアリスン イーストウッドが娘役で出演している。自分の結婚式にも来るのを忘れていた父親を責めるときの怒り顔は、演技と思えない辛辣さと怖さだった。

イーストウッドは1955年から63本の映画に主演し、1977年からは37本の映画を監督している。他のどんな映画監督よりも、多才で多彩で多産な監督だ。
本当につまらない映画にもたくさん主演している。あきれるほどだ。1955年からはテレビシリーズだけでも11本、西部劇には50本あまり主演している。
1960年代には、マカロニウェスタンの主演で、ジョン ウェインなどによる正統派西部劇でなくて、血しぶきが飛ぶ残酷なイタリアン西部劇のヒーローだった。1970年から1989年は、ダーテイーハリーこと、キャラハン刑事の型破りなダーテイーヒーローとして、暴れまくった。

彼が映画を単なる娯楽として捉えるのではなく、映像、演劇、音楽のすべてのジャンルを統合する「総合芸術」として、取り組みだした契機は、1992年の「許されざる者」(UNFORGIVEN)からではないだろうか。これで初めてのアカデミー作品賞、監督賞を獲得した。この映画は、殺し屋として名をはせた男が、完全に足を洗い、田舎で子育てをしていたが、街にギャングが現れ、女たちを脅かしている姿を見ていられず、親友(モーガン フリーマン)を誘って、ジーン ハックマンのシェリフが居る街にきて、悪者をやっつけるお話。勧善懲悪が当たり前だった西部劇に、複雑な男たちの駆け引きや、異なった価値観を持つイギリス人のシェリフや、いつも犠牲になる気丈な女たちの視点も取り入れて、沢山の名優を動員して作られた映画だった。

1992年のアカデミー賞受賞以来、彼の映画熱と機動力は、目を見張るばかりだ。1995年「マディソン郡の橋」、2003年の「ミステイック リバー」、2004年「ミリオンダラーベイビー」、と続いて、この作品で再びアカデミー賞作品賞と、監督賞が与えられる。この時、彼は74歳だった。「ミリオンダラー ベイビー」は、安楽死を助長する映画だとして批判もあったが、再起不能のボクサーを望み通りに死なせてやる老コーチに共感して、涙する人の方が多かったのではないか。
2006年には、「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」の二部作で、第二次世界大戦の激戦地、硫黄島におけるアメリカ軍と、日本軍にとっての硫黄島を、鮮やかに描いてみせた。戦争の愚かさを徹底的に描いた優れた反戦映画だ。
2008年の「グラン トリノ」では自動車工場が閉鎖されたラストベルトのデトロイトに暮らすアジア人少数民族の子供達を描いた。名もない真面目にフォード車のために働いて引退した年よりが、自分の正義感から後に続く青年のために、自分の命を差し出す潔さに、心揺さぶられる思いだった。私はこの「グラン トリノ」と、「J エドガー」が一番好きだ。完成度の高い、芸術作品。映画が娯楽だなどと誰にも言わせない。

2003年の「ミステイック リバー」の主役ショーン ペン、2009年「インヴィクタス」のマット デイモン、2011年「J エドガー」のレオナルド デカプリオ、そして2011年の「アメリカン スナイパー」のブラドリ クーパー、、、みごとな配役だ。
「インヴィクタス」で、南アフリカラグビーチームの主将がマット デイモンでなかったとしたら、全然映画が異なったテイストだった。「J エドガー」をレオナルド デカプリオが演じていなかったら、映画そのものの意味が異なっていただろう。素晴らしい配役だ。
イーストウッドは、ワーナーブラザーズ社の中に、自分用の大きなスタジオとオフィスを持っていて、何十年間もやりたい放題をしてきたそうだが、彼のような才能をずっと抱えて、わがままをじっと聞いてきた会社も太っ腹だった。映画の構想を立て、思うような役者と交渉し、思い通りに映画を作る、最も恵まれた監督だった、と言えよう。

2018年「1517パリ行き」は、パリ発15時17分発の列車でテロが起きたとき、たまたま乗り合わせていた3人の青年達の英雄的な行為で、死者を一人も出さずに済んだという、「タリス銃乱射事件」を題材に、実際この時の3人の青年達を出演させて、ドキュメンタリーともいえる手法で映画を作った。イーストウッドの実験とも言うべき作品だが、青年たちの演技に、何の違和感もなく、実によくできた映画だった。

イーストウッドが、この映画「運び屋」で主演したのは、2012年「人生の特等席」以来6年ぶりだ。「人生の特等席」では、黄斑部変性でほとんど失明しているが、それを自分で認めようとしない頑固親爺が、メジャーリーグ、レッドソックスのルーキー発掘に情熱を燃やし続ける年寄り役で、とても感動的だった。
「運び屋」では、ひょうひょうとしてニューメキシコからアリゾナまでの長距離を、ラジオに合わせて歌を歌いながら、運転する姿が、とても良い。自然体で、魅力的だ。いつまでも「男」を背負っている、イーストウッド。身長193センチの長身。それが、今回の映画で背が曲がってしまっていて、ちょっと悲しかった。88歳だからなどと、言ってもらいたくない。彼自身の言葉で、引退するなどとは言っていない。年をとっても「男」の魅力がいっぱいのイーストウッド。これからも走り続けていって欲しい。
映画の最後に、シンガーソングライターのトビー キースが「DON"T LET THE OLD MAN  IN」という歌を歌っていて、それがとても素敵だ。
この映画3月8日公開だそうだ。

2019年1月28日月曜日

映画「グリーンブック」

映画:「GREEN BOOK」
監督:ピーター ファレリー      
キャスト
ビゴ モーテンセン:トニー リップ ヴァレロンガ
マーシャラ アリ :ドクター ドナルド シャーリー
リンダ カーデリー:ドロレス トニーの妻
デイミテル マリノフ:オレグ
マイク ハットン :ジョージ

2019年第91回アカデミー賞作品賞候補、主演男優賞候補、助演男優賞候補
2019年ゴールデングローブ、コメデイミュージック作品賞受賞作
トロント国際映画祭ピープルズチョイス賞受賞作品

グリーンブックとは、郵便局に勤めていたビクター ヒューゴ グリーン氏によって書かれた黒人旅行者のためのガイドブック。1936年から1967年まで盛んに利用された、黒人を受け入れるモーテルやレストランの案内書で、このガイドブックなしに黒人が安全に他州へ移動したり旅行することができなかった。

ストーリーは
1962年ニューヨーク
イタリア移民のトニー リップ ヴァレロンガは妻と二人の幼い子供を持ち、ニューヨークのアパートに住む。イタリア人の常で、両親、親戚すべてひと固まりで仲良く暮らす大家族の一員だ。仕事はナイトクラブの用心棒。教養はないが、腕っぷしは強く、イタリアマフィアの目にも留まっている。家族との生活も仕事も順調だったが、勤めていたナイトクラブが改装のため一時閉鎖することになって、しばらく仕事が無くなりあぶれてしまった。そこで、ドクターシャーリーというピアニストが運転手を募集していると聞き及び、トニーは カーネギーホールの階上にあるアパ―トに面接に行く。驚いたことに、ドクターシャーリーは、黒人の紳士だった。このドクターは良家に生まれ、3歳の時からピアノの才能を認められ、10代で黒人で初めてロシアから奨学金を得て留学しヨーロッパで教育を受けた人だった。ホワイトハウスにも2度招かれて演奏をしていた。ニューヨークで演奏活動をしていれば、倍の収入になるにもかかわらず、8週間かけて、アメリカの西部から南部をコンサートツアーに行きたいという。そのために運転手が必要なのだった。8週間後のクリスマスイヴには帰れる約束だ。週に経費抜きで週125ドル、法外の良い条件で、トニーは雇われる。

1台の大型車には ドクターの音楽仲間、チェリストとコントラバスが乗り、別の1台にトニーの運転するドクターシャーリーが乗車してツアーが始まる。ドクターは、トニーの遠慮のない話し方や、食べ方、平気で店から物をちょろまかしたり、車を止めて立ちションするなどの素行に閉口し、いちいち腹を立ててトニーを「教育」しようとする。トニーは、生まれてから教養人などに会ったこともないからドクターのアドバイスを理解できずに怒るが、最初のコンサート会場で、ドクターが演奏するクラシックピアノの音と、その華麗な姿に感動する。しかしドクターはいったんステージを下りると、コンサート会場の白人専用のバスルームを使わせてもらえなかったり、社交も限られている人種差別の現状を目の当たりにする。

トニーは毎日のように妻に手紙を書く。間違いだらけのスペル、文法も小学生の作文よりひどい。見かねてドクターはスペルを教えながら、詩的で美しい文章を口述して、トニーに書かせる。送られた愛情のこもったロマンテイックな手紙は、家でトニーの帰りを待つ妻を感涙させ、親類一同を感動させた。「出会って君に恋したのはごく自然なことだった。僕は君を、朝も夜も愛す。昨日も今日も明日も愛す。死ぬまで愛する。君の夫より。」

コンサートツアーは順調とは言えない。ある町ではドクターが、バーに入っただけで、白人の酔ったグループにリンチにされて、飛び込んで助けに入ったトニーは銃を持っているふりをして、その場からドクターを助け出す事態も起きた。またある夜、YMCAのプールで白人男性を会っていたドクターは、警察に逮捕されるところだったが、トニーは機転をきかせて警官を買収してドクターを奪還する。しかし、さらに南部に移動して、ポリスに車を止められたトニーは、人種差別的な警官に侮辱されて思わず警官を殴って、逮捕される。無抵抗だったドクターまで同じ警察署の留置所に入れられて、ドクターは弁護士に電話をかけさせてもらうように要求する。ドクターは警察署から、ロバート ケネデイ司法長官に直接電話をして訳を話す。たちどころに州の知事から警察署に電話があり、二人は釈放される。

トニーはドクターが黒人なのに司法長官を動かすような権力を持っていることに腹を立ててドクターを激しく責めたてる。一方ドクターは警官に暴力を奮ったトニーを責め、二人はいがみ合う。ドクターは黒人であって、黒人でない。彼のアイデンテイテイ、彼の孤独感を誰も理解することができない。そこは、ナット キング コールが演奏しようとしたら、数年前に観客にステージから引きずり下ろされて殴られたような土地柄なのだった。

アラバマ州ビルミガン、ここが最後のコンサート会場だ。コンサート前に音楽仲間たちと会場のホテルレストランで打ち上げの夕食を取ろうとして、ドクターはレストランへの入場を断られる。その夜クリスマスデイナーの主賓であるのも関わらず、レストランは黒人客を拒否する。トニーはレストランマネージャーにつかみかかり、ドクターはコンサートで演奏するのを取りやめにする。ドクターとトニーは、黒人ばかりのバーに入り、飲んだついでにトニーに勧められて、ドクターはステージのピアノで「ショパン」を弾く。われんばかりの拍手。時をおかずステージにバンドメンバーが上がり、ジャズを演奏し始める。ドクターもノリに乗ってジャズを弾いて、愉快な夜を過ごす。すべてのコンサートツアーは終了して、長い帰途につく。

一行はニューヨークを目指して走る。大雪に苦労しながらも運転を続け、とうとうクリスマスの夜に間に合った。ドクターは疲れ切ったトニーをアパートで降ろして、帰っていく。賑やかなトニー家の歓迎。クリスマスの料理、愛する妻と子供達、気の置けない親類と友人たち。食べて飲んで、、、でもトニーの心は何故か沈んでいる。
一方ドクターも自分のアパートに戻り、一時ほっと安心する。でもなぜか孤独感が募る一方だ。
やがて、トニーのアパートのチャイムが鳴る。立っていたのはドクターだった。トニーはドクターを心から歓迎して抱きしめる。トニーの妻が駆け寄って来る。「素敵な手紙をたくさん、たくさんありがとう。」ドクターはトニーの妻を抱きしめる。
というお話。

ハートウオーミングなロードムービー。ゴールデングローブでコメデイミュージック賞を取ったが、コメデイと言ってしまうには重すぎる。人種差別をテーマにしている。

南北戦争が18万5千人近くの戦死者を出して終結し、リンカーンが奴隷制廃止に踏み切った後でも、黒人差別は依然として合法だった。「異人種結婚禁止法」は1952年全米48州のうち29州で法制化されていた。「法的」に人種差別が禁止、解消されるまで1969年代のマルチン ルーサーキング牧師などによる公民権運動の高まりを待たなければならなかった。ケネデイが暗殺された後、ジョンソン大統領になって、「公民権法」CIVIL RIGHTS ACTがようやく制定されたのが、1964年7月2日だ。
それまで南部のジョージア州、アラバマ州、ミシシッピー州などでは学校、図書館、交通機関、トイレ、ホテル、レストランなどで、公然と人種分離が行われていた。
公民権法で差別が禁止されたあと、現在でも国勢調査(2017)によると、年収$24858以下の貧困ライン家族は、白人家族に比べ黒人家族は2,4倍を高く、明らかに経済格差が認められ黒人家族の貧困率は高く、犯罪率も高く、教育水準は低く、格差がある。

そういった不合理な社会で異なった皮膚の色、異なった教育背景を持つ二人の人間が、はじめは衝突し憎み合うが、過酷な旅を続けるなかで互いに理解を深め、最後には無くてはならないほどの関係になる、という、感動モノの映画がたくさんある。
古くは「手錠のままの脱獄」のトニー カーチスと、シドニー ポアチエ。「ドライビング ミスデイジー」は何度も芝居にも映画にもリメイクされたが、ジェシス ダンデイとモーガン フリーマン。「48時間」のニック ノルテと、エデイ マフイ。「レサル ウィポン」のメル ギブソンとタミー グラバー。「メン イン ブラック」のトニーリージョンズと、ウィル スミス。「パルプ フィクション」のジョン トラポルタと、サミュエル ジャクソン。「ブラックKKK」のアダム トラバーとジョン デヴィッド ワシントン。この2018年の映画は、ベンゼル ワシントンの息子ジョンデヴィッド ワシントンのデビュー作だ。父親のようにハンサムでなくて、背の高くなくてちょっとがっかりだけど、相手役のアダム トラバーが冴えた演技を見せてくれた。

こうした、二人の人間が肌の色や社会的背景の違いを越えて親友同士になったというストーリーは 美しく納得もしやすく、感動もする。でもそれだけで差別が乗り越えられたと、思い込むのは早とちりというものだ。
現にこの映画でも、実際のドクターシャーリーの姪と言う人が、この映画は白人の側から白人の視点で都合よく作られていると、厳しい批評をしている。実際のドクターシャーリーは、2013年に86歳で亡くなったそうだが、彼の人生は醜い人種差別への挑戦であって、映画で語られた何十倍もの重圧の中で苦しみの多い人生だったと思う。映画でも、音楽仲間がニューヨークでコンサートをしていれば良いものを、人種差別の激しいアメリカ南部にあえて出かけて行ってコンサートをするのは彼の挑戦であって、世界を変えたいと彼が思っているからなんだ、と言うシーンがある。良い意味でも悪い意味でも良家に生まれて、天才ピアニストとして成功した世間知らずの芸術家が「人は変われる」と信じて、自分という例がアメリカ社会の人種差別の根を根絶させることができると夢みた結果、どれだけのバックラッシュを受けなければならなかったか。映画の中でも何度も命の存続危機に襲われる。アラバマ州のあるステージでは、ナットキング コールが観客からステージを引きずり降ろされ殴られたというエピソードでは、人の心の闇を見る想いだ。ドクターシャーリーの姪の映画に対する批判を、しっかり聴かなければならない。映画の中で、ドクターが大雨の中でトニーの車に乗るの拒否して、I ’M NOT ENOUGH BLACK、 I ’M NOT ENOUGH WHITE、WHERE AM I? と叫ぶ姿が忘れられない。黒人でも白人でもない。自分の居場所はどこなんだ。血を吐き出すような、魂の叫びだ。

この映画の良さは二人の役者の優れた演技によるものだ。
粗忽もの、教養のみじんもないイタリア移民を演じたビゴ モータンセンは60歳のオランダ系アメリカ人。「ロード オブ リング」(2001、2003,2005)のアラゴン役でおなじみの顔だ。「キャプテン ファンタステイック」(2016)でノーマ チョムスキーを信奉する7人の子供の父親役が印象に残っている。本人はデニッシュ、フレンチ、スパニッシュ、イタリアン、ノルウェデイアン、スウェデッシュ、カタロニアンまで自由自在に使うことができる人で、役者、プロデユーサーだけでなく作家、詩人、画家、音楽家としても活躍している多才な人なのだそうだ。興味深い。

ドクターシャーリーを演じたマハーシャラ アリは2016年アカデミー作品賞を獲得した映画「ムーンライト」で、アカデミー助演男優賞と、ゴールデングローブで助演男優賞を受賞したばかりの人だった。モスリムで初めてアカデミー賞を受賞したことで話題になった役者だ。「ムーンライト」で心を閉ざした少年を庇護する素敵な男を演じたこの人が、この映画の天才ピアニストのドクターだったとは、全く気が付かなかった。まして「ベンジャミンバットんの不思議な一生」(2008)にも出演していて「ハンガーゲーム」(2015)にも、「HIDDEN FIGURES」(2016)にまで主役にプロポーズするかっこよい男が、この人だったなんて、全く気が付かなかった。どこを見てたんだ。この役者が変形自在で、役になり切った居るから、素顔が見えないのだと思う。この映画で、ピアニストを演じているが、どこからみてもこの人が本当に、ピアノを弾いているとしか見えない。美しい長い指で、本当に弾いている。自分も楽器を弾くから素人の役者が楽器を弾くシーンでは、弾いている振りをしても、音を出していないと、すぐ見破れる。メリル ストリープがバイオリンを弾くシーンなど、弾くマネが下手で大笑いしてしまった。でも、今回の映画シーンで、この役者、本当にショパンを弾いている。おまけにジャズまで自在に弾いている。これが役者の数か月の訓練だけで演じていたのだとすると、信じられないけどすごい役者だ。恐れ入る。

ビゴ モータンセンとマハーシャラ アリ二人の熟練役者なしに、この映画に価値は出なかっただろう。アカデミー賞候補として話題になり始めて、監督がセクシャルハラスメントで結構破廉恥なヤツだったとやり玉にあげられたり、ビゴが黒人をさす禁止用語をポロっとインタビューで口を滑らせ、その場が凍り付いたこともあって、一昨年マハーシャラ アリがアカデミー賞を取ったばかりだし、この映画 今年のアカデミーはだめだろう。でも心温まる映画であることは確かだ。見て損はない。サム スミスによるサウンドトラックも素晴らしい。3月1日公開。


2019年1月8日火曜日

ドイツ映画「女は二度決断する」

ドイツ映画
原題:「AUS DEM NICHTS」
英語題名:「IN 'THE  FADE」(薄らいでいく、ゆっくりと姿を消す、の意)
監督:ファテイ アキン
キャスト
ダイアン クルーガー:カシャ
デニス モシット  :ダニエル 弁護士    
ヌーマン アチャル :ヌリ カシャの夫
ラファエル サンタナ:ロッコ カシャの息子
ヨハネス クッシン :アンドレ ミラーの弁護士
ウルリッヒ トゥクル:アンドレの父親
ウルリック ブラントロフ:アンドレ、極右ナチ信奉者
ハンナ ヒルスドール:エダ アンドレの妻
2017年ゴールデングローブ最優秀外国語映画賞受賞
第70回カンヌパルムドール候補作
第90回アカデミー外国語映画賞候補作

ストーリーは、
ドイツ、ハンブルグの街
トルコの少数民族クルドからドイツに移民してきたヌリは、ドラッグデイラーの罪で、4年間刑務所に居た。刑期を終えた後、ドイツ人カシャと結婚し、小さなオフィスを借りて税務士の手伝いと、通訳をしていた。美しい妻と6歳の息子が自慢だ。郊外に家を持ち幸せな家庭を築いていた。
ある夕方、妻のカシャは昔からの女友達と会うために、息子のロッコを夫の事務所に預けて出かける。事務所を出たときに、若い女が真新しい自転車を道に置いて立ち去るのを見て、声をかけた。自転車に鍵かけないの?若い女は笑って、すぐ戻るから大丈夫と言って姿を消した。カシャは、女友達と会い、しばらくして帰途に就くと、事故で道が遮断されている。見ると夫の事務所が、何者かによって爆破され死傷者が出ているという。夫とは連絡がつかない。死者の身元が不明だと聞いて、カシャは、警察に遺体を見せてほしいと言うが、遺体は損傷が激しく、人の形をしていない、と言う。警察は身元確認のためにカシャの夫と息子の歯ブラシをDNA検査のために持っていき、やがて2つの遺体は、カシャの夫と息子のものだったことが判明する。

警察は爆弾犯人が、東欧からきたギャングによるものか、夫のヌリにドラッグの犯罪歴があることから、ドラッグをめぐるマフィアの争いだと決めつける。担当刑事はカシャ自身がマリファナを常用していることを知って、ドラッグがらみの事件として処理しようとする。彼は、夫が頻繁にドラッグデイラーと連絡を取り合っていた証拠をカシャに見せる。しかしカシャは、事務所を出たとき、若いドイツ人の女が置き去りにした新品の自転車の荷台に爆弾が仕掛けられていたに違いないという確証があった。カシャは極右ナチ信奉者によるテロではないかと疑う。これはナチのヘイトクライムではないか。

最愛の夫と息子を奪われ、遺体をトルコに持っていきたいと主張する夫の両親を遠ざけたあと、カシャは一人きりになり、風呂場で両手首にカミソリを当てる。しかし意識が途切れる前に、弁護士からメッセージが携帯に送られてきて、カシャが予想した通りに、爆弾犯人は極右ナチの仕業で、すでに犯人が逮捕されたという。カシャは自殺するのを中止して裁判で犯人たちと正面から向き合うことにした。
裁判所でカシャは、夫の事務所前に自転車を置き去りにした女と、その夫アンドレというナチ信奉者が、爆弾を仕掛けたことを知る。長い公判中、夫と息子が爆破によってどんな死に方をしたかを知らされて傷つく。一方、爆弾犯人容疑者たちが、当日ギリシャに居たという証人が現れる。テロリスト側のアンドレの弁護士は、カシャがドラッグユーザーであることから、爆弾の入った自転車を見たというカシャの証言に信ぴょう性がない、と主張する。爆弾に使われたクギや肥料と全く同じものが、容疑者のガレージから発見されても、他にカシャの言うような自転車を見た人が現れない。遂に出た判決は、無罪。アンドレ ミラー夫婦は釈放される。

カシャは居たたまれない。夫と息子の死につぐないは無い。カシャは、ミラー夫婦がギリシャで宿泊していたというホテルに行く。そこは極右ナチ団体の根拠地だった。やはり公判での証言は嘘だたのだ。カシャは爆弾を作る。それを胸に抱いて、ミラー夫婦がいる車に入り込み、、、。
というお話。

監督ファテイ アキン44歳は、トルコ系ドイツ人。移民の街、ハンブルグで生まれ育った、硬派の社会派監督だ。社会的弱者に光を当てる作品を作って来た。若いころ DJで、生計を立てていたそうで映画の中の音楽の挿入の仕方や、バックグランドミュージックの使い方が秀逸だ。映画のはじめで、ヌリの出所と、それをウェデイングドレスで出迎えるカシャの場面が感動的だ。出獄を待ち望み、結婚を待ちきれない二人の喜びが、「マイガール」の歌とともに広がって、隅々まで幸福感で満ち溢れる。大音響のマイガールの歌が心地よい。音の使い方が、すごく上手だな、と思う。
で、つぎの瞬間に、眼鏡をかけた首の白い、ひょうきんで、もう100%愛らしい6歳のロッコの顔が大写しになる。街の騒音、人々の喧騒。音感の良い、音楽センス抜群の監督による映像が小気味良い。良いメロデイーを映画に取って付ける、ということではなく、映画作りには、良いリズム感が必須だということがよく解る。

この作品でダイアナ クルーガーは、ゴールデングローブ主演女優賞を獲得した。自身がドイツ人で、この映画の舞台となったハンブルグから遠くない街で生まれて育ったという。時間に正確で厳しい、責任感が強く、几帳面に仕事をきっちり仕上げる、など、日本人に似たドイツ人気質が、この映画にも表れていて、「自分のルーツに立ち返ることができた。」と言っている。ドイツ語という自分の言葉でドイツ女を演じることは、ハリウッドで活躍する彼女にとっても,大切な映画になったことだろう。撮影が始まる前の半年間、テロや殺人にあった被害者家族、30家族に次々と会って話をじっくり聞くことによって、夫と息子を失う役柄を考えた、という。意志の強い頑固な顎の張った四角い顔、大きな手、強靭なパワーを持った細身の体のダイアン クレイガーは適役だった。

もう一人印象的な役者は、爆弾犯アンドレ ミラーの父親役を演じたウイルリッヒ トウクル。ガレージで爆弾を作ったらしい息子を警察に通報して逮捕のきっかけを作った。実直で常識を兼ね備えた知識人の父親が、息子がナチに心酔していることに悩み、自分を責め、息子が極刑の受けることを覚悟で警察に突き出す。そんな哀しい父親をよく演じていた。怖れと恥とで歪んだ父親の顔。公判の休憩時間に、カシャが父親に近ついてタバコの火をもらう。互いに見つめ合うが言葉が続かない。カシャの犯人への憎しみと怒りを、苦しむ父親にむけることができない。このシーンが、カシャの最後の決断に大きく左右する。
息子は血も涙もないテロリストだが、息子を警察に突き出した父親は勇気のある立派な人間だ。カシャがナチ信奉者のテロに対して、テロで返答すれば、自分がナチ信奉者と同じレベルの卑劣な人間になってしまう。しかし、彼らのテロを赦して、そのまま生きていくことはできない。この父親のような人間になるのはどうしたら良いのか。憎しみゆえの復讐はどこまで許されるのか。人が人であるために、どこまで人は赦されて良いのか。

極右ナチ信奉者夫婦に無罪判決が言い渡された後、カシャは自分の脇腹に彫ってある武士のタツトウに加えて、武士が鮮血にまみれている姿に彫ってもらう。義憤と胸の痛みをタットウを彫る痛みで中和するかのようだ。余談だけど、この武士は三船敏郎にとても似ている。ファテイ アキン監督が黒澤明監督を尊敬していることが、よくわかる。

カシャは爆弾を一度は、憎いミラー夫婦の車の下に仕掛けるが、気を取り直してとりやめて、数日後に、爆弾を身にまとって犯人とともに自爆する。自分という犠牲なしに人を殺すことができないといったカシャのギリギリの人としての判断だった。
カシャは夫と息子の死に会って、生理が止まっていた。それが、ギリシャに犯人を追ってきてミラー夫婦を抹殺することに決めて行動に移そうとしているときに、生理が始まる。生理は命の再生であり、希望の兆しだ。夫と息子を奪われて、長い時間が経過した。カシャの底のない絶望に、わずかな回復の兆しが時間と共に表れて来ていたのだ。カシャが、その気にさえなれば、再び生き直すことができる。カシャには自分の命を再生する力が生まれて来ていたのだ。
しかしカシャはそれを拒絶する。亡くなった夫と息子に忠誠を誓うかのように後を追う。夫と息子への愛に純粋で誠実でありたいために。またミラー夫婦の父親の判断に恥じない自分でありたいために、ただの復讐ではなく、正義の名のもとにカシャは決断を下す。

法廷で死亡者ロッコの解剖所見が読み上げられた。爆破で6歳の子の胸に5寸クギが無数に突き刺さり、爆破熱によって皮膚は溶け、高熱を吸った肺は焼けて呼吸が止まり、眼球は溶けて無くなり、手足はちぎれて数メートル先に飛び、、、担当者は淡々と読み上げる。
カシャは、母親として自分の分身だった息子が最後に体験したことを、同じように自分も追体験せずにはいられなかったのだ。それが親というものだ。カシャの決断を誰が非難したり、否定できるだろうか。哀しい映画だ。