2月5日はチャイニーズニューイヤー正月だった。
新年のお祝いイベントの一環としてチャッツウッド市民会館、コンコースでチャイニーズオペラを上演したので行ってみた。香港から、役者一行と共に、指揮者のジョン クリフォードと、パーカッションなどの楽士達が来豪して公演が行われた。
チャイニーズオペラは一つが3時間以上の長いものだそうだが、今回の公演では、二つのオペラのハイライト部分だけが公開された。
演題:「STOPPING OF THE HORSE」
「FATAL ATTRACTION」
舞台は背景を描いた舞台に机が一つ、椅子が一つという具合にしごく単純。役者達は、白塗りの顔に女性は目から頬にかけて濃いピンクに塗り、結い上げた髪には豪華な髪飾りをつけて、長衣のドレスを着ている。男性は眉毛が太く、10時10分くらいに眉を吊り上げ、髪にはこれまた豪華な髪飾り、美しい衣装に先のとがった布製の靴をはいている。
舞台に役者が登場すると、ものすごくけたたましく、騒がしい鐘と太鼓が鳴りだす。また役者が型を決めるたびに、激しくジャンジャン鐘が鳴り、ドーンとドラが鳴り、ドラムが叩かれる。高音のせりふはインを踏んだ歌のようであり、胡弓とともに謡われる。
「STOPPING OF THE HORSE」では、馬に乗って旅をする美しい娘が、一軒の茶屋で休憩する。給仕の男は旅人の美しさに見とれて、何かと話しかける。彼女を油断させて、お茶ではなくお酒を飲ませようとするが、そんな男の下心に彼女は乗ってこない。旅人と給仕の男とのひょうきんな歌のやり取りと、男のアクロバットが笑わせる。男は飛んだり跳ねたり、一つの椅子でバランスを取って椅子の背に立ったり、椅子を転がしたりしながら旅人の気を引こうとする。最後には、二人は親戚の従妹同士だったことが分かって、二人して旅して故郷に帰ることにする。楽しい曲芸と歌と踊りが見られる。
「FATAL ATTRACTION」は、娼婦だった薄幸の美女が、望まれて結婚したが、相手は獣のような姿で醜いうえに、人情もない男だった。それに相反して、夫の弟は美男子で力強く、社会的にも成功した立派な男だ。不幸な妻は、一目でこの弟を愛してしまう。男の方も兄の妻に魅かれる。やがて妻は惨めな夫との生活に耐えられなくなって、遂に夫を毒殺する。兄の死の知らせを聞いて、弟がやってきて心惹かれる女の愛の告白を聴く。女は自分を殺しに来た男の気持ちを変えて、男を自分の思いのままにしようと、様々な誘惑を仕掛ける。夫の葬儀のために白い服を着ているが、途中でそれを脱いで真紅の服になって男に迫る。彼女の服の袖は3メートルくらいの長い袖で、それをクルクル巻いたり、投げたりしながら踊って見せる。新体操のリボン競技のようだ。兄の妻に心を残しながら、弟は自らの剣で女を切り殺す。苦渋の選択だったが、復讐が達成された。
二つのオペラ、それぞれ高音の唄が美しい響きで、楽士達のドラや鐘は限りなく騒がしく、とても楽しんだ。実際初めてチャイニーズオペラを観るまで、オペラには男優も「女優」もいることを初めて知った。日本の歌舞伎の様に、「男優」ばかりで女形を男優が演じるものと思っていたのだ。おまけに「北京オペラ」と、「広東オペラ」とは違うものだと言うことも、現物を見に行って初めて知った。無知とは恐ろしいものだ。
私が観たのは香港からきた「広東オペラ」で広東語で演じられる、ユネスコから人類の無形文化遺産として登録されていた14世紀から17世紀から伝えられているオペラだった。香港文化博物館には、この広東オペラの衣装や歴史が常設展示されているそうだ。
もう一方のオペラは「京劇」と一般に呼ばれる「北京オペラ」だ。こちらは言語が異なって、カントニーズではなく、マンダリンだ。この二つの言語は、全く異なっている。同じ中国語などと言って混同してはいけない。日本に居る人にはわかってもらえないし、私も違いが聞き取れないが、国際人である娘たちはカントニーズとマンダリンをきちんと聞き分ける。
紀元前から爆弾を作り、文字を印刷してきた3000年もの高い文化を誇る中国民族と、過去100年間英国領で民主主義を身に着けブリテンのパスポートを持っていた香港人とは、言語も文化も人種も異なる。共にものすごく誇り高い人々だ。広東オペラと北京オペラの違いを知らずに、オペラを観に行った私は中国人の友人と行かなくて一人で行って、知らず知らずのうちに「地雷」を踏まずに無事帰って来られて良かった。帰ってきてから自分が見たのは、ユネスコ人類無形文化財の広東オペラの方だった、と知ったのだ。
チャイニースオペラに興味を持った切っ掛けは、チャン ガイゴー監督の映画「さらばわが愛;覇王別姫」(FAREWELL MY CONCUBINE)1993年作品だ。
これは捨て子だった少年:程蝶衣(チェン デイエー)が、京劇の女形役者となり、彼を子供の時から支えて来た男役の段小楼(ドアン シャオロー)と組んでオペラ「覇王別姫」を演じるが、二人は互いに愛情と憎悪と嫉妬に苦しむというお話。女役をレスリー チャン、相手役をチャン フォンイーが演じた。この映画の中で、二人が繰り返し演じるオペラ「覇王別姫」は、武将で王様の項羽と、その愛人虞美人(ぐびじん)の悲劇だ。
項羽は紀元前200年ころ、秦末から楚漢戦争の頃の武将で、自分の10万の兵と共に、劉邦の率いる30万の漢軍に囲まれて、「四面楚歌」(しめんそか)となり(四面楚歌とは項羽が四方敵に囲まれたこの史実からきている)、囲いを突破して逃れるが、戦いに敗れて殺される。このとき項羽の愛人の虞美人は項羽の足手まといにならないように自ら項羽の剣で自殺する。その後、項羽を破った劉邦は 漢王朝を築き400年間政局の安定を図る。
美しかった虞美人のはかない人生をオペラにしたものが、この「覇王別姫」だ。ちなみに虞美人草(ひなげし)の名前はこの美女からとってつけられたものだ。
紀元前200年の美しかった女が、花の名前となり、オペラとして現在まで伝えられてきた。虞美人の自死のシーンでオペラの観客は泣かされるが、チェン ガイゴーの映画の中でも、虞美人の役を演じたレスリー チャンは、チャン フォンイーの剣を奪って彼の目前で自死する。生涯たった一人の男を愛し続けた女形役者の哀しい結末だった。いつまでも心に残る映画だった。
新年に、チャイニーズオペラという、とんでもなく古い伝統文化に触れて、楽しむことができた。こんな贅沢を、現代に生きる自分が享受できることが何よりも嬉しい。