2013年11月23日土曜日

映画 「舟を編む」

             


原作:三浦しをん
監督:石井裕也
キャスト
馬締光也 :松田龍平林香具矢 :宮崎あおい
西岡正志 :オダギリジョー
たけ    :渡辺美佐子
松本崩祐 :加藤剛
松本千恵 :八千草薫
岸部みどり:黒木華
佐々木薫 :伊佐山ひろ子
荒木公平 :小林薫
三好麗美 :池脇千鶴
ストーリー
大学院で言語学を専攻した馬締光也は 出版社玄武書房で営業部員として働いていたが 人と話すことが得意でないため、営業成績は最低だった。そんなとき、編集室辞書編纂部では、30年もの間勤めて来たベテラン荒木公平が退職することになり、人探しをしていて、馬締に白保の矢がたつ。馬締は、まじめ一方で趣味は読書。知識は豊富だが上手に人との関係を作ることができない。学生時代から10年余り下宿している早春荘の大家、たけに可愛がられ、たけの亡くなった夫の書庫を自分の図書館のように使っている。自分の部屋も 蔵書で足の踏み場もない。時間さえあれば本を読んでいる。

出版社にとって辞書編纂部は社内でも「金食い虫」と呼ばれ、数十年単位で編集出版される辞書を編集する部なので、ベストセラーや雑誌の様に出版するそばから売れて会社に利益を出す部ではない。地味なまじめ一方の学者肌の人材が必要だ。社では「大渡海」という名の新しい辞書を出版するために編集を進めているところだった。監修を務めるのは、この辞書を作るために大学教授職を辞めて玄武社にきた国語学者松本朋佑(加藤剛)、彼を献身的に支える職人肌の荒木公平(小林薫)、事務作業を一手に引き受ける契約社員の佐々木薫(伊佐山ひろ子)、そして入社5年目の西岡正志(オダギリジョー)の4人だった。馬締は、辞書編集部に移動してきて、その第一日目から松本部長の言葉に対する愛着と、辞書編纂への熱意を語られて、初めてやりがいのある仕事をみつけて発奮する。仕事は、「辞書はことばの海を渡る舟、編集部はその海を渡る舟を編んでいく。」地味で、果てしのない仕事だ。しかし学者肌だが面倒見の良い部長をもった編集部は、家族のような信頼でまとまっていて、馬締は 初めて自分の居場所をそこに見つける。そして馬締は、水を得た魚のように新しい仕事に没頭する。

ある日、下宿している早雲荘の大家たけのところに、京都の料理屋で修業していた孫の香具矢が帰ってくる。可憐な彼女に一目ぼれした馬締は、半死状態、、。編集部の面々の助けを借りながらやっと恋を成就させる。そして遂に馬締は香具矢と結婚にこぎつける。時間がたち編集長松本が癌で亡くなり、馬締が入部してから13年間かかって、辞書「大渡海」は完成する。というお話。

ちょっと変わった小説がベストセラーになっているという話は聞いていて、興味をもっていた。原作が手に入る前に 映画のチケットを娘が入手してくれた。シドニー日本文化交流フイルムフェステイバルというイベントのこけら落としに、この映画が上映されたのだ。日本では70万人もの視聴者を映画館に動員し、興行成績をあげたそうだ。
ふだん何げなく使ってきた辞書というものを作る人々が居て、何十年もの時間をかけて、地道に「言葉集め」をして、意味の解釈だけでなく用例集めや使用例を他社の辞書と比較しながら コツコツと編集する、その仕事ぶりに驚かされた。また流行語を含めた新しい言葉を常に探し求めて、新たに辞書に解釈を加えるだけでなく誤用例もあげていく。そんな編集部の苦労する様子が実に興味深かった。20数万語の言葉を収録するために15年間文字通り、一目一目を編んでいくような地道な歩みに目を見張る。
ただ、タイトルの「舟を編む」ということばには違和感が残る。舟を編むことはできいない。たとえ比ゆ的に「編む」という言葉が使われたにしても、自分は何となく日本語としてすんなり呑み込めない。しかしタイトルの斬新さゆえにこの本が好きになる人も多いのだろう。

石井裕也監督と馬締を演じた松田龍平とは、共に30歳だという。若い監督だが、実力がある。上質の落語のような会話の呼吸、間合いの良さが秀逸。誰かが何かを言う。その瞬間にガラリとその場の空気が変わり、居合わせた人がそれぞれその人なりの反応をする。その間合いと、変化の仕方をしっかり演技で見せてくれる役者たちがとても生きている。見ている人が自分の体験を思い起こしてその場にすんなり納得できて 深く共感できる。
香具矢に一目ぼれをして腑抜けになった馬締が出勤してきたところを、松田が後からふざけて脅かしただけなのに、その場に崩れ落ちて腰をぬかして立ち上がれないシーン。人とうまく話ができない馬締にちょっとした冗談やおふざけが通じなくて、かえって慌てる人の良い西岡がおかしくて笑える。西岡は一見軽薄に見えるが実は情のある、良くできた男だ。私は映画の登場人物の中でこの西岡が一番好き。社の予算が足りなくなって、馬締か西岡かどちらかが辞書編纂部から広報部に移動しなければならなくなって、それを誰にも知らせずに自分から潔く部を去っていく。後からそれを知らされて、馬締が必死で西岡を追うが突き返されて言葉を失い茫然と佇むシーンも印象的だ。どっちもいい奴なんだ。
編集部の面々が馬締が恋の病に陥ると すかさず香具矢の勤める料理屋に予約をとる、その息のあったチームワークの良さには笑いを誘い人の心をなごませる。編集長松本の人柄の良さゆえだ。仕事の後で居酒屋に皆を連れて行き、本音で部下との交流を図る。部下たちは熱い親父には勝てない、と文句を言いながらその親父を慕っている。こんな職場で働きたいと思う人も多いだろう。家族のようだ。

役者がみんな良い。西岡を演じたオダギリジョーがとても良い。この役者、個性の強い役柄を演じることが多いが、この映画のような普通の男を演じると、すごく光っていて魅力的だ。加藤剛と八千草薫の夫婦も良い。本当の仲の良い夫婦が一緒に年を取ったみたい。
主役の松田龍平と宮崎あおいは、難しい役を上手に演じている。
馬締は軽度のアスペルガー症であるらしい。これは 自閉症の一種でオーストリアの小児精神病医ハンス アスペルガーによって命名された症候群。対人関係に障害をもち、特定分野に強いこだわりを持ち、軽度の運動障害をもつ。知的水準は高く、言語障害も持たない。子供の時に「b」と「d」、「つ」と「て」、「わ」と「ね」の区別ができず、鏡文字を書いたりして発見されることが多い。ふつうに学校生活た社会生活ができ、「ちょっと変な人」くらいに認識されて何の問題もなく、家庭を持つ人も多いが、社会適応ができず ひきこもりやうつ病を併発する人も多い。ひとつのことに偏執狂のように異常な興味を持つ特性を生かして、芸術分野で優れた結果を出す人も居るが、自分の興味ない分野には、きわめて冷淡になる。そういった難しい役を松田龍平は、若いのによく演じていた。お父さんは松田優作だそうだが強い役者遺伝子を受け継いだみたいだ。
1988年バリー レヴィンソンの「レインマン」で、トム クルーズと共演したダステイン ホフマンが重度の自閉症を演じている。きっと松田龍平は役作りの過程でこのダステイン ホフマンを100回くらい見たのではないだろうか。

この作品、日本映画製作者連盟から、アカデミー賞外国語映画部門に出品されたそうだが、欧米で評価されるだろうか ちょっと心配。「仕事人間、過労死、残業クレイジーニッポン」の典型みたいに見られないといいけど、、。個が確立していて、個人生活重視、公私混同を嫌い、時間がきても仕事が終わらなくて残業すると自己管理ができない無能者とされ、残業どころか休暇は締切だろうが何だろうが、きっちり取る、、、他人の個人生活に介入しないことが礼儀とされて、職場ではどんなに信頼できる仲間でも互いの私生活には関心を持たない、、、そういった欧米型社会で育った人達に、この映画の良さがわかるだろうか。

編集長の部下に対する父親のような愛情、家庭よりも仕事への情熱、苦労を分かち合うことによって育つ職場での結束、仲間の犠牲になって自分から移動になる潔い部員、ボスへの敬愛、自己主張の強かった新人が職場の空気に染まっていく様子、夫を思いやり自分を決して主張しない謙虚な妻、家族の理解、愛情の示し方が下手だが心から妻を愛する夫。個を超えた共同体の中でこそ自分たちの達成感、満足感を充足させる日本人特性。日本人の優しい労わり合い。あうんの呼吸で仲間が育っていく環境のやさしさ。謙虚と潔さ。熱すぎず、ぬるすぎない、ぬくくて温泉みたいに心地よい映画だ。。映画を観ていると、日本人って、何て良いんだろうと思う。
さて、外国人はこれをどう観るか。作品は、アカデミー賞に輝くだろうか。結構、高く評価されて、「シャル ウィー ダンス」みたいに、この映画の欧米版「オックスフォード辞典を編む人々」なんていうコピー映画を、エデイー レッドメインみたいなハンサムな役者が主演して大成功するかもしれない。わくわくする。