2019年6月23日日曜日

映画 「レッド ジョアン」

英国映画
原題:RED JOAN
原作:ジェニー ルーニーの小説「レッド ジョアン」
監督:ロイヤルシェイクスピア劇場と、ナショナルシアター前監督、ロイヤルヘイマーケット劇場の現監督、トレヴァン ヌン
キャスト
ジュデイ デンチ:  ジョアン
ソフィ コックソン: 50年前のジョアン
トム ヘイズ   : レオ
テレサ スルボバ : ソニア
ステファン キャンベルモア:マックス デビス博士
ベン マイルス  :ニック
2018年トロント国際映画祭でプレミア、2019年4月から米国と英国で公開

ストーリーは
1938年ロンドン。
ケンブリッジ大学物理学科の学生、ジョアンは優秀な学生だった。彼女は、ドイツから来ているユダヤ人の女学生ソニアと友達になる。ある日、ソニアに誘われて、ジョアンは、大学のコミュニストの集会に参加する。時は、スペイン戦争の真っただ中。ファシスト、フランコによる市民への弾圧の嵐が吹き荒れていた。革新的な学生たちはスペインに義援金を送る活動をしていた。ジョアンは、コミュニストの集会で、勇敢なアジテーションをするリーダーのレオに紹介される。レオはソニアの従兄だという。やがて二人は恋心を持つようになる。しかし、レオはユダヤ人への迫害が激しくなっているドイツに、地下活動するために帰国するという。その夜二人は結ばれるが、以降レオの行方はわからなくなる。

ジョアンは無事卒業し、イギリス政府の非金属物質研究協会に就職し、マックス デビス博士の秘書になる。戦争中であり、政府と軍とは効果のある武器開発に莫大な予算をかけていた。ジョアンは積極的にデビス博士の研究に協力し、新しい画期的な兵器の開発に力を注ぐ。新兵器開発のための英国、カナダ、米国との会合に招へいされたデビス博士について、ジョアンもカナダに渡航することになった。カナダに向かう船上で、ジョアンは博士と結ばれる。博士は、若く才能に満ちたジョアンを愛さずにはいられなかったが、彼には妻が居て離婚に応じないことはわかりきったことだった。ジョアンは求愛に喜びながらも結婚できないため、未来のない愛情に胸が塞ぐ想いだった。

カナダでの会合が終わり、一息ついたところでジョアンを待っていたのは、ずっと行方のわからなくなっていたレオだった。レオはジョアンに政府機密をスパイして欲しいと依頼する。ジョアンはただちに拒否して立ち去る。英国に戻り、博士との研究に戻ったジョアンは、米軍によってヒロシマ、ナガサキに原子爆弾と水素爆弾が投下されたことを知る。博士は平静だが、ジョアンには自分の研究がこのような形で利用されたことに、反感と衝撃を受ける。デビス博士は自分の研究が連合軍に役立ったことを単純に喜んでいて、ジョアンの心情とは全く異なっていた。
そんなある夜、レオが再びジョアンを訪ねてくる。ジョアンは博士と愛し合っていても、彼とは結婚できないことにも、原子爆弾への見解が異なっていることにも不満を抱いていた。求愛してくるレオと、博士との愛情の間で、ジョアンは試されていた。揺れ動く心情。しかし、そのあと、レオは自殺している姿が発見され、ジョアンは激しく、自分を責める。

レオの従妹、ソニアに会ってジョアンはKGBに軍事機密を渡す。ジョアンは信頼するデビス博士も、英国も裏切ったのだった。しばらくしてデビス博士が研究している情報が、ソ連に筒抜けになっていることが分かり、デビス博士が逮捕される。ジョアンはソニアに会いに行くが、彼女はすでに姿を消して逃亡していた。ソニアの家に残された写真を見て、ジョアンはレオとソニアが夫婦だったことを知る。二人の間に子供まで居た。ロシアのスパイ、ソニアに初めて出会った時から、ジョアンは騙されていたのだった。
ジョアンはデビス博士の収監されている刑務所に面会に行く。そこで博士に自分がスパイだったことを告白する。しかし、ジョアンを愛している博士は怒らない。無実の自分が罪を問われるはずがない。収監によって離婚が成立した。ジョアンと結婚して人生をやり直したい、、と。
ジョアンは、ロシア大使館に行き、ソニアとレオの仲間だったロシア政府高官に会って、今までのすべての秘密を全部バラす、と脅かして代わりにデビス博士と自分のオーストラリア行きのチケットと旅券を要求する。船の出る直前、桟橋に釈放されたデビス博士がジョアンを待っていた。二人は急いで、乗船する。

50年という途方もない月日が経過した。
2000年初頭、引退してひとり田舎で暮らしていたジョアンの家に、国家保安局の刑事たちが訪れる。50年以上前に国家を裏切り、政府の秘密情報を、ロシアの漏洩した罪で彼女は取り調べを受ける。同行したジョアンの息子の前で、ジョアンは堂々と自分がしてきたことを語る。弁護士をしている息子は、寝耳に観ずだったがスパイとして英国政府を裏切った母親を、「裏切者」と叫び、激高する。取り調べが終わり、ジョアンが逮捕され連行される日、ジョアンの家の前に詰めかけたメデイアやカメラマン、野次馬達に向かって、ジョアンは胸を張って語る。「私は何一つ悪いことはしていない。米国とソビエト連邦の2大国がともに核兵器を持ってきたからこそバランスが取れて平和が保たれた。50年余り戦争は避けられた。私は政府の情報を他国に漏洩したといわれるが、情報は誰にでもアクセスする権利がある。誰もが科学研究による成果を得る権利がある。」と。
というお話。

この映画英国ではものすごく酷評されている。THE GUARDIAN では、「このようなバカみたいな軽薄な女の役を、国宝級の名優、ジュデイ デンチに演じさせるべきではない。無駄というものだ。」などと書いている。英国政府がロシアスパイにぬけぬけと情報漏えいされていたことが余程気に食わなかったのか、あの皮肉屋の英国人が急に愛国者になったのか、わからないが、rotten tomatoは、英国人からの酷評だらけだ。それにしてもみんなジュデイ デンチが好きなことだけは確かだ。そしてみんなが時間がないことを知っている。この83歳の国宝級女優は、黄斑部変性で両目ともひどい弱視で、台本が読めない。人に読んでもらって記憶して役を演じている。それでいて彼女の演技、表情の豊かさには驚嘆すべきだ。ジュデイは、性格俳優と言われアカデミー賞を最多数稼いだ、メリル ストリープなど比較にもならない。頬を少し緩めるだけで喜怒哀楽を表現できる、並みの役者ではない。彼女がこの映画で最後に記者や野次馬に囲まれて罵声を浴びるが、毅然として自分が情報を漏えいしたおかげで、米ソのパワーバランスがとれて核戦争が起きなかったなどという「とんちんかん」を言っても、あまりに堂々としているので、なぜかみんな納得してしまう。すごいパワーだ。あと何本の映画に出演してくれるのだろうか。

原爆の父、アルバート アインシュタインも、ロバート オーペンハイマーも、原爆の使用には反対だった。
そもそも学問と実用とは全く別の分野で、相いれない。学問研究は、それを応用して製作し、使用する分野とははるか遠くに存在する。また、1930年代当時、ナチズムに唯一反対する勢力はソビエト連邦だけだったとも言える。のちにナチスが行ったホロコーストもまだ起こっておらず、いかにドイツの新勢力に対抗するかを考えたら、当時若いインテリたちがソ連共産党に期待を寄せるのは自然なことだった。ナチによる民族浄化も、スターリンによる大粛清もまだ起こっていなかった。

この映画の実際のモデル、メリタ ノーウッドーは、映画の筋とは異なって、死ぬまで本物のコミュニストだった。映画のように男にほだされて、ちょっとの間スパイしたのではない。1932年から1972年まで40年間、KGBのために働いた正真正銘のスパイだ。彼女の両親はコミュニストで、父親はレーニンとトロッキーが、常時投稿する労働組合のための出版社を経営していた。メリタは1935年学生時代にアンドリュー ローゼンシュタインが指導する共産党に入党した。非金属研究所に就職してからは、積極的に英国の原爆プロジェクトのファイルを盗み出してKGBに送っていた。
1992年。ソビエト連邦崩壊後、KGBが所有していた多量の秘密文書が出て来て、4人のケンブリッジ出身者がスパイ容疑で逮捕された時に彼女の名前があったが、誰なのか特定できなかった。1999年に、KGBのスパイ活動家だったワシリー ミトロヒンが英国に亡命し、分厚いファイルを英国政府に渡した。その中にメリタ ノーウッドの名前があったのだ。そこで87歳の年金生活者、13年間未亡人でロンドン郊外で庭造りをしていた老婦人が、じつは40年間ロシアのスパイだった、ということが明るみに出たのだった。

しかし、87歳のメリタは高齢を配慮されて、一度として法廷に出ることなく、2005年に、93歳で亡くなった。マスコミからは、「おばあちゃんスパイ」として揶揄されたが、最後まで、自分は何一つ間違ったことはしていない、と言って自分の信念を貫いて死んだ。
映画では、彼女を単なるメロドラマのヒロインとして描いている。初恋の人、コミュニスト、レオの自殺にショックを受け、上司との関係に行き詰まり、ヤケッパチでスパイをしたみたいに描いていて残念だ。 でもシンプルなメロドラマとして、この映画をみるのも悪くない。

1930年代のファッションが素敵だ。ニットのセーター、肩の張ったツイードのコート、ベレー帽、長靴下にロングスカート、あまり高くないヒール。男は貧しくてもきちんと背広を着て、幅広いズボンに帽子。とてもシック。ベレー帽の似合う女たち、ソフトを上手に被る男達。いいなあ。
若い女優ソフィ コックソンもソニア役のテレサ スルボバ、レオ役のトム ヘイズもみんな生き生きしている。画面が美しい。
悪いのは原作と脚本だが、とてもきれいな映画だ。