2012年8月6日月曜日

映画「エイブラハム リンカーン バンパイヤーハンター」

           

エイブラハム リンカーン(1809-1865)は、日本人に最も親しまれているアメリカ大統領ではないだろうか。ワシントンを旅行した人は 必ずワシントンDCの記念館で、どでかい彼の椅子に座った銅像を見物させられるだろうし、リンカーンと言われて、すぐに眉の太い ヒゲ顔の暗い、憂鬱そうな怖い顔を思い浮かべるだろう。歴代アメリカ大統領のなかで 顔と名前が一致する人はそれほど居ない。顔写真をみて名前を挙げるというゲームをしたら ジェファーソン、マッカーシー、トルーマンなど すぐには思い浮かばない。GHQのマッカーサーでさえ あのレイバンのサングラスがなかったら 顔を見ても分からない人のほうが多いだろう。


それだけリンカーンが日本で知られているのは、何故だろう。
小学校低学年の教科書で、リンカーンと桜の樹のエピソードがあった。幼いエイブラハムが父親に斧をもらって、嬉しくてつい父親の大事にしていた桜の樹を切ってしまった。隠しておきたかったが、勇気を出して父親に事実を告げ謝罪した。父親は彼を叱らずに 自分の過ちを認めた彼の勇気を褒めた。という美談だ。小学校で先生が得意そうに 生徒にこれで説教するのを聞きながら、なんか陳腐な話しだと、子供ながらに冷笑していた。この頃に桜の樹がケンタッキーに生育していたとも思えない。作り話だ。
また 彼の有名な演説 オブピープル、バイピープル、フォーピープルを知らない人は居ないだろう。奴隷制拡張に反対し、アメリカ合衆国を二分し、議会の承認なしに 独力で南北戦争を指揮した。同時に、インデアンを保留地に追い込み、民族浄化ともいえる大虐殺を指揮した。そして、南軍のロバート リー将軍が降伏し、南北戦争が終結した直後に 暗殺された。

彼のいうピープル(人民)のなかにアフリカンアメリカン(黒人)も、インデアンも入っていない。奴隷制は終息したが、選挙権などの基本的人権は全く認めていない。もともとリンカーンは 黒人が白人と同じ対等な人間とは思っていなかった。まして、インデアンに至っては、抹殺すべき人類の敵だと考えていた。
しかし、いま彼は「奴隷解放の父」と呼ばれ、アメリカフロンテイア精神の代表者、パイオニア(開拓者)の代表者として尊敬されている。丸木小屋で育ち、無学の両親のもとで、斧で樹を切ることに長けていた。独学で学問をして 弁護士となり、大統領にまで登りつめたことは偉業に違いない。

映画「エブラハム リンカーン:バンパイヤーハンター」3D を観た。
原作: セス グラハム スミス
監督: テイムール べグマンベトフ
製作: テイム バートン

キャスト
リンカーン:ベンジャミン ウォーカー
妻マリー :マリー エリザベスウィンステット
幼馴染ウィリアム:アンソニー マックフィー
親友ヘンリー:ドミニック クーパー
吸血鬼バドマ:エハン ワーソン
吸血鬼アダム:ルフ セウェル

ストーリーは
第16代目アメリカ大統領エイブラハム リンカーンの本業は 吸血鬼狩りだった。夜な夜なリンカーンは斧を振り回して吸血鬼を退治していた。そして、ついに吸血鬼との全面戦争、南北戦争に突入する。南部アメリカに、はびこっていた吸血鬼は アメリカ征服を企んでいたため、北部の人間との全面戦争を避けられなかったのだ。奴隷解放は、吸血鬼の食料源を断つために必要だった。厳しい戦争を勝ち抜いて、ついにアメリカは人民の、人民による、人民のための国家を建設することができました。
というお話。

ここまでアメリカの現代史を茶化すことができる、ということに、まずびっくりした。この小説「バンパイヤーハンター リンカーン」(2010年)が人気小説になり、それをテイム バートンが映画にしてしまう というのも、すごい。カザクスタン出身のロシア人が監督して、奇才テイム バートンが製作すると、立派な作品になってしまう、ということも驚きだ。
リンカーンが振り回す斧で吸血鬼がぶっちぎれて 血肉が吹き飛ぶという予告を読んでいたので、怖くなったらすぐに映画館を出るつもりで最初から端の席で脅えていた。しかし、映画が始まったとたんにストーリーに引き込まれて、とてもおもしろくかった。
リンカーンンが斧ひとつで、バットマンと、スパイダーマンと、アイアンマンと、ハルクと スーパーマンを足したくらいの活躍をする。そんな彼が家に帰れば 無名の好青年。妻メアリーとのロマンスも感動的だ。

印象に残った大スペクタクルは二つ。
ひとつは 暴れ馬が200頭くらい暴走するシーンだ。馬に飛び乗って逃げる瀕死の吸血鬼をリンカーンが追う。臨場感いっぱいの馬の群れのなかで、飛び乗って、振り落とされたり、馬から馬へと乗り移ったりしながら、片手で斧を振りかざして戦う一騎打ちのシーンが迫力がすごくて 手に汗を握る。
もうひとつは、列車で武器を満載して南部戦線に向かうリンカーンたちを、吸血鬼が襲い、橋が崩れ落ち、列車が火に包まれるシーン。橋が落ち、列車が次々と谷底に落ち、リンカーンらが乗った車両は落ちても、済んでのところで助かるに決まっているのだけど、いつもハラハラする。

また着飾った吸血鬼たちが、屋敷で晩餐会を開催している。モーツアルトの曲に合わせて 人々は優雅に踊り、飲み、楽しんでいる。シャンデリアにシャンパンに、贅沢なお客たちの衣装。そこで、突然、屋敷主が 「皆様、お食事の支度ができました。」と言ったとたんに 吸血鬼たちが ダンスで手を組んでいた相手の咽喉笛にガブリと食らいつくシーンが おもしろかった。

アメリカ版ブラックユーモア健全 ということか。すっかりおもしろくて、リンカーンの活躍に感動すらしてしまった。日本では、吸血鬼を東電にあてはめて見ることもできる。斧ひとつで退治してくれる 日本版リンカーンが居ないだけだ。

2012年7月27日金曜日

オペラオーストラリア公演「アイーダ」

                                   
オペラオーストラリア定期公演の「アイーダ」を観た。

1870年 ヴェルデイ作曲
初演;1871年 カイロ オペラ座
4幕 2時間30分 イタリア語
演奏;オーストラリアオペラ バレエオーケストラ
指揮:アルボ ヴォルマー
監督:グレイム マーフイー

キャスト
アイーダエチオピア王女:  ラトニア モーア 
ラダミスエジプト軍将軍:  ロザリオ ラ スピナ
アムネリスエジプト王女:  ミリアナ ニコルフ
アイーダ父エチオピア王:  ワーリック ファイファ
アムネリス父エジプト王:  ジェド アーサー

「アイーダ」はオペラの中でも 豪華絢爛、派手で立派でスペクタキュラー。堂々とした凱旋の歌が 劇中、何度も何度も繰り返されるので、勇ましくて、最も好きなオペラだ。エジプトでは、新年のお祝いに、ピラミッドの前で公演が行われたりしてきた。
ヴェルデイは、「リゴレット」、「椿姫」、「トロバトーレ」、「ドンカルロ」、「オテロ」などを作曲したが、このオペラはイタリアオペラの良さを存分にて味わうことができる。
5年前にオペラオーストラリアで観たが、再演されることになって、どうしても観たいと思ってきた。長いことオーストラリアで たくさんのオペラを観てきたが、印象的で いつまでたっても、どうしても忘れられないオペラは、そう多くない。この「アイーダ」と、「真夏の世の夢」くらいだ。どちらも 意表をつく舞台の作り方をしていて 舞台美術のお手本のような素晴らしい作品だった。

「アイーダ」では、舞台の前に、端から端まで細長いプールが出来ていて、これがナイル川。登場人物たちが咽喉の渇きを癒したり、バレエ団が泳いで渡って見せたり 川べりでニンフ達が遊び呆ける姿を見せてくれて とても楽しい。
物語は三角関係の末に 愛し合う二人が悲劇の死を迎える悲劇だが、ファンファーレが鳴り響き 凱旋の行進とともに50人を越える男性コーラスが力強い合唱をする。その立派な行進とそれを取り囲む豪華な衣装の王族達、バレエ団の踊りなど 華やかな明るさに満ちている。舞台一杯に すべての登場人物がそろうと100人ちかい人々が 晴れやかに歌う。観ていてオペラって何て素敵なのだろう、と心から思う。

ストーリーは
エジプトの若き将軍、ラダミスは 将来エジプト国王の一人娘アムネリスの夫に選ばれることになっている。アムネリスは心から 勇敢なラダミスを慕っていた。ラダミスが戦勝っをあげて帰国し次第 王女と結婚して、国王は引退して王座をラダミスに譲るつもりでいた。

ところが、実はラダミスは エチオピアから連れて来られて奴隷になっているアイーダと 密かに愛し合っていた。
エジプト国王はラダミスを、エチオピア討伐に行かせる。アイーダは愛する人の安全を願いながらも、祖国への愛と父親の安全を危惧して、苦しむ。アムネリス王女は かねてからアイーダが誰かを愛しているのではないか と思っていた。ラダミスの留守中に、試してアイーダに、「ラダミスが闘いで殺された」と言って見る。それを聞いて 取り乱すアイーダの様子を目にして、王女は アイーダが間違いなく自分の恋敵であったことを知ってしまう。

ラダミス将軍は、勝利の歌とともに凱旋する。強国エチオピアを打ち破り、国王達王族を捕虜として辱めるために引き連れてきた。アイーダは愛する人が無事で帰ってきてくれて、嬉しいが、自分の父親や兄弟の変わり果てた捕虜姿を見て悲嘆にくれる。

捕虜となったエチオピア国王は、悲しむ娘アイーダに巧みに近付き、その夜、監視のない逃げ道を聞き出そうとする。父に祖国への愛と忠誠を迫られ、拒みきれなくなったアイーダは ラミダスに 逃げ道を聞いて、父親に伝えてしまう。捕虜達は逃亡し、追っ手が出され、国王は捕獲されて殺される。しかし、結果的にエジプトに裏切りを働くことになってしまったラダミスは 謀反人として審判にかけられ、死刑を言い渡される。刑罰は生き埋めの刑。
ラダミスが、砂漠に埋められた石棺の中に入っていくと、そこには、逃げたはずのアイーダが待っていた。二人は再会を喜び合い、ともに抱き合って、息絶える。地上では 愛する人を失ったアムネリスがラダミスの冥福を、一心に祈っている。
というお話。

今回の主役 ラダミスは オーストラリア生まれのイタリア人、ロザリオ ラ スピナだった。大好きな歌い手。すばらしく甘い、伸びのあるテノールを聞かせてくれる。6年くらい前、イタリアから帰国したばかりで新人として「リゴレット」を演じた。美しい声に感激したが、オペラが終わってオットと劇場を出たところで、たった今 感激させてくれたこの青年が、ひとりきり ひょいと舞台裏から出てきて、歩いて帰るところだった。思わず、バイバーイと、手を振ると、にっこり笑って手を振ってくれた。何の飾りもないブーツにジーパン姿の好青年の後姿に、思わず見惚れてしまった。
その時から何年もたったが、彼は二倍の大きさになっていた。しばらく見ないうちに、しっかり太って貫禄がついていたのには驚いた。スパゲテイの食べすぎか、、。アンドレア ボッチエリのような声の輝きはない。ホセ カレラスや パバロテイのような強靭さはない。プラシド ドミンゴのような明るい、伸びやかなう美しい声だ。ヨーロッパで活躍しているらしく、オーストラリアにあまり帰ってきてくれないが 今後もここで歌って欲しい。

ソプラノのラトニア モーアはアフリカンアメリカン。声につやと輝きがあって、キャサリン バトルのような声に清らかな美しさがある。彼女も太っていて、彼女とロザリオ ラ スピナが抱き合ってアイの歌を歌っていると、互いの腕が腰まで回らないみたい。二人のウェストを合計すると3メートルくらいか、、。
でも二人とも声が素晴らしい。

アルトのアムネリス役は背が高く舞台栄えのする人だった。登場人物すべての衣装が とにかく秀逸。白地の長いガウンに金色をたっぷり使った冠や衣装はとても豪華で美しい。
とてもとても豪華で晴れやかで素晴らしい舞台だった。忘れられない。いつまでたっても、凱旋の歌が頭の中で鳴り響いている。

2012年7月25日水曜日

映画 「ダークナイト ライジング」

                             
ワーナーブラザーズ アメリカ映画

原題:「DARK KNIGHT RISES」
原作:ボブ ケイン 1939年 
上映時間:2時間45分
監督:クリストファー ノーラン

キャスト
ブルース ウェイン  :クリスチャン ベール
執事アルフレッド   :マイケル ケイン
ウェイン財閥代表   :モーガン フリーマン
キャットウーマン   :アン ハサウェイ
ジョン ブレイク刑事 :ジョセフ ゴードン レビット
ジム ゴードン刑事局長:ゲイリー オールドマン
殺し屋べイン     :トム ハーデイ
ミランダ       :マリオン コーテイヤル

ストーリーは
ゴッサムシテイー市長、ハービー デントが死んで8年が経った。彼の捨て身のギャング団、壊滅作戦の功績によって、街に平和が戻った。と、市民は信じている。実際にはハービー デントは、刑事局長ジム ゴードンの家族を人質にとって、レイチェルを失った仕返しに、ゴードンを襲って殺そうとしたところを、バットマンとゴードンの力によって葬り去られたのだった。事実を知っているのは、ゴードン刑事局長とバットマンだけだ。このために、バットマンはハービー デント殺しの容疑者として警察に追われている。

このジョーカーとの闘いで、全身に傷を負ったバットマンこと ブルース ウェインは、この8年間 治療に努めてきたが、杖をついて歩く身となっていて、人前に出ることを避け、隠遁生活をしていた。
にも関わらず、謎の女、セリーナ カイル(キャットウーマン)が介入してくる。折りしも、ロシアの核物質物理学者のカーボ博士が誘拐され、凶悪犯テロリスト、べインが現れて、ゴッサムシテイーを破壊しようと企てていた。

ゴードン刑事局長が、誘拐され瀕死の重傷を負って助け出された。彼は、部下の新人刑事ジョン ブレイクに、この窮状を救えるのはバットマンだけだ、と漏らす。ブレイク刑事は ブルース ウェインを訪ねる。
彼は8年前、バットマンがゴードン刑事局長の家族を助けるために戦っている時に殉死した警官の子供だった。孤児となった彼は ウェイン財団の経営する孤児院に保護されて育った。孤児たちにとってバットマンは英雄だったが、ウェイン財団のブルース ウェインも 自分達と同じ孤児だったという意味で英雄だった。みなは、孤児だったウェインが仮面を被り、悪人をやっつけてくれるバットマン、その人ではないかと、いつも語り合っていたのだ。彼は、バットマンに帰ってきて欲しいと、ブルース ウェインに懇願する。

体中に傷を負い 心の支えだった恋人レイチェルを失ったブルース ウェインは、もう引退するつもりで居た。しかし、この新人刑事ブレイクの言葉に励まされ、今がバッドマンの再稼動の時期だ、と思い定める。それを観ていたアルフレッド執事は、怒る。両親を失ったブルースを親代わりになって世話してきて いつか彼が妻と子供をもち、静かな生活をする姿を夢見て生きてきたが、傷だらけになりながら 命を惜しもうとしないバットマンを、もう世話することに耐えられない。何世代も前から家族のためにつくしてきた執事は去っていった。しかしブルース ウェインは執事の忠告など聞いていない。ゴッサムシテイーに 凶悪テロリストのべインがやってきたのだ。

極悪者べインは株式市場を占拠する。市場操作で、一夜のうちにウェイン財閥は破産させられた。経営権は クリーンエネルジーの会社を経営するミランダの手に渡った。市のフットボール会場で爆弾が破裂して何千人もの被害者が出る。ゴッサム市に渡るための橋は すべて破壊され、たったひとつ残った橋は封鎖され、全米本土と隔離される。警察官たちは そろって地下に封じ込められた。べインの暴力は街中でほしいまま荒れ狂う。

8年間姿を消していたバットマンが登場する。しかし罠にはまってべインに攻撃され瀕死の重傷を負って 砂漠のなかの地下深く、二度と外に出ることが出来ない牢獄に監禁される。二度と立つことが出来ないと思われるブルースに 食べ物を与え、傷に治療を施してくれたのは 生まれたときからその地下牢にる老人達だった。辛うじて立つことができるようになったブルースは、自己訓練を重ね、遂に深い井戸から脱出する。

バットマンが ゴッサムシテイーに戻ってきた。
ウェイン財閥が開発してきた新エネルギーの核が、べインたちによって盗み出され、カーボ博士によって核兵器に作りかえられてしまった。取り戻してリアクターの中に戻さないと 爆発してゴッサムシテイーが吹き飛んでしまう。原子爆弾の奪い合いのなかで、バットマンはウェイン財閥を買収したクリーンエネルギーのミランダが、実は世界の破壊を目論む本当の敵であったことがわかる。べインはミランダの番犬でしかなかったのだ。ミランダの父親ヘンリー デュカードは、バットマンの宿敵で世界の破滅だけを望んでいる男だった。
バットマンは敵の手に渡り、安全スウィッチを解除され、爆発まであと数分という段階の原子爆弾を、自分の空飛ぶ自家用車にくくりつけ、できるだけゴッサムシテイーから離れた海上に飛んで行き、、、。
というお話。

これでバットマンが 完結して終わった。
第一作「バットマン ビギンズ」2005年と、第二作「ダークナイト」2008年に続いて、これが第3作目で完結した。監督クリストファー ノーランの作品のなかで最もヒットした作品だろう。
主演のクリスチャン ベールを、執事役のマイケル ケインと、ウェイン財閥のモーガン フリーマンが しっかり支えるという芸達者3者3様のコンビネーションが絶妙だ。単純なアメリカンコミックを、ノーラン監督が バットマンという理不尽にも両親を暴漢に殺された青年が、正義とは何か、警察や社会のルールに正義はあるのか、思い悩むひとりの青年の姿を描くことによって、命を吹き込むことに成功した。悪と戦う暴力シーンが多いが、それ以上に、最新式メカニックマシンや 多機能の車や、飛行する車の登場に目を奪われる。そして、どんな苦境に陥っても、人を信頼することを止めないバットマンの強さと弱さが描かれている。

とてもよくできた映画で、3時間近く画面から目が離せない。場面展開が速く、ストーリー展開も速いので、ひとつひとつのデテイルを追うのが大変だが、笑えるシーンもたくさんある。
隠遁していたブルース ウェインが母親の大切にしていた真珠の首飾りをキャッツウーマンに盗まれて、取り返しにパーテイー会場にいく。何年ぶりかに初めて外出したブルースが、車から杖と不自由な足を出したとたんに、マスコミの記者達が、一斉にカメラを向けてフラッシュを焚く。でもブルースがカチリと足につけたスイッチを押したとたんに フラッシュが消えカメラが作動しなくなって記者達があわてふためくシーンなど、映画の中では一瞬だが、 バットマン第一作でおなじみのテクを知っていて見逃さずに居ると、とても笑える。

娯楽映画だから、楽しい。しかし、公開されたばかりの7月20日に、コロラド州デンバー郊外の映画館で上映中に銃の乱射事件が起こり、6歳の女児をふくむ12人が亡くなり、58人の怪我人が出た。容疑者は自分がジョーカーだと名乗っており、自宅にバットマンマスクも持っていたと報道されている。銃がネットで買える国、アメリカで起きた悲しい事件だ。

好きな映画に好きな監督、好きな役者が演じた映画なので もんくは言いたくない。しかし、クリーンエネルギー研究をウェイン財閥がやっており、研究用の核が容易に原子爆弾になって、ゴッサムシテイーの海上に投棄されるというラストシーンは 変更されるべきだった。漫画なのだから、原子爆弾ししなくても 新種の液体爆弾とか、月からもってきた新種の黴菌爆弾とか、考えられるだろうに、、、。 4メガトンの原爆を、爆発数分前のところをバットマンが抱えて海上に持ち去る。4メガトンといえば 広島に投下された原爆の数千倍。新幹線並みの速さで、それを捨てに行っても 12ミリオンの市民の住む街から それほど遠くまで運べない。バットマンのおかげで市民は救われたことになったが、街から数キロ先の海上で爆発した原爆は 何千度もの熱さで煮えたぎり(広島では土壌の温度が6000度)、大津波が起きて、街を波で洗いさらうことだろう。ラストシーンで 海から湧き上がるキノコ雲を見ながら バットマンによって助かったと思い込んだ市民は みなことごとく被爆したのであって、助かったのではない。

2012年7月19日木曜日

映画 「星の旅人たち」


原題;「ザ ウェイ」(THE WAY)
監督:エミリオ エステべス
キャスト
息子ダニエル :エミリオ エステべス
父トーマス   :マーテン シーン
ジョ-スト   :ヨリック バン ワゲニング
サラ      :デボラ カラ ウンガー
ジャック    :ジェームス ネベスト

ストーリーは
ニューヨークで眼科医をしている初老のトーマスのところに 息子ダニエルがピレネー山脈で事故死した、という知らせが入る。トーマスは ずっと前に妻を亡くし 長いこと気心の知れた友人を持ち、一人で気楽な暮らしをしていた。一人息子のダニエルが どうして、そんな遠いところに、、、急遽トーマスは、フランスに飛んで、そこでダニエルの遺灰を受け取ることになる。息子は、スペインのサンチャゴ デ コンポステーラに向かう巡礼路の途中、ピレネー山脈で嵐に遭い、遭難したのだった。

たった一人の息子を失って呆然としているトーマスに向かって、息子の葬送に立ち会った牧師は 息子に代わって巡礼を続けてみたらどうか、と勧める。成人してから 教会に、縁が無かった。自立してからは、専門家として立派に仕事をしていた息子が、何故、突然巡礼の旅に出ることを思い立ったのか、わからない。そんな息子の魂の旅を見出そうと、トーマスは息子の遺灰を背負って、巡礼の旅を始める。 フランス、スペインを縦断する全長900キロの巡礼だ。少なくとも歩いて、ひと月はかかる。

 トーマスは、巡礼路の標識ごとに、息子の灰を撒きながら歩く。歩き疲れると、息子の元気だった時の姿が 行く手に見えて、息子と二人で歩いているような気持ちになる。 道行に ジョーストという若いオランダ人の若者が、加わる。彼は陽気でおしゃべりだ。巡礼で痩せて、別人のように立派な男になって帰国したいと、考えている。また、サラという カナダから来ている、やせぎすの女が加わる。粗暴な夫から逃れてきた、チェーンスモーカーだ。彼女は巡礼を契機にタバコを止めたいと願っている。そこに、さらに、アイルランドからきた小説家、ジャックが加わる。ジャックは、イエッツやジョイスのような文豪を夢みて物を書いてきたが、行き詰まって、巡礼することを契機に立派な小説を仕上げたいと考えている。

街道に沿って、歩き疲れると、教会に付属している簡易宿泊施設に世話になる。歓待して食事を出してくれるとことがあるかと思うと、うなぎの寝床で高額の宿泊費を請求されるところもある。世界中から沢山の人々が、巡礼に来ている。 息子と二人きりで対話しながら、静かな巡礼をしたかったトーマスに 若い同行者が加わると 小さなトラブルも喧嘩も起きる。息子の遺灰の入ったバッグを盗まれたり、争いが起きたり、様々な体験をしながらも、4人そろって、ついにスペインを横断、北部のサンチャゴ デ コンポステーラ大聖堂に到着。巡礼を終える。トーマスが 最後に残った遺灰を海に撒くシーンで この映画は終わる。

スペイン、ガルシア州、サンチャゴ デ コンポステーラへの巡礼は、ローマ、エルサレムと並んで、世界のキリスト教の三大巡礼地だ。 フランスからピレネー山脈を経由して バスク地方を通り、スペイン北部へと至る。最終地の大聖堂には イエスの12使徒の一人、聖ヤコブの遺骸が収められていると言われている。その手前には、モンテ デルゴソ「歓喜の丘」があり、これを含めた巡礼路は、ユネスコ世界遺産にもなっている。スペイン語では、巡礼路を「サンチャゴの道」と言い、フランス語では「サン ジャックの道」と呼ばれ、スペインとヨーロッパとを繋ぐ路でもある。 年間10万人が巡礼し、その巡礼路には無料の宿泊施設もあり、巡礼者手帳が発行される。距離にして900キロ、一日30キロ歩いても、ひと月かかる距離だ。

話では聞いていたが、そうした巡礼というものがどういうものか、この映画で、初めて体験できた。何といっても景色が素晴らしい。ピレネーの山々を黙々と歩く。山を越え、また山を越える道中だ。日暮れにたどり着いた古い教会で寝返りも、打てないような狭い施設に詰め込まれたり、寂れた教会に招き入れられると、牧師が狂人だったり、清潔なホテルのような所で食事を提供されたり、路で震えながら野宿したりする巡礼の旅が興味深い。
一番おもしろかったのは、4人が付かず離れずのグループになってから、些細なことでトーマスが怒りだし、暴れまくって地元の警察に逮捕、拘束されたのを、3人で身柄引き受けに行くところ。、、、で、 再び自由になって、巡礼に加わったトーマスが、一泊だけ高級ホテルにみんなを招待する。久しぶりに浴びられるシャワーに大はしゃぎする同行者たち。豪華なお風呂、清潔なシーツ、柔らかいベッドに暖かい食事。4人が4様に、のびのびと体を伸ばしてみたあと、夜が長い。それで、一人、また一人と、トーマスの部屋に何となく理由をつけて集まって来てしまう。みなが顔を合わせて、大笑いするところは、圧巻だ。この映画の見せ所だろう。
息子にために巡礼を始めたトーマスにとって、このような国籍も性格も年齢も巡礼にいたる理由も異なる雑多な4人が、共に歩いているうちに互いになくてはならない心の絆で結ばれるようになるなど、予想もしなかったことだったろう。

映画の中でトーマスを演じているマーテン シーンは71歳。誠実で責任感の強い年寄り。本人そのものの様な人柄で、この役を演じている。監督エミリオ エステべスは 実際にマーテン シーンの息子でもある。この映画は 息子が、心から尊敬する役者である父親のために作って、自らメガホンを握った作品なのだ。シーンは、過去30年間に出演した映画の中で最高の役を息子から贈られ、演じることが出来て幸せだ、と言っている。シーンの父親はスペイン人だというから、親子3世代で、スペインのルーツをこの映画でたどった、と言うことができる。

マーテン シーンは、「アメイジング スパイダーマン」で、スパイダーマンの心の支えである叔父さん役で、出演している。しかし、彼は何と言っても、「地獄の黙示録」の ウィラード大尉役が、印象に残っている。オバマ大統領の熱烈支持者で、死刑廃止論者。人権、社会運動活動家で、67回逮捕される経験を持つ。反捕鯨団体、シーシェファードの支持者でもある。独特のインパクトのある良い役者だ。

巡礼の旅をテーマにした映画だが、宗教くさくない。とても人間的な映画だ。
一番私が好きなところは、行き着いたサンチャゴ デ コンポテーラ大聖堂に感動して涙を流し、「これで生まれ変わってきっぱりタバコを止める」と決意したはずのサラが 最後の場面で、ひょいと、ポケットに手をやり、タバコを口にくわえるところだ。とても、笑える。

そう、そうなのだ。苦行難行の巡礼をして心を清め、惰性を改め、新たな決意をしてみても、痩せて男前になってオランダに帰りたいジョーストは、旅の間もいぎたなく食べてばかりいて、永遠に痩せて男前になることはないだろうし、書くことに行き詰まった小説家ジャックは 巡礼後も、スラスラと文章が泉のようにわいて出るわけはないのだ。トーマスにしても、息子が何故、ニューヨークで成功していたのに 突然巡礼の旅に出て死んでしまったのか 巡礼をしてみても、わからないままだ。 巡礼のあとで、サラがひょいと、タバコをくわえるように、人はどれだけ決意してみても、 自分は自分でしかないことを知ることが出来るだけだ。 この映画の、なかなか ひねりの効いた というか、自然体の、最後のユーモアが気に入った。小さな作品だが、観た後で じわじわと味が出てくる、良い映画だ。

2012年7月10日火曜日

映画「アメイジング スパイダーマン」

      
原作:スタン リー&ステイーブ デイッコ
 監督:マ-ク ウェブ

キャスト
ピーター パーカー :アンドリュー ガーフィールド
グウェン ステイシー:エマ ストーン
べン叔父さん    :マーテイーン シーン
メイ叔母さん    :サリー フイールド
カート コナス博士 :リス エバンズ

ストーリーは
ピーター パーカーは、4歳のときに両親が失踪し、叔父叔母に預けられて育った。父親は科学者で、同僚のカート コナス博士と異種間遺伝子交配に関する研究をしていたが、何者かから逃れるようにして姿を隠して、そのまま二度とピーターの前には現れなかった。何も知らされないまま、ピーターは高校生となったが、血は争えないもので科学に強い興味を持ち、学生らしからぬ豊富な知識を持っていた。しかし学校では、華奢な体つきから、正義感は強いが、どちらかと言えばいじめられっ子の立場だった。

ある日、ピーターは叔父さんの家の地下を修理する為に下りていって、父親の鞄を発見する。そして、底に隠してあった父親の科学の数式を見つける。叔父さんから 父の同僚だったカート コナス博士がオズコープ社で研究していることを知らされて、ピーターは コナス博士に会いに行って、研修生に混じって実験室に紛れ込み、毒蜘蛛に咬まれる。
父のことで必死になっているピーターは、叔父さんと些細なことで争い、家を飛び出すが 夜半ピーターを探して街に出た叔父は 強盗の逃亡を食い止めようとして撃ち殺されてしまう。

幼くして両親に去られたピーターは その15年後には 親代わりでピーターの心の支えだった叔父さんまで失ってしまった。復讐を誓ったピーターの体に異変が起きる。手から蜘蛛の糸が出て、この糸は 柔らかく弾力があるのに鉄鋼よりも強い。糸を柱に取り付けて、ターザンのように ビルからビルへと移動することが出来る。両手は吸盤のように吸い付いて、ビルをよじ登ることも、天井に張り付くこともできる。
ピーターはこの蜘蛛の糸を 手動で出せるウェブシューターという リストバンドを作って取り付けて、蜘蛛のようなスーツとマスクを作って身に着け、夜になると、叔父さんを殺した犯人を探し、悪人を捕らえるために出動するようになった。警察が取り締まれない、極悪犯人を次々と捕らえて、警察に突き出す。ビルからビルを蜘蛛のように動き回り、悪人を捕らえるスパイダーマンは、いつのまにか市民のヒーローになってしまった。しかし、ニューヨーク市警の ステイシー警部は、スパイダーマンの逮捕状を出す。

ステイシー警部の娘、グエンはピーターのクラスメイトで、オズコープ社の研修生でもある。ピーターとグエンは互いに魅かれあっていた。そして、グエンはピーターが、警察が追っているスパイダーマンだということを知ってしまう。

オズコープ社のスポンサーは、異種間遺伝子交配の研究成果を早く出すようにカート コナス博士を急き立てている。しかし、まだ実験段階で、それを人間に試してみる段階には至っていない。博士は この遺伝子工学の成果によって、アルツハイマー氏病や黄班部変性や、事故で体の一部を失った人を救うことができると信じている。まだ時間が必要だ。しかし、酷にもスポンサーは一方的に 資金打ち切りを宣言する。

思い余った博士は ついに自分の失った片手に、実験段階のトカゲの遺伝子を注射して、自ら人体実験をする。
トカゲと異種間遺伝子交配された博士は、攻撃的な大トカゲとなって、人を襲う。彼は、地下の下水道に自分の実験室を持ち、夜になると人を襲う狂った化け物になってしまった。遂に、ニューヨークの人類全体にトカゲの遺伝子を撒いて、その恩恵を分け与えようとして、タワーから遺伝子ガスを噴射させようと目論む。
スパイダーマンは それを止めようと、、、。
という、お話。

3Dテクニックが、ここまでくれば、満足だ。
観ているものは、スパイダーマンと一緒に、高層ビルの頂上から飛び、急落下して、別のビルに飛び移り、ニューヨークの摩天楼を駆け巡る体験ができる。夜空を蜘蛛の糸で、スウィングすることが出来る。バンジージャンプとジェットコースターとプラネタリウムを同時に 映画の間中 何度何度も体験できる。超高層ビルから飛び降りる時の、恐怖感と爽快さ、ニューヨークの摩天楼を 蜘蛛の糸を頼りに飛び回る愉快さ、風を切る冷たさまで体感できる。摩天楼の美しさが眩しい。
夜空を飛ぶだけのスーパーマンや、ロボテイックなスーツに身を固めたアイアンマンには、これだけの臨場感は望めない。星と一緒に、3Dで空を飛べるとは思っていなかったので、とても嬉しい。 今回のスパイダーマンはとても良い。3Dで観る価値がある。

それと、スパイダーマンの映画の成功の鍵は、ピーターがどこまで人間として魅力的に描かれているかにかかっている。その点でアンドリュー ガーフィルドは成功だ。19歳のピーターの怒り、悔しさ、孤独、哀しみがよく描かれていて、初恋への戸惑いや甘えも、よく表現されていた。
前作の トビー マクガイヤーと キスリン ダントスの冷ややかなカップルにくらべて、100倍くらい新カップルは よくできている。役者として、比べ物にならない。

印象的な場面がいくつかある。
スケボーを持ち歩く孤独な高校生が 自分の体の変化に気がつくところ。港の倉庫で蜘蛛の糸を使いながら スケボーで飛んだり跳ねたり 天井の梁に飛び移ったり いろんなことができることを知って前進で歓びを現すシーン。これが とても可愛い。

そして、最後にトカゲ男との対決で、スパイダーマンは大怪我をしていて ビルからビルに飛び移る余力がなくなっている。そこを自分の子供をスパイダーマンに救われた工事責任者が 巨大クレーンを、いくつも渡して、トカゲ男が 毒を噴射しようとしているタワーまでスパイダーマンが、飛び移る手助けをするシーンだ。市民立ち上がる、、、である。

最後に、亡くなった叔父さんが、ピーターの携帯電話に残したメッセージが泣かせる。
そう、、、親が居なくたって、叔父さんが居なくたって、自分を理解しようとしてくれた警部が居なくたって、大丈夫。 自分の信じる道を前に進むんだよ。
ピーター。

2012年7月6日金曜日

オットを殺すところでしたー!

       
仲の良い友達の、新しいボーイフレンドが、実は彼女に隠れて昔のガールフレンドを会っていたと言う。友達達はみんな、激しく怒り、口を揃えて、そんな男、汚れた新聞紙に包んでサッサと捨てるべし、と説いた。
しかし私は どうせ男なんて、そんなもの。馬鹿なのさ。オットだって 私に隠れて、昔のガールフレンドに会っている。17年、努力してきたが、馬鹿さ加減を減らすことが出来ない。男などに何も期待せずに、100%の誠実さなど、漫画の世界と思い定めて、一緒にやっていくことができないのかね、と彼女に問うた。
それを聞いた彼女、、、自分のボーイフレンドの行状よりも、すっかり信頼、尊敬していた私のオットが、そんなことをしていたことの方がショックだと言う。

これを聞いて、私も段々腹がたってきた。
最初の 死んだ夫は私の14歳年上だったが、今のオットは18歳年上。オットは、若くて、美しく、現役で働いていていて、教養ある私という過ぎた妻を持ちつつ、なお、オットと同じ年の充分しなびた、無職で年金で生きている教養のない女に 頼まれると時々会っている。どうでも良いことと、今まで放っておいたが、これは倫理上、許されないことではないか。

久しぶりに怒り狂って、家を飛び出し、実はこれは計画的だったんだけれども深夜映画に行ってきた。何も知らないオットはオロオロしながら深夜まで 私の帰りを待っていた。帰ってきてくれて ありがとう、と言われても だんまり、、。
会話なしの2日目。
青い顔をして 「胸が痛い」と言う。そういわれると もっと腹がたってきて、それみたことか、良心が痛むんだろう。「あなたは自分がヤバくなったら いつも病気に逃げるのよね。」と。
実際オットは、病気の見本市みたいな人だ。上からいくと、脳卒中で、2日間言葉を失ったことがある。目は両目とも白内障で、黄班部変性で、片目は失明に近い。喘息もちで吸入器なしで歩くことも出来ない。胃炎で何度か出血し、腎臓からはいつも蛋白が出て、膀胱に腫瘍があり経過観察中、前立腺肥大もある。脊椎骨折2回、関節炎で手指、肩、腰痛をもち、100メートル歩くのが限界。重度の肥満体。しっかりしているのは脳みそだけだ。
今までも ささいなことで私が怒ると オットは「耐え難い頭痛」で寝込んだり、「ひどい喘息発作」を起こしたり、、、こんなヤツ やってらんないよ。

新しいブラウスと、花柄のベッドカバーやら 無駄使い、衝動買いの大袋を抱えて お昼に帰宅すると、仕事に出かけたオットが しょんぼりソファーに座っている。救急病院に行かなければならないが、付いていってくれる?と、頼りない 懇願の顔。
聞くと、仕事中、胸痛が止まないので職場のクリニックに行って、ECGと血液検査を受けたあと帰宅して休んでいたら、血液検査の結果が出て、ただちに救急病院に行くようにと、電話があった、と言う。

胸痛は本当だったのだ。大変、、、ハートアタックだ。血液検査の結果が悪いということは、トロポネンTという 心臓の筋肉がダメージを受けているときに 血液内にしみ出てくる酵素が検出されたということだ。放っておくと心筋が死んでしまう。大変。車に飛び乗り 救急病院に向かう。
救急病院はいつものことながら、ごったがえしの混沌、無秩序のカオス。1000ベッドの、北部最大にして唯一の救急病院の待合室は、転んで骨を折った年寄りも、切迫早産の妊婦も、子供の喘息も、交通事故も、ゲイどうしの喧嘩も、精神病患者の症状悪化も、みんな一緒に血を流しながら、痛みに耐えながら、ひとつ部屋で待たされる。待っている間に人、一人や二人死んでいても驚かない。
オットが 再度の血液検査の結果、入院が決まったのは、もう夜中だった。

翌日 心臓血管造影検査で心筋梗塞で、二つある冠状動脈のうち、ひとつが詰まって血液が循環しない状態だったことがわかって、急遽ステント挿入する手術をして、命がつながった。危なかったね。
やれやれ、、、気の弱いオットとは 夫婦喧嘩できないなー!
はい、ちゃんと反省しています。
ごめんね。

2012年7月5日木曜日

バットマン ムービーナイトの夜

バットマンシリーズ最後の「ダークナイト ライジング」が、じきに公開される。 第一作「バットマン ビギンズ」2005年と、第二作「ダークナイト」2008年に続いて この第3作「ダークナイト ライジング」2012年が 最終作になる。 3作とも同じ、クリストファー ノーラン監督、脚本。主演バットマンをクリスチャン ベール、彼を執事マイケル ケインと、モーガン フリーマンの名優達が支える。

 「ダークナイト」でアカデミー主演男優賞を授与されたヒース レジャーのジョーカーは、残念ながら、もうこの最終作に出演することができない。 第三作目の公開に先立って 前作の2作品を復習しておくために ナイトムービーが企画された。日曜の夜6時に始まり、深夜12時に終了する。これに 初めて行ってみて、とてもおもしろかった。 日本に居た時、オールナイトと称する映画5本立てを 新宿で観たのは大昔。朝6時に終わると、赤い目をして電車の始発で家に帰ったりしたものだ。

ナイトムービーに、やってきていたのは、家族連れや中年夫婦も居たが、圧倒的にテイーンの男の子グループが多かった。それぞれがバットマンスーツを着たり、自作のマントを背中に張り付けてきたり、ジョーカー風の化粧をしてきたりして、勝手に盛り上がっていた。誰もが大きな袋を抱えていて、長時間の映画見物に備えて、超大型ポップコーンやチップスや飲み物を持参。おにぎり持参で ひとり若い人たちに混じって、映画の名場面には拍手をしたり声援を送り みんなと一緒に楽しんだが、まわりの青少年達は 私のことを、変なおばさんと、思っていたかもしれない。普段 映画は一人きりで観て 誰にも邪魔されずにじっくり味わうが、こんな風に、手をたたいたり 口笛を吹いたり足を踏み鳴らしたり 画面と一体になって映画を沢山の若い人たちと、共有して観るのも、実に楽しい経験だった。

 ゴッサムシテイーの教会の尖塔の頂上に黒い影、、、やがて月に照らされて蝙蝠の姿が浮かび上がる、その美しいシルエットに、ヒエーイとばかり観客が手をたたく。あるいは、戦車のようなバットマンの車がブレイクダウンして もう追跡が出来ないかと思うと 車がバイクに変わって疾走するシーンなど観客は、ヤンヤの歓びようだ。また、みんなのヒーローバットマンだけでなく、ジョーカーも人気があって、彼のジョークに笑い転げ、みんながヒース レジャーに好感をもっていることが、観ていてよくわかった。観客達の呼吸が伝わってくるようだ。ヒース レジャーは、この映画で真に迫る名演技を見せたが、映画完成前に たった25歳で事故で亡くなってしまった。このパース出身のオーストラリア人俳優を、みんなとっても好きなんだ、という心情が伝わってきて切ない。私だけでなく、みんなみんな ヒースの死を惜しんでいるんだな、、、。

でも、この映画が若い男の子達を夢中にさせる理由は、やはりメカにある。
ウェイン財閥の尽きることの無い豊富な資本で、専門の科学者を抱えて、ものすごい多機能をもった車や、バイクや 空を飛ぶ羽のついたガウンや、100メートル直下に落ちても怪我をしないバットマンスーツなどが、次々と出てきて魅力満載だ。007の特殊スパイ装置を上回る。アイアンマンよりも優れていて格好が良い。 悪を征伐して、一晩暴れまわってバットマンは、傷だらけで、家に帰ってきてベッドに倒れこみ、親代わりの執事に介抱される。そんなとき、無垢な坊ちゃんブルースは 傷ついたヒヨドリのように頼りない。この強いヒーロ-と 現実のブルース ウェインとのアンバランスが、また一層魅力だ。バットマンを主演するクリスチャン ベールは実にハンサム、全然年をとらない。メカに夢中な永遠の少年の横顔を持った役者。若い俳優の中で 最も実力のある良い役者だ。

バットマン ビギンズ 2005年
ストーリーは
ウェイン財閥の一人息子ブルース(クリスチャン ベール)は、広大な敷地をもつ屋敷で子供時代を過ごす。ある日、従兄弟のレイチェル(ケイテイ ホームズ)と庭で遊んでいて、古井戸に落ちる。井戸の底は地下につながっていて、落下したブルースに驚いた蝙蝠の群集が 羽ばたいてブルースを怖がらせた。このとき、たった一人で暗い古井戸の底で 父親が助けに来てくれるまでの間、恐怖に脅かされたトラウマから 助け出された後も、ブルースは 時々恐怖感から、身動きが出来なくなる発作が起きて両親を心配させる。

ある夜 ブルースは、正装した両親に連れられてオペラに、連れて行かれる。観賞していて、舞台に蝙蝠が出てきたとたんにブルースは、観ているのに耐えられなくなって両親に伴われて劇場を出る。悪い運が重なって、両親は強盗に会って無慈悲にも、犯人に銃で撃ち殺されてしまう。残ったブルースは たったひとり屋敷で執事(マイケル ケイン)に世話をされながら成長する。ブルースにとって、古井戸に落ちた時の恐怖に立ち向かうこと、そして死ぬ間際の父の言葉「怖がらずに勇気をもって生きなさい。」という言葉に従って生きることが、自分の課題となる。

大人になったブルースは 両親を殺した強盗犯を殺そうとするが、強盗犯が軽い刑期を言い渡された直後に、何物かによって殺される現場を目撃し、復讐が正しいことなのか 正義とは何か、という葛藤に苦しむ。彼は、人間の本当の強さを求めて ヒマラヤの奥地にまで放浪の旅に出て、体を鍛え 秘密の武等組織に入りヘンリー デュカード(リーアム ニーソン)から闘いを伝授される。 訓練を経て、ゴッサムシテイーに戻ったブルースは ウェイン財閥の跡継ぎとして会社の経営にかかわりながら、科学研究者のフォックス(モーガン フリーマン)の力を得て、犯罪の蔓延するシテイーから、市民を守るための方法を考える。そして、犯罪者に恐怖感を与えるために蝙蝠になって、悪者を取り締まり、警察に突き出して、街を浄化することにした。バットマンの活躍の始まりだ。

幼友達だったレイチェルは 成長し弁護士になっている。彼女は法によって善者を守り悪を防止することに使命を感じているから、バットマンのように直接犯罪者を取り締まり、罰を与えることには批判的だ。しかし、ヒマラヤで厳しい戒律をもった武闘組織を抜け出してきたブルースに、制裁を与えるためにヘンリー デュカードらがやってきてブルースを攻撃し始め、、、。
というお話。

ダークナイト 2008年作
ストーリーは
ブルースはウェイン財閥の会社経営を続けながら、夜になるとバットマン服に身を包み。悪のはびこるゴッサムシテイーで、市民を守るために活躍していた。いまやバットマンは、街の英雄だった。 新しくシテイーにやってきた地方検事ハービー デント(アーロン エカット)は、腐敗し汚職と暴力など諸悪のもとであるマフィアと、正面から闘うことを約束し、マフィアの資金源を断つ。ブルースが恋心を抱いているレイチェル(マギー ギレンホール)は ハービーの恋人で右腕として共に働いている。ブルースはそれを知って、ハービーに多大の支援を申し出て、ゴッサム市の市長として推薦する。

ときに、極悪犯ジョーカーが出現して銀行を襲い、マフィアと手を組んで次々と警官を襲って殺害する。ジョーカーは人殺しをゲームとして楽しんでいた。彼の悪行にルールはない。徹底して人を苦しめて罪の無い人々を殺す事が楽しい、精神分裂症患者だった。彼は 人々の英雄バットマンを殺すことが自分の最大の目的だと考えて、バットマンをおびき寄せる為に ハービー市長とレイチェルを拘束する。そして、どちらかがバットマンによって助けられた時に、どちらかが爆破して死ぬことになるという残酷な罠を仕掛ける。何も知らないバットマンは、最初に目に付いたハービー市長を救助する。と同時にレイチェルは爆破されて命を失う。瀕死状態で救出されたハービーが、手当てを受けている病院に、ジョーカーが現れて病院は爆破され、犯罪者に爆弾を仕掛けられて警察署は爆破され、次々とジョーカーは、バットマンに挑戦をつきつけてくる。

レイチェルと結婚してバットマンを引退するつもりでいたブルースは レイチェルを失い、茫然自失の状態に陥る。しかしレイチェルは、ジョーカーに拉致される前に、執事にブルースあての手紙を託していた。そこには、レイチェルが、ハービーと結婚するつもりでいることや、バットマンの生き方は間違っているというレイチェルの率直な意見が書かれていた。何も知らないブルースを、これ以上傷つけないために執事は密かにその手紙を燃やして、、、。
というお話。

第一作で、レイチェルを、ケイテイ ホームズガ演じたが彼女はトム クルーズと結婚して女優を引退してしまったので第二作では 顔の似ているマギー ギレンホールが演じている。 また第二作で 極悪人のジョーカーを、バットマンに殺させなかったのは、第三作で続けて ジョーカーを活躍させる予定だったのだろうが、ヒースが亡くなってしまったので、ジョーカーはもう居ない。他の役者にジヨーカーを演じさせても ヒース以上に、血も涙もない異常犯罪者の役をこなせる役者が他に居ないので、あきらめたのかも知れない。 バットマンでは、本当にクリスチャン ベールが輝いている。バットマンを支える執事マイケル ケインとウェイン財閥責任者のモーガン フリーマンも とても良い。この3人の役者が演じなかったらバットマンの良い味は出てこなかっただろう。第3作が楽しみだ。

2012年6月26日火曜日

映画 「スノーホワイト」

映画「スノーホワイト」原題「SNOW WHITE AND THE HUNTSMAN」を観た。

1800年にグリム兄弟によって書かれた童話「白雪姫」のハリウッド バージョン。
「アリス イン ワンダーランド」を監督したルパード サンダースの作品。イギリスで撮影されたアメリカ映画、2時間10分の長編、アクションドラマ。「アリス イン ワンダーランド」と同じスタッフによって作られたそうだが、アリスのときは、アリスに、当時の結婚がすべてだった女の生き方を拒否させて、冒険魂をもった仕事する女として描いたところが とても斬新だった。今回も、同様、現代版白雪姫は 男には目もくれず、敵と戦い、自分の城と領地を守る戦う女として描かれている。肌の色が雪のように白いかどうかは、あまり問題ではないみたい。

キャスト
スノーホワイト :クリステイン スチュワート
悪の女王ラベンナ:シャーリーズ セロン
狩人エリック  :クリス ヘムズワース
ウィリアム   :サム クラフリン

ストーリーは
スノーホワイトは、王と王女に可愛がられて姫として育った。しかし王が病死した妻に代わって、ラベンナという女と再婚すると、ラベンナは王を殺し、城や領地を奪い、幼いスノーホワイトを城の牢獄に幽閉した。悪の女王ラベンナは 魔法の鏡を持っている。そしてこの鏡が宣言するこの世で一番美しい女王でありたいと、願っていた。牢獄につながれたスノーホワイトは冷たい石の監獄のなかでも日々、成長し美しくなっていた。ある日、魔法の鏡はこの世で一番美しいのはスノーホワイトだと言う。怒った女王は弟に スノーホワイトを連れてきて殺すように命令する。

スノーホワイトは 女王の弟が油断した隙を見て逃亡する。追っ手から逃れ、暗黒の森を彷徨ううち、スノーホワイトは、悪の女王がよこした狩人エリックに出会う。もともとエリックは自分の妻を悪の女王に殺されている。スノーホワイトを殺さなければならない理由はない。エリックは、スノーホワイトが持つ 邪悪な怪物を手なずけてしまう不思議な力に魅了されていた。追っ手から逃れながら、狩人エリックとスノーホワイトは、森の7人の小人の力を借りながら、暗黒の森を脱出する。遂に、殺された王の家臣たちが避難している城に到着。スノーホワイトは 騎士たちを組織化する。そして、戦士の先頭に立って、悪の女王が立て篭もる城を攻めて、落城させ、ついに女王ラベンナとスノーホワイトとの一騎打ちとなって、、、。
というお話。

ここでは、スノーホワイトは、父の仇を討つ戦う女で、全然色っぽくない。王の腹心の息子だったウィリアムとは幼馴染で、互いに魅かれあっていたが、スノーホワイトはウィリアムなしで成長し、再び出会った後は共に闘い、自力で女王の地位を奪取する。
追っ手だった狩人エリックとは、暗黒の森を脱出するための協力相手で、妻を失ったエリックに心を寄せるが、しょせん彼は狩人。スノーホワイトは、男に頼らない。最後にケリをつけるのは、スノーホワイト自身だ。
現代版白雪姫では、女の価値は 顔の美しさや若さからくる華やかさではない。信念を貫く、自分を曲げない強さが女の美しさだ、と映画は語っている。と思う。

大流行した「トワイライト」シリーズで、ずっと吸血鬼に恋をした女を演じた、クリステイン スチュワートは、確かにこの世で一番美しい女ではないが、戦う女の役を好演している。
さて、この世で一番美しくなくては気の済まないシャーリー セロンの怪演、、これはピカイチだ。36歳。この世で一番美しいモデルだ。そして、この人の演技力は秀逸だ。悪の女王が 若い女の首根っこを押さえて口を開けさせる。そして、自分もアゴが外れるほど口をシャー、、と開け、若さを吸い取るシーンなど、おばけの映画よりも怖い。ボロボロの肌が ツルツルとして若い女の肌になり、一方、見る見るうちに若い女が老女になっていく。CG技術もここまでできるようになった。迫力がある。

ところで、シャーリー セロンが主演した2本の映画が どちらも素晴らしく良くて忘れられない。ひとつは 「スタンドアップ」2006年、原作「NORTH COUNTRY」、ゴールデン グローブ賞受賞作で、全米で話題になった、実際にあった訴訟事件。
シャーリー セロンの美しい顔が 酔って暴力をふるう夫のために、見るも無残なアザだらけの変形した顔になったところから映画が始まる。女が夫の暴行に耐えられなくなって、16歳の息子を連れてミネソタの炭鉱の街にある実家にたどり着く。やっと見つかった仕事は炭鉱現場。男と肩を並べて働こうとすると、仕事を女なんかに奪われたくない男達が、徹底して嫌がらせをする。ここまで卑劣なことをやるか、と信じられないほどの暴力とえげつない虐め。しかし、彼女は訴訟を起こして 会社と組合員を相手に闘い勝利する。男の職場、炭鉱で女が働ける場を確保した と言う意味で画期的な事件で、実際にあったことを映画化したもの。もう彼女のいじめられ方がものすごくて、観ていて 何度も悲鳴をあげそうになった。

もうひとつの映画は、「モンスター」。これでシャーリー セロンは、2004年のアカデミー主演女優賞を受賞した。2002年に、実際あった連続殺人事件、アイリーン ロノスという娼婦が7人の男を殺した事件を映画化したもの。セロンは10数キロ体重を増やして、入れ歯を入れて、顔にシミを沢山つけて連続殺人犯を熱演した。これも、男の暴力に耐えかねて、まともに生きようとしても どんなにあがいても暴力から逃れられない。殺すことによってしか生き延びられない哀れな女の役で、私をたっぷり泣かせてくれた。本当に良い映画だった。

「スタンドアップ」も、「モンスター」も、「スノーホワイト」でも、セロンは、ものすごく壊れた怖い顔になったが、実際の顔が ゆがみひとつ無い完璧に美しい人だから ひどい顔になる役ばかり楽々とできるのだろう。南アフリカ生まれ。16歳のとき、アル中だった実父を実母が銃で撃ち殺す。自己防衛で無罪になった母親の力で バレエダンサーを夢見てニューヨークに出てくるが、膝の故障で断念。このころ母親の細々とした仕送りで生活していた彼女が、銀行でお金を引き出せない と言われ泣き喚いているところを、映画人に認められて、ハリウッドで成功することになったという。
実生活の様々な体験が、自分を捨てて役になりきることを求められる役者の実力をつけるための栄養素になっているに違いない。自由自在に変化する美しい顔の中にも 物語がたくさん秘められている、魅力のある女優だ。

2012年6月25日月曜日

映画 「デリカシー」


   
原題:「DELICACY」

監督:デビッド&ステファン フォーンキノス
原作:デビッド フォーンキノス

キャスト
ナタリー:オードリー タウトウ
マルコス:フランシス ダミアンズ
テーマソング:エミル サイモン「フランキーナイト」

ストーリーは
パリで出会い、愛し合い結婚したばかりのナタリーは、幸せの絶頂にいたときに、その愛する夫を交通事故で失くす。それ以降、ナタリーは まわりの人々に心を閉ざしたまま、仕事に熱中して時を過ごしている。職場では 皆から仕事の鬼と呼ばれ、嫌がられている。上司はこのときとばかり、妻子がありながら,ナタリーを誘ってものにしようと口説くが、ナタリーの防護壁は厚く 全く歯が立たない。ナタリーは仕事がすべて、、、それで、何年かが過ぎていった。

そんなナタリーが何とスキャンダラスなことに 突然職場で部下にあたるスウェーデン人の全く冴えないマルコスという男に、自分から近付いていって、激しいキスをした。マルコスも、前からあこがれていたナタリーに突然キスされて、嬉しくて嬉しくて有頂天。職場では、噂が噂を呼んで 大騒ぎになってしまう。ところが、当人ナタリーは、自分が他人にキスをしたことも、マルコスとのやりとりも何も記憶にない。マルコスに問い詰められて、
「私がもし、あなたにキスをしたならば、謝罪します。それは適切な行為ではありませんでした。」と、まったく素っ気無い。納得できないのはマルコスだ。彼はナタリーにすっかり恋をしてしまったのだ。しかし、この冴えない 禿げかかってくたびれた独身男、、、果たして、ナタリーの心を摑むことができるのだろうか、、、。
というお話。

オードリー タウトウが主演でなければ、全く観るに値しない映画だったろう。タウトウの、いつまでも大人になりきれないような、か細い首、少女のような体つき、いつも真剣な眼差し、大きな目、頼りない仕草、、、。独特の雰囲気を持っていて、他の女優に真似できない。映画「アメリー」で、大ブレイクした女優だが、何年たっても彼女は、アメリーのままだ。アメリーがタウトウで、タウトウがアメリーのよう、どちらが本物かわからない。

ここち良い音楽と、美しいパリの情景ばかり。夫を失くした女の心の情景が映し出される。何事も起きない。大した会話もない。ストーリーもドラマも起きない。ただ、美しい景色を背景に、タウトウが歩いたり、運転したり、立ち止まったりするだけだ。それだけで絵になっている。いかにもフランス映画だ。
ストーリーやドラマを求めている人には物足りないし、何を言いたいのか よくわからない映画だった、ということになる。

雨上がりのパリの夜。歩道に街の光が照らされて、二人して歩いてくる恋人たちがいる。突然、男がひざまずいて、女の薬指にリングを差し入れて、「結婚しよう」と言う。そのリングは 男の住むアパートのキーホルダーのリングなのだけれど、、。大写しになる オードリー タウトウの驚いて、男を真剣に見つめる顔、、、。このシーンが とても切なくて美しくて忘れられない。
フランステイストの、トリュフォーの映画みたい。 観ていてとても 心地よい。

2012年6月19日火曜日

映画 「ロック オブ エイジズ」


  

1987年、アメリカ。

歌手になることを夢みてオクラホマの田舎からハリウッドにやってきた女の子シェリーと、ライブハウスで働く青年、ドリューとのラブロマンスミュージカル。ブロードウェイで成功したミュージカルの映画版。 ロック オブ エイジズは、ロックの歴史と言うような意味。ロック オブ エイジドで、最後が、SでなくてDだったら、年寄りのロックという意味になってしまうから、注意が必要。ははは。

監督:アダム シャンクマン
キャスト
ステイシー ジャック   :トム クルーズ
ヘイ マン(チンパンジー):ミッキー
ドリュー ボレイ     :デイゴ ボネタ
シェリー クリスチャン  :ジュリアン ハー
ロスアンデルス市長夫人  :キャサリン ゼタ ジョーンズ
ロス市長         :ブライアン クラストン
ライブハウス主デニス   :アレック ボールドウィン
デニスの恋人       :ラッセル ブランド
ステイシーのマネージャー :ポール ジアマテイ

ストーリーは
オクラホマの田舎からロスに、歌手になることを夢みてやってきたシェリーは ロックで有名なライブハウス「バーボン」の店に前で 大切なレコードを入れたスーツケースを盗まれてしまう。そこで シェリーを助けようとしたライブハウスで働く青年ドリューに出会う。スーツケースを失って 途方にくれるシェリーを放っておけなくて、ドリューは「バーボン」の経営者デニスにシェリーを紹介する。運良く、シェリーはウェイトレスとして職を得ることが出来、ドリューとシェリーはすぐに愛し合い 一緒に暮らすことになる。ドリューも、ライブハウスで下働きをしているが、いつか舞台の上で自分の作った歌を歌って成功する日を 夢みていた。二人は共に励ましあいながら 自分達で詩を書き曲を作って練習を重ねていた。

ライブハウスに、ロックのスーパースターのステイシー ジャックが歌いにくることになった。彼はロックのカリスマ。約束の時間は守らない、酒を浴びるほど飲み、女達を従えて、屈強の用心棒達をかかえ、凶暴なチンパンジーを唯一の親友として常に連れ歩いている。強力なオーラを放ち、過度に露出と、セックスを連想させるパフォーマンスで女性ファン達のセックスシンボルになっている。彼の背中には天使の羽、左胸にはハート、乳輪に蛇、両腹に二丁のピストル 肩にナイフの刺青を彫り、全身レザーの服に身を包む。ステイシー ジャックの行くところ、見つめられた女はみな失神する。

現に シェリーもライブ前にドリューの前で失神。シェリーはウィスキーを持ってくるように言われて、ステイシージャックの舞台裏の小部屋に入る。そこでウィスキーのビンを割ってしまい、謝りながら部屋から飛び出してきたシェリーと、部屋の外で、皮ズボンを直すジャックの姿を見て、ドリューは二人が関係を持ったと誤解してしまう。ドリューに責められて シェリーは意味が分からないまま、怒って店を辞めて出て行ってしまう。
後を追うように、ドリューも、ステイシー ジャックのマネージャーの甘言に乗って、歌手の道が開けることを期待して、ライブハウスをやめてプロの所属歌手になる契約をする。

店を飛び出したシェリーに仕事は簡単には見つからない。行き倒れていたところを 拾われてストリップダンサーとして生きていくしかないことを悟らされる。ドリューもマネージャーの意向で ボーイズバンドのヒップホップを歌うことになって、自分の歌が歌えないことに希望を失っていた。
ある夜、ドリューが思い出の場所、ハリウッドの丘の上で、夜景を眺めていると、そこにシェリーがやってくる。短い会話の中で、ドリューが ジャックとシェリーか関係を持ったのは自分勝手な思い違いだったことを知って、深く後悔する。そして、ストリッパーとして生活の糧を得ていたシェリーのもとに、シェリーがむかし失った彼女の宝物だったレコードを探し出して送り、謝罪する。

再び ステイシー ジャックがライブハウス「バーボン」にやってきた。彼の前座を勤めるのは、ドリューの属する、ボーイズバンドのヒップホップだ。店の観客は一斉に、子供だましのボーイズバンドにブーイングを送る。ここに駆けつけてきたシェリーが、舞台に上がってドリューと二人で作った歌を歌いだし、ドッリューにロックにもどるように促す。ドリューは、シェリーを見て燃える。ロックバンドに戻った彼の歌に、観客は大喜び 熱狂する。これを機会に やがて二人はステイシー ジャックが出演する大きな舞台で、彼と共演できるまでに人気が出て、、、。
というハッピーエンデイング。

出てくる歌は
ボン ジョビの「ウォンテッド デッド オア アライブ」
デフ レパードの「POUR SOME SUGAR ON ME」
スコロピオンズの「ロック ユー ライク ア ハリケーン」
フォーリナーズの「I WANNA KNOW WHAT LOVE IS」
ジャーニーの「DON"T STOP BELIEVEN」
誰のか知らない「I WILL BE WITH YOU」
ボン ジョビの「I AM A COW BOY」などなど

デイゴ ボネタと ジュリアン ハーが演じる、ドリューとシェリーのカップルが、可愛い。デイゴ ボネタはまだ21歳のメキシコ人。あまいフェイスでパワフルに歌う。
ライブハウスの主、デニスとゲイの恋人関係も、可愛い。デニスを演じたアレック ボールドウィンは、54歳、ふだんは、弁護士とか刑務署長とか、シリアスな役ばかりに出ていたいたナイスな中年だったが、ヨレヨレのジーンズでロックを歌って踊るのには驚いた。恋人役のラッセル ブランドはイギリス人のコメデイアンだが、彼もまたパワフルに歌っていた。
キャサリン ゼタ ジョーンズがせっかく出ていたのに、彼女に充分踊らせなくて残念。最後にみごとな黒タイツ姿をちらっと見せてくれたけど。「シカゴ」で見せてくれたダイナミックなダンスが忘れられない。もう子育ては充分しただろうから、ミュージカル映画に復帰して欲しい。出演者みな 歌も踊りもうまい。良く聴く曲ばかり出てきて、歌唱力のある人たちが ストーリーにそって、歌って踊ってくれて とても楽しい。

しかしこのミュージカル映画、完全にステイシー ジャックこと、トム クルーズが食っている。「トムの、トムによる、トムのための映画」と言ってよい。徹底した奇人 奇行ぶり。羽目の外し方が 並みでない。チンパンジーと手をつないで、二人(?)で、人を食った予想外のことばかりする。アルコール中毒で、目が完全に宙を彷徨っている。そんなロックのカリスマが、いったんマイクを持って 歌いだすと 激しいリズムに 裸の体をのせて歌いまくる。パワーがすごい。49歳のトム、エネルギーパワー全開だ。3万人のアリーナに集まった観衆が 熱狂して絶叫する。
ガンズ アンド ローゼスのボーカル、アクセルローズの教授を受けたそうだが 先生がいても誰にもできることではない。パワーに圧倒された。やはり、トム クルーズは役者として天才的なひらめきと、実力を持っている。

ロックは永遠だ。カントリーミュジックや、ブルースや、フォークや、ヒップホップや、電子音などを取り入れながら時代と共に どんどん変化していく。しかし、ロックはいつも、歌う人と聴く人とのへだたりを最小限に縮めて 一体となって楽しむこのとできる場だ。ロック オブ エイジズは君が、そして君が、継承して、つないで行くものだ。だからやっぱりロックって最高。

2012年6月14日木曜日

イングリッシュ ナショナルバレエ公演

                               
イングリッシュ ナショナル バレエ公演を観た。

シドニー中心からハーバーブリッジを越えた北部に住んでいるが、近所のチャッツウッドに、新しい公会堂ができた。その杮落としに、イギリスからはるばるバレエ団が呼ばれたというわけだ。500席しかない新しい劇場は、大学の階段教室みたいだが、どの席からも舞台が近くて、バレエを観るには丁度良いサイズの劇場だ。

このバレエ団はロンドンを拠点に活動しているバレエ団で、60年の歴史をもつ。現在60人あまりのダンサーを抱えていて、ストリートダンサーと共演したり、現代音楽に挑戦したり、バレエ学校を開催したり、活発に活動しているようだ。芸術監督は、ロイヤルバレエのプリンシパルだった スペイン人のタマラ ロホになったという記載があったが、今回来豪したグループの芸術監督は、ウェイン イーグリングというカナダ人だ。この人は ロイヤルバレエ団で30年あまり踊っていた人でロイヤルバレエのあと、オランダ国立バレエ団の監督を10年ほどしていた人。今回シドニーに来た踊り子は、22人。

プログラム
1)アポロ:ストラビンスキー作曲
2)マノン:マーテイン イェッ編曲
3)ブラックスワン:チャイコフスキー作曲
4)ドンキホーテ :ルドウィグ ミンクス作曲
5)スーツ エ ブランク :エドアルド ラロ作曲

プリンシパルは ダリア クリメトバ(チェコ共和国出身)と、エレノア グルデシドス(ジョージア出身)。男性プリンシパルは ドミトリ グルゾフ(ロシア)とアナオール ベルガス(キューバ)。ソロイストに バデイム ムンタギロフ(ロシア)、アナエス シャレンダート(フランス)、アデラ ラミレズ(スペイン)、ファビアン レイマール(オーストリア)、ヨナ アコスタ(キューバ)、ローレント リタルド(フランス)、マックス ウェストウェル(イギリス)、ジア ザン グ(中国)、アンジェラ ウッド(USA),ヴィッター メンデス双子の兄弟(ブラジル)、テオ ダブレル(イギリス)、これに日本人が4人、ケイ アカホシさん、センリ コウさん、シオリ カセさんとケン サルハシ君。

興味深いのは イングリッシュ ナショナルバレエ団なのに、英国人が二人しか居ないこと。監督もカナダ人だし 団員の国籍が11カ国。バレエ団全体では団員の国籍が、20カ国を越えるそうだ。監督は、メデイアのインタビューに答えて、「最高のダンサーを揃えてきたら、結果としてイギリス人だけでなく外国出身者が多くなっただけだ」と答えている。日本出身のバレエダンサーは、どこの国でも、とても活躍している。オーストラリアバレエ団にも日本人が数人レギュラーメンバーになって踊っている。

若手のバレエダンサーの登竜門といわれるローザンヌ国際バレエコンクールで 今年1位になったのも、菅井円加(まどか)さんという神奈川出身の日本人だ。クラシック部門でも、現代舞踊の部でも 抜群の音感のよさで、審査員達を感心させたという、17歳。頼もしい。

バレエを観ていると 昔のバレエと違って、テクニックが上がってきて アクロバット並みのバランスや、跳躍力を見せてくれる。それに、昔の舞台では余り要求されなかった顔の表情、物語を表現する表現力が加わって とても、パフォーマンスそのものが、難しくなってきている気がする。それだけでもプロとして、大変なのに、どの国でも政府の助成金が 充分得られず、芸術愛好家によるスポンサーシップも減ってきている。悲しいことだ。
ロイヤルバレエでも、アルバートホールの5000席がすべて お客で埋まっても、パフォーマンスにかかる費用の40%にしかならないという。60%は 政府の助成金で 辛うじて公演を続けているのだ。
プロのダンサー達が それぞれのバレエ団に所属して きちんとした給料が受け取れるようにならなければ 質の高いパフォーマンスはできない。

舞台の硬い床をカタカタ、乾いた音でトウシューズが舞うときの音が好きだ。ジャンプした踊り子が コトリと着地する時の音も好きだ。今回のダンサーたちは、みな素晴らしかった。 芸術で生きていくのは大変、、、と子供のときから沢山の人に言われながらヴァイオリンを弾いてきた。それだけに素晴らしい歌い手、夢のような美しい踊り子、立派なパフォーマーには、本当に心を込めて拍手せずにはいられない。

2012年6月10日日曜日

映画 「メン インブラック 3」

                         
製作総指揮:スピルバーグ
監督  :ハリー ソネンフェルド

キャスト
J :ウィル スミス
K :トミー リー ジョンズ
若いK:ジョシュ ブローリン

ストーリーは
地球に生息するエイリアンを監視する極秘組織「MIB」のエージェント捜査官「J」と「K」の活躍するサイエンスフィクションコメデイー。
良いエイリアンは、地球の人と協調して生活しているが、とんでもなく悪いエイリアンも居る。それを取り締まる「J」と「K」は、長い間組んできた相棒同士。二人そろってブラックスーツにサングラス、口数少ない「K」は、のべつ幕なしにしゃべっている口数の多い「J」に全幅の信頼を寄せている。

ある日「J」が目が覚めてみると「K」が居ない。「MIB」の署長は、「K」は40年前にエイリアンに殺されたと言う。時に、凶悪犯片腕のモンスターが脱獄して、宿敵「K」を殺そうと狙っていた。「J」は、過去に遡って「K」の命を救わなければならない。「K」がいなければ、40年後の今の自分はないことになる。「K」に生きてもらわなければ。かくして、「J」はタイムマシンに乗って 1970年代に戻って、「K」を取り戻す。人類の夢である月へのアポロの打ち上げが、カウントダウンされていた。エイリアンは、人類の夢アポロに、、、。というお話。

SFだから「MIB」のオフィスが、超近代的で3Dで映像をみせるコンピューターを駆使して捜査官たちが立ち働くマシンの数々に目を瞠る。こんなマシンがあったら、いいな と思うような 着想の良さ。 また、おもしろいのは びっくりするような姿や形のエイリアンが 当然のように地球人と一緒にオフィスで働いていたり、街を歩いていること。普通の人には、それがわからない。見える人にしか、見えないのだ。結構 有名な芸能人が実はエイリアンだった、などの「おふざけ」も、普通に画面に出てくる。下半身が魚だったり、頭が体より大きかったり、腕の中に飛び道具を備えたエイリアンがいたり、「ちょい悪」もいれば、徹底して極悪なエイリアンもいる。中国街では、カンフー使いの中華風エイリアンが牛耳って違法行為を働いている などなど、とても笑える。

「J」が40年前にタイムスリップしてみると、1970年代はまだ アフリカ系アメリカ人への差別が強い時代。黒い人はエレベーターに入ってきただけで 嫌な顔をする人が多い時代だ。「J」が話しかけても 返事もしない人が多いのに、まったく構わず誰彼と無く平気で、ラップな感じで話しかけ ジョークを飛ばす「J」の姿が、またまたおかしい。差別社会の冷たい反応に反応しないことで、現在の地位を勝ち取ってきた 差別される側の対応をサラリと、見せてくれる。エデイ マフィが、一分間に5つも6つも、立て続けのジョークを言って、差別白人から苦笑、そして、ついに本物の笑いを勝ち取ってきたように。ウィル スミスは、独特のスマートな態度で、差別白人との間隙を埋める。なかなか、芸が細かい。

現在66歳のトミー リージョンズが40年前の役を 42歳のジョシュ ブローリンが演じている。本当は26歳の設定なのだけれど、40年前も今も「K」は地味で老けていた。ジョシュ ブローリンは 若いころのトミー リージョンズにそっくりに変身していておかしい。それだけでも笑える。
トミーリージョンズは、年をとってさらに渋くなった。ハーバート大学卒、学生時代はフットボールの花形選手だった。クリントン元大統領のもと、副大統領だったアル ゴアと同級生で親友、今も交流があるという。アル ゴアは、クリントンのあと大統領候補として選挙戦を闘いジョージ ブッシュに敗れて政界を去り、環境保全、自然保護運動でフイルム「不都合な真実」を作って アカデミー賞を受賞した。
トミー リージョンズは「逃亡者」でジェラード警部役でアカデミー男優助演賞を取り、「ノーカントリー」では、偏執狂の殺人者が狂いまくる画面のなかで、ひとりだけ人間味のある刑事の役を演じていた。とても良い役者だ。その彼が今回の映画では余り出てこなくて、彼の代わりに、若いころの彼をブローニンが渋く決めている。

ウィル スミスはスマートだが口数の多い、動きの大きい、ひょうきんなエージェント。どうして自分がベテラン捜査官「K」の相棒に抜擢されたのかわからなくて、ずっと疑問に思ってきた。その二人の結びつきの以外な契機が 今回の映画で明らかにされる。ふむむ、そうだったのか。だから、「K」は「J」をピックアップしたのだったのか、という訳。ホロリとさせられる。

細かいデテイルを見ていると 笑えるところはいくらもある。テンポが速いので、気がつかないで見逃した笑いも沢山あると思う。楽しい映画。同じ笑うなら 現実社会のドタバタを笑うより、SFのコメデイで笑うほうが楽しい。
でも、テーマソングくらい、タミー エルフマンに歌わせないで、ウィル スミスに歌わせればいいのに、と思ったのは私だけではないのではないかしら。

2012年6月6日水曜日

映画「ザ レデイー ひき裂かれた愛」

              

数日前、国会議員に選出されたアウンサンスーチーが、24年ぶりにビルマ国外に出て、タイを訪問した。かつて戒厳令下のビルマでは、民主化運動が圧殺され 多くの活動家達や、軍政によって迫害された人々が、国境を越えてタイに逃れた。この何万人もの避難民は、今でも生活難から難民キャンプに留まっている者も多い。自宅軟禁を解かれたアウンサンスーチーが 24年ぶりに自由に国外に出られるようになり、最初の訪問先、タイで、自国の人々に熱い言葉をかけて回った。

わずかではあるが、ビルマ軍事政権の民主化、アウンサンスーチーの国会への参加を認めるなどの動きに対して 米国政府は 長年にわたる金融制裁を解除、ビルマ駐米大使任命などの動きを見せている。オーストラリアも英国と共にEUの経済制裁を1年停止することに合意した。
しかし、ビルマの国会議員のほとんどは、制服軍人であり、立法司法行政すべてが軍が掌握している。国民会議の補欠選挙でアウンサンスーチーは議席を確保したが、民主化への道のりは、いまだ遠い。

原題:「THE LADY」
監督:リック べッソン 
キャスト
アウンサンスーチー:ミッシェル ヤオ
マイケル アリス :デヴィッド シューリス

この映画は、英国人の夫と二人の息子とロンドンで暮らしていたアウンサンスーチーが 母親の病気見舞いのためにビルマに帰国する1988年から 夫と死に別れることになる1999年までの、彼女の家族に焦点を合わせた姿を映画化したもの。

ストーリーは
ビルマ独立運動を主導して、建国の父と慕われるアウンサン将軍が まだ幼い一人娘のスーに物語を語り聞かせているシーンから映画が始まる。
美しい湖に面した古い洋館。迎えの車がやってきて、将軍は娘を抱きしめて、仕事に出かけていく。そこで 将軍は反対勢力に暗殺されて、娘のもとには二度と戻っては来なかった。

その後、スーは イギリスでオックスフォード大学で学び、チベット研究者マイケル アリスと結婚、ロンドンで二人の息子達と暮らしていた。しかし、1988年4月、ラングーンに住む母親が病に倒れたという知らせが入り、急遽スーは母親の見舞いのために帰国する。家族には1週間で戻ると言い残してきたが、そのまま二度とスーは、ロンドンの自宅に戻ることは出来なくなった。

この年、1988年は、学生を中心に反政府、民主化運動が盛り上がってきた時だった。スーは、母親が入院している病院で、軍と衝突して傷つき病院に収容された学生達が、片端から連れ去られて虐殺される様子を目撃する。武器を持たずにデモをする無防備の学生達が、武器を持った軍人達に無造作に殺されていく。軍政府は 暗殺された将軍の娘スーの動きをスパイし、彼女が活動家達と接触するのを警戒していた。しかしスーには、殺されていく学生たちを目撃して、すでに選択の余地はなかった。病院から退院した母親を連れて、自宅に戻るとスーの家には 活動家達が続々と集まるようになる。とうとう家は、民主化運動の事務局の様になってしまった。活動家達が望むように、ビルマ独立の父アウンサン将軍の娘スーが 民主化運動の代表者になるのは自然の成り行きだった。

同年7月、軍事クーデターにより独裁政権を布いていたネ ウィン将軍が辞任するに伴い、大規模な民主化運動が広がり、スーは、50万人の聴衆に向かって民主化を進める決意を表明する。夫も二人の子供達も駆けつけて、スーを応援する。しかし9月には国軍が再びクーデターを起こし、ソウ マウンを議長とする軍政権が誕生、民主化運動は徹底して弾圧される。スーの夫や息子達は国外排除され、活動家たち、数千人が虐殺されて犠牲となる。
スーは1990年に予定されている総選挙に出場するため 国民民主連盟を結党、全国遊説をはじめたところで 1989年7月、軍政権によって自宅軟禁された。1990年5月の総選挙では、国民民主連盟が圧勝した。にも関わらず軍事政権は、スーの自宅軟禁は解かなかった。夫と息子達は 幾度も幾度もビルマ入国を申請するが許可されず、夫も息子達もスーに会うことが出来なくなった。電話も、軍事政権の妨害電波のために、思うように家族で話しをすることも出来なくなる。

そんな中で1991年ノーベル平和賞が授与されることになった。国外に出ることのできないスーの代わりに、夫と二人の息子が授与式に出席、長男のアレックスが受賞の挨拶をする。スーは自宅軟禁されて、仲間とも家族とも連絡不通になっている中でノーべル賞受賞の様子をテレビで見ようとすると 軍は停電の嫌がらせをする。玄関先に軍人が立って、監視し、スーは徹底的に孤立させられる。

ビルマ入国を要求する夫の申請を、軍は繰り返し却下し、1999年、夫は遂に前立腺癌で亡くなる。死の直前まで 夫のか細い声とスーの声を繋ぐ電話線は妨害を繰り返される。弱弱しい夫の声にスーはとうとう居たたまれなくなって「わたし帰ろうかしら。」と問う。いったんスーがイギリスに帰れば二度とビルマに入国できない。ビルマの民主化運動の火は消えてしまう。夫は気丈に最後まで、「僕は大丈夫、君はビルマから出てはいけない。」と言い続けて 遂にホスピスで亡くなる。

2007年9月、仏教僧侶達が立ち上がる。国会にむかう道を何百何千という僧侶達が埋め尽くす。人々が拍手をしながら僧侶達のデモを守るように取り囲む。というシーンでこの映画は終わる。

しかし私達は、2007年の僧侶達の勇気ある反乱を事実として見てきた。素足 素手で軍に向かった僧侶達の抗議行動の激しさ。国民から尊敬され心の支えである僧侶達を、軍は軍靴で蹴散らし虐殺し、見せしめに僧侶の死骸を野にさらした。軍は寺を襲い、破壊の限りをつくした。累々たる僧侶の屍によって、民主化運動は再び圧殺された。

2009年5月には一人のアメリカ人が、スーの自宅に泳いで侵入したことで、スーの関わりある事ではなかったのに、自宅軟禁条件違反、国家転覆の罪状で、彼女は実刑を言い渡された。

このような、明らかな人権を蹂躙してきたビルマ軍事政権は 世界諸国から経済制裁を受け、孤立してきた。2011年6月 政府は遂にスーと話し合いの可能性を示し、政治活動を許可する。そして、2012年4月のビルマ議会補欠選挙に国民民主連盟から出馬して、議員に選出される。軍政のなかで、議員としてのスーにできることは何か。民主化への道は、いまだに、とても遠い。

映画では 中国人のスター、ミッシェル ヤオが、スーを演じた。顔が全然違うのに 映画を見ているうちにミッシェルが、スーの顔に見えてくる。何よりも、たたずまいがそっくり。さすが一流の女優だ。民衆に向かって演説する語調の確かさ。歩き方から顔つき、しぐさまで熱心に研究して、ビルマ語も習得し、スーのなまりまで完全にものにしたそうだ。
カンフーアクション映画では女剣士で飛んだり空中で相手と刀で切りあったりしたかと思うと、映画「さゆり」では、日本の芸者になりきって三味線を弾きながら長唄を歌っていた。役者として、ものすごく努力をする人。ミッシェル ヤオが演じて、とても良かった。また、夫役のデヴィッド シューリスが 素晴らしい名演で、泣かせてくれた。

むかし、ビルマの友達と話していて、無遠慮にミャンマーと言ってしまった時、彼女は、にこやかに、でも毅然として「ビルマと言って」と訂正してくれた。軍事政権が勝手にビルマの長い歴史を否定してミャンマーと国名まで変えてしまったのは ビルマの人々の総意ではない。彼ら軍は、未来都市のような近代的な人工首都まで作ってしまった。私達は誇り高いビルマの人々を尊重してミュンマーではなく、ビルマと言うべきなのだ。
楚々として美しいアウンサンスーチーの映画、とても良い。日本では7月中旬に公開と聞いている。

2012年6月1日金曜日

映画 「カストラート :ファリネリ」


原題:「IL CASTRATO: FARINELLI」              

1994年 イタリア、フランス、ベルギー合作映画
監督:ジェラール コルビオ

キャスト
ファリネリ、カルロ ブロスキー:ステファン デイオニジ
兄、リカルド ブロスキー   :エンリコ ロヴェルソ
アレクサンドラ        :エルザ ジルベルシュタイン

カストラートと呼ばれる去勢されたオペラ歌手、ファリネリ、カルロ ブロンスキー(1705年ー1782年)の半生を描いた映画。1995年のゴールデングローブ賞、アカデミー外国作品賞受賞作。
このフイルムのことは知っていたが、見る機会がなかったので、このあいだ日本に休暇で帰国したとき、日本語字幕つきのDVDを手に入れて やっと観ることが出来た。

ファリネリの愛称で呼ばれていたカルロ ブロンスキーは 1705年、イタリアのナポリで、貴族の家庭に生まれる。父は音楽家、8歳年上の兄は作曲家で、カルロは幼少のころから美声を認められ、教会の聖歌隊で歌を歌っていた。父の死後、兄の意志により、カルロは、8歳の時に睾丸除去の去勢手術を受けさせられ、カストラートとなる。

当時の教会では、女はしゃべったり歌ったりすることが許されていなかった。カトリック教会としては ボーイソプラノの高音を変声期を経たあとも歌える歌手が是非とも必要だった。ボーイソプラノは子供なので 高音は美しいが声量がない上、持久力もない。テナーは声量はあるが 高音が出ない。ボーイソプラノとテナーとの間を埋めるためには 変声期を迎える前の少年に去勢をする必要があった。1599年のローマで 初めてカストラートが登場したと言われているが、16世紀以前から存在していたともいわれる。カトリック教会は これを奨励も公認もしていないが、黙認していた。

その後、イタリア ルネッサンスの到来によって、解剖学や医学の発展がみられ、安全に睾丸除去手術ができるようになる。また、イタリアオペラが誕生し、発展すると、一挙に、カストラートの需要が増加した。「教会音楽」に取って代わった「オペラ」が、各地で爆発的な人気を得たことで、さらに多くのカストラートが 歌うことを期待された。ピーク時には、毎年5千人もの、10歳前後の少年が去勢されたと言われている。

カストラートの多くが 貧困家庭の子供であり、本人の意思に関係なく音楽素養のある子供が家族の犠牲になった。すぐれたカストラートは 王家や貴族のパトロンをもって 贅沢な暮らしをするものも多かった。彼らは中国の例と違って、睾丸のみ切除されたので、性生活には支障なく、子孫を残すことは出来なかったが、恋愛も愛人との性生活も自由に持つことが出来た。

カストラートのための音楽教育は盛んに行われ、べカント唱法、バロック音楽のスピッカートコロラトーラなどが発達した。現在、発声練習に使われているソルフェージュは カストラートの教科書だったものだ。
また、幼少のころのベートーヴェンは、ボーイソプラノの歌い手として才能を認められていたため、カストラートになることを期待されたが、作曲家だった父親が、息子には楽器の名手として育てることを望んだ為 手術をうけることにはならなかった、というエピソードがある。

300年間のカストラートの栄華の歴史が閉じられたのは、フランス革命による女性進出や、18世紀のボルテールやルソーの啓蒙思想の動きが契機だった。イタリアに侵略したナポレオンは強権的に、カストラートを禁止した。正式に1902年に法王の聖歌隊からカステラートが排除されて、完全にその歴史は終息させられた。

ファネリは、カストラートの中では珍しく貴族出身で、驚くべきことに、3オクターブ半の声域を自由に歌いこなしたと言われる。美声だけでなく容姿にも恵まれ、豊かな女性関係もち、人々にもてはやされた。イタリアから全ヨーロッパの舞台に立ち、スペイン王フェリペ5世に請われて 20年余りスペイン宮廷に仕えたあと、イタリアのもどり、ボローニャで静かに老後を過ごし、77歳で亡くなった。このような数奇な人生を送ったオペラ歌手の半生が、この映画で描かれている。

映画のストーリーは
幼いカルロが教会の聖歌隊で歌っているところから映画が始まる。歌っている少年達の目の前で たった今、去勢された少年が全裸で、最上階から飛んで自殺する。何故、聖歌隊の仲間が 自殺しなければならなかったのか、カルロには理解できない。父親に聞いても 兄に聞いても、みな黙り込むだけ。カルロは恐怖感から歌うことができなくなってしまう。

年月がたち、カルロは美しい青年になった。有名な声楽教師 二コラ ボルボラに執事している。父は亡くなり、作曲家の兄が親代わりになって カルロを世話している。カルロの美しい歌声はナポリで評判になり、貴族アペラ家のマーガレット バターがパトロンとなり、ファリネリの名前で、ヨ-ロッパ各地で興行して、成功する。ファリネリは、美声と恵まれた容姿のために、人々から絶賛され、貴族の女達は 競って自分のものにしようと誘い、彼もそれを断らなかった。豊かで自由奔放な性生活をもつ。

作曲家のヘンデルは、イギリス国王に仕え王立劇場を率いていたが、早くからファリネリの才能を認めて、自分の劇場に招聘していた。しかし、ファリネリだけを呼んで、兄のリカルドは 来てはいけないと、ヘンデルは言う。ヨーロッパ中で大人気となったファリネリの才能に対して、凡庸な兄のリカルドの作曲能力を ヘンデルは軽蔑していた。
ファリネリは ヘンデルが、歴史に残る今世紀最大の作曲家であることに気がついていたが、貴族と国王との権力争いが、泥沼化しており、貴族をパトロンにしていた立場上、ヘンデルのもとには行くことが出来なかった。当時、ファリネリの音楽の師、ニコラ ボルボラとイギリス国王の王立劇場を率いるヘンデルとはライバルで、激しい権力闘争をしていたのだった。

ヘンデルの曲を歌いたいと願っているファリネリのために、恋人のアレクサンドラは、ヘンデルの書き下ろしの曲を盗んでくる。それを ファリネリが劇場で歌ったとき、それを聞いていたヘンデルは激怒して、自分は二度とオペラを書かない と宣言し、ファリネリを、悪し様にののしる。ファリネリはこれを契機に、ヘンデルとの確執や兄の能力の限界に嫌気がさして、密かにスペイン国王のもとに行く。
というお話。

映画では二つのテーマが語られる。一つはファリネリと兄との愛憎。歌手と作曲家の兄弟が手と手を取り合って、共に芸術のために邁進する。しかし、兄は自分の作曲した曲で、弟とともに成功して世に出るために、弟を騙してきた。ファルネリには、落馬事故の結果、睾丸にダメージが起きたと説明してきたのだ。事実をヘンデルから告げられたファリネリは兄を決して許そうとはしない。

もう一つのテーマは、ファリネリとヘンデルとの確執だ。ヘンデルもまた 兄リカルドと同じように ファリネリを自分のものだけにしたいと願っている。高慢で自信家のヘンデルは、悪し様にファリネルの兄の作った曲をこき下ろすのも、ファリネリを自分のものにする為だ。ファリネリも、ヘンデルの王家をバックにした権威主義や押し付けがましい態度に辟易しながらも、ヘンデルを高く評価している。二人のより美しい音を求める芸術家どうしの憎しみと嫉妬と愛情が、とてもよく描かれている。

当時の王家や貴族たちの暮らしぶりや、美しいヨーロッパの自然が古典オペラの調べに乗って映像化されている。劇場にオペラを聴きにくる王侯貴族達のきらびやかで豪華な服装。装飾の多い劇場や建物、家具、調度品が、みな美しい。ふんだんにレースを使った服装、舞台衣装も素晴らしい。馬車で移動するヨーロッパの緑豊かな自然の風景が目に滲みる。美しい抒情詩を聴いて観ているようだ。

ヘンデルのオペラ「リナルド」から、「涙あふるる」を歌うファルネリの姿は迫力がある。美しい高音が響き渡って美しい。映画が終わっても、しばらく耳について離れない。一流の音楽映画として、完成している。映像も音楽も素晴らしい。

 涙あふるる
 どうか 忘れさせてくれ この醜い運命を
 どうか泣かせてくれ 求めさせてくれ 自由を
 哀しみよ
 このねじれを 壊してくれ
 この悩みを どうか 壊してくれ
 どうか 忘れさせてくれ この醜い運命を

これらの歌詞が ファルネリの魂の絶唱にも聴こえてきて、いつまでも耳について離れない。
美しい映画だ。

2012年5月28日月曜日

ユーロビジョン ソングコンテスト2012

www.eurovision.tv/page/history/year/participant-profile/?song=26903


    


昨年の優勝者を出したアゼルバイジャンの首都バクで開催されていたユーロビジョン ソングコンテストの結果が、昨夜出た。
今年の優勝国は、スウェーデンで、歌手のローリーンが パワフルなパフォーマンスで予想通りに、最高評を取った。

ユーロビジョンはヨーロッパの各国が、一組ずつ代表歌手を出して、国ごとに争うもの。評価は、テレビや会場で見ている人たちの携帯電話での一票による人気投票。自分の国の歌手にだけは 投票できない。
金曜、土曜が、セミファイナルで 沢山の国が振り落とされ、残った20カ国が選ばれた。最終日の日曜に、この20カ国に、イギリス、スペイン、イタリア、フランス、ドイツとアゼルバイジャンを加えた26カ国の間で パフォーマンスが繰り広げられた。

おもしろいのは オーストラリアはヨーロッパの国ではないのに、ユーロビジョンコンテストに大騒ぎすることだ。オットも過去30年あまり、このコンテストが始まった時から、見ていて、何年の優勝国がどこか、ということをほとんど全部憶えていることだ。オーストラリア人は 当然のことながら、投票権はない。しかし みんなこのイベントに参加したいから、自分達のナンバーワン、ナンバーツーを投票して悦に入っている。投票の結果が ヨーロッパ全体の人気投票の結果と、得てして異なるところが、また おもしろい。昨年は アゼルバイジャンが ヨーロッパでは一位だったが、オーストラリアでは、スペインのすごくセクシーな男性歌手が一番人気だった。

今年はヨーロッパ人もオーストラリア人も スウェーデンのパフォーマンスに人気が集中した。この曲、流行るかもしれない。とても可愛い歌手だ。

写真は、リトアニア代表とキプロス代表
どちらもサーカス並みの激しいダンスをしながらパワフルな歌を聴かせてくれた。

2012年5月20日日曜日

映画 「アヴェンジャーズ」



     

監督:ジョス ウェドン


キャスト
マイテイ ソウ  :クリス ヘミワース
ソウの弟、ローク :トム ヒデルソン
アイアンマン   :ロバート ダウニー ジュニア
キャプテンアメリカ:クリス エバンス
ブラックウィドウ :スカーレット ヨハンソン
インクレデイブル ハルク:マーク ルファロー
ホーク アイ   :サムエル ジャクソン

アメリカで最大の売り上げを記録しているコミックブック「マーベルユニバース」のコミックキャラクター スーパーヒーローが勢ぞろい、総出演して地球の侵略者と戦うお話。
まずは神の王の息子で、神々の国アスカルドから追放されたヒーロー マイテイソウと、弟のローク。第二次世界大戦のヒーロー、キャプテンアメリカ。普段はちょっと冴えない中年科学者だが 怒ると体が緑色で100倍の大きさの巨人になって 所構わず暴れまわるハルク。地球を守る使命をもった、SHIELDの片目のキャプテン、ホークアイ。アイアンマンを助けるブラックウィドー。天才科学者で原子力を使ったパワースーツで活躍するアイアンマン。みんな出てくるぞ。

世界一優れた漫画文化を持つ日本人は、アメリカのコミック誌が、いかにつまらないかを良く知っている。質の悪いぺらぺらの紙に、どぎつい色で印刷されたコミック誌をめくってみると、何かうらぶれた、しょぼい感じがする。物語性がないし、面白みにも欠ける。そんなコミック誌の収集家によってオークションで 高額で売られたり買われたりしていることが信じられない。新聞の日曜版に載っている4コマ漫画など おかしくも面白くも無いものばかりだ。

しかし、退屈だったアメリカコミックのヒーローに、命を吹き込んだのは、優れた映画監督達だった。「マイテイ ソウ」も、「ハルク」も、「アイアンマン」も 映画では実に生き生きとしたヒーローとして描かれて、映画で立派に活躍してくれて、成功した。
そんなヒーローたちが全員集合して 地球の敵と戦うのだから 面白くないわけがない。宇宙から 地球を征服する為に 異星人が、ゲジゲジ虫のロボットのような武器を、どんどん送ってきて ニューヨークなど徹底的に破壊されて見る影も無くなる。思い切り何もかもぶっ壊れて、ヒーロー達も、死にもの狂いで戦う。

全米でこの映画が公開された最初の1週間に3億ドル、世界中では合計8億ドルの興行成績を上げたという。この記録は これまで世界で最高記録だった「ハリーポッター」が公開された週の観客動員数を上回ったそうだ。
アメリカ人は本当にアクションが好きなんだな。誰もがみんなヒーローの登場を待っている。誰もがみんな 今の自分に不満をもっていて、ヒーローに救ってもらいたいと思っているのだろうか。

ヒーローたちは 自分がヒーローだから、他のヒーロー達と一緒に戦列に並ぶことに慣れていない。第二次大戦のヒーローキャプテンアメリカの 流行遅れの制服に身を包んでいる姿をちゃかして笑ったり、ハルクが予定よりも早く緑の怪物に変身してしまって、敵よりも味方を攻撃して、みんなが辟易してみたり、アクションの中にも笑いが、たっぷり用意されている。ヒーローのなかでも、アイアンマンが、最新科学と情報の豊さで、だんとつのヒーローなのだが、彼はあくまで金持ちの坊ちゃんで、基本的には自分と自分の秘書ぺッパーさえ安全ならば 他の事はどうでも良いと思っている。リーダーになって地球を救うなど、さらさら考えて居ない。ホークアイは、リーダーとして怒鳴り散らすだけ。ヒーローたちは、いつも一人で戦っているから チームワークができない。その点、キャプテンアメリカは さすがリーダー気質で メンバーひとり一人に指示を与えて、チームを統率する。

ヒーロー達の抗戦の甲斐あって、何とか敵を撃退させることができた。めでたし めでたしだ。
ところで敵ってなんだろう。前回の「スパイダーマン」でも「バットマン」でも、敵とは、正義とは何か が微妙なテーマになっていた。
スパイダーマンは 育ててくれたお爺さんに教わった、正しく生きる道を歩もうとしているが 自分の内部にある悪への魅力に振り回されていた。バットマンは 淡々と良き市民や両親を僅かな金のために殺すような理不尽な悪と戦ってきた。しかし弱いものが助けを求める声を聞いて、駆けつけてみると自分と同じバットマンスーツを着たニセモノバットマンがマスコミに脚光をあびるためにすでに出動している。悪とは何か、善とは何か バットマンは悩む。

ヒーローたちもただ やみ雲に戦っているわけではなくて自分の中の邪悪や通俗性に疑問をもったり、敵だと思い込んでいた相手にも一部の理があることに気がついたり 悩んだり、酔って馬鹿をやったりする。キャプテンアメリカにとって 敵とは敵国の日本やドイツだったし、インクレデイブル ハルクにとっての敵は「オレを怒らせた奴」だったし、アイアンマンにとっての敵とは 自分の会社スターク社の商売敵だろう。共通の敵などなかった。

私の敵は、あなたの敵とは限らない。アメリカの正義は 他の誰にとって正義なのか。アフガニスタンからの早期撤兵を約束して大統領になったオバマにコントロールの効かない現在の状況で死者ばかりが増えて、一向にアフガニスタンの治安状況は良くならない。シリアではアサド政権により、民主化運動が圧殺され、本格的にアルカイダが介入してきた。スンニとシーアとの権力争い、と簡単には説明できない。スーダンではオイルをめぐって独立した南スーダンとの争いが本格化している。正義とは何か、敵とは何か、言い切ることができない。

共通の敵はない。しかし、地球が異星人に攻撃されて侵略されるならば、他のヒーローたちと一緒に防戦はする。「攻撃はしないが、防戦はする」というところで、共同戦線をはったヒーローたち。共通の敵は居ないが、一緒に防戦はする というところが、「今」という状況を映し出しているのかもしれない。

マーベルユニバースのコミックヒーローを大集合させた、この映画に対抗して、ブロックバスターズコミックブックのヒーローたちが これまた大集合する映画が、もうじき公開されるそうだ。「スパイダーマン」、「ジ アメイジング」、「ダークナイトライブ」などだ。きっとまた 大型アクション映画になって、映画産業を振興させてくれることだろう。

2012年5月15日火曜日

石塚真一のコミック 「岳」

山は良い。山は最高だ。山の良さを説明することができない。どんなに山が良いか、行ってみたらわかるよ、としか言えない。山の良さは登ってみた人にしかわからないので説明の仕様が無い。


一番好きな山は、穂高。二番目が剣岳。三番目が槍ヶ岳。四番目が八ヶ岳。五番目が白馬三山。

本当に好きだった人が山で死んで、カラビナが外れて滑落したそうだが、単独行の人だったから誰も死に目にあえなかった。それがきっかけで5年くらいの間、ものに憑かれたように山に登った。高いところばかり歩き周るから 夏の間は顔が日焼けで2枚も3枚も皮がはがれて顔中ケロイドのようだったが 全然気にならなかった。

山頂に立ち、360度 山また山という場に立つとすべてから解き放たれる。自分というものがなくなって、ただただ胸にあるものが空になって自由になれる。山の乾いた空気、淡い太陽の光、凍るような冷たい、肌を切るような山の風。バランスをとりながら 岩に取り付く、岩から岩へ這い蹲ったりよじ登ったりする、その岩の絶対的な存在感。岩と同じ色で見分けがつかない雷鳥が歩き回り 人間の存在など全く構わずにいて、その自由な姿を見ていていつまでも見飽きない。足を踏み外して、へばりついた岩と岩の間に咲くチングルマの可憐な美しさ。多種多様な山岳植物の その楚々とした美しさ。聳え立つ、落葉松の林に心が躍る。

山をやる人を山屋 岩をやる人を岩屋というが、そうした人たちが一様に、ボロを着て無頓着なのに、立派な紳士ばかりだ。一日中単独行で歩いて、人恋しくなった頃、山小屋に着くと、山屋達は皆、とびきり親切。寡黙そうな山屋が 聞けば自分の山の経験をいくらでも教えてくれて興味が尽きることが無い。歩き疲れていても 山男達の話を聞いていると、話しが面白くて時を忘れる。下界に下りれば若い人達は左翼の派閥争いばかりしていて、俗界では若い女とみればケッコンケッコンと、騒いでいる。山から下りてくると、もう翌日には山に戻りたくなっていた。デヴッド リーンの映画「アラビアのロレンス」に、新聞記者から、どうして砂漠が好きなのか、という問いにロレンスが答えて、「砂漠は清潔だから」と言うシーンがある。それと同じニュアンスで「山は清潔だ」。

石塚真一のコミック「岳」 小学館ビッグコミック連載の1巻ー12巻が手に入ったので読んだ。泣き通し。すごく良かった。

主人公の島崎三歩は、7年前ヒマラヤ山脈西端ナンガバルパットの頂上直下で、嵐が過ぎるまで10日間、悪天候に閉じ込められてテントから動けなかった。その時、凍死した別パーテイーの8人の死体を自分のテントまで運び、死体たちと共に、ひとり過ごした。毎日死体たちに「心配ない、ない。仲間はみーんなそばにいっからさ。」と話しかけていた、、、という、そんな男だ。
北アルプスの三の沢を上がったところにテントというか、小屋を作って山岳遭難防止対策協会の民間ボランテイアをしている。遭難救助といっても半数は助からない。滑落や雪崩や疲労凍死した山の犠牲者を背負い、岩を登り 川を渡って収容する。三歩は決して遭難者を責めない。「よくがんばった。」と言い、「また山においでよ。もどっておいでよ。」と呼びかける。「みんな山に来たらいいのにね。」といつも言っている。
涸沢ヒュッテの山口山岳遭難大作協議会隊長も、谷村山荘の谷村おばちゃんも、レスキューヘリコプターの牧さんも、みな仲間だ。

長野市北部警察署、地域課の野田正人は 島崎三歩の幼馴染だが、彼の部署に新人 椎名久美が救助隊員としてやってくる。久美は遭難救助にあたって 恐怖や驚きや迷いにぶちあたり、そのたびに三歩に反発したり、疑問をもったりしながらも、励まされて一人前の救助隊に育っていく。
遭難の舞台は 秋の北穂高岳 東面の滑落、奥穂高南稜、雪庇からの墜落、槍ヶ岳北尾根の雪崩、前穂シェルンド(雪渓のわれめ)からの転落、屏風岩での雷、焼岳、滝谷からの滑落、常念岳からの滑落などなど。
山の絵が素晴らしい。その稜線に実際立った人でないと見えない山々の姿が描写してある。屏風岩のテラスにしても、実際登ってみなければ描けない絵が正確に描かれている。山が好きでないと描けないだろう。作家は、漫画家というより 本当に山が好きで山をよく登っている人にちがいない。

3巻のエピソードをひとつ
正月にひとり穂高の山に入った浩平が、行方不明になって187日。とうに捜査は打ち切られていたが、三歩は「正月にしか山にこれない人が一人で山に来たんですよ。厳冬の雪山に。僕も会いたいです。」と言って ひとり遭難者を探索していた。浩平が登った稜線には東に7つ、西に9つ、合わせて16の沢がある。一つ一つの沢を捜査して、15の沢で見つからなかったので、最後の16番目の沢で浩平が死んでいるに違いない。三歩は父親を呼んで、雪解けとともに一緒に浩平を探すことになった。父親は、浩平の死を認めたくない。浩平が山などに来なくて、どこか他に居るような気がして、駅で背広姿の若い人を見るとみな自分の息子に見えて仕方が無い。
遺体を見つけた三歩が父親を呼ぶ。「遭難から半年経っている。浩平さんかどうか分かるのはお父さんだけだよ。」しかし、変わり果てて腐臭する姿を父親は 息子だと認めずに、必死で否定する。「ちがう、こんなの息子じゃない。」と言って卒倒する。三歩は、浩平に優しく話しかけながら、遺体をバッグに収容するために動かす。「次は右手、曲げるよ。うまいうまい。」と体を動かし、「この沢に居たってことは頂上まで行けたんだね。」よくがんばった。と話しかけながら、遺体を抱き上げる。父親がそれを見て、起き上がって「息子、抱いてもいいですか?」
それに、三歩は やっと息子さんに「会えたね。もちろん。」抱いてやってください、と。

2巻のエピソードもひとつ
常念岳、大学3年の八巻君と1年の松崎君が冬山で消息を絶つ。30人の救助隊、100人のボランテイアによる探索で、見つからず3週間で捜索は中止される。メデイアは、厳冬の山での若い二人の「認識の甘さ」を非難するばかりだ。その後も三歩は毎日ひとりで捜索していたが、50日目になって、久美は人々の非難の声に居たたまれなくなって、三歩に付いて行く。ゾンデに反応があった。三歩は慎重に雪穴を掘り出していく。「薄着の3年生八巻君と厚着の後輩松崎君は新入部員、「私には認識の甘さを感じさせない立派なクライマーに見えた。」と久美は独白する。雪穴のなかで、八巻は自分の服をみな後輩に着せて、自分は裸で、しっかり後輩を抱きしめて凍死していたのだ。

この5月の連休に 日本では、山に行って遭難した人が何人もいたようだ。遭難者が出ると 必ずメデイアは「認識の甘さ」を言う。しかし、山に絶対安全はない。どんなに注意していても事故は起る。山に絶対はない。山の天候は変わりやすい。
稜線を歩いていて、右側からは冷たい雨が吹き付けてきて凍えているのに、体の左側は太陽が照り付けている というような経験を山でしたことのある人は、山の天気を読むことがどんなに難しいことか、わかるだろう。人の「認識」で、登山に「絶対安全」と望む、など、なんと自然に対しておこがましいことか。どんなに認識していても、安全に注意していても、山では事故が起るし、人は死ぬこともある。それが納得できない人は山に来なければ良い。そして、山で遭難した人を責めないで欲しい。

2012年5月12日土曜日

シェイクスピアの「マクベス」と「蜘蛛巣城」


      

オペラハウスの小劇場で、「マクベス」を観た。
ベル シェイクスピアという、今時こんな時勢に シェイクスピアだけを演じているというグループによる公演。行って見て、役者達が全員若い人たちばかりだったことと、観に来ている人たちも若い人ばかりだったことが 驚きだった。
シドニーのオペラハウスで オペラやコンサートを月に一度くらいの割で、観に行っているが 観客はいつも年寄りばかりだ。座っている人たちを後ろから見ると白い髪のひとばかり。車椅子や歩行器や杖を使っている人も多い。そんなだから 今回シェイクスピアを観に行って、若い人ばかりだったので とてもびっくりした。芝居が終わって 皆が席を立ち、出口に行き着くまでに待つ必要がない。みな、サッサと出て行って、エレベーターの前に長い列ができることもない。若い人たちは 足腰が軽いのだ。たった、200年の歴史しかないオーストラリアという若い国で、若い人たちが、古英語で台詞を言うシェイクスピアの芝居に魅かれて観に来ていることに、新鮮な感動を覚えた。

でも、振り返ってみたら、私がモリエールの芝居「町人貴族」と、「スカパンの悪巧み」を演じるコメデイフランセーズを観て、心底感激感動したのは 小学校5年生のときだった。大きな舞台で、朗々たる声、明確な発音で語る言葉の美しい力強さ、鍛えた体で役を演じる役者たちのしなやかで軽やかな動き、舞台芸術の多様さなど、芝居の世界に魅せられた。芝居をやりたい。
でも、自分の声帯が極端に弱いことに、程なく気がついた。興奮して大きな声を出すと 翌日は必ず声が嗄れてハスキー声になっている。その翌日は 全く声が出なくなっていて、回復するのに日数がかかる。風邪をひいても まず咽喉から悪くなる。タバコの煙が立ち込めるところで、4弦バンジョーを持って歌えるスーマーさんは、すごいと思う。舞台俳優も シンガーソングライターも、学校の先生も、自分には向いていないことがわかった。騒いでいる人を黙らせることが出来ない。以来、舞台は観るだけ、歌は聴くだけ、学校の先生は批判するだけ。

マクベスは 本来誠実な男が権力意識の強い妻をもったために、自分が仕える城主を殺してしまい 自滅していくお話だ。オペラにも、バレエにも 映画にもなっている。
映画で、いちばん印象に残っているのが、1957年、黒澤明の「蜘蛛の巣城」だ。白黒映画だが、まさに芸術作品。役者達が能の動き、顔の表情を作っている素晴らしい作品。マクベスを、戦国時代の武将に置き換えているが、原作に忠実で、海外でも評価が高かった。黒澤が「七人の侍」を作った後の、油が乗り切った頃の作品だ。主役は三船敏郎。妻が山田五十鈴だった。
「森が動く」シーンも良かったし、山田五十鈴が「手を洗っても洗っても血が取れないの。」と言いながら狂っていくところなど、お歯黒で黒髪の山田五十鈴が演じると、どんなお化け映画よりも怖かった。

この映画では面白いエピソードがある。ラストシーンで三船敏郎が多勢の弓矢に射られて殺されるが、これが黒澤による特撮ではなく真迫力を出す為に、本当の弓矢の名人が三船をめがけて次々と弓を射た。三十三間堂の通し矢の名人だったそうだ。撮影終了後、三船は 「殺す気か」と黒澤に食って掛かり、それでも腹の虫が治まらず、後日酒に酔った勢いで、散弾銃をもって、黒澤の自宅を襲った。その後も三船は頻繁に、黒澤をバズーカ砲で殺してやる といきまいていた という。これは東宝撮影所の伝説になっている。

東宝撮影所は成城にあるが、伝説といえば、1946年から1948年にかけて、「東宝争議」が起った。当時、職員1200人の解雇を通知したことに怒った組合が、撮影所の正面にバリケードを築いて立てこもった。これを排除するために、警視庁から2000人の警察官、アメリカ軍GHQからは MP150人、歩兵自動車部隊、装甲車、M4中戦車、航空機3機が出動して、東宝撮影所を包囲した。アメリカ軍は、「来なかったのは軍艦だけ」、というほどの重装備だった。成城という小さな街で起った、ひとつの労働争議のために、これほどの軍が介入した歴史的な事件だったが、あまり報道されておらず、知られていない。
12歳年上だった私の最初の夫は、自分の家が、成城のこの撮影所に近かったので、目の前を米軍の戦車が通り過ぎていくのを目撃している。細かく当時のことを、憶えていて話してくれたものだ。私が産まれた頃の話だ。

普段はとても静かな成城の街で学生時代を過ごした。緑が多く、仲間と話しをしながら、飽きることなく何時間でも散歩した。東宝撮影所が近かったから、学生会館にいると映画のエキストラ出演の依頼がよくきていて、アルバイトする学生も多かった。
成城は坂が多い。ある日、考えごとをしながら一人で長い上り坂を ゆっくり歩いていた。後ろから誰かが息をきらせながら上ってくる。ハアハア ゼイゼイいいながら、何故かこっけいな気がしたが、振り返るのも面倒で、そのまま歩いて坂の頂上まで来た。ここで その後ろから坂を上ってきた中年の太った男に呼び止められて、振り返った。、、と、そのとき、男は明らかに落胆した表情をみせて、「あ、、きれいな歩き方ですね。」とだけ言って、くるりと背を向けて坂を下りていった。 なんなのよ。全く、失礼な。「歩き方だけかよ。」、、後から思うと、この男は東宝撮影所の何かで、スカウトマンだったのだ。

それはともかく、役者にはなれなくても シェイクスピアの芝居に出てくる台詞をいくつか覚えておくと良い。ハムレットの「TO BE OR NOT TO BE」だけでなく、「森が動く」や、「洗っても洗っても血が落ちない。」の台詞など、ちょっとした会話にはさむだけで、おしゃれじゃないか。
しばらくぶりに、シェイクスピアの芝居を観て、改めて芝居の面白さを味わって、とても満足した。

2012年5月7日月曜日

男達の「白鳥の湖」

            

http://www.swanlaketour.com/

マチュー ボーン演出のバレエ、「白鳥の湖」ロンドン公演を、ハイビジョン3Dのフイルムで観た。

力強い男達の踊る白鳥の群舞いが素晴らしい。筋骨隆々の、よく引き締まった体を持った男達が上半身裸で、下半身に羽毛をつけて踊る白鳥だ。近年、これほど感動したバレエの舞台を他に見なかった。素晴らしいスピードと力強さ、そしてジャンプする跳躍力。エネルギーが爆発する。

マチュー ボーンは、1960年ロンドン生まれのカリオグラファーで、前衛的なバレエのグループをもって1995年から活躍している。この「白鳥の湖」はウェストエンドとブロードウェイとで、最も長く公演が続いている出し物だそうだ。ローレンス オリビエ賞、トニー賞で最優秀演出賞と最優秀カリオグラファー賞を受賞している。

監督、カリオグラフ:マチュー ボーン
音楽:チャイコフスキー
演奏:ニューロンドンオーケストラ
指揮:デヴィッド リロイド ジョンズ

キャスト
白鳥  :リチャード ウィンザー
プリンス:ドミニック ノース
クイーン:ニナ ゴルドマン
執事  :ステーブ キルカン
少年時代のプリンス:ジョセフ ヴォーガン

ストーリーは
はじめの場面では 舞台の中央に大きなベッド。幼いプリンスが眠っている。白鳥がプリンスに襲い掛かり 必死で逃げても捕まって殺されてしまうという悪夢にうなされている。いつも見るのは、同じ夢だ。  しかし、朝はいつもどおりにやってくる。侍従の命令通りに召使達がプリンスの身支度をする。プリンスが制服を着込んだところで クイーンの待つ馬車に乗り、国民への会見や公式行事に母と参加して 退屈な時間を過ごす。
次のシーンでは、プリンスが大きくなっている。若きプリンスが幼い頃と全く同じことをしている。起きてから眠るまで 全く自分の時間がない、拘束された不自由な生活をするプリンスの様子が痛ましい。

ある夜、かくれて酒を飲んでいたプリンスは母親に見つかり責められる。プリンスは、母親を愛している。飲んだ勢いで母親に襲い掛かる。しかし母親は冷たく息子を払いのけ、しっかりするように言い渡すだけ。
プリンスは身分を隠してキャバレーに行く。しかし世慣れていない彼は飲んだくれに喧嘩を売られて、店から放りだされ、笑い物になるだけだった。

月の光が照らす夜の池のシーン
世を儚んだプリンスは池に飛び込んで死のうとする。プリンスの前に立ちはだかって、美しい舞いをみせる白鳥。その美しさにプリンスは目を奪われる。力強い舞いをみせる白鳥のソロが素晴らしい。誘われるかのようにして、デュオで踊るプリンスと白鳥の踊りが秀逸だ。荒々しくプリンスを跳ね除けていた白鳥が 二人して踊るうちに互いに心引かれ、恋に陥る様子が 見ていて手を取るように伝わってくる。
それに続く白鳥たちの群舞いが 激しく勇壮で美しい。12羽の白鳥達の力強い踊りをバックに 歓びに満ちた恋する二人の踊り。プリンスと彼とは一回り体の大きな白鳥のデュオが、月の光に照らされて青く輝いてみえる。

次は宮廷の舞踏会
退屈な宮廷舞踏会に辟易しているプリンス。各国から来たダンサー達がそれぞれのお国の踊りを見せたり、貴族達は華やかに着飾り社交に忙しい。そこに、プリンスの恋する白鳥が人の姿をして突然現れる。うろたえるプリンス。会場にいたすべての女達のこころを、白鳥は、わし摑みしてしまう。白鳥の暴力的ともいえる性的な魅力にクイーンまでもが 夢中になってしまう。プリンスに、わざとつらく当たる白鳥に、プリンスは驚き、白鳥を追い求めて狂ったようになってしまう。

最後は再びプリンスの寝室
プリンスは重い病気に陥って、召使や母親に世話をされている。
そこに、夢にまで見た白鳥が 会いにやってくる。白鳥は瀕死の傷を負っているが、プリンスは それに気がつかない。出会えたことに歓び、デュオを踊る二人の前に 沢山の白鳥達が襲い掛かる。プリンスを、くちばしで突き刺し肉をえぐる白鳥達。それを助けようともがく瀕死の白鳥。二人とも 囲まれて殺される。
上空を プリンスをしっかり抱きしめたは白鳥が、天に昇っていく。
というお話。

白鳥の女王に恋をするプリンスを描いたチャイコフスキーの「白鳥の湖」が、そのままプリンスと雄の白鳥との許されざる恋の物語にされたところが現代的解釈だ。鍛え抜かれた筋肉をもった男達が上半身裸で白鳥になって、荒々しく激しく白鳥を踊る。毛つくろいをし、羽ばたき、飛び発って宙に舞う。バレエとは男の美しさを見せる為の芸術だと言われているが、その言葉がすんなり納得できる。本当に 美しい、感動的な舞台だ。

「白鳥の湖」は パリオペラバレエ、ロイヤルロンドンバレエ、キエフバレエ、ボリショイバレエ、ニューヨークバレエ団、オーストラリアバレエでも観てきた。どれが一番美しかったか、甲乙などつけがたい。キエフバレエでは ものすごく沢山の踊り子達が、普通の舞台の倍はある大きな舞台に広がって、贅沢で豪華なパフォーマンスを見せてくれて、目を瞠った。パリオペラバレエを見たときは、ヌレエフが演出した「白鳥の湖」だったので ドラマ性があって、涙が自然と出て来るほど美しかった。しかし、このマチュー ボーンの白鳥には とても感動した。

3Dテクニックがでてきた時は ちょっと立体的に見えるくらいで何だ?という感じだったが、徐々に技術が良くなってきて、特に舞台の映像化には、3Dテクが とても生きている。舞台芸術では 物語が平面的なならないように観客の前に花道ができたり、役者が観客席の後ろから飛び出してきたり、舞台のそでを上手に使ったりする。舞台ライブのフイルムを3Dにすると さらに見ている人に直接手が触れられるような 錯覚を起こさせ、画面に臨場感が出て、とても効果的だ。

男達が チャイコフスキーにあわせて群舞いするシーンや、瀕死の白鳥を踊る姿を見ていて、これがチャイコフスキーの「白鳥の湖」に一番合って居るのかもしれない と思った。とても良い舞台を観られて、幸せ。映画館でこれを観た後、DVDをロンドンから取り寄せる手続きをしてしまった。

2012年5月3日木曜日

カウリスマキの映画「ル オーブルの靴磨き」


    

原題:「LE HAVRE」

監督:アキ カウリスマキ
キャスト
マルセル:アンドレ ウィルム
アルレッテイ:カテイ オウテイネン
警部:ジャン ピエール ダルサン
密告者:ジャン ピエール レオ

ストーリーは
フランス北西部の港町、ル オーブルで、マルセルは妻と、つましく暮らしている。若い頃は作家として物を書いていて、芸術家らしくボヘミアンな生き方をしていたが、成功して世にでることはなかった。年老いた今、苦労させた妻と二人、日々の靴磨きをして得る小銭で何とか生活している。

ニュースでは、この港町の貨物船からアフリカの密入国者が潜んでいるところを発見され、そのうちの一人の少年が逃走していることを伝えている。
その日 マルセルが港で海を見ながら弁当を食べていると 逃走中の少年が半分冷たい海に浸かったまま隠れている姿に出会ってしまった。弁当を買って 少年の隠れているところに置いてやると 翌日には、マルセルは自分の家の犬小屋に、この少年が眠っているのを見つける。予想外の展開になってマルセルは 少年イングリッサを自分の家にかくまうことになる。
そんなときに、妻のアルエテイが病に倒れ、入院することになる。病気は重く、予後が良くない。となり近所の人々は アルレッテイの見舞いに出かけ、マルセルがかくまっている少年のために食べ物を差し入れて協力を惜しまない。

マルセルは、たった一着の背広に着替え、夜行バスでカレーの街の難民収容所の出かけて行き、少年イングリッサの祖父に会い、少年が行きたがっている母親の住所を聞き出す。父親は生きておらず、母親はロンドンで働いていたのだった。祖父を難民収容所から助け出すことは出来ないが、イングリッサを是非とも母親のところに送り届けてやりたい。マルセルは 少年をイギリスに密入国させるための船の手はずを整える。しかし船のガソリン代、2000ユーロというマルセロ達にとっては とんでもない大金を作らなければならない。

近所の人々は2000ユーロを作りために頭をひねる。おなじ靴磨きをしているチャンは 息子に玩具を買うために積み立ててきた400ユーロを出すという。ロックコンサートで資金稼ぎをしよう ということになったが、歌手で、今はただの飲んだくれのリトル ボブの助けが必要だ。彼は妻のミミが居なくなって腑抜けのようになってしまった。マルセロは、家出しているミミを説得する。ミミはあっさりボブのところに戻り、ロックコンサートは成功裏に終わり、マルセロは渡航費用を手に入れた。いざ、イングリッサを船底に潜ませでイギリスに向けて船が出ようとしたときに、執拗にマルセロをマークしていた警察署長らが追跡してきて、、、。
というおはなし。

一般的に映画は、普通の生活している人々とは違った、スターと呼ばれる美男美女が出てきて 普通の人々がいつも使っている車や家具調度品よりも洒落たものに囲まれ、そのへんで売っていないような服などを身に着けて、ちょっと小市民が住んでみたいと思うような優雅な家に住み、見ている人のために非現実的な経験をしたりして、人々を楽しませてくれるものだ。それが一般人に手の届かぬ夢物語であり、映画の中でだけ体験できる冒険だったり 普段と違う興奮や感動をもたらせてくれるものだったりする。

アキ カウリスマキ監督の作る映画は、そのすべての「一般」と対照的だ。登場人物は、美男美女とは程遠い、見ているあなたより見劣りするし、生活は貧しく、映画の中で体験していることは冴えないことばかりだ。不運続きのお人よしのおばかさんだったりする。だいたい主役も端役も笑ったり、泣いたりしない。激しいやり取りして喜怒哀楽を表現して観客を巻き込もうとなどしない。終始、無表情で、せりふを画面に向かって表情なしに並べてみせる。事件など 何も起きない。特別な出来事など何も無い。

これが、アキ カウリスマキの世界だ。見ている人は一人でじんわり感動したり、にんまり笑って そっと涙をうかべてみたりする。
だから、カウリスマキの世界は一般受けしない。それで良い。

例えば、マルセロが チャンと呼ばれる同業の靴磨きと二人で壁を背に立っている。カメラは真正面だ。マルセロに靴を磨かせていた男がカメラの横を通りカメラの後ろに歩いていく、と同時に銃声がして マルセロとチャンがちょっとだけ顔をしかめる。カメラは動かない。だから死人も映らない。マルセロとチャンのわずかな表情だけで ギャングに何が起きたか想像させる。マルセロはボソッと「代金払ってもらった後で良かった。」と言うのだ。ちょっとしたハードボイルドよりも、ハードじゃないか。バシャバシャ血が流れたり ギャング同志の抗争や、物が壊れたり、人々が叫んだり大騒ぎするよりも、ずっとハードボイルドだ。

妻が、治療中は2週間面会に来てはいけないのよ、と無表情で言う。黙って聴くマルセロ。無表情でいることによって妻に状態が良いものではなく、先が余りない、ということがわかり、哀しみに心が冷えていく様子が、見ているものにはわかる。
ヨレヨレでくたびれたマルセロのジャケット、ほこりだらけの靴、深い顔の皺、くちゃくちゃのタバコの箱、それに対照的な 上等な黒のコート、帽子、ほこり一つない完璧ないでたちの警察署長。マルセロの家のクロセットには 一組の背広があるだけ、並んだアルエッテイにも2組の服しかない。家にはテレビもラジオもありそうにない。

ロックスターだったリトル ボブはミミが出て行ったあと酒に溺れていて、もう歌えない。マルセロはミミを説得して リトル ボブが酒を相手に嘆いているところにミミをつれてくる。ボブとミミのふたりは見詰め合う目がこれほど優しく見つめあうことが出来るのかというほど 優しく優しく見詰め合う。そのままカメラは動かない。長い長い台詞の無い時間が過ぎる。で、その次には、ボブがマイクを持って絶叫し、ファン達がビートに合わせて踊りながら叫びだすシーンだ。
実に表現がうまい。

マルセロが稼ぎが少なくて、パン屋にの八百屋のも借りが貯まっている。マルセルがパンを通りがかりに摑んでいくと、店主は怒って詰め寄るし、八百屋はマルセロの目の前でシャッターを閉める。そんな隣近所の人々が マルセルが不法移民をかくまったとたん、パン屋は、いくつものパンをマルセルに持たせ、八百屋は缶詰や果物を詰めた箱を渡す。会話はいっさいない。
パン屋、雑貨屋、八百屋のおやじ、パブの女主人、靴磨きのチャン、リトル ボブ、ミミなど、このル オーブルにすむ人々の心の温かさ、しわの深い顔、クタクタの服を身の纏った人々が、みな天使に見えてくる。

難民収容所に収容されたイングリッサのおじいさんに面会を要求するマルセロは、所長に肉親でないと面会できない、と言われて、私はおじいさんの兄弟だと平然と言う。署長がおまえは白人じゃないかと言うと、マルセロは「ぼくはアルビノ(先天的色素欠亡症)であって、兄弟に間違いない。肌の色で人を差別するなんて、あなたは所長の立場で民事法に違反しているではないか。」と言い返し、屁理屈を並べ立て 無理やり面会する。マルセロの不器用だが 人のためなら必要なものは必ず掴み取る姿勢に 見ているものは心から拍手喝さいする。

派手でない。地味で言葉数が少なく、役者の動きがなく、画面の背景で物語を語るカウリスマキの手法は独特だ。彼はハリウッド嫌い。才能を認められてハリウッドに招待されたが そこで自分の映画を作るつもりはないと断った。「シネマは一日、一生懸命働いた人がその日の終わりにリラックスして楽しむ為に見るエンタテイメントだ。シネマによって その日をリフレッシュできて翌日いい人間関係が築けるのであれば その映画は成功したといえる。」と言っている。
徹底した市井の人々、権力にも法にも守られていない、貧しいが、自分の足できちんと地に立っている生活者たち、彼らなりの正義、弱者の立場に立った正義の為なら どんな犠牲も恐れない人々、小さな英雄達、小さな美しい天使達を、彼は描いている。

カリウスマキはフィンランド人だが、小津安二郎のファンで 彼の作風に強い影響を受けていることが 見ていてよくわかる。小市民の単調な生活の描写を見ていると、フランスの港町なのに、昭和初期の香りがしてくる。最後のシーンで マルセルの家の前では桜が満開になって夫婦を迎い入れてくれる。小津に敬意を表したかのように、清楚な桜だ。
渋みと苦味とペーソスが合わさって、優しい笑いをかもし出してくれる。
ときには こんな映画で、心がやさしくなれる。
観てみる価値はある。