2014年3月14日金曜日

映画 「トラックス」(道程)


    

http://www.sbs.com.au/movies/article/2014/03/11/tracks-film-lets-woman-thrive-outback

原題:「TRACKS」
原作:同名のロビン デビッドソン作、1980年ナショナル ジェオグラフィック出版
英豪合作映画
監督:ジョン クーラン
キャスト
ロビン デビッドソン    :ミア ワシコスカ
アフガンキャメルファーマー:ジョン ファラス
アボリジニーのミスタ エデイー:ロレイ ミンツマ
リック スモラン写真家  :アダム ドライバー

人は旅に出る。
理由は個人的なものだ。
今の自分にそれが必要だったから。思い立って、なんとなく、、、。
1977年2月、ロビン デビッドソンは、犬を連れて旅に出た。理由は、「WHY NOT ?」
気が向いたから、理由なんてない。あとから人々は理由をつける。きっと、彼女は自分を見つけたかったんだろう。自分の可能性を、どこまで行けるか試してみたかったんだろう。それに、自由になりたかったろう。心をとき放ち、たったひとりの信頼できる仲間の犬、デイゲテイを連れて、、。
まだ、若い20代の女の子、幼い時に母親が自殺して、親戚に預けられて育った。そのときまでいつも一緒だった愛犬は一緒に親戚に引き取ってもらえなくて、仕方なく安楽死させられた。それが一生の心の傷になっている。
それから時間が経って、大人になって、いまは信頼できる友達も、父親もいる。でも、孤独感は変わらない。人との会話が続かない。日常がわずらわしい。

いままで、それをやった人が居ないならば、やってみても良い。日常のわずらわしさ、人々との関係を継続していくことの苦痛。ひとり旅に出てみたら何かが変わるかもしれない。それならば、やってみても良い。大したことじゃない。海に向かって、ただ歩くだけ。愛犬デイゲテイを連れて。

そう心に決めてロビン デビッドソンは、オーストラリアのヘソの部分、エアズロックのあるアリス スプリングから西オーストラリアの砂漠を横断して、インド洋までの2700キロメートルを9か月かけて単独走破した。4匹のラクダと愛犬を連れて。
20歳代の若い女性が たった一人でコンパスを頼りに徒歩で砂漠を横断した前代未聞の偉業は、すぐに世界的なニュースとなって、彼女の到着を待って世界中からマスコミが殺到した。ロビン デビッドソンは、そんなマスコミから、隠れて身をひそめ、泣きながら逃げ回る。脚光をあびるために、やったことではない。旅はいつも、個人的なものだ。

この映画は実在のロビン デビッドソンが、アリススプリングから、西海岸のジェルトンまで砂漠を単独走破したときのことを再現した記録だ。人との関係をつなぐことが得意ではなくて、本当に心が通じ合えるのは、黒いラブラドール犬だけ、という若い女性が、1977年2月に、ひとり思い立って2700キロメートルの距離を歩いた。その前に、彼女はアリス スプリングのラクダのファームで働きながら、ラクダの飼いならし方を学ぶ。オーストラリアでは、19世紀にアフガニスタン人が、交易のために、たくさんのラクダを連れて入植していた。そのときのラクダが野生化して繁殖し、今では オーストラリアは世界で一番沢山のラクダが生息する国になった。アフガニスタンに逆に輸出してもいる。ラクダのファームでは 野生のラクダを、ヘリコプターやジープで追って捉え、飼いならして馬のように砂漠を移動したり、物を輸送するのに使う。オーストラリアの20%は、砂漠で、海岸地帯以外、国土のほとんどが乾燥地帯だ。ラクダによる移動は必須だ。

いくつかのラクダの農場を移動しながらロビンは、ラクダの習性を学び、何か月もの労働の報酬として、3頭のラクダを貰い受ける。出発まじかに1頭のラクダが 野生のラクダに襲われて子供を出産する。4頭のラクダに食糧やテントを積み込んで、さあ、出発だ。
しかし先立つものがない。ナショナル ジェオグラフィック本社に資金のサポートを依頼していた。本社から待ちに待った返事がきて、資金をあてにできることになった。しかし、彼らは、プロンカメラマンを送ってきた。リック スモランという如何にも軽薄そうな男だ。カメラマンはロビンが砂漠を横断する要所要所で、ロビンを待っていて、写真を撮って本社に送るという。ロビンは写真を取られることが嫌で嫌で仕方がないが、写真の一枚一枚が、砂漠での自分の飲む水代になる。やむを得ないこととして、受け入れる。

まずアリス スプリングからエアーズロックまで歩く。アボリジニの部落に宿泊させてもらう。ここはアボリジニの聖地なので、決められたところしか立ち入ることができない。カメラマンは、その夜、アボリジニの聖なるセレモニーがあることを聴きつけて、眠ったふりをして深夜に行われたアボリジニーの秘儀をカメラに収めた。怒ったアボリジニーの長老は、ロビンが予定していた道を通る許可を取り消した。大事にカメラを抱いて、ジープと飛行機で都市に向かうカメラマンを背にして、ロビンは自分の予定していた砂漠の横断路から、大きく迂回したルートを、歩かなければならなくなった。
ひとり旅を続けるうち、アボリジニのグループに出会う。そこで、ひとりの年よりが親切に案内役を買って出てくれた。ロビンはこの ミスターエデイから、火の起こし方や、ウサギを解体して料理する方法や、薬草の採取の仕方を学ぶ。こんな優秀な砂漠の案内役も、お礼の猟銃を手にしてしまうと、サッサと自分の部落に帰ってしまう。
再びひとり歩くうち、野生のラクダに襲撃されたり、4頭のラクダが勝手に遠くに行ってしまったり、コンパスを無くして、探しに戻ったり、様々なアクシデントに見舞われる。ひとつひとつのトラブルを乗り越えながら それでも旅は続く。

目的地のジェラルトンに近付いて、9か月にわたった旅も終盤に入り、ロビンの人生にとって最大の危機が訪れる。無二の親友、ロビンにとって最高の理解者であり、片時も彼女から離れたことのなかったデイゲテイが、ウサギや野犬などの害獣を殺すために撒かれた毒団子を食べて、苦しみながら死んでしまったのだ。デイゲテイを失ったロビンは 茫然自失となって何もかも投げ出しそうになる。何日間も食べも、飲みもせずにただただ力を失って空を見ていた。ロビンを現実世界に連れ戻したのは、カメラマンのリックだった。底なしの孤独に陥っていたロビンは、人のぬくもりを得て。辛うじて再び歩き始める。そして遂にインド洋に達する。旅は終わったのだ。
彼女の行程と、その時その時で撮られた写真は ナショナル ジェオグラフィックに掲載され、その2年後には、彼女の記録とともに本になって出版された。

360度、どこまでも広がる砂漠が美しい。「アラビアのロレンス」に出てくる、果てしのない砂漠の美しさに重なる。どうして砂漠に留まっているのか、とアメリカ人記者に問われて、ロレンスは「どうして砂漠が好きかって?砂漠は清潔だから。」と答えた。彼もまた人との関わりが得意でない、孤独の海を彷徨う詩人だった。
ロビンは生まれた時からいつも大きなイエローレトリバドッグを遊び相手にしていて、人とのコミュニケーションを必要としていなかった。犬は彼女の親友だったし、唯一の話し相手であり、保護者であって喜怒哀楽のすべてを共有できる相手だった。その犬が、母の自殺を契機に家庭が崩壊し自分が親戚に引き取られることによって、安楽死させられる。そして、再び自分を支えてくれた道連れデイグテイを失って、ロビンは生きる希望を失ったようになる。犬を失うことが、どれだけの痛みか、とてもよくわかる。友達や親や猫を失うのとは全然ちがう。愛した猫を失うのは、悲哀。親を亡くすのは予想された別離であり、解放でもある。友達を無くすのは痛恨。でも、犬を無くすのは自分の手足をもがれるような、自分の体の一部を奪われるような喪失だ。犬を無くす悲しみは、何とも耐え難い。生まれた時から成犬になり、老犬になるまで、本気で犬と付き合い人生を共にした人でないと分からないかもしれない。そうした犬との交流は、一生にただ一匹なのだ。

人と人生を共有していた犬とを一緒に脳のシンチグラムにかけて、同時に同じ音楽を聞かせたり、映像や写真を見せて脳の血流の状態を調べると、人と犬とが顔を合わせているわけではないのに、全く同じところで喜びを感じ、同じところで幸せ感に反応したという実験結果がある。人と犬とは、長く一緒に暮らすと同じものを見ると、同じ感情が流れ、似た者同士となって一体化するのだ。人間が相手では、そうはいかない。
映画を観ながら犬を失ったロビンにとても共感した。カメラマンが要所、要所で待っていて、写真を取ろうとすると、舌打ちしたり、報道陣から泣いて逃げ回るロビンにも好感がもてる。旅を自分のために自分自身で完結させたロビンに心から拍手を送る。本当に立派な女性だと思う。

実在のロビンは まだ60になるかならないかの、とても美しい人だ。湖の底みたいな青い大きな目のブロンズ、立ち振る舞いの優雅な魅力的な女性だ。鉄人レースに出てくるようなキン肉マンではない。彼女の役を演じたミア ワシコウシカよりも、断然本人のほうが美しいという、事実がおもしろい。(ふつうは逆だろう)
プリテイーウーマンのジュリア ロバーツが本当は演じる予定だったのだという。撮影期日の都合で役者が変わって、良かったのか悪かったのかわからない。でも、ジュリア ロバーツにはもう20代前半の冒険者の役は無理かもしれない。オーストラリアの風景に中で、オージー魂を持った、ワシコウシカというオージー女優が、終始怒ったような無表情な顔で演じた。それも良かった。