2014年3月14日金曜日

映画 「トラックス」(道程)


    

http://www.sbs.com.au/movies/article/2014/03/11/tracks-film-lets-woman-thrive-outback

原題:「TRACKS」
原作:同名のロビン デビッドソン作、1980年ナショナル ジェオグラフィック出版
英豪合作映画
監督:ジョン クーラン
キャスト
ロビン デビッドソン    :ミア ワシコスカ
アフガンキャメルファーマー:ジョン ファラス
アボリジニーのミスタ エデイー:ロレイ ミンツマ
リック スモラン写真家  :アダム ドライバー

人は旅に出る。
理由は個人的なものだ。
今の自分にそれが必要だったから。思い立って、なんとなく、、、。
1977年2月、ロビン デビッドソンは、犬を連れて旅に出た。理由は、「WHY NOT ?」
気が向いたから、理由なんてない。あとから人々は理由をつける。きっと、彼女は自分を見つけたかったんだろう。自分の可能性を、どこまで行けるか試してみたかったんだろう。それに、自由になりたかったろう。心をとき放ち、たったひとりの信頼できる仲間の犬、デイゲテイを連れて、、。
まだ、若い20代の女の子、幼い時に母親が自殺して、親戚に預けられて育った。そのときまでいつも一緒だった愛犬は一緒に親戚に引き取ってもらえなくて、仕方なく安楽死させられた。それが一生の心の傷になっている。
それから時間が経って、大人になって、いまは信頼できる友達も、父親もいる。でも、孤独感は変わらない。人との会話が続かない。日常がわずらわしい。

いままで、それをやった人が居ないならば、やってみても良い。日常のわずらわしさ、人々との関係を継続していくことの苦痛。ひとり旅に出てみたら何かが変わるかもしれない。それならば、やってみても良い。大したことじゃない。海に向かって、ただ歩くだけ。愛犬デイゲテイを連れて。

そう心に決めてロビン デビッドソンは、オーストラリアのヘソの部分、エアズロックのあるアリス スプリングから西オーストラリアの砂漠を横断して、インド洋までの2700キロメートルを9か月かけて単独走破した。4匹のラクダと愛犬を連れて。
20歳代の若い女性が たった一人でコンパスを頼りに徒歩で砂漠を横断した前代未聞の偉業は、すぐに世界的なニュースとなって、彼女の到着を待って世界中からマスコミが殺到した。ロビン デビッドソンは、そんなマスコミから、隠れて身をひそめ、泣きながら逃げ回る。脚光をあびるために、やったことではない。旅はいつも、個人的なものだ。

この映画は実在のロビン デビッドソンが、アリススプリングから、西海岸のジェルトンまで砂漠を単独走破したときのことを再現した記録だ。人との関係をつなぐことが得意ではなくて、本当に心が通じ合えるのは、黒いラブラドール犬だけ、という若い女性が、1977年2月に、ひとり思い立って2700キロメートルの距離を歩いた。その前に、彼女はアリス スプリングのラクダのファームで働きながら、ラクダの飼いならし方を学ぶ。オーストラリアでは、19世紀にアフガニスタン人が、交易のために、たくさんのラクダを連れて入植していた。そのときのラクダが野生化して繁殖し、今では オーストラリアは世界で一番沢山のラクダが生息する国になった。アフガニスタンに逆に輸出してもいる。ラクダのファームでは 野生のラクダを、ヘリコプターやジープで追って捉え、飼いならして馬のように砂漠を移動したり、物を輸送するのに使う。オーストラリアの20%は、砂漠で、海岸地帯以外、国土のほとんどが乾燥地帯だ。ラクダによる移動は必須だ。

いくつかのラクダの農場を移動しながらロビンは、ラクダの習性を学び、何か月もの労働の報酬として、3頭のラクダを貰い受ける。出発まじかに1頭のラクダが 野生のラクダに襲われて子供を出産する。4頭のラクダに食糧やテントを積み込んで、さあ、出発だ。
しかし先立つものがない。ナショナル ジェオグラフィック本社に資金のサポートを依頼していた。本社から待ちに待った返事がきて、資金をあてにできることになった。しかし、彼らは、プロンカメラマンを送ってきた。リック スモランという如何にも軽薄そうな男だ。カメラマンはロビンが砂漠を横断する要所要所で、ロビンを待っていて、写真を撮って本社に送るという。ロビンは写真を取られることが嫌で嫌で仕方がないが、写真の一枚一枚が、砂漠での自分の飲む水代になる。やむを得ないこととして、受け入れる。

まずアリス スプリングからエアーズロックまで歩く。アボリジニの部落に宿泊させてもらう。ここはアボリジニの聖地なので、決められたところしか立ち入ることができない。カメラマンは、その夜、アボリジニの聖なるセレモニーがあることを聴きつけて、眠ったふりをして深夜に行われたアボリジニーの秘儀をカメラに収めた。怒ったアボリジニーの長老は、ロビンが予定していた道を通る許可を取り消した。大事にカメラを抱いて、ジープと飛行機で都市に向かうカメラマンを背にして、ロビンは自分の予定していた砂漠の横断路から、大きく迂回したルートを、歩かなければならなくなった。
ひとり旅を続けるうち、アボリジニのグループに出会う。そこで、ひとりの年よりが親切に案内役を買って出てくれた。ロビンはこの ミスターエデイから、火の起こし方や、ウサギを解体して料理する方法や、薬草の採取の仕方を学ぶ。こんな優秀な砂漠の案内役も、お礼の猟銃を手にしてしまうと、サッサと自分の部落に帰ってしまう。
再びひとり歩くうち、野生のラクダに襲撃されたり、4頭のラクダが勝手に遠くに行ってしまったり、コンパスを無くして、探しに戻ったり、様々なアクシデントに見舞われる。ひとつひとつのトラブルを乗り越えながら それでも旅は続く。

目的地のジェラルトンに近付いて、9か月にわたった旅も終盤に入り、ロビンの人生にとって最大の危機が訪れる。無二の親友、ロビンにとって最高の理解者であり、片時も彼女から離れたことのなかったデイゲテイが、ウサギや野犬などの害獣を殺すために撒かれた毒団子を食べて、苦しみながら死んでしまったのだ。デイゲテイを失ったロビンは 茫然自失となって何もかも投げ出しそうになる。何日間も食べも、飲みもせずにただただ力を失って空を見ていた。ロビンを現実世界に連れ戻したのは、カメラマンのリックだった。底なしの孤独に陥っていたロビンは、人のぬくもりを得て。辛うじて再び歩き始める。そして遂にインド洋に達する。旅は終わったのだ。
彼女の行程と、その時その時で撮られた写真は ナショナル ジェオグラフィックに掲載され、その2年後には、彼女の記録とともに本になって出版された。

360度、どこまでも広がる砂漠が美しい。「アラビアのロレンス」に出てくる、果てしのない砂漠の美しさに重なる。どうして砂漠に留まっているのか、とアメリカ人記者に問われて、ロレンスは「どうして砂漠が好きかって?砂漠は清潔だから。」と答えた。彼もまた人との関わりが得意でない、孤独の海を彷徨う詩人だった。
ロビンは生まれた時からいつも大きなイエローレトリバドッグを遊び相手にしていて、人とのコミュニケーションを必要としていなかった。犬は彼女の親友だったし、唯一の話し相手であり、保護者であって喜怒哀楽のすべてを共有できる相手だった。その犬が、母の自殺を契機に家庭が崩壊し自分が親戚に引き取られることによって、安楽死させられる。そして、再び自分を支えてくれた道連れデイグテイを失って、ロビンは生きる希望を失ったようになる。犬を失うことが、どれだけの痛みか、とてもよくわかる。友達や親や猫を失うのとは全然ちがう。愛した猫を失うのは、悲哀。親を亡くすのは予想された別離であり、解放でもある。友達を無くすのは痛恨。でも、犬を無くすのは自分の手足をもがれるような、自分の体の一部を奪われるような喪失だ。犬を無くす悲しみは、何とも耐え難い。生まれた時から成犬になり、老犬になるまで、本気で犬と付き合い人生を共にした人でないと分からないかもしれない。そうした犬との交流は、一生にただ一匹なのだ。

人と人生を共有していた犬とを一緒に脳のシンチグラムにかけて、同時に同じ音楽を聞かせたり、映像や写真を見せて脳の血流の状態を調べると、人と犬とが顔を合わせているわけではないのに、全く同じところで喜びを感じ、同じところで幸せ感に反応したという実験結果がある。人と犬とは、長く一緒に暮らすと同じものを見ると、同じ感情が流れ、似た者同士となって一体化するのだ。人間が相手では、そうはいかない。
映画を観ながら犬を失ったロビンにとても共感した。カメラマンが要所、要所で待っていて、写真を取ろうとすると、舌打ちしたり、報道陣から泣いて逃げ回るロビンにも好感がもてる。旅を自分のために自分自身で完結させたロビンに心から拍手を送る。本当に立派な女性だと思う。

実在のロビンは まだ60になるかならないかの、とても美しい人だ。湖の底みたいな青い大きな目のブロンズ、立ち振る舞いの優雅な魅力的な女性だ。鉄人レースに出てくるようなキン肉マンではない。彼女の役を演じたミア ワシコウシカよりも、断然本人のほうが美しいという、事実がおもしろい。(ふつうは逆だろう)
プリテイーウーマンのジュリア ロバーツが本当は演じる予定だったのだという。撮影期日の都合で役者が変わって、良かったのか悪かったのかわからない。でも、ジュリア ロバーツにはもう20代前半の冒険者の役は無理かもしれない。オーストラリアの風景に中で、オージー魂を持った、ワシコウシカというオージー女優が、終始怒ったような無表情な顔で演じた。それも良かった。

2014年3月11日火曜日

映画 「それでも夜は明ける」


                    

http://www.imdb.com/title/tt2024544/
「黒人文学」という言葉がある。
20世紀に、黒人が黒人のための小説を書いた先駆者、リチャード ライトや、ジェームス ボールドウィンによる、数々の名作を指す。リチャード ライトは、激しい黒人差別の残るミシシッピー州で生まれ、当時の慣習から学校教育を受けられず、貧困から脱出するために、自力で字を習い、ものを書くようになった。彼の小説「ブラック ボーイ」は、白人社会における黒人の苦闘を描いた自分自身の話だ。簡易な英語で書かれているので、難しい単語や難解な言い回しが苦手の外国人が、初めて読む英語の「原書」として、勧められる。ジュニアスクールの教科書にも紹介されている。易しい言葉で、黒人として差別社会を生きる者の怒りを、全身で表現している得難い小説だ。ベトナム戦争が拡大し、マーチン ルーサー キング牧師が市民を率いて黒人民権運動を広げていった時期に 時流に乗って黒人文学は、ひろく世界中で読まれるようになった。しかし、今考えれば、「黒人文学」とは何だ。白人文学という言葉がない以上、特に黒人を強調することによって、人種差別を促す危険を含んでいるではないか、ということになる。時代は変わる。

人間社会は、いずれ「黒人文学」ということばも、「白人社会」という言葉も無くなっていくだろう。黒人が学校教育を拒否され、白人と同じ電車やバスに乗り、同じレストランに入ることを拒否された時代は、「恥の歴史」として過去に葬られる。同じようにして「男尊女卑」、「男性優位」とか「父兄会」とかいう言葉は過去のものになり、人のことをMENといっていた時代は去り、MEN AND WOMENに言い換えられるようになった。
そのようにして、さらに進んで、「MAN」でも「WOMAN」でもない、そんなものは書く必要がない時代が、すぐに来ることだろう。結婚証明書や、戸籍謄本や、身元証明書に「男」とか、「女」とか書く必要がない。男も女もトランスジェンダーも、自分を男と認める人や、自分を女と考える人や、性転換をした人など、すべてを含めて雇用や結婚に際して、すべて差別してはならない、という時代が来る。「黒」でも、「白」でも「黄色」でもない、また「男」でも「女」でもない、すべて等しく人間であることを認め合う平等社会に向かって行くことだろう。ただし、きわめて、ゆっくりのペースで、おびただしい犠牲者を出しながら、、、、。

映画「それでも夜は明ける」は、150年前にソロモン ノーサップによって書かれ出版された。自分が、ニューヨークで自由の身であったにも関わらず、誘拐されて南部に送られ、12年間奴隷にされていた自身の記録だ。ソロモンの経験を描いたこの本は、その後のアメリカ市民戦争に大きな影響与えた。また、翌年の1854年に、ハリエット ビーチャー ストウ夫人が「アンクルトム キャビン」(1854年)を書いて出版しているが、彼女のフィクション小説の多くの部分でソロモン ノーサップの実際の経験との類似点がみられる。

ストーリー
1841年、ニューヨークで大工として働き、ヴァイオリンの名手でもあったソロモン ノーサップ(キエテル イジョホー)は、妻と二人の子供を持ち、市民として地元では信頼、尊敬されていた。ある日彼は、ヴァイオリンの腕を見込まれて、サーカス団の一行とともに演奏旅行する仕事を依頼され、ワシントンに向かう。そこでソロモンは 紹介された男たちに歓待され、泥酔する。目が覚めてみると、彼は鉄の鎖につながれていた。自分が自由の身であることを叫びたてても、鞭で打ち据えられるばかり、獣のような白人の奴隷売買に引き立てられて、南部に船で送られる。
最初の主人は、テキサスのウィリアム フォード(べネデイクト カンバーバッチ)で、コットンファームの大土地所有者だった。ここで、ソロモンは大工だった経験を高く主人に評価されて、大事にされる。しかし、それが読み書きもできず、建設技術にも無知な白人マネージャーたちに憎まれる結果となり、ルイジアナの別の主人へと売られていく。最後の10年間は、最も冷酷な主人、エドウィン エップス(マイケル ファスベンダー)のプランテーションで酷使される。逃亡すれば極刑、隠し事をすれば鞭打ちの日々、理由もなく鞭打たれる毎日に希望を失いかけたころに、小屋の建設を手伝っていて、カナダからきていた技術者、サミュエル バス(ブラッド ピット)に出会う。ソロモンは彼に、自分の数奇な運命を語り聞かせる。話に感銘を受けたサミュエルは、南部に居ては自分の命が危険にさらされることを悟って、ニューヨークに向かい、ソロモンの救出のために奔走する。そして、ついにニューヨーク市の法律にのっとって、ソロモン救出のための行政官が、ルイジアナまで来て、ソロモンを家族のもとに連れ帰る。
というお話。

今年のアカデミー作品賞受賞作。
奴隷たちが、敬虔なクリスチャンである姿が悲しい。奴隷たちは、この世で苦しむのは、神が与えた試練であって、苦しめば苦しむほど、あの世で美しい来世がくると信じて熱心に信仰している。苦しすぎるので、死を願って、盗みを働いたと嘘の告白をして自ら極刑に身をさらす少女や、泣くことを止めない女、逃亡を試みる少年の姿が哀しい。生きる希望を次々と絶たれていく残酷さ。

原作は150年前の作品だが、今日もまだ、新しい。現実にソロモンのように鞭で打たれはしなくても、弱いものは肌の色やジェンダーゆえに 不理屈に解雇されたり虐待されたりしている。ソロモンのように誘拐されて奴隷にされてはいなくても、いまだに学校や職場で弱いもの虐めが、幅を利かせている。時代を超えて、ソロモンの痛みは 私たちの痛みでもある。
よき社会、差別のない社会への道は まだ遥かに遠い。そこまでの変化は、きわめてゆっくりしたペースで、おびただしい犠牲者を出しながら、、、。

邦題:「それでも夜は明ける」
原題:「TWELVE YEARS A SLAVE」(12年間奴隷だった)
原作:1853年 ソロモン ノーサップによる同名の回顧録
映画プロデユーサー:ブラッド ピット
監督:ステイーブ マックイーン
キャスト
ソロモン ノーサップ :キエテル イジョーフォー
ウィリアム フォード :べネデイクト カンバーバッチ
エドウィン エープス :マイケル ファスペンダー
サミュエル バス   :ブラッド ピット

http://www.youtube.com/watch?v=6LpiwM4yGDk

2014年3月4日火曜日

シドニーで讃岐うどん

                     

和食が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産になったという。
それと関係があるかどうかわからないけど、シドニー北部チヤッツウッドに、讃岐うどん屋「丸亀製麺」釜揚げうどんが、初めてオープンした。シドニーで本物の讃岐うどんが食べられる日が来るとは思っていなかった。とても感激している。むふふ、むふふ の日々なのだ。

チャッツウッドのメイン通りで、店の前を通りかかった人々は、ガラス張りのカウンターで若い職人さんが粉をこねてうどんを打つ様子が見られる。ダイナミックに、どたんばたんと、うどん粉を叩きつけて、こねる音も聞こえる。大きな釜で麺をゆでたてる様子も見られる。通行人の目はうどんをこねる様子よりも、木でできたうどんを入れる桶が、たくさん積み重なっているのにびっくりしている。自然志向の強いオージーの間では、釜揚げうどんを入れる丸い木目鮮やかな木の器に目を奪われている。中に入ると、カウンターの中には驚くほど若い人たちが立ち働いていて、うどんを作ったり、天麩羅を揚げたりしている。
釜揚げうどん4ドル90セント。中に入ると、大きな釜でゆでたてのうどんを手際よく桶にいれて、つけタレとともに、お盆に乗せてくれる。それを自分で選んだ天麩羅などと一緒に食べる。天麩羅はエビ、白魚、イカや野菜で、ひとつ2ドル50-90セント。どんぶりに入った肉うどん、カレーうどん、豚骨うどんや稲荷鮨もある。刻みねぎや、天かすや生姜やゴマは無料。学食みたいな手軽さと、食事が10ドル以下で済む安さは、貴重だ。どれもとっても美味しい。

ハワイのワイキキの中心、クヒオ通りにも同じ「丸山製麺」があって、昼でも夜でも行列ができているという。日本を含めてこのチェーン店のなかでは最高の売上を誇っているそうだ。客はハワイを訪れた観光客が8割、客のほとんどがアメリカ人と中国人で、日本人は1-2割だという。辛抱強く1時間も列に並んでアメリカ人がうどんを食べる図は、2-3年前には考えられないことだったろう。
シドニーでも同じようなものだろう。客のほとんどは、オージーと中国人だ。オーストラリアの人口の3%は、中国人になった。日本人の人口そのものが少ないから自然と、日本食レストランの日本人客は圧倒的多数の中国人に押され気味になる。それにしても、オージーと中国人のあいだで、「日本ブランド」が健在だということは、なかなか嬉しいことだ。

オージーやオーストラリア生まれの若い中国人は、トヨタに乗り、レクサスを買いたいと思い、ソニーで音楽を聴き、キャノンを持ち、ニンテンドーで遊び、ジャパニーズマンガを読み、無印の下着にユニクロを着て、資生堂で肌を整え、DHCの化粧品を持ち、御木本で首元を飾り、週末は恋人と寿司バーで一杯やり、家族のバースデイパーテイーはスシのケータリング化、鉄板焼き屋だ。そういったオージーと中国人の「日本ブランド好き」が、いつまで続くものか、心配している。

いつか日本の捕鯨船がオーストラリアをかすめて南氷洋にまで来て捕鯨を繰り返し、オーストラリア政府が国際法廷に日本の違法性を訴えた4-5年前、日本の捕鯨船がクジラを殺すシーンが連日ニュースで流れた。そのために、私が日本人だとわかると、見ず知らずの人に、すれちがいざまに「クジラ食うなよ。」と脅されたり、唾を吐かれた人も出た。ことほど左様に国外にいる日本人の立場というものは国際情勢に左右されるものだ。日本に居る人にはわからない。

阿部政権は、秘密保護法を通過させ、政府に都合の悪い情報を隠匿、しジャーナリズムの独立的立場を挫き、札束で沖縄普天間基地の移転を強行し、いったん謝罪し決着がつきつつあった慰安婦問題を見直すといって蒸し返し、武器輸出三原則を見直し、靖国神社参拝して中国、韓国だけでなく米国も怒らせて、国民の70%が反対している原発を再稼働させ、ベトナムにまで輸出し、東電の刑事責任を不問にし、東京オリンピックのために、日々ふりかかる国民の放射能被害に目をつぶっている。
驚くばかりだ。これほど人権無視、人命無視の自民党政権が、かつてあっただろうか。世界の人々の間で「日本ブランド」が通用しなくなるとき、世界の人々が「日本ブランド好き」を捨てるとき、、、こぞって日本に背を向け、日本食レストランを襲い打ちこわし、日本人に唾を吐く日が来ないと、誰が言えるだろうか。阿部政権の暴走は、大変に危険なことだ。
郷愁をそそる美味しいうどんを食べながら、考える。

2014年2月27日木曜日

オノ ヨーコ展 「ワー イズ オーバー」イン シドニー



          





前衛芸術家が一般の人々に受け入れられ、理解されるようになるためには、長い長い時間が必要だ。紺碧の空を突き抜けていくような、明るく輝く楽曲を作り出したモーツアルトが、貧困のどん底で死ななければならなかったのも当時としては前衛的な楽風が、人々に理解されなかったからだ。ダダイズムやキューレーターたちが、生きている内に人々に受け入れられて、作品を愛されたとしたら、それはとてもラッキーなことかもしれない。

ビートルズが大好きな人は、前衛芸術家、オノ ヨーコが大嫌いな人が多い。ビートルズを解散させた張本人で、ジョン レノンをたぶらかしてビートルズの音楽活動を停止させ、ジョンの死後はジョン アンド ポールの曲を、ポール アンド ジョンと書き換えたポール マッカートニーを訴え、他の誰とも妥協しようとしなかった。アバンギャルト芸術家の理解しがたい考え方や、奇妙な行動、度肝を抜くような姿、道路脇のゴミ箱から拾ってきたものを展示しているような数々の芸術作品。どなって叫ぶばかりのロック風音楽、すぐ裸になってみせる過剰なパフォーマンス、、、何やってんのかわかんないよ、の世界なのだ。

ジョンが死んで30年余り。いま80歳のオノ ヨーコが、70歳を過ぎたころから、やっと人々に理解され徐々に受け入れられてきたことは 嬉しいことかもしれない。彼女は世界各地で「ラブ アンド ピース」のメッセージを伝えるために個展を開いて、勢力的に 制作し活動している。ダンス・クラブ、プレイの分野では、彼女が作曲した作品がビルボードチャートに何度も第一位になった。その数、10曲。ゲイカップルを支持して、「ゲイ ウィデイング」を作曲し、ヒットチャート第一位になったのは、彼女が71歳のときだった。2009年には 世界的な現代アートのべエチアビエンナーレで、生涯業績部門で金獅子賞を受賞した。「ラブ アンド ピース」賞で獲得した500万円をパレスチナとイスラエルの若い芸術家育成にために寄付した。2000年、ジョン レノンミュージアムをオープン、2006年、トリノ オリンピックの開会式で歌を歌い世界平和を訴えた。

シドニーで、「ワー イズ オーバー」オノ ヨーコ展が開催されたので、行ってきた。オペラハウスを正面に、シドニー湾を広く見渡す港の一角に建てられた現代美術館の、特別展示室6室を使って、彼女のフィルム、彫刻などの作品25点が展示されていた。広々とした展示室は、自然の光が良く入り、明るく、意外にも音が全く流れていなかった。

1)「カット ピース」(1964・2003)
入口近くに大きなスクリーンが二つあって、フィルムが上映されている。ひとつは1964年ロンドンのパフォーマンス、もう一つは2003年のパフォーマンスフィルム。正面を向いて、椅子に座ったヨーコの着ている服を 複数の人々が大きなはさみで切っていく。ヨーコは終始無表情で完全に裸になるまで、じょきじょき服が断ち切られていく。ヨーコは1964年のころジャン ポール サルトルに傾倒していて実存主義に立ち、人間としての普遍的な苦悩をどう表現するかを模索していた。作品を通してヨーコは自分の内部の苦痛を訴えている。この作品は世界各国で上演されていて、ロンドンでは熱狂した観客が暴力的になって、パフォーマンスの最中ヨーコが警備員に保護、助け出される場面もあったという。作り手と観客との隔たりを無くそうとしたヨーコは、作り手も観客も一緒になって融合してこそ作品が生まれると考えていた。1964年と2003年の二つのフィルムが、同時進行の形で上映されていて、若いヨーコと70歳のヨーコが同時に見られるが、実は40年間の年月経過によって何も変わっていないことがわかる。少しも年を取らない、ゆるぎないヨーコの内面精神に、改めて驚かされる。

2)「プレイイット バイ トラスト」 (1966。2013)
部屋に、6つの白いチェスのテーブルと、12客の椅子がセットされていて、「どうぞチェスで遊んでいって」と。座ってみると、どちらのチェスの駒も白い。ゲームを進めていくと、自分の駒がどこまで進んでいったか、相手が攻めているのか、自分が勝っているのかどうかさえも わからなくなってくる。ジョンとヨーコが、この白い駒のチェスをやっている写真を、大昔見たことがある。人には敵も味方もない。争わなくても人と人とは信頼し合ってゲームを楽しむことができるという実験だ。1966年にロンドンでこの作品の展示を見た、ジョンがヨーコに興味をもった切っ掛けになった作品だそうだ。

3)「テレフォン イン メイズ」(1971.2013)
プラスチックの大きな迷路になった部屋ができていて、中に電話がひとつ。靴を脱いで中に入り迷路に迷いながら電話にたどり着く。この電話に、ニューヨークに居るヨーコが週に一度くらいの割で電話をかけてくるそうだ。運の良い人は彼女と禅問答みたいな会話ができるという。中で、しばらく待ってみてニューヨークに念力を送ってみたが効かなかったみたい。

4)「クリケット」(1998)
天井からたくさんのコウロギを入れる竹かごが吊るされていて、近付くとコオロギの鳴き声を聞くことができる。

5)「ウィンドウズ」(2009.2013)
広く開かれた窓は、オペラハウスを真正面にして、海に向かっている。窓の下には、大きな旅行鞄。窓を通して心が外に広がっていく。気持ちが解放されていく。

6)「マイ マザー イズ ブュ―テイフル」(2004.2013)
壁いっぱいに自分の母親へのメッセージを書いて貼り付けるようになっている。すでに何百枚ものメッセージで壁は一杯だった。お母さん大好き、というようなメッセージから、母親への不平不満を並べたものもあって、ながめ渡してみると楽しい。ヨーコは自分が母親にあまり愛情を示してあげることがなかったので、天国にいる母親にメッセージを送っているのだという。

7)「イマジン マップ ピース」(2003.2013)
大きな世界地図が壁いっぱいに張ってあって、スタンプがいくつも机に乗っている。自分が祈りを込めて平和を願う地域にスタンプを押していってください、と。パレスチナにひとつ、南スーダンにひとつ。それから、、、アフガニスタン、チベット、エジプト、ウクライナ、、、考えてみたら日本も含めて平和な場所などどこにもなかった。ほとんど、地図上でスタンプのないところなどない世界地図を改めて見入る。

8)「ヘルメット」(2001.2013)
天井からいくつものヘルメットが吊るされている。ドイツ兵のヘルメットだ。逆さに吊るされたヘルメットの中に、青い色のジグゾーパズルがいっぱい入っている。「青空のかけらを持って行ってください」、とある。3つほど取ってポケットに入れる。たくさんの兵士が死んで、からになったヘルメットは空に向かって何を訴えたのだろうか。

9)「タッチ ミー」(2008)
シリコンでできた女の体、「唇」、「乳房」、「腹」、「大腿」、「足」が並んでいて、来た人はまず温かい水で手を濡らしてから 次々と体の部分を触っていく。私が行ったときは足のひとつの指がちぎられて無くなっていた。この作品を初めてニューヨークで展示した時、体の部分部分が形をとどめないほど破損したので展示会側が作品を撤収するように提言したが、ヨーコは、この破損した姿が今日の暴力にさらされている女の真の姿だといい、撤収を認めなかったという。

10)「ドア アンドスカイ パドル」(2011)
大きな部屋いっぱいに 木のドアがたくさん床に置かれたり、角に立てかけられたり、天井からつるされたりしていて、ドアの横に空を映した水溜りが展示されている。ドアは私たちの心の境界線を表していて、必要なのは勇気をもってドアを開けて通り抜けることだ、と言っている。

11)「エンデンジャー スぺシイズ」絶滅危機にある種 (2319.2322)
4人家族の人々と一匹の犬が、打ちひしがれたように、うなだれて下を向いている、実物大の彫刻。ベンチに座った家族は肩を落とし、希望を失って悲しみに満ちた顔をしている。4人の家族のそれぞれの手には、死亡した人につけられる名前カードが取り付けられている。何という暗さ。
ヨーコは環境保護運動にも積極的にかかわってきたが、現在アメリカで盛んにおこなわれているシェールガス掘削が、深刻な地球環境を破壊するとして、反対している。地球の死は人類の死だ。それが2319年から2322年に起こると予想している。事実、シェールガスの掘削は 今後の地球環境に大きくかかわってくるだろう。世界の環境を壊しているのは、中国の大気汚染ではなく、アメリカのシェールガスなのだ。ヨーコの指摘は正しい。

12)「ウィー アーオール ウォーター」(2006.2013)
大きな部屋の一方の壁に沢山のウォーターボトルが並んでいる。プラスチックボトルにはラベルが貼ってあって、ヨーコのちんまりした字で ボトルに名前が書かれている。私たち人間がみんな名前は違うけれどみんな一様にただの水を入れた容器にすぎないではないか、と言っている。ラベルを見ていくと有名人や学者や、芸術家の名が並んでいるけれど、ジーザス クライストの名も 同じように並んでいる。キリストも自分も他の人々もみんなただの水でできた容器です、と、、。この作品が私はいちばん好きだ。

13)「フィルム」
別にフィルムルームがあって、大型スクリーンで、ヨーコの作品を次々と見せている。フィルム「ボトムズ」お尻(1966)は、ヨーコの作ったフィルムでは一番有名かもしれない。男、女、年齢などに関わらず、様々な人のお尻を後からとったフィルム。画面いっぱいに移された、誰ものものかわからないお尻が延々と続く。人の無防備なお尻は、一番人間らしい姿かもしれない。

14)「ウィッシュ ツリー}(1966)
ユーカリの木がプランターに植えられて現代美術館の屋上テラスに置かれている。それぞれの人が、紙に自分の「ねがい」と書いて紐で木に吊るすことができる。3本の大きな木に何百という「ねがい」がくくりつけられていた。日本の七夕の短冊にヒントを得ているが、オーストラリアでは珍しいからか、展示会に来た人はみな、ここで願いを書いて立ち去っているようだった。「人に迷惑をかけずに老いて死んで行けますように。」これは私の世代の誰もが切実に望んでいることかもしれないから、ベビーブーマーを代表して書いて、吊るしてきた。おりしもシドニー湾には、大型豪華船エリザベス2号が停泊しており、オペラハウスが正面に佇む美しい眺めをバックに、たくさんの人の「ねがい」をつけたウィッシュツリーは 海風を受けて涼しそうに揺れていた。
80歳のオノ ヨーコの「ワー イズ オーバー」(戦争は終わる、あなたが望めば)。とても良い展示会だった。

2014年2月14日金曜日

映画「マンデラ」とマンデラの土地開放政策の失敗について

                                                                                                       
映画「マンデラ 自由への長い道」
原題「MANDELAー LONG WALK TO FREEDOM」
英国、南アフリカ共同制作
監督:ジャステイン チャドウィック
キャスト
ネルソンマンデラ:イドリス エルバ
ウィニー     :ナオミ ハリス
ウオルターシスル:トニー キゴロキ
ゴヴァン ムベキ:ファナ モコエナ

2013年12月5日、ロンドンでこの映画の上映会に、英国皇太子ウィリアムと妻、キャサリンも招待されていて、鑑賞中に95歳のマンデラの死が伝えられ、その場で、全員が黙とう、皇太子ウィリアムが即席で追悼のスピーチをした、という。
映画は、若い日のマンデラが、ヨハネスブルグで、数少ない黒人の弁護士をしていた1942年ごろから大統領になるまでの時期を描いた、マンデラ自身の自伝を映画化したもの。
若いマンデラは、黒人が次々と不法逮捕され弾圧されている中で、人権派の弁護士として活躍している。体が大きくボクシングで汗を流し、人々から信頼されて、女からも人気がある。少数白人による圧政下にあって、黒人たちの不満は抑えきれず、あちこちでストライキが頻発する。劣悪な労働条件を改善させるためにアフリカ民族会議(ANC)が勢力を伸ばしていて、マンデラも当然のように、組織に加入する。徐々に、アパルトヘイト政策が露骨になって、黒人組織への弾圧が厳しくなってくると、ANCは、政府と軍への抵抗から、さらに武装闘争へと路線を急進化させる。マンデラは、先頭に立って、政府の公共施設に爆弾を仕掛け、ゲリラ戦のリーダーとなっていく。その過程で、家庭は破たんし、妻は二人の息子のうち長男を残して、出ていく。そして、マンデラは黒人で初めてソーシャルワーカーになった、ウィニーに出会い、再婚する。武装闘争を主導するマンデラら、ANCの主要幹部は地下に潜り、ゲリラ破壊活動を続けるが、ついに逮捕され、他の6人のメンバーとともに拘束される。

1964年、ANC幹部6人とともに、マンデラは国家反逆罪で死刑を求刑されるが、辛うじて死刑を逃れ終身刑を宣告されて、ロベン島刑務所に送られる。年に2通しか許されない家族との手紙のやりとり、、、岩を削り石を切りだす重労働の日々。その間にマンデラは、結核を患い、母親を亡くし、12歳の長男を亡くし、妻ウィニーの16か月にわたる逮捕、拘束を知らされることになる。27年間の月日が流れる。
こうしている間にも、国際社会では、南アフリカのアパルトヘイト政策への批判が強まってきて、国連からは公然と批判され、各国から経済制裁を受けて、バッシングは強まる一方だった。デクラーク大統領は、マンデラらANC幹部を釈放して、批判勢力を懐柔し、過激化する黒人解放運動の動きを封じようとする。1994年、マンデラらは、釈放されて、政府首脳部と話し合いの席に着く。マンデラは、民主主義に基付いて人種に関係なく黒人に白人と同じ権利、「一人一票」を与えることを主張する。一方、ソエトの黒人による暴動は、激しさを増すばかりだった。若い世代が暴徒化して止まる事がない。

マンデラはテレビを通じて国民に呼びかける。自分は27年間獄中にあった。黒人は長いこと白人から抑圧され、人として扱われてこなかった。しかし 私たちは仕返しをしてはならない。私は、白人が私に対してしたことを赦すことができる。だから、あなた方も赦すことができるはずだ。人は肌の色や育ち、信仰の違いを理由に人を憎むように生まれてきた人はいない。人は憎しみを学ぶ。もし、憎しみが学べるならば、赦して、愛することも学べるはずだ。憎むことを止めなさい。憎しみは何も生み出さない。復讐することを止めなさい。街に出て暴力をふるうことを止めなさい。人には愛があるはずだ。家に帰って、心を静めてそして、1票を選挙で投じてください、、、。マンデラの訴えは、人種に関係なく人々の心を打った。やがて1994年、民主的に選ばれた初めての黒人の大統領が南アフリカに誕生する。というお話。

役者マンデラを演じたイドリス エルバは、ロンドン生まれの英国英語を話す役者で、映画監督で歌手で、ラッパーでもあるけれど、この映画では、完全にマンデラの口調で、話していて、声もそっくりだった。ウィニーを演じたナオミ ハリスもロンドン生まれ、ケンブリッジ大卒の女優で、2012年には007「スカイフォール」のボンドガールを演じた美女だ。夫マンデラのいない間に、権力への憎しみをつのらせて、警察に連行され暴行を繰り返し受けて急進化していき、マンデラの穏健政策とは相いれなくなって離婚せざるを得なくなっていく過程は、せつなく哀しい。
余りに偉大な人の自分で書いた自伝を忠実に映画化した作品だから、もんくの言いようがない。この映画の公開が、彼の死の時期に重なった。

マンデラが入退院を繰り返すたびに、マスコミが大騒ぎして醜かった。オーストラリアには公営ニュース2局、民間ニュースが3局あるが、それぞれがマンデラの病状に変化があるたびに記者、カメラマンを現地に派遣していて、世界中からもマスメデイアがハゲタカのように、何千人と集まって来ていて、あさましい。なぜ彼の尊厳に敬意をこめて、そっとしておけなかったのか。彼の残した「人種差別のない国」、「虹色の社会」、「赦し」といった、きれいな言葉だけが繰り返されて、いつの間にか世界中がマンデラファンになっていて異様だった。白人が得意げにマンデラの「赦し」を語り、差別のない社会を説く姿がうとましい。差別を受けた側の痛みを伴う「赦し」と、特権を謳歌してきた側の「赦し」との間には、天と地ほどの隔たりがある。

マンデラが語った「赦し」、差別されてきた怒りを鎮め、憎しみを捨て心安らかに愛を持って赦そう、そして差別のない虹色の社会を作り出そう、という理想を受け継ぐことは大切だ。そういった彼の思想は崇高で、人間の尊厳に満ちた理想だ。しかし、残されたものは思想を継承すればそれでよいということはない。マンデラがしようとしてできなかったことを実現することが、真の継承ではないか。

1994年マンデラは大統領になり政権を取り、土地開放をしようとしたができなかった。当初、白人所有の農地のうち30%を黒人に農地解放する予定だった。その後、20年たっても4%の土地しか再分配されていない。国土の87%を5万人の白人が所有している。新政府は強権をもっては白人の土地を取り上げず、土地分譲を自由意志にまかせたため、誰も自ら土地を黒人に分配する白人農場主はいなかった。何万件もの土地返還請求が出されたが、認められたのはわずか1%だった。政府は白人農場主が農地をひとつ譲るごとに、最高約4600万円もの費用でそれを買い取り黒人に分配する予定だったが、そのための費用を政府は出していない。黒人が土地を買うために政府は最高約25万円まで補助金を出す予定だったが、その予算も使われていない。結果として白人農業主から分配されたわずかな土地は、すでに社会的に安定している少数の黒人のものになって政治的腐敗層を作り出す結果になっただけだった。

選挙前から、白人経営の6万5千にのぼる農場で働いてきた700万人の黒人就業者たちは、今までどうりの生活を続けていて、彼らにとって「土地開放」はなかった。1994年以前、土地を持たない黒人小作農民は 白人農家の農地で生まれて育って働いてきたが、1996年に小作人保護法ができると、小作農に支払わなければならない賃金が高くなって白人農場主は支出を惜しんで自分の土地から黒人たちを追い出す結果を招いた。そのため多くの土地なし黒人農民は生まれた土地を離れざるを得なくなった。土地を追われた人々は都市に流入し、ジンバブエなどからの不法移民と、深刻な対立をみせている。
現在の南アフリカは失業率46%。ヨハネスブルグは、いま世界中でもっとも危険な都市となり、毎年3000余りの人が殺人で命を落としている。また、HIV感染率も世界一。15歳から49歳までの成人HIV感染率は21,5%、国民の4人に一人の割でHIVに感染している。妊婦の29,5%がHIV陽性でもある。生まれてくる子供たちの未来はあるのか。

マンデラは農地改革、土地開放政策に失敗した。農業経済の自由化、市場開放に期待して強権を発揮しなかった。1994年に国土の90%を所有していた白人農業主から農地を強制的に取り上げず、白人農業主の自由意志で土地分譲を望んだ。しかし、強制的な土地の没収と、黒人への土地分配なくして農地改革はない。ジンバブエでは、ムガベ大統領が強権で白人農業主から土地を奪い、黒人に分配したため、農業技術を持たない農民が多量に出て農業生産が一挙に落ち、空前のインフレと食糧難を導いた。人々は餓えている。同じ過ちを繰り返さないために、農業政策として土地分配に先立って、黒人農業主の組合、互助組織を組織化し、農業技術教育が行われなければならない。また鉱業部門でも労働者の組合の組織化を進めなければならない。そういった国の経済基盤の民主化が進まない限り、差別社会は無くならないし、黒人による「赦し」もない。農地が分配されるまでは、「愛に満ちた虹色の社会」もない。マンデラの意志を継承するためには、まだまだ思い切った政策のためにたくさんの血が流れなければならない。

2014年2月7日金曜日

映画 「ウルフ オブ ウォールストリート」


            

学歴もコネもない、証券会社に勤めていた男が、26歳で自分の証券会社を設立、ウォールストリートでブローカーとして成功して巨万の富を得る。50億円近い年収を稼ぎ、栄華を極めるが収賄、株の不正取引でFBIに逮捕され、何もかも失ったという実在の人物のお話を映画化したもの。

監督:マーチン スコセッシ
原作:ジョーダン ベルフォー「ウォール街狂乱日記」
キャスト
ジョーダン ベルフォー :レオナルド ディカプリオ
ストラントンオークモンド社副社長:ジョナ ヒル
ジョーダンの妻ナオミ  :マーゴット ロビー
スイス銀行家 :ジャン デイュジャルダン
ジョーダンの父、会計士:ロブ ライナー

3時間の長い映画だ。
21秒に一度「FUCK」というマスコミでは使用禁止の粗暴な言語が出てくる。その数、506回。「GET FUCKING PHONE!」受話器を取って株を売って、売って売りまくれ、というわけだ。ディカプリオが、女の肛門のまわりにコカイン粉を振りまいて、ストローでそれを鼻から吸引するシーンで、映画が始まる。禁止言葉の羅列、ドラッグ、ヌードと暴力シーンが多いために、18歳以上でないと観られない。ドラッグはコカイン、マリファナ、アイスにエクスタシー、、と何でも出てくるし、女の全裸姿も嫌というほど出てくる。
粗悪株を 口八丁の巧みなセールスで、小市民に売りつけて老後のたくわえを情け容赦なく取り上げる。名もない会社の株を強引に売りつけて得た金をスイス銀行でマネーロンダリングする。250人の証券会社の社員に株の不正取引を伝授して、売上が達成できると、職場では40人の娼婦やストリッパーや楽隊やアルコールやドラッグが待っている。オフィスで馬鹿騒ぎの末、小人症の人を目標達成ボードに体当たりさせて面白がる。デスクに金魚鉢を置いているような軟弱社員から、取り上げた金魚を全員の前で副社長が呑み込んで見せる。会社を酷評した書類には皆の前でジッパー下げて、小便をかけて馬鹿にして見せる。お金が欲しい女性社員を社員全員の前でバリカンで髪を剃って大はしゃぎする。250人の証券マンが仕事中でも楽しめるように、娼婦達を職場において、机の下でもエレベーターの中でも、ジッパーを開けさせる。何でもありだ。
公然と弱い者いじめをし、障害者を笑いものにして、公共の場で平気でドラッグを吸引し、女性を性奴隷としか扱わない。人としてのモラルをすべて全否定してくれて、獣よりも下劣な男の欲をこれでもか、これでもか、と見せてくれる。いやー、、、悪酔いしそうでした。

監督のマーチン スコセッシはニューヨークのイタリア移民の街、リトルイタリーで生まれ、父親はシチリアからの移民一世、母親も移民の2世、子供の時からマフィアの本拠、シチリアの文化の中で育った。彼の作風は「徹底して見せる」ところだ。暴力シーンは徹底的に暴力的に撮る。情け容赦ない。彼の代表作「タクシードライバー」(1972年)、ボクシングファイターを描いた「レイジングブルー」(1980年)、イタリアマフィアの世界を描いた「グッド フェローズ」(1990年)を見ればその暴力の徹底ぶりがわかる。「ギャング オブ ニューヨーク」(2002年)など、アイルランド移民たちの手造りのナイフやナタで殺し合う血しぶきが飛び肉がちぎれるシーンなど、暴力描写が徹底している。
そして、今回の「ウルフ オブ ウォールストリート」では、無一文の男が事業に成功するとどれだけ馬鹿ができるかを徹底して描いてくれた。モデルだった美しい妻を持ち、子供たちに高い教育を受けさせ、家をいくつも買い、別荘、運転手付きのロールスロイス、自家用飛行機、船、とエスカレートしていき、ドラッグとアルコールをあびるように飲み、女遊びする。きりがない。ヌーボーリッチ、成り上がり者の俗物極致、金銭至上主義で、下衆の三流趣味。消費することが快楽でたまらない、消費中毒。人としての品性も、道徳も品格も、叡智もない。人格の尊厳も、上向志向さえない。でも、これがアメリカ人であり、アメリカの消費文化のなれの果てなのかもしれない。そういった男をスコセッシが徹底して描いた。

そんな男を演じたのは、ディカプリオ。「僕がこれだけのお金を手にしていたら環境保全のために使いたいよ。」と、のたまう、しごく真面目な役者だ。炭酸ガスを出さないバッテリー電池の自動車ハイブリッドが発売されたら、すぐに手に入れて売上宣伝に力を貸し、自然破壊を食い止めるための映画を自費制作した。この映画、アル ゴウ元副大統領の作った「不都合の真実」の影になって、あまりヒットしなかったが、カナダの環境保護活動家、デビッド鈴木博士のインタビューなどを含めた とても優れたドキュメンタリー映画だった。
環境保護活動家は、アメリカでは大企業から嫌われるから、スポンサーがつかない。ディカプリオは日本では人気があるが、アメリカでは実力に反して評価されずにきた、不遇の役者だ。映画史上最高の興行成績をあげた「タイタニック」を主演したにもかかわらず、相手役の女優ケイト ウィンスレットがアカデミー主演女優賞を取り、映画作品賞など、その年のアカデミー賞を総なめしたが、なぜか主演の彼だけが、何の賞も与えられなかった。「アビエーター」でも 相手役のケイト ブランシェットがアカデミー女優賞をとり、主演のディカプリオには、何も与えられず、また、昨年の「華麗なるギャッピー」でも、作品は受賞したが 主演の彼は、賞の候補にさえ挙がらなかった。ハリウッドでは、わざと彼だけを避けているのかと思えるほど、ディカプリオは、賞に関しては不運だった。今回のこの映画で、彼は初めてアカデミー主演男優賞の候補にされた。是非、受賞してもらいたい。「熱演」、というか、「怪演」している。

この原作を映画化する権利を、ディカプリオは、ブラッド ピットとの入札で競り合って獲得したそうだ。主役に求められる、「無教養で、節操のない上えげつない男」を、ディカプリオがやっても、ブラッド ピットがやっても、あきれるほどうまく演じたことだろう。
マーチン スコセッシは、この映画の前に、「デパーテッド」、「アビエーター」、「ギャング オブ ニューヨーク」、「シャッター アイランド」の4作で、ディカプリオを主役に使っている。よくできたコンビだ。中では、「シャッターアイランド」が一番好き。夢か現実か、わからない狂気の世界を彷徨うディカプリオがとても良かった。
スコセッシ監督の作品ではないが、「キャッチミー イフ ユーキャン」(2001年)という映画がある。高校生のくせに、ツイードのジャケットなど着て、先生に間違われれば、そのまま教壇で滔々と授業をやる。口がたつ天然の詐欺師だ。
今回の映画でも250人の社員を前に、演説を始めると熱が上がってきて、アジりまくる。彼のアジテーションに 社員全員が総立ちになり熱狂する。そんな役がとても 彼にはよく似合う。FBIが動き出したのを機に勧められて、社長業の引退を決意して、社員たちを前に涙ながら最後のあいさつをしていたのに、話し始めると止まらない。社員を叱咤激励するうちに、そうだ、引退なんか、くそくらえ。僕はこれからも仕事にばく進して、稼いで稼ぎまくるぞ ということになってしまって社員たちを熱狂の渦に巻き込んでしまう。このシーンが映画のクライマックスだろう。
金、女、ドラッグに固執する執念が、この男を駆り立てる。この役を演じたくて、版権を自分で買い映画化するのを待ち望んでいたディカプリオの執念が達成された。アカデミー賞受賞の価値はある。http://www.youtube.com/watch?v=AxFzStkGtX4

2014年1月26日日曜日

アイマックスで映画 「ゼロ グラビテイー」

                                      
映画「ゼロ グラビテイー」
原題:「ZERO GRAVITY」
監督:アルフォンヌ キュアロン
カメラ:エマニュエル ルベッキ
キャスト
ライアン ストーン博士  :サンドラ ブロック
マット コワレフスキー宇宙飛行士:ジョージ クルーニー

ストーリー
地球上空600キロメートル、空気も重力もない世界。
宇宙飛行士マット コワレフスキーと、メデイカルエンジニアのライアン ストーンは、スペースシャトルから出て、船外ミッションに携わっていた。ヒューストンから連絡が入り、ロシアの宇宙ステーションでミサイルが自国の人工衛星を破壊したので、大型の宇宙のゴミ(デブリ)が、拡散して危険が予想されるので、船内に入るように指示される。宇宙空間にはたくさんのゴミが浮遊しているが、そのほとんどのものは太陽の引力によって周りをまわっていても、小型で害を及ぼす前に自然消滅する。しかし、今回のゴミは大型らしい。マットとライアンが船内に入る準備をしているうちに、宇宙ゴミがライアンたちを直撃する。ライアンは宇宙空間に放り出されるが、マットに回収される。二人は、スペースシャトルに戻るが、シャトルは すでにダメージを受けていて、他の隊員は全員死亡している。

マットの判断で、900メートル先の国際宇宙基地に行くことになった。二人の宇宙服の酸素は限られている。二人とも酸素が十分でない状態で、国際宇宙ステーションにたどり着き、シャトルをつかもうとするが難しい。やっとのことでライアンの足が宇宙船の綱にひっかかり、取っ手を掴むが、マットはライアンのベルトに命綱をつけたままの状態で取っ手を掴むことができない。マットは、ライアン一人を救うために、自から命綱を離して宇宙空間に浮遊していった。ライアンは、宇宙船の中に入って、地球に帰還するために、ソユーズに乗り込むが、国際宇宙基地は火事が起きて、二つあるソユーズのうち、ひとつはすでに離脱している上、もう一つはパラシュートが開いてしまっている。ライアンは 再び船外に出て、絡みついているパラシュートを引きはがしソユーズで脱出を図る。ソユーズを発動させるが、今度は この燃料が切れかけている。

動転するライアンは、自ら綱を離して行ってしまったマットが、中国の宇宙基地、天宮に行くように指示したことを思い出し、160キロメートル先にある中国基地に向かう。壊れかけたソユーズの中でライアンは何度も生き残る希望を捨てたくなるが、不思議とマットが目の前に現れ、諦めないように見守ってくれた。中国基地が、見えて来た。ライアンは勇気を奮って、ソユーズから出て、自動消火器を噴射しながら宇宙空間で方向を変えながら、中国基地に 取り付くことができた。マットに言われた通りに、天宮の中に入り、中の宇宙船、神舟に乗り込む。起動させることに成功し、落下、分解して神舟は切り離されて、大気圏に突入、パラシュートが開いて湖に着水する。神舟は浸水して沈没するが、ライアンは水底から宇宙服を脱ぎ捨てて、泳いで浮かび上がり岸に泳ぎ着く。自分で呼吸ができ、自分の足で地の上を立つことができる地上に戻ったのだ。
というお話。

傍若無人なロシアが勝手にゴミをまき散らしたために、国際基地が破壊されて、ナサの生き残った飛行士が中国基地の助けを借りて無事地球に帰還することができた、でも中国製のソユーズの出来が悪くて粗悪品なので、地上にもどって、すぐに沈没してしまった。というなんだかアメリカ人の心情を表しているみたい。アメリカのドルが弱くなり、一方で強くなった中国の助けを借りなければ生存できなくなってきた。今のところロシアの影響下にいるより中国はアメリカ側に付いたほうが利益が多いといった米中ソ3国の国際関係を揶揄しているようで、おかしい。
映画の中で、ガンジーの写真が貼ってあったり、中国基地では、仏教の像が飾られていたりして、この映画に、近代技術の先端である宇宙科学が、どんなに発達しても精神的な支えが必要だというメッセージが込められている。でも、ブッダの像が、七福神のなんだかの神様だったので、ちょっと笑えた。

映画の登場人物がサンドラ ブロックとジョージ クルーニーの二人だけ。
無重力の宇宙空間に二人が浮遊する様子を どんな撮影技術で撮影したのか、誰もが知りたいところだ。ワイヤーでつるされた役者のまわりをカメラが回り、同時に、音響効果を狙って音源も同時のまわしたのだという。それで、宇宙空間を浮かんでいるような不思議な音が、あちこちから聞こえるような気がしたのだろう。無重力の世界で、聴覚と視覚が冴え渡る。
二人の役者は 撮影にあたって、5か月間 特殊装置の中で演技をする訓練をしたそうだ。カメラマンのエマヌエル ルベッキは、「ライトボックス」という、360度LPライトで囲まれた大きな箱を作り、その中で役者に演技をさせたそうだ。ここでは360度どんな角度からもライトを当てることができる。中で演技する役者を、影のできない3Dの立体像で映し出すことができる。この箱をサンドラ ブロックの名を取って「サンドラ ボックス」と撮影隊は呼んでいたそうだが、1日10時間も中で演技を続けるサンドラにとっては、大変な重労働だったようだ。子供の時からクラシックバレエをやってきたサンドラの柔らかい体がこの役を演じるのに役立ったという。インタビューで彼女が、「手を上げたり足を曲げたりする、ひとつひとつの動作のために50人の技術者が働いて居る。独創的な装置のひとつが動かなくなっても、上空に吊るされている自分が落下して命はなかった。」と、撮影の大変さを語っている。49歳のサンドラ ブロックの贅肉ひとつない少年のような体に好感を持ったのは、私だけではないだろう。役者は体が命、というが、彼女のような肢体を長年維持してきた役者は立派だと心から思う。

映画が始まって終わるまで、はらはらし通しの緊張を強いられる映画だ。
でも充分、宇宙遊泳を楽しむことができた。重力のない世界で移動する、浮遊する楽しさを3Dで、アイマックスの大きな画面で体験できて とても幸せ。ずっとこの映画を観たかった。でもなぜかシドニーでは、あまり上映中は話題にならなくて、夜6時からの上映ばかりで、見逃していた。今年のアカデミー賞で最多10部門でノミネートされたおかげで、アイマックスで上映してくれたので、とても嬉しかった。シドニーのアイマックスは世界一大きい。縦29,42メートルで、横35,73メートルの巨大スクリーンだ。高価な70ミリのフィルムを使うので、製作費用もかかるという。広い視野角によって、映画の中に居るような感覚にするために、座席が ひどく急こう配になっている。階段がだめなオットは、席にたどり着くのに半死状態になった。チケットは普通の映画の3倍くらい。でもそれだけの価値はある。

3Dで空を飛ぶ体験を「アメイジング スパイダーマン」で経験した。スパイダーマンの伸びる粘りを利用して夜のニューヨークの高層ビルからビルを飛び移る、、、耳元に風が鳴るような爽快な体験だった。今回の宇宙では無重力を浮遊するおもしろさを体験した。600キロの距離だから 地球が目前に大きく見えて美しい。太陽の周りを正しく回っているときは良いが、いったん軌道を外れると宇宙は底なしの暗さで、恐ろしい。宇宙散歩といっても自由に動けるわけではないから骨が折れる。貴重な体験だ。こんなに素敵な映画を、つまらなかった、という人が居て驚いた。カーチェイスもなく銃撃戦もなく痴話喧嘩もない。つくずく映画を楽しめるかどうかは、その人の想像力に罹っている、と思う。宇宙空間に放り出される画面を見て、自分自身にそれが起きているかのように、想像できるかどうかだろう。だから物語に想像力をかきたてられない人は、気の毒かもしれない。

宇宙飛行士の日記で、スペースシャトル内の無重力状態にいるときに、排尿排便はバキュームクリーナーのような装置を使うが、下手すると無重力の空中に拡散してしまって回収するのが大変だ、と書いてあるのを読んだことがある。うーん。大変だ。浮かんでいるのも楽ではない。
宇宙葬というのもある。亡くなった人のお骨を宇宙に打ち上げて しばらくの間地球を回っているのを地上から見上げて亡くなった人を偲ぶらしい。しかし、今回のような映画を観ると、宇宙のゴミを増やすのももう止めておかないとゴミだらけになってしまうので、自粛したほうが良いかもしれない。

地球に大きな彗星が衝突して、地球の自転の速さが遅くなってしまったら、赤道に近付けば近付くほど無重力状態になるのではないか。そう考える科学者が、島田荘司の小説「アルカトラス幻想」に出て来た。だから、巨大恐竜が、重い体重でも重力がなくて生存できたのではないか、と推測する。これはおもしろかった。

地球には重力があるから歩いたり立ったりすることができる。と教わったときの驚きと興奮がよみがえる。重力のない世界で宇宙の果てには、どんな光景が待っているのか、科学への強い興味と関心が奮い立つ。科学の世界に、想像が尽きない。夜空を見上げて、しばし立ち尽くす。
今年のアカデミー賞、10部門でノミネートされている。素晴らしい映画だ。

2014年1月20日月曜日

映画 「アメリカン ハッスル」

                 


原題:「AMERICAN HUSTLE」
監督:デビッド ラッスル
キャスト
クリスチャン ベール
ブラッドレイ クーパー
エイミー アダムス
ジェニファー ロレンス
ジェレミー レナー

こんなに楽しい映画を久し振りに見た。愉快で楽しくて、痛快で心が躍る。
この映画を監督したデビッド ラッセルの前作「世界にひとつのプレイブック」では、ブラッドレイ クーパーとジェニファー ロレンスが不思議な恋人同士を演じたが、ジェニファー ロレンスがアカデミー主演女優賞を受賞した。また 同じ監督の「ザ ファイター」では、クリスチャン ベールと、エイミー アダムスが主演して、クリスチャン ベールがアカデミー助演男優賞を受賞した。今回、この映画で、クリスチャン ベール、エイミー アダムス、ブラッドレイ クーパー、ジェニファー ロレンスの主演俳優の4人が4人ともアカデミー賞ににノミネートされている。4人というか、ジェレミー レナーも含めて主演の5人がみんなとても芸達者で、生き生きしていて素晴らしい。それぞれの役者の味を心得ている監督なのだろう。

ストーリーはアブスキャム事件という、1979年に起きた大掛かりな収賄事件を扱ったもの。ニュージャージーで知事が人気取りのために大型娯楽施設やカジノの建設を計画し、業者からわいろを受け取った。上院議員と5人の下院議員がFBIのおとり捜査によって逮捕されて有罪となった。このおとり捜査には、男女のプロ詐欺師がFBIに協力した。バックには、イタリアマフィアの資金が関わっているから、おとり捜査も決死の覚悟がいる。実際にあった、この事件をミステリー風に怖いストーリーにすることも、ドキュメンタリータッチでまとめることもできたが、デビッド ラッセル監督は、5人の芸達者な役者を使って、洒落とユーモアで、面白おかしく上手に仕上げた。

プロの詐欺師カップルには、クリスチャン ベールとエイミー アダムス。彼らの弱みを握ったFBIのブラッドレイ クーパーが、二人の詐欺師に刑事罰を科さない代わりにおとり捜査に協力させる。FBIと詐欺師にまんまと引っかかるのが 市長のジェレミー クーパーという役回りだ。
同じような筋書で「ステイング」(1973年)という映画があった。「明日に向かって撃て」のポール ニューマンとロバート レッドフォードの二人が一番輝いていた時期の映画。二人ともうっとりするほどの男前だった。シーンが変わるごとに、つっかえとっかえ新しい三つ揃いのスーツをビシッと着て 洒落た帽子姿でハンサムなふたりが現れるたびに 深い深いため息が出た。とてもお洒落な映画で、ふたりとも格好が良すぎた。この映画を意識してか、意識しないでか、今回の「アメリカンハッスル」では 詐欺師のクリスチャン ベールが全然恰好が良くない。衝撃的な姿で出てくる。「バットマン」でも「ターミネイター」でも主役で男の中の男が、どうしてどうしてハゲでデブになって出てくるの。心臓が止まるかと思った。

かねてからクリスチャンべールの役者造りへの執念、というか役へののめり込み方は、普通ではない。「マシ二スト」(2004年)で 役のために30キロ痩せて、183センチ、54キロの体重になった。その半年後には、「バットマン ビギンズ」を演じるために体重を86キロまで戻し、また「ザ ファイター」では13キロやせてボクサーになった。役のために髪を抜いたり、歯を抜いたり、もう残酷物語か、我慢大会みたいだ。そのクリスチャン ベールが、この映画でハゲでデブな上、うさんくさい中年のおっさん詐欺師をやっている。彼はこの映画を主演するにあたって、当時の本当の詐欺師、メル ワインバーグ、89歳のところに行って、3日3晩 一緒に過ごしたそうだ。映画の中で、彼がエイミー アダムスとデューク エリントンのLPに二人してうっとり聞き惚れて涙ぐむシーンは、笑える。しかし、このおっさんが只者ではない。頭の切れるエイミー アダムスとコンビを組んで次々に詐欺を働き、女性フェロモンぷんぷんんのジェニファー ロレンスを妻に持ち二人の女を巧に操作している。エイミー アダムスに愛想を尽かされても大丈夫、しっかり心までつかんでいるから必ず彼女は帰ってくる。

エイミーアダムスとジェニファー ロレンスの愛人と妻との女トイレでの大喧嘩がすごい迫力だった。うーん。全くジェニファー ロレンスには負けます。こんな良い女には、誰にも勝てない。しかし女達の決死の争いに思わず笑い出してしまう。この明るさは、一体何だ。
FBIのやり手捜査官、ブラッドレイ クーパーがシーンが変わるごとに素敵なスーツ姿で現れる。スタイリッシュで頭が良くてカーリーヘアが愛らしくて、颯爽としている。そのエリート捜査官が、意外や意外にも 本当はメキシコ人で、貧困家庭に育っているという設定もひねりがあって面白い。彼が自宅のアパートに帰れば、所せましとスペイン語しかわからない母親や婚約者や、兄や姉の子供たちが一緒に暮らしていて所構わず走り回っていて混沌世界だ。妻の尻に敷かれているクリスチャン ベールに愛想をつかせて、FBI捜査官に乗り換えようとしたエイミー アダムスが、ラブシーンで、相手に自分の本当の姿を知ってもらいたくなって、「本当のことを言うと私メキシコ人なの」、と告白したとたんに、ブラッドレイ クーパーが度しらけて、「その英国人アクセントは何なんだよ。何だってイギリス人じゃないのか。」とぶっちぎれて女に怒りをぶちまけるシーンも大笑いだ。

ニュージャージーの知事に、「ハート ロッカー」のジェレミー レナーが出てきて、悪者のはずが、結構たたき上げの苦労人で 人の良い5人の子供のお父さんで、よくわきまえた妻をもった情に厚い男だった姿も笑える。最後に自分がおとりになって知事をだましたくせに、泣いて謝るクリスチャン ベールの格好の悪さ。まったく、だましたほうも、だまされた方も泣きながら情けタラタラな姿の大笑いだ。
カメオ出演で、ロバート デ ニーロまで出てくる。イタリアマフィアの親分だ。70歳、映画界には「デ ニーロ アプローチ」という言葉がある。「レイジングブル―」(1980年)でボクサーを演じるために体重を20キロ増やし、「アンタッチャブル」(1987年)で髪を抜き、「ゴッドファーザー」(1974年)でシチリアに住み着き、「タクシードライバー」(1976年)のためにニューヨークで本当のタクシードライバーをやった。徹底した役者造りをする人で、クリスチャン ベールの役作りのモデルにもなっている。貫録のデ ニーロが出てくるだけで、この映画がよく調味料の効いた仕上がりになっている。

この映画、もう とにかく5人が5人とも格好が悪くて笑えて笑えて仕方がない。楽しくてとっても愉快。10部門でアカデミーにノミネートされているというが、納得できる。ハリウッド映画の良さを堪能させてくれる。見て、損はない。

2014年1月18日土曜日

映画 「ザ ブック シーフ」(本泥棒)

   
http://www.rosevillecinemas.com.au/Movie/The-Book-Thief
原作:「THE BOOK THIEF」 マルクス ユーサック
監督: ブレイン パーシバル
キャスト
養父ハンズ:ジェフリー ラッシュ
養母ローザ:エミリー ワトソン
ライゼル  :ソフィー ネリス
ルデイー  :二コ ラースク

ドイツ系オージー作家、マルクス ユーサックのベストセラーを映画化した作品。作家はまだ若い人でメルボルンに住んでいる。自分が祖母から子供の時から聞かされてきた体験談を、自分だけのものにしておくのが惜しいので、少しでも多くの人と共有したくて、6年あまりかかって小説という形で完成させた、という。原作は、若い人のみずみずしい感受性が現れた詩のように、美しい文章で描かれている。

ストーリーは
1938年、ドイツ。ヒットラーを総督とする軍部の力が日に日に増強している。公然と赤狩りが行われ、共産主義者や自由主義者が、地下に潜伏しなければならなくなっていた。共産党の活動家だった両親は、二人の子供を養子に出すため汽車で移動中だったが厳しい逃亡の末、男の子は病死する。残った13歳の女の子ライゼルは、ベルリンの街に着き、無事に養父養母に引き取られる。男の子を引き取るつもりでいた養母ローザは、ライゼルを見て落胆を隠さない。いつもガミガミ夫やライゼルをしかりとばしているばかりの養母の態度に傷つくライゼルだったが、養父ハンズは優しく、ライゼルを一人前の女性のように扱ってくれた。

ライゼルは13歳になるのに字が読めない。隣の家の仕立て屋の息子ルデイーは、ライゼルといち早く仲良くなり、字が読めずに学校で馬鹿にされるライゼルに親切にしてくれる。二人はすぐに無二の親友同士となる。養父ハンズはペンキ屋だった。家は貧しく、養母はお金持ちの家の洗濯物を引き受けて小銭を稼いでいた。貧しくて家族の食費捻出にも苦労していたこの家庭に、ある夜マックスというユダヤ人の青年が助けを求めて転がり込んでくる。栄養失調で衰弱していて介護が必要だ。養父とマルクスの父親とはかつての戦友で互いにどんな時でも、どんな状況に陥っても互いに助け合うと誓った中だった。ハンズとローザは迷いなくマルクスを迎い入れて、かいがいしく世話を焼く。マックスはやがて回復して、ライゼルの読み書きの勉強を助けて、頼もしい話し相手になる。

ライゼルは本が読めるようになって嬉しくて、本が好きで好きでたまらない。しかしナチス軍政を支える市民は、軍に忠誠を誓うために街に本を持ち寄って焼きつくすイベントを繰り返していた。今や文学などに浸っている時期ではない、ヒットラーのナチスドクトリンだけを読んで強いドイツを統一しよう、という社会運動が広がっていた。ライゼルもルデイも いやおうなく学校からこういった市民の集会に参加して、ヒットラーを讃える合唱曲を何の疑問もなしに歌うが、内心では、ライゼルは、焼かれていく本を見ていて、ひとりで胸を痛めていた。本が読みたい、今まで知らなかったことを沢山教えてくれる知識の源を、もっと自分のものにして心を豊かにしたい。ある夜、ライゼルは、街で焼かれた本の山から一冊の、まだ焼却されていない本を盗んで自分のコートに隠して持ち帰る。そこを車に乗った夫人に観られてしまった。それが、あとで養母ローザの洗濯物を届けに行ったときに、市長夫人だったことがわかって ライゼルは、叱られるのではないかと怯える。しかし、市長の妻はライゼルを自分の家の図書室に導いて、いつでも本を読みたいときに訪ねてきて良いと言ってくれた。本を自由に読むことを許されてライゼルは嬉しくてたまらない。家に帰れば読書好きの自分を温かく見てくれる養父ハンズが居り、何でも知っているユダヤ人のマックスが居てくれる。ライゼルは幸せだった。

しかしマックスが隠れる地下室は冷たく湿気が多い。隠匿生活も2年を過ぎるとマックスは重い肺炎になって死線を彷徨う。ライゼルは毎日マックスの枕元で本を読み聞かせた。彼は何の反応も見せない。しかしライゼルは物語が人の命を保つための気力を与えてくれると信じて、祈るような気持ちで、毎日市長の家から本を持ち出してはマックスのために本を読んだ。家族の懸命な介護のおかげでマックスは奇跡的に回復する。

しかし戦争が広がり、ユダヤ人迫害が、日に日に激しくなっていた。ある日近所に住む青年がユダヤ人の血が混じっているというだけで、軍に引き立てられていった。ハンズはそれを見て、たまらずに軍人たちに向かって連行を妨害しようとする。その事件によって彼は反政府危険分子のレッテルを張られて、すでに中年を過ぎて老年に達しているのに兵役に徴兵されて前線に送られる。地下に隠れていたユダヤ人のマックスは其れを機会に、家族の安全のためにひとり出ていく。
しばらくして、ハンズは前線から傷を負って帰ってくる。やっと家族がそろって過ごせる幸せも、長くは続かなかった。ベルリンの街が爆撃され、ハンズの家も直撃弾を受け倒壊した。朝になって、ハンズとローザの冷たくなった遺体が掘り出される。ライゼルは夜中まで地下室で本を読んでいたため生きて、がれきの中から助け出される。しかしライゼルの目の前には、変わり果てた虫の息のルデイが横たわっていた。ルデイは力なくライゼルに微笑みかける。ライゼルは心から本心だったアイラブユーを彼に伝え、ルデイの消えていく命を抱きしめてキスをしたとうお話。

ライゼルは再び孤児になり、紆余曲折の末アメリカに渡り結婚して子供を産み、自分の経験を子供や孫に語り聞かせた。それを今は、オーストラリアに住む孫が書き留めて本にして、ベストセラーになった。
ドイツ人夫婦を演じているジェフリー ラッシュと、エミリー ワトソンという熟練役者が素晴らしい。エミリー ワトソンは100%ロンドン生まれのイギリス人だが、ドイツ人特有の 飾り気ない素朴でがさつで怒鳴り散らしてばかりいるが、強くて心は温かいドイツ人のおっかさんを演じている。100%オージーのジェフリー ラッシュも貧しいペンキ屋で自分たちが食べていくだけでも大変なのに、地下にもぐった活動家の娘を養女に迎え、見つかれば家族ごと処刑されるのを覚悟でユダヤ人を、二年間もかくまったりする、度胸のある頑固親爺をしっかり演じている。彼らの姿を見ているだけで勇気が湧いてくる。
主人公にライゼルを演じた13歳の役者、ソフィー ネリスの可愛らしいこと。この少女に恋する14歳の役者二コ ラースクも負けずに可愛らしくて、二人がかけっこをしたり、ナチ教条主義の同級生に虐められたりする姿に目が離せない。

ナチズムの波が徐々に 普通の市民の生活の中に浸透していく姿が恐ろしい。人々が物をいうのを控えるようになり、自由な行動をとらなくなり、互いに顔を見合わせながら押し黙っていく一方、軍人たちが自由自在にのし上がっていく様子が手に取るようにわかる。昨日の人が、今日になると別人のようにナチ礼賛者になっている。学校で組織化されたナチ少年隊が声高らかに威勢の良い歌を合唱し、本を焼き、軟弱者を虐める。昨日までサッカーボールを追いかけていた少年が、今日はナチ少年隊の制服に身を包みナチドクトリンを斉唱している。自分と同じことをしない少年を、臆病者と決めつけて暴力をふるう。異端者や落伍者を作り出して虐めることによって、集団を強化する。集団ヒステリーの中で自己陶酔する。
そういった先に、どんな結果が待ち構えているのか 私たちはすでに知っている。だから、それだけに時の力に巻き込まれて自分の口を閉ざしてしまうことの誤りを強く認識させてくれる。「本を焼く」という、長い人間の歴史を作り出してきた知の集積を否定するような社会を再びどんなことがあっても許してはならない。この映画では、ベルリンに戦時下暮らしたドイツ人家庭の姿を描くことによって、反戦を強く訴えている。とても良い映画だ。しみじみと、作者のおばあさんへの愛情が伝わってくる。

2014年1月8日水曜日

映画 「ザ レイルウェイ マン」(鉄道員)

                                       


原作:「THE RAILWAY MAN」 エリック ロマックス
監督:ジョナサン テプリスキー
英豪合作映画
キャスト
エリック ロマックス: コリン ファース
妻、パテイー    : 二コル キッドマン
若いエリック    : ジェレミー アーヴィン
ナガセ タカシ   : 真田広之
戦友 フィンレイ  : ステラン スカースガード
ストーリー
第2次世界大戦、1942年2月、シンガポール陥落とともに、英国軍は日本軍によって武装解除させられた。鉄道技師だったエリック ロマックスは、捕虜としてタイ、ビルマ国境に送られて、鉄道建設に従事させられる。強制労働に駆り出された捕虜たちは、炎天下のなかをジャングルを切り開き、充分な水や食料を与えられないまま長時間働かされ、マラリアに罹患したり、栄養失調で、数えきれないほどの死亡者を出した。

エリックは6人の仲間たちと、密かに部品を集め組み立ててラジオを作り、BBCの受信に成功した。また仲間とともに、強制キャンプから脱出する機会を待っていた。しかし、隠していたラジオ受信機が監視兵に見つかり、6人は厳しい体罰を受ける。中でもエリックは首謀者として、一人隔離されて激しい拷問を受ける。当時、日本軍は対、ビルマ国境地帯のゲリラ攻撃に手を焼いていた。エリックたちが受信機を通じてゲリラと連絡を取り合っていたのではないかと疑われていたのだった。エリックは、連打や水攻めの拷問を受けて、傷だらけになって仲間のところに生還した。それは、連合軍の勝利と、英国軍捕虜解放の直前のできごとだった。

戦争が終わり、エリックは故郷に帰り、鉄道技師として勤める。そして、今や、何年も月日が経ち、人々は戦争のことなど忘れたかのように見える。エリックは、もう若くなかったが、恋をして結婚する。いっときの幸せな新婚生活ののち、妻、パテイーはエリックが、夜中に悪夢にうなされて激しい発作を繰り返すことを知る。何が原因なのか、エリックは堅く口を閉ざして、妻に何も語ろうとしない。問いただすと、エリックは、ひとりきり閉じこもってしまう。パテイーはエリックの戦友のフィンレイに、夫に何があったのかを聞き出そうとする。フィンレイは、パテイーの度重なる懇願に、堅く閉ざしていた口を開いて、自分たちが捕虜として強制収容所で、ひどい拷問を受けたことを話す。それを聞いたパテイーは、捕虜だった過去の心の傷のために一生を棒に振ってはいけない、このままではエリックは廃人になってしまうと、考え、打開策を考える。フィンレイも、エリックが6人の仲間の犠牲になって、首謀者としてひとり激しい拷問を受けたことで、傷ついていた。

そんな折、自分たちが収容されていた捕虜収容所が いまは戦争記念館になっていて、ナガセという日本人がその館長を務めているという情報が入る。忘れようにも忘れられない名前だ。ナガセが拷問をした。ナガセは日本軍の英語の話せる数少ない通訳兵だったので、エリックたちに尋問と拷問を繰り返した本人だったのだ。フィンレイは恨みを晴らすために、この男を殺しに行こうと、エリックを誘う。しかしエリックはフィンレイにさえ、心を閉ざして協力を断る。エリックは孤独に耐えられなくなってついに自から命を絶つ。親友の死を知ったエリックは、彼に背中を押されるようにして、かつての収容所に向かう。年を取ったナガセに再会して、エリックはナガセを殺そうとする。しかし一切言い訳を言わないナガセに向かって、エリックはナイフを突き立てることができない。そして、ようやくナガセは語りだす。ナガセは自分が戦時中に侵した罪を償うために、記念館を維持することにしたのだという。エリックはイングランドに戻る。そして、数年後妻のパテイーを連れてナガセのもとを訪れる。二人は和解し、死ぬまで友人として互いに尊敬し合って生きた。 という本当のお話。

タイトルが「ザ レイルウェイ マン」(鉄道員)で、主演がコリン ファースだと聞いたときは、浅田次郎の短編小説、「鉄道員」(ぽっぽ屋)を思い浮かべた。この英国版で、高倉健の役をコリン ファースが演じるとしたら、ファースは適役だ。でも 違って、鉄道が好きで好きで仕方がない鉄道技師の戦争体験の話だった。
戦勝国オーストラリアに、敗戦国からきて暮らしていると、ときどき自分の居場所がないような気にさせられる時がある。それがアメリカだったら、「パールハーバー」だろうし、オーストラリアだと「タイ ビルマ鉄道」だ。1942年にシンガポールの陥落によって、捕虜となった連合国兵が3年半にわたって収容所でビルマ鉄道建設に従事させられた。鉄道建設の枕木の数だけ死者を出したと言われる、悪名高い鉄道建設だった。死者の多くがオーストラリア兵だ。オーストラリア兵の第2次世界大戦の戦死者17000人に対して 捕虜の死者は8000人に上る。その多くが日本兵によるサンフランシスコ条約違反した捕虜虐待によって死亡した。投降したにも関わらず、水も食糧も与えずに強制労働させた日本軍の罪は大きい。

映画のテーマは「赦し」だ。戦後何十年経っても未だに拷問されたときの恐怖心から逃れられない元捕虜と、直接拷問に手を染めた元日本兵、、、どちらも戦争の傷から治ることができないでいる。どちら側に立つ男も、戦争前には単なる市民だったのであり 戦争に巻き込まれ戦場という異常な状況に翻弄された、いわば被害者でもある。この映画は宗教を超えて、民族や思想を超えてエリックとナガセが和解できたのは、ナガセの心からの謝罪によるところが大きい。はじめに謝罪あり、だ。それなくして和解はない。

戦争がもたらす帰還兵の心の傷とトラウマは、深刻だ。日本のPKOがイラク派遣をしたとき、陸上自衛隊5500人、航空自衛隊3600人、連絡要員、幹部を含めると1万人近くが派遣された。一人の戦死者も出さなかったが、彼らの帰還後、陸上自衛隊員で19人、航空自衛隊員6人が自殺しているという。ー(半田滋「集団的自衛権行使は何を守るのか」)
アメリカではこのPTSD、心理的外傷後ストレス障害は、より深刻だ。戦争で仲間が残酷にも血を流しながら死んで行ったり、女子供を殺したり、孤立無援の場に置かれたり、恐怖に長時間さらされたりする経験を持って帰国しても、普通の生活に戻ることができない。パニック障害、うつ病、フラッシュバック、睡眠障害などに陥り自殺者も多い。米軍帰還兵の3分の1が PTSDに悩まされているといわれ、自殺率は男性兵士で普通の人の2倍、女性兵士では、普通の人の3倍の自殺率を記録する。イラク、アフガニスタン帰還兵220万人のうち、自殺者は、年間6500人で、戦死者よりも多いという結果が出た。

人は脆い、壊れものだ。人を殺して元の自分に戻ることはできない。
映画の中で、二コル キッドマンが、「彼に、もどってきてほしいの。」と夫の親友に訴える切実さが、光っている。それと、最後に元日本兵を殺しに行って何も果たせずに帰ってきた夫を全力で抱きしめながら妻が言う。「あなた、迷子になっていたのね。おかえりなさい。」とても共感を呼ぶ言葉で胸に沁みる。憎しみの海で迷子になっていた男が、赦すことを知って、元の自分に戻ってくる。長い長い旅が終わったのだ。

若いころのエリックを演じたジェレミー アーヴィンが好演している。コリン ファースや二コル キッドマンの熟練した演技に負けていない。真田広之がとても良い。日本人俳優の中では、一番きれいな英国英語を使える俳優だ。高倉健や渡辺謙などの全く聞き取れない英語とは比べようもない、きれいな英語だ。強い意志を持った男の良い顔をしている。

2014年1月7日火曜日

ダン ブラウンの「ロストシンボル」


           
私の大好きなダン ブラウンのラングルトンシリーズ、第4作目の「インフェルノ」について、2週間前に書評を書いた。第1作目「天使と悪魔」(2000年)、第2作目「ダ ビンチ コード」(2003年)、第3作目「ロスト シンボル」(2009年)に続いて出版された第4作目だ。
「天使と悪魔」も、「ダ ビンチ コード」も映画化されたので、書評というか映画評を映画を観た後、書いたが、「ロスト シンボル」だけは映画化されなかったので書評を書かなかった。いま読み返してみて、こちらのほうが新作「インフェルノ」より、ダン ブラウンの言いたいことが詰まっているような気がして、また、自分でどんな話だったか忘れないために、ここに書いてみる。
ストーリーは
ラングルトン教授がいつものようにハーバード大学のプールで50(!)往復して、朝6時に自宅に戻ると、父親のように敬愛しているピーター ソロモンから連絡が入って、いますぐにワシントンに飛んで連邦議会議事堂で基調講演をしてもらいたい、という。ピーター ソロモンは世界最大の秘密結社フリーメイソンの最高位に居る歴史学者で、スミソシアン協会会長をしている。彼がよこしたプライベートジェットに乗って会場に着くと、ラングルトンを待ち構えていたのは、無残にも切断されたピーターの右手首だった。

ラングルトンには見慣れたピーターの右手にはフリーメイソンの指輪がはまっていて、手指には謎の暗号が刺青されていた。時をおかず、マラークを名乗る男から、ピーターの命を救いたいならフリーメイソンの暗号を解読するように命令される。動揺するラングルトンのもとに、CIA保安局長サトウが部下を連れて到着し、国家の安全保障にかかわる重大事態なのでピーターの手首に入れ墨された暗号を至急解明し、犯人を見つけるように要請される。刺青の暗号を読み解きながら、ラングルトンとサトウは連邦議会議事堂の地下に入り、隠されていたフリーメイソンの「伝統のピラミッド」の台座を見つける。ラングルトンは、そこに来る前に、ずっと以前ピーターから預かっていた小さな包みを持ってくるように依頼されていた。包みの中にあるのはフリーメイソンにとって最も大切なシンボルだという。ピーターは安全のためにフリーメイソンの部外者であるラングルトンに預けていたが、これはフリーメイソンが組織化された時から、最高位のものによって大切に受け継いでいたもので、隠されていたピラミッドの台座の上に据えられるものらしい。ラングルトンは、ピラミッドを守り、ピーターを救い出すことしか頭にないが、CIAのサトウは犯人逮捕だけが目的のようだ。

一方、ピーターの妹で純粋知性科学学者のキャサリンは、ピーターを拉致した犯人マラークに襲われて危機一発のところで逃げ延びてラングルトンに救われる。二人はCIAから逃れ、マラークの行方を追いながら、ピーターの居所を探す。マラークはフリーメイソンの最高位のものにしか知らされていない「人類の至宝」を自分のものにしたい。しかしその至宝を得るためにはピラミッドを完成させて、そこに秘められている暗号を解くことなしに得ることができない。ラングルトンは重いピラミッドの石を自分のカバンに詰めたまま、キャサリンと政府機関の追及を逃れながらマラークを追う。しかし、右腕を切断されたピーターと、命を狙われるキャサリンは、マラークの魔の手に捕獲された末、知らされたことはマラークの出生の秘密だった。ピーターはフリーメイソンの秘密を守るために、母親を殺され、妹を傷つけ、結果として息子を失うことになったのだった。というお話。

ダン ブラウンの小説はすべて、「宗教」と「科学」が焦点になっている。「天使と悪魔」では、イルミナテイと、スイスにある欧州原子核研究所セルンという世界先端の科学研究所が出て来た。イルミナテイは17世紀にガリレオが創設した科学者たちの秘密結社だ。このイルミナテイがクリスチャンの最高峰ヴァチカンの新ローマ法王の候補者を一人ずつ殺していく。

「ダ ヴィンチ コード」では、聖書にあるイエスには実はマグダラのマリアという妻があり子があった、と述べる。強大な教会勢力は、それを抹殺しようとしてきた。科学者レイナルド ダ ヴィンチは、イエスの家系を守るために沢山の作品に暗号をこめて後世に託した。ラングルトンは、イエスの血を今日まで継ぐ家系を守リ、イエスの真実を継承する組織と出会う。キリスト教の女性観を改めて問う作品だった。

「インフェルノ」は、キリスト教にとっての地獄とは何か、という問いが先ずある。そして人口爆発しつつある地球を救うために不妊ヴィルスを世界にばらまく科学者テロリストの引き金が、ダンテの神曲、地獄篇に隠されている。

今回の「ロスト シンボル」は、フリーメイソンと最新純粋知性科学の対立と融合が焦点になっている。アメリカは、ヨーロッパで宗教の迫害にあった人々が新天地を求めて渡り、従来の偏狭なキリスト教ではなく、新しいキリスト精神の「自由」、「平等」、「友愛」、「寛容」、「人道」といった理念をもとに建国された。建国の父たちの多く、ジョージ ワシントン、ベンジャミン フランクリン、リンカーンなどが、フリーメイソンだった。フリーメイソン最高位のピーター ソロモンと妹のキャサリンは、アイザック ニュートンの「知識は聖書の中にある。」という言葉を人と神との融合という視点で捉える。連邦議会議事堂ドーム頂上の自由の像、ジョージワシントンが人から神へと昇華する象徴的な天井画や、3300ポンドの冠石が輝くオベリスクにも、人が神に、天が地に融合する象徴として考える。

従来のキリスト教はダーウィンの遺伝法則や進化論を否定して科学と宗教とは対立するもののように取られているが、純粋知性科学では、キリストは実際に病人を癒したことが科学的に証明できるとする。人が死ぬと魂が抜けだした瞬間に体重が減る。よく訓練された瞑想者には実際触れると治癒することができるパワーはあり、それを科学の力で証明することができる。魂には質量があり人の精神には質量がある、と言う。実に興味深い。
また、主題には関係ないが、本にでてくる興味深いエピソードのひとつに「国民の気分」というのが出てくる。9,11のあとアメリカ政府は、一般市民のメールや携帯のメッセージやテキストメッセージやウェブサイトをすべて傍受して膨大なデータフィールドを作ったが、そこからテロリストの通信に使われるコ―ワードがないか、探索した。その結果、国じゅうのデータフィールドに、特定のキーワードと感情を表す指標の出現頻度をもとにすることで、全国民の感情の状態を計測し、意識のバロメーターを知る「国民の気分」を判定することができる。というコンピューターおたくの会話だ。これが巧みにできれば政府は簡単に国民の感情操作さえ できるようになる。使い手によっては、選挙や商品の購買、株式市場にまで利用して操作することができる。うーん。コンピュータテクニックはそこまで来ているのか。

最新作「インフェルノ」をイタリアの地図を見ながら読むと面白さが増す。この「ロスト シンボル」では、ワシントンの地図だ。ラングルトンとキャサリンが命からがら逃げ回りながら拉致犯を追い追われるドキドキハラハラを、もっと切迫した気分で読む為には地図が必須。ワシントン記念塔、ワシントン国立大聖堂、スミソソシアン博物館、ホワイトハウス、テンプル会堂、連邦議会議事堂、議会図書館、リンカーン記念堂、ジェファーソン記念堂、カロラマハイツ、そのひとつひとつの建物や場所に秘密や謎があって、それをラングルトン教授が逃げたり隠れたり追ったりしながら講義してくれる。ラングルトンの知識の豊富さにはいつもながら感服。でも彼は教授というだけではなくてユーモアを忘れない。
例えば、フリーメイソンが、髑髏と大鎌の横で瞑想することを、気持ち悪がったCIAサトウに向かって、彼は言う。「気味の悪さにかけてはキリスト教徒が十字架に貼り付けになった男の足元で祈るのも、ヒンズー教徒がガネーシャと呼ばれる4本腕の象の前で詠唱するのもいい勝負ですよ。あらゆる偏見はその文化特有の象徴を誤解することから生じるんです。」とさらり言う所など、憎い。何でも知っていて、頭が切れて、インデイアナ ジョーンヅより格好が良くて、イケメンな教授、、、惹かれないわけがない。「インフェルノ」の映画化が着々と準備されていて、ダン ブラウンの筆も冴えている。映画も、次作も楽しみだ。

2013年12月24日火曜日

ダン ブラウンの 「インフェルノ」

            


ダン ブラウンが大好き。
彼の書くロバート ラングルトンが大好き。
ラングルトンほど素敵で、優れた観光ガイドは他に居ない。尽きることのない豊富な知識、過去の歴史をそらんじていて、ラテンを含む数か国語に通じていて、難解な暗号を読み解く。ハーバード大学教授だが、象牙の塔にじっとしていることなく行動派で、気が付くとインデイアナ ジョーンズなみに冒険の旅に出ている。フェミニストだが、女たらしではなく謙虚で紳士。いつもイニシャル入りの特注手縫いのハリス ツイードを着ている。男の魅力の塊みたいなロバート ラングルトンを生み出した作家、ダン ブラウンは1961年生まれのアメリカ人。父は数学者、母は宗教音楽家、妻は美術史研究者という。

2003年に「ダ ヴィンチ コード」の出版を機会に、世界的なベストセラー作家となり、その前に出版していたが売れていなかった、2000年「天使と悪魔」も 一挙にベストセラー入りした。ロバート ラングルトンシリーズ第一弾の、「天使と悪魔」は、キリスト教のイルミナリティ組織と、聞いたこともなかった科学技術の「反物質」が出てきたし、「ダ ヴィンチコード」では、レオナルド ダ ヴィンチの絵に隠された暗号を読み、イエス キリストの今まであまり語られることのなかった挿話が描かれた。2009年の「ロスト シンボル」では、フリーメイソン組織の秘密性を暴き出した。出版されたばかりの2013年「インフェルノ」は、ラングルトンシリーズの第4作目となる。10月に出版され、11月末に日本語訳で出版された。11月初めに予約してあったが、遅れて手元に着いたのは12月半ばになった。待ちに待った本だ。

2015年には映画化が決まっている。またラングルトンをトム ハンクスが演じるらしいが、原作に描かれているラングルトンは トム ハンクスよりもずっと魅力的な男で、作者ダン ブラウンの姿に近い。作者はハンサムで実にチャーミングな人だ。だから熱狂的なラングルトンファンはそのまま ダン ブラウンファンになって、両者を常に混同する。彼はインタビューで私生活を一切語らないマスコミ嫌いなので、ファンは一層 想像力をかきたてられてダン ブラウンをラングルトン以上のスーパーマンかバットマンのように思いがちだ。実際には、毎朝4時にはキーボードに向かい、お昼まで執筆を365日するし、10ページ書いては、1ページを除いて捨てるような地味な作家だそうだ。
今回の「インフェルノ」は、ダンテの叙事詩「神曲」第一部の「地獄篇(インフェルノ)」が、謎解きになって、地球の人口増加現象が語られる。ラングルトンは殺人者に追われながら フィレンツェ、ベネチア、イスタンブールを駆け回る。いつもの通り、美人の協力者と一緒だ。おもしろくてドキドキしながら650ページを一気に読める。

ストーリーは
ハーバード大学宗教象徴学教授ラングルトンは、目が覚めると頭に包帯、点滴でつながれてフィレンツエの病院に居る。どうして自分がイタリアに居るのか全く記憶がない。頭にぐるぐる巻かれた包帯は一体何だ。シエナ ブルックスと名乗る金髪の美しい女医に、自分に何があったのか、事情を聞いている内に、突然外が騒がしくなり病室のドアが開くと、シエナの同僚のマルコーニ医師が、突然闖入者によって撃ち殺される。とっさのシエナの機転で、ラングルトンはシエナのあとについて逃亡。バイクに乗った黒ずくめのプロの殺し屋の追跡をかわしながらラングルトンは、どうして自分が追われなければならないのか理由を考える。ラングルトンが何をしたというのだ。

シエナがラングルトンのハリスツイードのジャケットの裏地に縫い込まれた円筒を見つける。ダンテの「神曲」を描いたボッチチェリの「地獄の見取り図」だ。しかし、おかしなことに、この見取り図は、原画にない暗号がついていた。ラングルトンとシエナは暗号が何を指示しているのか、知るためにヴェッキオ宮殿に侵入、ダンテのデスマスクを盗み出す。シエナは驚くべき高い知能を持った女性で、何度も彼女の知恵と機転に助けられながら逃亡、銃口から逃れながら、なぜ自分の命が狙われるのか必死で考える。デスマスクにはさらに謎の暗号が仕組まれていた。それを解くために二人はサンタマリア デルフォーレ大聖堂、ベネチアに飛んでサン マルコ大聖堂を彷徨った末、目的地が、意外にもイタリアではなく、イスタンブールだったことに気が付く。しかし、追っ手によって二人は分断されてしまい辛うじてシエナを逃がしたラングルトンは、敵に捕獲されてしまう。シエナは、先にイスタンブールに向かう。しかし、殺し屋と思っていたラングルトンの追っ手は、実は国際機関WHO議長ドクター エリザベス シンスキーとそのチームだった。シンスキーは説明する。

スイスの大富豪で生化学者ベルトラン ゾブリストは地球上の人類から人口爆発を食い止めるために、生物化学兵器ともいえる病原菌を仕掛けた。ダンテの熱狂的ファンでもあるゾブリストは暗号で病原菌を隠した場所を暗示するだけで、自から死んでしまった。彼は1300年代にペストがヨーロッパの人口の3分の1を死に追いやったことで、生き残った人々が豊富な食料を得てルネッサンスの原動力になった歴史的事実を、高く評価していた。そして世界人口がこのまま増加すれば 資源も枯れ葉てて世界は滅亡するの違いないので、世界人口を3分の2に間引くため病原菌を仕掛けたという。この科学者の残したダンテにまつわる暗号を読み解いて一刻も早く病原菌を回収しなければ人類の危機に陥る。3日前にWHOからラングルトンは、病原菌を隠した場所を示す暗号を解くように要請されていたが、事故で記憶を失っていたのだった。

ラングルトンらの一行はイスタンブールに飛ぶ。ラングルトンの協力者だと思われたシエナは ゾブリストの恋人だった女で、ラングルトンが解いた暗号をさらに読んで、病原菌の隠された場所にすでに向かっている。ようやくのことで、ラングルトンが突き止めた病原菌の場所は、観光客に人気のスポットで、その夜はイスタンブール国立交響楽団がコンサートを開いていた。演奏曲目は、フランツ リストの「ダンテ交響曲」。病原菌がばらまかれるまで数時間しか残っていない。ラングルトンは、、、。
というお話。

ダン ブラウンを読ませる力は「知」への欲求だ。彼の本は、知の集積というか、ハーバード大学の講義を聴いているようなものだ。ラングルトンはいつも追われながら、世界各地にある建造物や美術品の歴史的価値や構造や特徴や現代における価値を説明してくれて、さらに今まで誰も述べてくれなかったような不可解な古代の象徴に秘められた暗号や、本当の意味や価値を読み解いてくれる。旅行者には興味があっても行ったり、触れたりすることができない奥の部屋や、地下や、からくりのあるドアや、天井の作りまで、ラングルトンが逃亡しながら足を踏み入れてくれるので、知ることができて、自分が前に訪れて、見て聞いた観光名所に さらに愛着が増す。
例えば、ミケランジェロのフィレンツエ、ヴェツキオ宮殿のミケランジェロの傑作「勝利」の像は、ローマ教皇ユリウス2世の墓を飾る為に作られたが、同性愛を憎んだユリウスの心情に反して、像のモデルはミケランジェロが長年愛したカヴァエーリという青年だった。ミケランジェロは彼のためにいくつものソネットを書いている。というエピソード。
またヴェネチアのサン マルコ大聖堂を飾る4頭の馬は、漆黒のオランダ馬フリーシアン種がモデルで歴史上最も盗難にあった美術品といわれる。無名のギリシャ人によって製作されたがビザンチン帝国皇帝によってコンスタンチノーブルに持ち出された。その後十字軍がコンスタンチノーブルを陥落させるとヴェネチアに運ばれて、1254年にサン マルコ大聖堂に設置される。そして500年後にナポレオンがヴェネチアを征服すると、4頭の馬はパリに運ばれて凱旋門を飾り、ナポレオンが破られると再び、ヴェネチアに運ばれた、というようなエピソードは、実際、この巨大な4頭の馬を観たことのある人には、たまらなく興味がわく。

ラングルトンが説明してくれたイスタンブールの「沈んだ宮殿」に上下さかさまに置かれているメヂューサの巨大な大理石でできた頭を一度見てみたい。360年に建造されて、東方教会となりモスクに変わり、いまはキリストも、アラーも、モハメドもいるという「アヤソフィア」も、是非訪れてみたい。こうして、ラングルトンが解説してくれる名所や建物は、本の出版後必ず人気の観光名所になるそうで、各国の観光相からどんなに感謝されてもしきれないだろう。
この本に出てくる、フィレンツエのサンタ マリアデルフォーレ大聖堂、天国の門、サン ジョバンニ洗礼堂、ダンテの家、サンタ マルゲリータ デイ チェルキ教会、ヴァザーリ回廊、、ヴェッキオ宮殿の五百人広間、ポルタロマーノ美術学校、ボーボリ庭園、ヴェキオ橋、ヴェネチアのムラノ島、サンタルチア駅、大運河、水上バス、などなどラングルトンの解説は 月並みな旅行解説本と違っていつも興味を倍増させてくれる。ラングルトンを、「走り回る旅行ガイド」と言った人が居たが、的を得ている。
とにかく面白い。
「ダヴィンチコード」に比べると、驚きは少ないが、充分満足だ。

2013年12月19日木曜日

映画 「リスボン行き夜行列車」

                            


原題:「NIGHT TRAIN TO LISBON」
監督:ビル オーガスト
原作:パスカル メルシェル
キャスト
レイモンド  : ジェレミー アイアンズ
ステファ二ア:メラニー ローレント
アマデウ  :ジャック ハストン
アドリアナ :シャーロット ランプリング

ストーリーは
舞台はスイスの美しい街 ベルン。
ラテン語学者の高校教師レイモンドは、何年も前に妻が出て行ってから、毎日判で押したように平凡で何の変化もない生活をしてきた。朝起きて、高校で講義をして、帰宅してから眠るまでの間、ひとりチェスを楽しみ、毎晩決まった時間に床に就く。何の変化もないひとりの生活に、何の不満もない。

ある雨の降る朝、いつものように高校に向かう途中の橋の上で、赤いコートを着た若い女が橋の欄干に立ち、いまにも身を投げようとしているところに出くわした。レイモンドは夢中で走っていき、女を抱きかかえて急場を救う。放心したままの女は、そのままレイモンドの後をついてきて、彼が講義をする教室に入ってきて、レイモンドに言われるまま席に着く。しかし、女は、しばらくすると脱いだ赤いコートを置いたまま無言で教室を出て、姿を消す。慌てて、レイモンドはコートを掴んで、あとを追うが女の姿を失ってしまう。コートのポケットには、一冊の本が入っていた。ポルトガルの哲学者で詩人だったアマデウ ド プラドの本だった。そして、その本にはリスボン行の汽車の切符が挟まれていた。期日を見ると、あと15分で出発する切符だった。レイモンドは、そのままプラットホームに向かう。しかし、切符を買った主はやってこない。川に飛び下りて死のうとしていた女は現れない。レイモンドは迷った末、そのまま汽車に乗り込んでしまう。

アマデウ ド プラドは医者だったが、彼が書いた本は、きわめて哲学的な深い思索に富んだ内容で魅力に満ちていた。美しい詩的な文体で自己哲学を語っている。レイモンドは、本に引き込まれるようにして読んだ。読めば読むほど、アマデウの生涯に興味がわいてくる。この作者と身投げしようとしていた女とは、どう関係があるのだろうか。本の出版先はアマデウの自宅になっている。レイモンドはリスボンに着くと、宿をとり、さっそくアマデウの家を訪ねる。出てきたのは、アマデウの姉だった。アマデウは生涯でたった1冊、この本を書き、それを100部しか出版しなかったという。しかしアマデウのことを語る姉の口は重い。あたかも、アマデウの生涯が秘密だとでも言っているようだ。結局大した情報を得られないままホテルの帰る途中、レイモンドは自転車に衝突して眼鏡を割ってしまう。眼鏡屋で、新しい眼鏡をあつらえるあいだ、検眼士のマリアに、アマデウについて語る。するとマリアが意外なことに自分の叔父がアマデウと親しかった、という。

レイモンドはマリアについて、老人ホームにいる叔父に会いに行く。しかし、叔父はアマデウの名前を聴いただけで 怒り狂って二人をホームから追い出す。レイモンドはアマデウを生涯を調べるために、アマデウのかつての教師でその葬式を行った神父に会い、その糸口から彼の親友だった薬剤師を訪ねる。しかし、みんな一様にアマデウと聞くと、口を閉ざし、何も語ってくれない。過去に何があったのか。
徐々にわかってきたことは、レイモンドが会って話を聴こうとした人々がみな、アマデウも含めて、むかしのアントニオ サラザール独裁政権のときの地下活動家だったことだ。そして、ついにレイモンドは一人の女を同時に愛した活動家たちの、語りようもない苦い経験に、たどり着いたのだった。レイモンドの前に赤いレインコートで身投げしようとした女が現れる。彼女はアマデウの孫だった。
事情がすべて解明できて、レイモンドはやっと 重い荷物を下ろしたような気持ちになって、スイスに戻るために準備をする。アマデウの謎ときに、ずっと付き添って、道案内やレイモンドの力になって支えてくれたマリアとも別れの日が来た。リスボン駅で、汽車に乗る前、マリアに何と言ってよいかわからず言葉が出ないレイモンドに向かって、マリアは言う。「あなたはここまで来たのよ。今度は私のために、どうしてここに留まってくれないの。」
というお話。

映画ははじめ、初老の男の退屈な日常を延々と映し出す。そして、画面が突然、橋から飛び降りようとしている真っ赤なコートを着た女に変わる。ここから急に、画面のテンポが速くなり、ミステリーのはじまり、はじまり、、、という流れが出てきて見ているのが嬉しくなる。レイモンドが慣れない外国で地図を見ながら探し当てる人々が、みんな影のある人たちで、多くを語らない。そこに観客は引きずり込まれてしまう。なぞがいっぱいで、おもしろくてわくわくする。出だしも、ストーリーの広がり方も良い。
ところが期待させてくれた割に、結論が貧弱でがっかり。作者は飽きっぽい人なのではないだろうか。次々に登場人物を出してきて話が広がっていくあいだは、興味津々だが、あと200ページくらいで徐々に結論に導いていかなければならないところを、だんだん面倒になってしまい20ページで終わりにしてしまった という印象なのだ。とても残念。
推理小説も読んでいるときが一番幸せだ。犯人はあれでもない、これでもない、事件をこうしてみるのがよいのかどうなのか、と、考えながら注意深く読み進めるときの嬉しさ、わくわく感に比べたら、結論が出てしまったあとの推理小説ほどばかばかしいものはない。この映画がまさに、それだ。ミステリーぽいのに、ただのメロドラマだった、というがっかり感は大きい。ミステリーとしてもロマンティックストーリーとしても、中途半端で成功していない。

リスボンの街がとても素敵だ。石畳の狭い道路。石造りの家々。重い木の扉。清楚な教会。こんな素敵なところで、ひと夏過ごしてみたい。

この映画に登場する役者が良い。ヨーロッパでむかし活躍した役者たちが良い年を取っていて次々と出てくる。トム コートナイ、ブルーノ ガンズ、クリストファー リー、ジョージ オークレー、シャルロット ランブリング、みんなすっかり年を取った名優だ。この映画の良さはストーリーや映像の出来上がりよりも役者の良さでもっている。
主演のジェレミー アイアンズがとても良い。66歳、シェイクスピア舞台俳優出身。端正な顔が年を重ねて、より知的で思慮深い顔になっている。学者で、ひとつわからないことが出てくると解明できるまでとことん追う、追っている間はそのことしか頭にない。まわりのことに一切お構いなしといった学者肌の、常識外れでどうしようもない男を上手に演じている。そんな無防備で子供みたいな男に魅かれるポルトガルの女も良い。
ジェレミー アイアンズは、アムネステイーインターナショナルの活動家でもある。いくつかの映画の音楽を作曲したり、監督したりもしていて、ピア二ストでもある。66歳のいま、47年間獄中で死刑囚として収監されている被告の再審要求と、死刑制度廃止を訴えてメッセージを世界中に送っている。
http://www.youtube.com/watch?v=35Jp03rm2KY&feature=share

2013年12月12日木曜日

映画 「木洩れ日の家で」

                                                             

ポーランド映画
原題:「TIME  TO  DIE」
監督: ドロタ ケンジェジェアフスカ
キャスト
アニエラ :ダヌダ シャフラルスカ
息子   :クシシュトフ グロビシュ
孫娘   :バトルイツィヤ シェフチク
ドストエフスキー:カミル ビタオ
公証人 :ヴィトルト カチャノフスキー
犬    :フラデルフィア (フィル)

 ストーリー
ワルシャワ郊外。大きなアカシアの木々に囲まれた広い庭を持つ木造の屋敷がある。戦前から建つ大きな二階家だ。1915年生まれのアニエラは、この屋敷で生まれ育ち、結婚し、息子を育て、夫に死なれ、息子が巣立っていくのを見送った。そして今は、一人で、愛犬フィルと暮らしている。共産主義の時代には、国から強制的に屋敷の一部を取り上げられて、別の家族に家を提供しなければならないこともあったが、今は一人きり、フィルを相手に、静かな余生を過ごしている。家を改造して息子の家族と住むことを申し出たが、嫁が嫌がるという理由で、すげなく断られている。隣の家では、成金の男が愛人を囲っていて、家が狭いので、アニエラの家を買い取りたいと、不動産屋を通して圧力をかけてくる。礼儀を知らない下品な人達で、若い女はお化けのようなグレートハウンドを飼っている。

自分は90を超えて老い、息子は自分を疎んじて訪ねてこないし、健康に不安もある。しかし、2階のサンルームで、フィルを相手に話をしたり、双眼鏡で隣近所の出来事を覗き見したり、思い出に浸ったりして、退屈することはない。ただ、唯一の望みは そのサンルームで淹れたての熱いお茶を飲むことだ。自分が台所で淹れたお茶は、二階のサンルームまで運んできて飲もうとすると、すっかりぬるくなっていて香りもなくなっている。仕方なく、アニエラは、リキュールに手を伸ばす。

もう一方の隣の家では、若い夫婦が、貧しい子供たちを集めて音楽学校を開いている。朝から下手なトランペットの合奏などを聴かされて、そのやかましいこと。でも子供たちがショパンのワルツに合わせて、ダンスをしているところなど、双眼鏡で覗き見れば、自分が若いころに夫と踊った思い出に浸ることもできる。悪戯さかりの子供たちが 壁を伝って、ア二エラを覗きに来たり、むかし息子が遊んだ庭のブランコに乗りに来たりする。

ある夜、ベッドの横で眠っていたフィルが、異様な吠え方をするので、アニエラが起きてみると、息子夫婦が隣の成金の家を訪ねていて、4人が談笑しているではないか。息子は訪問を終え家の前に停めていた車まで歩いてきて、嫁と話をしている。息子は母親の家を無断で、隣の人に売り飛ばそうとしていたのだった。たった一人の愛する息子が、内密に、アニエラの家を横領しようとしている。同居を拒否しながら、家を売って、金もうけをしようとしている息子。小さい時から、欲の深い、思いやりのない子供だった。たった一人の孫まで、アニエラのつけている、指輪を欲しがるばかりの可愛げのない孫だった。

アニエラは怒りに震え、悲しみ、そして絶望する。喪服に身を包み、死を迎えるためにベッドに横になる。でも、期待通りに死は訪れない。そして、アニエラは自分が人生の終末期にいる自分に、何ができるだろうか、と考えて、ある決意をする。公証人を呼び、貧しい子供たちを集めて音楽教室を開いている若い夫婦に家を譲る契約をする。家を貧しい子供たちのために解放するのだ。アニエラの望んだとうり、子供たちが引っ越してきた。やかましいが、活発な子供たちによって、再び古い屋敷は活気を取り戻す。アニエラは満足して、サンルームでフィルと、何事もなかったように寛いで、、、。
というお話。

2007年に、ポーランドで活躍する女性監督 ドロタ ケンジェジャフスカによって製作され、2011年に日本の小劇場でも公開された作品。オーストラリアでは公開されなかったので、ヴィデオを日本で買ってきて観た。当時91歳だったダフタ シャフラルスカが主演して、話題になった。
この気品ある女性に美しいこと。小柄で華奢だが、姿勢が良くてローヒールの靴を履いて、柔らかなワンピースを着ている姿など、ほれぼれする。単調なひとりきりの生活のなかでも、双眼鏡で世間の動きをしっかり見ていて、好奇心を失わないでいる。訪ねて来た息子には、つい小言ばかり言ってしまうが、心ではとても息子を愛している。太って大柄になった無口な息子の後ろ姿に、一番可愛いかったころ自分をいつも頼ってくれた幼い日々の息子の姿を、重ねて見ている。憎まれ口しか言わない孫娘にも、深い愛情を抱いている。
そうした愛がすべて裏切られたと、知った時の衝撃は、まさに自分を死に追い込むしかないような耐え難いことだったに違いない。しかし、まだ自分に人のために役立つことができる、と思い至ってからのアニエラの別人のような生き生きとした姿に変わる。二つの大戦を経て、ポーランドの過酷な歴史を見て来たアニエラには、不屈の魂が宿っているのだ。
アニエラは欲深い息子家族を見限ることによって、将来のある子供たちの笑顔と喧噪と活気そして生きる活力を得た。品のない。思いやりのない肥満体の孫よりも、年寄りを大切にする貧しい子供たちという大きな家族を迎える、というか賢い選択をした。立派な決断。

映画の主役は91歳のアニエラと愛犬フィルだが、このフィルが素晴らしい。黒と白のボーダーコリーで、本当にアニエラの飼い犬としか思えない名優ぶり。いやな不動産屋が家に入り込んで来れば、猛然とほえたてて家から追い出すし、電話が鳴っていて足取りの遅いアニエラが間に合わないとわかると、走って行って飛び上って受話器を外すことができる。アニエラが話しかけると、耳を立てて、しっかり聞いてくれる。ベッドからアニエラが話しかけると、体を床に伏せたまま、目をアニエラに向けて、しっぽだけで返事をして振って見せる。アニエラを注意深く見つめて話を聴こうとしているフィルは、主人の飼い犬というよりも人生のすぐれた伴侶だ。犬の良さをすべて兼ね備えたフィルの表情の豊かさ。素晴らしい犬。

映画が始まったばかりの時に アニエラの独白がある。「ああ、いま熱いお茶があったらば、もう他に何も要らないのだけど、、。」という。自分が台所で淹れたお茶は、二階のサンルームに運んできたころには、すっかり冷めて香りもなくなってしまう。誰かがここに居て、アニエラのために熱いお茶を淹れて持ってきてくれたら何にも代えがたい、と自分の孤独を嘆くシーンがある。これが映画の終末のシーンを暗示している。アニエラの屋敷が、貧しい子供たちの音楽教室になってから、一人の男の子が、不注意でアニエラのお気に入りのテイーカップを、落として割ってしまう。この男の子は、アニエラに叱られるのを承知で 別のカップに熱いお茶を淹れてサンルームに持ってくる。ガラス窓を通して安楽椅子に座るアニエラの腕が見える。呼びかけても返事がない。足元にいたフィルがアニエラを眠っていると思って揺り動かす。そしてフィルは何が起こったのかを知る。フィルはガラス窓ごしに、男の子に向かってじっと目を合わせる。その目は何が起こったのか 男の子に伝わった。フィルと男の子とが見つめ合うことろで映画が終わる。

犬の目がすべてを語り告げているところも、感動的だが、それを受け止める無垢な子供のやわらかい心の痛みが表情からしっかりと伝わってくる。これほど優れた終わり方をする映画、他になかったように思う。この最後のシーンだけのために、この映画を観る価値がある。犬をよく知っている人には、号泣ものだ。子供好きの人にも胸をかきむしられることだろう。素晴らしい映画。犬と子供とおばあさんが好きな人には必見の名作だ。
黒白の画面なので、光と影のコントラストが明確で、色彩がないゆえに実際よりも豊な色彩を感じられる美しい映画だ。


2013年12月7日土曜日

2013年に観た映画 ベストテン

                     

第一位:「華麗なるギャツビー」
第2位:「ザ ロケット」
第3位:「舟を編む」
第4位:「シルク ド ソレイユ彼方からの物語」
第5位:「ライフ オブ パイ」
第6位:「コンチキ」
第7位:「キャプテン フィリップス」
第8位:「アンナ カレ二ナ」
第9位:「リンカーン」
第10位:「アイアンマン 3」

今年は映画の不作年だった。新作映画を50本ほど観たが、印象に残る作品が少ない。2012年に観た映画ベストテンと比べてみると それがよくわかる。
 

       第1位:「HUGOの不思議な発明」
       第2位:「最強の二人」
       第3位:「J エドガー」
       第4位:「レ ミゼラブル」
       第5位:「ル オーブルの靴磨き」
       第6位:「アウンサンスーチー引き裂かれた愛」
       第7位:「人生の特等席」
       第8位:「ぼくらのラザール先生」
       第9位:「アメイジング スパイダーマン」
       第10位:「バットマン ダークナイトライジング」
これらの2012年に観た、どの作品もいまだに記憶に新しい。マーチン スコセッシ監督の「HUGOの不思議な発明」は、映画史上に語り残される記念的な作品だったし、フランス映画の「最強の二人」も、クリント イーストウッド監督の「J エドガー」も、大型ミュージカル「レ ミゼラブル」も、昨日観たように、記憶に深く残されて、忘れられない。アキ カウリスマキのフランス映画も、「ぼくらのラザール先生」も、会話を最小限に削り取って、映像ですべてを語りつくした素晴らしい作品だった。また大型娯楽作品の「スパイダーマン」も、「バットマン」も、より良き人として生きたいと願う青年が正義のあり方に苦悩する姿が描かれていて、共鳴し共感することができた。
同じく、大型娯楽作品だが、今年のブラッド ピットの「ワールド ウオーZ」、トム クルーズの「オブリビオン」、「マン オブ スチール、スーパーマン」、マット デーモンの「エリジウム」、、、これらは一体何だろう。ヒーローでもなければ、ただの破壊者ではなかったか。正義も信義も人としての苦悩もない ただぶち壊して暴れまわる娯楽作品ばかり。派手に壊して痛快がる、というハリウッド映画がどうしても娯楽と思えない。精神の荒廃ではないか。心のどこかが病んでいる。観客のほとんどの人は、真面目に働いて、真面目に人を愛し、真面目に暮らしているのだから 真面目に良い映画を作って欲しい。

ハイデフィニションフイルムに収められたオペラを5本ほど 今年は映画館で観たが どれも良かった。ニューヨークメトロポリタンオペラも、ロンドンロイヤルオペラも、国立パリオペラも、資金繰りが大変だろうに、本当に良い舞台を続けている。ヨーロッパを起源にもつ600年の伝統をもつオペラを、私たちの次の世代に伝えていくことが、文化人の使命と考える人々の熱意と誇りが支えているのだろう。

第1位:「華麗なるギャツビー」
映画の説明と詳しい内容は、6月12日の日記に書いた。
村上春樹が そのアメリカンな文体の影響を受けた作家、F スコット フイッツジェラルドによる1925年の作品を映画化したもの。原作がよくできていて、感動的なので映画も素晴らしい。豪華絢爛 キラキラ輝いて贅沢で美しい映画だ。

第2位:「ザ ロケット」
映画の紹介は、11月14日の日記に詳しく書いた。
今年のベルリン国際映画祭、最優秀賞、アムネステイインターナショナルフイルム賞、シドニーフイルムフェステイバル オーデイエンス賞受賞。キム モルダウト監督のラオス映画。ラオスという世界で一番激しい爆撃を受けた国では、今も約50トンの不発弾が埋まっている。命の危険を顧みず不発弾から金属を抜き出して生計を立てている人が絶えない。そんな環境にもかかわらず、子供たちは一日一日を全身で喜びあい、笑い合い、悲しみを分け合って明日を強く信じて生きている。子供たちの前に進もうとする姿をして、戦争の愚かさを訴えた、優れた反戦映画。

第3位:「舟を編む」
11月23日に作品の紹介文を書いた。
日本の良さをギュッと缶詰に詰めたような映画。日本人独特の優しさ、労わり合い、あうんの呼吸で仲間が育つ環境、謙虚さ、職場のボスの部下に対する父親のような愛情、仕事への情熱、苦労を共にすることで育つ連帯と愛着、仲間のために無言で犠牲になる潔さ、新人が気が付かぬうちに職場の空気に染まっていく環境、夫を思いやり自分を決して主張しない妻、愛情の示し方が下手だが、心から妻を愛する夫、個を超えて共同体の中でこそ、自分たちの達成感、満足感を充足させる日本人の特性。熱すぎず、ぬる過ぎず、ぬくくて心地よい、温泉みたいな映画だ。そんな日本人であることが嬉しくなる映画。

第4位:「シルクドソレイユ 彼方からの物語」
2月26日に映画批評を書いた。
1958年からカナダを本拠に活躍するサーカス集団シルク ド ソレイユによる7つのラスベガス公演をカメラに収めて編集したもの。カメラに拘るジェームス キャメロン監督が自ら3Dのカメラを抱えて高所に登ったり、水に潜ったりして、動きの速いアクロバットを撮影した。素晴らしいおとぎ話に仕上がっている。人間にはこんなことまでできるのかという新鮮な驚きと感動の連続。本当に夢みたいに美しい舞台だ。

第5位:「ライフ オブ パイ」
1月4日に映画の紹介文を書いた。
これほど豊な色彩の美しい映像を観せてくれるとは、さすがに色彩の天才アング リーだけのことはある。16歳の少年パイが 海難事故に会い救命ボートに、生き残ったトラを一緒に227日間 漂流するお話。インドのまばゆいばかりの色彩のあでやかさと多様さ、色とりどりの花々、美しい動物たち、娘たちの匂い立つようなみずみずしさ、輝く海、大海の日の出と日没、果てしない海原、クジラやクラゲの美しさ、、、。ストーリーなどなくて良い。画面の美しさに目を奪われるばかりだった。

第6位:「コンチキ」
4月23日に映画評。
2013年アカデミーとゴールデングローブ賞候補作のノルウェー映画。ノルウェーの人類学者で冒険家のトール ヒェルダーの実話。彼は南太平洋のポリネシアの人々は、南米から渡ってきた民族であるという学説に至り、それを証明するために、イカダのコンチキ号で南米から南太平洋をめざした。102日かけて、海流に乗って7000キロの距離を航海し、ポリネシアのアモツ島に漂着、ポリネシア人の先祖がペルー人であることを証明した。のちに この学説はDNA検査などから後になって否定されるが、彼の行動力と、なしとげた業績が否定されたわけではない。一本気で行動派学者のヒェルダーの姿がいかにも偲ばれるバル ヘイゲンが好演している。

第7位;「キャプテン フイリップス」
ジャーナリスト出身のポール グリーングラス監督による2009年4月にソマリア沖で起きた海賊による貨物船船長人質事件をドキュイメンタリータッチで描いた作品。主演にトム ハンクスを配したところに映画として成功した鍵がある。たぶん、トム ハンクスの主演した沢山の映画の中で一番良い。100%キャプテン フイリップスに、なりきっている。幾度も生命を脅かされ、その度ごとに、これで一巻の終わりと窮地に追いやられる男の迫真の演技を見せる。最後の頃には恐怖感が最高潮までせり上がってきて見ているだけで呼吸をするのも苦しくなってくる。ドキュメンタリー監督の腕の見せ所だろう。
それにしても巨大なアメリカのタンカーを、ちっぽけなモーターボートでたった4人のソマリア人が襲撃する。そんな海賊たちが勇敢な上、物凄く頭も切れる。荒れる海を4人のソマリア人が巨大な壁のようなタンカーに向かって、少しもひるまず進んでいく姿が、すごい。4人のソマリア人の前に、大統領やペンタゴンや全米海軍、最新のヘリコプターや軍艦や大砲や重装備が何の役にも立たないで、5日間も引きずり回される姿は、痛快にも思える。訓練されたネイビーシールズ、狙撃兵たちも腰抜けにしか見えない。本当の闘いとは、莫大な資金をかけた装備や、最新の武器でもなければ、頭数でもない。信ずる者の強さではないだろうか。

第8位:「アンナ カレ二ナ」
2月18日に映画評を書いた。
ものすごくお金を使って製作された古典、1873年にトルストイによって執筆された世紀の恋の物語。たくさんの女優が演じたが、ケイラ ナイトレイのアンナは可愛らしすぎてミスキャストか。しかし、次から次へと出てくるココ シャネルの宝石も、19世紀のロシア貴族の豪華衣装も、だたそれだけ見ていて楽しい。舞踏会ダンスシーンや、ぺテルスブルグに向かうアンナを追うアーロン テイラージョンソンとの停車駅シーンも、ジュード ロウの夫役も、とても素敵。舞台の作り方が芸術的で、回り舞台をみているような新しい手法で、スピード感があって面白かった。

第9位:「リンカーン」
2月16日に批評を書いた。
リンカーンの伝記という地味で面白くもおかしくもない映画を、一級の役者で作った小品。リンカーン役のダニエル デイ ルイス、妻役にサリー フィールド、息子にジョセフ ゴードン レビット、盟友にトミー リー、、、これだけ贅沢な役者がそろえば、話の筋や内容などどうでもいい。役を演じる姿をみているだけで納得、良い芝居を観た、と感動できる。

第10位:「アイアンマン3」
5月19日に内容を書いた。
これでロバート ダウニー ジュニアのアイアンマンシリーズも終了した。彼がこれ以上アイアンマンスーツを着て、プレイボーイの億万長者を演じるのは、年齢から言っても無理がある。それにしても良い終わり方をした。有終の美というか、すべてのアイアンマンスーツを花火のように夜空に飛ばして爆発させて、彼はただの人間に戻った。「スーパーマン」とも「スパイダーマン」とも、「バットマン」とも違う、普通のオジサンっぽいメカ狂が、いちやくヒーローになってしまったが、やりすぎだったことをよく反省して、もとに人間に戻ってくれて、嬉しい。これで、安心して、ロバート ダウニー ジュニアのアイアンマンって、良かったよねーと過去のこととして話ができる。ほっとした。

2013年11月30日土曜日

島田荘司の「アルカトラズ幻想」

    


本の帯に「構想20年の渾身作」、と書いてある。さらに、それに続いて簡単な本の紹介があるので、書き写してみる。
「一九三九年十一月二日、ワシントンDCの森で、娼婦の死体が発見された。被害者は木の枝に吊るされ、女性器の周辺をえぐられていたため、股間から内臓が垂れ下っていた。時をおかず第二の事件も発生。凄惨な猟奇殺人に世間も騒然となる中、意外な男が逮捕され、サンフランシスコ沖に浮かぶ孤島の刑務所、アルカトラズに収容される。やがて心ならずも脱獄した男は、奇妙な地下生活に迷い込むー。」 
ということだ。作者、島田荘司は、御手洗シリーズなどで、人気のミステリー作家の大御所。私はミステリーは好きだが、女の体を切ったり、貼ったり、つなげたりする猟奇事件ものを 好んで読む人は、かなり重症の女性コンプレックスをもっていて、人格が歪んでいるんじゃないかと思うし、自分の体を試しに切ったり貼ったりつなげたりして見て、痛いことをよくよく経験してみたほうが良いのじゃないかと思うから、好きではない。でも、どうして この537ページの重い本をわざわざ日本から買ってきて読んだかというと、このミステリー小説の内容やストーリーに関係なく、中で、恐竜について古生学者の記述があると、知ったからだ。

子供の時から恐竜が大好き。
2億年前、ジュラ紀にどうして自分が生まれなかったんだろう。まだホモサピエンスは出てきていないけど、、。地球をドカドカ闊歩していたブラキオザウルスの背中に乗ったり、ステゴザウルスの頭の上に登ってみたり、翼竜を自家用小型飛行機代わりに使いこなしてみたりして、まだ噴火、爆発を繰り返す地球を生きて観たかった。飽きずに何時間も小学館の恐竜辞典の絵を眺めては夢見る子供だった。
ピーターポール&マリーの「パフ」では、リトルジャッキーは大人になって、遊び友達の恐竜パフのところに来なくなって パフは泣いて暮らしたと、言うが、確かにそうなのだ。恐竜の寿命は100年から200年。パフが 遊び友達を失って孤独を嘆くのも無理はない。

同じ恐竜でも、スピルバーグが1993年に製作した映画、「ジュラシックパーク」は、面白かった。
原作は、1990年にマイケル クライトンによって書かれたSF小説。スピルバーグによって、初めて映画にデジタル音響システムが組み込まれた。彼の作り出した映像効果が、あまりに本物的で、この映画は大成功して全世界で恐竜ブームを引き起こした。琥珀の中から、蚊が吸血した恐竜のDNAを採取し、その欠損部分をカエルのDNAで補完してワニの未授精卵に注入することによって 恐竜を再生する。現実に琥珀に閉じ込められた虫を私たちは博物館で見たことがあるから、がぜんこうした技術が実際にできることのように思える。映画ではDNAの補完材料だったカエルが性転換できるカエルだったために、自己繁殖してしまい恐竜が人間のコントロール範囲を超えて増えてしまうという設定だった。遺伝子工学が発達した今、思い返してみてもSFとして、少しも古くない。良くできたストーリーだったし、映画も優れていた。島田荘司の「アルカンタズ幻想」も、映画にすると、おもしろい。この小説は、どちらかというと視覚的に受ける作品だ。

さて、「アルカンタズ幻想」だ。
本の中で古生学者バーナード コイ ストレッチャーをして恐竜についての沢山の疑問点を語らせている。まず、アパトザウルス。1904年に米国ワイオミングで全身骨格が出土された。1億5千年前の中世期ジュラ紀に生息していた。体長33メートル、体重40トン。首の長さ13メートル、草食で毎日500キログラムの草を食べていた。泳ぐ能力を持っていないので、陸上で暮らしていたとされる。今日一番動物のなかで体重の重いゾウが、5トンの重さだが、40トンの体重をもつこの恐竜がゾウよりずっと細い足で自分の体重を支えられるわけがない。また13メートルの長い首を、長いしっぽと同様に水平にしたまま それを支えて動き回れるような強靭な骨格や筋肉は、物理的に言ってあり得ない。生物学、考古学、生理学、物理学、地質学など、すべての英知を集めて考えてもこの恐竜はあり得ない。でもアパトザウルスは33メートルの体長で、13メートルの首を水平にしながら、その細い足で歩き回れるわけがないから、といって、のろのろしていていつも肉食恐竜の餌食になっていたかというと、そうではなく1億年以上の間にわたって、100年から200年の寿命を生きた。どうして、それができたのか。

次にテイラノザウルス。1908年に米国モンタナで全身化石が発見された。肉食で体長12メートル、体重5トン。頭だけで前後左右に1.5メートルと大頭で大きな顎と歯を持ち、2本足で歩き、前足はカンガルーのように退化している。肉食で、咬筋力は3-8トンという強力な噛む力を持っていた。ということがわかっているが、この恐竜と同じ重さのゾウが4本足でも、自分の体重を支えて、ゆっくりしか歩けないのに、細い2本足で、大きな頭と体を支え、逃げる獲物を追って、敏速に走り回れるわけがない。生物は大型化すれば 筋肉も大きくなり早くは動かせなくなる。にも関わらず、発掘された化石はこの恐竜がきわめて発達した筋肉をもち、肉食していた証拠を示している。どうしてそのような生き物が、地球上に存在したのか。
最後に翼竜。キリンと同じ大きさの背の高さで体重100キログラム。左右の翼の幅が12メートルで、肉食。今日生きている一番大きな鳥はワタリアホウドリで、翼が3.5メートル、体重12キログラムで、これが飛行する鳥の体重の限度とされる。航空物理学上、体重40キロを超える鳥は飛行できない。大型化した羽を支える筋肉は、重い体重を支えるために敏速に羽ばたきし続けなければ落下する。にもかかわらず、翼竜は1億数千年もの間、肉食を楽しみ、羽ばたきして空を飛び回っていた。どうしてそんなに長い間、生存できたのか。

そこで、バーナード コイ ストレッチャーはある結論を出し、それを証明するために実験をする。
うーん。
で、結論はどうだったかって?わからない。1億5千万年前よりももっと前の地球で起きていたことだ。証人はいない。いや、ゴキブリがいた。ゴキブリに知能を発達させて話ができるように開発して、大昔に起きたことをゴキの先祖がどう語り伝えたか、聞き出せたら真実がわかるかもしれない。この本、猟奇殺人ミステリーが好きで、宇宙の話が好きで、恐竜も大好きな人には読まずにはいられない本だろう。私には、猟奇殺人に興味なく、宇宙の話は難しくて理解できなかったので、この本の前半で恐竜に関するところだけが面白かった。後半は、ミステリーを解くために、あり得ない不自然さが目立ち、興ざめした。まったくミステリー読者に向いていないらしい。


2013年11月23日土曜日

映画 「舟を編む」

             


原作:三浦しをん
監督:石井裕也
キャスト
馬締光也 :松田龍平林香具矢 :宮崎あおい
西岡正志 :オダギリジョー
たけ    :渡辺美佐子
松本崩祐 :加藤剛
松本千恵 :八千草薫
岸部みどり:黒木華
佐々木薫 :伊佐山ひろ子
荒木公平 :小林薫
三好麗美 :池脇千鶴
ストーリー
大学院で言語学を専攻した馬締光也は 出版社玄武書房で営業部員として働いていたが 人と話すことが得意でないため、営業成績は最低だった。そんなとき、編集室辞書編纂部では、30年もの間勤めて来たベテラン荒木公平が退職することになり、人探しをしていて、馬締に白保の矢がたつ。馬締は、まじめ一方で趣味は読書。知識は豊富だが上手に人との関係を作ることができない。学生時代から10年余り下宿している早春荘の大家、たけに可愛がられ、たけの亡くなった夫の書庫を自分の図書館のように使っている。自分の部屋も 蔵書で足の踏み場もない。時間さえあれば本を読んでいる。

出版社にとって辞書編纂部は社内でも「金食い虫」と呼ばれ、数十年単位で編集出版される辞書を編集する部なので、ベストセラーや雑誌の様に出版するそばから売れて会社に利益を出す部ではない。地味なまじめ一方の学者肌の人材が必要だ。社では「大渡海」という名の新しい辞書を出版するために編集を進めているところだった。監修を務めるのは、この辞書を作るために大学教授職を辞めて玄武社にきた国語学者松本朋佑(加藤剛)、彼を献身的に支える職人肌の荒木公平(小林薫)、事務作業を一手に引き受ける契約社員の佐々木薫(伊佐山ひろ子)、そして入社5年目の西岡正志(オダギリジョー)の4人だった。馬締は、辞書編集部に移動してきて、その第一日目から松本部長の言葉に対する愛着と、辞書編纂への熱意を語られて、初めてやりがいのある仕事をみつけて発奮する。仕事は、「辞書はことばの海を渡る舟、編集部はその海を渡る舟を編んでいく。」地味で、果てしのない仕事だ。しかし学者肌だが面倒見の良い部長をもった編集部は、家族のような信頼でまとまっていて、馬締は 初めて自分の居場所をそこに見つける。そして馬締は、水を得た魚のように新しい仕事に没頭する。

ある日、下宿している早雲荘の大家たけのところに、京都の料理屋で修業していた孫の香具矢が帰ってくる。可憐な彼女に一目ぼれした馬締は、半死状態、、。編集部の面々の助けを借りながらやっと恋を成就させる。そして遂に馬締は香具矢と結婚にこぎつける。時間がたち編集長松本が癌で亡くなり、馬締が入部してから13年間かかって、辞書「大渡海」は完成する。というお話。

ちょっと変わった小説がベストセラーになっているという話は聞いていて、興味をもっていた。原作が手に入る前に 映画のチケットを娘が入手してくれた。シドニー日本文化交流フイルムフェステイバルというイベントのこけら落としに、この映画が上映されたのだ。日本では70万人もの視聴者を映画館に動員し、興行成績をあげたそうだ。
ふだん何げなく使ってきた辞書というものを作る人々が居て、何十年もの時間をかけて、地道に「言葉集め」をして、意味の解釈だけでなく用例集めや使用例を他社の辞書と比較しながら コツコツと編集する、その仕事ぶりに驚かされた。また流行語を含めた新しい言葉を常に探し求めて、新たに辞書に解釈を加えるだけでなく誤用例もあげていく。そんな編集部の苦労する様子が実に興味深かった。20数万語の言葉を収録するために15年間文字通り、一目一目を編んでいくような地道な歩みに目を見張る。
ただ、タイトルの「舟を編む」ということばには違和感が残る。舟を編むことはできいない。たとえ比ゆ的に「編む」という言葉が使われたにしても、自分は何となく日本語としてすんなり呑み込めない。しかしタイトルの斬新さゆえにこの本が好きになる人も多いのだろう。

石井裕也監督と馬締を演じた松田龍平とは、共に30歳だという。若い監督だが、実力がある。上質の落語のような会話の呼吸、間合いの良さが秀逸。誰かが何かを言う。その瞬間にガラリとその場の空気が変わり、居合わせた人がそれぞれその人なりの反応をする。その間合いと、変化の仕方をしっかり演技で見せてくれる役者たちがとても生きている。見ている人が自分の体験を思い起こしてその場にすんなり納得できて 深く共感できる。
香具矢に一目ぼれをして腑抜けになった馬締が出勤してきたところを、松田が後からふざけて脅かしただけなのに、その場に崩れ落ちて腰をぬかして立ち上がれないシーン。人とうまく話ができない馬締にちょっとした冗談やおふざけが通じなくて、かえって慌てる人の良い西岡がおかしくて笑える。西岡は一見軽薄に見えるが実は情のある、良くできた男だ。私は映画の登場人物の中でこの西岡が一番好き。社の予算が足りなくなって、馬締か西岡かどちらかが辞書編纂部から広報部に移動しなければならなくなって、それを誰にも知らせずに自分から潔く部を去っていく。後からそれを知らされて、馬締が必死で西岡を追うが突き返されて言葉を失い茫然と佇むシーンも印象的だ。どっちもいい奴なんだ。
編集部の面々が馬締が恋の病に陥ると すかさず香具矢の勤める料理屋に予約をとる、その息のあったチームワークの良さには笑いを誘い人の心をなごませる。編集長松本の人柄の良さゆえだ。仕事の後で居酒屋に皆を連れて行き、本音で部下との交流を図る。部下たちは熱い親父には勝てない、と文句を言いながらその親父を慕っている。こんな職場で働きたいと思う人も多いだろう。家族のようだ。

役者がみんな良い。西岡を演じたオダギリジョーがとても良い。この役者、個性の強い役柄を演じることが多いが、この映画のような普通の男を演じると、すごく光っていて魅力的だ。加藤剛と八千草薫の夫婦も良い。本当の仲の良い夫婦が一緒に年を取ったみたい。
主役の松田龍平と宮崎あおいは、難しい役を上手に演じている。
馬締は軽度のアスペルガー症であるらしい。これは 自閉症の一種でオーストリアの小児精神病医ハンス アスペルガーによって命名された症候群。対人関係に障害をもち、特定分野に強いこだわりを持ち、軽度の運動障害をもつ。知的水準は高く、言語障害も持たない。子供の時に「b」と「d」、「つ」と「て」、「わ」と「ね」の区別ができず、鏡文字を書いたりして発見されることが多い。ふつうに学校生活た社会生活ができ、「ちょっと変な人」くらいに認識されて何の問題もなく、家庭を持つ人も多いが、社会適応ができず ひきこもりやうつ病を併発する人も多い。ひとつのことに偏執狂のように異常な興味を持つ特性を生かして、芸術分野で優れた結果を出す人も居るが、自分の興味ない分野には、きわめて冷淡になる。そういった難しい役を松田龍平は、若いのによく演じていた。お父さんは松田優作だそうだが強い役者遺伝子を受け継いだみたいだ。
1988年バリー レヴィンソンの「レインマン」で、トム クルーズと共演したダステイン ホフマンが重度の自閉症を演じている。きっと松田龍平は役作りの過程でこのダステイン ホフマンを100回くらい見たのではないだろうか。

この作品、日本映画製作者連盟から、アカデミー賞外国語映画部門に出品されたそうだが、欧米で評価されるだろうか ちょっと心配。「仕事人間、過労死、残業クレイジーニッポン」の典型みたいに見られないといいけど、、。個が確立していて、個人生活重視、公私混同を嫌い、時間がきても仕事が終わらなくて残業すると自己管理ができない無能者とされ、残業どころか休暇は締切だろうが何だろうが、きっちり取る、、、他人の個人生活に介入しないことが礼儀とされて、職場ではどんなに信頼できる仲間でも互いの私生活には関心を持たない、、、そういった欧米型社会で育った人達に、この映画の良さがわかるだろうか。

編集長の部下に対する父親のような愛情、家庭よりも仕事への情熱、苦労を分かち合うことによって育つ職場での結束、仲間の犠牲になって自分から移動になる潔い部員、ボスへの敬愛、自己主張の強かった新人が職場の空気に染まっていく様子、夫を思いやり自分を決して主張しない謙虚な妻、家族の理解、愛情の示し方が下手だが心から妻を愛する夫。個を超えた共同体の中でこそ自分たちの達成感、満足感を充足させる日本人特性。日本人の優しい労わり合い。あうんの呼吸で仲間が育っていく環境のやさしさ。謙虚と潔さ。熱すぎず、ぬるすぎない、ぬくくて温泉みたいに心地よい映画だ。。映画を観ていると、日本人って、何て良いんだろうと思う。
さて、外国人はこれをどう観るか。作品は、アカデミー賞に輝くだろうか。結構、高く評価されて、「シャル ウィー ダンス」みたいに、この映画の欧米版「オックスフォード辞典を編む人々」なんていうコピー映画を、エデイー レッドメインみたいなハンサムな役者が主演して大成功するかもしれない。わくわくする。

2013年11月14日木曜日

映画 「ザ ロケット」

                                   
http://www.abc.net.au/atthemovies/txt/s3827512.htm

監督:キム モルダウト (KIM MORDAUNT)
ラオス映画
キャスト
アロ (AHLO) :KI  SITTHIPON
キア (KIA)  :LOUNGMAN KAOSAINAM
母        :ALICE KEOHAVONG
叔父さん    :THEP PHONGAM
父        :BOONSRI YINDEE

ベルリン国際映画祭最優秀賞、アムネステイインターナショナルフイルム賞
シドニーフイルムフェステイバル2013年オーデイエンス賞

ストーリーは
全裸の女の出産シーンから始まる。女の義母が出産の介助をしている。長い苦しみの末に、元気な男の子が生まれてほっとしているところで、再び女の陣痛が始まる。後継ぎになる男の子の誕生に顔を崩して喜んでいた出産介助の母親は、急に別人のようになって女を責めたてる。彼女は双子を宿していたことを隠していたのだった。義母は介助しない、氷のように冷たい視線で産み落とされたもう一人の男の赤子を見ている。昔からのしきたりで 双子は家族に悪運をもたらす邪鬼だと言われてきた。どこの家でも後から生まれてきた二人目の赤子は 生まれてすぐに埋められる。出産直後だというのに、嫁と母親は赤子を抱いて山に向かう。赤子を誰にも悟られないうちに埋めてしまわなければならない。しかし、嫁は掘った穴の中にどうしても元気な泣き叫ぶ子供を埋めることができない。

そこで、画面は突然、満面笑顔の元気な男の子に変わる。10年の時が経ち、家族に不幸をもたらすと言われた疫病神のアロは、元気に育っている。双子の兄は、居ないので病気か事故で亡くなったらしい。義母と両親とアロは貧しいながらも仲良くに暮らしている。しかし平和な山村に、突然政府の役人がやってきてダムができるので強制立ち退きを命令される。村民たちが軍に追い立てられるようにして山に移動する最中、こともあろうにアロの母親が事故で命を落としてしまう。用意された代替え地は痩せた土地で、人々はビニールをはぎ合せて雨風をしのぎ、トカゲや蛇を捉えて空腹を凌ぐような生活だった。アロの父親は、家や田畑を無くし、妻にさえ先立たれ、腑抜けのようになっている。気丈なアロのおばあさんだけが頼りだが、彼女は口を開ければアロを、家族に不幸を呼んできた疫病神だと責めたてる。空腹で先の見えない生活の中でもアロは 友達を見つける。エルビスプレスリーのような奇妙ななりをした叔父さんに連れられた8歳の女の子キアだ。二人は野山を駆け回り二人して遊び呆ける。しかし、アロのちょっとしたいたずらが、村の自警団の怒りを買ったために、アロ家族もキアとキアの叔父も村を追われることになってしまう。

10歳のアロの父とおばあさん、8歳のキアとその叔父、これら5人の奇妙な放浪が始まる。キアの叔父は自分の故郷に皆を連れていく。しかしそこは無数の地雷と不発爆弾の埋まった廃村だった。5人は苦しい流浪の旅を続ける。ある村に着いてみると、ロケットフェステイバルが開催されるという。村は干ばつに苦しんでいた。ロケットを打ち上げて雲の上まで飛ばして雨を呼んできたものには、多大なご褒美が出るという。アロの父親は母親からなけなしのお金を引き出して、ロケットを作り始める。

一方、アロはキアの叔父が、もとは米兵だったという秘密を知っている。叔父から得た知識で蝙蝠の糞を集め、高い木を伐り出して独力でロケットを作り始める。お祭りが始まり、大人たちが作った大型のロケットはアロの父親のロケットも含めて、決して雨を呼んでこなかった。村民たちが失意のうちに祭を終了させようという時になって、小さなアロがロケットを背負って会場に到着する。そして、アロの作ったばかりのロケットは、厚い雲を超えてどこまでも飛んでいき、雷を引き起こし、ついに雨をもたらせてくれた。どしゃぶりの中で、村長は、アロたち家族が村に定住するための許可を与えた。抱き合って喜ぶ大人たち。満身笑顔のアロとキア。ここで映画は終わる。

ラオスは世界で一番激しい爆撃を受け、一人当たりに落とされた爆弾の量が世界一の国だ。ベトナム戦争でラオス北部とベトナムのホーチミンルートを通る南東部に、アメリカによって200トンを超える爆弾が落された。米軍はやっきになって北ベトナムから南ベトナム解放戦線に補給を送るホーチミンルートを断裂しようとした。1964年から1973年の9年間の間に200トン、8分ごとに一つの割合で爆弾を落とし、それはラオス人一人当たり1トン以上の量に値する。
それに加え、フランス植民地時代の独立戦争や、第2次世界大戦中の日本軍の進駐や パテトラオとラオス軍との戦争を含む地上戦で大型爆弾、ロケット爆弾、手りゅう弾、大砲、対人地雷などなど、膨大な不発弾が埋まっている。また米軍が落したクラスター爆弾は7800万個であり、そのうち30%は不発弾だ。国連はラオスの山村に今だに埋まっている不発弾は約50万トンと、推定している。
そういった地雷と不発弾による事故でたくさんの人がいまだに死傷している。不幸なのは不発弾を解体して金属や火薬を抜き出して売って生計を立てている人々が多いことだ。金属スクラップ集めで家計を支える子供たちの多くが命を落としている。

映画の中で、アロがひもじいのとおばあさんのつらく当たられて、しょげている時、キアがふざけて腐った木の実をアロにぶつけるシーンがある。二人は始めは土や葉を投げ合っているが、しまいには二人して夢中になって大笑いしながら石や木切れなど片っ端から掴んで投げ合う。アロが土の色をした丸いものを投げようとした瞬間、見ている観客は心の中で「ダメ―!」と叫ぶ。アロがそれをキアに投げつける瞬間、おじさんの太い腕がアロのつかんでいた手りゅう弾をつかむ。それまでただの飲んだくれでロック狂のへんてこな叔父さんでしかなかった男が、初めて頼もしく見える瞬間だ。うまいな。こういう見せ方。監督の腕が良い。

ラオスにはたくさんの山岳民族、少数民族がいる。ラオスを時計回りにみるとベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマー、中国に囲まれた内陸国だから、ラオ語を話さない少数民族もたくさんいる。キアの叔父さんはロック狂でへんてこで、どこに行ってもつまはじきされている少数民族だ。アメリカによって起こされたベトナム戦争の中で最も、激しい被害にあった被害者と言える。
米軍はベトナム共産軍を圧殺するために、少数民族に武器を与えて、軍事訓練をした。これらラオス政府から差別されてきた少数民族は 米兵の一兵卒としてベトナム軍のスパイとして戦場に送られたり、米軍に役立つ兵力としてこき使われて そして捨てられた。だから今だに少数民族は、新政府から虐殺され、差別されている。少数民族出身で米兵くずれでロック狂という 難しい役をタイ人俳優のTHEP PHONGAMが、上手に演じている。彼の狂いっぷりが、素晴らしい。衣食足って礼節をわきまえてしまった日本人俳優には こんな屈折した奇妙な男を演じる役者はいないのではないか。

とにかく二人の子役が素晴らしい。ひもじい、情けない、逃げ場のない小さな社会で、こぼれるような笑顔、二人して大口を開けてガハハと笑いころげる豪快な天真爛漫さ。子供を主人公にした そのパワーの圧倒されまくる。映画はまさに演劇、映像、音楽、脚本、舞台、原作、光と影そしてすべてを含んだ総合芸術だという事実を目の当たりに見せてくれる。ベトナム戦争のもたらしたもの、無数の死、政治の不理屈、常に置き去りにされる女や子供の生きる権利、こうしたものを訴えるための100の理論や論争を このひとつの映画が表現して語りつくしている。子供の持つ本来のパワーが、優れた反戦映画として完成している。

これほど心に沁みる映画を観たのは、「赤い運動靴と金魚」(1997年)、と「禁じられた遊び」(1958年)以来だろうか。言論弾圧のひどかったイランで、マジット マジによって製作された「赤い運動靴と金魚」は、子供たちを主人公にすることによって、宗教よりも戦争よりも人間らしく生きることを訴えた。又、ルネ クレマンによる「禁じられた遊び」は、ドイツ軍の爆撃機によって両親も可愛がって抱いていた犬も殺されて生き残った孤児と、農家の少年との心の触れ合いが、胸をえぐられるような痛みをもって反戦を訴えかけてくる。

監督はオーストラリア人のテレビドキュメンタリーフイルム作家。フリーで東南アジアに残された戦禍の中を生きる人々を描いた「SECRET WAR」、ロシアの政治的自由とベルリンの壁崩壊を描いた「45YEARS IS ENOUGH]」、などで実力を認められてきた。代表作は、「BONB HARVEST」2007年で、ラオスの不発弾から金属を回収してスクラップで家計を支える子供たちを描いて、最も優れたドキュメンタリーフイルムとして評価されている。
このひとのこれからの活躍を見ていきたい。



2013年11月8日金曜日

オットと日本さらばじゃ、また逢う日まで


16泊17日間の日本旅行も終わりに近付いた。今夜、日本航空でシドニーに帰る。
成田出発は夜8時。これが嫌なんだ。ホテルは10時か11時にはチェックアウトしなければならない。そこから夜8時まで、外で時間をつぶさなければならない。生後10か月の赤ちゃん並に昼寝が必要なオットには これが辛い。2つの大きなスーツケースは 宅配の人が空港に持っていってくれていて先に飛行機の貨物に収納していてくれている。小さなリュックサックひとつの身軽な姿で夜まで、さあ、どうするか。

タクシーで浅草のスカイツリーまで行く。4階まで上がって、上まで上がるチケット売り場にいくと、2時間待ちだという。遊び盛りの5歳の子供の並に、じっとして列に2時間並んでいることなどオットにはできない。私に寄りかかって立っていられるのがせいぜい10分間。4階から、頂上を見上げる写真を撮って、横にある墨田区水族館に入る。区立の水族館らしく子供への教育を目的として建てられている。エレベーターで最上階まで上がって、海中生物を見ながら、らせん状の通路を下りてきて、階下の大きなプールで泳いだり、体を干しているペンギンを見られるようになっている。上野動物園の水族館に比べると見劣りするが、子供たちを連れてきて じっくり水の生き物を観察させるのには良いところだ。

コーヒーで一休みして上野駅に向かう。そこから特急で成田へ。京成電車から眺めるのどかな初秋の眺め、、、田んぼはすでに収穫が終わっていて、野菜畑に大根や青葉野菜が植わっている。疲れるから目をつぶって寝ていきなさい、というがオットは車窓の風景から目が離せない。空港駅に着くまでオットは名残惜しそうに ずっと景色を見ていた。

空港の中のレストランは来るたびに利用するから、もうほとんど端から端まで試しに食べてみたことがあるが、寿司屋を除いて 1件としてまともな食べ物を出すところがない。外見だけまともに見えるが、実際はとても、プロの料理人が作っているとは思えない。これって、日本の恥じゃないだろうか。国辱ものだ。空港の中は、見送りに来る人や、たくさんの外国人が何時間も過ごさなければならない場所だ。朝から夜まで、人が絶え間なしにレストランを使う。マクドもスタバもあるが、レストランならば、もう少しましなコックの居るレストランとして営業すべきだ。シンガポール空港には、飲茶や、レストランは勿論、仮眠室も無料のシャワールームもコーヒー一杯で座ってゆっくりインターネットを使わせてくれるカフェがいくつもあった。それらが成田には一つもない。

機内は驚くことに混んでいて、空席が全然なかった。食事が終わり次第 空いている席を確保してオットを横にさせてもらおうと思っていたが、それができない。小さな席に丸くなって10時間。
前回の帰りの飛行機では、3席空席を確保してオットを寝かせて、自分は、ビデオで
ランランのコンサートパフォーマンスがあったので、ずっとこれを繰り返し繰り返し観て聴いてきたので10時間がつらくなかった。今回は、映画はみんなもう映画館で観たものばかり、ビデオはお笑いのもしかなくて退屈なので、同じ映画を繰り返し見ていた。今ではそれも良い思い出だ。

日本で、わざわざ忙しい中を、時間を作って会ってくださった心の優しい友達たち、ありがとう。食事に連れ出してくれた兄姉、ありがとう。いつまでも忘れずに、帰るごとに会いたがる こんな母親のためにいつも優しくしてくれる息子たち、ありがとう。ありがとう。昔の同級生も、いつもと友達でいてくれて、ありがとう。ツアーの方々も親切にしてくれて、ありがとう。
山たち、その清々とした空気の中で雄姿を見せてくれて本当に本当にありがとう。会えて良かった。

オットと休暇を充分楽しんだ。良い休暇だった。休暇の欠点といえば、それが短すぎることだ。

2013年11月3日日曜日

オットと上野で科学博物館へ

        


夜中じゅう嵐が吹き荒れていた。日本滞在最後の日、朝になると、大型台風は過ぎ去りつつあったが、風がとても強い。私一人なら行きたい美術館も、行きたいコンサートも、観たい映画もたくさんある。でも オットには遠くが無理なので、ホテルのまわりを タクシーで出かけてはタクシーで帰ってくることを繰り返している。それでもオットには 初めてのカフェ、初めてのレストラン、初めて見る美術館や博物館に、珍しいものがたくさんあって、とても嬉しそうに眺めている。オットが日本に居ることを知らないオーストラリアの仕事仲間から 携帯電話に電話がかかってきて、「ジャパンは素晴らしい、食べ物は美味しいし、人々が親切で、謙虚で、優しい。喘息も起こさず最高のホリデーを過ごしているよ。」と熱弁している。

風で髪が、ぐしゃぐしゃになりながら、タクシーで上野科学博物館に行く。入口にシロナガスクジラがある館で、娘たちが子供のころ一番好きな遊び場だった。中には、「忠犬ハチ」が居て、南極から生きて帰ってきた「ジロー」が居る。カメに入ったミイラも健在だったし、恐竜のレプリカがたくさんある。いくつになっても楽しいところだ。
ダイオウイカという世界最大のイカも居る。マッコウクジラの前身骨格も組み立ててある。アンモナイトもたくさんあって、フーコーの振り子もあって、地球が自転していることを実感させてくれる。

ゼロ戦機が展示されているのを初めて知った。前にも見ていたのかもしれないが、ゼロ戦に否定的だったから目に入らなかったのかもしれない。パブアニューギニア沖で発見されて海から引き上げられて復元されたという。オットは、嬉しそうに、「オーゼロー!!!」と叫ぶ。オーストラリアでも有名だ。日本ではゼロ戦は、ジブリの宮崎駿による「風立ちぬ」で、一挙に話題になって関心が持たれた。この映画を観たかったが、日本滞在中は無理だったので、上下2巻のアニメを本にしたものを、帰る前に空港で買った。帰りの飛行機を待つ間、読むというか、見ていたら、見ず知らずの中年のおじさんに、シドニー行の飛行機を待つゲートで、「それ、いくらでしたか?」と聞かれたので、びっくりした。ジブリはもはや子供むけのアニメではなく 大人も中年も老年も共通で愛されていることがわかって、嬉しかった。

ゼロ戦については、百田尚樹の「永遠のゼロ」を読んでいて、ゼロ戦がいかに低予算にもかかわらず優れた戦闘機だったか、を知った。「今思い出してもあのゼロには悪魔が乗っていたと思う。550ポンドの爆弾を腹二抱えてあれほどの動きができるなんて信じられない。」とアメリカ人パイロットに言わせた攻撃性と機動性を持っていた。しかし、日本軍は、「参謀たちはゼロの搭乗員は消耗品と言い、整備士は備品と呼んでいた。」のが実情だった。この作品は、ゼロ戦パイロットを主人公に、戦争の非情さと人間愛を描いた稀有な小説だ。漫画化されたようだが、小説に感動したのと、好きな漫画家が書いていないので漫画は読まない。

オットは第2次世界大戦前とベトナム戦争の中間に青春時代を送ったために どちらの戦争でも兵役を免れた。彼の2歳上の人々は強制的に徴兵でヨーロッパ戦線に送られた。彼より5歳若い人々は懲役制で、一兵卒としてベトナムに送られていた。この不人気なベトナム戦から帰ってきたオージーたちは、徴兵で行かされたのに、「ベトナムで女子供を殺してきた」、と帰れば非難され、世論に叩かれた。このころはアメリカもオーストラリアも兵役は国民の義務で、反戦思想から兵役を拒否すれば 「アカ」のレッテルを張られて国家犯罪者として刑務所に送られた。オーストラリアでベトナム参戦者が第1次世界大戦や第2次世界大戦の退役兵士として国の功労者として認められるようになったのは、つい最近のことだ。望もうが望むまいが 否応なしに戦場に送られたのだから すべての退役者が同等に評価されるようになったのは時の流れゆえだろう。しかし、オットがもしベトナムに送られていたら、私との結婚は絶対無かっただろう。

戦争が悲劇なのは、それを望む者はわずかな者なのに、実際に戦場で戦う圧倒的多数の若者たちは、自分の意思ではなく強制されて、それが必要だと思わされて戦うからだ。何て非人間的なことだろう。だから、どんなことがあっても兵役を強制する徴兵制だけは 絶対に認めてはならない。
阿部首相は、福島原発事故以来、1000トン単位の放射線汚染水を海に垂れ流しているのを知りながら、それを否定して見せたり、28万6千人の被災後 避難生活を続けていて、10万人の人が仮設住宅生活を強いられているのに、東京オリンピックを誘致した。辞退すべきだろう。28万6千人の人が避難生活している、そのとなりでお祭りをして誰が楽しいか? 3年たっても家に帰れない10万人の人々が仮設住宅で、不便しているとなりで、スポーツをやって誰が楽しいか?2020年にオリンピックが東京に決まった時、オットは「トーキョーよりフクシマが先でしょ?」とぼそりと言った。当たり前だ。本当に、東京オリンピックに使うお金を全部福島に回しても足りない。それが、オージーの常識だろう。
そんなことごとを話しながら、ホテルの夜は更ける。明日の今頃は シドニーに向かう飛行機の中だ。