リヒターは、ナチ政権下のドレスデンで多感な少年時代を過ごし、独国敗戦で生まれた土地が完璧に破壊される過程を目撃し、ロシア軍の進駐によって再建された芸術大学で学んだ。優秀な画家の卵は、やがて自由な表現を求めて東西の壁ができる寸前に西ドイツに逃れ,前衛作家として成功する。文字通り激動の時代のドイツを生きた。
現代美術の旗手で、抽象画、シュールリアリズム、フォトリアリズム、ハイパーナチュラリズム、などの作風をとり、油絵だけでなく彫刻、ガラス作品など製作している。初期の作品群であるフォトペインテイングは、写真を大きくキャンバスに模写し、画面全体をぼかして、さらに人物などを描きこんでいくという独特の作風を構築した。また、モザイクのように256もの色を並べた「カラーチャート」、キャンバス全体を灰色に塗りこめた「グレーペインテイング」、様々な色を織り込んだ「アブストラクト ペインテイング」、ガラスをたくさん並べ周囲の風景を映すガラス作品、5千枚以上の写生や写真からなるパネルを並べた「アトラス」などが代表作で、いまは油絵からエナメルや印刷技術を用いた作品制作している。また「線」を描かずに、先に鉛筆をつけた電気ドリルを使って絵描く方法を取っていたりする。
2002年にリヒターは、ドイツのケルン大聖堂のステンドグラスを製作依頼され、113メートル四方の聖堂の南回廊を、72色のステンドグラスではめ込んで、これを2007年に完成させた。リヒター本人はこの仕事でいっさい報酬を受け取っていないが、5年という長い年月と506000ドルという法外な費用がかかたため沢山の人の寄付を仰がなければならず、完成後、ケルン市長は余程機嫌を悪くしたらしく、こんな作品はカトリック教会でなくモスクとかほかの宗教に似合ってるんじゃないか、とコメントしている。個人的には、2008年にここを訪れていて、彼のモザイクステンドグラスを見ているはずだが、どこを見ても美しい装飾が隙間なく凝らされているゴシックの大聖堂の美しさに圧倒されていて、リヒターの作品を個別に観た記憶がない。
日本では瀬戸内海の無人島の豊島にリヒターの「14枚のガラス」が展示されている。全長8メートル、縦190センチ横180センチの14枚のガラスがハの字を描くように少しずつ角度を変えて立ち並んでいる。2011年に島を訪れたリヒターが、この静かな海に囲まれた土地が気に入って作品を恒久展示することに決めた。作品を収める箱形の建物も彼がデザインして製作したそうだ。
2012年オークションで、エリック クラプトンが所有するリヒターの抽象画「アブストラクテルスビルト」が26憶9千万円で落札、翌年には別の作品が29憶3千万円で取引されて、生存する画家の作品として史上最高額を記録したという。彼が影響された画家としてジョセフ ベイス(JOSEPH BEUYS 1921ー1986)が居る。またジグマー ボルケ、アンゼイム キーファーなどに影響した。
映画監督、フロリアン ヘンケル ヴォン ドネルスマルクは、この映画を作るにあたって数週間、リヒターとの対話をテープに取り、話し合いの末、映画を製作した。だがいざ映画が完成してみると、本人リヒターは、自分は伝記なんか作ってもらいたくない、映画を見る気もないし、全く興味もない。映画がリヒターの伝記だなんて言ってもらいたくない、と主張したそうだ。そういうわけで、この映画の解説にリヒターのリの字も出てこない。ただ映画の紹介に、現実の画家にインスパイヤ―されて製作した、と記述されているだけだ。
芸術家とは、かようにして面倒な生き物だ。破壊されたドレスデンで幼少期を送り、ナチ信奉者で精神病者や障碍者をガス室に送った犯罪者を義父にもち、東ドイツから西に逃れて画家として成功した、といえばリヒターだと自ずとわかってしまう映画。こんなの自分じゃないと本人が言おうが、言うまいが自明のこと、リヒターの半生を描いた映画ですと公に書いていないだけのことだ。
一人の画家の成長の物語として素晴らしく、画面の美しさも映画作品として完成度が非常に高い芸術作品。3時間の長編映画だがまったく飽きない。2018年代75回ベニス国際映画祭で、金獅子賞候補作。映画祭で13分間スタンデイングオベーションで拍手が収まらなかったと報じられた。ゴールデングローブ、91回アカデミー賞でも最高外国語作品賞候補となった。
監督:フロリアン ヘンケル ヴォン ドネルスマルク
キャスト
トム スキリング : 画家 カート ベルナルド
パウラ ビア : 妻 リー シーバンド
サキスア ローゼンデル:叔母エリザべス メイ
セバスチャン コッホ:義父 シーバンド医師
ストーリーは、
1937年、ナチ政権下のドレスデン。
5歳のカートは美しい伯母に連れられて美術館に行く。ユーゲン ホフマン(EUGEN HOFFMANN 1892-1955)の彫刻「青い髪の少女」に魅入られたカートに向かって、叔母は、この作品がどんなに美しいか、一つ一つを見逃さないようにじっくり観るよう、NEVER LOOK AWAYと繰り返し言う。ナチの美術館案内人は、これらホフマンなどの前衛芸術は、退廃的で社会的ではない、と批判的だが、叔母はそういった表面的な解説をまったく意に介さない。美しいものに純粋に身をゆだねるように生きる叔母は、カートの一番の理解者だったが、やがて精神分裂症と診断されて、ナチの病院に連行され、ナチのシーバンド医師により去勢手術を強制され、その後ガス室に送られて殺される。
戦争が終わり、街の小学校の校長先生だったカートの父親は、進駐してきたロシア軍によって、ナチ政権に与したものとされて、小学校の掃除夫を命ぜられる。ナチ信奉者によって、ユダヤ人ばかりでなく沢山のドイツ人の精神病者や障害者がガス室に送られた。叔母を精神病と判断し、処分したシーバンド医師は、犯罪人として刑務所に入れられる。しかし、刑務所のなかで、ロシア人将校の妻の異常出産を助けたことで命の恩人として釈放される。ロシア人将校は、秘密裏にシーバンド医師が犯した罪に関する書類をすべて廃棄する。
カートはドレスデン芸術大学で絵画を学ぶ学生となり、同じ大学でデザインを学ぶ、エリという美しい学生と出会う。彼女は熱烈なナチ信奉者だったシーバンド医師の一人娘だった。二人は結婚するが、義父シーバンド医師は娘が可愛いので、カートとの関係を認めない。娘が妊娠しても自分のところに引き留めるために娘に妊娠中絶を強制する。やがてシーバンド医師を釈放し保護してくれたロシア人将校が、ロシアに帰国することになったのを機会に、シーバンド一家は、西ドイツに逃れる。カートも東ドイツの社会主義的な芸術感に堪えられず、自由な表現を求めていた。
カートは西独で、ドッセルドウ芸術大学に入り教師ジョセフ ベイス(JOSEPH BEUYS 1921-1986)から現代絵画を学ぶ。才能を認められるが、本人は自分の表現に苦しむ。30歳を過ぎても社会人として働くでもなく絵が売れるでもなく、自分のスタイルができるわけでもなく、表現することに四苦八苦していたが、シーバンド医師が、彼の上司だった医師が戦争犯罪で逮捕されたことを知って自分もいつ追及されるかわからない恐怖にかられる姿をみて、彼の写真をキャンバスに模写して、その上に人物を重ねて描くフォトリアリズム手法を考え付く。それを機に、カートは新聞や写真をキャンバスに模写して絵を重ねるハイパーナチュラリズム、フォトリアルといった自分のスタイルを見つけていく。
というところで映画が終わる。
幼い時から美意識の高い伯母から、NEVER LOOK AWAY 見過さないで芸術作品から目をそらさずによく見るように、それと人を良く観察しなさい、と言いきかされていた少年が、成長と共に画家となり、よく見るだけでなく自分で作り出し、人に伝えようとして、表現者としてもがき苦しむ姿が描かれている。
若く瑞々しい美少年と、美しい伯母、叔母にそっくりな姿の可憐で美しい妻。一人の画家が成長していく姿が良く描かれている。背景も自然描写も秀逸。3時間が少しも長くない。いつまでも美しい画面を見ていたくなる。
カートは30歳すぎても妻の裕福な父親シーバンド医師に食べさせてもらって画学生を続けているから、義父に皮肉を言われる。「レンブラントは30歳で数えきれないほどの弟子をもっていた。モーツアルトなんか30歳といえばもう死んでいた。」そんなふうに、画家の生活力のなさを非難されても、カートは何一つ言葉を返せない。それでもひたすらキャンバスに向かうカートの姿は胸を打つ。
リヒターの芸術大学の教師だったジョセフ ベイスが、本物みたいに、映画でもものすごく魅力的に描かれている。古典派の画家の写真をキャンバスに立て、それに火をつけて燃やしながら講義を始めたり、本物を見つけろ、とリヒターを激励するためにいつも被っている帽子を取って自分が死にかけた爆撃機事故のときの頭の醜い傷を見せたりする。映画には出てこないエピソードだが、1974年彼はアメリカに招待され「コヨーテ私はアメリカが好き、アメリカも私が好き」という作品を展示するといって、ニューヨーク空港到着後、画廊に救急車で運ばれ、1週間、ホテルにもどこにも行かず、フェルトや新聞、干し草の積まれたギャラリーの中に籠ってアメリカ先住民の聖なる動物コヨーテとともにじゃれあったり、にらみ合ったりして無言の対話を続けたあと、再度空港に救急車で運ばれてドイツに戻った、という。こんな現代芸術家って、、、何て素敵なんだ。
リヒターを演じた役者も絵を描く人だと思う。おおきな刷毛で床に置いたキャンバスに、何度も大きな円を描いてみせる。彼がキャンバスに描かれた本当の写真みたいに模写された油絵を、板で強くなぞって、それをぼかしていく。絵がぼやけるに従って過去の写真が、心に映った本当の過去の姿になぞられていく。魔法をみるようだ。
一心に絵を描く人の姿は、美しい。5歳の少年を前にして素裸でピアノを弾く美しい伯母、何台ものバスの運転手に頼んで、力いっぱい警笛を鳴らしてもらって、その音の渦に身を浸す美しい伯母、ガス室で死んでいった叔母が、一番の芸術家だったのかもしれない。
とても良い映画だ。現代美術を見る人、見なくちゃだめだよ。