2012年6月1日金曜日

映画 「カストラート :ファリネリ」


原題:「IL CASTRATO: FARINELLI」              

1994年 イタリア、フランス、ベルギー合作映画
監督:ジェラール コルビオ

キャスト
ファリネリ、カルロ ブロスキー:ステファン デイオニジ
兄、リカルド ブロスキー   :エンリコ ロヴェルソ
アレクサンドラ        :エルザ ジルベルシュタイン

カストラートと呼ばれる去勢されたオペラ歌手、ファリネリ、カルロ ブロンスキー(1705年ー1782年)の半生を描いた映画。1995年のゴールデングローブ賞、アカデミー外国作品賞受賞作。
このフイルムのことは知っていたが、見る機会がなかったので、このあいだ日本に休暇で帰国したとき、日本語字幕つきのDVDを手に入れて やっと観ることが出来た。

ファリネリの愛称で呼ばれていたカルロ ブロンスキーは 1705年、イタリアのナポリで、貴族の家庭に生まれる。父は音楽家、8歳年上の兄は作曲家で、カルロは幼少のころから美声を認められ、教会の聖歌隊で歌を歌っていた。父の死後、兄の意志により、カルロは、8歳の時に睾丸除去の去勢手術を受けさせられ、カストラートとなる。

当時の教会では、女はしゃべったり歌ったりすることが許されていなかった。カトリック教会としては ボーイソプラノの高音を変声期を経たあとも歌える歌手が是非とも必要だった。ボーイソプラノは子供なので 高音は美しいが声量がない上、持久力もない。テナーは声量はあるが 高音が出ない。ボーイソプラノとテナーとの間を埋めるためには 変声期を迎える前の少年に去勢をする必要があった。1599年のローマで 初めてカストラートが登場したと言われているが、16世紀以前から存在していたともいわれる。カトリック教会は これを奨励も公認もしていないが、黙認していた。

その後、イタリア ルネッサンスの到来によって、解剖学や医学の発展がみられ、安全に睾丸除去手術ができるようになる。また、イタリアオペラが誕生し、発展すると、一挙に、カストラートの需要が増加した。「教会音楽」に取って代わった「オペラ」が、各地で爆発的な人気を得たことで、さらに多くのカストラートが 歌うことを期待された。ピーク時には、毎年5千人もの、10歳前後の少年が去勢されたと言われている。

カストラートの多くが 貧困家庭の子供であり、本人の意思に関係なく音楽素養のある子供が家族の犠牲になった。すぐれたカストラートは 王家や貴族のパトロンをもって 贅沢な暮らしをするものも多かった。彼らは中国の例と違って、睾丸のみ切除されたので、性生活には支障なく、子孫を残すことは出来なかったが、恋愛も愛人との性生活も自由に持つことが出来た。

カストラートのための音楽教育は盛んに行われ、べカント唱法、バロック音楽のスピッカートコロラトーラなどが発達した。現在、発声練習に使われているソルフェージュは カストラートの教科書だったものだ。
また、幼少のころのベートーヴェンは、ボーイソプラノの歌い手として才能を認められていたため、カストラートになることを期待されたが、作曲家だった父親が、息子には楽器の名手として育てることを望んだ為 手術をうけることにはならなかった、というエピソードがある。

300年間のカストラートの栄華の歴史が閉じられたのは、フランス革命による女性進出や、18世紀のボルテールやルソーの啓蒙思想の動きが契機だった。イタリアに侵略したナポレオンは強権的に、カストラートを禁止した。正式に1902年に法王の聖歌隊からカステラートが排除されて、完全にその歴史は終息させられた。

ファネリは、カストラートの中では珍しく貴族出身で、驚くべきことに、3オクターブ半の声域を自由に歌いこなしたと言われる。美声だけでなく容姿にも恵まれ、豊かな女性関係もち、人々にもてはやされた。イタリアから全ヨーロッパの舞台に立ち、スペイン王フェリペ5世に請われて 20年余りスペイン宮廷に仕えたあと、イタリアのもどり、ボローニャで静かに老後を過ごし、77歳で亡くなった。このような数奇な人生を送ったオペラ歌手の半生が、この映画で描かれている。

映画のストーリーは
幼いカルロが教会の聖歌隊で歌っているところから映画が始まる。歌っている少年達の目の前で たった今、去勢された少年が全裸で、最上階から飛んで自殺する。何故、聖歌隊の仲間が 自殺しなければならなかったのか、カルロには理解できない。父親に聞いても 兄に聞いても、みな黙り込むだけ。カルロは恐怖感から歌うことができなくなってしまう。

年月がたち、カルロは美しい青年になった。有名な声楽教師 二コラ ボルボラに執事している。父は亡くなり、作曲家の兄が親代わりになって カルロを世話している。カルロの美しい歌声はナポリで評判になり、貴族アペラ家のマーガレット バターがパトロンとなり、ファリネリの名前で、ヨ-ロッパ各地で興行して、成功する。ファリネリは、美声と恵まれた容姿のために、人々から絶賛され、貴族の女達は 競って自分のものにしようと誘い、彼もそれを断らなかった。豊かで自由奔放な性生活をもつ。

作曲家のヘンデルは、イギリス国王に仕え王立劇場を率いていたが、早くからファリネリの才能を認めて、自分の劇場に招聘していた。しかし、ファリネリだけを呼んで、兄のリカルドは 来てはいけないと、ヘンデルは言う。ヨーロッパ中で大人気となったファリネリの才能に対して、凡庸な兄のリカルドの作曲能力を ヘンデルは軽蔑していた。
ファリネリは ヘンデルが、歴史に残る今世紀最大の作曲家であることに気がついていたが、貴族と国王との権力争いが、泥沼化しており、貴族をパトロンにしていた立場上、ヘンデルのもとには行くことが出来なかった。当時、ファリネリの音楽の師、ニコラ ボルボラとイギリス国王の王立劇場を率いるヘンデルとはライバルで、激しい権力闘争をしていたのだった。

ヘンデルの曲を歌いたいと願っているファリネリのために、恋人のアレクサンドラは、ヘンデルの書き下ろしの曲を盗んでくる。それを ファリネリが劇場で歌ったとき、それを聞いていたヘンデルは激怒して、自分は二度とオペラを書かない と宣言し、ファリネリを、悪し様にののしる。ファリネリはこれを契機に、ヘンデルとの確執や兄の能力の限界に嫌気がさして、密かにスペイン国王のもとに行く。
というお話。

映画では二つのテーマが語られる。一つはファリネリと兄との愛憎。歌手と作曲家の兄弟が手と手を取り合って、共に芸術のために邁進する。しかし、兄は自分の作曲した曲で、弟とともに成功して世に出るために、弟を騙してきた。ファルネリには、落馬事故の結果、睾丸にダメージが起きたと説明してきたのだ。事実をヘンデルから告げられたファリネリは兄を決して許そうとはしない。

もう一つのテーマは、ファリネリとヘンデルとの確執だ。ヘンデルもまた 兄リカルドと同じように ファリネリを自分のものだけにしたいと願っている。高慢で自信家のヘンデルは、悪し様にファリネルの兄の作った曲をこき下ろすのも、ファリネリを自分のものにする為だ。ファリネリも、ヘンデルの王家をバックにした権威主義や押し付けがましい態度に辟易しながらも、ヘンデルを高く評価している。二人のより美しい音を求める芸術家どうしの憎しみと嫉妬と愛情が、とてもよく描かれている。

当時の王家や貴族たちの暮らしぶりや、美しいヨーロッパの自然が古典オペラの調べに乗って映像化されている。劇場にオペラを聴きにくる王侯貴族達のきらびやかで豪華な服装。装飾の多い劇場や建物、家具、調度品が、みな美しい。ふんだんにレースを使った服装、舞台衣装も素晴らしい。馬車で移動するヨーロッパの緑豊かな自然の風景が目に滲みる。美しい抒情詩を聴いて観ているようだ。

ヘンデルのオペラ「リナルド」から、「涙あふるる」を歌うファルネリの姿は迫力がある。美しい高音が響き渡って美しい。映画が終わっても、しばらく耳について離れない。一流の音楽映画として、完成している。映像も音楽も素晴らしい。

 涙あふるる
 どうか 忘れさせてくれ この醜い運命を
 どうか泣かせてくれ 求めさせてくれ 自由を
 哀しみよ
 このねじれを 壊してくれ
 この悩みを どうか 壊してくれ
 どうか 忘れさせてくれ この醜い運命を

これらの歌詞が ファルネリの魂の絶唱にも聴こえてきて、いつまでも耳について離れない。
美しい映画だ。