2019年5月13日月曜日

ロシア映画「ラブレス」

原題:「LOVELESS」
ロシア、フランス、ドイツ、ベルギー合作映画
監督: アンドレイ ズビャギンツェフ
2017年第70回カンヌ国際映画祭 審査員賞受賞
2018年アカデミー賞外国映画賞 候補作
キャスト
マトベイ ノビコフ : アレクセイ
アレクセイ ロズイン: 父ボリス
マリア―ナ スピバク: 母 ゼ―ニャ
マリア―ナ バシリエバ :マーシャ
アンドリス ケイシス  :アントン

ストーリーは
2012年、セントペテルスブルグ。
高層ビルが建ち並ぶ郊外に、12歳の少年アレクセイの住むアパートがある。見渡せば森がどこまでも続いている。その眺めの良いアパートは今、売りに出されている。両親が離婚して、それぞれの愛人と一緒に住むために、処分しようとしているからだ。そしてアレクセイを両親のうちどちらが引き取ってそだてるのか、互いに養育権を放棄していて争いが続いている。しかしアパートが売れるまで、夫婦は今のアパートで顔を合わせなければならない。会えば少年のことで口汚い争いが避けられない。

高層アパートから一歩外に出ると、そこにはまだ美しい森があり、大きな湖がある。アレクセイは、学校の帰り、遠回りして森を通って家に帰る。冬が終わりつつある。森を歩けば雪が溶けた後の落ち葉が、乾いた音を立て、湖は静まり返っている。アレクセイは落ち葉に埋もれていた赤と白の長いテープを拾い、小枝にからませて、エイヤと高い大きな樹に向かって投げる。テープは手の届かないずっと高い枝にひっかかって風になびいている。

母親のゼ―ニャは街の大きな美容院のマネージャーをしている。高給取りや中流階級の妻たちが顧客だ。彼女の愛人、アントンは離婚してテイーンの娘が外国留学をしている。彼がひとりで住むアパートは、近代的で広々としていて居心地が良い。
父親ボリスの愛人マーシャは、母親と一緒に小さなアパートに住んでいて、出産まじかだ。赤ちゃんが正式なボリスの子供として生まれてくることができないので、不安を抱えている。ボリスが泊まりに来るときは、マーシャの母親が、叔母の家に泊まりに行かなければならない。

売りに出ているアパートを見に、若い夫婦が訪ねて来た日、再びボリスとゼ―ニャは大喧嘩をする。アパートが売れたらサッサと息子を連れて出て行ってよ。なんてことを言うのだ。子供には母親が必要だ。うそ、子には父親こそ必要でしょう。何だったら寄宿舎のある学校に転校させて、そのあと軍に入隊させればいいじゃない。もううんざりよ。
ゼ―ニャは席を立ち、ドアをあけたままの洗面所に入り排尿し、乱暴にドアを閉めて、寝室に閉じこもる。その開けたままだった洗面所のドアの陰には、声を出さずに泣きじゃくるアレクセイが隠れていた。大写しのアレクセイの顔。翌朝、アレクセイは朝食を取らずに学校に走っていく。

2日経って母親は家にアレクセイが居ないことに気付く。互いに愛人の家で過ごしていて、相手が家に帰っているとばかり思っていたので、学校から2日間登校していないと連絡があるまでアレクセイが家に帰っていないことに、誰も気がつかなかったのだ。ゼ―ニャは警察に連絡する。事情聴衆の後、郊外に住む、アレクセイの祖母、ゼ―ニャの母親の家に行っているかもしれないので、確かめるように、警察に言われて、夫婦は3時間運転して、祖母の家に向かう。しかしゼ―ニャの母親は、彼女に輪をかけたような自己中心の寡婦で、アレクセイのことを心配するどころか、夫婦の突然の訪問を非難するばかりだ。再び夫婦は家に向かう。醜い口論が果てしなく続く。警察の人手が足りないので、捜索にボランテイアの力を借りることになる。約40人のボランテイアが警察の指導のもとに、森に捜査を広げる。

アレクセイの友達の情報から、森の奥で打ち捨てられた昔の工場跡にボランテイアが向かう。その地下室でアレクセイのジャンパーが見つかった。しかしアレクセイの姿はどこにも見つからない。しばらくして警察では、身元不明の姿かたちを留めないほど傷だらけの遺体が見つかり夫婦が呼ばれる。しかし二人は、それをアレクセイだとは認めない。DNA検査も夫婦は拒否する。

捜査は打ち切られる。時間が経ち3年後。人々はアレクセイのことを忘れてしまったかのようだ。ボリスは、赤ちゃんの父親になり、マーシャが母親と一緒に住む狭いアパートで一緒に暮らしている。ゼ―ニャは、恋人の初老の男と暮らしている。
森の、アレクセイが学校帰りに通った湖畔。大きな樹の枝にアレクセイが放り投げて、枝に引っかかったままの赤白のテープが、風にゆれて空を踊っている。
そこで映画が終わる。

映画の初めの方で、両親の諍いに身の置き場がなく洗面所のドアの陰で泣いていたアレクセイが翌朝駆け足でアパートの階段を下りるシーンを最後に、二度と映画の中で姿を現さない。雪の舞う廃墟になった工場でジャンパーを脱いだアレクセイは、そのまま姿を消してしまった。生きていないことだけは確かだ。彼の傷ついた魂は、大木の枝で風に舞い、空に向かって羽ばたくテープのように自由に飛んで行ったしまった。

現代社会で夫婦が別れ、互いに子供を押し付け合っているというどこにでもある話。とても単純なストーリーなのだが、見ている観客は胸に鋭利な刃物を当てられたようなインパクトを与える映画だ。映画の始まるシーンでは、冬のおわり、寒空の下、乾いた空気と枯れ葉の映像が写される。かすかにピアノの音が聞こえてくる。低い Eの音の連弾。この音が段々大きな音になって響き渡る。呼吸が速くなって、恐怖感が増してくる。音が最大限まで大きくなって緊張感が最大限まで高まる。そうして映画が始まる。映画の最初のシーンで、もう監督は観客の緊張感と集中力をわし掴みにしてしまうのだ。
少年が誘拐されて血に染まったり殺人犯に切り刻まれる訳でもなく、どこの目鼻があるのかわからないほど殴られ虐待されるわけでもない。映画の中で、血が一滴として流れるわけでもないのに、これほど恐怖心が湧き、心が痛む映画も珍しい。ひとえに監督の作り出す映像の手法の巧みさにある。

監督は「現代には濃いかたちで存在する愛がない。そのラブレスな状態を見せたかった。」「AIに職業が奪われていくような時代です。我々は他人を犠牲にしなければ生き抜けない。狂気じみた生存競争のなかにいる。芸術家は時代を切り取る者。今の状況を映す映画や文学が多く生まれるのは当然のことです。」と言っている。この監督は2014年にロシアで、国内の官僚による腐敗を告発するフイルムを作って、その発表を政府に止められた経緯がある。それを同情する映画界の国際的な支持があって、この映画がカンヌ映画祭で審査員賞を与えられた、といわれている。政府の内部告発が、現代社会への告発にぼやけさせられた、そんな形でしか映画が作れなかった、ということかもしれない。

ゼ―ニャはいつも携帯電話を見てばかりいる。恋人とデイナーテーブルに付いているときでさえこれを離さないで、グにもならない写真を撮っては自己陶酔している。アレクセイが居なくなって3年経って恋人と一緒に暮らすようになっても、二人の間に会話はなく、彼女が幸せそうには見えない。
夫のボリスもゼ―ニャが妊娠して結婚せざるを得なかったように、新しい恋人マーシャが妊娠して再婚したが、そのことによって彼の人生が変わったわけでも、新しい結婚生活に愛が溢れているわけでもない。赤ちゃんが泣くわめくと、ベビーコットの中に無理やり押し込んで、赤ちゃんが泣くわめこうが抵抗しようがお構いなしだ。
ゼ―ニャと母親とのやり取りも見れば、ゼ―ニャが母親から充分に愛されることなく孤独な子供時代を送ったことは容易に想像できる。おそらく夫のボリスも同じだろう。どこにも愛がない。愛など見つかる筈がない。

愛情をもって育てられなかったアレクセイがどれほど心に深い傷を負っていたか。映画の初めで彼が夫婦喧嘩を聞かされた翌日に姿を消し、2度と姿を現さなかったことで彼の心の傷の深さを思い知らされる。
自分以外の人を愛せない人は、結婚相手を変えてみても、子供を変えてみても,愛は見つからない。なぜなら、愛はどこかに落ちているものではなく、それを持っている人と一緒になれば得られるものでもなく、自分で見つけて、育てるものだからだ。相手の生き方の中に入って行き、自分と違う相手を発見して、そのことに喜びを見出すことだ。自分と違う相手の存在を喜び、共有できるものを相手と一緒に探すこと、そういった努力を伴う行為が愛であり、人も自分も幸せにすることができる。

ラブレスという親から子への虐待を止めるには、愛が欲しいと相手を変えて見たり、別の土地に移って見たり、愛が欲しいと叫んでみても、かなえられない。ラブレスは親から子へ虐待という形でおこり、その子供が再び同じように、次の子供に虐待を繰り返す社会的な不幸の連鎖を招く。愛を見つけるには、自分を見つめることだ。自分でなく相手との違いを喜び、共感することを喜ぶことだ。愛する人が居るということが、どんなに大きな生きる支えになるか、喜びも悲しみも、怒りや驚きや笑いや、憎しみさえも愛に値する人がいるから起きてくる感情だ。愛するもののためにどんなことでもしたいと思うとき、生きる価値も出てくる。

映画ではアレクセイを探し出すためにたくさんのボランテイアが出てくる。実際にロシアで活躍するリーザ アラートという組織だ。頼まれてやるわけではない。自分の子供が突然居なくなったらどう感じるか、よその親の心配を自分の子供を心配するように思って、警察の捜査に協力する。集まって来るのは普通のおじさん、おばさんたちだ。素晴らしい人々。オーストラリアでも山火事の消防隊、ビーチでのレスキュー、山で行方不明になったひとの捜査隊、みなボランテイアで、彼らは人々の英雄だ。こうしたボランテイアの経験者は誰からも尊敬されている。人の為に生きること、それが自分のために生きることだ。このトルストイの言葉はいつも私を勇気付ける。

音楽がとても良い。ユージン ガルペリンと、サッシャ ガルぺリン兄妹の作曲だという。映画の初めのE音の連弾は、映画の最後でもこの激しい連弾で終わる。この迫力が素晴らしい。
どのシーンで使っていたのかとうとうわからなかったが、アルヴォ ペルトの曲も使われているらしい。エストニア生まれの宗教音楽、古楽、三和音などを得意とする作曲家だ。彼の音楽は鎮魂の音楽と言える。この人の世界が、この映画の湖や森の映像にそっくり重なって来る。

関係ないけど、一流企業に勤めるボリスの会社のランチシーンが面白かった。アメリカ映画だったら、女子はバナナ、リンゴとヨーグルトとかでゴリラのランチと同じような内容だし、ごっつい男なら野菜なしの骨付きステーキが普通みたいで、もう見飽きたけど、ここではさすがロシア。ボリスはでかいポテトがいっぱいと肉団子。彼と「離婚したら出世に響くかなあ。」などとしゃべっている同僚は、ブロッコリー山盛りと魚のシチューみたい。それにデザートらしき小皿がついていて、ふたりとも別の小皿に入った生野菜から食べ始めていたのには、感心感心。健康ですね。愛がないけど。

日本では去年のアカデミー賞で話題になって公開されたらしいが、こちらではやっと今頃公開された。この映画 哀しい哀しい映画だ。

2019年5月2日木曜日

映画「ボヘミアンラプソディ」と「ホテルムンバイ」

      
映画「ボヘミアンラプソディ」が、2019年第91回アカデミー賞で、主演男優賞、編集賞など4つの賞を取った。
映画は、フレデイ マーキュリーが生きていた時代にはまだ生まれていなかった若い人々を魅了させ、クイーンが再び脚光を浴びる結果となった。彼らが1981年にサンパウロのエスタジオ ドモルンビーで行ったコンサートは、観客数で世界記録を作り、未だにどのロックグループも記録更新できずにいる。1986年8月に英国ネブワース公演で、30万人の観客の前で、フレデイが絶唱したのが、最後のフレデイのコンサートになったが、この何十万人もの観客が熱狂する姿が、フレデイの目に映るシーンが、この映画の最高に興奮するところだ。フレデイの大きな目の隅から隅まで、フレデイのパフォーマンスに酔いしれる観衆若者達の姿が捉えられている。フレデイは演奏者と観客の興奮を、一つに一体化させて、観客を熱狂の渦に巻き込むことにおいて天才だった。

彼らの音楽は、ジャンルにとらわれることなく、ロカビリー、ロック、ヘビメタル、ゴスペルなどを取り入れて抜群にユニークな音楽を作った。
映画の中で、これから何をやるんだ、と聞かれてフレデイが、「俺たちオペラやるんだよ。」と言い、意表を突かれたブライアンとロジャーとジョンが、一瞬ののちにそろって、「そうだよ。俺たちオペラやるんだよ。」というシーンがある。そうして、オペラチックな「ボヘミアンラプソデイ」が生まれるのだ。かっこいい。
ブライアン メイ、ロジャーテイラー、ジョン デイーコンが一人ひとり個性を持った、知的で多才な男達で、それぞれが4人4様でいて、とてもイギリス人的。仲の良いグループだった。
例えばブライアン メイは、宇宙工学博士で、大学で研究も講義もしてきたし、自分の工学的知識をもとに特殊音響効果音を自作のギターで創作してきた。ロジャー テイラーは歯医者だ。フレデイを含めて全員がピアノもギターもシンセサイザーも演じて歌うことも作詞作曲もする、すぐれた音楽センスを持っている。
フレデイの死後、最もフレデイと仲が良くて、つながりの深かったベースのジョンがフレデイ追悼コンサートのあと引退して、2度と舞台に立たなかったことも泣かせる。

この映画が成功したのは、主演したラミ マレックがフレデイそっくりにその姿を再現したことと、彼が歌っていた歌、すべてが本物のフレデイの声で編集されたことだろう。
今年のアカデミー賞授賞式で、トップにクイーンが登場して「WE ARE CHAMPION」と「WE WILL ROCK YOU」を歌ったのは嬉しいサプライズだった。ブライアン メイのギター、ロジャー テイラーのドラム、アダム ランバートのボーカルだ。パフォーマンスのあと、71歳のブライアン メイと、69歳のロジャー テイラーは会場に残って授賞式を楽しんで居る様子が見られた。二人とも知的で優雅で美しくて、最高だ。

ところでフレデイ マーキュリーがエイズで亡くなったことはみな知っているが、ゾロアスター教信徒だったことはあまり知られていない。
フレデイは当時英国領だったアフリカタンザニアのザンジバル島で生まれた。幼少期は英国領だったインドで育ち、17歳で家族と共に英国に移住して、彼はロンドンの工業学校とイ―リングアートカレッジでデザインを学ぶ。両親は敬虔なゾロアスター教信徒だ。
ゾロアスター教には厳しい戒律があり、布教はしないこと、両親が信者だと子供も信者と認められるが、多宗教の信者と結婚すると信者であることを捨てなければならないと決められている。
もともとゾロアスター教は、古代ペルシャで、ツアラストラが創設した善悪2元論の宗教だ。紀元前からサーサン朝まで、ペルシャでは国教として信心されていたが、7世紀になってイスラム帝国の軍事侵攻によって、ペルシャがムスリムに改宗されたことを切っ掛けに、迫害された信者たちはインド西部に逃れた。この時、ヒンズー教がマジョリテイーのインドに、ゾロアスター教を布教しないことを条件で定住を許された。だから信徒は、現在10万人くらいで、減少するばかりだ。
ゾロアスター教といえば鳥葬で有名だ。沈黙の塔の石板に遺体を乗せて鳥がついばむのに任せる、究極の自然主義リサイクルだが、いまは法的に禁止され土葬になっている。
余談だが日本のカーメイカーのマツダは松田さんという創業者によって命名されたが、ゾロアスター教の守護霊アブラ マズダーの名をかけて、MAZDAが正式名になっている。

インド最大の国際金融都市、ムンバイ(かつてのボンベイ)には、ゾロアスター教信徒が大勢居住している。彼らは、かつての東インド会社との関係が深く、貿易関係者や知的職業人が多い。中でもタタ財閥は、現在のインドの金融商業活動で最大のパワーを持つ財閥だ。このタタ財閥が所有する1903年に開業した、タジマハールパレスホテルは、世界中から来た政治家、王侯貴族などが滞在する最高級のホテルだ。スイート46室を含む565室、22階建ての美しいホテル。このホテルが、2008年、175人の命を奪ったムンバイ同時多発テロで襲撃され多数の被害者を出した。放火されて建物のトップにあったドームはいまだに修復されていない。この様子が映画になった。

邦題:「ホテルムンバイ」
原題「HOTEL MUMBAI」
監督:アンソニー マラス             
キャスト
デヴ パテル : アジュン ホテルの給仕
アーミー ハマー:デヴィッド アメリカ人旅行者
ナザ二ン ボ二アデイ : ザラ デヴィッドの妻
テイーダ コバン ハーベイ:サリー ザラ夫婦の子の乳母
アヌパン カー: ヘルマン ホテルヘッドシェフ
ジェーソン アンザック: ロシア人ホテル滞在客
ストーリーは、
2008年11月26日、いつものようにタジマハール パレスホテルでは仕事始めの朝礼が始まっていた。アジュンら、給仕たちは一列に並びヘッドシェフ、ヘルマンから、お客様を神様と思って尊重し、満足されるように給仕するようにと訓示され、身だしなみから姿勢まで厳しくチェックされる。その日もいつもと変わらず、ホテルマン達は、忙しく立ち働く。 
イラン系英国人貴族のザラが、アメリカ人の夫デヴィッドと赤ちゃんのキャメロン、乳母のサリーを伴ってホテルに到着する。夫婦は乳母を赤ちゃんを部屋に残して、階下に食事に出る。

一方10人の自動小銃や手榴弾で完全武装した男達が、パキスタン、カラチ港から貨物船で渡航、ゴムボートに乗り換えてムンバイの海岸に到着した。男達は二人ずつ分かれて、夕方で混雑している駅やカフェや映画館などで、いきなり無差別乱射を始める。外国人に人気のカフェで夕食を楽しんでいた、アメリカ人のバックパッカーたちの目の前が血の海となる。

チャトラパテイシヴァ―ジ駅、オベロイトライデントホテル、レオポルドカフェ、カマ病院、ユダヤ教ナリーマンハウス、メトロアドラブ映画館、マズガーオン造船所など、12か所で、人々が一日の仕事が終わり夕食を取る時刻に、突然乱射が起こった。警察は前代未聞の出来事になすすべもなく、特殊部隊の救援を頼みに待つばかりだった。
街で起きている無差別乱射から逃げ惑う人々が、助けを求めてドアを叩いたのが、タジマハールパレスホテルだった。パニックに陥っている人々は、群れを成してホテルのロビーになだれ込むが、その中にはテロリスト達も紛れ込んでいた。ホテルのロビーで情け容赦ない射殺が始まる。階下のロビーやレストランでの殺傷は一段落すると、犯人たちは、オペレーターに銃を突き付けて、客達に一室一室のドアを開けるように命令する。ドアを開けた宿泊客たちは、たちどころに撃たれる。

ザラとデイヴィッドはレストランに身を伏せて、銃も持った犯人たちの様子を窺う。ホテルの部屋では、事態を知らずにいた乳母は、突然隣の部屋に宿泊していた老婦人が、血相を変えて部屋に踊り込んでトイレに隠れ、それを追ってきた男達が撃ち殺すのを間近に見て、洋服ダンスのなかに隠れる。レストランからデヴィッドが、犯人たちのすきをついて赤ちゃんを助けに階上に上がろうとして、犯人に人質として捕らえられる。
ホテルのヘッドシェフのヘルマンと、給仕のア―ジェイは、レストランに隠れていた生存者を安全な会議室に誘導する。そこに外から逃げ込んできた人々も合流する。テレビは、多発テロで混乱する駅や町の様子を放映している。

ニューデリーから、軍の特殊部隊が到着するのに何時間も待たなければならない。すでに、その時間は過ぎ、1日経っていた。ザラや、謎のロシア人客らは、救援がもう来ないのではないかと絶望的になり、ヘルマンやアージェイの助言を聞かずに、自分達でホテルから脱出しようとする。しかしそれらの宿泊客達は、待ちかまえていた犯人たちによって殺され、ザラは人質として捕らえられる。人質にされたデヴィッドは、見張り役の犯人の銃を奪おうとしてザラの目の前で死ぬ。犯人たちと警察との交渉は、決裂した。火がつけられ、人質にされた外国人たちは一人ひとり撃ち殺される。ザラは銃の頭に向けられて、必死でコーランを唱える。その女の頭を犯人は銃で吹き飛ばすことができない。
丸2日かかって、軍の特殊部隊300人がホテルの犯人たちを一掃、テロリストの襲撃は終わった。

10人のテロリストによる乱射で175人の命が失われ、そのうちの34人が外国人だった。犠牲者の一人に三井丸紅液化ガスの日本人社員もいた。
ニューデリーから、軍の治安特殊部隊の到着が大幅に遅れ、一般市民が無差別に殺害され始めてから、丸2日たっても10人の犯人を捕らえることができず、市民の救命が遅れた理由のひとつに、タジマハールパレスホテルが、インドの大多数がヒンズー教信者ではなく、ゾロアスター教信者の所有するホテルだったこともあったのではないか、と言われている。

映画ではロシア人で秘密部隊で働いていたらしい謎の屈強の男が出てくるが、ザラを守ろうとして、あっけなく殺される。ハンサムの代名詞みたいなアーミー ハマーも生存できない。
映画の中で、足を撃たれて動けなくなった犯人の一人が、人質たちの見張り番を任される。彼は怪我の痛みに耐えかねて、故郷の父親に電話をする。「パパ、元気?組織からお金を受け取った?」「え? まだなの?受け取ってないの?」 息子の英雄的アタックの命の代償として大金が父親に送られる、という組織の話がウソだったことが分かる。自分は捨て石だった。彼は泣きながら「パパ、元気で。」と言って電話を切り、一人ひとりの人質を処分していく。

今年2019年4月2日に、スリランカのコロンボで起きたイスラム国によるカトリック教会への爆弾テロでは250人の命が失われた。ニュージーランドのクライストチャーチでは、たった一人のレイシストによって、モスクが攻撃されて50人の信者たちが亡くなった。
これらで犯人らが使ったのが「AK自動小銃」だ。今ではオーストラリアでもニュージーランドでも所有が禁止された。これら自動的にたくさんの弾丸が連射できる銃を、「卑怯者の銃」という。狩猟は原始からある男の究極のスポーツだという人があるが、殺傷目的に開発された銃をスポーツとして狩りに使うなら、動物が苦しまずに綺麗に死ねるように、たった1発で仕留められることが、スポーツだろう。安全なところに隠れていて連発銃や散弾銃で獲物の姿が形をとどめないほどにして殺すのは、冷血で精神を病んだ者のすることだ。スポーツからは程遠い。銃は断じてスポーツではない。一度に沢山の人を殺すためのものだ。

「卑怯者の銃」AK47など自動小銃は、一度弾を込めて発射すると、発射時に発生する高圧ガスが次の弾を薬室に押し出すので自動的に再装備することができる。1分間に600発もの発射が可能な自動連射小銃が開発されている。自分が安全なところに隠れていて、短時間で最大数の「けもの」を殺すことができる「卑怯者の銃」だ。

もともと武器は、帝国主義国が他国を侵略するときに、自分達とは、肌の色や宗教や、文化の異なった人々を「野蛮人」と断定して自分たちの都合の良く植民地化する目的に使われた。野蛮人でも奴隷でもない人々が、帝国主義者が使ったのと同じ武器を持って反撃に転じるのは当然の成り行きだ。
いまテロリスト達に大量殺人が行える「卑怯者の銃」を製造販売しているのは、最先進国米国、英国、フランス、ロシア、中国、イスラエルの国々の企業だ。シリアで反政府軍に武器を供給してきたのは米国だし、トルコ、カタールといった国々とも兵器を供給している。こうした武器を使って米国や英国はアフガニスタン、イラク、スーダンや南米の国々に直接介入してきた。武器の供給の過程で、それら巨大な武器製造企業の裏では、マフィアともつながっている。

テロリスト達に大量殺人が行える武器を製造供給しているのは最先進国の企業だし、売れれば売れるほど人が死に、死の商人は肥え太る。テロリストは最先進国の企業が育てているのだ。 ロンドンもパリも執拗に狙われている。私たちは明日、どこかで爆弾の爆発や、無差別乱射に巻き込まれて命を落とすかもしれないという、危険の中を生きている。そんな場面に行き当たったら生き残るかどうかは、運次第と言うしかない。
そうした病んだ社会を資本主義が育てて来た。武器生産を止めるしか道はない。人は誰ひとり、人をだまし、傷つけ、殺すために生まれてきたのではないからだ。

「ホテルムンバイ」のようなデザスター映画は、見た後でいろんなことを考えさせられるが、これを観るなら「ボヘミアンラプソデイ」を3回みることをお勧めする。元気が出る。




2019年4月9日火曜日

アイスランド映画「たちあがる女」

邦題:「たちあがる女」
原題:「WOMAN AT WAR」
監督:ベネデイクト エルリングトン
キャスト
ハルドラ ゲイルハルズデツテル : ハットラ
ヨハン シグルスアルソン  :合唱団員
デヴィッド―ル ヨハンソン:牧場主
マルガリータ ヒルスカ : 二ーカ

アイスランド フランス ウクライナ合作映画
2019年カンヌ国際映画でプレミア公開。アカデミー賞外国映画賞候補作。ヨーロッパ映画に与えられるラックス賞受賞。トロント国際映画祭でオーデイエンス賞受賞。
監督は、前作「OF HORSES AND MEN」で、独特で詩情豊かな作風が注目された。
この映画を観て、感動したジュデイ フォスターが、自身が主演監督してハリウッドメイクの同作品を制作する了解を得た。

ストーリーは
あるハイランド地域の街に住む、50歳独身のハットラは、地元社会人合唱団の音楽教師をしている。双子の姉が近くに住む。ハットラは、音楽教師以外に、自然環境破壊と戦う、活動家としての顔も持つ。地元には、鉱業ジャイアント、多国籍企業のリオ テイントが所有するアルミニウム工場がある。ハットラは、アルミニウムを精製する過程で出る廃液が環境破壊につながるために、工場の生産を止め、環境を保護するために、すでに5回も工場に直結する送電線をショートさせ送電の妨害を起こしている。

会社も黙ってはいない。アルカイダによるテロか、ゲリラグループによる破壊活動か、グリーン党内部の過激組織によるものか、犯罪グループの摘発のためにCIAの知恵を借り、犯人を特定、追跡しようとやっきになっていた。ある日、ハットラが6回目にアルミニウム工場送電線を妨害して帰ってくると、養子縁組担当者から手紙がきていた。4年前の事なので、すっかり忘れていたが、ハットラは養子縁組の申し込みを出していたのだった。ウクライナから4歳の孤児を引き取るかどうか問われて、ハットラは突然の事なので、戸惑いながらも喜んで引き取ることにする。合唱団の人々も祝福され、双子の姉からも喜んでもらえた。

でも子供を引き取る前に、子供の未来のためにやらなければならないことがある。まず、アルミニウム生産による廃液が自然環境を破壊していることを街の人々に訴え、これまで6回も送電を妨害してきたのは、テロリストでも過激派グループでもなく、単独犯であるという声明を印刷して町中に撒いた。リオ テイント社の工場が閉鎖しなければならないほどの打撃を与えなければいけない。ハットラは、爆弾と電動カッターを持って、山に入り、送電線を爆破する。

警察は思いのほか早く動き出した。犬を使って本格的な追跡隊が駆り出され、ドローンもヘリコプターも日夜わけずに上空から偵察を続行する。ハットラは、山を走り、凍った氷河を登り、氷水の濁流を渡り、もう力尽きて逃げ切れなくなったところを、牧場主に助けられる。牧場主に街なかの自宅まで送ってもらうと、その日はもうウクライナに養女を迎えに行く日だった。空港に行き、カウンターに向かう。しかしそこでは、「テロリストハント」が行われていて、通過できないことを悟ったハットラは、タクシーで引き返す途中で、逮捕される。

拘置所に双子の姉が面会に来てくれた。姉はハットラをしっかり抱きしめながら、自分のワンピースを妹に頭からかぶせて、自分はハットラの囚人服を素早く身に着ける。車のキーを渡しながら「これで空港に直行し、ウクライナで亡命しなさい。」という。身代わりの囚人になった姉を残して、ハットラは言われた通りに国外脱出し、ウクライナの孤児院を訪ね、4歳の娘に会う。そこで孤児とハットラは、しっかり心を通わせる。娘を引き取ってバスで首都に向かう途中、洪水でバスがエンコする。他の乗客たちと一緒にハットラは、娘をしっかり抱いて、腰まで水につかりながら進路に向かって進んでいく。
というおはなし。

しばらくこんなに素敵な映画を他に観なかった。まず映像が素晴らしい。そして音楽が良い。まず映像だが、前作で映像の詩人といわれた監督の作品。詩情に満ちた映像に、登場人物のかもしだす大人のユーモアがちりばめられていて何度映画を観ながら笑ったことだろうか。アイスランドの山々が広がる広大な高地の美しさが例えようもない。山々は何億年もの間、溶けることのない雪渓を抱えている。雪解けの水が川を作り、乾いた大地は深い緑色のミズゴケの覆われている。その柔らかな大地にうち伏してミズゴケの匂いを胸いっぱい吸うハットラの自然にむけた深い愛情。われら皆大地の子供。山々が吹き下ろす風の音を聴け。雪渓から落とされる水滴に耳を澄ませ。ミズゴケに覆われた大地の柔らかさに心を開け。

そんな美しい大地にいくつもの送電線が林立し、ミズゴケを殺し環境を破壊する工場に電気を送っている無惨なすがた。たった一人、誰の支援もなく単独で、多国籍企業に立ち向かっていくのはドン・キホーテでもなく、スーパーヒーローでもなく、ひとりの中年のおばさんなのだ。50歳独身の音楽教師の家の居間には、ネルソンマンデラと、ガンジーの大きな写真が飾ってある。そんな彼女が何をしているか知った人々は、手助けの労をいとわない。確固たる心情をもって、ひとりきりで突き進む孤高の活動家は、決して孤独ではなく、アイロニストでもペシミストでもなく、ただただ大真面目に生きているのだ。彼女が絶体絶命のときに救いの手を差し伸べる人々とは、彼女のやり方がどうのとか、批判も評価もせずに、ただ出来ることをしてやる。みんな大人なのだ。成熟した社会に住む人々。

警察の追跡から逃れようと、山を走り、雪渓を渡り、氷の河を潜り、力尽きて死にかけているハットラを助ける牧場主が素敵な男だ。何も聞かず、何も問わず黙って低体温で半分心臓がとまりかけているハットラを温泉に放りこんで救命し、警察の警戒網を突破する。人生を達観した男の魅力。
ハットラが警察から逃げまくっているときに、3回も同じスペイン人バックパッカーが、ハットラの身代わりの様にして警察に逮捕される。山でテントを張り、自転車で気ままに高地を彷徨っているのだから誤解されても仕方がないのか。彼が登場するたびに大笑いしてしまうけれど、精悍な顔をした好青年なのだ。

この映画の一番の良さは詩情たっぷりの映像の美しさと、そして音楽のスタイリッシュな使い方だ。映像と同時に画面に音楽隊が登場する。ハットラが山で走り回っているときに、突如ドラムとピアノのホーン3人の楽隊が登場して演奏する。ドラムがハットラの早鐘のような心臓の音を鳴り響かせる。
彼女がウクライナから養子をもらうことになった途端に、3人のウクライナ女性が民族衣装を着て登場して、フォークソングを歌い出す。ハットラが合唱団を指揮したあとの帰り道自転車を走らせるバックミュージックは、合唱だ。3人の楽士と、3人のウクライナ歌手達は、映画の最後まで繰り返し、繰り返し登場して演奏する。ハットラの頭の中に住む存在なのだろう。最後に異常気象で苦しむウクライナの洪水のなかを、ハットラが子供を抱いて歩くシーンでは、3人の楽士、3人のウクライナ合唱隊が総出でバックグラウンドミュージックを奏でて、ハットラを見送る。
映像のバックに音楽を演奏する楽隊を登場させるという斬新でスタイリッシュな方法に感動する。新しい。これからこのスタイルで音楽を使う映画が沢山出てきそうだ。

登場する人々がみんな大人で、過激な活動家の話なのに安心して見ていられる。成熟した社会が背景にあるからだ。豊かな自然をもつアイスランドの魅力も尽きない。ヴァイキングが9世紀に持ち込んだ、長い毛と太い足を持った美しい馬たち、山から吹き下ろす風に揺れる山岳植物、雪渓の広がり、ミズゴケが生えそろう柔らかな大地が、いつか訪れるとき、待っていてくれるだろうか。それとも鉱山開発の垂れ流す汚水で生物が死に絶え、気温上昇で河が氾濫し、洪水で村が流され、破壊された自然を怒った火山が大爆発を繰り返すアイスランドになっていることだろうか。

2019年4月2日火曜日

フレーザー島での日本人高校生死亡事故について

3月29日に海外交流プログラムで神奈川大学付属高校から来豪していた二人の高校生が、フレーザー島のマッケンジー湖で溺死した。
16歳になるまで大事に育てられたお子さんを失くされたご両親、ご兄弟姉妹、親類の方々、親しい友人の皆さんの哀しみを思うと胸がつぶれる想いだ。母親にとっては妊娠期を含めれば17年間、大事に大事にと育ててこられた命を、突然の事故で失われた悲しみは、耐え難い喪失だろう。心からお悔やみを申し上げたい。

プログラムでは、彼らは3月24日に日本を出発し、28日にクイーンズランドのブリズベンからフレイザー島に到着。29日は島の中央にある湖で遊んで、31日に帰国する予定だったそうだ。高1と高2の15人の生徒に、2人の引率教師、1人の添乗員が付いていて、話によると湖畔で女子の記念撮影をしている間、男子は泳いだり遊んで待っていた、そのほんの少しの間に男子2人の姿が見えなくなった、という。
一人の男子生徒が溺れ、それを助けようとしたもう一人の男子生徒も溺れたのだろう。15人の生徒に、2人の引率と添乗員という数字は妥当だと思う。8日間の日程も、観光を含めた海外交流プログラムに無理がなく、行程にフレーザー島を入れたことも良い立案だったと思う。

マッケンジー湖は石英が崩れて真っ白い砂になったまわりに囲まれた、透明度の高い淡水湖だ。フレーザー島はブリズベンから300キロ、世界最大の砂でできた島だ。寒くなると赤ちゃんを連れたクジラやイルカが北上するのが見られ、野鳥の宝庫でもある。犬の先祖、デインゴの生息地でもある。

どんなに気を付けていても事故は起こる可能性がある。人は完全ではないし、人の体は完璧ではないからだ。
何十キロもの遠泳が得意な人で、陸より水の中が好きだという健康体の見本のような人が、ある日突然、足の着く子供プールで水死していた例を知っている。娘たちの学校でも授業中のプールで、普通に泳いでいた11歳の生徒が突然死したこともあった。

何千万人の特に開発途上国の子供達の命を救ってきた、麻疹や百日咳の予防注射で、3%の割合で副作用を起こす子供が居る。発熱、発疹、ときとして死亡に至ることもある。しかしだからといって予防注射を避けてはいけない。人の体は誰もが同じではないから副作用が出るかもしれないが、予防すべき疾患にかかるより統計上、はるかに良い結果が出ている。医学は進歩しているのであって、退化していない。それを信じて良い。
人の体は数学の方程式のように結果を出せない。効果があるはずの治療が効かない、癌だと自分で信じて亡くなったが解剖してみたらガンなどなかった、治療を何もしていないのに自然に完治した、、、そんな例がどこにでも転がっている。人の体は科学だけで説明できない。

1996年にオーストラリアに来て、看護士として働き、医療通訳として登録していたので頼まれれば夜間緊急で呼び出されることも多かったが、日本からの修学旅行の付き添いの依頼は断ったことがない。楽しいからだ。喜んで、本職の方は有給休暇を取って、修学旅行の付き添いをした。学校によっては日本から看護士を付けてくる学校もあったが、オーストラリアの緊急医療システムを知らない上、医師の指示がないと何もできない日本の看護師はできることが限られる。オーストラリアの看護師は、時給も高いが、能力も高い。PCで血液検査の結果を見ながら患者に血液凝固剤をどんどん投与するし、看護士の判断で投与できる薬品も沢山ある。またオーストラリアの看護師の免許は万能で、明日ロンドンに飛んで翌日から病院で働ける。英国、アイルランド、シンガポール、ドバイなど中東の国々でも、免許が通じる、といった便利さがある。

修学旅行の付きそいで,思い出すことが沢山ある。
シドニーの中心街、日本で言うと渋谷ハチ公前のようなところで、タバコを買おうとしていた男子生徒が、指導教員に捕まって沢山の人々が行き交う真ん中で、腕立て伏せ50回やらされていた。いがぐり頭の可愛い男子が大声で数を数えながら腕立て伏せをやっているのを、やめさせようと駆け寄るおばあさん、おやまあと遠巻きに嘆息する人々、、。私は交通整理。

有名女子公立高校1年生の女の子。夕方からお腹が痛いと言い、痛がり方が尋常ではないのでホテルドクターを呼ぶと、ホテルに2人1室で共有していたため3日間便秘しただけだったんだけれども、同室の子も、その隣の部屋の子も、またその両隣の子もお腹が痛いと泣きだして、一晩に28人の患者、集団ヒステリーという奴。手持ちの薬が足りなくなって、深夜薬屋のドアをたたき開けることに。

修学旅行ではシドニー、メルボルンなどの観光に、田舎の牧場での体験を取り入れる学校も多かった。その際、乗馬が一番やばい。馬の扱い方、たずなの扱い方を通訳し、ヘルメットをかぶせて一人一人馬に乗せて、牧場を歩いてもらう。馬が怖がるから馬にまたがった時に高いけど、黄色い声を上げないでね、と何度も言い含めたのに、女の子は一様に馬の背に乗った途端に、たかーい、キャーと 激しく黄色い声を上げる。自然、振り落とされる子供も出てくる。落馬すると、本人が頭は打たなかった、首も痛くない、と言い張っても一応頚椎損傷を疑って、病院に連れて行く。めんどうもいいとこ。都心ではない。牧場だから救急車を呼ぶにもお金も時間もかかる。

14歳男子。体が一回り他の子供達よりも大きくて、クラス委員長。ハンサムで礼儀正しく何でもよく知っている。最初に紹介されたら私の仕事に興味を持ったらしく、接近してきて,一番に仲良くなった。先生方からも信頼されていて、生徒たちと教師らとの間に立つまとめ役のような子だった。立派なお子さんですね、と両親をねぎらいたくなるような。ところが隠れたところで体の小さな眼鏡の男子を虐めている現場に遭遇。突入して、弱い者いじめの卑怯者と、この男子を弾劾する声は、1オクターブ高音の不快音。あのとき私は泣いていたかもしれない。くやしくて。

オーストラリアは毒蜘蛛が世界一多い国。靴を履こうと思ったら、黄色い蜘蛛がスポシューから出て来た、と騒ぐ男子。咬まれたの、咬まれなかったの? わっかんなーい。汗で臭い立つ足には無数の傷が。どれが咬まれた後なの? わっかんなーい。こんなクレームにも、万一毒蜘蛛が咬んでいたら数時間後に死ぬから、一応救急車を呼んで病院に付き添ってやらなければならない。

ナースの部屋はここだから、何かあったら深夜でもいつでも来なさい、と言っていたから、深夜一人で来て暗い顔で、ひとこともしゃべらないですわっていた女子もいた。隣に座って、ゆっくり暖かいウィスキーを二人で朝までなめていた。翌日は別人のように仲の良い子に明るい顔をみせていたので安心した。

シドニーの有名高級ホテル。ベッドで逆立ちしたら、ガラス張りの絵画に足を突っ込んで蹴破ってしまった元気男子。3針縫っただけで済んだ。
有名ホテルのビュッフェスタイル朝食時間。男子生徒が先にがっつり取ったので、完全にオムレツやソーセージやサラダやパンの皿は空っぽ。女子の朝食がない。大急ぎで厨房に行って新たに作らせて、市内見物5分前に朝食終了ということもあった。
修学旅行で一緒に過ごした子供達にいつも元気をもらってきた。一緒にいる時間が長くなると、どの子も、自分の子供の様に可愛い。彼らの成長の一時に、海外経験がプラスになってくれれば嬉しい。

生徒達は帰国していく。旅先であったことの全部は親には言わない。多感な少女期。多動な少年期の修学旅行だからいろんなことが起きる。事故も起きる。
しかし、子供たちが高校や大学の入試に必須科目である英語を、ほんの少しでも英語圏の人に使ってみる冒険の機会を奪ってはいけない。日本という小さな島国を出て、自分には当たり前のことが外国では通じないという体験をしてみるチャンスを逃してはならない。世界の中の日本の姿を見るために、一度は日本から出て見る勇気を失なってはならない。

人は完全ではないし、人の体にはわからないことが沢山ある。事故はどんなに注意していても起こることがある。
最悪の事故が起こったからといって、海外修学旅行が取りやめになったり、職員が処分されたりしてはいけない、と思う。



2019年3月16日土曜日

映画「ビールストリートの恋人たち」

「二グロルネッサンス」と、アメリカ文学史上呼ばれる時期がある。1920年代のことで、黒人でも「歌ったり踊ったりするだけでなく、芝居も出来るし物も書ける」ことが白人社会に認識されるようになったことが、ルネッサンスだという、白人が白人のために作り出した極めて原始的な規定だ。しかし現実にそうした時期を経た後で、1940年代になって、やっと本格的な黒人作家、リチャード ライトや、ジェームス ボールドウィンが華々しく登場する。

Richard Wright リチャード ライト(1908-1960)は、小説「アメリカの息子」(Native Son)が新聞に掲載されてベストセラーとなり、一躍流行作家となるが、早くから黒人差別社会で知に目覚めた者として,キリストの受難ごとき、差別と苦渋に満ちた人生を送る。彼はミシシッピーの開拓地で,水車小屋で働くシングルマザーの子供として育ち、貧困から基礎教育を受けられず、読み書きの能力を自力で身に着け、黒人は入れない公立図書館の前で、親切な白人が自分のために借り出してくれる本をむさぼり読み、知識を自分のものにする。理由もなしに黒人が白人に嬲り殺されるような南部から、北部に出ることを夢みて、意を決してシカゴに移るが、そこでも「私の毎日は一つの長い静かな、たえず抑えられた恐怖と緊張と不安の夢の連続だった。」(ブラックボーイ)と、言わしめる差別にさらされた。
そこで彼は、全世界の労働者が肌の色に関わりなく団結できる、という呼びかけに魅せられて共産党に入党する。しかし自分がいかに黒人差別をテーマにした小説や論評を書いても、共産党は人種差別問題に関心を払わない。自分の課題とする人間の解放、自由と権利の獲得といったものは無視され続行け、ライトは共産党を去る。マルキストは社会を変革するが、人間を解放しない。ライトは、アメリカ社会に絶望してパリに移り、ボーヴォワールなど実存主義者などと交流しながら、「アウトサイダー」として生き、パリで52歳の若さで亡くなる。

何故リチャード ライトについて書いているかと言うと、彼の存在なしにジェームス ボールドウィンが作家としてこの世に出ることはなかったからだ。リチャード ライトや、ジェームス ボールドウィンの作品は、1960年から70年にかけての米国の公民権運動の高まりとともに、紹介されて広まった。抑圧される黒人の文学が自然発生的にブラックパワーとして湧き上がって社会的に認識された。1990年代、娘たちがマニラインターナショナルスクールに通っていた時、英語の教科書にリチャード ライトの作品「ブラックボーイ」が収録されていた。現代アメリカ文学の代表として、中学校の教科書に紹介されていたのだ。

James Baldwin ジェームス ボールドウィン(1924-1987)は、リチャード ライトの支援を受けて、作家として世に出たが,ライトより16歳若い。ゲイでもあった。ライトと同じように流行作家になり、やがて行き詰まりフランスに渡り、そこで亡くなった。
彼はニューヨークのハーレムで生まれ貧乏人の子沢山、9人兄弟の長男として家庭内暴力と街中でのポリスによる暴行を受けながら成長する。暴力にさらされても、筆で抵抗を試みて、13歳のころからエッセイや小説を書いて、学校が発行する雑誌や新聞に投稿した。公民権運動にも積極的に関わり、マルコムX,マルチンルーサー キング牧師や、ハリー べラフォンテ、シドニー ポアチエ、マイルス デビス、画家のビュフォード デラ二などと交流した。代表作は、「山に登りて告げよ」、「アメリカの息子ノート」、「ジョバンニの部屋」など。

ボールドウィンもライトも、全米に沸き上がり広がりつつある黒人の公民権運動に積極的に関わっていたが、1970年までに、FBIが調査したファイルが、ボールドウィンのは1884ページ、ライトは276ページ、トルーマン カポテが110ページ、ヘンリー ミラーがたった9ページだった、という興味深い数字もある。いつでも拘束して締め上げられるように準備しておくのがFBI長官エデイ フーバーの趣味だったんだな。

ところで、ここでやっとボールドウィン原作の映画の話になる。前置きが異常に長くなったのは、映画の看板に、「ボールドウィン原作のロマンテイックドラマ」と説明してあったので、え、、待てよ、ボールドウィンってそんなに有名で誰でも知っている作家だったっけ、と疑問に思ったからだ。特に1960年代の公民権運動に関心のある人でないと、増してアメリカ以外の国の人だと、そんなに知られていない作家なのではないだろうか。それにロマンテイックドラマなど書いていない。血を吐き出すように、自分が体験してきた黒人差別の痛みと疼きを表現してきた作家だ。映画の「ロマンチックドラマです」という宣伝だけ見ると、ボールドウィンって、ロマンス物ばっかり書いているハーレクインシリーズの作家か、と間違われるかもしれない。別にそれでもいいけど。

映画:「IF BEATLE STREET COULD TALK」
邦題:ビールストリートの恋人たち」
監督:バリー ジェンキンス
キャスト
キキ レイン   :テシュ
ステファン ジェームス:フォニー
レジナ キング    :テシュの母親、シャロン
コールマン ドミンゴ :テシュの父親
マイケル ビーチ   :テシュの父親
エド スケルトン   :警官ベル
マイケル ビーチ   :フォニーの父親

2019年アカデミー賞でテシュの母親を演じたレジナ キングが助演女優賞受賞、GG賞でもレジナ キングが助演女優賞受賞。

ストーリーは
1970年代ニューヨーク
デパートの売り子をしている19歳のテシュと、22歳の大工フォニーは、父親同士が仲が良かったので、子供の時からいつも一緒に遊んで育って来た。テシュが美しい女性に成長し、フォニーが真面目な働き手として独立するころには、二人が恋人同士になるのは、ごく自然な成り行きだった。二人は一緒に暮らすためにアパートを探す。70年代のニューヨークで黒人カップルに、快くアパートを貸してくれる大家は余りなかったが、ユダヤ人の大家は二人の初々しい姿を見てアパートを貸すことにする。
ある夜、白人の経営する食品店でいつものように買い物していたテシュは、白人の若者にしつこい嫌がらせを受ける。怒ったフォニーは、この男を店からたたき出す。それを見たパトロール中に警官ベルは、白人青年に暴力をふるった黒人フォ二ーを逮捕しようとする。そこをテシュとフォニーを子供の時から知っている店主が出て来て、二人は真面目なトラブルなど起こしたことのない子供達だ、と間に入ってその場を収める。しかし、これを根に持った警官ベルは、フォニーに執拗に付きまとうようになる。

じきにフォニーは、ビクトリアという娘をレイプした容疑で逮捕される。被害女性は暗がりで連れ去られたので加害者を見ていない。しかし警察署でこの男だ、と言われて信じて、その通りの供述をした。その時間フォニーはテシュと他の友達と食事をしていたが、事実よりも、現場でフォニーを見たという警官の証言が、採用された。テシュは妊娠していたので、意を決してテシュは両親と姉に告げる。家族はテシュを祝福する。
その後、被害者の女性はプエルトリコに帰国してしまい、裁判は無期限に延期され、フォニーの拘留は長引くことになった。テシュの母親シャロンは、希望を失いそうになる娘とフォニーのために、お金を集めてプエルトリコに飛び、被害女性に会って裁判で証言するように頼み込むが、拒否される。被害者不在のまま裁判は長引き、フォニーは出所できる予定が立たない。裁判で刑期が言い渡されないまま、何年も あるいは死ぬまで刑務所に不法に入所させられている黒人が沢山いた。そういう時代だった。

テシュには元気な男の子が生まれる。以前はテシュ一人で刑務所に面会に通ったが、いまは二人して通う。刑務所の面会室で、自動販売機で買ったサンドイッチを、いまは親子3人で手をつなぎ合ってお祈りをしてから、分け合って食べる。つかの間の家族の小さな幸せの時間が過ぎていく。
というお話。

派手なカーチェイスもなければ、激しいい殴り合いや、喧々囂々の争いの場面もない。激しく笑いこけたり、泣きじゃくったり、怒鳴り合ったりすることもない。
人種差別が当たり前の社会で、意味もなく黒人の若い女が嫌がらせをされ、理由もなく黒人の青年が、白人にヘビのような目で地獄に落とされる、白人中心のいびつな社会だ。そんな中で人々が懸命に生きようとしている。大声を出すことをせず、静かな怒りを胸に秘めて、黙々と耐えて生きている。

映像の光と影の使い方が秀逸だ。色彩が鮮やかで、美しい。
この監督バリー ジェンキンスは、2016年アカデミー賞で作品賞を獲った「ムーンライト」を作った監督だ。これは作品賞だけでなく、助演男優賞にマハシャラ アリが、助演女優賞にナオミ ハリスが獲得した。「ムーンライト」も映像が美しく、海岸のシーンや光の中の木々や風に揺れる花々などの映像美に魅せられた。登場人物の顔の大写しもこの監督の得意技のようだ。役者の心の動きを、表情の変化で上手に捉えている。
「ムーンライト」も、この映画もストーリーはあまり重要ではない。前者は少年の成長がただ淡々と描かれており、とくに筋といったものはないし、この映画も劇的なストーリーなどはなく、ただ幸せなカップルの顔の大写しと、刑務所で面会する二人の心の動きが描かれる。とても抒情的な映画だ。
ドラマチックなストーリー展開が好きな現代っ子だったら2時間余りの映画に、みごとに寝てしまうだろうが、私は好きだ。
作曲家ニコラス ブリテルの音楽が とても心地良い。ジャズとブルースが、静かに嘆きの歌を奏でている。

2019年2月11日月曜日

チャイニーズオペラの夕べ

2月5日はチャイニーズニューイヤー正月だった。
新年のお祝いイベントの一環としてチャッツウッド市民会館、コンコースでチャイニーズオペラを上演したので行ってみた。香港から、役者一行と共に、指揮者のジョン クリフォードと、パーカッションなどの楽士達が来豪して公演が行われた。
チャイニーズオペラは一つが3時間以上の長いものだそうだが、今回の公演では、二つのオペラのハイライト部分だけが公開された。

演題:「STOPPING OF THE HORSE」
   「FATAL ATTRACTION」
舞台は背景を描いた舞台に机が一つ、椅子が一つという具合にしごく単純。役者達は、白塗りの顔に女性は目から頬にかけて濃いピンクに塗り、結い上げた髪には豪華な髪飾りをつけて、長衣のドレスを着ている。男性は眉毛が太く、10時10分くらいに眉を吊り上げ、髪にはこれまた豪華な髪飾り、美しい衣装に先のとがった布製の靴をはいている。

舞台に役者が登場すると、ものすごくけたたましく、騒がしい鐘と太鼓が鳴りだす。また役者が型を決めるたびに、激しくジャンジャン鐘が鳴り、ドーンとドラが鳴り、ドラムが叩かれる。高音のせりふはインを踏んだ歌のようであり、胡弓とともに謡われる。

「STOPPING OF THE HORSE」では、馬に乗って旅をする美しい娘が、一軒の茶屋で休憩する。給仕の男は旅人の美しさに見とれて、何かと話しかける。彼女を油断させて、お茶ではなくお酒を飲ませようとするが、そんな男の下心に彼女は乗ってこない。旅人と給仕の男とのひょうきんな歌のやり取りと、男のアクロバットが笑わせる。男は飛んだり跳ねたり、一つの椅子でバランスを取って椅子の背に立ったり、椅子を転がしたりしながら旅人の気を引こうとする。最後には、二人は親戚の従妹同士だったことが分かって、二人して旅して故郷に帰ることにする。楽しい曲芸と歌と踊りが見られる。

「FATAL ATTRACTION」は、娼婦だった薄幸の美女が、望まれて結婚したが、相手は獣のような姿で醜いうえに、人情もない男だった。それに相反して、夫の弟は美男子で力強く、社会的にも成功した立派な男だ。不幸な妻は、一目でこの弟を愛してしまう。男の方も兄の妻に魅かれる。やがて妻は惨めな夫との生活に耐えられなくなって、遂に夫を毒殺する。兄の死の知らせを聞いて、弟がやってきて心惹かれる女の愛の告白を聴く。女は自分を殺しに来た男の気持ちを変えて、男を自分の思いのままにしようと、様々な誘惑を仕掛ける。夫の葬儀のために白い服を着ているが、途中でそれを脱いで真紅の服になって男に迫る。彼女の服の袖は3メートルくらいの長い袖で、それをクルクル巻いたり、投げたりしながら踊って見せる。新体操のリボン競技のようだ。兄の妻に心を残しながら、弟は自らの剣で女を切り殺す。苦渋の選択だったが、復讐が達成された。

二つのオペラ、それぞれ高音の唄が美しい響きで、楽士達のドラや鐘は限りなく騒がしく、とても楽しんだ。実際初めてチャイニーズオペラを観るまで、オペラには男優も「女優」もいることを初めて知った。日本の歌舞伎の様に、「男優」ばかりで女形を男優が演じるものと思っていたのだ。おまけに「北京オペラ」と、「広東オペラ」とは違うものだと言うことも、現物を見に行って初めて知った。無知とは恐ろしいものだ。

私が観たのは香港からきた「広東オペラ」で広東語で演じられる、ユネスコから人類の無形文化遺産として登録されていた14世紀から17世紀から伝えられているオペラだった。香港文化博物館には、この広東オペラの衣装や歴史が常設展示されているそうだ。
もう一方のオペラは「京劇」と一般に呼ばれる「北京オペラ」だ。こちらは言語が異なって、カントニーズではなく、マンダリンだ。この二つの言語は、全く異なっている。同じ中国語などと言って混同してはいけない。日本に居る人にはわかってもらえないし、私も違いが聞き取れないが、国際人である娘たちはカントニーズとマンダリンをきちんと聞き分ける。

紀元前から爆弾を作り、文字を印刷してきた3000年もの高い文化を誇る中国民族と、過去100年間英国領で民主主義を身に着けブリテンのパスポートを持っていた香港人とは、言語も文化も人種も異なる。共にものすごく誇り高い人々だ。広東オペラと北京オペラの違いを知らずに、オペラを観に行った私は中国人の友人と行かなくて一人で行って、知らず知らずのうちに「地雷」を踏まずに無事帰って来られて良かった。帰ってきてから自分が見たのは、ユネスコ人類無形文化財の広東オペラの方だった、と知ったのだ。

チャイニースオペラに興味を持った切っ掛けは、チャン ガイゴー監督の映画「さらばわが愛;覇王別姫」(FAREWELL MY CONCUBINE)1993年作品だ。
これは捨て子だった少年:程蝶衣(チェン デイエー)が、京劇の女形役者となり、彼を子供の時から支えて来た男役の段小楼(ドアン シャオロー)と組んでオペラ「覇王別姫」を演じるが、二人は互いに愛情と憎悪と嫉妬に苦しむというお話。女役をレスリー チャン、相手役をチャン フォンイーが演じた。この映画の中で、二人が繰り返し演じるオペラ「覇王別姫」は、武将で王様の項羽と、その愛人虞美人(ぐびじん)の悲劇だ。

項羽は紀元前200年ころ、秦末から楚漢戦争の頃の武将で、自分の10万の兵と共に、劉邦の率いる30万の漢軍に囲まれて、「四面楚歌」(しめんそか)となり(四面楚歌とは項羽が四方敵に囲まれたこの史実からきている)、囲いを突破して逃れるが、戦いに敗れて殺される。このとき項羽の愛人の虞美人は項羽の足手まといにならないように自ら項羽の剣で自殺する。その後、項羽を破った劉邦は 漢王朝を築き400年間政局の安定を図る。
美しかった虞美人のはかない人生をオペラにしたものが、この「覇王別姫」だ。ちなみに虞美人草(ひなげし)の名前はこの美女からとってつけられたものだ。

紀元前200年の美しかった女が、花の名前となり、オペラとして現在まで伝えられてきた。虞美人の自死のシーンでオペラの観客は泣かされるが、チェン ガイゴーの映画の中でも、虞美人の役を演じたレスリー チャンは、チャン フォンイーの剣を奪って彼の目前で自死する。生涯たった一人の男を愛し続けた女形役者の哀しい結末だった。いつまでも心に残る映画だった。
新年に、チャイニーズオペラという、とんでもなく古い伝統文化に触れて、楽しむことができた。こんな贅沢を、現代に生きる自分が享受できることが何よりも嬉しい。

2019年2月10日日曜日

レバノン映画「存在のない子供たち」

映画:CAPHARNAOM (アラビア語でカオスの意)
レバノン映画
邦題:「存在のない子供たち」
監督:ナデイン ラバキ
キャスト
ザイン アル ラフェア:ザイン
ヨルダノス シフェラウ:ラヒル (エチオピアの母親)
ボルワテイフェ バンコール:ヨナス (ラヒルの赤ちゃん)
カウサー アル ハダト:ソウド(ザインの母親)
ファディ カメルヨセフ:セリム(ザインの父親)

2018年カンヌ国際映画祭パルムドール審査員賞受賞
2018年アカデミー賞外国語映画賞候補作

ストーリーは
ベイルート。子だくさんのレバノン人家族が小さなアパートで暮らしている。父親に定職はなく、母親は、違法ドラッグを刑務所にいる男に差し入れして利ザヤを稼いでいた。小さなアパートに7人の子供たちが折り重なるように眠る。そして早朝から子供達は小さな体で大人顔負けに働かなければならない。12歳のザインは スクールバスで同じ年頃の子供達が学校に行く姿を横に見ながら、自分の弟達や妹たちを連れて、野菜から作ったジュースを道端で売ったり、商店の配達を手伝ったりして僅かな賃金を得る。

ある日仕事を終えてアパートに戻ると、にわ鶏が何羽か届いていて、14歳になったばかりの姉が口紅をつけ化粧して中年の男の前に座らされている。ザインは怒って、姉の口紅を落とそうとするが、姉はすでに親に売られていくことを覚悟していて、ザインの抵抗を避け別れを告げて去っていく。

ザインは1歳年下の妹と特別に気が合って可愛がってきた。妹もザインを頼りにしていて、いつもザインの後をついて歩いている。ある朝ベッドに血痕をみつけたザインは、妹を洗面所に連れて行き、汚れた下着を洗ってやりながら、どんなことがあっても起こったことを親に言わないように命令する。そしてマーケットから盗んできたパッドを妹に渡して、汚れたパッドを家のゴミ箱に捨てないように、誰にも見つからないように捨てるよう言い渡す。ザインは妹を連れて家出する計画を立てる。しかし、間に合わなかった。バスで逃げる手配をしている間に、マーケットでいつもザインの母親に色目を使っている商店主が、ザインの宝だった妹を連れ去る。妹は、ザインに助けを求め泣き叫びながら連れ去られた。ザインはたった11歳の妹を、わずかな金で売り渡した両親に絶望して、妹と乗って逃げる筈だった長距離バスにひとり乗る。目的地などない。下りたところは遊園地だった。そこで仕事を探して回るが、大人たちは誰も相手にしてくれない。

遊園地で掃除婦をしているラヒルは、腹をすかせたザインを見るに見かねて食べ物を与える。彼女はエチオピアから密航してきた違法難民で、生後1歳に満たない赤ちゃんを育てている。遊園地で働く間、バスルームに赤ちゃんを隠していて、職場の行き帰りは荷物カートで赤ちゃんを人目に触れないように連れて帰り、人にわからないように育てていた。遊園地で寝泊まりし、飢えていたザインを彼女は家に連れて帰り、赤ちゃんの世話を頼む。ラヒルはスクウオ―ターのような小屋に住んでいて、赤ちゃんが居ると分かると居られなくなるので、ザインは赤ちゃんを泣かさないように、外にも出ないようにしてミルクを飲ませ、おむつを替えて、退屈して泣かさないように世話をした。

しかしある日、ラヒルは違法労働者狩りにつかまって警察署に連行される。ザインは赤ちゃんを連れて遊園地やラヒルの知り合いのところを探し回るが、彼女の行先がわからない。商人は、赤ちゃんの世話に手を焼くザインの様子を見て、赤ちゃんを売らないか、ともちかける。ザインは家に戻り、昔母親がやっていたように違法ドラッグを手に入れて、それを薄めて売り、小金を作り赤ちゃんを食べさせていく。しかし家賃を入れていなかったので、ザインと赤ちゃんは家を追い出されてしまう。家を失い、ザインは、赤ちゃんを自力で育てていけなくなって、遂に商売人の処に行く。イエメンの金持ちが子供を欲しがっている、と言われて赤ちゃんを置いて去る。そこでザインは同じストリートチルドレンが、身分証明書か、パスポートがあればスウェーデンに移住できると言うのを聞いて、身分証明書を取りに、二度と帰らないつもりだった家に戻る。

迎えた両親は激高して、ザインを罵倒し殴る。身分証明書が欲しい、生まれた時の病院の証明書が欲しいというザインに向かって、両親は子供のために病院になど行ったことがない。たくさんの子供の生年月日などいちいち憶えていないし知らない、と言ったあと、父親が、病院に行ったのはザインの妹だけだ、と口を滑らせる。商人に売られて、ザインの助けを求めて泣き叫びながら去っていった11歳の妹は、買われた商人の言うままにならなかったため、食べ物を与えられず、鎖に繋がれ、餓死同然で病院に運ばれて死んだのだった。ザインは、とっさに包丁を握ると商人の店に向かって走る。

刺された商人は車椅子生活者となり、12歳のザインは傷害罪で5年の懲役刑を言い渡される。ザインは法廷で、裁判長に求められるまま発言する。「僕は両親を訴えたい。人は尊重され、愛されるために生まれて来た。生まれてきた子供を育てられないならば、親は子を産むべきではない。」ザインは、どうして両親を訴えるのかと裁判長に問われて、「何故って ぼくは生まれて来るべきじゃなかったからだ。」と答える。
というストーリー。

カンヌ国際映画祭で映画のあと観客が総立ちで、15分間拍手が止まなかった、という話の通りのパワフルな映画だった。12歳の子供の口から出る正真正銘の「正しい言葉」のパワーに取りつかれて、映画の後もしばらく立ち上がれなかった。
「自分は12歳の今まで親から尊重されもしなければ、愛されもしなかった。生まれてきたこと、そのものが間違いだった。自分は罪を背負って生まれて来た。大人は生まれて来た子供を育てられないならば産んではいけない。育てられない子供を産んだ両親は罪に問われ、罰せられるべきだ。」子供が自分の身をもって証明した正論を、泣きじゃくりながら言うでもなく、叫ぶように訴えるでもなく、達観した哲学者のように淡々と裁判長に向かって言う子供の姿に胸がつぶれる想いだ。

一人としてプロの役者が出演していない映画。みな撮影場所の近隣で、普通の生活をしていた市井の人々を使って制作した映画。ザインの役を演じた12歳の少年の名は、本当にザインと言う名で、レバノンに住むシリア難民、8年間難民キャンプで暮らした少年だそうだ。フイルムは12時間の長い作品だったが、それを2年間かけて2時間半の作品にしたという。資金のない独立フイルムのため、制作者カルド モザナールは、自分の家を抵当にいれて映画製作をした という。パルムドールに選ばれたカンヌで、この映画の女性監督、レバノン人のナデイン バラキは、流暢なフランス語でアラブ世界に住む女性として、これからも女性の人権問題や貧困について発言していかなければならないことが多いが、ひるんではならない、と立派なスピーチをした。

子供がひどい目に遭うということが、この世で一番許せない。世の仕組みも、金融資本家が人を牛耳り、トップ26人の超富裕層が全世界の総資本を独占している現状も、軍需産業が肥え太るために、世界各国に戦争の火だねを故意に撒き散らしていることも、全く知らずに生まれてきた子供たちが、自分達は何の罪もないのに飢え、殺され、ひどい目に遭うことが許せない。12歳の子供が、親から違法ドラッグ造りを強制されたり、配達を命じられていった先でレイプされそうになったり、理由もなくぶん殴られたり蹴られたりしても、ザインは決して泣いたりせず超然としていた。その子がエチオピア人の掃除婦に拾われて赤ちゃんの世話を任されて信頼感が生まれていたときに、彼女が家に戻ってこない。再び自分が棄てられたと思って、少年は初めて泣く。このシーンが哀しくてたまらない。そんなザインが決して自分とは赤の他人の赤ちゃんを捨てようとせず、懸命にミルクを手に入れて、働いて金を作り赤ちゃんを育てようとする。この映画の批評に、シーンごとに泣きます、と書いてあったが、本当。うなずける。ワンシーンワンシーン、しっかり泣かされる。

映画の中でザインは一度として、文字通り一度として笑顔を見せなかった。しかし、彼の画面いっぱいの笑顔で映画が終わるのだ。刑務所の中で身分証明書が作られる。あなたには戸籍も身分証もなかったけど、やっとお望みの身分証明書が作られるんだから、カメラに向かって笑って、と係官に言われて初めて見せるザインの笑顔の何と、今にも壊れそうなデリケートで、やわらかな少年の笑顔、、、。そこに低音で響くチェロの独奏が流れて映画が終わる。
自分は世界一惨めで悲しい子供時代を送ったと思い込んでいるわたし、、、映画館の暗い座席でひとり身を沈めて、12歳の少年の心に共鳴して、ずっと泣いて居りました。少年の笑顔が消え、チェロの音が終わって、館内が明るくなって、掃除のお兄さんが掃除を終えて、再び電気が消えて、その後しばらく別の映画はかからないらしくドアが開いたまま暗い椅子で、やっと涙を拭いて立ち上がり出ていくまで,声をかけずに黙って待ってくれた掃除のお兄さん、ありがとう。
この映画、アカデミー外国語映画の候補作品だが、きっと賞を取ると思う。

2019年2月3日日曜日

クリントイーストウッドの映画「運び屋」

原題:「THE MULE」
(MULEは、ロバとか頑固者の意)
製作監督:クリントイーストウッド      
キャスト
クリント イーストウッド:アール ストーン
ブラドリ クーパー   :麻薬取締官
ローレンス フィッシュボーン:麻薬取締局長
ミカエル ぺニア    :麻薬取締官
ダイアン ウィ―スト : アールの妻
アリソン イーストウッド:アールの娘

ニューヨークタイムスのサム ドルニックによる「90歳のドラッグ運び屋」という記事で広く知られることになった、実際にあった事件をイーストウッドが映画化した。90歳のアールの役を、88歳のイーストウッドが演じている。イーストウッドは、第二次世界大戦の退役軍人で、ユリを栽培する園芸家、しかも犯罪歴のない60年間模範運転手だった老人が、コカインの運び屋として10年余り働いていたという、その人生に興味をもって、映画にしたのだと言っている。イーストウッドの言うように、アールと言う人は、誠に興味深い人で、コカインで作ったお金を、子供病院に寄付したり、退役軍人の施設の改築に使用している。76歳で運び屋を始め、月に250キロのコカインをメキシコからアリゾナに運び、逮捕され刑務所に入って間もなく亡くなった。
この映画がイーストウッドの最後の主演、監督映画になると、新聞で報じられたが、インタビューで、彼は肯定も否定もしていない。人に「これが最後の作品になりますね。」と言われて、「そうかもしれない」と答えただけで、自分では引退なんて言ってないよ、と笑っていた。嬉しいことだ。

ストーリーは
インデイアナ州 ミシガン市
アール ストーンはミシガン湖のほとりにユリの花を栽培するファームを持っていた。何人もの農夫を雇い180種ものユリを栽培し、新種のユリの育成にも成功していた。園芸科の間でもアールのユリは、いつも一番の人気を保っていた。アールの生活は、手間のかかるユリが中心で、妻や娘のことに構うことがなかった。ユリの花は最も短命で、手を抜くとすぐに枯れてしまう。ユリの品評会に気を取られていて、一人娘の結婚式に出るのを忘れたときは、さすがに慌てたが、娘はその日以来二度と父親と口をきこうとしない。妻もアールを責めたてるばかりで家から離れて、ファームに住むアールは、事実上別居、離婚状態になってしまった。

時が経ち、2000年代になると一般に園芸熱が冷め、ユリの球根も売れなくなリ、ビジネスが立ち行かなくなってしまった。すでに76歳になっていたアールのファームは、差し押さえとなり園芸ビジネスを畳まなければならなくなった。
ファームからトラックに家財道具をすべて乗せて自宅に帰ると、妻は口汚く夫を責め、娘は険悪な顔で相手にせず、家族は他人扱いで家に入れてもらえない。仕方なくアールはトラックで、立ち去る。

彼の新しい職場には、60年間無事故だったという模範運転歴を買われて、雇われた。雇い主は、何やら見るからに怪しげな男達だが、言われた通りにニューメキシコから荷物をトラックに載せて、言われたモーテルに配達する。始めは何を運んでいるのか見当もつかなかったが、じきにコカインだとわかる。知らないうちにドラッグマフィアの片棒を担いでいたのだ。犯罪組織は、アールのことを、タタ(おじいちゃん)と呼んでいて、次第に親しくなっていった。模範運転手の年よりを、運び屋だなどと誰も疑わない。麻薬捜査官の目をかいくぐって仕事は順調だ。
しかし犯罪組織が仲間割れして、親しかったボスが殺される。そんな取り込み中に、アールの妻が癌で死の床に居るという知らせが入る。アールは断りなしに仕事から離れ、妻のもとに走る。妻は夫が来てくれて喜び、再び夫を受け入れる。心の平静を取り戻し、妻はアールの腕の中で亡くなる。葬儀もすべて終わって、彼は職場に戻るが、事情を知らないギャング達は勝手にいなくなったアールを責めて脅し、再び運び屋を強い監視の下で行わせるが、遂に麻薬取締官の厳重体制を突破することはできず、彼は逮捕される。

すべての罪状を自ら認め、アールは進んで刑務所に入る。そこで再びユリの栽培に精を出す。嬉々として花造りをするアールの姿を追ったシーンで、映画が終わる。

イーストウッドの無駄のないフイルム、ストーリーの流れにぴったり合った音楽、筋書きのテンポの速さ、編集の完璧さ。これがイーストウッドの映画だ。彼の洗練されたフイルムが好きだ。無駄のないフイルムの作り方は、恐らく何十年間ものあいだ、ロクでもない映画から一生忘れられない名画まで、数えきれない映画に、役者として出演してきた経験から、無駄を省く能力を身に着けたのだろう。

映画のなかで、麻薬捜査官ブラデイ クーパーが、カフェのカウンターで、携帯を見ながら、思わず「畜生」と声を出す。横にたまたま居たイーストウッドが、「誕生日か?」と聞く。「いや、結婚記念日だった。」麻薬捜査が終盤にはいって、家からしばらく離れている。それを責める妻からの携帯へのメッセージに慌てる夫。そんな何気ない会話のテンポの良さ。 彼は私生活では2回離婚しているが、5人の異なる女性との間に7人の子供がいる。今回の映画で長女のアリスン イーストウッドが娘役で出演している。自分の結婚式にも来るのを忘れていた父親を責めるときの怒り顔は、演技と思えない辛辣さと怖さだった。

イーストウッドは1955年から63本の映画に主演し、1977年からは37本の映画を監督している。他のどんな映画監督よりも、多才で多彩で多産な監督だ。
本当につまらない映画にもたくさん主演している。あきれるほどだ。1955年からはテレビシリーズだけでも11本、西部劇には50本あまり主演している。
1960年代には、マカロニウェスタンの主演で、ジョン ウェインなどによる正統派西部劇でなくて、血しぶきが飛ぶ残酷なイタリアン西部劇のヒーローだった。1970年から1989年は、ダーテイーハリーこと、キャラハン刑事の型破りなダーテイーヒーローとして、暴れまくった。

彼が映画を単なる娯楽として捉えるのではなく、映像、演劇、音楽のすべてのジャンルを統合する「総合芸術」として、取り組みだした契機は、1992年の「許されざる者」(UNFORGIVEN)からではないだろうか。これで初めてのアカデミー作品賞、監督賞を獲得した。この映画は、殺し屋として名をはせた男が、完全に足を洗い、田舎で子育てをしていたが、街にギャングが現れ、女たちを脅かしている姿を見ていられず、親友(モーガン フリーマン)を誘って、ジーン ハックマンのシェリフが居る街にきて、悪者をやっつけるお話。勧善懲悪が当たり前だった西部劇に、複雑な男たちの駆け引きや、異なった価値観を持つイギリス人のシェリフや、いつも犠牲になる気丈な女たちの視点も取り入れて、沢山の名優を動員して作られた映画だった。

1992年のアカデミー賞受賞以来、彼の映画熱と機動力は、目を見張るばかりだ。1995年「マディソン郡の橋」、2003年の「ミステイック リバー」、2004年「ミリオンダラーベイビー」、と続いて、この作品で再びアカデミー賞作品賞と、監督賞が与えられる。この時、彼は74歳だった。「ミリオンダラー ベイビー」は、安楽死を助長する映画だとして批判もあったが、再起不能のボクサーを望み通りに死なせてやる老コーチに共感して、涙する人の方が多かったのではないか。
2006年には、「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」の二部作で、第二次世界大戦の激戦地、硫黄島におけるアメリカ軍と、日本軍にとっての硫黄島を、鮮やかに描いてみせた。戦争の愚かさを徹底的に描いた優れた反戦映画だ。
2008年の「グラン トリノ」では自動車工場が閉鎖されたラストベルトのデトロイトに暮らすアジア人少数民族の子供達を描いた。名もない真面目にフォード車のために働いて引退した年よりが、自分の正義感から後に続く青年のために、自分の命を差し出す潔さに、心揺さぶられる思いだった。私はこの「グラン トリノ」と、「J エドガー」が一番好きだ。完成度の高い、芸術作品。映画が娯楽だなどと誰にも言わせない。

2003年の「ミステイック リバー」の主役ショーン ペン、2009年「インヴィクタス」のマット デイモン、2011年「J エドガー」のレオナルド デカプリオ、そして2011年の「アメリカン スナイパー」のブラドリ クーパー、、、みごとな配役だ。
「インヴィクタス」で、南アフリカラグビーチームの主将がマット デイモンでなかったとしたら、全然映画が異なったテイストだった。「J エドガー」をレオナルド デカプリオが演じていなかったら、映画そのものの意味が異なっていただろう。素晴らしい配役だ。
イーストウッドは、ワーナーブラザーズ社の中に、自分用の大きなスタジオとオフィスを持っていて、何十年間もやりたい放題をしてきたそうだが、彼のような才能をずっと抱えて、わがままをじっと聞いてきた会社も太っ腹だった。映画の構想を立て、思うような役者と交渉し、思い通りに映画を作る、最も恵まれた監督だった、と言えよう。

2018年「1517パリ行き」は、パリ発15時17分発の列車でテロが起きたとき、たまたま乗り合わせていた3人の青年達の英雄的な行為で、死者を一人も出さずに済んだという、「タリス銃乱射事件」を題材に、実際この時の3人の青年達を出演させて、ドキュメンタリーともいえる手法で映画を作った。イーストウッドの実験とも言うべき作品だが、青年たちの演技に、何の違和感もなく、実によくできた映画だった。

イーストウッドが、この映画「運び屋」で主演したのは、2012年「人生の特等席」以来6年ぶりだ。「人生の特等席」では、黄斑部変性でほとんど失明しているが、それを自分で認めようとしない頑固親爺が、メジャーリーグ、レッドソックスのルーキー発掘に情熱を燃やし続ける年寄り役で、とても感動的だった。
「運び屋」では、ひょうひょうとしてニューメキシコからアリゾナまでの長距離を、ラジオに合わせて歌を歌いながら、運転する姿が、とても良い。自然体で、魅力的だ。いつまでも「男」を背負っている、イーストウッド。身長193センチの長身。それが、今回の映画で背が曲がってしまっていて、ちょっと悲しかった。88歳だからなどと、言ってもらいたくない。彼自身の言葉で、引退するなどとは言っていない。年をとっても「男」の魅力がいっぱいのイーストウッド。これからも走り続けていって欲しい。
映画の最後に、シンガーソングライターのトビー キースが「DON"T LET THE OLD MAN  IN」という歌を歌っていて、それがとても素敵だ。
この映画3月8日公開だそうだ。

2019年1月28日月曜日

映画「グリーンブック」

映画:「GREEN BOOK」
監督:ピーター ファレリー      
キャスト
ビゴ モーテンセン:トニー リップ ヴァレロンガ
マーシャラ アリ :ドクター ドナルド シャーリー
リンダ カーデリー:ドロレス トニーの妻
デイミテル マリノフ:オレグ
マイク ハットン :ジョージ

2019年第91回アカデミー賞作品賞候補、主演男優賞候補、助演男優賞候補
2019年ゴールデングローブ、コメデイミュージック作品賞受賞作
トロント国際映画祭ピープルズチョイス賞受賞作品

グリーンブックとは、郵便局に勤めていたビクター ヒューゴ グリーン氏によって書かれた黒人旅行者のためのガイドブック。1936年から1967年まで盛んに利用された、黒人を受け入れるモーテルやレストランの案内書で、このガイドブックなしに黒人が安全に他州へ移動したり旅行することができなかった。

ストーリーは
1962年ニューヨーク
イタリア移民のトニー リップ ヴァレロンガは妻と二人の幼い子供を持ち、ニューヨークのアパートに住む。イタリア人の常で、両親、親戚すべてひと固まりで仲良く暮らす大家族の一員だ。仕事はナイトクラブの用心棒。教養はないが、腕っぷしは強く、イタリアマフィアの目にも留まっている。家族との生活も仕事も順調だったが、勤めていたナイトクラブが改装のため一時閉鎖することになって、しばらく仕事が無くなりあぶれてしまった。そこで、ドクターシャーリーというピアニストが運転手を募集していると聞き及び、トニーは カーネギーホールの階上にあるアパ―トに面接に行く。驚いたことに、ドクターシャーリーは、黒人の紳士だった。このドクターは良家に生まれ、3歳の時からピアノの才能を認められ、10代で黒人で初めてロシアから奨学金を得て留学しヨーロッパで教育を受けた人だった。ホワイトハウスにも2度招かれて演奏をしていた。ニューヨークで演奏活動をしていれば、倍の収入になるにもかかわらず、8週間かけて、アメリカの西部から南部をコンサートツアーに行きたいという。そのために運転手が必要なのだった。8週間後のクリスマスイヴには帰れる約束だ。週に経費抜きで週125ドル、法外の良い条件で、トニーは雇われる。

1台の大型車には ドクターの音楽仲間、チェリストとコントラバスが乗り、別の1台にトニーの運転するドクターシャーリーが乗車してツアーが始まる。ドクターは、トニーの遠慮のない話し方や、食べ方、平気で店から物をちょろまかしたり、車を止めて立ちションするなどの素行に閉口し、いちいち腹を立ててトニーを「教育」しようとする。トニーは、生まれてから教養人などに会ったこともないからドクターのアドバイスを理解できずに怒るが、最初のコンサート会場で、ドクターが演奏するクラシックピアノの音と、その華麗な姿に感動する。しかしドクターはいったんステージを下りると、コンサート会場の白人専用のバスルームを使わせてもらえなかったり、社交も限られている人種差別の現状を目の当たりにする。

トニーは毎日のように妻に手紙を書く。間違いだらけのスペル、文法も小学生の作文よりひどい。見かねてドクターはスペルを教えながら、詩的で美しい文章を口述して、トニーに書かせる。送られた愛情のこもったロマンテイックな手紙は、家でトニーの帰りを待つ妻を感涙させ、親類一同を感動させた。「出会って君に恋したのはごく自然なことだった。僕は君を、朝も夜も愛す。昨日も今日も明日も愛す。死ぬまで愛する。君の夫より。」

コンサートツアーは順調とは言えない。ある町ではドクターが、バーに入っただけで、白人の酔ったグループにリンチにされて、飛び込んで助けに入ったトニーは銃を持っているふりをして、その場からドクターを助け出す事態も起きた。またある夜、YMCAのプールで白人男性を会っていたドクターは、警察に逮捕されるところだったが、トニーは機転をきかせて警官を買収してドクターを奪還する。しかし、さらに南部に移動して、ポリスに車を止められたトニーは、人種差別的な警官に侮辱されて思わず警官を殴って、逮捕される。無抵抗だったドクターまで同じ警察署の留置所に入れられて、ドクターは弁護士に電話をかけさせてもらうように要求する。ドクターは警察署から、ロバート ケネデイ司法長官に直接電話をして訳を話す。たちどころに州の知事から警察署に電話があり、二人は釈放される。

トニーはドクターが黒人なのに司法長官を動かすような権力を持っていることに腹を立ててドクターを激しく責めたてる。一方ドクターは警官に暴力を奮ったトニーを責め、二人はいがみ合う。ドクターは黒人であって、黒人でない。彼のアイデンテイテイ、彼の孤独感を誰も理解することができない。そこは、ナット キング コールが演奏しようとしたら、数年前に観客にステージから引きずり下ろされて殴られたような土地柄なのだった。

アラバマ州ビルミガン、ここが最後のコンサート会場だ。コンサート前に音楽仲間たちと会場のホテルレストランで打ち上げの夕食を取ろうとして、ドクターはレストランへの入場を断られる。その夜クリスマスデイナーの主賓であるのも関わらず、レストランは黒人客を拒否する。トニーはレストランマネージャーにつかみかかり、ドクターはコンサートで演奏するのを取りやめにする。ドクターとトニーは、黒人ばかりのバーに入り、飲んだついでにトニーに勧められて、ドクターはステージのピアノで「ショパン」を弾く。われんばかりの拍手。時をおかずステージにバンドメンバーが上がり、ジャズを演奏し始める。ドクターもノリに乗ってジャズを弾いて、愉快な夜を過ごす。すべてのコンサートツアーは終了して、長い帰途につく。

一行はニューヨークを目指して走る。大雪に苦労しながらも運転を続け、とうとうクリスマスの夜に間に合った。ドクターは疲れ切ったトニーをアパートで降ろして、帰っていく。賑やかなトニー家の歓迎。クリスマスの料理、愛する妻と子供達、気の置けない親類と友人たち。食べて飲んで、、、でもトニーの心は何故か沈んでいる。
一方ドクターも自分のアパートに戻り、一時ほっと安心する。でもなぜか孤独感が募る一方だ。
やがて、トニーのアパートのチャイムが鳴る。立っていたのはドクターだった。トニーはドクターを心から歓迎して抱きしめる。トニーの妻が駆け寄って来る。「素敵な手紙をたくさん、たくさんありがとう。」ドクターはトニーの妻を抱きしめる。
というお話。

ハートウオーミングなロードムービー。ゴールデングローブでコメデイミュージック賞を取ったが、コメデイと言ってしまうには重すぎる。人種差別をテーマにしている。

南北戦争が18万5千人近くの戦死者を出して終結し、リンカーンが奴隷制廃止に踏み切った後でも、黒人差別は依然として合法だった。「異人種結婚禁止法」は1952年全米48州のうち29州で法制化されていた。「法的」に人種差別が禁止、解消されるまで1969年代のマルチン ルーサーキング牧師などによる公民権運動の高まりを待たなければならなかった。ケネデイが暗殺された後、ジョンソン大統領になって、「公民権法」CIVIL RIGHTS ACTがようやく制定されたのが、1964年7月2日だ。
それまで南部のジョージア州、アラバマ州、ミシシッピー州などでは学校、図書館、交通機関、トイレ、ホテル、レストランなどで、公然と人種分離が行われていた。
公民権法で差別が禁止されたあと、現在でも国勢調査(2017)によると、年収$24858以下の貧困ライン家族は、白人家族に比べ黒人家族は2,4倍を高く、明らかに経済格差が認められ黒人家族の貧困率は高く、犯罪率も高く、教育水準は低く、格差がある。

そういった不合理な社会で異なった皮膚の色、異なった教育背景を持つ二人の人間が、はじめは衝突し憎み合うが、過酷な旅を続けるなかで互いに理解を深め、最後には無くてはならないほどの関係になる、という、感動モノの映画がたくさんある。
古くは「手錠のままの脱獄」のトニー カーチスと、シドニー ポアチエ。「ドライビング ミスデイジー」は何度も芝居にも映画にもリメイクされたが、ジェシス ダンデイとモーガン フリーマン。「48時間」のニック ノルテと、エデイ マフイ。「レサル ウィポン」のメル ギブソンとタミー グラバー。「メン イン ブラック」のトニーリージョンズと、ウィル スミス。「パルプ フィクション」のジョン トラポルタと、サミュエル ジャクソン。「ブラックKKK」のアダム トラバーとジョン デヴィッド ワシントン。この2018年の映画は、ベンゼル ワシントンの息子ジョンデヴィッド ワシントンのデビュー作だ。父親のようにハンサムでなくて、背の高くなくてちょっとがっかりだけど、相手役のアダム トラバーが冴えた演技を見せてくれた。

こうした、二人の人間が肌の色や社会的背景の違いを越えて親友同士になったというストーリーは 美しく納得もしやすく、感動もする。でもそれだけで差別が乗り越えられたと、思い込むのは早とちりというものだ。
現にこの映画でも、実際のドクターシャーリーの姪と言う人が、この映画は白人の側から白人の視点で都合よく作られていると、厳しい批評をしている。実際のドクターシャーリーは、2013年に86歳で亡くなったそうだが、彼の人生は醜い人種差別への挑戦であって、映画で語られた何十倍もの重圧の中で苦しみの多い人生だったと思う。映画でも、音楽仲間がニューヨークでコンサートをしていれば良いものを、人種差別の激しいアメリカ南部にあえて出かけて行ってコンサートをするのは彼の挑戦であって、世界を変えたいと彼が思っているからなんだ、と言うシーンがある。良い意味でも悪い意味でも良家に生まれて、天才ピアニストとして成功した世間知らずの芸術家が「人は変われる」と信じて、自分という例がアメリカ社会の人種差別の根を根絶させることができると夢みた結果、どれだけのバックラッシュを受けなければならなかったか。映画の中でも何度も命の存続危機に襲われる。アラバマ州のあるステージでは、ナットキング コールが観客からステージを引きずり降ろされ殴られたというエピソードでは、人の心の闇を見る想いだ。ドクターシャーリーの姪の映画に対する批判を、しっかり聴かなければならない。映画の中で、ドクターが大雨の中でトニーの車に乗るの拒否して、I ’M NOT ENOUGH BLACK、 I ’M NOT ENOUGH WHITE、WHERE AM I? と叫ぶ姿が忘れられない。黒人でも白人でもない。自分の居場所はどこなんだ。血を吐き出すような、魂の叫びだ。

この映画の良さは二人の役者の優れた演技によるものだ。
粗忽もの、教養のみじんもないイタリア移民を演じたビゴ モータンセンは60歳のオランダ系アメリカ人。「ロード オブ リング」(2001、2003,2005)のアラゴン役でおなじみの顔だ。「キャプテン ファンタステイック」(2016)でノーマ チョムスキーを信奉する7人の子供の父親役が印象に残っている。本人はデニッシュ、フレンチ、スパニッシュ、イタリアン、ノルウェデイアン、スウェデッシュ、カタロニアンまで自由自在に使うことができる人で、役者、プロデユーサーだけでなく作家、詩人、画家、音楽家としても活躍している多才な人なのだそうだ。興味深い。

ドクターシャーリーを演じたマハーシャラ アリは2016年アカデミー作品賞を獲得した映画「ムーンライト」で、アカデミー助演男優賞と、ゴールデングローブで助演男優賞を受賞したばかりの人だった。モスリムで初めてアカデミー賞を受賞したことで話題になった役者だ。「ムーンライト」で心を閉ざした少年を庇護する素敵な男を演じたこの人が、この映画の天才ピアニストのドクターだったとは、全く気が付かなかった。まして「ベンジャミンバットんの不思議な一生」(2008)にも出演していて「ハンガーゲーム」(2015)にも、「HIDDEN FIGURES」(2016)にまで主役にプロポーズするかっこよい男が、この人だったなんて、全く気が付かなかった。どこを見てたんだ。この役者が変形自在で、役になり切った居るから、素顔が見えないのだと思う。この映画で、ピアニストを演じているが、どこからみてもこの人が本当に、ピアノを弾いているとしか見えない。美しい長い指で、本当に弾いている。自分も楽器を弾くから素人の役者が楽器を弾くシーンでは、弾いている振りをしても、音を出していないと、すぐ見破れる。メリル ストリープがバイオリンを弾くシーンなど、弾くマネが下手で大笑いしてしまった。でも、今回の映画シーンで、この役者、本当にショパンを弾いている。おまけにジャズまで自在に弾いている。これが役者の数か月の訓練だけで演じていたのだとすると、信じられないけどすごい役者だ。恐れ入る。

ビゴ モータンセンとマハーシャラ アリ二人の熟練役者なしに、この映画に価値は出なかっただろう。アカデミー賞候補として話題になり始めて、監督がセクシャルハラスメントで結構破廉恥なヤツだったとやり玉にあげられたり、ビゴが黒人をさす禁止用語をポロっとインタビューで口を滑らせ、その場が凍り付いたこともあって、一昨年マハーシャラ アリがアカデミー賞を取ったばかりだし、この映画 今年のアカデミーはだめだろう。でも心温まる映画であることは確かだ。見て損はない。サム スミスによるサウンドトラックも素晴らしい。3月1日公開。


2019年1月8日火曜日

ドイツ映画「女は二度決断する」

ドイツ映画
原題:「AUS DEM NICHTS」
英語題名:「IN 'THE  FADE」(薄らいでいく、ゆっくりと姿を消す、の意)
監督:ファテイ アキン
キャスト
ダイアン クルーガー:カシャ
デニス モシット  :ダニエル 弁護士    
ヌーマン アチャル :ヌリ カシャの夫
ラファエル サンタナ:ロッコ カシャの息子
ヨハネス クッシン :アンドレ ミラーの弁護士
ウルリッヒ トゥクル:アンドレの父親
ウルリック ブラントロフ:アンドレ、極右ナチ信奉者
ハンナ ヒルスドール:エダ アンドレの妻
2017年ゴールデングローブ最優秀外国語映画賞受賞
第70回カンヌパルムドール候補作
第90回アカデミー外国語映画賞候補作

ストーリーは、
ドイツ、ハンブルグの街
トルコの少数民族クルドからドイツに移民してきたヌリは、ドラッグデイラーの罪で、4年間刑務所に居た。刑期を終えた後、ドイツ人カシャと結婚し、小さなオフィスを借りて税務士の手伝いと、通訳をしていた。美しい妻と6歳の息子が自慢だ。郊外に家を持ち幸せな家庭を築いていた。
ある夕方、妻のカシャは昔からの女友達と会うために、息子のロッコを夫の事務所に預けて出かける。事務所を出たときに、若い女が真新しい自転車を道に置いて立ち去るのを見て、声をかけた。自転車に鍵かけないの?若い女は笑って、すぐ戻るから大丈夫と言って姿を消した。カシャは、女友達と会い、しばらくして帰途に就くと、事故で道が遮断されている。見ると夫の事務所が、何者かによって爆破され死傷者が出ているという。夫とは連絡がつかない。死者の身元が不明だと聞いて、カシャは、警察に遺体を見せてほしいと言うが、遺体は損傷が激しく、人の形をしていない、と言う。警察は身元確認のためにカシャの夫と息子の歯ブラシをDNA検査のために持っていき、やがて2つの遺体は、カシャの夫と息子のものだったことが判明する。

警察は爆弾犯人が、東欧からきたギャングによるものか、夫のヌリにドラッグの犯罪歴があることから、ドラッグをめぐるマフィアの争いだと決めつける。担当刑事はカシャ自身がマリファナを常用していることを知って、ドラッグがらみの事件として処理しようとする。彼は、夫が頻繁にドラッグデイラーと連絡を取り合っていた証拠をカシャに見せる。しかしカシャは、事務所を出たとき、若いドイツ人の女が置き去りにした新品の自転車の荷台に爆弾が仕掛けられていたに違いないという確証があった。カシャは極右ナチ信奉者によるテロではないかと疑う。これはナチのヘイトクライムではないか。

最愛の夫と息子を奪われ、遺体をトルコに持っていきたいと主張する夫の両親を遠ざけたあと、カシャは一人きりになり、風呂場で両手首にカミソリを当てる。しかし意識が途切れる前に、弁護士からメッセージが携帯に送られてきて、カシャが予想した通りに、爆弾犯人は極右ナチの仕業で、すでに犯人が逮捕されたという。カシャは自殺するのを中止して裁判で犯人たちと正面から向き合うことにした。
裁判所でカシャは、夫の事務所前に自転車を置き去りにした女と、その夫アンドレというナチ信奉者が、爆弾を仕掛けたことを知る。長い公判中、夫と息子が爆破によってどんな死に方をしたかを知らされて傷つく。一方、爆弾犯人容疑者たちが、当日ギリシャに居たという証人が現れる。テロリスト側のアンドレの弁護士は、カシャがドラッグユーザーであることから、爆弾の入った自転車を見たというカシャの証言に信ぴょう性がない、と主張する。爆弾に使われたクギや肥料と全く同じものが、容疑者のガレージから発見されても、他にカシャの言うような自転車を見た人が現れない。遂に出た判決は、無罪。アンドレ ミラー夫婦は釈放される。

カシャは居たたまれない。夫と息子の死につぐないは無い。カシャは、ミラー夫婦がギリシャで宿泊していたというホテルに行く。そこは極右ナチ団体の根拠地だった。やはり公判での証言は嘘だたのだ。カシャは爆弾を作る。それを胸に抱いて、ミラー夫婦がいる車に入り込み、、、。
というお話。

監督ファテイ アキン44歳は、トルコ系ドイツ人。移民の街、ハンブルグで生まれ育った、硬派の社会派監督だ。社会的弱者に光を当てる作品を作って来た。若いころ DJで、生計を立てていたそうで映画の中の音楽の挿入の仕方や、バックグランドミュージックの使い方が秀逸だ。映画のはじめで、ヌリの出所と、それをウェデイングドレスで出迎えるカシャの場面が感動的だ。出獄を待ち望み、結婚を待ちきれない二人の喜びが、「マイガール」の歌とともに広がって、隅々まで幸福感で満ち溢れる。大音響のマイガールの歌が心地よい。音の使い方が、すごく上手だな、と思う。
で、つぎの瞬間に、眼鏡をかけた首の白い、ひょうきんで、もう100%愛らしい6歳のロッコの顔が大写しになる。街の騒音、人々の喧騒。音感の良い、音楽センス抜群の監督による映像が小気味良い。良いメロデイーを映画に取って付ける、ということではなく、映画作りには、良いリズム感が必須だということがよく解る。

この作品でダイアナ クルーガーは、ゴールデングローブ主演女優賞を獲得した。自身がドイツ人で、この映画の舞台となったハンブルグから遠くない街で生まれて育ったという。時間に正確で厳しい、責任感が強く、几帳面に仕事をきっちり仕上げる、など、日本人に似たドイツ人気質が、この映画にも表れていて、「自分のルーツに立ち返ることができた。」と言っている。ドイツ語という自分の言葉でドイツ女を演じることは、ハリウッドで活躍する彼女にとっても,大切な映画になったことだろう。撮影が始まる前の半年間、テロや殺人にあった被害者家族、30家族に次々と会って話をじっくり聞くことによって、夫と息子を失う役柄を考えた、という。意志の強い頑固な顎の張った四角い顔、大きな手、強靭なパワーを持った細身の体のダイアン クレイガーは適役だった。

もう一人印象的な役者は、爆弾犯アンドレ ミラーの父親役を演じたウイルリッヒ トウクル。ガレージで爆弾を作ったらしい息子を警察に通報して逮捕のきっかけを作った。実直で常識を兼ね備えた知識人の父親が、息子がナチに心酔していることに悩み、自分を責め、息子が極刑の受けることを覚悟で警察に突き出す。そんな哀しい父親をよく演じていた。怖れと恥とで歪んだ父親の顔。公判の休憩時間に、カシャが父親に近ついてタバコの火をもらう。互いに見つめ合うが言葉が続かない。カシャの犯人への憎しみと怒りを、苦しむ父親にむけることができない。このシーンが、カシャの最後の決断に大きく左右する。
息子は血も涙もないテロリストだが、息子を警察に突き出した父親は勇気のある立派な人間だ。カシャがナチ信奉者のテロに対して、テロで返答すれば、自分がナチ信奉者と同じレベルの卑劣な人間になってしまう。しかし、彼らのテロを赦して、そのまま生きていくことはできない。この父親のような人間になるのはどうしたら良いのか。憎しみゆえの復讐はどこまで許されるのか。人が人であるために、どこまで人は赦されて良いのか。

極右ナチ信奉者夫婦に無罪判決が言い渡された後、カシャは自分の脇腹に彫ってある武士のタツトウに加えて、武士が鮮血にまみれている姿に彫ってもらう。義憤と胸の痛みをタットウを彫る痛みで中和するかのようだ。余談だけど、この武士は三船敏郎にとても似ている。ファテイ アキン監督が黒澤明監督を尊敬していることが、よくわかる。

カシャは爆弾を一度は、憎いミラー夫婦の車の下に仕掛けるが、気を取り直してとりやめて、数日後に、爆弾を身にまとって犯人とともに自爆する。自分という犠牲なしに人を殺すことができないといったカシャのギリギリの人としての判断だった。
カシャは夫と息子の死に会って、生理が止まっていた。それが、ギリシャに犯人を追ってきてミラー夫婦を抹殺することに決めて行動に移そうとしているときに、生理が始まる。生理は命の再生であり、希望の兆しだ。夫と息子を奪われて、長い時間が経過した。カシャの底のない絶望に、わずかな回復の兆しが時間と共に表れて来ていたのだ。カシャが、その気にさえなれば、再び生き直すことができる。カシャには自分の命を再生する力が生まれて来ていたのだ。
しかしカシャはそれを拒絶する。亡くなった夫と息子に忠誠を誓うかのように後を追う。夫と息子への愛に純粋で誠実でありたいために。またミラー夫婦の父親の判断に恥じない自分でありたいために、ただの復讐ではなく、正義の名のもとにカシャは決断を下す。

法廷で死亡者ロッコの解剖所見が読み上げられた。爆破で6歳の子の胸に5寸クギが無数に突き刺さり、爆破熱によって皮膚は溶け、高熱を吸った肺は焼けて呼吸が止まり、眼球は溶けて無くなり、手足はちぎれて数メートル先に飛び、、、担当者は淡々と読み上げる。
カシャは、母親として自分の分身だった息子が最後に体験したことを、同じように自分も追体験せずにはいられなかったのだ。それが親というものだ。カシャの決断を誰が非難したり、否定できるだろうか。哀しい映画だ。





2018年12月25日火曜日

2018年に観た映画ベストテン

第1位:希望のかなた(The Other side of Hope) アキ カウリスマキ監督
第2位:スリービルボード(Three billboards ) マーチン マクトナー監督
第3位:華氏119     マイケル モア監督
第4位:かぐや姫 スタジオジブリ 高畑勲監督
第5位:アリースター誕生  ブラドリー クーパー監督
第6位:クレイジーリッチ アジアン ジョン M チョウ監督
第7位:ファンタステリックビーストと黒い魔法使いの誕生 デヴィッドイエッツ監督
第8位:ジェラシックワールド炎の王国  ステブン スピルバーグ監督
第9位:COCO アニメーション リーアンクリッチ監督
第10位:FERDINANDO アニメーション カルロ サルダンハ監督
           

第1位:「希望のかなた」は、このブログの4月1日に映画紹介と詳しい評価を書いた。このアキ カウリスマキ監督はいつも社会の底辺に生きる、名もなき労働者、移民、難民に照明をあてて、それらが現実社会で蟻のように踏みにじられる姿を映し出している。シリアから命からがら逃げ延びてヨーロッパに渡って来た兄妹が、警察や入管局やネオナチの襲撃から、言葉を絶するような酷い目に遭いながらも、自分達の志をもち、一歩も譲らない。映画の中で、苦い笑いや、真剣なのに思わず愉快に笑ってしまう人間性や、時代遅れのおっさんたちの奏でるロックが出てくる画面をみながら、社会派監督のメッセージが確実に伝わって来る。2017年に観た映画ベストワンは、同じく社会派監督代表のケン ローチによる「私はダニエルブレイク」だった。今年のベストワンは アキ カウリスマキ。ゴダールやアントニオーニやパゾリーニが居なくなり、この二人の様な正統的社会派の監督が作品を作り続けてくれて嬉しい。

第2位:「スリービルボード」は、1月14日に、このブログで映画の評価を書いた。娘をレイプ、誘拐され殺された母親の火のような怒りが大爆発する。クレモンの映画館で映画が終わった時、爆発のように女客たちの拍手が沸き上がり、みんな涙を浮かべてしばらく拍手が続いた。母親としての共感が波のように押し寄せていて、見知らぬ人同士で抱き合ったり顔を見合わせたりしながら、しばらくは拍手が鳴りやまず会場から出ていく人も居なかった。こんなすごい経験は初めてだった。

第3位:「華氏119」マイケル モアによるドキュメントで、フイルムの紹介はブログで11月17日に書いた。独自の取材方法で精力的に社会を告発する。得難いジャーナリストだ。

第4位:「かぐや姫」スタジオジブリの映画を、娘婿がダウンロードして見せてくれた。自然児、かぐや姫(タケノコ)が、野山を駆け回り、ステマル兄ちゃんに恋をする。互いにそれが恋と知らずに、最後には1度だけ結ばれて本当に嬉しかった。素晴らしいアニメーションだ。

第5位:「アリースター誕生」この評価は10月30日にブログで書いた。SHALLOWの曲を始め、映画のために作られたオリジナルの曲がどれも良くて、心にいつまでも残っている。

第6位:「クレイジーリッチ アジアン」については9月15日に書いた。ハリウッドではもうチャイニーズの資金や人材なしに映画を作ることが難しくなり、興行成績もチャイニーズ顧客なしに立ち行かなくなってくる。そういったチャイニーズパワー予兆を、チャイニーズ監督によるチャイニーズ役者だけで映画を作ることで、しっかりみせてくれた。

第7位:「ファンタステイックビーストと黒い魔法使いの誕生」は、JKローリング原作。ハリーポッターが生まれる以前のダンブルトン校長先生や、グリンデルバルドが出てきて、物語が広がってきて目が離せない。主役のエデイ レッドメインがチャーミング。頼りないが、愛すべき魔法動物学者がハラハラさせてくれる上、意表を突くような沢山の魔法動物が登場して、楽しい。

第8位:「ジェラシックワールド炎の王国」では’映画評を8月4日に書いた。いまだに地震で沈んでいく島に取り残された大型草食恐竜アパルトサウルスが、連れて行って、連れて行ってと叫ぶ様子が目に焼き付いていて哀しい。

第9位:「COCO」は2018年アカデミー賞ベストアニメーション賞作品。テーマソングの「リメンバーミー」がいつまでも記憶に残っていて、亡くなった先祖を思い、思い出を大切にする心を教えてくれる。

第10位:「フェルデイナンド」は、スペインを舞台にしたアニメーション。8歳と10歳のマゴと一緒に観たが心優しい牛と少女の美しい物語に私の方が夢中になった。映像が美しく、登場する人と動物たちの表情の豊かさに心を奪われた。

2018年12月24日月曜日

是枝祐和の映画「万引き家族」

                  
私は1987年から1996年までフィリピンで夫の赴任のために家族で暮らし、そのまま帰国することなく、オーストラリアに移住した。22年経つから、30年余り日本で暮らしていない。だから、日本の貧困が実感として全くわかっていない。
1970年代、どんなひどい麻雀学生でも、ベトナム反戦運動で授業に出る暇のなかった学生も、みな結構大手のマスコミや企業に就職していたようだし、コネのない自分でも見栄も外見も気にしなければ食い詰めることはなかった。逮捕された友人たちの保釈金もバイトで作ることができた。朝鮮特需、ベトナム特需で他国の戦争を食い物にしてきた日本経済は、好調で仕事はいくらでもあったし、どんな馬鹿でも就職できた時代だった。

パリ大学の経済政治学者トマ ピケデイも言うように、資本家が十分以上に収益を得た好景気の時期には、賃労働者にも配分が充分行き渡る。好景気の下では、労働者が平均以上に生産性を上げ、配分も多く得られる。本来資本家と賃労働者の利害は対立するが、それでも余るほどの需要供給に見合う生産があったのだ。ただし好景気かどうかに関わらず、賃金格差は拡大する一方で、今後の世界経済に希望はない。資本主義社会が続く限り貧富の格差は開く一方で、庶民が貧困から脱却できる方法はない。
90年のバブル崩壊、2008年リーマンブラザーズに始まる米国の株暴落により、日本の不況はすでに20年続いている訳だから、日本社会の貧困の進行、こどもの飢餓、老人年金の減額など理屈ではわかるが、じっさい記録を読むとびっくりする。

日本全体で非正規雇用者が2000万人を超えて、全労働者の約40%を占めているという。年収200万円未満の人が1000万人を超え、生活保護受給者が215万人、貧困ラインの人は2000万人。何よりも驚くべきことは、貧困者の10%しか生活保護を受けられずにいるというのだ。福祉行政官は何をやっているのか。福祉行政に関わるものたちは、10%の人だけ生活保護するだけで平気でいるならば、自分たちは10%分の仕事しかしていないことになる。それならば、福祉行政官たちは、90%のサラリーを返上するべきではないか。
地域の福祉行政担当者は10%の仕事しかしていないことを恥じて、障害のために役所まで行って書類を記入できない人、知的障害のために生活保護申請ができない人、学校にいけない子供、充分食べられない子供を探し周り、発掘するために足を棒にして探し回るのが仕事ではないか。そんな思いで、頭に血が上っているときに、この映画が、シドニーでも上映されたので観て、さらに怒っている。偽政者は、貧困を社会現象にするな。

邦画;「万引き家族」
映画タイトル:「SHOP LIFTERS」       
監督: 是枝祐和
カンヌ国際映画祭2018パルムドール受賞作品
キャスト
リリーフランキ―:柴田治
安藤サクラ:柴田信代 治の妻 
樹木希林 : 柴田初枝 治の母
松田茉優 : 柴田亜紀 治の義妹
城檜吏  : 柴田翔太
佐々木みゆ: ゆり
柄本晃  :山戸頼次 駄菓子屋主人
ストーリー
東京荒川区にある古い平屋。
年金生活をしている初枝の家には、日雇いで働く息子の治とその妻、信代、信代の妹の亜紀、そして息子の翔太が一緒に暮らしていた。初枝の年金と、息子の日雇い収入と、妻がクリーニング屋に勤める収入を合わせても、生活していくには苦しく、家族は足りない分は治と翔太とで万引きをして工面して生計を立てていた。
初枝には、むかし浮気をして出て行き、再婚して別の家庭をもち、いまは裕福に暮らしている息子夫婦が居るが、その家に毎月通って「慰謝料」をせしめていた。彼女がパチンコ屋に入れば他人の箱を盗んで平気でズルをする。
息子の治は、日雇いにあぶれた日は、翔太を連れて万引きに出かける。治は翔太に、店の商品はまだ誰にも買われていないのだから誰のものでもない、と言って万引きが罪ではないと言って聞かせ、学校は学校に行かなければ勉強できない馬鹿の行くところだ、と説明して学校に行かせないでいる。
信代の妹、亜紀は風俗営業で身を立てている。

ある冬の夜、治と翔太はアパートのドアの外で寒さに震えている小さな女の子を見つけて家に連れて帰る。ゆりの体に無数の体罰の跡をみつけた家族は、家に帰りたがらないゆりをそのまま自分の家の子供として引き取ることにする。貧しくても心の通った優しい家族。

冬が過ぎ、夏には家族で海に行って海水浴を楽しんだ。それを最後に年には勝てず、初枝は亡くなる。葬儀代を出せない家族は、遺体を床下に埋める。初枝の年金はそのまま、嫁の信代が引き出して何事もなかったように生活を続ける。
しかし翔太は、初枝のへそくりを見つけて大喜びする両親の姿や、車の窓を破り車荒らしする父親を見て、徐々に疑問をもつようになる。ある日、万引きをした駄菓子屋の主人に、妹にだけは万引きをさせてはいけない、と言われたあと、ゆりがスーパーで万引きを真似しようとしたので、わざと自分が捕まるように派手に店のものを奪って逃げ、追われて道路から落ち怪我して病院に運ばれる。

家族はこれを知って、家族の秘密が漏れることを怖れて、荷物をまとめて逃亡しようとしたところで警察に逮捕される。初枝を埋葬しなかった死体遺棄、ゆりを家に連れて来た幼児誘拐、初枝の年金を受け取っていた横領、翔太を学校に行かせなかった保護者責任放棄、罪状は限りなくある。信代が一人で犯罪を犯したことにして、信代は刑務所に入り、翔太は施設に保護され、学校に通うようになる。亜紀もゆりも家庭内で児童虐待をされていたと思われる両親のもとに戻る。
治と信代とはむかし暴力をふるう信代の夫を殺害して死体を遺棄した罪で、治だけが罪をかぶり刑務所で刑期を収めた過去がある。そんな夫婦に同情した初枝が、息子として治を自分の家に住まわせるようになったのだった。そこに初枝のもと夫が残した息子夫婦の娘、亜紀が加わり、パチンコ屋の駐車場で車の中に置き去りにされていた翔太が家族に加わり、さらにゆりが連れてこられた。6人は全員が全く血のつながりのない擬似家族だった。

1年経ち、信代の依頼で、治は翔太を連れて刑務所に面会に行く。そこで、信代は厳しい顔で翔太に、松戸のパチンコ屋の駐車場から翔太を連れて来たことを話し、その車のナンバーを伝える。これで翔太は、望むならば本当の両親を探し出すことも出来る。
その夜、翔太は治に、自分が病院に送られた時、自分を置いて逃げようとしたのかどうかを問う。治はそうだと言い、そんな自分を恥じ、これからは、「とうちゃんじゃなくて、自分は翔太のおじさんにもどる」、と言う。翌朝,翔太は治にむかって「自分はあのときわざと捕まったのだ。」と告白してバスに乗り込む。去っていく息子を必死で追いかける治、、、その先にもう息子は居ない。
というストーリー

是枝監督は、「血縁がつながっていない共同体というモチーフをここ10年追いかけて来た。」と言う。私が観たのは「誰も知らない」と「「そして父になる」2013。「誰も知らない」では無責任な夫婦によって戸籍のない3人の子供達が世間から隠れて生きざるを得ない姿に胸が締め付けられるようだった。「そして父になる」では赤ちゃんの取違いで苦しむ親たちよりも、そういった苦しむ親の姿に翻弄される2人の息子たちが痛々しくてたまらない思いだった。
今回、カンヌ国際映画で最高賞が与えられ、文部科学大臣が監督に会いたがったが、是枝監督が「公権力とは潔く距離を保つ。」と言って会見を辞退したと聞く。確かに国の教育普及、科学技術向上、文化財保護などを担当する役人から「おほめをいただく」必要など全くない。役人が真面目に仕事をして、児童に十分な保護と福祉対策を講じ、必要としている家族に生活を保障していれば、このような映画は作られていなかった。

子供を作る能力がないうえ、受刑して婚期を逃した治には、家庭を持って子供を育てたいという願いがとても強かった。また、夫から暴力を受け、まともな結婚生活を経験していなかった信代も子供を育てたい母性本能が強かった。なによりこの夫婦にはあたたかい家庭が欲しかったのだ。独居老人、初枝の寂しさと優しさが、治と信代夫婦につながり、不幸な子供達が集められて偽装家族が形成された。福祉政策や教育行政に血が通わないかぎり、このような家族や子供達があちこちに多発しても不思議ではない。生活保護を必要とする人々の90%が、保護されていないような現状では治家族のように生きる人がでてきてももんくを言えない。

それでも私は「どうして翔太を学校に行かせなかったのか。」と腹を立て怒りでいっぱいになる。治も信代も初枝も自分達だけは、曲りなりにも学校教育を受けたのに、どうして翔太に教育の機会を与えなかったのか。治にとって学校は「学校に行かなければ勉強できない馬鹿が行くと所」だったかもしれないが、そういった結論を出すのは翔太ではないか。治では断じてない。子供は社会的な動物だ。親だけの力で大人になることはできない。優しさでつながりたかった治は、結果として翔太が学校に行く選択の機会を奪い、翔太の個人としての自由と尊厳を踏みにじり、教育を受けるチャンスを奪った。このことは、老婆の死体を床下に埋めたり、万引きで食いつないだり、家庭内で暴力をふるうことよりも、ずっと罪深い。ラストシーンで、去っていく翔太を乗せたバスに、治が追いつくことは決してない。

映画のキャッチフレーズが、「盗んだのはきずなでした。」ということになっているが、「きずな」はそれほど大切か。人は優しさだけでは生きていけない。思いやりだけではつながっていられない。だいたい「家庭」で、傷つかずに育ってきた人がどれだけいるだろうか。子供にとって、物理的なせっかん、教育と言う名の暴力、明白な男女差別、長男特別扱いによる順次差別、他児と比較して選別に欠け、競争に駆り立て、ネグレクト、子供の意志を踏みにじり、捻じ曲げ、押さえつけ、屈服させ、子供の人生に介入して破壊する。こういったネグレクトの全部、過酷な人権無視を、優しさと善意で行なっているのが「家庭」ではないだろうか。子供時代の私にとって家庭は、権力者によって日々屈服させられる拷問でしかなかったし、大学入学と同時に家出したころは満身創痍、傷だらけだった。父にも母にも姉にも兄にも個人として尊重された日は一日もなかったと断言できる。

国家という組織が軍事力を背景に権威によって個人を収奪する暴力装置だとすると、「家庭」は最も小さな単位の、親という権威による支配構造を形造っている。家庭とは国家の末端に属する暴力装置だ。 
物理的にも経済的にも子供を完全支配する力を持つ親は、しかし、だからこそ権力者になってはいけないのだ。子供を玩具にしてはいけない。子供を支配してはいけない。
「家庭」よりも「個人」がひとりひとり良き人間として生きること、まっとうな生き方をする努力を続けることが大切なのではないか。強い個人が居て、初めて他人を尊重できる個人との関係が構築できる。真面目に学び、真面目に働き、心から人を愛し、愛するのもをいつくしみ大切にする、そのような強い個人が確立していなければ家庭は作れない。
権力構造を持たない家庭を作ることはたやすいことではない。何時壊れても、再生出来る家庭、流動体でボスのいない家庭。強い個人と個人の結束によって形作られた家庭。
互いのリスペクトによって結び合うことのできる家庭。そういった家庭を私は夢見る。
良い映画だが、考えることの多い映画だった。

2018年12月12日水曜日

エルミタージュ美術館モダンアート展

ペテルスブルグにあるエルミタージュ美術館は、一度は行ってみたい美術館だ。
1754年ロシア女帝エカリーナ2世が命じて、1762年に完成したバロック様式の華麗で壮大な城だ。ペパーミント色の外壁が美しい。建立当時の外壁はライトイエローだったそうで、第2次世界大戦中は、空襲を避けるために灰色に塗り替えられたという。(どんだけペンキが要ったのか)部屋数が460室もあり、大きな中庭を囲んで正方形の形をした冬宮に、居住したエカリーナは、移り住むとすぐにベルリンの美術収集家から225点の絵画を購入したという。

エルミナージュ美術館は、その冬宮と、小エルミタージュ,大エルミタージュ,新エルミタージュとエルミタージュ劇場の計5つの建物を言う。美術品の展示室1500室、古代エジプトの美術からラファエロ、ダヴィンチ、ベラスケスから、モネ、セザンヌ、マテイス、ピカソまで300万点を収蔵する。厖大な作品数なので、イヤフォン式の解説を聴きながら順序良く見て行くと少なくとも10時間、20キロの道のりを歩くことになるそうだ。スケボを持って行かないといけないな。

シドニーニューサウスウェルス州アートギャラリーで、これらのエルミタージュ美術館から、65点のモダンアート作品が貸与されて、展示会が始まったので見に行ってきた。ロシアの美術収集家、セルゲイ シチューキンと、イワン モロゾフの二人が収集した作品が展示されている。
オーストラリアにこれらの作品がやってくる先立って、2016年10月から2017年3月までパリの ルイヴィトン財団美術館でセルゲイ シチューキンの収集した作品展が開かれている。これを、シチューキンの孫で、相続人に当たるドエロク フルコーが監修した。エルミタージュ美術館から100年余りの間、外国で公開されることのなかったシチューキンの収集作品が公開されるということで、大変な人気となって、ルイヴィトン美術館の斬新な美術館の話題性もあって、60万人を超える入場者を記録して、2月に終了する予定が急きょ3月まで会期を延長されたという。
このときは、シチューキンの収集作品274点のうち、130点が渡仏した。展示されたのは、モネ、ドガ、セザンヌ、ゴーギャン、マテイスなどすべてパリで活躍した画家たちの作品だ。ロシア人美術収集家シチューキンは、まだ画家として実力を認められていなかった、マテイスとピカソに作品を依頼し、購入し収集したことで、彼らの生活を安定させ、国際的な認知を高めた。ピカソをシチューキンに紹介したのは、マテイスだった。マテイスとピカソ二人にとっては、シチューキンは、いわば育ての親とでもいえる役割を果たしたことになる。それにしてシチューキンの収集作品展に60万人が美術館を訪れたとは、パリっ子って美術好きなんだな。それとロシアがヨーロッパの一部で、フランスとは地続きだったということを改めて認識する。

かつては教会と王侯貴族がパトロンとして画家や音楽家たちの生活を支えた。しかしその後のモダンアートに時代になると、パトロンは富裕層ブルジョワに移り変わる。セルゲイ シチューキンもイワン モロゾフも革命前に織物業で大成功した実業家だった。モスクワのボリショイ ズメナンスキー通りに立派な屋敷を持っていたシチューキンにとって、定期的に夜会やお茶会を開催をするため、身分にふさわしい屋敷に飾る絵画が必要だった。確かに19世紀までのヨーロッパを舞台にした小説などを読むと、招待客が屋敷に招き入れられたとき、入口に飾ってある絵画で、その屋敷の主の教養が知れてしまうシーンが出て来て興味深い。日本だったら掛け軸、花器、とかお茶わんだろうか。ブルジョワが芸術を理解する教養がなければならなかった古き良き時代の話だ。
シチューキンは51歳のときに息子が自殺し、2年後に妻が病死し、失意のうちにひとり絵画に囲まれて暮らしたが、1917年のロシア革命によって、ボルシェビキにすべての美術品を没収されて、自身はパリに亡命し、パリで没した。

1917年のロシア革命は、人類史の中で最もダイナミックな歴史の動きの一つで、この時代に人々がどう生きたか、興味が尽きない。レーニンとクレプスカヤが、大混乱の中で何を思ったか、ツアーの家族たちがどう処分され、貴族の子供達がどのように命を長らえたのか。

宝石で有名なテイファニーも、フランス革命がなければ宝石商として成功しなかった。パリ2月革命で、宝石よりも命からがらパリから脱出するための資金を必要としたフランス貴族たちからテイファニーは、希少価値のある極上の宝石を手に入れたことで、商売を成功させる切っ掛けを作った。

私の子供の時のバイオリンの小先生は村山先生といったが、大先生はアンナというロシアから亡命してきたもと貴族の末裔だった。そんな話を、むかしマニラでフィリピンフィルハーモニーの音楽家たちと雑談していたら、「おや、僕のピアノの先生も。」「へー、僕のチェロの先生もロシア貴族の末裔だったが、晩年は一人きり誰にも看取られずに亡くなったんだよ。」と何人もの楽士がロシア人の名前を言い出した。ロシア革命で国境を越えてヨーロッパやアジアに逃れて来た貴族たちが彼らの「たしなみ」のひとつだった音楽によって他国で身を立てなければならなかったというロシアの歴史が、急に身近に感じられた瞬間だった。

ところでエルミタージュのシチューキンの収集作品展だ。
マテイスの作品を収集したシチューキンだが、マテイスの代表作「ダンス」と、「音楽」は、海を渡ってオーストラリアには来なかった。この二つの作品はシチューキンが自分の屋敷に入って真正面にある階段に飾るためにマテイスに描かせたもの。2017年パリのルイ ヴィトン美術館にも来なかった。マテイスも、ピカソも保存状態が良くなくて輸送できないのだそうだ。
フェルメールやレンブラントなどオランダやイタリアの画家たちは、職人として自分の作品に絶えず色を重ね塗りし続けていたので、保存状態が良く輸送にも耐えられる。しかしモダンアートでは、作家が常に新しい事に挑戦する前衛でなければならないので、作品を次々と発表する必要があり、昔の作品を手直ししたり、メインテナンスしないようになったからなのだそうだ。だから、エルミタージュにあるマテイスやピカソなどモダンアート作品はこれからも、外国美術館には 貸与されないかもしれない。「音楽」と「ダンス」を見たかったらぺテルスブルグに来なさいということだ。

今回の展示では、マテイスの「ボール遊び」1908、「ニンフとサテュロス」1908、「ひまわり」1899、「テラスの女性」1907、「赤と黒のカーペット上の皿とフルーツ」1906を見ることができた。
でも私はマテイスの作品では、後期の作品で彼がニースに移ってからの、明るく楽しい作品が好きだ。だから今回の展示作品でマテイスの作品では、好きな絵が一枚も無かった。ギリシャ神話に出てくる黄金時代の3人の男がうなだれて、何がおもしろくないのか知らないけれどボールゲームしている「ボール遊び」も、ギリシャ神話の欲情の塊、サチュロスがニンフを言うままにさせようとしている「ニンフとサチュロス」、しおれた「ひまわり」などなど、、、「あなたの居間にプレゼントしたい」と誰かに言われても、「要らない」というかも。

気に入った絵は、セザンヌの「静物画」1880、ゴーギャンの「マリアの月」1899、ピサロの「モンマルトルの午後の陽」1897、それとピカソの「扇を持った女」1908.
ピカソのこの作品は、まるい女の顔、まるい乳房、直線の四角い椅子、直線の背景。女の強い意志と、そこに居る存在感が強力なエネルギーを発していて素晴らしい。

面白かったのは、フイルムだ。
真っ暗な部屋に3面の大きなスクリーンがあって、右面のスクリーンでは、シチューキンに扮した役者が自分より20歳若いマテイスの魅力について語っている。向かいのもう一つのスクリーンでは、マテイスが自分の芸術的な視点につて語っている。正面の大きなスクリーンではマテイスの「ダンス」なみにほとんど裸のような姿で数人の男女が手を取り合って踊っている。音楽は古楽器。男女が音楽に合わせて踊る背景にマテイスの作品が次々と写される。自信家で裕福そうなシチューキンが、マチスの作品を買い求めるごとに、踊り子たちはシチューキンを、声を出してあざ笑う。まったく馬鹿にした笑い方だ。そして、フイルムの最後に、シチューキンは、「マテイスの良さはすぐにはわからない。」「マテイスの価値はずっとあとになって、後々の人々によって理解される時が来るだろう」、と言ってフイルムが終わる。とても気の利いた企画だ。シチューキンもマテイスも、このフイルムをみたあとは、ずっと身近で生きた人として捉えることができた。

エルミタージュ美術館からや、はるばるやって来た65点の絵画を見るだけで2時間半。スニーカーで行ったのにくたびれた。本場エルミタージュで、300万点の収蔵品、1500の展示室、イヤフォン解説を聞きながら、総行程20キロを歩いて芸術品を見る覚悟はまだできていない。

写真は、上から、エルミタージュ美術館冬宮
マテイスの「ダンス」
マテイスの「音楽」
マテイスの「ニンフとサテウロス」と「ボール遊び」
ピカソの「扇を持った女」

2018年12月9日日曜日

メッツオペラ「西部の娘」

ニューヨークメトロポリタンオペラ「LA FANCIULLA DEL  WEST」
邦題「西部の娘」
作曲:ジャコモ プッチーニ
上映時間:4時間
初演:1910年 トスカ二ー二指揮、エンリコ カルーソ(ジョンソン役)
監督:ジアン カルロ デルモナコ
指揮:マルコ アルミアト

                   酒場の女主人ミニ:エバ マリア ウェストブロック
デイック ジョンソン:ヨナス カーフマン
バーテンダーニック:カルロ ボシ
保安官ジャックランス:ジェリコ ルシク
鉱夫ソノーラ:マイケル トッド シンプソン
銀行員アシュビ:マチュー ローズ

プッチーニが、ニューヨークメトロポリタンオペラのために作曲したオペラ。
イタリア人作曲家によって作られたアメリカの西部劇(!!)を、イタリア語でオランダ人ソプラノ歌手と、ドイツ人テノールのカウフマンとが歌っている。プッチーニはメッツオペラの招きでニューヨークに滞在したあいだ、ヨーロッパと全く異なるビアホールや、バーや近代的な建物やアメリカ人気質に激しくカルチャーショックを受けた。それでアメリカっぽい文化をベースにした物語をオペラにしようと思い立ったという。冒険家だよね。

彼は、「ラ ボエーム」をパリを舞台に作曲し、ローマで「トスカ」を作り、さらに自分は行ったことのなかった日本のナガサキを舞台に「蝶々夫人」を作曲し、おまけに中国の物語「トーランドット」を作曲した。彼にとって、場所はとても大事で、その土地、その土地から受けるイマジネーションを、作曲のモチベーションにした。その土地に住んだわけではないから、その国々の歴史や様子に精通しているわけでなくて、深く文化を学んだわけでもないから、諸外国についてとても表面的な理解に留まっている。それでも彼は作曲家として天才としか言いようがない。

私はどんなオペラも大好き。中でもヴェルデイの「アイーダ」、「椿姫」、ビゼーの「カルメン」、モーツアルトの「セビリアの理髪師」、「フィガロの結婚」、「魔笛」は大好きで、それを言ったら、ワーグナーの「トリスタンとイゾルテ」や「ローエングリン」も忘れられない。しかしプッチー二の「蝶々夫人」は大嫌いだ。珍妙なナガサキを舞台に、坊主を「ボンズ ボンズ」とコーラスが飛び跳ねながら歌うシーンなど仏教を侮辱しているようで腹が立つし、だいたい16歳の少女を愛人にして子供を産ませる米国軍人のストーリーなど、不愉快だ。未成年虐待ではないか。

メッツでは、プッチーニがメッツのために作曲したこのオペラ「西部の娘」をあまり上演しない。メッツのために作られた作品なのだから、毎年取り組んでも良いようなものだが、アメリカ人のテイストがオペラにそぐわない上、観客の受けがあまりよくないのは、蝶々夫人嫌いの日本人の心象に似たものだろうか。これほどメッツに避けてこられたオペラを観るのは興味深いものだ。アメリカの西部劇はドライな仕立てなのに、イタリア人作曲家が西部劇を作ってみるとマカロニウェスタンならぬ、あまりにウェットな仕上がりで、当のアメリカ人には受け入れがたいタッチだったのだろうか。ストーリーの、悪者盗賊デイックジョンソンが、彼が愛する処女ミニのひたむきな純愛によって救われる、といった内容はカーボーイの心情にそぐわない。 それでもヨナス カーフマンの高貴な姿と、力強く美しいテノールを聴くためにこのオペラを観て来た。

オーケストラとそれを指揮するイタリア人指揮者、マルコ アルミリアトが素晴らしい。ダイナミックで華麗な指揮、現代舞踊を踊るような彼の姿を見ているだけで感動的だ。イタリア人の身のこなし方、全身全霊をこめて指揮する彼の多様な表現力はプッチーニが乗り移っているとしか思えない。彼は譜面を持って来ない。4時間のオペラ、総譜を暗譜している。こんなオペラ指揮者が他に居るだろうか。ただただ感歎。

ストーリーは    
第1幕
カルフォルニア、ポルカサロン金鉱の町。世界中からゴールドラッシュにつられてやってきた男達は、毎日金鉱で重労働に耐え、故郷に一握りの金を送るためにこき使われ、最後は泥にまみれて犬の様に死んでいく。男達の唯一の慰めは美しい女主人の経営する酒場だ。ミニはこの町で生まれ亡くなった両親が経営していたこの酒場を引き継いだ。彼女は両親がどんなに互いに愛し合って死ぬまで仲良く暮らしていたかを知っているので、どんなに男達が言い寄ってきても心を許さず、全く相手にしないで、本当に自分が心から愛せる人が現れるのを待ち望んでいる。保安官ジャックランスは妻帯者でありながらミニに執拗に求愛していて、ミニはほとほと困っている。
そんな酒場に流れ者デイック ジョンソンと名乗る男がやってきて、ミニは教会で前にあったことのあるその男を一目で愛してしまう。そして夜自分の家に訪ねてくるように言う。
第2幕
ミニはジョンソンを自分の家で迎え、生まれて初めてのキスを彼に与える。そこに保安官が男達を従えてやってきて、ジョンソンは極悪のお尋ね者だったことがわかって、追跡中だという。ミニは保安官たちが立ち去った後、隠れていたジョンソンに、自分の唇を奪っておいて嘘つきだったことを責めで出て行くように命令する。彼は出て行く。しかし、しばらくして銃の音がして、瀕死の重傷を負ったジョンソンの姿を見るといたたまれず、ミニは彼をかくまう。
第3幕
ミニはジョンソンが回復するまで世話をして、自分がジョンソンを心から愛していることに気が付く。その後、完治したジョンソンは出て行ったが、山狩りで保安官に逮捕されて男達に首に死刑のための縄をかけられる。ジョンソンは、最後の頼みとして、「ミニには自分が死刑になったことを知らせないで、無事に逃げ延びたと言ってくれ」と切々と訴える。そこをミニが銃を持って駆け込んできて、彼を殺すなら自分もこの場で死ぬと銃をこめかみに当てる。男たちはみなミニを愛している。彼女の世話になってきた。ミニに聖書を読んでもらってきた男達。家族に手紙を代書してもらってきた男達。病気のときに世話になった男達。みなミニのことが大好きだった。ミニの懸命な純愛に心打たれて、男達はジョンソンの縄を解いて、ミニと二人で新しい人生を歩むようにと、二人を送り出してやる。
というストーリー。

ヨナス カーフマンはインタビューに答えて、このオペラでは馬に乗るシーンもあったし、カーボーイハットにカーボーイブーツを身に着けることができた。ボーイズ ドリーム カム トゥルー(男の子の時の夢がかなったよ)でしょう、と言っていた。不協和音ばかり、曲が難解でとてもバラエテイーに富んだオペラで、アリアがないオペラといわれてるけど、「僕アリアを歌ってたでしょう。ね。」と茶目っ気いっぱいに話していた。何てチャーミングな人だろう。このとき映画館にいた観客前後四方の女性客たちの溜息が聞こえた。
第2幕のミニとの初めてのキスに至る、求愛の歌は本当にカーフマンにしか歌えない。こんな迫力のある求愛には、もう本当にドキドキする。この人ほど見も心も投げ出すようにして、天も地も落ちよ、星も月も太陽も飛び散れ、この世には僕の愛しかないのだ、という破壊的ともいえる究極の求愛を歌える歌手は他に居ない。聴いていて見も心もズタズタです。

オランダ人ソプラノ、エバ マリア ウェストブロックは演技が上手で素晴らしい役者だった。でも彼女の声が好きでない。ソプラノでも気品のある硬質の声が好きだから。役者としては一流だ。銃で撃たれ舞台で昏倒しているカーフマンの横で、保安官相手に、「私が勝ったらこの男はわたしのもの、負けたらこの男をあんたに渡して私はあんたの女になる。」と言ってカードを出してポーカーをするところなど、すごく演技が冴えている。

ミニの家で働くメキシコ人の女中がちょっと出てくるだけで、このオペラではミニ以外の女性が全く出てこない。男ばかりのオペラだ。終始舞台では複数の金鉱で働く男達が立ち回り、殴り合いの喧嘩をしたり、ミニに言い寄ったり、すぐに銃を向けたり、動きがあって面白い。歌いながらだから、歌手たちは大変だったろう。
このメッツのハイビジョンフイルムは、オペラだけでなく幕が変わるごとにカーテンの裏で舞台を作る人々の様子が見られるところが良い。興味深々だ。大がかりな舞台造りに何十人もの舞台美術家やペンキ屋や大工や工具係りが、限られた幕間の間に大忙しで仕事をしている。オペラを支える人々の姿まで美しい。オペラは良い。500年も前から作られてきた芸術品を大切に大切に、後世に伝えて行かなければいけないと、心から思う。

シドニーでは、外は真夏30度近い暑さ。でも4時間の公演中冷房が効いて、カーデガンとひざ掛けをもって入っているのに体が氷のよう。映画館から歩いて200メートルのところにある寿司屋に入って熱いお茶を飲んで生き返った。午后3時ごろに寿司屋に来る変な(迷惑な)客のために、オーナーのケンさんはいつもメニューにない皿を用意して迎えてくれる。ありがたいことだ。
日本でも現在、限られた劇場で公開中。